実家に依存する小姑
私は同居嫁。
今年の大晦日も小姑一家が来る。
離れた土地にいるわけじゃない。
小姑の家は実家から500mしか離れていない。
毎日姑に子供を見させて、事あるごとに実家に来て、このうえ大晦日に何しに来るんだ。
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小姑は45歳。
決して若いわけじゃない。
だが彼女の思考はヘタすると20代?いや高校生より酷いかも。
彼女はできちゃった晩婚。
それまで独身を謳歌し、海外旅行やホームステイ。
意味のない着付け教室に通ってみたり職を転々としてみたりして生きてきた。
車を買うのもクリーニング代も何もかも、自分のお金で払った事など一度もない。
親に新車を買ってもらいシートの色に飽きたと数ヶ月で買い換えた時も、飲酒運転の見知らぬ相手に車をぶつけられ、いいですよと許してしまい高額な修理代がかかった時も、費用を出したのは全部親。
何十人もの友達を家に呼んで浴びるほど酒を呑むパーティに明け暮れた時の費用も、もちろん親だった。
彼女は、そんな独身時代を謳歌してきた。
- << 3 所々主の妬みが混じってるな 着付け教室 これは意味がないといえない。着物をサッと着られる女性は素晴らしい。 着物を着ると自然に姿勢が良くなるし、気持ちも落ち着きます 新車を親に買ってもらう それなりにいると思うぞ?実際俺も買ってもらった。 小姑は確かに常識からはずれている。 ありえないと思う。 だが義両親が金を出してるんだろう? これは主が口をだすべきことじゃない。 嫁にいったとはいえ実家は実家。いつ帰ろうと自由。 そんなにイヤなら別居すればいい。 同居しなくちゃいけないなら主夫婦が買った家に義両親も住まわせれば小姑はこれまで通りいかなくなるよ 家主が義父、義母であるかぎり主は何もいえないと思う
そんな彼女が三十路過ぎにできちゃった婚で母親になった。
実家を出て夫と暮らしてみたものの、当然やりくりなど出来るはずがない。
毎月の光熱費や食費に驚いて、世の中の人は、いったいどうやって生活出来ているのかと不思議で仕方がなかったと後に語っている。
そこで彼女は速攻で親もとに戻り親と同居を始めた。
全ての生活費は親が出してくれる。
つまり男を引き連れて独身時代と同じ状態になれたわけだ。
ところが気持ちは独身でも必然的に出産はしなければならないわけで、そんな彼女も一応母親になった。
子育てには自分の自由など何ひとつない。
親は居るが独身時代のようなわけにはいかない。
当たり前なのだが。
それに飽きた彼女は徐々に徐々に臨時の仕事をたてにして親に子供を預けだす。
例えば頼まれた着付けの手伝いボランティア。
例えば頼まれた臨時バイトで。という具合に。
親は孫可愛さもあり何も言わず従った。
彼女は母親の役目より、身ひとつで動ける仕事を好んだ。
親はそれを仕事で頑張っている娘だと称賛した。
子供を保育園に預けられる時期がきたら、彼女はすぐに保育園を利用した。
そして保育園への送迎は彼女ではなく彼女の親が主にやった。
この頃に孫達のことも考え、親から彼女に自宅を建築するようにと話が出た。
そして親の援助のもと、彼女は自宅から500mの場所に自宅を構えた。
自宅こそ構えたが、子供の送迎は親。食事も殆ど実家で。
彼女のそんな生活は当たり前に続いた。
彼女の家も家具も電化製品も、殆どの物は親から援助された。
それが彼女にとっては当たり前であり親にとっては、それが子供可愛さ故の親の姿だと自己満足に浸っていた。
不自由のない娘。
不自由をさせないことが親の愛だと信じる親。
それが子供をダメにしてしまう事だとしても、親子間で満足できているなら他所に迷惑は掛からない。
でも、この親子には致命的な問題があり、実家を継ぐのは長男であり、介護をするのは長男の嫁。
それが常識だと思っていたこと。
そして更に愚かな長男夫婦は、この実態など知らず、いずれは長男として帰らなければならないだろうと覚悟していたことだ。
小姑が私の知る周囲の人と違うのは、少なからず気づいていた。
まさかここまでだとは思わなかったけれど。
でも是が非でもいずれ帰って家を継いで欲しいと言う親。
それが長男だという夫。
そしてこの義親絡みの件以外では出来すぎるほど出来た夫への感謝の気持ち。
そして家族の諸事情もあり、私は同居を始めてしまった。
同居後、私達は自営業を始めた。
生活の費用は全て私達が捻出した。
例え義親から援助がなくても、自分達の年齢を考えれば納得できた。
義親が小姑の家を建てたのは知っていたが、それは私達が同居する以前の話。
そして我が子が可愛い、してやりたいのは親なら当たり前のこと。
私達はやがてこの家を継ぎ、この家で暮らしていく長男夫婦。
それが娘と嫁の違い。私は自分の親から、義親と小姑とは違う形だけれど愛情を受けてきた。
同じことだ。
そう納得していた。
同居を始めて驚いた。
私の想像をはるかに超えて小姑は深く深くこの家に関わっていた。
まず小姑は頻繁にここに来た。
何故なら小姑の子供達がこちらに下校してくるからだ。
子供達は下校し、お腹が空いたと騒ぎだす。
冷蔵庫から食べ物を出し、時には鍋に作ってあるおかずを食べてしまう。
買い置きの菓子類をあちこち探し片っ端から開けて食べ、それでも足りない何か作ってと私にせがんだ。
何も知らされていない私は、おかずは家族の分しか作ってないし食材も余分になど買ってない。
そんな事はお構いなしに小姑の子はテーブルに並べられた、これから家族が食べる料理を食い散らかした。
私が驚いたのは、姑や舅そして母親である小姑は、この光景を目の前で見ても一度も叱らず、微笑ましそうに見ていたことだ。
下校し、一通りの食べ物あさりをした後、小姑の子は英語塾、お習字、ピアノ、スイミング、学習塾へと向かう。
連れて行くのは姑。車は私のを使った。
同居する際に、姑は自分の愛車を処分したいと申し出た。
駐車する場所も狭くなるし、私は殆ど車には乗らない。
乗っても雨の日に滅多に行かない医者に行く時だけ。
ほぼ使わない車のために維持費を使わなくとも、たまのことだから共有させて欲しいと私に言ってきた。
事実を知らない私は、それを間に受け「じゃあ必要な時は私のをどうぞ」と承諾してしまった。
以来、毎日私の車は使われ、私は午前中しか車を使えなくなった。
自分の車なのにもかかわらず使用時間を制限されるストレス。
来るかと思えば来ない。来ないと思えば来る小姑の子供達のために狂わされる食材ストックや夕食の支度。
それでも私には子供達を叱ることはできなかった。
子供に罪はない。罪があるのは義親と母親である小姑だと思ったからだ。
そんな日々が続く毎日。
パートを終え、家に迎えに来る小姑が子供を連れてすぐに帰ることなど殆ど無かった。
夕食作りが面倒だとダラダラ居間に居座った。
小姑の子供達は当然お腹が空く。
私は私の子供に食事を食べさせなければならない。
支度をする。
小姑の子が台所に来る。
出来たものからつまみ出す。
イライラ。
何とか夕飯を作り上げる。
義親が食事を始める。
ついでに食べていけと勝手に子供や小姑に言う義親。
精一杯の抵抗で私が、でもお米が足りないかもと言う。
いいんだ。あるもので。と義親。
当たり前のように食べる小姑の子供。
私が大変だろうと加減して食べる私の子供。
イライラ。
イライラ。
こういう人達を見たことがなかった私は、この義親に。この小姑に。
何からどう言えばいいのかもわからないでいた。
もちろん夫にも言った。
けれど右から左へと聞き流し、俺がその現場にいたわけじゃないから。という夫はあてにならないと悟った。
子供の顔を思い浮かべながら意を決して、ある日義親に言った。
自分で専用の車を買って欲しい。
使いたい時に使えないのは不便だから。
義親は渋々承諾した。
車の件。まず1つがクリアできた。
そうしてやっと私は自分の都合のつく時間に買い物に行けるようになった。
でもまだ問題は山積みだった。
夏休みに入ると小姑の子供達は毎日朝から家に来ていた。
私は早朝暗いうちに起きて自営の仕事をこなし、昼と夕食を食べさせた。
仕事の合間には相手もした。
24時間がこんなに短いのかと驚くほど多忙な毎日をこなしていた。
母親に放置された状態のその子達は私に懐いた。
私を慕い、私を庇った。
子供なりに家事を手伝おうともしてくれた。
コレを手伝ったらオバちゃんと遊べる?
そう聞きながら健気に手伝う子供を見ていると憎めなかった。
その子達の髪の毛は洗ってないのか臭ったし、昨日もお風呂に入らなかったなんてセリフもよく聞いた。
今どき、そんなことをさせてたら下手をするとイジメの標的にだってされかねない。
なぜ小姑は気にしてあげないのだろう?
なぜ気づかないのだろう?
自分のそばにいてくれる人を求めてやまないその子達が、私には哀れに思えてほっておけなかった。
その時義親は、忙しく構えない私に遊んでもらえず兄弟喧嘩を始める孫達をなだめるわけでも代わりに遊んでやるわけでもなく、自分の観たい時間にテレビを観て寝たい時間には昼寝をし、子供が騒げばうるさいと叱った。
そして決まって
宿題をやれ‼
そう言うだけだった。
なのに小姑が夕方連れて帰る時には、明日もまた来いよ。
呑気にそう言っていた。
>> 18
レスありがとうございます。
そして共感していただいてありがとうございます。
姉妹でもタイプが全然違われるのでしょうか。
私の夫も義妹とは全然違い、極力親には迷惑をかけたくないと思うほうです(^_^)
- << 29 再レスです。 私も妹も実家に近い場所に嫁ぎましたが、まさに主さんの仰る通りで同じ姉妹でも全然違いますね。私は実家には義母から「実家のお母さん達に」と頂いた物を届ける程度しか寄らないけど妹はかなり依存心強いですね。旦那の家に嫁に行っても実家が家のような感覚。向こうの内孫なのに嫁のじぃばぁの方が懐かれて、向こうのお姑さん達が良い人だから良かったけど多分面白くないですよね?私の親も厳しく言えば良いのになかなか断らないから駄目なんですがね。
毎日過ごすうちに、子供達のほうが親や祖父母より大人で、ハードに仕事をこなす私を心配したり気遣ったりしてくれるようになった。
おばちゃん大丈夫?
おばちゃん、こんなに動いたら死んじゃうよ。
だからお手伝いする。
そう言って一生懸命手伝ってくれた。
都合よく自分達に合わせようと強要するくせに何もしてくれない祖父母を子供達なりに勝手だとわかるのか、避けるようにもなった。
それを可愛げがない。憎たらしいと姑は言い、自分達に懐かない原因など考えようともしなかった。
我が子が可愛いのはもちろんだけど、幼い孫達が寂しそうにしている姿や、親としてすべきことをしない娘の親亡き後のことなど何にも気づけないこの人達は、物や金銭を与えたり甘やかすことを親の愛だと勘違いしていた。
子供をもつ母親なら誰だってわかる物や金銭以外の親子の触れ合いや子への関心。
そんなものを知らずに親になり娘を産み育てた。
だから娘も真の親の愛を知らない。
知らないから我が子に与えられないのだろう。
そう思った。
同じ親から産まれた私の夫は、忙しい親に代わって祖父母に育てられた。
この人達に育てられてはいない。
だから夫はまだ人間味があるのかも知れない。
形だけ親になった小姑が気にするのは我が子の成績。
将来は英語が話せなきゃと英会話に行かせ
高成績でなきゃと学習塾に行かせ
音感を良くするのが脳に良いとピアノを習い
体力づくりにスイミングに行かせる
でも食事は殆ど子供の食べる物だけを出来合いで買い、偏った食事をさせる。
今日学校で何があったかなんてどうでもいいし、いま子供がどんな気持ちでいるかも興味ない。
子供が毎日祖父母の家で放置され、うるさいと怒られている気持ちも知ろうとしない。
知識も教養も学力も大切だろうが、そんなものよりもっと親として子供にしてやる大切なことがあるだろう。
私はいつもそう思う。
子供達のことを思うと可哀想だと思う。
でも私が無理をしなければならなくなる。
無理をしても嫁としてすべきことはしなければならないし私自身にも仕事がある。
そのうち小姑は朝食も食べさせず家に預けるようになり、私の体力も精神力も限界になった。
子供達に思うようにしてあげられないこと。
毎日祖父母に叱られ逆に気を使う子供達が可哀想だということ。
それを小姑に伝えた。
返ってきた返事は
いいから、いいから。子供達はほっといて大丈夫。
なれてるから(^_^)だった。
何が慣れてるだ。
子供がどんな思いをして私に気を使ってるか知ってるか?
