勉強させてもらいます
一人でノートをとるより
勉強内容をまとめたり把握するのが
何だかはかどるので失礼致します。
14/12/07 08:25 追記
閲覧ありがとうございます。
皆様のお陰で新しい発見や再確認ができて新鮮だったり、良い息抜きになっております。
もしお役に立ちそうなものがありましたらご活用ください。
不要な方は引き続きスルーでお願い致します。
文章は教わったことを再び自分に向けて理解するための作業ですので
意見みたいなものも誰かへの訴えではありません。
悪しからず。
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【組織社会が直面する問題】
知識社会では、専門知識が一人ひとりの人間の、そして社会活動の中心的な資源となる。
経済学の生産要素-土地、資本、労働は不要になったわけではないが二義的になる。
これらは専門知識さえあれば簡単に入手可能である。
個々の専門知識だけでは何も生まない。
他の専門知識と結合して、初めて生産的な存在となる。
企業であれ、他の組織であれ、組織の目的は専門知識を共同の課題に向けて結合することにある。
これらを踏まえて、今後いかなる問題が登場するか
いかなる領域にいかなる課題が登場するか。
歴史を参考にするならば、
安定を求めるコミュニティと変化を求める組織の間の緊張
個人と組織の間の緊張
両者の間の責任の関係である。
あるいは自律を求める組織のニーズと共同の利益を求める社会のニーズとの間の緊張
組織に対する社会的責任の要求の高まりである。
さらには、専門知識を持つ知識労働者と
チームとしての成果を求める組織との間の緊張である。
これらの緊張は特に先進国社会で中心的な問題となっていく。
実際に問題が発生する場所、一つ一つの組織、事務所において解決しなければならない問題だ。
【組織は創造的破壊のためにある】
社会、コミュニティ、家族は安定要因である。
安定を求め、変化を阻止、あるいは減速しようとする。
これに対し、組織は不安定要因である。
組織はイノベーション(創造的破壊)をもたらすべく組織される。
組織は製品、サービス、プロセス、技能、人間関係、社会関係、
さらには組織自らについてさえ確立されたもの、習慣化されたもの、馴染みのもの、心地好いものを
体系的に廃棄する仕組みを持たなければならない。
組織は絶えざる変化を求めて組織されなければならない。
組織の機能とは知識を適用することだ。
急速に変化し、今日の当然が明日の不条理となるところにある。
知識を有する者が4、5年おきに新しい知識を仕入れなければ、時代遅れとなる。
このことは、知識に対して最大の影響を与える変化が、その知識の領域の外で起こることからも、重大な意味を持つ。
新しい知識を生み、古い知識を陳腐化させるものは、科学や技術とは限らない。
社会的イノベーションも重要な役割を果たす。
実際、社会的なイノベーションの方が大きな役割を果たすことが多い。
この40年間における最大の変化は、技術的あるいは社会的なイノベーションが、人に教え学ぶことのできる体系になったことだ。
学校も印刷革命を上回る変化を遂げる。
知識社会が知識労働者に対し、体系的な学習を一生のプロセスにすることを要求するからだ。
さらに学習についての新理論が明らかになるからである。
【変化のための仕組みを持つ】
数年ごとにあらゆるプロセス、製品、手続き、方針について
「もしこれを行っていなかったとして、今分かっていることを全て知りつつ、尚且つこれを始めるか」
を問わなければならない。
答えが否であれば、
「それでは今何をやるべきか」
を問い、行動しなければならない。
再検討などとは言っていられない。
それどころか今後ますます組織は、成功してきた製品、方針、行動について
計画的な廃棄をしなければならない。
これを行っているのはいくつかの大企業だけである。
新しいものの創造に専念しなければならない。
具体的には、あらゆる組織が三つの体系的な活動に取り組む必要がある。
第一に
組織はその行うこと全てについて、絶えざる改善を行う必要がある。
改善の目的は、製品やサービスを改良し、2、3年後には全く新しい製品やサービスにしてしまうことだ。
第二に
組織は知識の開発、すでに成功しているものについて、さらに新しい応用法を開発する必要がある。
第三に
組織はイノベーションの方法を学ぶ必要がある。
イノベーションは体系的なプロセスとして組織化することができ、そのように組織化しなければならない。
これら三つの活動の後は、再び体系的廃棄の段階に戻り、新しいプロセスを最初から始める必要がある。
そうしないと組織は急速に陳腐化し、成果を上げる能力を失い、その頼りとすべき高度の知識労働者を惹きつけ留める魅力を失っていく。
【組織が果たすべき責任】
組織社会では、組織の社会的責任が問題となる。
あらゆる組織が社会的な力を持つ、あるいは持たなければならないからだ。
その力は大きくなければならない。
企業にとっては、経済的な業績が基本である。
業績を上げなければ、他のいかなる責任も遂行できない。
だが、業績だけが唯一の責任ではない。
同じように、教育上の成果だけが学校の唯一の責任ではない。
医療上の成果だけが病院の唯一の責任ではない。
力は責任を伴う。
さもなければ専制となる。
責任が伴わない力は退化する。
組織は従業員、環境、顧客、他何者に対しても自らが与える影響について間違いなく責任がある。
これが組織の社会的責任の原則である。
今後社会は、ますますあらゆる組織に対し、諸々の社会の病に取り組むことを求めるようになる。
この点に関しては慎重でなければならない。
善意だけで行動することは、社会的に責任あることにはならない。
組織が本来の目的を遂行するための能力を傷つけるような責任を受け入れることは無責任である。
能力のない領域で行動することも無責任である。
【明確な使命が成果を生む】
組織は目的に従って設計され、規定される。
一つの目的に集中して、初めて大きな成果を上げる。
目的の多様化、分散は成果を上げるための能力を破壊する。
組織は道具である。
他のあらゆる道具と同じように、専門分化することによって目的遂行能力を高める。
しかも組織は、それぞれが限定された知識を持つ専門家によって構成される。
だからこそ組織の使命は明確であることが不可欠である。
組織の使命は一つでなければならない。
さもなければ混乱し、それぞれの専門家が自分の専門能力を中心に働くようになり、自分達の専門能力を共通の目的に向けなくなる。
逆に自分達の価値観を押し付けようとする。
焦点のはっきりした明確な共通の使命だけが、組織を一体化し、成果を上げさせる。
明確な使命がなければ、組織は組織としての価値と信頼を失う。
成果を上げるうえで必要な人材も手に入らなくなる。
しかし組織への参加は自由でなければならない。
【組織の使命に信念を持つ】
組織に働く者は、優れた仕事をするために、自らの組織の使命が社会において重要な使命であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たなければならない。
この信念がなければ、自信と誇りを失い、成果を上げる能力を失う。
力の源となっている社会の多元性は、単一目的の専門化した無数の組織が機能することによって、初めて可能となる。
狭い範囲の使命、ビジョン、価値観を持つ時、初めて大きな成果を上げる。
従って、昔からある一度も解決されたことのない問題に還る。
「誰が共同の利益の面倒を見るか」
「誰が共同の利益を規定するか」
「誰が多元社会の諸々の組織間でしばしば対立関係に陥る目的や価値のバランスを図るか」
「誰がトレードオフに関わる意思決定をし、何をもってそれらの意思決定を基準とするか」
【「目的は何か」を問うことが重要】
知識労働者の生産性の向上を図る場合にまず問うべきは
「何が目的か。何を実現しようとしているか。なぜそれを行うか」である。
手っ取り早く、最も効果的に知識労働者の生産性を向上させる方法は、仕事を定義し直すことである。
特にする必要のない仕事をやめることである。
【知識労働は三種類ある】
知識労働は大きく分けて三種類ある。
それぞれ異なる分析と異なる組織が必要となる。
物を作ったり運んだりする仕事については、生産性の向上の焦点は仕事に合わせなければならない。
知識労働の仕事については、成果に合わせなければならない。
第一に
知識労働のいくつかにおいては、仕事の成果は純粋に質の問題である。
例えば、研究所の仕事で量(研究成果の数)は、質に比べれば二義的である。
戦略計画、医師の診断、放送や雑誌の編集についても同じことが言える。
第二に
質と量をともに成果とすべき知識労働が幅広く存在する。
ショップ店員の成果がそれである。
顧客満足は質的な側面であり、定義するのは簡単ではない。
だが、売上高や売上伝票の枚数という量的なものと同じように重要である。
広範な知識労働についても言える。
成果とは常に量と質の双方である。
仕事の生産性を向上させるにはこの双方に取り組む必要がある。
第三に
保険会社の保険金支払い、ベッドメイキングなど、その成果が肉体労働と同種の仕事が多数ある。
この場合、質は前提条件であり、制約条件である。
仕事の質は、成果ではなく条件である。
最初から仕事のプロセスに組み込んでおかなければならない。
