誰も見ない月
こんにちは
小説を書いてみようと思います。
はじめてなので下手ではあると思いますが、どうぞ暖かい目で見て頂けたらと思います。
良かったら感想も書いてください。
よろしくお願いします。
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序章
朝が終局を呼ぶ
僕は朝は何かが始まる時だと長い間そう思っていた。
新しい自分に、新しい陽光が降り注ぐ事を、まるで慣例のように考えていた。
もちろん、昨日の太陽が昨日の地球に昇るのだが、
それは宗教と同じように、新しい物だと信じられるべきだと盲信していた。
朝が何かの終わりを呼ぶ事になるなんて
知らなかった
第一章
そこが夢の中だと気がつくのにはずいぶん時間がかかった。
真っ暗で、何もないまさしく漆黒の名がふさわしい場所だった。
手を伸ばしてみる。
何も掴むことは出来ない。
そもそも僕の手は、体はあるんだろうか?
そんな根本に疑問を抱くほどに真っ暗だったのだ。
しかし、その疑問はすぐに解決することになった。
ふと、体の輪郭が視界に姿を現す。
きっと夢の中でも暗いのに目が慣れるんだな、そう思いもう一度周囲に目を凝らした。
駄目だ、何もない。
この空間に浮かんで相当な時間がたった…気がする。
時計が欲しい。そんな物があるはずはないがそれでも何時か知りたかった。
何時になったら目を覚ますのか、頭がおかしくなったのか、あの堕落した学校でさえ愛しい故郷の様に思えてきた。
「もしかして僕は死んだんじゃ…」
ぽつりと呟いた、すると。
「ククク…」
突然暗闇の中に笑い声が響いた。
「誰かいるのか?どこだ!!」
僕は恐怖にある種の希望がいりまじった様な叫び声を上げた。
「ここだよ…」
突如として目の前が粘土の様にせりだした。
「人…か?」
すぐに人影のような物が喋り出した。
「お前は死んじゃいない、死んだのは俺だ」
「お前が殺した…」
発せられた言葉の意味が僕には分からなかった。
「僕がお前を?…どういう意味だ!」
「また来るぜ…」
影はまた元の闇に戻った。
すると、空間に光りが差し込み、闇が掻き消されていく。
それは新たな目覚めというよりは、新たな罪の始まりのように思えた。
第二章
僕は驚くほどに自然に目を覚ました。
朝の慣例のとおりに枕元の時計に目を向ける。
午前6時30分
いつもどおりだ。
僕は目覚ましを使わない、自然とこの時間に目を覚ましてしまうのだ。
「………」
僕は少し気分が悪くなった。あんな夢を見ても、この体は定刻に動き出す。
「まるで…機械のように…」
声に出すと余計にぞわぞわとしてきた。
とりあえず部屋を出て一階に降りた。リビングの隣のキッチンへ行き、冷蔵庫から牛乳を取りだし、コップに注いで飲む。すると、少し気分が落ち着いてきた。
家には父も母もいないようだった。まあ、珍しい事じゃない。
家は共働きなのだが、そこらのそれとは全然違う。
職業的に大幅にハードな共働きだ。
父は医者で、母は雑誌の編集をやっている。たしか、父は昨日は夜勤だったはずだ。母の方は…大方締め切りオーバーで徹夜、といった所だろう。
思考も一段落したところでそろそろ何か食べたくなってきた。
もう一度キッチンに行くと冷蔵庫から、ベーコンと卵、野菜を適当に出してベーコンエッグとサラダを作って食べた。
その後もう一杯牛乳を飲んだ。
歯を磨き、顔を洗って髪を整え、その後で部屋に戻って高校の制服に着替える。
ウチの高校は名門私立というやつで、いろいろ校則は厳しいが、制服のデザインは悪くなかった。特にネクタイは良い。リボンのはずの女子も、教師の目を盗んで着けている程だ。
「何か忘れているような…」
そうだ金魚だ。
僕は箪笥の上の水玉模様の金魚鉢の中にエサをやった。五匹とも元気に泳ぎ回っていた。それを見ると、僕は無駄に思考を巡らし、かなり損をしているな、と思った。
僕は意識的に夢の事を忘れようとしていた。きっとその方がいいと思っていた。
僕はいつもと同じように7時50分に家を出た。
あの不思議な夢以外は昨日と同じように、全てが回っていた。
第三章
外に出て初めて雨が降っている事に気がついた。パラパラと音も無く、静かに、涙のように降っていた。だから家に居る間は分からなかったのだろう。
空に目を移すと、今日は曇が一段と黒く見えた。そのせいで、嫌いじゃない雨も、僕を幾分暗い気持ちにさせた。
僕は何も考えずに、ただただバス停まで歩いていった。傘を挿さなかったので、バス停に着く頃には制服のブレザーの肩は濡れて、少し色が濃く見えていた。
やがてバスがやってきた。時間より少しだけ遅れて。
空いている席に座ると、僕は走っている間外だけを見つめていた。なんとなくそうしていたかった。
黒い空に黒い道路。モノクロの風景が感傷も無く業務的に通り過ぎていく。
駄目だ、色が足りない。
僕は目を閉じて、学校に着くまでずっとそのままにしていた。
閉鎖された瞳の中には際限無く闇が広がっている。その中に色を置いていく、赤青黄色に緑や、金銀、とにかく空間全体に色を置いていく。すると集中した神経は全てを忘れさせてくれる。
今だけは。
そう、今だけだったけれども。
高校に着いたのは8時30分だった。ぎりぎりだったから、沢山の生徒たちが遅刻しまいと懸命に走っていた。
同じ服を着た人間が同じ様に急いでいる様子はよくよく見てみると非常に面白い光景だった。
自分も急ぐべき一人である事を忘れて、無駄な事を考えていたので、案の定僕は遅刻した。しかしそれは時間として遅刻しただけであって結果として遅刻はしなかった。
簡単に言うと僕以上に担任が遅刻していたのだ。それはこの高校においてはとても珍しい事だった。
クラスに教師が存在しない時、生徒はざわつく。
それは学校においての普遍的命題だが、今日は様子がおかしかった。
なんというか、じめじめとして暗かった。丁度今の天気の様に暗かったのだ。
天気と人の気持ちがシンクロしているとでも言うのか、それとも
僕だけが知らない何かを共有しているのか
その時は
分からなかった。
第四章
僕が教室の異様な空気に戸惑っていると、一人の男子生徒が歩み寄ってきた。
「おはよう、冬馬」
「ああ、総一」
僕と総一は軽く挨拶を交わすと、一瞬にして話題は尽きてしまった。
総一はいつもの微笑を浮かべてはいたものの、その茶色がかった瞳には動揺の色がありありと見てとれた。
僕は本当に何かおかしい事が起きている、とやっと分かった。
総一は感情を表に出さないタイプの男だった。(それはクールで冷たいという意味ではなくて、常に笑みを崩さないという意味でだが…)
総一はいつも相手の事を考えていた。だからその微笑が彼の顔から消えた事は、僕の知る限りでは一度もなかった。
きっと怒りたい時も、泣きたい時もあっただろうが、常に周囲に笑いかけていたのだ。本気と愛想の見分けがつかないほどの笑顔を。
その総一が動揺するというのは何より重大だと僕は直感した。
「………………」
五分程、無言が流れていた。総一と違って大した人格者でもない僕は、いよいよその重苦しい空気に耐えられなくなって、ちらちらと苦し紛れに周囲を見回した。
そうだ、司がいない。
「総一、司は?、学校来てないのか?」
僕は何気無くそう言った。この空気を何とかしたいと思って言った筈だった。
しかし、この策略は逆効果になった。周りの生徒たちも、いつのまにか静まりかえってしまっていた。
総一には少し迷いが見られた、視線がぼんやりと動いている。
総一は、定めたように少し目線を下に向けると、ゆっくりと語りだした。
「今朝、司が自殺したらしい…」
第五章
僕には総一の言った事の意味を了解する術が無かった。
「…僕の聞き間違いかもしれない…もう一度言ってくれ」
僕は総一の言葉が奇跡の間違いである事を祈った。そんな筈なかったのに。
総一は何を考えているのか分からない、仮面の様な表情で繰り返した。
「冬馬…司が死んだんだよ…」
「…自殺したんだ」
「どうしてだよ!どうして司が死ななきゃいけないんだよ!!」
僕は総一に怒鳴った。それが見当違いの感情である事は分かっていたが、そうせざるを得なかった、そうしなければいけなかった。
