女嫌い 激増のワケ
史上空前の女価値低落時代はなぜ到来したのか?
正確にいうと、25才とも28才とも30才とも35才ともいわれる、女限界説は常識化してしまった。
これほど、女の価値が下がったことは歴史上なかったと思う。
悲しいけど、この現実とどう向き合いますか?
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ある女は、部屋がゴミ屋敷。
ある女は、料理がまるでできない。
ある女は、風呂に何日も入らない。
ある女は、頻繁にウソをつく。
ある女は、会ったその日に見知らぬ男を体内に受け入れる。
ある女は、ブランドに狂い借金だらけ。
もちろん、女ばかりではない。男編だって挙げればキリがないが…、女編がこれだけスラスラ書けるなんて、ひと昔前は考えられなかったのだ。
いったい女は、どうなってしまったのか。
変わってしまったのか?それとも、これが真の女の姿なのか?
個人的には、女に対する恨みつらみはない。だから、どんな理由、どんな現象であろうが構わない。
しかし、地上には、オスとメスしか存在しないのに、これだけカスのような女たちが増殖されてしまうと、当然ながら支障を来すはずである。
ところが、さほどの支障はない。
実は、女の存在価値が低下したのは、言い換えると、いなくても支障がないからなのである。
その大きなワケ、第一の理由は、家事がラクになったことであろう。
炊事、洗濯、掃除、料理、買い物など、大変便利な時代を迎えている。
あまりに取り組みやすくなったがために、男性の中には、女性よりもよほど上手に家事をこなす者も少なくない。
こうした日常の家庭内でどうしても女性が必要とされる場面が、激減してしまったのだ。
次に、女性が自由を求めたこと、であろう。
これには、ファッション業界、化粧品業界、雑誌業界など、数多くのビジネスが形成された。
特にマスコミは煽りに煽った。美しく、生き生きとした女性像を作ってみせ、画一的な完成形を示したのだ。
いわば、美におけるステップアップの方法を洗脳することに成功したといえる。
女性が美しくなることに対する賛美がこれに拍車をかけ、女たちは競い合うように、商品・サービスを買いあさる。
女たちが、自由を求めたことは巨大なニーズとして、ビジネス界に影響を与えた。
折しも、バブル経済の活況で、カネは溢れていたのだ。
高価なブランド時計やブランドバッグも飛ぶように売れた。日本だけの特異な現象であった。
女性向け雑誌は、毎回この種の特集を組んだから女たちはどんどん洗脳されていったのだ。
このような娘を家族に持つ家庭も、それを制止することはできなくなった。
娘たちが通う学校においても同様に、教室内はファッションショーの控え室のようになった。
こうして、タテ型の教育効果は機能しなくなってしまったのだ。
バブル経済下では、主として、金融・不動産関連事業にカネが集まった。
早い話が借金赤字国債が乱発され、日本国政府にはカネが溢れ、公共事業へ投資された。
不動産屋は、このカネにしがみついた。政府との間に入った金融機関にもカネがうなっていた。
こうして、世の中で上手く立ち回った者へ巨額のカネが渡っていった。
もちろん、手にしたカネは使い放題に使われることになる。
レジャー、旅行、洋服、酒、グルメ、女…、欲望を満たすための消費。
カネを手に入れれば、ほとんどの欲望が満たされることが立証された。
勤勉で努力家のニッポン人は、様変わりした。
上手く立ち回わり、カネを手に入れれば幸せになれることが脳裏にインプットされた。
当然、子供たちや女たちも、そうした大人を見ている。
焼き肉屋や寿司屋は、もはや贅沢ではなくなり、ガキがハワイやニューヨークへ当たり前のように行くようになった。
つまり、カネを手に入れた家庭のガキや娘と、カネと無縁のガキや娘とに分離し始めたのだ。
この区別は、やがて差別を生み出し、陰湿な人間関係を形成する原因となる。
世界史上空前の繁栄だ。ニッポンは、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国に成り上がったのだ。
カネ持ち家庭の娘たちは遊びまくった。カネ持ち家庭のオヤジときたらカネ勘定で多忙だし、ママは出歩きマダムへと変身を遂げた。
このギトギトの両親は、子供のことを時々は思い出すものの金儲けが先決だった。
パパもママも、札ビラが大好きなのだ。
家庭は崩れていき、子供部屋時代が到来、プライバシーをいうようになっていく。
それぞれが秘密を持ち始めた。
一方、庶民の娘たちは好景気の中どうしたかというと…。
世界初の商売、ブルセラの販売を開始したのだ。
これは、自分の着用したブルマや下着などを、ショップにさばくビジネスだ。
場合によっては、その場で脱ぎ、真空パックにして、新鮮さをウリにする。
そのほか、ダイヤルQ2、テレクラ、ノーパン喫茶、のぞき部屋なども続々と登場した。
カネが欲しい女たちは、我先にとビジネスに参入し始めたのだ。
男たちは、それを楽しんだ。それまで秘められた世界に閉じ込められていたエロビジネスが、堂々と社会にデビューした。
世界最先端のエロ社会がニッポンに築かれようとしていた。
1990年前後の話だ。
1990年頃というと、いまから20年前ということになる。
当時の若者を20才くらいだと考えると、いま40才になっている。
アラフォー世代というのは、こうした特異な世代なのだ。
栄枯盛衰という言葉があるが、青春を全盛期とすると、落ちぶれたアラフォーを迎えている。
常に、何か面白いことはないだろうか、何かウマい話はないだろうかと蠢く世代なのだ。
その擦り込まれた経験は、今もよき思い出となって脳裏に刻まれている。
そして、アラフォーの親たちは60才くらいになっている。
団塊世代として、アブラぎった働きバチであり、ニッポンを変えた張本人たちといえる。
それまでの日本女性は、ヤマトナデシコと呼ばれ、奥ゆかしく、清らかであった。
ある意味で、相次ぐ戦争を経て形成された『女の姿』ともいえる。
亭主や恋人は、命がけで戦地へ向かった。男たちが不在中も操を守っていた。
つまり、裏切り行為を蔑視する女たちなのだ。遠く離れていても、見えない糸で信頼関係を保っていたのである。
だから、子供たちにもそうした教育を施した。学校の先生も同様だ。コミュニティーも子供たちを監視していた。
間違ったことをすれば、鉄拳制裁が当たり前であった。
要は、社会に厳然たる正義が存在していたのである。
高度経済社会から、バブル経済を迎え、このような日本人気質は、様変わりする。
上手くやったヤツが勝つ社会が到来したわけだ。
こうしてバブル経済で味をシメタ人間たちは、『根性』や『努力』を軽視しがちであった。
何事も楽しみながら取り組むカルチャーが花開いた。
いわゆる一般大衆は、楽しむことを主眼にしだした。
結果は、体力も、学力も、世界各国と比べて、急速にランクダウンしてしまうことになる。
世間が叫ぶ通りにした結果、バカで弱いニッポン人が大量生産されたのだ。
しかし、目の奥は、カネが欲しくて欲しくてギラギラとしていた。
さらに、狂ったニッポン人は驚くべき行動に出た。
これには、世界中がビックリして呆れてしまうほどであった。
それは、女子高生がパンツが見えそうなほどのミニ制服を着て、通学をしだしたのである。
人類史上でも初めての醜態といえるが、大人たちは咎めることをしなかった。
個性を表現するという名目は強かった。ところが、女子高生はおしなべて全員近くがパンツ丸出しで街中を歩くようになっていった。
『いい時代になった』と、男性は歓迎した。
そのうち、高校では、口紅、マスカラ、ピアス、ネックレスに加え、茶髪が主流になっていく。
要するに、売春婦がオスの関心を呼び込む手法がそのまま高校で採用されたわけだ。
教師は何もいわない、両親は無関心、社会は容認した。
案の定、次のステップへと進む。女たちの欲望は、止まるところを知らないのだ。
次のステップとは、女子高生たちが、堂々と売春を始めたのである。
通常、売春というのは、カネが欲しい大人が背後におり、売春婦たちを管理するというスタイルで実施される。
だから、管理売春は取締りの対象とされ、悲劇的な売春婦たちを救済するのだ。
ところが、女子高生売春はこれとは違う。本人たちが、やりたくてやる売春だ。能動的、積極的な売春なのである。
この頃から、一つの疑問が生じた。『女は、誰とでもやれる生き物なのか?』
自分で企画し、自分で客を募集し、自分で段取りし、自分で労働し、自分で集金し、自分でトラブル対応するという画期的な学生売春。
援助交際といわれる売春行為だ。
女性の数パーセントは、この売春行為を高校時代に身につけ、大人になる仕組みになっている。
これも、ニッポン社会は容認した。いや、積極的に社会構造として活用したのである。
こうして、女たちは、自分のカラダには、大きな価値があることを実感した。
自分の声、下着、カラダ…果てはツバや小便までカネになることを知ったのである。
同時に、あの戦地で命をかけて戦っていた男性たちの裏側の性癖をも知ってしまった。
男性だって、エラそうなことを言ってても、誰も見ていない所では、毎日パンツを下ろして、アレをしごきまくっているのだ。
毎日だ。いや、一日に何回もしごく場合だってあるらしい。
教師も、警察官も、タレントも、僧侶も、みなパンツを脱ぎ、抜いているのだ。
だから、自分のカラダは求められると確信するに至ったのだ。
多数の女たちがエロビジネスへ参入したことが、男性たちの潜在ニーズを喚起した。
売る女と買う男。
経済学的にいうと、需要と供給だ。
女は売りまくった。男は買いまくった。次第に、売価はピークアウトすることになる。
その経済行為を促進させたのが、パソコンの普及とインターネット、携帯電話、女性向けマスコミといえる。
彼らは、カネにさえなれば何でもする連中だ。
ウィンドウズ98は登場してからというもの社会はコンピューターによって一変してしまった。
善悪の判断力を持たないテレビ、雑誌などに携わる大人たちは、カネのために、女を踊らせ、男を食いつかせる。
時代は、2000年へ突入していた。
2000年に入ると、もっと恐ろしい事態へと発展した。
インターネット上の情報検索サービスの提供を行うヤフーが、掲示板サービスを開始したのだ。
つまり、『出会い系サイト』の上陸。
この掲示板を利用して、一般女性が、男漁りを始めたのである。
一般女性が掲示板で募集を行うと、数百通に及ぶ男性からのメールが殺到した。
この中から、好みに合う男性を選び、しばらくメール交換した後、実際に会い、セックスをする。
男性も募集するが、こちらは滅多に女性からの応募がない。
つまり、出会い系サイトとは、セックスの場という意味だ。
いわば、出会い系サイトとは、女性がセックス相手を選ぶためのツールに近いことがわかる。
女子高生売春の世界は、OL売春や主婦売春へと拡大するかと思われた。
ところが、彼女たちは、なんと無料で、見知らぬ男に股を開いていたのである。
その多くは、彼氏や夫のいる女性たちなのだ。
こうして女性神話が2つ崩れた。
①女性は、パートナーを裏切る。
②女性は、見知らぬ男とでも寝る。
1990年から2000年にかけて、女性たちは大変身した。
その間の男は、売春市場や無料交尾市場に殺到した。殺到はしたが、ある意味、購入者(消費者)としての受動的な行動しかしていない。
このエロ市場の仕掛け人は、あくまでも女性たちなのだ。
男性は、むしろIT革命の中、仕事量が倍増し、疲労とストレスを溜めるばかりだった。
ニッポン社会は、子供たちの学力低下、体力低下だけにとどまらす、男性の技術力低下、生産力低下に見舞われる。
全国エロボケ社会は、全体活力を低下させた。
企業利益は減少し、人件費圧縮のためのリストラや派遣労働力、海外労働力を多用することになる。
女性が崩れた社会は、弱い。
狂気の象徴として、よく用いられる例として、ジュリアナ東京がある。
当時、芝浦にできた数千人を収容する巨大ディスコのことだ。
女性たちは、お立ち台に立ち、扇子をふりながらパラパラを踊る。
もちろん、踊りは建て前にすぎない。お立ち台から、パンツを見せて男の子を誘い、セックスするのが主目的だ。
このパラパラは、当初は黒服と呼ばれる従業員や常連の遊び人が広めたのだが、しばらくしてヤンキーの踊りに変わってしまった。
女性たちは、麻布十番のマハラジャや青山へと移動するが、その流れは、いまもCLUBが引き継いでいる。
ダンスや音楽は、あくまでも建て前であり、目的はセックスだという点には変化はない。
式根島や新島もスゴかった。伊豆諸島を構成する島々だ。
毎年の夏休みは、若い男女でごった返しになった。特に、女性の場合は、三泊すれば3人の男性とセックスするのが普通だった。
五泊すれば5人とセックスして帰ってきたものだ。
男性も、コンドームを1ダース持参したが、腕次第で使用頻度には温度差があった。
ただ、島の海の家でアルバイトをすれば、ひと夏で数十人の女性を食い散らかすのが常識だったという。
40才前後の女性なら、みんな知っている話だ。
こうして、ニッポンの男性たちは、狂喜乱舞した。
法治国家としては、異常事態ともいえる一連の現象が容認された最大の理由は、マスメディアによるバックアップであった。
なにしろ、ネタは次々と出現し、それを記事にすればカネ儲けができたからだ。特に、写真週刊誌が象徴的だ。
FRIDAYは飛ぶように売れた。ハダカとエロ、スキャンダルを撮りまくる。
この最中に、男女雇用均等法が改正され、セクハラが防止されることになった。
要するに、会社の中で、男性は女性を手に入れやすくなったということだ。
同時に、労働者派遣法も施行された。
大手の銀行も破たんが相次ぎ、トップの自殺、特別背任事件なども起きた。
ニッポンは、坂道を転げ落ちることになる。
わずか10年の間だった。
アラフォーが20才から30才の頃の情勢だ。それ以降は、多少は落ち着いたようにも見えるが、実は、しっかりと定着し、根を下ろしたというのが正しい。
今度は、彼女の後輩たちを性病が襲う。風俗店やキャバクラが一般女性に溶け込んだからだ。
『あなたがなりたい職業は?』
このようなアンケートをすれば、ベスト10にキャバ嬢が入り、ベスト30に売春婦が入るのだ。
つまり、女性の数%程度であったエロ仕事は、ついに市民権を得るほどの職業になったのである。
女性の数十%がプロになった。
数十%とは、数人に1人という意味である。
いや、身近に必ずいるという意味である。
たしかに、男性ならわかると思うが、ネットをみると、星の数ほどの女たちが性交を披露している。
風俗店の紹介ページには無数の女性が、営業のためにハダカを見せ物にしている。
もちろん、テレビでも、書店でも、そこら中に商売女が溢れている。
街中では、女子高生やOLや主婦が、男を探している。
出会い系には、もはやシロウトが姿を消しプロやセミプロが営業展開している。
ネットでは、モバゲやグリーが新手の出会い系を形成し、シロウトのセックスを後押しし始めた。もちろん、セックスを目的とする人にとってはゲームは建て前である。
エロと性病に囲まれた美しい島国こそが、ニッポンだ。
中国人や韓国人が、日本女性を買い占める日も近いだろう。
当たり前の話だが、誤解のないように説明しておくと、こうした女性たちが激増したといっても、全体からみると、二割かせいぜい三割以内にすぎない。
過半数以上の女性は、健全な母であり、妻であり、恋人である。
無料または有料で、誰とでも寝る女性は、少数派であることに変わりはない。
この少数派の女性は、繁殖を続けてきたが、ここへ来て曲がり角を迎えていることも事実である。
つまり、市場が飽和に近づいてきたのだ。
市場は、次第に低年齢化の兆しをみせつつある。
具体的にいうと、小中学生市場へとシフトというか、拡大して、新鮮味を追求しだした。
言い換えると、大人の女性は見飽きてきたともいえるし、もっとバリエーションが広がることが期待されているともいえる。
人間の欲望は果てしない。
かつて、男が女性のハダカを見飽きるという事態があっただろうか?
正確に表現すると、本能としてオスに刻み込まれているから見飽きたわけではないのであるが、言ってみれば、選別するようになったのだ。
簡単にいうと、見たくないハダカが増えた、といえばよいのだろうか。
オスたちは、自分にピタッとくるハダカ以外には興味を示さなくなってきている。
それほど溢れかえってしまった。
女性のせいぜい二~三割のために、女性のハダカ自体が選別されることになったのだ。
選別が始まると、問題はもっと深くなる。見たくないだけでなく、触りたくない、セックスしたくない、という選別へと発展するのが恐ろしい。
男性たちの目が肥えてくると、ツボにハマらないハダカは無視するようになる。
それだけではなく、大概の行為では満足感を得られなくなってくる。
要は、刺激が不足しはじめるわけだ。新しい刺激を求める。
女たちは、それを肌で感じとるから、修練を積みテクニックを磨く。
こうして、だんだんと高度なテクニックが使われるようになってきている。
また、特殊性癖への対応力も増してくる。変わった行為もどんどん行われるようになってきている。
だから、普通のカラダ、普通の性交は、次第に価値を薄めつつあるのだ。
いわば、女たちは職人化しつつある。
女エロ職人があふれ、プロ、セミプロ、アマチュアに分かれた。
良いことなのか、悪いことなのか、誰も回答を出さないから、拡大は続く。
男性にとっては、使い分けさえ、しっかりできれば選択肢が増えるだけだから好ましい話なのかもしれない。
しかし、世の中とか未来を考えると疑問符も浮かぶ。
女が男に抱かれるということは、実をいうと、深い悲しみを伴うことなのだ。
女性が好んで選んだ道とはいえ、…複雑な心境だ。
昔、女は一人の男と共に生きた。ほとんどの女がそうだった。
今、3割の女は1人で生きる。男を決めた女も3割近くが決別(離婚)する。
半分の女たちは、結局、1人にならんとしているのだから、自力で生きる力が必要なのだ。
しかも、人類は長寿化を遂げ、女性は80年から90年を生き抜く時代だ。
10年前には先進諸国で最も若々しかったニッポンは、世界最高の高齢社会を迎えようとしている。
世界中を見回しても、先例はない。
そこへ襲いかかる不況が単身女性にどんな影響を与えるのだろうか。
男たちは、無心にAVをみる。本能的に、性器が勃起する。
AVに登場する女たちに、どんな背景があるのかを知らない。
性欲を処理できれば終わりだ。女たちも役割を完了する。
女たちは、いずれ年をとり引退する。30才や40才で、エロ稼業から足を洗い、どこかへ消える。
そして、また次世代が跡を継ぐ。
エロ稼業は、日雇い労働者のようなものだ。働いた分だけ稼ぐ。仕事がなくなると失業し、引退が近くのだ。
女たちは、半分の人生を残している。刹那的な生き方のような気がしてならない。
老けた女エロ職人は、街から姿を消す。
こう考えるとわかりやすい。
従来は、大半の女性たちは専業主婦に落ち着いていた。
これからは、そのうちの約半数は専業主婦の座を選択しないか、選択できない。では彼女たちが社会に出るかといえば、仕事が足りない、または希望に合わない。
結果的に、女エロ職人を選ぶ。
それが世の中の流れだと考えるのだ。なるべくして、ニッポンには女エロ職人が増殖したのだ。
かつての専業主婦の一部が、女エロ職人と移行したわけだ。
必然の流れとして、女エロ職人市場が形成されたとすると、それは尊重すべき職種になりうる余地が生まれる。
立派な職業人として、市民権を得る可能性も出てくる。いや、ある意味で、女エロ職人に対して、救われている男性も少なくない。
むしろ、そうなると、ビッチやヤリマンと蔑まれるシロウトのほうが下層となる。
彼女たちは、カネもとれないレベルのモグリ業者と位置づけられるからだ。
しかも、衛生管理はなされておらず、街で拾われるフリーの無料売春婦だ。
そうなると、稼げる女かどうかが新たな尺度になるのである。
予備軍は、大量に存在する。
カネを稼げるかどうかという尺度でとらえると、女エロ職人はスペシャリストである。
しかし、性的な行為を金銭価値でとらえるのは、かなり異端だ。
同じことをしても、ビジネスであったり、愛情交換であったりするから話がややこしい。
仮に、ビジネスとして確立するとすれば、利用者側も明確な区別を要求される。
でなければ、男性利用者のパートナーはたまったものではない。
パートナーと行うよりも高度で特殊なサービスを、常にフレッシュな女性たちから享受できるわけだから。
これは、心の問題であるとともに、生理の問題であり、生き方の主義に関する問題だし、パートナーのみならず、親、子供、友人、知人、隣人などとも無関係ではない。
経済的にも無視できない問題だ。
すると、女エロ職人はスペシャリストであり、一部の男性利用者から歓迎されたとしても、眉をしかめる専業主婦系の女性たちにとっては天敵となるのだ。
専業主婦系の女性たちは、自分の夫は、女エロ職人と接点を持たないと信じている傾向が強い。
ところが、男性からみると、その確率はかなり低い。
男性の生理は、毎日との戦いだからだ。米国大統領であろうとも、教会の牧師であろうとも、ジャニーズ事務所のアイドルであろうとも、チンコをつまみ出してシゴク。
十代だけでも5000回前後はシゴクのが普通だし、二十代でも2000回くらいはシゴクものだ。
その都度、オカズと呼ばれるネタを求める。隠れたる趣味であり、生理なのだ。
そのような男性の生理を前提とすれば、スペシャリストの存在は有用なものだ。
しかし、性的問題には、いろいろと壁がある。パートナーとの信頼関係だ。
性欲処理と愛情交換は、まったく別物だと、いくら説明しようとも、それは伝わらないであろう。
つまり、性を解放した女性たちと保守的な性を堅持する女性たちは、天と地ほど、水と油ほどの違いがあるからだ。
したがって、選択肢は2つしかない。
女エロ職人のお世話には一切ならないか、隠れてお世話になるかのいずれかである。
前者の男性は専業主婦系の女性との融合が最適だ。アグレッシヴな人生は送れないが、静かな幸福が手に入るかもしれない。
後者の男性は、パートナーを裏切り続けることになるから、コミュニケーション巧者でないと破綻が起こりうる。
専業主婦系の女性にとっても、なかなか難しい世の中になったものだ。
新種の女エロ職人が認知されたせいで、専業主婦系や労働者系の女性たちの存在感は薄くなる。
なんといっても、女にとってのエロ対応力は、軍事力のようなもので、対話主義だけではインパクトが弱い。
そこで、専業主婦系にも、労働者系にも、ビッチ&ヤリマンが増殖した。
プロになるほどの才能と魅力はないが、一応は使用可能な女たちだ。
いわゆる公衆便所と称されるシロウトを指す。
これが一般女性の中に混ざってしまったことで、かなりの男性が撤退を決めた。
彼女たちには問題が多い。
専業主婦系や労働者系の中には、ビッチ&ヤリマン(同じ意味だが)が相当数潜伏している。
彼女たちは、女性としてはあまり魅力はない。しかし、交尾を前面にアピールして生きているから、とりあえず活用されやすい。
ちょっと排泄するには、大変助かる存在なのだ。
だから、3か月とか、6か月とか、1年とか、2年とかのサイクルで必ずポイ捨てされる。
20代で、10人~20人に捨てられ続ける。男性というのは、女を傷つけないように留意するから、表面上は恋愛の終焉ということになっているが、ストレートにいえば、廃棄処分だ。
中古車に例えられたりする。
ガタガタの中古車は、婚活市場で買い手を求める。
専業主婦系だとバツイチとかバツニとかが珍しくない。労働者系だと見るからにビッチだ。
