勉強させてもらいます

レス344 HIT数 2216 あ+ あ-


2014/12/10 08:24(更新日時)

一人でノートをとるより
勉強内容をまとめたり把握するのが
何だかはかどるので失礼致します。

14/12/07 08:25 追記
閲覧ありがとうございます。

皆様のお陰で新しい発見や再確認ができて新鮮だったり、良い息抜きになっております。
もしお役に立ちそうなものがありましたらご活用ください。
不要な方は引き続きスルーでお願い致します。

文章は教わったことを再び自分に向けて理解するための作業ですので
意見みたいなものも誰かへの訴えではありません。
悪しからず。

No.2151133 (スレ作成日時)

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No.251

◆横暴な上司◆

ここで言う横暴な上司は、権力をかさにきて
部下を怒鳴りつけたり、馬鹿にしたり、辱めたりする上司のことである。
このタイプの上司は、人が想像するよりもはるかに多い。
そのほとんどは、ある一つの部署を完全に任された管理職である。

また、このタイプはどこに行っても同じようなことをする。
自分より弱い人間を見つけると威張りちらして屈服させようとするのである。
攻撃の相手は部下達全員だが、特に相手が女性だとますます嵩にかかってくる。

こういった上司のすることは誰にでもはっきりと攻撃だとわかるので
陰湿なやり方で被害者を精神的に追い詰めるモラハラとは違う。
社員達は横暴だとわかっていながら、どうすることも出来ず、黙って耐えている。

職場を居心地の良いものにするためには、はっきり抗議する必要がある。
一人で立ち上がるのは無理があるので、やはり社員全員が結束することである。
横暴な上司に対抗するには、職場の人々が一つになって抗議するしかない。

最初に触れたように、このタイプの上司はある部署を完全に任された管理職に多い。
その横暴をやめさせるのは上層部の責任である。
上層部はその管理職の行動を監督し、行き過ぎた部分があれば罰しなければならない。

こういったケースの場合、部下達が何も言わないのをいいことに
横暴な上司が個人的な嫌がらせを行ったとしたら「職権濫用的なモラハラ」であると言える。
また、上司の横暴なふるまいに深く傷ついた社員がいたとしたら
それもモラハラである。

No.252

◆妄想症的な性格の上司◆

妄想症的な性格の人は、自分の考えたこと感じたことが全て真実だと思っている。
また、どんなことでも他の人よりよく知っていると考え、決して自分を疑おうとはしない。
何事も自分中心で考える性格から、権力を志向し、実際に権力の座につくことが多い。

あらゆることを支配し、コントロールしたがる人々なのである。
その意味では「自己愛的な変質者」に近い部分がある。

だが、妄想症的な性格の人はそれだけでモラハラの加害者になるわけではない。
このタイプの人々がモラハラを行うとしたら、相手を傷つけようという目的からではなく
相手を疑って、その相手から攻撃されていると妄想にとらわれている場合が多い。
そういった状況でなければモラハラは始まらないのである。

しかし、妄想症的な性格の人は相手を疑いやすいのも事実だ。
警戒心が強いのが、この性格の大きな特徴である。
その結果、この性格の上司は部下を一人も信用せず、自分だけが正しいと考えて
何かうまくいかないことがあると、スパイがいるのではないかと疑ったりする。

この性格の人は上司に限らず、部下や同僚にもいる。
そういった人々は周りの人達が自分に悪意を持っているのではないかと疑って
相手から攻撃される前に自分から攻撃を仕掛けようとする。

このような上司はいつも自分が迷惑をこうむるのではないかという考えに取り憑かれている。
部下が自分に悪意を持っているのではないかと疑うと
その部下がどんなことをしても、そこに悪意を読みとってしまう。
きちんと仕事をこなせば、自分の地位を乗っ取ろうとしていると考える。
真面目で誠実な態度を見れば「裏に何かある」と勘ぐってしまうのだ。

妄想症的な性格の人は「横暴なふるまい」をすることも多い。
そうなると、部下や同僚、あるいは上司も
その人がただ「横暴な性格」であるだけで「妄想症的な性格」とまでは考えない。
その見分けができるのは、会社では産業医だけである。

しかし、あくまでも性格なのでそれがわかったとしてもどうにもならない。
妄想症の度が進んでいたとしても本人が望まなければ、治療を受けさせることはできないのである。

No.253

◆強迫的な性格の上司◆

妄想症的な性格と並び、モラハラを行いやすい性格に強迫的な性格が挙げられる。

モラハラは「強迫観念」や「強迫的であること」と密接な関係を持っている。

例えば「強迫観念」は本人がいくら振り払おうと思っても心につきまとってしまう考えだが
モラハラを受けると、被害者は辛い体験の思い出や加害者のイメージにつきまとわれて
そこから逃れられなくなってしまうからだ。
これは加害者も同じで、モラハラを行っている間、あるいはその後も
加害者はいつも被害者のことを頭から振り払えないでいる。

強迫的な性格の人は強迫観念にとらわれやすいが、こういった強迫観念が生まれる奥には
「精神衰弱」と呼ばれる心理的緊張が全般的に低下した状態がある。

強迫性の性格の人が他人の気持ちにあまり関心を示さず
秩序や規則を大切にしてしまうのはそのせいだ。
実際、強迫的な性格の人々は、他人に冷たく、よそよそしいところがあり
言葉にも態度にもあまり感情を表さない。
そのため、家族や恋人、会社の同僚などは拒絶されているように感じることもある。

また、このタイプは常に「不全感」を抱き
自分にも他人に対しても満足できず、恒常的な不満を持っている、とされている。

他の特徴には、この性格の人々は常に物事を支配したいという気持ちを持っている。
完全を求める気持ちから、曖昧なこと、不確かなことが我慢できないのだ。
机の上はいつもきれいに片付けて、どこに何があるかすぐにわかるようにし、
何かをする時にはきちんと計画を立てて、不測の事態が起こらないようにする。
時折細部にこだわりすぎて、全体の目的を見失ってしまうこともある。

また、物事がある一定の決まりに従って進んでいくことを望み、
その決まりの中で、人に対しても自分が考えた通りに行動することを要求する。
その点では頑固で、それが会社であれば
時に権威をふりかざし、同僚や部下を困らせることがある。

No.254

本人はあくまでも自分が全体の利益を考えた上で行動しているつもりでいる。
それだけに他人の悪いところが許せない。
その結果、部下が頻繁にミスを犯したり、遅刻をしてきたり、決まりから外れた行動をとると
攻撃を受けたように感じて、それが強迫観念になることもある。
部下のしたことが頭から離れなくなるのだ。

そこからさらに追い詰められるようなことがあると
この性格の人々は強迫観念からますます逃れられなくなり、相手にしつこく電話をかけたりして
どうにも動きがとれない状態をつくってしまう。
もともと攻撃性が内に向かわず、外に向かう性格なのである。

しかし、この性格の人々は、人から評価されたい気持ちも強いため
その攻撃性と戦い、礼儀を重んじ、秩序に従うよう努めている。

こういった性格の特徴から、強迫的な性格の人は、会社や役所などの組織では
自分が尊敬し、自分を信頼してくれる上司のもとで、ナンバー2の立場にいるのが向いている。
秩序の名のもとに他人を支配し、自分の行為の責任は引き受けずに済むからだ。
服従と支配(攻撃)のバランスがとれて安心していられるのである。

そういった強迫的なやり方で動いている仕事の世界の中で
十分に強迫的な性向を持たない人々は、束縛されたように感じて息苦しくなる。

だが、あまりに強迫的な性向の強い人々も
組織に変化があるとその変化についていけない、
時間に追われると納得いくまで完全に仕事をすることができない
といったことから、別の意味で苦しい思いをしている。
その結果、周りの人々を傷つける恐れが出てくるのである。

No.255

妄想症的な性格の人と同じく強迫的な性格の人は
融通がきかず、柔軟に物事を捉えることができない。

この二つの性格の人は、例えば、理想化していた人物に見捨てられたと感じると
妄想症的な傾向、強迫的な傾向が強まり、その人物が自分を攻撃していると思うようになる。
それは固定観念(強迫観念)になり、相手の人物が何らかの形で傷つくまで続く。
場合によっては、自分から相手を傷つけてしまうことも出てくる。

誰かのことが気になってしかたがないというのはおかしなことでも何でもない。
問題は、何らかの理由で相手が気になってしかたがない時
自分の性格と考え合わせてどう行動するかである。

強迫的な性格の人は、相手に対する強迫観念からモラハラに走りやすいところがあるが
自分の性格の傾向をよく知っていれば、それを防ぐことができる。

例え、相手に嫌がらせをすることがあったとしても
強迫的な性格の人はそれに喜びを感じているわけではない。
むしろ相手から逃れたくて、できることなら自分の行動を変えたいと思っている。

だが、中には相手を苦しめることにサディスティックな喜びを感じる人もいる。
この場合は「変質的」である。

秩序に従って人に言うことをきかせたいという強迫的な性格の人の気持ちは
決して悪意から来ているものではない。
よって、強迫的な性格の人とつきあう方は、できるだけ相手を安心させて
融通のきかない部分も認めてやることが大切である。

No.256

◆◆相手を傷つける言動をしているのに、そのことが意識されていないもの◆◆

◆相手にしつこくつきまとうタイプのハラスメント◆

「恋愛妄想」は妄想症の一種で、人に対して重大な被害を与える恐れがある。

恋愛妄想は客観的な根拠は全くないのに相手から愛されていると思い込んでしまう障害で
その相手には、医者や弁護士、有名人など社会的地位が高い人が選ばれることが多い。

その妄想によって暴力的な行為をする危険はかなり高いと考えられている。
相手が自分のことを熱烈に愛していると思っている「希望段階」の内はまだいいが
そうではないと思い知らされてくると「怨念段階」「憎悪段階」が続き
最後の段階では暴力行為に及ぶことがあるからだ。