組み込んでおきさえすれば、成果のほとんどは量で定義される。
定められた通りにベッドを一つ整えるのに何分かかるかというように、量で計ることができる。
それらの仕事は物を作ったり運んだりするわけではないが、作業労働である。
このように知識労働の生産性を高めるためには、その仕事が成果に関して、いずれの範疇に属するかを知っておく必要がある。
そうして初めて、何に取り組むべきかが明らかになる。
「何を分析すべきか」
「何を改善すべきか」
「何を変えるべきか」を決定できる。
さらに知識労働のそれぞれについて、生産性の意味を明らかにすることができる。
【仕事のプロセスを分析する】
目的の定義、目的への集中、仕事の分類の他にもなすべきことがある。
成果が主に質を意味する仕事は
「何が役立つか」を問わなければならない。
成果が質と量の両方を意味する仕事は
「何が役立つか」を問うと同時に
仕事のプロセスを一つ一つ分析することが必要である。
作業的な知識労働については
仕事の質の水準を定め、それをプロセスに組み込むことが必要である。
生産性向上は、作業を分解し、組み立て直すことによって実現できる。
ただし、3年か5年おきに繰り返し見直す必要がある。
もちろん事業や組織を大きく変えた時には、必ず見直す必要がある。
知識労働者自身がパートナーとなって生産性の向上に取り組む。
仕事の水準、難易度、技能の程度に関わりなく、あらゆる知識労働に生産性と成果に対する責任を組み込む必要がある。
知識労働については、働く人達とのパートナーシップは唯一の方法であって、他の方法は全く機能しない。
【教える時に最も学ぶ】
生産性の向上には継続学習が不可欠である。
仕事を改善し訓練するだけでは不十分である。
学習に終わりはない。
日本企業の経験が教えているように、訓練の最大の成果は、新しいことを学び取ることではなく、すでにうまく行っていることをさらにうまく行えるようにすることにある。
同じく重要なこととして、知識労働者は自らが教える時に最もよく学ぶという事実がある。
情報化時代にあっては、いかなる組織も学ぶ組織にならなければならないと言われる。
同時に教える組織にもならなければならない。
【全ての者がエグゼクティブ】
組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、全てエグゼクティブである。
組織の活動や業績とは、企業の場合、新製品を出し、市場で大きなシェアを獲得することである。
病院の場合、患者に優れた医療サービスを提供することである。
実質的な影響を及ぼすために、知識労働者は意思決定をしなければならない。
命令に従いさえすればよいというわけにはいかない。
自らの貢献について責任を負わなければならない。
自らが責任を負うものについては、誰よりも適切に意思決定をしなければならない。
その仕事をしている限り、仕事の目標や基準や貢献は自らの手中にある。
すでに多くの人達が企画、組織、統合、調整、動機づけ、成果の測定をしていることを知っている。
意思決定の範囲は限られた狭いものであっても、その範囲内においては紛れもなくエグゼクティブである。
今日あらゆる階層において、意思決定を行う者は、企業の社長や政府機関の長と同じ種類の仕事をしている。
トップであろうと、新人であろうと、エグゼクティブである限り成果を上げなければならない。
【働く者を取り巻く組織の現実】
組織に働く者の置かれている状況は成果を上げることを要求されてながら、成果を上げることが困難になっている。
自らが意識して努力しない限り、まわりを取り巻く現実が彼らを無価値にする。
通常、彼らは自分ではどうにもできない4つの現実に取り巻かれている。
いずれも組織に組み込まれ、日常の仕事に組み込まれている。
彼らにとってはそれらと共生するしか選択肢はない。
しかもその4つのいずれも仕事の成果と業績を上げることの妨げとなる。
第一に
時間は全て他人に取られる。
誰でも彼の時間を奪える。
第二に
自ら状況を変えるための行動を取らない限り、日常業務に追われ続ける。
日常の仕事は、本当の問題どころか何も教えない。
何が本質的に重要な意味を持ち、何が派生的な問題に過ぎないかは、個々の事象からは知る由もない。
仕事の流れに任せて、何に取り組み、何を取り上げ、何をするかを決定したのでは、それらの仕事に自らを埋没させることになる。
有能であっても、いたずらに知識と能力を浪費し、達成できたはずの成果を捨てることになる。
彼らに必要なのは、貢献と成果に向けて働くことを可能にしてくれるものを知る基準である。
そのような基準は日常の仕事の中からは見出せない。
第三に
組織で働いている現実がある。
他の者が彼の貢献を利用してくれる時にのみ、成果を上げられる。
知識労働者はそれぞれの役割、技能、関心も違う。
だからこそ互いに同僚の生み出すものを利用する能力がなければならない。
成果を上げるうえで最も重要な人間は、他の分野の人、組織図では横の関係にある人、あるいは上司である。
その人達と関わりを持ち、自らの貢献を利用してもらい、成果に結び付くようにしなければ、いかなる成果もあげられない。
第四に
組織の内なる世界にいる現実がある。
誰もが自らの属する組織の内部を最も身近で直接的な現実として見る。
組織の外を見たとしても、厚く歪んだレンズを通している。
組織の中の基準によって咀嚼され、抽象化されたフィルターを通して知らされる。
全ての成果は外の世界にある。
客が製品やサービスを購入し、企業の努力とコストを収入と利益に変えてくれるからこそ、組織としての成果が上がる。
【組織の存在理由】
外の世界への奉仕という唯一の存在理由から、人は少ないほど、組織は小さいほど、活動は少ないほど、組織はより完全に近づく。
組織は存在することが目的ではない。
社会の機関である。
外の環境に対する貢献が目的である。
それなのに組織は成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は組織の中のことで占領され、本来の任務と成果が忘れられていく。
この危険はコンピュータと情報技術の発達によってさらに増大する。
コンピュータは論理の機械である。
それが強みであり、弱みだ。
これに対し、人間は論理的には優れていないが、知覚的な存在である。
まさにそれが強みだ。
気をつけなければならないのは、コンピュータの論理やコンピュータ言語で表せない情報や刺激を軽視するようになることである。
現実の知覚的な事象が見えなくなり、過去の事象にのみ関心を持つようになることである。
膨大な量のコンピュータ情報が、外の現実からの隔離を招く。
意識的に外の世界を知覚すべく努力しなければ、やがて内部の世界の圧力によって、外の世界が見えなくなる。
物事をなすべき者は、成果を上げることを学ぶべく特別の努力を払わない限り成果を上げられないことを知らなければならない。
【成果を大幅に改善する方法】
仕事や成果を大幅に改善するための唯一の方法は、成果を上げるための能力を向上させることである。
もちろん、際だって優れた能力、知識を持つ人を雇うことはできる。
だが、能力と知識の向上に関しては、大幅な期待はできない。
これ以上は不可能か、効果のあまりない限界に達している。
新種のふなっしーを育てることはできない。
現在の人間を以って組織をマネジメントしなければならない。
あらゆる分野において天才的な才能を発揮できる人は、いつの世にも稀である。
我々は精々一つの分野に優れた能力を組織に入れられるだけだ。
その人も他の分野では並の能力しか持たない。
従って、一つの重要な分野で強みを持つ人が、その強みをもとに仕事ができるよう、組織をつくることを学ばなければならない。
仕事ぶりや知識の向上は、能力の飛躍的な増大ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。
我々に必要なのは、専門分野の一つに優れた人をいかに活用するか、彼らの能力を発揮させる方法を知ることである。
成果を上げる能力が天賦の才であるならば、今日の文明は極めて脆弱となる。
今日のような組織に基盤を持つ文明は、某かの成果を上げる能力を持つ人を大量に必要とする。
【それは習得できる能力である】
成果を上げる能力が習得できるものならば、問題は次のようなものになる。
「その能力は何から成り立つか」
「具体的に何を修得すべきか」
「修得の方法はいかなるものか」
「その能力は知識か。知識として体系的に修得できるか」または「修業によってのみ修得できるか。基本の繰り返しによってのみ修得できるか」
成果を上げることは二つの意味で重要だ。
第一に
自らが成果を上げなければならない。
さもなくば価値がない。
第二に
相手の持っている成果を上げる能力が、自らが貢献し成果を上げられるか、単なる道化師の役割しか果たせないかを決定する。
成果を上げる人間のタイプは存在しない。
成果を上げる人達は、気性、能力、仕事の方法、性格、知識、関心において千差万別だ。
共通点は、なすべきことを成し遂げる能力を持っているだけである。
論理や分析力を使う人
知覚や直感に頼る人
簡単に意思決定する人
何かする度に悩む人もいた。
彼らは成果を上げられない人と同じように千差万別である。
成果を上げる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結び付ける上で必要とされる習慣的な力である。
