女嫌い 激増のワケ

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2011/03/20 04:09(更新日時)

史上空前の女価値低落時代はなぜ到来したのか?

正確にいうと、25才とも28才とも30才とも35才ともいわれる、女限界説は常識化してしまった。


これほど、女の価値が下がったことは歴史上なかったと思う。


悲しいけど、この現実とどう向き合いますか?

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No.1465036 (スレ作成日時)

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No.251

貧乏エロ島国において、風俗嬢はこれから淘汰もしくは棲み分けの時代に入っていく。


高級サービスと庶民向けサービスに分化していけるかどうかだろう。


また、そうならなければ風俗業界はつぶしあうだけになってしまう。


いまでも3Pや乱交やSMや特殊分野の遊びが自由に楽しめるが、あまりにも安売り競争になっている。

これは一般のヤリマンたちがウヨウヨしていることにも原因がある。


だから、エロ嬢(風俗嬢とヤリマンの総称)が増えすぎて、価値が低下しているのだ。

ハイクラスのエロサービス開発が成功するか、ブサイクエロ嬢が廃業に追い込まれるかの分岐点だろう。


リアルエロ自体の魅力低下問題もある。

No.252

エロビジネスにおいて、現在欠如しているのはシチュエーションである。

エロというのは、秘められているからこそ、興奮するという要素がある。

太陽の下で、素っ裸になったからと言って、興奮するものでもないのだ。

できるだけ非日常を演出することによって、高まり、すなわち価値を高めることが可能になるのである。

コスプレやSMには、そういう要素が含まれているので今後は成長が期待される。

また、衛生管理を堂々と宣言することも大切であろう。

さらに、高齢者でも楽しめる演出も必要となる。

まだまだ、エロビジネスには奥がある。

No.253

食事ならば、朝・昼・晩の三食だし、睡眠ならば夜間7時間くらい、排泄ならば…。

個人差はあるものの定期的なリズムがおおよそ決まっている。

ただ、性欲処理に関しては、男性固有の問題ということもあって、あまり常識的なリズムは決まっていない。

ところが、男性も60才とか、70才とか、80才になってくると、健康的な側面から、処理頻度を考えたほうがよい。


また、高齢者には高齢者なりのツボがあると思う。

こうした観点からのビジネスアプローチはまだまだである。

高齢者の場合は、人の肌に触れるだけでも癒やし効果があるはずだし、何も挿入ありきにする必要はサラサラない。

健康のためのエロというのを演出できれば、大ヒット間違いないのである。

それがどのような世界かはわからないが…。淫靡な世界なのか、ファッショナブルな世界なのか、人情世界なのか、今後に期待したい。

No.254

高齢者向けのエロビジネスは、もう日本のような荒れた国では避け得ない領域だろう。

まだ、少年向けのエロビジネスに比べれば、ずっとマシだと思う。

もはや手をつけられない日本のエロ好きには、高齢者向けエロなど可愛いものだ。

大人も子供も区別しないエロの氾濫はよくない。もし、稼ぎたいのであれば、高齢者向けにやってほしい。

高齢者ならば、30代や40代の女性でもイケると考えられる。

しかも違法な管理売春などの必要性は薄いから、健全風俗が成り立つのではなかろうか。

そうすれば、ジジも喜ぶし、オバサンの収入源にもなるような気がする。

なんだか健康的な話にさえ思えてくるのだ。

No.255

女性は変わる。驚くほど変わる。

十数年前までは、ヌードになった女性は、落ちぶれた女の代名詞だった。

『ついに脱がないと稼げなくなったのか』世間のさらし者になって、週刊誌を騒がせた。


ところが、今はどうだ。十代の可憐な女の子が、グラビアでニコニコしている。

憐れみを感じていたのがバカバカしくなる。女は、裸になることは平気なのだ。

ネットで風俗店を探せば、次々に若い女の子たちがオイデオイデと手を振っている。

売春婦が気の毒だなんて同情していたのがバカバカしくなる。女は、性的行為が好きなのだ。


匿名掲示板を読んでいると、主婦が公衆便所状態だ。しかも、愛がどうのこうのと勘違いして。


専業主婦は家事が大変だろうなどと、気遣っていたのがバカバカしくなる。

専業主婦はやっぱりヒマなのだ。


ことごとく騙されていた男たちは、唖然としている。もはや行き場を失った。

まともな恋愛対象を探そうと思ったら、小学四年生くらいまで年齢を下げなければみつからないだろう。

これをロリと言ってよいのだろうか?

