人の生き方
人生様々な悩み事や葛藤を抱えながらも生きている人、少なくはないこの世の中。
解決の糸口は合理的結論と、本人の心の哲学と合わさっていく事が重要といえよう。
その様な中、少しでも心の哲学論として、今生きる悩み人の芯を強く持てる様な伝えを、先行き不透明ともいえる小生が、中国先人から伝わる四字成語(四字熟語)を下に談話していきたいと思っております。
人の生き方そのものは人それぞれ、人様強要するものではないという事は、小生身を持って心情に持っているものでございます。
何卒、それは個々の情けと心の入れ替えをお考えになられている方々への、僅かながらでもお役に立てる事が出来ればと思い、身の程知らず者の戯言としてお受け願えれば、この小生も安心致す思いであります。
続けていける限りは書き込み努力いたしますので、気が向いた時にでもお目に通して頂ければ幸いと感じます。では、始めます。
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「愚公山を移す」
昔、中国で北山の愚公という九十に手が届こうという愚か者が、
家の南にある太行、王屋の二山を他に移して道を開こうと努力しているのを天帝が聞き、
その真心にうたれて他へ二山を移したという故事より、
倦(う)まずたゆまず努力すれば、どんな困難な仕事でも必ずなし遂げられるものだとたとえています。
━愚公移山━ぐこういざん
「一日之を暴め十日之を寒す」(いちじつこれをあたためじゅうじつこれをひやす)に由来し、
勤勉に努めるのはわずかで、怠けるほうが多いということです。
また、一方で努力しても一方では破るということのたとえもあります。
━一暴十寒━いちばくじっかん
小さなつまらないことで争う。
ギの恵王が斉の威王に背かれて兵をおこそうとしたとき、戴晋人(タイシンジン)という者が、
「カタツムリの左の角に触氏が、右の角に蛮氏が国を構え、互いに領土を争って戦ったことがございます。宇宙の広大さに比べれば王とカタツムリの角の上の蛮氏との間に相違がありましょうか」と、
人事のいかに卑小であるかを説いた寓話、蝸牛角上の争いのことです。
━蛮触之争━ばんしょくのあらそい
激しい音をたてて打ち合う、
互いに譲らず激しく議論をたたかわせるさま。丁丁発矢。
「あの二人が顔を合わせると、相も変わらず打打発止とやり合うので、いつ終わるのかと心配になってしまうよ」
━打打発止━ちょうちょうはっし
「社」は神社のほこら。
身を安全な場所において悪事を働く者。城に棲む狐と、ほこらに棲む鼠は、
これを除こうとすればその城や社を壊さなければならないので、
簡単に手を下すわけにはいきません。
このような意から、
君側にある、奸臣(カンシン)の除きにくいことのたとえです。
━城狐社鼠━じょうこしゃそ
革命の事業をなし遂げた君子の功績は、
豹の毛が秋に美しく変わるように輝かしいという。
また、倫理的に有徳の士が過失を改める場合には、
鮮やかな豹の紋のように、はっきりした態度で善に改めるのが良いという意味です。
━君子豹変━くんしひょうへん
中国の戦国時代、衛君(えいくん)に仕え、その寵愛を受けていた若者弥子瑕(ビシカ)が、
母の病気のとき偽って主君の車に乗ってでかけました。
衛の国では、密かに君主の車に乗ったものは、あしきりの刑に処せられることになっていたが、これを聞いた衛君は、
「なんという孝行者だ。母のためには、あしきりの刑も辞さぬとは」と言って誉めました。
またある日、衛君とともに果樹園に遊んだ弥子瑕は、自分の食べた桃が美味かったので残りの半分を主君に差し出しました。これを食べた衛君は、
「なんと私のことを思って、美味い桃も半分で我慢して私に食わせてくれるとは」と言いました。
やがて数年後、容色の衰えた弥子瑕は寵愛を失い、衛君のとがめを受けることになりました。衛君は、
「こいつは、偽って私の車に乗った上、食べかけの桃を食わせた」と言った。
この寓話の意は、
人に意見することの難しさを説いていて、
愛が憎しみに変われば、徳とされた行いも罪になる。
人に諫言などをする場合は主君に愛されているか、憎まれているかを見きわめてから説くようにしなければならない、
愛されたことが罪を得る原因になる、というたとえです。
━余桃之罪━よとうのつみ
蒲柳はカワヤナギ、ネコヤナギともいいます。
カワヤナギの葉は秋に一番早く落ちるというところから、
転じて、年よりも早く老けてしまう体質のことで、
また、体質の非常に弱いことのたとえです。
━蒲柳之質━ほりゅうのしつ
賢者でも、多くの考えのうちには一つや二つの間違いや失敗があり、
十分に配慮しても、まさかと思われるような思いがけない失敗を犯すこともあります。
「智者も千慮に一失有り、愚者も千慮に一得有り」
智者でも数多く考えるうちには誤りもあり、
愚者でも時には役に立つ名案を出すことがある、ということの意から出た語です。
━千慮一失━せんりょいっしつ
敵を七たび解き放してやり、その敵をまた七たび擒(とりこ)にする。
中国三国時代のショクの名将諸葛孔明が敵将孟獲(モウカク)を捕らえたところ孟獲が、
「相手を買いかぶって敗れた」というので、こちらの陣形を教えたところ、
「そんなこととわかっていたなら負けはしなかった」といった。
それでは、もう一度戦ってみようと解き放し再度戦ったが、そのたびに孟獲は捕らえられ、以後孟獲は孔明に心服して背かなかったという故事によります。
━七縦七擒━しちしょうしちきん
悪いことや苦しいことが続いた後、ようやく幸運に向かう、
冬が去って春が来る。
『易経』によると、陰暦の五月から陰気が生じ始め、
反対に陽気が消えだす十月になると陰気が出揃って陽気が消えだす。
やがて、陰気は衰えだし、反対に陽気が生じて来、十一月になると僅かに陽気が回復してくるので、
陰暦十一月のことをいい、ちょうど冬至の頃にあたるとされています。
━一陽来復━いちようらいふく
金とも玉ともすべて大事な決まり。きわめて重要な法律。
現在では、自分の主義主張の裏付けとなる、
絶対的な拠りどころ、という意に用いられ、“科”“条”も法律の意です。
━金科玉条━きんかぎょくじょう
古い習慣や習俗にこだわって、一時凌ぎの間に合わせをするということで、
“因循”とは、古くからのならわし、方法に従って一向に改めないようす。
また、事にのぞんで決断力に欠け、ぐずぐずすること。
“姑息”とは、一時のがれ、間に合わせの意です。
「因循姑息の会則を改正するときがきた」
━因循姑息━いんじゅんこそく
“砥柱”とは、黄河の中にある柱状の石のことで、
砥石のように滑らかで、激流の中で不動のままに立っている。
転じて、乱世に身を処するに毅然として節義を守る、ということのたとえです。
━中流砥柱━ちゅうりゅうしちゅう
「比翼の鳥」とは、雌雄がそれぞれ一目一翼で、
飛ぶ時には常に一体となって飛ぶ、という空想上の鳥のことで、
「連理の枝」とは、木の枝と木の枝が絡み合って木目が通じたもの。
転じて、夫婦が仲睦まじいということの意です。
━比翼連理━ひよくれんり
“旗幟”は、旗やのぼりのことで、
合戦の際、各大名、武将が自らの存在をはっきり示す為に用いました。
その旗色が鮮やかであるという意から、
立場や態度が明確であることを意味しています。
━旗幟鮮明━きしせんめい
いろいろなばけもの、種々の妖怪変化。
“魑魅”とは、山林の気から生ずるばけもので、
“魍魎”は、山川や木石の聖霊の意。
我利のために血まなこになり、あちこちに潜んで悪巧みをしている亡者どものたとえです。
━魑魅魍魎━ちみもうりょう
この世に形あるものは、すべて因縁によって生ずるものであり、
その本質は本来むなしい存在であるということ。仏教の思想です。
「色」は、感覚でとらえることのできる物質的存在のすべてをいいます。
━色即是空━しきそくぜくう
髪の毛一筋ほどの違いで危険となる際どい場合、
また、ちょっと間違えば危険に陥る瀬戸際。
そして、一本の髪の毛で、きわめて重い物を引く、
今にも切れそうな危ない状態、とのたとえです。
━危機一髪━
人間の凡骨を仙人になるための仙骨と取り換え、
胎(子の宿るところ)を自分のものとする意から、
古人の詩や文意に基づいて、その着想・作意・語句などを少し変え、自作の詩や文章に見せる、と転じています。
━換骨奪胎━かんこつだったい
「相碁」は、棋力が同じ程度の者同士で打つ囲碁のこと。
「井目」は、九子の置碁。
囲碁には同じ程度の腕前で、互先で打つ場合もあれば、九子置かなければ勝負にならないような場合もあります。
ここから、何事も巧拙、上下、千差万別であることをいいます。
━相碁井目━あいごせいもく
五里四方に立ちこめる深い霧の中では、方角がわからなくなる、
転じて、どうしたらいいか判断に迷い、見込みが立たないということ。
「なにしろ初めての仕事なものですから、今のところ手探り状態でして、まさに五里霧中です」
━五里霧中━ごりむちゅう
「奔放」とは、世間の習慣や常識にとらわれず、
思うように振る舞うこと。
「不羈」は、束縛されない、ということです。
束縛を嫌って自由気ままに行動する、という意の言葉です。
━奔放不羈━ほんぽうふき
五つの臓器と六つのはらわたの意から、体内、腹の中。
“五臓”とは、心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓のことで、
“六腑”とは、大腸・小腸・胃・胆・膀胱・三焦のことです。
「三焦」は、漢方で消化と排泄をつかさどるとされる器官です。
「こんな寒い夜の熱燗は、五臓六腑に沁みわたるよ。なあ、もう一本、熱いのをつけておいておくれ」
━五臓六腑━ごぞうろっぷ
王が臣下に、「もし自分が巨川を済(わた)るときは、おまえが舟の舵取りの役目をしなさい」と言ったという故事から、
王が臣下の協力を得て政治を行う、ということの意です。
大きな川を渡る。
━巨川済渉━こせんさいしょう
「羊を亡(うしな)いて牢を補う」
羊に逃げられた後で、檻のやぶれを修理する。
手おくれのようだが、今後の備えとなり、
過ちを悔い改めることが大事である、ということを言っています。
━亡羊補牢━ぼうようほろう
聖人の道はことばでは言い尽くせないものであるから、
