女嫌い 激増のワケ

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2011/03/20 04:09(更新日時)

史上空前の女価値低落時代はなぜ到来したのか?

正確にいうと、25才とも28才とも30才とも35才ともいわれる、女限界説は常識化してしまった。


これほど、女の価値が下がったことは歴史上なかったと思う。


悲しいけど、この現実とどう向き合いますか?

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No.1465036 (スレ作成日時)

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No.451

お父さんたちだって、セコいお父さんはたくさん存在する。

案外、駅の向こう側のスーパーマーケットに詳しかったりするのだが、お父さんというのはワンパターンで、一回でもそのネタがウケると、しつこく使い回す。

一回聞きゃあわかる話だから、女性は『はい、またそれね』みたいな冷ややかな態度をあらわにする。

だから、お父さんには友達が少ない。

独立した同僚がいたら、雇ってもらえないかどうか調査のために、酒を誘う。

ところが、同僚は多忙で都合がつかない。それでも同じパターンで近づこうとする。

会えたら会えたで、毎月20万でいいからと、カネの条件を先に出す。


どうみてもそんな価値はないから、同僚は体よく断る。

だから、お父さんには友達ができない。

それほど、いままでの企業というのは甘かったのだ。一度、辞めると誰も拾わない人材ばかりなのだ。

No.452

>> 449 悲しいかな、庶民には情報がない。 新聞や雑誌やテレビが情報と思っていたら、寝ぼけている。あれは決定事項ばかりだ。 本当の情報は、中央官庁… では主さんはどこから情報を得ているのですか?