恋愛妄想は昔からかなり重大な精神障害だと認められていたものの
そこまでいかない「恋愛妄想的な行為」は、近年までそれほど真剣に取り上げられることはなかった。
最近では相手にしつこくつきまとうタイプのハラスメントとして
取り締まりも行われるようになってきている。
いわゆるストーカー行為である。

日本では、このストーキングから被害者を守るために
2000年11月に「ストーカー規制法」が施行された。

ストーキングは別れた夫や妻、恋人からなされるのが普通だが
恋愛妄想的に相手の勝手な思い込みが崩れた時になされることもある。

No.257

◆モラル・ハラスメントをする集団に従ってしまう人々◆

これは集団に従ってしまった結果、人を傷つけることになるタイプのものである。

ある大きな集団に入るということは
既にできあがっているその集団の考え方を受け入れるということである。
例えば中間管理職として企業に入社した時も、その企業の考え方を受け入れ
上層部の命令に従って部下を管理していけば
どういう方針でやっていけばよいか自分で考えて悩まなくても済む。
またその企業の一員として社会的に認められた高い地位まで保証してもらえる。

実際、企業は中間管理職に会社の命令に従い、身も心も会社に捧げつくすことを要求するが
かわりに「どこそこの企業の管理職をしている」という社会的に高いイメージを与えてくれる。

だが、企業の考え方が個人の理想に反していれば、ことは複雑になる。
会社が卑劣なやり方をしているとわかって、それについていけないと思った場合などである。

自分の気持ちに反して「変質的な」システムに従うことを要求された時
これに対応する方法は三つある。

①苦しみながらも自分の考えを頑なに守り通す
この場合は、仲間外れにされたり、モラハラを受ける恐れがある。
②仲間外れにされる恐怖から、集団のやり方に従う
③権威に対する恐れと服従の気持ちから、自ら「変質的な」行為に関わる

②と③をとると「はっきりとは意識しないまま、人を傷つける言動をする」ことになる。
以下に述べる三つのタイプの人々が行うモラハラがこのケースにあてはまる。

No.258

・羊の群れ

集団に属すると、人は少なからず「他の人に頼らなければやってはいけない」状態になる。
「自分自身の考えを持って他の人とは違うことをする」ということが
どうしてもできなくなってしまう。

その状態が当たり前になってしまうと
人によっては上からの命令にやみくもに従うことにもなりかねない。
どんな馬鹿げた命令でも、自分自身でその意味を考えることなく
ただ集団の要望に応えたい一心でその命令を実行してしまうのである。
そうやって集団の言う通りに動いていれば、自分の身は保証されるからだ。

集団は一体感が強ければ強いほど、全体のやり方に従わないと居心地が悪くなる。
皆と一緒でなければ仲間外れにされる。
あるいはモラハラを受ける。
そう思うと、つい恐怖して「他の人はこう考えるだろう」とその考えに合わせて考えてしまう。
その結果、どんな馬鹿げた意見であっても、それが一般に広く認められているとわかったら
人間は簡単に受け入れてしまう。
そういう状態ができあがってしまうのである。

別の角度から見ると、集団は一人のリーダーを前に立てて
あとの人々はちょうど羊の群れのようにそのリーダーのすることを無批判に従う側面がある。

全員に共通する意見というのは、よく調べてみると二人か三人の意見であることが多い。
このような形で、盲目的に誰かの言うことに従ってしまう傾向は
上層部から中間管理職、平社員に至るまで、企業組織のあらゆるレベルで見ることができる。

経営者も羊の群れの一員になる誘惑から逃れられない。
経営に対する判断を自ら下さないで
専門家やコンサルタントの意見にそのまま従ってしまうことが起こり得るのである。

No.259

・変質の伝達者

ここで言う「変質の伝達者」は、いくらおかしなものであっても
上層部の意志をそのまま実行に移そうとして、人を傷つけてしまう人々のことである。

会社のある部署が上層部から実現困難な目標を与えられた時、
その部署の人々は、その目標を達成するために、成績の悪い人達を排除することがあり得る。
命令を実行するためであれば、同僚を傷つけることなど何とも思わなくなってしまうのだ。

ある社員を辞めさせようと思った場合も、会社の上層部はその社員が
会社にとって望ましくない存在だということを同僚の社員達に知らせてやれば良い。
そうすると、同僚の社員達は権威に対する恐怖や服従の心理から、その社員を孤立させる。
モラハラを行う。
その結果、その社員は同僚達から追い出される形で会社を辞めていくことになるのである。

ある組織の中で自分が信頼を置いている「権威」から命令を受けた場合
人はその命令を実行することに関しては責任を感じて、進んでその行為を成し遂げる。
その行為、あるいはその行為の結果については、全く責任を感じない。
自分はただ「命令されたからやった」と考えるのである。
これについては、有名なミルグラムの実験がいい例だ。

しかし、上からの命令をそのまま伝える形でモラハラを行う中間管理職達は
その行為を行って部下を傷つけることを喜びとしているわけではない。
時には、その行為を行うことで自らも辛い思いをしている。

だが、権威に対する恐怖と身を守りたいという
卑劣な気持ちから、そのことには口を閉ざしている。
そして心理的な防衛機制を使って自分達を納得させている。

この人達の気持ちはまず何よりも
「仲間から卑怯だと見られたくない」
「組織から排除されたくない」
ということに集中している。
部下に対するモラハラはこのような心の状態で行われるのだ。

No.260

そういった形で、必ずしも自分の意志ではなくモラハラを行う人がいる一方
企業には「自己愛的な変質者」と呼ばれる人達がリーダーになることも多い。
このタイプの人達は、組織にとって共通の敵をつくりあげ
率先してその敵と戦うことによって権力を強化する。
これはあらゆる階層で行われる。

そうなると自分の意見を持たない社員達は、例えそれがどんなに恐ろしいことでも
リーダーの行う暴力的な行為に自分達も関わってしまう。
集団の習性や恐怖から、そのつもりはなくても、暴力をふるってしまうのである。

「自己愛的な変質者」は、自分達が暴力をふるうだけではなく
他人にも暴力をふるわせるのが好きなのだ。
その結果、ちょっとした指摘やほのめかしで人々がモラハラをするように仕向け
自分は口をぬぐって知らん顔をするという
代理でモラハラを行わせる状況さえ起こってくる。

「自己愛的な変質者」には気をつけた方がいい。
この人達は人々を惹きつけ、支配下におき、価値観の基準をひっくり返すことができる。
集団に「自己愛的な変質者」が混じっていたら、集団全体の倫理観が崩壊してしまうのである。

それを防ぐためには、たった一人の人間が「自己愛的な変質者」の行為の不当性を訴え
集団の人々の目を開かせ、一緒に戦うようにすればそれで十分である。

そうしたことができれば、モラハラは随分少なくなるだろう。

No.261

・自己愛的な性格の人

企業には「自己愛的な変質者」まではいかなくても、自己愛的な性格の人は沢山いる。

この人々も
「仲間に気に入られたい」
「集団から排除されたくない」
という気持ちから、集団のモラハラに従ってしまう場合がある。

まず自己愛的な性格の人の説明から始めよう。
この人々はいつでも自分のことを気にかけて
「何があっても成功したい」
「人から称賛されたい」
と思っている。

この人々が自分に自信を持つためには、何よりも他人から見て素晴らしいと思われることが大切なのだ。
広告がある種のステータスシンボルを提供すると真っ先にそれを手に入れて安心しようとする
そういった人々である。

そういった特徴故に性格的には弱い人々で、少しでも体調や成績が悪くなったりすると
自分はもう両親や上司などの期待に応えられないのではないかと思い、急に自信を失ってしまう。
人々の称賛の中に自分の理想の姿を見て、そこでようやく自信を保っているため
それができないと思うと不安になってしまうのである。

その結果、この人々は常に成功を追い求め、自分の存在を確かなものにしようとする。
その気持ちは自分でもどうすることもできず、
性格的に正反対の何があっても落ち着いて、失敗や弱さを受け入れ、
自分自身であることに何の証明もしなくても良い人々を見ると
羨望を感じ、憎しみさえ覚えるほどである。

この性格の人が意気揚々と仕事をする姿は
なんと自信に溢れた人だろうと思うかも知れない。
だが、それは見かけにすぎない。
そんな風に見えるのは、精神分析で言う「偽りの自己」である。
この自己は非常に弱く「他人の目にどう見えるか」しか考えていない。
この人々にとって大切なことは「どうやってそう見せるか」だ。

No.262

実際のところ、この性格の人は自分のことを愛してはいない。
「成績が良くなかったり、成功を収めることができなかったら、自分には何の価値もない」
そう思っているからだ。
その結果、他の人とうまく付き合うこともできない。
そのためには、まず自分を愛することが必要だからである。

また自分に自信がないせいで、この人々はいつでも防御態勢を整えておかなければならない。
そうしておかないと、いつ人から批判され、非難を受けるかと思って安心できないからだ。
それによって、この人々は攻撃的にもなる。
人は相手からの攻撃を恐れると、自分から攻撃するようになるからだ。

少しでも自分を良く見せたい気持ちから、この人々は
富や権力、地位などに向かってひたすら走り続ける。
その欲望には果てがない。
そういったものには意味がなく、この世は虚しいものだという側面に目を向けたら
たちまちうつ状態に陥ってしまうからである。

それで気持ちが不安になるそういった状況を避けるために
この性格の人は絶えず行動して、自分が重要な人間だと思い込もうとする。
それによって、人間らしい生き生きとした部分を脇にのけてしまう。

この人々は、どんな状況にも過剰に適応する一方で、自分の弱さには目をつむり
関係が長続きしないことにはお構いなく、傲慢さの鎧で身を守り
周りの世界に鈍感でいつづけようとする。

また、ひたすら実用的、合理的、活動的であろうとする。
これは企業の管理職としてはうってつけの性格なのだ。

しかし、この人々がその性格故に「自由」を失っていることも間違いない。
人から称賛されないと自分の価値を認めることができないので
職業的、社会的に成功しない限り、自分というものがなくなってしまうのだ。

