愛しき私よ
自分の闇を吐き出し、愚痴も許し
インナーチャイルドを抱きしめ
また自分を大切にし直す場所です。
スピリチュアル多め
地球や人に馴染めない
人間を辞めたいけど人間的泥臭さ満載
風の時代目前とも全然軽くならずもがいて溺れて、逆行する自分を愛したい
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助かった。
確かに助かったのだ。
里帰り出産をしなかった私にとって、もし夫が普通に会社員だったら
初めての育児に私は夫が帰ってくるまでの間独りで赤ちゃんを見る事は物凄く怖かったと思う。
怖くて怖くて仕方なかったと思う。
私は赤ちゃんを抱くのも我が子が初めてだった。
友達や親戚、兄など身の回りに赤ちゃんが生まれ、抱っこできる機会は何度もあったけど
私はだっこを進められても決して新生児や首の座らない赤ちゃんを抱くことは出来なかった。
怖かった。
壊してしまいそうで怖かった。
大丈夫だよとか、抱き方教えるよって言ってもらえても。
ただ見させて貰うだけで触れる事も出来なかった
子供嫌いではなくて、見ていてとても可愛いとは感じた。
自分が子供の頃や思春期の頃は
赤ちゃんや自分より小さい子供を、自分の妹以外に特別可愛いと思った事はなかったけど
ある程度大人になってから初めて身近に子供が生まれたのは私が18歳の時、友達の出産だった。
この時、物心ついて以来初めて赤ちゃんを可愛いと感じた事を覚えてる。
今までの自分に無かった感情だったから衝撃的だった。
自分の大切な人が生んだ子供なら可愛いと感じられるのだと思った。
だって、先ず知らずの人の子供や赤ちゃんなんてやっぱり興味なくて、可愛いと思う事もなかったから
安心して走り回って遊べるような、多分4歳くらいからだと思うのだけど
その程度大きくなった子供と遊ぶのが好きになった。
勿論友達の子や従兄弟の子供限定だけど。
それより小さい子だと、どんなに可愛くても責任持てないのでただ見守るだけになってしまうのだ
友達や身内の子供は可愛くても、自分の子供を欲しいとは思わなかった。
親になる責任も素質も自分にはないと思ってた。
子供と一緒に親も成長していくってよく聞いたけど
それでもある基準までの、親になれるほどの器や人間性を持ち合わせるまでは
子供を持ってはいけないと感じていた。
知人が子供を生んだけど、離婚して親に子供を押
し付けて男に走ってしまった
そもそもあの時の私は
引き取る事をうちの親が承諾してくれたら親に手伝って貰うつもりだったのだと思う。
私の母親は保育士として働いていた経験があったので全くもって当てにしていたのだろう。
でなければ親になれるほどの器や人間性を持ち合わせるまでは
子供を持ってはいけないと感じていた自分にその発想など生まれる筈がない。
家庭環境が複雑だったとはいえ知人の親御さんにとっては孫なのだから、いきなり見ず知らずの私が引き取りたいと申し出たとして快諾するはずもない。
矛盾だらけで本当にその場限りの思いつき浅はかな考えだったのだ。
だけどあの時は何故か
浅はかで無責任だけれども、そうしたいと思うほどなんともいたたまれなくなったのだ
私は21の時に妊娠した。
相手は2歳年上のアルバイト先の先輩だった。
子供が出来たこの時、私はこの交際相手を愛していない事に本当の意味で気付かされたのだと思う。
彼の前に4年交際していた人を忘れられずにいることを自覚した。
いや寧ろ、本当は忘れる為に付き合ったのだろう。
そんな事に気付きながらも、私は検査薬で出た妊娠反応の事実のみを告げた。
交際相手は(出産しても堕胎しても)どちらでもいいと言った。どうしたいかと聞かれた。
私は元カレへの未練の気持ちは伏せたまま
2人の経済的な面や、自分が親になるには年齢的にも精神的にもあまりにも未熟過ぎるので堕ろしたいと現実的な面だけを伝えた。
浅はかな同情で他人の子供を引き取りたいと思った私は
自分に宿った小さな命を殺める事を望むようになっていた。
相手の表情から安堵の色を隠しきれていないのを私は見逃さなかった
私はそれを見て内心安堵したのだ。
産んで欲しいと言われなかった事
心底悲しい思いや辛い思いをさせていない事に…。
そして彼は私の答えに了承し、少しの間を開け続けた。
今回は生んであげる事のできないこの子の為にも、2人でこの辛さを乗り越えようと言った
次またこの子が戻って来てくれた時には、ちゃんと生んであげられる2人になろうと
一瞬安堵した私は次には違和感と嫌悪感の織り混ざったような黒っぽい感情を抱いた。
家に着きぐるぐるとその理由を考える。
私たちの無責任で身勝手な行動により
ひとつの命を殺めてしまう事になるというのに
何故辛いのは私たち側になるのだろう。
性被害など悲劇の元で作られてしまった命では決してない。
悩んで悩んで生んであげられずごめんなさいと悲しみ、泣く泣く手放される命でもない。
以前何かで見た(避妊の重要性を訴える番組か何かだと思う)、堕胎時苦しんでもがくお腹の中の子供の映像を思い出した。
まだ目も鼻も形成されていない程
あんなにあんなに小さくても苦しいんだと直視出来なかった。
痛い思いをして苦しんで……ただ絶やされるだけとなってしまう命。
母親には愛されず
父親にはどっちでもいいと言われる命
いつか仮に、次は計画的に、万全な時に、望んで授かった命があったとして
その時にその子が戻って来てくれるなんてそもそもあるのだろうか…
次の子を授かり生む事が出来た時
私たちの過ちは無かったことになるのか
そう思う事で私たちは軽くなり、勝手に都合よく美談に書き換えてしまうことへの違和感
私たちは決して被害者では無いはずだ
数日経ち、私たち2人は病院へ行った。
検査薬同様、やはり妊娠していた。
かなり昔の事なので具体的な数字は忘れてしまったけど妊娠に気づいたのはかなり早期だったのだと思う。
医者に中絶の意思を告げると
まだ小さすぎて中絶は出来ないのであと2週間だったか少し待ってからの手術になると言われた。
20年以上昔の話なので今もそういう事があるのかは分からないけれど、当時はそう言われた。
大きくなり過ぎると堕胎できないのは知っていたけど、逆もある事に驚いた。
お腹に子を抱えている事実から早く解き放たれたかった。
一刻も早く楽になりたかった。
子供が大きくなればなるほど、自分の中の罪悪感も増長してしまうと思った私は更に重苦しい気持ちになった。
堕ろす為にわざわざ大きくしなければいけないなんて…
あと2週間も一緒にいなければならないなんて……
手術出来る最短の日を予約して病院を後にした。
私の予感は的中した。
待つ時間の長さは、嫌でも命と向き合わされる時間となっていった。
交際相手へ棚上げしていた問題はそのまま私のものとなって還ってくる。
罪の意識にさいなまれる。
本当に好きな相手(当時で言えば元カレになる)の子供だったとしたら生むのだろうか
経済的な理由を丸ごとクリアーできたとしたら生むのだろうか
どんな条件が揃えば私はこの子を生むという決断になるのだろうか
自分がどうだったら生むという決断になるのか
あらゆる状況を想定しても決してYESにはならない
考えても考え直しても行き着く答えの先は中絶しか選択肢がない自分に突き当たる
それでも毎日ほんの少しずつ子供は私のお腹の中で成長してるんだと思ったら
浮かび上がる思考に何度も呼び戻されては
決して変わることの無い答えに
同じ自問自答を何度も何度も繰り返す
そうして私の中に出たひとつの答え
私には母性がないのだと
私は母親になってはいけない側の人間なのだと思ったのだった。
手術の日、再び病院へ行く。
手術の同意書を提出し、手続きを済ますと間もなく手術台へと上る。
麻酔が打たれ私はすぐに意識を失った。
再び目が覚めた私に看護師は私の心と身体を気遣う優しい言葉掛けてくれ、そして教えてくれた
手術が終わってからの私は眠っているのに時々錯乱状態で泣き叫んでいたと。
どんな夢かは覚えていなかったけど、確かに夢を見ていたんだと思う。
夢は罪悪感からきのただろうけど
とてつもない悲しみと喪失感でいっぱいだった。
病院を後にした帰りの車の中で
交際相手も、先程看護師が教えてくれた私の姿を目の当たりにしていていたのだろう。
私に何度も何度も申し訳ないと謝った。
腹部の痛みに子供が受けた苦しみが残ってるみたいだった。
私は今日の日を絶対に忘れてはいけないと思った。
あの子を忘れたくないと思った。
それが無いと思っていた唯一の母性となったのか
罪の意識のみから来るものなのかわからなかったけど…
私は同じ事を二度と繰り返さないと
そして一生母親にはならないと強く心に誓ったのだった。
中絶してから1ヶ月経たったかぐらいの間もない頃だったと思う。
交際相手のお姉さんに子供が生まれたから一緒に赤ちゃんを見に行かないかと誘われた。
