客観的にみてこの人生どう思いますか?
(長文です)
自分の今までの人生を振り返ると、ロクでもないです。
幼稚園ぐらいの頃。父親、母親に連れられてパチンコ屋に行きました。その帰りのこと。私が何か駄々をこねたのでしょう。(この時の記憶が曖昧で思い出せない。)私は両親にパチンコ屋の駐車場に置き去りにされてしまいました。両親は私を置いて車で帰ってしまたのです。私はひたすら泣きながら、おばあちゃんの家を目指しました。「よくおばあちゃんの家までの道のりを覚えていたなと。」今思い返しても自分のことながら凄いと思います。
↓続く
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パチンコ屋からおばあちゃんの家まで10キロ以上はあると思います。私は一人歩きました。ずっと歩き続けました。かなり歩いたと思います。大分おばあちゃんの家に近づいた頃、トンネルにさしかかりました。私は怖くて寂しくて心細くて悔しくて、ずっと泣いていました。トンネルに入ってすぐ、後ろからきた車が私の前で止まりました。車から女の人(みたこともないオバちゃん)が出てきました。オバちゃんが「どうしたの?お父さん、お母さんは?今(私は)どこに行こうとしてるの?」みたいなことを尋ねてきました。
私は泣きながら「おばあちゃんの家」と言いました。それからオバちゃんの車に乗っておばあちゃんの家に向かったつもりでした。でも何故か車がついたところは自分の家でした。後で聞かされたことなのですが、どうやらそのオバちゃんは、おばあちゃんと母親の知り合いだったそうです。私が一人歩いているのを見かけて、気になって話しかけてくれ、家まで送り届けてくれたのでした。
(ものごころついたころからパチンコ屋に一緒に行ってました。親の膝の上に乗せられて、パチンコをしたりスロットをしたりしました。退屈だった私は弟と一緒にパチンコ屋の駐車場で遊んだり、車のなかでカセットテープを聴いたりしていました。)
続く
小学2年生の2学期が終わると転校しました。新しい学校。登校初日。母親と弟で一緒に登校し、校長室へ。校長と母親が話している間、窓から物珍しそうにこちらの様子を伺っている生徒が沢山いました。転校初日で友達もできました。学校から帰るとき。後ろからつけられているのを感じていました。同級生の男の子二人です。私は自分の家がボロいことを知っていたので、自分の家がバレるのが恥ずかしくて仕方ありませんでした。その頃には既に自分の中に劣等感があったのだと思います。
小学5年生の夏休み、両親が離婚しました。その当時、私は一緒に遊んでくれる優しい父親のことが大好きでした。私は物凄く悲しみました。夜、布団の中で何度も泣きました。
両親の離婚の原因は、父親がよく仕事をズル休みして、家で一日中TVゲームしたり、パチンコに行ったりしたこと。借金を作っていたこと。等です。
母親は足が悪い中、毎日休まず立ち仕事をしていました。子供(私たち)のためを思って、ずっと離婚することを我慢していました。ずっと昔から我慢していたそうです。何度も離婚を考えたみたいですが、その度に親戚(母親の実母や、父親の姉、妹)から反対されました。「子供のために離婚するな」とか。「これからはちゃんと働かせる。借金もしないようにさせるから。」とか言われてたみたいです。母親は自分の名義で借金の肩代わりもしていたみたいです。それでも何度も同じことの繰り返しで、もう耐えられなくなり、ついに離婚しました。
(余談ですが、母親は臨月まで工場で(立ち仕事)働いていたそうです。)
離婚するときに、父親が「お前らが死のう生きようが俺にはもう関係ない。」みたいに捨て台詞を言ったそうです。当然父親にお金はなかったので、離婚時の慰謝料はなしでした。養育費もなしです。一度も貰っていません。親権は母親になりました。
夏休みが明けて2学期。名字が変わってしまって、私はクラスメイトにどう思われるか気が気じゃなかったです。「そのことについて聞かれたら、どうしようか…。」不安と恥ずかしさと惨めさでどうしよもなかったのを覚えてます。
当時は今みたいに離婚は普通ではなかったから、周りの視線が気になってしかたなかった。父親がいないこと。劣等意識。
