人生の終盤を迎えて

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2015/04/14 03:44(更新日時)

光陰矢のごとし。
夫とは、学生時代の大半を共に過ごし、
結婚。通算約42年の長い付き合いになる。
子供3人にも恵まれ、幸せなんだと思う。
両親の介護。死別。夫の長年に渡る不倫。
夫の失業、病気。私の精神衰弱。
ご多分にもれず、色々あった。
私が私でいる為に、この場を借りて少しずつ吐き出していこうと思う。
いずれは灰になるこの身だけど、
おまけの人生と達観するにはまだ悲しすぎるから…。

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No.2167475 (スレ作成日時)

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主のみ
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No.1

主さんお疲れ様です。
これからの人生に幸あれと祈ります(^-^)


  • << 3 独り言の呟きにレスありがとうございます。 つらつら書かせて頂きます。

No.2

私の家は、商家で決して裕福ではないが、
見栄張りの母のお陰で、
小さい頃から、あらゆる習い事をし、
塾に家庭教師、これでもかというほど
お金をかけて育てられた。
他所から見たら、贅沢だろうが、
舅、小姑達との大家族。
母は女中扱いだった為、先に父に愛人が出来、母も程無くして愛人を作り、
夫婦喧嘩は絶えず、常日頃「あんたが居るお陰で離婚出来ない」
と言われて育ち、中学生の時には
リスカ常習者になっていた。


  • << 77 50年以上?前にも、リスカ存在したとは驚き!

No.3

>> 1 主さんお疲れ様です。 これからの人生に幸あれと祈ります(^-^) 独り言の呟きにレスありがとうございます。
つらつら書かせて頂きます。

No.4

>> 3 読ませていただきます。
頑張ってくださいね。


No.5

当時ずっと家出を考えていた。
でも、自分で稼いで食べていくには、
あまりにも非力過ぎた。
臆病だった。
我ながらグッドアイデアが浮かび、
それを実行に移す。
親を利用して
親のお金で独り暮らしを勝ち取る事。
見栄張りの母親を騙すのは容易かった。
都会の高校に進学して、私は親の呪縛からも、険悪な家庭環境からも離れる事に成功した。

No.6

主さんの幼少期~色々あり、見てきているから、旦那さんの長年の不倫にも耐えていたんですか?
お子さんが居たから?
私も幼少期~父親と母親の喧嘩をずっーと見てきた。喧嘩と言うより、一方的な父親の怒鳴り、母を侮辱、物を投げつけては、壊して…
子供ながらもなんで離婚しないんだろうと?思っていた。

  • << 8 いや、耐えてないです。 知らない期間が長すぎただけ。 簡単に離婚して終われる問題でもないんで…。 取り合えず順を追って書きます。

No.7

高校に入学してからは、テストにうなされる夢も見る事は少なくなり、
リスカも減り、何より明るくなった。
おとなしい優等生とはおさらばだ。
遊び友達も沢山出来た。
高額な仕送りに、若干の後ろめたさがあり、色んな短時間バイトをした。

No.8

>> 6 主さんの幼少期~色々あり、見てきているから、旦那さんの長年の不倫にも耐えていたんですか? お子さんが居たから? 私も幼少期~父親と母親の… いや、耐えてないです。
知らない期間が長すぎただけ。
簡単に離婚して終われる問題でもないんで…。
取り合えず順を追って書きます。

No.9

そんなバイトの一つの中で、現在の夫と知り合った。
宿題を手伝ってくれる優しいお兄さんだった。
物の見方や考え方は、尊厳でき、どんどん惹かれていった。
お互いが必要とし必要とされている喜び。
結婚するなら、この人しか居ないと思った。
当然の事ながら、親の猛反対に合い、
苦学生だった夫は、両親を説得する為、
バイト先で正社員雇用して貰い、時間をかけて親を説得してくれた。
自分の仄かな夢を置き去りにして。