一緒に辛さを乗り越えようと言った交際相手に
何度も申し訳ないと謝ってくれた交際相手に
堕胎したあの日から向き合おうと思い直していたけれど。
それもきっと自分もその支えとなってくれる人が必要だと甘え続けていたんだろう。
流石にどういう神経してるんだと内心思ったけど
私は何故か何も気にしてない振りをして了承した。
一緒に赤ちゃんを見に行ったけど
その時のことは殆どというほど覚えていない。
彼氏は笑顔で赤ちゃんを見ていたんだと思うし
また私も、彼とお姉さんに悟られまいと笑顔を作ってその場を凌いだんだと思う。
でもその日を機に私は本当に交際相手と別れようと決めたのだった。
それからほどなくして
私はアルバイト先を辞める事にした。
交際相手と同じ職場だったので回りに気を遣わせたくなかったし、何より私も別れたら会いたくないと思っていた。
交際相手には違う仕事をしたくなったからと話た。
一緒だったアルバイト先を辞めるまで付き合い続けて、
辞めてから間もなくしてやっと私は別れを告げることができた。
前の恋人を忘れられないとやっと本心を伝えたのだ。
彼は逆上し
私の首を絞めた。
そしてまる1日彼の家に監禁された。
首を絞められても殺せはしないだろうと思ってたし、まぁ殺されてもいいやとどこか思ってたかもしれない。
焦るとか取り乱すとか恐怖に駆られるとかそういうものはなかった。
どこか冷静だった。
まさか彼にそんな危うさがあった事には内心驚いたのは確かだったけれど
命乞いするほど、じゃあそれで別れを思い直そうなんてなるはずもなく
彼が常軌を逸するほど
私の彼への気持ちは
生への執着を手放してもいいと思えるほど醒めざめとしていった。
半年以上経って彼とばったり遭遇することがあった。
私と別れてから3、4ヶ月ほどで彼には新しい彼女が出来ていたことも風の噂で知っていた。
だからかもしれないけど
あんな事があったというのに動揺せず寧ろどこか安心しながら普通に話す事ができ、軽くお互いの近況を話した。
私は翌年上京する事を決めていたのでその話をすると、
彼は最後に2人で子供の供養をしたいと言ってきた。
ずっと引っかかっていたのだと。
気持ちは有難いがどんな事情にせよ、隠れて会うのは今の彼女に悪いと言った。
とても驚いたのだが彼は彼女に
私との間に命を授かり、その命を堕胎した事実を付き合う際既に話していたのだと言う。
それが誠実なのか不誠実なのかはよくわからなかった。
聞かされた彼女はその時どんな気持ちだったのか、
私が中絶してから間もなく、彼のお姉さんの赤ちゃんに会う時のモヤモヤを勝手に重ねてみたけれど
当然だが、最後は他人の気持ちや価値観を推量る事などできず、
結局私は彼女では無いので、そうすることに意味があるのかさえわからなくなった。
その後彼から連絡があり、彼女から2人で供養へ行く了承を得たという事を聞いた。
私たちは彼が調べた水子供養のお寺に行った。
供養のお経を読んでもらうとか、何か特別な事をしてもらうのかと思ったけれど
彼の後を着いて行ってみたらただお寺で手を合わせるだけのものだった。
それでも初めて我が子の魂へ向け、手を合わせる事ができたので来れて良かったのかなと思った。
彼女との約束だったのかはわからないけど
彼は彼女を安心させるつもりだったのだと思う。
私と合流してからとお寺に着いてから、またお寺を出る際に、ちゃんとと彼女に連絡をしていた。
私も彼女に対し、こうして彼との時間を許して貰えたことに申し訳なくもあり
だからこそ余計有難い気持ちになった。
彼の中で私との事の精算だったと思うし
私も最後にはそうして感謝できたのだと思う。
お互い元気でと握手をし
これで私たちは2度目の
そして2人にとっての本当の意味での別れをしたのだった。
話が少し前後するのだが彼と別れてから偶然再開するまでの間に
私はこの彼の前に付き合っていた彼へ
残したままである自分の思いを告げようと思い行動した。
彼との終わりは突然だった。
一時だが同棲した事もあったし
会えない日は毎日電話を日課としていたのだけれど
ある日から連絡が取れず音信不通となってしまったのだった。
それでも毎日電話を掛け続け、待ち続けていたけれど返ってはこず。
私は捨てられたのだと理解した。
彼の家へ行く事もできたはずなんだけど
なんでかそれが怖くて出来なかった。
捨てられた事実がそこにある気がして。
それを見る事も受け入れる事も怖かった。
受け入れる事を拒否したような状態のまま時間だけが過ぎ、待つことに疲れ
あの彼に告白され付き合う事にしたのだった。
彼と別れ
私は音信不通になってから1年以上ぶりに元彼の家に行った。
夕方頃に行き呼び鈴を鳴らしたけど出てこなかった。
外から窓を見たけれど電気がついていなかったので、まだ仕事をしてるんだと思った。
私は彼に家の近くまで来ていてすぐそばのファーストフード店で待っている事をメールで伝えた。
全てを知らなければ前に進めないと思った。
今まであんなに連絡しても一向に返さなかった彼は
1時間近く経った頃には現れた。
彼の話では
私と音信不通にする前に、職場の女性と浮気をし性病を染してしまったということ
その彼女に責任を取れと喚かれ、暴力を受け
それから一緒に住む事になってしまったと聞かされた。
どんな病気か聞いてみたが、しかし私にはそのような性病を疑う症状はそれまでなかったので更に問いただすと
他にも浮気をした事があったという。
彼はパニックになり、4年も付き合っていた私に一体何からどんな説明をしたらいいか答えが出せぬまま、逃げるように結果音不通にしてしまったという。
そもそも私にもその性病がもし染っていたのなら、その可能性だって大いにあったはずだ。
その状態で音信不通にする事は浮気より不誠実な気がした。
私がその時、今日のように家に来たら一体どうするつもりだったのか聞くと
その時こそなるようになれと思っていたと言う。
更に彼女を好きなのか聞くと
わからない、
最初は彼女のいう責任の取り方で一緒に住み始めたけれど、今は情のようなものもあると言った。
今までは優しいと思っていたが実はただの優柔不断だったのではないか
その場しのぎの行動が多いしそもそも全部本当の話なのだろうか
4年も一緒にいたけど見抜けなかった、気付けなかった。
それとも4年という歳月の中私がこうさせたのだろうか……
私の好きだった人はまるで別人かのようで
今目の前にいる人を果たして今の自分はどう感じているのか……
育み過ごしてきた時間を考えたらモヤモヤは沢山あったけど
漸く私は、彼への気持ちに見切りを付ける事ができたのだった。
翌年の3月末、私は妹の進学に合わせ2人で上京した。
私も環境を変えたかったし
私自身妹と仲が良かった事、親が妹1人で行かせるより2人の方が安心だということなど
全てが自然の流れでそうなっていった。
住み慣れない土地に、知らない人ばかりの生活は新鮮で、経済的には実家に住んでいた頃より多少困窮したけどとても自由を感じていた。
私は近所でアルバイトを始めて
新たな仕事に新たな人間関係を少しずつ築き
都会といえどもそれはとてもとても小さな世界で、だけどその小さな世界に居心地の良さを感じていた。
しばらくしてその生活にも慣れ、アルバイトを掛け持ちし世界も少し広がってきた頃
私は新たな恋した。
だけどその人は前の恋人をひきずっていたのだった。
仲良くなるうちに
それはとても驚いたのだけれども、その人もまた
前の恋人との間に子供を授かっていた事を聞かされた。
彼は結婚を望み
その為に仕事も頑張っていたけれど、相手がまだ高校生だった為
彼女の親から反対を受け彼女は結局中絶をし
最終的には別れなければならなくなったと打ち明けてくれた。
その彼とは結局
恋愛関係には進展せず、友達としての親交をそれ以上深める事もなく自然と距離ができていった。
新しい生活にも、仕事への忙しさにもすっかり慣れていった私は
なんだかとてもとても寂しくなっていた。
そんな時、出会い系サイト(今でいうマッチングアプリ)を利用した。
当時は今のように一般的でもオープンなものでも堂々とできるようなものでもなかった。
それによる犯罪も多かったことから
健全ではない、どこかうしろめたさのあるような暗いじっとりとした印象の物だった。
手を出してはみたが私の中にもその恐怖はあったし、回りに利用者もいない。
全ては想像の世界で、だからとにかくそこを越えなければいいのだろう
つまり会わなければ危険でもないだろし
電話番号やメールアドレス等の個人情報を教えなければ更に小さな危険からも回避できるだろう
あくまでもバーチャルのままであればいい。
警戒心と好奇心が折り重なった不思議な心境だった。
簡単にプロフィール欄を埋め
求める形態はメル友
募集要項に誠実な方、サイト内でのやり取りからと念を入れ入力したと思う。
