過去から未来へと続く道
どんなにゆっくりでも着実に前に進めばいい
辛くなったら歩を休めたっていい
後戻りしなければいいんだよ
これはキミの問題だよ?
本人しかできないんだよ
ただね
一人でどうしようもなくなった時…
挫けそうな時…
肩を貸すよ
いつだってキミの支えになれるよう努力するよ
人は独りでは生きていけないんだよ
いつでも誰かがキミの支えになってるはずだよ
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夫が仕事を辞めた。
悩んだ末の自主退職だった。
夫の話で仕事の環境が劣悪だったので私は内心その選択に安堵しつつ、ねぎらった。
次の仕事を探す前に、まずは身体を休める事を勧めた。
夫は1週間も経たないままハローワークに通い始めた。
ソワソワして落ち着かない感じだった。
普通免許を取ってない夫に選択肢を拡げるために免許を…と勧めてみたもののお金を理由に渋っていた。
なんと、彼は就職活動を始めて3日目で仕事を選んできてしまった。
「そんなに急いでどうしたの?」と訊くと「休んでいると仕事をしたくなくなっちゃうから」と言われた。
初出勤はその翌日だった。出勤時間より1時間早く着くように家を出て行く夫。
どことなく余裕がない夫の様子に、私は不安を覚えた。
帰宅した夫に「どうだった?」と訊くと「とりあえずきついなぁ~」と笑いながら応えた。
夫から笑顔がこぼれて少し安心した。
ところが、3日後その会社を辞めると言い出した。
身体的な理由だった。(具体的に仕事内容を書くと特定される可能性があるので書きません)
それだったらしょうがない。
「今度はこれだ!って思える仕事が見つかるまでじっくり腰を据えて探そう」と言った。
前まで働いていた仕事は日曜日と正月休み以外休日が無く、日帰り旅行すらできないような状態だった。焦ってる夫には悪かったが、正直なところ、これで少しは一緒に過ごす時間ができると内心少し喜んでいた。
しかし「気分転換にちょっと旅行してみない?」と誘ってみてもPCで求人情報を見ながら「いつかね」と答えるばかり。
貯金が全くないわけじゃない。普通免許を取得しても数ヶ月は楽に過ごせるくらいの貯えはあった。二人で行くのはお金がかかるのが心配なのかと思い、一人旅を勧めた。
すると、ある日の昼間。
「今日の夜ツーリングに行ってくる」
と、準備を始めてしまった。どこに行くかもわからない、とにかくぶらっとしてくる、とだけ。
不安で仕方がなかったが、自分から行くと言った事だったから定期的に連絡するように、とだけ言って見送った。
深夜1時前にメールがあった。
「今○○に向かってる船の中なんだけどそこにホテルか何かない?」
船が目的地に到着するまで残り30分。安そうなホテルと、念のためネットカフェを急いで探す。
メールで何軒かの情報を伝えてしばらくすると彼から電話がかかってきた。
「メールありがとう。今××通りにいるからこれから教えてくれたホテル探してみる」
声は元気そう。
30分くらいしてまた電話が入った。ホテルはどこも空いてなくてネットカフェで仮眠を取る、とのことだった。
私がベッドに入ったのは深夜3時過ぎだった。
翌日の昼過ぎに夫からメール。
「これからそっちに帰る」
もう帰ってきちゃうの?と思った。
移動とネットカフェの仮眠だけで気分転換なんかできたんだろうか?
果たして楽しめたんだろうか…?
