奴らは今日も生きてる。
初めて日記を書こうと思った。
どうにもならない憤りを吐き出す場所が欲しい。
汚い言葉でも醜い考えでも愚かな思考でも…
飾らずこの胸にある思いを吐き出したい………
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>> 191
続けてすみません💦
もう一つ、主さんにお伝えしたくて…。
レスを読んでる途中途中で、共感する思いや姑に対する怒り、思わず主さんに声を掛け…
ご理解頂き、安心しました。
優しいお気遣い、ありがとうございます。
レスを急ぐのは、極力早く完結させ、長期の閲覧しやすい状態を避けたかったからでもあります。
閉鎖したとしても閲覧は可能ですが、それでも常時観覧状態よりは少なからず防御策になるかと思いまして…。
ですが簡単に急いでレスをするには、辛すぎる現実で、私の気持ちの張りが続かなくなってしまうこともありました。
それで悩んだ挙げ句の打開策でもあります。
まだ読んで頂いて下さる方がいると知り、嬉しくもあり支えにもなります。
本当にありがとうございます。
それでは、新スレを新たに立てさせて頂きます。
新スレは類似したタイトルで、おわかり頂きやすいようにさせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します。
>> 190
続けてすみません💦
もう一つ、主さんにお伝えしたくて…。
レスを読んでる途中途中で、共感する思いや姑に対する怒り、思わず主さんに声を掛けたくてレスしたくなる気持ちでいっぱいでした。
でも、邪魔しちゃいけないし、他に見ている方々にも迷惑だと思い、なるべく控えておりました。
我慢出来ない時もあり、レスした事もありましたが💦
こんな気持ちで読んでる方々も沢山いらっしゃると思います。
なので、新スレを立てられた時も、極力レスしないで居ようと思います。
でも、必ず見てます🍀
たま~にお邪魔しますが💦
それを伝えたかったです。
長々失礼致しました。
寒くなりましたので、体調を崩されない様に…🌷
- << 193 ご理解頂き、安心しました。 優しいお気遣い、ありがとうございます。 レスを急ぐのは、極力早く完結させ、長期の閲覧しやすい状態を避けたかったからでもあります。 閉鎖したとしても閲覧は可能ですが、それでも常時観覧状態よりは少なからず防御策になるかと思いまして…。 ですが簡単に急いでレスをするには、辛すぎる現実で、私の気持ちの張りが続かなくなってしまうこともありました。 それで悩んだ挙げ句の打開策でもあります。 まだ読んで頂いて下さる方がいると知り、嬉しくもあり支えにもなります。 本当にありがとうございます。 それでは、新スレを新たに立てさせて頂きます。 新スレは類似したタイトルで、おわかり頂きやすいようにさせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します。
匿名11様。匿名34様。
現在も、私の日記をご覧いただけていますでしょうか?
お2人が見守っていて下さることで、私は励まされ、この日記を記しています。
実は、大変勝手なお願いで申し訳ないのですが、一旦、ここまでの日記スレを打ち切り、早急に新たな日記スレを立てさせて頂き、そちらでこの後の出来事を記したく思います。
これまで私が日記に記した出来事は、珍しいことではないと思います。
ですが私は家族構成、設定を含め、事実をありのままに記しています。
この後記す出来事は、おそらく誰もが経験する体験ではありません。
なので、その出来事と、これまでの事が同時スレで観覧できてしまうと、私共が特定されかねません。
人に恥ずべき行為は何ら一切しておりません。
ですが、万が一にも姑側の身内や関係者により、子供の生活に影響が出るのは、私にとって不本意です。
以上の理由から、可能な限りの予防策として、スレを2段階に分けさせて頂きたく存じます。
私の申し出をご了解頂けますか?
お2人にご了解頂いたのを確認でき次第、新日記スレのほうを始めさせて頂きたいと思っています。
勝手な都合によるお願いですが、ご理解いただけると幸いです。
主。
私の長年の呪縛の根元だったあの家に関する厄介事は、これでひとまず終止符を打てた…。
舅達からは、相変わらず戻れコールが出ていたが、私にとっては我が家は今あるここの家であり、息子達はここから巣立ち、結婚し…
時には孫やお嫁さんが遊びに来てくれて…
そんな未来図が見え始めていた…。
舅が病んでも姑がいる。
近くには義妹もいる。
私は時々病院に様子を見に行き時々お手伝いをする…。
姑が先に逝って舅だけなら、戻るのも考えないでもない…。
多少おかしいとこはあっても、まだ日本語の通じる人やから。
老いからか、あの人なりに経験から何かを学んだのか…
あの頃よりは考えられないくらい大人しくなっていた姑だったけど、それでも迂闊に戻って子供や孫を巻き込んでまで、二度と失敗はしたくない…。
抗える限り抗って、逃げられる限り逃げて…私と夫は、やがてこの家で生涯を終える…。
それが私の願いだった。
そしてそれが夢ではなく現実に近い形になりつつあった…。
なのに……。
人の人生には、最後の最後まで
何が起きるかわからない…。
神様は…このささやかな望みも許してはくれなかった……。
それからは向こうの家に行って舅達に再同居を迫られても、流せば済んだ。
舅達といる時にその話になると夫は黙り込み何も言えなかった。
代わりに私は
「まだまだ元気やないですか。そんな弱気なこと言わんと、頑張りましょうよ。」
そう言って流した。
その話が出てから家に帰ってもやっぱり夫は何も言わなくなっていた。
それに…
ここに家を建ててやる。
孫の家も建ててやる。
と大盤振る舞いだった舅の話もどういうわけか
家はお前達のじゃなく、俺達が離れに隠居小屋を建てる。になり…
あげくには家は建てんでも家屋を修理して新しくすれば……と
話がどんどん尻つぼみになっていった。
あとで考えてみれば、何千万もあったおじいちゃんの遺産の現金も、豪遊に消え…
義妹の家の建築代に消え…
そのうえ生活費も散々援助していたらしい。
でも当時の私達には、そんなものには全く興味もなく…
建ててくれる筈の豪邸が犬小屋になろうが、鳥カゴになろうが知ったこっちゃなかった。
どうせ戻るはずのない家なんやから…。
その日を境に、夫は戻ると言わなくなった。
私は救世主が現れたように嬉しく思う反面、息子が悪者になってそこまで言わねばならないようにした自分を恥じた。
ほんとなら、こんなことは子供に聞かせる前に、私達夫婦の間で解決しておくべきこと…。
それが出来ない夫と、その夫を直せずに来た自分の不甲斐なさを情けなく思った…。
けれど夫には、私の言葉では伝わらなかっただろう…。
息子に言われたからこそ、気づけた部分もあったのやないか……
言い訳になってしまうけど…そんなふうにも思った。
「違うやろ。お父さん。
爺ちゃんと婆ちゃんは寂しいかも知れん。
だけど、病気なわけじゃない。動けんわけでもない。
近くに子供もいる。
なら、ただ寂しいだけやろ。
その寂しさのために、息子の人生が、どんなに変わるか考えて言ってんのか?
ただ寂しいだけのために、孫に転校させてそばに来いって…
そんな要求のために、コイツに聞くお父さんは違うやろ!
コイツの性格知ってるやろ?
内気で人に神経使って、それで腹痛起こすような息子に…
寂しいから転校してくれって…言ってくる自体がおかしいやろ!
そんなに心配なら、休みのたびにお父さんが行ってやれ!
俺と弟とお母さんを…年寄りのワガママで振り回そうとすなよ!
それを、お父さんが止めんでどうすんのや!…」
涙が出た…。
これまで、あの家のことで、こんなふうに…
こんなふうに立ち上がってくれる人はいなかった…。
あの日、おばあちゃんに巻き付いていた無邪気な息子が…
あの日、この子のために家を出ると決めたこの子が…
私の心の叫びを、そのまま夫にぶつけてくれた…。
夫は何も言わなかった。
何も言えなかった…。
夫の言葉を黙ってきいていた息子達は、じっと黙っていた。
誰もが沈黙していた…。
「どう…?」
夫が次男に聞いた。
この話の流れで最も環境を変えられてしまうのは次男だ…。
私の中には、子供達に知らせたい事実がたくさんあったけど、それを今言ってしまえば、子供達の判断は偏る…。
その挙げ句の答えでは夫は納得できないだろう…。
複雑な思いを抱えたまま、私はじっと子供達を見ていた…。
そのとき、下を向いて黙り続けていた次男が、絞り出すような声で言った。
「俺は………いやだ…。」
うつむいたその目からは涙がポロポロ落ちていた…。
私はたまらず、口をはさもうとした。
でもそれより早く、長男が夫に言った…。
おじいちゃんとおばあちゃんが2人で寂しがっている。
お父さんは長男で、あの家を継ぐ責任がある。
今度中学になる次男の進学を機に、あの家に戻りたい。
お母さんは、お前達の意見を尊重すると言っている。
でも、これは家族の問題だ。
お父さん達だけの気持ちで動くことじゃない。
お前達の本心を聞かせてくれ。
お前達はどう思う…?
という流れで、夫は話を進めた。
静かに、丁寧に、夫は説明していた…。
独りよがりに戻りたいと私に言う時の夫とは違い、父親として提案している夫の説明を聞いていて
もし、これを聞いた息子達が、戻っていいよ。と言ったなら、私は息子達に着いて行くつもりでいた。
それが我が子の望む決断なら…。
子供であっても、孫としてあの人達を見てきたうえでの、この子らの決断なら…私は子供達のいる場所にいる。
それがどこであろうと…。
そう覚悟していた…。
「わかりました…。
じゃあアンタから息子達に聞いて下さい。
アンタの気持ちを、そのまま息子達に話してみて下さい。
私は何も口をはさみません。
それから。私は、あの人らのことを、1度だって息子らに悪く言ったことはありません。
信用できんなら、自分で息子に聞きなさい!」
そう言ってやった。
夫は一瞬ひるんだが、そうしようという事になり、私達は息子達の帰りを待つことにした…。
次男は先に帰り、少しして長男も帰った。
夕飯を終えた後、夫は息子達に切り出した…。
次男が中学に上がるのを機に、舅達から今が戻る最高のチャンスだとの電話があった。
とうとう具体的に時期まで指定してきよった…。
長男は高校やから何の問題もない。次男は転校になるけど、次男だから…まぁそこは我慢してもらえ…だそうだ。
「次男には次男の、こっちで出来た友人がいます。
その子達と一緒に中学に上がるのを、あの子は楽しみにしています。
この多感で難しい時期に、転校なんかさせられません。」
私は電話口でハッキリ言った。
ところが、姑の言葉に感銘を受けた夫は、以前にも増して戻る意志を強くしていた。
なのに私に訴えても相変わらずのれんに腕押し状態。
とうとう夫が怒り出し、険悪な雰囲気の夫婦喧嘩になりそうだった。
「でも、私達だけの気持ちで決めれることでもありませんよ」
私が夫に言う。
「お前が息子らに吹き込んどれば、アイツらかて乗り気にならん筈や。」
夫のその一言で、私の覚悟が決まった。
「今になって考えてみれば…お前は掃除もご飯も…きちんきちんとやってくれて…。
私らが仕事して帰っても、ちゃんとやってくれてあって…
なのに私はアンタに酷い言い方もした…。
なんであんな事を言ってしまんたかと思うと…本当に申し訳なかった…。
この年になって…老いてきて…心細くなって…
お義母さん達も、もう出来んことばかりや…
どうか…戻ってきてくれん?」
あの姑がそう言った…。
その言葉には少なからず報われた。
嘘でもそう言って頭を下げてくれて報われた…。
だけど…遅すぎる。
もう…遅すぎるんよ…。
そして、その言葉や気持ちが、絶対に揺るがないと信じられるほど……私の傷は浅くない…
私にとってあなたは、この先もずっと恐怖の存在でしかないんよ、お義母さん…。
そう思った。
夫は、姑のこの言葉にいたく感激し家に帰ってから、お袋があそこまで言ってくれたのに…と私を責めた。
私は議論しても意味のない夫のその言葉には、返事もしなかった。
「親父とお袋が寂しがってたよ…。」
「そう…。」
「そろそろ町内会に出るのも浮きまくるらしい…。」
「そう…。」
「なんか身体のどこそこが痛いて…」
「そう…。」
全く会話にならないようにした。
かつて同居時代に、夫が私にそうしたように…。
何を言ってもなしのつぶての息子夫婦に、舅達も歯痒かったのだろう。
ある時には姑から、こんなことも言われた…。
その日から、私は真っ向勝負で夫に抗議するのをやめた。
マインドコントロールされてるコイツにつける薬は無い…。
夫が独身なら、そして今までのいきさつがないなら、夫の言い分は理解出来る。
けど私にとっては、並々ならぬ思いを味わって…やっと…やっと手に入れた私達家族の幸せや。
自分の親を思う前に、自分の親のしてきたことを、ちゃんと自覚してほしい…。
あの人らにとって、いい息子であることが、私達家族にとっては無責任で最悪な父親であり夫になるということに気づいて欲しい…。
そんな思いは昔っから訴えていたけど、この人には届かない…。
それなら…と私は逆に何も言わないようにした。
義妹が同居してくれて5年が過ぎ、安心しきっていた私達に、とんでもない話が飛び込んだ。
「やっぱり同居は難しいらしい…。」
そう言いながら夫が続けた。
「もともと自分達の家を建てるために、妹はあそこの家で親父らに世話になりながら頭金を貯めてたらしい。
そんで頭金が貯まったから、敷地内同居も考えたらしいけど、俺がいるしな…
それにやっぱりおばあさんとは難しいらしい…。
だから近くの土地をもらって、そこに家を建てて住むらしいぞ。」
(俺がいる…)だと?
何言うてんねん!?
結局娘でも手に負えん母親や言うことや。
実の娘でもかなわん親と、なんで嫌ってる他人の私が住めんねん!!
しかも近所に小姑付き!?
ほんならあの子は、親におんぶに抱っこで土地もらって、介護は私にお願いね🎵てか!?
そんでアンタも長男やからてか!?
アホか!!
アホか!!!!
開いた口が塞がらず、どこまで人を舐めくさるんやと呆れた。
呆れたけど、夫は長男教信者なので話にはならん…。
こうなったら、私は柱にしがみついても、絶対に!絶対に!!…絶対に!!!
この家から動かんで!!!!
そう固く心に誓った。
下の息子は、人一倍周りに気を遣う性格のせいか…私が何も言わなくても、成長過程の中で舅、特に姑の人柄を読み取っていた。
苦手なタイプの人…。
自ら自分の中で、そう位置付けしていたらしい…。
「お正月に爺ちゃん家に行かないと、お年玉をもらえないぞ~」
夫がそう言っても
「いい。いらない。」
そう言って行きたがらなかった。
高校生くらいの時に
「顔見せてあげなよ。喜ぶよ」
と言うと
「あの人達に…本気でそう思う?」
そう言われてドキッとした事がある…。
舅が言うには、布団に入って寝てたら、隣の部屋からシクシク泣く息子の声が聞こえた…。
どうしたのか聞くと
「家に帰りたくなった…」という
なだめたが泣くばかり…
なので電話をしたと。
舅達にお騒がせしたお詫びを言い、安心して息子を乗せて家に帰った。
そんな事件があった。
帰った息子を、私は何も言わず一緒の布団に入れて寝るまで見守った。
6才の息子は、その時
(当時赤ちゃんだった)弟が、僕がいなくて泣いてないかと思い出して帰りたくなって泣けてしまった
と言っていたが…。
実はその時に、姑から泣き出したのをしこたま怒られて…
こんな夜中になってから、自分達にどんだけ迷惑かけるかを延々と言われ…
そんなやぐい奴は死んでしまえと言われてたことを、親の私達には言わなかった…。
息子から真実を聞いたのは、その20年もあと…。
彼が充分な大人になって…笑い話として話せるようになるまで、私はそれを知らなかった…。
あの時、私がお母ちゃんに言えなかったように…
6才の息子は、それを私に隠したのだろう…。
最近になって、やっと息子達がその理由を話してくれた。
長男は幼い頃に、泊まっていってほしいという舅の頼みを断れず、そして泊まれたら偉いというおだてにものせられて、1度だけ、あの家に1人で泊まると言い出した事があった…。
置いて行くのは嫌でたまらなかったけど、息子の自立のため?
可愛がってくれてる舅もいる…
そんな気持ちから、
だいじょうぶ?と言いながら預けた。
夜中でもいつでも、帰りたくなったらすぐに言いなさい。
すぐに来るから。
そう言って後ろ髪を引かれる思いで置いて来たことがある。
夫には過保護だの親バカだの散々言われたが…。
予想通り、夜中に舅から電話があって、泣き出してしまったから迎えに来てやってくれと電話が来た。
私は喜んで!?すっ飛んで行った。
私は息子達に舅達の悪口や不満を全く聞かさなかった。
それは徹底していた。
私から見てどうであれ、この子達にとっては血の繋がったおじいちゃんとおばあちゃん…。
私が感じてきた思いは私の思い。
でも、この子達が自分自身であの人達と関わり、自分自身で感じていくあの人達への思いに、私の先入観を入れるのは私のエゴだ。
そう思っていたから。
そのため、表面上は息子達のおじいちゃんやおばあちゃんとして接し、夫との義親にまつわる喧嘩も、絶対に子供の前ではしなかった。
それでも何故か子供達は、私の母の時とは違う接し方を舅達にした。
あまり知らない親戚の人の家に行った時のような…そんな態度でいた。
あまり連れて行かなかったせいもある…。
でも、それだけではない私の姉ちゃん家族や、弟家族やお母ちゃんや…自分達の友達の家族とは違う何かを…子供達は、あの家に感じていたのかも知れない…。
義妹が入ってくれたことで、私は何の構えもなく向こうの家に行けるようになった。
と言っても、お年忌やどうにも逃げらんないお正月などの必要最低限の用事にしか行かなかったが…。
行きたくて行ったことは次男の妊娠をおばあちゃん達に知らせに行ったあの1度しかないが
それでも、戻ってこいコールからはもう解放!
寂しい気持ちと老いを全面に出して、泣きつく舅達の言葉に揺らぐ夫と揉める必要もない!
そんな安心感もあり、同じ行くでも私の気の持ちようは全然違っていた。
そうこうして私らが逃げている間に、義妹に子供が生まれた。
おまけに、夫婦2人だけで子供を育てていけないという義妹が、あの家に入る。
そんな吉報が届いた。
私は万歳したいくらい喜んだ。
やった~。これで夫の長男教マインドコントロールも解ける。
あの人らには娘が付いてる。
もう解放された!
私はもう解放された!
自由だ。自由だぁ―――。
努力がやっと報われた気がして本当に嬉しかったのを覚えてる。
やがて義妹も結婚し、あの家には舅夫婦だけになった。
その頃が、戻ってコールの最も酷かった時期。
次男も幼稚園に行きだし、子育ても楽になり…私達には経済的にも少し楽になった時期だった…。
貯金はわずかずつしか出来なかったけど、払いの滞ることも無くなった光熱費。
長男には、幼なじみから親友になった友達ができ、温厚な次男には多くの友達ができ、楽しんで幼稚園に行っていた。
私もパート休みには、昔のママ友が今では何でも話せる親友になり、彼女達とランチに行ったりする…。
夫は休日になると義兄ちゃんや私の弟や会社の友達とのゴルフを楽しみ…
そんな充実した毎日が家族の中に出来上がっていて、我が家には穏やかで平和な時が流れていた。
やっとここまで頑張って来たのに…何が悲しくて地獄の館に戻らないかんのや!!
跡取り長男やから…
そんな理由で、私らのこれまでをチャラにされてたまるか!!!
そう思った。
「俺は跡取りやから…」
「知ってるわ!知ってて出てきたんやないの!」
「でも、親父達も年やから…」
「何が年や!あんなに元気に動いてるやないの!娘かて、まだいるやないの!
そんなとこに今もどるくらいなら、貧乏して歯を食いしばってまで、ここでやってこんわ!」
こんな調子の喧嘩は何十回となく繰り返した。
私は悔しさや、された仕打ちを忘れた夫に、なんでわからんの!と腹が立ち。
夫は親であるが故に、泣きついてくるあの人らを見るのが辛かったのだと思う。
この敷地の隣に、お前達のでっかい家を建ててやるから戻ってこんか?
孫にはあの土地とこの土地に家を建てよう。だから戻ってこんか?
俺らも、もう年や…近所の付き合いも、この年寄りでは恥ずかしい…
戻ってきてくれんか?
事あるごとに言われた。
そしてそのたびに私達夫婦は喧嘩になった…。
遺産相続で豪遊三昧をしてた姑達にも、世代交代の波は来る。
地域の町内会には、息子夫婦が代替わりして出だす家庭が増え、まだまだ現役だと自分達が思いたくても、周囲の環境が世代交代を始めていく…。
60を超え65を超え…若い世代に囲まれての地域付き合いに、次第に舅達は引け目を感じ出す。
近所の人は、当然おじいちゃんの亡くなった経緯も知ってたし、元々の姑の人柄も知っていた。
もともと近所同士で結婚したり身内が近所に集まる田舎の土地には、叔母や叔父達からの話を聞いている人もたくさんいた。
だから私達が出て行ったのも無理はないと思っていた人が殆どだった。
そんな中で世代交代を目の当たりにした舅達は、引け目と近所の目を気にしてか…この頃になると再三私達に戻る話を持ちかけるようになった。
「電話せえな、お義母さんに」
夫にそう言った。
夫も、これほどまでとは思ってなかったのか、驚き慌てて姑に電話していた。
「そんなん酷かったとは思わんかったわぁ~。お父さん何も言わんからぁ~。
アレに頼むでええて言うて~。私らに行ってこい行ってこい言うからなぁ~…」
アレとは、もちろん私のこと。
子供おぶって、必死で入院の着替えやら手続きやらをしてる私のこと…。
電話が終わって病室に行ったらコルセットをはめられて身動きとれん状態で
「お母さんらを責めたらイカンぞ。俺が行け言うたんやから、責めたらイカンぞ…」
と夫に懇願する舅…。
やっとれんわ…バカ家族…。
完全看護だと聞いた看護士さんに事情を説明してから、私は夫を引き連れてサッサと病院を後にした。
自分の親がされてた仕打ちにもアンタは見てみぬフリをし続けて…許し続けて…
そのあげくに出来上がった妻と娘にされる仕打ちなら、アンタも本望やろ…。
そう言ってやりたかった。
いざ病院へ連れて行こうと思っても、やらせてみたら舅は全く動けない…。
よくこんな状態で放置してたな…。
姑と義妹に対して、そう思わずにはいられなかった。
幸い、夫の車がワゴン車だったので、後部のドアを開けておき、布団ごと2人で舅を運んだ。
背中に子供をおぶりながらの必死な作業だった。
病院に着いて診察を受けると、
腰の骨にはヒビ。肋骨や骨盤辺りの骨にも骨折やヒビがあった。
当然のごとく緊急入院で絶対安静となった。
朝は食べさせて行くから、作るのはその日1日分だけでいいし、翌日分はパンか何か買っといてくれれば自分で食べるから。
義妹にそう聞いていたので、向こうの家には長男を幼稚園に行かせてから10時頃に行った。
どうせ夫は即戦力にはならないだろうと…次男をおんぶ紐で背負って、ミルクとオムツを持って。
家に着き、部屋(かつて私達の部屋だったあの部屋)に入ると、舅は布団に寝ていた。
聞くと、落ちた時に腰を強く打ち、痛みで動けないのだと言う…。
布団の脇には尿瓶が置いてあった。
「お義父さん…トイレにいけないほど痛いの?」
私がそう言うと
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。悪かったなぁ~。」と舅は言う…。
「だって…少し前からこの状態だったんでしょう?