どんな思いでここに来てるか知ってるか?
毎日来て迷惑をかけてごめんなさいと何度私に言うか知ってるか?
あんたが母親を逃げてるせいで子供がどれだけ苦労してるか知ってるか?
腹が立った。
この小姑も。こんなふうに育てた義親も。
何にも言えない小姑の旦那も。
みんなに腹が立った。
もし小姑の家庭が生活苦で、生活のために止むを得ず子供を預けなければならない。
働かなければならない。
そんな事情なら私は更に無理をしてでも預かったと思う。
でもそうじゃない。
食事は手抜きの出来合い品。
週末の休みには家族で遠出をして家にいたことがない。
自分で見たくない小姑は子供と家で過ごすのを嫌い、連れて出かけるか沢山の人を呼んでBBQをして過ごす休みが多い。
週に何度も外食をし、小姑の自己満足のための数々の
塾の費用。
どれをとっても工夫次第でずいぶんな節約になる。
パートに行かなくても済むほどの節約も可能だと思う。
なのになぜ子供と向き合いゆっくり過ごせないのか?
親にそれをしてもらったことがない彼女には、それがとても苦痛で退屈に感じるからだと思う。
けれどいくら子供が可哀想だからといって、私がその犠牲になることは私の子供にも負担を強いる結果になる。
小姑の子供達もここに来ることでお友達とも遊べなくなる。
なのにここに預けるのは小姑のにとって都合がいい。ただそれだけの理由からしかない。
私は姑に、こちらで預かるより小姑の家に通って見てやってくれと切り出した。
あの子達だって忙しい大人に囲まれて遊ぶ物もないこの家にいるより、自宅のほうが勝手が良いはず。
自宅ならお友達とも行き来できる。
そうすれば子供達も、ここで気を使うこともない。
そう話した。
この提案を姑は受け入れた。
今まで当たり前にしてきたやり方を変えろと嫁が言ったのだから姑は不本意だったと思う。
何より小姑は都合悪くなっただろう。
でも私は貫き通した。
時には、子供達がココに来たいって。と小姑が言い、今日はこっちに来るってと姑が言った。
自分達は何ひとつするわけでもないのにスキあらばこさせようとする小姑と姑や舅に私は一貫して通って‼と貫き通した。
これをするまでに私は血尿を出し、不眠症になり体重も落ちた。
でもやっぱり間違ってる。
これは小姑と姑に自覚させる良い機会。
そう信じて私は意志を曲げなかった。
姑はせっせと通い、私は多大な重荷から解放された。
子供達はやはり勝手知ったる我が家で録画したアニメを観たり、お友達と遊んだりして事は順調に運んだ。
小姑の家に通うようになった姑は、娘の自宅のあまりのだらしなさに事あるごとに口うるさく娘に言い、疎ましい小姑は隙あらば子供を出汁にこちらへ預けたがったが、私が受け付けない。
そうしているうちに彼女は止むを得ず自分で子供のことを少しずつこなすようになった。
うるさい母親に小言を言われて来られるよりも自分で好き勝手にやる方がまだマシだと思ったのだろう。
初めのうちは多数の友達を呼んで騒いだり出かけたりしていたが、回数が増えればそれにも出費もつきまとう。
仕方なく諦めたのか流れは変わっていった。
それからもう一つ。家にはクリアせねばならない難関があった。
それは義親の昔人間特有の考えの古さ。
田舎人特有の知識の狭さと奢り。
何をするにつけ、してやった思考の義親には本当に辟易した。
義親は生活費を何も出さない自分達が申し訳ないからと私達の自営を手伝ってくれたが、手を出せば倍以上の口も出した。
申し出には感謝し、労いもした。
けれどうるさい。
だから休んでて。とこちらは避けようとする。
それは寂しいと拗ねる。
だが、一緒にやらせると自分達のやり方を押し付ける。
例えば夕方7時に寝る義親は朝が早い。
朝というか3時。
私の中ではそれは夜中だ。
年寄りは朝寝てられないと仕事の手伝いを先にし出す。
自分達が寝てられないだけだから気にするな。
若者は寝てればいいと優しく言う。
それを真に受けてると6時に起きる私達に、そのうち必ず愚痴を言い出す。
自分達は朝早くからやってるのに、と。
だからやらなくていい。寝ててください。となる。
いや。年寄りは寝てられない。だいたいそっちがもっと早く寝ればいいんだ!となる。
夕方7時に寝てたら世間と隔離されるぞ。
なんで私達の仕事を、手伝いたいそっちに合わせる必要がある?
意味がわからない。
結局、何を言われようがスルーし、私達は自分達サイクルで仕事をした。
当然愚痴や嫌味は出るわけで、ある日大げんかになり、じゃあやらないで。やってくれなくていい!と私が言い放った。
何故私達が合わせなければならないのか?
手伝いを申し出たのはそちらではないか?
私達は手伝わなくていいと言っている。
なのにやるのはそっちの意思。
それをしてやってる、やってやってると恩着せがましく言った挙げ句ケチをつけるなら、どうぞやめてくれ。
ひとつひとつ段取り良く話を説明し、義親の言っていることがおかしいと主張した。
何にも言わなかった。
言えなかったんだと思う。
みんなで仲良くやろうじやないか。
自分達は気分良く健康のためにと思って手伝うから。
結局義親が折れてそう言うので、話は収まった。
私としては必ず口出しも愚痴も繰り返されると思ったので、丁度いい機会だと切ってしまいたかったのだが。
息子達に養われながら何もしないでいる自分達が負い目を感じたく無いのだろう。
でもだからといって、せめて自分達の食費だけでもと金銭負担をするのは、もっと嫌なんだろう。
そう感じた。
こちらに来た当時、私は老いた義親に尽くそうと思った。
看取るのも家を守っていくのも覚悟してこの家に来た。
だから自営も必死で軌道に乗せたし、仕事を始めた当初に不慣れで失敗が続いても、それで経費がかさんで生活が苦しくても、義親に援助を頼んだことは一度もなかった。
全ての家計費をこちらが出す。
義親から言われた約束はしっかり守った。
でも赤字続きで我が子に質素な生活をさせている中、小姑が来てねだれば義親は豪勢な食事に連れて行った。
行く気もなかったが私達家族が誘われることはなかった。
義親のために食事を作り、食べる直前になって俺達はいいから。
と出かけて行った。
手伝う義親のために和菓子を買い、食費を削っておやつを出し、それでも何とか安く済むようにと安売りの和菓子を買うと、こういうのは好きじゃないと言われた。
一方で義親が取引している置き薬を熱の出た我が子に飲ませた時は、知っていながら数が足りないと何度も数え直された。
欲しいとも思わなかったし、自分達夫婦の歳を考えれば、親にはしてあげる年齢だと思ってこの家に来たが、こちらに出すものは惜しく、娘には出したい。
義親のあからさま過ぎるそんな姿が、私を嫌な人間にしていった。
正月や盆には孫より娘の食べたいものだけを聞き、娘のために食材を買い揃え、俺達が出してやるからな。という恩着せがましい言葉を私に言う。
そして当然のように実家で年を越す小姑。
家に来て当たり前のように食べ漁る小姑。
蚊帳の外の夫と小姑の夫や子供。
私は家政婦であり、私の子供の存在は消されていた。
私の子供達は、この雰囲気が嫌いで1度同席しただけで、それ以後は正月も盆も決して同席しようとしなかった。
義親の口癖は俺達には金がある。
介護は嫁の義務。
自分達を大切に扱えよ。大切にしないと金はやらないぞ。と言わんばかりの姿勢だった。
だから日々食事を作り健康を気遣う息子夫婦より、年に1度の誕生日と敬老の日にプレゼントを持ってくる娘を絶賛していた。
そんな義親の姿勢は、低脳で心の底から愚かで哀れな人間に思えた。
お金はもちろん大切だけど、お金に執着するあまり人に不快を与えるような人にはなりたくないと、それまでの私は思っていた。
実家は裕福ではなかったけど、親からはたくさんの愛情を受け、兄弟は互いを思い互いが結婚してからも義兄弟を交えて仲良くやってきた。
毎年盆正月には集まろうと弟夫婦が言い出してみんなで集まった。
弟嫁が気を使うだろうと控える私に、彼女は私が集まりたいんだから。と快く声をかけてくれた。
どの兄弟の家も裕福ではなく、どんぐりの背比べのようなものだったけど、相手の家族に何かあればすぐに集まりお互いに助け合った。
義務や義理でなく心配で自然とそうした。
それが私の身内だった。
弟のお嫁さんも私達も苦労をして色んな思いをして、金銭欲以上に温かい家庭や親子の愛情を何より優先してきた。
親子や兄弟とは、そういうものだと思っていた。
でもこの家の人は違った。
夫も義親も親子なのに本音で話し合う事などなかったし、何より殆ど会話をしなかった。
夫のことで聞きたいことがあると、義親は私に聞いた。
小姑は悩みを抱えると私に相談し義親には決して言わなかった。
義親は何となく様子のおかしい娘に直接何も聞けず、また何も言えず私に聞いた。
そして俺達ではわからないからと、私から言ってやってくれ。
そう言った。
親子なら喧嘩してでも言い合えよ。
心配なら子供に聞けよ。
なんで直接言えないの?
直接聞けないの?
変な親子。
変な家族。
不思議だった。
物を与えるだけが親じゃないだろ?
ここの義親を見ていると、いつも理解に苦しんだ。
お金で子供を釣らなくたって、親子なら自然と親は子を思い子は親を思うだろうに。
むやみやたらに財産の話をし、だから敬えと言いたげな義親は、お金でしか人とも子供とも繋がることの出来ない人間なんだろうと思えた。
だから小姑は子供として親を労わることも知らず、何かをしてくれるから親。
そして人に対しても物をあげれば要求を聞いてもらえる。
そんな思考回路になったのかもしれない。
それで自分の子供にも、何処かへ連れて出かけたり知識をつけたりする以外の親の役目がわからないのではないか?
そう思った。
そんな人達に囲まれた生活。
日常的にこれ見よがしな差別待遇はある。
可哀想な人達だと割り切っていても、私は私らしくと心がけても現実では毎月のやりくりも大変で、私は援助され優遇される小姑を妬んだ。
色々考えてしまい悔しくて眠れない日も続いた。
夫にも愚痴った。
でも何の解決もしない。
心の底では人を妬む自分が何より嫌だった。
ひがんでばかりいる自分が嫌だった。
今ある幸せに気づけない私になっていた。
けれど現実を考えれば、ここでやるしかない。
自営につぎ込んだ経費も、これまで払ってきた義親のための生活費も無駄にしたくなかった。
何より、何より悔しかった。
義親を信じた私に連れて来られた我が子達。
頑張るんだよと見送ってくれた実家の母。
悔しかった。
ただ、ただ悔しくてたまらなくて自分が情けなかった。
けれど義親は私への当て付けにしているわけではない。
私自身も義親が文句を言えないほど実際働いたし動いた。
近所の人は見兼ねて私の身体を心配し、あんなに働く嫁を大切にと義親に忠告してくれたりしたし、義親自身も私の性格ややり方について嫌味を言うこともなかった。
ただ知らないだけなのだ。
親として子供に与えなければいけないもの。
可愛いからこそ嫁いだ娘につけさせるケジメ。
老いていく現実を受け入れる気持ち。
今の時代の考えも大なり小なり受け入れるしかない年輩者としての器。
そういう気持ちがわからないのだ。
もう老い先のほうが短く、まして義理の親である人に、それをどうわからせるかは至難の技だった。
一歩間違えば僻みととられ、生意気だとも思われるだろう。
けれどここで家族となり互いが納得して暮らしていくなら、どうしてもクリアしなければならないこともある。
嫁だけが耐えたり、義親を粗末にしたり、互いが恨みあったりする同居なら、する意味がない。
だから遠回しな嫌味や、どうでもいい小さな事を反抗するくらいなら、直球勝負でいこう。
そう思った。
旦那に言ったところで右から左。
だいたいこういうケースの男は、我が身によほど面倒な事が降りかからない限り動かないし立ち上がらない。
女房が家を出たり、離婚を切り出されたり目の前で修羅場が起きない限り動かない。
そんなもんだ。
私が家を出たって子供はどうする?