No.453

そういえば、今から20年くらい前、自分の子供をしっかり勉強させ、きちんとした学校に通わせて、子供の未来に確固たる保証を得ようとする親が多かった。


進学に関して、受験に関して、研究に研究を重ねて、情報を集めまくって、夫婦で熱中したものだ。

あれから20年が経過して、史上空前の就職氷河期がやってきてしまった。

育てた子供は、そこそこの大学を卒業したものの、働く場が…ない。

何十件もの面接を繰り返す人もいるらしい。

働く場は、企業に収入が増えない限り永遠に拡大しない。

日本に収入が増えない限り、何も解決はしない。

テレビをみて心配ばかりしている限り、何も解決しないのだ。

不満をためたり、ストレスをぶつけたり、批判をいくらしても、何も解決しない。

No.454

収入がない国とか、収入がない会社とか、収入がない家庭とか、収入がない男とか、とにかく貧すると問題ばかり続出する。

なぜならば、経済社会はほとんどのことをカネが解決する仕組みだからだ。

こんなときに、カネを使うことに目を向けていたら、ただでさえ足りないカネが、ますます足りなくなるというものだ。


人間は、ピンチになると心配ばかりするようになる。

人間は、チャンスが巡ってくると夢ばかりみるようになる。

ただし、自分一人ならば、気持ちはブレないものだ。

恋人がいたり、親がいたり、子供がいたりするから、気持ちがブレる。


とかく周囲の声は、判断を歪める。自分をしっかり持ち、惑わされないことが求められる。


情報の入手やピンチ、チャンスの到来が起きたときは、冷静にならないといけない。

冷静になるというのは、つまり解決に向けて、動くという意味である。


騒いでいても、何も変わらない。

日々一歩でも前に進め。

No.455

だとしたら、今は国の経済活性化が最重要課題だろう。

国民に手当金を配給したり、生活支援したり、生活保護したりしている場合ではない。

そんなことを国民などと約束するから、回復が遅れるのだ。

ただでさえ、予算が足りずに、基礎年金の原資さえもアテがないくせに、手当金など余計な話を持ち出すから、混乱を招いてしまう。

とにかく、国の企業の家庭の男たちの、収入を増やし、安定させるための仕事を作らねばならない。

一時金では意味がない。

勢いをつけて、安定させなければならないのに、可能性がある企業の多くは、東南アジアへ出稼ぎに出た。

海外で利益を上げて納税することだろう。

国内は、相も変わらず、枯れたままだ。めぼしい事業ノウハウは、中国や韓国に盗み出され、いずれは日本へ逆上陸してきて荒稼ぎされてしまうことだろう。

今や世界は、スピード勝負なのだ。

No.456

国は予算が足りない。なのに、あれも支援、これも保障と、国民のいいなりになっていて、使い道ばかり考えている。


被害者団体などは、次々と国を相手どり訴訟を起こし、見舞金をくすねて山分けをする。

弁護士は、カネさえもらえれば、人殺しと毎日メシを食う。

最近は、仕事をするよりも、支援や保障や保護を受けたほうが、よほど生活がよいと聞く。


浅ましい奴らばかりになり、まさにカネの奪い合いを全国規模でやっている。

貧しくなると、人間はうまくやってやろうと考え始めるのだ。

探求心だとか、向上心とか、道徳心だとかは、貧しい場所では薄れてしまい、うまくやった奴が勝ちになってしまう。

いま必要なのは、企業が稼ぐことと消費税だ。他のことは多少後回しで構わない。


まずは、収入を増やし安定化してからの話だ。

No.457

いま日本のあらゆる開発スタッフたちは、東南アジアへ流出している。


日本が不況なので、東南アジアの企業が拾ってくれるわけだ。

もちろん彼らの狙いは、日本の最先端技術。雇い入れたスタッフたちは、用が済めばお払い箱になる。

こうして、東南アジアの企業は、10年も20年もかけることなく、日本の最先端技術ノウハウを入手できる。

非常に効率よく、トップレベルに追いつける。


日本人はマヌケなので、視察や見学に応じて、技術や商品を買ってもらえると信じている。

買ってもらえるのは間違いではないが、数年もしたら、彼らは自分で作るようになる。

要するに、安く仕入れているだけなのだ。

日本政府が、国内企業、国内技術を守らなければ、カネ欲しさに、あっという間に優位性を失うだろう。

負け戦(いくさ)を見ているのはツライ。

No.458

私の想い人が気に入るだけはある

私は、男も女も関係なく愛するが、主殿の話しは面白い

思うに、ひな祭りには家庭サービスをされていたかと心配していたが、復活おめでとう


健闘を祈る

No.459

生活苦に陥ると、理屈は後回しになる。

貸金業規制法が改正されてから、生活苦の人たちが、ヤミ金の餌食になっている。

ヤミ金は違法だから、やたらと金利が高い。一度でも借りたら、元金はとうてい返せないであろう。

ヤミ金にまで手を染める以上、家族や友達には相談しにくいワケがある。

それに、主婦ならば貸金業規制法により、夫の同意を得られないからこそ、ヤミ金へ突撃しているという事情がある。


そんな人が数百万人もいるというのだから、屁理屈ばかりこねてはおられない。

よくもまあここまで、悪化したものだ。

No.460

ヤミ金を経由すると、だいたい行きつく所は決まっている。

風俗か、生活保護かだ。または犯罪者に加担するかだ。

特に、主婦の場合は、サラ金で借入を起こす際に、住所や家族構成を書かされるから、逃げられなくなる。

こうした裏事情を知れば、なぜ風俗嬢やエロ動画が溢れているかだとか、生活保護が膨れ上がっているのかだとか、保険金詐欺が起きるのかを知ることができる。


正常な消費者金融会社からは、多重債務者が排除できたのかもしれないが、数百万人は行き場を失うことになった。


子供を殺したり、売春をしたり、一家心中したりして、ニュースになることも増えるだろう。


しかし、なぜ夫は助けないのだろうか。なぜ「help me」と叫べないのだろうか。


カネのために、人生を失う人たちが増えていく。

No.461

数百万人が風俗へ行き、数百万人が生活保護、数百万人が生活支援、数百万人がサラ金へと、日本民族はえらいことになっている。

こんなにスゴい状況なのに、テレビや新聞、雑誌などは、政治家の人事問題が大好きだ。


会社などの職場でも、人事問題にばかり躍起になり、目の前の仕事をやらない連中がいるものだ。

人事異動があれば、目の前の仕事は、自分の仕事ではなくなるため、手をつけたら損という打算が働くためだ。


ハッキリ言って、テレビや新聞の論説委員は汚い。雑誌の編集者はその数倍汚い。


彼らは必ずこう言う。
「また辞任者がでました。辞任の理由はこうで、周囲の見方はこうで、こうなっていくものと考えられます」

そして最後にこう言う。「今はそんなことやってないで、課題の解決をしてほしいものです」


バカたれ、騒ぎ立てているのはお前らだろうが。お前らがアホ国民を煽るから、騒ぎに火がつき、いつまでたっても仕事が進まないのだ。


マスメディアこそ、人事異動しなさい。

No.462

「なぜNo.1じゃなきゃダメなんですか? No.2でもいいじゃないですか」

そういう名セリフがあった。聞いたときは、「なるほどね。なんも一番でなくともいいわな」
そう思った。

ところが、プロに聞くと、一番と二番では大違いらしい。

というのも、二番ならば三番目でも四番目でも似たようなものなんだそうだ。

つまり、二番も三番も四番も五番も、みんな一番のコピーなのだ。

コピーじゃないのは、一番だけ。

一番は本物で、二番以下はニセモノなのだ。

だから、価値が大きく違うし、そもそも、一番ならば、みんなが買ってくれて喜んでくれる。

二番以下は、それを真似て安く売るしかない。

ちょうど、PRADAのニセモノが流行ったときのPRADOみたいになる。


日本には、No.1の技術がたくさんあった。ところが、次々に海外生産や資本協力や技術輸出により失った。

スポーツの一流選手が、海外でコーチをやると、すぐに追いつかれるのと近い。

ビートルズのアルバムを購入したとき、ミカンのレーベルが貼ってあって945円だったのを思い出した。(本物はアップルです)