お義母さんも〇〇ちゃん(義妹)も、病院に行こうって言わなかったの?」
2人を責めたように聞こえたのか舅は
「いや俺が…いいって言ったから…俺が…」
と言った。
その後しばらく舅の様子や動きや表情を見ていて
これは…寝てて治るレベルじゃないな…
そう思った私は、夫を促して舅を病院に連れて行くことにした。
あの頃には、こんなこともあった…。
ある時、義妹から夫に電話が入った。
義妹の言った内容をかいつまんで言うと…
2、3日前に、舅が家のハシゴから落ちて怪我をした。
医者嫌いな舅は病院を嫌い、ずっと家で寝ているのだがまだ痛みがある…。
ところが、こんな事態になるとは思いもせず、母との旅行を申し込んでしまってあり、キャンセル料が発生する…。
申し訳ないが、父の食事だけ作りに来てくれないか…。
とのこと…。
それを私に頼む夫に、私は即座にキャンセル料云々じゃなく止めるべきだと抗議した。
ところが夫は不機嫌になるだけで話にならない…。
後から思えば
「知るか!!」
その一言で私がほおっておけば良かった話…。
けれどこちらの家では申し分ない夫…
息子達を可愛がってくれる舅にも、それなりに義理もある…
その日はたまたま夫の休み…
そんな偶然や弱気が重なり、バカ正直に引き受けてしまった…。
今週はイギリス。来週はアメリカと、大統領なみのスケジュールで豪遊していた姑からは…
ナイアガラの滝が素晴らしかった。
万里の長城はすごかった…
あるいは、こんな宝石を買ったとの自慢話を、お年忌のたびに聞かされた。
当時の私達は、まだ子供が幼くて私がパートに行くのも無理だったため苦しい生活をしていた。
時には電気代の支払いが遅れたり、家計簿を眺めては、今月どうしよう…と悩む生活をしている私には、正直…姑の豪遊話が妬ましかった…。
旅行や宝石には全く惹かれなかった。
おじいちゃんにあんな思いをさせたあげくのお金での豪遊なら私には出来ない…。
したいとも思わない。
でもその1回の旅行分で、家なら2ヶ月生活できる…。
そんな妬ましい思いが…正直私にはあった…。
だけど私の家には笑顔がある…。
家族が健康で笑って暮らせる…。
それが私の宝物。
姑の自慢話を聞くたびに勘に障ったが、私はいつもそう思い直し
私達らしくあろう。
日常の幸せに感謝できる私達らしい家族でいよう。
心の中でそう誓っていた…。
夫の実家は、もともと代々続いていた農業家系で夫が初めて農業を継がないサラリーマンだった。
当時はバブル期で、畑を1枚売れば相当な金額になった。
現に宅地など建っている自宅の周りしかなく、後は離れた場所に点々とある畑…。
そんな状態だったおじいちゃんの土地家屋財産は相続税だけでも5、6千万もしたと聞いている。
点在している畑の1つを叔父達に分け与え、何百万かの現金を相続分として叔母達に分けた舅達は、残った畑や土地を全て相続し、そのうちの畑の一部を売却した。
その時の売却金額は1億。それで相続税を支払ったと舅から聞いている。
相続税を支払い、現金を手にした姑は、当時独身貴族を謳歌していた娘と海外旅行に行き尽くし…宝石やブランド物を買いあさる生活を繰り返した…。
舅以外の子供は来ないおじいちゃんの四十九日を終え、一周忌を終え…
そして七回忌を済ませた後、私は向こうの家に全く行かなくなった。
もう、行く必要はない。
私達には、こちらでの生活が出来上がっていた…。
あの日、どさくさに紛れて勢いで決めたこの家だけど…私にとっては本当の我が家で、子供達には産まれ育った愛する家だ…。
子供の友達の中でも1番ボロくて小さな家だったけど…何故かみんなが集まった。
この家が好き🎵
絶対に引っ越さんといて!!
田舎のおばあちゃん家みたいに初めて来たのに落ち着く🎵
くる人みんながそう言ってくれた家だった。
特に子供の友達達には絶大の人気があり…
もう1つの我が家だと、みんなが名付けてくれていた。
その家の中でも1番陽が当たり、みんなが集まる部屋には、おじいちゃんとおばあちゃんの写真があった。
毎朝お水を変えて、2人と一緒にみんなと笑って、子供達を育ててきた…。
写真の中のおじいちゃんとおばあちゃんは、たくさんの子供達の声を聞きながら、いつも嬉しそうに笑っていた…。
でも叔父や叔母達の求めたものは、おじいちゃん達の無念を晴らすことじゃなく……土地と金銭の財産分けだった…。
弱みのある舅達は、苦渋の決断で承諾し、叔父や叔母達は、それぞれに土地や金銭を分け与えられた。
更に舅達に、二度とこの家に足を踏み入れないと約束させられ、叔父達はそれを納得した。
おじいちゃん…
おばあちゃん…
あなた達が一生懸命育ててきた子供達は…
いったい何を学んで生きてきたのでしょう…。
お金は大切だけど…
生きて行くには必要だけど…
それよりもっと大事なものが、あると信じたい…。
この時の私は、そう思わずにはいられなかった…。
もともと、険悪な状態だった舅とその兄弟は
おじいちゃんの亡くなり方もあり…その後揉めに揉めた。
叔父達は嫁である姑のこれまでの仕打ちに激怒し、遺産相続に異議を訴えた。
おじいちゃんが亡くなる前に、相続権のある兄弟から異議が出るだろうと考えた舅が、おじいちゃんの実印を勝手に持ち出し、承諾無しに姑をおじいちゃんの養女にしていたのだそうだ…。
そうすれば姑には、おじいちゃんの子供として財産権が貰える。
それを父親の死後初めて知った叔父達が怒るのは当たり前だろう…。
叔母は、何度も何度も舅達への不満を私に電話してきた…。
叔母達が裁判を起こすつもりなら、私はいつでも証人になるつもりでいた。
おじいちゃんがされた仕打ち。
あの人が今まで何をしてきたか
それを明らかに出来るなら、私は喜んで証言する。
そう思っていた。
「おっきジイジは、なんで死んじゃったの?」
上の息子に聞かれた。
「ご病気だったんよ…。」
「ふうん……おっきバアバのとこにいっちゃったの?」
「そうだよ。おっきバアバと2人で、お空の上から見てくれてるよ…。」
「ほんと?」
そう言って、息子は空に手を振った。
「おっきバアバ~。おっきジイジ~。ここだよ~」
見てる…?ここだよ…。
おじいちゃん…。おばあちゃん…。
なんでだろうね…。
なんでいい人が先に逝かんとならんのやろうね…。
なんであの人らは、のうのうと生きてるんやろうね…。
なんでやろうね…。
なんでやろうね…。
放心状態で私達は暫くそこにいた…。
「ほんっとに恥さらしな真似してくれて!!…近所からの、いい笑いもんや!!」
姑が罵り続けていた…。
フラフラと立ち上がって…私はおじいちゃんの寝ている部屋に行った…。
寝ているおじいちゃんの横に座って、改めておじいちゃんを見た…。
不思議と涙は出なかった…。
代わりに、
(やっと…やっと…楽になれたね…おじいちゃん…。)
心の中で言葉をかけた…。
おじいちゃんが亡くなった。
叔父の奥さんから連絡を受けた私と夫は、慌てて母に連絡し、母に子供をお願いして向こうに向かった。
その日はちょうどお祭りで、走る車の後ろの窓には町内の打ち合わせ花火が上がっていた…。
おじいちゃんは、綺麗なお布団に寝かされて安らかに眠っていた…。
「どうして……。」
立ち尽くす私の声に、周囲にいた叔父も、叔母も舅も…近所の人も…誰一人答えてくれなかった…。
亡くなり方を知らなかった私は夢中で近くにいた叔父の奥さんに聞いた。
「ねえ!!どうして?何があったの?怪我?どうして!!」
奥さんが慌てて首を横に振りながら、口元に指を立てて
言ってはダメ。の合図をした…。
「どういうこと……?」
そのとき
「ちょっと…」と夫の呼ぶ声がした。
呼ばれた部屋には姑と義妹がいて、姑は忙しそうにタンスから何かを探していた。
「なんで……?」
夫が聞くと義妹が黙ったまま、手で首を吊る仕草をした…。
(そんな…………。)
驚愕とともに、私には2日前のおじいちゃんの言葉が蘇った…。
あの時……おじいちゃんは…覚悟してた…。
なのに私は……
私は……
気休めしか言ってあげられなかった……。
私は……
最後に私に救いを求めてくれたおじいちゃんを……
おじいちゃんを……
助けられなかった……。
ご覧になって下さっている方々へ。
ありがとうございます。
今現在ある私の姿は、正解だったのか間違いなのか、私にはわかりません。
これから見続けて下さっていく中で、不快な思いや苦しい思いをされたらすみません。
どうぞその時は、皆さんが、もう嫌な思いや辛い思いをされないように観覧をお止め下さるか、ご判断次第では削除なさって下さい。
それも受け入れる覚悟で書いています。
そのうえで、可能な限り、ありのままを記し続けさせていただきます。
いつまで書き続けられるかわかりませんが、よろしければ…私の人生の生き様に、お付き合い下さい。
すみません。
書いているうちに、とても、胸が苦しくなってしまいます。
少し、レスが遅れると思います。
どうかお許し下さい。
おじいちゃんとおばあちゃんの生きた証を知ってもらうために。
そして思いもよらない出来事に流されて、それでも今、頑張って生きてる自分のために、書こうと決めた日記です。
書ける限り、事実をありのままに書きます。
でも、思い出すのが辛すぎて、苦しくもなります。
少し待っていて下さい。
ご迷惑をかけて申し訳ありません。
その言葉で、私は思った以上に過酷なおじいちゃんの状況を知った…。
私は何の具体策も思いつかず、ただ、おじいちゃんの手を握って泣いていた。
「来るから…もっと来るから…おじいちゃん…泣かんで…おじいちゃん…」
そんなことを言ったのを覚えてる…。
「いつか…お前達が、この家に戻ってくれたら…その時は…父ちゃん達と仲良うやれよ……。」
「いやや!おじいちゃんがおらんなら、戻る筈ない!…そんなん言わんで!
わたし…強くなるから…頑張るから……おじいちゃんも頑張ろう…」
これ以上頑張れるはずないのに…
私はそう言った…。
確かにそう言った…。
おじいちゃんが自ら命を絶ったのは、その2日後だった。
「おじいちゃん…!?」
驚いて声をかける私に、おじいちゃんは言った。
「……おらぁ………そんなふうに聞かれたことは……今まで一度もない…。
…お前達は…もう…戻ってくれんやろなぁ…」
「おじいちゃん……。」
何と声をかけたらいいのか戸惑っている私…。
おじいちゃんは続けた…。
「あの女は……鬼や…。
あれは……人間やない…。
血の通った人間なら、あんなことは…よう言わん…。
おらぁ…毎晩…毎晩…涙で枕を濡らさない日はないよ……。
悔しい……悔しい…。」
…そう言って、おじいちゃんはしゃくり上げて泣いた…。
私が産まれるずっと前の…強き時代の男の人が…
人生を80年以上生きてきた戦争も体験した男の人が…
こんなに我を忘れて泣いている…。
私は初めて見たおじいちゃんのそんな姿に驚いて声を失っていた…。
その日私達は、おじいちゃんに会うために、あの家に行っていた。
ちょうどその日に、舅夫婦は夕方から姑の実家に行く用事があって…
それなら、おじいちゃんのご飯は、私が作って食べさせるね。と舅達に申し出て、私がする事になった。
夕方になり、冷蔵庫にある食材で、ご飯を作ろうと思った私は、おじいちゃんのリクエストを聞きに行った。
「おじいちゃん。今日はお義母さん達出かけていないから、私が作るね。
冷蔵庫にコレとコレがあるんやけど…どんな料理がいい?それにどんな味付けがいい?」
私がおじいちゃんにそう聞くと…
おじいちゃんが突然泣き出した。
この日記を書くのに、ずっと迷った事実が2つある。
それでも私は、私が見たありのままを。
私が経験したありのままを書いていこう。
そう決めた。
そうじゃなければ、私の今はない。
それがあったから、私の今がある。
その1つ目を書いていきます。
「じゃあ戻る?」
夫に、そう言われたこともある。
大切な我が子を連れて、あそこに戻る…?
子供なんか仕事の邪魔以外の何でもない!!!
そう言う姑に子守を頼める筈がない。
何より嫌や!
でも育児を理由に畑仕事を休ませてくれる姑やない…。
この子らどうなるん…?
それに姑の勘にさわりまくりながらの、おじいちゃんへの介護…。
無理な状況だらけだった。
それより何より…子供をあの環境に置くのが嫌でたまらなかった。
そのために出たのに……いくらおじいちゃんのためだからって……
戻れない……。
それが私の本音だった。
「じゃあ戻る?」
夫に言われて答えられない私はまるで夫から
お前かて…我が身可愛いんや。
俺や叔父さんや叔母さんと同じやないか…。
そう言われてるような気がした。
現実に、どんなにいきり立って自分だけ正義の味方のように訴えても
結局は…私もみんなと同じなんやから…。
この日までに、私は何度となく夫に訴えた。
「あんたの家族はおかしい…。」
そう言ったこともある。
でも
「じゃあ、どうする?」
そう言われたら何も返せなかった。
ずるい!…
どうしようもなくたって息子やろ!!母親に何とかいいや!!
それも言った。
「直るわけない…。」
それで終わった。
その繰り返しだった…。
叔父さん夫婦は、おじいちゃんが戻ってから一切実家には来なかった。
家にも何の連絡もなく、全く音沙汰無しだった。
だから、おじいちゃんが戻った経緯について、私達は姑達側の一方的な言い分しか聞けなかった。
おじいちゃんは何も言わなかったし、それからたまに本家を訪ねる叔母達も、その件には一切触れなかった。
当然、私から聞けるわけもなくうやむやなまま、おじいちゃんの過酷な状況は続いていた…。
私が嫁ぐ前から、姑とおじいちゃんの間には溝があったんだと思う。
若い姑がここに嫁いで、おじいちゃんに、どんな仕打ちをされたのかを私は見ていない。
でもこの時には私がここに嫁いでから8年が経っていた。
その間には一緒にこの家で暮らしてた時期もある。
その中で私は、おじいちゃんやおばあちゃんが、ほんのわずかでも姑の気に障るような言葉を発したのを見た事も聞いた事もない。
あの日、姑達が出るだ出ないだと騒いだ時のたった1回以外には。
それが、私が実際に見てきた事実。
どう考えても、どんなに姑を欲目に考えてみても、姑のおじいちゃんに対する仕打ちや言動は有り得ない。
それが私の結論。
今でもそう思ってる。
それからはまた定期的におじいちゃんを訪ねた。
表面的には舅達に孫を見せに行くとなっていたが…。
可愛がってくれる舅と違って、孫を可愛がるどころか自分を可愛がって欲しい姑の相手は苦痛極まりなかった。
義理の親の下の世話も、食事も着替えも…日に日に老いる老人の世話は確かに簡単なもんじゃない。
この時代の田舎では、老人施設に入れようもんなら、親を捨てたと近所にも言われただろう。
でも、何があろうと日に3度しか替えんオムツを、くっさいくっさいとおじいちゃんに言いながら替えて
食事も無言でただ黙々とおじいちゃんの口にスプーンを運ぶ。
運びが早すぎて詰まってむせれば
「何してんのや!仕事増やして!!」と怒る。
怒る以外は一切無言。
「オムツが漏れてしもうて…」
おじいちゃんが申し訳なさそうに言っても無視。
なのに周りには愚痴ばかりを言い、自分がいかに頑張ってる嫁かを延々と力説する姑には…なんの同情も感じなかった。
「おお…来たか…。」
おじいちゃんは、そう言って笑った。
どうしてこうなったん?
帰ってからの状況はどうなん?
どんな酷いこと言われてるん?
そんなことは聞けるはずがない…。
1番気になっていることでも…
聞けるはずがない…。
聞いても私には、何も出来んのに…。
「…思ったより、元気そうで…安心した…。」
そう言う私に
「これも…しゃあないな…。」
おじいちゃんは言った…。
しゃあない…。
そんな一言では片付けられないほど、色んな思いがあるだろうに…。
おじいちゃんは、どんな思いでそれを受け入れたんだろう……。
おじいちゃんちゃんが居なくなってから、向こうの家には殆ど行かなくなっていた。
退院してから暫くして、1度だけ下の子を見せに連れて行った…その時以来。
それでも育児も忙しく、夫の仕事も忙しかった…。
暫くご無礼してようが、そんなもんはどうとでもなる…。
次の夫の休日。
そんな事を考えながら、私達は下の子を連れてあの家に行った。
居間に入ると、開口1番姑が言った。
「おじいさん戻されて来たで。」
「聞きました…。」私が言うと…
「やっぱりそんなもん看れるわけないんや!
えっらそうに言って連れてったくせに、勝手のいいにも程がある!!」
そりゃあ言うだろう…。
鬼の首を捕ったように言うだろう…。
わかってた…。
わかりきってた…。
叔父の後先考えぬ行動も勝手だったかも知れないけど、
こうなった根本の原因が自分にあることなど、全く微塵も考えず…得意顔で言うだろう…。
そう、わかりきっていた…。
姑の言葉を右から左へ聞き流し、私はおじいちゃんの部屋に向かった。
それから半年ほどしたある日。
実家に寄って帰った夫から、おじいちゃんが本家に戻ったと聞いた。
「なんで…!?」
「もう叔父さんも無理らしい…。」
夫はそう言っていた。
戻ることになったおそらくの経緯には予想がつく…。
あの日、叔父の奥さんが言ってた事が全てだろう…。
でも…そしたら…おじいちゃんの立場は、どうなるんやろう…。
叔父が揉めた挙げ句に連れ出して、あそこに戻されたおじいちゃんには…地獄しか待ってない…。
頭の中で、全く考えなかった事ではないけど…それでも姑の人柄を知ってる叔父ならきっと有り得ん…。
戻したらどうなるかを考えたらするわけがない。…
そう思っていた…。
それでも私は叔父を責められる立場じゃない…。
なんでそれなら連れ出したん!
なんで更に地獄に落としたん!
そう言えるほど、今の私に何ができる?
小さな子供を抱えて夫も不在で…そんな私が代わりにおじいちゃんを引き取れる…?
…答えも光も見つからなかった…。
「今度の休み…おじいちゃんの様子を見に行こう。」
ともかく、それくらいしか言葉が出なかった…。
そんな私を見かねて助けてくれてたのは、いつもお母ちゃんと姉ちゃん達だった。
子供がまだいなかった姉ちゃんと義兄さんは、長男を我が子のように可愛がってくれて、日曜になると私ら母子を海へ釣りにと山へバーベキューにと連れて行ってくれた。
お母ちゃんは、熱が出たと知ると、食うのにいっぱいいっぱいなのに仕事を早退して助けに来たりしてくれた…。
私達夫婦の子育ては、姉ちゃん夫婦とお母ちゃんに支えられ何とか出来たようなもんだと思う。
これには、今でも本当に感謝している。
その反面、出てきたくせに都合良く…
何もしてくれん夫の親なんか、今後どうなろうが一切知るか!
そう思ってた。
息子が幼稚園に入りたての頃にたまたま早く起きた息子が、出勤する夫を見かけて
「また僕の家に遊びに来てね🎵」
と言ったこともある。
そんな状況だったから、子供の発熱や怪我した時には、パニック状態で支度して病院へ行ったし、殆どの育児を母親1人でやるしかないから不安だった。
病院の待合室で子供抱えて、アタフタして診察券出してる自分と、パパがついてきてるご家族を比べて羨ましく思ったり、
土日には、ご家族で出かけるからゴメンね…というママ友家族を、子供と一緒に見送ったこともある。
……あの時は羨ましいというよりも、子供が可哀想だったな…。
でも…夫は仕事なんだから仕方ない。
そしてそれも覚悟のうえでの別居だったはず。
だからそのことで、夫に不満や愚痴は絶対言えん!
