等閑の回想

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等閑( ♂ yArIc )
11/07/16 00:14(更新日時)

愛情 100%

モチベーション 0%


成長をしていく過程において何かを犠牲にしている。

主観や憶測やしがらみと云ったものが、意に反したリズムで与えられた時を刻んでいく‥

限られた時間の中大切な人が抱えている苦しみや悲しみを受け止めることが出来るだろうか‥


人とひとは繋がっている。

独りだけど一人じゃない。

・ 頑張らなくてもいい

・ なんとなく
   生きていけばいい

・ ゆっくり急げばいい


これが‥
最後の1つ前の便りです。


大切な人が求めている幸せを心から応援します。

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No.1590902 11/05/11 04:17(スレ作成日時)

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No.1 11/05/11 04:26
等閑 ( ♂ yArIc )

† はじめに †


幸せな人生。


不幸な人生。


自分の人生はどちらだろう?


誰しも一度は考えた事があるとおもう。


環境・人間関係・体調等により、その時々で答えは変わる。


広い視野で追求すると、大半の者が「幸せなんだろうな‥」と云う結論を導き出す。


意識しなくても情報が入ってくる現代社会においては、人生を幸せ・不幸せと云う言葉で表現する事が不適切になってきているのかもしれない。

No.2 11/05/11 04:34
等閑 ( ♂ yArIc )

この場を借りて我が人生の節目節目を振り返ってみたい。


ページ数のない目次となる。


・ 主と故郷

・ 家族・親族

・ 引っ越し

・ 闘病

・ 育った環境

・ 親友

・ 家出

・ 住み込み

・ 同棲

・ 抗争

・ 出戻り

・ 就職

・ 犯罪

・ 喧嘩

・ 結婚

・ 子供

・ 不倫

・ 浮気

・ ギャンブル

・ 借金

・ 鬱

No.3 11/05/11 05:03
等閑 ( ♂ yArIc )

† 主と故郷 †


生まれた故郷は東北地方太平洋沖地震で被災地にもなっている宮城県。


親族・知人は直接被害を受けることもなく無事である。


ここに一枚の写真がある。


見るからに年代物と認識できる古い写真には、家族の一員として住み始めた真っ白な家を背景に子供用の三輪車で遊んでいる可愛い男の子が写っている。


写真の男の子は主である。


誰が見ても可愛い男の子。

No.4 11/05/11 05:06
等閑 ( ♂ yArIc )

写真写りが良いわけではない。


本当に可愛い男の子であったと当時の大人は今も語る。

(過去形である。)

「今の時代に生まれてたらジャニーズにスカウトされてたんちゃう?」
関西在住の伯母の口癖だ。


今は空き家となっている写真の家は震災後も無事である。


今年の七夕祭りには故郷を訪問して家の片付けもするかな~ と 年始に親と話をしていた矢先のあの震災。


計画は延期となった。

No.5 11/05/12 02:42
等閑 ( ♂ yArIc )

現在の主は30代に突入している。


某遊戯施設を所有する企業の役員である。

過去の経歴から役員として居座っている。


残念ながら皆さまが想像するような高収入の役員ではない。


正直威厳なんてものはない。


代わりを務める者が居ない時代に就職したのがキッカケであり、専門知識のないバイト連中からは「お飾り先生」と呼ばれている役員である(泣・笑)

No.6 11/05/12 02:44
等閑 ( ♂ yArIc )

今の時代アルバイトは貴重な人材である。

色んな意味での戦力として機嫌をとりながらつなぎ止めている。

ある意味ズルいやり方‥
正直好きではない。


現場が好きな主はバイトと一緒に汗を流す。特に自分が指示した作業の立ち上げと最終確認を怠らない。


同僚からはバイトと一緒に何してんのや?と陰で悪口を言われている。


同僚の陰口‥


気にしなぁい

┐(´ー`)┌

No.7 11/05/12 02:49
等閑 ( ♂ yArIc )

主は職人タイプ。


自分でやらなきゃ気がすまない。


バイトも主の性格を良く知っている。


その性格とバイトへの接し方からか「お飾り先生の仕事には協力する♪」的なルールがバイト連中内で成り立っている。


学生バイト曰わく、所謂人徳と云うものらしい。


組織の人間である以上、権力を持つ者・これから権力を与えられる者達とバランスよく接していかなければならない。

No.8 11/05/12 02:51
等閑 ( ♂ yArIc )