その自分とは
「何人部下がいるか」
「専属の秘書がいるかどうか」
「専用車を持っているかどうか」
「豪華な椅子が与えられているかどうか」
で示される。

解雇されてそういったものを失うと、たちまちアイデンティティが崩壊してしまうのだ。
そして、自分とは何かがわからなくなり
自分には何にもないと感じてうつ状態に陥ってしまうのである。

No.263

ここでモラハラとの関係について述べると
この性格の人々はいつでも必ず「変質的な」行為をするわけではない。
だが、自分のことを気にしすぎる性格から、状況さえ整えばモラハラに走りやすいと言える。

例えば、相手から攻撃される危険を感じると、この人々は暴力的になる。
自分が暴力的であることを引き受ける覚悟はないので
一見それとはわからない「変質的な」やり方で暴力をふるうことになる。
この時、ただの「自己愛」は「変質的な自己愛」へ移行するのである。

自己愛が「変質的な」ものに移行すると、この性格の人々はもともと自分に自信がないので
相手を貶めることによって自分の価値を高めようとする。
こうして自分にはない長所を持つ人に攻撃するのだ。
あるいは、相手を見下すことによって、弱い自我を守ろうとする。
他人を利用することも平気でする。
散々利用したあげくに、その相手をひきずりおろし、自分だけがいい思いをするのだ。

その性格的な弱さから、批評されることや失敗に耐えられない。
そうなると、例えどんな手段を使っても
最後には自分が勝利者になったことにして体面を取り繕おうとする。

また、自分の体面が傷つくのを恐れて、自己愛的な性格の人々は
他人と正面から対立しないことがある。
どんな形でも負けたり失敗することが恐ろしいからだ。

そこで対立を避ける気持ちが強いと、この人々は「変質的な」手段を用いて
相手が物を考えたり行動を起こしたりできないようにする。

そうやって、ひとたび相手を支配下におき、自分より劣った人間として一段下に見ると
自分の不安な気持ちを隠すために相手を怒鳴りつけるなどして
自分ではどうすることもできない感情をぶつける。

No.264

企業側から見ると、企業が社員を操ろうとしたら
まず社員の「自己愛的な部分」を手がかりにして行われる。
「自己愛的な部分」は、特に権威ある人から良く見られたいと思うからである。

社員を思い通りに動かしたい企業にとって、自己愛的な性格の人々は理想的な社員である。
上から良く思われたい一心で、組織の考え方には一つの批判も持たず
組織の望む人間になりきって、組織が要求することはなんでもするからだ。

過剰に適応して、一切の批判精神を持たないことから
どんなに自分自身の倫理に触れる命令でも、逆らうことなど思いもつかない。

例え「変質的な」企業であったとしても
その企業の言う通りにするのが良いことだと考えてしまうのである。

No.265

◆◆純然たるモラル・ハラスメント◆◆

これは「自己愛的な変質者」が相手を傷つける目的で行う典型的なモラハラである。

「自己愛的な変質者」は、自己愛的な性格が「変質的な」段階まで高まってしまった人間である。
この性格の人々は、相手を警戒し「相手を操って支配する」形でしか人間関係をつくれない。
相手を人間として認め、お互いの個性の違いから自分を豊かにしようとは夢にも思わない。

「自己愛的な変質者」にとって他人はまず何よりも打ち負かさなければならない相手である。
よって、この人々は自分の力が脅かされないように
相手を支配するか、破壊するしかないと考える。

そこで、まずは相手の弱みを見つけ、それを暴きたてて攻撃することによって
自分の優位を保とうとするのである。
この時、その相手は「自己愛的な変質者」の心の中では
全てに責任のある悪い人間、破壊されなければならない人間になっている。
だからこそ執拗に攻撃を繰り返す。
この過程でこの性格の人達が相手のアイデンティティが崩壊していくのを見て喜んでいる。

多くの実例からわかるように「自己愛的な変質者」のすることは
一つの「病気」の段階に達している。
にも関わらず、この「変質性」は精神病ではない。
これを治療することによってモラハラがなくなるわけでもない。

私達の中には、誰の中にも「変質性」の芽がある。
モラルに関する教育を十分に受けてこなかったり、仕事をしたり、社会生活を送っていく上で
モラルなんか気にかけていられないという状態になれば
その「変質性」の芽は大きく育ってしまう。

そういった意味で「自己愛的な変質者」の生い立ちは
幼い時に受けた心の傷が原因で性格が歪んでしまった人々だと言える。
幼い頃、自分が教わった不健全な人間関係を大人になってから再現しているか
自分が受けた精神的な暴力を今度は加害者となって自分が繰り返しているか
そのどちらかだ。

特に後者の場合、抑圧された心の苦しみによって
今度は自分が暴力をふるうようになるケースは稀ではない。

No.266

実際、「自己愛的な変質者」のほとんどは子供の頃に「物」のように扱われた経験を持っている。
それも「悪い物」として両親の一人から
捨てられ、放り出され、手荒く扱われたのだ。
反対に「人を思い通りに動かす」両親の一人から「価値ある物」として大切にされたかも知れない。
これはどちらも精神的な暴力である。

そして、おそらくこういった侵略的な両親から身を守るために
「感情よりも知性を大切にし、何があっても心を動かされない、冷たく、非情な人間になるしかなかった」
ということもあったのだろう。
しかし、だからと言って、その行為が許されるわけではない。

モラハラとの関係でこの人々は自分のしたことを悪いと思っているのだろうか?
本人達は一様に否定する。
「被害者は全く価値のない人間で、そうされてもしかたがなかった」と彼らは言う。
彼らは絶対に自分達の過ちは認めない。
謝罪もしない。

彼らが後悔するとしたら「やり方がまずかった」と思った時だけである。
モラハラだとはっきりわかってしまったら、それは巧みに隠しきれなかったからだ。
自分達のやり方には、まだ改良の余地があるということである。

また、この性格の人々は自分達が加害者だと訴えられると
巧みに被害者の位置にまわり「これは陰謀だ」と叫ぶ。
状況を逆転させて、自分は粛清キャンペーンの犠牲になったのだと主張するのだ。
その言葉に、検事や判事など裁判に関わる人々は慎重にならざるを得なくなる。

「自己愛的な変質者」達に良心はない。
ただ「これ以上のことをすると、自分が不愉快な目にあう」という認識があるだけだ。
もしそうなら、自分が悪いことをしたと思うはずがない。

No.267

現在のように仕事の世界で生き残る条件が段々厳しくなってくると
善悪はともかく、企業の中ではある種の選別システムが働いて
「自己愛的な変質者」が組織の重要ポストに就くようになる。

この人達は冷たく、計算高く、情けを知らないので
人間的なしがらみにはとらわれず、合理的な選択を行うことができるからである。
ある意味、企業でも官公庁でもまっすぐにトップを目指せる人々なのだ。

これは能力だけの問題ではない。
この人達が社内で重要なポストに就けるのは
人を惹きつけ、支配することを知っているからでもある。
上下関係を使って部下を巧みに利用し、そこから得た利益を全部自分のものにする。
そういったことに長けているからだ。

「権力」が存在する、あらゆるところと同じように、企業は「自己愛的な変質者」を引き寄せる。
そして彼らのために広く場所をあけて待っている。

だが「自己愛的な変質者」達が危険なのは「変質的な」行為を行うという理由からだけではない。
周りを自分に惹きつけ、集団全体を「変質的な」ものへと導く力を持っているからでもある。
このことを肝に銘じておく必要がある。

No.268

■モラル・ハラスメントにどう対処すれば良いか■

モラハラやそれに似た状況は沢山あり、なかなか見分けることが難しい。
それでも私達は、その違いを見極める必要がある。
それがモラハラなのかどうか、どんな種類のモラハラなのかによって
方策が変わってくるからだ。

「私はモラハラを受けている」と思ったらどうすれば良いのだろう?
まず第一に言えることは、モラハラの状況からは一人では抜け出せない。
自分が被害を受けていると感じたら、とにかく専門家に相談しなければならない。
もしそうしないなら、あとは直接、法に訴えるしか方法がなくなるからだ。

しかし、どんな専門家に相談するのか、これを決めるのが難しい。
その人が受けている被害状況によって、誰に相談すればいいのか変わってくるからである。
だが、その人の状況に相応しい専門家が見つかれば
その専門家は話を聞き、一緒に状況を分析し、それがモラハラかどうか、
またそれがどんな種類のモラハラなのか、そういった判断を下してくれるだろう。

モラハラが横暴な上司による職権濫用的なものであったり
会社側が掃除屋を導入して、過剰人員を整理する過程で起こったものであれば
社員達が結束するしかない。
経営者や上司の「変質的な」あるいは「病的な」やり方に対して
団結して戦うしかないのである。
集団で行動して、労働監督局に訴えるなり、労働組合を動かせば
そういったタイプのモラハラには対抗する道が開けているということである。

モラハラの種類が「純然たるモラハラ」の場合、被害者は孤立させられていることが多いので
他の社員と連帯して行動を起こすことができない。
モラハラの対処法も変わってくる。
専門家に相談する必要が出てくるのはこの場合のことである。

No.269

◆◆内部の仲介者◆◆

モラハラの被害を受けたかなりの人が職場の内部に援助を求めたのに
ほとんどが援助を受けられない傾向にある。

実態調査の数字を実際に見てみると、次のようになる。
※援助を求めた先は複数のケースもあり、合計は100%を超える

・労働組合に助けを求めた人40%、その内、実際に助けを得られた人は10%
・産業医に助けを求めた人39%、その内、実際に助けを得られた人は13%
・同僚に助けを求めた人39%、その内、実際に助けを得られた人は20%
・上司に助けを求めた人37%、その内、実際に助けを得られた人は5%
・人的資源部に助けを求めた人19%、その内、実際に助けを得られた人は1%

被害者に対して有効な支援を行うためには
労働組合や産業医など様々な専門家がそれぞれの分野で
きちんと自分の役目を果たす必要がある。
そうでなければ、モラハラの問題に対する根本的な解決はありえないだろう。

