女嫌い 激増のワケ

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2011/03/20 04:09(更新日時)

史上空前の女価値低落時代はなぜ到来したのか?

正確にいうと、25才とも28才とも30才とも35才ともいわれる、女限界説は常識化してしまった。


これほど、女の価値が下がったことは歴史上なかったと思う。


悲しいけど、この現実とどう向き合いますか?

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No.1465036 (スレ作成日時)

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No.351

欲望に負けやすい人は、信用されない。誘惑に弱い人は、すぐに折れてしまう。

何事につけ有利か不利かで判断し、損か得かで揺れる。

欲望がそうさせてしまう。ラクして満足を得る方法を常に探している。


仕事でいえば、苦労の多いことをやりたがらない。メリットがないことをやりたがらない。時間が空けばサボる。イヤになったら来ない。権利だけを主張したがる。


簡単にいうと、イヤな奴ということになる。


できれば関わらないのが一番だ。いつか裏切られる。

欲望を満たすために競争をしているというのに、強欲な者は嫌われてしまうのだ。

世の中は、整合性が取れていない。

No.352

ややこしい話になった。

欲望に勝つか敗北するかが現代だ。社会は欲望の拡大で発展している。


しかし、自分自身が欲望にまみれると破綻してしまう。欲望にはキリがないからだ。

そこで、自分は自分、他人は他人と区別して、自分をコントロールしなければならない。


欲望にまみれると、信用されない人間になってしまうから一層の注意が要求される。


要するに、ガツガツした奴を満足させておきながら、自分は冷静でいることが求められるということだ。


いわば、暴力団が女をシャブ漬けにしてソープで働かせる、あの手法が、いよいよ一般社会でも要求されているともいえる。

それほど一般人も、快適や快楽に弱くなってきたといえようか。

No.353

違法なことは論外だが、ガツガツした奴に手数料を支払って働かせることは有益かもしれない。


ただし、手数料を支払うからといっても、他人はイヤなことや難しいことはしない。

やはりラクをしたいのが人間だ。

カネだけでは動かないとしたら、どうやって他人を動かせばよいのだろうか?