この数年、主は自分に欠けている何かを見つける為に日々奮闘してきた。


しかしながら遅かった。


時間には限りがある。

意に反したリズムで時を刻んでいく‥


直前まで目に見えない良くない結果を充分にあたためた上で御披露目してくれた。


悪い状況は重なる。



2011年03月

主を取り巻く環境は、仕事も家庭も含めて絶不調となる。



この場で回想するに至る。


故郷が懐かしい。

No.9 11/05/12 04:22
等閑 ( ♂ yArIc )

故郷は宮城県仙台市。

大型のトラックが 1周ぐるりと回転できた大きな庭の中にある真っ白な家が思い出だ。


当時は真面目に仕事をしていた子煩悩な父ちゃんと持病と闘いながらも優しかった母ちゃんとの間に主は長男として家族の一員となった。


父ちゃんの転勤により、幼くして故郷を離れることとなったが、物心がついたのは生まれ故郷。


仙台といえば七夕祭り。


残りの人生を消化するまでには今一度訪れたいと想う。

No.10 11/05/12 04:27
等閑 ( ♂ yArIc )

‡ 回想の寄り道 ‡


世の中に一つだけ平等なことがある。


【時間】


与えられた時間、時が過ぎる感覚は環境・立場によりさまざまであるが‥


【時間】は世界共通である。



各地で時差はあるものの時間は生物に与えられた唯一平等なものである。

No.11 11/05/13 03:09
等閑 ( ♂ yArIc )

† 家族・親族 †


父ちゃんはかなりの変わり者だ。


今でこそ髪の毛も減り(ハゲではない)体型は山下清になっているが、若い頃はモテたらしい。


セピア色の昔の写真を見ると男前である。


親の出逢いは詳しくは聞いていないが‥


出逢った当時、父ちゃんは大学生で母ちゃんはバスガイドをしていた。


付き合い始めて間もなく、父ちゃんが母ちゃんに言った。


「ワシは大学があるから暫く北海道で暮らす」


「 1年くらい逢えんからな!」

No.12 11/05/13 03:11
等閑 ( ♂ yArIc )

母ちゃんがなんて返答したかは知らない。


父ちゃんの言葉を受け入れて実家がある大阪でバスガイドをしながら父ちゃんを待つことにした。


1月ほど経った頃に母ちゃんは身の回りで起こる現象と遠く離れた地に居る父ちゃんとの電話に違和感を感じていた。


母ちゃんは普段の生活の中で父ちゃんに似た人間を見かけることがあったそうだ。


電話にしても何気ない会話から遠距離恋愛と云う感じがしなかった。

No.13 11/05/13 03:12
等閑 ( ♂ yArIc )

ある日のこと、主の伯母が母ちゃんに言った。


『あんたの彼氏に似た人がおったんよ-』


伯母が改めて父ちゃんの写真を見て

『間違いあらへん!』


母ちゃんは

[うちもね- 似た人たまに見かけるんやわ]


父ちゃんからの電話があったときに母ちゃんは問い詰めた。


「バレたか‥実は大学辞めて大阪に居るんぢゃ」


[はぁ?あんたアホか(怒)なに考えてんの!]


「‥‥‥」


(なんか言え!)

No.14 11/05/13 03:17
等閑 ( ♂ yArIc )

現代ではピッタリの表現がある。


ストーカー


父ちゃんは嘘をついて母ちゃんを遠くから いや、近くで見張ってたw


(目的は?)


母ちゃんは今でもよく言う‥結婚したんは間違いやった‥


(ストーカー選んだんあんたやし)


今もそうだが当時、母ちゃんの姉・弟も妹も父ちゃんを警戒していた。

No.15 11/05/13 03:19
等閑 ( ♂ yArIc )

なんやかんやで付き合いを続けた 2人は少しして父ちゃんの実家に足を運んだ。


父ちゃんの実家には主の爺ちゃん・婆ちゃん、そして叔父が一緒に住んでいた。


叔父もまた変わり者である。父ちゃんほど短気ではないが、結婚もせず実家の家を定年する現在まで守っている。


母ちゃんから聞いた話だが、父ちゃん一家との初顔合わせは最悪だったそうだ。

No.16 11/05/13 03:21
等閑 ( ♂ yArIc )