そんなに頑張ってもないし、多分面白みもなにもないプロフィールだったと思う。
今でこそそれありきの写真もなかった。
それでも沢山
あっという間にメールが来て驚いた。
正直全部まともに目を通すのが面倒になるほどの数だった。
メールを読んで気になったらプロフに飛んでお相手の情報をチェックしてみる。
判断材料は嘘か誠か分からない無機質な活字のみ。
選ぶだけでも一瞬途方に暮れたけど
私はある人のプロフィール欄にあった
【誰に似ている?】にクスッとした。
【誰に似ている?】小鳥
小鳥って何っ?!ってなった。
小さいって事かな?って思って身長欄を確認すると予想外の180cm
180cmの小鳥似の人
それも鳥ではなく小鳥限定 笑
想像しようにも全然出来なくて、何故だか私はそれが妙におかしくって
何故だかそんな時間に癒された気がしていた。
しかしその人の他の自己紹介文は
それ以外至って普通で、何か捻るようなものも、ユーモアがあるなって感じるものも突出した何かがあるわけでもなかった。
だけど何となく真面目そうだなっていうのを感じた。
バーチャルとはいえできるだけ悪いものに引っかかりたくないと選定しながら
ちょっと気負ってたのだろうか
笑えた事に安心したことで少しの特別感を感じたのかもしれない。
私はその人にメールを返す事にした。
複数人と一度にやり取りする事も出来たはずだけど、疑心暗鬼になって見極める作業に時間と労力が取られる為
結局メールを返したのはその人のみだった。
その人に不信感を感じたりつまらないと思えばその時また選別しなおせばいい。
アルバイトが終わりサイトを開くと返信した彼からのものとまた別の新規のメールがいくつか来ていた。
他は無視し、彼のみへメールを返す。
彼は2つ歳上で飲食店で働いているそうで、仕事柄お酒の知識が豊富だった。
私もその頃、掛け持ちのアルバイトで夜は週の3日程度スナックで働いていたので少しお酒を取り扱ってたけど
知識といえばその程度でたかが知れてるし
更にお店で女の子の飲酒は禁止されていたので
尚更よくわからなかったけど、お酒は強くなくとも嫌いではなかった。
仕事で飲めない分、帰りはたまにお店の女の子同士で飲みに行ったりしてた事から興味もあったので共通の話題は主にお酒だった。
同業みたいなものだからと
夜スナックで働いている事への偏見もなく、寧ろ大変な仕事だろうと労ってくれたのが嬉しくもあった。
仕事柄なのか言葉遣いはとても丁寧で
出会い系サイトのイメージに反するような、どこか品性をも見受けられるほどだった。
変に馴れ馴れしくもなく、かと言って過剰なほどよそよそしくもなく心地よい距離感を常に持ってくれていたのに心地よささえ覚えた。
気になっていた小鳥の一体どんな所に似ているのか聞いてみると
髪質が小鳥のようにふわふわしてると教えてくれた。
まさかの毛質に内心私はまた笑って
彼の独特さを面白く好意的に感じた。
こんな風に私が警戒心を解くのに時間はそれほどかからなかった。
1週間ほど経った頃だろうか。
私は毎日楽しくメールをしていたが、
ふと彼は男性である事から
このサイト内で交しているメールの一通一通にお金が掛かっている事を思い出し、なんだか居心地の悪さを覚え始めていた。
始めた頃には持ち合わせていなかった自分の考えの変化だった。
この短期間にそれ程私は彼を信頼するようになっていたのだった。
意を決し、ある日私は彼へサイトではなく個人のメールでやり取りしないかと持ち掛けてみた。
彼は少し驚いたようだったが、とても謙虚にお礼を言ってくれた。
ここから私たちはサイトから抜け出たやり取りに変わっていった。
直接のメールに変わるとタイムリーでレスポンスができるようになり
それはもっとお互いの関係が自然となり身近になっていき、日常の一部となっていったのだった。
お互いの信頼関係を直接のメールで更に構築していくと、今度は実際に話してみたくなるのはもう自然な成り行きだった。
いざ電話番号を教えるとなるとやはり緊張はあったけれどもっと知りたいという好奇心には勝てないのだ。
電話で実際話してみると、自分同様相手からも緊張感が伝わってきた。
でもその相手からの緊張感に、へらへらとしていない彼の人となりを伺い知れた様で安心したし
サイトから直メール、そして電話へと移行していく際はどれも私からのペースを軸としてくれた事や
知れば知るほど、近くなれば近くなるほど
彼への印象は誠実さ増していったのだ。
そうなるといよいよ今度は実際に会ってみたくなるのというのは時間の問題となっていったし
確かに彼への気持ちは好意的ではあるけれど、
じゃあ顔も知らないこの人を私は好きなのかと考えてみると勿論よくわからない。
どっちつかずのなんとも言えない自分の感情を確かめてみたくなった。
そしてなにより彼への興味を抑えることはできなくなっていった。
新宿駅南口改札出口で私たちは初めての待ち合わせをした。
改札口を出ると私はすぐに電話を掛けた。
携帯を耳に当てたままの私を彼はすぐに見つけ出してくれた。
坊主頭で背が高く
背筋はピンと伸び、スラリとしたスタイルと
シャツは第1ボタンまで止め、身なりにもキチンとさと清潔感があり
チャラさやだらしなさは微塵も感じられなかった。
なにより彼の笑顔はとにかく柔和で優しく、私は一気に安心したのだった。
繰り返すが、今でこそ普通に真面目な人も誠実な人もいろんな人がいるのだろうけど
当時の出会い系サイトの印象からどんなに好印象だったとしても、正直ある程度の覚悟もしていた私は
一体こんな人が何故?という衝撃と驚きだったが、それを出してしまったらまた失礼になると思い兎に角平静を装おったのだ
私たちはそこから2人でまた電車に乗り、ある遊園地へと向かった。
今考えてみると
出会い系で初めて会うというのに
目的地が遊園地というのもなかなかハードルが高いというかぶっ飛んでいたなと思う。
彼に事前に当日何処へ行きたいか聞かれていた私は
久々に子供の様にはしゃぎたいと思っており即答で遊園地と答えていたのだ。
お互い実際会ってみて
友達としてさえ厳しいと思ってしまう場合だって大いに有り得るはずで
そんな相手と遊園地を共に過ごす時間はかなりキツイだろうし
途中で体よく切り上げるという訳にもいかなそうな場所にも関わらず
内心彼はどう思っていたかわからないけど
そんなこちらのぶっ飛んだ提案にも
彼は戸惑う様子もなくOKしてくれたのだった。
遊園地へ向かう電車の中では
これまでメールや電話で積上げてきた時間の延長線のように
とても自然に会話を楽しむことができた。
楽しみにしていたジェットコースターや絶叫マシーンを一緒に体感する事で
更にテンションが上がり笑い
正に子供のようにワクワクし無邪気にはしゃいだ。
心からこんなに楽しめたのはいつぶりだろうか
もしかしたらそこにはアトラクションによる
吊り橋的な効果も加わったのかもしれないけれど
私は時間を過ごせば過ごすほど彼に心を開いていった。
そんな夢みたいな楽しい時間だったので
あっという間に夜になってしまい
私たちは名残り惜しく遊園地を後にした。
彼が次に連れて行ってくれたのはおしゃれなワインバーだった。
シックで高級感があって、ムードのある静かなお店だった。
それまで自分が飲むお店といったら
チェーンで若い子が大騒ぎするような
ガチャガチャとした賑やかな居酒屋ばかりだったから
敷居が高いというか、異世界の様でちょっと緊張した。
彼自身そういうところで働いていたからか
メニュー選びもワインの注ぎ方もスマートで
料理の取り分けまで当たり前の様にしてくれた。
その全ての所作が美しく
少しの嫌味もなく、至れり尽くせりで
男性にこんな風に扱われる事が初めてで
先程まで遊園地で子供の様にはしゃいだ私は
今度は打って変わって大人の女性の気分を味わっていた。
以前に私が
ワインを美味しいと思った事がないこと
その為、あまり好きではないと話していた事を
彼は覚えてくれていたようで
ワインを美味しいと思ってくれたら嬉しいと思いお店を選んだと話してくれた。
お料理も創作的でお洒落でとても美味しかったし
今までしたことのない体験や
受けた事のない細やかな心遣いに感激した。
お店の雰囲気に合わせ
少し大人な気分を装いながらも
私は内心、やっぱり楽しくて浮かれっぱなしで
今まで飲んだ事の無い量のワインを
自分のテンションに任せてガンガンに飲んだのだった。
しかしどうだろうか……
私は確実に楽しかったのだ。
私は彼と居た
たった数時間の間の自分をなんとなく思い返してみる。
きっとシラフだったとしても昨日の浮かれた私ならしていたのではないだろうか…
そうだ
きっとなるべくしてそうなったのだ
それを含めて楽しんだで一体なんの問題があるのだろう。
彼に遊ばれたようで
実は私の方も遊んだでいいじゃないか
お互いただただ楽しんだのだ。