疲れて帰ってきただけだった…。
みっちり計画を立てないまでも、少し位計画立てて行ったほうがよかったのに。
そう思った。男の人はどうにでもなるものなのだろうか。
また、PCに向かうようになった。
当時、私達は同じオンラインゲームで遊んでいた。
「久しぶりに一緒に遊ぼう」と誘ってみた。返事の声は明るかった。
実際に一緒に遊んでみると、すごく楽しそうだった。久しぶりに満面の笑顔を見ることができた。
嬉しかった。
二人で散々遊んで、遊んで、遊んだ。
その日は深夜2時まで遊んでいた。
翌日もゲームに誘ってみた。すると
「今日はいいや。遊びたくない」
一緒に旅行できないんだからゲームくらい一緒にしてくれたって…などと口に出さなかったが、私の不機嫌な表情で判っただろう。
私独りで遊ぶことにした。夫が「俺もやろうかな」って言うのを待った。
夫は隣の部屋でPCをつけていた。夫は何故か扉をきちんと閉める。
おかしいと思って、ふいに扉を開けてみた。
カチカチッというマウスの音。ウィンドウが閉じられた。
ふと、メッセンジャーの窓を見ると見慣れないHNの人物があった。
「この人だれ?」と訊くと
「新しいネット友達。チャットで知り合ってさー、仕事の話とか色々して盛り上がったとこ」
HNの名前も男性っぽいものだったから、それを信じた。
友達が作れるのはいいことだ。特に夫が今置かれているような閉じこもり勝ちな状況ではいろんな人と話したほうがいいと思った。
「いいお付き合いできるといいね」とその場を離れた。
深夜1時をまわって夫がベッドに入った。私も少ししてから横になった。
彼は、私に背中を向けていた。
いつからこんな風になったんだろう。寂しかった。
「ねぇ…私に何かできることない?」
「キミはいつもどおりでいて。いつものキミでいてくれたら俺も安心する」
そんなやりとりをして眠りに着いた。
私が起きたのは昼過ぎだった。ぼーっとした頭で携帯を開くとメールが届いていた。
夫からだった。
「電車に乗ってぶらぶら旅してきます^^ノ」
とだけ。
日帰りなのか、数泊するのか、どの方面に行ったかすらわからない。
電話してみたが、電車の中なのか電源が入っていないというアナウンスが流れる。
夕方にまたかけてみた。繋がらない。
やっと繋がったのは日付が変わって午前2時過ぎだった。
時間も時間だからかもしれない。寝ているのか出てくれない。
午前3時、繋がったと思ったら切られた。
…おかしい。
そもそも、夫は電車が大の苦手。揺れにも人にも酔ってしまう。
なぜ電車なのか?どうして電話を切ったのか?
色んな事が疑わしくなってきた。
その後も何度も電話をかけた。メールも何度となく送った。
朝4時過ぎにまたつながった。
「もしもし?いるの?大丈夫?何かあったの?」
向こうは無言だった。
また切れる電話。
一人になって考えたいことだってあるのはわかる。それでも安否くらい話してくれたっていいじゃないか。
色んなことを想像して、無性に腹立たしくなって
「もう知らない。勝手にして。さようなら」
とメールした。
寝たのは外が明るくなり始めた頃だった。
起きるのがまた昼過ぎになった。携帯をみても着信もメールもなかった。
独身時代はオフ会が好きで遠いところまで行った経験がある人だったから、行った先でオフ会でもして酔い潰れて出ないんだろうと思った。
それでもメール一通くらいよこしてくれてもいいのに。
あまり色々考えても仕方が無い。空腹だったので食事をとった。
夕方。
インターホンが鳴った。
女性だった。大家の娘、と言っていた。
「○○さんですよね」と息を切らして言う。「ちょっと中に入れてもらっていいですか」などと言うから少し訝しがりながら招き入れた。
女性は息を少し整えて言った。
「さっき警察から電話があってご主人が自殺したそうです…」
「…は?」
声が裏返った。意味がわからない。
「ご主人が…自殺なさったって…警察から…」
もう一度同じ言葉をその女性から聞いたところで義母から着信があった。
もう今となってはその時何を話したか覚えてない。
唯一覚えているのは連絡のあった警察署に同行するかどうか聞かれ、返事をしたことだけだ。
その後すぐに警察からも連絡があった。
夫の安否を聞いたが、まだわからない、と言われた。彼の携帯だけロックがかかっていて解除できなかったらしい。大家伝いで連絡がきたのはこの為だった。