総一はその瞳に沈痛の色を浮かべながらすまなそうに口を開いた。
「…それが、分からないんだ…誰にも相談してなかったみたいだ」
総一は嘘をつく奴じゃない。総一が言えばそれは本当なんだ…
「………」
言う事がなくなった僕はうなだれて黙り込んだ。そして
行き場を無くした怒りと悲しみは総一に向かった。
「お前、どうして平気なんだよ?、司が自殺したのに…お前、どうしていつもそうなんだよ!!」
僕は気づかぬうちに総一の制服の襟を掴み上げていた。殴りかかりそうな程、僕は理性を失っていた。
それでも総一は怒りも悲しみも、そして恐怖も見せる事無く、ただ真っ直ぐに混沌としていたであろう僕の目を見つめた。
総一の視線は一瞬に理性を僕の中心に押し戻した。
僕は必要性の無い怒りを総一に向けた事を恥ずかしく思い、手を襟から離すと、すぐに目をそらした。
そうして、初めて総一は自分の思いを諭すように語り始めた。
「僕だって、悲しいし悔しいし何でだって…思ってるよ…でも、司は死んじゃったんだよ、それは変わらない」
「………悪い…」
僕はうつ向いたまま一言だけ、ぼそりとそう呟いた。
総一はいつもの精巧な作り物の様な微笑を浮かべていた。
でも、僕はその表情に微かな不信を持っていた、そんな気がする。
そして僕は、誰にも気取られないように、あの夢の中の影の事を考えていた。
第六章
普段から15分遅れて担任の宮内先生が教室に入って来た。
宮内先生は僕が思っていたよりも、事を冷静に受け止めている様だったが、そんな筈はなかった。
宮内先生はサッカー部の顧問で、1年の時から司令塔ととして非凡な才能を見せていた司には、かなり期待していたのだ。
きっと生徒に動揺を隠そうと、必死に耐えているのだろう。
それと対比して、僕には先ほどの総一がとても冷たい人間に思えた。
教壇に立つと、宮内先生は深呼吸をしてから話し始めた。
「…皆、知っていると思うけど、今朝…司が自殺した」
その言葉を聞く度に、僕はずきずきとした頭痛を覚えた。
「一時間目は全校集会に変更になったから、すぐに体育館に移動してくれ」
僕は先生に聞きたい事があった。先生と一緒に生徒たちの最後尾を歩き、それとなく聞いてみる事にした。
「宮内先生」
「冬馬か…お前は司と仲が良かったから、辛いだろう…」
「先生、聞きたい事があるんですが」
「何だ?」
「どうして、こんなにすぐに自殺の話が生徒に広まったんですか?」
今朝の自殺がすぐに生徒に知れているというのはどう考えてもおかしな話だった。先生ももっともな質問だ、という様な顔をして答えてくれた。
「ああ、学校側は司の母親からの連絡で分かったんだが、司は前日にサッカー部の後輩とか、親しい友達にはメールを送っていたようだ」
メール?いったいどういう事なんだ?
先生は、はっと気づいたように
「冬馬?、お前の所にも行ってるだろ?」
と言った。僕はその一言に大きく混乱した。
「え?ええ、ただ本気だとは思わなかったし…それに、疑問だったのは、彼がそんなに沢山の人に同じ様なメールを送っていたのか、という事だったので…」
べらべらと喋り倒し、何とかごまかした。しかし僕は、正直に言うと、司の自殺を聞いた時よりも大きなショックを受けていた。
そんなに周りの人間に話していたのに…どうして僕には一言も無かった?どうして…
(…司、僕とお前は親友じゃなかったのかよ……)
心の中でそう呟くと、氷の様に冷たい孤独の波が、反響する言葉の後に流れて行った。
第七章
全校集会での校長の話ときたら、僕にはとても耐えられない代物だった。
大変悲しい事だ、とか残念でならない、なんてこれっぽっち思ってないくせに。
僕は許されるのなら、あのハゲ頭の校長の顔面に膝蹴りを入れてやりたかった。でもそれはできない。友人の死に、僕は世間体を、理性を捨てられなかった。
それくらいつまらなくて、利口な人間だったのだから。
だから、僕は昼休みになっていつもの如く昼食を食べる。
でも、いつもとは一つだけ違っていた。
もう、司は僕の隣にはいない。総一しかいない。その事を明確に思い知らされる。
総一は弁当を食べていた。総一も僕の所と同じ様な共働きだったから、誰が作っているのかが気になり、聞いてみた事があった。
そうしたら、自分で毎朝栄養バランスまで考えて作るらしい。しかも家族の分までときている。とてもじゃないが僕にはそんな面倒な事をする気力は無いし技術もない。
そうゆう関係によって、僕は明らかに栄養バランスの悪い変なパンを食べている訳だ。
「あの校長、むかつくな。司の事なんかなんも知らないくせに」
僕は本当に嫌悪感を持って総一に愚痴った。総一は卵焼きを一切れ口に入れ、それをじっくりと味わってから
「ねえ、冬馬?僕たちには、司の何が分かってたんだろうね?」
そう噛み締めるように言った。
僕の思考は落雷を受けたように、一度リセットした。そしてしばらく時間を置いてから、やっと
僕は司の事をなんにも知らなかったんだな。ただ、何でも知っている気になっていただけなんだって
そう理解した。
ふと、総一の方を見やった。総一はさっきと同じように弁当を食べていた。
もしかして、あの言葉は自分は司の事を知っていた。そうゆう優越的な意味だったんじゃないか、そんな歪んだ思考が次々に頭に浮かんできた。
そして確信に辿りついた。
総一は、司の自殺を知っていたんだろうか。メールを貰っていたんだろうか?
その疑問点まで辿りついてしまった。
しかし、駄目だった。どうしても聞けなかった。
もし、知っていた。そう言われたら、僕は本当に独りになってしまう。
そんな気がしてならなかったから。
感想ありがとうございます。
やっぱり現実的な人間味が足りないんですかね?主人公の冬馬は話が進むにつれて、精神的にかなり不安定になります。
もしかしたら、余計に感情移入しずらくなるかもしれませんが、何かを伝えようと思い書いています。ぜひ、最後まで読んでください。
第八章
午後の授業は全く頭に入らなかった。どうせ今の状況では入れる気もなかったのは確かだが、もっと考えるべき事がある気がしていたのだ。
あの夢、今朝の不思議な夢だ。あれは司の死とは無関係なのだろうか。
多分、昨日までの僕は聞く耳持たなかっただろう。しかし、こうして自身が主体となると、死者が夢に出てきて話をする。そんなオカルトが妙な現実味を持って頭を押さえ付けてくる。
放課後になると、僕は部活にも入っていないので、すぐに帰った。
雨は既に上がっていて、今朝はよく見えなかった大槻山が夕日を山裾に受け、いつもとは比べ物にならないくらいに美しく映えていた。
ふと、僕は歩いて家に帰ろうと思い立った。歩けば40分ぐらいはかかってしまうが、多分僕はそうしたかっただろうし、歩く必要もあったんだろうと思った。
歩いているといろいろな人に会う。買い物をする主婦や、学校から帰る子供たち。それでも、
僕はこの瞬間に独りなんだ
そう実感する。
悲観ではない。むしろ個である事の再認識だった。
きっと一人である事は大切な事の一つなんだろう。
僕は、この世の中に生きている、その事実と充足を噛み締めながらただ一心に家に向かって歩いた。
僕は学校から帰る途中に何かを思考するだろう。そんな予感の元に歩いていたが、家の前に着いた時、僕の脳内は驚くほどに単純だった。
そこに残っていたのは死ぬ事の不可思議、ただそれのみだった。
第九章
家には灯りがともっていた。それを見ると何か慰められるような気分になった。
玄関の扉を開けると、ほぼ同時に父と母の声がした。
「おかえり」
僕は少し間を置いて、普段の声色を繕ってから
「ただいま」
と言った。
この時間に父と母が揃っているのは珍しかった。
「腹減ってないか?簡単な物だったら、すぐ作れるぞ」
立ち上がりながら父が言った。
父は一人暮らしが長かったせいか、料理好きで、暇さえあれば自分で作って自分で楽しむという男としては変わった習性を持っていた。僕は珍しく思い
「男なのに料理が好きなんて変なの」
と子供の頃よく言っていた。すると
「でもレストランのコックさんは皆男じゃないか」
と言って父は決まって微笑みを返すのだった。