No.256

これからは選別と使い分けの時代だ。

『女というものは』とか『男って』というくくり方は間違いである。

女も男も様々なタイプがいるから、よく選ばないとダメだ。

選ぶに際しては、機能や役割を前提にして、スポット的に活用するしかない。

永遠の愛など幻想となった。

まるで食事のように、主食はAさん、前菜はBさん、メインディッシュはCさんと機能分化していくだろう。

それを受け入れることができなければ、一生、『自分は不運な人間だ』と泣いて過ごすしかない。

時代は、変わったのだ。このままウソをつき通して、浮気をするくらいなら、堂々と『使い分け主義』を宣言したほうがラクといえる。


そんな親に育てられた子供たちは、間違いなく歪む。歪み果てて親から離れていく。

次世代の欲望エスカレートは、だいたいそんなものだろう。

No.257

渇いた人間関係は、より一層渇く。パサパサの人間関係の中で、人間は傷つかないよう泳ぐ。


傷つかないためにはどうすればよいか。大切なものを持たないことだ。

大切なものを守るには、大変なエネルギーが必要だ。

かつて男たちは、すべてを投げ打って愛する人を守ってきた。

だから、傷ついた。

痛いほど味わったこの20年。さんざんな20年だったろう。

失望と絶望の中で、信頼してきたものは、幻想と化した。

男たちは、どこへ行くのだろう。すっかりパワーを失い、ダメ男に成り下がり、何を求めるのか。

まだ、繰り返すのか。女はもう恋人ではない。女は商品化した。

男たちにパワーを。

No.258

商品化した女に萎えた男たちは、真面目に恋愛をしなくなった。

そのため真面目に恋愛したがっている女たちが困惑することになった。

いわゆる負の連鎖である。

男は女を信用しない。女は男を信用しない。どうせ騙される。

傷つくのはイヤだ。

妙な空気が男たちと女たちの間に流れている。しかし、女は男をキャッチすることで、カネとラクが手に入る。

男たちは、殻の中に閉じこもったままリスクの少ないエロを貪る。

プロの出番となる。

ふしだら女が、一般女の信用を低下させた結果、プロ女がメリットを得た。

いまやプロ女はアイドルになりつつある。

プロ女なら自分を傷つけない。プロ女ならエスカレートした性癖を理解してくれる。プロ女なら永遠に若い。


そして、プロ女ならよりどりみどりだ。

No.259

男たちはナイーヴだ。傷つくことをとても恐れている。

だから、もう女を愛することはないだろう。

ただし、愛しているフリをすることは飛躍的に上達した。

無料のヤリマン女を確保するためには、どうしても演技が必要なのだ。


不況の中、やはり無料はありがたい。一年くらいなら同じ女でも我慢できる。

くっついては離れ、くっついては離れ、くっついては離れ、それを繰り返せば幸せだ。


常に、新しい女を探しながら、古い女を愛しているフリをすればよい。


熱演を続け、頃合いをみてうまく別れる。誰も傷つかないように。


ヤリマン女たちが、男たちを追い込んだ結果完成した男たちの方程式だ。

No.260

男たちは、もう恋愛をしない。

実は、そのほうが幸せであることを知ってしまった。

まず拘束されないし、キツイことも言われない、騙されることもない。

何よりも自由に遊んだほうが断然安い。

それで困ることは何もない。生活は便利だし、自由だ。


恋愛や結婚をしたがる男と言えば、今やアタマがおかしいヤツだけとなってしまった。

街を歩くカップルも、大半は短期間のニセカップルにすぎない。

男性が、結婚式などに招待されたら『バカが』と吐き捨てるだけだ。

いい女を探すのは、男の本能だが、だからといって、恋愛や結婚は志向していない。

恋愛のフリだけしていれば幸福なのだ。

No.261

少し不正確だった。

男たちはもう恋愛をしないわけではない。『安全な恋愛には浸りたい』というのが正しい。

安全な恋愛、これにはまだ正解が出ていない。


特別な存在でいたいという気持ちは誰にでもある。

問題は、特別な存在ということに保証が得られないことなのだ。

だから、擬似的な、あるいは束の間の、『特別な存在』で満足したい。


どうせ、いつか騙されるのだとしても、短期間ならば『特別な存在』として君臨することは可能だから、それを望んでいる。

永遠安息の場は、望むべくもない。女は商品であり、道具でしかないのだから。

女というものを悟ったときから、恋愛はできなくなる。しかし、擬似的・短期的な恋愛ならできるというのが真実だ。

こうして男女は、互いに深追いしない関係となっていく。

No.262

互いに深追いしない男女関係というとパサパサな感じがするけれども、考えようによっては自然に戻ったともいえる。


もともとオスとメスの関係は、略奪の反復が普通なのだ。

社会的ルールがそれに制約をつけているからこそ、略奪があまり起きていないだけといえる。


つまり、社会的制約を設けたほうが安定するからそうしているだけであって、その前提が崩れ始めると、社会的ルール自体の意味が薄れてしまう。

例えば、ちっとも安定を得られないとか、むしろ窮屈だとか、そんなふうな不満が拡大してくれば社会的ルール自体の陳腐化といえる。


最も象徴的なのは、結婚してからの不満だ。既婚者の不満が高まれば、次第に離婚や不倫が増える。