現在書物に残っている聖人のことばは、古人が用い尽くした残りかすのようなものに過ぎない、という意から、
聖人のことば、また、その著書のこと。
糟粕は、酒かすの意味です。
━古人糟粕━こじんそうはく
昔、中国で廬生(ロセイ)という貧しい若者が、趙の都邯鄲(カンタン)で、
栄華が意のままになるという不思議な青磁の枕を仙人から借りて寝たところ、
良い妻を得、大臣となり、富み栄えて、五十余年間の栄華をきわめて天寿を全うする、
というまでの夢を見たが、夢から覚めると、炊きかけの黄梁の粥がまだ煮えていなかった、という話から、
人の世の富貴・功名のきわめてはかない、ということのたとえです。
━黄梁一炊━こうりょういっすい
気持ちがおおらかでさっぱりしていて、こせこせと細かい事にこだわらない。
「磊」は、石がごろごろしているというさまから、
あけすけで、しつこさのないさまを言います。
「彼の豪放磊落な人柄は、どこに行っても、誰からも好かれる得な性格だね」
━豪放磊落━ごうほうらいらく
囲碁、かたわらで観戦している人は、
対局者よりも八手先が読めるとも八目強いともいって、
傍観者のほうが、物事の是非得失が的確に判断できる、という意味で使われます。
━傍目八目━岡目八目━おかめはちもく
判官とは、九郎判官源義経のことで、
薄幸の英雄として源義経に同情し、ひいきにする、
転じて、弱者や敗者に同情し肩をもつこと。とくに強者に立ち向かう弱者に肩入れし応援する、
また、そのような感情のことです。
━判官贔屓━ほうがんびいき
「巧遅は拙速に如かず」
巧みにしようとしてぐすぐずするよりは、まずくとも素早く決行するほうが良いということで、
何事もできが良くとも遅いのは、できがまずくても早いのに及ばないということを言っています。
「調査の行き届いた報告書にしようとする努力は貴重だが、提出期限が迫っている。巧遅は拙速に如かずだ。これまで集めた資料ですぐにでもまとめてほしい」
━巧遅拙速━こうちせっそく
国家社会の秩序と善良な風俗のことで、
法律の解釈、適用の際の一つの基準となります。
「何で金儲けをしようと勝手だが、公序良俗に反するようなことだけはいないほうがいいよ」
━公序良俗━こうじょりょうぞく
自分に定まった主義主張もなく、
ただ他人の行動に同調してつき従う。
自分の人生において“自分”とは何かを思い改めるとき、それが“自覚”をする、という時となるでしょう。
━不和随行━ふわずいこう
帆に追い風を受けて、船が快調に走る。
転じて、物事がすべて順調に進むこと。
「希望していた会社には入社できたし、彼女ともうまくいっているようじゃないか。今の君の人生は順風満帆というところかな」
━順風満帆━じゅんぷうまんぱん
“金甌”とは、黄金で作ったかめのことで、
そのかめに少しのきずも無いように、物事も完全であるというたとえです。
主権が確立していて強く、外国の侵略を受け、その力に屈したことのない国家をいいます。
あらゆる団体、企業にも、同じようにたとえることもできるでしょう。
━金甌無欠━きんおうむけつ
仕官して束縛されるよりも、貧しくても家で安らかに暮らすほうが良い、ということのたとえです。
荘子が楚王から仕官をすすめられた時、
「亀は死んで亀卜(きぼく)に用いられ、神亀として尊ばれるよりも、たとえ泥の中で尾を曳(ひ)きずっていてでも、生きているほうを望むだろう」
と言って断った、という故事によります。
━曳尾塗中━えいびとちゅう
「倶(とも)に天を戴(いただ)かず」
深い恨みや憎しみのため、相手をとてもこの世に生かしておけない、
復讐しないではいられないという意のことです。
本来は父親のかたきを「不倶戴天の仇」といっていました。
━不倶戴天━ふぐたいてん
道理に背き、真理を曲解した学問をもって、
時勢や権力におもねる。
昭和二十五年、第二次世界大戦後の講和条約を結ぶにあたって、当時の首相吉田茂が、ソ連を含む全連合国との全面講和論を唱えた東大総長南原繁を「曲学阿世の徒」と非難しました。
━曲学阿世━きょくがくあせい
オオカミの子は飼い慣らそうとしても、
心は山野にあり、なかなか飼い慣らすことはできない。
転じて、常に隙あらば危害を加えようと企んでいて、
謀反の心を持ち、凶暴で強化しにくい人のことのたとえです。
━狼子野心━ろうしやしん
長い年月の間ずっと同じ状態にあり、
また、いつまで経っても進歩や変化のないさま。
「この移り変わりの激しい時代に、なぜかここだけは十年一日のごとく、全く変わらず昔のままだね」
━十年一日━じゅうねんいちじつ
“周章”とは、あわてふためき、うろたえ騒ぐことで、
“狼狽”とは、思いがけないできごとにあわてふためくこと。
どうして良いかわからず、うろたえる。
「いきなりテーブルスピーチを名指しされて周章狼狽する」
━周章狼狽━しゅうしょうろうばい
“流”は、舟で流れを遡ること。
“連”は、流れを下ること。
“流連”とは、遊興の楽しみに耽って家に帰るのを忘れてしまうということです。
“荒”は、貴重な時間をすさんで送り、
“亡”は、まつりごとを怠り失う意味で、狩りや飲酒の楽しみに耽ること。
遊びに耽りおぼれて他をかえりみないとういうことを言っています。
━流連荒亡━りゅうれんこうぼう
父母に孝養を尽くそうと思い立ったときには、
すでに死んでいてその意を遂げることができない嘆き、
「樹静かならんと欲すれど風止まず、子養わんと欲すれど親待たず」から、
死んだ親を思う気持ち、心情を表しています。
━風樹之嘆━ふうじゅのたん
“自暴”とは、自分で自分の身を損なうこと。
“自棄”とは、自分で自分の身を見捨てることです。
物事が思い通りにならないため、もうどうなっても構わないと思い、やけになる。
「仕事がうまくいかないからといって、そんなに自暴自棄になるのは良くないよ」
━自暴自棄━
手を拱いて何もせず、そばで眺めている。
関心がないわけではないが、物事の成り行きに任せて眺めていること。
いざという時には自らも行動に踏み切る勇気も必要でしょう。
━拱手傍観━きょうしゅぼうかん
「道謀是(これ)を用う」
道に沿って家を建てて、道行く人に相談すれば、
人それぞれの考えを述べるから意見は一致しない。
まして、いちいちそれを取り上げていたのでは、家はいつまでも完成しません。
一定の見識も持たず、他人の言うことを重く用いる者は、結局、仕事をまとめることができないことのたとえです。
━道謀是用━どうぼうぜよう
自ら実際に行為に表し、
また、自分で実地に行う。
“躬”とは、自らの意ということです。
自ら実際にやってみなければ、本筋はわからない。
また、それを人に教える意志・思考も十分ではない、といえます。
━実践躬行━じっせんきゅうこう
むやみに丁寧すぎて、かえって無礼にあたる、
また、表向きは極めて丁寧であるが、実ははなはだ尊大で厚かましく、押し付けがましいと、とられてしまうこともあります。
“慇懃”とは、極めて丁寧で礼儀正しいことの意です。
気のつかい方を誤ると社会上では、人間関係にギクシャクしてしまうこともある、ということです。
━慇懃無礼━いんぎんぶれい
人間の知(認識)は、行(行為・実践)の一部であってそれらを二つに分けることは出来ない、
とする陽明学の学説です。
知を重んずる朱子学に対し、
知を事物の上におかず、道徳的実践や体験による知識の確認を重視しました。
━知行合一━ちこうごういつ
生物は生存競争の結果、少しでも優れた形質を持ったものが適者生存して子孫を残し、劣者は滅びる。
イギリスの博物学者ダーウィンが、進化論で初めて用いた語です。
しかし、人は思考を持つ動物。単純にはこの論理には当てはまらないと言えるでしょう。
━自然淘汰━
困り切ったあげく、苦し紛れに思いつく一つの手段。
瀬戸際に立たされると一策の案くらいは出てくるものです。
「このままでは、うちの社もジリ貧だ。窮余の一策として、これをやってみるしかない」
━窮余一策━きゅうよいっさく
人の言動や文章の表現している内容が、
趣が深く、含みがあり、
また、表面的な意味以外に何か別の意味が隠されていること。
「なんとなく、意味深長で薄気味悪いね、はっきり言ったらどうなの」
━意味深長━
“物見”とは、祭礼や各地行事など、鑑賞にあたいするものを見に行くこと。
“遊山”は、山や野へと遊びに行くことです。
普段のストレス解消の意味でも、たまには気晴らしに見物や遊びに出かけるのも良いことでしょう。
━物見遊山━ものみゆさん
中国、晋の陶侃(トウカン)が船を作ったとき、
竹や木の屑を捨てずにとっておき、
元旦の朝賀の際、雪が降り道がぬかるんだときに木屑を道にまきました。
また、桓温(カンオン)が兵を起こしたとき、竹の切れ端で釘を作り船を修繕してそれぞれに役立てました。
このような故事から、
無用と思えるような細かなことも、疎かにはしない、ということのたとえです。
━竹頭木屑━ちくとうぼくせつ
事の様相が急に転じ、すぐに結論が出る、
情勢が急に変わって、困難だと思われていた問題などが、一気に解決してしまうこともあります。
「昨日夕方のトップ会談で急転直下、契約調印の運びとなったそうだよ」
━急転直下━
曲がりくねった根と入り組んだ節。
転じて、こみ入って処理の困難な事柄の意です。
中国、後漢の虞ク(グク)が、賊徒が暴威を振るっている朝歌県〈現在の安徽省(アンキショウ)〉に長官として赴任するとき、
「盤根錯節に遇(あ)わなければ、鋭利な刃物もその真価を知ることはできない」と言った故事です。
━盤根錯節━ばんこんさくせつ
百獣の王である獅子が、たてがみを振って激しい勢いで奮い立ち突き進む、
転じて、物事に対して猛烈な勢いで動き回り、奮闘することのたとえです。
「新しく就任した今度の部長は、早速、三つも大きな契約をまとめそうだよ。まさに獅子奮迅の活躍だね」
━獅子奮迅━ししふんじん
大海に棲み百年に一度、海の上に浮かび出る盲目の亀が、
流木のただ一つの穴に入ろうとする、という寓話より、
転じて、出会うのがきわめて難しい、
滅多にないことに巡り合うこと、
また、仏の教えに出会うことの難しさをたとえています。
━盲亀浮木━もうきふぼく
“伴食”とは、客の相伴にあずかるという意です。
しかるべき職や地位にありながら、実力がともなわず、有能な宰相のそばにくっついて役目にありついている宰相、