習慣とは恐ろしいもので、すぐにパンツを脱ぐ。脱ぐからまた逃げられる。脱がないと魅力が劣るから、やはり逃げられる。
もはや、やるせない人種といえる。しかも、性病歴もある使い込んだカラダ。
さすがに、仙人でも彼女たちにはアドバイスができない。
この連中を避けて、婚期を迎えた男性たちはじっと身を潜めている。
草食と呼ばれようが、二次元オタクと呼ばれようが構わない。見つかると一生を棒に振るからだ。
これからの女性は、
・専業主婦系
・労働者系
・エロ職人系
の3つに分かれる。
このうち、専業主婦系と労働者系には、ノーマルタイプとピッチタイプが含まれるから、全部で5種類に大別される。
①ノーマル専業主婦
②ピッチ専業主婦
③ノーマル労働者
④ピッチ労働者
⑤エロ職人
となる。
①と③は、安定感があるルートだ。
②と④は、スリリングな人生だ。
⑤は、ギャンブラーのように一攫千金を狙う。
そう考えると、女性の人生もバリエーションが増えた。
安定感は減ったが、楽しみは増えたとでも言うべきか。
慎み深さ一辺倒だったヤマトナデシコも、新たな世界に飛び立ったわけだ。
一方、男性はあまり変化がない。
だから、多くの男性たちは、数少ないノーマル専業主婦タイプの女性を探し求めることになる。
その場合、経済力やビジュアルや性格に劣ることが明らかな男性は、最初からギブアップするしかなくなる。
こうした男性は、早くもこう宣言する。
『俺は、女とか結婚には全く興味ないよ』
理由はたくさんつけられる。世の中ベンリになったから、女は性格悪くなったから、性欲処理には困らないから…。
確かに、イイ女は、20才時点ですでに誰か、優良な男性が確保してしまっているのだ。
『別にいいよ』
そんな反応しかしようがない情勢なのだ。
安定・安心な結婚路線を確保することが困難になった現在、大きな問題が露呈している。
赤ちゃんが誕生しないのだ。
結婚の絶体数が減少したうえ、結婚年齢が高齢化し、離婚率が上昇したからだ。
しかも、世帯年収が激減してしまったのは痛い。
この少子化問題は、高齢社会とのバランスを考えると、大変重い問題といえる。
女性が労働市場やエロ市場へ進出した結果、取り返しのつかない事態を招いてしまったのだ。
折りからの不況は、問題解決を難しくしている。世帯収入を支えるためには、女性も労働市場やエロ市場に出ざるを得ないのだ。
バブル景気以降、カネがあふれ、女のカラダは貨幣価値で取引されるようになった。
その結果、巨大なエロ市場が生まれ、インターネットがそれを後押しした。
必然的に、専業主婦系は減少し、結婚が難しくなった。
多くの男性は結婚戦線から離脱し、女たちは労働市場に参入、長寿化に備える。
やがて、ニッポンには若年層が減り、生産力が落ちるであろう。
年金・福祉・医療コストが賄えるはずもなく、巨大な貧困老人社会を形成することになる。
1990年から2000年までの僅か10年間、女性が遊び呆けただけで、流れは大きく変わったのだ。
見返りに、それまでワンパターンだった女性の生涯には、バリエーションが増えた。
女性が妻・母として生きるだけでなく、仕事に生きがいを見つけることが可能になったのだ。
また、妻・母でありながら、夫や子供を裏切る生き方も一般化しつつある。いわゆる不倫・浮気妻が急増中だ。
一方、仕事をみつけ自活の道を探る女性も増えた。意義ある仕事に従事し社会貢献する女性も少なくないのである。
仕事の中には、女性固有のエロビジネスも選択肢となっており、短命ながら、スペシャリストとして世の中に貢献し始めている。
女性の身勝手かもしれないが、世の中は、簡単には後戻りしない。
女性が得たものとは対照的に、ニッポン社会が失ったものも大きい。
例外的かもしれないが、エロ職人やビッチなどが、良い男性と結婚するケースはある。
カラダは使い古しでも、それをカバーして余りあるほどの人間性を備えた女性がいるからだ。
男性側からみると極めて複雑な心情で、結婚を決意することになるが、レアな事象としてはあり得る。
どこかの男性たちに使い古された女性を選ぶわけであるから、想像を絶するほどの被虐的な男性ということになるが、性癖は自由だ。
このような使い古しを引き取る男性も、当然の帰結として増えざるを得ないのだ。
ソバ屋に入り、ソバを食べるとき、通常は割り箸を使う。
割り箸は、新品だという証明となる。
もし、既に割られた『箸』がきちんと洗われており、それを用いるとしたらどうであろうか。
人によると思う。
きちんと洗ってあるのなら、何の問題もないと考える人もいるだろう。
いや、やはりどこの誰が使ったかわからない『箸』で食べるのは、どうしても抵抗がある人もいるはずだ。
これは人間の生理・感情だから仕方がない。
使い古しの女性を引き取る男性は、使い古しの『箸』を使える人だ。
『箸』ならば、唾液の残像だけだからまだよいが、人間はもっと深い。
使い古しの女性となると、唾液残像以外にも、汗や粘液、精液、大小便などの残像がイメージされるからだ。
仮に一年間でも、どこかの誰かが使用したとなれば、キスは数百回するであろうし、フェラも69もするであろう。
場合によっては、精液をカラダに浴びたはずだ。顔に浴びたこともあるかもしれない。
いま目の前にいる妻や恋人が、もし使い古しだとするならば、キチンと洗っていたとしても『残像』がつきまとう。
これに耐えるには、被虐的になるしかない。男性には、拷問のようなものだが、不思議なことに、そうした敗北感を好む男性も存在する。
使い古し妻を養う男性から聞いた話がある。
『夜、隣で眠りにつく妻をじっとながめることがある。妻の寝息を聞き、寝顔を見つめていると、愛情を感じることができる』
『しかし、同時に、この愛する妻が、何人もの男からカエルのように股を広げられて体内に性器を入れ、粘液まみれの性器をしゃぶったり、尻の穴をなめ、顔にザーメンを浴びてきたかと思うと、こみ上げてくるものがある』
きれい事では済まない生理と感情は、男性の生涯つきまとうのだ。
男性は、神経質でプライドが高い場合が多い。
だから、愛する人を守るために全力を発揮する。
しかし、打たれ弱い。
好きな女性が、他のオスから、足を広げられた場面を想像するだけで精神的に萎えてしまうのだ。
よく器の問題だというが、あれはむしろ逆だ。プライドが高い人間、成功者ほど敗北感に弱い。
我慢できるのは、全く抵抗感を感じないスラム街の路地裏に住むようなオスだけだ。
男性として一回きりの人生を歩むとき、最も愛した女性を手に入れたとしても、その女性が使い古し妻だったとしたら、敗北者で終わる。
それくらい、『女』というのは宝物であったのだ。…いままでは。
男性は、子供みたいなものだ。
学校が終わり、家に帰宅する頃、お腹が空く。ママを見つけないと、おやつがもらえない。
家の中でママを探していると、寝室から声が聞こえる。
そっと寝室を覗いてみると、ママに知らないオジサンが覆い被さり、大股を開かせて、腰をピストンしている。
ママは、歓喜の声をあげ、乳を揺らしながらヨダレを垂らしている。
子供はドアの隙間から、じっとみている。
オジサンは、気持ちよさそうに口を半開きに開け、ときどきママに吹いつく。
よくみると、オジサンは1人だけじゃない。寝室に何人もいる。
しばらくすると、オジサンは『おお~』と声を上げて、バタリとママにしがみつく。
今度は、次のオジサンと交代だ。オジサンの性器は20センチくらいに膨れ上がっている。
ママを四つん這いにさせて、尻の穴を広げてナメ始めた。ダラーンとした液体がシーツに糸を垂らしている。
子供は、黙ってドアから離れた。
ママのお楽しみとは裏腹に、子供は心に衝撃を受けるだろう。
ママがいくら楽しそうでも、論理的に理解しないと思う。
本能として、他のオジサンに取られたと感じてしまうのだ。
ママはキチンと説明する。『ママはあなたのママよ。オジサンたちとは、もう会わないから安心してね』
ザーメンがついた手を台所でキレイに洗い、おやつをくれた。
優しいママが大好きだ。
でも、ママの髪は乱れたままだし、太ももあたりからヘンなニオイがしている。
テーブルにおやつが用意された。お腹はペコペコ。子供は言った。
『いらない。食べたくない』
理由はわからないけど、ひどく悲しい。それほどナイーヴな子供じゃないのに、耐えられない感情がこみ上げてくる。
自分の部屋に戻っても、さっきの場面が頭をよぎる。
この事件だけは、生涯忘れることができないような気がする。
女が男と楽しむというのは、反面で、深い悲しみを生む。
子供にしても、立派な大人にしても、一番好きな女性は特別なものだ。
自分だけのもの。
独占したい。
これがバブル前までに主流だった『男の身勝手』だ。
しかし、これがあったから男は奮起した。一番好きな女性が応援してくれたから、頑張って頑張ってニッポンを世界第2の経済大国に押し上げたのだ。
この応援がなくなると、子供は勉強に身が入らなくなる。夫は仕事に集中できない。
ママや妻が、若いイケメンや優しいオジサンたちと、楽しい人生を過ごすと気になってしようがないのだ。
男の身勝手と女の身勝手は、天秤にかけて釣り合えばよいのだろうか。
萎えた男たちは、こうつぶやく。
『女には興味ない』
子供たちは、叫ぶ。
『ママなんか大キライだ』
インターネットは、男たちのはけ口になった。
パソコンや携帯電話を使えば、ネットで女たちのハダカが見れる。
それも、ほとんど全ての願望を叶えてくれるほどの見たい画像や動画を見ることができる。
今やそれを知らない男性はいない。20年前はパンチラだけで狂喜乱舞した男たちの目が肥えてしまった。
若い女性から熟女、学生からOL、人妻、なんでも揃っている。
シチュエーションも豊富だ。ナンパ、乱交、強姦、SMなどキリがない。
いったいどれくらいの人数の女性が登場しているのだろうか?
一番好きな女性に萎えた子供や大人は、確信する。
『やっぱり、女は信用できない』
ネットの怖さはそれだけではない。
女たちの裏側が、情報として飛び交うのだ。
女たちの生活実態のだらしなさ、金遣いの荒さ、男漁りの浅ましさ、何でもわかる。
特に、性格の二面性を学習できる。
また、女便所の中や、汚い下着など、百年の恋も一瞬にして冷めてしまう情報が満載だ。
男たちは、口々に言う。
『俺たちは、恋に冷めたわけではなく、夢から覚めただけだ』
そこまでやるか。
ネットの恐ろしさは、我々を驚愕させる。
『ぶっかけ』というジャンルがある。女の顔に何人もの男たちがザーメンを浴びせて、顔中をドロドロにする類のAVだ。
女優さんは、もう…、表現ができないほどの状態になりながら、バックから突きまくられている。
この種のAVを見るにつけ、女優さんの親とか、兄弟とか友人のことが思い浮かんでしまう。
この世に生まれ、ハダカを見せ物にされ、犯され、顔に見知らぬ男たちのザーメンを浴びる。
どう考えても、他に生きる道があるはずだと思ってしまうのだ。
カネが欲しいのか、重い性癖なのかはわからないが、極限的な生き方だと感じる。
さらにネットは、見る自由を提供した。
『20歳未満の方は退場ボタンを押してください』
小学生は、ディスプレイの前で落胆する。…かと思ったら、全く気にせずに入場する。
たまり場になった家庭のパソコンの前には、3人の五年生が集まった。
『女教師が生徒に姦わされる動画を見ようよ』メガネの五年生が言う。
相棒の2人は、薄笑いで同意する。手慣れた操作で動画をダウンロードした。
『この女、いいカラダしてるよな』
『三年三組の担任に似てるだろ』
『ああ、やりてえ』
塾が始まるまで、彼らは束の間の自由時間をこうして過ごす。
人それぞれに与えられた自由は尊いものだ。否定する気はないし、とてつもない強い時代の流れを止めることは不可能だ。
誰しも欲望があり、事情があり、選択をしているのだろう。
このまま時代が進み、欲望がさらにエスカレートすると、どうなってしまうのか、そう感じるだけだ。
誰も止めない社会は、様々な変化をもたらしながら進行している。
あと数十年経過すると、3人に1人は高齢者となる。
社会には、萎えた男たちと汚れた女たちが増殖し続けている。
地球が誕生してから、どのくらい経つのだろう。何万年もの間、人類は繁栄に向かって栄えてきた。
ところが、ほんの200年前に10億人だった人口は、いま70億人に達しようとしている。
突如として7倍に急拡大したわけだ。大気は汚れ、エネルギーは枯渇した。食料は底をつき、自然環境は異変続き。
都市部に密集した人類は、貨幣を基準に取引を重ねる。
貨幣がなければ、脱落するルールが確立した。
人口は増えたが、IT革命のおかげで仕事は減った。
カビのように繁殖した人類は、いま慌てふためいているのだ。
マグロもウナギもボジョレーヌーボーも牛肉も、カネの力で、ニッポン人は平らげてきた。
欲望に歯止めがかからない国民は、やりたい放題のさばる。
90兆円使いたいと言いつつ、税収は30兆円しかない国。借金は1000兆円にのぼる。
家計で言えば、月収30万円の家計が、毎月90万円を使い果たし、足りないカネはサラ金から借りている。借金は1000万円にならんとする家庭。
世界で最も我慢が効かずに高級食品を買いあさり食べ続ける。
貧しい国からはカネをせびられ、強硬な国から脅かされたら、アメリカに泣きつく。
今までは、とても弱いがカネだけはあったから贅沢三昧。強い友好国もバックについていた。
まるで、パパが暴力団組長の家に生まれたナヨナヨのお坊っちゃんみたいな国民がニッポン人なのだ。
高級食品とセックスが大好きだ。
断っておくが、けしてニッポン人を批判したいわけではない。
景気を回復させ、税収を増やし、世界市場の中心に再復活することで、国民総所得を増加させる方策を提言したいのだ。
そうすることによって、男性も女性も稼ぎが増え、生活に安定感が蘇り、少子化にブレーキがかかる一方で、年金・福祉・医療予算を作れる。
そして、そのカギは人間の欲望が握っている。労働人口が減少するニッポンが選択しうる方策は限られているのだ。
欲望を否定してはならない。欲望のエスカレートに、時代は勝てないからだ。
欲望を否定してはいけない。
人間は、生まれてきた以上、美味いものを食いたいし、イイ女とやりたいし、心地よい環境で、朝から晩までカワイイカワイイと騒ぎながら生きていたいものなのだ。
快楽はエスカレートする。アホな人間は増え続けるものなのだ。
犬や猫と遊び、草花の色を味わい、マグロや牛肉を食い、海と空を眺めて暮らしたい。
ショッピングをしながら、疲れたらストロベリーサンデーを食べ、イケメンとすれ違えば、目線を合わせ、お土産を買い込みタクシーで帰るのが好きな生き物といえる。
ただし、今のままでは、それができなくなる。
別に、2次元オタクというわけではないが、なんとなく気持ちはわかる。
リアルでないから安全だし、妄想が無限なのだろう。
つまり、精神衛生上、二次元はリアルを超越するかもしれないのだ。
犬は噛みつくが、スヌーピーは噛みつかない。
最近は、アダルトグッズも進化している。ダッチワイフにしても、リアル顔負けだ。
脱毛は完璧だし、ニオイも好みに合わせられる。ヘンな反論もしない。
要は、時と場合によってはリアルの代替が効く。選択肢の一つに含めればよい。
今夜はネット動画、明日はダッチワイフ、明後日はオナホール、次は風俗嬢、その次は彼女という具合に、使い分けるのが一般化するかもしれない。
もともと浮気な男性陣に加えて、新たに平気で裏切れる女性陣が激増した。
これを受けて、浮気な男性陣がさらに増加する。
男性陣と女性陣が追いかけっこで、切磋琢磨するもんだから、最近の女性のテクニックは本当に上達した。
昔なら、真っ暗な部屋でマグロのように受け身だった女性も、今やトビウオのように活躍する。
それと、女性の観察力は細やかだから、微妙な性癖にも対応する人が増えた。
やはり、プロはプロである。
こんな具合に、パートナーに隠れて、浮気相手を探したり、プロ女を買ったりする男性が急増してしまったキッカケは、女たちの自由化だ。
結果的に、男女にかかわらず『信用できない人物』が増えすぎて、男性不信・女性不信に陥る人がかなり増えた。
なにしろ、いま目の前にいる相手が、自分を裏切っているかどうかわからないわけだから、迂闊に恋愛などできない。
ハッキリ言って、見抜く方法はないし、裏切られている確率は相当高いのである。
人は見かけによらない。
考えてみれば、ニッポン人も変わったものだ。
20年前までは、ウソつきのレッテルを一度でも貼られようものなら生きていけなかった。
仲間はずれにされてしまうようなコミュニティーだった。
いまや『騙されるほうがバカ』などと政府がキャンペーンするくらい詐欺師がはびこっている。
そんな社会だから、家族、恋人、友人、知人にも詐欺師や裏切り者が混ざっていて不思議はないわけだ。
疲れる人生をみんな送っている。
騙されないようにといっても、騙すほうも必死だから、相当の警戒が必要だ。
『愛しているよ』
『あなたなしでは生きていけない』
普通は、言葉を信じる。そこが落とし穴になるのだが…。
相手を愛している場合、『愛しているよ』と言っても、今の時代は何の意味も持たない。
100人から聞いた100回の『愛しているよ』のうち、90回程度はウソだ。
家族間でも『愛しているよ』といわないくせに、いきなり『愛しているよ』というのは、要するに、『パンツを脱ぐよ』という意味でしかない。
女もそれをわかっていて、すぐにパンツを脱ぐようだが…。
人を疑うというのは、ひどく疲れる。
しかし、騙されてしまうと、その数百倍疲れるから警戒せざるを得ない。
全く疑っていなかった相手にコロリと騙される人が増えている。
そのことがトラウマになると、騙されることを避けるために臆病になる。
臆病になると、消極的になる。興味とか関心を持たないように身構えるからだ。
すると、人間としての欠落部分が生じて、バランスを失う。
失敗を糧にして、次回は騙されないように努力する生命力が必要なのだ。
それができないケースにおいては、鬱病などの深みにハマることも起きてくる。
萎えるか、戦うか、極めて難しい判断だ。
不倫とか、二股とかのジャンルがある。
詐欺師たちが活躍するフィールドだ。
既婚者が独身者を騙すパターンと既婚者同士が騙し合うパターンの二つがある。
少なくとも一つの家庭は騙されるし、本人たちの片方は周到に計算して片方を騙す。
『愛しているよ』というセリフが飛び交い、矛盾だらけのシチュエーションで、騙し合うゲームといえる。
これも2000年前後に、女性が開発した遊びだ。
騙し合い社会が拡大するなかで、仮面夫婦が数多く誕生したのをキッカケに、主婦が外で浮気や売春を始めた。
また、会社のOLや女子学生が金回りのよい中年に目をつけた。
相手の家庭崩壊など知ったことではない。とりあえず『愛しているよ』という合い言葉を使い、満足を得る。
安住の地はなくなった。
ネットは、この頃新たなツールを提供した。
いわゆる『出会い系サイト』がそれである。自由を得た女性たちは、今度はこれにハマった。
男性たちは、待ってましたとばかりアプローチをかけた。
女性がひっかかると、数ヶ月間は紳士的なやりとりを繰り返す。
10人程度は並行して管理しなければならない。
そのうち、『会ってみようよ』という流れになるのを待つわけだ。
それまでに女性が密かに抱える悩みや願望を聞き出し相談に乗ったり、励ましたりしてチャンスを狙う。
あとは、仕上がった女性と実際に会い、運命的な出会いを演出、演技し、数回味見をしたら、姿を消すというのが男性側のルールだ。
この出会い系は、手軽に低コストで遊べるため全国を席巻した。
女性たちは、出会い系でもこんなふうに言う。
『出会い系なんていい加減な男しかいない。でも彼は違うの』
男たちは、忍耐力勝負を続けた。常に、処理能力一杯の在庫を補充して管理しなければならない。
やりとりで、辻褄が合わなくなるとアタフタするため、フォルダを別に分けてキチンと整理しておく。
この頃から、ニッポン人はネット詐欺のノウハウを蓄積することになる。
男女の欲望に照準を当て、荒稼ぎする業者も次々と出現した。
舞台裏はともかく、女性たちは『恋愛』を手に入れたと感じていた。
出会い系ブームは数年続いた。
出会い系が崩壊したのは、無数の売春業者が闊歩し始めたからだ。
すでに、フリーのOL売春婦も女子学生の援助さんも乱立していたから、シロウトが引っかかりにくくなってしまったのだ。
また、シロウト女性たちも事件に巻き込まれたり、脅迫されたり、妊娠させられたり(ゴムに穴を開けておくゲーム)、複数の友人に回されたり(紹介して逃げるゲーム)、散々なことが起きたから撤退を始めた。
要は、カラダの関係というのは長くて一年間くらいしかもたない。
人間性を愛される女など、そうそういないわけだから。
にしても出会い系は女性たちに、よく利用された。
素性がバレなければ女性というのは遊びまくる。もともと、女性たちは、はした金で何でもできる生き物だ。
よくよく考えると、何百年もの間、抑圧されていただけというか、メリットがなかったため大人しくしていた。
ここへきて、カネになることがわかった途端、小学生から熟女までが、水着でニッコリVサインを出している。
男性側はその豹変ぶりに戸惑いながらも、いただけるものはいただくスタンスなのだ。
ただし、この傾向もいつまで続くかわからない。もう男性は、女性を手に入れるための努力をしなくなっているからだ。
男性というのは、歓喜しつつも冷ややかだ。
なぜかというと、男性は社会とのつながりを重視する気質があるため、ニッポンの未来や子ども達の行く末を案じてしまう。
やはり、青春期には、科学や生物や宇宙や歴史などに興味を持ってほしいと願う。
スポーツや音楽、絵画など、自分の好きなものを発見してほしいと願うのだ。
そして、信頼できる友人と巡り会い、親を大切にし、よい仕事をみつける。
そんな時期に、女子学生は自分のカラダをできるだけ高く売りさばくために、シャンプーをし、化粧品を買い、ピアスを開け、エロに励む。
あまりに気質が異なりすぎるため、女子や大人の女性を軽蔑する部分がある。
だから歓迎しつつも、常に腹の底で使い分けている。
さらに、登場した大人の遊びがあった。
出会ったその夜を共に過ごすという行きずりの恋、ワンナイトラブだ。
これも、女性が開発した遊びだ。
まあ、飲み屋でナンパされて、ホテルでしゃぶり合うだけの話だが、スリルがあり、都会的なテイストで流行った。
大人の夜遊びはオシャレということで、女性誌のハゲ編集者などがそそのかした。
酒を飲む女性なら、誰しも遭遇したことがあると思う。終電がなくなるとゴーサインとなる。
こうしてみると、女性が仕掛けた遊びに、男性が大挙して乗っかるパターンが多い。
現在の合コンにつながっていく流れだ。
唯一、男性が仕掛けたといえるのは、早稲田大学・スーパーフリーのパーティー輪姦や京都教育大学の打ち上げ輪姦などの犯罪系であろう。
それくらいワンナイトは、浸透していたのだ。
2000年以降の10年間は多少落ち着きを取り戻した。
バブル期の男性(現在の40才以上)と女性(現在の40才すぎ)が、年齢的にも経済的にも落ち目になったからであろう。
男性はよく働いた。女性はよく遊んだ世代。
五年後には、一転、就職氷河期を迎えるのだから、人生は運不運がつきものだ。
短い10年間くらいで、ニッポンが様変わりし、女性の在り方も大変身した。
カネ余り時代の狂乱と言ってしまえば、それまでだが、ニッポンは世界トップクラスのエロ国家になった。
エロに励めば、誰かが傷つく。この表裏一体の問題を解決するのは困難だ。
もはや幻想の中にしか、理想の女性は存在しなくなった。
こうしたエロ遊びに積極的になった女性たちは、次々と新しい遊び方を男性に提供してきた。