もともと、結婚は墓場などと言われる(茶化される)くらいだから、制度そのものに人工的無理があるのだ。

No.263

変わりゆく男女関係を嘆いていても仕方がない。時代というものは常にそういうものだから。


だから『昔はよかった』の繰り返しとなる。昔と今を比較できるようになるということは、『今』を否定することを意味する。

『今』がイヤになってくると、懐古主義にふけるようになり、新しい刺激に嫌悪を感じるようになる。

それほど世間の欲望エスカレートの速度は一定以上のスピードを有している証明でもある。

老いてくると、そのスピードについて行けなくなるわけだ。

つまり、欲望エスカレートを止めうる人間は少ない。

よほどの専制君主か宗教家でなければ、世の中の狂乱や暴走を止められないのだ。

従って、個人個人は、ほどよい欲望レベルを選択して、老いを迎えざるを得ない。

自分の欲望ピークを知ることが大切なのだ。

No.264

欲望を満たす方法を皆が探している。それが世の中と言ってよい。

だから、うまくやるヤツは巧妙になる。騙すワルと騙されるバカで世の中は成り立っている。

全体が豊かならば、ガツガツせずとも欲望は満たせる。

全体が貧してくれば、巧妙さは度をまして悪質になる。

男は女を騙し、女は男を騙す。企業は消費者を騙し、テレビは庶民を食う。

そして、騙されたバカは騒ぐ、騙されてみて初めてカラクリを知り、騒ぎ立てるのだ。

つけあがる被害者たち。群集は自分たちの甘さを棚に上げ、怒鳴り散らす。

浅ましい世の中になったものだ。

騙すワルは、騙されるバカどもの欲望を見抜いている。

たしかに『昔は平和』だったのだ。欲望に目覚めたとき、エスカレートが始まる。

勝ち逃げはさせてもらえない。

No.265

欲望を勝ち取るには、努力が必要となる。黙っていると、出遅れてしまい逆に獲物にされてしまう。

情報戦を先取りしたヤツは一番美味しいところにありつける。

しばらくすると、新しい欲望システムを使って、バカどもを大量捕獲してむしり取る仕組みが作動し始める。


バカどもが被害に遭ったり、飽きてきて、騒ぎ出すとそろそろ幕引きだ。

盛り上がっては消え、盛り上がっては消え、その繰り返しをしながら、うまい汁を吸ったヤツが笑う。

欲望とは刹那的なものだから、一過性なのだ。


心地よい音楽は、いつか終わり、過去の良き思い出に変わる。

その裏で暗躍する人間たちが笑っている。

No.266

カネをかけずにタダで楽しみたいというニーズに対応したビジネスが盛んだ。

タダという殺し文句により、多数の人々を引きつけ、引き込み、グリップしていまい、ゆっくりと料理する蜘蛛の巣のようなビジネスといえる。


これも騙されてみて初めて騒ぐバカどもが多い。モバゲーがいい例である。『無料じゃなかったのか』と騒ぐ。


無料のハズないだろと誰でも考えるのだが、テレビ局が一斉に健全性をサポートするから、貧乏人はどんどん引っかかる。

挙げ句の果てに、カネを取られて、怒り出す始末だ。

次第に巧妙になってくる欲望ビジネスは、ちゃんとバカ庶民の弱味を把握している。

とにかく儲かるから、タレントもすり寄る。芸能人は何よりもカネが大好きな人種なのだ。

バカ庶民を見下ろして、高級マンションで高価なワインを飲んで、セックスに明け暮れる。

群集とは、哀れな生き物だ。

No.267

モバゲーなどの作業を重ねたところで、何の蓄積もない。時間が過ぎていくだけなのだが、快楽国民は、とにかく楽しみたい。

だから、アホ国民を狙ったワル企業が大繁栄する。

そこには、何も残らない。カラオケ店やレンタルビデオ店もそうだったように、日本は一過性のビジネスが出ては消えるという特質がある。

国民は、ただひたすら楽しみたいだけであり、結果的にエンターテイメントビジネスの過当競争が繰り広げられるばかりなのだ。

日増しに、国民はバカになり、蓄積をしないから、諸外国に負けてしまう。

世界有数の経済大国の実情は厳しい。

こうなってくると、知的な蘇生は困難となり、サル並みの国民を前提にしたシナリオを描くしか生き残りの道はなくなってきた。

2011年も、活路は見いだせないだろう。


負け組国民は難民化し、新たな負担となって重荷になるはずだ。

No.268

商品化レベルに至らない女性及び商品化の末在庫になった女性には、逃げ込む場所が必要となる。

具体的に言うと、ブサイクとババアには、女性としての商品価値がない。

逆の言い方になるが、これはかなり有利だ。もともとカラダで勝負していないということは有利なのだ。飽きが来ない。


街中でケツを撫で回されながらデートしている女たちは、確実に捨てられる運命にある。

女とはそういうものなのだ。コーヒー同様、入れたては香りを楽しめるが、だんだん冷めてきて不味くなる。

デートの際に、ケツを触りたがる男もコーヒー党なのだ。つまり、ケツが目的で、その女と一緒にいるわけだ。


デート中にケツを撫で回されたら、いずれ捨てられる、この法則は覚えておいたほうがよい。

No.269

なぜ、シリを撫で回される女は、寿命が短いのかというと、非常に簡単な話である。

特定の女の肉体というのは、数ヶ月で鮮度が落ちるからであり、デート中でさえ触りまくられている女は、他に魅力がないからなされるがままであるから、さらに寿命が早く終わる。