知能や勤勉さ、想像力、知識がいかに優れていようと、習慣的な力に欠ける人は成果を上げることはできなかった。
成果を上げることは一つの習慣である。
習慣的な能力の集積である。
習慣的な能力は、常に修得に努めることが必要である。
習慣的な能力は単純である。
九九を習った時のように、「六、六、三六」と何も考えず言えるように身につかなければならない。
習慣になるまで嫌になるほど反復しなければならない。
どんな分野でも、普通の人であれば並の能力は身につけられる。
卓越するには、特別な才能が必要だが、成果を上げるには、成果を上げるための並の能力で十分である。
【権限に焦点を合わせてはならない】
成果を上げるためには、貢献に焦点を合わせなければならない。
「組織の成果に影響を与える貢献は何か」を自らに問わなければならない。
仕事の内容、水準、影響力、上司、同僚、部下との関係、会議、報告など日常の業務において貢献に焦点を合わせることこそ、成果を上げる鍵である。
いかに若い新入りであろうと、貢献に焦点を合わせ、結果に責任を持つ者は、最も厳格な意味においてトップマネジメントである。
組織全体の業績に責任を持とうとしているからである。
そうすると、専門分野や限定された技能や部門に対してでなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。
成果が唯一存在する外の世界に注意を向けるようになる。
組織全体や組織の目的との関係について、徹底的に考えざるを得なくなる。
客の観点から物事を考えざるを得なくなる。
その結果、仕事や仕事の仕方が大きく変わっていく。
「どのような貢献ができるか」を自問することは、仕事の可能性を追求することでもある。
これを自問しなければ、目標を低く設定してしまうばかりでなく、間違った目標を設定する。
そして何よりも、自ら行うべき貢献を狭く設定する。
【三つの領域における貢献】
あらゆる組織が三つの領域における成果を必要とする。
直接の成果
価値への取り組み
人材の育成の三つである。
これらの成果を上げなければ、組織は腐り、やがて死ぬ。
重要度は組織によって、さらに一人一人の人間によって大きく異なる。
直接の成果は売上や利益など経営上の業績である。
直接的な成果といっても誰にでも明白なものばかりとは限らない。
だが、これが何であるか混乱している状態では、成果は期待しえない。
直接的な成果は常に重要である。
組織を生かす上で、栄養におけるカロリーと同じ役割を果たす。
人体におけるビタミンと同じように、価値への取り組みが必要である。
組織は常に明確な目的を持たなければならない。
さもなくば、混乱し、麻痺し、破壊される。
貢献に焦点を合わせるということは人材を育成するということである。
自らを存続させえない組織は失敗である。
明日のマネジメントに当たるべき人間を今日用意しなければならない。
人は、課された要求水準に適応する。
貢献に照準を当てる人は、共に働く全ての人間の視点と水準を高める。
貢献に焦点を合わせない人間は、やがて自らをごまかし、組織を破壊し、共に働く人達を欺くことになる。
最もよく見られる人事の失敗は、新たに任命された者が、新しい地位の要求に応えて自ら変化していくことができないことに起因している。
それまで成功してきたのと同じ貢献を続けていたのでは、失敗する運命にある。
貢献すべき成果そのものが変化するだけでなく、前述した三つの領域の間の相対的な重要度も変化するからだ。
このことを理解せずに、以前の仕事では正しかったやり方をそのまま続けるならば、新しい仕事では、間違った仕事を間違ったやり方ですることになる。
【知識ある者の責任】
知識労働者が生産するのは、物ではなくアイデア、情報、コンセプトである。
彼らはほとんどが専門家である。
通常一つのことだけを非常によく行える時、専門化した時にのみ大きな成果を上げる。
専門知識は断片に過ぎない。不毛である。
専門家の産出物は、他の専門家の産出物と統合されて初めて成果となる。
必要なことは彼自身と彼の専門知識を活用して成果を上げることである。
自らの産出物たる断片的なものを生産的な存在にするため、それを利用する者に
「何を知ってもらい」
「何を理解してもらわなければならないか」
を徹底的に考えることである。
知識ある者は、常に理解されるように努力する責任がある。
素人は専門家を理解するために努力すべきだとか、専門家はごく少数の仲間と話せれば良しなどとするのは、野卑な傲慢である。
そのような風潮は彼ら自身を無益な存在とし、彼らの知識を学識から卑しむべき 学に貶めるものである。
貢献に責任を持つためには、知識の有用性に強い関心を持たなければならない。
成果を上げるためには、このことを知らなければならない。
顔を上に向けることで、ほとんど無意識に他の人が
「何を必要とし」「何を見」「何を理解しているか」を理解できるようになる。
さらには組織の人達に対し
「あなたが組織に貢献するためには、私はあなたにどのような貢献をすべきか」
「いつ、どのように、どんな形で貢献すべきか」を聞けるようになる。
沢山の知識分野を統合することは決してできない。
だが、彼らは自らの仕事の成果を活かしてもらうためには、他の人のニーズや方向、限界や認識を知らなければならないことを理解している。
【良い人間関係を持つ秘訣】
人間関係に優れた才能を持つからといって、良い人間関係が持てるわけではない。
自らの仕事や人との関係において、貢献に焦点を合わせることにより、初めて良い人間関係が持てる。
生産的であることが、良い人間関係の唯一の定義である。
仕事に焦点を合わせた関係において成果が何もなければ、温かな会話や感情も無意味である。
関係者全員にとって成果をもたらす関係であるならば、多少失礼な言葉があっても人間関係を壊すことはない。
貢献に焦点を合わせることにより、コミュニケーション、チームワーク、自己啓発、人材育成という、成果を上げる上で必要な人間関係に関わる基本条件を満たすことができる。
第一に
コミュニケーションが可能となる。
現代社会全ての組織において、コミュニケーションは大きな関心事だった。
仕事において貢献する者は、部下達が貢献すべきことを要求する。
「組織、及び上司である私は、あなたに対しどのような貢献の責任を持つべきか」
「あなたに期待することは何か」
「あなたの知識や能力を最も良く活用できる道は何か」
を聞く。
こうして初めてコミュニケーションが可能となり、容易に行われるようになる。
それでまず部下が「自分はどのような貢献を期待されるべきか」を考えるようになる。
部下が設定する目標は、ほぼ常に上司が考えているものとは違う。
有能であるほど、進んで責任を持とうとするほど、現実や機会やニーズについての見方が上司のそれとは違ってくる。
とは言え、そのような違いはさして重要ではない。
意味あるコミュニケーションに結び付くコミュニケーションがすでに確立されているからである。
第二に
貢献に焦点を合わせることにより、横へのコミュニケーション、チームワークが可能となる。
「私の生み出すものが成果に結び付くためには、誰がそれを利用してくれなくてはならないか」
との問いが、命令系統の上でも下でもない人達の大切さを浮き彫りにする。
知識を中心とする組織のニーズからして当然である。
知識組織においては、多種多様な知識や技術を持つ人達で構成されるチームによって成果を上げる。
状況の論理や仕事の要求に従って、自発的に協力して働く。
第三に
自己啓発と人材育成は成果の大部分が、貢献に焦点を合わせるかどうかにかかっている。
「組織の業績に対する自らの最も重要な貢献は何か」を自問することは、
「いかなる自己啓発が必要か」
「なすべき貢献のためには、いかなる知識や技能を身につけるべきか」
「いかなる強みを仕事に適用すべきか」
「いかなる基準を持って自らの基準とするか」
を考えることである。
貢献に焦点を合わせるならば、他の人の自己啓発を触発することにもなる。
属人的な基準ではなく、仕事のニーズに根差した基準を設定する。
卓越性の要求である。
強い意欲と、野心的な目標と、大きな影響のある仕事の追求である。
【成長と自己変革を続けるために】
成果を上げるためにはどうしたら良いか。
その答えは「いくつか簡単なことを実行すること」がわかった。
第一に
ヴェルディの『ファルスタッフ』の話が教えてくれるようなビジョンを持つこと。
いつまでも諦めずに、目標とビジョンを持って自分の道を歩き続けること。
失敗し続けるに違いなくとも完全を求めること。
努力を続けることこそ、老いることなく成熟するコツである。
第二に
成果を上げ続ける人は、フェイディアスと同じ仕事観を持っている。
いつも神々が見ているという考え方である。
彼らは流すような仕事はしたがらない。
仕事において真摯さを重視する。
誇りを持ち、完全を求めるということだ。
第三に
そのような人達に共通することに、日常生活の中に継続学習を組み込んでいることである。
もちろんテーマごとに集中して勉強する方法をとっているとは限らない。
しかし彼らは常に新しいことに取り組んでいる。
何を行うにせよ、自らに対し、常に優れたことをすることを課している。
多くの場合、新しい方法で行うことを課している。
第四に
