注目の話題
仕事が長続きしない原因
婚約者と別れました
この場合の気遣いが分からない…

日本を巡る気になるニュース4⃣5⃣

No.313 17/09/10 22:51
名無し
あ+あ-

≫312

イ・ギョンウン博士は
「この当時、海外養子縁組は、養子縁組ではなく、混血児童の集団的な国際移住であった」、
「戦争の後に発生した混血児問題を私的機関によって解決したものであり、これらの社会的排除を「父の国」に送るという名分で正当化した」と述べた。

 1975年ベトナム戦争当時、南ベトナムの首都であったサイゴン(現ホーチミン市)が北ベトナム軍によって陥落する前、米軍が行った「ベビーリフト(baby lift)」作戦のような性格という指摘だ。
米軍は当時、参戦国の兵士たちとベトナム人女性の間に産まれた混血児をはじめ「戦争孤児」3300人以上を米国と欧州に送って養子縁組させたことが分かった。

韓国戦争直後の海外養子縁組は、関連する明確な法令もなくアメリカ人によって設立された孤児院などを通じて「子供の緊急救護」という名分で行われた。
特に混血児童は母親が育てている場合でも、これを支援する代わりに、母子家庭を解体させて海外養子縁組として送った。

これまでも韓国の養子縁組は、母子家庭に対する支援を代替する手段として活用されている。したがって、「戦争孤児」を海外に養子縁組として送ったと言うのは、厳密に言えば間違った言葉だ。
母親がいても混血児は家父長的で、閉鎖的な韓国社会で事実上「強制移住」されたのである。

ジェーン・チョン・トレンカ代表は韓国戦争以降、混血同意国際養子縁組について
「当時、多くの国が戦争を経験した。また、戦争の過程で混血児童を含めて保護を必要とする多くの児童が発生した。しかし、他のどの国も「父の国」に送るとして、こんなに大勢の養子縁組を送った事例がない」、
「さらに混血児童が戦争した敵軍の子供でもなかったのに、なぜ彼らを送り出さなければならなかったのか本当に理解し難い」と述べた。

中央養子縁組院によると、1955年から1961年までに4185人の混血児童が海外養子となり、彼らのうち4155人が米国に養子縁組された。

プレシアン 2017.09.08 09:19:27(韓国語)
www.pressian.com

313レス目(495レス中)
このスレに返信する

つぶやき掲示板のスレ一覧

日常のつぶやきはこちらで。日々の中で感じた事をポツリとつぶやいてみませんか❓

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