母子家庭でなんで苦労しなきゃいけない?
どうして旦那に嫌な顔をされなきゃいけない?
届かない旦那の耳に愚痴を言い続けて毎日ウンザリした顔をされるのも、もうたくさんだ。
でもそれを全部超えるほど、これ以上我慢もしたくない。
どうしよう。どうすればいい?
1人で毎日考えた。
そんな時、お母様が老人性の痴呆になり困っている友人と会う機会があった。
彼女と話し、介護施設入所の難しさや入所に至るまでの苦労を知った。
時を同じくして現在入所されてる姑さんをもつ友人からも話を聞かされた。
彼女達から話を聞いて、他人事ではない。明日は我が身だと感じた。
早速、片っ端から私の近隣地域の施設に電話で問い合わせ、老人施設の仕組みや利用料金を尋ねた。
私には祖母を介護した経験がある。
可能な限り自宅で介護し、限界に行きつき施設を利用した。
それが15年前。
その時にも大変な手続きと労力と費用が必要なのだと思ったが、15年経ったいま、それとは比べものにならないほど介護の現状は厳しいのだと知り驚いた。
私が介護したのは母の親。つまり血の繋がった祖母だ。
その時は母と2人だった。
姉も手伝ってくれたし、遠方に住む叔母達も交代で来てくれた。
でも今度は私が義理の親を1人で介護しなければならない。
小姑などあてには出来ない。
義親の介護が必要になる頃、晩婚だった小姑の子は、ちょうど高校や大学に進学する時期。
手こそ離れても金銭的には最も教育費のかかる時期だ。
進学費用を負担して、小姑に専業主婦をしてもらいながら介護を頼めるほどの余裕は義親にない。
何より介護は嫁の義務とうたう彼らが小姑にやらすわけがない。
そして親を使うことしか知らない彼女に出来る筈もない。
わかり切っている先の現実が私には予想出来た。
金を持っている。が口癖の義親に正確な貯蓄残高など聞いたことはないし、義親のお金も財産も、私が口出しできることではない。
だから興味もなかったし私には関係ないことだとかかわらなかった。
けれど現実に義親に介護が必要になったら?
高額な治療費がかかれば誰が払う?
長期の入院になれば誰が払う?
オムツの代金は?
車椅子は?
例えば施設に入るなら、その費用は?
誰が払う?
私達?
私達だけでもつの?
そんな余裕があるわけない。
私達だってやがては老いる。
その費用を義親に充てれば私の子供が苦労する。
私達の先がなくなる。
それ以前に義親の施設利用料を支払いながら私達の生活が出来るの?
無理無理。
義親には自分達で出してもらわなきゃ。
お金持ってんでしょ?
じゃあ自分達の介護費用くらい自分達で出してよね。
そう思った。
でも待って。
昔々の、嫁が介護して当たり前の時代から頭が止まってるあの人達は、今の介護制度の現実も知らない。
だから悪くなれは病院に行けばいい。
ボケたら施設に入れてくれればいい。
そんな呑気な言葉が出るんだ。
そうか。
聞く前の私と同じで知らないからだ。
そんな無知な人達が自立出来ない娘に湯水のように援助して、後のツケを私に回されたら???
よし。直球ストレート。
直接話そ。
即決で決めて、まず一応旦那に伝えた。
相変わらずテレビ画面から目を離さず、話を聞き流そうとする旦那の前に、パソコンからプリントアウトした資料を置き私は黙ってテレビのスイッチを切った。
なに??
なんなの??もう!
旦那は言った。
話があるの。すぐ済むから。
近い将来くる、家の現実の話をするね。
そう切り出した。
もし、お義父さん達の介護が必要になったとき、あなたどうする?
どうするって・・・俺には仕事があるし・・。
じゃあ看るのは誰?
そりゃあ・・お前に頼むしかない・・。
私が1人で?
家の自営はどうするの?
私が抜けてもやっていける?
そんな・・そんなにつきっきりで看るわけじゃないし、酷くなれば施設もあるだろう?
じゃあ酷くなるまでの軽いうちは家で私が仕事の合間に介護して、酷くなったら施設の利用も考えるってことね?
そう。それなら何とかお前に負担をかけずに出来るかなと思ってる。
そう。
その時の費用は?誰がもつの?
そりゃあ爺さん達に出してもらわないと。
そのために俺は何ももらわず今養ってるし、そういう約束で爺さん達とは話がつけてある。
その時は俺が言う。
旦那が得意げに言った。
痴呆の人相手に?
じゃああなたは親がどれだけの介護資金を持っているか聞いてる?
そんなの知らないさ。
爺さん達が、ちゃんと貯めてるだろうし。
ここまでの話は予測済み。
いつもはコレで話が終わるはずだった。
でも私が伝えたいのは、そんな中途半端な"だろう"で済む話じゃない。
私は旦那の前に置いたプリントを見せて旦那にわかるように現実を説明した。
あなたが言うように、自宅で看ていて酷くなったからと施設に入れようとして申し込んでも入れないわよ。
介護施設に入れるのは要介護の認定がおりた人だけだから。
きょとんとする旦那に私は順をおって説明した。
老人介護施設には
1.自立支援を目的としたもの。
2.家族の代わりに介護をしてくれるもの。
3.病気の治療を目的としたもの。
大まかに言うとこの3タイプがある。
1の施設には介護認定はいらない。
けれど自分で自分の身の回りの事が出来るというのが入所条件。
家の場合、これならば自宅にいれば良いわけで入所の必要はない。
酷くなったら入ればいい。
旦那と義親が言うのは2もしくは3のタイプ。
このどちらも介護認定の申請を受けていて、しかも要介護度の重い人しか利用出来ない。
介護認定の申請はケアマネージャーに頼んでも認定されるまでに4ケ月はかかる。
少し動きが鈍くなりだした頃から前もって介護認定を申請していけば、その後は介護度が進むに連れて度合いも重くなる。
けれど高齢化社会の今、そんなことはみんなやってる。
そんなお年寄りが山のようにいる。
だから以前よりずっと認定審査は厳しくなり、おいそれと介護度など上げてはくれない。
やっとあげてもらったところで満員状態で入れない。
早くて3年は待つ。
それが今のお年寄りの現実。
酷くなってから預けると言うあなた達のいう通りにしてたら酷くなってから3年。
私は無理よ。
あなたどうする?
すると旦那が言った。
じゃあみんなどうしてるんだ?
年寄り抱えた人は、みんなどうするんだ?
みんな困ってる。
でも、みんな自宅では看られない。
だから高額なのを承知で利用費の高い施設に入れるのよ。
私の友人のお母様の利用料は月に15万だった。
姑さんを預けた友人は18万。
月に18万かかるのに義親の年金は月6万。
残りの12万を義親の貯蓄から出す?
年間150万近く。6年利用したら1000万近い。
どちらか片方だけでよ。
この家や自営の土地は売れないわ。
私達の生活がある。
仏様を守っていくには費用もかかる。
持ってるだろう。だろう。と言うけど、いざ親が足りないとなっても、私達に出せる余裕がある?
旦那は言葉をなくしていた。
私は更に続けた。
2の施設の待ちは3年。
3の施設は治療を目的としてる。
だから病状が改善すれば退所となるし、置いてもらえる期限は概ね6ケ月。
言い方は悪いけれど癌や重度の病気でない限り病院は今、長期入院などさせない。
現にご近所の癌で手術されたお年寄りは10日で退院させられた。
これは旦那も知っていた事実。
そして何より田舎のこの家だけでずっと過ごし、ここの環境しか知らず、今の時代の流れなど受け入れようともせず、看るのは嫁の義務だという考えのあなたの親に、集団生活で決められた時間に食事をし、決められたルールに従い、たくさんの入居者達と協調して生活できる柔軟さなどあるわけがない。
実際にその場になれば、私に負担はのし掛かる。
看てあげたくたって私にも生活にも限界はある。
何とかなる。親が出すだろう。嫁が看るのが義務。
そんな非現実的な何の具体性もない答えじゃ何の解決策にもならない。
旦那は黙っていた。
黙っていたんじゃない。返事のしようがなく出来なかったのだ。
どうせ何にも答えられない。
じゃあどうするの?
最後は、いつもの人任せ発言になるに決まってる。
そんなことはわかり切っていたので、私はいよいよ本題へと話を進めた。
誰だって娘は可愛い。
あなたにとっても兄弟。
でもね。自分達の介護費用もままならないほど援助をしたなら、その親をいくら嫁だからって私は責任もてない。
だって私達が自滅してまでは看られないでしょ?
それは・・・もっともだけど。
じゃあ、どうしろと?
・・・ほらね。やっぱり。
結局答えをいつも私に考えさせる。
だから旦那なんかあてにはならない。
あなたには何の具体的行動も出来ない。
自分と子供の身は私が守るしかない。
そんなのとっくにわかってた。
だから旦那には、あなたにはこの現実だけ知っててもらえばいいから。
それだけ言って話を終えた。
そして翌日、私はこの話を直接義親にぶつけた。
一括のお礼にて失礼致します。
私への温かいお言葉、ありがとうございます。
私達は、たまたま年齢的なこともあり義親を養う立場でいられてます。
けれど例えお若いご夫婦さんが、義親さんに何らかの援助を受けながら同居されていたとしても、感謝こそすれ恩を強要され引け目に思いながら苦しむことはない。
私はそう思います。
そんなものとは比べものにならないほど介護の現実は厳しく、義親が老いた際には今してもらっている援助以上の援助や労力をこちらが返さなければ義親は生き続けることも亡くなることも出来なくなる。
そんな現実が実際に山ほどあるからです。
舅姑だからといって嫁を見下す。
嫁だからといって耐えぬかねばならない。
そんな時代は終わりました。
親を粗末にするのとは違います。
嫁が義親より偉いわけでもない。
どちらも共に現実を知ることが何より大切だと。
私はそう感じています。
今の介護事情。
誰もが自分がどう老いどうなって死んでいくのかわからない現実。
もしもその時になって、あなた方はどうしたいか?
そしてどうして欲しいかを私は義親に聞いた。
義親は言葉をなくした。
酷くなれば施設へ行けばいい。
それがあまりに甘い考えだったとわかったのだろう。
やがて窮地に立った義親は、嫁が看るのが義務だろう?
昔はみんなそうやってきた。
予想通りの言葉を言った。
そんな義親に私は、厳密に言えば嫁には義親を介護する義務はありません。
義務があるのは、お義父さん達の実の子である2人です。
私が看る義務があるのは私の親です。
でも一緒に家族として私はお義父さん達と暮らしてる。
介護も覚悟してここに来ました。
だから私は可能な限りお世話したいと思ってます。
でも私達には第一に子供を養う義務があるし生活がある。
自分達の将来の設計もある。
いくら親だからといって親を取るか自分の子を取るかと言われれば、私は私の子供を取ります。
お義父さん達にどれだけの蓄えがあるかは知りません。
それはお義父さん達が貯めたものです。
でも私達は今、お義父さん達を養い、家族の生活を支えるだけで精一杯です。
もしも介護費用が無いとなったら、私には看たくてもどうすることも出来ません。
俺達には金がある。
いつもそう言ってますよね?
お義父さん達が老い、お義父さん達の介護のために使う費用です。
そのお金は、これからいくらかかるかわからない介護のために、しっかり蓄えておいて下さい。
私はキッパリそう言い切った。
更に、こう付け加えた。
嫁の立場の私が、こんなことを言えば気分を悪くさせるのはわかってます。
でも、息子である○○さんや娘である○○さんが、こういう話をしたことがありますか?
私はずっと夫に言い続けてきました。
でもその時はその時だと言われました。
その時になって介護費用がなく、1番辛い思いをするのは身体も動かず看られる側のお義父さん達じゃないんですか?
実の子である2人がこの話を逃げるのは、他人事だからです。
所詮私が居ると思うからです。
私にとったら我が身に降りかかること。
お義父さん達にとったら我が身のことでしょう?