No.10

私達が結婚するまで5年の歳月が流れた。
本当に幸せだった。
子供を授かるまでは、よくデートもした。
子供が生まれてからは、夫はがむしゃらに働いてくれた。
帰宅は毎日終電。
休みの日は寝てるかパチンコ。
一人での3人の育児は、キツかったけど、
夫もキツいはず。
いつの間にか役割分担をこなすだけで、
別々に歩き出してしまっていたのかもしれない。
当時は愛し合って、支え合っていると
信じてたし、
子供達にも夫がいかにあなた達を愛して
気遣ってくれているか、
創作を交えて伝え、子供の前で喧嘩なんかした事なかった。

No.11

義父母は遠方に住んでいたので、
家族旅行と言えば、夫の実家。
毎年場所が変わるだけで、365日炊事洗濯は私の役目。
ありきたりの嫁いじめはあったが、
夫が気付くと庇ってくれた。
子供達の成長に応じて、時間を調整してパートで旅費を稼いだ。
私の実家にはあまり行く事は無かった。

No.12

義父が亡くなり、義母の認知症が始まった。
夫には、故郷で暮らす選択肢はなく、
こちらで同居も出来ず、遠距離介護に。
最終的には、グループホームにお世話になった。
アルツが入っていたせいか、時折の
狂暴になってしまい、徘徊も激しかったので、致し方ない選択だった。
今思うと、義母は寂しかったんだと思う。
義父が亡くなった時点で、
こちらから強引に同居してしまえば
また違ってたのかもしれない。
グループホームで数年お世話になった後、
義母も亡くなった。

No.13

その頃から、夫の会社が段々傾き始め、
役員切りにあい、とうとうリストラされてしまった。
失業手当ては暫く貰えるとはいえ、
もう年齢的に正社員での再就職は厳しく、
私がパートから正社員でフル稼働して
何とか家計を支えるようになった。
夫の落ち込みは激しく、
たまに前の会社の人と飲みに行く事と、
ハローワークに行く以外は
昼間からお酒を飲んでただごろごろしている日が続いた。
でも、夫婦の絆は逆に強まったような
気がしていたし、
信頼していたので、約1年そういった状況下で、夫に早く仕事してと急かす事はしなかった。
前の会社の近くで、嘱託扱いの給与で
再雇用が決まった時には、
本当にほっとした。

No.14

子供達も成人し、今度は、実家の親の介護が始まる頃、
夫が倒れた。
救急車で病院のICUで生死の境をさまよっているその時、
夫の携帯に何度も電話があり、
私は驚愕の事実を知る事になった。

No.15

私達は、下の子供が産まれた頃から、
セックスレスになっていた。
最初拒んだのは私だった。
避妊してても、妊娠が怖かったから。
狭い家で、子供達に絶対悟られたくなかったから。
でも、浮気されるのも嫌だったので、
タイミング良く誘ってくれた時に応じたけれど、今度は夫の方が出来なくなってしまった。
本当にデリケートな問題なので、
夫に大丈夫だから、また間をおいてお願いって言った気がするが、
その後一度たりとも誘われる事は無かった。
私も自分から言えなかった。
ひたすら待ち続けた。
セックスが無くなってから、
夫は、以前より
優しい言葉をかけてくれるようになったし、
私達はそういったものを超越した精神的な
結び付きの強い夫婦なんだと
勘違いしていたんだと思う。

No.16

夫に一回だけ、冗談めかして
ホテル行かない?って言ったことがある。
夫は、鼻で笑って、何言ってんの?
と反応したので、
いたく傷付いた。
狭い家で、子供達にも気付かれず
セックスレス解消するのは、
非常に困難な状態だったけど、
このまま一生女として扱われないのは
悲しすぎると思ったし、
場所が変わればうまく行くんじゃないかと
何年も考えてやっと口にした冗談だったので、
しばらく立ち直れなかった。

No.17

主さん、寒いですね>_<

信じていたのに裏切られる、そんな事もあるのですよね。
無理のないよう、更新を楽しみにしていますね。

No.18

>> 17 名無し1さん、こんばんは。
つぶやきに優しいレスありがとうございます。
最近特にハードで、心身共に疲れてます。
昨日は久々寝落ちしてましたw
こうやって書き始めてみると、改めて
私は幸せだったんだから、
ここで吐き出させてもらって、
いつも笑顔だったあの頃の私に早く戻ろうと切に思います。