義父母と私達夫婦の家は車で20分弱の距離。私は部屋着のまま、ロングパーカーを羽織り、携帯と財布と家の鍵だけ持って出た。
待っている時間がとてつもなく長かった。
死ぬなんてことは絶対ない。何かの間違いだ。
頭の中はこれだけがぐるぐる回っていた。
辺りは暗くなっていた。やっと、見慣れた車が見えた。
義父が運転し、助手席には義兄が座っていた。
私は後部座席の義母の隣に乗り込んだ。
夫のことについては、誰も、全く触れなかった。
ただ、警察署までの道の確認とか、途中でお茶を買っておこうとか、そういうどうでもいい話がぽつぽつと流れていった。
しばらくして、義母に最近の夫の様子を聞かれた。
頭が働かず、覚えているところから断片的に話していった。
「だって…旅行に行って来るって…絵文字までつけて…」
そう話した途端涙が溢れた。次から次に自分がしたことの記憶が蘇ってくる。
「しばらくゆっくりしたら?」なんて言ったこと。
「旅行っていい気分転換になるよ」なんて勧めたこと。
背を向けて寝ている夫を後ろから抱きしめなかったこと。
そして、「大丈夫だよ」と言わなかったこと。
「さようなら」なんてメールを送ったこと…。
さよならと書いたメールを送ってしまったことを打ち明けた。
私のせいだ。あのメールが引き金だったんだ。
「私があんなメールしなければ…」と言ったところで、普段寡黙な義父が声を荒げてそれを否定した。
高速でどれくらい走っただろうか。電話で私達を呼び出した警察署は住んでいる町とは離れたところだった。
私はただ、どこを見るというわけでもなく窓の外に目を向けていた。
涙がいつの間にか出てきては、止まった。止まったと思ったら、また流れていた。
高校時代の親友のことが浮かんできた。
いつも愚痴を聞いてくれるゲーム友達のことが浮かんできた。
自分の身体がガラガラと崩れてしまうような感覚がずっと続いた。
二人に両脇を支えてもらいたかった。
心細かった。
大丈夫。大丈夫。彼は生きてる。
自殺は一歩間違うと後遺症が残ることは知っていた。どんなに重い後遺症が残ろうが関係ない。とにかく生きていて欲しかった。
車の中では義兄と義父が道を確認する会話と、義母の「なんでこんなことに…」とのつぶやきがあるだけだった。
私は黙っていた。
警察署に着くと刑事さんに取調室みたいな部屋へ招かれた。
ひとりひとりに夫の最近の行動について訊ねられた。
私は日付の感覚が全く無くなってしまっていてきちんと答えられなかった。
何度も「今日は何日ですか?」「何曜日ですか?」と聞いておきながら
「昨日は何日ですか?」「昨日は何曜日ですか?」などと聞いていた。
ゆっくりでいいです、落ち着いて下さい、と刑事さんに何度も言われた。
完全に混乱していた。
※人によっては不快な描写があるので注意※
彼の携帯「だけ」ロックがかかっていたというのは、他にも一緒に自殺した人がいたということだった。
安置所には夫を含めて数人の遺体が並んでいた。どの人も銀色の袋で覆われていて足先だけが見えていた。
足の指はどれも真っ青だった。
刑事さんがある遺体に近づいてファスナーをあけると夫の顔がでてきた。
その途端、義母が覆いかぶさって泣いた。
夫は口を開けて寝ているようだった。
熟睡しているときの表情とそっくりだった。
違うのは肌が青白く冷たくなっていることだった。覆っている袋と同じ位白かった。
そして、義母がどんなにゆすっても全く動かないことだった。
しゃがみこむしかなかった。泣きはしたけどそこに感情はなかった。ただ涙が出てくるだけだった。
どこかのサスペンスドラマのワンシーンのように義母が覆いかぶさっているのを冷静に見ている自分もいた。
義父はかぶっていた帽子をとり、舌打ちし、「馬鹿野郎…」と声を搾り出すように言った。それから義母を抱き起こした。
義兄は私を立ち上がらせてくれた。
部屋に戻ってから、検死の話や亡くなった場所の話を聞いた。
一度家に戻ってから…という話になりかけたところでやっと声が出た。
「近くに泊まれる場所ありませんか?」
一人ででも泊まるつもりだった。あの人と離れたくなかった。
出来る限り傍にいたかった。
「一人はまずい」
刑事さんが言った。結局、4人で近くのホテルに泊まることになった。
ツインを二部屋とって、義父と義兄、義母と私とに別れた。
部屋に入ってから、翌日の予定を話し合った。
その後私は、両親にそれぞれ電話をして今の状況を話した。
二人とも、私が話している間ずっと聞いていた。