だから捨てられる。


所詮、シリだけの女といえる。何のために生まれてきたかというと、男たちの慰め者なのだ。

最近は、こういう女が急激に増えている。完全に最低レベルの底辺人種だ。

どんな男に出会おうとも、必ず3年以内に捨てられてしまう。

No.270

AV女優は、約2~3万人いるといわれている。AV女優ではないけれども、プロダクションに所属しているタレントも含めると、10万人くらいにはなるだろう。

みんなエンターテイメント世界に生きて、ラクにカネを稼ぎ、できれば有名になりたい人種だ。


中には、ワケあってやっておられる女性もいるだろうが、大概はラクそうだしチヤホヤされたくてやっているのだろう。


ほんの一握りのタレントは有名になるが、その他のザコたちは、事務所にイイトコ取りされてポイ捨てなのが現実といえる。

簡単に、売春(AVが売春かどうかは議論あるところだが)やストリップで稼ごうとしても、今や中間搾取されてしまい、たいした実入りはないのだ。

もちろん、風俗の中間搾取も小さくない。

いわば、数十万人の女性は大損状態なのだ。しかも、日増しに価値は低落している。

次々と新鮮な女性が、参入してくるから、タレント寿命も短い。

悪くない商売だとしても、これではやってるほうは割が合わないだろう。

もう少し戦略を練るべきだった。女性は全滅に近い。

No.271

経済環境の低落とともに、女たちはなかなか良い男性に巡り会えなくなってきた。

同時に、見かけだけの恋愛行為が横行し、競って体を提供する流れになり、ますます価値を失いつつある。

その結果、行き場のない男女が増え、互いに信頼しあう関係が築けなくなってしまった。

仮想恋愛で食いつなぐうちに、年齢が行き、そして孤独と裏切りの戦いを繰り返す。

もう男女ともに、渇き果てヘトヘト状態なのだ。

一見、良好にみえるカップルさえも、影で爆弾を抱え、潜在的破綻者が多い。

これがわずか20年間、欲望を求め続けた末に待っていた現実だ。


若者たちは食い物にされるばかりで、身も心も汚れ果てた。

No.272

女性の汚れと経済の低迷について、その因果関係をいう者はいない。


たしかに、証明は不可能だろう。

しかし、バブルに端を発する女性たちの貞操崩壊は、男性たちを狂喜乱舞させた後、萎えさせてしまった。

食い荒らさた女性市場は、荒野と化し、エロビジネス業者が使い回す場所と変貌している。


女性の商品価値が消滅する30歳すぎには、役割を終えた孤独が待ち受けている。


最大の容疑者は、テレビ局と女性雑誌だ。


浮かれた女たちは、うつ病や性病、レイプ、堕胎を経験しながら、最後には傷ついた。


転げ落ちる人々は、過去を隠し合い、今なお騙し合って生きている。


日本は、宴を終え、これから老人社会へ向かう。資金は使い果たし、借金大国に冬が到来する。

No.273

男たちは何を得たのだろう。

かつて百人切りと言われた性豪の勲章は、いまや千人切りの時代に突入した。

一人の男性が、千人の女性たちを抱く時代。

風俗嬢を50人抱き、援交学生を50人抱き、出会い系主婦やOLを50人抱けば、7年間で1000人を超える。

けして不可能な数字ではなくなった。

どうせ、ピュアで新品の女なんて、もう手に入らないし、ひょっとしたら騙されるかもしれないのなら、稼いだカネを刹那的に使う。

男たちも傷ついた。

傷ついた心を癒やすために、疑似恋愛を試す。彼女を作れば無料だし、飽きたら捨てるだけの話だ。

男たちは、傷つかずに楽しむ方法を手に入れたともいえる。


しかし、そこには愛情は存在しない。

愛情を捨てた代わりに、快楽を得たのだ。

No.274

女たちは、自分のカラダを金に変える術を手に入れた。

一方、男たちは金で快楽を得ることが簡単にできるようになった。

結果として、男女の恋愛スタイルは様変わりした。

一つは、恋愛そのものが激減した。
一つは、短期的になった。


女たちは、そうした自由恋愛を楽しんでいるが、男たちは本気で対処しなくなっているし、その結末は、30代半ばになって判明する。


女たちの実態を世間が認識したことで、一生涯支え合うことが減ってきている。

経済環境がこれに拍車をかけ、ますます男たちは女を避ける動きとなっている。

秘密のベールに包まれていた女たちの正体は、完全に明らかになったのだ。

明らかになった途端、女を商品や道具として扱う男たちが増え、男女間の愛情の絆は消滅した。

No.275

女たちは、男を信用できなくなった。心のどこかで信用しきれていない。

だから、傷つくのを恐れて、深入りを避けようとするところがある。

人によっては、もはや男なしの人生を歩む決意をしてしまう。

特に、30才前後の頃は、この自由空間と一人になれる時間が何ものにも代えられないほど楽しくなるのだ。

そうなってくると、わざわざ拘束を受けるような恋愛や結婚など、面倒になってしまう。

それは構わない。構わないけれども、時間はどんどん過ぎていく。

やがて彼女たちは、40になり50になる。考えたくはないけれど、そうなったとき、自分で生きていかなければならないのだ。

そのときが一番心配なのだ。

No.276

もう一つのパターンは、ダラダラと男性と付き合い続けるパターンだ。


この場合の女性は、確固たる結婚願望がある。


しかし、いつになっても結婚はできない。妊娠するしか方法はない。


三年も、五年も、十年も、一緒にいながら、結婚してもらえない。


この駆け引きは、もはや泥沼化しているといえる。