そう思ってやってきた。
夫のいない土日には、トランプやカルタや迷路や…ディズニービデオを一緒に観たりと、子供と夢中で遊んだ。
それでも、遠出もできず遊園地にも行けず…友達からお土産をもらうばかりの息子達には、寂しい思いをさせただろうな…。
夫の帰りはいつも遅く、休日もランダムで不定休。
長男が幼稚園に行く前は、夫の休みにも家族が揃ってた。
でも土日に休日をとるのは不可能な仕事の夫…。
夫はいつも子供が寝てからしか帰れなかった。
そして朝は子供が寝てるうちに出勤。
夫の休日には父親の寝顔を見て子供が幼稚園に行く。
つまり、
平日の夫の休日。
子供の幼稚園が終わった4時以降。
その条件が重なる時にしか家族揃っての団欒はなかった。
次男誕生で我が家はますます賑やかくなった。
幼稚園に通う長男と、生まれたての次男。
少し間があいた2人の子の子育ては、やっと育児が少し楽になったと思ったら、また育児。そんな感じだった。
幼稚園児のお兄ちゃんは弟をとても可愛がり、お風呂に入れるのも、授乳も抱っこも…何でも手伝いたがった。
激務の夫をもつ私には、お兄ちゃんのこの協力が本当にありがたかった…。
退院して家に戻ってからも、おじいちゃんの様子は気掛かりだったけれど…バタバタとした日々のなか、私は思うように動けずにいた。
そんな状況で叔父との仲も険悪になり、気の毒に思ったおじいちゃんが、本家に戻ろうとしていること…。
奥さんの辛い気持ちは、もっともだと思った…。
見かねたおじいちゃんが、あの家に戻ったほうが…と考えるのも、息子夫婦を思う親心からだろう…。
1番口出しする叔母達は、姑がいるから引き取れない。
おじいちゃんを救えた叔父の決断も、また新たな形で犠牲者を出してしまった…。
「ごめんね…。つい、こんなこと聞かせてしまって…。愚痴や思って流してね…。」
そう言う奥さんの気持ちが痛いほどわかる、私には
「どうか…無理をなさらないで下さいね…。」
そんな言葉しかかけられなかった。
無理をせずに出来るわけないとわかってるのに…。
おじいちゃんを預かってから、叔母達が毎日のように来ること。
そこでは毎日、本家の嫁である姑の悪口大会が行われ、殆ど叔父の兄弟の寄り合い場所になってしまっていること。
おばあちゃんの残した貯蓄は、本家が管理しているため、おじいちゃんにかかる通院代や、介護の費用負担が大きいこと。
叔父の家族のプライベートや、奥さん個人の時間など全く無いこと。
更には叔父の息子さんに心臓の病気が見つかり、奥さんが息子さんとおじいちゃんの世話で疲れきっていること…。
そしてもうひとつ…その入院中には胸に引っかかるような出来事があった…。
次男の誕生を知り、夫の叔母達も病室へお見舞いに来てくれた。
来てくれたのは、叔母さん達と叔父のお嫁さん。
おじいちゃんの様子や、それぞれの近況などを、みんなで和みながら話した。
私がいた病院は街中の通りにあったため、周辺では駐車場確保が難しかった。
そのため叔母達が、病院に車を停めておいて近くで私用を足してきたい。と言い出した。
叔父の奥さんが、それじゃあ私はここで待たせてもらう。となり、病室には叔父の奥さんと私だけになった。
その時に、叔母の奥さんが辛そうに吐き出し始めた…。
おじいちゃんが出た件があってから、私があの家に行く頻度は激減していた。
久しぶりに見る姑達の顔…。
上の子の時には、お母ちゃんが居てくれたけど、この日は私1人。
お母ちゃんは私の家に泊まり込みで、夫と上の息子の世話をしてくれてくれた。
この日も次男は新生児室の方にいたため、姑達が来た時にはいなかった。
病室に入ってきた姑は、私が1人でいるのを見るやいなや
「赤ん坊おらんやないの!」
事情を説明すると
「また男かいな。女が良かったのに…」
で始まり
「ほな、さっき見てきた新生児んとこにおったんか?どれや?右の子か?」
「あ…1番左の…」
と私が言うと
「あの、ちっこいのか!?」
と驚き、
「さっき見てな、お父さん!この子キッタナイ赤ん坊やな~て笑ててん。まさかアレか?」
と笑った。
孫を産んだ嫁の病室に来て、嫁の身体の具合を聞くこともなく…こんなことを言う姑が、他にいるだろうか…。
この人はこういう事を平気で言える人…。
それを一緒に聞いていても、止めることも怒ることもしない舅。
誰かがそれを指摘すれば、悪気はないと言える、この2人……。
寒気がした。
次男のお産は予定日より1ヶ月早く、破水が先にきてしまった。
そのため、この子は体重も少なく産後にも少し黄疸が出てしまった。
だから産後しばらくは保育器に入り、新生児室に移ってからも母乳を飲む力が弱いからと、私のいる病室には、なかなか連れてこられなかった。
保育器に入れられてる間も、ミルクを飲めない間も、私と夫は心配で仕方がなくて…何度も何度も新生児室に行っては、他の赤ちゃんより小さくシワシワな顔の息子に、
「頑張れ…頑張れ…」と声をかけていた…。
そんなさなかに入院している私の病室に姑達が来た…。
春の桜が満開の頃、次男が産まれた。
あの日、おばあちゃんがバンザイして喜んでくれた子…。
亡くなる前に、この子の存在をおばあちゃんに教えてあげられた…。
それがせめてもの救いだった。
おばあちゃん。守ってくれてありがとう…。
元気な男の子だよ。
おばあちゃんに…抱いてもらいたかったな…。
「叔父さん…。私はあの家で、おじいちゃんとおばあちゃんがどんな思いで過ごしていたかを見てきました。
お義母さんが、おじいちゃん達に言ってきた言葉は、血の通った人の言う言葉だとは思えません。
夫の気持ちは、わかりません。でも私は、これで良かったと心から思ってます。
本当に…ありがとうございました。」
私がそう言うと、叔父は
「知ってたよ…。見てればわかる。
あんたより、何十年も長く付き合ってきた俺達は、あの人のことを嫌ってほど知ってる。
すまなかったな。長い間、心配をかけて…。」
そう言ってくれた。
肩の荷がやっと降りた気がした…。
もっと早く、この日が来ていれば……。
おばあちゃんのことを考えると、そう思わずにはいられなかったけど…。
それでも、おばあちゃんはきっと天国で喜んでくれてるだろう…。
それとも…
おじいさんを残しては死ねん…。
いつもそう言ってたおばあちゃんが、導いてくれたのかな…。
そんなふうに思いながら
私は長い長い闇が晴れたこの日に感謝した。
叔父の家に伺った夜、叔父から電話をもらった。
そして叔父の口から、おじいちゃんを引き取とるに至った経緯を聞いた。
1人になってしまったおじいちゃんを、あの家に置くことに懸念していた叔母達の意向もあり兄弟間で話し合いが行われたこと。
兄夫婦である舅達は当然ながら怒ったが、自分が引き取ると強行手段に出て、おじいちゃんをこちらへ連れてきたこと。
そんないきさつを話してくれた。
叔父達も、ずっと悩み続け、やむにやまれず決断したのだと思った。
おじいちゃんを心配し続けていてくれたこと…。
そしてやっと決断してくれたこと。
おじいちゃんの身の安全が保証された…。
それが叶った…。
私には叔父の決断が、本当に本当にありがたかった。
「でも兄貴とは、兄弟間で揉める形になってしまって…〇〇ちゃん達には申し訳ないな…」
そう言った叔父に対し
私は、そこで初めて口にした…。
おじいちゃんが叔父の家に引き取られた後、私はおじいちゃんの様子を伺いに叔父の家に行かせてもらった。
叔父の家は姑達の住む隣町にあり、新興住宅地の中にあった。
私が訪ねた日、叔父は仕事で不在だったが、ちょうど叔母達も来ているとのことで、叔父の奥さんが快く迎えてくれた。
その家では、おじいちゃんに専用の部屋が与えられており、叔母達は、これでやっと心おきなくおじいちゃんに会いにこれると喜んでいた。
叔父の奥さんも、とても良くして下さっていた。
綺麗に片付けられた部屋のベッド…。
おじいちゃんを中心にして、家族がそこに集まっている…。
みんなに囲まれて、おじいちゃんは穏やかに笑っていた。
おじいちゃん…。良かったね。
本当に良かったね…。
私も心から安心した。
普段の会話をする相手もいなくなり、身体も以前より衰えてしまったおじいちゃんは、私達が行くと殆ど寝て過ごすようになっていた。
その頃になって、ある吉報が私のもとに届いた。
おじいちゃんを、あそこには置いておけない!
そう思った叔母達が話し合い、叔父がおじいちゃんを引き取る事になったという。
そうなったいきさつについては後々も詳しくは解らない。
ただ…舅や叔父達の間で揉めたあげくの決断ではあったらしい。
叔父の人柄は私も知っている…。
私にも良くしてくれた叔父や叔父の奥さんとなら、少なくとも、あそこでの針のむしろのような生活からは逃れられる。
良かった…。心からそう思った。
叔父さんの決断にも、叔父さんの奥さんにも感謝。
本当に良かった…。
良かったね。おじいちゃん…。
私は、そう思わずにはいられなかった。
あれからすぐに、叔母さんからも家に電話があった。
「隠してる筈なのに…何で、おじいさんが知ってんの!?」
「お義母さんが、言ってしまいました…。」
それを聞いたから、叔母達も気にしておじいちゃんを覗きに来てくれてるのかも知れない…。
でも叔母達が、この件で姑を責めることは無かった。
責めれば姑は抑えがきかなくなり揉める。
その後のおじいちゃんの立場はさらに悪くなる…。
そして叔母達が、おじいちゃんを引き取るのは不可能…。
この現実がある以上、前に進める手段はなかったのだろう。
それでも、私とは違う…。
叔母さんや叔父さんなら、子供としてやれる何らの手段がきっとあると思う…。
私は歯痒い思いで叔母や叔父を見ていた。
冷静に考えれば、私自身も叔母達と同じことをしてたのに…。
あの日…おばあちゃんの死を知ってしまったおじいちゃんは、おばあちゃんの話題を口にしなくなってしまった…。
でも私と2人だけの時に1度だけ…
「もう……帰ってこんのやな…」
そう言って泣いていた。
「隠してて…ごめんなさい…。」
私が謝ると、おじいちゃんは、
「かまわんよ…何となく…わかってたから…」
そう言った…。
向こうの家に着く。
私達の車が駐車場に入ると舅が笑顔で出てきて出迎える…。
姑は居間で座ったまま、こっちを見ない…。
家の中に入る。
舅は孫と遊び、私はおじいちゃんの様子を見る。
居間に行くとブスッとした姑がいる。
当たらず障らずの会話をして、姑の愚痴を聞く…。
おじいちゃんへの愚痴。
畑の作物が上手く育たない愚痴。
家族のためにする家事の愚痴。
娘が適齢期になっても結婚しない愚痴…。
この人の口からは、いつも愚痴しか出てこない。
そうして、さんざん言いたいだけ言って、聞いてもらえば機嫌が直る…。
でも、それでまたここに来やすくなる。
私は、おじいちゃんの様子を見て安心できる…。
そんな流れができていた。
この頃から私達は、盆や正月だけでなく、暇をみてはおじいちゃんの様子を見に行った。
何もできなくても、定期的に様子を見に行き、声をかけてあげる…
それだけでも、おじいちゃんにとっては何かしらの救いになると思っていた…。
そして叔母達も、おばあちゃんを亡くし、1人になってしまったおじいちゃんを時折訪ねていた。
私達は舅達に孫を見せに行くという口実で行けたし、実際に舅は孫である息子を、とても可愛がってくれた。
孫にせがまれて、嬉しそうにキャッチボールやお馬さんをしてくれる舅は、どこから見ても優しいお爺ちゃんで…
なぜ、この人は肝心なとこで強くなれないんだろうと不思議でならなかった…。
小さな不満や理解できない行動もあったけど、我が子を可愛がってくれることに対しては有り難く、それには今でも感謝をしている。
けれど姑は、もともと子供が好きではなかった。
好きじゃないというより、姑自身が幼稚過ぎて、他の誰より子供より、自分をかまってもらえないと面白くなくなる…そんな人だったから…。
姑は言うだけ言って部屋を出て行ってしまったけど…
私は、おじいちゃんの顔がまともに見れんくて…
ずっと沈黙した時間が部屋に流れてた…。
なんて言っていいのかもわからんくて…。
そのまま横になって目を閉じて眠ろうとしたおじいちゃんを合図に、
「また……来るね…」
そう言って、部屋を出てしまった…。
たぶん…第3者が、この状況を見たら…
私は、なんで姑に言い返さんのか
なんで姑に怒らんのか、
すごく歯がゆいと思う…。
歯がゆいどころか、私に対して腹立たしいと思う…。
私は、もともとハッキリしたキツい女で…男勝りなほうやったのに…。
砂時計の砂が溜まるみたいに、少しずつ少しずつ抑えられ過ぎた感情は…力を奪い、爆発するより諦めを生む。
いつしか、あぁ…やっぱりな…と、受け入れてしまうようになる…。
それが、この時の私の心理状態であり…ここで暮らしてきた、おじいちゃんや…夫や…義妹を作り上げたんだと思う…。
いつからか私の思考は、夫と同じように麻痺してしまっていたのかも知れない…。
その翌週、私は再びおじいちゃんを訪ねた。
入院していたせいもあり、おじいちゃんの身体は、以前より動きも鈍くなり…着替えるにも、まだ補助が必要だった。
「シャツを替えたい…」
おじいちゃんが、そう言うので私は引き出しから新しい肌着を出して、着替えをさせていた。
「だいじょうぶ?痛くない?…まず右手を抜くよ…」
おじいちゃんに聞きながら、ゆっくり身体を動かしてやっていると、そこに姑が入ってきた…。
「そんなのんびりやっとったら日が暮れるわ!貸し!!」
有無を言わさず、おじいちゃんの手を引っ張り、着替えさせる姑…。
「痛い!…痛いて…。」
おじいちゃんは、そう言いながら無理やりシャツを脱がされていた。
「私が、私がやるよ……」
手を宙に浮かせたまま、言っても…姑の耳には、私の声も、おじいちゃんの悲鳴も聞こえてないようだった…。
私が手を出したのが気に障ったのか…私とおじいちゃんの何が気に入らなかったのか…感情抑制の効かなくなった姑は言った。
「甘やかしてたらな、毎日やっとれんわ!!
何が痛いや!わがまま爺さんが
アンタがな、そんなワガママばっかし言うから、おばあさんも死んだんや!!
アンタみたいなワガママ爺さんのお守りは懲り懲りや、てな!!
アンタの世話してくれる人なんか…もう、だあれもおらんくなったわ。
いい気味や!!!!」
そんなさなかの、おじいちゃんの退院だった…。
いま、息子を、あの家に連れては行けない…。
まだ幼い子供に、おじいちゃんに言ってはいけない事情など…わかるはずがない…。
おじいちゃんが退院した翌日、私は息子を母に預けて、あの家に行った。
おじいちゃんには、おばあちゃんがケガをして入院している…。
叔母が、そう伝えてあった…。
私が行くと、部屋にはまだ退院したてで、動きの不自由なおじいちゃんが寝ていた。
「おじいちゃん…。無事退院できて良かったね…」
私がそう言うと、おじいちゃんは
「来てくれたんか…すまんね…。」
そう言って微笑んでいた…。
そこには、先に来ていた叔母がおじいちゃんのそばで座ってた。
「おばあさん…ひどいのか…?」
おじいちゃんが叔母に聞いていた。
「少し、長くかかりそうよ…。おじいさんも、早く治して、お見舞いに行けるといいね…。」
叔母がそう言うと
「そうだな…。」
おじいちゃんは、そう言っていた。
昔の時代の男の人だから、こと細かに聞きはしない…。
でも、きっとおじいちゃんは、その時すでに何らかの違和感を感じていたのだと思う…。
敢えて自分から、おばあちゃんの話題に触れないようにしている……
私には、そんなふうに見えた…。
おばあちゃんが亡くなってから私達家族は、しばらく立ち直れなかった…。
私は何もする気になれず夫との会話もなかった。
息子の…
「〇〇君がドラゴンボール集めてシェンロンに‘おっきばあちゃん返して’って言う!」
そんな言葉にも涙が出た…。
そんな日常のせいか…息子が、喜んで行っていた幼稚園も駄々をこねて行きたくないと嫌がったり…。
仕事から帰っても、沈み続ける私を見て、夫もため息をついていた…。
おばあちゃんのお葬式のとき、おじいちゃんは、この家にいなかった…。
正確に言えば、おじいちゃんは、おばあちゃんが亡くなったことさえ…知らされていなかった。
おばあちゃんが事故にあう半月ほど前に、おじいちゃんは転んでケガをして入院していた…。
今おじいちゃんに知らせたら、ショックが大きすぎる…。
それが叔父や叔母達の出した結論であり、おじいちゃんには知らせないように…。
私達は、そう口止めされていた…。
けれどケガは回復し、やがて退院の日はやって来た…。
おばあちゃんを失ってしまった悲しみ…
そしてそれをも上回る、おじいちゃんの悲しみと地獄は、この日から始まった…。
おばあちゃんのお葬式には、本当にたくさんの人達が来てくれた…。
みんな。みんな。泣いていた…。
お愛想じゃなくお義理でもなくみんなが泣いていた…。
こんないい人が…
これまで、こんな人を見たことがない…
お世話になった…
自分のために泣いてくれた…
いつも心配してくれた…
弔問に来てくれた人達の言葉は、おばあちゃんの人柄そのものを語っていた…。
後に、おばあちゃんがいつも拝んでいた仏壇から、白い便箋に書かれたメモと写真が出てきた…。
けんか。負けるが勝ち。
信じれば心は通じる。
感謝を忘れず。
ありがとう。
写真に写っていたのは、若い頃の姑だった…。
この人は…
どこまで……優しい人なんだろう…。
なんでこの人が…こんな目に会わねばいかんのやろう…。
悔しくて悔しくて悔しくて……
私は声をあげて泣いた…。
私は、この後も20年以上生きています。
だけど、おばあちゃん以上に、温かい人を知りません。
いつも笑って…
悲しくても笑って…
たくさんたくさん働いて…
それでも嫁に傷つけられて…
それでも笑っていた人です。
でも、たった1度だけ…
畑で…息子が、おばあちゃんの作ったトマトを喜んで食べるのを見ながら
おばあちゃんが私に
「お姉ちゃん…戻ってきては、くれんよな…?
ここに…帰ってきては…くれんよな…?」
おらぁ…おらぁ…おまえが来てくれて…天使が来てくれたと思ったよ……」
そう言いながら泣きじゃくったことがあります…。
その時の私は、おばあちゃんの辛さより、自分の戻った生活が恐ろしくて…
「ごめん…ごめんなさい…」
そう言って泣くしかできませんでした…。
あのとき、おばあちゃんは、どんな思いでいたんだろう……。
考えれば、考えるほど、己の無力さが悔やまれてなりません。
おばあちゃんがICUにいるあいだ、私はずっとあの家から病院に通った…。
帰れなかった…。
帰りたくなかった…。
ここにいたら、おばあちゃんはきっと、ここに戻ってくる…
そんな気がして帰れなかった…。
毎日おばあちゃんの部屋の隣で寝て
何度も仏壇に祈った…。
ちょうどその時期に…いつも小さな緑色のカエルが洗濯機の上に乗っていて…
どかそうとしても全く動かずに
ちょこんと座ってこっちを見てた…。
毎日毎日そこにいて、私を見てるカエルが何故か
だいじょうぶ…
きっと良くなる…。
そう言ってるように見えた…。
7日目の夜中…姑が家に帰った…。
物音に気づいて私が起きていくと、私に気づいた姑が…
「死んだ。死んだ。いま死んだ。」
そう言った…。
まるで荷物が片付いたように、そう言った…。
手術室から帰ったおばあちゃんの頭は、白くて長い布で巻かれていて、おでこの上で縛ってあった…。
「医者が言うには、出血が酷くて…処置はしたけど血は完全に止まらない。って…」
叔母が状況を伝えてくれた。
それから7日間…。
おばあちゃんはICUに入っていた…。
その間の限られた面会時間……私は叔母さん達に、なるべく長くおばあちゃんの側にいさせてあげたかった…。
でも叔母さん達は、必ず声をかけて私を中に入れてくれた…。
それでも、おばあちゃんの状態は更に悪化して…
叔母さん達がICUの出口で泣いていた日…
交代で私と入った姑は…
急変してしまったおばあちゃんの顔を見て愕然とする私に向かって
「だめやな、こりゃ。
こんなんなったら、もうオシマイ。
そう言った…。
「自転車で走ってたら、後ろから車が来て…クラクションに驚いて倒れたらしい…。」
叔母は言った…。
おばあちゃんはベッドに寝ていた…。
「そこで見てた奥さんが連絡くれて…気持ち悪いて吐いてたけど
家に帰って寝たいと言うから家に帰ろうとしたんや。
けど…奥さんが病院行かな言うから、近所の外科に行ってん。」
姑は続けた…。
そんで医者行ったら、こんなんすぐ救急車でおっきい病院行け!て言うから…。」
(何呑気にしててん………。頭打って吐いたんやろ?すぐ救急車呼べや!!!!)
そう思った。
叔母達も叔父達も来ていた…。
「おばあちゃん…。」
私は、そばに寄って呼びかけた…。
そのとき、おばあちゃんが目を開けた。
「お姉ちゃん…。」
じっと私を見ていた…。
そして目を閉じた…。
おばあちゃんは、そのまま緊急手術になった…。
その日から一週間後の夕方…。
私は夕飯の準備をしていた。
息子は得意げにお手伝いをして箸をテーブルに並べてくれていた…。
そのとき、1本の電話がきた。
受けたのは夫だった…。
夫の受け答えの気配から…ただならぬ事があったと予想ができた…。
「おばあさんが……自転車で…転んで頭を打って……救急車で病院に運ばれたらしい…。」
夫は言った…。
そのとき私は……何て言ったのかな…。
思い出せない…。
今になっても、どうしても思い出せない…。
ただ急いで子供を抱き、無我夢中で夫と病院に向かったのは覚えてる…。
その日は、ワクワクして向こうの家に向かっていた。
後にも先にも、こんな気持ちであの家に向かったのは、この1度だけだったと思う…。
向こうに着き、おばあちゃん達の部屋に行く息子に続き、私も入った。
そして、おばあちゃん達の前に座り、こう言った。
「あのね……。赤ちゃん出来たよ。」
2人目の妊娠。
この家では、おばあちゃん達に真っ先に知らせたかった。
おばあちゃんの顔がみるみる笑顔になり、そして
「バンザ~イ。バンザ~イ。」
そう言って両手をあげて喜んでくれた。
「身体を大事にしいや。無理したらいかんよ。あぁ…おらぁ…丈夫にうましたりたいなぁ~。」
そう言ってくれたおばあちゃんの笑顔を、声を。
私は今でも…しっかり覚えている。
周りのたくさんの大人に囲まれて息子は日々成長していった。
幼稚園の入園式。運動会やお遊戯会…。
私は息子の晴れ姿をビデオに撮り、あの家に行っては、おばあちゃんに見せた。
おばあちゃんは、まるでリアルタイムで見ているかのように、画面上で走る息子に手を叩いて応援し涙した…。
旦那に促され、お義理で舅と姑を息子の運動会に招待したこともあったが…。
体格のよい他の子が走ってるのを見れば
「見てみぃ~あのデブ!豚が走ってるみたいや」
と大声で笑い、
細身の子が走れば
「ガイコツや!ちゃんと食わせてもらってんのか~。」と、これまた大声で言う…。
そんな、姑の失礼極まりない発言に、いたたまれなくなり…私は二度と舅達を呼ばなかった。
私達がこの家からいなくなってからも、おじいちゃん達の日常は決して安泰ではなかったろうし、幾度となく事あるごとに傷つけられていただろうと思う…。
けれど、いつ行ってもどんな時も、おじいちゃん達は一言も愚痴を言わなかった…。
そして私も、聞いたところで、どうともしてあげられない…。
その現実がわかっていただけに自分からも口には出さなかった。
今の私が、あの時にいたなら、もっと強い行動に出たと思う。
それでも慣れ親しんだ土地を離れる決断は、おじいちゃん達にはやっぱり出来なかったかも知れない…。
当時、他に協力者のいない孫嫁の立場の私は、おじいちゃん達の現実から逃げていた…。
これじゃあ叔母さん達と一緒だな……。
そんな自責の念にかられながら…。
「おっきバアバ🎵おっきバアバ🎵…」
そう言って、おばあちゃんに巻きつく息子を、おばあちゃんは本当に愛してくれた…。
どんなに騒いでも、走り回って積んである座布団を崩しても、おばあちゃんは目を細めて笑っていた。
私が息子を叱ると
「怒らんでやって…お姉ちゃん…頼むから怒らんでやって…」
そう言って手を合わせて拝まれた。
私達が向こうの家に行くと、決まって出迎えに出てくるのは舅だったけど…息子はいつも、家に入るとすぐに“おっきバアバ”を捜した…。
私の遺伝子が入ってたから?