その点で言えば
労働組合は、加害者の行為が職権を逸脱していないか、労働者の権利を損なっていないか
そういった側面からモラハラに介入し、自らの役目を果たさなければならない。
産業医など医療に携わる人々は、被害者の健康を保護するという側面からモラハラに介入し
自らの役目を果たさなければならない。

そして、こういった専門家達がお互いに連絡を取り合い、協力していくことができれば
被害者に対する支援は一層効果的なものになるだろう。

No.270

だが、現状ではそういった連携は決してうまくいっているとは言えない。
人的資源部と労働組合はいつでも連絡を取り合っているわけではないし
外部との関わりにおいても、被害者が個人的にかかった医師は
一般医であれ精神科医であれ、被害者が勤める企業の産業医と
なかなか連携できないことがあるからだ。

モラハラを受けた社員は、会社の内部に仲介者を持つことが必要である。
社内に自分を理解してくれる人がいれば「悪いのは加害者であって、自分ではない」と思うことができる。

この仲介者は被害者にとって信頼のおける人物でなければならない。
同時に、加害者、あるいはそう考えられる人からも
この問題に介入し、調停を行うのに相応しい人物として認められなければならない。

その仲介者自身も会社の内部の人間ということから
どこまできちんと役割を果たしてくれるのかという疑問はあるだろう。
その仲介者が自分の役割の範囲をわきまえ、それに従って行動すれば
あまり問題にならないと思われる。

これからそういった仲介者となりえる人や組織について順々に見ていこう。

No.271

◆労働組合◆

モラハラの問題となると、労働組合の動きは鈍い。
経営者を相手に労働者の権利を訴えることは得意とするものの
モラハラのように心理的な問題が絡んでくると
どうしたらいいのかわからなくなってしまうのである。

中にはモラハラを「個人の問題」ではなく
「組織の問題」として考えようとする組合も未だに出てくる。
最近ではさすがに労働組合もモラハラの現状に気づきはじめたようで
何とか対応しようという動きが見られる。

しかし、この問題は組合に対する社員の信頼も絶対的なものであるとは言えない。
社員は「労働組合は社員一人一人ではなく社員全体の利益を考えるので
モラハラを受けたと訴えても、個人の問題にされて取り上げてもらえないだろう」
と考えてしまうからである。

この傾向は特に若い社員に著しい。
若い社員達は組合を警戒し、つい個人で解決することを考えてしまうのだ。

中間管理職も労働組合に仲介を求めるのをためらう。
組合に頼ってしまったら、その問題が解決しても
また違う形でモラハラを受けるのではないかと心配してしまうからである。
そうではなくても、労働組合と接触すれば
会社にとって好ましくない人物だという烙印を押されかねない。

だが、そこでためらってはいけない。
モラハラは社員達が結束して立ち上がらなければ
解決できない問題だからである。

反対に労働組合からすると、本気でこの問題に介入しようというなら
心理的な問題に関わることをためらってはいけない。
モラハラを解決しようと思ったら、社員同士の対立の調停に乗り出さざるを得ない。
そうなると心理的な問題に入り込むのは不可避だからである。

また「社員全体の利益」のために「個人としての社員」を犠牲にしてはならない。
いくつかの組合が行っているように、モラハラの問題を「組織の問題」にして
経営者側と戦う材料にするようなことがあってもならない。

No.272

業績を上げるために社員にストレスがかかっている状況はモラハラを生み出しやすい。
そういった状況に気づいた時、これを告発していくのは
それこそ労働組合の大切な役割である。

この場合、問題を解決するための具体策は
労働組合の代表がその会社の労働委員会(従業員の利益を代表する組織)を通じて
経営陣と交渉し、生産目標を下げさせる
といったことが考えられている。

もうひとつ労働組合の大切な役割を挙げるとすれば
「職権濫用的なモラハラ」に対して行動を起こすことだろう。
集団で問題を提議して経営陣のやり方を改めさせたり
会社の体質を改善させるのは、まさに労働組合のすべきことだからである。

企業の中に労働組合の支部がない場合でも、その企業の一人、あるいはグループの社員から要請があれば
外部の労働組合員もこの問題に介入することができる。
モラハラに関して調停が行われる時
その話し合いに調停者の一人として参加することができるのである。

企業の中に労働組合の支部が存在する時、その支部の組合員は相談を受けた時点で
モラハラを「公の問題」にしてはならない。

相談を受けたらまず被害者の話を聞いて、その意向を確かめる必要がある。
被害者はこの問題が他の人に知られることを嫌がっているかも知れないからだ。
また、加害者と考えられる人が実はそうではなかった場合
誤ってその人を糾弾するのを防ぐことにもつながる。

そういった配慮をして慎重にことを進めた上で、それでも経営者側が事態を改善しないようであれば
その段階で初めてストライキに訴えるなり、公にする方法を考えるべきである。

ある企業における労働組合の代表は、その企業の中で「変質的な」ことが行われていないか
「変質的な」状況 が定着していないか、絶えず監視している必要がある。
もしそういったことを発見したら、会社に抗議の声を上げなければならない。

社員の権利が侵害されたり、自由が脅かされた時、警告を発するのは
労働組合の役目であり、組合の代表はその権利が認められているからである。

No.273

◆安全衛生労働条件委員会◆

安全衛生労働条件委員会は、従業員の安全と健康を守るために設置を義務付けられた機関で
従業員代表と企業の安全部門の担当者で構成される。

その目的は労働上の危険を予測して、企業側に労働条件の改善を促したり
労働安全基準を遵守させることである。

この委員会は「従業員が緊急かつ重大な危険にさらされている」と判断した場合は
企業に警告を発することができる。
また「従業員が安心して働くことができない状態になっている」と判断した場合は
業務日誌にその事例を記入し、何らかの方策をとるよう企業側に要求することができる。

だが、残念なことに安全衛生労働条件委員会は設置基準があり
比較的大きな会社にしか設置されていない。
また、設置を義務付けられた企業でも30%以上の企業がその義務を果たさず
安全衛生労働条件委員会を有していないのが実情である。

No.274

◆産業医◆

産業医の役目は、年に一度定期検診を行うだけではない。
職業上の理由によって社員が健康を損なわないように防止策を講じるのも重要な役目である。
そのため、産業医は職業上の理由で社員が病気になった場合
経営者に警告を発することができる。

産業医の中にはモラハラに対しても関心を示し
職場における精神的暴力の実態を明らかにしようとする人々が出てきている。

産業医は、企業の中でも社員が会社に気兼ねすることなく
自由に話をすることができる数少ない人間の一人である。
だが、小さな企業では産業医が常駐していないので、いつでも気軽に相談することができない。
産業医も社員一人一人の状態や、雇われている企業について
よく知ることができないという問題もある。

企業の中には産業医がモラハラの事実を年次報告書に記載しようとすると
圧力をかけてくるところもあるので、十分その役目が果たせない場合も多い。

一つの企業や組織に常駐して、人事部ともコミュニケーションの良い産業医は
モラハラが起こった時に、内部の調停者となり得る。
組織の上下関係などにこだわらず、ある程度自由な形で動くことができ
「加害者」とも話がしやすいからである。

また、こういった立場にいると、他の人より早くモラハラの徴候を発見しやすい。
その結果、早めに事態を解決して、厄介な状態になるのを避けることもできる。
モラハラを解決するのは、本来は経営陣の役目だが
産業医は時にその役目まで果たしてくれるのである。

産業医は他のやり方でもモラハラの防止や抑制に貢献することができる。
例えば、中間管理職の中に部下に対して横暴なやり方で接している人がいた場合
産業医は上層部と相談の上、その中間管理職に
「そういったやり方をしていると、部下が心や身体の病気になる恐れがある」
と注意することができる。

また、ある管理職が「変質的な」行為を行っていた場合
その行為は「お見通し」だと知らせることもできる。
産業医に言われて自分のしていることがばれたと思い
行動を慎むようになった「自己愛的な変質者」の例も実際にある。

No.275

産業医にはもうひとつ大切で難しい役割がある。
モラハラによって心身の健康を損なった社員が仕事を続けられるかどうか
「適格」かどうか判断を行うことである。

この問題は本当に難しい。
モラハラによって社員の健康がかなり危険な状態にある場合
「不適格」の判断を下せば、その社員の健康を守ることができる。
同時に、その社員を辞職させ、場合によっては経済的な困窮にさらすことになるからだ。

「不適格」による解雇の場合、社員は予告期間もなく直ちに解雇され
解雇手当も通常の額しか受け取れなくなる。
この措置を不満に思って労働裁判所に訴える時にも
この「不適格」の判断がモラハラという特別な状況で下されたものだと説明するのが難しい。

こういった被害者の不利益を考慮に入れても、産業医は「不適格」の判断を下さなければならない場合がある。
それはもちろん被害者が健康を回復して、また働くことができるようにするためである。

社員の病気の原因がモラハラにあることが明らかな場合
産業医は「モラル・ハラスメント的な状況により、現在の職場で働くのは不適格。
ただし、他の部署で働くのであれば適格」
といった意見を提出することもできる。

だが、モラハラが原因で社員が健康を損ねた後に「不適格」の判断を下すとしたら
企業にとって失敗を認めるようなものである。
その状態に至るまで誰も事態に介入しなかったことになるからだ。

この問題でもうひとつ難しいのは
産業医自身も会社に雇われている社員の一人だということだ。
場合によっては「ある社員を〈不適格〉にしてほしい」と上層部から圧力がかかる場合がある。
医師にとっては将来がかかっているだけに、対応が難しくなる。

産業医が小さな企業を掛け持ちしている場合もその事情はあまり変わらない。
圧力のかかり方が間接的になるだけだ。
そういった産業医は医師の派遣組織に属しているのが普通だが
企業の経営者がある産業医を気に入らない場合
その医師を別の医師に変えるよう派遣組織に要求することがあるからだ。

