真実とは実に曖昧…な気がして世の中は惑わされている…かも

レス14 HIT数 3199 あ+ あ-


2011/09/09 21:00(更新日時)

極端なことを言うと
聖書の元は誰かの書いたさして意味もない小説でした―
みたいなことはありえないんでしょうか?
宗教の教典に限らず、とある史実の記録なんかも実はただのフィクションだった…なんて例はないのですか?
さらに変なことを言うと、例えばあるSF小説を一冊残して世界が滅んだとしたら、時を経てその小説を発見した宇宙人はその内容を事実として信じるかもしれません。
つまり他に信じられる情報が無いならそれを信じるしかないわけで、かつての人々は自分たちや世界について述べた情報として、聖書ならびに神を信じ始めた…
なんてことではないんでしょうか?


歴史なんかも後の世に隠したい情報は消し去って都合の良いように隠蔽している可能性は大いにあるわけで、何が真実かなんて分からないかもしれません。
とある遺跡があったとして、昔の生活の跡があっても…
ひょっとするとそう思わせるように昔の人々が意味もない悪戯をしただけかもしれません。

激しく変なことを言っていると思いますが、変でしょうか?
こんな無駄なことを考えるのが好きな人いませんか?

No.1567200 (スレ作成日時)

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No.1

真実は人の数だけ存在し、事実はただ一つだけ存在する

No.2

こういう話好きです😊🎵絶対歴史とか事実じゃないこともたくさんあると思います⤵
もしかして主さん一昨日のテレ東系でやってた創造博物館見たんですか❓私は信じてはいませんが面白い考え方だなぁ~と見てました😊

No.3

おもしろいですね~😃


学生の頃、歴史の時間に『これって実は誰かが書いた物語だったりして~😁』

と考えてたりしてました💡

No.4

今生きているのも、嘘だったりして。😚

携帯見てるのも嘘だったりして。😱

No.5

何事にも陰と陽があると思う🌏
曖昧なことは自分なりに調べて、学んで真実を見出だすことが大切だと思う💡

No.6

聖書の物語が真実だと仮定するから可笑しいのではありませんか?神の存在と聖書の物語には何等接点が無いとしても良いのですよ。大切な事は聖書に何とかかれてようとも神の存在は我々の命の元となる神の存在は否定できません。

No.7

聖書は素晴らしいと思います。

しかし、
聖書だけが正しい、とは断言してはいけないと思います。

コーランがあり
四書五経があり
仏典があり
神道もあるのです。

これらが現実に世に出るということは、背後に世に出そうという、大いなる意志があると思います。

この大いなる意志の発信元が神という存在なのだと思います。

活字や本にするのは所詮人間の手であり、人間の観念が介在してしまいます。だから生粋の真理とは言えないと思います。
活字になる前の愛の波動や意志をキャッチできた、キリストやマホメット、ブッダ、老子、孔子、初代天皇らは偉大であり聖者と呼ぶにふさわしいと思います。

No.8

個人的には隠蔽はたくさんあると思う。オーパーツとか見つかってるし。

No.9

問題は聖書にしても、物語にしても、その時代に人類に役に立ったかどいかではないでしょうか、
たとえそれが真実でなかったとしても、
人を集団でコントロールするには。

他の動物は言葉や文字は使えないのですから。

人間の都合で真実も嘘も存在してる。

ただ宇宙の時間と存在だけは事実と思います。

No.10

聖書も旧約はユダヤ人の民族宗教の聖典ゆえ、かなり血なまぐさい。新約はイエスと弟子達の記録ゆえかなり平和的だ。まあその新約もどこまで神話なのか、意見が分かれるが。だがそんな事より驚くのは、イエスは死後300年余り、時の世界=ローマ帝国の一般見解では大悪人と考えられてきた事。その一つが食人と吸血を教え実行したと言うもの。これはミサの時パンとワインをキリストの肉と血に見立てるのを、一般ローマ人が誤解した為。こういう無知や誤解が約300年続いた。
ここで僕は現代史の悪人ヒトラーを連想してしまう。死後65年、未だに彼は大量殺戮者とされ、特にユダヤ人迫害(ガス室とか)は疑念の余地ない真実と思われている。それに少しでも反対すれば即ネオナチ扱いだ。だがガス室など意外に証拠はあやふや。
かつてナポレオンも死後30年は悪人扱いだった。でもその後は英雄、は極端でもかなり冷静な評価を得た。だから矢張り60年過ぎても悪評のヒトラーは本当に悪かったと思っていた。けどキリストの300年を考えると、判らなくなって来る。