父は、気をしっかり持て、と言った。「○○君(夫)をみてあげるのはお前しかいないんだぞ」と。
母は、親戚が葬儀屋をしていることもあってこれからの手順について詳しく教えてくれた。
シャワーを浴びてベッドに横になる。
何度も寝返りをうった。
全く眠れなかった。
朝6時くらいから部屋のカーテンを開けて外を見ていた。
眼下には田畑とその合間にぽつぽつ並ぶ民家があった。
少しずつ、人がでてくる。
黄色い帽子をかぶった小学生。ヘルメットをかぶって自転車に乗る中学生。
スーツを着たサラリーマン。
ごく普通の日常があった。
でも、この部屋のガラスから向こうは別世界のような気がしてならなかった。
私は向こうには行けない気がした。
チェックアウトしてからそのまま警察署へ行った。
集団自殺を計った車を見せてもらった。それから、現場へ案内してもらった。
車はどんどん山へと入っていく。
途中、真っ白な花が沢山咲いていた。
なんという花かは知らない。
川も綺麗で、木漏れ日はとてもやわらかかった。
「こんなに綺麗な所なのに、あの人達には見えなかったんでしょうか…」
「そうねぇ、ほんとにねぇ…」
私のつぶやきに義母もつぶやいた。
現場は現地の人しか使わないような道の脇にある駐車スペースだった。
他の遺族の方が手向けた花束が置いてあった。
案内してくれた警察官は、私達が最後だと言っていた。
そして、どういう状態だったのか説明してくれた。
警察署に戻ってお礼を言い、一旦義両親の家に戻ることにした。
家に戻ってすぐ、義父と義兄は遺体を運ぶ手配等をするためにまた外出した。
義母と私は家で休むよう言われたが、ただ座ってぼうっとするしかなかった。
ずっと寝ていなかったので二人とも横になったが眠れないままだった。
義父と義兄が外出している間に、葬祭業者を決めなければならなかった。
急なことだったので相場も知識もまるでわからない。
一箇所だけ受け入れてくれるところがあり、家族葬の規模も可能とのことだったのでそこに依頼
することにした。
義父から電話があって、葬儀場に遺体を運んだとのこと。私達もそこへ向かった。
夫は白装束の姿で布団に寝かされた状態だった。
北枕。
義母は夫の身体の隅から隅まで優しくなでていた。
夫の手の甲には焼け爛れた痕があったが、それがどうしてできたかは結局今でもわからない。
すり傷を負った子どもにするように、優しく手を当てていた。
私は最初のうちは触れなかった。義母がくまなく触っていて近くに寄れなかったというのもあったが、怖かったのだ。
夫の頬を軽く撫でてみた。
弾力こそあったけどずっとドライアイスで冷やされて、ひんやりしていた。
葬儀の担当者が来て、葬儀の流れ等について説明を始めた。
予算と大まかな形式を決めたらあとはとんとん拍子だった。
夫の死は、ごく近しい親戚だけに知らせることにした。
私の家からは両親と弟だけ。
こちらの家の他の親戚にはある程度落ち着いてから伝えることにした。
通夜のことはあまり覚えていない。
夫方の親戚に挨拶したり(といっても義母と一緒に頭を下げるだけ)、時々横たわっている息子の傍に行っては身体をさする義母を見ていたのは覚えている。
義父は少し離れたところで座ってじっと息子のことを見ていた。
時折、涙を拭くように顔を拭いていた。
私はその背中を見ていた。
ぽつぽつと親戚が斎場に来た。
挨拶をした際に声をかけてくれる度に、涙がこぼれた。
その優しい一言一言が、夫の死を現実にしていった。
一度家に戻る機会があり、PCをつけた。
メッセンジャーを立ち上げるとゲーム友達がいた。私の数少ない友達の一人。
ゲームで知り合って3,4年は経っていた。
彼は私づたいで夫のことを知っていた。
後から聞いた話では、ゲーム中で話をしたこともあるらしい。
夫婦共通の友人だった。
私達が結婚したときにはおめでとうと言ってくれた。
ゲーム友達でもあり、私にとっては夫婦仲の相談窓口でもあった。
彼に、夫の死を告げた。
行方不明になった時のことから通夜に至るまでのいきさつを、淡々と入力していった。
いくら付き合いが長いとはいえ、この事実は引かれてもおかしくないと思っていた。
それでもキーを叩く指は止まらなかった。
でも彼はずっと読んでくれた。時折、相槌のログが流れる。
今まで誰にも言えなかった感情を、ただ溢れるだけの感情を、全部読んでくれた。
彼が、夫が使っていたPCに何か残ってるんじゃないか、と言った。