女は結婚を求め、男は家政婦兼慰安婦を求める。

つまり、男性側は本心を言えば、相手の女のことが好きではないのだ。身を投げ打って支えたくないのだ。

だからダラダラする。

No.277

ダラダラ型男性に対応する女性は、なかなか攻め込めない。

一方で、だんだんと老化は進む。切り札のカラダはとっくに使い果たした。

長引けば長引くほど、事態は悪化する。


男性は、根比べに持ち込み、女性側から別れ話が持ち出されるまで待つ。

『無料家政婦・無料売春婦』

いいところだけを吹い取られて、老化が進んだら捨てられる。


40すぎで、一人ぼっちになる女性たち。奉仕し続け、疲れ果てて、一人ぼっちになる。


もっと早く気づくべきだった。利用されているだけだということに。

No.278

あまりに長いダラダラ期間中に、彼氏を裏切る女たちも増えた。


ダラダラ期間中に、二股をする女たち。

いや、二股に限らない。そこら中にツバをつけまくる。

女も、時間がなくなってくるから必死になる。もうポリシーも、好みも、どこかへ吹き飛ぶ。


手当たり次第だ。


だから、荒れる。気持ちも荒れるし、カラダも荒れる。

まさに、人生の失敗作としては代表的パターンといえる。


30代の半ばになると、見苦しい女たちがさまよう。

No.279

自立しか道がない女性は、日増しに増えているけれど、それも時代の移り変わりだと思うしかない。

もともと女は狭く深く生活圏を守る動物だった。それが、男同様に、広く浅く外にでて戦うようになりつつある。


酔っ払い防止法という法律がある。酔っ払いから女や子供を守るために制定された。しかし、今や女性の酔っ払いが激増中だという。


かくして女は、30半ばにしてオヤジになる。


女がオヤジになれば、男はレディ化する。つまり、オスとメスの中間的な性が発生するのだ。


全体からみれば、まだまだ比率は小さいが、次第に人類は変貌を遂げるだろう。


中間性は、おそらく最もポピュラーな性になると思う。オヤジっぽい女としとやかな男が、主体となるのだ。

そして、女らしい女と男っぽい男は、性的な道具の役割を果たす。


生活は個人を主体とし、繰り広げられるだろう。
あと10年か20年で、中間性が半数に達し、歴然たる女や男は、商品化するのだ。

No.280

あと20年経つと、信じられないことが起きる。

男の半数、女の半数が、中間性となるのだ。

中間性とは、レディ化した男とオヤジ化した女のことだ。

彼ら、彼女たちは、単身者として自由に生きる。結婚などしない。自分中心に生きる。

レディ化した男性というと、女っぽいイメージを持つかもしれないが、それだけではなく、女や子供を扶養しないという意味だ。

いわゆる単身者がウヨウヨする時代が到来することになる。

こうした単身者たちは、自分だけを信じている。自分の時間が最も大切であり、コミュニケーションを避ける人種となる。

小型のPCが必需品となり、異性を必要とするときは、マネーで購入する。

No.281

拘束を嫌う人間が増える。

生涯を一人の異性のために捧げる生き方は、次第に減少していき、自分の自由を優先する人間が増える。

もちろん恋愛は、若いときにはするだろう。ちょうど、スポーツ(部活)をやるように、学生時代だけ恋愛を楽しむ。


社会に出ると、結婚を避け、そこそこの仕事を無理せずこなす。


恋愛は、擬似的な恋愛レジャーを利用する。性欲処理は、プロのエロ職人を活用する。


中間性はマネーで、なんでも解決するのだ。


男性らしい男性・女性らしい女性は、マネーで商品として扱われるエンターテイメント人間となるだろう。

No.282

中間性の中には、男系中間性と女系中間性が存在している。結婚こそしないが共同生活はする。


互いに束縛を嫌い、責任を担うことを避けているだけである。


ただし、相手を心の底で信用していない。だから、一定の距離感を保って付き合う。実際、性的な部分は、プロを利用している。


現在の仮面夫婦とは、こうした人間関係の始まりというか、原始パターンともいえるのだ。


仮面なら仮面と認識し、自慰をするように隠れてプロのエロ職人を利用するのが当たり前になる。

現在の不倫族も、いずれは市民権を得てしまう。仮面夫婦も当たり前になる。ヤリマンもチャラ男も生存圏を確保する。


欲望のエスカレートを誰も止めないから、結局、そういう時代がやってくる。

No.283

なあんて空想を思い巡らせていると、あることに気づく。


それは、現在われわれが持っている既成概念だ。

つまり、今は、今現在も変化を続けているという事実。

人間の感情と欲望は、マネー価値を通じて、現実化されていき、次第に時代を変貌させていくのだ。

古い考え方は、しばらくすると通用しなくなり、新しい常識を生む。


いつの世も『昔はよかった』と言いつつ、新しい時代の波に飲み込まれていき、古い人間は消えていく。

だから、否定してもムダなのだ。自分の既成概念は、昔は正しかったかもしれないが、今は通用しない。

時代が快適に向かうか、破綻に向かうかの責任は、次世代に引き継がれるのである。

No.284

『昔はよかった』とかく人間は、過去の都合のよい部分をつまみ出して、今現在と比較したがる。

『昔の女性に比べると、今の女性は…』となる。そうなるのは当然なのだ。

しかも、その変化スピードは比べものにならないほど急加速している。


古い人間は、さらに追いついていけなくなる。だから『昔はよかった』となる。


では、カルチャーショックにどう対処すべきなのだろうか?