まず、他人は動き方を知らないから、その点を解決してやらねばならない。

客を探す方法がわからないのだから、客を探してやらねばならない。


客と会っても、交渉の仕方がわからないだろうからサポートしてやらねばならない。

ようやく取引に漕ぎ着けたら、その後の客として、育ててもらわねばならない。

育て方もわからないだろうからサポートが必要だ。

二人目の客も、三人目の客も、用意してやらねばならないだろう。

意味があるのかという話になる。

No.354

カネを得たいというガツガツした奴を動かすのは、結局のところ、あまり意味がない。


カネが欲しい奴は、不思議と動かないものだからだ。ガツガツしているわりに動きは鈍い。


世の中は、たぶんこういう奴とは無縁のタイプの人間が動かしているのだと考えられる。


ガツガツしていない人が、結果的に成功して、カネを手に入れているのだ。

しかし、カネを手に入れた結果、ほどほどでブレーキがかからず、ガツガツ組に入っていく。


そして、やりすぎて破綻するか、ワンパターンで長続きせず消えていく。

で、地道な奴だけが生き残る。おそらく、そういうメカニズムなのだ。

No.355

シャブ漬けソープ嬢は、シャブが欲しいから働く。

しかし、ガツガツ人間は、カネが欲しいからといって動いてはくれない。

ということは、ガツガツ人間をアテにしてはいけないことになる。


やはり、欲望に飢えたガツガツ客に直接アピールするしかない。

直接アピールといっても、商品やサービス力が必要だし、信用力もないと客は近づいては来ない。

甘い蜜がダラダラと流れ出していないと、客は近づいて来ないのだ。


甘い蜜をどう作り、どうアピールするかが、まず根本的な問題だ。

そこにウソがあれば、すぐに客は離れていく。


これこそがこれからの日本の課題とも言えよう。

魅力的な甘い蜜が作れたら、アピールしなければならないが、これまた難題なのだ。

効果的なアピール方法と幅広い宣伝は、体力勝負になる。

ここでギブアップするケースがほとんどと言える。

No.356

話が脱線したが、欲望を求める者は、自分勝手なのだ。

自分は動かずに、甘い蜜を舐めたいのが、ガツガツ人間といえる。

ガツガツ人間は、甘い蜜を楽しみにしているから、期待を裏切られたら、感情的になる。

動かず、文句タラタラの人間が、つまりガツガツ人間である。

彼ら、彼女たちは、思い通りにならなければ、簡単に裏切る。


ちょうど、不倫をする主婦みたいな感じだろう。不倫主婦は、不満があると周囲を簡単に裏切る。

不倫主婦が増えたのも、ここ十数年くらいの話であり、その辺はバブル期の親がだらしなかったためである。

不倫主婦の親たちは、人間のクズだ。いまや団塊と言われる巨大年代層であるが、頭の中は、ゴミだ。

なんでも手に入った時代を生きたから、なんにもできない。よくパソコン教室で、マウスと格闘しているアホは、この年代ばかりだ。

欲望人間を信じてはいけない。

No.357

>> 356 ご無沙汰しております
実は今までのレスを拝読していて、欲望を制御出来ない人間とは、不倫する人のことかと思っておりましたが…
納得しました

私の想像ですが…

バブル期に有り余るおこづかいで年不相応な贅沢をし、トレンディドラマとやらを見て恋愛至上主義者となったのでしょうね

団塊ジュニアがすべてそんな人とは限らないと思いますが、不倫に走る要因としてはあり得ると思います

No.358

依存症の問題は深刻だ。

ギャンブルや酒、ショッピング、セックス、過食…。

ストレスや心のキズは、症状となって現れてくる。要は、脳がズタズタになる。

無限ループが脳を駆け巡り、そこから脱することができなくなるのだ。

恋愛依存も同様に、過去の栄光を呼び戻したい気持ちが常に襲う。


バブル期の女性は、チヤホヤされた記憶とともに生きている。

老化とともに、チヤホヤされなくなっていくが、モテ期の快感はきちんと残っているのだ。

バブル期のモテモテというのは、人間的魅力でモテたわけではなく、男がカネにモノを言わせて『女体』を買ったにすぎない。

不倫妻たちは、それでも求められたい。

No.359

無人島の逃亡犯も、カネが尽きると、生きていけなかったらしい。

無人島には、経済社会はないのにカネが尽きると終わりらしいのだ。


いかに都会は、カネの威力が強いかが伺い知れる話である。

カネを稼ぐには仕事が必要だから、いっそのこと、売春を合法化したらどうかという人までいる。

適法に女を買うというビジネス市場の創出だ。


考えてみれば、アルコールや薬品やタバコやギャンブルなども、ある一線で、合法・違法が人為的に決定されている。


人体への影響が判断基準になっているわけで、そういう意味では、女がカラダを売るについては、害はない。

せいぜい病気くらいなものだ。その点をきちんと整備すれば、厚労省の所管になるだろうか。

実際、デリヘルや不倫妻たちは、誰とでもやれる体質だし、やっているのだから、正式な『東証一部上場の売春企業』が生まれるかもしれない。


ここまで、何でもアリにしておいて、不自然な状況とも言えよう…か?

  • << 361 再び公娼制度が成立する可能性はありますか?

No.360

アホな想像をしてしまったが、もともと女性には魅力的な肉体が備わっており、男性には溢れる性欲が備わっていることを考えると、女性は待ち構えの生き物で、男性は積極的な生き物だと思う。

ところが、文明の発達により、男女かかわりなく生活や仕事がやっていける環境が整ってしまった。

なので、女性も積極的になったし、男性も待ちの構えになった。つまり、逆転現象まで生じている。

その結果、魅力的な女性の肉体は安売りされてしまい、溢れる男性の性欲は退化しつつある。

ならば、女性の肉体に少しでも価値をつけなければ、そのうち全く意味を失ってしまう。


だったら、値段をつけようということで、グラビアやAVや風俗などの合法的フィールドで売買されるようになった。


あとは、潜りのデリヘル部分や黙認中のソープなどの本番フィールドに注目が集まる。

No.361

>> 359 無人島の逃亡犯も、カネが尽きると、生きていけなかったらしい。 無人島には、経済社会はないのにカネが尽きると終わりらしいのだ。 いかに都… 再び公娼制度が成立する可能性はありますか?