No.19

子供達と私の関係は、良好だった。
笑顔や会話も絶えない楽しい家庭だった。
家庭の中で、夫が居る時は常に
夫最優先にしてきた。
休日パチンコに行かない日は、朝からお酒を飲んで、一日中テレビのチャンネルをカチャカチャ。
子供達は、どうしても観たい番組のみお願いして見せて貰い、
快く夫に譲っていたし、
どこかに連れていって欲しいとか
遊んで欲しいとか我儘言う事もなく、
毎日仕事で遅い夫の身体を気遣っていた。
もちろん私も…。
年に2度は家族で遠方の夫の実家に行く事が、我が家の大イベントだったせいもあり、
普段は、無理は言えなかった。
というか、夫不在状態だった。

No.20

夫が倒れて救急車で運ばれた翌日、
職場や諸々連絡し、一段落ついた時、
夫の充電中の携帯がピカピカ光っているのに気付いた。
迷わず開くと、そこには、同じ苗字の人からの着信が30分から一時間置きに
何回も入っていた。
その苗字は、以前の会社の同僚で、
毎年必ず親しげな一文を添えた年賀状を
よこす女性のものだった。
なんか嫌だったけど、別々の会社になってから7年。
お元気ですか?程度の文に変わっていたので、最近は気にもしていなかった。
次にかかってきたら出よう。

No.21

マナーモードのプルプルが切れないうちに、思い切って電話に出た。
沈黙の私の耳に飛び込んできたのは、
ブリブリに可愛らしい声で「もしもしぃ~
♪」

…ああ、やっぱり年賀状の女だ!
震えと動機が止まらなかった。

  • << 78 ぶりぶりの声?! 主さんの被害、誇大妄想では?

No.23

声を絞りだし、「はい」と返事した。
彼女もそうとうびっくりしたのだろう。
現在夫が電話出来る状態ではないので、用件を伝えますと言うと、会社の友達だと言い、
嘘の名前を言い、仕事の用事で電話したので、急がないからいいですとごまかした。

No.24

>> 23 よくあるパターンかもね。御主人も人間。
魔がさすとはこのことでしょうね。
割れ鍋に綴じ蓋とはよく言ったもの。
御主人の倒れられた原因は不明ですが、深刻であれば
もうその女性も消えるだろうし、
御主人も単なる息抜きでしょうね。大概夢中になる程
見境無い年齢、ご人格では無いでしょうから。
しかし、その手の👩っているんだよね。それがまた。
チョット飯や、プレゼント、綺麗ねとか言われると
絶対に男から離れんやつ。あんましたいした見かけの人は
いないが、男って超不細工以外は
なんでもいいんでは?もててると思って、アホだよ。
しかし
主さんって
なかなか落ち着いて見上げたもんだ。さすが
主婦も立派な職業、極めると精神が強くなる。
旦那さんは頭が上がらんね。

No.25

>> 24 つぶやきにレスありがとうございます。
この後つぶやくのが恥ずかしくなってしまうほど、取り乱し、壊れてしまいました。
ダメ人間です。
まだ多分ずっと引きずるんだろうな。
流石に孫にも恵まれたので、
いい加減自分を開放してあげたくて、
気持ちの整理の為に書いてます。

No.26

今まで夫の携帯なんかチェックした事は無かったし、
お互い信頼し合ってたつもりだった。
彼女は、夫が入院した事を知ると、
どこの病院かとか、お見舞いに行きたいと聞いてきた。
現在ICUで家族しか面会出来ないので、と伝え、電話を切った。
恐る恐る携帯の履歴を見ると、
メールは削除してあったが、
着信履歴は1ヶ月分くらい残っており、
ほぼ毎日彼女からの着信があった。

No.27

ショックだった。
ガタガタと震えが止まらない。
彼女は病院を調べていずれ来るかもしれない。
年賀状で、彼女の住所は知っている。
夫はICUで、面会時間は家族でもわずか15分。
日曜日、思い切って私は彼女の家を訪ねた。