「いや、今日はお腹空いてないからいいよ」
僕は意気揚々と袖をまくる父の姿を見て焦ってそう声をかけると、もう作る気でキッチンに立っていた父はしょんぼりとうなだれてしまった。
僕はその父の様子に気づかないふりをした。こういうのに付き合っているときりがない。
「ねえ、学校で何かあったの?」
ふと、母がそう言った時、僕は魔法をかけられた様な気がした。
顔には出していないつもりだったが、やはり親というのは子の秘密に対しては特別の勘を持っている物なのだろう。
僕は一瞬、司について残らず全て話してしまいたい衝動に駆られたが、
「…いや別に、何も無かったよ」
と平然を装い答えた。
別に何かを隠したい訳じゃない。ただ、自分も理解していない事を人に話すべきではないと思っただけだった。
僕は階段を登り、自分の部屋に入った。
きっと奴は今日も夢に出るだろう。
そんな根拠の無い予感がしていた。
第十章
部屋の明かりをつけると、朝とは何も変わっていなかった。ただ空が漆黒に染まり、金色の月が浮かぶ事以外には。
窓越しに見る月は二割ほど欠けていた。それを見ると、まるで司というかけがえの無い存在が欠けてしまった自分の心を象徴している様だった。
僕は最初、机に座って読みかけの本に意味も無く視線を落としたりしていたが、一向に進まず、それが今の自分にとって本当の面で意味の無い事だとやっと気づくと、もう明かりを消して寝ようと思った。
どうせ、やる事もやりたい事もなかったのだから。
明かりを消すと、僕はベットのちょうど真向かいにある窓のカーテンを、月が見えるように少し開けた。
すると、ベットに横になった枕から綺麗に月が見えるようになった。きっとその方が司も入って来やすいだろう。
無駄に目の冴えていた僕は、月がカーテンの隙間をすっかり通りすぎるまで眠りにつく事が出来ず、その緩慢な動作を何も考えずにずっと見つめていた。
きっと僕は夢を歓迎すると同時に恐れていたのだろう。
もうこの世にはいない司という存在が口にするであろう何かを。
恐れていたのだ。
第十一章
司は僕を夢の中で待っていた。
やはり漆黒に包まれた空間の中で、死んだ筈の司は、僕を待っていたのだ。
僕は司に言ってやりたい文句が沢山あったし、聞きたい事も山ほどあった。
でも、実際に目の前にすると全部吹っ飛んだ。
「よお、冬馬。遅かったな」
「…司」
名前しか出なかった。
静寂だけが流れていた。ふと、僕はその中で、一つだけ逆流した様にぼそりと口を開いた。
「…司、お前ホントに死んだんだな…」
「ああ、そうだよ…もう、戻れない」
「…命は戻らない」
その言葉を聞くと、
自然に一筋、涙が僕の頬を濡らした。
「…何で!じゃあ何で勝手に死ぬんだよ!」
次の瞬間、僕の拳は確実な手応えを持って司の顔面に当たった。
僕は本気だった。本気で司の行為に感情的だった。そして、多分司も本気だったのだろう。
起き上がり、向き直った司の表情に僕は目を奪われた。
彼は笑っていた、まるで総一の様に。その表情に僕は一時、好感を持った。
そして司は言った。
「…いいか、冬馬…一つだけ覚えておいてくれ」
「…?」
「俺はお前を憎んでいるんだ」
「司が僕を?そんな…そんな筈無い!」
「冬馬、俺は死ぬその瞬間…確かにお前を憎んでいたんだ」
「今はそれだけ、覚えていてくれ…」
司の言っている事が、まるで裏切りのように僕の脳に響いた。
「また来るぜ、その時にはお前にももう少し分かっているさ」
それだけ言い残して、司は帰って行った。
第十二章
一日経った学校では、当然の事ながら司の自殺についてかなり様々な噂が流れていた。
宇宙人の仕業なんて話が出るのだから、この学校の生徒のレベルはたかが知れている。
笑いながら噂話をしている下級生を睨みつけながら、僕は足早に屋上に向かった。
「冬馬、だいぶ分かってきたよ」
屋上には総一が待っていた。
総一はなんというか、「本物を見る目」とでも言うべき勘を持っている。だから噂の解析を頼んでいたのだ。
僕は何でもいいから司について知りたかったのだ。
「総一、司の自殺の理由は何だと思う?」
「多分、部活でのいじめだよ…」
総一は顔をしかめた。
「サッカー部の中村先輩…あ、部長やってる人ね、それと三年数人が停学になってるみたいだ」
「でも、司はクラスじゃ中心だし、いじめられるタイプじゃないだろ」
「司は一年の時からレギュラーだったし、けっこう司のこと嫌いな先輩、いたんじゃないかな」
「でも、全然そんな感じじゃなかったのに…」
僕は自殺前日
「また明日な!」
と言った司の姿を思い出した。
「あいつ、ちょっと強すぎたんじゃないかな…」
総一のその一言が青空と混じって、意味深に響いた。
「あともう一つ、司が自殺した日に送っていたメールなんだけど…」
という事は総一にも送られていなかったんだ、ホッとした。
「無理言ってサッカー部の一年に見せて貰ったんだけど…」
総一が気まずそうな表情を見せた。
「…?、その内容がどうかしたのか?」
「…見れば分かるよ」
そう言うと総一は携帯を取り出して手渡してきた。
「………!」
それを見て、僕は愕然とした。
その長くはない遺書とも言える文章の、最後の一文はこうだった。
お前ら全員人殺しだ
第十三章
授業が全て終わり、帰りの準備をしていると一人の女子生徒が話し掛けてきた。
「冬馬、もう帰るの?」
「優、どうした?」
「今日、一緒に帰らない?道、途中までおんなじでしょ?」
少し、意外だった。
「…ああ、別にいいけど、」
最後に優と一緒に帰ったのは、もう一年位前になる。
昔はちょくちょく一緒に帰っていたが、優と司が付き合い始めてからは、当然そういう事は無くなった。
「ねえ、冬馬」
バス停の前まで来ると優は懇願する様な表情をこちらに向けた。
「…分かってるよ、歩きだろ?」
「うん、アリガと」
優は車酔いがとてつもなく激しく、昔からバスはダメなのだ。
「………………」
並んで歩く二人の間に会話は無い。
最初から分かっていたが、歩き始めると、いよいよ話題が底をついてきた。司の話と笑い話を避ければ、必然的に口数が減ってしまう。
「ねえ、冬馬…」
その中で、いきなり優が口を開く。
「司さ、本当に死んじゃったんだね…」
優は気弱にうつ向いた。
「優…大丈夫か?」
僕が声をかけると、優は無理に笑顔を作りながら言った。
「大丈夫大丈夫!辛いのは冬馬だって一緒なんだから、私だけ泣いてらんないよ~」
「…ゴメンな」
「何で謝るの?」
僕は照れて、笑いながらぼそぼそと言った。
「…なんとなくだよ」
夕焼けがだけが、僕たちを包んでいた。
「あ、そうだ~」
「なんだよ、いきなり」
優が突然、前に見えている大槻山を指差しながら言った。
「久しぶりにさ、秘密の場所、行かない?」
第十四章
「ちょっと冬馬~、急がないと間に合わないじゃん!」
数メートル前を行く優が、さっきから大声で叫んでくる。僕は少し呆れ気味に返事をした。
「分かってるよ!…まったく、無駄に元気だな…」
優はそんな返事など気にする事もなく、どんどん進んで行く。運動不足の僕には、正直楽勝とはいかない。
四人の中では、僕と司が一番付き合いが古かった。物心ついた時から、司は隣にいた。
それから、幼稚園で総一、小学校で優が、大切な「仲間」になった。
大槻山は小さい山、というかむしろ丘なので、大人の足なら15分で山頂に着く。だが「秘密の場所」は何せ秘密なのだから、そんなメジャーな所には無い。
もう少しで山頂という所で、優は突然整備された登山道を外れ、斜面を下り始める。優はどんどん下って行くが、僕は転ぶとカッコ悪いので、幾分注意してその後を進んで行く。
「秘密の場所」は僕たちが小学校三年の時に見つけた場所だ。当時、学校では空前の秘密基地ブームが到来していて、司の提案で、僕らも作ろう!という事になった。それで、丸一日探し回って見つけ出した、汗と涙の結晶なのだ。
下った後はひたすら登りだ、よく小学生の時、毎日来たもんだと当時の自分に感心した。
ふと僕は、最後に来たのは中学卒業記念だったから、もう一年半ぶりになるな、と思った。
「冬馬~はやくはやく!」
優の急かす声に背を押され、最後の斜面を駆け上がる。