話しは小学生の頃に戻ります。私は勉強のできない子供でした。宿題以外、家で勉強する習慣もありませんでした。小学生の頃たまに父親が宿題の算数を教えてくれただけです。母親も勉強ができる人ではなかったので、母親から勉強を教わることはありませんでした。小学2年生の頃、転校してきたばかりの私の字をみて、「うわー。雑な字やな。」と言った男の子がいました。確かに私の書く字は汚かったです。昔よりは幾分かマシになったけど今でも汚いです。ウチは貧乏で、習い事にもいけませんでした。友達が塾に行っているのが羨ましくて、母親にお願いしてみましたが、「家でも勉強できる」と言われ無理でした。でも勉強できる環境ではなかったとハッキリ言えます。
うちは母子家庭で貧乏で、家だってすごいボロ屋でした。台風の時なんか腐ったドアから雨水や風が吹き込んでくるし、天井からは雨漏りもした。トイレは水洗でなく、オフロも台所も蛇口からは水しかでない。お風呂の湯沸かし器は家の外についていた。お風呂にはもちろんシャワーなどない。家の床の一部はたゆんでミシミシいってその上を歩けば底が抜けそうでした。
家は昼間でも薄暗く、家に友達を招いた時はいつも電気をつけました。友達がいないときは薄暗くても電気はつけない。それが当たり前でした。2階に上がると、床がミシミシいう。下(一階)にいた友達が「なにこの家?ミシミシ言って怖い。」って言っていたのを今でも覚えてます。
世間でもよくあるように、私も兄弟喧嘩をよくしました。それでも何故かいつも母親は弟ばかり庇いました。いつも怒られるのは私です。同じことをしても弟はあまり怒られません。母親は弟には強くものが言えないようでした。(今でも言えません。)やはり、大きくなったとき仕返しをされるのが怖かったのでしょうか?
弟もそれを理解していました。大人になってから、弟本人が「自分の方が(私より)可愛がられていた。」と言っていたと、弟の奥さんから聞きました。
弟が私の物を勝手に使ったり、私の残しておいたオヤツを食べたり、約束していたゲームの時間を過ぎてもゲームしたりして喧嘩しました。私は「自分の物は自分の物。他人の物は他人の物。」という考えがあったので、母親の言う「それくらいいじゃない。お前はお姉ちゃんなんだからそれくらいさせてやりなさい。」という考えがどうしても理解できませんでした。「どうして私が悪いのか?なんで私が悪いのか?私は何も悪くない!」そう思っていました。
喧嘩が終わらなければ、ほうきの柄で殴られたり、ハンガーで叩かれたりするのは毎回でした。ミミズ腫れにもなりました。それでも喧嘩が続く場合は、家の外に追い出されました。冬の寒い日も、雨が降る日も。夜遅くまで追い出されました。小学生が夜中の1時半くらいまで一人で外をブラブラ歩いていました。冬は寒くて仕方なかったし、裸足で傘もさせずに雨の中歩いたりしました。誰かが近くを通ると怖かったり、恥ずかしくて仕方なかったです。母親から、自分のランドセルや教科書を家の外に投げ捨てられたりもしました。
続く
おまけに、私はブスでデブで頭が悪く、服もあまりもっていませんでした。
同級生はお洒落をしているのに、私はお下がりの服を着たり、袖が擦り切れ茶色く変色した薄汚れた服を毎日のように着ていたので、イジメられたりもしました。
太っていたのは、私が沢山食べると親が喜ぶからです。私は、正直お腹いっぱいだったけれど、「お前はよく食べるな~。もっと食べろ。」 とニコニコ言われたら、食べないわけにはいきません。
親は、貧乏だったけれど食べ物だけは不自由させたくないと思っていました。
お菓子やアイスは、沢山ありました。
でも、おかずはあまり栄養のないものばかりでした。
揚げ物、味がついた肉をフライパンで炒めるだけ。弁当。スーパーの惣菜。そんなのばっかりでした。
生まれた時は2300gしかなかったけれど、その赤ちゃんの時以来痩せていたことがありません。
見た目は、デブの他に、一重、横に広がった大きな団子鼻、エラが張っている、前歯がない、天然パーマ、白髪、体毛が濃い等です。
同級生の男子に、当時テレビでよく放送されていた犯罪者の名前をあだ名でつけられていました。
私が何をしたっていうんでしょうか?私だって好きでこうなったんじゃない。好きでここにこんな風に生まれたわけじゃない。
私は、そいつらが怨みを買うようなことは何もしていません。
他人を使ったウサ晴らしでしょうか?自分がいじめられないために私をターゲットにしたのでしょうか?