唐の玄宗の時代、清廉潔白で倹約家であった廬懐慎(ロカイシン)が、ヨウ崇(ヨウシュウ)と共に宰相職にあったとき、何事も有能なヨウ崇にまかせて己は一歩退くようにしました。
その為、当時の人々は廬懐慎を伴食宰相と言った、という故事があります。
━伴食宰相━ばんしょくさいしょう
ただ一人で敵陣に切り込みにいく意から、
前置きを抜きにして、直接本題に入る。
「単刀直入に言わしてもらう。今回の不祥事には目をつぶる訳にはいかない。おたくの会社とは、今後いっさい手を組まないことに決めた」
━単刀直入━
事実である、という根拠にもとづいていない、
根も葉もないこと。
追及する側の証拠揃えに基づく思い立て妄想と、される側の事実真実とのやり取りは、互いに引き下がらない。
「今、あなたが述べられたことは、全て事実無根です」
━事実無根━
昔からの状態が全く変わらない、
以前のありさまのままであること。
しかし、古くから染み付いている良くない習慣と感じたなら、一言、勇気を出して公言してみる意志は必要です。
━旧態依然━きゅうたいいぜん
人のすぐれている良い面、
人の劣っているところや欠点、
長所がある一方、短所もあるということで、誰でも完全ではないということです。
「どの人も一長一短あって、なかなか甲乙つけがたいね」
━一長一短━
人の面前では、こびへつらって服従し、
見えないところやかげでは、あれこれ悪口を言い、非難する。
度は超えない程度にしておかないと、自分の身を脅かすことにもなります。
━面従後言━めんじゅうこうげん
「一世」も「一代」も人の一生、一生涯の意です。
一生のうちただ一度の晴れがましいこと。
歌舞伎俳優、能役者が、引退を前に一生の仕納めとして立派に舞台をつとめる。
「一世一代の晴れ舞台」
━一世一代━いっせいちだい
釜を破り船を沈む。
出陣に際し食事を作る釜を壊し、軍船を沈め決死の覚悟で戦う。
楚の項羽が、秦とキョロクで戦ったとき、渡河に使った船を沈め、釜や甑(こしき)を壊して戦い大勝したという故事によります。
━破釜沈船━はふちんせん
師が芸術、武術の奥義を残らず全て弟子に伝授する、
授かったその者は、生涯それに精進し引退時期にまた我の弟子へと伝授する。
引き継ぐ意志と命懸けの決意、そうして人の術は継承されてきたのです。
━免許皆伝━
目先だけの浅はかな考えや、
場当たり的な思いつき。
物事、判断し決める前にはもう一度、違う見方からも考え直し、決断へと踏み切る意志を持つのも、後々後悔しないものとなります。
━鼻元思案━はなもとじあん
喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、
人間の様々な感情ですが、人として生きてゆくには、この内のどの感情ひとつも抜けてはいけないのです。
これらの感情と人間の持つ知能により、文明が発達してきた歴史があります。
━喜怒哀楽━
「一つの石を投げて、二羽の鳥を打ち落とす」の意から、
一つの事をして、二つの目的を果たす。
転じて、一つの行為によって、同時に二つの利益を得る、というたとえです。
「ジャズダンスは、ストレス解消にもなるし、肥満防止にもなって一石二鳥ですよ」
━一石二鳥━
消えた火が再び燃え始めるという意、
「死灰復(ま)た燃ゆ」
社会に転じて、
一旦、勢いを失ったものが再び盛んになること、
また、一度おさまったことが再び問題になることを意味します。
━死灰復燃━しかいふくねん
浮かばれない亡霊の泣く声がするさま。
鬼気迫るような恐ろしい様子を表しています。
人は霊になると信じて、浮かばれない亡霊とはどのようなものなのか、人生の在り方にかかるのだろうか。
━鬼哭啾啾━きこくしゅうしゅう
「他人」とは、
血縁関係のない人。
関係のない人。
自分以外の人。
と三通りの意味があります。
「そんな他人行儀な挨拶は抜きにして、まあ上がりたまえ」
となるのは、他人のように改まったよそよそしい振る舞いはやめよう、という心境ですが、「他人」という意の捉え方はまた、人により変わるということもあります。
━他人行儀━
キリスト教で、創造主としての父なる神と、
贖罪者として世に現われた神の子キリストと、
信仰経験に顕示された聖霊なる神とが、唯一の神の三つの姿となって現われたものであるとする説です。
三位は全ての神の現われで、上下の差別はなく、元々一体のものであるとする考えです。
━三位一体━さんみいったい
複数の団体や政党、党派が互いに対立する小さな問題を無視して、
一つの目的の為に一致団結すること。
「政府の無謀な政策をやめさせる為に、この際こまかい事には目をつぶって、我々が大同団結して反対しなければならない」
━大同団結━
鳩は親鳩のとまっている枝より三枝下にとまり、
烏はひなの時に養われた恩に報いるため、親鳥の口に餌を含ませて返す。
「鳩に三枝の礼あり烏に反哺の孝あり」から、
礼儀と孝行を重んずべしと説くたとえです。
━三枝之礼━さんしのれい
中国春秋時代、斉の管仲(カンチュウ)の行為を常に親友の鮑叔牙(ホウシュクガ)が理解したため、管仲が、
「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり」と言って、
終生変わらぬ交際をしたという故事より、
友人同士の親密な交際のことをいいます。
━管鮑之交━かんぽうのまじわり
少し異なったところがなくもないが、
大筋において同じで、ほとんど差のないこと。
即決即断も時には必要なことですが、瞬時に見極める知恵と経験がなければ、墓穴を掘ることもあります。
━大同小異━だいどうしょうい
隋の文帝が中国統一を目指して陳を攻めるに際し、揚子江を「一衣帯水」と呼びました。
「我民の父母たり、一衣帯の水を限りてこれを救わざるべけんや(わたしは人民の父母である。どうしてひとすじの着物の帯のような川「揚子江」を恐れて彼らを救わないでおられようか)」
━一衣帯水━いちいたいすい
暴君であったインのチュウ王を諫(いさ)めて聞き入れてもらえなかった箕子(キシ)は、狂人のふりをして奴隷となりました。
インを滅ぼした周の武王は、箕子を召し出し朝鮮の王としました。
数年の後、周に来朝した箕子はインの旧都を通り、そこに麦の生えているのを見て悲しみ「麦秀でて漸漸(ぜんぜん)たり」と亡国の嘆きを詠ったと云います。
━麦秀之嘆━ばくしゅうのたん
物事を恐れず敵するものがない、
また、大胆でものに動じることのないさま。
「彼は、見かけはものやわらかだが、いざとなるとこっちがびっくりするような大胆不敵な行動に出ることがたまにあるよ」
━大胆不敵━
才能のある人は、
とかく病気がちであるということも多い。
病は気から。心が開花せず才能は発揮されない。
治る病気なら心次第で早く治り、
たとえ、助からない病であるとしても命ある限り才能を開花していこう、
この気持ちが最も大切なことなのです。
━才子多病━さいしたびょう
朱子学に於いて、「物に格(いた)り知を致す」と読み、
天下の事物に備わっている理をきわめ格ることで、自分の知識を推しきわめ得るとする。
陽明学に於いては、「物を格(ただ)し知を致す」と読み、
物は外界の事物ではなく、自分の意のあるところ、心の向けられる対象で、その不正を正すことで良知を得ることとしています。
前者は主知主義であり、後者は人の心の本得的作用を重んずる唯心主義ということです。
主(タダノ論人)が今回語る、「人の生き方」もこの後者の考え方から述べさせて頂いている思考主義からであります。
━格物致知━かくぶつちち
「石に漱(くちすす)ぎ流れに枕(まくら)す」
晋の孫楚が、「石に枕し流れに漱ぐ」というべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」といってしまい、誤りを指摘されると、
「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは俗事を聞いた耳を洗うため」と、こじつけたという故事があります。
負け惜しみが強く、色々と理屈をつけて間違いを正当化することの意です。
夏目漱石の号は、この故事からとったものとされ、
また、“さすが”に“流石”という漢字を当てるのもこれによるとされています。
━漱石枕流━そうせきちんりゅう
酒や料理を並べた宴会の席で、談笑のうちに交渉を進め、
相手方の気勢をかわしながら有利に事の交渉をする。
また、外交交渉で国威を輝かすこと。
国際間交渉。
「樽俎」は、酒樽と肉をのせる台のことです。
━樽俎折衝━そんそせっしょう
葬式を出した家の人は、忙しさのために、
つい飼い犬に餌をやるのを忘れてしまい、その犬はやせ衰えてしまう、
その家の人も同じく食事をとってなく、やせ衰え、元気のないようす、というたとえの意です。
━喪家之狗━そうかのいぬ
新たに事業を興すことも難しいが、
その事業を衰えないように維持していくことは、尚いっそう難しい。
「創業は易(やす)く守成は難(かた)し」
唐の太宗が臣下に創業と守成とはどちらが難しいかと問うたのに対し、功臣のギチョウが答えた言葉です。
━創業守成━
死後の名誉を得るよりも、
今すぐ一杯の酒を飲むほうがよいと思う心。
後で大を得るよりも、今の小を良しとするたとえです。
「とにかく今日のところは、あまり深く考えずに、即時一杯の酒でも飲みかわそう」
━即時一杯━
格式が高く、演技が達者で人気のある役者さんのことで、
技量が文句なく優れている人です。
社会へ転じて、
「やっぱり彼は千両役者だよ。何をやらせてもそつはない。そして、なんと言っても人扱いがうまいよ、とても我ら凡人にはあんなふうな真似はできない」
━千両役者━
今まで誰も手をつけたことがないようなことに、
手をつけてみるのも良い。
これまで一度として足を踏み入れたことがない所に、
踏み入って行くのも良い。
人生、思い切りも必要な場合はあるでしょう。
━前人未到━前人未踏━
鴻(オオトリ)が雪解けのぬかるみの上に残した爪の跡は、束の間に消えてなくなります。
また、鴻が飛び去った方向を知る由もなく、その痕跡さえも何一つ残ってはいなく、行方は知れない。
転じて、人生のはかなさや、薄れゆく昔の記憶、故人の思い出などについてたとえています。