そこに落ち込む必要など少しもないし
きっとこれも大人の経験なのかもしれない
そう思うと
また少し眠くなり私は寝返りをうった。
その気配に気付いたのか
はたまた情景反射てきなものなのか
眠っていたと思っていた彼に後ろから抱きしめられた。
彼の体温に何故だか私の心はあたたかくなり
そのまま再び眠りについた。
次に目を覚ました時
私の背中にはまだぴたりとくっつく彼の温もりがあった。
気だるさも、頭の痛さや気分の悪さも
ずいぶんとマシになっていた。
同時に起きたのか、それより前に起きていたのか
彼も目を覚ましている事がなんとなく伝わってきた。
そしていつの間にか再び身体を重ねた。
一度目は酔っていて殆ど覚えていなかったけれど
二度目のそれに、私はまた味わったことの無い衝撃となんとも言えない幸福感を感じた。
とても丁重に…大切に…
彼は私をまるで繊細なガラス細工でも扱うかのように優しく扱い
時には身体を少しでも離すまいとするかのように
力強くもまた優しく引き戻され抱きしめられた
どこまでもそうされる事が心地よく
そうされることで自己肯定感がどんどん上がっていくような不思議な感覚に
私は穏やかに身を任せる事ができた。
今まで私が経験してきたセックスの概念が崩される
それはいつも支配的で
荒っぽいものだったから
別れる直前まで彼は徹底的に優しく
昨日より更に親密となった私との時間を名残り惜しんでくれたかのようにさえ見えた。
彼とは別の電車にひとり乗り家路へと向かう。
少し余韻に浸るのだけれど決してそれは寂しいものなんかではなかった。
やはりそこには
出会い系で会ったという、どこか不健全さを消せず
もう連絡はないかもしれないというワンナイト的な可能性を含めても…差し引いても…
あんなに身も心も癒されたスペシャルな一時を過ごせたのだからそれだけで満足だった。
傷つきたくないという自己防衛からなどではなく
純粋にそう思えたのだった。
その日はとても快晴で
まるで私の心を映し出しているかのような空だった。
来ないかもしれないと思っていた彼からの連絡は直ぐにきた。
それ以降、メールや電話は会う前よりもっと楽しいものとなり頻繁になっていった。
例えば、特別な用事がなくても
仕事の合間ほんの2〜3分の隙間時間とかにも電話を掛けてくれたりとか
私は彼の変化に驚きはしたけれど
勿論悪い気なんて全然無くて、やっぱりすごく嬉しかった。
お互い忙しいながらも時間を合わせて何度か会い
そのデートは毎回楽しかったし
いつも歩く時は
彼が自然と車道側を歩いてくれてる事に気が付いた時には
彼の心遣いにまた心があたたかくなったりした。
毎回会えば身体も重ねていたけれど
その全ては最初の頃と少しも変わらず大切に私を扱ってくれた。
でも彼は一向に告白をしてはくれなかった。
私はもうとっくに好きになってしまっていたし
彼もきっと私を好きになってくれたのだと思っていたから、会う時は今日はしてくれるかな?っていつも期待していた。
どんなにマメで、楽しませてくれて、言動も行動も大切に扱ってくれても、どの瞬間でも紳士的であっても
付き合ってるという関係性がお互いの言葉によって成立していない事になる。
これはもしやセフレなのではないか…
私はまたお互いの出会いのきっかけが
出会い系であったという事にフォーカスしてしまうようになった。
だけど彼はどんな時でも優しく
どんなに仕事が忙しくとも疲れていても
私にその大切な時間をくれた。
心が和らぐいろんな事を与えてくれた。
好きだと言う言葉はないけど
私は時々不安にフォーカスしてしまっても
彼がただいつもの様に
普通に接してくれるだけでまた無条件に安心させてくれた。
彼に傷付けられる事が少しも想像できなかった。
だからある時私は安心して聞いたのだ。
「私たちって付き合っているの?」
彼は動揺を見せ
少し焦ったように、そして少し恥ずかしそうに言った
「え?そうだと思ってたんだけど違うの?!」
私はとてもおかしくなって笑った。
それまでずっとスマートだと思っていた彼が
とても不器用でとてもピュアに見えたからだ。
好きだとも付き合って欲しいとも言われてない事を私はまた笑いながら彼に話した。
彼は一瞬キョトンとしたが、また恥ずかしそうに
そして少しの時間を置いてから、意を決したように
彼は私に告白をしてくれたのだった。
私と彼との交際はとても順調だった。
今まで経験してきたどの恋愛より愛をもらい
安らぎを感じ満たされていた。
彼は相変わらず、時間が経っても
どんな時でも常に紳士だったし常に優しさを携えていた。
どんな内容だったか忘れてしまったのだけれど
ある日私たちは珍しくデート中喧嘩をした。
怒った私はデートを中断し帰ってしまったのだ。
喧嘩というより私が一方的に怒ったのだろう。
彼はどんな時も私を傷付けるような事はしないので
きっと私のワガママだったのではないかと思う。
その頃私は以前やってた昼間のアルバイトを辞め
新宿で働いていたのだけれど
喧嘩をした翌日彼は私の出勤ルートであった地下道で待っていた。
彼と目が合うと彼は私の所へ寄ってきた。
昨日彼に対して怒り任せに酷い言葉も吐いたと思うのだが
彼はいつもの笑顔を携えて、びっくりしている私に手紙だけ渡して去っていった。
出勤時間まで少し時間があったので私は途中で手紙を広げた。
そこには昨日のデートでの喧嘩の謝罪と
彼にとっていかに私が大切かが綴られていた。
そして最後に
おじいちゃんとおばあちゃんになっても一緒にいたいと書いてあった。
異性から手紙を貰ったのも初めてで嬉しかったが
それ以上に彼の真っ直ぐな気持ちや、思い、使ってくれた時間や労力全てが
私を感動させまたも私は彼に癒されたのだった。
東京へ引っ越してきてから2年経とうとするころ
私と妹は新たなる引越しを考えていた。
私たちの両親は、父親の度重なる借金などが理由で私たちが東京へ出る少し前に離婚が成立していた。
実家は母方の祖父母たちから貰った土地に建てた為父親が出ていったのだ。
間もなく進学、就職で実家を出ていた兄が精神病を患い実家へ戻ってきて
兄を看る為、母が以前のように働けなくなった事もあり
今まで母親が家賃を仕送りしてくれていたのだけれども
それがままならなくなり、上京した数ヶ月ののち
母親から今後、仕送りが出来ないという事を知らされた。
仕送りどころか母親が大変だと思い、私もそんな母親を支える為に帰ろうか聞くと
父親が時々来てくれているから大丈夫だと、それより高校を出たばかりの妹を都会で1人で住まわせるのも逆に心配になるのだと言う。
ある時彼が
部屋がひとつ空きそうなので家へ来ないかと言ってくれた。
当時彼は
築年数はとても古いが、二階建ての借家で
彼の友人とその友人の知人の3人でルームシェアをしていた。
そのうちの友人の方が実家に帰る事になり一室空くのだという。
古いと言っても私たちがどんなに逆立ちしても一生住めないような土地柄だったし、治安もいい。
一室を2人で借りるのだが、アパートの方もロフトのついた1Rだったので
元々狭い所に2人で住んでいた為、狭さも全然気にならなかった。
何より土地柄から考えると家賃が破格だったのが魅力的だった。
正直2人で住んでた都心かも最寄り駅からも遠いアパートより安かったのだ。
今思えばもしかして彼が少し払ってくれていたのかもしれないが…
その時の私は彼の提示額を信じていた。
私は妹に相談し、彼以外に知らない人が1人いたとしても
妹もまさかそんな土地で暮らせるなんてと大喜びだった。
因みに当時の妹と彼の関係を少し話そうと思う。
大体泊まりでデートをする時は
私が彼の家へ行く事が殆どだったのだが
妹が友達の所へ泊まって来る時は家に泊まりにくることもあった。
彼と妹が初めて会ったのは彼から改めて告白を貰って間もなくの頃だったと思う。
ある日妹と新宿で買い物をしており、彼も休みだった事から
急遽3人で食事をしようという事になり呼び出したのだ。
彼が来るまで少し時間が掛かるし、その間に私たちが先にお店を見付けた方が早いと思った。
そこへ居酒屋のキャッチのお兄さんに声を掛けられた。
飲み放題でコース料理だという
とても安かったしお店もすぐ近くだった事から
私たちはそこに決め、彼にメールをしたのだった。
お店に着くとまぁ雑居ビルに雑多な作りの店内で実に安っぽかった。
個室と言っていたけれど
ただのベニヤ板みたいなので席が仕切られている。
正直安チェーン店の方がよっぽど綺麗だ。
まぁいいやと思いドリンクを頼み、少しした頃彼が到着した。
彼も店内を見てびっくりしている様子が隠せない。
元々料理はコースのみだったのだけど、
「チン」という電子レンジの安っぽい電子音が何度も遠慮なしに聞こえてくる。
それに苦笑いする彼。
ここの店やっぱりヤバかったかな?って彼に言ったら
どう見てもヤバいでしょ?