No.362

昔は、公的な赤線地帯があったが、今は、黙認型に変わった。


黙認型といっても、だいたいは暴力団が経営している資金源だ。


潜り業者は、ときどき摘発を受けて長続きが容易ではない。

だから、一般の風俗店がハミダシ営業をしているわけだ。つまり、店としては本番を禁止しつつ、女の子が違反行為として、顧客の要望に応える。

そのため公的なサービスはあり得ないし、これからも復活することはないだろう。

それに、世の中にはネタが溢れているため、必要性がなきに等しい。

むしろ、これからは高級志向とか特殊志向の民間サービスの時代になると思う。

No.363

そんなことより、そうやって古びたカラダの価値に値付けをしてまで、生き抜かないとならないところまで追い込まれた女性たちは、もう行き場がなくなってきた。


男性たちは、女性をみれば使い古しだと頭から決めつける。

どうせAV女優の真似事を、私生活でもさんざん繰り返して、今に至ったのであろうとみる。


そして、この女は、おそらく、このまま行けば、年老いた風俗嬢になるか、低所得男性と同棲するか、独身のままヤリマン人生を送るかのいずれかだろうと想像する。

ネガティブな連想だが、それが普通の常識になってしまった。

だから、そのシナリオの一部分として、短期間をその女性と過ごすだけなのだ。

百円ライターのほうが、まだ大切にされる。

No.364

どこでどう間違ったのか、過去に女性が持っていた天使のようなイメージが大きく様変わりした。

実際は、2割とか3割くらいの女性のイメージにすぎないが、それが全体的なイメージとして定着している。


逆に、男性にもレイプや痴漢や軽犯罪者がニュース報道されれば、男性の全体的イメージは悪化する。

要するに、それだけ特別な情報ばかりが飛び交う結果、極端な(ニュースになるほどの)印象が、インプットされやすくなっているのだ。


そのため男女両者の溝が広がり、互いに嫌悪しやすい傾向になっている。

これも一種の広告効果なのだ。

No.365

インターネット時代は、無責任な情報が飛び交う。

無責任情報といえども、書き方一つで、信じ込んでしまう人は大勢いる。

こうして過激情報こそが存在感を持ち、常識化していく。


また、利用者の無知につけ込んだ犯罪が次々に起きるし、利用者の悩みにつけ込んだ悪の誘いも蔓延している。

快楽を提供すれば、飢えた人間たちが群がってくる。

要は、過激情報で興奮を呼び起こし、快楽を得る方法を提供することで、新たなムーブメントが引き起こせるのだ。


例えば、ビールは典型的な快楽商法だ。ビールののど越し快楽を、週末の自分へのご褒美として、インプットしてしまえば、庶民はビール売り場へなだれ込む。

よく考えてみれば、ビールなど何の役にも立たない快楽物質だが、商売人の演出により、健全な商品地位を確立している。

庶民が快楽に勝てないことを、ビール会社はよく知っているのだ。

No.366

ビール会社は、毎日ビールを製造して、庶民のノドに爽快感を与える。


飲みすぎれば泥酔して、ゲロを吐いたり、街でケンカを売ったり、女の子に絡んだりする飲み物がビールだ。

だから、その部分はビール会社は絶対に見せない。

週末に、高層マンションの一室で夫婦がオシャレに乾杯していたり、父親と息子がシミジミと語り合っている様子にビールをかます。

要するに、良い面だけをアピールして、金を儲ける。

『安酒場でグダグダと愚痴を言うときにビールは利用されています』なんて、言わない。

飲んでいる人は、ホント言うと、加齢臭にまみれたハゲが多いのに、宣伝上は、イケメンが飲む。

ビールに限らす、大半の商品は、粉飾されている。

No.367

60才になり、そろそろ定年退職だというと、今の年寄りたちは、しばらく雇用保険のお世話になる。

もちろん、基礎年金(定額部分)の受給もスタートするから、少しバイトでもしながらブラブラするわけだ。

退職金が入っているし、65才になれば、厚生年金も追加される。

つまり、悠々自適の晩年を迎える。

ところが、こうした老人がなかなか死なない時代になっていて、まだ25年間くらいは生き続ける。

その結果、街にはジジとババがさまよう。


さらに、この連中は選挙民だから、ヒマにまかせて政治に興味を持つ。

主として、福祉や介護や医療に関しての巨大パワーを持つのだ。

日本の費用といえば、借金返済と社会福祉だから、国債保有者でもあるジジとババはVIP待遇といえる。

彼らの保有する資金を早く世の中に環流させねばならない。

No.368

そんなこんなで、ビール会社では、ジジとババの懐を狙う。

ジジとババは、酒場には行かない。マイホームへセガレやムスメを呼んで、ホームパーティをやる。

ビール会社は、そこを狙い、親子の語らいをビューティーに描くわけだ。

そこには、アル中のイメージや電車の中のゲロやキャバ嬢の胸に手を入れる酔っ払いのイメージはない。

要するに、こうして、ビール工場で働くお父さんたちは狩りをしている。

現代は、狩りに行き、鹿やイノシシを狩るのではなく、人間の懐(フトコロ)を狩るようになったのだ。

現代の狩猟とは、カネを狩って自宅へ持ち帰ることを言う。

だから、ダマしあいは当然ながら起きる。

生きていくということは、いかにダマすかということなのだ。

No.369

現代の狩猟とは、他人のフトコロを狩ることをいう。

石器時代は、獲物を狩るためにトラップ(わな)をしかけた。

今は、人間にワナをしかけて狩りを行う。


テレビ局はそれに協力をして、分け前を貰う。

商品の魅力に引き寄せられた獲物は、フトコロからカネを出して商品を購入する。