━雪泥鴻爪━せつでいこうそう
竹の絵を描こうとするとき、まず完全な竹の形を思い浮かべたのちに筆をおろすという意から、
あらかじめ心に決めた計画を持ち、
また、確かな成算があることのたとえです。
━成竹胸中━せいちくきょうちゅう
粗悪品でも、紫色に染め上げるだけで価格はもとの十倍にもなるということから、
賢者が豊かな知識を用い、災いを転じて福となし、失敗を成功へと導くことにもなるということです。
「斉紫」とは、斉の国で産する紫色の布地のことで、「敗素」は、粗悪な白絹です。
斉紫は粗悪な白絹を染め直したものであったと云います。
━斉紫敗素━せいしはいそ
胡馬(こば)は中国北方の胡国に産する馬。
胡馬は、他国にあって、北風が吹いてくると故郷を思って、いなくなるということから、
故郷は、懐かしく忘れ難いものなのでしょう。
━胡馬北風━こばほくふう
死んだ者を生かし、白骨に肉をつけるという意から、
大恩に感謝をする、という意味があります。
どん底の境遇にある者を助け上げる、いつくしみの心の大きいことを言います。
━生死肉骨━せいしにっこつ
自分の身に次から次へと降りかかり、それを満たす欲望。
その我慢しきれない自分の欲望をおさえて、人間生活の基本である礼の道に立ち返る。
「己れに克(か)ち礼に復(かえ)る」
仁の精神について述べたことばです。
━克己復礼━こっきふくれい
晴れた日は外に出て田畑を耕し、雨の日には家で読書をする、
このように、思いのままのんびりと生活する。
「退職後は、そうあくせく働いてもしょうがないから、田舎にでも引っ込んで晴耕雨読の暮らしをしていくつもりだよ」
━晴耕雨読━
中国春秋時代、呉と越は仲が悪く、激しく戦っていたが、
両国の人がたまたま同じ舟に乗り合わせて暴風に遭ったとき、協力し助け合ったと言い伝えられています。
仲の悪い者同士、敵味方が、たまたま同じ場所に居合わせても、
共通の困難に対しては、敵同士でも協力し合う、という人間の本質を理解することを意味します。
━呉越同舟━ごえつどうしゅう
新しい人との、つきあい方は大変に気を遣う、そのように悩まれる人は多いです。
世間や会社、その合わせた社会での挨拶、つきあいの為にいう馴れ合い言葉やほめ言葉。
うまく喋らないといけない、失礼のないように喋らないと駄目だと、目をまわしながら言葉選びに翻弄し、その気苦労は多いでしょう。
しかし、相手もそれは熟知している大人、として見方を変えると、
「社交辞令とわかっていても、そう言われれば悪い気はしないよ」
と、こちらの心情は伝わるものなのです。
━社交辞令━
空に浮かび漂う雲と、流れる水のように、
他の力に逆らわないで、
自然のまま滞りなく、ゆうゆうと動く。自然のままに任せて行動する。
裏表のない人は、かつてそのように生きて来た実力ある人と、どこかで繋がるのもしれません。
━行雲流水━
自分の描いた絵に自分で賛をすることから、
自分で自分のしたことをほめるということです。
“賛”とは、絵画に書き加える詩や文。
自画自賛も度が過ぎると聞き苦しいところもありますが、自分を褒め称え、今後の活力をさらに大きいものとし加えていく上では、とても意義ある自賛といえます。
━自画自賛━
人は、本能、生活習慣などのままに行動して、失敗を重ねながら、次第に適応するようになります。
また、解決の見通しがなかなか立たない場合、様々なことを試みて失敗を繰り返しながら、次第に目的に到達していきます。
「誰でも最初から出来る訳ではない、一度にうまくいくはずもない、何度も試行錯誤を重ねながら覚えていくものだ」
━試行錯誤━
“虚霊”は、人が天から受けた徳性がはかり知れないほどすぐれているということで、
その徳を行う正しい品性を持つ心は、目には見えないが、働きは明らかで、物欲にくらまされてはいない。
さながら万物を照らす鏡のようなもの。
心の実体と働きを形容しています。
━虚霊不昧━きょれいふまい
深く考えないで知り、学ばないで行うことのできる、
また、経験・教育によらず、人が生まれながらにもっている正しい知識と能力。
これらを携わっていることへの、
子が父母を敬愛することなどにいう、としています。
━良知良能━
この世に存在する全てのものは、生滅転変してとまらない。
また、人の世の移り変わりは極めて速く、思いもかけず人の死が早くくる。そして人生ははかない。
「無常」は、サンスクリットのアニトヤ(不確実な)の訳です。
━無常迅速━
霜のおりる季節になるとやがては氷が張るのだろうと予期をし、
そういう前兆によって、あらかじめ災いに備えようと準備にかかり戒めるということです。
「秋霜之戒」と同じです。
━履霜之戒━りそうのいましめ
力の勝るものが勝ち、劣るものが負ける。
生存競争で強いものや環境に適したものが生き残って栄え、
弱いものや環境に適さないものが衰え、滅びてゆく。
実力と格差とは違うという意味も含まれています。
━優勝劣敗━
竹は一端に割れ目を入れると一挙に割れていく性質があります。
紀元二八〇年、晋が呉を滅ぼしたとき、晋の将軍ドヨが、
「今、兵の士気は大いに高い。たとえれば竹を破るようなもの。節をいくつか割れば後は自然裂けてしまうものだ」
と言って、一気に攻めたところ呉の軍勢は戦わずして降伏したといいます。
━破竹之勢━はちくのいきおい
西方の極楽浄土に至る道の途中で、水の河と火の河の間にある、幅四、五寸の白い道です。
衆生の貪りを水の河に、怒りを火の河にたとえ、衆生がその間に挟まれた煩悩中に生ずる清浄な往生を願う心を白道にたとえたものです。
凡夫も釈迦のすすめと阿弥陀仏の招きを信じて、念仏すれば西方浄土に往生することができるとされています。
━二河白道━にがびゃくどう
人の道に背いたひどいこと、
はなはだしく人倫に背き、道理を無視した行い。
━大逆無道━だいぎゃくむどう
人の心は煩悩でけがれているが、
その心の外には仏はなく、衆生の心がそのまま仏であるということ。
━即心是仏━そくしんぜぶつ
“庭訓(ていきん)”は“庭訓従来”の略称で、
正月から十二月までの手紙の模範文例を集めたものです。
“庭訓従来”を手本に書を習う決心をしながら、三月あたりまでいくとやめてしまう。勉学などの飽きやすいことのたとえです。
━三月庭訓━さんがつていきん
学問はまず手近な基本から学んで、
順々に高く深遠な段階に進み、それを極める。
━下学上達━かがくじょうたつ
中国春秋時代、前四九六年、越(えつ)を伐った呉王コウリョは戦に破れ負傷して死にました。
その子夫差(フサ)は、父の仇を忘れない為に薪の上に寝て、出入りのたびに人に、
「夫差、汝は越人が父を殺したのを忘れたのか」と呼ばせました。
一方、夫差が復讐を誓っていることを聞いた越王勾践(コウセン)は、先手を打って呉を攻めたが、逆に会稽山に追い詰められて降伏しました。
和議によって一命を助けられた勾践は国に帰り、苦い胆(きも)を座右に置いてこれをなめ自らに、
「会稽の恥を忘れたか」と日夜言い聞かせました。
それから二十年後、越王勾践は呉を破り、夫差は自害して果てたといいます。
この故事から、仇を討つ為に艱難辛苦して自らを励ますことを、
━臥薪嘗胆━がしんしょうたん
辛い事や困難に遭って苦しみ悩む、苦労すること。
━艱難辛苦━かんなんしんく
思ったこと、考えたことを偽らずに、そのまま表すこと。
━一意直到━いちいちょくとう
ある信念を得て心が動かないこと。
先の見通しが確定して、少しも不安のないこと。
━安心決定━あんしんけつじょう
ぐずぐずしていてなかなか決断できず、
その決定が著しく遅い人。
その人の人格と性格、理解したいが、そう悠長に考えていたのでは埒があかない。
「最後の最後で決められない、自分の優柔不断に愛想をつかす」
と、自ら思い込むのもまた情けないが、反面、落ち着いてゆっくり考えてから決めてほしいと思う、最愛なる人、そのただ一人が待っているいるのだと、そう思う気持ちも大事にしたいものです。
━優柔不断━
酒宴のあと、杯や皿などが散らばり、乱れている有り様。
“狼藉”とは、乱雑なことを言いますが、また、狼が草を籍(し)いて寝たあとのありさまをいうとも言います。
酒宴は、飲んで騒いでだらしなく語り合う、
それが大目に見られる恒例の社会行事なのです。
━杯盤狼藉━はいばんろうぜき
臣下がひそひそと謀反の相談をする。
漢の高祖が天下を平定した後、諸将が砂の上に座って語り合っているのを望見しました。
不審に思って部下に尋ねたところ、
「論功行賞がなかなか決まらず、身の処遇が定まらないのを不安に思い、謀反の相談をしているのです」と答えました。
高祖は大いに憂い、自分の最も嫌っていたヨウ歯を候に封じ、諸将の心を落ち着かせたと云います。
━沙中偶語━さちゅうぐうご
目的を定め、目標を持ち終始一貫してそれを最後までやり通し、
じつに立派な成果をあげること。
この過程は、並々ならぬ努力と邁進する気持ちと、人間たちとの葛藤は、ないはずはないのです。
語れば長し
「有終の美を飾る」
━有終之美━
悪人や怪しい人物が、時を得てわがもの顔で振る舞う。
種々の妖怪、夜の闇にまぎれて歩き回る。
妖怪に喰われたいが為に、夜の闇へと沈む少女たち、
“夜行”は照らさないと何も見えない。
━百鬼夜行━
美しく飾った、聞いて心地よいことば。
最近では内容のない空疎なことばの羅列を、多少皮肉まじりに軽蔑していう場合が多いです。
「どんな美辞麗句を並べたって、心のこもっていない祝辞など聞きたくもないですね」
━美辞麗句━
中国の春秋時代、魯(ろ)の尾生が橋の下で女と会う約束をしたが、女は来ず、そのうち水かさが増してきました。
だが、それでも尾生はその場所を去らず、柱を抱いて死んだという寓話から、
信義に厚く、また、愚直で融通のきかないということ。
━尾生之信━びせいのしん
二人の人柄、技量、才能が接近しており優劣のつけがたいこと。
「伯仲」は昔の中国の兄弟順の呼び方で、上から伯、仲、叙、李といった。
似たり寄ったり、「兄たり難く、弟たり難し」も同じ意味です。
━伯仲之間━
中国の春秋時代の人で、琴の名手であった伯牙(はくが)は、
自分の弾く琴をよく聴いていた友人の鍾子期(しょうしき)が死ぬと、その音を聴く者がいなくなったことを嘆いて琴を壊し、その後二度と琴を弾かなかったといいます。