だから敢えて言いにくい事を言いました。
現実に私達に起きる話です。
私はちゃんと話し合っておきたくて言ってます。
義親は、しばらく言葉が出なかった。
そして、やっと言った。
とにかく、お前達夫婦に頼るしかないから。
とにかく頼む。
自分の置かれた立場がやっとわかった?
私は心の中で思った。
けれど、これで終わりじゃない。
これでは息子夫婦に頭を下げたから後々息子夫婦に頼れば何とかしてくれるだろう。となるだけ。
頼むと言われても、今の私達では経済的に約束が出来ません。
それから、もしも必要な介護費用が足りなかった場合は、私達だけでなく○○さん(小姑)にも協力してもらうよう話をしに行きます。
私はそう言った。
あの子は・・・出た子だから・・。
予想通りの答えが返ったので。
都合の良い時だけ娘になったり出た子にされては困ります。
実の娘なんだから看る義務があるんですよ?
私はこれまで私達が養っていようが、どれだけあちらに援助しようが何も言いませんでした。
お義父さん達と彼女は親子ですもんね?
それなら親の介護に協力しないはないでしょう?
義親は何も言えなかった。
私は娘にしてやることをどうのこうのは言いません。
私のお金ではありませんから。
ただ。いま支えている私達に足りなくなったら頼むという前に、人に援助してる場合ですか?と言いたいだけです。
それでも我が子が可愛いと身を削ってしたいなら好きになさって下さい。
でもそれは、ご自分達の介護費用を使うことに繋がると承知のうえでなさって下さいね。
私達は残った金額で出来る範囲の介護しか出来ませんから。
ご自分達の我が身のことです。お義父さん達ご自身が惨めな思いをしないよう考えて下されば私は構いません。
それで私は口を閉じた。
私は確信していた。
この人達は我が身を削ってまで子供には出来ない。
現実も知らずに今だけしか見ず、浮かれて娘に与え続けてきたけれど、我が身に火がつけば子供より自分を取ると。
案の定、義親は言った。
実はワシらがいま持っている貯蓄は○○だ。
これと毎月の年金。それだけがワシらの収入だ。
これしかなく、これで何とかお前達にやってもらうしかない。
足りるだろうか?
予想していたより随分少ないその金額に驚いた。
それだけこの人達は娘に援助し続けてきたのだろう。
自分達の首を絞めることになるとも知らず。
けれど幸い家の場合、介護保険制度や支援制度を使えば何とかなるかも知れないだけの金額は残されていた。
我が身が大切な義親。でも自分達ではもうやりようがない。
だから窮地にたち、全てをさらけ出したのだろう。
私はこの人達に、この気持ちを味わって欲しかった。
舅だから姑だからで全てが抑えられるほど、今の時代は甘くはない。
かつて私が耐えるしかないと無力な自分に泣いたあの思いを、今この人達が味わっている。
同居の嫁が無力だと言うのなら、介護される義親こそ更に無力なのだ。
この人達は、その現実をやっと理解した。
理解せざるをえなかった。のほうが正しいかな?
足りるだろうか?
そう聞かれた返事は、わからない。そう答えた。
とにかくこれからは少しでも自分達の介護費用のために、貯めておいてね。
私は、そう言って話を終えた。
本当の金額を義親が言ったかどうかは知らない。
けれど危機感を持ったことは確かだ。
そして自分達の置かれた立場も理解させた。
脅したかったわけじゃない。
仕返しのためでもない。
これが家の現実だからだ。
嫌味を言い合うより意地を張り合うより、ずっと意味のある言い合いだと思った。
これで少なくとも舅でございますとは言わなくなるだろう。
私が義親に言った言葉は、当然義親経由で小姑に伝わっただろう。
けれど小姑は何も言って来なかった。
それどころか、あまり義親を頼らなくなった。
逃げたな。
そんなことだろうと思った。
それも義親にはショックだったらしい。
私の説明を疑った義親は、同じ年代の友人や知人に事あるごとに介護施設の費用を尋ねたようだったが、返ってくる返事は私の説明通りか、時にはそれ以上の過酷な老人状況を聞き、今更ながら無知だった自分に意気消沈していた。
家の場合、どのみち小姑には逃げられる。それなら少しでも防御策はとっておいた方が良かった。
少なくとも私に伝えた金額を義親が減らすことは出来ない。
自分の介護費が減るのだから。
我が身第一のあの人達にはそれは出来ない。
介護費の全てを私達に出してもらい、あそこまで言われた嫁に感謝の言葉を述べながら、自分を殺し嫁に合わせる。
そんなことなどプライドの高い家の義親には出来るはずがない。
義親との話を終えた翌日、私は旦那に報告した。
昨日こういう話をしたから。
100%のうち90%までの話は私がした。
初めからあなた一人を悪者にはしてないわ。
私も立ち上がってやれることはやった。
あなたの意見はどう?
私の言い分が間違ってるなら言って。
旦那は驚いていた。
まさか直接義親に話すとは思ってなかったらしい。
話はちゃんとしました。
だから義親がまだ出た娘に援助する場合、私も義親より自分の親を優先します。
例えあなたの親を家に放置してでも私は自分の親の介護をします。
いいですね?何か意見がありますか?
そう聞いた。
旦那は、そういう話なら俺はお前の言い分を認める。
じゃ、これはあなたも納得してることだとしていいのね?
いいよ。
そう言った。
良いも悪いもない。
初めからあなたは何もしないのだから。
それからの義親と小姑は明らかに変わった。
まず、小姑は家に来なくなった。
それから義親が小姑を連れての外食がなくなった。
私は嫁だからと耐えることをやめた。
大きい顔をしてるわけじゃない。
義親を虐めてるわけでも、上から目線でいるわけでもない。
義理とはいえ、彼らは私の親なんだから。
でも私達は互いに思いやりを持ち、いま良い意味で持ちつ持たれつの関係が出来ている。
義親はこれくらいしなきゃ。と自営を手伝う姿勢に変わった。
私は義親に心から感謝し労わる。
家族内での環境はすこぶる順調になった。
ごくたまに、どうしても大人になれない小姑が関わって来ない限りは。
この大晦日もやってくるのだけど、以前と比べれば随分楽になった。
スレタイの本文は、小姑が来ると知った日に記したもの。
何とか頑張ってここまで変えてみましたが、それでもやっぱり嫁は嫁。
引くべきところは引かないと家も上手くはまわりません。
なので少し愚痴らせていただきました(^_^)
以前とはだいぶ変わった義親。
家族間の生活は順調だが、時々???と首を傾げることもある。
例えば私に一泊15000円の宿が期間限定で8900円になっている。
婆さんと行きたいのだが、行ってもいいか?と、ひどく遠慮がちに聞いてきたりするのだ。
行っておいでよ。
そんなの私に聞かなくたって楽しめることは2人でどんどん楽しんでよ(^_^)。
と私は言う。
なんで聞くんだ?
何故私に許可を求めるのだ?
私の負担で行くわけでもなく、義親が自費で自分達で行くのに。。
お金を貯めろと言ったからか?
違うんだけど・・・。そういう意味じゃなくて・・。
自立させるべき娘に親が自分の首を絞めてまで、甘やかす必要はないって言いたかったんだけど・・。
わかってないのか?
僻みとしか取られてないのか?
ケチ嫁扱いなのか?
わかったようでわかってない義親に首を傾げる事もあったりする。
小姑はといえば滅多に家には来なくなった。
以前の振る舞いが嘘のように。
それは本当にありがたかった。
私が小姑の訪問を嫌うのは、出た娘だから来るなというのからではない。
同じく家庭の主婦としてやっている身でありながら
突然の来客の子供に、いきなりおかずをつままれて食材の段取りを狂わされたらその家の主婦がどう思うか?
食事時になってもなかなか帰らない客がいて、食事が出来なかったらどう思うか?
食事をしてる最中に客が来て、こちらが食べてる隣でその客が長々と話し続けたら食べてる人はどう思うか?
小姑は、そういうことがわからない人間だった。
そして彼女が来た時の状況は、必ずこのどれかに当てはまった。
夕方の主婦が忙しい時間に訪ねるのも不可解だが、やむを得ず食事時に訪ねるなら用事は玄関で済ます。
訪ねて行って食事中だと気づけば、ごめんね。食事中だったのね。すぐ帰るから。とサッサと用事を済ませて帰る。
どう間違ったって、その家のおかずをつまんだり食べてる人の横に立って話し続けたりなんかしない。
そんなことは、日本人が日本語を話すくらい当たり前だと私は思ってた。
でも小姑は違った。
この人本当に主婦???
そう思わずにはいられなかった。
来るなとは言わないが、時を考えろ。そして空気を読め‼
と言いたい。
ましてや遠方から来るわけじゃない。
目と鼻の先。
おまけに姑は毎日小姑の家に通ってるのだ。
わざわざこなくたって明日姑に伝えれば済む話。
それを何故いつも食事時に来る?
そして何故我が家の食事の邪魔をする?
彼女がきちんと食事時をずらして来るか、または前日に明日の夕方寄るから。と連絡をくれたなら、私はそれに合わせて段取りを済ませ何の不満もなく快く彼女を迎えられるのに。
そういう配慮のできない小姑の無神経さが、私はたまらなく嫌だった。
想像してみて欲しい。
キッチンで家族が夕食を食べている。
こんばんは〜という小姑の声、はしゃぐ子供の声。
ドタドタと音がして迷わずキッチンへ向かって来る。
来るのはいつも食事時なので、まずキッチンの戸を開ける。
わぁい何食べてるの?
何食べてるの?美味しそう〜。
と同時に子供は既にもう手でつまんでいる。
あれよあれよという間におかずは無くなる。
何も言わない義親。旦那。小姑。
こういう状況の時、なんて言えばいいんでしょう?
食べちゃダメ?
コレは家のご飯よ?
義親は、そんな子供達にコレも食べろと他のお皿まで差し出してます。
小姑は、何にもなかったように「あのさ〜今度あそこにスーパー出来てさ〜」と姑としゃべってます。
こういう時、なんて言えばいいんでしょう?
人の家に来て、勝手に食べるのはお行儀悪いよ。と子供達にですか?
それともこの子達、家のおかず食べてますが止めてよ。と小姑にですか?
それとも義親に?
旦那に?
もう。おかしな集団の中にいるようで、どいつから先に、どいつにどう言えばいいのか頭が回らない。
そして私は、でぇぇぇいっ‼‼とテーブルをひっくり返したい衝動にかられる。
- << 74 分かるわ~ うちの場合、何かの予定を姑と経てていたら小姑とその我が儘子供がズカズカ表れて話を聞き、八割決まっていた内容を見事にひっくり返します 今なら、正月は◯◯を食べて~とか決めていて纏まる寸前に、 私は××がいいわ~なんて言い出してその我が儘子供も大きな声だして反対する始末 姑はそれをみて、分かった!分かった!じゃそうしよう!ねっ!です 何十回されたことか。 もうここ数年は何も予定経てませんし、そういう会話もしなくなりました 姑からはそういう話題をふってきますが、所詮小姑が決まった内容であっても自分のいいようにひっくり返しますので、反らします 小姑と決めたらいいのに振ってくる意味が分からないし、バカにされてる感がすごく感じるし、 小姑のご機嫌が悪くならないような流れになるし、うんざり あの人達に関わっていたら旦那とも仲悪くなるし 良い事が一つも無いです 本当~に一つも無い 馬鹿馬鹿しいですね
家に来ると小姑は子供の夕食を殆ど我が家で済ませて行ったので、あとは自宅に帰り自分と夫の夕食を適当に済ませればそれで良かった。
でも実家に長居する小姑より先にご主人が自宅に帰り、何処に行ってるんだ?とご主人から連絡が来ることも頻繁にあった。
それでも小姑は急いで帰る様子など全くなかったし、じゃあついでに。と、ご主人用のおかずまでタッパーに入れて持ち帰って行った。
小姑のご主人は、密接度の高い妻親子の前で婿養子と同じ扱いだった。
夕方に突然外食という流れになろうが、小姑や義親が仕事に行ってる婿の夕食を心配したことなど無かったし、連絡しておかなくていいのか?と言う人もいなかった。
小姑の予期せぬ突発的な行動に、私は夕飯の段取りを狂わされ、小姑の夫は仕事から1人誰も居ない自宅に帰り、それから自炊して食事をとっていた。
>> 76
明けましておめでとうございますm(._.)m
ひどいですね。
だったら何もわざわざ5さんや親と一緒でなくても小姑は小姑一家だけで行きたいところに好きなように行けばいいのに。
もうあなた達で好きなように行け‼と放置したくなるでしょう?