ビール会社は、獲物がかかり売上が立つと、製造部門や販売部門に分け前を与える。

分け前を受け取ったお父さんたちは、それを家庭に持って帰る。

だから、強い企業にいれば獲物も大きい。

そこまでは良かった。

時代は移り、人間は狩りをやりすぎた。資源は枯れ、水は汚れ、空気は淀み、遂には地球全体が狂い始めた。

気流が変化して、台風や津波や火山噴火や地震が世界を襲うようになってきた。

人間は、欲望の限りを尽くし、僅か200年で7倍に繁殖した。

地上には、O157を始め、鳥インフルエンザや口蹄疫、エイズなどの奇怪なウイルスが蔓延、粘膜を通じて侵入し始めている。

予期せぬことは、まだまだ起きるだろう。

No.370

予期せぬ事態が、これからも次々と起きる。

空気が、水が、大地が汚れただけではなく、家畜が大量に殺され、人間も新たな病原菌に苦しめられている。

だが、一番恐ろしいのは、文明の進化が人間の心の中を毒していることだろう。

ウソを言ったり、ダマしたりすることが平気になった人類。

貨幣経済戦争や貨幣経済狩猟が、それをもたらした。

貨幣を得るには、ウソやダマシを避けて通れないからだ。


武力戦争では直接的に人間は戦死する。貨幣経済戦争では巡り巡って結果的に人間は死ぬ。


ウソやダマシにより、恋愛や結婚も崩壊しつつあるし、健全なスポーツでも筋肉増強剤や八百長がはびこっている。

当然そうなる。欲望には絶対に勝てないからだ。

No.371

戦争も狩猟も、人間は行わなくなったのではない。貨幣争奪を通じて、ちゃんと継続的に行っている。

表面的には、ジェントリーな行為を装いつつ、うまくカネを争奪した者が、欲望を満たせる。

一見清潔なスポーツ選手も、俳優も、シンガーソングライターも、作家も、そして貞淑な専業主婦も、欲望に負ける人が続出中なのだ。

彼らは、人生の崖っぷちに立たされたり、一攫千金を夢見たとき、インチキな汚い手を使う。


今やインターネットという武器をみんなが使い、必要な準備を進めることができる。

ネット社会においては、人間の裏側を作ることが可能なのだ。

やるなといっても、カンタンなため、誰もが手を染める。

ネットの闇取引、出会い、協力者募集、メール打合せ、資金の受け渡しなど、なんでもできる。

カップ麺が完成するまでの間に、驚くほどのスピードで悪事が働けるのだ。

もはや食い止めることは、絶対に不可能だ。

No.372

そうまでして欲望を満たしたいかと疑問も湧くけれども、その人その人が置かれたシチュエーションによって、人間はズルくなることがある。


崖っぷちの人、見栄をはりたい事情がある人、異性にモテたい人、誰かを養わなければならない人など、いろいろだ。


そう考えると、悪事が暴力的犯罪だけであった時代に比較して、非常に防止しにくくなることが想像される。


しかも、外見から判別しにくいし、パソコン一つで自宅でできる。腕力もいらなければ投資も不要なのだ。

老若男女、誰でもやれる厄介な悪事の世界が、広がりつつある。

どいつもこいつも見た目は善人でありながら、裏側では、詐欺的行為や恐喝行為や不貞行為をやっている。

つまり、目の前の人間が信頼できなくなるという時代が到来しているのである。

「誰とでも分けへだてなく仲良くしましょう」という時代は、もう戻っては来ない。

家族が犯罪に手を染めていても不思議ではないし、妻が売春をしていても驚けない時代がやってきている。

真っ当に働いている我々でさえ、汚い部分を隠してビジネスを展開し、カネを得ているのだから五十歩百歩なのだ。

No.373

>> 372
生きる意味って何ですか?

学問の世界も金儲け優先です

No.374

人類は、領土と資源を確保し、保全を図り、そしてさらなる領域へ触手を伸ばす。

新たな領域には、新たな富が蓄積されている。だから、武力を用いて戦闘を繰り返してきた。

人類の歴史とは、簡単に言えばそういうものだ。

身内であろうが、腹心の部下であろうが、尊敬するボスであろうが、事情が逼迫すれば裏切ってきた。

そのベースにあるのは、常に欲望と感情だ。


要するに、欲望と感情が満たされ続けないと、戦闘を起こす。

言論の自由や表現の自由も同じことだ。為政者と庶民の戦闘的武装でしかない。

平和が実現すれば、人類は快楽を貪(むさぼ)る。快楽が不足したら、さらなる快楽を求める。


いわば、細胞が分裂するが如く、欲望と感情と快楽がめまぐるしく増殖している。

人生とは、ある一時点の欲望値に意識が始まり、ある一時点の欲望値で生命を終焉させる。


それだけのことだ。


青臭いことを言うと、人間と人間が信頼するという一点は、「戦闘を行わず、カネが絡まないという最後の砦」なのだ。


これを失うと、人間は、バラバラになる。

No.375

我々の日常生活においても全く同様だ。

「今度は、あのクルマに乗りたい」「休みが取れたらヨーロッパへ行きたい」「本を読む時間が欲しい」「肉が食いたい」

結局、欲望を満たしたいか、感情を満足させることを、目標に設定している。

目標は、意義あるものである場合もあれば、たんなる生理欲求もある。

「一流企業に入社したい」「彼を自分に振り向かせたい」「自分の歌を多くの人に聞いてもらいたい」

とにかく、思うようにならないと嬉しくないし、そうなれば何かが満たされるであろうことを期待しているのだ。


そこへ到達するまでに、努力というプロセスがあり、満足を得る。

それを設定しては、修正し、到達したら、さらなる目標を設定する。

ちょうど、国家が領土を拡大するのと似ている。

要するに、反復的な行為をアリやハチのように繰り返している。


他に何があるだろう?