「間に合ったね~」
「…ああ、そうだな」
僕たちの秘密は、時の流れに逆らって、何も変わっていなかった。
第十五章
秋の紅葉と夕陽の二つの赤は、その境界をグラデーションの様に曖昧にし、奇跡とも呼べる世界を作り出していた。
「冬馬、やっぱいつ見ても綺麗だね~」
僕の隣で、優がうっとりとぼやけた視線のまま息を洩らす。
「…司にも、もう一度見せてやりたかったな、これ…」
「………うん」
赤の空間に、静寂が流れる。それは、冷たいノスタルジックな過去形だ。
「冬馬~!秘密基地、登ってみようよ!」
街側の崖に面して、ぽっかりとあいた秘密の場所の真ん中には、大きな木がある。それが僕らの基地だ。
司が下手に打ち付けた、少し曲がったはしごを登ると、これまた手作り感抜群の秘密基地があった。
「アハハ、今じゃやっぱ狭いね~」
昔は四人で余裕だった基地は、今は二人で狭いくらいだ。自分たちがどれだけの時間を過ごして来たか、改めて実感させられる。
時はいつも前に進んで行く。それは変わらないのに…
夕陽が、遠くに細い糸の様に見えている海にすっかり沈んでしまうまで、僕と優は何する事もなく、ただ無言で空を見つめていた。
「…司さ、バカだよね…」
優が突然、紡ぎ出すように言う。僕は何も返事をしない。
「ホント、バカ…」
優は…泣いていた。
不思議だった。
きっと、いつもの僕なら、そんな事出来なかっただろうし、優じゃなかったらしなかったんだ。
僕はいつのまにか、優を抱き締めていた。
優は最初は驚いた様に身を硬くしたが、すぐに僕に体を任せてくれた。
「…もう少し、このままでいいかな?」
「……ああ…」
優はひとしきり僕の胸の中で静かに泣いた後、ふと言った。
「冬馬…ゴメンね…」
「…なんで謝るんだよ?」
優は、ゆっくりと僕の腕をほどくと、笑顔で応えた。
「なんとなく…だよ!」
欠けた月を補いあう様に、同じ何かが流れていた。
第十六章
山を降りるのは、けっこう骨だった。
もちろん夜の暗さというのもあったが、何より「なんとなく気まずい」空気が辛かった。優も珍しく、黙って歩いて行く。
しばらく歩いて、住宅街に出た。もう家はすぐ近くだ。
「あたしコッチだから、じゃあまた明日ね」
優は笑ってそう言った途端、すぐに歩き始めたので、僕は急いで背中から声をかけた。
「ちょっと待てよ!もう暗いし、家まで送るよ」
「えっ?い、いいよ~何か悪いし…」
優が社交辞令的に断る。
その時、僕にはなんだか、優を一人にする事がひどく危険に思えた。僕は少しむきになって言う。
「夜の一人はあぶないって、学校でも言ってたろ?それにお前に何かあったら司に呪い殺されるしな」
司の名前を出すのは多少卑怯だが、仕方ない。
優は諦めたのか、ふうっとため息をついて
「じゃあ…お願いします…」
と言った。
夜の住宅地はこれ以上無い程に静かだった。数メートル間隔に続く街灯が、闇に頼りなさげに輝く。
それは幻想の様な物なのなのだろうと、ふと意識によぎる。
その青白い光に照らされた優の横顔は、触ったら崩れてしまいそうな程、脆く見えた。
「もう近くだから、ここまででいいよっ」
優が後ろからいつもの笑顔で言う。
僕は優とすれちがう様に引き返し、反対を向いたまま、
「じゃあな」
とだけ言った。振り向けば、見なくていい物を見てしまう気がした。
「冬馬に励まされたんじゃ、意味ないな…」
優は自分だけに聞こえるよう、ぼそりと呟いた。
第十七章
司の死が発覚してから三日目の朝が訪れていた。
昨日、なぜだか司は現れなかった。
ずいぶんいろいろあった…重く実感する。そんな感覚は悲しみに慣れてしまった為だろうか…もしそうなら、それ自体かなりの悲劇だな、と一人で苦笑をもらした。
制服に着替えながら、起こった事を整理してみる。
まず、夢に何者かが現れ、学校に行くと総一から司の自殺を知らされた…
さらに自殺の前に何人かの、主にサッカー部員にメールが送られていたらしい…
その夜、夢の人物の正体が…司の魂らしい、(あくまで、らしいだが)ということが判明することになる…
司の自殺の原因は…総一のリサーチによるとだが、サッカー部の部長の中村という男が中心となってのいじめだろう…ということだ。
だが、何より一番引っ掛かるのはメールの最後の一文だ。
「全員人殺し…」
ふと口に出してみると、余計に不自然さが際立って感じられる。
司はこんな事を言うような卑屈な…というより卑怯な人間ではないのだ、絶対に。
司という僕の中の人物像を事実に重ねてみると、どうしても行動のつじつまがあわない。
あれこれと悩んでいるうちに大事な事を忘れかけていた。
はっとして時計に視線を向ける。
時間だ、続きは学校で総一と話してみよう。
階段を駆け降り、ドアを開けて外へ出ると、曇一つ無い青空から真っ白な光が降り注いで、歩道に植えられた木々を、まるで自身の生を主張しているかの様に輝かせていた。
今日も「今日」が始まる、そう唄うように…
第十八章
昼休みに職員室に来るよう、宮内先生から呼び出しがかかっていた。
そこには総一と優もいた、そうなればだいたい内容の見当はつく。
「明日、司の葬儀を行う。身内と親しい友人だけということだから、お前たちも行ってくれ」
宮内先生は、まだ立ち直れない様子だった。
職員室を出ると、相談したい事があった僕は、総一と優を屋上に誘った。
青い空と、千切れて流れて行く雲を見上げ、伸びをする。
屋上はただ風が吹くだけで、いい意味で殺風景だ。無駄な遊びが無いというか…とにかく僕が好きな場所の一つだった。
「総一、サッカー部の中村って人に会いたいんだけど…」
僕はおもむろに切り出す。二人の反応は対称的で、総一は理解を、優は疑問をその顔に浮かべていた。
「冬馬、お前の気持ちは分かるけど、止めたほうがいいと僕は思う」
「そうだよ冬馬!司を殺したも同然の奴に会ってどうするの?」
殺した、か…僕は皮肉だなと思った。
僕は静かに、今の自分の思いをただ言葉にした。
「僕は、司が分からない…だから知りたいんだ…それだけだよ」
総一はかなり悩んでいる様だった、二つの波紋が混ざり合う様な、複雑な表情で。
そして答えを出す。
「……分かった」
「ちょっと総一!」
「冬馬がそこまで言うなら、仕方ない…中村先輩の居場所くらいは調べられるよ」
僕は総一が同意してくれた事に、「正解」と言われた様な、優越的な気分になった。優はかなり不満そうだったが。
「ただ、僕もついて行く、それが条件だ。」
「?」
その条件の理由が、自分ではよく分からない。
「冬馬、自分じゃ気づいてないかもしれないけど…」
そこまで言って総一は突然、口を濁した。
「…まあいい、とにかく中村先輩については調べておくから、今日の放課後行ってみよう」
優は当然として、総一が終始、気が進まない様子だった理由が分かるほど、僕は大人ではなかった。
第十九章
教室の窓から見える空は薄曇りだが、油絵の様な異常な立体感を持っていた。校門の前に総一が立っていたが、何故だか、僕は気付かないふりをした。
柄にもなく、緊張しているのか?
自分すら分からない、そんな当たり前にふと気づく。
ふうっ、とため息をつきながら、僕は教室を出た。
「冬馬、遅かったね」
「掃除が長引いてさ…悪い」
形式じみた短い言葉を交わし、歩き始める。
「中村先輩は家から殆んど出てないらしい、これ、住所ね」
淡々と報告する総一の横顔に、僕は感心の目を向けた。
「何、冬馬?」
「お前、そういうの、どうやって仕入れんの?」
それを聞くと、総一はクスリと笑いながら答えた。
「やろうと思えば、けっこう分かるもんなんだよ、本気を出せばね」
答えになってる様な、なってない様な、そんな僕の顔を見て、総一はもう一度笑った。
住所は隣町になっている、ここからはバスで行くことになる。
風景が高速で流れ、不自然に目に映る。
「冬馬、大丈夫?」
「…ああ、」
気持ちが悪い。
気分が、ではない。あんなに中村という男に会おうと決心していたのに、何故だろう?バスが進むにつれて、まるで車酔いのように、会わずに帰りたい、という感情が喉元まで押し寄せてくる。
何かを恐れているのか?いったい何を?