男性は大喜びし、先を争って利用した。しかし、女遊びにはカネがかかる。
構図としては、男性がカネを使い、女性がカラダを使うのだから当然だ。
一気に、女性のカラダは社会に躍り出た。どこを見てもハダカだらけの時代が続いている。
電話一本で、かわいい女の子が飛んでくる。
しかし、新たな問題が起きた。
性病だ。
人体は、よくできている。
食べ過ぎると糖尿病になるし、気をつかいすぎると胃腸病になる。
性的快楽を追いすぎると性病が待ち構えている。
渋谷のセンター街で若い女性にアンケートをとると、数人に1人は性病経験者だという。
昔、終戦直後じゃあるまいし、ニッポン女性の一定割合が性病リスクを保有して街中を歩いている。
身に覚えのない一般市民にとっては恐怖だ。
だいたい我々は、
『自分の恋人だけは』
『うちの親は大丈夫』
『ウチの子に限って』
と、安心しているものだ。
しかし、事件が起きると、『あの人がまさか』ということになる。
そりゃまあ、最初からわかっていれば周囲が気をつけるものだが、わからないからビックリするわけだ。
特に、男性の性欲は日頃から理性でコントロールされているものの、たまに、『もうどうなっても構わない』という状況に陥ることがある。
欲望がオーバーヒートして、瞬間的に理性を上回るのだ。
万引き犯人が『たまたま魔が差した』というのに似ている。
男性は興奮すると、性器が勃起し、溜まりに貯まった性欲が排泄を求める。
便とは違う感覚だが、漏れそうになる点は同じだし、他のことを考えられなくなるのも似ている。
いわゆるパニック状態だ。その際、その場を逃げ出すか、襲いかかるかの選択だ。
このとき『もうどうなっても構わない』となる。性器がガマン汁を垂らしたら後戻りはできない。
痴漢行為は犯罪だ。だから擁護するわけではないのだが、差し迫った状況になりやすい犯罪だといえる。
おそらく、何年も何十年も満員電車で通勤する男性なら、幾度かいい思いをする場合がある。
偶然、触ってしまうこともあれば、成り行きで押し付けることもある。
別に、意図的な行動ではないから、ハッとすることになるのだが、余韻は残る。
これを脳がインプットするのだ。そして、同様の機会の到来を意識し始める。
麻薬みたいというと大げさだが、一度覚えた快楽を脳は忘れない。
再び、同様の場面に遭遇するかどうかは、運命としかいいようがない。
二度、三度と重なると、意図的な行動を取るようになってしまうだろう。
男性からとらえた恋愛はシンプルなようで不可解なものだ。
純粋であろうが、不純であろうが、胸がキュンとする。
純粋なのか、不純なのか、その結論は恋愛中には出せない。
それは、考えようとしないせいなのか、考えてもわからないのか、わかっているけどハッキリさせないのか、とても曖昧だ。
男性は、次から次へと、恋愛ターゲットを乗り継ぐ生き物だからなのか、吸い寄せられるように女性を求める。
男性の恋心は、摩訶不思議なものだ。
恋心を性欲が後押しする。それくらい自覚不能状態に陥りつつ、理性が恋心を押し通す。
そのため、本当に恋心を抱いている場合は、相手の女性には触れることができない。
強引に、理性を性欲に勝たせようとするからだ。
抱けば負ける。抱けば性欲が理由であったことが証明されてしまうからだ。
つまり、抱かれる女は、愛されてはいない。
ところが、男性の恋心は戸惑うこととなってきた。
相手の女性の真剣度がはかりきれない世の中になったからだ。
恋心を抱いた女性は、恋愛を繰り返してきた女。使い古された女。安易に恋愛する女。
男は自分の恋心との格闘をしているのがバカバカしい。早くヤルだけ。
恋愛の成分から、真剣さは消滅してしまった。
恋愛しては別れ、恋愛しては別れる女たち。酔っているだけで、恋愛というものを知らない。
テレビやマンガの恋愛を丸写ししているだけなのだ。
セリフだけは一人前。抱かれるストーリーに焦がれるだけ。
マスコミが儲かる恋愛はしたくない。
こうして男たちは、恋愛市場から遠のいた。
いま、躍起になって女のシリを追いかけ回している男の大半は、『ヤリ目』といわれるナンパ師たちだ。
あとは、元来女性に縁の薄い男性層とか、スペック的に低い層、カネを持たない層などと限られている。
これらの男性は、今もなお女性に幻想を抱いていて真剣なのだ。
中古、ヤリマン、風俗上がりなどと一緒になって幸せを探す。
そこには、哲学的な観念すらある。人生の辛酸を舐めてきた女性に対する尊重がデフォルメされるのだ。
壁を乗り越えた純粋、とでもいうべきか、居直りの純粋というべきか。
人生は、順風満帆ではない。不運がつきものだし、失敗や破滅と隣り合わせ。
後悔も多いし、反省もする。萎えるときもあれば、絶望の淵に立たされる。
とりわけ経済不況下においては、貧しいというだけで希望を失いがちだ。
様々な境遇が彼らや彼女たちを襲う。助け合って生きることができたら、幸福が獲得できる。
そういう恋愛も増えている。
恋愛観というのは、立場が異なればピンと来ないものだ。
とりわけ、勝ち組・負け組などと称される昨今においては、世界観すら違うから仕方がない。
そもそも、ニッポン人は楽しみたいという国民だから、他人を受け入れるのが下手くそだ。
政治家の失言などをネタに楽しむレベルの国民でしかないのだ。
これは、恋愛市場にも共通している。マスコミが報道することは信じるが、親や教師や政治家は信じていない。
頭が悪い国民が、騒げば騒ぐほど、時間がムダに費やされるから、社会はよくならない。
国民の行動や意思決定というのは、実をいうと、国全体を左右しているのだ。
ニッポンにとって、女性が変貌したことこそが、最も大きな失策だった。
女性は、マスコミが好きだから。
マスコミの中でも、テレビ・雑誌・新聞関係者はニッポンをダメにした元凶だ。
彼らが報道すれば、女・子供が踊る。判断能力を持たない相手を洗脳し、世の中がどよめく。
人間は、結局のところ快感を得たいわけだから、快感につながる情報に踊らされる。
健康、美容、食事、習慣など、どんどん情報を集める。事業者はそれに乗る。コマーシャルを作りまた乗せる。
快楽競争だ。
経済効果はたしかに大きい。女・子供が踊れば、企業が儲かる仕組みになっているのだ。
その結果、エンターテイメント産業が形成された。カネは儲かったがダメ人間も増えたのだ。
要は、カネ本位社会が完成し、カネ以外の問題が軽視されることになっているわけだ。
人間よりも信じられるものがカネなのだ。
カネさえ稼げれば、女・子供が犠牲になっても構わない。いや、女・子供に対して、稼ぐための投資をそそのかせばよい。
美肌・美白に励めば、美しくなり、ハイグレードな男性を選択しやすくなると勧めればよい。
タレントは一味の先鋒役となりカネを稼ぐ。
女たちは、我先にと飛びつく。競争だ。カネだけは信頼できる友だちだから。
我々は、胸に手を当てて考えれば、大概同じことに行き着く。
男は、カネ。
女は、美貌。
シンプルに言えば、それだけの話なのだ。そういう社会メカニズムになっているから。
ただし、背伸びしてもムリな人は多いし、チャレンジした結果、失敗してコリゴリだという人も多い。
そういう人は、カネを否定する。カネが全てだと認めるのは浅ましいことだとして否定する。
カネはほとんどの夢を叶えてくれるが、カネでは買えないものを探し始める。
カネでは買えないが、自分にとっては大切なものを見つけ出し、それを生きがいにするのだ。
趣味、仕事、笑顔、自然、貢献…、生きがいを探す。そして、カネの亡者を軽蔑しようとする。
しかし、カネを手にした者のほうが、生きがいをたやすく手に入れていたりするから、人生に迷い続ける。
カネがなければ、カネで買えないものを手に入れるしかない。
一番手っ取り早いのは、パートナーを得ることだ。カネなんかなくても、パートナーと幸せを探せばよい。
お互いに信頼しあって生きていければ最高の喜びがみつかる。
これを実現させようと思ったら、物欲を捨てることだ。
働くことだ。ラクをしないことだ。
カネにはこだわらないと決めても、最低限必要なカネはなんとかしなくてはならないし、しかも安定させなくてはならない。
安定に向けて、力を合わせること、それ自体が、喜びなのだ。
ところが、物事は簡単ではない。
男は一生懸命働かなかったり、女は専業主婦並みのラクを求める。
だから、不満が年中芽生える。揉めては仲直りし、揉めては仲直りの繰り返しだ。
最初は、カネがないならないなりに、協力しあって生きて行こうというのがスローガンだったのに話が違う。
だいたい多くの場合は、シナリオ通りに話は進まない。フレッシュな期間が過ぎ去ると、最初の志しは消滅する。
付き合いはじめた頃の幸福感は、しばらくすると消滅する。
原因は、どちらかがラクをしたいか、遊びたいからだ。
要するに、カネで買えないものは簡単には手に入らない。
不思議な話だが、カネを稼げない男は、カネがない生活をしたくないものだ。そもそも、ラクして楽しく生きていたい性分なのだ。
最悪の事態は、女性が男性を食べさせるケースだろう。そこまで、落ちると女は、もう二度と浮き上がれない。
人間のあり方すら、欠落したカップルといえる底辺社会だ。
女が、男を食べさせていく。このスタイルは昔から、ヒモと呼ばれて存在していた。
女は、寂しさに勝てない生き物だから、パートナーがクズだとわかっていても別れられない。
しかし、女性は次第に老化する。どんなアイドル歌手だって十年もしたら、信じられないようなオバサンに変わる。
やがて、パートナーは去る。
女には、思い出だけが残る。愛し合った日々の思い出だろう。
これを恋愛経験というべきか…、これを人生経験というべきか…。
忌まわしい過去というのが相応しい。
女は、男を経済的に支えてはいけない。精神的に支えるべきなのだ。
女も人間である以上、老化する。老化すれば、カネの切れ目が縁の切れ目になる。
ズルズルと男を食べさせて暮らす女は、実をいうと、性格的には情に厚い『いい女』が多い。
だから、心を鬼にしないと別れることができないのだ。
いい歳をこいたオッサンをつかまえて、『可哀想』だとか『見捨てられない』などと、頭を抱えている。
大概は、同棲生活をしている。つまり、逃げやすい共同生活をしている。
盲目に男を信じたいのであろう。しかし、男はあまり深く考えていない。
『あの女が俺を好きだから、面倒をみてくれていて助かっている』
それだけだ。
たしかに、女が男を食べさせてやってはいけないというルールはない。
女たちが社会進出した今、中にはそういうパターンがあってもよいだろう。
しかし、働かない男は、あまりいただけた姿ではないような気がする。
男は、社会性が強い生き物だから、世の中に貢献してほしい。経済でも、文化でも、政治でも、なんでもよいと思う。
その仕事に励みながらも収入的に不足であるというのなら、話はまた別だと思うのだ。
正直なところ、女から食わせてもらい、『愛してるよ』と言ってカラダを自由に使い、自堕落な日々を過ごしても、数年で飽きるだろうし、社会復帰は困難になると思う。
過保護な女は、犯罪者のようなものだ。
過保護女が、ヒモ男と別れ、新しい男と付き合ったとする。
新しい男は、過保護女のことがいくら好きでも、こう感じるだろう。
『俺は、ヒモ男を超えることはできない』
なにしろ、ヒモ男はただ愛されていただけではない。
だから、いくら過保護女を幸せにしようが、永遠にヒモ男のほうが格上の存在となるのだ。
『なぜNo.1じゃなければならないの? No.2じゃダメなの?』
ナンバーツウでは、意味がないのだ。
ナンバーツウの人生は、敗北でしかない。
『いままでに何人と付き合った?』
男が、女を好きになるとよく出る質問である。
男は、歴代一位になれるとわかると、愛情パワー全開だ。
歴代一位でないときは、そこそこのパワーを使うようセーブする。
つまり、一応、頑張ってみるけど、ダメならダメでいいや、というスタンスに切り替えるのである。
『私、一度失敗してるの』
この答えが一番迷う。一度なら誰にもありうる話だし、なんとなく誠実な感じもする。
その一度目男にも、勝てそうな気がするのだ。
『私、三回失敗してるの』
ハイ、俺で四回目ですね。
4人もごちゃついたら、もうどうでもよくなる。
不思議な男性心理だ。
男性脳というのは、論理的にできている。
だから、3回失敗した女は、4回失敗すると推定する。
10人の男性と寝た女は、20人へと向かう。
人数が多ければ多いほど、何らかの重大な欠陥が潜んでいると推定する。
たんに、生理的に気持ちが悪いだけではなく、未来を推測するのだ。
そのうえでスタンスを決定する。
つまり、傷つきたくないから『どうせ、この女は…』と、価値を決めてしまうのである。
パワーセーブの上、いつ破綻しても構わないように身構えて付き合う。
頭が悪い男の場合は、それができない。つい、無謀にも愛してしまう。
『過去は過去さ。今はオレだけを見てくれ』
トレンディードラマの主役になりきってしまう。彼が事態を把握するのは、数年後になる。
一方、女性脳は、もっと総合的だ。直感を重視する。
『過去は過去さ。今はオレだけを見てくれ』
こうポツンとつぶやく彼を観察している。信憑性を判断し、自分のカンを信じる。
彼は、日頃からトレンディードラマをよく見ているから、セリフ回しが上手だ。
『オレには、もうオマエしか考えられない』
この世の終わりのように女の目をみる。そして、『オレって、情けないよな…』という。
女は…????疑問符だらけとなる。『なんで情けないわけ?』
彼は、『ごめんね』と、謝って、とりあえずその場を去る。
女は、総合的判断が難しくなる。彼の言葉が何を意味しているのか理解できなくなるのだ。
すごく気になるが、よくわからんという状態だ。一応、真剣そうだったし…。
頭が混乱すると、女は弱い。
繰り返しになるが、あくまでも奔放な女性は、全体からみると、まだ少数サイドかもしれない。
しかし玉石混交、こうした女性が増え、テレビや雑誌やネットなどに登場して目立つから、その波及効果として、男性はスタンスを変えるのだ。
また、一般の女性もうろたえる。これは、他人に影響を受けやすいニッポン人の特徴といえる。
自分の主義がないから、周囲に合わせる。合わせたのはよいが、途中まで来て後悔する。
女は、最終的にどう着地するかで一生が決まる。そのためにどうすべきかを考えればよいと思う。
男は、妄想のプロだ。小さい頃から妄想をする訓練をしている。
気になった女性がいれば、様々な妄想をする。妄想パターンをみんな持っていて、それに当てはめてみる。
この妄想パターンこそが、男の願望そのものである。
楽しい妄想、癒やしの妄想、エロい妄想、悲劇的妄想と、自分の好みに合わせて妄想する。
妄想は自分だけの秘密だから、けして表には出さない。
ニコニコしていても、恐ろしい妄想を楽しんでいるかもしれない。
この妄想力があるため、女性の過去遍歴を聞くと大変なことになるわけだ。
女性の過去遍歴を聞く時点で、彼氏は気になって仕方がないことは明白だ。
ただし、彼女に対して、あまり執着がなく、独占したいというほどではない男性もいることはいる。
これもケースバイケースなので、一律にいいにくいのだが、彼女が信頼できる人の場合は、あまりウルサクしない。
お互いに通じあっているカップルは、過去のことは詮索しないのである。
逆に、危ないタイプの女性もいて、気になって仕方がない場合もある。
むしろ男性の気質というより、女性のタイプによる要因のほうが大きいと思う。
一概には言えないが。
組み合わせ次第のような気がする。
仮に、女性パートナーに過去の男が1人いたとする。
何年か付き合って、別れたとする。
彼女に聞くと、『過去のことなので、もうわだかまりはない』という。
さて、ここからだ。
過去男は、おそらくこの世で彼女のことを最もよく知った人物として登場したわけだ。
彼は、彼女のことをどこまで知っているのか、彼女はどの程度、心を開いたのか、情報収集が始まる。
要は、その彼氏を自分が超えることができるかどうかを調査するわけである。
そして、可能性があれば頑張るが、ムリっぽい場合は萎える。
女性にしてみれば、『そんなとこで、いちいち萎えんなよ』と思うはずである。
ここが一つの分岐点だ。
萎える場合と萎えない場合がある。女性の価値によるのだ。
『なにくそ、そんな男なんか超えてやる』
と思わせるほどの女かどうかが問われる。もし、彼が萎えたとしたら、それは彼のせいでもあり、自分のせいでもあるのだ。
萎えるかどうかは、よく観察しなければならない。
ということは、たとえ過去男を告白したとしても、その時点で価値ある女性であればよいということになる。
では、価値ある女とは、具体的に何を指すのであろうか?
どんな女であれば、『この女だけは離したくない』と思わせることが可能なのだろう?
そのヒントは、肉体の魅力をアピールしないことである。
肉体よりも、素晴らしい部分を持つことが絶対条件となる。
肉体というのは、女優であろうが、モデルであろうが、10回も使用すれば後がなくなる。
一回目の価値が最大であり、二回目は少し小さくなり、三回目はさらに小さくなる。
やがて十回目には当たり前になる。
ところが、肉体以外の魅力がこれに加わると、シナジー効果がでる。
肉体の魅力も再浮上するのだ。この極意を会得しないかぎり、若い娘に勝つことはできない。
極意の要素はいくつかある。
よく言われるのは、過去の経験の積み重ねにより、現在の自分がいるという考え方だ。
つまり、ヘンなことをしてきても、悪いことをしてきても、その経験の蓄積が、現在の自分を形成していると。
なんか、つい納得しそうになるが、よく考えると、『都合の悪いことはチャラにしてね』にも聞こえる。
良いことをしてきた人がいうなら説得力があるけれど、 悪いことをしてきた人は使えないセリフだ。
そう世の中は甘くない。
悪いことをしてきた人が使うセリフは、あくまでも『過去の積み重ねの結果、今の自分は、こんなにヒドイ人間になりました』でしかない。
あと、よく聞くのは、『さまざまな恋愛経験を経て、人間的な深みが加わった』みたいな表現。
これも一見、そうなのかなぁと思わされるけれど、やっぱりムダな経験はムダだし、たんに時間をロスしただけのような気もする。
そう言ってしまうと、身も蓋もないが、実際に、失敗経験はあるし、その後の人生にマイナスの場合のほうが多い。
なぐさめ言葉としては構わないが、失敗は失敗でしかない。
それが教訓になればよいが、自信喪失になるかもしれない。プラスマイナス0くらいだろう。
気休めはよくないと思う。
『ちょっとした女の浮気も受け入れることができないなんて、男としての器が小さい』なんていう調子のいいセリフも耳にする。
まあ、どれもこれも女性が何をしても、目を瞑れということだ。
過去のことも、現在のことも、男ならゴチャゴチャ言うな、それが男のスケールであるという教えなのだ。
これらが出るたびに、男は唖然として口をポカーンと開けたままになる。
『もう、いいから、俺に関わらないで』
そう叫ぶのだ。
ところが、世の中には恐ろしくモテない男もいて、『俺は受け入れるよ。男の中の男だから』と宣言する。
もちろん、末路はボコボコだ。
『頼むから、俺に関わらないでくれ』
そう悲鳴をあげる男が増えている。女との距離を間違えると大変なことになるのを学習したのだ。
考えてみると、心底楽しいわけではない。いやウルサイ。いやウザイ。そういう女は少なくない。
しかし、たまに役に立つこともあるから我慢する。例えば…、例えば…、えーと例えば…。
セックス以外には特別役立つ場面がなくなっているのだ。
この種の女性のことを、『恋愛至上主義の女』という。
ウザイ女が増えると、引っ込む男も増える。
また、ウザイ女が増えると、引っ込む男が増える。
さらに、ウザイ女が増えると、引っ込む男が増える。
この繰り返しにより、今や猛々しい男が減ってきた。
こんな時代はたぶん初めてだと思う。いつの世も男性は女性を意識して生きてきた。
意識から遠ざけて生きるなんてことは考えらんないことなのである。
よほどのことが起きない限り、起こり得ない話なのだ。
(わかりにくい文章)
ゲリラ豪雨や竜巻などは『天変地異』だが、これは『男変女異』といえよう。
(意味がない文章)
あなたがどうのこうのというレスがありましたが、全くピントはずれです。
断っておきますが、この日記は個人的不満を吐き出すものではありません。
社会的歪みを問うのが主旨です。
個人的には、何も不満はないし、グチをぶつける気はありません。
客観的な一意見を、自分なりに整理する目的でしかありませんので、淡々と読んでいただけたら幸いです。
日記コーナーなんて、勝手に書かせておけばいいと思うんです。
もともとレス不要だから日記コーナーなんで、日記に意見されても考え方が変わるとも思えません。
ヘンな奴もいるんだな、くらいに受け取っていただければそれでいいんだと思います。
論点を明確にしてしまうと、世界におけるニッポンの位置はピークアウトしているということだ。
ニッポン人というのは、高度な繁栄を経て、浮かれて続けた。
この引き金を引いたのは、女性の自由化であり、それに男性が乗った。
ここまではまあよい。欲望とはそういうものだから。
しかし、状況は一変し始めた。経済力、軍事力、外交力はもちろん、体力、学力等において、ニッポン人は劣化している。
なぜか。
一つは、真剣さを取り戻せないでいるからだ。
一つは、気づいていないからだ。
一つは、エンターテイメントにしか興味を示さない国民が多いからだ。
原因は(字数の制約のため飛躍するが)、女性の生き方にある。
女性の生き方とは、それくらい国全体に影響を与える。
言い方を換えると、それくらいニッポン女性は変わり果てたのだ。
海外の若い女性と比べると、家族観や教育観や倫理観を含めた人生観が劣るのが、ニッポン女性の特徴だ。
これは、もちろん人による問題だ。だが、少なくない比率の女性は、美容と旅行とグルメにしか興味を持たない。
不思議なくらいラクをすることやズルをすることやウソをつくことに長けている。
その複合的要因により、ブランド型企業製品を異常購入する。
なんの意味も持たないグリーやモバゲーなどに時間を消費する。
パートナーに隠れて、快楽を貪る。
家族や親を裏切る。
女性ばかりを言うのは間違っているが、人間の基本は、『女性』なのだ。
女性が変われば、すべてが変わる。
その時期だから、強調しているにすぎない。
掲示板のような場所は、匿名なので、人間が出る。
様々な事情が背景にあるにせよ、学生、OL、主婦が盛り上がるのは、決まって恋愛と不倫だ。
自重を促されると、逆上するか、ヒロインになりきる。
おそらく、彼女たちの人生は、堂々巡りにすぎない。同じことを反復し、同じ感情を持つ。
そこには成長はない。経験こそ成長だなどと気休めをいうが、何の役にも立たない虫レベルの成長にすぎない。
だから、大人になり得ない。30面を下げて、やっていることは、子供と競うレベルのことか、お楽しみプラン探し。
政治家になれとは言わないし、教授になれとも言わない。
せめて社会人になってほしい。できれば母になってほしい。
子供を教育できる女性が、どれだけ偉大かを知ってほしいのだ。
ついでだが、こんなふうに書くと、必ずこういう反論が出る。
・お前は何様か
・お前はどれだけ立派なのか
・よほど恵まれてないようだ
・よほどイヤな目にあったのだろう
・そういうことを言うヤツに限って云々
まあ、挙げればキリがない。思い当たることがあり、グサッとくると、ガマンができずに書き込みしたくなるものだ。
だから、日記という形式を選択してある。
考え方なんて、天文学的な種類が存在するわけだから、そのうちの小さな恒星の一個にすぎないわけだ。
もし、自分が女だとしたら、間違いなくビジネス路線を行くと思う。