喜びと失望のルーレットをグルグルと回しているのだ。

だから、実は取り組み方がポイントになる。

No.376

人それぞれ願望は異なる。イコール正解は一つだけではない。

しかし、目標の設定を明確化しているかどうかにより、達成可能性は違ってくる。

それは目標に到達する効率が変わるからだ。

従って、高度な目標には、明確なシナリオと強固な意識が求められる。失敗の危険性も高い。

逆に、身近な目標は、なんとなく達成できてしまうから気楽に生きられる。

人間の差は、そんなところに現れる。他人にできないことをしたいか、人並みのことを望むかの違いだ。

基礎的な才能や環境や性格により、人間は目標設定を選択している。


稚拙な例だが、例えば金持ちに生まれれば医者を目指すが、庶民に生まれれば公務員を目指すみたいな違いである。


だから、その人その人が目標設定し、満足感を得る行為を繰り返すのが人生なのだ。

No.377

もう一つの観点は、他人に貢献するかどうかだろう。

社会に貢献、文明に貢献、科学に貢献、地域に貢献、家族に貢献、子供に貢献、恋人に貢献、ペットに貢献…。

つまり、自分のためではなく、他者へ貢献することによる満足感。

人生の価値は、実を言うと、これが大きい。

人間のスケールも、これで、決定づけられる。


結果的に、自分の欲望・感情・満足に直結しているのかもしれないが、それでも「他者のためになる」という犠牲的精神は、人間を崇高なものにする。

他者を欺(あざむ)く現代。それは、現代の生き抜き方なのかもしれないが、良心の呵責は大きい。

欺く者は、自己生命が無意味であることに薄々気づいている。欺く者が醜く見えるのは、そのせいだ。

貢献しない人間は、醜く見える。

No.378

>> 377 同感です

No.379

自己のために生きれば醜い。他者のために生きれば尊い。

これは、我々に備わった本能である。

生命が連続的に存続し続けるためには、どうしても他者を保護しなければ絶滅してしまう。

だから、他者をいたわり、育て続けなければならない。社会の仕組みも、資源も、同様だ。


使い果たした時に、生命は終わる。

オスは環境を整え、メスは生活を守る。そんな分業体制がちゃんと用意されていた。

ところが、急速な科学の進歩がその仕組みを壊し始めた。男女差をなくし、平等を目標値としたのだ。

メスも社会へ参画し、生活圏から出てきた。そのキッカケは、オスが富を手に入れたときから始まった。

オスの富を、メスのエロにより、移転させる行動が開始され、瞬く間にオスは浮かれてしまった。

豊かだからといって、義務を放棄してはいけない。

メスが狂えば、生命は滅びる。

No.380

PCによる省力化と女性の社会進出により、男性の一部は、仕事を失った。

実際、女性のほうが適している仕事も多いし、派遣労働というパターンも女性を働きやすくした。

企業は、チャンスとばかりにこの動きに乗じてコストダウンを進めた。


高所得の中年男性の一部は、企業を追い出されて失業、転業を強いられる。

派生的に、結婚しない人が増え、少子化も進む。

女性がカネを稼ぎ出しただけで、社会のメカニズムは大きく変化したのだ。

No.381

さらに、この循環は新たな現象をもたらした。

一家の大黒柱が所得を減らしたため、家計が不安定になった。

これが個人消費を減少させたのだ。全体的な平均年収も短期間に激減し、いまや300~400万円台の家庭も珍しくなくなった。


この下降急カーブは、雇用不振に及び、社会保障の不安に火をつけた。


では、この一連のコストダウン効果はどこへ消えたのか?

企業内部に留保されたのだろうか? それともコストダウン歩調に合わせて企業の勢いが弱まってしまったのか?

つまり、全体的に縮小均衡してしまったのだ。


どこもかしこも、溜め込んだ資金をチビチビと使う体制に変わった。


家庭内においても、『家庭内所得移転』という逆流現象が発生した。


親の資金を、子供が狙うのだ。

No.382

>> 381 悲しいけど、それが現実なのですね

収入が激減したために、親の年金をあてにせざるを得ない人が増えるのでしょうか?