No.463

こうしてバブル後の20年(失われた20年という)は、日本を廃墟にしてしまいかねないほどの禍根を残した。

街には、失業者が溢れ、家族の絆は失われ、会社への忠誠心がなくなり、混沌とした閉塞感だけを露呈している。

高齢者が次第に増加し、若い大卒は働く所がみつからない。

社会保障制度の保障さえ行き詰まっている。

なのに国民は、遊びに慣れていて、ペットやセックスやガーデニングや温泉が大好きだ。

このアンバランスな貧困は、富裕国が崩壊する前夜ともいえる不気味さを呈している。

このまま墜ちる所まで墜ちるのか、はたまた起死回生の復活を遂げるのかは誰にもわからない。


ただ、思い直してほしい。結局、我々が最終的に大好きなのは『たまごかけご飯』なのだ。


マスメディアに洗脳された我々は『たまごかけご飯』に戻ればよいと思ったりする。

No.464

ハローワークは長蛇の列になっている。設置された端末で、求人情報を検索するためだ。

よい働き口が見つかったら、相談員に面接の手配を頼める。

だが、よい仕事ほど競争は激しい。そのため、だんだんと希望条件を下げていくことにならざるをえない。

どこで働くにせよ、いまはパソコンができなければ話にならない。

パソコンが登場したせいで、働き手が激減したというのに、自分もパソコンを覚えなければならないのだ。

まるで、銃口を突きつけられた状態で、パソコンを覚える。


しかしパソコンといっても、覚えるのは小学生レベルの知識と技術にすぎない。

最近は、子供たちのほうが詳しい。


つまり、仕事の必需品に関するスキルが、子供たちのほうが高いという逆転世界が生まれている。

これは極論すると、『大人は子供』だといえる。

ある意味で、大人が不在になった。パソコンすら、子供たちに負けている大人はとても厳しい社会なのだ。

No.465

ソーシャルネットワークという世界が広がりつつある。

日本語にすると『社会的つながり』という意味である。

ただし、あくまでも、つながっているのはパソコンや携帯の中での話だ。

もちろん、過去から現在までの友人・知人を含めて、面識のない人間もいる。

とにかく、なんらかのつながりをキーワードにして、つながっていく。


つながった人間同士が情報交換を行ったり、一緒にゲームを楽しんだりするわけだ。

いわば、パソコンの中で遊ぶし、話し合うし、探求するし、励まし合えるし、ケンカをすることができる。

極端に言えば、一年間顔を合わせることなく、親密な交友が可能になる。

顔を合わせないのに、仲良しなのだ。

いや、お互いに望めば、カメラを通じて、顔を合わせることもできる。

一緒にお茶を飲んだり、酒を酌み交わしたり、お菓子を食べたり…。


現実のコミュニケーションは、パソコンの中に取り込まれようとしているのだ。

たしかに、電車賃は助かるが…。

No.466

PCコミュニケーションは、やがて主流になっていくのかもしれない。


『一度も会ったことのない親友』なんていうのも、そのうちできるのだろう。

PCコミュニケーションは、たしかに手軽だ。しかし、切れるのも手軽といえる。

よくカラダの関係だけの男女関係があるけれども、あれだってメールアドレスだけしか繋がっていない場合が大半だ。


受信を拒否すれば、その瞬間から連絡は取れなくなる。さっきまでは、親密な男女だったのに。


要するに、メリットがなくなれば互いに切ってしまうだけの関係といえる。


この関係性は、昔とは全く概念が異なる『使い捨ての人間関係』なのだ。

いつから生まれたかというと、女が遊び始めた頃から始まった。

女が次々と、男を乗り換えていくカルチャーが、パソコンの中に根付いた。

女も、男も、用がなくなればポイ捨てする文化といえる。

この小刻みな人間関係は、基本的には、傷つきたくないという心理から発生して、ラクチンという機能がセットされたため主流になりつつある。


人間関係は、面倒になってきたと感じる人が多いわけだ。

No.467

1990代後半に、Windowsが98パソコンをヒットさせた。

当時、日本はバブル。男たちは泡銭を稼ぐために奔走していた。

家庭にはママがいるが、ママは遊びに夢中だ。パパは深夜になってから帰宅する。子供たちは留守番要員。

ダイヤルQ2、ブルセラショップ、テレクラ、ノーパン喫茶など、実に様々な風俗文化が登場した。

みんなカネはあるから、遊びに行く。女の子たちは、待ち構えて遊んだり稼いだり。


一応、風俗営業店へ出向いていたところへパソコンが出現した結果、遂に出会い系サイトが生まれた。

ここから先は、個人対個人で、遊びまくった。


友人や知人を探せば、年に50人や100人の男にやらせた女が一人や二人はいるはずだ。


彼女たちも、いま40才を過ぎ、真っ黒な股間でパソコンに向かっていることだろう。

子宮頸ガンが話題になるのも頷ける。

No.468



主さん

主さんが理想とする社会について教えて頂けませんか?