と珍しく私にダメ出しをした。
冷凍食品をせめて加工して出すのかな?と一縷の望みに掛けてみたりもしたけど
全くもってただチンしただけのふにゃふにゃの唐揚げが出てきたりする 笑
全然美味しくない。
居酒屋コースなのでストップも掛けられず
皿の上の料理は全然減っていかないのに
それらと同クオリティの料理が次々とテーブルに運ばれてくる。
私たち3人は堪えきれず吹き出してしまった。
彼としては初めての妹との食事なので、
急遽と言えどもちゃんとした美味しいお店がいいと思っていたそうだ。
彼の性格を考えてみたら確かにそうなのだろうけど
それである意味盛り上がり、彼と妹はすぐに打ち解け合った
それからその年の年末年始
兄の件でそれどころではなかった実家に
私と妹は帰省を取りやめた。
大晦日に彼がきて3人で年越しをした。
私はいつもロフトで寝ていたので彼も勿論ロフトで寝て翌日3人で初詣に行ったり
彼の人柄と優しさがあって
妹と彼は順調に仲良くなっていったのだった。
それから私たちはワンコを飼っていたのだけれど
彼はワンコもとてもかわいがってくれた。
子供の頃から動物を飼うという機会がなかったみたいでどう扱えばいいか少し探り探りだったけど
不器用ながらも本心で愛でてくれているのが伝わってきた。
私が大切にする人や対象を彼も大切に接してくれた。
そういうところが恋愛だけでなく、人としても
とても尊敬できて、彼の愛情深い心がその度有難くて嬉しかった。
しかし彼の住んでる家はペット不可物件であり
ワンコを飼うことができない。
私は母親に電話して事の経緯を話し相談すると
母親は預かってもいいと申し出てくれた。
兄で大変なのにワンコまで大丈夫かと思ったのだが
やはり兄を看るのが大変である為
実は父親に戻ってきて貰っており、再び一緒に生活してるのだと言う。
父親はお金にはルーズなのだが、優しい人なので私はワンコを託す事にした。
こうして私たちは彼の住む借家へと引っ越した。
出ていった彼の友人の知人、
つまり私たちのもう1人のルームメイトとなる方は
当時多分45歳くらいの男性でフリーライターをしている方だった。
当時の私たちからするとおじさんだったが、仕事柄からなのか土地柄からなのかちょっと小洒落ていて個性的な方だった。
その方が1階部分に住み
2階に彼の部屋、その向かいが私たちが使わせて貰える部屋だった。
キッチン、トイレ、浴室は共同で1階にあった。
私と妹は挨拶をさせてもらい
荷物を運び入れる。
前のアパートが家具家電付きだったから
大きな物はなかった為、
彼にレンタカーを借りてもらい荷物の搬入を自分たちで行った。
こうして書いてみると
見ず知らずのその知人男性と住むことに抵抗感はなかったのか
不思議に思われる方もおられるかもしれないけど
自分でも何故だかわからないがその時は全然なかったのだ
配慮不足だったかもしれないが、妹から不安視される事も言われなかった。
それは事前に彼から
時々おじさんの部屋を出入りしてたり
玄関やトイレを掃除してる彼女と思わしき女性がいると聞いていたから
それがひとつの安心材料になっていたのかもしれない
因みに引っ越しのこの時、自分の母親と彼は初めて会った。
病気の兄の事を父に任せ、ワンコの引き取りと引越しの手伝いに来てくれたのだった。
私の計画を反対せず尊重してくれたが、妹も巻き込むので実際はかなり心配だったのではないかと今なら母の気持ちを慮れる。
とても凄いことだと思う。
彼に会った瞬間母が安心したのが伺えた。
とても気に入ってくれたしなにより嬉しそうだった。
とても緊張しただろうけど、彼は妹に接するのと同様に母にも誠実に対応し、しっかりと挨拶をしてくれた。
一泊して母は安心して帰って行った。
それから私たちの奇妙な同居生活が始まったのだけれど同居生活は好調だった。
生活時間があまり一定してないように感じたおじさんとは殆ど会わなかった。
おじさんも気をつかってくれたのだろうし
おじさんはキッチンをよく使ってたのだけれど、私たちは後から来た人間だったことから
私たちも何となく遠慮して自炊をほとんどしなかった。
でもそれが不満とかストレスとかにはならなかった。
しかしこの奇妙な同居生活は1年も持たなかったのだった。
その原因は私だった。
私がワンコと離れた寂しさからだった。
ワンコは実家でみてもらっているので安心だったし
私自身もそのうちワンコがいない生活に慣れると思っていた。
しかし慣れるどころか日に日に会いたい気持ちが募っていった。
時々実家に帰るとワンコも大喜びしてくれて嬉しかったけど、沢山遊んで別れる時はとても切なくなってしまい
帰ってからも尾を引いてしまうのだった。
そんなある日、私はまたワンコと暮らしたいと彼に打ち明けた。
彼は私の気持ちを汲んでくれ、ペット可物件に引っ越そうと言ってくれたのだった。
一気に2部屋空いてしまう為、家賃的におじさんに迷惑が掛かってしまう。
今では当たり前にあるシェアハウスと違い
個人間でそれをしているのだから抜けた分の穴埋めは自分たちでしなければならない。
彼はおじさんに事情を話し、
新しいルームメイトを探すか、おじさん自身もまた個人で引っ越すか掛け合ってくれた。
3ヶ月だったか4ヶ月だったが半年だったかは忘れてしまったけど、多分その位の時間の有余を与えなるべくおじさんの事情を考慮してあげようということになった。
おじさんも部屋を出るだろうなと思っていたけど、結局おじさんは自分の知人からルームメイトを見付け2部屋とも埋めた。
こうして私たちも晴れて物件を探し引っ越すことになった。
次に引っ越した先は普通に不動産で見つけたのだけれど
分譲マンションの一室を個人オーナーから借りるという形の所で間取りは2LDKだった。
築年数は古かったけどお風呂意外はリフォームされていて広く綺麗だったし、家賃も手頃
3人とも通勤しやすい場所だったのとやはり1番はペット可物件というのが決め手だった。
妹は既に学校を卒業し働いていたけど、家賃も安くなるし安心感からか彼との共同生活が嫌ではなかったのだろうそのまま一緒に来てくれた事で私も安心していた。
引っ越しも落ち着いたのでワンコの件で実家に電話をすると、両親がワンコと離れる事を痛く寂しがった。
元々離婚した夫婦が、精神の病気を患っている兄を世話する為にまた一緒に生活をしているのだから
ワンコの存在が癒しとなり潤滑油になっていたんだと私は気付かされた。
時々帰省する時も、ワンコが母からも父からもとても愛されていたのを見てきた。
自分の寂しさにばかり気を取られていたが、両親にとってワンコはかけがえのない家族に既になっていたのだ。
ワンコにとってはどうだろうか…。
両親から可愛がられとても懐いている。
小型ながら狩猟犬であるワンコはのびのびとした田舎暮らしにすっかり慣れており快適に生活している。
彼は15時頃仕事に出るが、それでも3人共に留守にする時間は数時間ある。
前はお留守番に慣れてはいたけど、実家では誰かしら常に家にいる状態で寂しくはないだろう。
両親やワンコにとってはこのままの生活の方が好ましいに違いない。
私はとても切なかったがワンコを諦める事にした。
両親は喜んでくれたし、ワンコの為にもこれで良かったんだと理解していても
引っ越しまでしてワンコとの生活を心待ちにしていた私の心は埋まらなかった。
3人で話合い、新しいワンコを迎え入れる事になった。
新しいワンコはペットショップで購入したのだが
他の子より大きくなっており、個々に入っているショーケース型のゲージ?ではなく、サークルに入っていて自由に触る事ができた。
しばらく見ていたけど全然人間に興味が無いようで、嫌がりはしないものの触っても反応が薄い。
そこそこ広いサークル内だが殆ど動く事もせずつまらなそうにただじっとしていた。
何となく前のワンコの時の出会いと重なり、結局この子を連れて帰ってきた。
ゲージに入れれば、出入り口を開けたままにしていても入ったまま
ゲージから出してもペット用ベッドの上にただじっとしているだけだった日が数日続いた。
とても大人しく、お留守番も上手だった。
お散歩も本当に少しずつだが歩いてくれるようになった。
また数日たち、ワンコが生活にも私たちにもある程度慣れたかなと思えてきた頃
フィラリアや去勢の相談に初めて病院を訪れたのだが、後ろ脚が弱いと医師に告げられた。
原因は長い間狭いペットショップのショーケースやサークルにいた事で筋力が発達していないという事で、お散歩時間を増やして下さいとの事だった。
ワンコは動かないのではなく動けないんだと知り、それからはもっとお散歩時間を増やした。
去勢も調べてみると睾丸が袋ではなくお腹の中にあり、あるべき場所にないとの事で開腹手術となったが無事済ませる事が出来た。
脚の筋肉の件で定期的に病院に行ったが、順調に筋力は増えていき私達も安心した。
苦痛そうだったお散歩も楽しめるようになった様子で、ワンコらしくなり家でも外でも好奇心を伺わせるようになった。