No.11

ローマの帝国時代に王様が聖書を焼き払い自分に都合のいいように書き換え出版した。カトリック教。

No.12

>> 11 またそんなカルトみたいな断片的でいい加減な知識!? もっと勉強したまえ!
まずローマ時代に王様??
どこの?ローマなら皇帝だよ!!
史実はこうだ!313年、それまでずっと迫害されてたキリスト教が時の皇帝コンスタンティヌス1世によって公認。これはしかし迫害されなくなっただけで国教じゃない、只、他の宗教と同列扱い。
その後コンスタンティヌス帝はキリスト教をローマ帝国再建に役立てる為、何百とあったキリスト教宗派の代表を集め、大筋での教義の統一を図った。これがニケア公会議(324年)。
そこでの皇帝は会議の進行役に留まり、教義自体は各派の長老らで討論された。結果一応アタナシオス説く三位一体説が正統(元カトリック、つまり後のカトリックとギリシャ正教会の基)となり、アレイオスのキリスト人間説は退けられた。なお現在プロテスタント含めキリスト教の99%は正統の三位一体説だ!
聖書については膨大な文献や伝説から、神学者らによって長年に渡り取捨選択が続けられ、4世紀から始まりおおよそ7世紀頃に決まったが、最終的には16世紀、北イタリアのトリエント公会議で現在のものに決定した。
新約聖書については宗派問わずカルト以外は全世界で皆一致。他方ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書は、後半の幾つかの箇所がカトリック+ギリシャ正教会と、プロテスタント+ユダヤ教で少し異なる。
兎に角カトリックが、あるいは王様(笑)が聖書焼いた、では余りに幼稚過ぎだな!!

No.13

聖書は先ず旧約と新約を大別して考える必要があります。これ絶対です!
旧約聖書は元々ユダヤ教徒の宗教書です。が有名な天地創造の話は古代オリエント一般の神話の影響受けています。
またモーゼからソロモン王に至る一連の話は、デマではないがかなりフィクションも混ざってます。ただモーゼ始め有名な人物自体は存在したらしい。
ただしこれらの旧約聖書が書かれたのは紀元前6世紀頃で実はギリシャ神話等の方が古い。
新約聖書はキリスト後、60~200年の間に書かれています。

古代の文献の歴史的信憑性の基準として大体次の事を覚えておくと便利です。
最も信頼出来るのはギリシャ(神話でなく歴史書の方)、ローマのもの。理由は国や支配者に余り関係なく真実を書く姿勢が強かったから。
これと比べて中国やオリエント(メソポタミア、エジプト、ユダヤ)はかなり自国や支配者の都合良い話だけ書く傾向が強いので、先ず疑ってかかり様々な史料突き合わせて研究せねばなりません。
最後はインド。彼らに史実と言う概念は無く、哲学宗教的真理のみが関心事。だからインドの文献はフィクションばかりで歴史的にはウソばかり。インド史の研究者は仕方ないから古代ではギリシャ、無ければペルシャや中国から、近代はヨーロッパの文献からインド史を組み立てます。
つまりもしや偽造や陰謀があるか、わくわくさせられるのはギリシャ、ローマからヨーロッパの文献だけ。中国や中東はあって当然、驚くに足らず。またインドに至っては史実があったら逆にサプライズですね!

No.14

幼稚な人間にはこちらも幼稚な人間を扱うと思って対応しなければならない。

あなたのことじゃないですよ。主です。
っちゅうよりかはあほ雑談したくて書いたのに。

じゃあ。

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