自らを生き生きとさせて成長を続けている人は、自らの仕事ぶりの評価を、仕事そのものの中に組み込んでいる。
第五に
行動や意思決定がもたらすべきものの期待をあらかじめ記録し、後日実際の結果と比較する。
そうして自らの強みを知る。
改善や変更、学習すべきことを知る。
得意でないこと、他の人に任せるべきことを知る。
第六に
新しい仕事は必ず、前の仕事とは違う何かを要求する。
これらのこと全ての前提となるべき最も重要なこととして、成果を上げ続け、成長と自己変革を続けるには、自らの啓発と配属に責任を持つということがある。
「どのような任務を必要としているか」
「どのような任務の資格があるか」
「どのような経験や知識な技能を必要としているか」
の問いを発する責任は、一人一人の人間に課さなければならない。
もちろん人事の最終決定は本人の事情だけでできるものではない。
それでもなお、一人一人の人間の啓発、配属の責任は本人の責任としなければならない。
【生き生きと働くための方法】
これからは誰もが自らをマネジメントしなければならない。
自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない。
働く期間は50年に及ぶ。
その間、生き生きと働くことができなければならない。
自らが行うこと、そのやり方、行う時、それらをいつ、いかに変えるかを知らなければならない。
知識労働者は自らの組織よりも長く生きる。
従って、他の仕事の準備をしておかなければならない。
これまで存在しなかった問題を考えなければならない。
【強みは何か】
多くの人は自らの強みについてよくわかっていると思っている。
大抵は間違っている。
わかっているのは精々弱みである。
それさえ間違っていることが多い。
しかし何かを成し遂げるのは、強みによってである。
弱みによって何かを行うことはできない。
できないことによって何かを行うことなど、到底できない。
今日では選択の自由がある。
従って、自らの属する場所がどこであるかを知るために、自らの強みを知ることが不可欠となっている。
強みを知る方法は一つしかない。
フィードバック分析である。
何かをすることに決めたならば、何を期待するかを直ちに書き留めておく。
九ヶ月後、一年後にその期待と実際の結果を照合する。
こうしてニ、三年の内に自らの強みが明らかになる。
強みこそ最も重要である。
さらに強みを発揮する上で邪魔になっていることも明らかになる。
得意でないことも明らかになる。
全く強みのないこと、できないことも明らかになる。
【フィードバック分析から分かること】
フィードバック分析からいくつかやるべきことが明らかになる。
第一は
明らかになった強みに集中することである。
成果を生み出すものに集中することである。
第二は
その強みをさらに伸ばすことである。
フィードバック分析は伸ばすべき技能や新たに身につけるべき知識を明らかにする。
更新すべき技能や知識を教える。
自らの技能や知識の欠陥を教える。
無能でない程度の技能や知識はよほどのことがない限り、誰でも手に入れられる。
第三は
無知の元凶とも言うべき知的な傲慢を正すことである。
多くの人達、特に一つの分野に優れた人達は他の分野を馬鹿にする。
他の知識などなくとも十分とする。
ところがフィードバック分析は、仕事の失敗が知っているべきことを知らなかったためであったり、専門外の知識を軽視していたためであったことを明らかにする。
第四は
自らの悪癖を改めることである。
やっていること、やっていないことの内、仕事ぶりを改善し成果を上げる上で邪魔になっていることを改めなければならない。
フィードバック分析ではそれが明らかになる。
第五は
人への接し方が悪くて、みすみす成果を上げられなくすることを避けることである。
頭の良い人達、特に若い人達は人への接し方が潤滑油であることを知らないことが多い。
第六は
やっても成果の上がらないことはしないことである。
フィードバック分析はそのような無駄を明らかにする。
いかなる能力が足りないかを明らかにする。
人には苦手なものはいくつもある。
並の才能や技能さえ持ちえない分野が沢山ある。
第七は
努力しても並にしかなれない分野に無駄な時間を使わないことである。
強みに集中すべきである。
無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、遥かに多くのエネルギーを必要とする。
【人と組むか、一人でやるか】
理解の仕方と学び方こそ最初に考えるべき最も重要なことである。
しかしこの二つだけでは十分ではない。
仕事の仕方として、人と組んだ方が良いか、一人でやる方が良いかも知らなければならない。
組む方が良いなら、どのように組んだ時、良い仕事ができるかを知らなければならない。
チームの一員として働く時に最高の人がいる。
助言役として最高の人がいる。
教師や相談役として最高の人がいる。
相談役としては全く無価値な人もいる。
もう一つ知っておくべきことがある。
仕事の環境として、緊張感や不安があった方が仕事ができるか、安定した環境の方が仕事ができるかである。
さらには大きな組織で歯車として働いた方が仕事ができるか
小さな組織の方が仕事ができるかである。
どちらでも良いという人はあまりいない。
仕事の役割として、意思決定者と補佐役のどちらの方が成果を上げられるかという問題もある。
No.2として活躍していたが、トップになった途端挫折する人がいる。
トップの座には、意思決定の能力が必要である。
強力なトップは、信頼できる助力者としてNo.2を必要とする。
No.2はNo.2として最高の仕事をする。
ところがトップの跡を継いだ途端、仕事ができない。
意思決定すべきことは理解しているが、意思決定の重荷を背負えない。
今更自らを変えようとしてはならない。
うまくいくわけがない。
それよりも自らの得意とする仕事の仕方を向上させていくべきである。
【価値観を優先する】
強みや仕事の仕方とともに、自らの価値観を知っておかなければならない。
組織には価値観がある。
そこに働く者にも価値観がある。
組織において成果を上げるためには、働く者の価値観が組織の価値観に馴染まなければならない。
同一である必要はない。
だが、共存できなければならない。
さもなくば、心楽しまず、成果も上がらない。
強みと仕事の仕方が合わないことはあまりない。
両者は密接な関係にある。
ところが強みと価値観が合わないことは珍しくない。
よくできること、特によくできること、恐ろしくよくできることが自らの価値観に合わない。
人生の全て、あるいは一部を割くに値しないと思われることがある。
つまるところ、優先すべきは価値観である。
【自分の時間をどのように使っているか】
成果を上げる者は仕事からスタートしない。
計画からもスタートしない。
時間からスタートする。
何に時間を取られているかを明らかにすることからスタートする。
次に時間を管理すべく、自分の時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。
そして、その結果得られた時間を大きくまとめる。
時間を記録し、管理し、まとめる三つの段階が、成果を上げるための時間管理の基本となる。
成果を上げる者は時間が制約要因であることを知っている。
あらゆるプロセスにおいて、最も欠乏した資源が時間である。
時間は借りたり、雇ったり、買ったりすることはできない。
時間は常に不足する。
他の資源は限界はあっても代替することはできる。
時間には代わりになるものがない。
時間はあらゆることに必要となる。
あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。
ほとんどの人がこの代替できない必要不可欠な資源を当たり前のように扱う。
おそらく時間に対する愛情ある配慮ほど、成果を上げている人を際立たせるものはない。
空間感覚は闇でも保てる。
だが、電気の明かりがあっても、何時間も密閉された部屋に置かれると、ほとんどの人が時間感覚を失う。
経過した時間を過大に評価したり、過小に評価したりする。
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない。
【時間をまとめる】
何らかの人間関係を築くためには、遥かに多くの時間を必要とする。
特に知識労働者との関係では、特に時間が必要である。
上司と部下との間に、権力や権威が障壁として存在しないためか、逆に障害として存在するためか、単に物事を深刻に考えるためか、理由はともあれ知識労働者は上司や同僚に多くの時間を要求する。
知識労働者は、肉体労働者のように評価測定できない。
正しい仕事をしているか、どのくらいよくしているか、簡単な言葉で聞いたり伝えたりすることができない。
彼らとは何をなぜ行わなければならないか、腰を据えて一緒に考えなければならない。
知識労働者には自らの方向付けを自らさせなければならない。
何がなぜ期待されているかを理解させねばならない。
自らが生み出すものを活用する人達の仕事を理解させねばならない。
そのためには多くの情報や対話や指導が必要となる。
同僚にも時間を割かなければならない。
多少なりとも成果や業績を上げるためには、組織全体の成果や業績に焦点を当てなければならない。