おもちゃでも遊ぶようになったし、ペット用カートを買い電車等を使ってドッグランやちょっと遠くの広い公園へもよく遊びに連れて行くようになった。
帰省する際も一緒に連れていき、実家のワンコとも一緒に散歩やお出かけをした。
この後も両ワンコは登場するので
今更ながらここからこの2匹を識別してもらう為に仮名だが名前で表記していこうと思う。
実家ワンコはクロ
一緒に住んでるワンコはシンとさせて貰う。
そして彼の事はマキオとさせて頂きます。
マキオくんもお盆とお正月など年に2回ほど私たちと一緒に実家に行くようになり会ったことのある母だけでなく、父からも兄からも好かれていた。
田舎なのでどうしても正月やお盆は親戚含めた身内の集まりがあるのだけれど、マキオくんは嫌がらずそちらにも出てくれて
昔気質のかなり難しい叔父などからも慕われたのだから本当にマキオくんの人柄や人を取り込む力は凄いなと思った。
そうして実家でも東京でも本当に家族のようになっていったのだった。
私と妹とマキオくんとシンの3人+1匹の生活は朗らかで穏やかで楽しく、とても順調だったけど
問題が起き、私たちはまた引越しをすることになった。
マンションの下の階の方が来て、お風呂場から水漏れがしているという苦情を受けた。
ここは唯一リフォームされていなかった所だ。
分譲型マンションだったので、隣と上下には入居時挨拶をさせて貰いに行ったし、会えば挨拶もちゃんとしていたので相手も怒ってはいなかったが直ぐに管理会社に連絡をした。
管理会社が大家さんに直ぐ連絡をしたようだが、返ってきた言葉は浴槽の湯を抜く時、少しずつ流して様子を見ろとの事だった。
今だったら本当に有り得ない話だが
私たちは自分たちで買った菓子折りを持って下の住人に管理会社と大家からの回答を正直に話し、気を付けますと再び謝った。
あなた達は越してきたばかりで何も悪くないのにねと、同情までされてしまったが本当にその通りだった。
そのマンションは管理人不在マンションで住人が管理組合長をしているのだけれども
そこにも大家さんは連絡をせず私たちは自ら説明や報告をしに行かなければならなかったし
ただ浴槽の湯を抜くだけで、時間をかけ少しづつ様子を見なければならなくなる不便さを毎日続けるストレスも溜まった
ところが、数日したらまた下の階の住人さんがいらしてまた水が漏れていると言う報告を受けた。
また管理会社に連絡をし大家さんはやっと業者を呼んでくれたけど、
工事が大掛かりになりそうだから今は無理なので今までよりも更に慎重に水を流せとの事だった。
当然流す水量の問題ではなく結局また水漏れの報告を受け、その度菓子折りをもって説明と謝罪。
問題を解決しない無責任な大家さんを当てにする事は無意味だと私たちは急いで新し部屋を探し引っ越した。
どのくらい住んだが細かく覚えてないけど、とにかく1度も更新しなかったので2年以内だった。
今なら本当に考えられないし私達も知識がなかったけど
それぞれ日々仕事をしながら謝罪や報告、管理会社と大家さんからの回答待ちのやり取りに疲れ
毎日の排水のストレスに情報収集する気力もなく
数日おきに下の階の方に迷惑を掛けてしまっている実情から
どうにかする為に弁護士やらなんらかの専門機関に掛け合うほど時間もなく兎に角出る方が早いとの判断になった。
因みに退去時の立ち会いで管理会社から普通にクリーニング料を請求された。
入居時敷金も払っているし
2年もおらず、汚く使ってもなかったし荷物を運び出してからはもう一度綺麗に掃除もした。
シンはとても大人しかったので何かを壊したり大きな傷も付けていないというのに。
明らか水漏れの件で出なければならなくなったと分かって居るはずなのだが大家から結局一度も謝罪はないし、事の経緯を知ってる管理会社からの対応時の姿や発言に配慮も誠意も少しも感じられなかった。
この時私は初めてマキオくんが怒る姿を目にした。
経緯としては勿論そうなって当然なのだけれど
いつも柔和で優しく落ち着いているマキオくんが、管理会社の立ち会い人の方に怒鳴った姿はとても意外だった。
結局退去費用は発生しなくなったが
こうして私たちは不本意ながらもまた新たな地での生活を始める事となった。
次に私たちが暮らした家は借家だった。
前回暮らしたマンションでのトラブルと、またその前に住んでいた個人的なシェアハウスの自由度や快適さから検討し集合住宅ではない所に絞って探した。
当然一軒家っぽいところとなると選択肢もかなり絞られ少なかった。
度重なる引っ越しでお金に余裕があるわけでもない。
時間も急を要していたから急がなければならなかったので住んでいた所から近場で探した。
その家は二階建てで門が付いており
外からは大きな一軒屋に見えるのだが、玄関が2つあった。
奥の玄関が私たちの住む部屋の入口なのだが
越してから気付いたのだが、1階の壁に不自然で大きな木枠がついていた。
おそらく当初は、二世帯住宅として建てられたのだろう。
大きさからしてその木枠は、以前はお互いの家を行き来する為の扉があって
そこを後から壁にしたのだろうと推測することができた。
1階部分にバス、トイレ、キッチン、リビング
2階部分に部屋が2つあり
どことなく以前ルームシェアして住んでた家の様な感じで親近感と懐かしさを感じた。
また不動産屋さんも、見たからに昔ながらの街の個人でやってる不動産屋で
管理も管理会社を通さず、直接この不動産屋さんが請け負うようだったので前回よりもトラブル対応などしっかりやってくれそうだと思ったのも決め手だった。
隣の部屋には私たちより年上だろうがまだ小さいお子さんが1人いるご夫婦の3人家族が住んでいた。
入居時挨拶をさせて貰ったがとても気さくなご夫婦で
小さい子がいるのでうるさい事もあるかと思いますがと言ってくれたが
こちらも犬がいるので今は大人しいけどこれから煩くなる可能性もあるということを伝えたら
お互い様でいきましょうと言ってくれた。
今度こそ腰を落ち着けられるなと心底安堵したのだった。
それからは本当に幸せだった。
妹にも彼氏ができてうちに遊びにもよく来たり、皆でお鍋をしたり。
ちょっと変わった事といったら、シンが部屋の何もない所や天井を時々よく見てたことくらい。
一点を見つめてたかと思うと何かが動いているのを目で追うように動かすのだ。
私と妹は多分何か霊的なものがいるんだろうと察したけど
何も無ければ別にいいわけだ。
気にせず楽しく暮らしてたらそのうちどこかへ行くだろうし良い霊?なら共存だってできるだろうと話していた。
ある日マキオくんが職場でお客様から頂いた本が
とても不思議でとても面白かったので私も読んでみたらどうかと貸してくれた。
本と言うより冊子のようなとても薄い物で
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」というタイトルだった。
そこには筆者が若い頃に旅をした異国の地での不思議な出会いと体験が書かれていた。
物語を思いっきり端折るが
その地で出会ったおばあさんに教わった
・ネガティブな言葉は使わない
・いい事があったら「感謝します」「ついてるついてる」
・悪い事があったら「ありがとう」
・ネガティブな言葉を発してしまったり思考をしてしまったら「キャンセル、キャンセル」と打ち消す
・叶えたい夢があったら「○○が叶いました!感謝します」と過去形で先に感謝をする。
それを声に出し発する事で、人生が上向きになりツキが舞い込み、願いを叶えるというものだった。
実際それで作者はそれまでネガティブだった言葉や性格、人生がポジティブなものとなり人生を上向きにさせ夢を叶えたそうで
私は本当かな?と思いながらもなんだかとてもワクワクしたのだった。
私ではうまくその魅力を説明できないのだけれど
物語としてもとても面白かったので気になった方は読んでみて欲しい。
今思い出してみても良い本だと思っている。
私は面白そうだと実践してみることにした。
特に実感を感じたのは
嫌な事があった時の「ありがとう」やネガティブ思考になった時の「キャンセル、キャンセル」は
嫌な事に焦点を当てる思考を素早く切り替えるスイッチみたいな役割になって、以前より不快感を感じ続ける時間が減った事だった。
「ツイてるツイてる」は使ってみると何だか本当にそんな気になってくる。
不思議だか実践してみると確かにどんどん前向きで明るくなってきた気がしてくるのだ。
私はそれからこの本がお守りみたいになって
通勤時間や休憩中などいつでも読み返せるように持ち歩いたりもした。
それから当時、流行っていたテレビ番組の
やりすぎコージーの都市伝説のコーナーが大好きで不思議な事やスピリチュアルにどんどん興味を持ち
江原啓之さんとか、「ザ シークレット」や「神との対話」など国内、海外問わずの書籍を興味が赴くまま読み漁り
当時の第1次スピリチュアルブームみたいなものに自然と乗っていた。
途中で手放してしまったけど
「アミ小さな宇宙人」シリーズは今また読み直したいと思えるほど、物語としてもとても素敵だ。
神社も沢山行ったし、パワーストーンと呼ばれる天然石にもハマったりした。