実家の居間で母ちゃんは拾われてきた子猫のようにおとなしく初顔合わせイベントに参加していた。


爺ちゃんは昔ながらの厳しい男で婆ちゃんは昔ながらのおしとやかな女。


変わり者の父ちゃん兄弟は毎日のように爺ちゃんに叱られて育ち、息子 2人に甘い婆ちゃんがフォローする。


このイベント中にもその光景を母ちゃんは垣間見た。


父ちゃん一家はよく喋る。


おとなしい女性を演じるる母ちゃんも本来お喋りだ。

No.17 11/05/13 03:25
等閑 ( ♂ yArIc )

母ちゃんの演技により、イベントは無事に終了するかに思われた。


ここまでは母ちゃんの好感度はかなり高い。


オケを聞いているかのようなイベントであったが、変わり者の叔父が仕事から帰ってくるなり、パンクロックを奏でた。


『初めまして♪九州の方かな?遠いところから‥』


母ちゃん含めみんなには共通している点があった。


みんな気遣いがない。


それは今も変わらない。

No.18 11/05/13 03:27
等閑 ( ♂ yArIc )

叔父の一言で爺ちゃん大声あげる。


父ちゃんも大声あげる。

叔父に大声あげた父ちゃんに爺ちゃんがさらに大声をあげる。


婆ちゃんは台所へ‥息子ではない母ちゃんにフォローの言葉なし。


やっちまった感じで笑う叔父。


母ちゃんは役を切り替えて大阪女ならではのマシンガントーク。

ストーカーの件含めて溜まっていた何かを吐き出すかのように息継ぎせずに大声あげた。

No.19 11/05/13 03:29
等閑 ( ♂ yArIc )

母ちゃんがぶっ放した言葉に NGワードがあった模様。


父ちゃん青ざめて靴も履かずに家を飛び出した。


怒り心頭に父ちゃんの名前を叫びながら追いかける爺ちゃん。


どおやら大学辞めたことを隠していたようだ。


辞めたのに爺ちゃんに学費がいると言って騙し取っていたそうな。


叔父は自分がやらかしたミスがチャラになったかのように満面の笑みを見せていたそうな。


秒速 5センチメートルからいきなりの暴風が吹き荒れたイベントであった。

No.21 11/05/13 11:28
等閑 ( ♂ yArIc )

すったもんだで 1年も経たずして 2人は結婚。


新居は主の故郷である宮城県仙台市となった。


主には姉が 2人居る。


主は 3人姉弟で末っ子の長男だ。


親を含めた親族達は先のイベントを凌ぐ内容の夫婦漫才を今日まで子供達に提供してくれた。


有り得ない環境で子供達は成長していくこととなる。

No.22 11/05/18 11:49
等閑 ( ♂ yArIc )

因みに我が家系は男前・美女を自負する者が多い。



主の見解によると大半が並みか並みの上と云ったところ‥


自負が蔓延しているだけ。



主の見解は従兄弟(叔母の息子と娘)が基準となっている。


自負する並み連中を凌ぐ男前と美女である。


息子は俳優をしている。プールを舞台とした男のシンクロなる映画に出演して以来、今の仕事を選んだ模様。



主の結婚式で美女の従姉妹と再会したが妻から「あの娘だれ?」としきりに聞かれた。

No.23 11/05/18 11:53
等閑 ( ♂ yArIc )

我が愛する自負連中を式の席にて再認識した。


・ 気遣いをしない集団

・ お喋りな集団


(因みに主も含まれる)



式の最中、当時 1歳の赤ちゃんがおもちゃにされていた。


赤ちゃんは妻と主の間に生まれた息子。



妻は気が気でない様子でイベントに参加していた。


主は気にもせず 2人で選んだ料理を黙々と食べた。


そんな主に妻は苦笑い。



後に妻が母ちゃんと同じセリフを吐いた。




「結婚は間違いであった」



そんな妻に主は苦笑い。

No.24 11/05/18 17:21
等閑 ( ♂ yArIc )

24.† 引っ越し †


生まれ故郷を離れる。


新しい生活が始まる。

新居の手配
荷造り
掃除
水道・高熱等解約
役所等への手続き

などなど


かなりのエネルギーが必要。



といっても主は幼児。


周りの苦労を気にすることなく喜怒哀楽を本能のままに表に出して 1日を過ごした。

No.25 11/05/18 17:25
等閑 ( ♂ yArIc )

何もしなかったわけではない。


捨てられそうになった三輪車を守ったり、足手まといなお手伝いなど幼いながらも頑張ったつもりだ。



引っ越しの日まで新居へは何回も足を運んだ。


新居は北海道。


引っ越しの理由は父ちゃんの転勤だった。



新しい家は過ごした期間が短かったためかあまり記憶がない。



父ちゃんが当時なんの仕事をしていたかは知らない。


今度親に聞いてみたい。

No.26 11/05/23 23:57
等閑 ( ♂ yArIc )