親友の死を悲しみ悼む、その心情の大きさを表現した話です。
━伯牙絶絃━はくがぜつげん
戦乱などで生き別れになった夫婦が、無事に再会すること。
中国の南北朝時代、陳が隋の文帝に滅ぼされたとき、侍従の除徳言は一枚の鏡を真っ二つに割って一方を妻に渡し、再会のときの証としました。
後にそれが縁となって再会を果たし、故郷へ帰ることができたと言います。
この故事から、
夫婦の離婚を“破境”というようになったとされます。
━破境重円━はきょうちょうえん
車の上で燃えている薪の上に盃一杯の水を注ぐ、
だが全然、役に立たない。
しかし、非常事態に出くわすと、何か、何かをやらなければと、人は考えるものです。
それが、焼け石に水でも。
━杯水車薪━はいすいしゃしん
すぐれた人、衆に抜きん出て賢いひとを錐(きり)にたとえて、
袋の中に入れた錐は、たちまちその先が出てしまいすぐわかる。
すぐれた人は衆人にまじっていてもすぐ才能が現れて目立つということです。
━嚢中之錐━のうちゅうのきり
「渡りに船を得たるが如し」
渡し場で都合よく船に乗れるという意味で、必要とするものや状況が望む通りになること。
また、この中には仏の慈悲にあずかるという意味も含まれています。
━如渡得船━にょどとくせん
鵬(おおとり)が南海に向かってはばたこうと翼を広げるように、大事業を計画し雄飛を企てる大きな志。
鵬は中国の想像上の鳥です。
その背中は何千里あるかわからないほどの大きさで、それが飛び立つときは、三千里の間翼で水面を打ち、つむじ風にのって九万里を飛び、六ヵ月も休まずに飛ぶと云われます。
━図南之翼━
駑馬は足の遅い馬で、人間にとっては才能の劣っている馬。
一駕は馬車の一日の行程のことだが、駑馬も十日行けば駿馬の一日の行程と同じだけ進ことができる。
才能のない者も、努力すれば秀才と肩を並べることができるというたとえです。
━駑馬十駕━どばじゅうが
兎は、月を見て孕(はら)むとされることから月を、
烏は、太陽のなかに三本足のカラスが棲むとされることから、日・太陽を意味する。
そこから、歳月、月日が非常に早く過ぎ去るという意で、
━兎走烏飛━とそううひ
羊の番をしていた下男下女がおりました。
下男は読書に、下女はサイコロ博打に夢中になって、羊の逃げたのに二人とも気がつかなかったという故事より、
「書を読みて羊を亡(うしな)う」
他のことに気をとられ、肝心の仕事がおろそかになるということです。
━読書亡羊━
読書するのに適した三つの余暇。
「春秋左氏伝」の注で有名な董遇が、弟子入りしたいと申す者に、
「まず何度も読み返しなさい。そうすればその言わんとするところは、自然にわかってくるでしょう」と言うと、
「いやとてもそんな暇はありません」
「いやいや、三つの余りをそれにあてればよい。冬は歳の余り、夜は日の余り、雨の日は時の余り」
“読書三余”の由来です。
━読書三余━
読書は言うまでもなく本を読むことです。“とくしょ”とも言います。
中国、南宋の哲学者朱子が唱えた読書の三つの方法で到は集中のこと。
書物を理解するには心到・眼到・口到にあると言います。
もっとも大事なのは心を集中することで、次いで目でよく見、声を出して朗読すればその真意を汲み取ることができます。
━読書三到━
土で作った牛、木で作った馬。
形はいくら本物そっくりでも、田畑を耕すことも荷物を運ぶことも出来ません。
転じて、門閥があって才覚はまるでないということです。
大会社の二世、政治家の卵もこのような者が少なくはないのでしょう。
━土牛木馬━
同じものに党(くみ)し、異なるものを伐つ。
道理の有無によらず、同じ仲間の者に味方をしてこれを助け、
反対する者をただ攻撃する。
社会はこのような仕組みで統率されているのです。
━党同伐異━とうどうばつい
人を偽り騙したり、人を操り騙したり、この手段を熟知しそれをこなす手際良さもまた別格である者。
このような連中と付き合っていたんじゃ、身上を全て巻き上げられてしまいます。
━手練手管━てれんてくだ
生存競争では、下界の状態に最も適応したものが生き残る。
「敵者生存の世の中にあって、そんな不平不満の泣き言ばかり言ってたのでは取り残されてしまう」
と、イギリスの哲学者スペンサーは提唱しました。
━敵者生存━
功労者には必ず賞を与え、
罪を犯した者は必ず罰する。
しかし、背景には、生ぬるい体質が横行し、真実はうやむやとなる。
あぶれ出た者だけが、犠牲となり世の晒し者となる現実。
強い信念、決意、一丸となり、皆そのつもりで仕事をしなければならないと気がつく、
これがトップの願いである。
━信賞必罰━
世の中には、鬼神のように自由自在に現れたり、はたや隠れたりして居所がなかなかつかめない人間がいる。
現れたと思ったら素早く隠れたり。
必ず何か世間の目をそれに向かわせ、驚かす者が存在する。
━神出鬼没━
ジェントルマンは上品で礼儀正しい男、いわゆる紳士と呼ぶ。
その当事者間には絶大なる信頼があり、相手に全て信用を預ける。
この間に、誰もが入り込む隙間はない、非公式な協定。
この約束事は、常人には想像の範囲を超え、はかりしえないものだ。
沈黙はこのような世界もあるのです。
━紳士協定━
“人生”と呼ぶに等しい時と思う年は、
人それぞれどの局面に達している時期なのかはまた、人それぞれ思いの観点が違います。
汚れた水を捨てるに捨てられず、その濁った心を常に保ち続け、自らを濁らせてしまう。
しかし、ある動機により、気持ちがすっかり変わり、今までのことは水に流してしまおうと、
協力してやっていこうと頑張れる決意を持つことも、不思議と現れてくるものです。
━心機一転━
多数の兵力を動員し、損害は覚悟の上で数の力で敵を打ち破ろうとする戦術。
戦国時代はそうであった。
それを現代へ転じると、
災害時、社会物事、非常事態に陥ったとき、多数の人間を投入してその対処をする道理があるということです。
元々の人力による生産、機械に頼れない事態に比較した人力、
人が動けば事態は救済され時代は明日へと繋がる。
人を救うのも打ちのめすのも、数ある人の力の合計で導いていくものであるということです。
━人海戦術━
時代はたえず経過をし、この世にある全てのものもたえず移り変わっていき、
永久不変なものは何一つないのである。
人の心も同じく時代と共に変化していくものである。
「近頃、年をとったせいか、世の中こうも変わってきたのをな、何だか強く感じるんだよ」
━諸行無常━
過去の所行の善悪により、現在の幸や不幸があり、
現在の所行の結果、未来における善悪の果報が生じる。
良い行いにより善の果報、悪い行いにより悪の果報がある。これが仏教の教えです。
しかし、悪行というのは、それを自覚していて敢えて行う不届き者の人間であるから、
返ってくる果報などとうに見す越していて、それに対比や回避をできる苦案や秘策などを既に考えている者が多い。
よって悪の果報を受けるかどうかはわからないと言える。当人がそれを果報だと罪を認めて、初めて自覚をするからである。
要するにこの世で罰を受けるか、あの世の地獄で受けるのか、それを決めるのは誰なのか、
ということなのです。
━因果応報(因果報応)━
悩み、議題、解決策を見つけようと様々あらゆる人から、色々な意見が入り込む中、
それらが入り乱れいずれが真実なのか見当もつかなくなる場合もあります。
解決するどころかますます混乱状態と化してしまう。
こういう時こそ、自分思想を合わせ、辻褄の合うものとした意見を取り合わせることで、一件解決とする意思は大事です。
━諸説紛々━
気が小さくてちょっとしたことにもびくびくするが、根は細かい所まで心配りが行きとどく心の持ち主です。
しかし、何ともうやうやしいようすで、
真面目すぎるゆえ、何でも受け持つ性分があるので、取り越し苦労ばかりしてしまう。
こんなようすでは頼りにならないと見られてしまう場合も多々あるのです。
━小心翼翼━
口と耳との感覚が近いという意味より、
人から聞いた内容を理解もせず受け売りする人もいる。
まず理解をした上で人へ語る位の勤勉さはほしいものだ。
そうでないと自分の身に付かない学問と同じことなのです。
━口耳四寸━
何だかんだ深刻なお話だからと、時間を割いて相手の話を聞くが、殆どは愚痴といえるような無駄話である。
なかなか本題へと入り込む勇気と隙間ときっかけがないまま、お騒がせでしたと軽いお話しで終わってしまう、さては。
━閑話休題━
貴様なんぞ眼中にないと、何者も恐れずおごり高ぶって、人を人とも思わず問題にしない。
この傲慢な人間にも人生愛する孫娘がいるもの。
決して根っからの非情人間ではない。
育ちの上の思想なだけである。
━眼中無人━
自分に都合のよいように自分の田へ水を引き入れる、
自分の利益を第一に考える、その行動は動物の本質です。
人は進化した動物。
強引に自分の都合のよいように取り計らう知恵を備えてしまいました。
得をする、この知恵を得た者は、さらに知恵を働かせる努力をします。
それが現代の人間の進化なのです。
━我田引水━
“怪”は不思議なこと
“力”は勇気ある強い力
“乱”は道徳に背き正義を乱すこと
“神”は鬼神
これらを合わせると、理性で説明できる範囲など、とうに超え、
人知では推しはかれないものである。
━怪力乱神━
一か所の領地に生命をかけ、生活を決め、
そこに一心に骨を折る決意。
簡単には言うが、その中には蠢くすざましい葛藤がひしめいている。
頑張ろう、などと安易に言える世界でも美談でもないのである。
しかし、大抵の人は、綺麗な美談で支持されたいと思う。
陰の暗略、陰謀、妬み、その全てを裏とし封印し、明るい優しさ、思い遣り、助け、このことのみが表出され、それが美談と語り広まる現実。
背景には、個人の偽りと努力、最も弱い個人的好みが大きく加わっている、現実はこのような社会である。
これから派生した「一生懸命」という言葉が美談語となっている。
━一所懸命━
この世に出会った人も、人生ははかなく無情なもので、
縁で結ばれた者、縁で知り合えた者も必ず別れが訪れる運命にあります。
それは思い起こせば悲しい思い出ばかりが浮き出し、その心情は何事にも変えることは出来ない。
しかし、現実であることを噛み締めて生きていく、この先は見えぬとも。
━会者定離━