男に頼らない。そして安定をめざす。すると、やっぱり子供は産めないかもしれない。
子供を産んで育てるには、どうしても安定した後ろ盾が必要だ。
母親だけで、立派に子供を育て上げる女性もいるが、誰にでも真似できることではない。
そういう女性は、心から素晴らしいと思う。
女性も男性も、上質な人材はスゴイと思う。
一流の人などは、影で本当に修練と研鑽を積んでいる。
ところが、年がら年中ブラブラするばかりで、無目的な人もたくさんいる。
大半の人は、ポカーンとテレビを見て、メシを食って、便所に排泄し、それを毎日反復するだけだ。
仕事と言えば、言われたことをやるだけ。
気楽なものだ。なぜ、これほど人間には差があるのか教えてほしい。
スキルを積み上げる習慣があるか否かで、上級レベルへ到達するわけだが、その場合、どんなスキルを選択すべきかが肝心だ。
つまり、戦略だ。
この戦略の選択が人生で最も重要なのだ。
自分に適したものを選ぶには、広範囲のリサーチが必要だし、指導者に出会うことが早道である。
このような準備を行うために、若さのエネルギーが備わっているんだと思う。
効率よく得意な世界を発見し、指導者からノウハウを習得しながら、ステップアップのシナリオを描くのだ。
これを教育という。
教育とは、好きな道を探すことをサポートすることだと思う。
若いときは遊びたい。遊びたいから、時間が足りなくなる。
たっぷり遊んでおくことは、年齢がいったときに役立つ。
しかし、遊びながらでも、自分の進むべき道をみつけなければ負けだ。
生涯進むべき道を早く見つけた人は強い。失敗しようとも構わない。好きなものを持っている人は圧倒的に有利なのだ。
エネルギーをそこへ集中することができ、情報も集められる。有益な出会いのチャンスも増える。
だから、よく遊びよく学びは、とても正しい。
これからは景気がイマイチだ。老人社会は活力も低下する。
いままでのようにはだんだんいかなくなる。
どこかで、自分に試練を与えなければならなくなるはずだ。
同時に競争も激しくなるから、なんとなくの対処では負けてしまう。
頭を使う時間を確保し、戦術を組み立てよう。
どんなことでも、勝負は紙一重の優劣で決まる。日頃の備えが、ほんの少しでも上回れば勝てるのだ。
得意技を磨き、誰にも負けない分野を持つ必要があると思う。
得意技は、身を助ける。
時間など、遊んでいるとあれよあれよと経過してしまう。
カネにしたって、あっという間に底をつく。
まるで、下りのエスカレーターみたいなものだ。じっとしていれば、次第に落ちぶれてしまう。
日々の積み上げができる人は負けない。目標を持って進むことが大切だ。
世は不況だ。かつてない失業者の数がニュースで流れる。
こうなってくると、自分のことだけで精一杯の人が増えてくる。
しかし、企業の中には、好調なところも多い。どうしてだろう。
好調企業は着実にターゲットに狙いを定めて、カネを巻き上げているからだ。
バカを狙うか、カネ持ちを狙うか、瀬戸際の人間を狙うかは企業の重要な戦術だ。
儲かる企業をみれば、すぐに他の企業もマネを始めるから、客を囲い込まねば奪い合いになり共倒れになる。
うまくやる奴は、朝から晩までよく考えているのだ。
ポケットにカネがない奴は、晩飯の献立しか頭にない。
風俗嬢やキャバ嬢などでも、プロはひと味違う。
まず第一に、客の見極めがうまい。
第二に、マメにコミュニケーションを図るが、頻度やタイミングがうまい。
第三に、話やムード作りがうまい。
第四に、もちろんテクニックが優れている。
要するに、仕事の打ち込み方が違うのだ。天性の要素も大きいが、念入りにサービスしていることが相手にアピールできている。
ほんの僅かな差によって、指名がとれるかどうかは決定されるだけに、戦術は大切なポイントなのだ。
隠れた努力があるのかもしれない。
個人差は日頃の蓄積の賜物である。
なぜ、日頃の蓄積ができるのかといえば、それが好きだからだ。蓄積自体が自然にやれるのだと思う。
もちろん、体力とか精神力とかの問題もあるが、生活習慣に組み込まれた人は強い。
お笑い芸人は、必ずネタ帳なるものを持っているという。積み上げ型の蓄積の良い例だ。
好きだから、積み上げる。積み上げるから効果を発揮する。喜びがまたパワーになるのだ。
と、まあ多少は向上心を持ってもらえたら国もよくなるんだと思うが、底辺層の連中には、あまり期待はできない。
結局のところ、全ての無能中枢は国民にあるわけだから、これだけ危機が迫っていても、グルメと温泉旅行と不倫のことで精一杯だと思う。
早い話が、いつの世も、賢者が憂国を説き世代交代してきた。
しかし世の中は快楽をエスカレートさせて、ツケを若者に残して去っていく。
後のことはよろしくね。
これでよいのかもしれない。恐怖が眼前に迫らないと、馬鹿にはわからないものだから。
ニッポン女は、あと十年もしたら、韓国人やインド人やロシア人に、90分3000円くらいで、股を開いているだろう。
もちろん、中国人のお相手ができる女は別格だ。90分5000円にはなる。
客は増えるから、それもよいのかもしれない。
今から小学校に入る児童たちは何も知らない。
不思議なもので、戦いには応援団というものが、大きな効果を発揮する。
応援を背にすると、アドレナリンが分泌しやすいのか、『やる気』が増すのだ。
しかも、女性の応援となると格別の効果が出る。
メスを守るために、オスが戦うという姿は、生物としての基本なのに、文明の進化は、これを否定し始めている。
メスがパワーをつけることは、世の中の流れ的に致し方ないが、メスだけで孤立して生きていくと、いつか歪みが出るような気がしてならない。
女の応援が絶大な効果を発揮するといっても、それは男側にやる気がないと意味がない。
最近の問題点は、不況のせいで仕事自体が減っていたり、仕事はあっても収入が伸びない点にある。
従って、いくら男を応援しても、試合自体が開催されないようなものだ。
仕方がないから練習を応援するわけだが、それも手応えがなく、やってられない。
選手が試合に出ないのだから、応援団も休業状態である。
不況というのは、人生を暗くしてしまう。
風俗嬢に聞いてみると、彼氏が失業中だというケースが結構ある。
彼氏が職探しをしている間、彼女は風俗で稼ぐのだ。
考えてみれば、こんな健気な女はスゴイと思う。風俗嬢と聞くと、引く人も多いのかもしれないが、究極のヤマトナデシコといえる。
複雑な気持ちになりつつ風俗サービスを受ける時代なのだ。
さらに、スゴイのは、風俗嬢が働いている理由として『借金返済』があることだろう。
まあ、自分が作った借金を返済するために風俗でアルバイトしているならやむを得ないのだが、中には、彼氏の借金や家族の借金のために働いている女性もいる。
女性というのは、関わりを持った人間がどういう状況かによって運命が左右される。
男性がガシガシ稼げた時代が、いまとなっては懐かしい。
そんなことも背景にあって、女性としては、なるたけ経済力のある男性に近づきたいと考える。
このこと自体、当然の選択だと思う。
しかし、よい玉が見つかりにくいのが悩みのタネなのだ。
しかも、自分はそこそこ遊んできたとなると、お相手は嫌悪して逃げてしまうだろう。
女性も気の毒だが、男性も気の毒なのだ。これほど恋愛が難しい時代は初めてだ。
恋愛が難しいという点については説明が必要だ。
まず理想に近い異性がいない。互いに探し合っているにもかかわらず、相手がいない。
これをアンマッチという。
次に、一見して恋愛的な付き合いは多いものの、実は恋愛ではないことがとても多い。
例えば、たいして好きじゃないけど付き合ったとか、付き合ったけどしばらくして別れたとかがそれだ。
これは、穴埋め式恋愛という。とりあえず開いた穴を埋めるだけの恋愛だ。
女から見ると寂しさを埋めるだけとか、見栄をはるだけの理由でしかない。
男から見ると、寂しさを埋めるだけとか、性欲を処理するだけの理由でしかない。
そんな具合に、互いに汚し合う恋愛は、負の財産・負の経験となり、時間だけが経過する。
シロウトの世界が一番悲惨なのだ。
推測するに、こうした汚れた恋愛が増えたことは、女エロ職人の予備軍を拡大させたと考えられる。
数人の男性と付き合った女なら、もはやプロの世界もすぐ目の前だ。
抵抗感を失い、誰とでも寝る。少し抵抗感があってもキャバ嬢はできる。
いまや女性の平均値が、エロ職人なのだ。
無料で、貧乏男とやるくらいなら、風俗で稼いだほうがまだ意味がある。
意味のない交尾をやめて、金銭価値ある売春婦や風俗嬢へと転向すればよい。
だから、今の時代は、売春婦や風俗嬢の地位は上がり、不毛な恋愛を繰り返す女のほうが底辺層といえる。
声帯の動きを見たことがあるだろうか。
鼻からカメラを入れて、舌の奥を覗いてみると、割れ目がパクパクと開閉している。
同じような、動きをするのが生殖器だ。生殖器もいまや排泄器官として、そこら中で動画紹介されている。
呼吸器官も排泄器官も生殖器官も、動画でみてしまうと似たような動きだ。
あの部分に、秘密がなくなった今、性交は作業へと変化しつつある。
近い将来、性交には淫靡な魅力はなくなるだろう。
同様に性交を通じて、羞恥心や屈辱感を楽しむ刺激も薄れていくたろう。
犯罪的なレベルのスリルにしても、痴漢や覗きやレイプなどの映像が氾濫する中で、迫力を失いつつある。
女のエスカレートはもう限界まで到達したといえる。
ときどき女性から、思わぬカミングアウトを受けることがある。
・アタシ実はバツイチなんだ
・若い頃はずいぶんバカやったよ
・一度、債務整理したんだ
どんな女性にも、さまざまな過去がある。失敗もすれば、病気にもなる。騙されたり、騙したり。
何もない女性がいたとしたら幸せ者だ。
だから人は、『経験を積むほど強くなる』というように言って励ます。
本当はむしろ、ズルくなったり、したたかになるというのが当たっている。
過去の出来事がたまに脳裏をかすめるから、カミングアウトして、ラクになりたい。
死ぬまで、心の奥底に刻み込まれてしまう過去はとても悲しい。
悲しい出来事のうちでも、本当に気の毒なのは家族に関することだろう。
母親や父親に傷つけられたことや冷たくされたことは、生涯の傷となり、長い年月付き合っていかなければならない。
油断をすると思い出してしまう。つい反動が出るかもしれないだろう。
自分の性格に、深い傷として刻み込まれた憎悪は、まるで地雷のようだ。前に歩くことが怖くなる。
君を癒せるのは誰だろうか。
バブル崩壊以降、長引く不況は日本に大きな傷を残した。
さまざまな家庭を産み、さまざまな親を作った。
おしなべて豊かとは言っても、資金は減り続け、二極化現象が生じた。
妬みや傲慢が溢れ、人間の差別が起きやすくなってきた。イジメの背景には、人間の弱さがある。
弱い人間は、逃げる。
豊かさが尺度になればなるほど、豊かさを軽蔑しなければバランスを失うのだ。
カネを持つ者と貧しい者が対立してはいけない。カネに毒された国から脱却する手だてはないものか。
困ったら借金して、問題を先送りする国民性は、重い病だ。
したり顔の日本人など、ただの多重債務者でしかない。
政党支持率という指標がある。
日本人の低脳度を表す指標だ。持ち上げてはすぐ飽きる国民。
あれほど熱狂的に応援していたのに、手のひらを返して叩きまくる。
バカ丸だしの日本人は、イジメが大好きだ。すぐに目立った奴を引きずり下ろす。
よってたかってイジメる。残忍な国民が異常に増えた。中産階級から落ちぶれた日本人は根性が悪い。
頭が悪いクセに、人マネだけは上手いから、すぐに伝染して右に習えするのだ。
政党支持率だけは、いつも笑わせてくれる。
所詮、人間のやることには矛盾が出る。空想と現実は異なるからだ。
夢が見つかったら突き進むところまではよいが、時間や費用や才能やライバルが、夢の実現の障害物となる。
小さな子供たちも、学生になり、社会に出ると、壁にぶつかる。
親が子供に期待をしているかどうかは別として、夢実現が暗礁に乗り上げたとき、子供を叩くかどうかは重要な問題だ。
軌道修正を繰り返しながら前進するための方策さえ、再発見できれば活路は見いだせる。
いま、どのような境遇にあろうとも復活は可能なのだ。誰でもチャンスがつかめるかどうかは、実は社会が持つ価値観に左右される。
少し難解な話だが、すぐに短気を起こす社会に未来はない。
継続は力なのだ。
ニッポンの不況は出口がみつからない。
金持ち国家が一気に転落していく。街には、ブクブク太ったデブが多いし、シワシワの老人も多い。これからは貧乏人も増えるだろう。
遊ぶことに慣れた彼らは働かない。働きたくても仕事を選ぶ。
電車が来れば、席を争い、化粧をし、パンを食う。
浅ましくて、だらしのない日本人たちのハケ口は、いつも芸能人と政治家と匿名掲示板だ。
380円の弁当を食いながら、縁のない相手を叩く。
憂鬱な日常は打開しよう。
それにしてもネットには、裸がオンパレードだ。すごい数の女たちが登場している。
これをみていると、そもそも女は、裸になることにたいした抵抗感はないように思えてくる。
恥ずかしがったり、隠したりするのも、ひょっとしたら、ポーズにすぎないんだろう。
要は、タダでみるなというだけのポーズであって、カネさえ出せば見せるんだと考えられる。
男が、いたわったり、気を使ったりしてきたのは意味がなかったのかもしれない。
男というのは、お人好しなのだ。
異性のことは、わかったようで永遠にわからない世界だ。
女性から男性をみたときに、好きなのか、単なるカラダ目的なのか判別が難しい。
感覚的に理解しにくい問題なのかもしれない。
男にしてみても、日々溜まるから、自分でも性欲的要請と恋愛的要請が判然としない。後になってわかるときがある。
よく一回やったあとで、気が済んでしまうことがある。やる前は恋愛だと感じていたのに、急にどうでもよくなるのだ。
もちろん、加速がつく場合もあるが、どちらが多いかと言えば冷めてしまうことが多い。
では、なかなかやらせてもらえなかったらどうであろうか。
たぶん、恋愛だと思っているわけだから必死になる。
この必死になる期間の長短は非常に重要な意味を持つ。
つまり、時間的・労力的・経済的・精神的な投資をし続けるわけだから。
この点は、女性もよく知っておいたほうがよい。
仮に、短期間で簡単にやらせてもらえたとしよう。
なかなか物わかりのよい女性だろうから、間柄は盛り上がりそうな気がする。
たしかに、しばらくはとても快調な関係が続くだろう。
ところが、男は彼女に対して大きな投資はしていない。だから一度躓くと、互いに向き合って関係を修復しようとしないのだ。
苦労するくらいなら、勝ち逃げで終わりにしてもよいような気持ちが働く。
さらに好調な彼は、そこで苦労するよりも、新たな他に向けての関係作りへと目が向く。
ギャンブルでいえば、金持ちケンカせずの心持ちだ。
勝負は手仕舞いとなる。
簡単に手に入った女性は、軽く扱える。一度、障害に突き当たったら修復パワーが出てこない。
ただし、他に好きな女性が現れなければ話は少し違う。
しばらくはキープしなければならないからだ。適度な距離感を保ちながら付き合いは続く。
同棲やルームシェアにはもってこいのパートナーだし、いわゆる元カレ的な逃げ方もしやすい。
要するに、便利な女性だということだ。男は、こういうタマを抱えておくとラクなのだ。
愛情というものは、与えるものだ。
たぶん、恋愛段階で『やりたい』と思うことは必然ではあるものの、もしも『与えたい』と強く感じているならば、やりたいという意思表示は一方的にはならないはずだ。
つまり『やりたい』に『与えたい』が勝つはずなのだ。
ところが『やりたい』が先行している状況は、きっと恋愛ではないのだ。
ジェントリーな表現をすれば、そういうことになるのだが、残念ながらそのレベルの女性はまず珍しい。
だから、駆け引きから寝技で押さえ込みが必要になるのだ。
ヘビのように胴体に巻きついて相手を逃がさないようにするには、それなりの試合運びが要求される。
そして、いつしか…地位が確立するというシナリオを考えねばならない。
最近は、女性のほうから男性に巻き付かなければ、なかなか捕まえきれない状況が増えた。
男性が昔ほど女性を求めないのである。
だから、仕方がないからヘビになって締め上げるしかない。
しかし、多くの男性は深い恋愛を求めない。やれればいいだけだ。しかも、自分からは強く求めない。
煮え切らないのではなく、その程度が気楽だし、義務を負いたくないのだ。
従って、引っかかる男性の種別は、ガツガツした男か、冴えない男と相場が決まっている。
そして、どいつもこいつも、一年もしたら消えていく。
残された女はまるで無理便器だ。シロウトが、ついに売春婦以下になってしまった。
シロウト冬の時代が到来している。
男は捕まらない。裸は飽きられてきた。カラダ目的かどうかわからない。
そんな状況下での女にとっての恋愛活動は過酷だ。
数少ないチャンスをモノにするには、必殺技を磨かなければならないだろう。
最大のアピールポイントは、心がピュアでカラダが新品ということだが、いまさらそれも難しいだろう。
仕方がないから、なるべくそういう演出をするしかない。
シロウトのクセに、心もカラダも汚い事実がバレたら、今や風俗嬢のほうが価値がある時代なのだ。
過去をカミングアウトして、全てを受け入れてもらいたいという衝動をどう考えるかだ。
使い古し女に、唯一残された誠意を示すか、それとも隠すか、どちらを選べばよいだろうか。
前にも書いたが、女性から突然、カミングアウトされることがある。
内容には驚くことが多いものの、カミングアウトしてくれたという心意気には誠意を感じるものだ。
しかし、事実は残る。
しかも、永遠に残る。
今はよくても、ことあるごとに脳裏をよぎるだろう。
『親が人殺しだ』
『100人と寝た』
『個人破産した』
『堕胎した』
いろいろあると思う。人間ならば、何かあるはずだ。
頭では理解できるし、今は反省して生まれ変わっているとして、それを受け入れられるかどうかは難しい問題だ。
では、ウソをつき通すか。ウソの自分を愛してもらうのか。言い換えれば別人の自分が愛されて、それで構わないのか。
一大決心しなければならない。
もしも自分の過去を隠しウソを貫いて生きるとしたら、それは商売人としての人生だ。
本当の自分ではない人格が愛されている。
だからよく次の解釈が使われる。
『隠しごとはしている。しかし、そういう過去も何もかも含めて、今の私がいる。今の私でよいのなら愛してほしい』
そういうことにして、敢えて言わずに済ませる。女にはそれができる。
女とは、もともと恐ろしい生き物なのだ。
一方、当然ながら男にも隠しごとはある。
誰もに共通するのは性癖だろう。家族にも友人にも打ち明けない。本当の部分は表に出さない。
冗談で『俺はMかな』『ロリ入ってるよ』『女装してみたりして』などと笑わせる。
しかし、本音のディープな部分は絶対に明かさない。変態だとバレることが怖いのだ。
知っているのは意外なことに、性癖パートナーだけなのが面白い。通りすがりのネット友達だったりする。
こうした性癖は、PCフォルダの奥の奥をみるとみつかる。外付けのHDDかもしれない。
必ず意外な性癖が隠されている。まあ、他人に迷惑をかけない性癖ならばよいと思うが…。
男性の場合は、この性癖なるものが想像以上に重要だ。
男性自身にとっては、最高の興奮を得るための材料となる。
思想、習慣、生活リズム、好みなどと違うのは、能動的に妄想する点だろう。おそらく、このようなイマジネーションの反復訓練は開発や企画、発明とも関係があると思う。
女性には、想像が及ばないような性癖的妄想を男性は行っているのだ。人生と妄想は不可分な関係にある。
女性が、男性のいわゆるツボを察知できたら、これは強力な武器になるだろう。
ひと昔前ならば、女性はベッドの上にダラリと寝ているだけでよかった。
が、今は違う。マグロのような女は、5~6回で飽きられてしまう。
だからベッドに限らず、ソファや浴室やベランダでもハメル。ハメルだけでなく、しゃぶらないとならないし、あっち向いたりこっち向いたりして体位を変えないとならない。
忙しくなったものだ。
しかし、これくらいは誰でもやるわけだから、たいしたセールスポイントにはならない。
彼の性癖を見抜き、変態的交際ができれば地位が揺らぐことはない。
しかも、変態的交際と日常的生活は区別しなくてはならない。
つまり変態的交際は、ある意味、非日常だからだ。
この点も、ひと昔前は『ギャップがステキ』といわれたノリだ。
今や、変態と正常を使い分けするくらいでないと強味とはいえない。
いつもは爽やかで清楚な彼女が、豹変して淫乱になるということは、言い換えれば、彼だけが味わえる世界ということを意味する。
そこに男のプライドが充足され、支配欲が満たされるのだ。
面倒といわず、彼の性癖を引き出す努力をしてみるとよい。
彼は、きっと離れられなくなる。
男女互いに求めるものが強くなり、ありきたりのことでは、通りすがりか使い捨て程度のインパクトしか与えられなくなっているのだ。
これも欲望エスカレート時代の一現象にすぎない。
黙って綺麗にしておけば、次々に言い寄られていた女も、いまやラクはできなくなった。
油断をすると、食い逃げされ、鮮度が落ちるばかりだ。
ここぞという勝負所では、相手の性癖へグサリとトドメをさせるよう必殺技を磨いておこう。
その場合、ロリ趣味やスカ趣味はダメとか、覗きや痴漢や下着ドロはダメとか自分なりの価値観を固めておくべきだ。
得意分野を持つことだ。
とりわけオススメの狙い目は、マゾ男だろう。
男性の生涯は、勉強、仕事、扶養に追われる。常に、壁を乗り越えねばならない。
ストイックでなければ他人との競争には勝てないのだ。
ストイックとは簡単に言うと、我慢するということだ。嫌なことがあったときにいちいち吐き出していては、周囲とぶつかってしまう。
我慢を重ねて、影で努力しないと勝利はない。
マゾ男は、こうした訓練を積み上げた男性が持つ性癖だ。
人によるが、成功者にはマゾ男が多い。また、共同生活にも適応力が高い。
だから、オススメはマゾ男となるわけだ。
サド男は全く逆だ。この性癖は、自分本位なものといえる。
が、みかけだけは男性らしい。グイグイと引っ張るイメージもある。だから、女性から好まれる。
ただし、それはたわいない事象に限られる。生活回りにおいての強引さが魅力的なのだ。
逆に言うと、自分がしたいから相手を巻き込むということなのだが、決断力に乏しい女性にはマッチするだろう。
一方、重要な問題にはエス男は無力だ。特に、自分より強いものにはだらしなく迎合する。
性格的に、障害克服とか問題解決とかができないのだ。
女性は、エス男にハマると不幸になりやすい。
成功者と一般市民の割合を仮に、1対9だとすると、マゾ男とサド男の比率もそれに近い。
マゾ男とサド男の中間には、ノーマル男も存在するから正確にはわからないが、マゾ男対それ以外という位置付けをすべきだろう。
国を引っ張る役割はマゾ男が担い、一般市民としてノーマル男とサド男が存在するといった感じだ。
女、子供にパワーを発揮するサド男は、これまでの男性中心社会の形成に大きな役割を果たした。
サド男は、弱い者を支配する必要性から、理屈を作る。中身はフニャフニャだが、強引な理屈を構築するのだ。
最終的には『いいから、黙って言うとおりにしろ』となるのだが…。
ところが、最近になってマゾ男が急激に増加中なのだ。
不況のせいで耐え忍ぶことが増えたせいなのか、それとも女性優位なケースが増えたせいなのか、わからない。
きっとエロ材料が豊富になったため、マゾ的嗜好に目覚める男性が増えたのだと思う。
S女に聞くと、結構多いらしい。