携帯電話のロックも結局解除できなかったし、用意周到に全て消してるんじゃないかと思ったが探してみようと思った。
こうなった理由を少しでもいいから知りたかった。
友人におやすみ、と言って落ちたものの眠れない。
夫が使っていたノートPCの電源を入れた。
ブラウザの閲覧履歴を遡って探してみたものの、やはりそれらしいサイトは残っていなかった。
唯一それらしいものは、仕事の相談をする掲示板のURLだった。
日付・時間共に夫が書き込んだと思われるログが残っていた。
相談しつつも、かなり前向きな発言をしていた。
精神状態はかなり不安定だったのかもしれない。
普通の精神状態ならば夫の発言と彼の行為はリンクしないはずだ。
だが、私が探し出せたのはその掲示板だけで、他に亡くなった方との会話のログは見当たらなかった。
当然ながら、遺書のようなものもなかった。
自殺サイトを探すにしても手がかりが無さ過ぎるので、仕方なく横になった。
横になったところで眠れるものではなかった。
やっと日付の感覚が戻ってきたので遡って思い出してみることにした。
ゲームをしてたときの笑顔と、変わり果てた姿しか思い浮かんでこない。
二つはまったくリンクしない。
葬儀の全ては義父母が決めていった。
私はただ、ぼーっとしてるだけだった。
喪主は私ではなく、義父だった。
頼りないから喪主になれないのか、などと働かない頭で下らないことを考えていた。
葬式には若いお坊さんが来た。
夫の遺影をみて席につくなり、持っていた扇子のようなものを投げ置いた。お陰で印象は最悪だったのだが、最後の最後でこんなことを言った。
人生は年齢の長短では量れない。
その言葉は、大抵の人間は70歳80歳で事を成し遂げるところを夫は若い歳でやりとげたという意味に受け取れた。
そう思うと涙こそ止まらなかったが、なんだか彼の死がとてつもなく尊いもののように思えた。彼が両親から頼られ、周囲からもしっかりしてると思われ、どっしり構えていたのはそういうことだったのか。
彼は私たちのずっと先を歩いていたのか…。
告別式。
義母が一番に花を夫の胸元に手向けた。そして棺で眠っている息子の頬をなでた。
私はというと、義母から一歩はなれていた。ほんの数年人生をともにした私では産んでずっと育ててきた母の愛には到底適わない。今思うと嫉妬だったのかもしれない。夫に花を手向け、ずっと愛してる、ずっとあなたの妻です、と呟いた。
彼が気に入っていると言っていた私の写真は縁起が悪いと入れさせて貰えなかった。
出棺の時。
棺に釘が打たれた。
霊柩車には義母と義兄が付き添った。私は周囲に推されるまま霊柩車に後続するタクシーに乗り込んだ。義父は遠くから来た親戚を乗せるため自分の車の前で誰かを乗せるため少し離れたところで立っていた。
火葬場。小雨が降っていた。
最後の焼香。
棺がステンレスの台の上に載せられ、火葬炉に呑み込まれていく。
本当に最後の最後の時だった。
肉体が無くなる。
彼が死を選び自分で自分を殺めた時点で、彼の精神の拠り所がは私たちの元ではなく「あの世」に向けられていたのだと思うといたたまれなかった。肉体がどう変わろうともう彼は戻ってこない。
火葬後、再び斎場に戻って食事をした。
食欲が全く無かった。少し具合が悪い、と言って斎場ロビーにあるソファに一人座った。トイレに席を立った親戚達が、チラチラとこちらを見るのが分かった。
ロビーじゃ一人になれないと思い、私もトイレの個室に入った。どうしても一人になりたかった。一人になる空間と時間が欲しかった。唯一死ぬことは考えなかったが、それ以外のことはどうでもよかった。今でこそこんな行動は参列者に対して失礼だと思うが、そういうことまで思考は働かない。
火葬場から連絡があり、お骨上げに向かった。
あんなに体格がよかった夫が真っ白な骨と灰だけになっていた。
その差に私は取り乱した。手が震えてとてもお骨を拾える状態じゃなかった。
彼の叔母にあたる人が私の両肩を掴んで言った。
「(お骨は彼の)一部でしかないんよ!」
彼女の言葉で少し落ち着きを取り戻して、私も箸を持った。
その後は、何をしたか覚えていない。
あまり眠れなかったから眠っただけかもしれない。
葬儀が終わり初七日も終わると、様々な契約の名義変更の手続きを取ることになった。役所や社会保険事務所にも何度か通った。
手続きをする間は、兎に角それだけに集中することができたから気が楽だった。