権力とは人を動かす力と富を得ることである。同時に動かされる者たちの幸せを一心に背負っていることでもある。
栄えときめくのは権力者だが、その背を見て生きる者たちへの明日をひっぱらなければ、ただの贅沢三昧肥えた豚である。
そんな豚になるか、豚をさばいて料理し食って生きるか、その人間の資質にかかっているだろう。
一般か、超えた世界か、その者の生きる土台が今、どこにあるのかは、それぞれなのです。
━栄耀栄華━
運を信じて生きるのも良いが、
その良し悪しは全て天の思し召しであり、逆にいうと運を天に任せるということです。
明日の飯を賭けた運なら食欲。
自分趣味を賭けたライフワークなら半人生。
幸福を賭けたパートナー選びなら生涯。
人生を賭けた仕事選びなら一生。
この人物の在り方を賭けたならその命そのものである。
━運否天賦━
人生一大事。元気がありすぎて意気込み盛んな状況であるときは、誰でも直面する。
しかしここに精神の落とし穴が幾つか潜んでいる。
「行きはよいよい帰りはこわい」
こうならなければよいのだが。
━意気軒昂━
海に千年、山に千年棲んだ蛇は竜になると云う。
長い間の経験の中で、地べたを這いつくばり泥まみれの境遇であった時。
人間の欲望を満たす為ならどんな美味しいものを揃えれば満足するかを知り、それを与え尽くして相手を喜ばすことに精進した時。
金やポストを手に入れる目的なら金を持つ人間達の飼い犬にもなってやる心情。
この様々な経験から世の中の裏も表も知り尽くした悪がしこい者にもなる。
━海千山千━
物事には、一方で利益がある反面他方で害がある場合もある。
商売の上で決まった量の利益を得ることができるものを、二つの会社が仲良く分けるところが、第三者の介入によりその利益を奪いに来たとき、その者を排除できる決まりも法律もない。
結局そこに何が生まれるのかというと、利益の奪い合いとも言える戦いが生じてくる。せっかく仲良く平和に利益を分けたかったのに、いらぬ戦いをしなければならない苦痛と不本意な思い、これを余儀なくされてしまう。
負けた者は本来入るはずであった利益が得られず、このままでは首をくくらなくてはならない。生きるためには何だってやらなければならない覚悟をもしなければならず、日々葛藤する毎日になるだろう。それが悪行と解ってはいても抜け穴を探りながら生きていかねばならない。
社会の縮図時代、このような背景も存在していることは確かです。
━一利一害━
釈迦が誕生したとき、七歩歩いて右手で天を、左手で地を指差し、「天上天下唯我独尊」と唱えました。
この世に誰ひとりとして自分に及ぶ者がないということです。
転じて、自分ほど偉い者はいないと自惚れていること。
━唯我独尊━
中国の仙女、麻姑。
鳥の爪のように長い爪をもつ。
後漢の蔡経がそれを見て、
かゆいところならどこでも届き、さぞ気持ちが良いであろう、と思ったという。
物事、思い通りになるだろうとのたとえです。
━麻姑掻痒━
もつれた麻をよく切れる刀で断ち切るように、
複雑にからみ合った物事やこじれた問題などを、手際よく明解に処理をする。
どのような難問も苦問も速やかに解決することは、先を見いだせる土台となります。
━快刀乱麻━
舟を飲み込むほどの大きな魚。
大魚も水を離れると、ケラやアリの思うままである。
聖人賢者もその地位を失えば、小人物にもばかにされるということです。
地位を守るべきものとは、このような意味合いも含まれているのでしょう。
━呑舟之魚━どんしゅうのうお
昔、斉の荘公が猟に出かけた時、一匹のカマキリが前足を上げてその乗車に打ちかかろうとしました。
荘公が御者に「何という虫か」と聞くと、御者は「これはカマキリといい、進むことを知って退くことを知りません。自分の力も知らずに相手を軽んじるものです」と答えました。
荘公は「もしこの虫が人間ならば、必ず天下の勇者となるだろう」と言って、カマキリを避けて通ったといいます。
ここから“蟷螂が隆車に向かう”
“蟷螂車を返す”などのことばが出て、力の弱い者が自分の力量も考えずに強敵に向かう、このような者も世の中にはいるのだということです。
━蟷螂之斧━
天人の着物には縫い目のような作られた跡がないということから、
性格や言動が無邪気で屈託のないということ。
また、詩や文章にわざとらしい技巧の跡がなく、ごく自然に書かれていて、しかも完全で美しい。
━天衣無縫━
ある事柄に適した才能を持つ者を、それに適した任務、地位につける、またはつかれることは大事です。
向かない仕事は早急に切り上げ、本人に適した仕事を与える、または与えられれは、その時こそ本領発揮となるでしょう。
━適材適所━
この世の現象は全て留まることなく移り変わっていきます。
一時、天下をとったような勢いであった人も、今ではおちぶれて見る影もないぼどの有り様となり得ます。
変われば変わるものです。
━有為転変━
社会では、誰しも誤りをしてしまうことは当然起こります。
頭を下げ、身を低くして恐縮しながら平謝りを繰り返す、その姿勢は必要です。
悪気はないのだから、その低頭姿勢が通じ、人から許しを受けるのです。
━低頭平身━
手のひらを上に向けると雲がわき、下に向けると雨が降る。
手のひらを返すように、人情の変わる人も沢山います。
少しのことで心変わりするというのは、信用できるはずもありません。
━翻雲覆雨━ほんうんふくう
中国、常山に棲む率然という両頭の蛇は、
首を打たれれば尾が助け、尾が打たれれば首が助け、胴を打たれれば首、尾が共に助けたといいます。
先陣と後陣、右翼と左翼が互いに連絡しあい、攻撃防御する陣形です。
━常山蛇勢━
中国、戦国時代の思想家、墨子は白い糸を見て、
それがどんな色にも染まるのを知って泣いたといいます。
人は習慣、環境によってその性が善悪どちらにでもなり得るだろうと。
━墨子泣糸━ぼくしきゅうし
感情を偽らず、自分が思うままに行動し、
相手の思惑などを顧みない。
“直情”とは、偽りや飾りのないありのままの感情です。
“径行”とは、曲げないで行うことです。
━直情径行━ちょくじょうけいこう
君主が徳を修めていなければ、共に一つ舟に乗り合わせているような利害共通している人々でも、敵同士になることがあるという。
味方であっても、たちまち敵になる事態に発展してしまう場合もあります。
━舟中敵国━
シギがドブガイの肉をついばんだところ、ドブガイが殻を閉じてしまったのでくちばしを挟まれてしまいました。
両者が争っているところを漁師は、まんまと両方共せしめてしまいました。
第三者が当事者間の争いに乗じて、ちゃっかり利益を横取りすること。
生き方のうまい人。
━漁夫之利━ぎょふのり
初代が苦労して財産をつくり、それを見て育った子の二代目はその遺風をよく守るが、
三代目の孫の代になると、生活が贅沢になりついに父祖が築いた家産を傾けてしまうことが多い。
長者の家は三代よりは続かない、もしくは難しいといいます。
━長者三代━
普段、日常において、
歩くこと、一定の所にとどまること、坐ること、寝ること。
この四つの動作ふるまいを仏教では四威儀(しいぎ)といい、それぞれに守るべき規則や制約が定められています。
━行住坐臥━ぎょうじゅうざが
たきぎを抱えて火を消しに行く。
災害を防ごうとして自分も巻き込まれ自滅してしまう。
また、災害を食い止めようとしてかえって害を大きくしてしまう。
「薪を抱きて火を救う」
こうなっては元も子もないと言えます。
━抱薪救火━ほうしんきゅうか
昔、ソ公が飼っていた猿にトチノキの実を与えるのに、朝に三つ夕方に四つずつ与えようと言うと、猿は大いに怒ったので、では朝に四つ、夕方に三つずつではどうかと言ったら、喜んだという。
目先の違いばかりにこだわり、全体から見れば結果は同じであることに気づかないということです。
今での生計、暮らしにも置き換えられます。
━朝三暮四━ちょうさんぼし
一歩も外に出ず、家に閉じこもって読書に没頭する人。
楚の孫敬は、常に戸を閉じて読書にふけり、眠くなると首にかけた縄を梁にかけ、眠らないようにしていたが、
ある日、市に出たところ人々が珍しがって、閉戸先生が来た、と言ったという。
━閉戸先生━
昔の杓子の柄はひどく曲がっていて、とても定規にできなかった。
それでも無理に定規に用いるしかなかった、ということから、
決まったただ一つの形式・基準・規則などにとらわれて、応用、融通のきかないことのたとえです。
「そんな杓子定規な言い方されると、皮肉のひとつでも言いたくなります」
━杓子定規━
徳川幕府は諸大名を統制し、その軍事力を統制するため、元和元年(1615年)六月“一国一城令”を発し、諸大名の居城以外の城を破却させた。
「一国一城の主」。
小さくても国を領し、城を持って主君と仰がれる人という意で、
現代では、広く独立して事業を営む人を尊厳して言います。
━一国一城━
いくら頑張っても周囲が反対する敵ばかり、一人の味方や助けがないのは、実に悲しいことです。
しかし、正しい事、決断した事、これはやらなければいけないこと。
仲間が次々と脱落していくなかで葛藤する心境。
━四面楚歌━
孟子の母、孟子の幼時、家は墓地のそばにありました。
孟子は埋葬のまねをして遊びました。
そこで母子は市場のそばへ移ったところ、今度孟子は商売のまねばかりをして遊んでいました。
次は学校のそばへ移ったところ、孟子はいつも礼儀作法のまねをして遊ぶようになったので、母はついにその地に住まいを定め、礼儀作法に親しませたといいます。
教育は環境からの感化が大きいという教えです。
━孟母三遷━もうぼさんせん
激しい風が吹いて初めて風にも吹き折れぬ強い草を見分けることができます。
苦難や相当な事変に遭遇して初めて、その人の意志や節操の強固さが理解できます。
逆境を通し初めて、その人の真価がわかるという意味です。
━疾風勁草━しっぷうけいそう
“六根”とは、人間に迷いを生じさせる原因となる六つの器官のことです。
眼・耳・鼻・舌・身・意をいいます。
六根の執着を断ち清らかになるということは、心の執着をも清らかになるということです。
━六根清浄━
囲碁や将棋のような、狭い所で楽しむ趣味を持つのも良い。
中国の巴キョウで昔、ある人が大きな橘の実を割ったところ、その中で二人の仙人が囲碁を楽しんでいたという。