僕はすがる様に、隣に座る総一に話しかけた。
「そういえば、見ず知らずの他人なんだから、追い返されるんじゃないか?」
僕は、会うのは無理だと言って欲しかった。
「知る事が恐くなった?」
予想外の総一の言葉に、僕は手にじわじわと汗が滲むのを感じた。
でも、この言葉が、僕の最後の退路を断ったのだ、もう戻れない。
「知りたいから、ここまで来たんだ、そうだろ?」
「そっか…」
総一は少し、悲しそうな目をした…様な気がした。
「会えるよ、中村先輩は冬馬に会いたがってるからね…」
「何でだよ?」
「彼だって…きっと知りたい、そう思っているから…」
総一はどこか遠くを見ていた。戻れない場所を懐かしむ様に。
第二十章
中村先輩の家は住宅街にある、ごく普通の一軒家だった。
体に緊張が走る、今から司の死の原因に迫ろうというのだ、いやがおうにも興奮が高まって来る。
「本当に、いいんだね?」
総一の最後通告に、僕は自然に首を縦に振る。
何か知らなくても良い事に触れようとしている、それには気づいていた。
そして、総一はそれを止めてくれているのに、僕は…
ピンポーン…
インターホンの聞き慣れた音が、頭痛の様に妙に長く頭に響く。
ガチャ…
ドアの開いた次の瞬間には、中村とおぼしき男が目の前に立っていた。
彼は僕達に視線を送ると、一瞬何か確認出来ない様な驚きをその目に写し、刹那に理解を示した様だった。
表情の動きがひとしきり収まると、彼は家に上がるよう促した。
総一の勘は当たっていた。やっぱり、あいつは何か、他人とは別の物が見えているのだと思った。
僕達は二階にある、彼の部屋に通された。
室内にはベット、机、本棚と一般的な家具の他に、沢山のサッカー選手のポスターが貼ってある。
「それ、凄いだろ?サインも入ってるんだぜ」
彼はポスターの中の一つを指差して言ったが、正直僕にはどう凄いのかさっぱり分からなかったので、適当に相づちを打っておいた。
「まあ、立ってるのも何だから、とりあえず座れよ」
そう言われたので、僕ら二人はベットに並んで座り、彼はそれを見て、何か満足げな顔をした。
彼は机の椅子を引っ張って来て、向かいに座ると、僕らの顔を、指紋認証機が確認する様にじっくりと見つめ、それから納得した様な表情で言った。
「やっぱりそうだ、お前ら、冬馬と総一だろ?」
第二十一章
「僕達を、知ってるんですか?」
「ああ、司からずいぶんお前らの事は聞いてるからな…」
中村は、また覗き込む様に視線を向けた。
「…本当、アイツの話したまんまだな」
しげしげとそう言った途端、中村は声を上げて笑い出した。
「司は、僕達の事をどんな風に?」
僕は好奇心から、そう中村に聞いてみてから、初めて失言に気づいて総一を見た。
気にしていない、というか端から会話自体に興味無し。といった感じだ。いつもと同じ様で、どこか違った様子だった。
「無愛想なのが冬馬。愛想が有るのが総一…だってよ!」
中村はさっきよりも大声で笑い出した。
つられて、僕も堪えるものの表情が歪んでしまう。また総一を見やる。
総一は微笑を浮かべたまま、ただの一言も発しなかった。
おかしい…
本当に彼が総一を死に追い込んだと言うのか?
そうだと言うには、彼は余りに豪快で、堂々とした人間に見えた。
彼が本当に、人を死にたい気分にさせる様な、陰湿ないじめを行ったのだろうか?
「…本当に、あなたが司を…自殺に追いやったんですか?」
僕は核心に迫る。
中村の表情が、ぴくりとうごめき、視線が歪む。
答えが出るには、少しの間があった。
「…さあな」
予期せぬ答えに、僕は一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐに表情を取り繕い、次の言葉を注意深く待った。
「わかんねえよ、そんなの俺にだって。気づいたら、あいつは自殺しちまってたんだから…」
第二十二章
「わからない?」
僕の疑問に、中村は吐き捨てる様に答える。
「だから、俺だってアイツを殺すつもりなんてなかった…当然だろ…」
中村は続ける。
「確かに司はムカつく奴だったよ…アイツが居なかったら、俺がトップ下やれたんだ…」
「司が来た途端、俺は用済み、ボランチにポジションチェンジ…やってられるかよ…」
中村は悔しげな表情を浮かべ、歯噛みした。
僕は出来るだけ平然を装って、彼の言葉を噛み砕いていく。
「…俺は、アイツが部活を辞めてくれれば丸く収まる。そう思って部員全員で……本当に、あんなことになるなんて思わなかったんだよ!」
くだらない…
僕は、中村の責任逃れとしか言い様の無い無様な弁解に、理性が弾け飛んだ。
「…思わなかった?…それで済むのかよ!!!」
僕は力任せに右の拳を中村の顔面にブチ当てる。中村はモロに吹っ飛び、机の脚に衝突した。
「冬馬!止めろ!」
総一の言葉も、脳まで届かない。僕はさらに倒れ込んでいる中村の腹に思いきり蹴りを入れた。ゲホゲホと咳き込む音が、部屋に響いた。
「冬馬!いい加減にしろ!」
「ぐぁっ!?」
僕は、どうやられたのか分からないが、総一にその場でブン投げられた。背中を打ち付け、一瞬息が止まる。
そうして、やっと理性が帰って来た。それでも、自分が間違っているとは微塵も思わなかった。
「…痛ってえ…」
切れた口を気にしながら、中村はのそりと、こちらを睨み据えながら立ち上がった。
「…お前に俺の何が分かんだよ…」
そう言う中村の視線は侮蔑の色で染まっている。僕は何も言い返さない。
「サッカーは俺の全てだった…それをアイツは、司は全否定した!!…俺の全てを!」
「お前の気持ちなんか知りたくもない!司を殺した奴の気持ちなんか…」
「どうせ、お前みたいな中途半端な正義感振りかざしてる奴には一生分かんねえよ」
「僕のどこが中途半端なんだよ!」
中村は静かに嘲笑う様に言った。
「お前は…司を助けらんなかったじゃねえか……」
僕は、彼の侮蔑の意味がやっと分かった。中村は…涙を浮かべていた。
第二十三章
無人のリビングの風景は、僕を夢の中から引き戻した。
瞬間、ドッと疲れの様な気だるい感覚が体を走り回り、思わず僕はソファに腰を降ろした。
静かな夜は、僕の意識をずいぶん優秀な物にした様だった。酷い後悔を、冷静に浸透させて来る。
…何も、知らなかった、分からなかった…
僕は…ただのバカだ…悲しむ資格も無い…
右手を意味無く虚ろに眺める。中村を殴った手…握ったり開いたりすると、消える事のない罪が、ちらちらと光った。
中村は僕たちと何も変わらない。事実に悩み、苦悩し…涙を流していた。
それを、何を理由に僕らは彼を責められるのか?
僕の拳は正義なんかじゃない、汚い自己満足だ。
僕も中村も、総一も優も…誰もが皆同じ
そう…ただ気付かなかった…それだけ。
ドンッ!!!
「僕は、何してんだ…」
僕は目の前のテーブルを思いきり叩いた。
「司…人殺しだって言ったお前の気持ち、今やっと分かったよ」
頬に、一筋の雫が伝い落ちる。
「お前がさ、今夜自殺するかどうかなんて…想像もつかない事悩んでた時…」
「僕はお前に…『また明日な』…なんて言っちまった、それで、お前笑って…」
「…苦しかったろ、司。僕は、そんなお前のかけてくれた優しさにも気づけないで…明日が来る事をバカ正直に信じていた」
自分の中で、歯止めがかかっていた何かが、音を立てて崩れて行く。
「…ハハ、最低だな。カッコわりい…」
「…司、すまない…僕は親友失格だ」
いくら涙を流しても、僕の罪は洗い流せない…
そんな事は分かっていた。
それでも
抑えきれない物も、あった。
第二十四章
僕が泣き崩れてから、母が帰宅するまでにはそれほどの時間はかからなかった。
バタン!