もちろん企業がどんなことを言ってきても、産業医は独自の判断を下さなければならない。
その自由は保証されている。

だが、中にはどんな手を使っても産業医を思い通りに動かそうという経営者もいる。

No.276

◆人的資源部◆

人的資源部は人事部とはまた別に社員の人間的な問題を解決する部署である。

だが、モラハラの問題の重要性に気づいたとしても
人的資源部は解決に乗り出すことをためらう場合が多い。
モラハラに直面した時、その事実を否定したり、大した問題ではないと言ってみたり
困惑して手をこまねいてしまうのである。
それは人的資源部という部署の曖昧な位置付けから来ている。

人的資源部は、社員の立場でもなく経営陣の立場でもなく
その中間に位置し、両者の間を仲介する役目を担っている。
本来ならば、モラハラの加害者に注意を促すのに絶好の立場にいることになる。
だが、現実には経営陣の意志をそのまま反映して
モラハラに対して何も行動を起こさないでいることが多い。

これは人的資源部が仲介者としての権限を十分に持たされていないせいである。
権限がないせいで、仲介者としての立場が確立できないのだ。

仮に調停者として介入したとしても、何が起こったのか、その事実関係を判断するのが難しい。
一つは被害者が警戒して事実を詳しく話さない。
もう一つは加害者が事実を否定するからである。

人的資源部には他の悩みもある。
例えば、社員の一人が元気がないと思った場合
モラハラの可能性を疑ってそれを何とかしてあげたくても
その社員が何も言ってこなければ介入できるものだろうか?
企業はどこまで社員の心に踏み込んで良いのだろう?
社員の元気がないのは職場の問題のせいとは限らない。
個人的な問題で悩んでいる場合もあるだろう。
と、そうやってモラハラから出発して、悩みはそこまで広がってしまうのである。

確かにこういった問題に答えるのは難しい。
それでも人的資源部は何らかの行動を起こす必要がある。
社員の人間的な問題を解決するのが人的資源部の大切な役割だからである。

No.277

では、実際に社員の一人がモラハラにあったと訴えてきた場合
人的資源部は何をなすべきか。

・状況をよく見極め、拙速な判断を下すことを避ける。

・その上で、何が問題になっているかをはっきりさせる。
「被害を受けたという社員は加害者だと言われている社員から妬まれているか?もしそうならそれは何故か?」
「妬まれているのではなく邪魔な人間だと思われているのか?もしそうならそれは何故か?」
など状況を整理していく。

・主観を持たないように気をつけながら、当事者二人の言い分や気持ちをよく聞いてみる。

・そうやってさらに状況をはっきりさせながら
当事者二人のそれぞれの個人的な問題(性格的な問題、その他)を考慮する。

・双方の自尊心を傷つけないよう気をつけながら、折り合いをつける方法がないか探ってみる。

・この時、人的資源部は過度に被害者を保護する立場に立ってはいけない。
同時に、被害者が傷ついていることに配慮を怠ってもならない。

・モラハラであることがはっきりしたら、その段階で処罰についても考える必要がある。
問題は、それがモラハラだという証拠がなかなか見つからないことである。
よって、人的資源部はきちんとした調査を行い、起こった出来事の責任が誰にあるのか
つきとめる努力をしなければならない。
その結果、自信を持って裁定を下せるほど
はっきりした証拠を見つけることができなかったとしても
この努力は決して無駄にはならない。
問題にきちんと対応する姿勢を見せることで
人的資源部がいつでも社員の話に耳を傾ける態勢ができていることを示し
社員の信頼を得ることができるからである。

・ただし、人的資源部はその社内の位置付けから、状況に介入するのが難しいことも多い。
その場合は、そのまま放って置かず、他の仲介者に解決を委ねる必要もある。

・被害者を守るために、人的資源部は被害者か加害者のどちらかを別の部署に異動させ、
二人を引き離すことも考える必要がある。
この決断をためらってはいけない。
なぜモラハラが起こったのか、原因がよくわからない場合も同様である。

No.278

他に人的資源部が果たすべき役割は、経営管理の不手際がモラハラを生み出していないか
もっと一般的な形で社内の状況を観察することである。

もしそういった状況が見つかったら、人的資源部長は
当事者である管理職や同僚の管理職、経営者を集めて
その問題について皆で話し合いながら、事態を分析してみる必要がある。

また、人的資源部はモラハラが行われていないかどうか、常に注意を払って
社員の様子を観察していなければならない。
それを見つけるための指標は三つある。

・社員が会社を休むようになった
例えば、ある社員が定期的に休み、その休む時はいつも同じ同僚と仕事をする予定日になっているなど。

・ある部署の組織としての機能が低下している
理由はわからないが、ある部署の内部が何となくうまくいっていないように感じられることがある。
この場合は、内部でモラハラが行われていることを疑う必要がある。

・人の入れ替わりが激しい
病気休職をする社員が多くなったり、複数の社員が同時に異動願いを出したり
そういったことで社員の入れ替わりが激しくなったら
その部署ではモラハラが行われている可能性がある。

No.279

◆社外のコンサルタント◆

こういったコンサルタントは、企業側の要請で招聘され、報酬も企業から支払われるため
内部の仲介者に入れることにする。

一般に企業は社外のコンサルタントを雇って、社員の不満を聞こうとすることがある。
企業が社員の不満を聞くのは、調停を行うことに主眼をおいているからではない。
社員に対して自分達がどうやってふるまえば良いかを知り、経営管理に役立てるためである。
それは企業の発展に役立つ。
企業が発展するためには、社員の人間的な要素を無視できないからだ。

企業は自らの発展だけを考えているようだが
そういった形でも社員の不満を聞こうとするなら決して悪いことではない。

最近では、モラハラが企業のイメージを損ない、企業活動にも支障をきたす原因になると気づいて
社内で行われている「変質的な」行為を早めに発見し
事態を解決しようという経営者が増えてきた。

ここで問題なのは、そういった社外のコンサルタントを招いて事態を解決しようとした時
そのコンサルタントがきちんとした資格を持っているかということだ。
経営コンサルタントの中には、モラハラに対する関心が高まっているのを利用して
この問題の専門家だと自称し、儲けることを企む輩がいるからである。

そういったコンサルタントに騙されるのを防ぐためには
ちゃんとした仲介業者を通して、それなりの能力と経験を持つ
コンサルタントを派遣してもらうのが望ましい。

コンサルタントは企業に雇われているとは言え、そこできちんとした調停者の役割を果たすためには
企業の言いなりにはならず、時には駆け引きを使って企業と渡り合うことも必要である。

このコンサルタントの招聘は安全衛生労働条件委員会が
外部に鑑定を依頼する形で行われることもある。

No.280

◆公的機関における仲介者◆

民間企業の中には、時に社外のコンサルタントを招いてこの問題に対応する動きが出てきたが
公的機関はモラハラに対する予防措置がほとんどとられていない。
その結果、モラハラを防ぐには対立を表に出していくことくらいしか方法がない。

それだけモラハラが起こりやすいということだが
これは被害にあった時、内部に助けを求める人がいないということでもある。

それでもいくつかの役所には内部に調停のシステムがあり
人間関係の問題などを解決できるようになっているところもある。
だが、このシステムを利用するのはかなり難しい。
仲介を依頼しても行動が鈍く、仲介に入った時には被害者が精神的に追い詰められ
病気休職をしていることが多いのだ。

よって、役所や公企業などの公的機関は
組織から独立した相談機関が設けられることが期待される。

No.281

◆◆外部の仲介者◆◆

まず「モラハラの被害にあっていると気づいた時、誰に助けを求めたか?」
「実際に助けてくれたのは誰か?」
という調査結果から見ていこう。

・弁護士に助けを求めた人35%、その内、実際に弁護士が役に立ってくれたと感じた人は18%
・労働監督官に助けを求めた人32%、その内、実際に助けを得られた人は10%
・一般医に助けを求めた人65%、その内、実際に助けを得られた人は42%
・精神科医に助けを求めた人52%、その内、実際に助けを得られた人は42%

精神科医に助けを求めた人の数が52%もいることが目を引く。
これはモラハラが精神の問題と深く結び付いていることの反映だろう。
このことは考えによっては深刻な問題でもある。
これは企業と社会が被害者を異質の人間として外に追い払ったことを意味しているからだ。

仕事上の問題が企業によって解決されなければ、その問題は被害者本人にのしかかってくる。
そこで被害者は企業から見捨てられ犠牲にされたわけである。

そうなると被害者はこの問題を一人で解決できないので、身体に不調をきたしている場合は
一般医に相談し、それが精神的な問題だと気づいたら、今度は精神科医のもとを訪れる。
こうして問題の「精神病化」が行われるのだ。

「狂気の歴史」の中でミシェル・フーコーが言ったように
社会は問題を抱えている人間を「精神病化」して、外に追い払う現象が起こっているのである。
その意味で被害者はモラハラを受けただけでなく
社会のそういった在り方にも深く傷ついている。

このことから、外部の仲介者は医師、弁護士、支援団体のメンバーであろうと
非常に慎重になってあくまでも被害者の側に立ちながら自分の与えられた役割の中で
最善を尽くすようにしなければならない。
下手な行動の仕方をすると、本人達は助けているつもりでも
被害者を二次的に傷つけてしまうことが珍しくないからである。

また、モラハラに関する知識を持たない専門家に相談すると
被害者は「相手に理解してもらえない」という形でまた傷つくことになる。

いずれにしろモラハラの被害者から相談を受けたら
外部の専門家は相談者の話をよく聞き
特にその相談者が望まない解決法を押し付けないことが肝心である。

No.282

◆一般医◆

モラハラにあった人は医者にかかってその心身に受けた傷を癒し
それから社会復帰する形をとることが多い。

だが、本来ならば例え法律がなくても
モラハラを予防して被害者を保護するのは企業の役目のはずである。
企業がその役目をきちんと果たさないのなら
被害者の救済は社会に任され、その医療費は国民健康保険という形で
社会が支払うことになる。

モラハラの被害者が身体の不調を訴えて診療所を訪れた時
その被害者にいくら治療を行っても、身体的な症状はなかなか改善されない。
身体的な症状は心身症から来ているものなので
精神的な原因が取り除かれない限り病気は治らないからである。