No.469

パソコンを通じた出会いは、瞬く間に拡大した。最初は、Yahoo!パートナーだ。

若い男は、10人くらいの女性と常にメールのやり取りをした。

爽やかな話題を数カ月続けると、一度会ってみようということになり、リアルに発展する。


このときパソコンは、完全にコミュニケーションツールとしての地位を確立したのだ。

そして、携帯になり、スマートフォンへと続く。

見知らぬ出会いから、繋がりある出会いまで、パソコンは実現させてきた。

そして、ソーシャルネットワークへと向かう。

No.470

まさに、機械の中に人生がある。ソーシャルネットワーク。

びっくりすることはない。テレビが登場したときも、機械の中に人がいて笑っていた。


憧れのスターも、大切な友達も、機械の中で会える便利な時代を迎えるだけの話だ。


人間は、一歩だけでも便利で快適になることにより、喜びを感じている。

そのことが、未来にどんな影響を与えるかなんて後回しだ。

いまつかんだ快適と便利を恐る恐る味わいながら、前に進む以外にチョイスはない。


チョイスを拒否すれば、ハローワークへ足を運び、ソーシャルネットワークの利用スキルを学ばないと、子供たちにも劣ってしまうから。


だから、『社会の理想郷はない』変化し続ける宇宙の中で、理想社会などは有り得ない。

せめて、あるとしたら、自分がどの場所に、どんな仲間と、どんな準備をして、生息するかだろう。

そう、ジャングルや海の中の生物と同じだ。


生きるということは、欲望により進化する社会の中で、どこにどういう方法で身を置くかだ。

どうすれば外敵から身を守り、食料を確保でき、雨露をしのげるかなのだ。

No.471

変化し続けるコミュニケーションに疑念を抱いたところで、この大津波は止められない。


表現や言論が自由な世界では、欲望が人々をリードするメカニズムが働くのだ。


もちろん、理想郷だとは言い切れないが、少なくとも、ミサイルや戦車の中で生活するのと比較すれば、幸福度には天と地ほどの差がある。


世界には70億人という人間が生息しているが、民主化された国は30もない。未だに独裁者の下で暮らしている人間が、25億人もいるのだ。


つまり、3人に1人は独裁者に支配されていて、言論や表現を制約されている。日本など僅かな国の民衆だけが、相対的な幸福を満喫している。


しかし、その日本の幸福度は急速に低下しつつあり、その大きな原因が、女性の変化、パソコンの浸透、マスメディアの堕落だと考えている。


しかし、繰り返しになるが、それを誰も止めることはできない。

イヤならば、自分の生息環境を探すしかないのだ。

ジャングルの掟(おきて)とは、そういうものだ。

No.472

ただ、たとえ独裁的な軍事政権下であろうとも、政府高官がどう感じているかはわからない。


通常、独裁者の取り巻きは、かなりの厚遇を受ける。独裁者からの信頼も厚いだろう。


国民は、ある意味で平穏かもしれないし、独裁者を崇拝しているかもしれない。

ちょうど、我々がマスメディアに踊らされているように、彼らだって、独裁者に踊らされているという意味では、大差はない。


ましてや、政府高官ともなれば、権力の中枢にいて、裕福で、かつ尊敬されて、これ以上の幸福はないのかもしれない。


そうなると、独裁国家も捨てたものではない。


要するに、幸福の総計をどれだけの人間で分かちあうかによるのだ。


独裁者周辺で巨大な幸福を形成するのか、民主的に成功者全員で分け合うのかの違いだ。


いすれにせよ、経済性が重視される物質文化においては、富が偏る。


だからこそ、精神性をより重視して、心の平穏を獲得しなければならないのである。

No.473

職場や家庭も同じだ。


パパやママが厳しい家庭に育つと、それなりにキチンとした子になる。ただし、パパやママが変な人ならば、変な子になるかもしれない。

パパママ連動型の子は、中学生にもなると、周りの友だちと自分を比較して『だって、うちは厳しいの』と、説明するだろう。

だからといって、独裁的な両親のことをキライになるか、案外スキかはわからないと思う。


ただ、民主的家庭の友だちからみたら『かわいそうに…』と見えるだけだ。


しかし、互いにお小遣いの額を比べてみたり、生活の様子を比べてみたり、一家が写った写真を見せ合ったりした結果、どっちが幸福かが少しわかる程度なのだ。


ということは、人によってフィットするかどうかともいえる。

No.474

そんな具合に、理想的な環境とは、一口には表せない。

ただ、漠然と思うのは、メリハリというのか、締める所は締め、自由な所は自由みたいなバランスだと思う。

例えば、学校や職場は規律正しいが、家庭や友だちは優しいみたいなメリハリだ。

バーチャルで言えば、ブログは自由な発想だが、ツィッターや掲示板は緊張感をもつとか…。


一人一人が、時と場合に応じて、自分なりにルールを持つことで、締めたり緩めたりする。

そのようなセンスを磨くことで、自分なりの理想を作るしかない。

ジャングルの動物たちだって、ルールを決めて、過ごしやすさを追求しているに違いない。


人間の場合は、ビジネス業者がいろいろと商品やサービスを提供してくるから、それらとどうつき合うかが大きい。


ジャングル同様に、人間社会にもワナがたくさん潜んでいるからだ。

No.475

理想的な居場所を作るといっても、食べていけなければ理想は成立しない。

つまり、エサを穫ってくることは生存のための基礎的条件だから、エサの多い所に身を置くことが重要だろう。

エサとは、もちろんカネだ。