玄関からの音に、僕は反射的に涙を拭った。
「…冬馬、ちょっと降りて来て」
「…分かった」
「座って」
母がダイニングテーブルの椅子を勧める。
テーブルの上には…コーヒーだ。
僕は、母が司の話をするのだろうと一目で感づいた。
母は、何か重要な話をする時は、必ずサイフォンでいれたコーヒーを出すのだ。
長くなりそうだった。
「ねえ、冬馬……司君、自殺しちゃったんだってね…」
母はコーヒーを一口飲んだ後に、おもむろに切り出した。
「……うん」
「3、4日前、思い詰めてたのも…それでしょ?」
「いつもと同じフリしてたんだけどな、バレてた?」
僕が冗談じみた顔で言うと、母は笑いながら言った。
「分かるわよ~、これでもアンタの親だからね!…お父さんは知らないけど…」
僕と母の笑い声がダイニングに響く。
「司君も、今みたいに笑ってたでしょ?」
「…?」
「冬馬と司君って、そういうトコ似てるのよね…」
「どういうトコだよ?」
「ギリギリまで一人で頑張っちゃうトコ」
母はまたコーヒーに口をつけた。
「司君の家庭の事情は分かんないけど…冬馬は大人になりすぎちゃったね、私たち親の責任…」
「仕方ないだろ?父さんも母さんも、仕事で忙しかったし…」
「うん…ゴメンね、冬馬…」
「なっ、何だよ急に…」
母の突然の表情に、僕はどぎまぎしてしまう。
「冬馬はさ、一つ勘違いしてると思うの」
「何?…」
「総一君も、優ちゃんも、お父さんも、もちろん私も…」
「一人で頑張んないで、皆を頼っていいんだよ?皆きっとそれを待ってる…」
やられた…
突然、涙が溢れそうになる。思わず、僕は後ろを向いて立ち上がった。
「…そんなの分かってるって、大丈夫だよ、子供じゃないんだから…」
僕は二階に走り去った、涙を見られたくなかった。
強い子でいたかった。
「『大丈夫』か…全然そんな風に見えないよ、冬馬…」
一口も口をつけられていない冬馬のコーヒーを見ながら、母はぼそりと、そう呟いた。
第二十五章
夜だった、確かに夜だった。
部屋に戻ると、中は思いのほか、暗くはなかった。
窓からの月明かりが、一束の氷柱となって挿し込み、全体をおぼろげに照らしている。
僕は部屋の明かりをつけようとはしない、その幻想的な光景に目を奪われているのだ。
ベットに座ると、窓越しに真正面に月が見える。
「…満月に近づいているな…」
意味も無くそう口にすると、ふとある疑問が浮かぶ。
僕は、いったいいつの月と比べてそう思ったんだ?
目を閉じて記憶を辿ると、司の死を知った日の、あの月がありありと瞼の裏に浮かび上がった。
「…そっか」
僕はその時自分が思っていた事を思い出して、思わず苦笑いした。
『この月は、自分の今の心を表している』
僕にはもう、そんな『幻想』は見えない。
……ヘドが出る
『誰も見ない月』
この世界の誰もが観測していない月は、存在していると言えるだろうか?
そんなパラドックスがある。
その証明について、どうこう言うつもりは無い。
ただ……
僕は、そんな逆説が成立しない事を、もう知っている。
『誰も見ない』なんて事は有り得ないのだ。
…ただし、『誰も見ようとしない』限りは。
欠けた月が欠けた自分の心と同じ?
そんなのは、ただのエゴであり、無意味な感傷だった。
もし、あの月に精神的な意味を持たせるのだとしたら…
あの月は…『司自身』だ
あの欠けた漆黒は、司だったのだ。誰にも見えない、司がどんなに
「苦しい、助けてくれ!」
そう叫んでも
誰も…見えない
誰も…
『見ようとはしない』
でも確かに、
司は…そこにいたのに…
月は、そんな思いを巡らせる間にも少しずつ、しかし確実に…満ちていく。
もし、あの月が満月になった時、司という存在が誰にも、本当の意味で見えなくなってしまうなら…
僕らは確かに、司を殺してしまったのだろう…
第二十六章
眩しい…
昨日カーテンを閉めずに寝てしまった様で、日の光が、遮られる事無く降り注いでいる。
まばたきをしながら時計を見やる。11時、もう太陽は南中に近づいていた。
今日は土曜日で学校は休みだ、とりあえずリビングで紅茶を飲んで意識を覚ます。
「…あ、そうだ…」
半分ほど飲んでしまってから、そういえばミルクティーにすれば良かったな…などと思う。
のどかだ…
いろいろ異常…というか普段経験しない様な事が続きすぎて、座ってゆっくりお茶を飲む事が、むしろ特別な行為に感じられてしまう。
カップの中の赤い波紋を見つめると、色々な思いが回る様に思えた。
ピンポーン…
特殊な現実が目の前に旋回してくる。
「宮内先生?」
「冬馬、ちょっと話があってな…お邪魔するよ」
予想外の来客に、僕は一瞬戸惑ったが、訪問の理由はすぐに見当がついた。
「コーヒーでいいですか?」
「ああ、いいよいいよ、おかまいなく」
家庭訪問の様なやりとり、僕はコーヒーと冷蔵庫に入っていた洋梨のタルトを一緒に出した。
「それで、何ですか?」
僕の質問に、先生は気まずそうに言った。
「昨日、お前中村の家に行っただろう?」
やはりそうか…
「…お前の気持ちは、わからないでもないけどな…」
先生は、哀れむ様な目を向けながら言った。
「さすがに、殴ったのはマズかったな…」
予想通り。
多分、中村本人では無く親が学校側に訴えたのだろうと思った。
「停学…ですか?」
僕は恐る恐る尋ねる。
「あっちの言い分はもっともだから…何も無し、とはいかないだろうな」
そう言った後、先生は励ます様に付け加えた。
「大丈夫だ、多分二日か三日の自宅謹慎と、厳重注意で済むだろう…こっちも状況は理解してるつもりだから」
僕は拍子抜けした。
「先生…怒んないんですか?」
先生は冗談じみた顔で言った。
「何言ってんだ、お前?」
先生の瞳から優しさが滲む。
「やるじゃないか、冬馬……教師じゃなかったら、誉めてやりたいくらいさ」
「…すいません」
「…お前は、何も悪くないよ」
人の優しさが、何だか嫌に…痛かった。
第二十七章
部屋に戻った僕は、総一の携帯に電話をかけた。
今なら分かる…
総一に、聞きたい事がある。
短い呼び出し音、すぐに総一の優しい声がして、何だかホッとする。
「冬馬、どうしたの?」
「いや、お前んトコに宮内先生、来なかったか?」
「いや、来てないけど…」
そう聞いて、とりあえずホッとした。僕の失態に、総一を巻き込む事だけはしたくなかったからだ。
「あのさ総一、僕しばらく学校行けないから…さ」
「…そっか」
総一は、僕の言葉の意味を一言で察した様だった。
これで、心置き無く本題に入れる。
「あのさ…総一、どうしても聞いておきたい事があるんだ、いいか?」
「何?、冬馬」
僕は心を決めて…尋ねる。
「総一は、こうなるって分かってたんじゃないか?」
「『こうなる』って?」
「だから、僕が中村を殴る、ってことだよ…」
自分の無神経な行動を思い出し、電話越しに顔を赤らめる。
「……………」
沈黙が流れて行く。僕はその間に平常を取り戻し、総一の言葉を待ち構える。
「…こうなるんじゃないか、とは思ってたよ」
総一は、聞こえない位の声で…しかし確かにそう呟いた。
「…だから、あんな風に止めたんだろ?」
「僕は中村先輩の事も、もちろん冬馬の事も…よく知ってたつもりだから」
「でも、最後には僕の選択を認めた、分かっていても…最後は止めなかった!」
僕は意を決して迫る、総一は何も言わないが…僕が何を聞きたいのか、分かっているはずだ。
そして、真実に辿りつく。
「…同じ様に、知ってたんじゃないか?」
「………」
「司が自殺するって事…総一、お前には…分かっていたんじゃないか?」
電話が切れる。
総一は、結局は何も言わなかった。
でも、冬馬には真実は伝わっているはずだ。
「冬馬、僕は…止めたんだ、出来る限りの手段を使って、君の時とは比べ物にならない程強くね…」
一人で総一は、自分に言い聞かせる様に呟いた。
「でも、司の涙を見た時、…止めちゃ駄目なんだって思った」
「間違っていたんだ、何が何でも止めるべきだった!!」
そしてふと総一は、懐かしむような顔になる。
「…それでもあの時は…」
「親友として…」
「止められなかったんだ…」
総一の泣き叫ぶ声だけが、響いていた。
第二十八章
午後3時…
時間が迫っていた。
宮内先生も総一も、あえて触れなかったのだろうが、昨日連絡された通り、今日…司の通夜が行われる。
司は、なぜ死ななければならなかったのだろう?