男性は、職場でいじめられ、女からいじめられて大変な人生を送るのだ。
しかし、女からいじめられるのが好きなわけだから、これはストレス解消につながる。
この性癖については、ミステリアスな性癖なので、すぐには理解しにくいと思う。
生物として、相手より優位に立ちたいというのならばわからないでもない。
しかし、マゾというのは逆だ。敢えてわざわざ下になる性癖なのだから、人間は難しい。
ポイントは上下関係とか強者弱者関係だと思う。
通常、生物は強いほうが生き延びるようになっている。だから、ボスが手下を従えて支配するのだ。
人間社会でいえば、年長者とか上司とか金持ちとか先生とか優等生が偉い(強い)。
偉くて強いわけだから、恥をかくことはまずない。
彼らは尊大なイメージであるから、もし恥をかいたら、下々としては気持ちがいい。この感覚を楽しむのだ。
いわゆる倒錯世界だ。
この感覚は、人間が持って生まれた感覚なのだが、学習という洗脳により普通は使用されない。
しかし、空想世界においては強い興奮を呼ぶのだ。
強い者は弱い者になりたがり、弱い者は強い者になりたがるのが基本だが、逆でも構わない。
強い者が圧倒的なパワーで弱い者をいじめる。または弱い者が絶望的な支配を受けるという楽しみ方もある。
かなりややこしい。
ややこしい性癖は、別の見方をすると『人間ならでは』ともいえる。
変だとわかっているから他人には隠す。
腕力に勝る男が、女に服従するという図式は、性的なパターンに当てはめると成立する。
『言われた通りにしないと射精させない』というルールが男に与えられたら服従するしかないという具合だ。
このルール下においては、どのような男も言いなりになる。
男の側も、従わざるを得ない。面倒くさい感じがするけれど、そこが興奮のツボになるわけだ。
要するに、欲望を満足させたいと思ったら、人間はなんでもするという原理を使って遊ぶ。
犬の飼い主が、いろいろと芸を仕込むのも、同じ心理だ。
犬も人間も、原理は同じなのだ。
所詮、人間はご褒美で動いている。
そう言われると否定したくなるが、無償奉仕などありえない。たとえ報酬がないとしたら、少なくとも自己満足を得たいと考えるはずである。
与える側と与えられる側が必ず存在し、その間には、利害関係が生まれ、力関係が形成される。
報酬が『射精』だとしたら、射精が手に入りそうな状況までおびき寄せることが必須だ。
そして、勃起させた段階で取引に持ち込む。
彼は、断れないだろう。ちょうど、犬が美味しそうなエサを目の前にしてお預けをくらっているのと同じだ。
ベニスからヨダレがダラダラと垂れ始めたら、取引条件を引き上げる。
涙を浮かべながら、彼は服従するだろう。もう引き返せないから命令に従う。
食料、性欲、睡眠に勝てる人間は存在しない。
神を恐れ禁欲的であった人類が、文明の進化とともに繁殖を続けている。
16世紀には考えられない生き物に変化を遂げた。
もはややりたい放題となった人類は、心を弄ぶ領域や犯罪スレスレの領域へと足を踏み入れている。
実際、出会い系では脅迫や薬漬け、強制乱交などが跡を絶たないし、事件になるケースも発生している。
スリル好きな人間は、興奮をセーブできない。
弱みを握り、人間を道具にして遊ぶ方法を次々と考え出していく。
次世代は、こうした新しいエロが開発されていくのだろう。
そして、みんな当たり前のように受け入れていく。なんだかんだ言って、欲望のエスカレートを止めることはできない。
歴史がそれを証明している。
いつ頃だったか忘れたが、顔射というのがAV界で始まった。
最初に見たときは、瞬間的に目を背けたのを覚えている。
女性の、それも顔に向けてザーメンを飛ばして興奮するなどという行為は、信じられなかった。
一斉に社会が非難するだろうと思った。女性を侮辱するにもほどがあると感じたのだ。
ところが、社会は大喜びし大ヒットとなった。
いまや、ぶっかけという分野が確立し、美しい女性が次々と出演してカネを稼いでいる。
どの映像も最終的には、ザーメンで顔が見えなくなるほど、ドロドロダラダラになる。
中には、その状態で次々と犯されているものもある。
なんと、このパターンは社会に定着してしまったのだ。
小中学生が観ることも可能だ。恐ろしい国になったものだと個人的には思うが、大多数の国民は喜んでいるか、容認しているのだから仕方がない。
街中をパンツを見え隠れさせながら学生が往来する国だけのことはある。
過激なエロ動画は、そこら中に溢れていて、バリエーションも豊富だ。
だから、ついいろいろと探索したくなる。気にいったものがあれば、なんらかの記録を行い、再び見たくなったときに備える。
おそらく、かなりの男性がそういうような行動をとると思う。
ただし、いまは余りに溢れすぎてしまい、記録などしなくても、すぐに似たような内容のものが容易にみつかる。
つまり、一般化して社会に定着したと言える。
こうした業界は利益もあげていて立派な納税者になって、社会貢献しているのだ。
自分の娘が、見知らぬ男たちから汚い液体を浴びせられ、襲われていても平気なのだろうか。
常々不思議に思っていたのだが、どうやら両親とは疎遠か、もしくは無関心なのだと納得するようになった。
社会の大人たちは、若者たちが将来どうなろうが、楽しめればよいのだ。
若者たちも、カネになればよいのだろう。
もう誰も関心を持たない関係なのだ。
嗜好は人それぞれだし、出演する女優が納得して演技しているのだからそれでよいのかもしれないが、ホトホト呆れてしまう。
中には、大便している場面を晒していたり、犬と交尾する女性もいる。
犬はウットリしているし、愛護精神に満ちているとも言えるけれど、ここまでいくと観るに耐えない。
おそらく男性ならば、高校を卒業するまでに全分野を知ることになり、自分の中の秘められた性癖とリンクさせることになるだろう。
そうなるとノーマル層は相対的に減少する。
まさに変態国家に向かって突き進むしかなくなるのだ。
もう手遅れだが…。
一旦、整理してみよう。
バブル後の女性自立はフリーセックスをファッション化し、学生は短いスカートを許された。
世の中にヤリマンが増殖し、優れたヤリマンは売春でカネを稼ぐようになった。
下層ヤリマンは、無料便器に成り下がり、男性遍歴だけを増やす結果となったため非婚者が激増した。
一方、スーパーヤリマンは女優となり、さらに女性の尊厳を損なう行為をしてカネを稼ぐようになった。
結果的に、
①スーパーピュア
②アイドルヤリマン
③風俗嬢
④シロウトヤリマン
の序列化が形成された。
もちろん、エロに縁がない層は、
①ビジネスウーマン
②一般社会人
をさまよう。
女子高生はそれらの予備軍として、無関心社会の中に存在している。
つまり、男性には選択肢がなくなったのだ。
街でみかける幼児や小学校低学年児童は本当に可愛い。
親も大切に育てている様子が伝わってきて、心が暖まる。
それが、小学校高学年にもなると、どこか大人びてくる。
おそらくテレビの影響だ。マネを覚えるのだろう。異性を意識し始めるのもこの頃だ。
彼らは情報を集める。携帯やパソコンからネットへアクセスし始める。
半年もしないうちに、大人並みの刺激を体験する。暗闇で観るのは、大人の女性たちの性交だとか生殖器だ。
こうなると自慰は止まらない。毎日数回は射精を繰り返す。それは習慣になる。
別に、昔からそれは変わらない。ただ、興奮レベルが高すぎる。10才や12才で覚えるべき感覚ではない。
というのは、この時期に覚えた感覚は生涯忘れないからだ。
女との恋愛が面倒くさいという若者たちが増えた背景には、そんな事情もある。
過激な興奮に慣れっこになったオスたちが増えてしまうと、2つの現象が起きる。
一つは、より過激なものを求める現象。
二つは、飽きてしまう現象。
一つ目は、歯止めがかからない人間が選ぶ道だ。二つ目は、嫌悪感に結びつける人間が選ぶ道だ。
どちらも非難はできない。多かれ少なかれ、どちらかに進む。
つまり、ここでも二極化が巻き起こる。
二極化というのは、自由社会と密接不可分な関係にあって避けることはできない。
統制がイヤならば、二極化しかないのだ。
だから、今のような時代は、人間を見抜き選別する眼力が不可欠であり、好き嫌いを明確に持たなければならない。
とんでもない人間が、すぐそばに潜んでいる。
誰もが自由に生きられる時代は、様々な選択が行われるから好奇心旺盛な人や保守的な人が散らばる。
すると『正しいもの』、『間違っているもの』が言いにくくなる。
大人が子供に教えにくくなるし、先生が生徒に教えにくくなる。
だから無能な一般市民たちは、ついマスメディアを信じるのだ。
テレビや新聞をみて、知ったかぶりをしてしまう。
だいたいテレビ局や新聞社などにはロクな人間はいない。高い給料目当てに入社した凡人しかいない。
彼らは、金儲けの上手いスポンサーと結託して、番組や記事を編成する。
偉そうなことを言いたがる連中だが、要は金持ちの小判サメにすぎない。だから、社会派を気取り、わざわざ貧乏人の味方をしてみせる。
偽善というヤツだ。
『正しいもの』を示せる人間がいない社会は自由だ。しかし、問題は大きい。
こうしたメカニズムを知らないと、時代に流されてしまうのだ。
大半の人間は、どうしても時代に流されてしまう。
特に、若い人間は流行に敏感なだけに流されやすい。
しかし『正しい道』を説く者はいない。
そのため混沌の中で時代は進むのだ。
結果的に、女性が狂ってしまった。女性というのは実は社会の核だ。
女性が正しいものを応援することで、男性が頑張る。これが根本的な生物の仕組みである。
ところが、肝心の女性がカネを巡り、デブだろうがハゲだろうが、金歯だろうが、股を開いて結合し始めたから、まともな男性はバカバカしくなって萎えてしまった。
ニタニタして『I Love You』というだけの男がトクになった。
その結果、金銭支援を受ける女と使い捨てられる女が大量に増加し、肛門をネットに晒す女だらけになったのだ。
踊る女たちは、母となりトイレに赤ちゃんを捨てたり、パチンコに熱中して車の中の我が子を殺した。
セックスをやりまくった挙げ句、癌や性病になる女たちは、政府に支援を求めている。
しかし、どう考えてもネットに肛門を晒している女が多すぎる。
大抵は、そういうことをすれば、
母『アンタ、みっともない…』
父『なんてバカなことをしたんだ』
弟『ねえちゃん…』
友達『バカじゃないの、何してんのよ』
となるのが普通だと思うのだ。
にもかかわらず、平気でシリを突き出して、シワシワの菊の門を広げて、さらし者になっている。
どう考えても不思議た。たぶん、彼女たちには叱ってくれる人がいないのだろう。関わりがある人は、彼女たちに無関心なのだ。
そう考えると、男性失業者、ヒッキーの女性バージョンなのかと思う。
シリの穴が悲しく見えてくる。
マヌケな日本国民は、相変わらずバラバラに生きている。
老人はため込んだカネを守り、若者はエロと携帯ゲームに必死だ。ときどきテレビで覚えた批判を行い政党支持率を動かす。
隣の半島では、威嚇合戦が始まった。米国、ロシア、中国も関与している。
ヨンピョンとソウルの距離は、東京と沼津くらいだろうか。
一発触発状態の中、あっという間に日本にも徴兵制度をという話題になるかもしれない。
いざとなると、ある日突然なのが戦争というものだ。
歴史を振り返ると、平和ボケと戦争の反復ゲームである。
そうなれば、モバゲーの数万倍皆さんに楽しんでいただけるだろう。
年末は、クリスマスから忘年会、大晦日と行事続きになる。
季節感の薄れた時代でも、この時期は特別な気がする。
冬将軍が季節を強烈に演出し、ようやく日本に生まれ住むことに感謝できる。
忘れてはならないものというのか、忘れると失われるものがある。
どんなに便利な世の中になっても、どんなに人間の在り方が変化しても、失うと大損するものがあるのだ。
もちろん、誰もそんなことには無関心なのだが…。
この世で一番大切なものは何?
そりゃあカネでしょ。
さて、正しいだろうか?否定するためには、もっと大切なものを挙げなければ証明できない。
鮮やかに否定してくれる人は減った。
いや、間違っていても構わない。毅然と否定してくれる人が減ったのだ。
つまり、みんなはそれほどカネが好きだということになる。
カネのためならば、膣の奥まで全世界に公開する女性が跡を絶たないわけだから明らかである。
カネに潜むナゾを解けない人は幸福になれない。
メルセデスに乗ろうが、億ションに住もうが、ファーストクラスに乗ろうが、そんなものはすぐに飽きる。
結局、サーロインステーキより玉子かけご飯が美味い。
しかし、そうは言っても、みんな高価なものを手に入れたい。
どこからだかそういう発想が蔓延してしまった。バカのやることなんて、たわいがないのだ。
自分が本当に好きなものがわからなくなっているのだと思う。
ハッキリ言うと、直面しているものに飽きやすくなったのだろう。
子供の学級崩壊を真剣に議論している大人こそ、自己崩壊しているのに、実はそれに気づいていないのである。
他人をいう奴は、だいたい自分のほうが重度だと思ったほうがいい。
欲望は、カネさえあればほとんど果たせる。我々人類は、そういうルールを作り上げることに成功した。
美味いものを食べて、フワフワの布団で寝て、世界中を旅行し、スポーツや音楽を楽しみ、好みの異性と交わり…。
全ては、カネだ。
誰もますます否定できなくなっている。
そうなるとカネを集めたヤツが勝ちとなる。てことは、カネを集めやすい商売をやればよい。
それがエロであり、モバゲーであり、缶ビールである。
欲望に飢えた貧乏人をターゲットにしたビジネスだ。
もう一つは、ボケた金持ち老人をターゲットにした健康系商品や旅行だろう。
こうしてカネを集めたヤツは欲望を満たす。カネを集めたヤツに女が群がり、カネが回る。
これが欲望時代のカネの流通システムなんだ。
カネの匂いがするところには、必ず商売人と女が張り付く。
特に、女は鋭い。
よくテレビには狂ったようなタレントが出て、男漁りや恋愛ゴッコを語っている。
中には40過ぎのババアが『男の子』とか言い放つ不気味さには鳥肌が立つ。
しかし、こういう化け物女を喜ばせるために、わざわざ労力を割く奴隷男性も多いのだろう。
つまり、カネに化け物女が群がり、化け物女に奴隷男性が群がる構造となっている。
もうそんな時代はとっくに終わっているのに、化け物女にカネと労力を費やす孤独な男性も存在する。
女も男も年齢が30を越えて40あたりになってくると、だんだん醜くなってくる。
生物である以上避けられないことだ。
しかし若い頃にさんざん遊んできた人間には、自分が醜いという事実を受け入れられない。
特に、女は見かけが重要なファクターだから、醜いということを受け入れてしまうと存在価値すら失いかねない。
男と遊ぶ以外に何も取り柄がない女にとっては、老化は悲劇的な事態なわけだ。
どれほど悲しいことなのかは理解しようがないのだが、必死で化粧を塗りたくる姿や香水の強い匂いは狂気といえる。
とはいえ、他にできることは何もないのだ。
なんとかして男を捕まえて、性交させ続けなければ、女を廃業するしかないのだから。
こうした背景が存在するからこそ、女には子育てという重要任務が用意されているのだ。
そんなことは、サルや馬やハゲタカだって、みんな知っているのに、日本女性だけは、カネ集めと欲望探しに奔走する。
なんの恨みもないけれど、浮かれた女たちやとりつかれた女たちは、一体どこへいくのだろうか。
何も取り柄がないといえども、先が見えなくなっては困るから、何かしら頑張るしかない。
頑張る気持ちがなくなった瞬間に、人間は生命力を失い始める。
頑張るということは生きるということに他ならない。義務でもなんでもない。
頑張れば生命力が高まるし、頑張るのを止めると死が近づく。ただそれだけの話なのだ。
従って、頑張るための目標を見つけなければいけない。それが学校だ。
頑張った成果を得る場所が社会なのだ。
また、その無難なスタイルを定義したものが、就職、結婚、出産、教育などの各種制度だ。
ところが、学校でも社会人になっても、まともに何も考えてこなかった人間は、いざ30とか40才になると困る。困惑する。
しかも価値観が偏ってしまっているから、長続きしない。
これはツライ。だから、ラクに生きるために犯罪に手を染めることになりやすい。
標準スタイルから外れると楽しいが、それなりの困惑も待っているといえよう。
社会は制度によって動いているから、ある程度のリスクヘッジが可能になっている。
例えば、結婚をすれば地位が確立するし、片方が浮気をした場合、法的な制裁が加えられる。
もちろん、制度というのは人間が作ったものだから必ずしも完全なものではないが、標準的な保全を望む際には便利だ。
これを多くの男女が利用しなくなると、制度運営コストの効率が悪くなる。
今のニッポンがそうだ。非婚者が増え、婚姻制度は空転する。結婚に頼らずに生きるのは自由なのだろうが、社会運営効率はバラバラになった分、低下する。
一方、非婚者たちは、恋愛を楽しむ。遊びまくり、気づいたときは行き先がなくなる。
快楽を求めると死が近づく。ストレスを求めると生命力が湧く。
簡単な原理だが、にもかかわらず人間は快楽を選ぶ。
永遠にモテ続けて、求められ続けるような錯覚の中に身を置く。
テレビや雑誌や村上龍が言うことを信じてしまうのだ。
言うまでもなく、彼らのバックには商売人がいて、カネを集めている。
バカからカネを集め、集まったカネを使って、バカを相手に遊ぶのが彼らのライフスタイルなのだ。
テレビや雑誌や村上龍は、ファッショナブルな生き方を提案する。
すると、快楽が好きな国民が共鳴する。
制度に縛られていたら、楽しむことができないから、彼らの提案に乗る。
彼らは、カネを稼ぎ、楽しむ。楽しむときに、自分たちの提案内容を実践する。
カネがあるから究極的な快楽を追求できる。いわば勝ち組となる。
問題は、踊らされた連中だ。たいしたカネもなく、安物の化粧品やパンストやシャンプーを買って楽しむ。
そして、カネを持った男に股を貸して、しばらく使い放題サービスを行って、そして捨てられる。
この失敗経験を生かして、次に挑む。また捨てられる。次も、その次も。
十人のオスが排泄に利用しただけのカラダが残る。
30才。独身女。何の取り柄もない。
女30、男性経験だけ豊富で、取り柄がない、派遣や契約社員。
相変わらず結婚願望はなく(又は理想とマッチせず)、この先どうなっていくのか自分でも予測不能な女性が増えた。
やたらと癒やしや楽しみを探し求めるが、決定的な生き方がみつからない。
あっという間に35才。女性として20代には全くかなわない。
この辺からが苦難の始まりとなっていく。甲斐性のない貧乏男と同棲するパターンが続く。
同棲男に、飽きられては逃げられ、逆に飽きては別れ、欲求不満の日々を送る。
意味なく資格などを取得するものの、活動が伴わず効果はゼロ。
戦略なき遊び人の末路はこんなものだ。
そういう女が歴史上増殖したことはない。
社会福祉制度が脆弱なニッポンにおいて、こうした女性が増えると新たな問題になりかねない。
少子化により人口バランスが壊れ、高齢社会を支えきれないところへ、追加的に単身高齢女性の生活支援が必要になれば世界初のダブル福祉となる。
仕事がたっぷりあれば、自立して生きていけるだろうが、世界は効率化競争の真っ最中だ。
あと数年したら、失業女性問題が噴出し、処理に困る事態だって考えられる。
親はだんだんと資産家は減り、痴呆も増える。
ニッポンは、ひたひたと貧民国家へと進んでいるのだ。
知っての通り、カネは貯めるのは大変だが、使うのは簡単である。だから、足りなくなるのは明白なのだ。
つまり、これは男性が妻を扶養しなくなると、今度は社会が失業女性を扶養せざるを得なくなるということを意味している。
そのとき男性はどうなるか。高率の税金を支払うはめになるだろう。
65才から支払われる予定だった年金は、財源的にさらに追い込まれる。
少子化で働き手は増えない。そこへ持ってきて、高齢女性の低所得が追い討ちをかける。
高齢女性は親元へ身を寄せて、親の年金を分け合う戦術を取るだろう。
このとき親は、自分が教育を怠ったことを始めて思い知らされる。
教育をせず、自由に遊ばせた結果、娘は生き方を学ばなかった。そのバチが当たるのだ。
税金を納めることが可能な連中は、またしても放蕩国民の面倒をみるハメになる。
次第に、国力は低下していく。あまりに軍事的能力が劣るために、韓国あたりには脅かされ、米国は韓国を選択するようになる。
中国を始めとする東南アジア諸国の連中が上陸し、税金を落としてくれればまだよいが、悪くすると、国全体が米韓の軍事基地となり果てる可能性もあるし、ゴーストタウン化するかもしれない。
ニッポンの祭りは終わる。
40代の女性は、浮かれた青春を送り、恋愛至上主義から脱却できない。ファンデーションを蛾のように塗りたくり、尻を振って歩く。
30代の女性は、割のいい仕事を探し、少しでも経済力のある男を探す。
20代の女性は、セックスに明け暮れ、遊び遊ばれ、いずれは一人になる。
男女一対の社会制度を放棄したときには、誰もこんなことになろうとは思わなかった。
たしかに楽しんだ。快楽も享受できた。だから、ハッピーなのだ。
男性も一時的に喜んだ。いまや飽きてはきたものの女と遊ぶには便利な世の中になった。
結果的に、面倒な結婚制度は敬遠されるケースが増えた。
望み通りの社会だと言えば、そう言えるのかもしれない。
早い話が、遊んでばかりいたら(日本人)、勉強する連中(諸外国)に抜かれただけのことだ。
いきなり成金になれば、誰だって遊びまくる。日本人の場合は、赤字国債の借金をして、老人がそれを買った。
だから、他の人間はカネがない。老人が派手に使ってくれないと潤わない。
ところが、老人は慎重だから、あまりカネを使わない。
カネを持った老人があの世へ行けば、相続税が転がり込んでくる。相続人にも、やっとおこぼれが回る。
大金を巡り、相続税の徴収がどうなるか見ものだ。
日本には、個人ベースで言えば、そこにしかカネが余っていない。
ということは、何を意味するか、わかるだろうか。
キーワードを見逃してはならない。
カネを持っているのは老人たちだ。彼らは働いて働いて貯蓄したわけだが、元手は国が積み重ねた借金である。
借金で公共工事をはじめとする財政出動を行った結果、企業が潤い、給料が増えたから、貯蓄ができたわけだ。
老人たちは、この貯蓄をあの世まで持っていくことはできない。
国税当局と相続人が山分けする手はずとなっている。
カネは、次世代へと引き継がれる。しかし、次世代は昔ほど余裕がないため、気前よく使わないと思われる。
要するに、死に金となりチビチビと生活費に充てられるだろう。
だから、いま老人たちからカネを巻き上げたヤツが勝ちとなる。
もちろん、違法は論外だが、健康・医療・介護・レジャーなどの産業が悪知恵を駆使して巻き上げるのだろう。
女性もこの点に着目すべきだ。若いイケメン狙いも結構だが、これからは老人向けエロビジネスが狙い目だ。
もう一つの穴場は、年少者市場だろう。まだ、おおっぴらにはなっていないが、小中学生の欲望はメラメラと燃えている。
何でもありの日本女性なら、こういう市場タブーでもお構いなしだろう。
もともとこの層の欲望は際限がない。抜いても抜いても立つ。あまりに立つので夜眠れないほどなのだ。
だから、学校へ行って勉強をさせたり、運動をさせたりする仕組みになっているわけだが、最近のように情報社会に参加すればイヤでもエロの仲間入りだ。
子供がエロ動画をみながら、ニタニタしている絵は悲しくなるが、否定しようがない現実であろう。
子供とはいえ、エレクトすれば結構デカい、いや大人とあまり変わらないはずだ。