今でもそいつらが許せません。
始めは、私もそいつらに文句を言ったり、抵抗していましたが、いつまでたっても私の顔を見てニヤニヤ薄汚い笑いを浮かべて蔑むように、犯罪者の名前を呼ぶイジメが終わらなかったので、無視をするようになりました。
廊下でそいつらの前を通らないといけないときも、何度も罵声を浴びせられましたが無表情を通しました。
小学6年生から中3の間まで。
その間に私の性格もずいぶん変わってしまいました。
思いだすだけでイライラします。そいつらだってブサイクだったくせに。
中1の頃から、クラスの女子にもバカにされていましたから、中3の頃、クラスに友達が一人しかいませんでした。
友達が休んだ日や選択授業の移動教室、班分けで行う授業のときは苦痛でしかたなかった。
針のむしろでした。
高校に進学して、新しい友達もできました。
イジメも中学のときに比べたらほとんどなくなりました。
でも、クラスの女子からバカにされたり見下されたり、鼻で笑われたり、薄汚い笑いを貼付けた顔で笑われたりしました。
髪の毛がストレートヘアではなかったので、廊下ですれ違いざまに「何あれ?ち○毛みたいじゃない?」と言われたりもしました。
薄汚いクソ女どもが地獄に堕ちろ!と思いました。
ちなみに、小学生低学年からずっと前歯がありませんでした。
小学4年生か5年生頃、いつまでたっても前歯が生えてこないので、歯医者に行ったのですが、「薄い乳歯がいつまでも抜けずに残っていたので、これが邪魔をして大人の歯が生えてこなかったんでしょう」と診断され、その歯を抜いてもらい「この乳歯を抜いたので生えてきますよ。」と歯医者に言われたので安心して歯が生えてくるのを待っていましたが、中学生になっても生えてくることはありませんでした。
その後、何度か歯医者に行く機会はあったのだろうと思いますが、「これだけ待っても生えてこないということは、何か特別な治療をしないと生えてこないんじゃないか」と思い、家は貧乏だったので、親のことを考えて歯医者に行きませんでした。
高校生活中もずっと、前歯がありませんでした。
おかげで、青春時代は口を開けておもいっきり笑うということもありませんでした。
笑うときはいつも口に手をあてて、隠していました。
途中まではかわいそうと思いながら読んでましたが、だんだん性格もあるのかなーと思いはじめました。
卑屈な態度が全面に出ちゃってるんじゃないですか?