ここで一つの分岐点が現れる。安定的な路線でいくか、一攫千金を狙うかの選択。

最近は、この安定的路線(正社員)でさえ、なかなか確保が難しいという。

血みどろの闘いの末に、安定的な場所を確保しなければならない。


ならば、いっそのこと事業を起こして、一攫千金とまではいかずとも平穏な商売にチャレンジしてはどうかと思う。

なにせ、大人も子供もない時代なのだから、アイデアと準備を早い段階から進めたら、意外と芽が出るかもしれない。

このコツコツとした準備に耐えられれば、安住の地へ到達できる。

しかし事業には、裏がある。この裏を知っておかないと、地獄をみる。

裏とは…。

No.476

東日本が壊滅状態に陥っている。引き続き極めて危険な状況は変わらない。

今回の悲劇は、地震が発端ではあるが、連鎖的に津波が発生し、原子力発電所が崩壊した点に象徴される。

原子力発電所のメルトダウンは恐怖であるが、この事実は、これから長期間にわたり、日本人を苦しめるだろう。


親または子供を失った人、財産を失った人、チャンスを失った人などが大勢いる。


繁栄が続いていた国に試練が与えられた。


なのに、被災地をいったん離れれば、酒場からは相変わらず笑い声が響いている。

回転寿司のお皿は高く積み上げられ、首まで赤く染まったお父さんが会計をしている。


この日本人に対する天罰は、始まったばかりだ。

No.477

破壊された地区の復旧には、かなりの時間と労力、費用を要するだろう。

これらの地区へビジネスを展開していた企業も、お先真っ暗だし、働いていた人たちも失業だ。


東側海岸は壊滅的だし、今後も広範囲地震帯を考えると、安心して投資できない地域となる。


同様のことは、東海地域にも当てはめて想像されるかもしれない。

東海地域から関東にかけての地震だって、同様のリスクを抱えている。


今は、北からと北西から首都圏へと、震源が迫っているが、むしろ東海のほうが怖い。

東海道新幹線や羽田空港がやられたら、東京の価値は消滅する。


悪い予感は当たるというが…。

No.478

首都圏の交通や電力供給は不安定なまま推移している。

いかに、東京という都会は便利であったかがよくわかる。

便利な環境に慣れてしまうと、もう戻れない。それもこれも経済力が全ての世の中。

網の目のような交通網・道路網に慣れた国民にはつらいし、エアコンを使い放題に使ってきた国民には過酷だ。


国の経済力、信用力は、この先極端に低下するだろう。どれだけの資本を失っただろう。


すでに、失業率5%の枯れた国がどうなっていくかは明白だ。


今、余裕を持っている遠隔地の人間や仕事を確保している人間も、だんだんと他人のことを同情している余裕はなくなる。

豊かさと快楽を満喫してきたこの島国が、弱者をずっと守っていけるのかどうか心配だ。


悲しみと貧困を分け合うことができる国民かどうかは、感情的ないまは全くわからない。


数年後には、結果がわかる。

No.479

こうして考えてみると、人間なんて、運不運に左右される生き物だ。

生まれ方も、両親も、環境も、時代も、病気も、事故も、出会いも、全てが運不運に左右されている。

世の中には、不運な人がたくさん発生している。中越地震だって、阪神大震災だって同じだし、航空機事故だって、台風被害だって同じだろう。


そのたびに感傷的になっては、数ヶ月もしたらバカ笑いをして暮らしているのが我々なのだ。


結局、野生の生き物同様に、縄張りを守っている。

何億も財産を持っていたとしても、一億だけ残して義援金に投じる人はいない。

むしろ、チャリティーコンサートなどを開催して、金儲けに弾みをつけるのが金持ちの考え方なのだ。

感動的な場面をフィルムに収めて、大衆の感情に訴えることがスポンサー探しに役立つ。


大衆の熱しやすく冷めやすい特性を知り尽くした連中が、様々な危機を煽り、様々な行動を誘う。

無力な我々は、黙って見守るしかない。

No.480

毎晩、窓から見えていたレインボーブリッジのライトアップが消えている。

銀座の通りも、まるで地方都市のように暗い。


東京タワーは、大都市の象徴だというのに元気がない。

首都高速に並ぶテールランプも、少なくなった。ガソリンが足りないからだ。

大都市・東京は、世界でも最高級の都会だ。清潔だし、治安もよい。四季は美しく、気温も程よい。

世界中に東京ファンが大勢いる。パリやニューヨークも偉大な大都市だが、快適さを競うなら、東京は負けてはいない。


その東京が、いま泣いている。

欲望を追求し続けて創造した大都市社会は、大地の神の怒りに触れた。


地震、津波、火事、エネルギー消失、停電、放射能…。

大地の神の怒りは、まだまだおさまらない。

No.481

一方、被災地は5日目。最初は、環境の変化に順応するため、ある意味、正常ではない。

ところが、そろそろ落ち着いて現実や未来を考えることができる段階へ入ってくる。

はっきり言って、絶望的な気持ちになる。

現実の苦痛、当面の生活、今後の安定、将来への希望に対して、どうすればよいか…、おそらく大半の人たちは、活路が見いだせないのではないかと思う。

そろそろ略奪や性犯罪も増えてくるかもしれない。弱者が存在する世界とは、そうなりがちなのだ。


一刻の猶予もない被災地。北日本太平洋沿岸部で苦しむ人を、テレビが煽りたてる。


テレビは、被災者を見せ物にして、ここぞとばかり稼ぎまくる。

どのテレビ局も、全く同じ内容の番組を組み稼ぎまくる。

庶民は、すぐに飽きることを知っているから…。

No.482

もともと東海大地震のほうが、発生確率は高いと恐れられていた。