それは、洞察力だ。

近い将来を予測する能力を養うこと。近い将来を描き、自分がどうすべきかを予め想定することが必要なのだ。


繰り返しになるが、過去をいくら懐かしんでも、もう絶対に戻らない。だったら、未来に先回りするしかない。

未来に先回りできれば、現状を容認しやすいのだ。シナリオは、現状から未来へとつながっているのだから。

さて、10年後の自分が描けるだろうか。

No.285

確率分布とか、標準偏差とかの単語を聞いたことがあるだろうか。

ばらつきを調べる統計学用語である。


社会の統制がきつければ、社会は同じような人間を作る。

社会の自由性が強ければ、様々な人間を作る。


世界は今、後者の流れにある。人間の性質がばらついているのである。


多種類の性質に分布していて、ヒトくくりにしにくくなっている。

そうなると、次第にトラブルや衝突も増える。それだけそれぞれの考え方が異なるからだ。


過去のように『そのくらいガマンしなさい』という常識論が通じなくなっている。

そして、人は、トラブルや衝突を避けて、コミュニケーション能力を低下させつつある。


だから、PCに頼るし、バーチャルを好む。

この流れは、もう止まらない。地域コミュニティーの復活はない。家族や友人との絆に関しても、今以上に深いつながりは復活しえない。


つまり、孤独というキーワードが浮上する。

No.286

孤独志向型の人間社会は、パワーの結集が難しいため、まとまりが得にくい。

つまり個人技の世界といえる。個人技であれば、やれることには限りがある。だから、狭い領域で特殊なスキルを身につけることとなる。

ということは、特殊なスキルをいかにして準備するかの勝負となる。


これからは、学歴はアテにはならない。塾に通っても意味がない。

大企業はもう大量採用はしないし、高齢者には有利な仕事など回って来ないだろう。

世の中にはモノが溢れ、生産品は淘汰と改良が繰り返されて、利益を再投資しなければ競争に負けてしまう。しかも人口は減少するばかりなのだ。

孤独志向型人間が選ぶ道は、意外と面白い。

だから、大企業志向を捨てて、職人志向を強化すべきなのだ。

No.287

地方都市に行ってみると愕然とする。全く、活力が感じられないのだ。


東京のど真ん中にいると、全然わからないが、地方は大変な寂しさが漂っている。


地方に大企業の恩恵はない。せいぜい地元叩き上げの数少ない企業が頑張っているのみだろう。


しかも、日本全国どの都市も似たり寄ったりで、駅前は一様に廃れている。

街なかは、人通りが少なく、老人ばかりだ。こうなってくると、もはやゴーストタウンに近い。


再生しようにも、カネはないし、若い人もいない。郊外店舗とのツブシ合いや新幹線の停車駅との分散化も進む。

とにかく、どれもこれもハズレ状態のまま、廃れ続けているのだ。


で、何を言いたいかというと、今回は経済問題ではない。

治安問題である。

日本は世界有数の、いや世界最高に安全な国家だ。この価値が危ない。


治安不安、これも新しいキーワードになっていくと考えられる。

No.288

いま相談所を訪れるレイプ被害者が増加しているらしい。

どんな女性たちが、どんな状況で、レイプ被害に遭うのかは知らないが、これもAVやエロゲーの影響だろう。

不倫捜査を依頼すると、依頼先の探偵から、ゆすられたりもするらしい。

出会い系は、まさに犯罪者の巣窟だと言われているし、どこに落とし穴が待っているかわからない。

マネーとオンナは、欲望のネタだから、素人がふらふらっと近づくと痛い目に遭いやすい。

いままでのように、マネーパワーにモノを言わせて手込めにするのではなく、最近は暴力や詐欺や謀略が目立ってきている。

要するに、遊び場とか、猟場を間違えると危険が待ち受けているわけだ。

普通の恋人同士や夫婦が騙し合う世の中だから、当然ながら他人はもっと危ない。

防犯というキーワードを忘れてはならない。

No.289

ただ、最近は『男から襲われた』と聞くと、一方的に男が悪いとは考えなくなってきている。


『どうせ、ヤリマンでしょ』という反応が半分入るのである。


ときどき飲み会絡みの集団レイプ事件が起きるが、掲示板などの書き込みをみると、被害女性が叩かれていることがある。

集団レイプなどというと、凶悪犯罪だから、どう考えても男性たちが悪いわけなのに、たった一人の女の子が悪者に見られるのは異様だ。


それくらい女性に対する世間の見方は変わってきていると思ってよい。