ううん、違う…。
どんなに辛くても、笑顔を耐やさないおばあちゃんには、人を寄らせる温かさがあったからだ…。
成長と共に息子はワンパクになり走り回るわハシャぎまくるわで、毎日が体力勝負だった。
まだ定例である年に2回の“最悪の日”は行われていたけど…
この頃には私にもママ友が出来て、互いの姑の愚痴や子育てのストレス…時には夫の愚痴も言い合えた。
私だけやないんやな…と思う気持ちは、自分への励みになるしポジティブにもなれる…。
夫には話せない姑へのストレスは、ママ友達のおかげで、ずいぶん軽減された。
今でも大切な友達のみんな…ありがとう。
本当に救われたよ…。
この頃になると、息子は実家のお母ちゃんが大好きで、寝ても覚めても離れておれず…そしてまた、それ以上にお母ちゃんが息子を大好きだった…。
夜7時まで勤めに出ていて、仕事帰りに自宅に行かずにバスで家に来てしまう。
そんなことが度々あった。
何が出てった娘やねん…。
お母ちゃんがいつも言ってる、婿さんの気持ちはいいのんか…?
内心そう思ったが、これが不思議と母の来訪を待ちるのは息子と夫だった。
「なぁ、おっかさん…今日来るて?」
「知らんわ。こないだ来たばっかやし…。」
「呼べって…。電話してみいや。」
「なんでや。息子を甘やかすから、しょっちゅうはいかんて。」
「ええて。呼んだりぃな。な、電話してみいや。」
こんな調子だった。
後から思うに…
夫は何かと自分を構ってくれ、世話を焼いてくれるお母ちゃんが大好きやったんだと思う…。
お母ちゃんに、せっせと晩酌用の焼酎を作ったり、身体の心配されて嬉しそうにしてたり…まるであっちの母親より、親子みたいな会話をする2人を見ててそう思った…。
とにかく息子と夫が「バアバ、おっかさん」と恋しがるので、お母ちゃんのこの頃のライフワークは、孫と婿のお守りみたいなもんやった…。
そして息子には、もう1人大好きな大好きな人がいた。
私の大好きなおばあちゃん…息子にとっては、“おっきいバアバ”だった…。
初節句の日…。
五月人形を真ん中にして、家族3人の写真を撮った。
おばあちゃんに渡すための写真…。
今でも、このお人形は我が家に大切に保管してあり、毎年5月には息子達と一緒に飾ってる…。
おばあちゃんに、このお人形を見せることが出来たのは、この日から26年後…。
おばあちゃん…きっと見ててくれたよね…。
後日、おばあちゃんから電話があった時に、私はウキウキしながら夫の提案を伝えた。
そしたら、おばあちゃんは…
「ありがたい…。ほんとにありがたい…。けどな…わしらは行ったらいかん…。わしらはもう年寄りや…。出過ぎた真似をしたらいかん…。」
そう答えた…。
……夫が姑に言って、強引にでも連れてくれば、おばあちゃん達には迷惑にならん…。
簡単に、そう思ってた…。
家に呼んであげたい!…強く思うあまりに浮かれてた……。
もし…おばあちゃん達だけ来てあの人達を呼ばんかったら、終わってあの家に帰るおばあちゃん達は、針のむしろや……。
だったら一緒に…!
無理や……おばあちゃん達がこの家に来ることじたい、あの人は気に入らん…。
あんなネズミ小屋みたいな家によう住める!
姑には、そう言われたこの家や…。
そんな姑を呼びたくもない…。
「…でも、おばあちゃんが買ってくれる人形やん…おばあちゃんと一緒に祝いたいよ…。」
辛くさせるとわかってて、私は言わずにはいられなかった…。
「いいから…。いいから…。お姉ちゃん達で祝ってやってな…。おらぁ、毎日〇〇ちゃんが元気に育つように拝んでるから…。それが楽しみやから…。」
「おばあちゃん…。」
後日、私のもとに白い封筒に入れたお金が送られてきた。
中には便箋に書かれた手紙が入っていた。
〔少ないけど、お金を送ります。
これで人形を買ってあげて下さい。
〇〇チャンが丈夫で元気に育ちますように。
〇〇チャン。お婆さんとこに、また遊びに来てネ待ってるヨ
お婆さんより。〕
シワだらけのそのお金は…シワの分だけ、おばあちゃんの汗や涙や思いが詰まっているようで…
とっても、とっても温かく思えた…。
夫にそのいきさつを話すと、
「それなら初節句に、おじいさんとおばあさんを呼ぼう。俺が乗せてくる。」
そう言ってくれた。
「ほんと!? なぁ!ほんとに?……やったぁ~!!」
私は両手を上げてバンザイをした。
「けど…。お義母さん達は…?」
私が聞くと
「ええやろ。何も言ってこんのやし…初節句はおじいさんとおばあさんに来てもらお。」
夫からしたら、初節句が近づくのに何も音沙汰のない親に対して不甲斐なさを感じてたのかも知れない…。
もっとも私としては事前に母に実家が用意すると聞いていたから、そういうもんだと思ってたのだけど。
嬉しい!嬉しい!
おじいちゃんと、おばあちゃんが…この家に来てくれる!!
嬉しい!嬉しい!
私には夢のようで、その日からず~っとニヤついていた…。
おばあちゃん達の置かれた状況も考えずに…。
翌年の5月。息子の初節句の日…。
この初節句の2ヶ月ほど前、おばあちゃんから電話があった。
「もうじき〇〇ちゃんの初節句やなあ~。おばあさんが五月人形買ったるからなぁ~。」
「おばあちゃん…ありがとう…。ほんとに…ありがとう…。でも…初節句の人形は、実家で揃える習わしやゆうて、実家の母が用意するらしい。だからそれより、おばあちゃんには自分の買いたいもの買って欲しいよ」
私がそう言うと
「そんなん言わんと買わせてーな…。おらぁ…お姉ちゃんが可哀想でならん…。苦しいだろうに自分達でやって…可哀想でならん…。だから頑張って仕事して貯めた。だから買わせてーな…。」
「おばあちゃん……。」
母に相談した。
「せっかくの、おばあちゃんの気持ちや…。そんなら私が半分。おばあちゃんが半分。半分っこでやらせてもらうようにしようか…。」
お母ちゃんはそう言った。
それを後日伝えると
「ありがとうな~。嬉しいなぁ~…。おらぁそればっかりを楽しみに仕事してた…。嬉しいなぁ~。ありがとうな~お姉ちゃん…。」
そう言ってくれた。
おばあちゃん…ありがとうは、こっちだよ…。
どうしたら、そんなふうに優しくなれるの…
私は何にもしてあげれてないのに…
その夜は、おじいちゃんとおばあちゃんを囲んでみんなで食事をした。
座敷に長く並べられたテーブルの真ん中に座り、おじいちゃんは幸せそうだった。
おばあちゃんは入り口近くにチョコンと座り、みんなの顔を嬉しそうに眺めていた。
お盆。お正月…。
私が嫁いでからも、幾度となく行われた集まりだった。
姑からは、第3者がいるとき。自分の友人や身内がいる時は特に。
そしてこういう席でさえも必ずと言っていいほど愚痴が出た。
けれど例え自分の息子や娘に囲まれていても、おじいちゃんやおばあちゃんがこういう席で、姑に対しての愚痴を言ったことは1度もなかった…。
年にたった2度の、この時だけおじいちゃんとおばあちゃんは普通のお年寄り扱いをしてもらえた。
成長した息子を見て、おじいちゃん達は目を細めて笑った。
今日は叔父達もいるおかげで、みんなに囲まれたおじいちゃん達も安心して居間に座っていられる…。
夕方には姑が帰り、忙しく宴会の準備が始まった。
見方を変えれば姑は本家の嫁…。
毎年の盆や正月に帰省する舅の兄弟のために、食材を用意するのも作るのも大変だったろうと思う。
叔母達は、おじいちゃん達の側にいるより、帰省により互いの家の義親から解放された喜びで旅行気分のようにはしゃいでいた。
夕飯まぎわまでショッピングに行く者、パチンコに行く者。様々だった。
私はいつも姑と宴会の準備をし食器を並べた。
同居してる時は姑の嫌みに怯えて、叔母達の訪問を喜んでいたが…こうして改めて違う目線で見ると
…この人も嫁をしてるんだなぁ
そんなふうに思った…。
「おじいさん達にもね、相当キツいこと言うんよ…。私ら見てる前でも言ったりするよなぁ?」
叔母が、もう1人の叔母を見て言った。
「そうよ。昔っから!ほんっとに…気性が荒くて…私らも怖くてビクビクしてるわ!」
(ここに住んでない叔母さん達でさえ、ビクビクするような嫁とおじいちゃん達は住んでるんよ…。)
そう言いたかった…。
「おじいちゃん達は…おとなしいから…優しいし…おとなしいから……。」
それが精一杯だった。
「ほんとよ!何も言い返せさんと…いい、いい言うてからに…ピシッと言ったったらいいんよ。」
(言えるわけないよ…。)
(言えるわけない…。)
「私かて嫁ぐ前には散々イジメられたよ!あそこまで意地の悪い人はみたことないわ…)
「いや。私かて…」
叔母達は代わる代わる体験談を話してくれたが、だからおじいちゃん達を、とは言わなかった…。
そして
「まぁ親が世話になるからな。私らとしたら言えんよ…。」
それで終わった…。
おじいちゃん達には、助けてくれる人はいない…。
そしてそういう私自身にも、おじいちゃん達を助けられる力はない…。
哀しい現実を思い知らされた瞬間だった…。
初めてのお正月。
息子を抱いてあの家に向かった。
呼びかけると笑い、見慣れない物に興味を持つようになった息子は目をクリクリ動かせて外の景色を見ている…。
毎年2回の最悪日だったけど、お盆とお正月には舅の兄弟も集まって来る。
私には、それが救いだった。
向こうに着くと、叔父さんや叔母さんに囲まれて、おじいちゃんとおばあちゃんが居間で嬉しそうに笑っていた。
舅もいた。
けれど姑はいなかった。
叔父さんや叔母さん達が来る時には、いつもそう…。
居間に来にくい姑は、日中は畑やご近所。時にはすぐ近くにある姑の実家に逃げていた…。
私達の顔を見ると、叔母さんが
「ちょっ…ちょっ…いらっしゃい。」
そう言って私を呼んだ。
「外に行かせんといてな…。」
夫にそう釘をさし、私は呼ばれた方へ行った。
そこは仏間。
もう1人の叔母さんも、そこで座って私が行くのを待っていた。
「何があったん?…何をされたん?」
そうか…出てってから初めて会うんや…
「すみません…。ご心配かけまして…。」
「ううん。責めてるんやないの。私らかて…あの人相手に、どこまでもってくれるやろ…てハラハラしてたんよ。」
(やっぱり……相当な姑だとわかってたんだ…。)
「で。いったい何されたん…?」
「まぁ…色々と…。でもわかってもらえんくて…こうなりました…。すみません…。」
「やっぱりな…。」
2人の叔母は、そう言って何度も頷いてる。
私の頭には、あの日のおばあちゃんの言葉が浮かんだ…。
頼むから…。後生やから…。
「私達はいいけど、おじいちゃん達が寂しくなってしまって…」
核心には触れず、叔母達からの答えを待った…。
1日の元旦が近づくにつれ、私はやっぱり憂鬱だった…。
それからも毎年のお盆と正月には向こうに行くはめになるのだけど…
嫌なことはサッサと済ませたいと考えた私は、連休の中でも早い時期に、この”最悪の日”を当てはめた。
けれど夏期連休は早くてもお盆の13日以降…
冬季連休は元旦1日にならねば行けない…。
夫の夏期連休は13日からだったから、初日に最悪日は終わり、あとは家族で水入らず休暇。
けれど冬は、最悪日が終わったらすぐに夫の休みも終わりに近い…。
だから休みのあいだ、ほとんど憂鬱に過ごさねばならない冬季連休が大嫌いだった…。
毎年この時期になると、日本には何で正月なんてもんがあるんや!と呪いたくなった…。
息子は順調に育ち、その年の師走を迎えた。
この時期の私は、自然と憂鬱になった…。
…お正月やから、あっちへ行く。…
夫がそう言うと予想がついたから…。
事実、年末からお正月の連休休みに入るとすぐに夫は切り出した…。
「あっちには…いつ行く?」
「行くの?」
「正月くらい顔出さな。」
「でも…寒いし…。風邪ひかせたら…。」
「あったかくしてったらいいよ。…あっちも楽しみにしてるだろうし…。」
(してるかいな!)
……じゃあ…1日。そしたら2日にお母ちゃんとこにも顔出そうな。」
「いいよ。1日な。伝えとくわ。」
いま思うと…この時の夫は、露骨に不機嫌な私の態度にも、わざと気づかぬフリをしてまで向こうと私を繋げたかったんだろうか…。
いっぽう私も、向こうへ行きたがる夫への腹いせに、私の実家へも…と、何を張り合っていたんだろう…。
けれど若い私達には、大人の対応もできなくて…強かにずる賢く立ち回ることもできなくて…
お互いがお互いを傷つけていた。
「そうカリカリせんと…帰ってくれば自分達の家があるって…そう思ってお愛想してたら?」
久しぶりに家に寄ったお母ちゃんが言った。
私は行き場のない先日の怒りをお母ちゃんに吐き出していた。
「だって触られたくないもん!」
「わからんでもないけど…旦那さんの気持ち考えたらな…。」
「そんなん、あの人だって散々コケにされたんよ。」
「あんたが思うほど、あの子は怒ってないて…。それが血の汚さや。どうしたって親子は親子やから…。」
「私がされて来たことをわかってない旦那に怒れるんよ…」
「わかってるて…わかってるから何も言わんと良くしてくれるやないの…。」
「そら…そうやけど…」
「婿さんに免じて堪えたりいな…」
「なんで強く言えんのやろ…」
「それが、あの子や。だからこそのあの子の良さがある…。家の身内にも懐いてくれて、私にも良くしてくれて…。」
「だって家の身内は、み~んな旦那に気を使ってくれて、あっちの親みたいに傷つける人なんておらんもん…」
「それは、アンタがこっちの血族だからや。いくら脳天気な私らにでも、あの子も気は使ってるはずや…。」
「なんであんな母親から、あんなおっとりした人が産まれたんやろ…」
「それは、育てたんがおばあちゃんだからや。お義母さんの時代の嫁は、子供を産んでも育児なんかしたくてもしとれん…。すぐ畑に出なイカンかったはずや…。 」
「なるほどな…。そしたら不幸中の幸いで、優しいおばあちゃんに育てられてかえって良かったやん…。」
「まぁ…アンタらはここで仲良くやってんのやし…あんまりイライラ考えたらいかん…。子供が見てるよ…。」
日々の夫の献身的努力には、もちろん感謝してた…。
けど…別居したことにより私の姑嫌いには、より拍車がかかりどうやって毎日姑と暮らしてたんだろう…と思うほどだった。
それだけ、この家での私の生活は恵まれていたのだと思う…。
帰りの車の中は、やっぱり険悪だった…。
だからあんな人らに会わせんかったら良かったんや…
何が家の孫や…妊婦検診も贅沢やと言ったくせに…
流産しかけても優しい言葉の1つもくれんかったくせに…
今になって何がお婆さんや!!…
私の頭の中は、そんな思いでいっぱいだった。
無言な私と、無言な夫…。
「なんで、そこまで毛嫌いするん?…もう出たんやし…いいやろ?」
夫の無神経な言葉にも怒れた。
出たのは二度と会わんためや!!
あの人の血が、この子の中にも入ってるなんて…私は絶対認めたくない!!
もう…私達家族の生活を乱して欲しくない!!
アンタだって、見限るようなことまでされたのに……ようヘラヘラ親子が出来るな!!
吐き出したい言葉は山ほどあったけど、もう何も話したくなかった。
もしあの時、一言でも口に出してたら、せきを切ったように姑を罵る言葉が出ただろう…。
でも、それより何より…あの人の存在を頭の中から消したいほど、私は怒れていた…。
「なに騒いでんの~。」
呑気にたずねる姑に駆け寄り
「私が抱きます!」
と息子を奪い返した。
「お袋…何も言わんとどこ言ってたん…!」
夫が言うと
「いま、ご近所回ってから〇〇さんとこで上がらしてもらってたんよ~(笑)家の孫を、み~んなにお披露目せんとな!」
満足そうに姑は言った…。
「言ってないんやから、出てっても早く帰らんとダメやろ!…」
「そんな、人さらいに連れて行かれたわけやなし、なに大騒ぎしてんねん!そんなに大事なもんならな、神棚にでも飾っといたらええ!!」
夫も姑も無視して家に入り、私はさっさと帰り支度を始めた。
支度が整ってから、息子を連れて再びおじいちゃん達の部屋に行き、2人にもう一度息子の顔を撫でてもらってから居間に行った。
「じゃあ行きます。お邪魔しました。」
ブスッとした姑と、それでもまだその姑のご機嫌を伺う舅に、そう言って外に出た。
夫も、私の様子を察して
「じゃあ…行くから。」
舅達にそう言って、荷物を持ち、私の後に続いた。
車に乗って出ようとした時に、舅がついて見送りに来てくれた。
「ありがとう。お義父さん。それじゃ…。」
また来るね、は言いたくなかった…。
ふと縁側を見ると、おじいちゃんとおばあちゃんが縁側にある窓に立っていた…。
私は微笑んで手を振った。
おばあちゃんは優しく笑って手を振っていた。
おじいちゃんは、坊主頭をゆっくり撫でながら、やっぱり優しく微笑んでいた…。
(ありがとう。おじいちゃん…ありがとう。おばあちゃん…。こんなとこに置き去りにして…何も出来んくて……ごめんね…。)
車の窓から見えなくなるまで、私は2人を見つめていた…。
居間にいたのは夫と舅だけ…。
「子供は!?…ねぇ!子供は!!」
夫に聞いた。
「ああ…今、お袋が外に連れてった。」
「外って…外のどこ!?」
「その辺にいるやろ~」
呑気な声で舅が答えた。
慌てて外に出て庭の周りや敷地の周りを探した。
いない………。
どこにもいない…。
道に沿ってご近所の家も見て歩いた。
いない…。
戻って、家に入る道のとこで待った…。
帰らない…。
ねぇ…待っても待っても帰らない…。
どうしよう……
旦那が家から出て、私のところまで歩いて来た。
「ええ!?お袋まだ帰らんの?」
「…なんでよ。……なんでよ!!なんで止めんかったん!!」
旦那に向かって叫んだ。
「すぐに連れてきて!…すぐに連れてきて!!…私の子供を連れてきてっ!!!」
ただならぬ私の様子に夫は
「わかったから。探して来るから。落ち着けて…。」
そう言った。
そのとき…近所の家の門から、息子を抱いた姑が出てくるのが見えた。
子供を夫に渡し、私はおばあちゃん達と向き合った。
「おばあちゃん、いつも電話…ありがとう…。」
「〇〇君(夫)が番号渡してくれたから、いっつも大事に持ってたよ。ほんで、一生懸命覚えたよ…。」
久しぶりに見る、おばあちゃん達の顔は、元気そうで本当に安心した…。
「ごめんね…。おばあちゃん達に心配かけて……ごめんね。」
そう言う私に
「ええから。心配せんでええから…。それより、また来てくれるな?…きっと来てな…。来てくれるな?…」
ずっと私の手を握りながら、おばあちゃんは繰り返していた…。
「来るよ。会いに来るから…。」
「ほな…行きや。…お姉ちゃんが母ちゃんに怒られるから…ありがとう。…ありがとう。」
おばあちゃんは、そう言った。
部屋を出ようと後ろを見ると……夫がいない…。
もちろん夫が抱いていた息子もいない…。
イヤな予感がして、急いで居間に向かった…。
「おばあちゃん…おじいちゃん…おる?」
そう言うと、ゴソ…ゴソというゆっくりした音。そして襖がゆっくり開いた…。
「おぉ…おぉ……来てくれたのかぁ…」
「おばあちゃん……。」
中に入って、おじいちゃんに言った。
「おじいちゃん…おかげさまで無事産まれたよ…男の子だよ……。おじいちゃん…抱いてあげて…」
「おぉ…おぉ…」
おじいちゃんは嬉しそうに目を細めて腕の中のひ孫を見つめていた。
「おばあちゃんも抱いてやって。」
「ええか?…こんな汚い年寄りが…抱いて…ええの?… 」
「あたりまえやない。おばあちゃん。…そのために今日来たんよ…。」
「ありがたいなぁ~…おらぁ…ありがたいよぉ~…」
そう言っておばあちゃんは泣いていた。
「抱いてやって。おばあさん…」
後ろを見ると旦那が立っていた。
息子を囲んで、私とおばあちゃんと、おじいちゃんの優しい穏やかな時が流れた…。
「お姉ちゃん…元気だったか?…身体は何ともないか?…」
辛い環境でいるだろうに、逃げた私を責めることもなく、自分より私を気遣ってくれる…。
おばあちゃんは、いつもそうだった。
駐車場に入って車を停めると、舅がいそいそと出てきた。
ここから見える居間の中では、こちらを見ようともしない姑がテレビを観て座っていた。
私が息子を抱いて車を降りると同時に、舅が息子を取り上げた。
「ほれほれ!お婆さんが待ってるよ~」
いそいそと中へ連れて行く…。
「ちょ…!!」
夫の顔を見る。
微笑ましそうに笑ってる…。
長居しないように、わざとオムツを少なめにした荷物を持って中に入った。
「ご無沙汰してます…。退院の時はありがとうございました。」
とりあえず挨拶はした。
「大きくなってぇ~。うちの孫や。うちの跡継ぎや~」
息子を抱いて舅が笑ってた。
(勝手に決めんなや…)
姑は、ご愛嬌程度で笑ってる…。
抱こうとしない姑に、舅が気を回し
「はい。お婆さんに抱っこしてもらえ~」
と息子を渡す。
「わしがぁ~?」
と、まんざらでもない様子で受け取る姑…。
目元が息子にそっくりだの、生え際が息子と同じだの…
そんなものだろうが、姑に言わすと私に似たところは1つもなくて…全てが夫に似ているらしい…。
あげくに自分のお産の時にはどうだっただの…
どうでもいい話を姑1人が繰り返していた…。
私が今日ここに来たのは、この人達に見せるためじゃない…。
「おじいちゃんとおばあちゃんは?」
私が聞く。
「部屋やろ。知らん。」と姑。続けて
「ご近所さんにも、家の孫を見せて歩かんと(笑)」
(ゲッ!?やめてよ!!見せ物やないわ!!!)