自らの目を仕事から成果へ、専門分野から外の世界へ向けるための時間を必要とする。
成果を上げている組織では、トップ達が意識して時間を割き
「あなたの仕事について、何を知らなければならないか」
「この組織について、何か気がついたことはないか」
「我々が手をつけていない機会はどこにあるか」
「まだ気づいていない危険はどこにあるか」
「私から聞きたいことは何か」と聞いている。
話し合いがなければ、知識労働者は熱意を失い、ことなかれ主義に陥るか、自らの精力を専門分野にのみ注ぎ、組織の機会やニーズとは無縁になっていく。
話し合いはくつろいで急がずにしなければならないだけに、膨大な時間を必要とする。
それが結局近道である。
そのためには中断のないまとまった時間を用意しなければならない。
仕事の関係に人間関係が絡むと時間はさらに必要となる。
急げば摩擦を生ずる。
共に働く人が多いと相互作用だけで多くの時間が費やされる。
時間や成果や業績に割ける時間がそれだけ減る。
正しい人事のために必要とされる時間も驚くほど多い。
人事についての決定がどのような意味を持つかは、何度も考え直して初めて明らかとなる。
【仕事を整理する】
時間の使い方は練習して改善できる。
だが、絶えず努力をしない限り仕事に流される。
体系的な時間を管理する。
時間を浪費する非生産的な活動を見つけ、排除していく。
そのためには、時間の使い方について自己診断のために自答自問する必要がある。
第一に
する必要の全くない仕事、何の成果も生まない時間の浪費でしかない仕事を見つけ、捨てる。
その浪費を見つけるには、記録して出てくる全ての仕事について
「全くしなければ何が起こるか」
を考える。
何も起こらない仕事は直ちにやめよということになる。
ここでなすべきことは、自らの組織、自分自身、貢献すべき他の組織に何も貢献しない仕事は捨てることだ。
第二に
「他の人間でもやれることは何か」
を考えなければならない。
自らがすべき仕事に取り組むために、人にできることを任せることは、成果を上げる上で必要なことである。
第三に
自分で取り除くことのできる時間浪費の原因を排除しなければならない。
これは自らが他の人の時間を浪費しているケースである。
簡単に分かる兆候はない。
発見する簡単な方法は聞けば良い。
「あなたの仕事に貢献せず、ただ時間を浪費されるようなことを、私は何かしているか」
と定期的に聞くことである。
恐れることなくこう質問できることが、成果を上げる者としての条件である。
自分の仕事の仕方が他の人の時間の大きな浪費に繋がっているケースもある。
不要で非生産的な時間が多いことは誰もがよく知っている。
しかし時間を整理することは恐れる。
間違って整理し過ぎてしまうことを恐れる。
だが、そのような間違いは整理し過ぎればすぐに分かり、直ちに訂正できる。
【マネジメントの欠陥がもたらす時間の浪費】
前述の浪費以外に、マネジメント上の欠陥に起因する時間の浪費がある。
これらの間違いや欠陥はあらゆる人の時間を浪費する。
第一に
システムの欠陥や先見性の欠如からくる時間の浪費である。
発見すべき兆候は周期的な混乱、繰り返される混乱である。
二度起こった混乱を再び起こしてはならない。
繰り返し起こる混乱は予知できる。
予防するか、事務的に処理できる日常の仕事にルーティン化しなければならない。
有能な人間が経験から学んだことを体系的かつ段階的なプロセスにまとめてしまうことである。
繰り返される混乱は組織の下の方ばかりではなく、あらゆるレベルで起こる。
繰り返し起こる混乱は、杜撰さと怠慢の兆候である。
よくマネジメントされた組織は日常はむしろ退屈な組織である。
そのような組織では真に劇的なことは昨日の尻拭いのための空騒ぎではない。
明日をつくるための意思決定である。
第二に
人員過剰からくる時間の浪費がある。
人が少な過ぎて、仕事の仕上がりが良くないことはありうる。
だが、それは一般的な状況ではない。
むしろよく見られるのは、人が多過ぎて、仕事するよりも互いに作用し影響し合うことに、時間浪費が起こる状況である。
組織の人達が一割以上を人間関係、反目や摩擦、担当や協力に関わる問題に取られているならば、人が多過ぎることはほぼ確実である。
スマートな組織では衝突することなく動く余地がある。
始終説明しなくとも、自分の仕事ができる。
第三に
組織構造の欠陥からくる時間の浪費がある。
兆候は会議の過剰である。
仕事と会議の両方を同時に行うことはできない。
変化の時代にあっては困難だが、理想的に設計された組織は会議のない組織である。
誰もが仕事をするために知るべきことを知っている。
仕事をするために必要な資源を皆手にしている。
時間の四分の一以上が会議に費やされているならば、組織構造に欠陥があると見て良い。
会議の過多は仕事の組み立て方や組織の単位に欠陥があることを示す。
第四に
情報に関わる機能障害からくる時間の浪費がある。
これらの問題は直ちに改善すべきである。
粘り強い努力を要することもあるが、成果は大きい。
【最も重要なことに集中する】
成果を上げる人は、最も重要なことから始め、一度に一つのことしかしない。
集中が必要なのは仕事と人間の本質による。
理由は貢献を行うための時間よりも行わなければならない貢献の方が多いからである。
行うべき貢献を分析すれば、ほぼ無限の重要な仕事が出てくる。
時間を分析すれば、真の貢献をもたらす仕事に割ける時間はあまりに少ないことが分かる。
時間を管理しようとも、時間の半分以上は、依然として自分の時間ではない。
上方への貢献に焦点を合わせるほど、まとまった時間が必要になる。
成果を上げることに力を入れるためには、継続的な努力が必要となる。
成果を得るためのまとまった時間が必要となる。
真に生産的な半日、あるいは二週間を手に入れるためには、厳しい自己管理と、ノーと言える不動の決意が必要である。
自らの強みを生かそうとすれば、その強みを重要な機会に集中する必要を認識する。
それ以外に成果を上げる方法はない。
二つはおろか、一つでさえ良い仕事をすることは難しい現実が集中を要する。
人には驚くべきほど多様な能力がある。
その多様性を生産的に使うためには、それらの多様な能力を一つの仕事に集中することが不可欠である。
もちろん色々な人がいる。
同時に二つの仕事を手がけ、テンポを変えていく方が良くできる人がいる。
そのような人でも二つの仕事のいずれにおいても成果を上げるには、まとまった時間が必要である。
三つの仕事を同時に抱えて卓越した成果を上げる人はほとんどいない。
集中はあまりに多くの仕事に囲まれているからこそ必要となる。
一度に一つのことを行うことによってのみ、早く仕事ができるからである。
時間の労力と資源を集中するほど、実際にやれる仕事の数や種類は多くなる。
困難な仕事をいくつも行う人達の秘訣である。
一時に一つの仕事をすると他の人達よりも少ない時間しか必要としない。
かえって、いかなる成果も上げられない人の方がよく働いている。
成果の上がらない人は第一に
一つの仕事に必要な時間を過小評価する。
全てうまくいくものと楽観する。
うまくいくものなど一つもない。
予期しないことが常に起こる。
予期しないことはほとんど愉快なことではない。
成果を上げるためには、実際に必要な時間よりも余裕を見なければならない。
第二に
彼らは急ごうとする。
そのため、さらに遅れる。
成果を上げる者は、時間と競争しない。
ゆっくり進む。
第三に
彼らは同時にいくつかのことをする。
そのため手がけている仕事のどれ一つにもまとまった時間を割けない。
いずれか一つが問題にぶつかると全てストップする。
成果を上げる人は多くのなさなければならないこと、成果を上げなければならないことを知っている。
自らの時間とエネルギー、組織全体の時間とエネルギーを一つのことに集中する。
最も重要なことを最初に行うべく、集中する。
[打たれ弱さによる弊害]
実際、人間に「弱い、強い」の区別はありません。
弱い人間がいるとしたら、それは「弱い」と決めつけているから。
「打たれ弱い人間」を演じることでどれだけ損をするか。
次に上げることに思い当たる節があったら、自分の可能性をひどく狭めています。
第一は
「自分にはできない」という回路ができてしまうこと。
皆、過去の情報をもとに生きています。
小さい頃に人前であがってしまい、思うような力が出せなかった体験をすると、同じような場面があった時、脳がその情報をもとに状況を判断します。
「またうまくいかないのではないか」と考える。
だから固くなってうまくいかない。
これを繰り返すうちに、「自分はプレッシャーに弱い」という思い込みが出来上がります。
その回路をもとに行動するから、ますますうまくいかない場面が増え、「プレッシャーに弱い自分」がつくられていく。
実際に失敗していなくても、親から「そんなことをしたらダメ。きっと失敗する」と言われ続けてきたのかも知れない。
何かしようとすると、「無理ではないか」「うまくいかなかったらどうしよう」と後ずさってしまう。
どこか腰が引けていたり、自分にブレーキをかけてしまう。
そしてタイミングを逃す。
結局は嫌な予感通りに自分で失敗を演じてしまうことになるのです。
第二は
悪い状態に慣れてしまうこと。
人間は不幸や不運に慣れる習性があります。
うまくいかないことが続くと、その状態が無意識に自分の居場所と思い込んでしまう。