ちゃんとできてるかよく分からなかったけど瞑想もしたりした。
アセンションとか5次元とか、愛と平和に満ちた新しい地球の生活というものにも憧れた。
マキオくんも私ほどではなかったけど私がそういうものをどんどん好きになっていくこと、夢中になっていく事を受け入れてくれていた。
1番はそれでちょっとネガティブ思考に寄りがちな私が前向きに生きられるなら未来に希望を持てるなら悪い事では無いからだと思ったのだと思うけど、ポジティブ思考のマキオくん自身もどちらかといったらスピリチュアル的な人だったのだと思う。
ある日、私は偶然ネットで食肉やら毛皮やらで動物が屠殺される海外の動画を目にした。
どんな内容だったか今では1ミリも思い出せないのだけれどそれは兎に角とても衝撃的でとてつもなく悲しかった。
私は自分が生きる為に動物の命を奪う事にとても嫌悪感を持ってしまった。
そしてマキオくんにもそれを見てもらい、私はもう肉は食べたくないし革製品も使いたくないと言ったのだった。
マキオくんにもその動画は衝撃的だったようで私の気持ちに賛同してくれた。
薬やシャンプーなどの生活用品でも通常動物実験が伴われる。
そういったどうしても使わざるを得ないもの、避けられないものは結局遣わせて貰うしかないのだが、できる限り自分たちで選べるものはなるべく避けようということになったのだ。
ヴィーガンという言葉の世間の浸透率もそれに対応する食品なども今よりずっと少なく限界もあった。
栄養面や外食なども含め選択肢の圧倒的な少なさなど色々考慮し、その時自分たちが現実的にギリギリできそうだと思った事をしようとなった。
革製品は使わず
乳製品、卵や卵製品と魚は食べるが肉やコンソメ、鶏ガラやゼラチンなどは食べない。
というラクトオボベジタリアンにペスコベジタリアンを足したようなスタイルと
しかし、誰かからおもてなしなどを受けた時は有難く頂くという誰かからの好意は無下にしないようにすること
シンのドッグフードは野菜と魚や鶏肉をメインに使っている物を主(それまではラムやビーフだった)として利用するが、必ずではない。
そんな独自のルールを作り、妹には動画こそ見せなかったが至った経緯を話し
私たちはそんなルールにしようと思うので外でや個人的に食べるのはいいけど自炊などで3人で食べるものはこちらに合わせて欲しい事を伝え、妹はそれに了承してくれたのだった。
そんな感じで私たち独自の食生活を始めた。
スーパーへ行けば手に取った商品の成分表示をとにかくよく見るようになった。
カレールーも瓶のタイプで動物性の物が入ってないものや、顆粒タイプのコンソメも野菜ブイヨンの顆粒の物に置き換えたり
アレルギー対応食品だったのだと思うけど当時から普通に私の近所のスーパーにあるものもあってそれがありがたかった。
なんちゃってでも出来ない事もなさそうだと思えた。
大好きだったカップ麺もやめたしスナック菓子もうす塩やのり塩でも成分表示を見て買っていた。
料理では肉の代わりに豆腐やお麩を使ったり
牛乳は許容していても、普段飲むものは無調整の豆乳に置き換えた。
それは決して健康志向的なものではなく、100%思想的なものであったし
それもここで私はベジタリアン的な生活を提唱したい訳では全くなくて
現在の私は肉を食すし、これからどうしてまた食生活を戻したのか、それに至った自分なりの考えもこの先話したいと思っているけどそれはまた少し先の話となる
外食もそれまでより圧倒的に選択肢は減ったけど、魚を許容していた事で無理ではなかった。
魚は何故許容したかというと、当時私が調べた中では魚に痛覚はないという説が多かった事と、田舎育ちで川釣りの経験があった自分たちで殺す事が唯一できるものだったからであった
現在の情報では魚にも痛覚があるという見解になってます
ある年私は百日咳を患った。
今は大人の百日咳が普通に認識されているのだけれど、当時は百日咳は子供の病気というのが一般的だったのか誤診され続け一向によくならず私は病院を4件ほど回った。
4件目の病院が小児科と内科の病院で、そこでようやく百日咳と診断され回復する事ができたのだけれど、
それまでには酷い時では胃液や食べた物戻すほど強く咳き込み、肋骨にヒビが入るほどだった。
骨に激痛が走るので勿論咳はしたくないのだけれど、咳をコントロール出来る訳もなく
しかし痛い方のあばらを庇う形で咳き込むので
もう方側に負担が掛かり結果両側の肋骨にひびが入ってしまった。
嗚咽まじりの強い咳で苦しいのにさらに激痛を伴うそれで涙や鼻水を流しながらのたうち回るという地獄の体験だった。
4件目の病院でやっと正常な診断を受けたのだけれど、その時既に発病してから3ヶ月を費やそうとしていたので文字通どおり私はほぼほぼ百日近く咳をし続けていたのだった。
既に恒例になり掛けていたシンとマキオくんを連れての3人+1匹での帰省したある時の話です。
実家は田んぼや畑に囲まれた場所に建っているのだが
見晴らしが良く、家の前の農道を散歩で歩く人が良く見えた。
その農道と家もまた少し離れているのだけれど、クロは居間や廊下で日向ぼっこをしながら外を眺め
道行く人に向けて吠えるという、すっかり田舎の番犬となっていた。
また外を見張っていなくとも人が家の前の道を通れば瞬時に定位置に戻り、ミッションを遂行する事から犬ならではの嗅覚もとても優れている事が伺えた。
小型犬ながらも狩猟犬であるクロは体は小さくともとても迫力のある声を出す。
元々クロは私たち家族とマキオくん以外にはあまり懐かない傾向はあったけど
教えた訳では全くなくとも家族や家を守るという使命感が本能で身についているのかもしれない。
その漲る使命感をのびのびと思う存分発揮できる環境なので、私たちが帰る時は毎回とてつもなく寂しがってもクロはやっぱりここにいて正解だったのだろうなとまた思った。
そんなクロをシンは驚きながらも目を大きく見開きクロの近くで観察している姿がとても面白かった。
散歩時に時々吠えてくるワンコに遭遇した事は何度かあったが
大型犬や中型犬は元々穏やかだったり、都会生活に伴える様にきちんと躾がされているのだろうかそれまで見る機会が殆どなく
たまに見掛けるものといったら、小型犬がキャンキャンと精一杯の虚勢を張り甲高く可愛く鳴く程度のもので
今までシンが見てきた中でも一番迫力があったのだろう。
シンは昼寝をしていてもクロが吠え出すと近くに行って観察をするほど熱心にそれを見ていた。
2匹はとても仲が良いという感じではなかったけど、距離を取りながらもお互いを受け入れてる感じで
その時のシンはクロを少し尊敬しているようにさえ見えた。
東京へ帰ってきてからシンはリビングの外が見える位置で少しずつ鳴くようになった。
私たちはすぐにそれがクロのマネである事に気が付いたのだけれど、シンはそれまで殆ど鳴いたことも吠えた事も無く
クロのそれとは程遠いなんとも迫力のない声だった。
甘え鳴き以外のほとんど声を出した事がなかった為、声帯が吠えることに慣れていないのもあっただろうし
犬種的にも鳴かない類の方だったのだからそれはそうなのだ。
それが可愛くて面白くてシンには悪いがちょっとマヌケっぽさもあって、私たちはその姿を見る度どうしても笑いを抑える事ができない。
しかしシンの顔は真剣そのものだった。
毎日毎日練習をしているといった感じで
その頃シンが鳴く向かい側は古いアパートの建て壊しをしていて騒音にはならなかったがお隣さんにそろそろ迷惑を掛けているのではないかと気になり始めていた。
なので私たちはシンに注意をしたり、自分の両手をパンと大きく叩いてその音で注意を引きやめさせようとしたりした。
何度か成功したがそれでも完全に止めることはできず、お隣さんたまたま会った時に謝った。
工事の影響なのか、気を使って下さったのか全然聴こえないと言って下さったけど
そう言えば私たちもお隣のお子さんの声が聞こえないなと一先ず安心したのだった。
最初はリビングのガラス戸から外に向けて鳴いていたシンが、今度は1階の何処でも吠えるになった。
シンが吠えている先には何もないのだけれど
いつもシンが目で追ったり、空中に向けて鼻先をクンクンしてから吠えている事が伺えた事で
おそらく越してきた当初からシンにしか見えなかった者に向けてのものだという事が私と妹にはすぐにわかった。
ガラス戸から外に向けて練習していたのは、こうして家族ではないけどこの家に居続ける何者かに向けて吠える為のものであって
それは単なるクロのモノマネではなく、私たち家族をシンにしか見えない不審者?から守ろうとシンなりに吠える理由があったのだと思う。
吠える事にある程度慣れ、練習し始めの頃より声も明らかに出るようになっていたしクロまでには届かなくとも番犬らしいそれなりの迫力も出るようになっていた。
シンの中である程度理想に近づいたものになったところで練習期間を経て実践へと移していったのだろう。
しかし私たちには相変わらずそれらが見えず、その頃には既にもう何年かそこで過ごしてきていたし