「それより、おじいちゃん達に見てもらいに行きます。ハイ行こうね~」
そう言って私は息子を取り上げた。
そして
「あなた。久しぶりやからお義父さん達とゆっくりしてあげて。」
息子を抱いたまま、そう言い残して、おじいちゃん達の部屋に向かった。
逃げて延ばすのも夫との気まずさを増やすだけ…
そう考えて、ついに渋々向こうに息子を見せに行くことに決めた…。
その当日…。
行きの車の中で私は無言…。
夫だけがアレやコレやと話してた。
夫のどんな話も冗談も、全く耳に入らず…向こうの家に近づけば近づくほど、私の胃はキリキリと痛みを増した…。
見覚えのある道路…
見覚えのある店…
あぁ…ここでいつも食料品を買ってたな…
ここの公園の前に車を停めて泣いたこともあったな……
あの道を曲がったら…あの家がある……。
私の心臓の鼓動は、息苦しいほど早くなった…。
子供が産まれてから、私にとって夫の存在は更に尊いものになった。
夫は子煩悩やし何より真面目。何の不満もなかった。
帰りが遅くて心細いのも前の暮らしからしたら贅沢やと思った。
食事の時には箸からお醤油から、全部揃えて出さんと気に喰わんのも、他のどんな夫の主張も私のために実家を出てくれた夫を思えば喜んでできた。
だけど、だけど…あの人絡みの話や、あの人のいる家に行くのだけはイヤ。
イヤなんて言う簡単な気持ちじゃない…。
怖かった。
恐怖だった。
それでも夫の気持ちも考えないかん…。
夫婦が気まずくなるのもいかん…。
だから結局わたしは、従うしかなかった…。
忍耐力というものは、置かれた環境が過酷であればあるだけレベルアップする。
けれど幸せな環境を知ると、忍耐力のレベルは下がる…。
我が子との3人家族の生活を初めて2ヶ月ほど経ったある日。
夫が
「そろそろ顔を見せに向こうの家に行ってやらんと…」と言う。
これまでにも度々言われた。
「いつ顔を見せに行く?…」
「そろそろ…行かんとなぁ…」
わかってた…。
わかってたけど嫌だった。
我が子が日に日に成長し、目で追い、笑い…1つ1つ成長する度に愛しさが増す。
愛しさが増せば、大切な我が子を嫌な場所には連れて行きたくない…。
「もう少し…」
「1ヶ月の検診もまだやし…」
「まだ…首がすわってから…」
「まだ…もう少し…」
そう言って引き伸ばした。
「もう…いいやろ。連れてって見せてやろうや…」
「だって……だって…。見たければ何か言うやろ…。退院したてからだって何も言ってこんし…電話の1本もないやん…。」
「それは連れて来るまで黙って待ってるんやて…電話も迷惑になると思ってるんかも知れんし……」
「そんなん違うやろ…」
「そんなふうに決めつけなや…」
「だって…」
もめ事の種は、いつもあの家だった…。
我が子が加わり、我が家は賑やかになった。
夫は予想とおり息子にベタベタで、暇があれば息子をかまっていた。
何度も何度も自分の名付けた名を呼び、あくびをすれば写真を撮り、くしゃみをしても写真を撮り、笑っても泣いても感激していた。
夫は会社員だったがサービス業なため、帰りは遅かった。
それでも家に帰ると、息子の寝顔を眺めては微笑んでいた。
もともと仕事は真面目にする人だったけど、向こうの家では町内のお付き合いで飲み歩いていた夫も、この家に来てからは家族思いの100点満点パパになっていた。
こっちに来てからも、夜ごと向こうの家に居る夢を見てうなされ続けていた私も、この頃にはやっと安眠できるようになっていた。
姑に抱かれた我が子は、お母ちゃんが用意してくれた純白のドレスに身を包んで退院した。
姑は車で来ていたので私達を送ってくれるという。
それは事前に聞いていたので、自宅には姉が待機していてくれて、お昼用に姑へのもてなしの準備をしてくれていた。
姑の車に乗り込む時も、お母ちゃんは孫を抱こうとしなかった。
(そこまで気遣うこと無いのに…)
一週間ぶりに自宅に帰り、姑に抱かれて息子は我が家に入った。
ベビーベッドも、天井から下がったクルクル回る玩具も、綺麗なベビー布団も…みんな旦那とお母ちゃん達が用意しといてくれたもの…。
そこに寝かされた息子は、スヤスヤと眠っていた。
「お義母さん、お疲れでしょう?どうぞ…」とお茶を出し、何もありませんがよろしければお昼をご一緒に…と薦める。
姉と母と私に囲まれたアウェイ感の中で、姑は借りてきた猫のように大人しかった。
「はい。はい…。」と言われるままに食事をし、笑顔で話していた。
(さすがに、この状況じゃ毒も吐けんやろな…。)
姑は、ごく普通の女性のように食事をし談笑をして帰って行った。
いっつも自分がアウェイだったせいか我が身と重ね、今日は姑も緊張しただろうな…と一瞬同情したりした。
けれどいやいや…今日は舅がいなかったからや…。
例え完全アウェイでも、横に舅がおれば調子に乗って、おそらく今日とは全然違っただろう…
すぐにそう思い直した。
そして退院の日はやってきた。
「お袋が行くそうやから。」
旦那から向こうの返事は聞いていた…。
退院時間を伝えてあったので、姑はもう病室に来て張り切っていた。
退院の日、夫は仕事だったため姑と、お母ちゃんと私とでの退院支度となった。
姑が来る前に、お母ちゃんは自分で買ってきた真っ白な退院用のベビー服に着替えさせた孫を愛しそうに眺めていた。
「良かったな…お婆ちゃんが来てくれるよ。」
そう言って、自分にとっても初孫になる子を見つめていた。
この人が、すぐ感情的になる人だったり、自分の気持ち重視だったり…娘に盲目な母親だったら……その時の私のモヤモヤはいっぺんにスッキリしてたかも知れない…。
実際、その時の私の心には、なんでそこまでしたらなあかん?…という思いが渦巻いていたのだから……。
それでも姑が来て、それなりに御満悦そうな姑の表情を見たらお母ちゃんの提案は、間違いでもなかったかと納得できた。
退院を2日後に控えたある日、私は憂鬱な思いで病室にいた。
昨日お母ちゃんから
「退院の日にはあちらのお義父さんやお義母さんに声をかけなさい。」
そう言われた…。
なんでよ…。と反発する私に、お母ちゃんは
「アンタは向こうに嫁いだ人。あんたの子は、向こうにとっては内孫や。向こうのお義母さんに赤ちゃんを抱いてもらって退院しよう…。」
「そんなんせんかて、お母ちゃんがおるし…」
そう言う私に母は言った。
「どんな人であれ、あんたの旦那のお母さんや。旦那さんの気持ちも考えなさい。この子にとってもそう。」
そう言って産まれた孫の手を握り
「あんたの気持ちはわかる。でも、あんたの気持ちで、この子からお婆ちゃんお爺ちゃんを奪ったらいかん。ケジメはケジメ。内孫が産まれて退院する時は、その家のお義母さんに抱いて来てもらう。それが昔からの習わしや。この子のためにそうしてあげよう…。」
お母ちゃんは昔からの習わしや縁起にこだわる…。
昔からそう…。
けど、夫の気持ち…そしてこの子のため…
そんならここは目をつぶるしかないんか…。
そう思った。
「けど、断るかも知れんよ。あの人…」
「向こうが断ったんなら、婿さんにも一応の義理は立つ。そしたら私が堂々と抱いていく。」
あちらには、夫に伝えてもらうよう話せと言い残して、母は帰って行った。
その夜、夫が病室に来た時に、この一件を伝えた。
「夫は、おっかさん(慣れ親しんで呼び方も変わった)らしいな…。」
そう言って微笑んでいた。
嬉しそうだった…。
心のどこかで
「そんなんに気ぃ使わんでいい!」
そう言ってくれるのを、私は期待していたのだけど……。
もし今日お母ちゃんが病室に来てなかったら…私は帰って!と追い出せたかな…。
お母ちゃんがおる前で舅と喧嘩はできんしな…
でもやっぱりできなかったと思う。
何よりここは病院や…。
お産を終えて疲れてるママさん達が休んでる。
産まれて間もない赤ちゃん達がスヤスヤと幸せそうに眠ってる…。
そんなとこで一歩間違ったら半狂乱になる姑達と争えるかいな…
何より、この世界に産まれてきてくれた息子のそばで…そんな汚いもん見せたくない。
お母ちゃんがいなくなった病室で、息子の顔を見ながら…私はそんなことを思っていた…。
そう言われて、やっと赤ちゃんが寝てるのに気づいたのか…
「んまぁ色の白い!女の子みたいやね(笑)」と姑。
「男の子かぁ…女のほうが良かったなぁ~(笑)どれどれ…」と覗きこんだ舅が…
「おぉ!こりゃあ息子の顔によう似とる!髪の生え際もソックリや!こりゃあ間違いない息子の子や。間違いはないわ(笑)」
(ようもそれだけ逐一勘にさわる言い方ができるな…。)
私は半ば呆れていた。
お母ちゃんが
「目元はお義母さんにも似てますよ。無事に産まれて何よりです。」
そう言って大人の対応をしていた。
突然思い出したように舅が
「町内の連中にも言っといたから。家の孫やからな。」
……どうせこういう時だけ、見栄のために孫孫言ったんやろな…
そう思いながら
「そんなん良かったのに…わざわざ…」と私が言うと
「他の人ん時に家は出したんやし、言っとかな出し損や!そのうち見舞いに来るやろ。そしたら頼むで。」
退院して落ち着いたら見せに来いと言い、2人は去って行った。
台風のように私の気持ちを散々かき乱して…。
その翌日の午後、お母ちゃんが汚れ物を取りに来てくれた。
代わりに洗った洗濯物も届けてくれたので、パジャマを替え、サッパリしたとこでお母ちゃんが差し入れてくれた冷たいジュースを一緒に飲んでいた。
子供を産むという大仕事は痛みもあるけど、その壮絶な痛みゆえの達成感もある。
命に代えてもこの子を守りたい…。
そんな気持ちになれた。
お母ちゃんもきっと、そう思いながら私を産み育ててくれたんやろな…。
せっせと私の脱いだパジャマを片し、部屋を整理してくれる母を見ながら、改めて感謝せずにはいられなかった。
そのとき病室にいてもわかるような、でっかい声が近づいてくるのが聞こえた。
「お父さん!こっちやて!こっち!!」
聞き覚えのある声…
二度と聞きたくない、あの人の声だった…。
身体が固まる…
「ここや!ここ、ここ!〇〇て名札が書いてある!」
声と同時に、いきなりガチャッ…乱暴に病室の戸が開いて姑と舅が入ってきた。
「まぁ!お義母さんもおったん?息子から連絡もらってな、来んわけにもいかんし。」
開口一番そう言って、姑達はドカドカと入ってきた。
「この子がなあんも言ってこんから~、そんでもそろそろ産まれる頃やないか?てお父さんと話しててん。けど、なあんも言ってこんから……」
身体の具合を尋ねるわけでも、目の前にいる孫を見ようとするわけでもなく、姑は立て続けに話していた…。
「見てやって下さい。お義母さんの孫ですよ。男の子ですよ。」
お母ちゃんがそう言って話を変えた…。
毎日会社帰りに寄っていた夫がある日言いにくそうに切り出した。
「向こうに知らせんとな」
んなもん知るか!思い出したくもない!
そう言いたいところだが、実際にはそうもいかん…。
「……そうやね。電話で伝えるだけ伝えといてくれる?」
(だけ)を強調して、夫に頼んだ。
「わかった…。」
あんな親でも義理は果たさないかんのか……。
1度だって様子を伺う電話もせん人らに、知らせたところで興味はないやろ…。
そうも思った。
そういえば、あっちの田舎では、町内の付き合いが濃く、ご近所さんの入院はもちろん、嫁がお産しても、みんな揃ってお見舞いに行く…というかなわん風習があったな…。
もう出た私には関係ないけど。
イヤな話題は出たが、その日もいつもと同じように夫は我が子の手を握り、消灯時間近くまでいて帰って行った。
あの人も大変だろうに、よく毎日せっせと通うなぁ…
親バカになりそうやね…
小さなベッドに眠る息子に話しかけていた。
翌日、恐怖のご対面になるとも知らずに……。
妻が入院中のあいだ、夫は毎日私の姉の家に行った。
姉の夫であるお義兄さんと夫はウマが合うのか、夫はお義兄さんに懐きまくりで、毎日姉の家に入り浸っていたらしい。
まだ子供のいなかった姉は
「もう!このアンポン達は…」
と文句を言いながらも夫の好物を揃えて、毎晩会社帰りの夫を迎えてくれた。
「婆さんの家には来てくれのかいな!」
夫が不自由してるだろうと張り切っていたお母ちゃんからのラブコールも散々あった。
田舎育ちのおっとりした夫は、私の身内にウケが良く、どこに行ってもモテモテで引っ張りダコやった。
きっと別居の経緯を知ってるみんなが、夫に寂しさ思いをさせないようにと考えてくれてたんだと思う…。
ありがとう。お母ちゃん。
ありがとう。お姉ちゃん。
ありがとう。お義兄さん。
みんな、ありがとう…。
初めての出産に対する不安はあった。
けれど今の私は、自分と夫のことだけを考えていれば良かった。
ここでの生活にも慣れてきたある日、私は無事に男子を出産した。
「お疲れさま。」
夫はそう言って息子の小さな手をずっと握っていた。
夫と私に見つめられながら、その子は幸せそうにスヤスヤと眠っていた。
流産しかけたこともあった。
一歩間違えば、この子の父親はここにいなかったかも知れない。
この子の笑顔を守るために勇気を出して良かった…。
夫が私とこの子を選んでくれて良かった。
我が子の寝顔を見つめながら、私は幸福感でいっぱいだった。
新しい生活は、何もかもが嬉しかった。
夫を起こして、お弁当を作って送り出す。
結婚してからずっと大人数の中にいたから、いざ2人だけになると照れくさかったり、間がもてなかったりして…。
親と同居じゃないご夫婦は、何を話すんだろうか……と考えてたりしたこともある。
それでも住民票を移したりの様々な手続きや、細々した片付けで忙しい毎日だった。
あれから時々、おばあちゃんから電話がある。
最初の電話の時は
「おばあちゃん?おばあちゃん??元気でやってる?どうしてる?」
と慌てた。
おばあちゃんは、いつも公衆電話から10円玉を1枚入れてかけてきたので、プーッと鳴ってすぐ切れてしまう…。
それでも短い会話のなかから、おばあちゃんは元気でいる。
おじいちゃんも元気。
そして私達も元気でいると伝え合うことができ、お互いに安心できた。
きっと、おばあちゃんの声の感じほど幸せな生活ではないだろう。
自宅からかけられない事実が物語っていた。
自分の幸せと引き換えに救えなかった人達…。
おじいちゃん達のことを思う時私はいつも自分の無力さを思い知らされた。
新居での初めての夜。
まだ洗濯機も冷蔵庫もなかった。
でもガスも水道も使えたので、風呂桶に水を溜めてお風呂を沸かし、夫を先に入らせた。
「いい湯だったぁ~」
風呂から上がった夫は満足そうに涼んでる。
「私、入ってくるね」
そう言ってお風呂場に行った。
目の前にある風呂桶は、今までのより全然小さくてボロい。
けど、一生懸命磨いた。
私には、どうしても…どうしてもやりたい事があった。
先に身体を洗い、湯船にお湯を足しておいて……ゆっくり身体を沈めた。
なみなみとあったお湯は、ザザザーーッという音と共に溢れた。
その中に身体を沈めきり
「フ――ッ」と長いため息をついた。
やっとお風呂に入れた…。
膝を抱えて震えながら入るんじゃなく、足下に溜まったお湯を手ですくって肩にかけるんじゃなく…
もう今日からは…お湯が終わってしまわないかとビクビクしながら風呂に入らなくていい…
やっと…やっとお風呂に入った。
誰にも怒られない私のお風呂だ……。
そう思ったとき、私はやっとあの家から解き放たれたと実感できた。
同時に、あとからあとから涙が溢れて止まらなかった…。
到着すると、業者によって運ばれ家具はもう定位置に置かれていた。
お母ちゃんも姉ちゃんも義理の兄さんも、そして弟夫婦も来てくれていて新居は綺麗に磨かれていた。
「ありがとう。お義母さん…。」
旦那が言った。
私達の顔を見比べて、お母ちゃんが言った。
「なんや!新しい門でなのに(笑)」
「今な、ソバ来るで~。〇〇君、天ぷら好きだったやろ?天ざるにしたから、来たらお腹いっぱい食べな。」と、姉ちゃんが言い
「待て待て!その前に乾杯のビールや!」
そう言って、お義兄さんがクーラーボックスからビールを持ってきた。
「〇〇君。大変だ~。この姉貴はきっつい女やから(笑)」
弟が言い、男どもは乾杯してビールを呑んだ。
夫が嬉しそうに笑っていた…。
同居を解消して、夫をいきなり嫁の身内に取り込むような、そんなつもりはなかったが、みんなにかまわれて…みんなに囲まれて、みんなの中心で…夫は本当に嬉しそうに笑っていた。
新しい住まいに向かう途中も、夫はずっと黙って運転していた…。
何とも言えない寂しさがあったろう…。
少なくとも私達が荷物を取りに行くまで…
少なくとも夫に対してだけは…たかが一週間で、もう戻らない息子だと、あからさまに諦めてやって欲しくなかった…。
そしてその出来事を、幸運だったかのように夫に見せて欲しくはなかった…。
出た身で勝手のいい言い分だけど…夫の気持ちを思うと…そう思わずにはいられなかった。
「あのな…」
「うん。」
「ごめんな…。」
「お前が謝ることやない」
「私……私…あんたを幸せにするから……。私が、あんたを幸せにしてみせるから……。」
「…うん…。」
「何だかプロポーズみたいね。」
そう言って2人で笑った。
母達に任せっきりになっている新居に急いで向かわなければならない。
車に乗り込むとき、私はおじいちゃん達の部屋の方向を見た。
こちら側からは窓が見えない。
居間にいる時も来なかった。
今日私達が来るのも知らされてはいないだろう…
気づいたとしても来れば後から何を言われるかわからない…。
私が敢えておじいちゃん達の部屋を覗きに行かなかったのも、そのため…。
私には逃げる場ができた。
でもおじいちゃん達にはない…。
姑の勘にさわるきっかけを、私がつくって私だけが逃げるわけにはいかない…。
どう言い訳しようが、結局はおじいちゃん達を見捨てて自分だけ逃げた…。
その事実は変わらないのに……この時の私は、都合の良い言い訳で自分を納得させてでも、我が身とお腹の子供が大事だった。
「洋服タンス…こちらで良かったですかぁ~?」
私と夫「???」
そしたら舅が
「ああ!こっちです。こっち。おかあさぁ~ん…」
唖然と見つめる私と夫の前に、次から次へと真新しいタンスやサイドボードが下ろされた。
そしていそいそと出てきた姑の指示で、いまスペースの空いたばかりの部屋に次々に運ばれていった。
「お母さんがな、タンスが古くなったって(笑)。せっかくだから全部そろえるかってなってな(笑)あ!車出られるか?気をつけて。じゃあな。」
「あ、う…うん」
旦那が言って、私達は歩き出した。
ここまでくると、むしろ笑えてしまう…。
夫もさすがに呆れた顔で
「なに考えてんだ…。」
そう呟いていた。
姑は居間に座っていた。
テレビは消されていた…。
「荷物片づいたから。」
夫がいった。
「住むとこ決まったんか?」と舅。
「うん。決まった。」
「どこら辺や?」
「〇〇町。」
「ほんなら在所のお義母さんの近くか?」
「まあな。ここよりは近い。」
「そうか…。」
夫と舅だけが会話してた。
私は一言も話さなかった。
すると突然姑が
「お義母さんはな、おまえが憎いと思ったことは1回もないよ。それはわかって欲しい…。」
私の顔を見て言った。
「…………。」
「あんたは、どうとったか知らん。けどな、ほんまに憎いと思ったことは1回もないよ!」
「……………。」
私は、口を開くことも目を合わせることもせず、ただ前をずっと見ていた。
「ま、まぁまぁ…また戻って来るかも知れんのやし…」
舅がトンチンカンなこと言ってる…。
「元気でやりぃな。お義母さん達は自分達でやって行くから。心配せんでいいから。」
舅の言葉を打ち消すように姑が言った。
「こ…これで二度と会わんわけやなし…なぁ…。またいつでも戻って来いよ(笑)。」
(アホか…このオッサン。さっきから何ぬかしてんねん!)