『どうせ貧乏だから。どうせデブだから。』って思ってたらいつまでも変わらないような…
今後どうなっていくのか気になります。
中学生の頃の成績について。
学年220人中、190位くらいという成績が常でした。
高校は、普通科ではなく、農業系と商業系が混ざったような学科に進学。
レベルの低い学校であったことと、今までに勉強したことのない科目が多いこともあり、高校での成績はクラスで常にトップでした。
特に、入学したての最初の授業。先生が「この科目は、今までの知識が必要ない。だから皆スタートラインが同じ。ここから頑張って勉強して資格をとれ。」と言っていたことでやる気がでました。
高校での成績がよかったので、私は奨学金を得て、進学しようと思いました。
進学したかった理由は、「高卒というだけで求人に応募できない会社がある、将来の給与も違ってくる、高卒というだけで大卒者などに馬鹿にされる。」という理由からです。
本当は大学に進学したかったけれど、金銭的な面から短大に進学することに決めました。
高校三年生の間、自分の将来をどうするのか、どうなるのかを考え、不安になり、悩みすぎて過敏性大腸にもなりました。
休み時間は教室を出て、一人別校舎のベランダで過ごしました。昼ごはんも友達と食べずに周りから見えない外でこっそり食べてました。
日本育英会の奨学金を得る為に、面接を受けに行きました。
面接を受け、見事奨学金を得られる内定が決まりました。
これで進学できると思いました。進学したい県外の短大のオープンキャンパスにも行ってみました。
しかし、高校三年生の12月。年末に急に、母親が働いている会社で大量に従業員がリストラされることになりました。
母親はリストラされることになりました。
母親は、これを機会に以前から付き合いのある人と再婚することにしました。
そうなると、家計の収入が変わってきます。奨学金を得ることができなくなります。再婚したばかりの他人に、「進学するからお金を出してくれ。」なんて到底言えません。母親にも進学は諦めてくれと言われました。
私はお先真っ暗な気持ちになりました。
ばあちゃんは、山を売ってお金にして進学しろって言ってくれたけど、田舎の山なんて二束三文にもなりません。それにそんな大事なものを私のために売るわけにもいきません。
私は進学を諦めました。
持っていた夢や希望が打ち砕かれました。
頑張っても無駄。何もかも無意味。私がどれだけやったって、自分ではどうすることもできないことばかり。
さらにふさぎ込む性格になりました。
思春期の頃、周りには敵だらけ。理解者は一人もいない。親も学校も。誰も信用できない。友達だって上辺だけの付き合い。疑心暗鬼。人間不信。対人恐怖症、人の目を見て話せない。うまく笑えない。劣等感。前向きになれない。
こんな経験ばかりして腐らずにいられますか?
全部私が悪いんですか?私のせいなんですか?
いつになったら自己肯定できるようになるのか。
小さい頃から、親に全否定された。学校でも私の存在は否定された。見下された。蔑まされた。話したこともない同級生にも馬鹿にされた。侮辱された。「お前は誰だよ?私のこと何も知らないくせに、何いきがってしゃしゃり出てきてんの?お前が消えろ。」
見知らぬティッシュ配りの人間に、受け取らないだけでブスって言われた。お前に言われる筋合いねーんだよ!クソが死ね!
小学生の頃、「○○ちゃんは親の言うこと、手伝いをして偉い。それに比べてお前はなにか?恥ずかしい。小学○年生にもなって、そんなことを言っている。恥ずかしい。恥ずかしい。」母親は事あるごとに他人と私を比較して、私に劣等感を植え付けた。ずっと小さい頃から、ものごころつく頃から植え付け続けた。母親からしたら私は恥ずかしい存在らしい。
「小学○年生にもなって漫画なんか読んで、そんな子供らしいもの読んでどうするのか?」って、私が好きなもの興味があるものも否定し、鼻で笑った。恥ずかしいことをしていると言われた。
同じことをしても弟は褒められるのに私は褒められない。してあたりまえ。やってあたりまえ。同じことをしても弟は怒られない。私は怒られる。
小学生の頃から、生まれてこなければよかったと思っていた。
親を怨んだ。楽に死ねるなら死にたいと思った。
母親は怒るとヒステリーみたいになる。
グチグチグチグチ1時間も文句を言う。大声で喚き散らす。そのあと家から追い出される。
「お前なんか出ていけ!もう二度と帰ってくるな!お前なんかうちの子じゃない!」教科書やランドセル、服を家の外に投げ捨てる。
雨が降って裸足の時もあった。冬の寒い日も。寒いし行くところがないので、本屋で立ち読みをして時間を潰した。
夜中の1時半をまわったくらいに家に戻って、玄関先で謝って、母親の機嫌が落ち着いたところで家に入れてもらう。
次の日の朝には、母親はケロッとしていて、笑っている。「何か食べたいものはないか?」と聞いてきたり、お菓子を買ってくれる。
変わりように疲れてしまう。でも親が笑うと、笑いたくないのになぜだか顔が勝手に笑ってしまう。
子供には親しかいないから。子供は親に依存するしかないから。それしか生きていく方法がないから。
なんて理不尽で、不公平な世の中なんだろう。
同級生の可愛くて何の苦労もしていないであろう幸せそうにしている奴らが妬ましかった。
どうしてこんなところに生まれてきたのか。
あの子らは運がよかっただけ。私は運が悪かっただけ。
そう思ってた。
小さい頃は、引っ込み思案ではあったけれど無邪気ではあった。
だけど、人格形成が一番される思春期に、こんな経験、こんな仕打ちを受けたら性格も捻曲がる。こんな状況でヘラヘラ笑ってなんかいられない。
自分を保つには、強くならなきゃいけなかった。だから強がった。悲しくないフリをした。無表情を貫いた。やつらの前で泣くことは一度もなかった。泣けば負ける気がした。やつらの前でだけは絶対に泣きたくなかった。悔しいけどグッと歯を食いしばった。
親にも家族にもイジメられていることは言わなかった。自分の恥をさらすようで、恥ずかしかったから、全部一人で抱え込んだ。
私の人生のどこの時点が間違ってたんだろう?