家族みんなで一緒に行動。の中に嫁いだ小姑が含まれるってのがもともとおかしな話ですよね。
家もそうですが義親も小姑も先々を考えてないんだなぁと思います。
娘可愛いも良いけれど義親は先にいなくなる。
その時、親でもない私達嫁が、そんなワガママ小姑に付き合うわけないとわからないんでしょうか?
今やってる我が物顏の自己中行動は、嫁の中にストレスとして刻まれて蓄積され、義親亡き後全てその反動が小姑に返っていくのに。
残された兄弟が仲良くやろうにも、それまでの奇行にウンザリし過ぎてて私は身体が拒絶してしまうと思います^^;
義親は何も気づかず自分達が死んだら頼むと言いますが私には無理。
あんな大人子供、とてもじゃないけど関わりたくないと思ってます。
小姑の申し出でいきなり外食になった時も誰一人小姑婿の心配などせず普通に出かけた。
え?ご主人は?
私がそう聞いてやっと、そう言えばそんなのいたなって感じで思い出し「あぁ困れば何か言ってくるでしょ」で終わった。
私は用意した家のおかずを方付けねばならないので一緒には行かなかったが、私が旦那にコレをしたら義親はおそらく烈火のごとく怒っただろうなと思った。
結局小姑のご主人は暗い家に帰り例のごとく居ない妻に連絡して来て、今から来いと言われるが、仕事を終えてそんなアウェイな場所に行きたいはずもなく、家で自炊で済ませてた。
小姑の夫が何も言えなかったのは、それだけありとあらゆる援助を妻の親から受けていたから。
自業自得な部分もあったろうし、義兄夫婦が入ってくれれば彼等夫婦は所詮逃げられる。
ならばうるさい女房は好きにさせとけ。というスタンスだったんだと思う。
それでも以前よりは段違いの差で来る頻度も減ったし、介護資金の話も済ませた。
私は言うべき事や話し合うべき提案は告げた。
それでもわからないのなら、私にはもう我が身を我が子を守る回避の策を取るしかない。
舅は介護の話をしてから自分の無力な現実に気づき、何かをしてもしてやったとは二度と言わなくなったし、事ある毎に世話になるのだから。という認識が見えた。
私は偉ぶりたかったわけでもなく、現実に共倒れや放置するしかないなかった状態に気づいて欲しかっただけなので、舅がいくら私をたててくれても遠慮もしたし謙遜もした。
どんなに高齢であっても舅は舅。この家の主だと思っている。
だか姑は違った。
介護の話の時も、私は特に姑に言ったし念も押した。
姑自身もあなたのいう通りだ。返す言葉が全くない。
そう言った。
けれどこの人には学習能力がなく、強く言われれば返す言葉がないくせに、年代の違いか性格なのか理解したようで全く理解してないところがあった。
頭ではわかっていても、嫁に頭が上がらなくなる自分の老いや老いた身体が歯痒く悔しい。
そして何より私は姑よ‼
という思いがあるのだろう。
おかしな話で、この人だってかつては嫁で他人だったわけなのに、いつから舅を飛び越えて、舅以上の義親様思考に凝り固まってしまったのだろう。
姑は私の旦那と少し似ていて、私は姑の無愛想な態度や嫌味を腹には無い。
言葉は強いが一旦納得すればきちんとわかってくれる。
そう受け取るようにしてやってきた。
でもそんな竹を割ったような男気性なら、いっそ付き合いやすかったのに、竹の中には餅が入ってて、とんでもなくタチの悪い気性なのだと気づいた。
それでも高齢になったおかげで若い頃の姑に比べればライオンが猫になったくらい大人しくはなっていたが。
この人のタチの悪さは、まず口癖が昔は・・・。
どんな話で周りが盛り上がっていようが昔はこんなに大変だった・・・。
もしも昔は・・と言ったら罰金100円ね。と決めたら、下手したら5年で家が建つ。
例えはテレビドラマを見ていて主婦が洗濯してるシーンが出れば、昔は洗濯板でどうのこうの。
近所の人が来てお裾分けに野菜をくれれば昔はこれを手で耕してどうのこうの。
今年のお米は美味しいわねと言えば、昔はモミがどうのこうの。
今日は雨ね。といえば、昔は雨しか作業が休めずどうのこうの。
もう、そりゃあしつこい。
なんの話をしてもどんな会話をしていても、この人がむかしは、と言わないことは無いくらい。
聞く誰もがウンザリして話が続かない。
孫も相手にしない。
当たり前だ。何語をしゃべってるのかわからないほど昔の話を日々リピートしてるんだから。
舅にも怒られる。
昔は昔。今とは違う。昔が大変なら、そのまた昔の人はさもっと大変だった筈だ!と怒られる。
でも聞かない。
聞かずに続ける。舅は諦めてイヤホンでテレビを観だして無視。
私は部屋に行かない。
初めは根気良く聞いていたが、毎日毎回エンドレスでそれを聞くと病気になりそうだから。
旦那は寝てる。逃げてすぐ寝てる。
でも食事の時、人と接したチョットのタイミング。
そんな隙を狙って姑は昔話をブッ込んでくる。
コレを黙らせるにはどうしたらいいか?
そうだ!他の話題に変えてみんなで盛り上がればいい。
もっと楽しいテレビ番組を観て笑ってればいい。
全部やった。
色々やった。
でもダメ。
ぶす〜っとしだし、会話の合間やCMの時に「ケッ。何にも苦がなくて気楽な人はいいねえ〜。」
とくる。
1度は無視。
話の合間のたびCMのたび、静かなシーンのたびに
ケッ!何が楽しいんだこんなもん。
こんなことやって金が稼げる人は気楽だねぇ〜。
もういちいち毒吐きがくる。
その場が楽しいわけがない。
テレビの内容が入るわけがない。
うるせー気に入らなきゃ出てけ!と私が言えるもんならとっくに言ってる。
でも旦那と爺さんは逃げてる。
だから私は姑に必要以上に近づかない。
楽しい話題しかするなとか、私にいつも優しくしろとか、そんなんじゃない。
この人といると、爆笑してる人もヘコむんじゃないかってくらい話題が暗く、そして重い。
むかし自分がどれだけ頑張ったかと、いま自分の身体かチョット調子悪いとかって話。
これだけで365日生きてる。
もう付き合いきれないのでみんなが避ける。
そして何故みんなが自分に寄らないのか。何故自分が楽しくないのか。
それにこの人は全く気づいてない。
人には色んな性格や過ごした過程があって、おそらく姑は世代的にも環境的にもバカ笑いをして笑えるような毎日を過ごして来れなかったのかも知れない。
姑の世代は私の今より嫁ももっと過酷で面倒だったかも知れない。
だけどいま姑に足かせはなく、やろうと思えば何度だって旅行にも行けるし友達と出かけて楽しむ事だって出来る。
現に周りの同年代の人は老人会で出かけて楽しんだり、ランチやディナーにも行く。
家の姑もそこそこそういうお付き合いもしてる。
それで足りなきゃもっと楽しめばいい。
自分の毎日を楽しくするよう行動すればいい。
そのくらいの貯蓄も時間も私なんかよりずっとある。
でも、して来なかったから遊び方を知らない人も世の中にはいる。
だから同居し始めのうち、私と旦那は姑を映画やランチや買い物や旅行や、様々な場所に連れて行った。
ツアーのパンフや紅葉情報やショッピングのバーゲン情報も教えた。
舅も姑のために慣れない場所に連れて出かけた。
私に感謝して欲しかったからじゃない。
楽しむことや腹の底から笑うほど楽しい事があるんだと姑に知って欲しかった。
でもダメ。
その時は喜ぶ。
でも毎日それは出来ないし毎日姑に付きっ切りで笑わせてはいられない。
私の仕事もあれば忙しい日もある。私にだって家族にだって。
そうするとつまらなくなり毒づき出す。
それでも舅は常に姑のそばに居て献身的に尽くしてる。
酒も飲まずタバコも吸わず、賭け事もせず、ただ働いて婆さんの貯蓄にしろと、若い頃から尽くして来た。
大姑達が亡くなった時には今までご苦労様だったと姑に言い、その後姑が宝石を買おうがブランドあさりをしようが娘と毎月海外旅行に行こうが、舅は一切文句を言わなかった。
そんな舅を姑は平気で馬鹿にする。
みんなの前でつまらない男だと罵る。
この時点で舅が情けないのはもちろんだか、それ以上に姑はネチネチと陰湿に愚痴ばかりを舅に聞かすので舅も反論するのを半ば諦めてる。
小姑はこれには怒る。
キツく言ってもくれるし、何度も説教してくれた。
でもお手上げ。
直らない。
ちなみに旦那は言わない。
避けてるし、姑も旦那の前だと言うのを控えてる。
見るに見兼ねた暴言を姑が舅に吐いた時、私は舅を庇う。
すると黙る。
舅がどれだけ姑に尽くしたかを言えば、そうだね。と黙る。
でも3日後にはまた言う。
この繰り返しで手に負えない。
こういう人ほど相方が居なくなった時にはドッシリくるもんだ。
その時になって後悔しても遅い。
だからみんなは言うけど、姑にはわからない。
きっと連れ合いを無くした私は可哀想モードが全開になるだけだ。
こういう人に付ける薬はないし、嫁の私としては助けてオーラを舅から出されても、最終的に2人は夫婦。
いつ手の裏返してタッグを組まれるかもわからないのにヘタな事など言えない。
それより、あんたの嫁さんなんだから旦那のあんたが何とかしてよ。
と言いたくなる。
それどころか、ドM舅はそれで良かったかも知れないが、今までこんなふうにのさばらせておくから、この人を残された時には後の世代がたまらないって事に気づいて欲しい。とさえ思う。
いま、そんな姑に頭を悩まされているのが姑の病気に対する不安。
不安といっても本気の不安じゃない。
と私は思う。
例えば私は私が倒れたり体調を崩せば、まわりまわって子供にかかると思う。
不必要に義親に負い目もつくりたくない。
だから絶対病気になるわけにはいかない。
よって健康診断は欠かせないし、診断で気になる箇所や一時的な体調不良を除いて気になる症状が出れば必ずきちんとした検査に行く。
ところが姑はちゃんとした検査はしたくない。
けれど気になって不安で仕方がないと言う。
というか言い続ける。
食後、おやつ時、用事で姑の部屋にいった時。
手袋しても手足が冷える。冷えて冷えて眠れないという。
くどいので、そして医者も行かないので温めるよう話したり冷やさないよう言ったりするが、ずっと言う。
ホカロンや温湿布や冷えに効くものをドラッグストアで買ってきてやるが結局使わない。
そしてまた言う。くどくしつこく。
じゃあずっとコタツに入ってるよう言う。
退屈過ぎてつまらなくなり動き出す。
末梢神経障害ってのもあるから病院へ。と勧める。
行かない。絶対行かない。
ちょっと楽になったみたいと言い出して。
次は足が痛い。
これも同じ流れで順を追って、やっぱり医者には行かない。
こうして痛いだどうだという箇所が4箇所ぐらいあるのだが、絶対行かない。
行かないくせに毎日言う。
コレなんで痛いのかしらね?
なんで冷えるのかしらね?
なんで。なんで。
そしてそのために自分が眠れず、いかに辛いかを延々と言う。
舅には、それなら医者に行け。
孫には、そんなの誰でもあるとバッサリきられ、他の誰にも相手にされない。
されないくらいにしつこくくどく、そしてそれを解決するための何の努力もしないからだ。
あの人に聞いたらこう言う。
この人はこう言う。
どれが正しいんだかわからない。とまた悩む。
そして眠れないと言う。
知らん顔してスルーしたい。
相づちさえ打ちたくない。
でも食事の片付けの際に。
洗濯してると後ろで。
もううるさいったらない。
いい加減イラつくので、じゃあ病院行きましょうね。一緒に行きますから。
と私が言う。
すると黙って翌日、いいみたい。という。
これも3日経つとまた初めからの繰り返し。
場所を変え症状を変えの繰り返し。
だーかーら!行きましょう病院‼
いつもいつもこんな事してたって仕方ないでしょ!私はわかりませんよ。医者じゃないんだから。
行って検査してきましょうよ。
それで何とも無ければ長年の悩みから解放される。
何かあれば早ければ早いほど治りも早い。
さあ、行きましょう‼
一度はこう言って追い詰めた。
わかった。行く。
よし。これで前に進んだ。
実際何かあったら困るしな。
珍しくよく決断したじゃないか。
どうした風の吹きまわしだ???