時折ふと視線を他にやると、その先には母子の姿があった。「普通」に過ごしている姿が無性に辛かった。家族連れの人を見る度に幸せであってほしいと願った。私が今抱いているような悲しみから無縁であってほしい、と。
羨ましさはあっただろうが、何故か妬みは全くなかった。外で聞こえる子どもの笑い声は癒しだった。駄々をこねて泣く声すら、温かみを感じた。
ただ外にいるときにそういう願いを抱いたり羨ましく思うと自然と涙があふれてきてしまう。ほんの少しの涙なら欠伸に誤魔化せるだろうけど、本気で泣いてしまうので手続きに行くことと買い物に行くこと以外は外出しないようになった。
手続きをしていると、当然夫の死の話をしなくてはならなかった。
担当した人が中年の女性だとかなり優しく(というよりも腫れ物に触れるようにして、かもしれない)接してきた。男の人は男の人で、淡々と事務的に進めてくれた。
どの人も丁寧に対応してくれたのが有難かった。
そんなに辛気臭い顔をしているんだろうか?と鏡で口角を上げる練習をしてみた。
が、自分の顔が気持ち悪かった。確かに目が死んでいた。
夫の携帯電話がとうとう警察署から戻ってきた。名義変更等も兼ねて結局分からず仕舞いだった暗証番号を初期化して閲覧できるようにした。
「さようなら」と書いた私のメールが引き金だったのか。
自責するのは精神的に限界だった。
携帯電話ショップを出て家に着くまで待ちきれず、歩きながら夫の携帯の履歴を調べた。
ほとんどの履歴は消されていた。
発信履歴はただ1件だけ。そこに書かれていた名前は夫が行方知れずになる前夜に言っていた「新しい友達」のHNだった。着信履歴は私からのものだけだった。
一度、全履歴を消したのかもしれなかった。
メールはほぼ全て消されていた。夫が送ったものは全くなかった。
警察から連絡がきたときには混乱していて時間間隔が全く無くなっていたので考えることすらできなかった。気付かなかった。
夫に電話をしてやっとつながった時。無言のあの電話。
それは、4時過ぎだった。
死亡時刻はその1時間後だった。
そして、あのメールの着信時刻はさらに1時間後だった。
あの時夫は引き返せない状況だったのかもしれなかった。
なんであの時「帰ってきて」と余裕を持って言えてたなら。
おこがましいような厚かましいような話だが、妻である私の声で、戻ってきて欲しかった。
自責が後悔になっただけだった。
ある程度手続き等も終わった頃、夫が生前通ったことがある心療内科のクリニックを尋ねた。当時は生活リズムが不規則になったという理由で数ヶ月に1回程度、睡眠導入剤を処方してもらっていた。
…と、夫からは言われていたし、私もそう思っていた。
主治医の先生に会ってカルテを見せて貰った。
正式な病名は忘れてしまったが兎に角「○○症」という名のついた病だった。先生は「この症状がが出るようになったのは中学や高校の思春期からのようだ」と言った。
その頃の彼は運動部に入っていた。しかも私立大学に推薦で入学できるほどの実力を持っていた。
「それ(運動)のお蔭で今の自分がいる」
私は夫の口から確かに聞いていた。だから最初に先生のその発言を聞いた瞬間は疑った。しかし、他の細かい精神状態の話をカルテを見ながら聞いていくうちに思い当たる節がいくつも出てきた。
気付かなかったことだらけだった。
気付いていても、大したことはないだろうと思ったことばかりだった。
また、後悔した。
唯一救いだったのは結婚生活に関しては「充実して楽しい」と言っていたことだった。
私との生活が嫌で死を選んだわけじゃなかった。
少しでもそう信じられたのが有難かった。
ついでに、私の精神状態についても診察してもらった。
身近な人を自死で亡くした人は人それぞれ辛い思いをする。それは当然だから心配しなくていい、と言われた。
今のこの状態が当たり前。
この言葉を鵜呑みにしたわけでも開き直ったわけでもないが、手続き等のやることがなくなると、必要最低限の買い物以外は家に引きこもりPCに向かう日々が続いた。
自分のことを、他者にどう説明していいか分からなかった。
もう主婦ではなくなったのに主婦と言ったり、適当に誤魔化すことが増えていった。
主婦と言えば「旦那様のご職業は?」などと聞かれてしまい、ウソを重ねることも増えた。夫の生前の話をついこの間の出来事のように話すこともあった。
普通なら何ということも無い世間話にウンザリしていた。
自分の存在そのものがウソのような気がすることもあった。