全部か?
生まれてきたことか?
仮に人生をやり直せたとしても、結局同じ事の繰り返しにしかならない気がする。
だって、私の身に起きたことは、私にはどうすることもできないことばかりだったから。
それでも私が悪いって言うのだろうか?
人と関わらなくなって、人と話すことがなくなった。
何を話せばいいのかわからない。話したいことがない。頭に話すことが何も思い浮かばない。
目も直視できない。
嫌われないだろうかと考えて、人と関わるときは緊張する。
心療内科やカウンセリングに行ってもなおらないんじゃないかと思うし、なおらないかもしれないのに高額なお金を払うのがもったいない。薬漬けになりたくない。心療内科に通ってるのが知り合いにバレて異常者扱いされたくない。
だから心療内科には行かない。
だけど、私はそろそろ過去を清算して、新しく前向きに生きていきたいと思ってる。
「自分のことが恥ずかしい」と思う感覚をなくすには、自分に起きたことをなかったことにするんじゃなくて、自分に起きたそのままの過去を認識して、受け入れなければならない。
そうする為にこのスレを立てた。
もっと気楽に生きる為に、私は変わりたい。
あああああああああああ。やっぱり駄目だ。
抜け出せない。
毎日が退屈。だけど、ここから抜け出せない。
なんてつまらない人生なんだろう。
矯正もいつ終わるかわからないし、収入も低いし、友達とも上手くいってないし、自分に自信ないし、ダイエットも上手くいかないし。苛々するし、お腹は空いてないけど食べずにはいられないし、皆充実した輝いた日々を送っているのに、私はなんだろう?
毎日毎日退屈で、この狭い場所から抜け出せない。頭がおかしくなりそう。
助けてほしい。
運命変わらないかな?
運命変えたい。
でもどうしたらいい?
どうすることもできない。
努力することもできない。
やる気が起きない。気力がない。
私ももっと輝いているところで毎日輝いた生活を送ってみたい。
こんなしみったれた毎日を送って人生を終えるのかな。
何もかもが上手くいかない。
なんで?
底無し沼みたいだ。
抜け出そうともがいても、抜け出すことができない。
全部をゼロにできない。
現状からどう動くか。
それしかできない。
限られている。
動いたって、ただ沼の中でもがいているだけだ。
変われない。変わらない。
不安、焦燥感、絶望感
苛々する
何のために生まれてきたのか
憎い、妬ましい
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
どうにもならない
頭が締め付けられる
惨めな自分。
なんでこんなに惨めな人生を歩まないといけない?