と思ったら次の日やっぱり今日調子いいから行かない。と言ってきた。
ふざけんな‼
だったら言うな。
もうずっと言うな‼
毎度毎日聞かされるほうの身にもなれ‼
そう言いそうになるのを必死でこらえた。
どこかでちょっと予想もしていたし。
一応、舅と旦那には調子が悪いらしいがいいだろうか?と話してみた。
舅は、そう言いたいだけだ。といい旦那は相手にするなと言っていた。
相手にしたくはない。
むしろ、あなた方以上に私のほうが相手にしたくない。
でも向こうは言いたくて言いたくて狙ってるのだ。
私にいま出来ることは、突発的な難聴のふりをするか、黙れ‼二度と言うな。つぎ言ったらぶっ飛ばすぞ‼のどちらかしかないくらいだ。
ところでスレタイに書いた大晦日。
無事にじゃないけど終わった。
当日の買い出しの殆どは小姑と私達夫婦が各々でやった。
小姑は小さな子がいるのに買い物に言ってきてくれ、これはありがたかった。
おそらく小姑に請求された義親の資金援助での豪勢な献立になったと思われたが、私達はおそらく小姑が買って無いだろうなと思うみんなの酒と、私の子供達用の食材を自分達で用意した。
こういうとき、世話をかけるね。と言ってくれる舅の目の前で、なんの言葉もなく黙々と黙って私の作った食事を食べていられる姑の神経がわからなかった。
姑からそんな労う言葉をもらった事はない。
言わない姑に対して舅も怒らない。
そして当日、普段は足が痛い手が冷える、私は老いたとお茶一つ用意しない姑が、早朝から台所に立ち娘のためにせっせと料理を準備する。
サラダや煮物やおなますや、テキパキの娘の好物を作る。
だったら普段のお茶ぐらい用意できるでしょ?
と突っ込みたくなる。
そして娘の好物が用意できると満足して居間で座ってる。
それから空いたキッチンでやっと私が我が子のために食事を用意する。
娘のために並べられた食材は豪勢で大量に並ぶが、どうせいつも食べられない。
それでも姑が私の子供に。と言ってくれた事は一度もない。
ここに来ようとしないのが気に入らないのか、食べさせたくないのかは知らない。
同居した最初の年に同席した子供達は、小姑一家メインでカヤの外にされるこの大晦日イベントに懲り懲りして、今は各部屋で友人達とカウントダウンをしながら過ごすようになった。
忘れられた存在の我が子は私を気遣い、私は我が子を気遣った。
最初の年に、あまりに悔しくて抗議しようとしたら、子供達が言わなくていい。そんなこと言われなきゃわからない人達は既に終わってる。いっそ気楽にに過ごせるから、このほうが自分達はいいと言った。
お母さんも少しでも嫌な思いをしたらこっちに避難しておいでよ。と言ってくれている。
だから姑も懐かない私の子供達にやる必要はないと思うのかも知れない。
私も子供ももらおうとも思ってない。
以前、舅か部屋にいる孫にも持ってってやろうと言うのを惜しんだ姑を見て、二度といらないと思った。
そして小姑達が帰ると、姑はまだ山のように残っているテーブルの残骸に目もくれず、さっさと部屋に入って寝てしまうのだ。
こんな時、手伝おうか?とまでは言わない。
片付け頼むね。でもいい。
眠くなったから先に寝るねでもいい。
何か一言いって行けよ‼と私は思う。
声をかけられないのは、片付けを手伝わないのは良くないと承知のうえだからだ。
でもそれ以上に手伝いたくないからだ。
代わりに舅の、世話をかけたね。1人で片付けをやらせて悪いね。の言葉に救われる。
さっきまで娘のためにせっせと動いていた姑が、娘が帰ったと同時にお茶も入れられない高齢者に戻る。
小姑が来ると、こういう嫌な面を見るから私は大晦日が大嫌い。
もしもたった一言でいい。姑から頼むね。の言葉だったり私の子供に対する気遣いがあったなら、私は気分良くやれただろうし、小姑の来る大晦日をここまで嫌いにはならなかったと思う。
義親と小姑。
それぞれ私とは生きてきた環境が違う。
性格もそれぞれ違う。
そんな事は同居する前からわかってた。
喧嘩してもそれぞれがお互いを理解していき、家族になろうと努力すれば、同居だって辛いだけでは終わらない。
ある程度の事は嫁だって我慢する。
私が気づけていない義親達の私への我慢もきっとあるだろうから。
でも私はいつも思う。
先に生きた親だからって偉いわけじゃない。
嫁という他人と暮らすなら、義親という他人と暮らすなら、どちらにも思いやりや気遣いは大切だと思う。
もしもこうしたら、自分がこうされたら相手はどう思うか?
そんな事は小学生だって知ってる。
先に生まれた義親には、義親としての配慮が。
後に入る嫁には嫁としての忍耐がいる。
他人の集まりの家に入るのに何もかもが自分の思い通りになれなんて思ってる嫁はどこにもいない。
そんなこと思ってないけど、あまりにもあまりにも理不尽だと嫁だって腹は立つ。
義親だって間違ってることは間違ってる。
本当に我が子が可愛かったら、自分が生きてる今だけを見て親でございますって顔はしないで欲しい。
いま義親達が嫁にしてる事は、そのまま出た娘や娘の子。出た息子や同居してる息子に返ると気づいて欲しい。
本当に嫁に大切にしてもらいたかったら、やがて来る介護の現実を知ってからものを言って欲しい。
いま、踏ん反り返って我が物顏でいる義親や小姑は必ず嫁に頭を下げなきゃならない日が来る。
ふんぞり返った角度が大きければ、頭を下げる角度も大きくなきゃ嫁にはやってもらえない。
それに気づいてる義親や小姑が世の中にどれだけいるだろう。
老人介護の現実を知らない人は、義親のお金でしょ?
嫁がどうこう言える立場じゃない。と言う。
私から言わせてもらえば、ある程度の年齢になった親には、例え財産があろうが、それは親だけのものじゃない。
そんな言葉が通用するのは、有り余る財産を持ち、嫁や子供になんか頼らなくても例えどんな高額な老人施設でも選り取りみどりで入れるほんの一握りの親か、どんな老いの状態が待ち受けていようが決して嫁に迷惑はかけません。と誓約書を書ける親だけだ。
介護は親がするもんじゃない。ごくありふれた家庭の親は、今や嫁や子供の手を借りなければ、施設には入れない。
この不景気に仕事を休んで親を看られる息子がどこにいる?
旦那と子供を二の次にしてパートも辞めて親の介護に没頭出来る主婦がどこにいる?
息子が定年となり、年金で悠々自適に暮らせるから介護は息子に頼めるわ?
娘の夫は高給取りで娘は働かなくていいから?
そんな子供を複数持ってれば話は別。
でも息子が定年してから病むとは限らない。
娘の夫がそこまで理解してくれる保証もない。
何よりそれも親が自分達用の充分な介護資金を持ってるうえでの話。
いくら定年した息子だって、高給取りに嫁いだ娘だって1人きりで親の家に通って看てたら身体がもたないのに、それに介護費用までもってたら続けて行けるわけがない。
娘にも息子にも嫁はいるし婿がいる。
その他人の協力あっての出来る介護だ。
1人の子供夫婦で無理なら、子供達全てが協力して出し合えてこそ出来る介護だ。
それを我が子だの他人だのと差別してないがしろにしたらどうなる?
いずれかの配偶者から不満が出るに決まってる。
自分の我が子達が動けなくなった自分のせいで揉める。
仲の良かった我が子達が自分のせいで揉める。
可愛い我が子が配偶者に責められ夫婦仲が揉めて苦しむ。
それでも親でございますと偉そうにしていたいか?
私にはそんな気持ちは理解出来ない。
それでも老いるのは誰にでも来る現実。
だから年を重ねたぶん、子供のために心がけてやれる行動があるんじゃないか?と私は思う。
誰かを愛して、その人のために一生添い遂げようと決めた子供や嫁を、親が泣かせてどうする?
人は優しい気持ちや思いやりでなら繋がっていける。
現実的にしたくても出来ない限界はある。
だけど、優しさをくれた親なら、例え義理の親だって優しさで返したい。
それが嫁の本音だと私は思う。
それをわかって欲しい。
自分自身のために、子供達のために。
ましてや同居してる息子夫婦の嫁に気遣いもしないで、親の金に口出すな?
でもって介護の時だけ嫁だから看て当然?
そんな都合のいい言い分で介護してもらえるほど、介護は甘いもんじゃない。
いくらかかるのか、いつまで生きるのかわからない義親。
痴呆が始まっても費用が足りなければ自宅で預かり、入所待ちの期間にはせいぜい助けてもらえてショートステイ。
夕方には帰ってくる。夜中はずっと起こされる。
排便だって排尿だって布団の上で取れば済むとは限らない。
だからと言って施設に預けてれば湯水のように費用がかかる。
定期的な施設の説明会にも行かなきゃならない。
それをして行けるのは同居してる嫁の協力あってこそ。
こんななら別居したほうが・・・。
介護の現実を知った時、私は正直そう思った。
でも義親と話し合い、同居を続けるのを選べたのは家の義親には介護に必要な貯蓄。そしてその他に家屋と土地があったから。
本当にどうしようもなくなったら、もしも小姑が協力を拒み逃げたら、それを切り売りすれば何とかなる。
そういう状況だったからだ。
もしもこれが、中途半端な持ち家1つで義親風を吹かす義親だったなら私はとっくに別居してた。
普段の様子を見ていて、小姑にはしてやりたい気が満々な姑。未だに多少の援助はしてるだろう。
けれど、大きな歯止めが出来た今、少なくとも話した貯蓄額が減らされる事はない。
減ってれば、いざ介護となった時に息子が黙っていないのを義親達は知っている。
だから私は敢えて気にも止めてない。
苦労して軌道にのせた自営の作業場の土地と、自宅のある土地さえ失わなければ生活はしていける。だから例えもらえるものであっても、それ以外の土地は必要なら手放して義親の介護費用に消えても構わない。
義親が守って来た土地を義親の介護のために使うのだから。
代わりに私には旦那にさせた重大な約束事がある。
私がやりくりをしていくのだから、残った片方の義親の介護が必要になった時には、全ての貯蓄を義親に提示させ預かる。
ただし義親の貯蓄なので支出の記録と残高は全て記載する。
万が一介護費がかさみ、義親の介護のために自宅の土地や自営の土地を手放さなければならなくなった場合、その時は小姑に話して協力させる。
そして彼女がその協力を拒んだ場合、小姑とは一切の付き合いをやめる。
そのうえで義親亡き後の財産分与の際に、小姑が相続権を主張してきた場合、これまで小姑が義親に援助してもらってきたものを特別受益と主張する。
(特別受益とは生前に子供が親にもらった家。結婚後同居して養ってもらっていた生活費や定期貯金、結婚費用などが何十年もさかのぼって対象となり、財産分与の際に相続分から引かれる。
小姑の場合、破格な家を建ててもらっている。
結婚してから同居していた際に、全ての生活費を何年も親に出してもらっているので、これだけで充分。)
※これは親の財産を相続する際に、片方の子供だけに財産が偏り平等に相続されないのを防ぐためにあります。
弁護士に依頼すれば金融機関は口座を開示しなければならないので隠せません。
この主張をし小姑が納得しなければ弁護士を通す。
これだけは旦那に何度も念を押し、私達夫婦の絶対の約束事になっている。
義親が、これを防ぐために娘に全ての貯蓄を渡しておくような義親なら?
だが財産分与は義親亡き後。介護費用は生きているうちに必要なもの。介護の時に嫁に知れる。そんな無謀な行動を老いた義親はしない。
ましてや家の場合は貯蓄残高も告げている。
義親のお金だと言うけれど、介護の現実がある以上、もはやそれは義親だけのものではない。
私はそう思う。
けれどその介護の現実は裏を返せば嫁の強みになる。
だからと言って親を粗末にするのは論外。
嫁のほうが立場が上だなんて事もあってはいけない。
でも嫁だからといって他人だからといって引け目を感じる事など全くない!