そう思ったがスルー。
「お世話になりました。」
それだけ言って、さっさと席を立ち外へ出た。
舅は見送りしてくれるつもりか付いて外に出てきたが、姑は来なかった。
ところが、そこへちょうどトラックが入って来た。
何だろうと立ち止まっているとトラックから作業員の人が降りてきた。
「こっから入ってください」
先に部屋に入った私は、後ろから夫の声がして少し緊張した…。
中に入った夫は、私と同じように部屋を見て動きが止まり、そして同じように襖を開けて、その場に立ち尽くしていた…。
私は、なんて声をかけたらいいのかわからずに、業者に指示を出していた。
「これ、どうしますかぁ?」
業者の声で我に返ったのか、夫もこっちに来て一緒に手伝い始めた。
そこへ舅が来て、ヘラヘラしながら
「お母さんがなぁ~わしらの部屋が狭いって言うから~」
こんでも息子にバツが悪い気持ちはあるんか……。
「いいよ。構わんから。」
私はそう言って黙々と手を動かしていた。
夫も業者と打ち合わせながら片していき、荷物はみるみる運び出されて行った。
もともと片してくれてあったので、作業は手早く済んだ。
引っ越し業者と新居の場所を打ち合わせて、夫は部屋に戻ってきた。
「あんなぁ…居間にお母さんおるから、寄ってって…」
舅が言った。
(あんたは相変わらず米つきバッタのように、女房にヘコヘコしとんのやな…)
そう思って夫の顔を見た。
「顔だけ出してこ…」
二度と会いたくはなかったが、最後のケジメや。仕方ない…。
そう覚悟して、姑の待つ居間へ行った…。
私達が着いたのは、業者と約束した10分前だった。
業者には事情があって、タンスの中身が全て入ってるのも、行ってから少し時間がかかるのもはなしておいた。
大きい物と運べるものだけ業者に運んでもらって、後は今日俺たちでダンボールに詰めてしまおう。
新居には、お母ちゃん達が待機してくれてる…。
ダンボールに詰めたら積めるだけ車に積んで、あとは旦那が休みに取りに来ると言ってくれた。
一週間ぶりに見るその家は、もう他人の家に見えた。
私が来るのは今日で最後や。
旦那は玄関に行き、勝手に片すから。と舅達に告げに行った。
私は、直接予備玄関から入り先に片し始めようとしていた。
「え?」
部屋に入って思わず声が出た…。
細々した物はダンボールに入れられ、私のタンスも隅に置かれて、すぐに持っていけるように出来上がっていた。
お布団もまとめてある。
片してくれたんや…。
……お布団も鏡台も、こっちにあるということは…もう1つの部屋は…全部片してくれたんか…?
そう思って襖を開けて、さらに驚いた…。
舅達の家具が綺麗に並び、姑達の布団まで敷かれていた。
もう…ちゃっかり暮らしてるやん、ここで…。
昨夜連絡したのに、今朝までに動かせるはずはない…。
私らが出てすぐ、こっちに移ったんや…。
一週間しか経ってないのに…??
戻ってくる希望……いや望みももたんかったん…?
(私はいいけど…。夫がコレ見たら、どう思うやろ…)
その時、トラックの音がして我に返り、急いで外に出た。
ちょっとした戸惑いはあったけど、私には関係ない。
夫の気持ちが心配なだけで…
夫は外に出ていて、トラックを誘導していた。
家の中を見たらショックやろな…
この人は、心の中でためらってる…
それに気づいてたから…余計に夫が気の毒に思えてならなかった…。
引っ越しの当日まで、夫は新しい住まいを見ようとしなかった。
それでもいい…。
いつかあの家を出たことを正解だったと言わせてみせる。
自分の心に、そう誓っていた…。
舅達には、事前に夫に電話をさせて、今日荷物を取りに行くと話しておいてもらった。
新居のほうには姉夫婦と母が待機していてくれて、細々した片付けや掃除をしてくれていた。
もう舅達と話すことは何もない…。
あの夜、夫と姑が罵り合うなか舅は私のところへやってきた。そして…
「こらえてくれ…出て行くなんて言わんでくれ…このとおりや…。」
そう言って私に土下座した。
「やめて。お義父さん。嫁に土下座なんかしたらいかん。頭を上げて下さい…。」
「アイツもなぁ…悪気はないんだ…。男気性だから物言いが強いだけで、悪気はないんだ…。おまえも神経質にならんと……」
この人は、やっぱりわかってない!!
「お義父さん。人には言っていい言葉と悪い言葉があります。心のある大人なら、人に死ねとは言いません!そんなのは男気性でも何でもない!嫁に土下座する前に、一家の主として女房にちゃんと教えたらどうですか!!」
泣きの土下座で同情するとふんでた嫁に、逆に痛いところをつかれた舅は
「とにかくお願いしますッ」とだけ言って、そそくさと部屋を出て行った。
もう。話すことはない。
引っ越し業者が到着する時間に合わせて私達も着き、あとは黙って荷物を運ぼう…。
ここを乗り越えなければ明日はない…。
でも、ここを乗り越えたら明日はある。
あの家に向かう車の中で自分を奮い立たせた。
それは、あの日お母ちゃんのとこから帰る時に見た景色とは違っていた…。
当時私達の持ってた車は、結婚前に親に買ってもらった夫の車1台のみ。
夫が仕事に行ってしまえば車がない。
けれど幸いなことに私の姉の家が母の家と新居のちょうど中間にあり、自営をしていた姉の家には、日中に使わない姉の車があった。
朝起きてバス停に行き、電車に乗り換えて姉の家に行く。
そして空いてる車を借りて必要品を買い、1人でせっせと入居準備をした。
母には食べて行くための仕事があったし、ただでさえかけてる迷惑を増やしたくなかった。
夕方には電車とバスで帰ってくる。
ヘタしたら産気づくような身体で、私は毎日一心不乱に私達だけの家庭造りに励んだ。
楽しむ余裕も、未来への希望も頭になかった。
ただ二度と後戻り出来ないように…早く…早く。
それだけを考えてこなしていた。
「決めたから。本契約は今度の休み。引っ越しは〇日。業者も頼んだ。」
わかった。
「電化製品は向こうも使うだろうから、新しく買う。それも決めた。引っ越しの翌日に全て届く。」
わかった。
もう後戻りはできない……。
おそらく夫が本気で覚悟したのは、この瞬間だったろう…。
約束どおり不動産屋と本契約を済ませ、もう細かい荷物は運んでいいですよ。と言われたので、私はホームセンターに行き、カーテンやカラーボックス。スリッパや鍋などの細々した物を買いあさり、せっせと運んだ。
その夜、夫に
「住むとこの見当つけてきた…。」
そう切り出した。
え?もう?
嫌というより驚いた感じで、夫は戸惑っていた…。
場所と環境と間取りと家賃を説明して、今度の休みに一緒に見に行くかを聞いた。
「おまえに任せるよ」
なんで?2人のことやろ!!
……そんなん絶対言わん。
「わかった。じゃあやっておく。」
次の日、1番で不動産屋に行って仮契約を済ませた。
何日から住めるか聞いて、引っ越し業者にも連絡した。
どこをどうやっても、家具は取りに行かんとならん。
その時には姑に会わねばならん…。
二度と後戻りが出来ないように私は着々と事を進めた。
その日に概ねの検討をつけ、翌日私は条件に合った物件を見て回った。
昨日の夜、夫はちゃんと帰って来てくれた。
安心した。
舅達は何か言ってきたか…
それも聞かなかった。
私のいる場所に帰ってくれたこと…それが夫の答えだと思った。
新居の物件を探していることは夫に話さなかった。
物件の話が固まるまで…。
そう決めていた。
いざとなると、人はズルく強かになれるものだと実感した…。
その日、3軒目に不動産屋さんに案内された家は、のどかな新興住宅地の中にあった。
保育園や幼稚園、学校も近い。
個人だけど病院もある。
公園もさっきあったな…。
間取りを見ようと家の中に入ったら、部屋側の全ての窓から明るい日差しが差し込んでいた。
(窓が大きいから婚礼家具は入るな…。)
戸建ての小さな借家で、部屋は3間続きの3K。
駐車スペースは家の横に2台分ある。
お風呂も広い。
「ここは、家賃お幾らですか?」
「3万円です」
「ここにします。」
「え?他も見なくて…」
「ここにします。」
夫に話し了解を得てから正式に契約すると伝え、不動産屋と外に出た。
帰り際、乗せてもらった車の窓から家の全体を見た。
(ちょっとボロいな…)
それでも全然構わなかった。
翌日、夫はそこから会社へと出勤した。
会社に行った夫に、姑達から電話が入るかも知れない…。
何も言わずに出てきたから、朝になって慌てて説得の電話が入るかも知れない…。
そしてその電話により、夫の覚悟が揺らぐかも知れない……。
夫の返事がどうであれ、自分1人でも出る覚悟でいたのに…。
こういう形になってみると、夫が一緒に出てくれた事実が有り難く、とても心強かった。
それだけに、夫の心変わりが不安でもあった…。
そのせいもあり、私にはまだ出た実感も、心からの安堵感もなかった。
よし…。
その日から、私の新居探しは始まった。
片っ端から不動産屋さんに電話をして、空いてる賃貸物件を聞きまくった。
条件は、夫の通勤に支障のないところ。
そして何より、あの家からなるべく遠く…。
それだけだった。
貯金も多少はあった。
結婚前に貯めたものと、あの家におって溜まったもの。
なぜ出る事態になったかを母に説明するより先に、新しい住まいを確保すること。
それで頭がいっぱいだった。
舅達の説得にも、万が一の夫の迷いにも、揺るがない既成事実が一刻も早く欲しかった。
私達に必要なのは新しい我が家。
いや……。あれは我が家なんかじゃなかった…。
「ただいま」と帰る時に、緊張で身体がこわばるような空間を我が家だと思えるはずはない…。
「どこに行こう…。」
夫は言った。
「お母ちゃんのとこに行く。」
「わかった。」
夜の11時を回っていた。
何の連絡もしてない…。
驚くやろな…お母ちゃん…。
母は独りで公営住宅に暮らしてる。
階段を上がってドアの前に立ちチャイムを鳴らした。
少し間が空いてドアが開いた。
今思えば驚いたと思う…。
嫁いだ身重の娘とその婿が、風呂敷いっぱい持って立ってたんやから。
「お入り。」
私達をじっと見たあと、お母ちゃんは言った。
出て行ったはずの家の居間に、旦那と2人で座った。
お布団が敷いてあった。
「もう寝るとこやったんな…。ごめんな…。」
こういう時は、どうでもいい言葉のほうが先に出るらしい…。
「どうしたん?」
「……出てきた。」
「そう。」
「住むとこ、すぐに探すから。2、3日で探すから…」
「アンタは納得してるのか?」
お母ちゃんが旦那に聞いた。
「納得してます。俺が親と話して、まとまらんから出ると決めました。」
「わかった…。ええよ。旦那が納得して連れて出たなら居たらええ。」
「ごめん……。」
その日は、それしか言えんかった。
この日の夜は、これで出られたという実感もまだなく、かと言って先の不安があったわけでもない。
ただ、本気になってくれた旦那が意外だったのと、夫がそう決断するほどのやりとりとは、どんなものだったんだろうと考えていた…。
30分ぐらいして、母屋のほうからこの部屋にも聞こえるくらいの怒号と争う声が聞こえてきた。
あの人が聞くわけはない…。
そしてこれで残ったら、もっと生き地獄や。
もう絶対に、ここにはおれん。
心底そう思った。
それから2時間ぐらいして夫が戻ってきた。
「話に……ならん…。」
夫は言った。目が真っ赤だった…。
泣いていた。
「俺は……俺は…情けない。あんな奴らが俺の親だなんて…情けない。」
夫はそう言って号泣した。
「出よう。……一緒に出よう。」
私は言った。
そのまま夫の必要な物を揃えて風呂敷に入れ、夫の車に乗って私達は家を出た。
帰ってきた夫は、何も知らずに母屋に続く側の襖を開けようとした。
あれ…?あれ…??ドンドン
おーい。おーい。ドンドン!!
「あんた…そこに1人?」
え???
「1人でおるんか聞いとるんよ。……1人?」
1人…やけど…なんで…?
鍵を外して夫を入れた。
なに?…どうした?
「座って。」
なんや?…なんか…
「座って!!」
私の表情を見て、ただならぬ事が起きたと察したらしい…。
座った夫の顔は、こわばっていた。
「私、この家を出て行きますから。」
なんで?… またお袋が…
「そんなもん。もう、どうだっていい…。私は出ます。あんたはどうする?」
いつもの愚痴とは違う…。
文句を言って渋々諦める普段とは違う…。
腹をくくってる私の心を夫は読み取った。
そしていつもの面倒臭そうな顔ではなく、真顔で私を見ながら言った。
言ってくれ。何があった?
私は今日あった事実だけを淡々と話した。
そして、今日だけではなかったこと。
今まで夫が知らなかったこと。
そして夫に言っても何も伝わらなかったことを静かに、そして淡々と話し
「私は出ます。あなたが出なくても、私は出ます。」そう告げた。
一緒におらんかったら、子供はどうするんや?
「わかりません。先も見えません。でも出ます。このままここにおったら、私はあの人を殺すかも知れん…。少なくともそんな環境で子供は産めません。」
そう言った。
わかった。俺が親と話してくる。
「もう、けっこう。私は出る前に、あなたはどうするのか、聞きたかっただけです。」
待ってくれ……。わかった。俺が今から話に行く。それでダメなら俺も出る。だからチャンスをくれ。
夫は真剣だった。
話したところで聞くわけはない。けれど夫が一緒に出ると言うなら、子供の父親は必要や…。
「わかりました。」
ありがとう…
夫は私に礼を言って部屋を出て行った。
姑達は何も言って来ない。
夕飯は誰が作った?
炊飯器にお米あったかな?
今ごろ姑達は、なんて言ってるやろ…?
おじいちゃん達は心配してるかな…?
不思議と何も浮かばなかった。
旦那の車の音がした…。
砂利を踏んで進んで来て……止まった。
そういえば姑の砂利を踏む足音の癖が、私の耳にはもうついていて…その音がするたびに、どれだけ鼓動が早まったろう…。
どれだけ生きた心地がしなかったろう…。
それも、もう……今日で終わりや。
さて今夜。
吐いてしまった言葉は戻らん…。
でも後悔なんかしてなかった。
その時の私は、何だかとても落ち着いていて、引き出しから下着、パジャマ。服を出して風呂敷に包んだ。
いま思うと、なんで風呂敷だったんやろ……。
要るもの置いて行くもの。
冷静に仕分けしたら、大きめの風呂敷でも5つくらいになった。
そして寝転がって、ゆっくり目を閉じて、旦那の帰りを待っていた…。
旦那を傷つけたくなくてAVの件を迷って迷って…やっぱり話したけど、旦那は
「なに考えとんのや?」と呆れて失笑。
そして終わり…。
この頃から、私はきっと麻痺してたんだろうな…
その後もAV鑑賞会は続いた。
だから自分で鍵を買いに行き、取り付けた。
初めは家族どうしで鍵なんか…と言っていた舅だが、聞く耳を持たない私に諦めてくれた。
でもこの人は、私宛ての郵便物は勝手に開けるし、私に電話があると親機でコッソリ聴いてるし…。
携帯の無いこの時代、この家には常に、私に対するこの人の監視があった。
姑のような暴言は吐かない。
人当たりもいい。
けど…気味が悪い…。
何を知りたいの?
何をしたいの…?
私には不可解な舅だった。
1番奥の部屋には鍵が付けてあった。
その部屋には、予備玄関としての出入り口もあった。
予備玄関のほうには、もともと鍵がついてたけど、部屋にもつけたのには理由があった。
舅が勝手に出入りしたから。
1人でじゃない。農家仲間とみんなでだ。
私達の部屋にあるビデオデッキで仲間とAVビデオを観るために…。
スーパーから帰って自分達の部屋の窓の下に、泥まみれの地下足袋や長靴が山ほどあった。
わけがわからず、食品を置いて部屋に向かうと、部屋から大音量で変な声がする…。
なに?……なんなの?
そう思って襖を開けたら、近所のおっさん連中が10人ほど居た。
私らの部屋で………。
私らのクッションを枕にして…
テレビ画面を観て固まった。
「おう、嫁さんも観ろ観ろ!勉強になるぞ。ワッハハッハ」
舅も一緒に笑ってた…。
こ…こ…こういう人種には、どう言うの???
頭が真っ白になった。
襖を閉めて、台所に行って…ウロウロ歩き回ったけど、やっぱり思考が麻痺してわからん…。
とりあえず旦那に言おう…
ショックだろうな…
でも言おう…
何とか落ち着きを取り戻し、無言で夕飯を作り、無言で食べ、無言で部屋に行った。
旦那と色違いのクッションとか
結婚祝いに友達がくれた飾り物とか
飾ってあるお姉ちゃんが貯金で買ってくれたブーケとか…
見てたら涙が出て止まらんかった…。
家に入ると姑が台所で出したお茶を片してくれていた。
「ありがとう。お義母さん…洗ってもらって…。」
姑は背中を向けたまま返事をしない。
(怒ってる…母が来たことを怒ってる…)そう思った。
すると姑が
「アンタのお母さん!スイカ食べた事ないの?
あ~んなマズいスイカを美味いだなんて、よっぽどマズいスイカしか食ったことないんやろ?
それともスイカも食べれんほど貧乏人やったんか?なぁ?」
また笑ってる…。
もうイヤだ…。
こんなヤツと一緒にはおれん!!
「よその家で物を出してもらったら、有り難くいただく。せっかくの好意にケチはつけん!
そんなん当たり前や!!
アンタみたいな人とは違う!!!」
自分でも驚くほど大きな声だった…。
そのあと何か言いかけた姑を無視して部屋に入った。
姑はついて来なかった。
たぶんお母ちゃんの嘘だと気づいてた…
外に出て車の方へ向かいながらお母ちゃんが言った。
「大丈夫か?」
「うん…大丈夫。」
「いつでも来なさい」
「うん。ありがとう…」
お互いに小声で、前を向いたまま歩きながら話した。
「これを持って行ってな」
わざと大きな声でそう言って、スーパーの袋に入った大福をくれた。
自分用やろ…
自分のなくなるよ…
ありがとう…。
ごめん。お母ちゃん…。
泣いたら帰って姑に怒られる。
車の窓からずっと私を見て頷いてるお母ちゃんに精一杯頑張って笑顔を作った。
「こんなん1日なあんもせんとテレビのお守りや!」
(やめてお義母さん…)
「さっきもな…お義母さん達来たとき、来た~来た~しか言わへん!
何が来たん!!言ったらな、親が…出してやれ…出してやれ…てな。
何いってんのかわからんわ(笑)」
(やめて…聴かさんといて)
「出せ出せ言うからな、酒でも呑むんか?思ってな…こりゃ頭でもボケて酒でも呑んで死にたいんかと思ったわ(笑)」
(いかん!言わんで!それ以上言わんで!)
「死にたいなら、さっさと死んだらいいんや!!」
そう言って大笑いしている…。
おじいちゃんはうつむいたまま…。
私もうつむいたまま…。
(お母ちゃん…ごめん。)
お母ちゃんと叔父さんは言葉を失っていたけど、たぶんその間に色んな考えが頭を駆け巡ったと思う。
なんやこの人💢頭おかしいんか!?…
けど…けど……娘がこの家で暮らしてる。
この子は…いったいどんな環境にいてんの…??
そしてこの子は、どう思ってんの…??
あまりの予想外の出来事に、さぞ驚いたことだろう。
私がこの家に嫁いで、最初にコレを見た時のように…。
「それじゃあ…そろそろ行きますね。」
母が言った。
(もうこんなとこにおらんでいい…。一刻も早く帰って…)
そして
「おじいちゃん。大変美味しいスイカをごちそう様でした。お身体を大切に。どうぞ長生きして下さいね。またおじいちゃんに会いに来させて頂きますね。」
とおじいちゃんの目を見て微笑んだ。
「お義母さん。ありがとうございました。失礼いたします。」
そう言ってお母ちゃん達は玄関に出た。
姑と離れて見送りに行ったら、また勘ぐられる…
私は玄関で姑と一緒に立っていた。
すると母が
「そうそうちょっと車に持ちに来て。渡したいもんがもう1つあったわ」
と私に言った。
そのスイカはボイラーを入れたハウスで試しに数本作ったものだということ。
ボイラーを入れると苗の育ちを早くなるが燃料がかかるということ。
おじいちゃんは久しぶりに農業を楽しそうに語っていた…。
「えっらそうに…アンタがやっとるんか!」
突然姑が大声を出した。
おじいちゃんと私の身体がビクッと動いて、お母ちゃんと叔父さんが同時に私を見た。
私は一瞬だけその顔を見て、
(早くごまかさんと!…何とか、ごまかさんと!)と焦っていた。
お母ちゃんは私の顔を見て、なにかを感じたのか
「そ、それでもいいわね~、おじいちゃん。もうお義母さん達が主でやってくれるから。頼もしいね~」
と場を和ませようとした。
でも姑はもう…止まるはずがない。
「まぁまぁ、ご無沙汰して、ご無礼してます。」
母も笑顔で応えていた。
「この度は、ちょうどこちらに用事がありまして………」
「お義母さん…和菓子…頂きました」
「まぁまぁ。そんな気ぃ使わんでも…」
そんな社交事例を交わし、お腹の赤ちゃんの具合を聞き、場はスムーズに流れていった。
そこへおじいちゃんが畑で取れたスイカを持って来てくれた。
「まぁ!おじいちゃん。ご無沙汰しとります。お元気ですか?…」
私の親だけあって、もともと年寄り好きな母は、大舅であるおじいちゃん自らが、スイカを切って運んできてくれたことに感激してる…
「お口に合いますかどうか…」
おじいちゃんも嬉しそうにその場に座った。
「どうぞ食べたって下さい」
おじいちゃんに促され、母と叔父はスイカを口ににし
「とっても美味しいですねー。おじいちゃん家の畑で作られたんですか?…」
おじいちゃんを輪に入れて、そんな話で和んでいた。
ただ…おじいちゃんが嬉しそうにすればするほど、姑の顔つきは変わっていった…。
しばらくして、お母ちゃんが来た。
もともと免許は持ってないのでおばあちゃんの弟、つまりお母ちゃんからしたら叔父さんにあたる人に乗せてもらってきた。
この叔父さんは、昔から穏やかな人で私らが小さい頃には家に来る時に、いっつもマーブルチョコをお土産に持ってきてくれた。
優しくて大好きなマーブルの叔父さんだった。
辺りを見回したけど、そのとき姑は見当たらなかった。
舅は用事があり出かけたけど、姑には伝えておいた。
「これ。皆さんに。」
手みやげの和菓子を受け取り
「とりあえず寄ってって下さい。いまお義母さん呼んできます。」
そう言って玄関から入ってすぐの居間に通して外を見に行こうとしてた。
その時、おじいちゃんが部屋から出てきて、
「わしが呼んできたるから…」
そう言って姑を呼びに行ってくれた。
私はその間に、お茶を用意して母と叔父さんに出した。
「元気でやってるか?」
「うん。やってる。元気よ。」
「アンタ…えらい痩せたな…。身体大丈夫なん?」
「大丈夫やって。」
「………………。」
「あらまぁ!お義母さん!ご無沙汰で~。」
姑がけたたましく入って来た…。
妊娠8ヶ月になり、動きも不自由になってきた。
回復したおばあちゃんは仕事に行きだし、おじいちゃんと私の日常は、これまで通り姑の一喜一憂に振り回されるサンドバック状態だった。
この頃になると婦人科へ行く回数も更に増える。
そのたびに自分の時代と比べられ、家におるのに贅沢だと言われた。
初めてのお産への不安。この状況への不安で、日に日にナーバスになる私は、姑の言葉が苦痛でたまらず3回に1回は検診もサボった。
その日、たまたまお母ちゃんから電話があり、そっちに行くついでがあるから、ご挨拶がてら寄りたいという。
そういえば…ずっとお母ちゃんとこにも行ってない…
出かければ言われる…
そんな恐怖から出かけるのも億劫になってた。
詳しいことをお母ちゃんに話してない…それも憂鬱の種だった。
けど来るなと言えば余計怪しむ…
「いいよ……お義母さんに伝える。」
そう言って電話を切った。
何も起こさんでくれ……
厄介事をお母ちゃんに見せんでくれ…
私は、そう願っていた。
1ヶ月ほどでおばあちゃんは退院できた。
「もう我慢したらいかんよ。少しでも具合が違ったら私に言ってよ。約束だよ」
おばあちゃんと約束しといた。
姑は、こんな大事にする前にちゃんとせい!とブツクサ言っていたが、頭のおかしいヤツとは話にもならん…と私ももう何も言わんかった。
もともとおじいちゃんの送迎を見られてたり、病院での一件もあり、この頃から近所では、私への ”若いのによくやる嫁”という評判がたっていた。
田舎の評判は、すぐに広まる。
知り合いと会うたびに、道を歩いている人に。
姑は言われたのだと思う。
勘にさわらないわけがない…。
姑の私への風当たりは、これまでよりずっと強くなった。
それからも病院には通ったが、姑と交代におじいちゃんを連れて私が行くと、必ずと言っていいほど姑の毒舌会が病室で開かれていた。
「このおばあさんは本当によく働く人やった。」
そこはいい。
「けど、おじいさんは男のくせに身体が弱くて、いっつも病んでた。今も特等席に座ってテレビのお守りや!