━橘中之楽━きっちゅうのたのしみ
たった一人で千人の敵を相手に戦えるほど強く、群を抜いて優れた勇者。
転じて、知識や技術などが極めて普通との比較にならないほど優れている人ということです。
「あの会社は人数こそ少ないが、いずれも一騎当千の強者揃いだから、安心して仕事を任せられる」
━一騎当千━
若い時分には派手に遊び暮らした者が、
年老いてから枯淡な生活を楽しみながら余生を送りたいと思う心境は誰にでも訪れるでしょう。
“鬢糸”は髪が薄くなり白髪となっていること。
“茶烟”は茶をわかす煙です。
━鬢糸茶烟━びんしさえん
中国、桓山(カンザン)のある鳥が四羽の子を生んだが、これらの子が成長して飛び立って行くとき、母鳥が悲しんで鳴いて送ったという。
人の子供も同じ。成長した我が子を親元から世間へおくりだす心境は、悲しみと期待を込めた深い心情なのでしょう。
━四鳥之別━
仕事ではさっぱりパッとしないものだが、遊びとなると天の果てから落ちてきたような奇抜な考えが浮かぶ、このような人も多い。
普通の人では到底思い付かないような話や事柄が、あれこれと浮かんでくる。
偉人的な不思議な能力でもあるのでしょうか。
━奇想天外━
人生において、日常や社会経験により自然と身に付いた技術、思考から
先の動向や変化を見極めて予想し計画を立てる中、そのすべてが狙い通りに的中する。
矢や弾が発射するだび的に命中すると同じ考え方です。
矢や弾は計画です。
━百発百中━
昔、中国の杞の人が、天が崩れ落ちはしないかと心配し夜も寝られず、食事も喉を通らなかったという。
心配しなくてもよいことを、あれやこれやと心配しても、取り越し苦労というものです。
現在は「杞憂」の形で使われ、
「今時そんな迷信を信じて悩むなんて杞憂ですよ」
━杞人之憂━きじんのれい
どんなに貴重なものも、人に贈るときには気配りは必要です。
そうしなければ、かえって怪しみ、恨みを招くかもしれません。
宝玉を闇夜に人に投げ与える、
このようなことはしてはいけないのです。
━明珠暗投━
人生一度や二度の失敗くらいで落胆せず、がんばらなければなりません。
何度失敗してもそれに挫けることなく、立ち上がることです。
転じて、人の世の浮き沈みの激しい現実もあるとのたとえです。
━七転八起━しちてんはっき
一度承諾すれば、それが千金にも値する重みがあると言われるのは、たいへん信用があるということです。また、約束は必ず守るべきとのたとえでもあります。
いったん引き受けたことは間違いなく実行するので、人から信頼されるのです。
━一諾千金━
物事に勢いがついてしまって、途中でやめようとしても行きがかり上やめられなくなってしまうとこがあります。
虎の背に乗って走るとその勢いが激しいので、途中で降りたくても降りられず仕方なく行き着くところまで行くしかない、ということです。
━騎虎之勢━きこのいきおい
茶道の教え「一期に一度の会」の言葉があります。
「一期」は、人間が生まれてから死ぬまでの間、すなわち一生涯のことです。
茶の湯では幾度も同じ主客が会に連なるとしても、その会は一生に一度の出会いと思い、悔いの無いようにもてなせ、と教えます。
ここから、生涯に一度会うこと、また、あることを意味します。
━一期一会━
後漢のチンショクが、梁の上に泥棒が潜んでいるのを知り、子や孫を呼んで
「本来、人の性は善であるが、習い性となって悪人となることがあり、その例が梁上の君子である」
と言ったところ、泥棒はおおいに驚き下へ降りて謝ったといいます。
━梁上君子━りょうじょうのくんし
道が幾つにも分かれている所で、逃げた羊を見失ってしまった、
ということから、学ぶ学問の道が多方面に分かれているため、真理を掴みにくくまた、それぞれの方針が様々ありどれを選択して良いのか、思案に迷うことがあります。
目的や目標をまず冷静に見定めて進むべき道を選択する他ありません。
━多岐亡羊━
「危急存亡の秋(とき)」
危難が目の前に迫って、このまま生き延びられるか、それとも滅び去るかという重大なとき。
「秋」は万物が成熟するときでもあるから、大事な時、ということでもあります。
━危急存亡━
「二もなく三もなし」仏となる道は唯一であり、二道、三道はないという考えです。
成仏の道はただ一つ、他にはないということで、
自分の決めた、やる事のほか、脇目もふらずひたすら打ち込むのも、人生です。
━無二無三━
自分の心がけや言動により自身が身動きとれなくなってしまう、そのような苦しい事態になってしまうこともあります。
自分の縄で自分を縛ってしまうとの意味です。
無理難題をふりかける前に冷静に判断する余裕も必要です。
━自縄自縛━じじょうじばく
古代中国の燕の都寿陵の若者が、都邯鄲へ歩き方を学びに行ったが、十分に習い覚えることが出来ないうちに、もとの歩き方も忘れてしまい、やっと這って帰ったという故事から、
いたずらに人の真似をし、自分本心を忘れてしまう事や、自分の力をわきまえず人の真似をして、あやふやな見かけだましになってしまうのは良くないことなのです。
━邯鄲之歩━かんたんのほ
もとは禅宗で仏法の神髄を悟った師は、文字によらず心で直接弟子の心に伝え悟らせることができるといいます。
「心を以て心に伝う」
言わず語らず暗黙のうちに、互いの気持ちが通じ合うこと。
━以心伝心━
双方の意見が互いに対立、または矛盾する二つの命題が同等の権利をもって主張されることがあります。
相互に矛盾はするが論理上ともに正しいため、理性が陥る自己矛盾が発生してしまいます。
ドイツの哲学者カントは完結的全体として世界をとらえようとしてこう呼びました。
━二律背反━
何も才能も功績もないのに高い地位につき高禄をもらい、官位についているだけでその職責を果たさない、そういう人間も中にはいるものです。
何もせずにただ食う、
こう思われないよう何かをしなければいけない精神は必要でしょう。
━尸位素餐━しいそさん
米を作る農民は、米の育成に多大な苦労を払い、そのひと粒ひと粒が辛苦の結晶です。
転じて、仕事や物事の成就を目指しこつこつと地道な努力を積み重ねるということなのです。
━粒粒辛苦━りゅうりゅうしんく
「名聞」とは世間に名誉が広まることで、
「利養」とは利益で身を養い暮らすことです。
名誉と富と、人の二大欲望を持つ。
大抵の人々の思う人生観なのではないでしょうか。
━名聞利養━みょうもんりよう
神聖で霊力を持つ竜が魚に姿を変えた為、漁師に捕らえられたことから、
身分の尊い人がおしのびで出歩いて危ない目に遭うこと。
身分相応をわきまえて自分本位に行動出来る限度を認識しなければなりません。
━白竜魚腹━はくりゅうぎょふく
中国南北朝時代の画家、張ソウヨウは、南朝の梁の武帝に仕え、寺院の壁に多くの仏画を描いた。その立体感ある表現、技量は入神の域に達したといわれます。
あるとき、都の金陵の安楽寺の壁画に四匹の竜を描いたが、睛(ひとみ)を入れなかった。その理由を人に聞かれ、「睛を入れると飛び去ってしまうからだ」と答えました。
しかし、人は信じなかったので一匹の竜に睛を入れました。するとたちまち雷鳴がとどろき稲妻が光り、壁が破れその竜が踊り出し、雲に乗って天へ昇っていきました。睛を入れなかった竜は元のまま残っていたといいます。
この故事から、文章や絵画の最も重要なポイントに一筆加えることをいい、全体的には良く出来ているが肝心なところ一か所が不十分な場合を「画竜点睛を欠く」といいます。
━画竜点睛━
事の善悪にかかわらず少しも逆らわないで、他人の意見に従う、何でもハイハイと他人の言うがままに盲従する。
社会生活の中、この様な人を見たり自分もそうなのかと自覚することは大事です。
━唯唯諾諾━いいだくだく
伯楽という中国の馬の鑑定家がおりました。
馬を売りに出したある男がいたが、なかなか売れないので、伯楽に頼んで馬をぐるっと回って見てもらいました。伯楽はさらに立ち去る時に振り返ってもう一度その馬を見たところ、馬の値段がたちまち十倍になりました。
この古事から、優れた人に認められたり推薦されると、その人や物の評価は数段上がるというもの。
━伯楽一顧━はくらくのいっこ
山の泰山、屋根を支える梁は頼りになる尊いものです。
人も同じです。支える力を持つ者は声なき支援者です。
「泰山くずれ梁木折る」は、賢人君子の死をたとえていう。
孔子が自分の死を予感して言ったという言葉に基づきます。
━泰山梁木━たいざんりょうぼく
人生窮地に陥ること、まれにあります。
三拝の礼、九拝の礼。
何度も繰り返し礼拝して敬意を表す。転じて、何度も何度も頭を下げ物事を頼むこと。
この精神は何事にも通じることでしょう。
━三拝九拝━
大きな山が音を鳴り響かせ揺れ動いている、どうなるのだとそれを見守っていると、飛び出して来たのは鼠一匹だけだった。
前ぶれの大騒ぎも実際の結果はどうってこともなく至極小さいものです。
先入観は時として誤算を招く場合もあります。
━大山鳴動━
瓜畑に入って履をはき直していると瓜を盗むのかと怪しまれ、李(スモモ)の木の下で冠をかぶり直したりすると、李を盗みに来たと疑われるので、そのようなことをしてはならない。
人に疑われるような行いはするなということです。
━瓜田李下━かでんりか
鐘のような大きな器はすぐに作ることが出来ないように、真の大人物は、発達は遅いけれど徐々に実力を養っていき、後に大成します。
元々良い素質を持っているのですから、必ずや成功するのです。
━大器晩成━
物事が思うようにいかない時、その核心に触れず上辺だけで解決しようとしても、もどかしいだけです。
履いた靴の上から痒い箇所を掻いてもあまりその痒さから解放されません。
━隔靴掻痒━かっかそうよう
こだわりはあるのでしょうが、些細なことで言い争うことは、つまらないことを更に大きな物体へと変化させて、その重みにも耐えられなくなり、結局自身が押しつぶされてしまうような事にもなりかねません。
同じ土俵で争っても奪えるものは限られているので、あまり意味がないということです。
━蝸角之争━かかくのあらそい
何の因果か、この世に生まれてきた体と命。
実におしい、もったいない、もっと大切にしようと、ただそう思い生きて行こうと考え、今、辛い意識を変えるのもまた、生き方そのものであると言えます。