No.28

>> 27 取り乱すなと、お伝えしても無理かも。
でも、あなたは妻です。
夢中はその女性だよね。
私と夫は家庭を護っています。何か御用でも?と、電話切ればよかったのに。
家行くなんて、👩にヒステリーだとか、有る事無い事報告され
不利なだけ。婚姻に損害を与えるものは、公序良俗に反し
法規定により裁かれます。とまでは証拠が必要だから
言わないに越したことはないけど。

No.29

年賀状に記載されている住所を訪ねた。
彼女は両親と同居だった。
生憎出掛けており、
夕方帰宅予定だという。
では、携帯に連絡してみます。
と言って最寄りの駅に戻り、
彼女に連絡を取った。

No.30

ご自宅を訪ねた旨伝えると、彼女は慌てて
指定のコーヒーショップに飛んできた。
初めて彼女を見て、あまりの残念
な容姿に、何とも言えない気持ちになった。
彼女は私より10才以上若かった。

No.31

突然の訪問を詫び、夫の容体を説明し、
随分頻繁に連絡を取り合っていたようなので、
家に寝に帰るだけの夫だから、
妻である私は、夫が倒れる前の不調に気付かなかったので、
いろいろ教えて欲しいと頼んだ。
妙に冷静で、自分でも自分がどうしたいのか分からなかった。

No.32

仕事柄、営業なので、人の心理をみながら、相手の情報を引き出す術を
身に付けていたのかもしれない。
もしくは、彼女が、単に馬鹿で常識が無いからかもしれない。
夫の様子をいろいろ話してくれた。

No.33

夫との付き合いも、彼女いわく、
以前の会社の先輩で、何かと親切にして貰い、仲良しだった。
別々の会社になってからは、月に1、2度しか会えないので、
連絡を取り合っていた。
何でも相談に乗ってくれて、尊敬している。
メル友でもある。

まるで、恋人の話をしているかのように、
頬を赤らめ話す彼女。
こわばりを悟られないように、
笑顔で聞き出す私。

No.34

本題に入る。
結婚したいと思わなかったのか?
との問いに、とんでもないと手を横に振った。
男女の関係については、一回だけで、
妊娠の心配はしなかったのかの問いには、
不妊症だから大丈夫ですとのたまった。

No.35

もういい。分かった。
震えが止まらない。
笑顔で、あなたの気持ちをお聞きしたので、
今度は私の気持ちを聞いてくださいね。
と言い、
そういったお付き合いは、
私にとって、大変不快であり、
もう二度と会って欲しくない。
たとえ回復しても、お見舞いはご遠慮願いたい。
持参した用紙に、誓約書もどきを書かせ、
今度夫に会うような事があれば、慰謝料を支払うと記載させた。
携帯も番号を変えてくれと頼んだ。
代わりに私の番号を伝え、
今度は私が相談に乗ってあげるから、
と何だか最後は意味不明で、
彼女と別れた。
あんなに苦いコーヒーは初めてだった。
彼女もペンを持つ手が震えていた。
私もひきつりながら終始作り笑顔で、
今考えると、滑稽なやり取りだった。

No.36

帰りの電車内で、涙がポタポタ勝手に流れてきた。
胸が張り裂けそうだった。
何という長い年月の付き合いだったんだろう。
結婚生活の半分近く、あの女と仲良しだった訳?
あの時も?あの頃も?
私が義母の介護してた時も?
夫がリストラされて、一番支え合っていると信じてハードな仕事で家計を支え、
家事をこなし、頑張ってた時に?
頭がぐるぐるして、胸が痛くて、吐きそうだった。

No.37

はじめまして。

信頼してきた旦那様の事実を知った時のショックは、さぞかしとお察しします。

その後の行動力は凄いですね。

相手女が、関係は1回と白状した時点で黒。

妻なら、1回だけの筈がないとすぐ察しがつきますね。

当時からどのくらい経ったのか分かりませんが、主さんは現在は旦那様に対して疑心暗鬼になっていないのでしょうか?