夫が亡くなってしばらく経った頃、一度実家に戻る機会があった。祖父の一周忌だった。
祖母とは「夫を亡くした」という共通点があったので、色んな話をした。
夫に対する思い。単に悲しみだけではなかった。理由を知ることができない苛立ちも、怒りも、そして夫婦になれた感謝の気持ちもあった。
祖母は全てにうなずいてくれた。
子どもが欲しかった。
という話もした。
でも夫はもういない。
再婚するにしても相手が初婚であれば私の「過去」に違和感を抱く人は多いはずだ。同情では結婚は成り立たないし、仮に相手本人が結婚を考えてくれたとしてもその親や親戚がいい顔をするはずがない。再婚できるとしたら、相手もそれ相応の人間だろう、と。
…普通の恋愛はできそうにない。
祖母は「そうやねぇ…」とつぶやいた。
実家がある地域では有名だというカミサマと喋れる(らしい)おばさんを訊ねてみた。
今後どうなるのか、どうしたいのか全く分からないままだったから、そのおばさんにそのままの質問をしてみた。
何でも貴方なら大丈夫と言われた。安い占いのように「これがお勧め」というものは無かった。元々そのまま鵜呑みにするつもりもなかったが、これじゃあ本当に何も分からないままじゃないか、と思った。
それから、気になっていた夫の墓についても訊ねてみた。四十九日が過ぎてもお骨は夫の実家の仏壇の前だった。
「夫の実家にまかせなさい。口を出してはいけない。」と言われた。
私はいつかまたどこかの家に嫁ぐこともあるかもしれない身だし、中途半端に関わることは嫁いだ先にも失礼だし夫の実家との関係もあるから…ということだった。情けないが、私がずっとお墓をみていく保障も見通しも、正直なところ無かった。私がずっと同じところに住み続けるとも限らない。そうなると夫と同じ墓に入ることも無くなるかもしれない。
第一、お墓を作ったところで、継ぐのは義兄だった。
私が入る余地は無いんだなぁ、とぼんやり思った。
夫の葬式に参列した私の両親と弟、そして母方の祖母以外の親戚には、夫の死を事故死として伝えた。自損事故なら誰も疑えない。知る機会も無い。
大好きな叔母夫婦にも本当のことは告げられなかった。今も本当のことは告げる気にはなれない。
叔母の家は夫婦で居酒屋を営んでいる。叔父が焼く焼きおにぎりは最高で、子どもの頃から遊びに行くと必ず食べていた。夫にも自慢の叔父の味を知って欲しかった。夫と叔父ならきっとウマがあうと思っていたから是非会わせたかったのに…。
叔母は店を閉めてから来てくれてお茶を飲みつつ世間話をした。いとこがまだ小学生ということもあって、その子の話題で始終楽しくできた。叔父とは店で一言二言話したきりだったが、それはそれで有難かった。
家に戻ってからも引きこもり生活は続いた。
これまでここに書いたことは、高校時代からの親友と、オンラインゲーム友達に「愚痴」という形でこぼしていた。
二人ともずっと聞いてくれて嬉しく有難かった反面、申し訳なさを感じていた。
そろそろ甘えないようにしないと…と思いつつもまた愚痴る。この繰り返しが続いた。
「こんなに辛気臭い話なのになんで聞いてくれるんだろう?」そればかり考えていた。かといって掲示板に書けるほど精神的に安定してなかったし、小心者でニートをしている自分への批判が怖かった。何度も書いては消し、書き込むことは無かった。こうして今書けているのも一つ区切りがついたからだ。
私がやりたいことはなんだったのか。
夫と結婚を考えた頃から夫をずっと支えていこうと思っていた。彼がヘンプアクセサリーに興味を持ったとき私は自分の趣味のサイトを作っていた。夫が趣味でアクセサリーを作るのなら私はそのサイトを作ろうと思っていた。そのための勉強も実際に始めていた。
それがぷっつり無くなってしまった。
警察署に行った時に行政書士のポスターが目にとまった。一時はこの勉強をしてみようかとも思ったが、しっくりこなかった。数年前に簿記3級をとっていて、ついでに2級も…と思ったが、これも続かなかった。
そもそも行政書士も簿記も元々やりたくてやったわけじゃなかった。というと何とも大人気なく情けない話だが、行政書士は頭が混乱してる中に目に留まったポスターというだけだったし、簿記は元々苦手克服の意味しか持たなかった。
そもそも行政書士も簿記も元々やりたくてやったわけじゃなかった。というと何とも大人気なく情けない話だが、行政書士は頭が混乱してる中に目に留まったポスターというだけだったし、簿記は元々苦手克服の意味しか持たなかった。