>> 95
この約束を旦那に話すとき私は迷った。
本来なら私は口出しできない事だから。
旦那も気分を害すだろうか?
でもそんなものは介護の現実を知れは綺麗事。
現実を考えたら、嫁だから。言えないから。で不足した介護費を私達が負担したうえに仕事場や家を失ったらシャレにならない。
子供にも申し訳ない。
もともと旦那がこういう事を率先して考えてくれる人なら私がしゃしゃり出る必要はない。
でも家のは違う。
大丈夫だろう。
そんな事は言わないだろう。の、だろう野郎。
そしていざとなっても何をどうしたらいいのかわからない。
その時になって、ほら見なさいよ‼どうすんのよ‼と旦那を罵り続けたって、そんなものは何の得にもならないし私も疲れる。
結局最後は旦那に、なってしまった事は仕方ないとされるだろう。
そのとき全てを失い、この旦那を抱えてやって行くにしても別れるにしても、どのみち私には正念場となる。
同じ正念場なら今やった方がいい。
無駄に今後何年も義親に生活費を出し続けたあげく、フタを開けたら話が違うともめたところで、今より老いた私に何が残る?何が出来る?それで子供が守れる?
だからいま、旦那に話し真意を聞く必要があった。
この件に関しては、むしろ旦那は意外と積極的に賛同した。
介護には多額の費用がかかる。
となると、親の貯蓄財産は殆ど介護費と消えるかも知れない。
残されるのは土地家屋だけ。
それを万が一にも兄弟のために失うのは困る。
やっと軌道にのせた仕事場を失い、老いていく身体にムチ打ってまた0からの出発となれば、旦那自身が最も過酷になる。
それは困るとわかったのだろう。
妻のためには立ち上がれなくとも妻の苦しみを聞く耳はなくとも、自分に面倒がかかるとなると慌てて向き合う。
旦那の習性とはこんなもんだと改めて思った。
義親と旦那には介護の現実を。
そして旦那には義親亡き後の方向性を約束させ、私は少し安心できた。
親の財産で楽をしようと思ったことはないが、実際にかかる義親の葬式代や跡継ぎとしての墓守り費用。
そして義親の介護。
同居の子ども夫婦には、同居してるが故に否応無しに降りかかる費用の負担がある。
贅沢など出来なくても私達が暮らせて、義親を看取り、そしてこの家を守っていければ私はそれで充分。
だから矢面に立ち戦った。
言いにくい事も言ってきた。
これで私達家族の先々が少しは守られる。
生きていくために必要な基盤を作ってこそ初めて義親を敬い、尽くせる。
感情や綺麗事で跡継ぎの嫁は出来ない。
これが後の義親を惨めにさせないのにも、旦那と小姑が兄弟として気持ち良く付き合っていくのにも繋がると私は思っている。
それでも、もしかしたら旦那を含めた親族には、用意周到な姑息な嫁だと思われてるかも知れない。
それでもいい。
例えわかってもらえなくとも、それでこの家や家族が。何より我が子が安泰で暮らせるなら、私は鬼嫁でいい。
お正月は実家に行った。
私には兄弟が3人いる。長男はいるが親と同居はしていない。
私の母は私と姉が嫁ぐ時、自分の持つ貯蓄は全て長男に渡すと宣言した。
私と姉は何の異論もなかった。
それでも当たり前のように親の介護費が不足すれば兄弟で分担すると決めたし、介護も交代で協力し合おうと話がついている。
私も姉も私達の親が長男夫婦の幸せを願うのがわかり、私達自身もそれを願うからだ。
私の旦那と姉の夫は、それを納得している。
それどころか彼らが率先して実家の親の世話をやいている。
実家の親にはこの家の義親に比べたら、笑えるほどの貯蓄しかない。
それでも私達兄弟の配偶者が親に良くしてくれるのは、親達が実子よりそれぞれの配偶者を大切にしてきたからだ。
実の子は可愛くて当たり前。声などかけなくても親子は分かり合える。
でも連れ合いは違う。途中からの親子なら、我が子より大切にしなければ心は通わない。
そして自分達より連れ合いを大切にする親を、お前達はきっと嬉しく思うだろうし、そのほうが我が子達の夫婦仲もまとまるんだよ。
母はいつもそう言った。
だから私達は母の前で連れ合いを粗末に扱うと酷く怒られたし、どの子供夫婦にも孫にも分け隔てなく接してくれた。
長男のお嫁さんがお産の時も頼まれて喜んで行くし、義兄にも次は家に遊びに来てよとせがまれて、渡り鳥のように忙しく通っている。
こんな何も無い婆さんを来い来いと呼んでくれて、幸せ者だといつも言っている。
実家の親は、老いても子供達の家庭に負担をかけられないと元気なうちから何箇所もの老人施設の見学に行っていた。
自分の母親を看取った母は嫌というほど子供にかかる負担を知っているから。
それでも長男のお嫁さんは、お義母さんの面倒は私の役目だと言ってくれ、私と姉はそんな彼女に負担がいかないようにと話し合った。
お嫁さんの言葉はとても有難いが、だからこそ甘えて彼女にだけ負担はさせらない。
私は老いた親のために出来うるあらゆる限りの老人支援制度を調べ、現段階で出来る手続きを全てした。
姉は実家の親に定期的に声をかけ、親の買い物や身の回りの事を手伝ってくれている。
どうしても、どうしてもお嫁さんの手が必要になるまで、彼女にはなるべく平和な日常を送っていて欲しい。
それが私達姉が弟夫婦にしてやれる愛情だと私も姉も思っている。
それでもお嫁さんに負担をかけてしまう日は来るだろう。
でも親の世話は子供達みんなで。それが私達兄妹のモットーだ。
義親を抱える私の負担を気遣い自分達が頑張ろうとする姉夫婦と弟夫婦。
そして私達夫婦は、万が一の場合は他の兄弟の介護費負担を軽減出来るよう貯蓄をした。
そんなもので2人に押し付ける気はさらさら無いが、互いが互いを我が身の事のように思うからこそ私達は成り立っている。
親はそんな子供達や連れ合いに心から感謝し、連れ合いや孫達までもが、そんな親を守りたいと言ってくれる。
実家の親と義親の両方を見ていて、親の姿次第で子供は自ずとそれに合った答えを出すものなんだなと気づかされる。
現実には思うようにいかないかも知れない。
望む事の半分もしてやれなくなるかも知れない。
それでも実家の親は幸せだと言う。
心の底から自分を心配してくれる人達に囲まれているのだから幸せだと言っている。
そんな身内がお正月に大集合した。
みんなが笑って和めて寛げる空間だった。
前日から布団を干したり茶碗を用意した母は寝てないだろうに座りもせずにせっせと動いていた。
こういう時に、お嫁さんは絶対に動かせない。
それが母と姉と私の暗黙の了解。
旦那の身内の場に来てくれるだけでありがたいのだから。
座れ座れと言うみんなに母は、みんなのために動けるのが幸せなのに座ってなどいられない。
みんなの喜ぶ顔が見られて幸せなんだから。と動いてる。
社会人になった孫達も学生の孫達も、この日は必ず空けて来る。
姉は帰ったのに義兄は泊まりたいと言い私の旦那と仲良く寝ている。
お嫁さんも泊まっていき、みんなで雑魚寝なのにみんなが泊まりたがる。
それを有難いと母は言う。
あまりの人気に自分は寝る場所も無くなって隅っこで狭く寝てるのに。
誰より動き誰より早起きして疲れてるだろうに。
幸せそうに笑ってる。
そんな実家の様子を見ていると、母の偉大さをつくづく感じる。
楽しい時を過ごして帰ると、この家には義親達が2人だけでいた。
小姑家族は、ちよっと寄ってお年玉をもらうとすぐに帰ったらしい。
帰った私の顔を見て、いきなり姑が嫌味を言う。
誰も来もせずに爺さんと2人で座ってテレビを観るだけの正月や!
こんな爺さんテレビに夢中なだけで居ても意味がない。
あんなにしてやってるのに、娘もすぐに帰るし子供なんか産むもんじゃないわ。
アンタも親が死んだらもう行けなくなるし、孫も嫁が出来たら家に集まってもらわなきゃね‼
こんなにも違うんだ。
これじゃあ、子供が寄り付くわけがない・・・。
心底そう思った。
同じ言うでも、こういう時には、お爺さんと2人きりで何だか寂しかったよ。
と言えば全然違う。姑には無理だろうけど。
拗ねて妬んで嫌味を言うくらい寂しかったなら、こうして嫁や孫が同居してることに少しは感謝できない?
調子のいい出た娘や孫だけを可愛がる前に、いま目の前にある大切なものに気づけない?
優しさの種は自らがまかないと花は咲かない。
種もまかずに花を欲しがるな‼
その時は腹が立ったが、姑の嫌味も淋しさゆえ。
私は損な性分なのか憎まれ口を叩かれても、やっぱり姑が気になったりする。
舅と2人で、ずっと居間にいて観たくもないテレビを付き合うしかする事もなく、たまに外に出てみてもやっぱりつまらなくて帰ってくる。
舅はどちらかと言えば楽しいことが好き。
賑やかなのも好き。
ただお金への執着がありすぎてあまりしないけど。
だから人にも合わせるし冗談も言う。
自分のして来た苦労もひけらかさないし、介護の話をしてからは我が身の現実を受け入れ、その中で出来る楽しみを見つけようとしてくれている。
問題は姑。
このスレにレスを下さった方に指摘されたように、小姑の甘えも頭が痛いが、この家にとっては姑の考え方のほうが問題だと思った。
小姑は家族ではなく、所詮は義親が生きている間だけのもの。
義親亡き後は今より別世帯感も増していく。
けれど常のお守役の舅が先に逝き、姑1人を残された時には姑自身が悲惨な結果となる。
私の実家の母親と姑は違う。
母にない姑の良さもきっとあるはず。
何より姑を見てると、こんな毎日ちっとも楽しくないんじゃないの?と聞きたくなる。
事実姑自身も楽しくないと言っている。
身体は弱る。年はとる。いい事なんかひとつも無いと日々嘆いている。
大晦日に小姑一家が来ても、小姑自身もちっとも楽しそうじゃない。
子供が騒げば怒られ、子供が観てるテレビ番組が理解出来ないとケチをつけられ場はズーンと重くなり、さぁ帰ろうとなるだけだ。
それでも彼女がここに来るのは、やっぱり身内で集まったりする楽しさが欲しいからだと思う。
そして姑自身も、やっぱり子供や孫達に囲まれて賑やかでいたいから呼ぶんだと思う。
だけどちっとも楽しくない。
だって誰も笑わないのだから。
子供の冗談も姑には通じないのだから。
小姑は世間知らずの娘だけど、私を慕ってくれてもいる。
慕っているから、親と同じ事が私にも通じると思うのだろう。
その度が過ぎてても親は教えず、自分達もしてきたから嫁のあなたも、してやってね。感覚でいる。
だから小姑にもわからないのだろう。
友人達と自分の違いに気づいたのか他人に助言されたのか、私が断ったりケジメをつけようとするのを少しずつ少しずつ小姑は理解してきているし、義親達も不本意ながら受け入れている。
まだまだ道は遠いけど。
でも、そういうことをきちんと娘に教え、世話になる同居嫁を気遣い、そして自分の今ある幸せに姑が気づけたら、この家は大きく変われると私は思う。
もしも姑が自分本位でなく子供や孫に対する愛情は、もらうものではなく与えるものだと気づけたら小姑も旦那もその孫達も楽しい大晦日を過ごせると思う。
私の実家での時間と自宅で自分の身内と大晦日を過ごした旦那の顔は明らかに違う。
自宅では苦虫を潰したように黙り笑いもしないし、身内が集まって食事をして、あとはみんな黙ってテレビを観るだけ。
何の会話もない。
私の実家での旦那は、はしゃぎまくり義兄や弟や姉とふざけ倒している。
こんな大晦日を、この人が自分の親や兄弟と出来たらどんなに嬉しいと感じるだろう・・・。
そう思うと旦那や小姑が可哀想になる。
一度それを旦那に言ってみたが、そりゃあ嬉しいさ。
嬉しいけど無理。
お袋はそういう人間じゃない。そう言った。
姑自身も寂しい。小姑も旦那も寂しい。
だったら騒げはいいのに。
だったら変えればいいのに。
そう言ってみたが、それも無理だと言われた。
お袋は変わらない。親父が何十年かかって変えようとしても、子供が言っても変わらなかったんだから。と言う。
あなたはそう言ってみた事がある?