物事がうまく進んでいると居心地が悪くなるのです。
「こんなはずはない」「調子に乗っているとひどい目に遭う」と無意識のうちに悪材料を探し始める。
もちろんどんな状況でも何か心配な材料はあるものです。
自分の目標がハッキリしている人は、壁に突き当たった時「これをどう乗り越えようか」と考えますが
悪い状態になれてしまった人は「やっぱり予想通りうまくいかなかった」とそこであきらめてしまうのです。
第三は
自分がどっちつかずで苦しいこと。
誰もが意識では「いい仕事をしたい」「周囲とうまくやりたい」「充実した人生を送りたい」と思っている。
ところが無意識のうちに「そんなことは無理だ」「きっとダメだ」と決めつけていると、自分の中に意識と無意識の大きなズレができます。
このズレが足を引っ張り、きちんとした目標設定ができない。
本当にどうしたいのか、何を望んでいるのかわからなくなってくる。
目標が見えないのだから、力も発揮できないということになるのです。
第四は
人間関係で魅力が発揮できないこと。
魅力がない人はいません。
ところが悪い状態に慣れてしまい、自分が本当に望んでいることがわからなくなり、自分に自信が持てないとどうなるか。
自分の持っている魅力に自ら蓋をしてしまう。
「弱い自分を隠そう」「こんな自分を見られたくない」という気持ちが働くからです。
自分を生き生きアピールできなければ、良い関係は作れません。
仕事にせよ、異性関係にせよ、せっかくの出会いのチャンスを逃してしまうことになるのです。
第五は
相手のマイナス面を引き出してしまうこと。
例えば小学生の時に、先生からひどく叱られた嫌な思い出があるとします。
その先生は眼鏡をかけてオールバックだった。
ある時、仕事で取引先と初めて会ったら、その先生と瓜二つ。
意識の上ではそんな昔のことは忘れているつもりが、脳は過去の情報をもとに「眼鏡をかけてオールバックだ。この人は僕に意地悪をする人だ」と判断している。
だから「どうも初めまして」と笑顔を作っているはずが、ぎこちない無表情に。
相手も無意識にこのぎこちなさを受け取って、反応が固くなります。
会話はギクシャクし、当然関係はうまくいかず、「やはり嫌なヤツだった」となってしまう。
それと同じように「自分は弱いから損だ」「また裏切られるのでは」「きっとわかってもらえない」と感じていると、そんな波長を周囲に向かって無意識に出しています。
そして結局、いつも損をしたり、裏切られたり、疎外されたりするのです。
自分を「弱い人間」だと決めつけることで、これだけの悪循環が起こってくる。
実際に弱くない人間などいません。
誰にも弱みはある。
強い人間は、自分の弱さを認めている人のことなのです。
弱さを否定したり、隠そうとするのではなく、そのままの自分を受け入れるところから全てがスタートする。
この辺りのコツを飲み込めば、生き方が変わります。
[プレッシャーに勝つ人、つぶされる人]
ある人は、ここぞという時に実力を発揮して、周囲に認められて伸びていく。
ある人は、いつもチャンスを逃し、どんどん自信をなくして萎縮する。
その分岐点はどこにあるのか。
「プレッシャーに勝つ」人は、プレッシャーをどう利用しようかと考える。
「プレッシャーに潰される」人は、プレッシャーからどう逃げようかと考えます。
人は色んなものがプレッシャーになりうるわけです。
情報にしてもそう。
「今日は雨」という情報がある人には「雨は困るな」となる。
それがすでにプレッシャーになるわけです。
違う人にとってみれば、「今日は雨」が、「今日はこれで休める」「ラッキー」とノープレッシャーになる。
一つの情報である人にとってはプレッシャーになるけれど、またある人には全くプレッシャーにならないことがあるのです。
じゃあそのプレッシャーを感じた人にとって、本当にそれが悪い情報なのかというとそうではないのです。
人間は向上性、より良く生きるという脳のプログラムがある。
プレッシャーがかかって一旦「ひずみ」が出ますが、脳はそのひずみを回復させよう、より良く生きていこうとプログラムが発達します。
プレッシャーを感じる期間はあっても、その期間を越えた時により強い自分に生まれ変われるわけです。
すると今度はまた新たなプレッシャーが来ても、同じような類のプレッシャーなら、免疫みたいなものができているから、次の段階において言えば、そのプレッシャー期間に対して耐えられる自分ができてくる。
プレッシャーに勝つ人は、プレッシャー自体をうまく利用しているわけです。
逆境になればなるほど強くなる人はその典型。
何か燃えてくる感じの人は、ひずみを与えるどころか逆にエネルギーに変えて奮いついていく状態。
だからプレッシャーはマイナスイメージではない。
ある意味、自分を高めていくためのエネルギーです。
プレッシャーに潰される人はプレッシャーを感じた時点で、もう自分で「自分は弱い人間なんだ」「ダメなんだ」となってしまう。
プレッシャーがある時にどう対処したらいいのか答えが出せない状況に陥って、その流れでプレッシャーをどんどん跳ね退けていくようになる。
プレッシャーが来ない方へ向かっていく。
結局それはどんどん自分を狭めていっているわけです。
プレッシャーは自分を育ててくれる、伸ばしてくれるものなのに、それを避けることは無意識に自分を潰しているわけです。
伸ばさないということですよ。
だからプレッシャーは悪いものでなくエネルギーなんだ。
プレッシャーをどういう風にエネルギーに変えていくか、ということがすごく大事なことなんです。
●土壇場に強くなれない理由●
リラックスしている時ならなんでもないことが、肝心な時にできなくなってしまう。
よくあることです。
自分の部屋で気軽に弾いている楽器だって、人前で披露するとガチガチに緊張するかも知れない。
友人となら話も弾むのに、大切な会議で話さなければとか、本命の彼女と初デートとなったら、言葉も出ないかも知れない。
大事な時を意識し始めた時に緊張やプレッシャーを感じる。
それは「今から自分の力を発揮するんだ」という気持ちの副産物、燃料とも言えます。
緊張はうまく利用すれば普段以上の力を生むエネルギーとなります。
トップレベルのスポーツ選手が「緊張を楽しむ」というのは真実です。
要は緊張の扱い方の問題。
大抵の人は緊張感を扱う訓練をしていないから、緊張すると自分を失ってしまうかのように思う。
本当は自分の力を発揮する第一段階なのに
「緊張してはダメだ」「みっともない」と自分の状態を否定するのに忙しくなり、その葛藤からとんでもない状況になってくる。
自分を否定しようとすると、潜在意識がそちらに向かって動き出してしまう。
だから自分を否定してはダメです。
「緊張しているのを見せたくない」
「あがってしまったらまずい」
「大事なところで恥をかきたくない」
「笑われるのは嫌だ」
こういう緊張の仕方は、全て周囲から見た自分を基準にしています。
他人のリズムにはまっているのです。
リズムとはノリのようなもの。
自分のリズムで物事を進めている時は、流れに乗って力を発揮できるが、他人のノリに合わせている時は、本来の能力を発揮できなくなる。
土壇場の強い人は、あくまでマイペースの緊張の仕方をします。
「自分がこうしたいんだ」と心から思っていることが大事です。
特に社会人にとっては、会社から命じられた仕事と自分の目標が繋がっているかどうかが分かれ目。
具体的な目標であればいいんです。
その目標があることによって、我々の潜在能力は自然と目標達成するために動き出します。
確固たるものを持っているか持っていないか、というのは
潜在能力が「自分のリズム」で動いているか動いていないか、ということです。
大切なのは「人からどう思われるか」ではなく「自分がどうしたいか」です。
●恐れや不安の正体●
恐怖心や不安というと、弱い人間の専売特許のように思われていますが、決していけないものではありません。
それは確固たる自信のある人でも持っているもの。
太古から人類が生き延びるために欠かせなかった大切な能力です。
我々の祖先が狩りをしながら暮らしていた時代、原野でバッタリ猛禽類に出くわしたとします。
そんな時は考える間もなく不安や恐怖でいっぱいになる。
その「不安の回路」に刺激されて即座に「逃げるか、闘うか」の行動をとる。
具体的に言えば、アドレナリンがどっと出て、心臓はドキドキし、血圧が上がって顔は赤くなり、筋肉は緊張し、手足の裏は汗ばみ、胃腸の働きは抑えられます。
ドキドキは血液を盛んに流して激しい運動を可能にするため。
筋肉の緊張も瞬発力を出すため。
ほどよく手足の裏が汗ばむのは闘ったり走ったりする時滑らないように。
「不安の回路」が発動することで、体はストレス状態に置かれ、ここ一番の力を発揮できるのです。
こんな時にドキドキもなく「さて、どうしようか」などと悠長に考えていたら、たちまち襲われてしまう。
不安を感じない人間は生き残れないのです。
恐怖や不安を感じる能力は、自分の身を守るための非常に大切なもの。
うまく利用すればいいのであって、決して否定すべきものではありません。
「弱虫」と同義語ではないことを知っておいてください。
ただ、日常でこんな生命の危機はあまりない。
日常的な危機といえば、例えばこんな感じ。
上司にプレッシャーをかけられた。
恐怖に駆られるかも知れない。
すると体は「闘うか逃げるか」というストレス状態に置かれます。
では、上司を殴るか?