━可惜身命━あたらしんみょう
「和魂」とは、「やまとだましい」日本固有の精神です。
「漢才」は、「からざえ」学問としての漢学です。
日本人固有の精神をもって、中国伝来の学問・知識を取捨選択する重要性もあります。
━和魂漢才━
世の中これだけ広いにも拘わらず、世間知らずで自分のいる世界の中だけで幅をきかせ威張りちらしている者もおります。
このような人間もいるのだと、人を観察する目も人として持つ、このことは社会で生きていく為に必要としたい構えです。
「井の中の蛙」「鳥なき里の蝙蝠」という似た諺もあります。
━夜朗自大━
病気や事故などの原因により身体障害を余儀なくされた人や、肉体的行動の苦手な人は先の未来を消失し悲観するのではなく、やれることを出来るだけ考え、
物事広く学問を学び、幅広い知識を得、才能の多い人物を目指すのも、また違う人生となります。
━博学多才━
目標をかかげ信じて生きてきたその願いが遂げられることは、大変安心される思いでしょう。
大願が、神仏のご加護によって叶えられたと本心から感謝する心は、透明ではっきりと前を見る心と同じです。
━大願成就━たいがんじょうじゅ
友を持つことは人生においてあらゆる意味をもたらします。
正直な友、誠実な友、多聞な友、これらの友は交わって利益となる三種類の友人となります。「多聞」とは、多くを聞き知っている物知りのことです。
「益者三友」ともいいます。
━三益之友━さんえきのゆう
「渇して盗泉の水を飲まず熱して悪木の陰に息(いこ)わず」
「盗泉」は中国山東省泗水県にある泉の名です。
孔子がそこを通りかかり、喉が渇いていたが、その名が悪いと言って水を飲まなかったという。
「悪木」は、人びとから悪い木と呼ばれている木で、
どんなに暑くてもその木陰では、身が汚れるので休息しない。
ということから、どんなに困っても不正や不義をしないことと、また、自身清く正しく保とうとする人は、わずかな悪にも近づかないということなのです。
━悪木盗泉━あくぼくとうせん
過ぎ去りし春、散った花は水に流れる眺め。
落花は男、流水を女にたとえると、花は水の流れにまかせたく思い、水は花をのせて流れたいと思うように、男に女を慕う心があれば女も男を思う情が生じて、これを受け入れます。
「魚心あれば水心」
━落花流水━
人は自分に必要な人物を常に置いておきたい気持ちになっていることは自然な心情です。
手なずけて自分の味方にしたい、そして役に立たせたい、内心はこのようなものでしょう。
薬箱の中の薬は、自分の手中にあって必要な時、いつでも役立つ物です。
━薬籠中物━やくろうちゅうのもの
何でもないことに神経を悩まし、結果肉体的にも病気になる心の病。
中国漢の杜宣が上司の家で酒を振る舞われ、杯の中に映った朱塗りの弓の影を蛇と思い込みぞっとしたが上司の手前、無理やり飲み干しその後病気になりました。
のちにそれが壁にかけた弓の影であったことを知ってたちまち全快したといいます。
疑心暗鬼を生じたことでの病の一例です。
━杯中蛇影━はいちゅうのだえい
晴天気は嬉しいものではあるが毎日日照りが続き過ぎると、身も心も干からびていく感覚に陥り、何ともまた活気が失われていくものです。
憂鬱な雨も待ち遠しい前兆が感じられたらそれは、物事(未来への希望)の到来を切望している証です。
後の雨は自身の命を吹き返す恵みとなる程のものです。
━大旱慈雨━たいかんじう
女性は、持って生まれた才能と美しい顔立ちに恵まれて、それに準ずる特例を受け世にはばかり、名声を得る者も少なくない。
その天性の能力をいかに認められ、実力を発揮できるのかは、勿論その当人次第でもあります。
コンクールで優勝するのは美才徳と器量努力も不可欠なのです。
━才色兼備━
生涯の伴侶を共に得る、その想いで契りを交わしたご夫婦も多いことでしょう。
夫婦共に年を重ね、仲睦まじく幸せに暮らし、更に共に年をとり、死後は同じ墓に葬られることを望むでしょう。
このような夫婦の契りは、相当に堅いものです。
━偕老同穴━かいろうどうけつ
人を出迎える心とは、来訪者の中にはどんなすぐれた人物がいるかも解らないので、その人の話を聞き逃してはならないという考え方もあります。
たとえ洗髪中に来訪者があれば、洗い髪を持ったままで出迎え、食事中に訪れる者がいれば口の中の物を吐き出してまですぐに面会する姿勢を持つのです。
どのような場合でも人を待たせず面会する意は、常に賢人を待ち望み熱心に求める、この思いを日常生活にいつも持つ心はまさしく下手の意識あればこその接し方だと感じます。
━握髪吐哺━あくはつとほ━
自身の持つ才徳を隠し表にあらわさず、俗世間に入り混じり目立たないよう生きる人も、少なくないと思われます。
その背景には血のにじむ努力の上、才能を開花しようとしている人物を目の当たりに知った、哀楽と当人に対する希望をや願望を持っていきたいという想いの方が性に合うという信念のもと、自身を見据え、自ら光を隠す影の救世者となる生涯を選択する生き方。
━和光同塵━わこうどうじん
間違いをしてしまう人を人が正そうとする姿勢は、人として行うべきものであると思います。
人を戒めて非を改めさせる忠告や箴言は、人への治療具となりますのでその行動は勇気ある人間の証となります。
「石」は石針で古代の治療具です。
━薬石之言━
人の心は、内心清く澄んだままで
上辺は俗世間に馴染む方法で妥協し、濁り汚れているように見せかける生き方も、ひとつの人生でもあります。
今の居る場所の乱世に身の安全と保身をまず優先しようとのあり方です。
━内清外濁━ないせいがいだく
ある社会や分野で最も優れた力を持つと認められることは非常に優越感を感じるものです。
他に肩を並べる者が誰ひとりとしていないと絶唱されたり思われたりする程、力も尚発揮しようと思うもの。
“やる気”は更に向上心を熱くさせその“時の人”にも成り得る可能性もあります。
「誰が何と言おうとこの分野では彼が第一人者だ」
━第一人者━
人が物事を成そうとした時、占いによって吉凶を判断し、それにより成功させる意志を強く持つ心。
これは大事な決意力であると思います。
「物を開き務めを成す」
“物”は人、“務”は事業の意味で「開成」はこの諺から出た言葉です。
━開物成務━
人は、人の上に立つ社会的地位を与えられる場合も、人生流れの中で多いかと思います。
下位の者二方がいた時、どちらに対しても待遇、権利を平等に与えようとする気構えはとても大事なことです。
━機会均等━
自分自身の力だけでは大きなものは動かせません。
「夷をもって夷を制す」と云うように、他人の協力を得、力を借りながら自分の利益をも生み出す、これは人に対する謙虚さもあって実行に結びつくことであるといえます。
「人の褌で相撲をとる」という諺に似ています。
━以夷制夷━いいせいい
背の低い人が芝居見物に行ったが、前の人のかげになってよく見えないのに、周りの人の批判を聞いて訳もなく同意するということは、物事を判断する見識もないはずなのにおかしい話です。
同意も何も偽りな意思であると同じなのです。
「矮人」は背の低い人。
━矮人観場━わいじんかんじょう
実生活に於いて日々人間関係に悩まれる人も多い昨今です。
時には自分らしさその性格にさらに色を付け、芸を足す仕草が身を助けることもあります。
芸を売って生活を維持していこうと思う気持ち、それを持つのもまた生き方の一つです。
━頼芸求食━らいげいきゅうしょく
同じ屋根の小さな部屋、兄弟や友と口論となる事もしばしばあろうかと思います。
しかし夜は外の雨の音を聞きながら、何故か共に寝台を同じ方向に並べて寝ているものです。
寝ながら言い争いまでは望んでいない本根は、親しさの表れなのです。
━夜雨対床━やうたいしょう
麻は真っ直ぐに生えるが、ヨモギは曲がって生えます。
そのヨモギも麻の中に生える時は真っ直ぐに育ちます。
これを人に置き換えると、良い環境であれば感化されて悪が正されるという事にたとえられます。
━麻中之蓬━まちゅうのよもぎ
人間生きていれば這い上がりの精神から人への恨み妬みも発生しよう。
たまには酒でもと、酒席で杯のやりとりをする間に、あんなに憎たらしく思っていた昔の恨みなど忘れていく事もたまにあります。
時が解決するのでしょうか。
━杯酒解怨━はいしゅかいえん
人は人生に於いて逆境に置かれることもしばしばあります。
しかし、そういう時こそ自分の思想を変えない意志は大事です。
寒い冬でも松やコノテガシワの葉が緑を保っています。
━歳寒松柏━(さいかんしょうはく)
人は生まれつきな性格故、一見おとなしいに見える人も多い。
おとなしさ故、他人に馴染めない心の寂しさを受けて自信の落胆は大きな重さとなり、明日への希望も見えない思いに晒されている当人もいるでしょう。
しかし、それは社交的不可欠な要素が他人より若干多いだけであって、その実、気が強く、表面は穏やかそうに見えるが、誰よりも内面的な意志は強いのです。
━外柔内剛━
合縁は、恩愛による人と人とのつながりのことで、親子・兄弟・夫婦などになる縁です。
時には互いに心衝突し、うまくいくもいかない時もあります。
しかし全て不思議な縁によるものなのです。
━合縁機縁━
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新卒などの若い女性にきつく当たる女性の上司っていますよね。 私も40代の上司の言いがかりをつけられ…
9レス 141HIT 社会人さん -
職場の異性と休日に会う
一般的に、男性は何とも思っていない職場の異性と休日に出かけますか? 社会人3年目女です。 職…
13レス 229HIT 社会人さん (20代 女性 ) -
エアコンつけてますか?
愛知県在住です。 昼間はまだ少し暑いですが、朝晩涼しくなり過ごしやすくなってきました。 エアコン…
6レス 98HIT 主婦さん -
自分の体が弱すぎて嫌です。
野球部女子です。今高2なのですが小さい頃から体が弱く基本外出れないし入院ばっかでした。少しでも体力つ…
6レス 99HIT 学生さん -
協調性のない人のせいで企画が台無しにされた
学生時代の集まりでお世話になった人にプレゼントする企画をしました 後日、集まり不参加だった人にも声…
43レス 735HIT 相談したいさん - もっと見る