な~んの役にも立たん!生きとるだけで金のかかる金食い虫や!」
そんな話を相部屋のお隣さんに四六時中聴かせていた。
聴かされながらベッドに寝てるおばあちゃんは、どんな気持ちでいるやろう…。
いま、私の隣に立ってるおじいちゃんは、どんだけ辛いやろう…。
毎度毎度のシチュエーションだったけど、その度に胸をえぐられるような思いがした。
本人がいる前で言ってる話なので、お隣さんも応えに困る。
「まぁまぁ…お年寄りやし……なぁ?」
このお隣さんも代わって入ったお隣さんさんも、姑の一方的な話しか知らんのに、廊下で会うと
「大変やなぁ……」と私達にしみじみ同情していた。
「そんなもん関係ない!!90だって100だって畑仕事してる人はいる!私の親はよ~く働いて……」
ここからは実家の親自慢。
アンタの親がどれだけ動けて、どれだけ立派だったかは知らん。
けどなぁ…アンタの親は人に対して言っていい事とイカン事を何ひとつ教えんかった親なんやろな…。
親自慢の姑に、いつも心の中で言ってたセリフや…。
おばあちゃんの入院は人づてに叔母の耳にも入り、叔母もお見舞いに来てくれた。
叔母は予告なしに来たため、その日はおじいちゃんが付き添い。夕方からは姑が行く日だった。
おじいちゃんの送迎担当の私もその日は身体が空いたので、今日は姑が来るまでおばあちゃんの側にいようと早めに病院へ行った。
それが幸いして叔母に会えた。
「母ちゃん…具合どう?
いつもありがとうね〇〇ちゃん。おばあさん達は〇〇ちゃんがあの家に来てくれて本当に救われてる。ありがとうね…」
(言ったほうがいいんやろか……。けど、この人に家で起こってる真実を教えたい。おじいちゃんとおばあちゃんを助けて!と言いたい…。)
頭の中でそんな思いがかけ回ってた。
でも相部屋の病室で言うわけにもいかん…
まってまって…それにおじいちゃん達に何も言わずに叔母さんに話してもいいんか…?
そうこうしてる間に、
「そんなら、また来るね」と叔母が言った。
「わざわざすみませんでした。ありがとうございました。」
頭を下げる私にニッコリ笑って部屋を出た叔母。
1つ…2つ…3つ……。
「あのな……私おばさんに言う。お義母さんのこと言う!ごめん…」
そう言って立ち上がろうとした私の手を、おばあちゃんが掴んだ。
「いかん!…お姉ちゃん!いかん!……いいよ。いい…。わしらはいい。…いかん。頼むから…頼むから…後生やから…」
おばあちゃんが手を合わせて私に頼む。
「なんでよ……なんでよ…」
涙がポロポロ出た。
おばあちゃんも涙をいっぱいためていた。
「ごめんな…こらえて…頼む…こらえて…」
口に手をあてて声を殺して泣いた。
おじいちゃんは座ったまま拳を握ってうつむいていた…。
おばあちゃんの入院には、おじいちゃんと姑が交代で付き添った。
今でこそ完全看護だけど、当時の個人病院では身内が付き添う事が多かった。
姑の付き添いは知らせを聞いた舅の兄弟や、ご近所や知り合いの方が来る時が主だった。
あとは、おじいちゃん。
私は家の事もあり、さすがに夫がいい顔をしないので、補助的な比率の付き添いだった。
もちろんその日のことは夫に話した。
「そりゃあ…病状が、そんなに酷いとは思わんかっただけやろ」
這ってでないと動けんのに?
高い熱もあったのに?
「自分じゃないんだから!お袋達の気持ちはわからんよ!!」
わからんくても状況を聞いて、アンタ何も思わんの?
「思うよ!思うけどお袋とおじいさん達の問題やろ?そんなら俺にどうしろって言うん!!」
この人と話すと、こうしていつも論点がズレた。
けど、こんな逃げ腰な夫をせき立てて、姑達に直せ!と言わせたところで聞くわけがない。
それなら私ら夫婦が、おじいちゃん達を連れて家を出る…?
何十年もこの家にいて、ここでの暮らしが我が世界になってるおじいちゃん達を連れて出て、夫のわずかな給料で食わせていける…?
そんなら、おじいちゃん達にお金を援助してもらって協力しながら暮らそうともちかける…?
あかんわ…家計のお金はみんな姑が握ってる…。
裁判起こして悪魔を追い出す…?
私1人があれこれ策を練ったところで、肝心かなめの夫が呑気な以上、何も進めん…。
おまけに私は妊婦やぞ…。
どう考えても行き詰まる策のなかで、救いのたねは舅の兄弟かも知れん…
そう思った。
荷物をおじいちゃんに持ってもらい病院の玄関に入ったら、中にいた人が一斉にこっちを見た。
たまたまその中に近所のおばさんがいて、
「どしたん!!〇〇ちゃん何してんのん!!アンタ…お腹に赤ちゃんおるのに!?」と駆け寄ってきた。
受付から看護婦さんが慌てて飛んできて、ストレッチャーを持って来てくれた。
すぐに診察してもらったら、おばあちゃんは肺炎をおこしてた。
「こんな高齢のおばあちゃんを…こんなになるまで医者に連れて来ないって…何考えてるんですか!処置が遅れてたら命取りになるんですよ!」
あたりまえだけど先生に怒られた。
そのまま緊急入院になったおばあちゃんは、おじいちゃんに付き添ってもらい、私は自宅に入院用の荷物を取りに帰った。
診察が終わった時に、待合室で会ったおばさんが
「お義母さん達どうしたの?おらんの?どこ行ってんの?知らせたらな…」と言っていた。
「知ってる…知ってるけど…私が連れてきた…」
そう言ったら
「知っててなんで……」と言ったまま、おばさんも黙ってた。
姑は、ところ構わずおじいちゃんを悪く言ってたので、近所の人はおおよその事情は察する。
私は家に帰って姑に、おばあちゃんが緊急入院になったと告げた。
それから、その時ご近所さんに会ったとも話した。
そうすれば姑が動くしかなくなる…。
それを知ってた。
予想どおり知り合いに会った話のくだりで姑の顔が変わり、姑は荷物を持って病院に飛んで行った。
「何してんの!どしたん?おばあちゃん!どしたん?」
「ごめん…オシッコ…行きたいねん…」
持ち上げようとしたけど重くて上げられん。何よりおばあちゃん自身が立っておれん。
おまけに身体がすごく熱い…
「ちょっと待ってな、おばあちゃん!」
急いで寝てたおじいちゃんを呼びに行った。
けど、おじいちゃんの力が弱すぎて助けにならん。
前の畑にいたのは姑。舅は見当たらない。
作業していた姑に慌てて話し「来て!お義母さん!早く来て!」と言った。
そしたら
「なに慌ててんの?死んだわけじゃあるまいし…風邪やろ。自分で行かせーや!年寄りは時間あるんやから」
そう言って姑は笑った。
「ねぇ!そんな場合ちがう!お義母さん!お義母さん!」
「……………。」
もう……いい!!!
すぐに引き返して、おばあちゃんの所に行った。
這ってなんとかトイレにたどり着き、おばあちゃんは用を足していた。
「なぁ!病院。救急車呼ぼう!おばあちゃん… 」
「いかん…迷惑かかる…いかん…」苦しそうに言うおばあちゃん。
そこへ姑が来た。
「なんや用足せるやないの!大騒ぎして!」
救急車を呼ぶと話したら
「バカか!!ご近所に恥ずかしい!!恥さらしな真似すな!!」
「…………そんなら…そんなら私が連れてくからいい!!」
おばあちゃんに待ってるように告げ、おじいちゃんに保険証の場所を聞き、自分の部屋に行ってバックを持ち、車に乗せた。
そして家に戻っておばあちゃんの前にかがんだ。
姑はもういなかった。
「おぶる!乗って!おばあちゃん!」
「そんなん…そんなん…」
「いい!!乗って!!おじいちゃん、壁づたいにして支えながら、おばあちゃん乗せて!!」
何とか背中に乗れたおばあちゃんを背負って、ついて来るようおじいちゃんに言い、車に向かった。
何十年経っても姑に対して許せない出来事がある……
その1つがこの日起こった。
その頃には私も妊娠7ヶ月に入り、3月なのに汗をかきながら家事をこなしていた。
3日ほど前から、おばあちゃんが咳をしてた。
風邪かなぁ…風邪薬飲む?
そう言っても「ありがとう。でも、いらんよぉ~。こんなんすぐ良くなるよぉ」
そう言ってたおばあちゃんだったが、咳が治らない。
薬を飲ませて休ませても咳だけがおさまらない。
「おばあちゃん、病院行こうか?」声をかけてみたが、寝てれば治る。の昔の人。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。寝てたらな少し楽になったよ。」
「そう?でもえらかったら言わなイカンよ。付いて行くから大丈夫だからね」
「気にせんといてな。それよりお姉ちゃんに移る。赤ちゃんおるのに移る。こっち来たらイカンよ」
と私を寄せ付けない。
念のために(あてにならんけど)舅と姑に
「おばあちゃん寝込んでるよ…。病院行かんでいいんかなぁ…?」と聞いてみた。
「そんなんいい。昔の人は医者なんぞ行かん!ほっとき!」やっぱりそう返ってきた。
その後、気にかけながら様子を見に行ったが、良くなる気配がない…
「なぁ、おばあちゃん。医者行こうよ。」
「ええよ。ええよ。心配いらんよ。移るから来たらイカン。移るから」
その会話を聞かれ
「いらんゆうてるやろ!ほかっとけ言うたやないか!!」と姑に怒られる…。
そんなことをしていたある日、廊下を通ったらズザッ ズザザッという物音…
音のする方を見て驚いた。
おばあちゃんが這ってこっちに向かって来てる!
でもそこは腹黒姑、そのまま終わるわけがない。
1週間たち2週間たち日をおうごとに、おじいちゃんへの愚痴を私に聞かせだした。
「あんなに悲しかったことはない…
出てくの止めんて、あんなんまで言われて…」
1日に何回も、事ある毎に言ってきた。
あんなんが最上級の悲しさならアンタ毎日おじいちゃんにそれ以上言うてたやん…
自分の言った毒吐きは、きれいサッパリ忘れて、人から言われたことだけ執拗に覚えてる…この都合のいい脳は、どうやって出来たんやろ……
そう思わずにはいられなかった。
それからの姑はおとなしかった。
おじいちゃんと会話することはなかったし努力の歩み寄りもなかったけど、誰かを傷つけずにいてくれる。
それだけで私やおじいちゃん達は充分だった。
舅と姑は、なんやよく2人でヒソヒソ話してたけど、穏やかな日常は続き 気持ちも落ち着いていった。
「あのな…お母さん。やっぱり出て行こうと思う…。
あそこまで言われておりたくない。」
見たこともないようなしおらしさで姑は言った。
(やった!)その瞬間そう思った。
出来るなら、この人には居なくなって欲しい…
そう思った。
でもコイツはそんなしおらしい女じゃない…
絶対ちがう……
そう思った私はカマをかけた。
「そうやね…おじいちゃんは止めんと言ってたし…お義母さんからしたら出て行きたくなるよね…。そんなにおじいちゃんが嫌いなら、お義母さんは自由になってもいいかも知れんね…」
そう背中を押してみた。
姑はずっと黙ってる。
(ほらな…やっぱり…)
そこで夫が言った。
「出るより、おじいさんにわかってもらうように努力すればいいやん」
(いやいや…そんなん困る…)
すかさず私が
「けど、お義母さんだって自由になりたいよ。ずっとこの家に縛られてきたっていつも言ってたもん。ねぇ?」
とさらに背中を押す。
そしたらすぐに姑が
「そやな…息子の言う通りやな…わかってもらうように努力せんとな。」
そっちかいな…そんなことだろうと思った。
はなから出てく気なんか無いくせに…。同情かおうとすなや……
同情されるつもりが、危うく出てくハメになりかけて、焦ったとこに息子のナイス助言。
そそくさと姑は部屋を出ていった。
失敗か…。
けど自分からわかってもらう。努力する。と言ったからには、これまでのようにはできんかも…
ほんの少しでも、この怯える日常が変わってくれたらいいな…。
そう願っていた。
後になって考えれば、これが最初で最後のチャンスだったのに……
「おまえ!こんなに泣かせて何とも思わんか!」
舅がおじいちゃんに詰め寄った。
でもおじいちゃんは
「ワシは止めん…」静かにそう言った。
それを聞き、更に割れん大声ばかりの大声で泣き出した姑に、見かねたおばあちゃんが
「母ちゃん…泣かんといて…泣かんといて。
おじいさん…そんなん言ったらいかん…」
そう言いながら姑の背中をさすっていた。
「おばあさぁぁぁ~ん」と抱きついて、ますます泣きわめく姑。
私は冷めた目で見ながら思っていた。
よくやるよ…
散々おばあちゃんにも意地悪したくせに…。
駄々っ子の派手な泣きわめきでそれ以上は話にならなかった。
それから部屋に戻って考えていた。
あの人ら出てくんやろか…
そうなったら、おじいちゃんとおばあちゃんを私らが支えていくんやろか…
若い私には、それがどういうことなのか全然わかってなかったが、それでも姑にビクビクして暮らすより、はるかに幸せだと思っていた。
そのとき私達の部屋の戸を誰かがノックした。
はぁーい…
開けたら姑が立っていた。
「いや…それくらいなら無理せず出来るから…」
私がそう言うか言わないかのうちに姑が
「社長送迎してもらって!アンタいいねぇ!なんもせんと…」
といつものが始まった。
旦那もいたことで変に強気になってしまった私が、「違うよ。おじいちゃんは頼んでないよ。私から言ったんよ…」と言ってしまった。
言い返した嫁が気に入らない。
大舅を庇ったのも気に入らない。
「アンタなんか、どうせ嫁に私の悪口散々吹き込んどるんやろ!」とまた言う…
そんなんただの1度もない。
むしろ散々大舅の悪口を私に聞かせたのは姑のほうだ。
このままじゃ、おじいちゃんが悪者になる…。
そう思って「言ってないよ。1度もない。」
そう言った。
「なんやの!アンタ!!嫁のくせに生意気や!!」
やっぱり私に回ってきた。…
それを見たおじいちゃんが口火を切った。
「お前は何もせんと言うが、ワシが掃除機をかけてたら、アンタはバカだから掃除機もかけれんだろ!教えてやるからかけてみろ!と言うて…あげくにヘタクソ!だと怒って二度と触るな!と言ったやないか…」
初めておじいちゃんが反撃したのを見た。
弱々しく震えた声で涙をためてそう言った…
それでも舅は何も言わなくて
旦那も何も言わない。
それに本当に腹が立ち、私の中で糸が切れた… 。
お義母さん。嫁のくせにって私に言ったよね?
お義母さんだって、おじいちゃんには嫁だよね?
ならなんでいつもそんな言いかたするの!
いくら何だっておかしい!
ねぇ、おかしいと思わんの?
旦那にも聞いた。
旦那はやっぱり何も言わんかった…。
そしたら突然、舅がおじいちゃんに、「おお!気に入らんか!そんなに気に入らんか!なら俺達は出て行く!!」と言った。
おじいちゃんは黙ってた。
私は内心(出て行ったらいい…)
そう思っていた。
すると舅を味方につけた姑は大声をあげて泣き出した。
うわぁああああーん…うわああああああーん…
駄々っ子のように目をこすり足をバタバタさせて泣き出した。
そんなふうに泣く大人を、私は見たことがない。
あ然とした。
この人……性格どうのこうのでなく、病気なのかも知れない…
そう思えるくらいの泣きかただった。
無表情な私の日常が繰り返されてたある日、とんでもない事件が起こった。
その日はおじいちゃんの通院日。
姑が送迎などするわけもなく、私が来るまでおじいちゃんは通院の度に近所の同じ病院に通うお年寄り仲間の家のお嫁さんに一緒に乗せて行ってもらってた。
私が来てからは、そのお嫁さんと私が交代で2人のおじいちゃんを送迎していた。
姑はいつも私の車に乗るおじいちゃんに「社長様やなぁ。贅沢に!なあんもせんと運転手付きか!」と罵った。
その日は私の当番ではなかったのだけど、あちらのお嫁さんが都合悪くなり、急きょ私が行くことになった。
いつも通りおじいちゃん達を乗せて送迎し、おじいちゃんと自宅に帰り何事もなく夕方になった。
その日は仕事から早く帰った旦那も一緒に、みんなでの夕飯だった。
その時、都合が悪くなったお嫁さんからさっきお礼の電話があったと舅が話しだした。
お嫁さんと言ってもおじいちゃん家のお嫁さんだから、姑と同年代になる。
その人が、若いのにせっせと送迎してくれる私を誉めていたと舅は言った。
また、姑の勘にさわった。
この間、夫は何をしていたかというと仕事と町内の役員だった。
仕事から帰るのは7時頃だったけど、3日と空けず地元の仲間と飲みに出かけていた。
男のすることに何も言わず送り出すのが嫁。文句や嫌な顔をするのは不出来な嫁…。
誰かに吹き込まれた男の勝手な都合の美学に酔いしれ、自分の家の様子になんて、気にもかけていなかった。
時々聞かされる妻の愚痴には、「気にするな流しとけ」
「そうとるからそう思い込んでるだけやろ」
「じゃあどうしろて言うんか!」
「なら言って来てやる!」
このうちのどれかだった。
言って欲しい。直させて欲しい。
けど夫は勝てん…。
姑も直るようなレベルじゃない…。
結果起きるのは、私へのよりひどいイジメだけ…。
だから言わんでいい…。
どうもせんでいい…。
私も、もう言わんとく…。
そんな流れで私の心は塞いでいった。
朝おきて夫と義妹のお弁当を作ってからみんなの朝ご飯を用意する。
みんなが食べ終わったら片付けをして洗濯機を回す。
その間に各部屋を、ゆっくりていねいに掃除する。
そのあと食品の買い出しに行く。大人数だったけど私は専業主婦としてのみこなしていた。
姑達が昼に畑からあがってきて席に着いたら、目の前にある箸を持って温かいおかずを食べ始めれる。
夕飯もそう。
10時と3時にはおやつとお茶を届けた。
それが専業主婦の仕事だと全神経を使っていた。
良くしてくれる。ありがとう。
舅が私を労うと姑は気に入らなかった。
「家におるだけのもんや💢なあんもしとらん!1日中汗水垂らして動く私らからしたら遊んどるようなもん!」
直ぐに口を挟んで否定し、誰より自分が1番だった。
人に厳しく自分に甘い。
それが姑だった。
時には口元に運んだおかずをわざとポロポロ落とし、「あぁ落ちたわ。落ちてしまったわ~。でもいいか!どうせ何もすることない人がいるから。
片しといてもらお。」
そう言いながらテーブルの下で踏んづけて、さらに広げたりされた。
そんな姑に言い返す気力はもはやなく、ただ最低限しか関わりたくない。時よ早く過ぎてくれ…。
それだけを思ってた。
姑にとっては、妊娠中であれ農作業を手伝うのは当たり前だし、私の時は畑作業中に産気づいた。が口癖だった。
妊娠初期に比べ回数の増える妊婦検診も、姑に言わせれば贅沢。
毎日の早朝からの完璧な掃除と家事と畑作業。
そして定期的な風呂のお湯抜き…。
私の身体は疲れ切っていて、ある日いつもと違う腹部の張りを感じた。
それでも休んで言われる嫌みが怖くて作業をしていた。
張りは徐々に腹痛に変わっていき、休憩になってトイレに行ったら出血していた。
微量だったから気づかなかったが妊娠中というのもあり、勇気を出して病院に行きたいと告げた。
「何してんだ!自分の身体は自分で管理せんか!」
また怒鳴られた。
行って来ます…。
そのまま流して病院へ向かった。
「無理な行動や身体に強い負担をかけられていませんか?まだ安定期ではないし、流産の危険性もあるんですよ。妊娠中に激しい動きは負担になるに決まってるでしょう?ご家族の協力のもと安静になさるように。」
医者からもまた怒られた。
協力してくれるご家族のいない人はどうするの?