案の定、静岡東部で震度6の直下型地震が発生した。

こうなってくると、日本の首都圏に対する海外からの見方は変わってくる。

仙台や新潟や静岡が、震源を抱えているというのは、いかにもまずい。


すでに株価は下落し、70兆円の資本価値を失っている。

世界80カ国が支援をしてくれたとしても、経済戦争においては相当不利になるのだ。

人間の気持ちとカネの動きは符合しない。

悪いときには、悪いことが重なるものというから予断を許さない。

No.483

日本の社会資本が倒壊し、交通・通信が遮断、混乱すれば、産業は大ブレーキがかかる。

被災者救済に莫大な費用を回し、それとは別にバラマキ行政を断行すれば、赤字国債は増発にならざるをえない。


日本の価値が低下する中で、借金を重ねようとした場合、買い手はつきにくい。

そうなると高い金利をつけざるを得なくなり、国債価格暴落の引き金になることが懸念される。


さらに、被災者救済活動が広範囲に及ぶことになれば、もう皿回しの状態になるだろう。

静岡東部地震が余震だったのか、東北地震のときのような前ぶれなのかはわからないが、もしも万一、後者であったとしたらわが国の決定的な致命傷になる。

No.484

避難所に人が集まっていることは明白なのに、結局、助けることができないなんて、いったい人間は今まで何をやっていたのだろうか。


こんなに便利な世の中なのに、所在が明らかなたくさんの避難所を、ただ見ているだけしかないなど、本当に信じられない事態だ。

ついに気温は下がり、雪が積もり始めた。空腹の中で、疲労の中で、この厳寒を迎えるというのがわかっていながら、何もできないのが人間の実力なのだ。

なのに、原子力発電所におけるミスを罵(ののし)り、計画停電の不手際に顔を真っ赤にして叫ぶ。

我先にと、スーパーマーケットやガソリンスタンドへ殺到し、子宮にワクチンを打って安全なセックスを確保しようとするのが人間だ。

わかってはいるものの恐ろしい生き物だ。

No.485

テレビを見ていると、やたらと、子宮頸がんの定期診断を呼びかけている。

これは予防医学の位置づけで150億円の税金を使う。

一回のワクチン摂取に、15000円もかかり3回必要だから、一人当たり5万円近くいるのだ。


ところが、このワクチンの効き目は、100種くらいのウイルスのうち2~3種にしか有効ではない。とりわけ日本人には、関係性が薄い。


また、効き目は6年で切れる。だから、永続的な税金投入が避けられない。

で、効能といえば、若いうちからセックスし放題というだけなのだ(実は効かないが)。


だから、セックスデビュー・ワクチンと言われる。


しかも、効き目はほぼないし、クラミジアにもHIVにも効くわけではない。

子宮頸がんで、悪性化するのは、言い方が悪いが『ヤリマン』か『不潔な女』が中心なのだ。


本当は、もっと詳しく書いておきたいが、ひとくちでいうと、これは米国発の『ワクチン・ビジネス』なのだ。

No.486

いま世界で、ワクチンビジネスが一大旋風を巻き起こしている。

サーバーリックスも、たしか英国(あやふやな記憶)の医薬品会社の独占商品だ。


これを日本人に投与できれば莫大な利益が出る。

まあ、日本には、ちゃんとチェック機能があるから安心だとは思う。


あの最高に信頼できる役所。厚生労働省の保証付きだ。


きっと、厚生族の代議士ルートで市場参入を試みるには、例によって、医学博士に集合をかけ『OK』と言わせる。役人は『ホイキタ』とばかり、日本市場での使用を許可する。


いい加減な想像かもしれないが、あまりに危険な話なので、少なくとも詳しく調べてからのほうがよいかと感じている。


バカ国民が言われたままに、横並びで我も我もと列を作るのは危険な気がするのである。

No.487

ワクチンビジネスといえば、あの『新型インフルエンザ』が有名だ。

これは大成功を収めたと言われる。

医薬品会社はもちろん、小児科医も、診察・摂取・薬と三拍子揃った大きな商いになった。

日本医師会のお手柄であろう。

なにせ、日本市場へ売り出せば、4000万人とも6000万人とも言われるお客様が列をなすのだ。

新型インフルエンザの重傷例をいくつか挙げて、『ほら怖いでしょ?』とやれば、誰だってビビる。

国会や役人に対しては、『国民の生命を第一にお考えください』と、涙を流せば、まあ断わりにくい。

ひと仕事終えた連中は、医師会から感謝され、医師を味方にできる。そして、ワクチン投与者からも尊敬される。

『6000円くらいでいいかな?』ワクチンの値段も決まる。

税収も上がる。
世界のタミフルの70%は日本市場で捌(さば)ける。

そして、ワクチンビジネスが次に目をつけたのが『日本女』だったのだ。

『日本女には、子宮頸がんワクチンが大ヒットする』という狙いは、当たりそうだ。

超巨大ビジネスになる。なかなか鋭いとは思うが、一方で、調子に乗るなとも言いたい。

No.488

いやはや大変な一週間だった。東日本がグラグラした一週間。

東京がマヒして、通勤難民で溢れかえり、狂ったような買い占めが起きた。

しかし、これら一連の動きを黙ってみていた人たちは、それぞれ何かを感じたと思う。


期待を含めて書かせてもらうと『日本人もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ』と感じた人も多かったのではないだろうか。

被災地の人たち、救済活動を行う人たち、地元の行政、地元の教師・医者・支援者など、苦難がゆえに生まれた協力関係をみていると、まるで『バブル以前の日本人』をみるようだ。