そのうち、街なかで小学生カップルが寄り添いながら、尻を撫で回す風景も見られるようになるだろう。
たまに、彼氏が彼女の腰や尻を撫で回しているカップルをみかけるが、あれを小学生や中学生がやり出したとしても、日本人は誰も止めないと思う。
そういう国民なのだ。
アメーバのように、広がっていく欲望のエスカレートに終わりはない。
常に、新しい刺激を人類は追い求めてしまう。もうついていけないと感じ始めた時点で、ようやく素に戻る。
あの刺激はなんだったのかと振り返り、また探し始めてしまう。
『恋に落ちる』という表現があるが、刺激というものは自己統制が効かないのだ。
気がつくと、欲望にまみれている。だから、エスカレートが起きる。
人間は、欲望のエスカレートから逃れることはできない。金を盗み、人を騙してでも手に入れたいのだ。
商売人は、エスカレートの入口で待ち構えている。必ずそこへ『落ちてくる』ことを予測して、欲望を満足させるのだ。
家庭の平和を守りつつも、刺激を求める女がいる。
何かと理屈をつけては男の肌を楽しむ女だ。『恋は落ちるもの』と言い、実は『欲望に落ちる』。
子供たちに、カップラーメンを置いて、香水に身を包んでホテルへ向かう。
オスの粘液をすすり、精液を浴びて帰宅すると、臭うカラダのまま、カレーライスを温める。
ダンナは何も知らずに、妻の乳首を吸う。
そんな妖怪のような女が増えた。なぜ、この女はよく知りもせぬ男にむしゃぶりついているのだろう。
哀れだと思う。不幸せな女だと思う。無様だとも思う。
だから別れ際に『素敵な女性だ』と耳元で囁いてあげる。
彼女の後ろ姿は、欲望そのものだ。
『苦しませて、ごめん』とメールを打つ。男も欲望にまみれている。
欲望を満たすためにウソをつくことが一般化した。
こうなってくると家庭や彼女を持つこと自体が安心とは言えなくなってくる。
いつ騙されるかわからない。子供たちだって、いつ親を騙すかわからない。
欲望とは、そこまで最優先される。
かつて、多くの人が望んだ欲望とは『平和』と『安心』だった。
平和と安心を手に入れた人間は、次に刺激的な快楽へと歩を進めた。
そのためにはウソが必要だったのだ。平和と安心をキープしておいて、刺激的快楽を同時に求めるには、2つの顔を使い分ける必要が出てくる。
この結果、ウソが一般化した。
目の前のパートナーが知らない所で何をしているかわからない。
間違って携帯電話を盗み見たら一瞬にして不幸が訪れる。
パソコンを覗き見たら、裏側を知り得てしまう。
秘密を隠して生きている人間たち。みんな欲望を追求している。
ウソなんて、秘密や裏切りに比べたら、かわいいものだ。
もうみんなそのカラクリを知っている。気づかないフリをするしかない。
そんな人間関係だらけになっている。
裏側を持つ人間は多い。トラブル、病気、過去、不倫…。皆、隠して生きている。
人に言えないコンプレックスくらいは誰もが抱えている。
それを信頼している人に伝えるかどうかは微妙な問題をはらむ。
伝えた結果、別離が待っていることだって十分ありうるからだ。
では伝えなければよいと思うかもしれないが、それはどこか『粗悪品を売りつけた』ような感覚が残る。
だから、受け入れてもらいたい。
また、黙ったままにしていると、いつかバレるかもしれない。
だから、告白して理解を求めておきたい。
つまり、カミングアウトは良心的サービスであるともいえる。
一方で、安物販売ともいえる。
安物であることを良心的に公表したうえで購入してもらうようなものだ。
逆に、秘密を隠し通したまま、そばにいる人もいる。
伝えれば、相手がヘコむと考えてのことなのか、自分の価値が下がると考えてのことなのかはケースによる。
とにかく伝えられないのだ。そしてこう言う。『何にせよ全てが今の自分』
粗悪な部分も今の自分には表れているのだから、あなたは自己責任で判断してください。
つまり、商売人だ。
困った社会になったものだ。今の社会は、善意は危険になった。
もちろん多くの人には変わりなく善意は通じるのだが、中には、デンジャラスな人もこれまた多いのだ。
結局、貨幣経済社会というのは、なんとかしてモノを売りつけてカネを手に入れたヤツが勝ちという世界だから、あの手この手で売りつけてくる。
商売人が悪くなるから、消費者を守るために法律が増える。消費者を保護すると、今度は消費者がつけあがる。
狂った人間はこうして出来上がる。カネを尺度にした社会は、狂った者をたくさん生み出す仕組みになっているのだ。
しかも経済環境が悪化すると、この現象はさらに拍車がかかる。
頭がヘンな人間が生み出される構造は、ウソつきが増える構造に似ているし、女性が平気でカラダを売る構造にもよく似ている。
カネと欲望が人間を狂わせているのだ。
カネ本位の社会は、我々が選択し、志向している社会だ。
カネを巡り、ウソや裏切りや難クセや詐欺が急増している。
これも欲望のためだと納得するよりないだろう。新たなチャレンジにはリスクがつき物なのだ。
暴れたり、騒いだり、ゴネたりして、カネに結びつける輩は今後も増え続けるだろう。
もしかしたら、盗賊や誘拐ビジネスが上陸する可能性がある。
なぜなら、日本人はガードが甘いからである。空港で荷物から目を離すのは、日本人くらいのものだ。
世界中にカネが欲しくて欲しくてたまらない人間がウヨウヨしている。
カネとは、斯様にとても恐ろしいものであることを肝に銘じておく必要がある。
少し前の時代ならば、悪い奴といえば、男とだいたい相場が決まっていた。
しかし、今や女性も恐ろしい。
特に、高齢の生活苦の女性だ。生活が安定しないことからくる不安が要因になっている。
また、職場や恋愛や結婚に失敗した女性も、精神的におかしくなるケースがある。
人生の不安定に不慣れな女性は、日々悩み苦しんでいる。自由社会は、勝者と敗者を明確にあぶり出す。
耐えきれない人も少なくないが、女性は、男性と違って死を選ばない。鬱屈した精神状態のまま生き続ける。
女性の生命力は底なしである。
カネ社会の犠牲者は、どんどん増えている。政府は、生活保護家庭をこれ以上増やしたくない。
だから、現金を渡す。
庶民は偉そうな御託を並べながらも現金をもらう。しばらくは静かになるが、すぐにまたよこせと騒ぐ。
現金を渡しても根本的な問題は解決しない。どこかのシンクタンクのオッサンが巧みにテレビ解説をするが、何も解説しないのだ。
人間には、労働を与えるのが一番よい。適度なストレスを与えるのがよい。それによって必要なカネが回ればよい。
働くことが生きがいになるのが一番よいのだ。
働いた成果としてのカネなど、二の次にしないとダメだ。
小学生の女の子がビキニを着てニッコリ笑えばカネになるという営利システムは、もうほどほどにすべきだろう。
母親も子供も、このままでは狂ってしまう。男たちも狂ってくる。
たぶん人間というのは、安心と安定ラインを超えてくると、次は相対的な裕福競争を始めるのだろう。
そして、相対的裕福を勝ち得ると快楽的裕福を目指す。
ここまで到達すると、あとはキリがなくなる。異常領域の裕福を妄想するしか出口がないのだ。
異常領域の裕福とは、人間としての圧倒的優位をさす。
つまり、周囲をヘイコラさせる贅沢のことだ。
商業サービスにおいては別格の顧客になりたがり、近隣の付き合いにおいては羨望の眼差しを得る。
男をアゴで使い、女は自由に犯す。もはや敵なし状態だ。
日本人は典型的なカネ好きな国民であり、それなりに裕福だったので、異常領域に達していたのだと思う。
つまり、そこまで貨幣経済に成功を収めると、自浄作用が働いて、社会が狂うのではないかと思う。
昔から、富の集まる一部の中央貴族はハチャメチャに遊んできた。
栄枯盛衰は巡るのであろう。精神科学的にみると、ちっとも人間は進歩していない。進歩したのは人文科学だけだ。
日本をこんなふうにしたのは、大ざっぱに言えば男性60代と女性40代の連中である。
特に、男性60代、いわゆる団塊世代は700~800万人いる。
彼らは経済成長に乗り、高給をとり、これから年金の受給者へと立場を変える。
年間の受取額は多い人なら400~500万円は悠に超えるだろう。企業年金も多くを占める。
結局、勝ち逃げ世代となって長生きする。
一方、若手30代はと言うと、団塊世代が10人がかりで一名の老人を支えていたのが、三人で一名を支えなければならない。
しばらくすると二人で一名の老人を贅沢させねばならない。
まさに、若者は踏んだり蹴ったりだ。ジジババ連中は散々遊んできた世代なのに、今度は若者の負担で遊ぶつもりなのだ。
欲望世代。エスカレートは止まらない。
貰える人間は断りはしない。辞退する気などサラサラない。
ならば、なるべく介護費用や医療費用がかからぬように早めに逝ってくれればよいのだが、ジジババ連中は朝から晩まで健康生活をする。
90近くまで死ぬ気はない。
日本人は得てしてこうなのだ。自分だけは生き延びる気質を持っている。
沖縄県の米軍駐留問題も同じだ。『出ていけ』と遠くから叫ぶだけで、『次はうちで引き受けよう』とは絶対に言わない。
米軍がいなければ、周囲のアジア諸国からハチの巣にされるほど、無力なクセに、用心棒などいらないと言っているのだ。
日本人に功績はない。米国の支えがなければ単なる植民地にすぎないのが、わが国なのだ。
明日からでも消費税率を25%に引き上げればよいものを、それを言い出すヤツがいない。
景気が冷え込むのが怖いのと、選挙に負けるから言い出さないわけだ。
高福祉国家になれとは言わない。しかし、このままでは、また借金しかなくなる。
政府は、法人税率を引き下げる。引き下げる代わりに、企業はもっと投資や雇用に協力せよと条件を突きつけた。
カネで人は動くという原理しか機能しない国なのが悲しい。
しかし、企業側はそんな約束はできない。法人税率が下がっても、円相場の問題や国内消費が盛り上がらないかぎり、増益の保障はないからだ。
またまたバラマキとなり政府の歳入は見通しが暗い。さらなる借金につながるかもしれない。
カネをバラマキ、財源は借金、団塊世代には大奮発を続ける。子育て世代にはお小遣いを配り、農家にも…。
染み付いた国民性は、当分変わらない。
精神的におかしくなった国民が、あちこちで事件を起こしている。常識のない人間がそこら中に生息している。
遊びまくった国の末路だろう。
気のせいか、おかしくなった人には女性が目立つ。男性はどちらかというとダメ人間は増えたと思う。
女性に関しては、職場やご近所の話として、よく話題が出る。
話が通じない日本人女性。感覚が麻痺した日本人女性。バランスを失った日本人女性。しかし、本人には自覚がない。
自分ではまともだと思っているのだ。いや、自分は一番まともだと思っているのだ。
なんとなくだが、その種の病気は想像できる。情報量が限界を超えているのだろう。不必要に大量な情報が飛び交う。
言論の自由、表現の自由とか言って、誰も手を出せない領域。
少し頭がよいと、ついつい大量の情報を吸い込んでしまう。そして容量がパンクし、狂ってしまうのだろう。
この種の人間には、絶対に関わらないほうがよい。まだ、原因も対処法も解明できていないからだ。
繰り返しになるが、自由社会は混在社会である。分散社会である。
統制社会とは違い、バラバラな人種を生み出す。そして二極化していく。
すると、6Σでいう極上部分と底だまり部分には、かなり極端な人間が発生し始める。
ある意味仕方がないのだ。不良品は発生してしまう社会構造なのだから。
問題は、そうした人間をどう処理していくかであろう。
学校に運転手付きベンツで通うガキもいる。親は、給食費を支払わない。教師を脅す。世にいうモンスターだ。
職場には、絶対に自分の仕事領域を広げずに、他人の批判だけをするモンスターもいる。
町には、何かしらブツブツつぶやいたり、ギャアギャア叫んだりしているモンスターもいる。
気持ちの悪い国だ。
怪物ランドができている。
こっちは1人、相手は3人。なんとかして相手をやっつけたい。
こっちも誰かに援軍を頼みたいところだが、なかなか集まらない。
相手の3人の戦力を調べてみると、最強、強、弱となっている。
どう考えても、最強とはぶつかりたくない。強とぶつかったとしても、かなりの被害を受けるだろう。
そこで、弱を狙う。
弱をやっつけて、人質にとるのだ。これにより、最強も、強も、手を出せなくなる。
あとは有利な和解を取引しよう。
これは単なるシミュレーションにすぎないが、ひょっとしたら、北朝鮮が検討くらいはしているシナリオだ。
犯罪が増えると、弱者は被害を受けやすい。金を持った弱者といえば、老人だろうか。
誰もブレーキをかけない国ニッポンが心配だ。
自由が行きすぎると狂気と化す。
肥満も、グータラも、売春も、詐欺も、ウソも、すべて自由がもたらした成果だ。
自由は、弱者を作り、弱者に襲いかかるのだ。
勝手気ままも度が過ぎると、異常領域に突入し、欲望が誘惑に勝てなくなる。
その結果が、このザマだ。
欲に負けた人間は、他人と交流したがらない。酷く醜い人間になるから他人とは交わらなくなるのである。
これを都会の無関心という。
都会人は少なからず、異常だ。だから無関心だ。
異常さは、欲を捨てない限り、エスカレートしていく。
知らず知らずのうちに、狂気を加味しながら、我々は生きている。
昨日までの刺激に飽きると、新しい刺激を探している。
誰も彼もがそうやって少しずつエスカレートをしていて、強い刺激にも慣れっこになっていくわけである。
昔の言い方をすると、流行に敏感という表現が近いが、いまや情報収集能力に応じて、敏感度に差が生じている。
ということは、エスカレートのスピードが人それぞれ異なることを意味する。
従って、そこには大きな格差が生まれ、やはり二極化していくのだ。
この二極化が様々な問題を発生させている。
考えや行動がまばらな人間たちが、うまくやっていくことは、なかなか難しい。
一人ひとりが自分の世界へ浸り込んでいく。理解者はリアルでは見つからない。
リアル生活と裏生活が形成されていく。それがプライベートだ。半分は秘密。
だからリアル生活は常に、半信半疑の関係性になる。他の要因も重なり、仮面関係が続く。
現代は、病理社会だ。
女子社員との力関係
ある社長は、お気に入りの女子社員に誘惑されているという。
週末退社時、社長室に彼女が入ってくると、決まった儀式がある。
女子社員が社長にキスするのだ。社長はされるがまま。女子社員に惚れているのだ。
しかし彼女は人妻、倫理観の強い社長は手を出せない。
女子社員は舌を入れてくる。社長の乳首を探り当てて刺激する。社長の目は陶酔しきっている。
「○○さん……も、もう…ダメだ。たまらない」
社長は射精を懇願する。女子社員は社員の首筋にキスをしながら言う。
「自分でしなさい」
社長は急いでシリを出して、女子社員を見つめたまま自分でしごく。必死の形相だ。
女子社員は途中まで、見下ろして見ているが、すぐに「じゃあ、お疲れ様」と言い残し出て行く。
やらせない女は強い。
もし、惚れるという行動が原始的なメカニズムによって行われているとしたら、本能行動と理性行動の2種類の組合せで考えなければ、人間の存在意義はない。
本能行動でも惚れる行為は可能だが、人間はそれに加えて理性行動を併用しているのだろう。
ここでの問題は、本能行動のみによる性交と、理性行動を加味した性交の違いだ。
いずれの方法も、生物学的に言えば『愛』があるのだろうか?
馬や鳥のような交尾に、原始的な『愛』があるとすれば、本能行動にも『愛』があることになる。
ワンナイトラブでも求愛しあえば『愛』ということになるのだ。
つまり、ウソのセリフの代表格である「愛しているよ」もウソとは言えなくなる。
一瞬にせよ、『愛』が生じて、猿や犬のように愛し合えば構わないのである。
そこに、人工的制度や倫理観が加わり、人間を規制する仕組みが機能するわけだ。
理性的であるということは、すなわちルールを守るということであり、本能的ということはルールを守らないということである。
ルールを守らない人間は、社会に有害であるけれども、ルール自体は人間が決定している。
だから、絶対的とはいえない。
例えば、タバコは有害ではあるけれども違法ではない。しかし未成年者のタバコは禁止されている。
飲酒はもっと軽度だ。セックスはさらに軽度だ。
仮に、小学生が集まって乱交パーティーを開催していたとしても、周囲の人は直接的な被害を受けない。
セックスにおいては、一人で行えないため、合意か否かが問題となる。
このため、その観点からのルール作りが必要なのだ。
合意を得るために、貨幣が使用される。カネの条件が折り合うということは合意なのだ。
カネの条件がよくて、セックスをしてもよいという判断をしたとしたら、何の問題も生じないであろうか。
さて、セックスを含めた性行為全般の特殊性はそこにある。
性行為の場合は、当事者以外の関係者に甚大な苦痛を与えかねないからだ。
つまり、関係者がいないか、もしくは関係者が容認するのであれば、取引を進めればよい。
しかし、関係者が苦痛を受けそうなケースにおいては、カネが欲しければ隠し事をしなければならなくなる。
そのときに安易な判断をしてしまうと、信用は失墜するだろう。
そして、そのことは生涯つきまとう。
なぜならば、周囲の苦痛は本人が考えているよりも相当大きいからだ。
実際、好きな女が他の男に触りまくられ、楽しまれている場面というのは、交通事故に遭って半身不随になるとか、火事に遭って全身やけどするとかに匹敵するショックがある。
身体的なショックではないが、精神的には親を失ったときくらいの悲しみがあるかもしれない。
ただ、この精神的なショックは、不思議な感覚を伴う。
おそらく本能的なものだと思うのだが、性的興奮が伴うのである。
うまく説明できないが、異常な興奮が怒りの中に混ざっている。
奪われることに、被虐的な要素があるのは理解できるが…。
エロ分野には『寝取られ』という確立した分野がある。
愛する女性が他の男と交わることに、興奮する遊びだ。
敗北感はオスにはつきものだ。オスの生涯は勝負の連続だから、負けることも多い。
負けると悔しい。狙った獲物が相手の手に入り、自分には何も残らない。
この敗北感から立ち上がる訓練を重ねないとオスはやっていけないのだ。
女というのは、仮に手に入れたとしても守り続けなければならない。油断をすれば、誰かが彼女のカラダの中に侵入してしまう。
よく考えると、膣に侵入するだけだから、たいした話でもないような気もするのだが、重大視して目の前が真っ暗になる。
笑って済ませる男もいるが、それは愛がない場合だ。
普通は、自殺したくなるほどツライ。この感情だけは、うまく表現できない。
『好き』という感情は永遠に謎に包まれたままだろう。
大勢の子供たちが餓死寸前であろうが、我が息子に貴重なパンを渡す。
どんな美女が勢ぞろいしようと、愛した女を探す。
愛情とは、そういうものだった。だから、男は死に物狂いで働き、子供たちや女を守った。
ところが平和が続き、愛情よりも欲望を欲しがる者が増えた。平和や安全に慣れてしまい、飽きてきたからだ。
それは間違いだ。
必ず、神は我々に試練を与えるはずだ。
長い間の平和によって、退屈を感じた人間は、さらなる快楽を求めた。
そのためには、巧みなウソが必要となる。
不倫妻はその典型だ。
自由の極限は専業主婦だろう。ある層の専業主婦には義務がない。
主婦業はピンからキリまである。
底辺の主婦は、特に取り柄もなく、成果も求められず、目標もなく、気ままに生きている。
幸福の極地だ。幸福の極地にいると、不思議なことに不満が蓄積する。
平和すぎて退屈になるのだ。
いまのアラフォー主婦たちは、20代は独身でやりまくり、30代は既婚でやりまくってきた。
いま40代を迎え、専業主婦として、熟女分野を確立した。
1970(昭和45)年生まれ前後のメスたちは、一生発情し続ける。
群集とは恐ろしいパワーを持っている。一人ひとりの願望が集約して爆発する。
これを便乗爆発という。一人ではできないのに、ムードに乗って現実化するのである。
こうして1990年から2010年の20年間が過ぎた。
わずか20年で、結婚制度は崩壊の危機を迎えている。いや、スタイルの変化を遂げたというべきか。
カップルの間には、形式的な信頼関係だけが残り、仮面をかぶっているかもしれないパートナーが存在する。
お互いに、後ろめたさを抱えつつ、他の人間とのあるいは過去の秘密を維持する。
もはや『愛は幻想の中にしか存在しない』
制度の枠組みが崩壊すれば、人間は原始的な世界に戻るしかない。
サルのように生きることになる。
形式的な愛といえども、日々の偽装は行われる。
記念日のプレゼント、イベントへの参加、祝い事のディナー、癒やしの旅行など、カップルたちは粛々と偽装行為を継続している。
だから、とても仲がよい。身を守るためには偽装を続けなければならない。いわば保険料みたいなものだ。
しかし、自分の自分らしさは、別のフィールドで発揮したい。
ひょっとしたら、秘密を持つことにより、形骸化したカップル関係が保てるのかもしれない。
エネルギーを50%ずつ使って、形骸化した愛と冒険的な愛を維持しようとする。
失敗したら失うものは大きいが、それでも快楽には代えられない。
リスクを取って快楽を求めることは避けられない人間の性といえる。
快楽とは、簡単に言えば、美味い物を食うことが代表格である。味覚や満腹感を味わうために追求するわけである。
感動を得るのも快楽である。快適な旅行をし、見知らぬ土地へ行き、新鮮な文化や風景や人々に触れる。
酒やタバコは、神経を麻痺させて味わう快楽であり、酔いの中で、現実から束の間の逃避を図る。
読書や音楽は、幻想ワールドに身をおき、知的好奇心やメロディアスな感覚をさまよう。
どれもこれも追求すればするほど、奥深い快楽が得られる。
基本は、好奇心とイマジネーションだ。現実に飽きた人間は、空想や想像の中に快楽を求めてきた。
いまや空想や想像が、出尽くしてしまいカネの威力によって手に入る時代がきてしまったのだ。
いざ手に入ることがわかると、人々は殺到する。だからカネが必要なのだ。
暴力も快楽の一つである。メディアは、定型的なスタイルとして、正義が悪を懲らしめるパターンを長い間採用してきた。
しかし、今は違う。悪党一味に捕まった警官が、ダーツの的代わりに張り付けにされ、手足から撃ち抜かれる映画だって大々的に興業化されている。
アダルト世界では、女教師は生徒たちにレイプされたり、排尿させられるのが定番になっている。
つまり、自由に空想して快楽を求めている。
現実にも、プライドのような総合格闘技は、いわば人間同士を闘わせて楽しむ快楽だ。
このまま行けば、必ず、カネを持った人間が、従来は不可能と思われた快楽をリアル化するはずだ。
果てしない欲望は、激しい刺激を伴う。
幸福とは『刺激の最大値を味わい続ける日々』だと定義付けを変えなければならないのかもしれない。
きっと限度を超過した快楽には、毒があるような気がする。
何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』なのだと思う。
ほどほどにしておかないと、しっぺ返しが必ず起きる。でないと、この世は狂ってしまうからだ。
以前、3人でルームシェアをした話を聞いた。男2人に女1人。
結局、1組のカップルができた。残りの男は、一人の夜を過ごした。
しばらくしてカップルはケンカ別れした。女は残りの男とくっついた。
女は、別れた彼に壁越しに夜の営みを毎夜聞かせた。
しばらくして、別れた彼は女をレイプする。耐えられなかったのだ。
女は、今カレにそのことを秘密にしていた。そして、毎晩セックスをした。
元カレは、次の日に再び女を襲う。
その繰り返しだ。女は妖怪だ。