No.383

右上がりの経済においては、若い世代が夢と希望を持つ。しかし、右下がりの経済においては、不安と失望を感じる。


だから、溜まった水が流れるように、その時どきの経済情勢に応じて、資金支援の流れは変わる。

男女間の関係性についても同じことだ。

『諸行無常』

物事には、最終形はない。常に変化を続けるから、過去を懐かしんでいると時代に取り残されてしまう。

気にいらない情勢になろうとも、肯定的に受け入れるしかないのだ。

女性が変わった。
男性が変わった。
子供が変わった。
親が変わった。

すべて気にいろうが、気にいらなかろうが、現実に対応しなければ、生命は息絶える。


常識や既成概念に真実はあるが、現実はない。やかて、新たな常識が台頭する。

その変化のスピードは、さらにさらに増している。

転げ落ちるようになりながらでも、対応するしかない。変化を止められる人は存在しない。

No.384

かつてのような統制的で、画一的な社会においては、常識が圧倒的なパワーを奮っていた。

年長者が、教育者が、権力者が、常識の一語を以て、民衆を黙らせてきた。

それほど過去の蓄積的慣習が正義であった。

時代が移り、豊かになり、自由を求め出してからは、常識破りによる破壊的パワーが歓迎された。

誰もが刺激を求め、斬新で革命的なものを待ち望んだ。

既成概念にとらわれたものは面白くない。いつものアレなら、もう飽きたと民衆は騒ぐ。

次々と、最先端が塗り替えられ、教育者も、年長者も、権力者も、歓迎され選択されなければ威力を持たなくなっていった。

古き良きものを好むならば、山奥か田舎へ引っ込むしかない。

だから、人々は斬新で刺激的なテーマを渇望し、追いかけたのだ。


めまぐるしい現代。このスピードの中で、勝ち抜くには、生き残るには、ある種の『異常』が不可欠なのだろう。

だから、『正常』は少しずつ姿を消していく。

No.385

ところで、一夫多妻制度は日本に必要ですか?

また、先帝が一夫一妻制度を皇室に導入した史実についてどう思われますか?

No.386

『国民との約束』

最近、よく聞く言葉だ。国民との約束を果たさないから、どうのこうのと騒ぐわけだ。


だいたいの場合、『国民の生活を第一に考えてます』というのが返し言葉となる。


まあ、空虚なやり取りであり、全然、重要性はない。

そもそも、大借金している国の民衆などの言うことを聞いていたら、破産するに決まっている。


もともとバカと約束なんかするからそういうことになる。

普通は、年収の2倍も3倍もサラ金から借り入れている奴など、実質的に発言力などない。

家を差し押さえて、収入の中で返済計画を立てさせるのが常識というものである。

おそらく、このまま行けば、国は破綻するだろう。クソじじいやクソばばあ達が、金融機関や証券会社を通じて購入している国債が暴落したら、それで一巻の終わりなのだ。

国民とは約束しないことだ。

No.387

借用証書には、金利がついている。債務者が信用できる人なら、金利は低い。逆に、頼りない人ならば高い金利をもらわないと困る。


仮に、以前は信用できる人であったとしても、その後、その人が借金に借金を重ね、しかもどんどん金遣いが荒くなってきたとしたら…。

通常は、『すぐに返せ』と言うだろう。無理だとわかれば、せめて『金利を高くさせてもらう』と言うだろう。

相手が早く返済するようあの手この手を尽くす。

今の日本は、そういう奴なのだ。

しかも、社会保障が破滅的情勢にある。

金融機関も、貸せる企業が国内にいないから、国債をイヤイヤ買っているのだ。

みんなイヤな奴に、イヤイヤ金を貸している。

そのうち、抜け駆けが始まるに決まっている。モタモタしていたら、とりっぱぐれるからだ。


そして、国は資金を失う。景気対策をやらないから税収もない。雇用対策をやらないから失業者も増える。給料が増えないから、消費税も入らない。

ジジババだけが、福祉制度や医療制度でカネを使いまくる。

たぶん、バカ国民にはわからない話だと思うが…。

No.388

中東諸国では、独裁国家を相手取り国民が騒乱を起こしている。

最近は、インターネットで他国の状況が国民に知れ渡るから、独裁者もやりにくくなった。

バレるとヤバイと考える国は、インターネットを制限して、ナイショで独裁者だけが楽しむ。

要するに、富は一定だから、誰がもらうのかという話だ。

『よこせ』
『渡さない』
そんだけのことだ。

日本などは、不動産の値をつり上げて、利益を作り出し、利益を投資させて、借金を重ねた。

最後に、不動産を持たされた奴は悲鳴を上げたが、売り抜けた奴は稼いだカネで遊んだり、国債を購入した。

いまも、そのクセは抜けず、相変わらずワシワシとメシを食い、モバゲをやり、ペットと遊んでいる。

大先輩の国アメリカは、デブだらけになった。

中東や東南アジアも、同じことをやり出した。


そのうち地球上はデブザウルスだらけになるだろう。

No.389

さて、カネ太りデブザウルスは何を思う?