私がそう聞くと。
ない。無理だから。
でもそれじゃあ、あなたの母親が孤立する。
もっと淋しくなる。
そんな母親を見たくはないでしょう?
そう言ってみた。
すると、やっぱり無理だと言った。
お袋は考えてものを言える人間じゃない。
人の言葉を聞く人間でもない。
俺は無駄な努力をするより、そういう人は孤独になろうが自業自得。それなりに付き合っていくだけだ。
そう言った。
この家の人達は、どうしてこうなってしまったんだろう。
決してこれでいいなんて心から思ってるわけなどないくせに。
本当はこの家でもみんなが笑って集まれる大晦日にしたい。
でもそれを姑に理解させるのは無理。
いくら子供に言うように、そんなふうだと、お義母さんが損なんだよ。と言って聞かせても、その時だけで続かない。
だからって、いつか老いた姑が一人ぼっちで孤立してるのを見るのも楽しくはない。
でも私だけの力じゃ変えられない。
私には孤立したこの人を割り切ってほっておくことが出来るのだろうか?
どうしたらこの人にわかってもらえるのだろうか?
今と同じように、可哀想になって少し構って、やっぱり傷つけられて腹が立って、それでもなぁとまた相手になって・・・。
その繰り返ししかないのかな?
出来れば義親達が生きてるうちに、お腹の底から笑うような大晦日を、旦那にもこの人達にも味わわせてやりたいのだけど。
そもそも姑がここまで我が物顏になったのは、舅が情けなかったからの一言に尽きる。
嫁として義親に言わねばならない感謝の言葉も、頭を下げねばならない時も、舅は姑にはやらせず全て自分が代わりにやった。
何故これほどまでに姑に言えないのか?
私は不思議でならなかった。
その理由は。
事実か否かは知らないが、姑が私の夫がまだ乳飲み子だった頃に、家を出て不倫相手のもとに走ったからだと聞いた。
乳飲み子を残された舅は慌てて姑のもとへ行き、頭を下げて帰って来て欲しいと頼み込み姑に戻ってもらったのだそうだ。
以来、舅は姑の言い分を全面的に受け入れ、例え姑が自分の親を罵ろうとも何も言わなかったらしい。
姑の不倫騒動は知らないが、大舅達に好き放題言っていたのは私も若い頃に自分の目で見て知っている。
なぜ舅は怒らないのか?
なぜ好き放題に毒づく姑の代わりに舅が盾になったり嫁にヘコヘコ頭を下げたりするのか?
毒づくことなどなく、どちらかと言えばものの言い方に気をつける舅なら、姑の非が明らかにわかる筈なのに。
私には全く不可解だった。
だからその不倫騒動疑惑を聞いた時、まさか!と思いながらも他に理由付け出来るものが無く半信半疑になった。
その疑惑は、昔からここにいるご近所の人達には有名な話で、それだけではなく私は直接伯母や叔父からも聞いた事がある。
もちろん私が聞いたことなど義親は知らない。
それにそれはもう過去の話で私には、どうでもいい。
けれど何らかの理由から舅は姑に強く言えなくなり、それによりこの家には姑による被害者が続々と出ている。
それを舅はどう感じているのか?
私には理解出来ない。
どんな理由があるにせよ、そのために舅の親が辛い思いをし、我が子が苦しみ、やがてはその配偶者達や孫にまで被害が及んでいるのに、良しとしている舅。
婆さんはあんなだから、俺が死んだら頼むぞ。
そう言われた時に私は、あんなだとわかっているなら何故変えようとしないの?と舅に聞いた事がある。
舅は黙っていた。
この家の人達は、結局わが身が可愛いだけで、誰も姑と真っ向から立ち向かおうとはしなかったのだと思う。
息子である旦那も、娘も舅も。
娘である小姑は、それでもと立ち向かい続けてくれたが、救えないとサジを投げた。
だから割り切って親を利用することで親子関係を保っているのかも知れない。
私自身も、学習能力のない偏屈な姑を見てると、確かに夫や子供でも手に負えない婆さんかも。と思うが・・・
舅はそんな人に泣かされる我が子を。
旦那は自分と同じく姑に愛されない我が子を、どんな目で見ていたのだろう。
私なら大げんかしてでも気をつけさせようとする。
我が子のために。
そんな母親のために。
でもこの家の人達は、我が子のために戦うより母親の行く末より、逃げることを選んで諦めてしまったのかも知れない。
でも私は逃げたくない。
こんな連鎖はたくさん‼
我が子のために、やがて出会う我が子の配偶者のために。
私は逃げたくない。
強くならなきゃ。
強く。強く。
お正月明けから姑の不機嫌な態度に?と思うことは度々あったが、いざとなれば私は直で言ってしまうので何となく毎日は平和に過ぎている。
以前の私には眠れない程の悔しい日があったり、あの時ああ返せば良かったとか、どう対抗すればいいのかがわからず、言えないままストレスを抱えた日々があった。
でもそんな時、私はサイトで老人介護の事や財産分与の事を調べたり、後の自分にとって強みになる知識をたくさん得た。
悶々とした行き場のないストレスの日々にいる時、新しい情報や知識を得ると何だかスッキリした。
いま姑に言われた言葉で私は悩んでるけど、いざとなればこんな手段があるのか。
と気づかされたり、そうか!なら今は反り返ってる姑も、後にはこんなに困る事が出てくるんだ!
と知ることで、姑の嫌味も蚊に刺された程度に変わった。
その頃の私は、すごく落ち込んで内に閉じ込め、気にしない気にしないと自分に暗示をかけても、毎日次々起こるストレスの原因に気持ちが追いつかなかった。
もうすぐ夕飯だな・・・明日もまた嫌な思いをするんだろうな・・・
そんな事ばかり頭に浮かんで、唯一すがるしかない旦那に行き場のない怒りを愚痴った。
でもそんなのは家の旦那じゃ更にストレスをふやすだけで、何の救いにもならなかった。
義親に苦しめられてるお嫁さんは、みんなそんな立場にいると思う。
でも、そんな時は同じ気晴らしをするならネットであらゆる情報を収集するといい。
そして知識を得ると、嫁も満更やられっ放しじゃなく、嫁だからこそ主張出来ることがあるんだと知り、気持ちが強くなれる。
そうすると不思議と気持ちは落ち着き、私は旦那にも穏やかに向き合えた。
私達嫁は、嫁が義親ともめると旦那は嫌だろうなと、もめるのを避け堪えてしまうことがある。
すべての旦那さんがそうだとは言わないけど、家のようなタイプの旦那の場合、それは違う。
我慢して俺に愚痴ったり、俺に言えというくらいなら、女房が悪者になって戦ってくれるほうがいいのだ。
私の場合、やり合うというより下調べをして知識を得た上で戦いに挑むか、それまでずっと野放しにしておいて相手が油断してさすがに無いだろ、ってとこまでやらせておいて挑むので、たいてい主張は通る。
なので相手がボロを出すまでの期間は、油断させて待っていればいい。
それでもけっこう下準備と絶妙なタイミングが必要だったりもする。
わかってくれて良かったと思う反面、嫁は辛いよ。と嘆きたくもなる。
そして旦那に一応報告すると、良かったね。と本気で喜んでいる。
良かったねじゃないんだけど・・・。
コレは、あなたの役目の筈なんだけど・・。と、ため息が出る。
それでもこのやり方にもメリットはある。
以前の夫に愚痴るだけだった私に対しての夫は、この女房はどうせ大それたことは出来ないだろう。と思ってたらしい。
つまりは離婚よ!家出よ!とわめいたところで、しょせん俺にしか愚痴れず、行動出来ないのだと。
そう思ってたらしい。
というか実際そうだった。
でも義親に立ち向かい、旦那も驚くほどの行動力と気の強さを身につけた女房は、裏を返せば何をしでかすかわからない。
うるさいと言わんばかりの顔で調子にのっていた旦那は、変貌を遂げた私の言動と行動力を恐れだした。
それでも義親に意見を言えない彼は、何の家事も手伝わない姑の代わりに、せっせとお茶をいれ家事を手伝ったり、買い物をかって出たりと甲斐甲斐しく私に尽くしてくれるようになった。
家の旦那は親にたてつくより、戦う女房にお茶をいれたりご機嫌をとるほうが楽な旦那なのだ。
義親に逆らえない後継ぎ長男の悲しい習性らしい。
やるべきことが違うだろ。
そんなとこじゃないだろ。
なんて突っ込みは、もう今さらいい。
嫁が最も被害を受けるのだから、嫁自らが戦うしかない‼
最近の私には、そんな悟りも生まれてきた。
家の姑の謎。
朝起きて顔を合わせた時に、挨拶しても返事がない。
顔を付き合わせるほど間近にいても黙ってる。
以前は??と思って、何かご機嫌を損ねることでもしたか?と考えたりしたけど、機嫌が悪いわけでもない。
ただ挨拶しないだけ。
と思えば自らおはようとニコニコしてくるときもある。
そういうところは理解不能。
私のいるこの田舎には、田舎特有の海千山千の姑達がいる。
ここらあたりの地域では、概ね長男以外には家を建て独立させてやる親が多い。
小姑や小舅は頻繁に出入りし、親戚一同もご近所にうじゃうじゃいる。
けれど、そんな風習に嫌気がさして、嫁いだ嫁が次から次へと、ここを捨てて子供と家を出た。
そんな出来事があり、義親達は少しずつ考え方を改め、時代の流れに沿うようになってきた。
それでも義親達の時代には、嫁は牛や馬と同じ働かせるための動物扱いだったわけだから、自分達のやってきた時代と比較して、今の嫁がお気楽な恵まれた環境でのさばってるように思えてしまうらしい。
それでも賢い義親は、時代の流れと割り切って、子供夫婦のために受け入れる。
けれど自分の過去の苦労に浸りきっている義親の場合は、お気楽嫁が妬ましくなるらしい。
あの思考が不思議なんだけど、自分達の時代がどうであれ、子供の時代は恵まれてて良かったな。と親なら思わないのだろうか?
そして今の人はいい。今の人は。
というひがんだセリフが、なぜ息子に対しては無く、嫁に対してだけ出るのだろう。
息子だって嫁と同じ今の人なのに。
昔は昔はと義親は言う。
それなら同じ思考で考えたとき、昔の義親達はどうだった?
嫁に厳しく、介護も自宅で。が当たり前。
嫁に発言の権利なんかなく、嫁げば実家は無い時代。
でも代わりに昔の義親は同居の子供と出た子供の区別をきちんとしていた。
嫁いだ娘が度々甘えて実家に来れば、お前は嫁いだ身だとたしなめたし、厳しい代わりに継ぐ者と出た者を同等に並べたりはせず、代を継ぐ者には継いでいけるだけの物を残して逝った。
今の義親は、都合のいい時だけ今ふうで出た子も同居の子も同じ。
ヘタをすれば出た子に偏る家のような義親もいる。
今は子供に残すものだって充分なほど残せる時代でもない。
なのに都合のいい時だけは後継ぎだからと負担を強いる。
バブルが弾けて土地や家屋の価値が大きな変化を遂げ、世の中がこれだけ変わったと言うのに、義親の頭の中にある嫁に対してのプライドだけは頑固に変わらない。
私達嫁は今の世代に生まれ、今を見て生きてきた。
今を生きていくなら、今の基準や価値観に頭を切り替えていくしか仕方ない。
今の時代に沿って考えていくしかない。
江戸時代の人が、この時代で武士のなんたるかを説教したところで、現実には通用しないのと同じだ。
忘れてはいけない親子間の思いやりや家族愛。次の世代にも受け継いでいきたいものはある。
けれど舅だから姑だから、嫁は黙ってろってのは違う。
昔の嫁ができたから今の嫁もそうすべきは違う。
それを言いたいなら義親も昔の義親達に習って筋を通せばいい。
ある時は昔の義親。
またある時は今ふうの義親。
そんな中途半端な態度は威厳でも何でもなくエゴでしかない。
だから次の世代にも響かないのだ。
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