事実や記憶は消せないですが、少しでも早く薄らいでくれると良いですね。






No.38

>> 37 ありがとうございます。
あれからもう7年以上経ちます。
未だにフラッシュバックに悩まされ、
延々引きずってます。

No.39

それから数日、夫は手術後、一般病棟に移った。
仕事を調整しながら、毎日病院通い。
携帯持ってきてと何度も催促されたが、
まだ無理だよと取り合わなかった。
私が居ても、いつもイヤホンでテレビを見てて、
目を見て話をしない。
洗濯物を持って帰るねと声をかけると
ひとことご苦労さんだけ。
ありがとうの言葉は無かった。
いつの間に私達は、こんなに距離が離れてしまったんだろう?
悲しかった。
食事も睡眠も殆ど摂れないで
ひたすら病院と仕事と家事をしているうちに、
どんどん痩せていった。

No.40

むむっ、、

No.41

夫の携帯は私が親機扱いの契約だったので、
速攻解約してしまった。
症状が落ち着いて、院内リハビリに入る頃、
彼女に会った事は伏せて、
携帯に連絡があった事。
入院を知らせた事。
お大事にと言われた事等を伝えた。
そして、彼女との関係を聞いた。
夫は、以前の会社の友達だと言い、
心配してるだろうから連絡しないとと言った。
私の中で、何かがプツンと切れた。
履歴の話をして、おかしいじゃない?
友達って、毎日連絡取り合うものなの?
病棟なので、声をひそめて
夫に詰めよりながら、過呼吸で
息が出来なくなった。

No.42

それ以来、私はずっと激しい動悸や目眩、吐き気に襲われるようになった。
何とか仕事や家事をこなし、
毎日病院に通っていたものの、
夫を見ると涙が止まらない。
夫の口から真実を聞きたくて、
少しずつ問い詰める。
夫は、しらを切る。
2か月後、自宅療養に切り替わり、
夫が退院した。

No.43

>> 42 主さん、

私 ベッドで横たわる旦那を 永遠の眠りに つかせてやろうか?と 考えた人間です。

貴女のズタズタの心に少しは 寄り添う事が 出来ます。

本当に 世の中は 理不尽です。

No.44

>> 43 レスありがとうございます。
当時の私は、ただただ夫の口から本当の事が知りたい。
こんな状態で死なないで!と思ってました。
その後、そんな気になった事もありましたが…

No.45

夫が退院して通院リハビリになった日に、
私は離婚届の用紙にサインして、
夫と話し合う事にした。
彼女に会いに行って話をした事。
私はもう壊れてしまって辛い。
折角助かった命なんだから、
彼女と暮らしていいよと切り出した。

No.46

夫は、家庭を捨てるつもりは無かった。
彼女とは、一緒になる気なんてないし、
友達だと繰り返す。
あなたの言う友達って?
めったに会えなかったって?
ふざけないでよ!
私は悲しみと怒りで震えながら
激昂し、わめき散らした。

No.47

その後は、私が錯乱して、話し合いにはならなくなった。
夫も私の凄まじさにびっくりしたのだろう。
謝るどころか逆ギレした。
男なんてそんなもんとか、
彼女は一服の清涼剤だったとか、
習慣だったとか、
彼女は両親と同居だから俺の面倒はみられないとか、
単なるセ○レだよとか…
私は度々過呼吸を起こし、
気違いのようにわめき、
我を失った。

No.48

夫が心から
本当にすまなかったと詫びてくれたらと、
どんなに願っていただろう。
思い通りにならない夫の態度に傷付き、
夫を罵倒し、逆ギレされてさらに傷付きの
繰り返しの日々が続いた。

No.49

朝吐いてから仕事に行く感じだったのに、
それも出来なくなり、
喉が詰まって息が苦しく、
いきなり倒れたり、家事がまともに出来なくなり、
激しい睡眠障害を起こし、
とうとう眠剤と抗うつ剤を服用しないと
生活出来なくなってしまった。

No.50

当時の事はよく覚えてない。
成人していた子供達も同居していたので、
最初から事の次第は皆知っていた、
始めは私に同情的だったが、
病人の父親を責め、壊れていく私を見て、
父親の事はショックだけど、
母親がこんなに変わり果てた方がもっと
ショックだから、
早く以前のおかあさんに戻ってと
口を揃えて訴えてきた。
当たり前だ。
私も自分がコントロール出来なくて
辛かった。

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