「こんな会社辞めてしまおう」と逃げ出すか?
そんなわけにもいきません。
体が感じた緊急事態、「不安の回路」が行動によって解除されないから、ストレスがたまりにたまって胃に穴が空いたりする。
ジムが流行ったのはストレスを運動で解消しようという面もあったのでしょうが、これは根本的な解決にならない。
会社に戻れば同じストレスがあるのだから。
不安や恐れを自分の中でエネルギーに変えていくことができれば良いのです。
逃げるか闘うかだけでなく、目標に向かって行動を起こせば良いのです。
もともと「不安の回路」はここ一番の力を発揮するためにあるもの。
現代社会では多くの人がこの「不安の回路」をうまく使いこなせていないだけなのです。
目標を前にした不安を不安がることはないし、失敗するのではという恐れを怖がることはない。
不安を感じたら「何が不安なのか」ときちんと意識して、その事態に備えておく方が良いのです。
目標がはっきりしていないのに恐れるというのは、何の意味もありません。
「自分はこうしたいんだ」と思っていないのなら
「そうならなかった」場合を恐れる必要もないのだから。
わけがわからず恐れている気分というのは、非常に落ち着かないものです。
こんな時は恐れている自分の状態を否定したくなり、不安が不安を呼び、自分がどうしたいのかますますわからなくなり、堂々巡りになってしまいます。
恐れの正体は見極めた方がいい。
恐れが出るというのは、意識していなくても目標がある場合が多いのだから。
●意識と潜在意識を統合させる●
メンタルトレーニングでよくある誤解の一つ。
それは「成功するイメージだけを一生懸命思い浮かべていれば、きっとその通りになる」というものです。
もしそればかりやっているとしたら、トレーニングというよりはおまじないか白昼夢のようになってしまいます。
一生懸命思い浮かべる時の「一生懸命」は意識のなせるわざ。
力を十分発揮させるには意識ではなく潜在意識に働いてもらうことが必要です。
人間が潜在能力を発揮するということは、意識と潜在意識とが統合されていなければいけないのです。
「自分はこうしたい」
「こうなりたいんだ」
とイメージすることは意識のレベル。
意識だけなら「〜したい」だけで終わってしまうから「目標」もただの「欲」と同じこと。
意識と潜在意識が統合されていると
「俺はいついつまでにこうなりたい」
という目標が、意識によってイメージ化され、それがスッと潜在意識に入っていく。
そして、潜在意識の中で集中力、イメージを達成していか、目標達成するためにどういう風に動いていくのがベストか体に伝えていくのです。
ところが一度おかしくなると意識と潜在意識が相反する状態になります。
そんな時に意識で「こうしたい、こうなりたい」と思えば思うほど
潜在意識はその裏返しで「できなかったらどうする。なれなかったらどうする」という方へ動き出し、否定的になるイメージばかり勝ってしまうのです。
潜在意識のイメージは強力だから、体はそっちの方へ引っ張られてしまう。
そのことに気付けば、逆をやればいいのです。
何かする目的を潜在意識にしっかり植え付けたら、あとは体の動きに任せて余計なことは忘れる。
しようしようと思わない。
むしろ意識の上では、失敗した時どう態勢を立て直すか、マイナスの事態に備えて対処を考えるぐらいでいい。
●クヨクヨしてしまう打たれ弱さ、跳ね返す打たれ強さ●
あれこれ後悔したり、反省したり、ガツンと言われて立ち直れなくなってしまったり。
人間だから当然あることです。
過去のことでクヨクヨしているからといって「打たれ弱い人間だ」「こんなことじゃ一生負け犬だ」などと決めつけることはありません。
誰にだってクヨクヨしたくなる時はあります。
しかし過去にとらわれている状態は苦しいもの。
将来の目標に向けてエネルギーを使えなくなり、過去に気持ちがいってしまう。
だから今がうまくいくはずがない。
同じ寝不足でも、将来の計画に夢中になって眠れないのと、過去を悔いるあまり眠れないのとでは、気分は雲泥の差です。
なぜ過ぎたことをクヨクヨしてしまうのか?
大失敗にくじけない人、打たれても跳ね返す力を持った人とどこが違うのか?
それは過去を認めていないからです。
「あいつに負けるなんて、あっていいわけがない」
「あんなミスするなんて信じられない」
「迷惑かけるつもりはなかった」
「うまくいくはずだったのに」
「運が悪かっただけだ」
「早く忘れよう」
つまり競争や周りがあることで「失敗」と思い込んでしまっている。
他人のリズムにはまってしまっているということ。
本当の力を発揮できるのは「自分のリズム」でいる時。
もちろん「俺が、俺が」ばかりでは人間関係に問題があるから、周りを判断する目を持っていなくてはいけないのですが、自分の力を発揮する、ということを考えると、自分のリズムに徹するのが一番早い。
楽になるためには、自分の失敗を認めてやることです。
うまくいかなった。
自分の行動のどこがまずかったのか?
手順のどこでミスをしたのか?
では次にはどうすれば良いのか?
今すべきことは何か?
もしも誰かに迷惑をかけたなら、その事情を認めることは「相手に心から謝る」こと。
ありのまま認めることで、苦しさから解放され、次の一歩に向けてのエネルギーが生まれてくる。
打たれ弱さ克服の第一歩でもあるのです。
●自分の力を出していないだけ●
物事にどう向き合うかは、子供時代の環境が大きく左右します。
子供は、周囲の大人のやっていることをしっかり見て学び取る。
親や頼りにしている大人が、プレッシャーから逃げているか糧としているか。
「失敗」から学んでいるか「失敗」を否定しているか。
弱点を認めているか必死に隠そうとしているか。
自分らしく生きているか押し殺しているか。
そのやり方を学んで身につけていくのです。
育てられ方も大きい。
小さい頃から
「危ないから、これしちゃダメ」
「あれをしちゃダメ」
「こういう風にやらなきゃいけません」
とマニュアルばかり叩き込まれると、マニュアルにない事態を「工夫して切り抜ける」体験ができません。
熱い飲み物を入れたカップがテーブルの上にあるとします。
子供が「何かな?」と手を伸ばそうとした途端、
「あっ、熱いからダメ!」とストップがかかる。
触ったらどんな感じなのか、何が入っているのか、どんな味なのか、そんな好奇心もストップさせられ、ただ「これは熱いもの」「触ると叱られる」という知識で終わり。
やけどはしなくて済むけれど、自分で「熱い!」と手を引っ込めたり、「こうやって持てば熱くない」と工夫するチャンスを逃してしまいます。
これでは応用がきかない。
子供の頃から「失敗しないように」安全なレールを敷かれて「失敗しないためのマニュアル」ばかり賢くこなしていたら、「失敗から学ぶ」経験ができません。
何が起こるかわからない今の社会に出て、うろたえてしまうのも仕方ない。
逆に「どうしてお前はできないんだ!」と怒られ、押し付けられた目標をクリアできずに責め立てられていたら「自分らしくやれた」という充実感を味わうヒマがありません。
周囲と自分を比べては落ち込む癖がついても当然。
これで自分はひどい目にあったんだと親や先生を恨むのは早とちりというものです。
今の学校教育では「失敗を知らない子供」か「失敗ばかりの子供」のどちらかが育つしくみになっているのですから。
大切なのは、力はもともと誰でも持っているのだということ。
知らなかったやり方、コツはいくらでも覚えればいい。
何歳になっても新しいやり方を始めるのに「遅すぎる」ということはありません。
●他人を拒絶する人、他人に侵略される人●
自分のリズムを知るというのは成功の絶対条件です。
それは「自分らしさ」がわかっているということ。
実際以上に大きく見せなければと無理を重ねる必要もなく、自分を卑下して縮こまることもなく、「等身大の自分」で生きられるということです。
自分が掴めないと他人を受け入れなかったり、受け入れすぎたりします。
他人を受け入れないのは「自分の中身は貧弱なのではないか」「本当の自分を見られてはマズイのでは」という恐れがあるからです。
他人に踏み込まれたくない。
だからアドバイスには耳をふさぎ、他人のやり方を学ぼうとしない。
改善すべき点を指摘されると、ついカッとなったり、逆上したり、言い訳を延々と述べたり「俺のことを嫌っている」と思い込んだりする。
こうやって壁をつくって自分を守ろうとしているのです。
かといって、受け入れすぎてしまうのも、やはり自分が掴めず不安だから。
自分が何を望んでいるかわからない不安です。
だから信じるものを見つけると縋り付く。
「自分は誰で、どう生きるべきか」を誰か他の人に決めてもらおうとします。
信じるものが見つからないと、周囲の人の言うことにいちいち振り回される。
そしてノーが言えない。
いつも無理を押し付けられ、周囲の犠牲になってしまう。
ギクリとした人は「こんな自分じゃダメなんだ」と頭をかかえないこと。
私の言うことを何から何まで受け入れる必要はありません。
かといって、「うるさい!」と耳をふさぐのでは、せっかく読んでも意味がない。
役に立ちそうだと感じたところを自分に生かせば良いのです。
「この技術は盗もう。こっちは合わない」という判断も自分らしさを出していくためのトレーニングです。
●自分のリズムで生きよ●
何を性格と呼ぶのか考え方は色々ですが「いくつになっても変わらないのが性格」だとすれば、それは変わらないのでしょう。
「強い性格」と「弱い性格」、「明るい性格」と「暗い性格」なんていう話ではありません。
その人が本来持って生まれたリズムとでもいうべきものです。
どんな時に充実感を感じますか?