誰が?何が?
いけなかったのだろう?
中村が司を追いやったのは確かだ。
だけど、僕はそれを救えなかった。
総一の選択は、ただの見殺しではないのか?
誰に、責任があるのか?
誰が、責任を取るのか?
それは、僕なのか?
責任、責任、責任…
そんな言葉ばかりが、頭の中を飛び回っている。
第一、こんな考え、意味がないんじゃないのか?
もう…何をやっても、誰がどう償っても…
司は帰っては来ない
それは…確かなのだから
僕は一生、死ぬまで後悔し続けるのだろう、取り返しのつかない、司という存在に…
ふとそう思うと、自分のふがい無さにまた、涙が一筋流れた。
僕は…結局最後まで、悩んでいた。
午後5時ちょうどに総一はやって来た。
「冬馬、時間だ…司の家に行こう」
僕は、決意を込めて言った。
「僕は……行かない、いや……行けないよ」
「…どうして?」
総一は、やはり声色を崩さなかった。
「僕には…行く資格が無い…」
「司はさ、冬馬を待ってると思うよ…冬馬に、来て欲しいと思う」
「それでも、僕は行けない…絶対に、司は許してくれないから…絶対に司が帰って来ないのと、同じ様に…」
僕はまた涙が出て来たので、総一から視線をそらし、うつ向いた。
「辛い?…司に会うのが…」
僕は何も言わない。
最後に、総一は詩を詠む様に、こう言った。
「司だってさ…辛かったと思うよ、二度と冬馬に会えない事が…」
バタン!
扉が閉まり、僕だけが空間に取り残される。
それでも、責任を果たすまで、どう果たせばいいのか、分からないけど…
自分なりに責任を取るまで
司には会えないと思った
絶対に…
第二十九章
宮内先生の言った通りに、僕は自宅謹慎という事になった。
僕は、停学では無い事に、何かほっとしていた。
一週間…
僕はずっと、家に閉じ籠っていた。
その間ずっと、携帯の電源は切っておいた。
連絡のつかない事を心配した友人達は、学校が終わると毎日、絶対に開く事の無い家の玄関に向かって
「謹慎なんて気にすんな!」
「早く学校、戻って来いよ!」
そんな温かすぎる言葉をかけては、僕を苦しめて去って行くのだ。
総一と優の姿は…一度も無かった。
両親が帰って来れば、部屋に鍵をかけて、とにかく誰にも会わない様に…そんなつまらない事に、僕は心血を注いでいた。
父と母は、特に何も言わなかった…それが優しさの一つであると気づけないほどに、僕は何か大きな物に押し潰されそうになっていた。
ふと、月を見上げる。
月は、本当にあの空にあるんだろうか?
そんな他愛も無いことに思いを巡らせている。
明日、満月になる…
「…………」
なんとなく
今夜、司が夢に現れる…
そんな気がしていた。
その思いは、夜が深くなるのと比例して、確信に変わって行く。
「誰にも頼れないんだ……誰とも、この罪と苦しみは…分かち合っちゃいけない」
ふと口にしてみた時、確信する。
今夜…自分の中の何かが
『動く』
第三十章
夢が黒い…
それは、僕の中の共通のイメージらしい。
真っ黒の、果てない世界…
僕は一つの決意を持って、その中にいる。
「司…聞いてるか」
おもむろに発した言葉が、虚ろに反響する。
司の姿は見えない、でも
この声は届いているんだ…それだけは信じていられる。
「お前は、僕を憎んでいるって言ったよな…最初は意味が分からなかった…」
「お前の苦しみ…僕には、分かってやれなかったんだ、何でだろうな…」
「親友のお前の事は、何でも知ってるつもりだったのに…ホントは何も知らなかった…それに、いまさら気づいた」
僕は、一人で続ける。
「…お前の笑顔に、いつも助けられてばかりだったよな…その笑顔はお前の本心だと、ずっと思っていた」
涙……涙……涙が止まらない。
「カッコ悪い…泣いてばっかだ…」
拭っても止まらない涙を隠すために、僕は上を向いた。
「でも今は、ちゃんとその理由も、意味も、苦しみも…見えてるつもりなんだ」
声は虚空に吸い込まれ、頼りなく消える。
それでも…
出来る限りの思いと、贖罪を込めて、漆黒の波に音を放っていく。
「最後まで、お前が死ぬその瞬間まで…司、お前は叫んでいたんだろ?…助けてくれって、心の中で」
「それでも、僕はお前を…救えなかった」
「だから…僕を許してくれ、なんて言わない…言えない」
「それでも!」
僕は決然と前を見る。
「僕は…僕なりに、責任を果たしてみせる、もう遅いけど…親友として…」
「…だから、見ていてくれ…」
『司』
第三十一章
朝…それは何かが、始まる時だ。
でも、何かが終わる朝もある。
窓の外にはしとしとと雨が降り、空には薄く灰暗い曇が垂れ込めている。
ふと、僕は金魚を見た。
はっとした。
全て、五匹全てが…浅い水底に横たわり、息絶えていた。
いつから、僕は金魚の世話をしていなかっただろう?
そんな事を思い出せないほどに、僕はひとりよがりに、自分の事ばかり考えていたのだ。
この金魚たちも、司と同じ様に、助けを呼んでいたはずだ。
「…ごめんな」
僕は、五匹の金魚をビニール袋に入れて、そっと…鞄にしまった。
僕は導かれる様に準備を始めた。
それは、全てを終わらせる準備であり、責任を果たす準備でもある。
鞄にロープと金魚、そして封筒と便箋を入れた。
これしかない…
僕は自分に言い聞かせる。
もう迷いは無い。
「総一、優…ごめん…」
雨の中に、僕は自分を放り出す。
僕は傘もささずに、体を引きずる様にしてゆっくりと、歩く。
僕たちの『秘密の場所』へと向かって…
雨が全てを濡らしていく…
歩くのが辛い…
体だけでなく心も、どんどん水を吸い、重くなっていく様だ。
秘密の場所へと向かう山道は、まるで真夜中の様に暗くなっている。
生い茂る木々によって、光が遮られているのだ。
僕はその様子の事を、樹の海…樹海と呼ぶのだと思った。
森はひたすらに、僕を拒んでいる。
それでも、僕は道を見失ったりはしない。
四人で駆け回った山…僕たちだけの、大切な思い出…
その意識が、道標になってくれる。
断罪の道標に…
イエス・キリストは、自分を張り付ける十字架を背負い、歩かされたらしい…
それは、どんなにか非情で、残虐な事なのだろう?
そんな事を、僕は虚ろに考えながら、ただ足を動かしていた。
第三十二章
雨の雫の作る不揃いな直線に覆われた秘密の場所は、心なしか余計に寂しく、そして悲しく見えた。
僕は崖の端に腰を降ろすと、ただぼんやりと、眼下に広がる灰色の町を眺めた。
モノクロの町…
まるで、時間が止まってしまっている様だ。
時の流れは…切ないほどに『痛い』
容赦なく、見合わない物を切り捨てていく。
この雨が上がり、世界が生まれ変わった時、何かが消えていく。
世界の色が変わるたび…確実に、何かが
『消えていく』
それは、司であり…
そして僕自身でもある。
僕はずいぶんと長い間、その風景を名残惜しく見ていた。
その視線にどんな意味があるのかは、自分でもわからない。
それでも、その町を見ていたかった。
いつの間にか、もう夜…
雨は上がり、雲が千切れて、月が顔を出している。
ふと、僕は何かを見つけようとして、じっと月を見つめる。
それは、満月…欠ける事無い、完全な月
もし、僕があの月の様であれたら…
司を救えたんだろうか?
司を…守れたんだろうか?