バブル以前の日本人は、こういう感じだったのだ。他人の痛みを感じると、手を差し伸べたくなる。

島国の国民は、みんなで協力し合って、金持ち国をめざしていた。

しかし、一部の人間が金持ちになり、女性たちに火がついたところから日本人は、変わってしまったのだ。

女性たちに見放された男性も変わっていった。金がなければ相手にされないからだ。


懐かしさを感じる一週間だった。

No.489

多くの日本人はそうではないですか?
こういった震災がきっかけで、その一面が改めて出てきたのは、皮肉なものですね・・・

No.490

こうした苦境にあって、なんのメリットもないにもかかわらず、ヘトヘトになるまで貢献しようとする人たちが大勢いる。

東北という土地柄のせいだろうか。都会ではない地区には人情味が溢れていた。

ひとたび大都会に目を転じれば、マスコミに煽られた人々が、目を血走らせている。

しかし、おしなべて男性の本質は、あまり変わってはいない。

暗くなるまで被害者捜索に汗を流し、命がけで放射線を浴び、非難を浴びながら黙々と調整作業を行う。

現代においては、まったく『バカみたーい』と、女の子たちに笑われそうな作業に没頭している男たち。

たしかに、たいていは仕事でやっているのかもしれないが、男たちはつい没頭してしまう。

どれもこれもワリに合わない仕事ばかりだ。

そんな男たちをみていると、オスの本質が見えてくるから不思議だ。

オスは、弱い者を救うことに生きがいや喜びを感じているのだと思う。

使命感とか責任感というより、本能なのかもしれない。

ただし、カネにはならない。カネにはならないから、女たちは彼らを尊敬しようとはしない。

口では称えるが、苦楽を共にはしない。

孤高の男たちが増えれば、孤独な女も増える。

No.491

計画停電で真っ暗になった部屋の中で、四人家族がコタツを囲んでいる。

コタツの卓上には、アロマろうそくが一本だけ灯っている。もちろん、コタツには、電気が来ていない。

『電気は入ってないけど、なんだか暖かいね』

子供たちが嬉しそうだ。
いつもと違うから嬉しいのだろうか。

ママやパパと一緒だから嬉しいのだろうか。

そういえば、みんなそんな感じだった。昭和40年代とか、昭和50年代とか。

たいした会話はしないけど、お互いの目が届くところで家族はくつろいでいた。

甘栗やみかんやリンゴを、ママがむいてくれたりした。

あれから年月は流れ、時代は飛躍的に便利になったし、子供たちも個室を持つようになったから、そんな家庭の風景は消えた。

なぜだろう。豊かになると、寂しさが増す。

なぜだろう。通信コミュニケーションが発達するにつれて、寂しさが増す。

なぜだろう。情報量が増えれば増えるほど、疑り深くなる。

世の中は、便利で手軽になるほど、荒れてしまいがちなのだ。

あくまでも精神世界の話をすれば、心は病むばかりなのだ。

物質世界と精神世界の対比を考えたとき、反比例が起きている。

いや、人間は物質世界ばかりにとらわれすぎて、精神世界の進歩を忘れていたのかもしれない。


何万人もの災害犠牲者を出さなければ、気づかないのが人間なのだ。

人間は、犠牲者たちの命を、無駄にしてしまうのだろうか。

No.492

いつも拝読しています。

満レス近いですが、このあとも主さんのお話を伺えたらと楽しみにしています。

No.493

お父さんが社会で活躍している頃、お母さんは家庭や地域で活躍していた。

子供たちは、お母さんにくっついて離れない。まさに、お母さんは、家庭というチームのリーダーだった。

毎日毎日、買い物に行き、ご飯の用意をする。子供たちは、お母さんの一挙手一投足をみつめて育つ。

お母さんは強いけれど弱い。お母さんが病気になって寝込むと、家族全体が心配した。

お母さんは必ず『大丈夫よ。ありがとう』と答える。

家族の絆が基本となり、子供たちは体を鍛えたり、勉強をしたりした。

お母さんを幸せにするのが、子供たちの目標なのだ。

だから、日本の女性は、母性を脈々と受け継いできた。確固たる宗教はないとしても『家族』が精神世界の中心に、しっかりと根づいていたのだ。

ところが、子供たちは個室に入り、インターネットやテレビで情報収集を行い、友達と情報交換した。

子供たちの心は、家庭の中から離れ、社会へ向けられた。

遊びの世界が待っていた。遊びには、カネが必要だ。物質世界が進展する中で、カネは猛威を奮った。

女の子には、カネを手に入れる方法があることを知る。

1980年から1990年当時、女の子たちは"仕事"を始めた。

No.494

女の子たちは、少しでも美しくなって魅力的になることで、自分の価値が高まるような錯覚に陥っていった。


大人はそれをみて、新しい化粧品やヘアデザインや下着や水着やアクセサリーを発売した。


そして、女の子たちは早くから"女性"になっていき、家庭という拠点から社会という拠点で活躍しようとし始めた。

並行して、物質世界は驚異的に進展し、腕力を不要とする仕事を増やした。

こうして美しい女性たちは、大人になって、社会の中へ溶け込んでいくかにみえた。


ところが、美しく強い女性たちの参入を受け入れた男性社会に動揺が起こった。

男性と女性の接触は、セクハラや不倫を発生させ、派遣社員を増加させることにつながった。

家庭の大黒柱の平均年収は、不況とともに下降し、男性の威厳は損なわれ、萎えさせてしまった。

さらに、女性は社会に定着し、家庭と社会との間に、"秘密"の壁を作った。

やがて、男性と女性との間には、みえない距離が生まれたのだ。

No.495

バブル崩壊後、パソコンが普及、オフィスは省力化された。

企業は、中高年をリストラし、安い人件費を派遣労働者やアルバイトなどの非正規労働者と海外労働者に求めた。

技術は、海外に漏れ、国内の年功序列賃金・終身雇用制度は終焉を迎え、成果主義型報酬のようなドライなやり方が試行錯誤された。

女性たちの社会進出は、少子化をもたらし、ダブルインカム・ノーキッズが新たなスタイルとして登場するのだ。