横になれば怒鳴られるご家族のいる人はどうすればいいですか?
医者にそう聞きたかった。
自宅に戻り医者で言われたことを話した。
舅は「そりゃあいかん。もう無理はせんでいいから休んでおきなさい」と言ってくれた。
黙って聞いていた姑は、舅が立ち去り私と2人きりになるのを待ってから「やぐい身体…」
そう吐き捨ててどこかへ行った。
わかってはいたけど辛かった。
あんたの孫になる子なんよ…。
あんたの息子の子なんよ…。
そう言いたかった…。
こんなことしてたら赤ちゃんダメになってしまう…。
そう思った私は、それからは姑に何を言われようと畑には行かなかった。
日常の私は、姑にわずかな嫌みも言われたくなくて早朝から起きて全ての部屋をピカピカにした。
料理も手慣れてきておじいちゃん達用の柔らかいもの。
舅達用の煮物。そして旦那の好きな揚げ物と、様々な物を作った。
それでも姑は、わざわざ奥の隙間のホコリを見つけては怒り、煮物は辛いと捨てたりした。
私にはもう、そんな行為は慣れっこで(またやってる)としか思えなかった。
何を言われても(また言ってる…)
何をされても(またやってる…)
でも、私のサンドバックのような冷めた態度は姑には面白くなかったんだろう。
そのうち私とおじいちゃんとおばあちゃんには、被害者どうしの結束が出来ていた。
舅には、たくさんの兄弟がいて本家である家には年末年始とお盆に兄弟達が集まった。
夫の叔父や叔母達は私をとても可愛がってくれた。
同時に、この人達も姑が苦手なのだと知った。
叔父や叔母に対しても平気で毒づく姑だったけど、誰も言い返す人はいなかった。
叔父達からすれば、おじいちゃんおばあちゃんが人質にとられているようなもの。
姑の発言に感情的になり修羅場になれば、後に残されたおじいちゃん達の状況が悲惨になる。
叔母達はそれぞれの姑達と同居している嫁の立場だったから尚更だろう。
でも表面を見ただけでも自分の親達が良い扱いをされていないのはわかってたらしく、姑以上に私に声をかけてくれた。
叔父さん達が来てくれて嬉しそうなおじいちゃん達を見られるのも嬉しくて、忙しくても私は盆正月が大好きだった。
私が帰ってきた時にはもう寝てしまっていたおじいちゃんおばあちゃんが、翌日私を見て泣き出した。
おらぁ…おらぁ…お姉ちゃんが出て行っちまって…もう帰ってくれんと思って…
おばあちゃんはポロポロ泣きながら私に言った。
「ごめんね。だいじょうぶだから。もう行かないから…ごめんね」
こんな家でも私の存在をこんなに思ってくれる人がいる…。
それが、もう一度頑張ってみよう。
そう思える力になった。
それからは鬼の首でも取ったかのように君臨する姑と、それに怯える私と大舅達という構図が出来上がっていった。
姑達が1日中いない日があるとおじいちゃん達は私に「お母さんのところに行ってやれ」と野菜を持たせてくれた。
私らが洗濯物入れとくから、母ちゃん達がおらんうちに行ってやれ。と言ってくれた。
あの1件以来、私は母に愚痴は言わなくなった。
言ったところで実家に帰れるわけじゃない。
また出たら立場はさらに悪くなる。
そう。
二度と戻らない覚悟でない限り、家を飛び出すことはできない。
そうわかっていた。
「ただいま…」そう言って家に入ると、居間に舅夫婦が揃って座ってた。
なにを言えるんか言ってみい。
姑の目は、そう言いたそうだった。
舅は「帰ってきたか、良かった良かった」と喜んでいた。
「いきなり出て行って…ご心配かけました。申し訳ありません。」
2人に手をついて謝った。
すかさず姑から「帰ってこんと思ってたわ!息子に言うたらほかっとけ!て言うからな。好きで出たもんはしゃあない。
けど戻る時は、どんな面下げて戻るんかと思ってたわ。」
あざけ笑いながら言っていた。
「あのさ…お腹に子供が出来た。だからお袋も、もうちょっとコイツを気遣ってやってくれ…」
夫が言った。
いや…頼んだ。のほうが合ってる。
「そんなんはな…」
言いかけた姑を遮って、舅が「はいはい、もういいな。オメデタか!そうか良かったなぁ。帰ったんだからもういいじゃないか。ハイハイこの話は終わり終わり」
(なんも言ってくれてないし。頼んだだけやん…。)
夫の次の言葉を期待してたが、夫はそれきり何も言わなかった。
あぁ。こういう人なんや…。
まるで長男教に洗脳された信者や…。
事なかれ主義の舅に促され、姑はしぶしぶ風呂へと消えた。
「なんで?何も言ってくれてないやん!」
旦那に訴えたら、「言ったよ。言ったじゃないか!お袋の性格は変わらん。聞き流せ」
やっぱりこの人も変や…。
この家には姑に意見できる人はいないんだ…。
だからあそこまで上り詰めたんや…。
牢獄の中に入れられた囚人のように、私は少しずつ諦めることを覚えていった。
実家に帰ってるその間に、私には行きたいところがあった。
生理が遅れてた。でもあっちにおったら、どこに行くにも〇〇行って来ます。何時頃帰りますと言わんとならん。
農作業がある日には露骨にイヤな顔もされる。
そんな事情で行きそびれてた婦人科に行った。
おめでたですよ。3ヶ月。
先生にそう言われた。
正直私には嬉しさより今の置かれた状況で子供を産むのが不安だった。
でも逃げてはおれん。お母さんになるんやから。
夕方、会社にいる夫に電話した。
「話がある」
そう言うと「わかった」
そう言って夫はその夜実家に来た。
夫には、これまでのいきさつを話した。
「俺が言うから。帰って言うから。一緒に帰ろう」
連絡もせんと何言うてんのや…。
帰ったら姑に言われるであろう嫌み。
あの人との同居生活。
不安だらけだったけど、別居は浮かばなかった。というより無理に決まってるから考えもしなかった。
旦那との離婚ももちろん考えなかった。
父親がいなかった私は、父親という存在に執着があった。
母子家庭の貧困生活も身に沁みてわかってた。
だから旦那の存在は絶対だった。
おじいちゃん、おばあちゃんもいるし…心配してるやろな…。
結局私は旦那に説得されて一緒に帰ることにした。
お母ちゃんは、「お母さんになるやろ‼負けるな‼」と玄関にいる私の背中を押してくれた。
心配させ損やな。ごめんな。お母ちゃん……。
これが嫁ぐって現実なんやな…。
帰る車中の中で、「どうであれ突然出てくのは家族に心配かけてる。」
それはお前が謝らんとな。
夫に言われた。
帰ったら起きる修羅場を想像して、私は不安でいっぱいだった。
でも。強くなれ!と一生懸命自分を奮い立たせながら窓の景色を見ていた。
実家に着いたら、お母ちゃんが何も言わんと迎えてくれた。
ちょっとな…もめてん😔
その日のいきさつだけは話したけど、お母ちゃんにはお湯を抜かれることも人前で笑われることも言えんかった。
言ったら私よりお母ちゃんが悲しい…。
そう思って言えんかった。
その時の私は感情的に実家に帰ってしまい、もう家を出る!とか離婚する!なんて覚悟なわけじゃなかった。
ただ、なんやいたたまれんくて実家に行ってしまっただけだった。
その日は怒りで感情的になってたけど、次第にこれで帰ったら、姑に何言われんのやろ……。
そんな不安が出てきた。
頼みの旦那からは、その日も次の日も何の連絡もなかった。
お母ちゃんは、だから言ったんよ💧同居は…て。
そう言って話を聞いてた。
その頃田舎でやるお葬式やお年忌は全て自宅でやった。
煮しめもお寿司も汁も全部手作りでフライと刺身の折り詰めだけを仕出し屋に頼んだ。
巻き寿司を100本近く作るから、そういう時は夜中の1時から大釜でご飯を炊き、酢飯を作って巻いた。
もちろん姑は大変だったと思う。
よくやってきたなぁとも思う。
でも忙しいと当たり散らす人だったから、私はいつも間違えんようにピリピリして手伝ってた。
1番初めに「味噌汁を作っといて」て言われたから、大鍋に作って姑に味見してもらっておいた。
朝になって、お手伝いの町内の奥さん達が来てくれて、作った料理の確認をしてたとき、姑が「すまし汁作らんと」と作り出した。
なんか鍋あるよ。これ味噌汁やないの。これでいいやん。とその奥さん達が言うと「こんなん古いからダメ!すまし汁やないと。ほんとに!何も知らんから…」
そう言いながらザザーッと流しに捨てられた。
初めから、これがしたかったんやな…。
そう思ったらやりきれんくて離れに行って泣いてしまった。
そしてその日の夕方。お年忌の片付けを済ませてから、私は家族に何も言わず実家に向かった。
>> 12
お風呂の件を回避してから、姑は以前どおり舅と入るようになった。
でも夫が町内の用事で先にお風呂に入って行く日は必ず抜かれた。
それで足し…
姑の手口は、私に面と向かってイヤミを言うより、第3者の前で私を馬鹿にして笑うことだった。
田舎では農作業の忙しい時期に近所の家とペアを組んで、互いの作業を手伝い合うことがある。
そのほうが多人数で仕事ができるから。
そんな時が姑の大チャンス。
不慣れで手順のわからん私が、「お義母さん。これどこに運ぶの?」ときく。
するとペアのオバちゃんがいる前で「あそこに決まってるわぁ!そんなんもわからんの~?まぁ~ホントに猫の手よりも役に立たんなぁ~」とゲラゲラ笑う。
くわ持ってチョットよろけたら「何しとるん(笑)まぁ~箸より重いもん持ったことないんか!」と大笑い。
1度は私も笑って気にしないフリをする。
でも姑は、同じセリフを1回につき何度も何度も繰り返す。
笑いながら。吹き出しながら。永遠と繰り返す。
聞いてるオバちゃんも私に気を使って苦笑いする。
だけどあんまりクドいから、そのうち見かねて「そんなんそのうち慣れるよなぁ~。一生懸命若いのに手伝ってんのやし…」とフォローしてくれる。
でもそしたら姑が「だってぇ~そんなんどこ置くかわかるだろうに~」とまた同じセリフを初めから。
だから他人は「あぁ…無駄や。この人💧」と何も言わなくなる。
私は、余所様の前で嫁姑がケンカしたらみっともないからこらえる。
このシチュエーションが姑は大のお気に入りだった。
まともな人なら相手が引いてるのも、それは結局まわりまわって自分が笑われる羽目になるのにも気づく。
でも姑は、黙ってる相手は自分に同意してて、嫁には人前でダメージ与えてやったわと受け取れるらしい。
このシチュエーションは色んな人相手に幾度となく繰り返された。
お風呂の件を回避してから、姑は以前どおり舅と入るようになった。
でも夫が町内の用事で先にお風呂に入って行く日は必ず抜かれた。
それで足して入った翌日、「アンタどんな使い方してんの!アンタのせいで娘が朝シャンできんかったんよ!」と怒鳴られたこともある。
でも毎夜ではなくなったから、マシやと思うようにした。
ただ、その一件から私は姑に嫌悪感を抱くようになった。
やり方が汚い陰険さが、どうにも好かん。だから何となく前のように天真爛漫に話しかけたりはできなくなってしまった。
夫の留守中は、お爺ちゃんやお婆ちゃんだけが私の癒やし相手だった。
2人とする昔の話やテレビの話、夫の子供の頃の話…それで癒された。
話せば笑顔も出る。
でもそれがまた姑の癇にさわったらしい。
日に日に姑の陰湿さは増した。
- << 14 姑の手口は、私に面と向かってイヤミを言うより、第3者の前で私を馬鹿にして笑うことだった。 田舎では農作業の忙しい時期に近所の家とペアを組んで、互いの作業を手伝い合うことがある。 そのほうが多人数で仕事ができるから。 そんな時が姑の大チャンス。 不慣れで手順のわからん私が、「お義母さん。これどこに運ぶの?」ときく。 するとペアのオバちゃんがいる前で「あそこに決まってるわぁ!そんなんもわからんの~?まぁ~ホントに猫の手よりも役に立たんなぁ~」とゲラゲラ笑う。 くわ持ってチョットよろけたら「何しとるん(笑)まぁ~箸より重いもん持ったことないんか!」と大笑い。 1度は私も笑って気にしないフリをする。 でも姑は、同じセリフを1回につき何度も何度も繰り返す。 笑いながら。吹き出しながら。永遠と繰り返す。 聞いてるオバちゃんも私に気を使って苦笑いする。 だけどあんまりクドいから、そのうち見かねて「そんなんそのうち慣れるよなぁ~。一生懸命若いのに手伝ってんのやし…」とフォローしてくれる。 でもそしたら姑が「だってぇ~そんなんどこ置くかわかるだろうに~」とまた同じセリフを初めから。 だから他人は「あぁ…無駄や。この人💧」と何も言わなくなる。 私は、余所様の前で嫁姑がケンカしたらみっともないからこらえる。 このシチュエーションが姑は大のお気に入りだった。 まともな人なら相手が引いてるのも、それは結局まわりまわって自分が笑われる羽目になるのにも気づく。 でも姑は、黙ってる相手は自分に同意してて、嫁には人前でダメージ与えてやったわと受け取れるらしい。 このシチュエーションは色んな人相手に幾度となく繰り返された。
事の始まりはお風呂だった。
その頃うちには深夜電力でお湯を供給するタンクがあって、そこからお風呂のお湯もキッチンのお湯も使っていた。
1番風呂は大舅夫婦。次が舅夫婦で義妹。
仕事から帰った夫。私は最後に入った。
いつものその順序が当たり前だったのに、姑が夫の後に入るようになった。
姑の後は私だけ。
ところが、私が片付けを済ませて入ろうとするとお湯がない。
足首の下くらいの水位になってる…。
気づけば良かったんだけど鈍感だから、初めの2、3回は家族が使い尽くしてなくなっちゃったのかな?と、湯を足して入った。
入れるようになるためには、せめて膝までくらいは足すわけで💧
ところがそうして私が湯を足して入ると、タンク内のお湯が終わってしまい、毎朝シャンプーする義妹のぶんと朝の片付け用の湯までしか出なくなる。
つまり昼以降は台所で湯が使えない。
すると「なんで?💢なんで?💢」と姑が騒ぐ。
私……………のせい??
私がお湯を足すから???
でも、じゃあどうしろと💧
思い余って旦那に話したら「え?俺の風呂上がりには溢れるほど湯がある」という。
でも私の時にはない。
あぁ…抜かれてたんだ…。
それでやっと気づいた。
でも入らないわけにはいかなくて、もちろん抜くなとも言えなくて…
仕方がないから旦那に合わせて片付けをそのままにして一緒に入った。
それもまた姑を逆撫でしてしまったんだけど…。
ずっと後になって気づいたのだが、姑夫婦の部屋は当時本家の中にある小さな1室だった。
姑目線で考えれば、自分は昔々に代々続く農家に嫁いで、ずっと仕事。小さな部屋を与えてもらったのもそれほど前の話ではない。
ところが時代は変わって、そこへ農家も知らない素人嫁が嫁いできた。
周りは若い嫁を大切にし、苦労知らずの嫁は楽しそうに輪の中にいる。
周りも嫁につられて楽しそうに笑う日常。
私はきっと義母からは、お気楽甘え嫁に見えたんじゃないだろうか…
ところがそんな経緯も姑の事情も知らない私は、言われた仕事を黙々とこなし、大家族万歳のように笑ってるわけだから…ムカついたんだろうな💧
少しずつ少しずつ、大舅と共に私は姑の標的にされていった。
例え気にいらない相手でも、例えどんな理由があっても、人には言っちゃいけない言葉がある。
私はそう思うし、親からそう教わってきた。
だから弱者に対してキツい口調や反撃ではなく、一方的に暴言を吐く姑が不可解でたまらなかった。
この人は、どんな親に育てられたんだろう。
どんな家庭環境だったんだろう。
姑という人格が謎でいっぱいだった。
でも大舅に向けられたその矛先は、すぐに私にも向けられるようになった。
結婚前、同居が不安だった時、私の気持ちをほぐしてくれたのはこの家の大姑だった。
夫のおばあちゃんは、今でも私が出会った誰より大らかで、笑顔を絶やさない心の優しい人だった。
付き合ってる頃、あまり自宅に連れて来たがらなかった夫が、初めてここに私を連れてきてくれた。
そのときお義父さんお義母さんは留守で、いたのはおばあちゃんだった。
私が夫の部屋に入って暫くしたら、おばあちゃんがイチゴを持って来てくれた。
「こんなん…食べるかね?お姉ちゃんは嫌いかな?おばあさんが切ったからアカンかな?」と遠慮がちに持って来てくれて。
私が喜んで受け取ると「今日は寒いよ。あったまりよ。湯たんぽつくって来たるな」と心配してくれて…すごく心が温かくなって、こんなお婆ちゃんのいる家に来たいな~…そう思った。
この人は本当に、代々息子にも孫にも伝え継いでいきたい素晴らしい人だった。
大舅であるお爺ちゃんは、身体が弱いせいかいつも穏やかに座っていた。
私からすれば、穏やかなお爺ちゃんと仏様のようなお婆ちゃん。それ以外の何ものでもなかった。
だから余計に姑への怒り、何も言わない舅への怒り。孫である義妹と夫への不信感が募っていった。
漠然とした違和感はコレやったんか…。
考えてみたらお給仕する私に
「そんなん自分自分でやればいい!」
姑はよくそう言った。
私を気遣って言ってると思ってたけど、思い起こせば大舅夫婦も舅も、初日は当たり前のように自分でご飯つけようとしてた。
湯のみも自分で取ってお茶も入れようとしてた。
そうか…セルフだったんやこの家…。
そう気づいたけど、ヨロヨロ歩く大舅がつけんでも、私がやれば早いやん。
そう思って私はその後も続けてた。
そしたら後日、それが仇となり大舅が姑にまた怒鳴られてしまった。
「1日中なあんも動かずに…よう上げ膳据え膳で飯が食えるなぁ💢」
大舅のおじいちゃんは辛そうにうつむいていた。
たまらんくなって私が
「だって私の仕事だもん💧いいよね?おじいちゃん。私の仕事だもん💧」
姑は大舅を睨みつけて黙った。
お母ちゃん……1番偉いのは、おじいちゃんやんなぁ?
お年寄りにこんな言い方したらダメやんなぁ?
何があったん?この人ら…何でそんな言い方するん?
不可解でたまらなかった。
けど百歩譲ってもお義母さんの言い方はない!
それだけは思った。
なんか……おかしい。
漠然とだったけど、この家に違和感を感じていて、でもそれが何なのかはわからずにいた。
はっきりわかったのは、その日の夕飯時だった。
その場にいたのは大舅夫婦と舅夫婦、それに私。
大舅が「明日は日曜やなぁ…」と呟いた。
ほんとは祝日やったけど、休みやから日曜と言ったんかな…?
それくらいに私は思ってた。
そしたら突然姑が
「バカか!明日は祝日や💢もうろくしてボケたか!どこが日曜だ💢」
と怒鳴った。
私は驚いてみんなの顔を見た。
けど舅は何もなかったように食事を続けてる。
姑の勢いは止まらんくて続けざまに「日曜だって。バカじゃない?曜日もわからんようになったら死ぬしかないわ!」と笑い出した。
ええ!?何なのこの人!?
大舅は何か言いかけたけど、それを大姑が”言ったらダメ!”という素振りで首を振り止めた。
そのまま夕食は終わった。
何なの!?…あれ…何なの!?
仕事から帰った夫に恐る恐る聞いてみた。
「あのな…おじいちゃんとお義母さんて…仲悪い?」
そしたら夫が「なんで?何かあった?」
私は今日のいきさつを話した。そしたら
「お袋はいつもそうだ。嵐が過ぎ去れば終わる。」
何でもないことのように夫は言った。
違うよ…絶対違うよ。そんなん…と思わず言ったら
夫は言った。
「お袋とおじいさんのことに口出すな」
なんやこの家……変な家💧
そう思ったのが、この夜だった。
向こうの家に行ったら1番偉いのは大舅さん。続いて大姑さんで舅さん…
あんたは1番下なんやからね。
嫁ぐ前に何度となく母に言われた。
うるさいのがおらんくなって丁度いい。結婚式には気楽になったと高笑いしてやるわ。
そう言っていた母は、式の当日私の花嫁姿を直視できなかった。
女手1つで育ててくれてありがとう…
お母ちゃん…ありがとう。
離れてやっと気づくなんて…情けない娘だね。
ほんとにありがとう。
結婚式の写真の母を見て、式のビデオで唇を震わせて涙をこらえる母を観て…
わたし頑張るよ。お母ちゃん…頑張るよ。
そのたびに思った。
夫は会社員。舅と姑は農家を営み、大姑は今で言うシルバー人材のような所から頼まれて草苅りの臨時パート。
義妹は大学生活を楽しみ、大舅は高齢で身体が弱り家で過ごしていた。
私は家事全般を任され、早朝から掃除洗濯と動き回った。
情けないことに花嫁修行もしてなくて料理も不慣れだったけどなにせ7人分+夫と義妹のお弁当。
一念発起で本を片手に張り切ったりして…
そんな緊張と奮闘のなか、毎日は忙しく過ぎていった。
当時この家には大舅、大姑。
舅、姑、義妹がいた。
家には2間ある離れがあって、そこが私達の部屋だった。
生活費の内訳は、私達が食費。
他の全てを義親が出してくれた。
7人分の食費は驚くほどかかったけど、大姑が畑で野菜を作ってくれる。お米は自分の家でとれる。だから若い夫のお給料でも充分やっていけた。
早く赤ちゃんを。跡継ぎの男の子を。
周りから度々そう言われたけどそれも私には嬉しかった。
私達の赤ちゃんを、みんなが待ち望んでくれてる。
それが嬉しかった。
27年前、私はこの家に嫁いだ。
黙々と仕事をする真面目で誠実で真っ直ぐな彼との結婚で、彼が跡取り長男なこと。
それだけが私の母の心配要素だった。
義親と同居……正直不安はあった。
でも若い私は、彼が守ってくれると信じた。
何より長男なのは彼のせいじゃない。長男というだけで彼と別れることのほうが、当時の私には愚かに思えた。
若い故に綺麗なものになびき、それが正しいと疑わなかった。
それでも頑張る。思いは通じる。
そんなふうに意気込んでこの家に足を踏み入れた…。
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