周りと比べると、なんて劣った人間なんだろうか。
母親の従兄弟の子供はアメリカの大学に行って医学を勉強している。
母親の勤めていた会社の娘は、東京の有名大学に進学。悠々自適な一人暮らしをしている。
私の弟の嫁の兄弟は全員大学に進学。大学院にまで進学している。
やっぱ親の収入が違うと何もかもが違う。
一番腹立たしいこと。
こんなに惨めな人生なのに、母親は私に対して一つも申し訳ないと思っていないこと。
踏ん反り返った態度。どう考えても母親に非があることでも、私に謝ったことは一度くらいしかない。(それもどうでもいいことでしか謝ったことがない)
子供の頃、母親から散々ボロクソに言われた。
「出来損ない。気違い。」他にも色々。
どうしてこんな人生なのか?生まれないほうがよかった。それなのに偉そうにして許せない。
クズみたいな親。金がないなら子供なんか産むな!
私は絶対に子供をつくらない。子供が不幸になるのがわかるから。
私に出来ることは何か?
頭が悪い。
その中で出来ることは?
悪あがきをすることしかない?
人より理解力も処理能力も劣っている。
勉強してどこまでいけるだろうか?
それでも悪あがきをしている。
これから先幸せになれると想像することは難しい。
頭が悪い。収入が少ない。
どうやって生きていく?
唖然としたこと。
私が高校のとき、進学したいと親に言ったら、
「まさか大学に行きたいなんて言うと思わなかった。」
そう言った。
母親は、子供の将来のことなんてこれっぽっちも考えてなかった。
まぁ、中卒の母親からしたら、高卒で十分だと思ったんでしょう。
>> 46 うちは結構あなたと似ていると思う。ブサイクでいじめられていて、貧乏だった。父親からは「目が気に入らない」と殴られた。母達は「しょうがない、あんたはそういう運命なんや」と庇わなかった。母からは「お前がいるから世界は駄目になってるんや」と言われた。ごめんなさいが口癖やった。自分がこの世で一番不幸やと思った。生きてる価値がないと思った。でも、考えて、考えまくって必死にあがいたらうまくいく。今は自分が幸せにならなあかんと思ってる、だからすごい頑張ってる最中です。スレ主さんさ、自分が不幸やと思ってるかもしれないけど、頑張って生きてる人の人生が全部不幸になるわけあらへんとうちは思うよ。すごいしんどいと思うけど、頑張って頑張って頑張りぬいたら絶対いつかは幸せになれる。なれないとおかしい。だから後ろ向いたらあかんよ。前向いて、自分のやりたいことあるんやったらやって欲しい。まじめにそう思う。長い文ごめんなさい
>> 47
有難うございます。
私も、前向きに生きようと思うと日もあります。
でも、なぜだかその気持ちは長続きしません。
ふとしたところで、またどん底の気分に突き落とされてしまいます。
上がったり、下がったり、気持ちが安定しません。
前向きなときは、清々しい気分で何に対してもやる気が漲りますが、ふとしたときに他人が幸せそうにしているところを見たりすると、自分と比較して落ち込んだり、将来への不安を強く感じたりして、どうしようもなく心が落ち着かなくなります。
自分ではどうすることもできません。
前向きなときの気分の高揚や心の落ち着きの心地よさは私もよく知っていますが、意識的にはその状態に持って行けません。
心理学系の本も何冊も読んでいますが、うまくいきません。
弟との喧嘩。
口喧嘩から、いつも暴力に発展した。
髪の毛を掴んで殴ったり蹴ったり。
まぁ、よくあることかもしれないですけど。
それなりに痛い思いをしました。
弟はどうだかしらないけれど、私は喧嘩するときもある程度力の加減をしていました。
それは、もしかしたら弟が死んでしまうかもしれないと思っていたからです。
真剣に頭を殴ったら、腹を殴ったら。
もしかしたら打ち所が悪かったら死んでしまうかもしれない。
そう思って、力加減をしました。
弟は私の髪を掴み、床を引きずり回して、殴る、蹴る。
それでも、痛い思いをしても、私は本気では弟を殴りませんでした。
本当は殺してやりたいくらい憎かった。
このまま台所に行って、包丁を持ってきて突き刺して殺してやりたいと、何度も思った。
母親もいつも弟の味方をしていましたから。
でも、そうしたら、本当に私の人生は終わってしまう。
そう考えて、いつも我慢していました。
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