おもむろに立ち上がると、僕は今まで自分の座っていた所に、手で小さな穴を掘る。
僕は鞄から金魚を取り出すと、その穴の中に埋めた。
そのあと、石を五つ拾って来て、祈りを込めながら丁寧に…積んだ。
「…本当にごめんな、こんな墓しか作ってやれなくて…本当に、ごめんなさい…」
森の中に静かに響く声は…微かに、震えていた。
第三十三章
満月は、既に頭上。
僕は、黙って秘密の場所の中心にある木を登り、基地に入った。
この木は、かなり堂々とした姿の木で、ちょっと人が乗ったくらいではびくともしない。
そこから、僕は目の前の一番太い枝に股がり、家から持ってきたロープを取り出した。
僕は…こんな時は、手が震えたり、上手く力が入らなかったりするものだと思っていた。
だけれども、実際には僕はかなり手際良く作業を行い、あっというまにロープの一端はしっかりと枝に結びつけられ、もう一端には輪が出来ていた。
ロープを下に垂らした後、僕は基地の中から椅子を一つ取り出して来て、下に降りた。
………いよいよだ
準備は…全て終わった
僕の前には、ロープと椅子が一つ。
この椅子の上に立ち、ロープに首を通して、椅子を蹴れば……
そんなプロセスを頭の中でなぞると、今度は足がガタガタと震えて動かなくなる。
怖い…恐い…こわい…
さっきまではなんともなかったのに、今はこの体が自分の物じゃ無いみたいに震えが止まらない。
僕自身が…氷の様に、冷たい
自分の体が、死を絶対的に拒絶している…
でも…いまさらやめる事は出来ない。
僕は、自分の意識で本能を捕え、押さえ付ける。
それでも…僕は死ぬしかないんだ……
それがきっと…
もうこの世界にはいない司に対して…
責任を取る…最後の方法だから………
僕は意を決した。もう…迷いは無い。
ゆっくりと椅子に立つと、少し視点が高くなった。
「こんな風に、少し遠くが見えれば…お前を死なせずにすんだのかな………司」
僕がロープを手にしたその時、
「冬馬!!」
第三十四章
森の中から、ゆっくりと影が浮かび上がる。
「…総一、優…」
「冬馬、止めろ…死んじゃだめだ」
総一の声に、僕は首を横に振った。
「総一、ごめん…もう自分で考えて決めた事だから…止めないでくれ」
総一は話し始めた。
「あの日、司も同じ事を言ったよ…僕には、止められなかった」
総一はこっちに歩きながら話し続ける。
「僕はそれが、親友として正しいんだと思っていた…でも、違った」
「誰が死んだって…失うだけで、悲しみしか残らないんだ、今なら分かる」
「だから冬馬…絶対に死んだらだめだ、お前が何て言っても、僕は止める…ひとりよがりでも…絶対に止めてやる」
総一はもうすぐ近くまで来ていた。
総一の表情は…涙、僕が初めて見た涙だった。
僕は、ゆっくりと総一に向かって話し始めた。
「総一…それでも僕は、司を背負っては生きられない…責任を取らなくちゃいけない」
「そんな事をしても司は喜ばない!」
「それでも…これしかもう残ってないから…本当にごめん」
総一はその場にがっくりと崩れ落ちた。
「冬馬…謝るんなら、生きてくれよ…」
そんな懇願の言葉が、森にこだました。
第三十五章
優が突然、早足に歩み寄って来た。
ずんずんと真っ直ぐにこっちに歩いてくるその威圧感に、優が目の前に来ても僕は身じろぎ一つできなかった。
「…ゆ、優?」
優が無言で振り上げた右手だけが、残像の様に頭に焼き付いた。
パーン……
平手打ち、いきなりの平手打ち。
僕は何が何だか分からなくなり、赤ん坊の様な丸い目で優を見た。
いつもは見る事の無い優の表情…怒りの目そして、涙。
「バカぁ!!」
優は泣き崩れ、僕の胸を何度も両手で叩いた。
「もう、誰のせいで司が死んだとか、そんなのどうだっていいの!!」
ふと、優が僕の目をすっと見上げた。
「私は、これ以上…大切な人に消えて欲しくないだけ…だから」
「苦しくても…辛くても…私のために生きてよ……倒れそうになったら私が支えるから…だから」
「冬馬……死なないで…お願いだから……死ぬなんて言わないでよ…」
僕は優と総一を見て初めて、司の死は悲しみしか残さなかったんだという事に気が付いた。
つまり、死んだら絶対にだめだという事に
やっと、気が付いた
第三十六章
僕たち三人は、並んで座り、少しの間その青白く輝く月と、照らされた町を眺めていた。
「なあ、ここに司の墓を作らないか?」
僕が言うと、二人はニコリと笑った。
ここには、司の骨は無い。僕は満月に向かって手を伸ばし、ギュッと握った。
「冬馬、何してるの?」
横からいきなり優が飛び出して来たので、一瞬びっくりした。
「そうだな…秘密かな?」
「???」
優は首を傾げ、それを見て僕はクスリと笑った。
僕は、誰にも見えない透明で儚い月の一欠片を握り締めている。
それは、僕の中で…悲しいけれど司と同じだった。
僕は、二人に分からない様にこっそりと墓に埋めた。
「司、ここならいつでも綺麗な月が見える、特等席だ」
僕は司の墓の前にしゃがんで続けた。
「僕はあの月が輝いている限り、お前を忘れない…絶対に忘れないよ、司……」
「冬馬、帰ろう」
「うん、帰ろ~!」
総一と優が後ろから、優しい声をかける。
「ああ、帰ろう…総一、優」
ありがとう、司……
僕は墓に背を向ける瞬間、心の中で言いそびれた言葉を呟いた。
第三十七章
「ただいま…」
ゆっくりとドアを開ける。
僕は…帰って来た、それは間違ってはいない。
短い廊下を伝って、奥から暖かい光が漏れている。
「おかえり、冬馬」
そこには父と母がいる。優しい顔の…父と母がいる。
「父さん、母さん…心配かけてごめん」
そう言って謝ると、父と母は笑いながら言った。
「心配なんかしてないさ、なあ母さん」
「冬馬はちゃんと帰ってくるって、分かってたからね」
僕は、また涙が出そうになる。でも、それは出そうになっただけ…僕は、笑って言った。
「ありがとう…父さん、母さん」
父と母は、何か良い意味で満足げな表情をした。
「冬馬、腹減ってるだろ?なんか食べるか?」
いつも通り父はそう言いながら、返事も聞かずに腕まくりしてキッチンへ入る。
「うん…久しぶりに、父さんのオムレツが食べたいな」
その声を聞いて、背を向けたまま父は言った。
「そうか、待ってろ、すぐ作ってやるからな!!」
「お父さんたら、本当に楽しそう」
僕の隣に座っている母は、ぼそりと呟いた。
笑顔が溢れている…
それを消したくないと、心から僕は思った。
第三十八章
秘密の場所での事件以来、僕の夢の中には司は現れなくなった。
学校への道は、変わらずに、平凡で優しい風景だ。そう思えるのは、きっと司のお陰だろうと思う。
日常は容赦無く司の記憶を人々から奪っていた。
まるで時間を巻き戻して、司が存在しない時をやり直しているみたいだ。
ふと、空を見上げるとそんな風に思ってしまい、何だか情けなくなる。
だけど、僕は絶対に司を忘れない。
たとえ全ての人々の記憶から、消え去ってしまったとしても。
そうすれば、司が消えることはないのだから。
学校は今日も予定どおりに終わる。失敗する事もない。
空は突き抜ける様に青いのに、僕の心は何か重たい物を背負っている。
ある日の学校の帰り道に、僕は司の家に寄った。
葬式にも行かなかった僕のことを、司の両親は暖かく出迎えてくれる。それは、逆に冷たく感じられた。
司の家での事は、悲しすぎて…思い出したくない。
ただ……僕はそこで、とても大切な物を貰った。
少し色褪せた、「冬馬へ」とだけ書かれた封筒。
司の…遺書だった。
第三十九章
冬馬へ
この手紙がお前の目に触れる事になるのか、今はまだ分からない
あるいは、俺自身の手によって破り捨てられているかもしれない
けれど、お前が見ているのなら、残念ながら俺はもうこの世にはいないんだろうな
最近死ぬって事がちらちらと頭をよぎる
死ぬ事が一番幸せだって、耳元で誰かが囁いているんだ
きっと、死を目前にしたら、俺は俺でなくなってしまう、そんな気がしている
それが、俺は何よりも怖い
だから、今のうちに書いておくんだ
冬馬、俺は多分死ぬ事を一言もお前に言わないと思う
だけど、勘違いしないでほしい
それは、お前が親友だからだ、それ以外の理由は何も無い
だから、お前には俺の死に対して、罪の意識みたいな物を持ってほしくないし、自分を俺を救えなかったふがいない人間だとも思って欲しくないんだ
俺は、死ぬなら自分で決めて死ぬんだ
それだけは違いない
あんまり上手く言えないもんだな
最後に、冬馬…お前は本当にいいヤツだったよ、お前と親友になれて良かった
だから、お前には生きてほしい、俺のぶんまで
司より
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