女だ。

昔から、権力者はだいたいの場合、正室や側室をはべらせてきた。


当たり前の話だ。食う、寝る、ヤルは権力者の必需品なのだ。

オスの生殖能力は、もともと一夫一妻制には適合しない。

カネがかかり、働くのがイヤだから、一夫一妻で我慢しているだけだ。


そして、それを教育によりすり込まれるから、1人だけを愛したりするだけなのだ。


権力者は、それこそ200人くらいの側室を抱えたりする。

愛するという行為は、経済負担と天秤にかけた結果生まれる感情といえる。

カネをかけたんだから、苦労したんだから、愛さない(守らない)とモトが取れない。


人類の最高の英知の結晶が、愛する行為の正当化といえる。

No.390

なぜ、愛するのか。この説明は簡単ではない。


相当、ケースバイケースだし、あまりに策略的というか理知的というか、とにかく、複雑な構造といえる。

ただ、良好な関係にある親子には、無償の愛が存在する。

これは、理屈なしで説明なしで、感じ取れる生物感覚だ。


あとの愛情は、怪しい部分が推測可能なのだ。


つまり、愛情はひょっとしたらないのかもしれない。

ただし、愛情があると思っていればよいのだ。ある日、突然のごとく、消滅したとしても、その種の愛情は存在するものと考えたほうが豊かに生きられる。


かなり、わかりにくいと思うが、男女とか、友人とか、慈悲とか、教え子とか、矛盾点の多い愛情なのだ。


だからといって、否定しているわけではない。


ただ、人工的な要素は少なくない。…ような気がする。

No.391

独裁と自由。
当然、自由がよいに決まっているが、自由には経済的二極化が発生する。

二極化が発生するということは、見方によれば経済的独裁ともいえる。


ただ、この場合は、独裁といっても、富を持つものがより多くの納税負担を強いられるから、公平な二極化といえる。

また、巨大な富に興味や関心を持つ人間も、一部に限られているから、二極化しても、どうぞご勝手にという感じもある。

要は、自由な世界のほうが体制としては理想に近い。だから、独裁国家は我も我もと自由世界をめざして闘争する。


その自由世界は、カネが尺度になっていて、右上がり経済を維持しなければ、他国に負けてしまう。

右上がり経済を維持したらしたで、人々は欲望に目覚め、感情をあらわにする。

一長一短だとしたら、話し合いは成り立たない。政治は、国民の身勝手に翻弄されるのだ。

No.392

>> 391 政治家の身勝手

ではないのでしょうか?