そこで一般医は「病気休職の指示」を通じてモラハラに介入することになる。
実際、病気休職を指示して被害者を休ませると、その症状は著しく改善する。
反対に復職の指示を与えると、症状が再発するケースは少なくない。
モラハラの被害者にとって、病気休職はそれほど大きな意味を持っているのである。

それでは「病気休職の指示」にあたって一般医達はどんな問題を抱えているのだろうか。
「病気休職の指示」は簡単に出せるものなのだろうか。

これについては「医療倫理の側面から観た病気休職の指示とその制限について」
と題されたレポートの中で、医師会の評議会が次のような見解を示している。

「病気休職の指示は職業義務に従って慎重に行われるべきで
病気であるとは言えない人にその指示を与えてはならない」

「休職を認めるに足る症状が見られず、病気とは違う理由で職場に行きたくない人
(モラハラやセクハラを受けた人など)の場合は、病気休職の指示を与える前に
職業義務に従って次のことを行う必要がある。
第一に、患者の許可を得た上で産業医と連絡をとる。
次に患者に対しては、労働委員会や従業員代表、あるいは労働監督局に相談することを勧める」

少なくとも医師会は、モラハラに関連した「病気休職の指示」に対して
消極的な姿勢をとっていることがわかる。

No.283

患者を労働委員会なり労働監督局に追い払ってしまえば、それで問題が片付くわけではない。
モラハラの被害者が医師のところに「病気休職の指示」を求めてきた時点で
通常その被害者は心身ともに限界に達しているからである。
そこで病気休職をすることができれば、おそらく被害者は回復し、また職場に復帰できるだろう。
特にモラハラの原因が仕事に関係していたわけではないのならなおさらである。

だが、一度は回復して復帰したとしても
職場の状況が変わっていなければ症状が再発する場合もあり得る。
その場合は、また病気休職の指示をするなりして
医師は被害者の健康を守らなければならない。

この職場復帰の問題は、さらに難しい問題とも絡んでいる。
一般に、被害者の治療にあたった医師や産業医は
患者が職場復帰に「適格」かどうかを判断する時
元の職場に復帰できるかどうかということを基本に考える。

ところが、「適格」かどうかを判断する立場にある国民健康保険公庫の顧問医は
病気休職中の被保険者に対しては日当を支払わなければならないことから
どんな仕事でも仕事ができる状態であれば「適格」と見なそうとする。
そこで被害者に対する医師達の意見に食い違いが出てくる。

しかし、最近では状況をよく把握して
被害者の立場に立って判断を下してくれる顧問医が増えてきている。
モラハラを理由とした休職でも病気休職と認め、その間の日当を支払うなど
被害者の権利を守ってくれるようになったのだ。

この健康保険の問題に関しては、後で無用なトラブルを避けるために医師達も
「モラハラによってもたらされたうつ病」
「同じく全般性不安障害」
「同じく恐怖症」
のように病名をはっきりと書くことが望ましい。
医師達は「病気休職の指示」を下すことに法的な責任を負っているからである。

これはセクハラの場合も同じである。
その病気の原因がモラハラであることを明示するのも大切になるだろう。

それによって、社会費用の調査が行われた時、その結果が統計に反映され
モラハラがどれほど社会的に高くつくかわかるようになるからである。
これは予防法を制定するための強力な理由となる。

No.284

◆精神科医およびセラピスト◆

モラハラの問題に関して、弁護士や一般医と違い
精神科医やセラピストの反応はいまひとつ鈍いように思われる。

精神科医やセラピストに行動を促しているのは、モラハラを受けた被害者達である。
前述に示した調査結果によれば、52%の被害者が精神科医のもとに訪れている。
これは一般の人が精神科医に相談する割合から考えれば、驚くべき数字の高さである。

精神科医やセラピストもこの問題に真剣に取り組まなければならない。
社会的にも十分なケアがされていない現在、孤独な状況に置かれた被害者を救済するのは
やはり精神科医やセラピストの役割だろう。

その役割は以下、三つのステップに分けて考えられている。


①相談を受けたら何をすべきか

・まずは相談者の話を聞くこと。
相談のケースがモラハラではなく、別の種類の悩みであったとしても
とにかく話を聞いて、その苦しみを理解することが大切である。

・労働監督局に訴えたり、弁護士に相談したらどうかと
法律的な分野で何か行動を起こしてみるよう相談者に勧める。

・相談者が自分の身を守れるようアドバイスする。
特に「加害者の挑発には乗らず、冷静さを保つように」と念を押して
「侮辱を受けたり、権利を侵害されたりしても、カッとなって言い返さずに、文書に記録すること」
のように具体的な対応の仕方を説明する。

・相談者が明らかに不安障害やうつ病の症状を見せていた場合、
もし必要なら抗うつ薬や抗不安剤を処方する。
これは加害者の攻撃に持ちこたえる役に立つ。
薬物療法は真の問題の解決にはならない。
しかし、相談者がこの状況に冷静に立ち向かうために必要な力を与えることはできる。

・相談者の健康がかなり脅かされていると判断した場合は「病気休職の指示」をすることも考えなければならない。
だが、一般医のところと同じくいろいろと難しい問題がある。

No.285

②診断書の活用

精神科医やセラピストの役割は、被害を受けたと相談に来た人の話を聞いて
その苦しみを理解することである。
状況を分析して、それがモラハラかどうかの判断を下すことではない。

状況を正しく把握しようと思い、相談者の承諾を得た上で産業医と連絡をとることもできる。
だが、全ての状況を把握できるわけではない。
産業医にも職業上の守秘義務があるからだ。
よって、精神科医やセラピストはモラハラかどうかの判断を下すことにこだわらなくても良い。

大切なことは職場の状況が相談者の心身の健康にどれほどの被害を与えたのか
それをきちんと判定して、相談者の精神状態はどうなっているのか
精神障害は表れていないか、詳しい診断書の形にまとめることである。

またこの時、精神科医やセラピストは診断書に
「患者の話によれば、この障害が表れた原因は職場の状況によるものではないか」
と書き添えることもできる。
これからは特にそういったことが大切になるだろう。


③社会的役割

精神科医やセラピストはただ薬を処方して苦痛を軽減すればいいというものではない。
もっと積極的に行動を起こし、相談者の味方になることが
精神科医やセラピストの社会的な役割である。

その行動は産業医がとる行動と同じものになるだろう。
そのためには、もっと企業社会のことに興味を持つ必要がある。
現在、精神科医やセラピストはごく少数の専門家を除いて、企業社会のことを知らなさすぎる。
その結果、相談者の苦しみを本当に理解することがなかなかできない。

本来であれば、一部の専門家に任せっきりにするのではなく
精神科医やセラピストの一人一人が仲介者となって
相談者のために立ち上がらなければならないのである。
もしそこで精神科医やセラピストが行動を起こさないようであれば
モラハラを黙認したも同然だ。

薬の処方以外には何の助けも差し延べないのであれば
被害者は職場の現状にどうすることもできないまま、一人立ちすくむことになりやすい。
そうなったら被害者達はモラハラの攻撃から身を守れなかったことで
ますます自責の念を感じるようになる。

No.286

よって、精神科医やセラピストはなるべく被害者を勇気づけて
被害者が自分で自分の身を守れるようにしてやることも大切である。
だが、いつでもそうした方がいいかというわけではない。
これは判断が難しい。
ケースバイケースで考えていくしかないだろう。


いずれにしろ、精神科医やセラピストの基本的な役割が被害者の身になって
個人的な助けになることであるのは間違いない。

モラハラを受けた被害者は混乱し、こんな目にあったのは
自分がいけないのではないかと罪の意識を抱いている。
精神科医やセラピストは、まず被害者からその罪の意識を取り除いてやる必要がある。

「いけないのは被害者ではなく、加害者の方だ」ということをはっきりさせ
罪を相手に押し付けようとする加害者の奸計から被害者を守ってやる必要があるのだ。

また、被害者の心理的な苦しみに注目するあまり
それがモラハラの結果として起こったものだということも忘れてはいけない。

精神分析を基本とするセラピストの中には
自分が学んできた理論から一歩も外に出ようとせず
被害者の苦しみを幼少期の性的葛藤などから発する
本人の心の問題としてしか理解しようとしない者が、まだ大勢いるからである。

モラハラの問題はそういった伝統的な精神分析理論だけでは対応できない。
新しい問題は新しいやり方で対応する必要がある。
新しいやり方を工夫し、また人からもそれを学ぶことが大切である。

No.287

◆労働監督局◆

マリー=フランス・イルゴイエンヌの著書「モラル・ハラスメント」が出版された1998年以来
「精神的暴力をふるわれた」と労働監督局に訴える人は大幅に増えてきている。

これは「モラル・ハラスメント」という言葉がマスコミを通じて広がった結果、
これまでそれほど問題にされていなかった状況が
改善すべき、あるいは改善できる状況として認識されたからである。

だが、そういう訴えが増えたとはいえ、労働監督局はこの問題について
十分な対応ができない場合が多い。
モラハラがほとんどの場合、証明することが難しい主観的な問題であることも
対応を困難にしている原因である。

だが、労働条件にしぼって対応を進めていけば、モラハラの問題に介入することは可能だろう。
劣悪な労働条件がモラハラの温床になっているケースは決して少なくないからである。


◆雇用問題相談員◆

雇用問題相談員は、社外の労働組合員
あるいは退職した組合員がボランティアでしてくれているもので
従業員代表のいない小さな企業に勤める社員の相談に乗ってくれる。
県庁や市役所に行けば相談員のリストがある。

問題は、今のところこの相談員の役割がかなり限定されていることである。
雇用問題相談員は、解雇に先立つ話し合いの席に社員側の出席者として同席することしか
モラハラに介入する術を持たない。

とはいっても、雇用問題相談員はもともと労働問題に関する経験が深く、信頼できる人々である。

No.288

◆弁護士◆

「モラル・ハラスメント」という言葉が巷に広がった時、一番最初に反応を示したのは
「社会的権利」を守ることを専門とする弁護士達だった。

弁護士達は、それまで相談者から「職場で無視された」「いじめられた」など
様々な訴えを受けてきたが、そのような問題を統括的に扱う言葉がなかったので
行動を起こそうにも起こしようがなかったのである。
一つの言葉を使って問題を統括的に表現できないのであれば
法律やその罰則と結び付けることもできない。