それにしても我が家(主)の引っ越しの回数は多かった。


何回したのだろう‥


宮城県



北海道



神奈川県



和歌山県



大阪府(母ちゃん実家)



岡山県



兵庫県神戸市



兵庫県明石市



兵庫県神戸市



大阪府



現所在地の県①



現所在地の県②



現所在地の県③



現所在地の県④

No.27 11/05/23 23:59
等閑 ( ♂ yArIc )

内半分は結婚する前の長期家出を含んだ主単独での引っ越しと妻子を連れて(正直言うと妻子に連れられて)の引っ越しである。



父ちゃん母ちゃん姉との引っ越しの際は毎回ワクワクしていたが、単独で家を飛び出してからの引っ越しは大変であった。



引っ越しを繰り返した経験により、主は少しずつ大人へと成長した。

No.28 11/05/25 03:29
等閑 ( ♂ yArIc )

幼い時期、一番印象に残ったのは大阪府。



母ちゃんの実家である。


母ちゃんの故郷でもあり、親戚と接する機会が多かった。



父ちゃんは同居せず単身赴任をしていた。



親戚は大阪を中心として奈良・兵庫・京都に住んでいた。



一番の思い出は無人島でのキャンプ。



母ちゃん方の親戚と父ちゃん方実家とで計画された。



提案は子供達がした。

No.29 11/05/25 08:37
等閑 ( ♂ yArIc )

母ちゃん方親戚は日程を合わせ夏休みの後半に履行する事とした。



父ちゃんに話を投げたところ叔父が船を出すよと乗り気である。



(話はまとまった)



当日、叔父の船がある港までの手段は各自で手配。



野郎を中心として共有の荷物を運ぶ。



共有の荷物だけで 船はいっぱいになり、 無人島での留守番数人を乗せて 1往復。



以後、各自の荷物と所有者が乗り込み 4往復。



最後に買い出しの荷物と残りのメンバーを運んだ。

No.30 11/05/25 08:39
等閑 ( ♂ yArIc )

買い出しは一大イベントとなった。



前もって業務用スーパーで冷凍物を大量に買い込み、かさばる物とナマモノは直前に港近くで買った。



子供達はカップヌードルを希望した。親も手抜きが出来るので利害は一致。


子供のころインスタントラーメンや焼きそばを食べる機会が少なかった。今でこそコンビニに当たり前のようにあるが、当時は特別なことがなければ食べられなかった。


子供のころ食べたインスタント食品はうまかった。

No.31 11/05/26 02:42
等閑 ( ♂ yArIc )

主は最後の便で海を渡った。



人が沢山いる無人島‥



通り過ぎる船からはどのように見えていたんだろう。



当時の主には客観的に物事を見る目がなかったのか思い出せないが、今更ながら思うと密航者と思われても不思議ではない。



無人島での作業は共有スペース作りから始まる。


野郎どもはテントを設営して次に料理ができるようキッチンを造る。



父ちゃんと叔父・従兄はみんなの食材を釣りに行くと言い船でバックレた。

No.32 11/05/27 00:03
等閑 ( ♂ yArIc )

キャンプにきたぁ!



と感じた(環境が整った)のは夕方ごろである。



早朝から長距離を運転し働いた野郎どもは作業が落ち着くと焚き火を囲んで缶ビールを片手に雑談した。



子供たちもジュースを片手に参加した。



母ちゃん達が夕食の準備に取りかかったころ、父ちゃん達が戻ってきた。



当時携帯電話なる便利な物が無かった事もあり、昼に出て夕方まで戻らない父ちゃんに母ちゃんはイライラしながら、手ぶらで戻ったら晩ご飯なし!と公言していた。

No.33 11/05/27 01:10
等閑 ( ♂ yArIc )

通常物語としては手ぶらで戻るか魚を買って戻るかのストーリー展開となるが、予想に反して大漁であった。



そんな父ちゃんを主は自慢に思った。



キャンプ地の選定は叔父の船を係留してある瀬戸内海の無人島である。



街灯などない。



焚き火と仮設の照明で夜を過ごした。



主は夜更かしをした。



正直、波と焚き火と発電機の音しかしない夜が恐かった。

No.34 11/05/27 01:36
等閑 ( ♂ yArIc )