そして、実際に民事示談になったりする。

要は、カネを払って、レイプ遊びをしたという結末となる。

乱れすぎていて、犯罪と乱交の区別がつきにくいのだろう。

No.290

被害女性が、あろうことか『どうせロクな女じゃないんだろな』と連想されるなんて、普通はあり得ない。

しかし巨大掲示板には、『ざまあ』とか『メシウマ』書き込まれてしまう。

この背景には、それだけ好き者の女性が増えたせいもあるが、その他にもいろいろな要因がある。

例えば、人の痛みを感じない人が増えたとか、女性に対して恨みを持つ人が増えたとかだ。


そう考えると、女性に対する世間の持つイメージは随分と冷ややかになったものである。

たしかに、カレーに毒を入れたり、練炭火鉢で中毒死させたりと、女性犯罪者も増えているから仕方ない。

だからといって、女性にはレイプ願望があって、みんな密かに襲われるのを期待しているかというと、それはあまりに短絡的すぎる。

イメージが悪化し始めると、一部が全部になってしまう怖さがあるのだ。

おしとやかな女性は、同一視されることで、想像以上のダメージを受けているのだと思う。

No.291

自由社会が進むと、実にさまざまな人間が生息するようになる。

思いもよらぬスタンスを持つ人間が、どこにでも潜んでいる。

しかも、その変わり者をうかつに批判することがやりにくい。


一応、道徳とか倫理というカルチャーが機能しているわけだ。

ところが、この道徳とか倫理というものは、年長者が決める。


若い人が受け入れるかどうかは不明だし、そもそも若い人が形成したカルチャーに対しては後手となる。

そのため学校が一定の役割を果たすのが昔のパターンであった。ところが、これまた父兄会の圧力が学校を無力化させている。

ならばマスコミはどうか。マスコミはむしろ、市民に迎合する。

マスコミ業界は、給料がよいためカネが好きな人間が集まっているだけのクズ集団なのだ。

そんなわけで、自由社会の進行に対する、調節機能を担うものが不在といえる。

No.292

ブレーキのかけ過ぎかスピードの出し過ぎかの判断や調節は、現実問題として難しい。


実際、人間には理性というものが備わっているけれど、これも人によってバラバラなところがある。

従って、統一を図るのは不可能である。

つまり、倫理や道徳を説く場所も不在だし、理性をコントロールすることもできないのが現代なのだ。

ということは、はみ出し人間が増える。はみ出し人間が増えると、倫理や道徳を外す。

加速度的に時代が変わっていく背景には、こうした要因が働いている。


日本が僅か20年で没落したのは、そんな理由による。

今後も、目立った人間は、現れてはすぐに叩かれて消えるか、実力を発揮できずに消えるはずだ。

だから、目立ってはいけない。目立たない幸福を追求するのが正解である。

No.293

最も安全な方法論を見いだすとすれば、弱者と組むこと。

S男性ならば、M女。
S女性ならば、M男。

ノーマル人間も含めて、M人間を探すのがコツといえる。

M人間は、被虐的だから裏切らない。耐え続ける。

裏切り行為が平然とできるのは、S人間なのだ。

世の中は、誰かが我慢して成り立っている。我慢できるのは、数少ないM人間だけだ。

だから、基本的には、S男性とM女性の組み合わせが、古典的には成功確率が高かった。

ところが、女性の社会進出のせいなのか、女性に占めるM女性が減少し、男性側の成功確率が低下している。

逆に、男性に占めるM男性が増加し、女性側の成功確率が上がったかというと、女性はこれに失敗した。男性が逃げ出したからだ。

しかし、女性側からみたら、M男性探しは、実は幸福のための最高のサクセスストーリーなのだ。

No.294

M人間とは、被虐的という意味もあるけれど、簡単に言えば、我慢強い人。

我慢ができない人は、かなり多い。ワガママで、自分本位な人だらけだから、社会は崩壊した。


ある意味で、日本のお手本はアメリカだったから、日本の人間作りの基本方針は自由と個性だったのだ。

だから、身勝手な人間だらけになった。

もう少しバランスがとれていればよかったが、権利意識ばかりを主張し、自分の無能を棚に上げて好き放題に振る舞う人間だらけになった。


おかげで、大没落の始末だが、まだ日本人はそれに気づいてはいない。


そんなわけで、M人間は大変貴重なのだ。

No.295

全体にワガママ人間が多いのには、マスコミの影響が大きい。