実際の弁護士達の活動について見てみると、少なくとも現状では
この問題に対する弁護士達の介入は遅すぎると言わざるを得ない。
労働契約が破棄された後、被害者が受けた損害の補償を求める段階にならないと
実際の行動を起こさないのである。

しかし、それまでの間にも弁護士にできることは多い。
例えば、法的な側面からどうやったらモラハラをやめさせることができるか
その方法を指南することができる。
相手から許しがたい行為を受けた時、あるいは相手側に労働契約に関する違反があった時
手紙で抗議する時にはどういう書き方をすれば良いか
また、経営者に圧力をかけて必要な措置をとらせるために
証拠を集めるにはどうしたら良いか
事実関係の報告書を書くためにはどうすれば良いか
そういったことをアドバイスできるはずである。

しかし、この問題に介入するのが遅くなるのは必ずしも弁護士のせいばかりではない。
被害者もまだ会社に在籍している内は、弁護士に相談するのをためらう場合が多いからだ。

下手に相談すると、話が辞職する方向で進んでしまうのどはないかと
それを恐れるからである。
話がこじれて裁判ざたになった場合、高額な費用がかかるのではないかと
それを心配することもある。

また、被害者達は「弁護士に相談したが、あまり有効な助言が得られなかった」
という答えも多い。
これ以上相手に侮辱されないように、また自分が間違った行動をとらないように
きちんとしたアドバイスが欲しいのに
「どうすればいいか?」と聞いても答えてくれないという。

その点では、おそらく支援団体の方が役に立つだろう。

No.289

◆支援団体◆

モラハラに関する支援団体には次の二種類のものがある。

・専門家による支援団体。
これは職場におけるモラハラの増加に危機感を抱いた
産業医、社会心理学者、セラピスト、弁護士などが無料で被害者の相談に乗り
話を聞いたり、情報を提供したりして被害者を支援するものである。

・被害者の会。あるいは元被害者の会。
こちらはそのメンバーがモラハラを受けていたり、モラハラを受けたことがある人々なので
この状況から抜け出すことがどれほど難しいか、経験的によくわかっている。
その結果、被害者の気持ちを支え、どんな時にはどんな風に行動すれば良いかアドバイスできる。

支援団体の果たす役割は大きい。
第一に、被害者は日常的に支えてもらう必要がある。
次に、精神科医にしろ、弁護士にしろ、この問題の専門家は数が少ない。
行き当たりばったりに診療所や事務所を訪れたのでは、無駄足になることが多い。
その意味では専門家による支援団体が大きな助けとなる。

モラハラは孤独の中で被害者を精神的に追い詰めていく病的な現象である。
これに対して、支援団体は被害者の話を聞き、助言を与えて
場合によっては法的な対抗手段をとる道を開いてくれる。

No.290

■予防する■

モラハラそのものに関する法律ができても、それで安心してはならない。
私達はもっと先に行く必要がある。

法律で特定の行為が禁止され、その行為をした者が罪を問われるようになったとしても
その法律の網をくぐって「変質的な」行為を続けたり
逆にその法律を自分の利益のために利用しようとする輩が出てくるからである。

よって、大切なのは予防することだ。
実際にモラハラが行われて被害者達が行動を起こすのを待っているのでは遅すぎる。
その段階まで来ていると、被害者はもう一般医や精神科医など
医療の助けを借りなければならない状態になっているのが普通だからである。

モラハラは隠れた形で進行する。
モラハラはなかなか表にはあらわれない。
だからこそ、問題が発生する前にその芽を摘み取らなければならないのだ。

実際、被害者がモラハラを受けて毎日少しずつ健康を蝕まれていくのを見た時
相談に乗った医師は会社を辞めさせるなど
一刻も早くその「変質的な」状況から被害者を引きはがすしか方法がないことが多い。

それで患者が救われるのなら、それ自体は悪いことではないが
モラハラに対するやり方ということから言えば
それ以前の対策に失敗した結果の事後処置に過ぎない。
本来ならばこの状態になるずっと以前に誰かが介入していなければならなかったからである。

また、こういったやり方で対応している限り、新たなモラハラが発生するのも防げない。
その結果、ほとんどの場合、会社を辞めるのは被害者で
加害者はそのまま会社に残る状況が続いてしまうのだ。

これまで私達はモラハラがどれほど被害者の心身の健康に破壊的な影響を与えるのか
その恐ろしさを嫌というほど見てきた。
それがわかっているなら、そうなる前に介入しなければならない。
加害者の攻撃が始まってからでは遅すぎるのだ。
問題が起こってから解決することも大切だが、それ以上に大切なのは予防である。

No.291

有効な予防策を講じようと思ったら、モラハラの種類は何か、あるいはそれに似た状況なのか
きちんと見定める必要がある。
それぞれの状況によって、何をすればいいかがまた違ってくる。

実際に起こり得る状況を想定して考えてみると、口で言うほど簡単ではない。
モラハラの状況は、常に個人的な問題から組織の問題に移っていくからである。

よって、できるだけ有効な形でモラハラを予防するなら
個人レベルの予防と同時に、組織レベルでの予防についても考えなければならない。
一人一人の社員による「変質的な」行為を防ぐのと同時に
モラハラを生み出しやすい状況や管理の方法をなくしていく。
そういった形で予防することが大切なのである。

一つの問題を解決するだけでは意味がない。
全ての問題に効果を発揮する総合的な予防策が必要なのである。

また「モラハラの予防」は「労働安全に関する予防」の枠組みの中で行われるべきだ。
精神的な健康も含めて、職場での健康が保証されるというのは
働く人間の基本的な権利だからだ。

No.292

◆◆企業レベルでの予防◆◆

モラハラの予防策が講じられたからと言って
社内にいる「自己愛的な変質者」がすぐさま他人を傷つけようとする意志を捨てるわけではない。
だが、その行動を抑制することはできる。

集団に従ってモラハラをしてしまう人々の場合は
予防策によって組織全体が健全になれば
自分でも意識しないまま誰かを傷つけてしまう恐れが減少すると思われる。

また企業がモラハラの予防について考えるなら
組織と人間との関係、コミュニケーションのあり方など
社会心理学的な事柄も考慮に入れて、より大きな視点から問題の意味を理解する必要もある。

職場におけるモラハラには、個人を原因とするものと組織を原因とするものの二つの種類がある。
だが、いずれにしろ、ひとたびモラハラが起こったのであれば、その責任の一端は企業の上層部にある。
その点は心しておく必要がある。

No.293

◆企業の責任◆

もし社内でモラハラが起こったとすれば、それが水平型(同僚から)でも垂直型(上司から)でも
その責任の一端は上層部にある。

上層部は問題が発生した時にそれをそのままにしておかず、解決する方策をとらなければならなかったのだ。
問題に対応するだけでなく、社内の階層のあらゆるレベルで
モラハラに対する予防措置を講じることが上層部の義務である。

例えば、現場の責任者が横暴な行為をしていると知った時
中間管理職が部下の心身に破壊的な影響を与える行為をしていると知った時
いくら彼らが会社の業績を上げるのに貢献していたとしても
それを理由にこういった行為を許してはならない。

まずはこの種の行為に厳しい態度で挑み、必要であれば処罰も辞さないこと。
それがモラハラの予防につながる。

また、上層部は自分達のやり方がモラハラ、あるいはそれに似た精神的な暴力を生み出していないか
我が身を振り返ってみる必要がある。
もちろん会社を経営する人々は、必要な利益を上げるためにやらなければならないことをしているのだろう。

それでも、社内で暴力がふるわれているのなら
それがどんな種類の暴力でも、その暴力がふるわれないよう最大限の努力をすべきなのだ。

だが、残念なことに、企業の上の人々は
まず「自分の会社でモラハラは行われていない」と言うことが多い。

例えば、討論会が開かれた時
「あなたの会社にはモラル・ハラスメントがありますか?」
という質問に対し、出席した企業幹部の全員が否定的な返事をした。
「いや、モラル・ハラスメントというのが存在しているのは知っています。
しかし、私どもの会社には存在しません。
私達は社員のことを考えていますからね。
社員達のことを大切にしているのです」

ところが、公的にそう発言した企業の幹部達がひとたび討論会が終わると
「いま、自分はモラル・ハラスメントの問題に関わっているのだが、どうしたら良いか?」
とアドバイスを求めにくる。

「自分はこの問題をうまく解決することができない」とした上で
「どうやったら体面を保つことができるか?」というのである。

No.294

このように問題を解決する能力がなくて、体面を保ちたいなら
問題の存在を否定するのが一番簡単な方法である。
それが多くの幹部がしていることでもある。

問題の存在を否定してしまえば、解決に乗り出すことはもちろん
予防策を講じることもできなくなる。

自分の会社にモラハラが存在しないと言い切れる理由は何か。
自分がその問題を解決できないことを認めたくないせいではないのか。
企業の経営者や幹部達はそういったことに少し意識的になる必要がある。

これは高級管理職が部下にモラハラを行った時に
企業の幹部達がつい加害者である管理職を守ってしまう態度についても言える。
また、現在の社員の労働環境がどうなっているかについても注意を払う必要があるだろう。

例えば、もしストレスを予防してモラハラをなくそうというのであれば
中間管理職だけの問題ではない。
経営者や幹部達を含めた会社全員の問題である。
特に上層部は自分達のやり方を見直して、ストレスの予防に努める必要がある。

これは「企業経営」から言っても悪いことではない。
社員の健康を良好に保ち、高いモチベーションを持たせることができれば
生産性の向上という形で企業の利益につながるからだ。
企業における管理の目的を一言で言えば、社員達を上手に働かせることである。

ではどうやったら、社員達を上手に働かせることができるか?
それにはまず社員のやる気と健康を損ない、実質上働けなくさせてしまう
「変質的な」人間関係から社員を守ることである。