実害と思える事も取り分けなかったので、恐怖心や危機感などはやはりなく
その度吠えるシンに注意をしたりなだめたりしたのだった。
そんなある時私は再び体調を崩した。
体調というか皮膚なのだけれど、両方の肘下と膝下に痒みに悩まされるようになっていった。
その年の夏に何故だか沢山蚊に刺されてしまい、それも痒かった事からその延長線みたいな感覚で市販薬を塗ったりしていた。
ところが治る所か冬になっても痒みはどんどん酷くなっていき、範囲までも広がっていった。
そこで私は皮膚科に何軒も行ったりアレルギー検査などしたのだけどステロイドを貰うだけで少しも良くはなっていかなかったし原因にも病名にも辿り付けなかった。
そのうち処方されていたステロイドも効かなくなっていき、経験した事の無い耐え難い痒みにより掻く事をやめることができず
狂ったように無我夢中で掻きむしり掻き壊してしまっていたのだ。
かいた手足の傷口から血が流れ、カサブタになりきる前にまた掻き壊すので傷口はジュクジュクになり
医師以外の誰かにはとても見せられたものではなかった。
特に寝る前が異常に痒くなり
その為睡眠不足が続き、痒みと重なり心的にも疲労が重なった。
ある時、冷やすと痒みが軽減される事に気付いた私は
手足に凍らせた保冷剤をレッグウォーマーを履く事で固定しながら冷やして寝る
という苦肉の策を編み出し、やっと睡眠不足を解消する事ができるようになった。
そして何件目かの病院で漸く「痒疹(ようしん)」という病名をもらったのだった。
病院から帰って携帯からネットで痒疹を調べてみると確かに私の症状と一致していた。
かき壊してぐじゅぐじゅになっているので見た目からはわからないが確かに触ると豆粒大ほどのしこりがあるのがわかり、それが特徴とされていた。
また痒さのあまりその苦痛から手足を切断したくなるほどと書いている人もいてその気持ちが痛いほど良く理解できた。
今はほとんどのものが何でもネット上から膨大な情報が見付けられるけど
当時のはこれもそんなに多くの情報は出てこず
主に子供や妊婦がなるものとされていた。
百日咳同様、主に子供または妊婦がなるものとされていたからそれまで行った病院でもなかなかその病名に辿り続けなかったのかもしれないと思った。
現在だと蚊によるアレルギー反応から出る場合もあるという風に書かれているけど、当時はそのような情報は私の見た限りではなかったと思う。
だけど思い出してみると確かにあの年何故か沢山虫に刺された。
でもそれも本当に蚊によるものなのか
はたまた初期は虫刺されによく似ていたから蚊に刺されたと自分の中で思い込んでいたのかもしれない。
そして当時絶望的な気持ちになったのが、いつ治るかわからないということだった。
実際私はこの後も数年この痒疹とつきあうことになったのだった。
マキオくんがプロポーズしてくれた翌年の私の誕生日に入籍することになった。
結婚式はしない事にした。
なぜかわからないんだけど、私は昔から自分が主役みたいになる事が苦手だった。
ドレスにも全然憧れなかった。
マキオくんは私の意見や考えにになんでも理解を示してしてくれるけど
今思えば、私の一方的な思いで双方の親をガッカリさせてしまっていたかもしれない。
でもあの時の私の手足はボロボロだったから結局私はしなかったのだろう。
マキオくんとの結婚が決まって嬉しかったし、結婚生活に自信もあった。
だって7年も付き合って同棲生活もずっと仲良く楽しくやってこれた。
マキオくんのご家族への多少の後ろめたさはあっても、子供を持たない分いつまでも仲の良い恋人みたいな、友達みたいな夫婦でずっといられるだろうとさえ思っていた。
妹もうちの両親や親戚は勿論とても喜んでくれた。
マキオくんの両親は離婚されていたのだけど、それぞれ別にお会いさせて頂いた。
マキオくんにも妹がいて、妹さんとは実はそれまで既に何度かお会いしていた。
妹さんは初めてお会いした時には既に結婚されていて、妊娠するまではマキオくんと東京で買い物や好きなアーティストのライブを楽しむ為に泊まりで来ることがたまにあったからだ。
2人はとても仲のいい兄妹で、妹さんはマキオくんの妹なのが頷けた。
品があって女性らしく、だけど私にも私の妹にも気さくに接してくれる素敵な方だった。
一度、妹さんを見送ってからマキオくんが少し泣いてる姿を見た。
この時マキオくんの涙を初めてみたけど、妹さんをとても想っているのが伝わってきて私はとても胸が熱くなったのだ。
私は兄と仲が悪く確執があったので、マキオくんは私の家族も大切にしてくれていたけど
ちゃんと自分の家族も大切にしている部分に、マキオくんの人間性に改めて惹かれた。
マキオくんのお母さんもお父さんもとても優しかった。
妹さん同様、マキオくんの家族だなって思える温かい方たちで
どうしてマキオくんがこんなに素敵なのかが良くわかった気がした。
だけど、自分が子供を生むつもりがないということに
どこか裏切ってるような騙してるような後ろめたさみたいなものを私は少し感じていた。
マキオくんがプロポーズしてくれた翌年の私の誕生日に入籍することになった。
結婚式はしない事にした。
なぜかわからないんだけど、私は昔から自分が主役みたいになる事が苦手だった。
ドレスにも全然憧れなかった。
マキオくんは私の意見や考えにになんでも理解を示してしてくれるけど
今思えば、私の一方的な思いで双方の親をガッカリさせてしまっていたかもしれない。
でもあの時の私の手足はボロボロだったから結局私はしなかったのだろう。
マキオくんとの結婚が決まって嬉しかったし、結婚生活に自信もあった。
だって7年も付き合って同棲生活もずっと仲良く楽しくやってこれた。
マキオくんのご家族への多少の後ろめたさはあっても、子供を持たない分いつまでも仲の良い恋人みたいな、友達みたいな夫婦でずっといられるだろうとさえ思っていた。
ある日私はまた体に異変を感じた。
何故だか腕と手と上半身の力が入らない。
コーヒーの入ったマグカップさえ持っていられないほどだ。
当時私はある専門用品の販売員をしていたのだけれど、お客様にお釣りの小銭も早く受け取ってくれと内心思うほどだった。
お釣りを落としてしまわないかとてもひやひやして緊張した。
ご飯を食べる時も、箸にいつもの分を掴むと口に運ぶまでにこぼしそうになる為少なく掴んだり
家だとそれも面倒なのでお皿や茶碗をテーブルに置いたままの犬食い状態で食べるという日もあった。
仕事が立ち仕事だったのだけど、帰るとほぼ横になっていた。
足にきているわけでなく上半身がとてつもなくダルいのだ。
上半身を起こしているのがきつく辛かった。
あれがなんだったのかちょっと記憶にないのだけどおそらく、自律神経的なものからだったと思う。
病院に行って漢方薬を貰い少しずつ回復していった。
マキオくんと晴れて入籍を済ませたけど、仕事も住む場所も妹とシンとも一緒で生活自体は何も変わらなかった。
いつもの日常に痒疹でのストレス以外は穏やかに楽しく暮らしていた。
この頃私は肌の艶や色がとても悪かった事に気が付いた。
30も過ぎていたので年齢的なものと煙草も吸っていたのでそれも重なってなんだと思い
いい機会だし禁煙する事にした。
何度か自力でやってみたけど結局3日も続かないので禁煙外来へ行く事にした。
飲み薬のタイプは1週間は薬を飲みながら煙草が吸えるし、自然に美味しく感じなくなって煙草を吸いたいと思わなくなっていくという情報を見て、挫折を繰り返した意思の弱い自分にはピッタリだと思った。
薬を飲みだしてからすぐに吐き気の副作用に襲われた。
これは本当にキツかったけど、病院で説明されていたし副作用的にはとても一般的なものだった事で安心し
念の為にと一緒に処方されていた吐き気止めを飲みがら
今度こそ絶対やめるんだと頑張った。
仕事も集中力を欠き仕事上での人間関係も上手くいかなくなってきた。
職場で鬱々とした気持ちと回らない頭、ミスによる自己嫌悪、コミュニケーションの乱れややる気の喪失で日に日に疲弊していく。
おかしいと思ってその薬の副作用をネットで調べた。
でも出てくる情報は吐き気とかめまいとか便秘とか病院で説明のあった身体に対する副作用ばかり
それでも調べていくうちに確かアメリカだったと思うのだけれど海外でその禁煙薬を飲み鬱病になった人や自殺者の報告があるという情報を見付けた。
私は心療内科へ行き、自分の症状とそうなるまでのストレスになるような外的要因が見当たらないこと、禁煙薬を服用してきたことやネットで調べた情報を説明した。
医師は禁煙薬との関連性があるのだろうと言い
私は軽鬱と診断された。
今ではネットでのこの薬の説明に
抑うつ気分、不安になる、あせる、興奮しやすい、行動および思考の変化、精神障害、気分の変動、攻撃的になる、敵意を持つ、死んでしまいたいと感じる
と書かれていて統合失調症など精神疾患を持っている方は服用できないとなっている。
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