第一、色々と理由をつけてテンションを高めようと思っても上手くコントロールできなくなっていた。何とか気持ちを高めて2日続いたところで、3日目にはテンションはガタ落ち。その後数日間勉強をサボり自己嫌悪に陥る…という悪循環が続いた。
かといって心療内科や精神科には行きたくなかった。どうしようもない、と自分でも呆れていた。
家で引きこもり、外へ出た時は元気な自分を装った。
たまに会う義父母の前や両親の電話では特にそうだった。
そんな中、オンラインゲーム友達と遊ぶのは唯一楽しかったことだった。ゲームの話題だけじゃなくて他の話も色々した。数年来の付き合いで、しかも率直に話せたこともあって気が楽だった。
夫の話もした。笑い話なのに何故か涙がでて泣きながらタイプしたことも多かった。それでも最後は楽しい気持ちになって一日を終えることができた。彼がオンラインのときは話題があろうが無かろうが必ず話しかけていた。
いつからかわからないが、彼のことを想う時間が徐々に増えた。
自分の気持ちを自覚したのは少し後のことだったが、その時はかなり動揺した。祖母の「そうやねぇ…」とつぶやいた時の複雑な面持ちが思い出された。
何度も自分の気持ちを打ち消そうとした。
私の愚痴をずっと聞いてくれるのだって彼が友達だからだ。一定の距離があるからこそできることだと思っていた。
夫にも申し訳ないと思っていた。
数年後ならまだしも、亡くなって1年も経ってなかった。
この気持ちは単に寂しいからだとも思った。そんなの友達に失礼過ぎる。
浮気と一緒だ。
酷い話。
醜い話。
仮に気持ちを打ち明けても受け入れて貰えるはずはない。
私の置かれている状況はあまりにも重すぎる。
彼とは友達として接していくほうが自分のためにも良いと思った。
ある夜、夫のお供え物にビールを買い、私も飲んでいた。数年ぶりの飲酒だった。
寝そべりながら友達とチャットをしていた。久々に酔っ払いになって、ヘラヘラ笑いながら下らない話をした。
翌日、また何事もなく彼とチャットをしていた。彼は時々、彼の好きな音楽を教えてくれた。視聴していて実際いいなぁと思う曲が多かったが、どの曲も恋愛モノだった。私には心にグサグサくるような音楽ばかりだった。
どうしてこんなもに恋愛をテーマにした音楽が多いんだろうか…。
それらの音楽のお蔭で息ができなくなるほど…なんてものじゃなく、動悸が激しくなって目眩がするくらいになってしまった。
とうとう、告白してしまった。
保留は彼に事情があるからだった。
私も納得できる理由だった。
恋人になることを期待した告白ではなかったものの、告白してからこれからどう接すれば良いかわからなくなってしまった。はっきりとした返事を貰ってない以上友達として付き合う他ない。にもかかわらず明らかに自分の彼に対する態度は変わっていった。抑えきれていなかった。
この頃の私はかなり挙動不審だったと思う。
あまりに混乱していて、正直なところどんなことを考えていたかまるで覚えていない。
ただ告白したことが彼の精神的負担になることだけは嫌だと思った。
それに、夫に対する複雑な想いもあった。
祖母と対話した頃から夫のことが憎くなることが増えた。
祖父は病死。夫は自死。
自分との生よりも他者との死を選んだ。
夫は私と共に生きることに価値を見出せなかった。自分はその程度の人間でしかないのになぜ告白なんて愚かなことをしたんだろう。
葬儀の時亡くなった夫を前に「愛してる」なんて言っておきながら、1年も経たないうちに他の人を好きになるだなんて。勿論彼に対する気持ちは自分では真剣だが、軽率と言われても仕方が無いとも思っていた。
そもそも彼が今まで話を聞いてくれたのは友達だからこそであって、それ以上の関係を望むことは初めから無いんじゃないか。彼の「保留」という答えは私にそれを気付かせるためなんじゃないか。
様々な思いが入り乱れた。
彼を想えば夫に対する罪悪感が生まれた。
何度ベランダから飛び降りてしまいたいと思ったことか。でも、それだけはできなかった。そうしたところで何かが変わるわけではない。私が飛び降りて死んだ後を想像してみても、両親が悲しむ顔と周辺住民の嫌悪の顔しか思い浮かばない。そう結論付ける度、私はまだ大丈夫だと思えた。と同時にこんなネガティブな人間なんて…と思った。
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