かつて青春期に、家庭のを否定した世代が、遂に親世代になったとき、ノーキッズを選択した。

そしてリーマンショックが拍車をかけ、失業率は急上昇。立ち直りかけた今、東日本大地震が日本を襲う。

No.496

本格的な社会進出を果たした女性たちは、不運にも経済不況に遭遇した。

思うように自立ができない女性も多く、年月が過ぎていく。

ノーキッズ夫婦の離婚や一般家庭の若い女子やキャリアウーマン志向者たちは、社会に放り出されたまま行き場を失いかけている。

まだまだ不況は続く。

男性は男性で、生活を確保しなければと必死だ。

女性も男性も、結局、散らばりながら、落ち着き場所を模索する時代。


時代の大きな渦の中で、日本全体に巨大な津波が襲いかかったような情勢だ。

都会の男女は、みんな大波に流されようとしている。

高台に上がった男女は、悲鳴を上げて救助を求めているかのようだ。

物質文明と貨幣経済社会の到来は、世界一の高齢社会を締め上げている。

我々はいつからか、空をぼんやりと見上げなくなった。

未来の夢をみても、目標がみつからないからだ。カネばかり稼いで何を得ようというのだ。


数量化された幸福感は、常に他人との比較を伴う。昨日の数量を減らせば、幸福感は消え去る。

欲望はエスカレートをやめない。

No.497

女たちは、生き方を変えた。変えたとたん、世の中は運悪く、地響きを立てて怒り狂った。

日本だけではない。東南アジアも、中東も、物質社会に目覚めつつある。

世界の女性たちは、日本が歩んできた欲望の追求を始めるだろう。


日本国民だけが経験した失意を、いずれは世界中の欲望探求者たちも経験することになるだろう。

疑念の日々、詐取の日々、競争の日々に、世界中の女性たちが直面する。

彼女たちも、やはり疲弊し、深夜の誰もいないオフィスで茫然とするときがくる。

携帯端末に向かい、涙を流すときがくるに違いない。

しくしくと痛む頭や胃や、そして卵巣をさすりながら、何を思うのだろうか。

大地の神々は、それを見逃してはくれない。そうなったら、世界は地球環境の破壊に向き合うことになる。

女性たちは、運命の悪戯により、進むべき方向を誤った。

彼女たちは、母性という精神世界を守るべきだったのだ。

そのことに気づいているのは、地球上で、私たち島国の国民だけだ。

No.498

西暦1700~1800年の人類の平均寿命は、20~30歳くらいであった。

日本人は世界最高の長寿国家であり、いまや80歳を超えている。

つまり、人類はわずか200年の間に、3倍から4倍長生きするようになった。

また、人口も、その間にやく7倍になった。人類は、繁殖し続けている。

当然のことながら、地球は悲鳴をあげている。地底のマグマが燃えたぎっているのだ。

野生動物には絶滅種が絶えない。

人間といえども、無精子のオスやEDに悩むオスが急増している。

HIVやHPVなどのウイルスもじわじわと繁殖しつつある。


人間の自然治癒力は低下し、補完的に医療や薬品が進歩した。

やりすぎだ。

産業革命を皮きりに、エネルギー産業や精密機械技術ばかりが、発達しすぎた。

勢い貨幣の地位が上がる。貨幣が貨幣を稼ぐ金融市場が巨大化し、貨幣を増やすことが目的化してしまった。

その究極の姿が、不動産バブルとその後の飽食の時代だ。

歴史上、この快楽的繁栄は空前の水準だった。

大都会は、ゴールドラッシュに賑わった。

その中で、人類が最も失ってはならないものを失いかけている。

それが母性だ。

No.499

母親は親元を離れた息子や娘を遠くから、元気でいてくれることを祈るだけで立派な仕事なのだ。

だから、若者たちはパワーを得る。次第に強くなっていけるのだ。

だから、若者たちは夢とか目標を追い続けることができるのだ。


立派になった若者たちは、ときどき母ちゃんを思い出す。ときどき母ちゃんの声を聞きたくなる。

『母ちゃん、元気か?』
母ちゃんは、必ずこう答える。
『母ちゃんのことは心配いらないよ。ありがとね』

********
4カ月にわたり、暴言を吐き続けた稚拙な文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

日記とはいえ、かなり偏見に満ちた記述内容には、気分を害された方も多かったことと思います。

また、途中で激励くださった方々にも、レスをせず、大変申し訳ありませんでした。

仕事の移動中や就寝前のベッドで執筆したため、意味不明な個所や誤植がたくさんあり、読みにくかったことと思います。

何卒ご容赦くださいますようお願いします。

No.500

(あとがき)

なんとなく毎日が過ぎていく中で、漠然とした空虚感を感じることがあるのではないでしょうか。

正解のない世の中が、自分の自信をグラグラと揺さぶるため、自分の進路とか方向性に確信がもてなくなるのでしょう。


この世のものは、変化し続けていますから、いわば仮の姿でしかないのかもしれません。


私たちは、変化の中で、より適切な道を選ばなければならないと思うのですが、それは歴史がすぎていき、振り返ってみなければ、適切であったかどうかさえわからないのだと思います。

あのとき『ああしておけばよかった』と思っても、時間はどんどん過ぎていきます。

だから、野生の動物たちのように、不思議なカンを大切にして、毎日を過ごしていかなければならないと感じています。

論理的な説明がつかなくても、直感的で本能的な正解が脳裏を横切る感覚を大切にしたらよいのではないでしょうか。


たぶん、理屈や知識に毒された私たちは、素直になりきれない何かを宿してしまったような気がするのです。

それは、見栄かもしれないし、体裁かもしれないし、強がりかもしれませんが『弱さを見せることの大切さ』を考えてみたら、人生が大きく変わるかもしれないですね。


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