翌朝主は寝坊した。



寝ることは損であると本能のままに判断し、夜更かしの道を選んだ。



目を覚ますとイベントの参加者は思い思いに過ごしていた。



釣り・朝からビール・無人島探検などなど‥



寝坊したことを後悔した。



幼いながらも時間と云うものについて考えさせられたイベントであった。

No.35 11/05/27 01:41
等閑 ( ♂ yArIc )

主の両親は最低限の躾しかしない放任主義であるが、泳ぐことにおいては拘りを持っていた。



まったく泳げない主はこの 3日間のイベントでのスパルタ授業により泳ぎを覚えた。



泳ぎと云うより、浮く術を叩き込まれた。



主に限らず同世代の従兄・従姉も犠牲となっていた。



おかげさまで今では10km泳げと言われれば泳ぐ自信がある。



イベント 2日目の昼過ぎには泳ぎを覚えていた。遭難しても生き残る確率は高くなっていた。

No.36 11/05/27 02:10
等閑 ( ♂ yArIc )

イベント 2日目、母ちゃん方の伯母一家が一足先に帰る時間となった。



主は父ちゃんと叔父について船に乗り込み港に見送りに行った。



見送った後に氷と油を仕入れて無人島に戻った。



移動中、生まれて初めて主はうたた寝を実感した。



船上にて睡魔と闘いながらバランスをとって頑張った。



睡眠不足・疲労から発信される信号の一つを理解した。



イベント 3日目、大雨が降ったこともあり、予定を早めてキャンプを終えた。

No.37 11/05/27 02:13
等閑 ( ♂ yArIc )

昼過ぎには港で親戚と解散した。



物足りない感があったが、母ちゃん方叔父の息子 2人が父ちゃんの実家に続けて泊まることになり、子供たちはハシャいでいた記憶がある。




港から暫く車に揺られて父ちゃんの実家に着いた。



帰ってまずは婆ちゃんのペットである雑種の犬に餌を与えた。



そのあと主は疲れからか爆睡をした。起きてからの記憶も乏しい。



母ちゃんの実家で過ごした思い出は夏休みのキャンプが一番印象に残っている。

No.38 11/05/27 06:04
等閑 ( ♂ yArIc )

母ちゃんの実家を出て岡山に引っ越しをすることが決まった。



父ちゃん母ちゃん姉との最後の引っ越しとなった岡山での生活は長かった。



と云うのも、主は生まれた時から心臓病を患っていた。



主が 4歳のころに手術をした病院が岡山の川崎医科大学付属病院である。



小学校に入ってからも同級生に比べて体力が無かったことと、向こう10年間の通院等を考えてかかりつけの病院がある岡山に引っ越すことを決めた。

No.39 11/05/27 07:35
等閑 ( ♂ yArIc )

† 闘病 †


手術前の記憶はない。



手術を乗り切る体力を身につける年齢になるまでの苦労話はあまり聞かされていない。



聞かされていたのは、お金が必要な両親は共働きをし、姉たちは主の面倒を見ていた。



主が発作をおこしたときには叔父が抱きかかえて病院に連れて行ってくれたそうな。

No.40 11/05/27 07:39
等閑 ( ♂ yArIc )

今想えば、費用や手間などかなりかかったであろう。



中でも一番感謝しているのが雄志からの輸血である。



手術は岡山で行われたが、ご近所さんやその友達・見知らぬ岡山の方々から血を分けて頂いたそうな。



輸血の量からして当時の主の体にはオリジナルの血液は流れていなかったのではないかと想うほどである。

No.41 11/05/27 07:42
等閑 ( ♂ yArIc )

手術後、主本人は自分の体力を対比して計ることもなく、体力を温存せず本能のままに病院で過ごしていた。



親からすれば嬉しい反面かなり心配をしたことだろう。



元気が良すぎることもあり、手術後 1月もしないうちに退院となった。



手術後 1年近くは母ちゃんの実家でリハビリをした。



毎朝近所の小さなスーパーまでを歩く。距離にして往復500mほどであるが、少し歩いては休憩を繰り返した。



傍らに母ちゃん、片手には水筒を入れた手提げ。500mの散歩であるが主には長い道のりであった。

No.42 11/05/27 11:27
等閑 ( ♂ yArIc )