以前、コンビニのバイトの女の子と良い仲になったことがある。
聞くと、彼女は若いのに男性経験が30人を超えているという。
聞いていて、哀れな気がした。本人は平然としているのだが、性病経験もあるという。
ある時は、宝飾品販売のOLと三年付き合った。
彼女は『100人まではいかないと思うけど、そのくらいかな』と言った。
悲しくなって捨てた。
彼女たちは、社会の道具なのだ。サルのような交尾を愛情だと錯覚している。
大手出版社が発行する雑誌をよく読んでいた。ハゲやブタや金歯やブスの編集者たちがカネのために編集している雑誌だ。
その記事を読んで、着飾り、化粧をして、男たちの道具になる。
しばらくして捨てられる大人のオモチャ。
利用される側の人々と言えばそれまでの話だが、いいようがなく悲しくなった。
性器はしこたま使い込まれていたのが印象的だった。
彼女たちのことを、世間ではヤリマンと呼ぶ。
しかし、彼女たちはすごく献身的だった。とりわけ性的な場面においては何でもする。
豊富な経験から、それが男たちを喜ばせることを知っている。
口だろうが、肛門だろうが自由に使用可能だし、屈辱的な姿をさせて生活することもできる。とにかく言いなりだ。
しかも費用はかからない。浮気をしたってメソメソする程度だし、捨てるぞと脅かせば、また男性をしゃぶってくる。
どんな親がいるのだろうか。どんな一生を送るのだろうか。
毎晩寝顔を見て、哀れんだものだ。しかし、支える気にはならなかった。
彼女たちは誰とでも寝るのだろうから。
受け身で、なんでも受け入れてしまうヤリマンがいる。
一方、自分では遊んでいる、もしくは恋愛を楽しんでいると思い込んでいるヤリマンもいる。
結果は、どちらも同じことだ。短期間だけ男たちの道具として人生を送っていることに変わりはない。
こうした『恋愛』は想像以上に多い。
男性側からみても、同じである。大真面目な『恋愛』と考えている場合もあれば、腹の底でべロを出している恋愛もある。
どちらにしても同じことだ。
これは原始的本能の錯覚によるものである。サルのように愛し合えば、一応『恋愛』であり、社会制度にのっからないだけの話なのである。
社会制度にのっからない場合は、短期間になりやすい。言い換えると逃げやすい。
なので、女性にとっては不安定であり、不利な取引となりやすい。
社会制度とは、それを防止する機能を有しているわけだ。
かなり乱暴にいうと、ヤリマンはバカだが、ナイーブである。
すなわち、いい子が割合と多い。いい子だから、ヤリマンになるのかもしれない。
傷つきやすいのだ。
ならば、うまく計算して立ち回ればよいものを、バカだからできない。
結局、やりまくられて、そのうちに捨てられる。
疑り深いはずなんだが、結局、騙される。というか、初めから騙されて当たり前みたいな諦めがあるのだろうか。
可哀想な気がするけれども、社会においては弱者は食い物にされてしまう。
偽善者が近づき、平らげては去っていく。
次第に老化が進行し、カラダは黒ずむばかりだから、大切にされる可能性は年々低下していく。
いい子は損な世の中なのだ。
ヤリマンは日本のセックス難民だ。ヤリマンたちの家庭環境とか、学校環境などの貧困がもたらした被害者といえる。
ヤリマンたちは傷ついている。
こういうと、すぐに『ヤリマンの過去もひっくるめて愛する』と、同情論を持ち出すバカがいる。
善意から出る同情論だとは思う。しかし、前科者を敢えて選択するようなものだ。
雪道を行く車は、新品のタイヤをはく。わざわざ溝のすり減った中古タイヤを選ぶのは、頭が悪いかミジメなドライバーだけだ。
とはいえ、豊かな家族や学校が構築できない国民に責任がある。
日本国民は、犠牲者に無関心だ。愛国心などない。
米国が自国戦略を含めてではあるが、日本を守ろうとしているのに『出ていけ』と叫ぶ。
なのに、中国や北朝鮮も受け付けない。何から何までイヤなのだ。
何もしないし、何もできない国民が日本人だ。
ヤリマンに同情するバカも、沖縄に同情するバカも同類だ。
解決力など有していない。感情的にそう思っただけだ。
二年前、自民党から民主党に大移動をした日本人と同じだ。
要するに、テレビや雑誌の言いなりでしかない。テレビ局や雑誌社にどういう悪者が勢揃いしているか知らないのだ。
結局、目の前に一万円しかないのに、車がほしい、寿司が食いたい、パリに行きたいと騒ぐような国民といえる。
政府は『わかりました。借金して実現させましょう』と答える。
カネをもらったヤツは勝ち、もらえなかったヤツは上っ面だけ同情される。
泣けば、カネが渡される。あっちこっちで泣くヤツが出てきて、カネが配られる。
そして、国民はこういう。『やっぱり民主党もダメだ』
感情的にその場その場で対応していると、辻褄が合わなくなる。
どうせ偽善的な同情ならば全く意味がない。
ダメなこと、よいことの基準がないため、その時々の意見に迷ってしまうのだ。
また、常に流行に押し流されているから、しっかりと考えたことがないのであろう。
要するに、自分がいないのだ。
たしかに、物事の調整は難しい。ましてや当事者を目の前にすると、味方したくなるのもわかる。
しかし、ダメなものはダメと決めなければ、改善はない。
傷ついた女たちは、やはり自分が悪いのだ。汚れた女たちは、やはり汚いのだ。
もちろん、だからといって、捨てる神あれば拾うバカがいて構わない。
汚れた女を、バカな男が包み込む分には、そいつらの勝手だし、相互扶助的な意味からするとプラスといえる。
ある意味、どの女をつかんでもリスクはあるのだから。
安易な人間は必ず現れるというところが、世の中の唯一の救いなのかもしれないとは思う。
女にヤリマンがいるように、男には乱暴者がいる。
乱暴者、すなわちチンピラはやはり可哀想な生き物だ。
頭は悪いし、人相も悪い、家庭環境も悪い。つまり可哀想だ。
しかしクズはクズだ。社会でウロウロして、大声でわめいたり、公共物を壊したり、ケンカをされては迷惑だ。
とりあえず邪魔なので、できることなら消滅してほしい。
仮に、死んだとしたらメシがウマい。そういう存在だ。
よくドラマなんかで、更正させて感動的に見せたりしているが、全くもって間違っている。
あの発想は昔のものだし、レアケースにすぎない。偽善者発想で制作され、偽善者発想で感動して楽しむものにすぎない。
チンピラやヤリマンが立ち直るキッカケは、自分たちで見つける以外に方法はない。
でなければ、彼等、彼女たちは生涯利用されるだけだ。
周囲は、利用してればよいだけなのだ。
なぜ、ヤリマンやチンピラが繁殖するかといえば、社会や親が悪いからではある。
しかし、それは言っても仕方がない。周りが変わってくれればと思うのは誰しも同じなのだ。
はっきり言えば、ヤリマンやチンピラたちの親は憎むべき存在だ。
親が加害者で、子供は被害者なのだ。
しかし、この親たちは自分が狂っていることに気づいていないし、我が子が傷ついていることにも気づいていない。
典型的なクズ親たちなのだ。世の中には、クズな60代がかなり多い。
いわゆるババアたちを思い浮かべるとよい。クソババアにいくら常識を説いても効果はゼロだ。
根本的におかしいからだ。病気だと思って対処すればよい。いや、できることなら接触しないほうが身のためだ。
クソババアに接触したところで、どうせ良いことは起きない。
自由時代には、さまざまな人種が発生する。
成り上がりもいれば、落ちぶれた者もいるし、自己中もいれば、鬱もいる。
だから、あまねく接しているとストレスになりかねない。
イヤなヤツは、避けるに越したことはない。これは人生の鉄則になった。
誰とでも仲良くなんて考えていたら、自分がやられるだけだ。
だから、対人対処のレベルを三段階くらいに分けて励行しなければならない。
それには好き嫌いを明確にする必要がある。嫌いなものは、徹底的に嫌いになることだ。
嫌いなら、キライで構わない。
早い話が、どういう人物がキライかを明確にすればよい。
ある程度、無意識に避けているとは思うが、徹底的に避けることが必要である。
人間というのは、たった一人でもおかしなヤツがいると、メチャクチャにされる。
おかしいと感じたら、すぐに距離を置かなければ大変なことになる。
病気への備えと同じだ。兆候を感じたらすぐに対処することが大切である。
可哀想などと言っていたら、病は悪化するだけなのだ。
人間は、メリットやデメリットを判断して行動することが多い。
人間的魅力を感じて付き合ったりしていると感じるのは錯覚だ。
特定の人と一緒にいると癒されるとか緊張するとか、度合いが異なるにも関わらず会うということは、別の要素が補完しているから成り立つ。
この補完要素が何かを意識して置かなければならない。
それはカネなのか、人脈なのか、味方作りなのか、気分転換なのか、いろいろだとは思う。
目的別に、対人関係を整理して、受けるメリットと提供できるコストを計る。
愛情のない世界の交友関係とはそういうものだ。
プラスとマイナスのバランスが崩れると交友関係も終わる。
だから、現代の人間関係は乾いているとも言えるわけだ。
このまま愛情関係が薄れ、無関心でドライな社会が続くと一体どうなるのか。
世の中には、3人か4人に一人のジジとババがうろつく。
これからのジジは、不器用でクソ面白くない人種だし、貧乏な年金暮らしへと変わっていくだろう。
一方、ババは口うるさく騒ぐ、社会の役立たずばかりだ。
老人の医療・福祉・介護にはやたらカネがかかるので、個人負担も激増していくだろう。
ジジやババは、だんだん社会のお荷物になっていく。しかし、なかなか死なないのだ。
おそらく、いつか若者が負担に耐えられなくなる。日本企業が国内で活性化しない限り、日本は持たない。
特に、中小企業が淘汰し始めると、ジジやババも働けない。
どう考えても、家庭内介護か老々介護で、支えるしかないが、これをやると中年夫婦がつぶれる。
ジジババ社会は、深刻な社会を作る。
選択肢は誰が考えても2つだけだ。
企業活性化か福祉国家だ。いずれかの選択しかないだろう。
まず企業活性化をやるには、日本人の能力は低下しすぎたし、税制も鎖国モードだし、ボーダレス時代を泳ぐ若者はいない。
次に、福祉国家だ。たぶん、日本人はこちらを優先するだろう。バカでもやろうと思えばやれるからだ。
その条件は、一つある。
消費税だ。消費税を現在の5%から40%へ、できれば50%へ引き上げるしかない。
ビックリする引き上げかもしれないが、それくらい日本は深刻な情勢にある。
バカにはわからないと思うが、この消費税の増税を誰が言い出すかだ。
税率は、何かに連動して動かせるようにしておき、最終的には50~60%へ持っていく。
そうすれば、役立たずのジジババどもも安泰だろう。やたら長生きなんかするもんだから、こうなる。
医学も、長寿発想を止めて安楽死のクスリを考えるほうが経済的には好ましい。
80才で、安らかに死ねればいいじゃないかって思う。
これほどの不況がやってくるなんて、想像以上だろう。
しかも人口減少社会、老人社会の最中だ。
年寄りは、一層慎重になってチマチマとしかカネを使わない。
信じられるのはカネだけだから、カネを大切に使う。
ならば、イヤでも流通させるには消費税しかないのだ。
しかし、これを言い出せば歴史的な嫌われ者になる。もちろん、バカ国民は、そんな政治家には投票しない。
今やみんな『俺にカネを回せ』と騒いでいる。カネを配る政治家しかバカ国民は好まない。
つまり、消費税増税の言い出しっぺは、捨て身しか有り得ないのだ。
捨て身の政治家。一体誰なのか。おそらく向こう50年の日本人を救う政治家になるだろう。
ただし、バカ国民は彼を叩いて叩いて叩きまくるだろう。マスコミが油を注ぐからだ。
『福祉なんて、面白くもない分野にカネを使うな。もっと快楽がほしい』
余計な予言をしておこう。
日本には天罰が下る。太平洋沿岸を襲う大地震だ。
島国の人間とは洗脳の生物といえよう。
周囲が言うことを信じてしまう。洗練した物言いを好み、人気者を好む。
結果、それまでの常識はドミノ倒しのように覆っていく。
そして、古い常識人は否定され始め、新しい常識人が闊歩する。
要するに、宣伝力を持っている者が民衆を動かせる。
ドミノ倒しに要する期間は、国内が真っ二つに割れるだろう。
これに失敗したら、後の手はない。(正確にいうと、法人税や所得税の大幅増税となり、日本の活力は消滅する)
まさか赤字国債は増発しないと思う。もしも、そうなれば、大変な事態となる。
国民金融資産を国債発行額が超えてしまうからだ。国債は大暴落し、紙くずになりかねない。
日本破綻だ。
島国は洗脳されやすいから、ワンパターンな人々になりやすいかというと、一概には言えない。
一方で、自由選択の時代が進行しているため、バリエーション自体も豊富になっているせいである。
だから、カネが好きな人と労働が好きな人は、それなりに別個に存在する。
また、セックスが好きな人と恋愛が好きな人は、それなりに別個に存在する。
まあ、快楽の得かたにも程度の差があるということだ。派手な人と地味な人というべきか。
都会に住んでいると、そういうブーム化というのが一斉に蔓延していくのがわかる。
カネになったり、快楽になったりするビジネスや文化が一挙に流行るわけだ。
多くの人が飛びつくからブームになる。日増しにブームは拡大し、数年経過すると収まる。
それの繰り返しだ。
流れに乗る人乗らない人はだんだんと分かれていき年齢を重ねる。
こうしてバブル民族は、ついに高齢化して消え始めることになる。
負の遺産をたくさん残し、狂乱の生涯を終えることになる。
食い散らかした皿を食卓に残して、ジジババへなっている。
バブル民族たちは、メディアに踊らされ、踊り続けた。
来る日も来る日も踊り続けた。国は借金して彼らにカネを注いできた。
男性は60才になった。そのお相手をした女性は40才を過ぎた。
腹に脂肪を溜め込み、銀行にカネを溜め込み、ようやく現役を引退していく。
彼らや彼女たちは、子供を育てた。教育方針は、『自由』だ。
海外諸国に追い抜かれても構わない。遊んで遊んで遊びまくれ。実際、日本は落ちるところまで、落ちるだろう。
能力も、経済も、心も落ちぶれた。宴は終わるのだ。
舞台を片付けなければならない。後片付けは大変だろう。
すっかり快楽ボケした国民は、再びマスメディアに踊らされるはずだ。
まだそれに気づいている国民は少ない。
寿司屋や焼き肉屋で語り合っても、正解は得られないだろう。
脳にインプットされた快楽は、一生その人を襲う。
人間は快楽を一度でも味わうと、宿命的に追い求めるしかないのだ。
快楽を得るには、多くの場合、カネがいる。だから昔はよかった。
しかし、今は、いやこれからはそうもいかない。
なので、快楽を追求する人間を責めるわけにはいかない。おそらくは、ままならぬ快楽を熱望しつつ、麻薬病患者のように闘うことになる。
若い世代に引き継がれた快楽世界は、ますます島国に溶け込み、予想外の時代を作ることだろう。
一度でも快楽を味わうと脳はけして忘れない。
意外にもこれは厄介な話なのだ。快楽の記憶は、自己コントロールによって普段は抑制している。
ところが、何かのタイミングで切望状態に入る。例えば、ストレスや余剰資金が入ったときなどである。
特に、タチが悪いのはグルメとセックスだろう。
ツライときや油断したときに必ず思い出してしまい『あの快楽をもう一度』となる。
絶対に逃げられない。
美食家など、アタマがおかしいとも言えるほど、微妙な味を追求してしまう。
確かに、美味いモノは美味いから幸福であるが、そういうモノは大抵高い。
その価値は微妙な世界といえる。勝手にどうぞとしか表現のしようがない微妙さだ。
セックスはもっと悪い。カップル仲が悪くなった時に、思い出してしまい、浮気へとつながる。
だから経験豊富な女は危険だ。こちらは、浮気、病気、交遊、飲酒などを伴うし、誰かを巻き込むから悲惨だ。
快楽記憶は、時限爆弾なのだ。
淫乱は、もう病気だ。一生治ることはない。甘い蜜壺から這い出ることは不可能なのだ。
理性でブレーキがかからないレベルになったとしたら、商売にすべきだろう。
売春婦になればよい。そういう女は、かなり増えている。
カネ目当ての売春婦と淫乱売春婦の見分けはつきにくいが、結構な比率でその両方が併発していることが多い。
これからもっともっと増えるだろう。もはや、快楽漬けの女は、生涯抜けられないから、堅気の男性を巻き込まないようにすべきだ。
この種の女に引っかかったら、男の人生は終わる。
淫乱女といると楽しい。やっぱり恋愛の楽しみ方を知っているし、じらし方も上手い。
彼女たちは、いつ男が自分を口説きにかかるかを楽しむ。
カラダをエサに使うから、まず失敗はない。連戦連勝なのだ。
軽く触れ合い、抱き合い、ディープキスをしたらゴーサインだ。
あとはスタイリッシュを捨てて野獣に変わる。彼氏がいようが亭主がいようが関係ない。
野獣たちは、次々と紹介を繰り返し、穴兄弟となり乱交路線を歩む。
そのうちもめ事が起きるか、病気持ちが出るか、堕胎者が出て、白けて解散となる。
婚活をしているのは、だいたいその種の女たちだ。
誰とでも寝る女たち。求められれば、相手など誰でも構わない。
乞食にポリシーがないのと同じで、誰でも受け入れる。それほど飢えている。
男性からは理解不能だし、身の毛もよだつのだが、では寝ないかと聞かれれば、寝る。
穴やカラダは別なのだ。本当は大キライだが、『なんてステキな女性なんだ…』とつぶやいてみせる。
結局、排泄できればよいわけだから、飽きるまではそれでよい。
女は次第につけあがる。そのあたりでトンズラできるかどうかがポイントだ。
急に冷めてみせるか、浮気をみせるか、ダチに譲るか、とにかく別れる。
女は言う。『あの男は見損なった』『あんな男だとは思わなかった』
もともと恋愛ではないのに。
人間には、向かっていく人と待っている人の2種類がいる。
風俗嬢は向かっていく人だ。ヤリマンは待っている人だ。
スポーツにおける選手と観衆の関係に似ている。
東京ドームには五万人の観衆が収容可能だが、グランドに立てるのはわずか20人かそこらだ。
だから、向かっていく人は、それだけ大変なのだ。
時代がヤリマンだらけになってくると、風俗嬢はプロとして選ばれた人ということになる。
要するに、以前は風俗嬢なんて軽蔑される職業だったのだが、今や羨望の職業と変わったのだ。
風俗テクニックは、立派な職業技術となったのだ。
風俗嬢の何が凄いかといったら、それは男を知り尽くしていることだろう。
もちろん、ここでいう男とは性的な意味での男のことだ。
例えば、男というのは溜まっているときは女にむしゃぶりつくが、満たされると関心がなくなる。
このことは大変基本的な事項で大切だ。
だから、溜まっているときと満たされているときとは、人格が別個なのだ。
満たされていると、女の乳房や性器が醜く写る。実際、冷静に考えると、さほど綺麗なものでもない。
笑顔も馬鹿らしいし、ファッションもアホらしい。
そんなことより、他の興味あることに集中したいのだ。男同士で騒ぎたいのだ。
その点を、風俗嬢はよく知っている。無論、風俗嬢を呼ぶのは溜まっているときに限られるからわかりやすい。
さらに、風俗嬢にはテクニックがある。
風俗嬢のテクニックは凄い。
男の性癖に理解があるから、とことん楽しませてくれる。
言葉ではうまく表現できないが、ドラマを作れるのが風俗嬢だ。
責めても、責められても、ストーリーが形成される。たんに気持ちがよいだけでなく、心が湧き踊るように楽しめる。
つまり、彼女や妻とは違うテクニックがある。
もちろん、そういう才能がある風俗嬢は限られているから人気がある。
だからプロなのだ。
ヤリマンだらけの女性しかいない日本においては、風俗嬢は地位が高い。
ピュアな国においては、風俗嬢は蔑まれるけれど、この国においては逆なのである。
面白い現象だと思う。
貧乏エロ島国において、風俗嬢はこれから淘汰もしくは棲み分けの時代に入っていく。
高級サービスと庶民向けサービスに分化していけるかどうかだろう。
また、そうならなければ風俗業界はつぶしあうだけになってしまう。
いまでも3Pや乱交やSMや特殊分野の遊びが自由に楽しめるが、あまりにも安売り競争になっている。
これは一般のヤリマンたちがウヨウヨしていることにも原因がある。
だから、エロ嬢(風俗嬢とヤリマンの総称)が増えすぎて、価値が低下しているのだ。
ハイクラスのエロサービス開発が成功するか、ブサイクエロ嬢が廃業に追い込まれるかの分岐点だろう。
リアルエロ自体の魅力低下問題もある。
エロビジネスにおいて、現在欠如しているのはシチュエーションである。
エロというのは、秘められているからこそ、興奮するという要素がある。
太陽の下で、素っ裸になったからと言って、興奮するものでもないのだ。
できるだけ非日常を演出することによって、高まり、すなわち価値を高めることが可能になるのである。
コスプレやSMには、そういう要素が含まれているので今後は成長が期待される。
また、衛生管理を堂々と宣言することも大切であろう。
さらに、高齢者でも楽しめる演出も必要となる。
まだまだ、エロビジネスには奥がある。
食事ならば、朝・昼・晩の三食だし、睡眠ならば夜間7時間くらい、排泄ならば…。
個人差はあるものの定期的なリズムがおおよそ決まっている。
ただ、性欲処理に関しては、男性固有の問題ということもあって、あまり常識的なリズムは決まっていない。
ところが、男性も60才とか、70才とか、80才になってくると、健康的な側面から、処理頻度を考えたほうがよい。
また、高齢者には高齢者なりのツボがあると思う。
こうした観点からのビジネスアプローチはまだまだである。
高齢者の場合は、人の肌に触れるだけでも癒やし効果があるはずだし、何も挿入ありきにする必要はサラサラない。
健康のためのエロというのを演出できれば、大ヒット間違いないのである。
それがどのような世界かはわからないが…。淫靡な世界なのか、ファッショナブルな世界なのか、人情世界なのか、今後に期待したい。
高齢者向けのエロビジネスは、もう日本のような荒れた国では避け得ない領域だろう。
まだ、少年向けのエロビジネスに比べれば、ずっとマシだと思う。
もはや手をつけられない日本のエロ好きには、高齢者向けエロなど可愛いものだ。
大人も子供も区別しないエロの氾濫はよくない。もし、稼ぎたいのであれば、高齢者向けにやってほしい。
高齢者ならば、30代や40代の女性でもイケると考えられる。
しかも違法な管理売春などの必要性は薄いから、健全風俗が成り立つのではなかろうか。
そうすれば、ジジも喜ぶし、オバサンの収入源にもなるような気がする。
なんだか健康的な話にさえ思えてくるのだ。
女性は変わる。驚くほど変わる。
十数年前までは、ヌードになった女性は、落ちぶれた女の代名詞だった。
『ついに脱がないと稼げなくなったのか』世間のさらし者になって、週刊誌を騒がせた。
ところが、今はどうだ。十代の可憐な女の子が、グラビアでニコニコしている。
憐れみを感じていたのがバカバカしくなる。女は、裸になることは平気なのだ。
ネットで風俗店を探せば、次々に若い女の子たちがオイデオイデと手を振っている。
売春婦が気の毒だなんて同情していたのがバカバカしくなる。女は、性的行為が好きなのだ。
匿名掲示板を読んでいると、主婦が公衆便所状態だ。しかも、愛がどうのこうのと勘違いして。
専業主婦は家事が大変だろうなどと、気遣っていたのがバカバカしくなる。
専業主婦はやっぱりヒマなのだ。
ことごとく騙されていた男たちは、唖然としている。もはや行き場を失った。
まともな恋愛対象を探そうと思ったら、小学四年生くらいまで年齢を下げなければみつからないだろう。
これをロリと言ってよいのだろうか?