No.393

人は、自分の責任をなかなか認めようとはしない。

とりわけ、責任者になれないような人間は、責任者の心情や痛みがわからない。

責任者が努力しようが、誤魔化そうが、結果をみて評価を下すしか度量がない。


いま目の前に、100㎏のバーベルがあり、3人の男性が持ち上げようとした場合、人々は、3人のうち最も体格のよい男性に期待をかける。


体格のよい男性が持ち上げに失敗したら、二番目に乱暴そうな男性に期待する。

彼も失敗したら、あきらめ半分で3人目の男性に挑戦させる。

そして、3人全員がダメだった場合、最近の男性はダメだと嘆く。

そして、こう言うだろう。『外国人なら持ち上げるよ、きっと』


政治とは、さらに結果の証明が難しい。一時的な成果も、歴史的な成果となるかどうか不明なのだ。

だから、選挙により政治家を選ぶ。彼が失敗したら国民は『騙された』という。

ならば、お前がやったらよいだろうと言えば、俺はできないと返す。

簡単な話だ。

国民以上の政治は実現しないのだ。国民がバカならば政治家もバカになる。

国民が選出した政治家が、バーベルを上げられないなら、誰にもバーベルは上げられない。


少なくとも『オマエよりマシ』だ。

No.394

政治家を選んだのは、国民なのだが、国民は自分の責任を認めようとはしない。

一方、ダルがいくら打たれようと、EXILEが歌詞を忘れようと、あまり責めない。

これは、商業的すり込みによる結果だ。

まず、我々はスピードガンで玉を投げてもせいぜい80キロか90キロの球速しか出せないし、カラオケ屋では歌詞を見ながら音程ミスを重ねる。

つまり、彼らの実力を認めて、彼らを応援すべくチケットを購入している。

第二に、スポーツや音楽は所詮は遊びにすぎない。

第三に、マスコミは売れればよいわけだから、ムキにはならない。適当にふざけていればよいのだ。

だから、徹底的に叩かない。

なのに、政治だけは特別だ。マスコミもムキになって叩く。そのほうがバカ国民に新聞が売れるからだ。

要するに、商業的すり込みにより、庶民はコントロールされているだけなのだ。


日頃は、メシを食って、旅行のパンフを見て、テレビを見ているだけなのに、公債法も求職法も知らないクセに、政治を叩く根拠はない。


だから、バカ国民とヘタな約束などしてはならないのだ。

No.395

考えてみると、人々は公務や政治には手厳しい。生きるための基本的なことだから真剣なのかといえば、そうとも思えない。

何も理解せずに、テレビや新聞の言うことを鵜呑みにして騒ぐだけだからだ。

群衆とは、常にそんなものであり、革命においてさえ、ムードで動いているにすぎないし、戦争だと言えば、なんとなくお国のために自爆する。


結局、時代に流されているだけの場合が多い。


ただ、それを認めてしまえば、単なるアホということになるから、とりあえずテレビや新聞の情報くらいはインプットしているだけなのだ。


『詳しいことはわからんが、しっかり責任を果たしてもらわねば困る』


そんな感じで、文句は言うが、頭の中はスーパーで餃子にするか、マグロにするか、食べることを真剣に考え、サッカーの試合開始時間だけはちゃんと覚えている。

No.396

永らく遊び続けてきた民衆にしてみれば、国がうまくいかないことが、ピンと来ない。

いや、たぶんヤバイとは感じているものの、どこかの誰かが解決するだろうと考えている。

いや、考えてもいない。自然に解決するだろうくらいに思っている。


だから、問題がこじれたら『おい、誰かちゃんとやっとけ』と叫ぶのだ。

問題解決というのは、やってみるとわかるが結構大変なのだ。

現状があり、解決した姿がある。その間の変化を想定して列挙したうえで手順を考える。法律改正や資金計画、体制改革などの実務はもちろん、一番厄介なのは『交渉』だといえる。

基本的に交渉内容は、
『ガマンしてほしい』
『イヤだ』
という流れになる。

試しに、隣の住人に『アンタ悪いけど、どこかに引っ越してくれないか?』と交渉してみるとよい。

たぶん殴られる。

No.397

人間の生涯は85年。最も活動的なのは、誕生してから、ハイティーンを迎え40代の働き盛りにかけての僅か30年間だ。

最近は、年を取っても元気で活躍する人も増えたが、それにしても50年間くらいしか、社会文化に触れない。


つまり、自分が感じた僅か50年間の事実や観察をもとに、全ての判断を行っている。


社会文化は、永続的に変化している。そのうちの50年間だけを見ているのが我々の人生といえる。

簡単に言えば、判断力などないに等しい。たまたまその時代の、たまたま信じた行動を取っているにすぎない。

つまり、真理ではないし、間違っている可能性が極めて高い。通常は、過去の歴史を学び、妥当性を推測する。

たぶん、間違っていないだろうという推測をする。

これを反復するから、既成概念がこびりつく。


逆にいうと、冒険的なことを始めるには、リスクが伴う。

ここがポイントになるのだ。

No.398

だから、我々はたまたま生きてきた数十年間の経験と知識をもとに、判断をしている。

貧困の経験はないし、独裁国家に住んだこともない。

食料がなくて死にそうになったこともなければ、ゴミ捨て場で食べ物を探した経験もない。

耳元に銃口を当てられたこともないし、誘拐されて指を切り落とされたこともない。

というより、顔を殴られたことが一回もないかもしれない。要するに、何も知らない。

自分が地球上の生物のどの辺に位置しているかも知らない。

そんな中で、洋服や靴や化粧品や香水や眼鏡や文房具などを毎日選んでいる。

マグロやクジラを殺して食い、牛や豚や鶏を焼いて食うのが当たり前だ。

食い終わればウォシュレットのトイレで排泄し、テレビを見たり、音楽を聞いたり、セックスを楽しんだりして生きている。

そして、ある日、消費税が2倍になるとか、年金は半額になるとかのニュースを聞く。

『ふざけるな』と叫ぶ。

我々の生き方とは、そんな生き方なのだ。

No.399

>> 398 どこかに抑留されたこともない

ましてや民族浄化なども知らない

No.400

だからといって、失望したり軽蔑したりしてはならない。


生物とはそういうものだからだ。

人間だけではなく、あらゆる生物は住みやすく、生き残りやすくなるために進化を続けている。


ただ、人間は脳が発達しているために、理屈を考えて身を守る。


自分だけが、深い香りやコクがある味わいや癒やしの空間や刺激的な快楽を得ていることは承知していながら、町に火葬場ができるだけで、騒ぎ立てる。


だが火葬場が隣の町へ移ることになれば、安心してワインクーラーを開けて『政治が悪い』と話題にする。


そして、サッカーの試合を見て『あの選手は努力家だし、欧州で成功するだろう』と、彼女の肩を抱き寄せる。


それが生物なのだ。

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