闘病は主だけではなく母ちゃんも闘っていた。



父ちゃんが働かなくなった。



母ちゃんの持病が悪化する。



何がおこっていたのかはわからないが、母ちゃんは仕事と家事を両立した。



働かない父ちゃん。



仕事と家事の母ちゃん。



よく寝込む母ちゃん。



毎日喧嘩をする両親。



慌ただしく過ぎる毎日の中、家族 5人居ながら誰も環境を改善出来なかった。

No.43 11/05/27 11:32
等閑 ( ♂ yArIc )

体調が悪化する中、母ちゃんは頑張りすぎた。



主が小学校の中学年くらいになるころには入退院を繰り返していた。



母ちゃんの持病は膠原病。



膠原病は早死にする病気ではないが、死ぬまで向き合って生きていかなければならない。



当時かかりつけの病院がなく、たまたま入院した病院の医師が母ちゃんに手術を勧めた。



今では後悔することとなった手術。病院名と医師の氏名は忘れない。

No.44 11/05/27 22:04
等閑 ( ♂ yArIc )

手術の内容は手首足首の腱を固定するものであった。



冷静になって考えるとあり得ない手術であった。



手首足首を固定すれば痛みがなくなると云う医師の提案から始まった。



手首足首を固定すれば生活に支障がでると思わなかったのだろうか?



それによって他の関節に負担がかかると思わなかったのだろうか?



手術により、母ちゃんは身体障害者と認定された。

No.45 11/05/27 22:07
等閑 ( ♂ yArIc )

実験として行われた手術後、母ちゃんの体は悪化する一方であった。



今でこそ良き病院・医師にめぐりあえたが、20年近く母ちゃんは闘ってきた。



父ちゃんはその間、転職ばかりして定職につかなかった。



父ちゃんが堕落すればするほど母ちゃんは頑張った。



病気に振り回されながらも家庭を守ってきた母ちゃんを尊敬している。

No.46 11/05/28 00:40
等閑 ( ♂ yArIc )

† 育った環境 †


主は荒んだ家庭環境の中成長してきた。



ストレスからくる母ちゃんのヒステリーも一時受けた。



蝿タタキで脚を何回も殴打された時には網目模様に脚が腫れた。



時にはストーブに脚を押し付けられて火傷もした。



(今でも跡が残っている)



幼い主は全てが自分の責任であると想った。



それからと云うもの毎日お腹が痛かった。

No.47 11/05/28 00:43
等閑 ( ♂ yArIc )

父ちゃんは真面目に働かない。家にも居なかった。


育児は興味があること以外放置。



母ちゃんは病気と闘いながらも仕事と家事を両立した。


朝は新聞配達、昼はパートタイマー、夜は内職。



一番上の姉は父ちゃんと合わなかったこともあり、主が 9歳のときに父ちゃんの実家に引っ越しをして高校に通った。



二番目の姉はグレた。


当時、積み木くずし(親と子の二百日戦争)が出版されドラマ化されたが、そのまんまである。


主はリアルタイムで積み木くずしを見ていたので、ドラマ化されたテレビを観ても驚くことはなかった。

No.48 11/05/28 00:45
等閑 ( ♂ yArIc )

主が 9歳になってから15年間、家族 5人が揃うことはなかった。



幼い主は変わった環境の中、全ての責任を感じつつ生活をした。



主の家庭環境は普通ではなかったのだろう。



10歳のころ、十二指腸潰瘍と診断された。



(オヤジ小学生か‥)



夏休みに 3週間ほど入院したが、幸いにも投薬だけで完治した。



生まれながらの性分もあっての発病である、今現在も胃腸薬とは付き合っている。

No.49 11/05/28 00:48
等閑 ( ♂ yArIc )

主の通院のために移り住んだ地であるが、移住した地区があまり良くなかった。



当時、市の計画で市境にある山の麓に団地が建設された。



車がないと不便なところであるが、その地区から市街地へは路線バスが一本通っている。



市境の山と付近にある国道は平行して東西にのびていた。


山から国道までは距離にして 5kmほどあった。



中間に山陽新幹線の高架とその下にJRの山陽本線が同じく東西にのびている。

No.50 11/05/28 00:50
等閑 ( ♂ yArIc )

山陽本線から南の地区は中学校・銀行などがあったが、主の住まいに当たる北地区には何もなかった。



あるのは、団地と建設されたばかりの小学校だけで辺り一面野原と田んぼだけである。



今でこそ野原と田んぼに家が立ち並び、一万世帯が集まる地区となっているが、昔は何もなかった。



何もない地区が10年ほどで密集した住宅地へと変貌した。

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