自分が生き生きと輝いていた気がする日を思い出してみてください。
どんな時、どんな雰囲気の場所で、何をしている時だったでしょう?
ガンガン仕事をこなしている時。
誰かと丁々発止と渡り合っている時。
じっくり何かを組み立てたり、問題に取り組んでいる時。
困っている人の役に立っている時。
大自然の中にいる時。
料理や音楽や書物や美術品など「本当にいいもの」を味わっている時。
緊迫感の中で自分の限界にチャレンジしている時。
子供時代までさかのぼって考えてみてもいい。
充実感のもとを探っていくと、自分自身のリズムで生きていたことがわかるはずです。
人それぞれ自分に合ったリズムを持っているのです。
自分らしさ、それが性格なのです。
自分のリズムが掴めたら、それを最大限に生かせる環境を自分の周りにつくることを将来の目標の一つにすればいい。
●あいつには負けたくないのに!●
誰かに負けるのは悔しい。
負けず嫌いの人は、その悔しさをバネにして成功を勝ち取ったりします。
しかし危険なのは、競争に負けたことで
「自分はあいつに劣っている」
「自分には能力がない」と思い込んでしまうこと。
人との優劣ばかりが意識にあると、「劣っている点」が次々と気になります。
周囲より劣っているのではと気にしていると、ちょっとした言葉や行動にも
「非難された」と逆上したり
「自分はダメだと言われた」
と落ち込んだりして、余計な苦労をする羽目になります。
相手が好意で言ってくれたことでも、攻撃されたかのように構えてしまうなど、被害妄想にもなりかねない。
この社会で成功することが「人を蹴落として競争に勝ち抜く」ことだとしたら、ほんの一握りの勝者と圧倒的な数の敗者しか残らないことになります。
そうやって得た勝利が果たして幸福でしょうか?
大切なことは、競争に勝つかどうかではなく、自分のやりたいことが実現できるかどうかです。
実現のためにこの勝負に勝つことが必要なら、全力を尽くす。
もし負けたのならその負けを認めて、次にどうやって勝つかを考える。
それは相手より優位に立つためではなく、あくまであなたの目標に近づくためです。
この訓練の目的は、人を出し抜いたり蹴落とすことではありません。
そもそもこういう目的のもとでは、潜在意識は働かず、本来の力は発揮できないのです。
なぜなら潜在意識は本来「より自分らしく生きたい」という方向と
「人とつながりを持ちたい」という方向で働くから。
人間は一人で生きているだけでなく、他人の中でも生きています。
本能のように「周囲を幸せにしたい」という感情を持っている。
周囲を幸福にする手段とは、あなたが最も自分らしく自分を生かして力を発揮することなのです。
●誹謗・中傷されるのは?●
誰かに陰口を言われている。
中傷されたり、意地悪をされた。
すると、「嫌なヤツだな」と思うだけでなく「嫌われている」と不安になるもの。
こういう時、あなたの不安以上に相手の方がむしろ不安を持っているのです。
このままだとあなたに負けてしまう。
自分の居場所が危うくなる。
あなたが妬ましい。
あなたの存在が自分の劣等感をどこか刺激する。
相手には余裕がなく、自分があなたに劣っているのではと不安があるのです。
そのために何とか優位に立とうとあなたを攻撃する。
裏を返せばあなたをそれだけ認めているということ。
あなたを恐れているということです。
だからあなたが相手を恐れる必要はありません。
相手に勝とうとして仕返しをする必要もない。
大切なことはどちらが勝つかではなく
「あなたがやりたいことが実現できるか」です。
その実現のために相手の中傷や意地悪が邪魔になるのなら、ストップさせる。
正々堂々、相手に「やめてほしい」と言うことです。
抽象的に「意地悪をしないでください」と言うのでは効果がない。
「あなたは意地悪だ」と決めつけたり責めるのも逆効果。
「こういう事実があったが、そのことで自分はこんな迷惑をこうむった。そしてこんな気持ちになった。今後、このようなことはしないでほしい」
となるべく具体的に中身を特定して、気持ちを込めて要求するのです。
一対一で向き合うか、他の人がいる前で話すか、それは状況で判断します。
誰かに相手役を頼んで予行練習をするのも良いでしょう。
向き合う時にも「相手に負けない」ことが目的ではなく
「相手の行動をやめさせる」ことが目的だということを忘れずに。
「負けないぞ」「相手よりも優位に立っていることを示すぞ」
などと余計なことを考えると、かえって相手にのまれたり、相手を攻撃して状況を悪化させてしまいます。
語尾が震えようと、つっかえながら話そうと構わないのです。
「これを伝えたい」ということさえ自分の中ではっきりしていれば、相手は動きます。
相手に嫌われているとしたら?
愉快ではありませんが、大勢に影響はありません。
全ての人に好きになってもらうのは不可能です。
相手が結婚したい人だというなら大問題ですが、仕事の同僚があなたを嫌っていたとしても、仕事に支障がなければ実際なんということはない。
「嫌がらせをする」
「横を向いてしまって仕事の話もろくにできない」
というのであれば、その行動をやめてもらえば良いのです。
好きになってもらわなくとも、別に困らないではありませんか。
「自分を嫌っているのでは」と感じる人に好きになってもらおうと努力するのは、あなたを嫌うようなタイプの人のリズムに無理やり合わせることになります。
あなた自身の力が出せなくなり、こんなに損なことはありません。
あなたが損をしてまで、相手の気分を良くしてあげる義理はないのです。
●自信がない自分が嫌い●
プレッシャーは生かせるのだ、と言われても「自分にそんなことできるかな?」「多分無理だろう」と感じてしまう。
先の不安にとらわれずに今やるべきことをやればいい。
分かっていても、足がすくんでしまう。
こうなると「自分はとことん弱いんだ」「やっぱり自分はダメなんじゃないかな」という気分になってきます。
そう感じるとしたらそれでもいい。
ここが自分のスタートラインだと開き直って認めてしまいましょう。
自分がダメだと思うなら、一体どこがどんな風にダメなのか?
○○できない自分なら、どうしてできないのか?
いっそ見たくないと思っている自分を全て目の前に書き出してみるのです。
見たくない部分を否定したり、逃げようとすると何も変わらない。
そんなにダメだと思うなら、どれほどダメかきちんと調べてみればいいのです。
自分を一旦ストンと底まで落としてみることは、開き直りにつながります。
開き直りは投げやり諦めとは違う。
「これ以下には落ちようがない」地点を確かめることで、スイッチを切り換えることができるのです。
次に自分はどうなりたいのか、何をしたいのか、書き出してみてください。
「○○できない」と考えていたなら、「○○できるようになる」ことを願っているはずです。
マイナスと思ったものがプラスの課題や目標に変わります。
自分に全て満足しているなら、これ以上変えようがありませんが、満足できないから次に進めるのです。
自信がない?
では「自信」とは何でしょう。
「自分はこれができる」だけが自信ではありません。
自分のことをどれだけ信じられるかが自信です。
「自分は完璧だ」と思うことではありません。
完璧な人間などいないのだから、そんなのは幻想に過ぎないのです。
自分は何があっても大丈夫なぐらい強い、というのも危ない自信過剰。
本当の自信とは「自分は何ができて、何ができないのか」きちんと理解して受け入れていることです。
弱点や今の自分の限界を受け入れられること。
それが本当の強さです。
そして他人を受け入れることにもつながる。
受け入れていないと苦しむだけで終わってしまう。
「今の自分にはこれはできるけど、これはできない」
「こういう場面では何とかできるが、この場面では力が出せない」
と分かっていることで、何を改善すべきかどんな助けが必要かも見えてきます。
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