こういった人間関係の調整は通常なら中間管理職の役目ということになっている。
だが、会社のシステムから受けるプレッシャーによって
その中間管理職自体が余裕を失い、自分達が生き残ることで手一杯になりがちである。
これではモラハラから部下を守ることなどできない。

だからこそ経営者や幹部達が率先して行動を起こし
システムを見直していかなければならないのである。

No.295

◆モラル・ハラスメントを防ぐための経営管理◆

企業の経営者や幹部の立場から見て、モラハラに対応するにはどうすれば良いか。

例えば
「社内で誰かが孤立させられていないかどうか気をつけ
それがあったらなるべく早期に発見すること」

「ちょっとした冗談にしか見えないからかいの言葉など
一見なんでもないように見える暴力が繰り返し行われていないか
監視の目を光らせること」

「言葉によらないコミュニケーションを排して
社員同士の間にきちんとした会話を復活させること」

「社員達がやる気を出して協力して働けるよう
一つのプロジェクトの中で社員一人一人の仕事に意味を与えること」

そういったことが大切である。
自分達が気をつけると同時に、企業の経営者や幹部達は
中間管理職や下級管理職などの方でも人間関係の問題に
気をつけられるようなシステムをつくりだす必要がある。

最近では幹部候補生に「コーチング(目標を達成するには、どうしたら良いのか相手に自発的に考えさせる技術のこと)」を受けさせて
人間関係を重視した管理のやり方を学ばせる企業も出てきているので
状況は少しずつ変わってきているとは言える。

だが、今のところ「コーチング」を受けられるのは
経営者、幹部、将来の幹部候補生くらいである。
管理職達は、産業医かソーシャル・ワーカーに相談するくらいしかできない。
相談した時にはもう手遅れということも珍しくない。

社内からモラハラをなくし、一人一人の社員が尊重されるような
システムをつくりだすことができれば
企業における厄介な問題はかなり片付くと言ってよい。
それは生産性を向上させることにもつながる。

No.296

業績を上げるためには、仕事を進めていく上で
社員同士がもっと相手の話を聞き、会話をする必要がある。
相手の話を聞く時には、上下関係に関わらず、真摯な態度で臨まなければならない。

相手が部下であれば
「上司の自分に対して何か言えないことがあるのではないか」
「反対したくてもできないのではないか」など
相手の態度に注意してためらっている様子を見逃してはならない。

仕事上のミスを犯して困ってはいないか
他の理由で困難な状況に陥っているのではないか
コミュニケーションを活発にして常に聞き出せる状態にしておく必要もある。
部下が失敗した時に、そのまま泥沼化するのを避けられる。

いずれにしろ、そうやって人を活かすことが
ひいては会社のためになるのである。

「社員を大切にし、社員が満足して働ける企業」と
「社員にプレッシャーをかけて、社員を恐怖でしばる企業」を比べたら
前者の方が業績が高い。

そういった企業では、まず社員の出入りに伴う損失が少ない。
また社員のモチベーションが高まる結果、生産性も向上するからである。
企業が優れているかどうかは、目先の利益だけで測られるものではない。
社内の雰囲気がどうなっているかも大切なことである。

企業が社員に成績を上げることしか要求しなかったら
モラハラなどの様々な問題が起こって、社内の雰囲気も悪くなる。
そうなれば、会社に対する忠誠心も薄れ、有能な人材も去っていくだろう。

企業が社員を人間として大切にすれば、有能な人材は長く社内に残り
長期的に見ると結局は企業の利益につながるのである。

No.297

◆ジェネラル・エレクトリック社の経営方法◆

2000年当時この会社の最高経営責任者であるジャック・ウェルチ氏は
革新的な経営方法でジェネラル・エレクトリック社を
世界トップクラスの収益性の高い企業に導いたことで知られている。

インタビュー記事の引用
「うちの会社では、社員一人一人が自由に発言できるようになっています。
私達は社員を尊重し、その言葉を大切にしているのです。
それが私達の会社の「価値」です。
また、私達は率直な反応を心がけています。
社員の働きぶりを見て、どう思ったのか、率直な感想を社員に対して、直接フィードバックするのです。
(中略)人から尊重されて、自分の言葉を大切に扱ってもらいたいと思っていない人はいません。
ですから、管理職の人々には、私はこう言っているのです。
「あまりもったいつけるんじゃない。また、自分には権力があると思ってはいけない」と。
ジェネラルエレクトリック社では、社内の上下関係に関わらず
どんな地位にいる人でも自由に話をすることができます。
その意味では、きわめて風通しのいい会社なのです。
(中略)社員に対してはこういっています。
「もし上司にひどいことを言われたら、負けずに言い返すがいい。それができないようなら、辞めてしまいなさい」と。」

また、ウェルチ氏は企業の効率が悪くなる最大の原因は官僚主義だと考えている。
これには毎日のように戦わなければいけないとしている。

「どうしてこれほど官僚主義がはびこるのか?
それは「自分の要求は正しく、相手の要求は間違っている」と考える人に都合がよいからです」

No.298

こうしたウェルチ氏の考えをもとに、ジェネラル・エレクトリック社では
社員の一人一人に信頼を置く経営管理を押し進める。
その結果、管理職の評価なども、従来のように上からの一方的な評価ではなく
上司や部下、同僚など一緒に働いている人々を全員が評価を下す
「三百六十度評価制度」が用いられている。

潜在能力は高いが、まだ若い中間管理職は、もっと経験のある年配の社員の後見を受けながら
担当している部署を率いていく制度も取られている。

社内で問題が起こった時には、その問題に関係する人々が全員集まって相談するシステムもできている。
この会議の進行役は、その問題と関係がなく
こうした役目をするのに特別な訓練を受けた社員が担当する。
また、参加者がより自由な雰囲気で発言できるように
その問題に関係がなければ、上司も出席しない。

このように社員の力を信頼した経営方法を採用したからこそ
ジェネラル・エレクトリック社は素晴らしい業績を残してきたのだろう。
だが、これはジェネラル・エレクトリック社に限ったことではない。

社員はそれぞれの個性を大切にしてやれば
潜在的に持っている豊かな能力を開花させるものである。
これは経営管理に関係した全ての研究の結果が証明している。
能力は一つの基準では測れない。
社員一人一人の個性に応じた特別な能力があるのだ。

そうした様々な能力を公平に評価する健全なシステムがあれば
社員達は評価を恐れることもない。
人はいずれ、何らかの形で評価を下される。
もしそうなら、その評価のシステムはなるべく公平で健全である方がいい。
そういったものができれば、それぞれの持ち場もはっきりするだろうし
問題が起こった時に、もっと自信を持って自分の意見を言えるようにもなるからだ。

No.299

◆具体的な予防戦略◆

具体的にモラハラを予防するには、企業の経営者や幹部達はどういった戦略をとれば良いのか?
これには大きく言って、二つの戦略が挙げられる。


・社員の間のコミュニケーションを活発にさせる

企業にとって大切なことは、話を聞くことである。
まずは社員の声に耳を傾けること。
特に病気や個人的な悩み、職場の人間関係などが原因で
一時的に能力を発揮できずにいる社員に対しては
できるだけ声をかけて話を聞くことが重要である。

話をする。
あるいは声をかけるだけでも、社員同士の交流は活発になる。

こうして社員達が積極的にコミュニケーションを交わすようになれば
仕事上の問題など色々な問題が浮かび上がってきて
意見の対立も明らかになってくる。
だが、対立を恐れてはいけない。
話をするということは、意見の対立を受け入れるということなのだ。

それはまたプラスの方向にも働く。
ある状況で問題が発生して、身動きがとれなくなった時に
そういった状況を打ち破り、新しい状況を作り出すには「対立」がおおいに役に立つからである。

「対立」を前提としながら問題に立ち向かうのは勇気がいることだろう。
どんな決定を下したとしても、その決定には賛否がわかれるからだ。
しかし、ここでためらってはいけない。
指導者は、社員達の人間的な要素を考慮に入れた上で
意見の対立を調整し、全体の利益になる決定を下す役割を担っているからである。

No.300

・防止する規則をつくる

モラハラの問題は煎じ詰めて言えば、社内の秩序の問題である。
社内の秩序が乱れれば、モラハラが生まれる。

そういったことから考えると、企業の経営者や幹部達にできることで
モラハラを防ぐのに効果的なことは、モラハラを禁止する内部規則をつくることだろう。
成文化した規則をつくることによって「モラハラは許さない」「モラハラを行ったら罰を与える」
という姿勢を示して、その規則を守るよう上から下まで徹底させるのである。

モラハラの予防とは、専門家が唱えるお題目ではなく
社員一人一人の責任において行われるものだということを社員達に伝えていく。
もしそういった社内規則ができれば、モラハラの予防にとってこれ以上強力な味方はない。

また、禁止事項をはっきりと謳った社内規則の他に
社員一人一人に対して「一緒に働く仲間を尊重する」習慣を身につけさせることも大切になるだろう。
これはモラハラを予防するための最初の一歩となる。

そのためには経営者や幹部達が
「こういった行動はしてもかまわない」
「こういった行動は受け入れられない」
といった、はっきりした基準を示すことが必要である。

それはもちろん、社員に道徳を説くということではない。
もっと単純に、受け入れがたい行動に制限を加えるということだ。

そういった基準があれば、社員達は
「こんなことをすると一緒に働いている人を傷つけることになる」
と、行動する前に先回りして考えるようになるだろう。
基準というのはそういったものでなければならないのだ。

そういう意味では、社内における上司と部下の関係も
こういった基準を用いて見直す必要がある。
上司が部下に対して「してもいいこと」と「してはいけないこと」を
あらかじめはっきりと示しておくのである。

例えば、規則をつくってそれに違反した社員を処罰するということ自体がそうだ。
企業のトップにはそうした権利があるが、もしこの時何の基準にもよらず
トップが恣意的に規則をつくって、また恣意的に処罰を行ったら
社員達は安心して働けない。

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