日本のマスコミは、とにかく贅沢を煽る。スポンサーは商売だからやむを得ないが、テレビや新聞は広告倫理が緩い。


そのため快適生活が標準化されていて、庶民も背伸びしつつ消費を積み上げる。

経済学的にいえば悪いことではないが、一度こびりついた贅沢は抜けないから、落伍者には厳しい現実が待っている。


社会が煽れば煽るほど、庶民が無理をする構造は、ついて来れなくなる庶民を次々と生み出す。


庶民はそれがイヤだから、カネのある人間にくっつこうとする。

自由経済の宿命として、カネを持つ人間がエラくて、貧乏人は惨めという公式はこうして出来上がっていく。


つまり、テレビに公共性がないのが原因なのだ。といっても、貧乏庶民向けテレビ局というコンセプトは成立しない。


日本人はみんなカネが好きだからだ。

No.296

カネが欲しいというと、なんだか賤しい人間に聞こえる。

たしかに、不必要にカネを持ったからといって幸福にはならない。しかし、邪魔にもならないのがカネだ。

カネの稼ぎ方は、人生そのものだから、実はそちらのほうが重要なのだが、日本においては、稼ぎ方よりも稼ぐ額のほうが重要視される。

だから、仕事が乱れる。仕事が乱れるから、客も乱れる。

ここまでくると、手段を選ばず、カネを稼いだヤツが勝ちみたいな価値観が形成される。

クスリを捌こうが、カラダを売ろうが、盗みをしようが、詐欺をしようが、ダマすヤツが利口で、ダマされるヤツが馬鹿という図式となる。


自由経済だから、理念がなければ、そういう競争になりがちなのだ。

日本は、親不在、学校不在、マスコミ不在なので、宗教的なものに頼るしかない。しかし、宗教家は詐欺師ときてる。

欲望エスカレートに、ブレーキはかからない。

No.297

さて、カネは欲しいが不景気ときたら、どうすればよいのだろう。

当然、善人は節約を考える。食費、衣服費、交際費、娯楽費がその中心といえる。

人生でカネがかかるものといえば、持ち家の購入だろうか、子供の教育費だろうか、車の購入・維持費だろうか、いやどれも不正解である。

最大のコストは、『女』なのだ。

女を養えば、家も子供も車もいろいろ必要になるから、『女』問題を解決してしまえば、最大の効果を得られる。

しかも、現代の女は、自分専用ではなくなったし、自分を裏切る可能性が高まっている。さらに、実態が表面化して夢がなくなった。

この『女』という呪縛から解放されれば、人生は豊かになる確率が高いのである。

かといって、女は必要不可欠な存在だから、いかに付き合っていくかが最大のテーマといえよう。

No.298

男性にとって女性が必要なときはある。女性特有の愛らしさや性的魅力、ゆったりした会話などである。


可愛くて、癒やされて、ドキドキさせられる女性は大変価値がある。

だから、女性もそれに合うような手口を用いて、男性に接近する。

ところが、それは一時的な演技にすぎない。

そんな女性の実像は、男性も認識している。しかし、一時的に騙される。

男性が、女性のことをどうみているかについて、的確に説明した文章は、いまだかつて見たことがない。

雑誌やテレビや小説においても、お目にかからない。どれもこれも一面的なものしかない。

その理由は、男性の視点が、性的なものであるからだ。

だから誰も表現しきれないのだ。

うまく言えないが、男性が見ている女性は、幻にすぎない。理知的に情緒的に整理して、女性のことをとらえていない。


つまり、男性は、常に性的に歪められる中で女性のことを考えている。


本当のことは、自分でもわからないのだ。

No.299

自分の本当の気持ちがわからなくて、よくも人を好きになれるものだと思うかもしれない。


しかし、好きになるから不思議だといえる。とりつかれたようになる。


これを性的本能といってよいのかどうかは知らないが、相手のことを知りたくなるし、振り向かせたくなる。


好きだけど、嫌いという場合もある。

全く説明がつかないわけだが、おそらくそのほとんどは、『好きではない』のだと思う。


結果的にしかわからないのである。

No.300

今どきの女性は恋愛は楽しみで結婚の為では無い、自分を成長させる為。
お金もそこそこ稼ぐ、女性優先社会だからでは無いかな?
今は男女問わず異性はその時々いればいいし、結婚なんかする必要ないって社会だと思う。結婚しろって親も責める事もない、異性を冷静に見られる。

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