これからは選別と使い分けの時代だ。
『女というものは』とか『男って』というくくり方は間違いである。
女も男も様々なタイプがいるから、よく選ばないとダメだ。
選ぶに際しては、機能や役割を前提にして、スポット的に活用するしかない。
永遠の愛など幻想となった。
まるで食事のように、主食はAさん、前菜はBさん、メインディッシュはCさんと機能分化していくだろう。
それを受け入れることができなければ、一生、『自分は不運な人間だ』と泣いて過ごすしかない。
時代は、変わったのだ。このままウソをつき通して、浮気をするくらいなら、堂々と『使い分け主義』を宣言したほうがラクといえる。
そんな親に育てられた子供たちは、間違いなく歪む。歪み果てて親から離れていく。
次世代の欲望エスカレートは、だいたいそんなものだろう。
渇いた人間関係は、より一層渇く。パサパサの人間関係の中で、人間は傷つかないよう泳ぐ。
傷つかないためにはどうすればよいか。大切なものを持たないことだ。
大切なものを守るには、大変なエネルギーが必要だ。
かつて男たちは、すべてを投げ打って愛する人を守ってきた。
だから、傷ついた。
痛いほど味わったこの20年。さんざんな20年だったろう。
失望と絶望の中で、信頼してきたものは、幻想と化した。
男たちは、どこへ行くのだろう。すっかりパワーを失い、ダメ男に成り下がり、何を求めるのか。
まだ、繰り返すのか。女はもう恋人ではない。女は商品化した。
男たちにパワーを。
商品化した女に萎えた男たちは、真面目に恋愛をしなくなった。
そのため真面目に恋愛したがっている女たちが困惑することになった。
いわゆる負の連鎖である。
男は女を信用しない。女は男を信用しない。どうせ騙される。
傷つくのはイヤだ。
妙な空気が男たちと女たちの間に流れている。しかし、女は男をキャッチすることで、カネとラクが手に入る。
男たちは、殻の中に閉じこもったままリスクの少ないエロを貪る。
プロの出番となる。
ふしだら女が、一般女の信用を低下させた結果、プロ女がメリットを得た。
いまやプロ女はアイドルになりつつある。
プロ女なら自分を傷つけない。プロ女ならエスカレートした性癖を理解してくれる。プロ女なら永遠に若い。
そして、プロ女ならよりどりみどりだ。
男たちはナイーヴだ。傷つくことをとても恐れている。
だから、もう女を愛することはないだろう。
ただし、愛しているフリをすることは飛躍的に上達した。
無料のヤリマン女を確保するためには、どうしても演技が必要なのだ。
不況の中、やはり無料はありがたい。一年くらいなら同じ女でも我慢できる。
くっついては離れ、くっついては離れ、くっついては離れ、それを繰り返せば幸せだ。
常に、新しい女を探しながら、古い女を愛しているフリをすればよい。
熱演を続け、頃合いをみてうまく別れる。誰も傷つかないように。
ヤリマン女たちが、男たちを追い込んだ結果完成した男たちの方程式だ。
男たちは、もう恋愛をしない。
実は、そのほうが幸せであることを知ってしまった。
まず拘束されないし、キツイことも言われない、騙されることもない。
何よりも自由に遊んだほうが断然安い。
それで困ることは何もない。生活は便利だし、自由だ。
恋愛や結婚をしたがる男と言えば、今やアタマがおかしいヤツだけとなってしまった。
街を歩くカップルも、大半は短期間のニセカップルにすぎない。
男性が、結婚式などに招待されたら『バカが』と吐き捨てるだけだ。
いい女を探すのは、男の本能だが、だからといって、恋愛や結婚は志向していない。
恋愛のフリだけしていれば幸福なのだ。
少し不正確だった。
男たちはもう恋愛をしないわけではない。『安全な恋愛には浸りたい』というのが正しい。
安全な恋愛、これにはまだ正解が出ていない。
特別な存在でいたいという気持ちは誰にでもある。
問題は、特別な存在ということに保証が得られないことなのだ。
だから、擬似的な、あるいは束の間の、『特別な存在』で満足したい。
どうせ、いつか騙されるのだとしても、短期間ならば『特別な存在』として君臨することは可能だから、それを望んでいる。
永遠安息の場は、望むべくもない。女は商品であり、道具でしかないのだから。
女というものを悟ったときから、恋愛はできなくなる。しかし、擬似的・短期的な恋愛ならできるというのが真実だ。
こうして男女は、互いに深追いしない関係となっていく。
互いに深追いしない男女関係というとパサパサな感じがするけれども、考えようによっては自然に戻ったともいえる。
もともとオスとメスの関係は、略奪の反復が普通なのだ。
社会的ルールがそれに制約をつけているからこそ、略奪があまり起きていないだけといえる。
つまり、社会的制約を設けたほうが安定するからそうしているだけであって、その前提が崩れ始めると、社会的ルール自体の意味が薄れてしまう。
例えば、ちっとも安定を得られないとか、むしろ窮屈だとか、そんなふうな不満が拡大してくれば社会的ルール自体の陳腐化といえる。
最も象徴的なのは、結婚してからの不満だ。既婚者の不満が高まれば、次第に離婚や不倫が増える。
もともと、結婚は墓場などと言われる(茶化される)くらいだから、制度そのものに人工的無理があるのだ。
変わりゆく男女関係を嘆いていても仕方がない。時代というものは常にそういうものだから。
だから『昔はよかった』の繰り返しとなる。昔と今を比較できるようになるということは、『今』を否定することを意味する。
『今』がイヤになってくると、懐古主義にふけるようになり、新しい刺激に嫌悪を感じるようになる。
それほど世間の欲望エスカレートの速度は一定以上のスピードを有している証明でもある。
老いてくると、そのスピードについて行けなくなるわけだ。
つまり、欲望エスカレートを止めうる人間は少ない。
よほどの専制君主か宗教家でなければ、世の中の狂乱や暴走を止められないのだ。
従って、個人個人は、ほどよい欲望レベルを選択して、老いを迎えざるを得ない。
自分の欲望ピークを知ることが大切なのだ。
欲望を満たす方法を皆が探している。それが世の中と言ってよい。
だから、うまくやるヤツは巧妙になる。騙すワルと騙されるバカで世の中は成り立っている。
全体が豊かならば、ガツガツせずとも欲望は満たせる。
全体が貧してくれば、巧妙さは度をまして悪質になる。
男は女を騙し、女は男を騙す。企業は消費者を騙し、テレビは庶民を食う。
そして、騙されたバカは騒ぐ、騙されてみて初めてカラクリを知り、騒ぎ立てるのだ。
つけあがる被害者たち。群集は自分たちの甘さを棚に上げ、怒鳴り散らす。
浅ましい世の中になったものだ。
騙すワルは、騙されるバカどもの欲望を見抜いている。
たしかに『昔は平和』だったのだ。欲望に目覚めたとき、エスカレートが始まる。
勝ち逃げはさせてもらえない。
欲望を勝ち取るには、努力が必要となる。黙っていると、出遅れてしまい逆に獲物にされてしまう。
情報戦を先取りしたヤツは一番美味しいところにありつける。
しばらくすると、新しい欲望システムを使って、バカどもを大量捕獲してむしり取る仕組みが作動し始める。
バカどもが被害に遭ったり、飽きてきて、騒ぎ出すとそろそろ幕引きだ。
盛り上がっては消え、盛り上がっては消え、その繰り返しをしながら、うまい汁を吸ったヤツが笑う。
欲望とは刹那的なものだから、一過性なのだ。
心地よい音楽は、いつか終わり、過去の良き思い出に変わる。
その裏で暗躍する人間たちが笑っている。
カネをかけずにタダで楽しみたいというニーズに対応したビジネスが盛んだ。
タダという殺し文句により、多数の人々を引きつけ、引き込み、グリップしていまい、ゆっくりと料理する蜘蛛の巣のようなビジネスといえる。
これも騙されてみて初めて騒ぐバカどもが多い。モバゲーがいい例である。『無料じゃなかったのか』と騒ぐ。
無料のハズないだろと誰でも考えるのだが、テレビ局が一斉に健全性をサポートするから、貧乏人はどんどん引っかかる。
挙げ句の果てに、カネを取られて、怒り出す始末だ。
次第に巧妙になってくる欲望ビジネスは、ちゃんとバカ庶民の弱味を把握している。
とにかく儲かるから、タレントもすり寄る。芸能人は何よりもカネが大好きな人種なのだ。
バカ庶民を見下ろして、高級マンションで高価なワインを飲んで、セックスに明け暮れる。
群集とは、哀れな生き物だ。
モバゲーなどの作業を重ねたところで、何の蓄積もない。時間が過ぎていくだけなのだが、快楽国民は、とにかく楽しみたい。
だから、アホ国民を狙ったワル企業が大繁栄する。
そこには、何も残らない。カラオケ店やレンタルビデオ店もそうだったように、日本は一過性のビジネスが出ては消えるという特質がある。
国民は、ただひたすら楽しみたいだけであり、結果的にエンターテイメントビジネスの過当競争が繰り広げられるばかりなのだ。
日増しに、国民はバカになり、蓄積をしないから、諸外国に負けてしまう。
世界有数の経済大国の実情は厳しい。
こうなってくると、知的な蘇生は困難となり、サル並みの国民を前提にしたシナリオを描くしか生き残りの道はなくなってきた。
2011年も、活路は見いだせないだろう。
負け組国民は難民化し、新たな負担となって重荷になるはずだ。
商品化レベルに至らない女性及び商品化の末在庫になった女性には、逃げ込む場所が必要となる。
具体的に言うと、ブサイクとババアには、女性としての商品価値がない。
逆の言い方になるが、これはかなり有利だ。もともとカラダで勝負していないということは有利なのだ。飽きが来ない。
街中でケツを撫で回されながらデートしている女たちは、確実に捨てられる運命にある。
女とはそういうものなのだ。コーヒー同様、入れたては香りを楽しめるが、だんだん冷めてきて不味くなる。
デートの際に、ケツを触りたがる男もコーヒー党なのだ。つまり、ケツが目的で、その女と一緒にいるわけだ。
デート中にケツを撫で回されたら、いずれ捨てられる、この法則は覚えておいたほうがよい。
なぜ、シリを撫で回される女は、寿命が短いのかというと、非常に簡単な話である。
特定の女の肉体というのは、数ヶ月で鮮度が落ちるからであり、デート中でさえ触りまくられている女は、他に魅力がないからなされるがままであるから、さらに寿命が早く終わる。
だから捨てられる。
所詮、シリだけの女といえる。何のために生まれてきたかというと、男たちの慰め者なのだ。
最近は、こういう女が急激に増えている。完全に最低レベルの底辺人種だ。
どんな男に出会おうとも、必ず3年以内に捨てられてしまう。
AV女優は、約2~3万人いるといわれている。AV女優ではないけれども、プロダクションに所属しているタレントも含めると、10万人くらいにはなるだろう。
みんなエンターテイメント世界に生きて、ラクにカネを稼ぎ、できれば有名になりたい人種だ。
中には、ワケあってやっておられる女性もいるだろうが、大概はラクそうだしチヤホヤされたくてやっているのだろう。
ほんの一握りのタレントは有名になるが、その他のザコたちは、事務所にイイトコ取りされてポイ捨てなのが現実といえる。
簡単に、売春(AVが売春かどうかは議論あるところだが)やストリップで稼ごうとしても、今や中間搾取されてしまい、たいした実入りはないのだ。
もちろん、風俗の中間搾取も小さくない。
いわば、数十万人の女性は大損状態なのだ。しかも、日増しに価値は低落している。
次々と新鮮な女性が、参入してくるから、タレント寿命も短い。
悪くない商売だとしても、これではやってるほうは割が合わないだろう。
もう少し戦略を練るべきだった。女性は全滅に近い。
経済環境の低落とともに、女たちはなかなか良い男性に巡り会えなくなってきた。
同時に、見かけだけの恋愛行為が横行し、競って体を提供する流れになり、ますます価値を失いつつある。
その結果、行き場のない男女が増え、互いに信頼しあう関係が築けなくなってしまった。
仮想恋愛で食いつなぐうちに、年齢が行き、そして孤独と裏切りの戦いを繰り返す。
もう男女ともに、渇き果てヘトヘト状態なのだ。
一見、良好にみえるカップルさえも、影で爆弾を抱え、潜在的破綻者が多い。
これがわずか20年間、欲望を求め続けた末に待っていた現実だ。
若者たちは食い物にされるばかりで、身も心も汚れ果てた。
女性の汚れと経済の低迷について、その因果関係をいう者はいない。
たしかに、証明は不可能だろう。
しかし、バブルに端を発する女性たちの貞操崩壊は、男性たちを狂喜乱舞させた後、萎えさせてしまった。
食い荒らさた女性市場は、荒野と化し、エロビジネス業者が使い回す場所と変貌している。
女性の商品価値が消滅する30歳すぎには、役割を終えた孤独が待ち受けている。
最大の容疑者は、テレビ局と女性雑誌だ。
浮かれた女たちは、うつ病や性病、レイプ、堕胎を経験しながら、最後には傷ついた。
転げ落ちる人々は、過去を隠し合い、今なお騙し合って生きている。
日本は、宴を終え、これから老人社会へ向かう。資金は使い果たし、借金大国に冬が到来する。
男たちは何を得たのだろう。
かつて百人切りと言われた性豪の勲章は、いまや千人切りの時代に突入した。
一人の男性が、千人の女性たちを抱く時代。
風俗嬢を50人抱き、援交学生を50人抱き、出会い系主婦やOLを50人抱けば、7年間で1000人を超える。
けして不可能な数字ではなくなった。
どうせ、ピュアで新品の女なんて、もう手に入らないし、ひょっとしたら騙されるかもしれないのなら、稼いだカネを刹那的に使う。
男たちも傷ついた。
傷ついた心を癒やすために、疑似恋愛を試す。彼女を作れば無料だし、飽きたら捨てるだけの話だ。
男たちは、傷つかずに楽しむ方法を手に入れたともいえる。
しかし、そこには愛情は存在しない。
愛情を捨てた代わりに、快楽を得たのだ。
女たちは、自分のカラダを金に変える術を手に入れた。
一方、男たちは金で快楽を得ることが簡単にできるようになった。
結果として、男女の恋愛スタイルは様変わりした。
一つは、恋愛そのものが激減した。
一つは、短期的になった。
女たちは、そうした自由恋愛を楽しんでいるが、男たちは本気で対処しなくなっているし、その結末は、30代半ばになって判明する。
女たちの実態を世間が認識したことで、一生涯支え合うことが減ってきている。
経済環境がこれに拍車をかけ、ますます男たちは女を避ける動きとなっている。
秘密のベールに包まれていた女たちの正体は、完全に明らかになったのだ。
明らかになった途端、女を商品や道具として扱う男たちが増え、男女間の愛情の絆は消滅した。
女たちは、男を信用できなくなった。心のどこかで信用しきれていない。
だから、傷つくのを恐れて、深入りを避けようとするところがある。
人によっては、もはや男なしの人生を歩む決意をしてしまう。
特に、30才前後の頃は、この自由空間と一人になれる時間が何ものにも代えられないほど楽しくなるのだ。
そうなってくると、わざわざ拘束を受けるような恋愛や結婚など、面倒になってしまう。
それは構わない。構わないけれども、時間はどんどん過ぎていく。
やがて彼女たちは、40になり50になる。考えたくはないけれど、そうなったとき、自分で生きていかなければならないのだ。
そのときが一番心配なのだ。
もう一つのパターンは、ダラダラと男性と付き合い続けるパターンだ。
この場合の女性は、確固たる結婚願望がある。
しかし、いつになっても結婚はできない。妊娠するしか方法はない。
三年も、五年も、十年も、一緒にいながら、結婚してもらえない。
この駆け引きは、もはや泥沼化しているといえる。
女は結婚を求め、男は家政婦兼慰安婦を求める。
つまり、男性側は本心を言えば、相手の女のことが好きではないのだ。身を投げ打って支えたくないのだ。
だからダラダラする。
ダラダラ型男性に対応する女性は、なかなか攻め込めない。
一方で、だんだんと老化は進む。切り札のカラダはとっくに使い果たした。
長引けば長引くほど、事態は悪化する。
男性は、根比べに持ち込み、女性側から別れ話が持ち出されるまで待つ。
『無料家政婦・無料売春婦』
いいところだけを吹い取られて、老化が進んだら捨てられる。
40すぎで、一人ぼっちになる女性たち。奉仕し続け、疲れ果てて、一人ぼっちになる。
もっと早く気づくべきだった。利用されているだけだということに。
あまりに長いダラダラ期間中に、彼氏を裏切る女たちも増えた。
ダラダラ期間中に、二股をする女たち。
いや、二股に限らない。そこら中にツバをつけまくる。
女も、時間がなくなってくるから必死になる。もうポリシーも、好みも、どこかへ吹き飛ぶ。
手当たり次第だ。
だから、荒れる。気持ちも荒れるし、カラダも荒れる。
まさに、人生の失敗作としては代表的パターンといえる。
30代の半ばになると、見苦しい女たちがさまよう。
自立しか道がない女性は、日増しに増えているけれど、それも時代の移り変わりだと思うしかない。
もともと女は狭く深く生活圏を守る動物だった。それが、男同様に、広く浅く外にでて戦うようになりつつある。
酔っ払い防止法という法律がある。酔っ払いから女や子供を守るために制定された。しかし、今や女性の酔っ払いが激増中だという。
かくして女は、30半ばにしてオヤジになる。
女がオヤジになれば、男はレディ化する。つまり、オスとメスの中間的な性が発生するのだ。
全体からみれば、まだまだ比率は小さいが、次第に人類は変貌を遂げるだろう。
中間性は、おそらく最もポピュラーな性になると思う。オヤジっぽい女としとやかな男が、主体となるのだ。
そして、女らしい女と男っぽい男は、性的な道具の役割を果たす。
生活は個人を主体とし、繰り広げられるだろう。
あと10年か20年で、中間性が半数に達し、歴然たる女や男は、商品化するのだ。
あと20年経つと、信じられないことが起きる。
男の半数、女の半数が、中間性となるのだ。
中間性とは、レディ化した男とオヤジ化した女のことだ。
彼ら、彼女たちは、単身者として自由に生きる。結婚などしない。自分中心に生きる。
レディ化した男性というと、女っぽいイメージを持つかもしれないが、それだけではなく、女や子供を扶養しないという意味だ。
いわゆる単身者がウヨウヨする時代が到来することになる。
こうした単身者たちは、自分だけを信じている。自分の時間が最も大切であり、コミュニケーションを避ける人種となる。
小型のPCが必需品となり、異性を必要とするときは、マネーで購入する。
拘束を嫌う人間が増える。
生涯を一人の異性のために捧げる生き方は、次第に減少していき、自分の自由を優先する人間が増える。
もちろん恋愛は、若いときにはするだろう。ちょうど、スポーツ(部活)をやるように、学生時代だけ恋愛を楽しむ。
社会に出ると、結婚を避け、そこそこの仕事を無理せずこなす。
恋愛は、擬似的な恋愛レジャーを利用する。性欲処理は、プロのエロ職人を活用する。
中間性はマネーで、なんでも解決するのだ。
男性らしい男性・女性らしい女性は、マネーで商品として扱われるエンターテイメント人間となるだろう。
中間性の中には、男系中間性と女系中間性が存在している。結婚こそしないが共同生活はする。
互いに束縛を嫌い、責任を担うことを避けているだけである。
ただし、相手を心の底で信用していない。だから、一定の距離感を保って付き合う。実際、性的な部分は、プロを利用している。
現在の仮面夫婦とは、こうした人間関係の始まりというか、原始パターンともいえるのだ。
仮面なら仮面と認識し、自慰をするように隠れてプロのエロ職人を利用するのが当たり前になる。
現在の不倫族も、いずれは市民権を得てしまう。仮面夫婦も当たり前になる。ヤリマンもチャラ男も生存圏を確保する。
欲望のエスカレートを誰も止めないから、結局、そういう時代がやってくる。
なあんて空想を思い巡らせていると、あることに気づく。
それは、現在われわれが持っている既成概念だ。
つまり、今は、今現在も変化を続けているという事実。
人間の感情と欲望は、マネー価値を通じて、現実化されていき、次第に時代を変貌させていくのだ。
古い考え方は、しばらくすると通用しなくなり、新しい常識を生む。
いつの世も『昔はよかった』と言いつつ、新しい時代の波に飲み込まれていき、古い人間は消えていく。
だから、否定してもムダなのだ。自分の既成概念は、昔は正しかったかもしれないが、今は通用しない。
時代が快適に向かうか、破綻に向かうかの責任は、次世代に引き継がれるのである。
『昔はよかった』とかく人間は、過去の都合のよい部分をつまみ出して、今現在と比較したがる。
『昔の女性に比べると、今の女性は…』となる。そうなるのは当然なのだ。
しかも、その変化スピードは比べものにならないほど急加速している。
古い人間は、さらに追いついていけなくなる。だから『昔はよかった』となる。
では、カルチャーショックにどう対処すべきなのだろうか?
それは、洞察力だ。
近い将来を予測する能力を養うこと。近い将来を描き、自分がどうすべきかを予め想定することが必要なのだ。
繰り返しになるが、過去をいくら懐かしんでも、もう絶対に戻らない。だったら、未来に先回りするしかない。
未来に先回りできれば、現状を容認しやすいのだ。シナリオは、現状から未来へとつながっているのだから。
さて、10年後の自分が描けるだろうか。
確率分布とか、標準偏差とかの単語を聞いたことがあるだろうか。
ばらつきを調べる統計学用語である。
社会の統制がきつければ、社会は同じような人間を作る。
社会の自由性が強ければ、様々な人間を作る。
世界は今、後者の流れにある。人間の性質がばらついているのである。
多種類の性質に分布していて、ヒトくくりにしにくくなっている。
そうなると、次第にトラブルや衝突も増える。それだけそれぞれの考え方が異なるからだ。
過去のように『そのくらいガマンしなさい』という常識論が通じなくなっている。
そして、人は、トラブルや衝突を避けて、コミュニケーション能力を低下させつつある。
だから、PCに頼るし、バーチャルを好む。
この流れは、もう止まらない。地域コミュニティーの復活はない。家族や友人との絆に関しても、今以上に深いつながりは復活しえない。
つまり、孤独というキーワードが浮上する。
孤独志向型の人間社会は、パワーの結集が難しいため、まとまりが得にくい。
つまり個人技の世界といえる。個人技であれば、やれることには限りがある。だから、狭い領域で特殊なスキルを身につけることとなる。
ということは、特殊なスキルをいかにして準備するかの勝負となる。
これからは、学歴はアテにはならない。塾に通っても意味がない。
大企業はもう大量採用はしないし、高齢者には有利な仕事など回って来ないだろう。
世の中にはモノが溢れ、生産品は淘汰と改良が繰り返されて、利益を再投資しなければ競争に負けてしまう。しかも人口は減少するばかりなのだ。
孤独志向型人間が選ぶ道は、意外と面白い。
だから、大企業志向を捨てて、職人志向を強化すべきなのだ。
地方都市に行ってみると愕然とする。全く、活力が感じられないのだ。
東京のど真ん中にいると、全然わからないが、地方は大変な寂しさが漂っている。
地方に大企業の恩恵はない。せいぜい地元叩き上げの数少ない企業が頑張っているのみだろう。
しかも、日本全国どの都市も似たり寄ったりで、駅前は一様に廃れている。
街なかは、人通りが少なく、老人ばかりだ。こうなってくると、もはやゴーストタウンに近い。
再生しようにも、カネはないし、若い人もいない。郊外店舗とのツブシ合いや新幹線の停車駅との分散化も進む。
とにかく、どれもこれもハズレ状態のまま、廃れ続けているのだ。
で、何を言いたいかというと、今回は経済問題ではない。
治安問題である。
日本は世界有数の、いや世界最高に安全な国家だ。この価値が危ない。
治安不安、これも新しいキーワードになっていくと考えられる。
いま相談所を訪れるレイプ被害者が増加しているらしい。
どんな女性たちが、どんな状況で、レイプ被害に遭うのかは知らないが、これもAVやエロゲーの影響だろう。
不倫捜査を依頼すると、依頼先の探偵から、ゆすられたりもするらしい。
出会い系は、まさに犯罪者の巣窟だと言われているし、どこに落とし穴が待っているかわからない。
マネーとオンナは、欲望のネタだから、素人がふらふらっと近づくと痛い目に遭いやすい。
いままでのように、マネーパワーにモノを言わせて手込めにするのではなく、最近は暴力や詐欺や謀略が目立ってきている。
要するに、遊び場とか、猟場を間違えると危険が待ち受けているわけだ。
普通の恋人同士や夫婦が騙し合う世の中だから、当然ながら他人はもっと危ない。
防犯というキーワードを忘れてはならない。
ただ、最近は『男から襲われた』と聞くと、一方的に男が悪いとは考えなくなってきている。
『どうせ、ヤリマンでしょ』という反応が半分入るのである。
ときどき飲み会絡みの集団レイプ事件が起きるが、掲示板などの書き込みをみると、被害女性が叩かれていることがある。
集団レイプなどというと、凶悪犯罪だから、どう考えても男性たちが悪いわけなのに、たった一人の女の子が悪者に見られるのは異様だ。
それくらい女性に対する世間の見方は変わってきていると思ってよい。
そして、実際に民事示談になったりする。
要は、カネを払って、レイプ遊びをしたという結末となる。
乱れすぎていて、犯罪と乱交の区別がつきにくいのだろう。
被害女性が、あろうことか『どうせロクな女じゃないんだろな』と連想されるなんて、普通はあり得ない。
しかし巨大掲示板には、『ざまあ』とか『メシウマ』書き込まれてしまう。
この背景には、それだけ好き者の女性が増えたせいもあるが、その他にもいろいろな要因がある。
例えば、人の痛みを感じない人が増えたとか、女性に対して恨みを持つ人が増えたとかだ。
そう考えると、女性に対する世間の持つイメージは随分と冷ややかになったものである。
たしかに、カレーに毒を入れたり、練炭火鉢で中毒死させたりと、女性犯罪者も増えているから仕方ない。
だからといって、女性にはレイプ願望があって、みんな密かに襲われるのを期待しているかというと、それはあまりに短絡的すぎる。
イメージが悪化し始めると、一部が全部になってしまう怖さがあるのだ。
おしとやかな女性は、同一視されることで、想像以上のダメージを受けているのだと思う。
自由社会が進むと、実にさまざまな人間が生息するようになる。
思いもよらぬスタンスを持つ人間が、どこにでも潜んでいる。
しかも、その変わり者をうかつに批判することがやりにくい。
一応、道徳とか倫理というカルチャーが機能しているわけだ。
ところが、この道徳とか倫理というものは、年長者が決める。
若い人が受け入れるかどうかは不明だし、そもそも若い人が形成したカルチャーに対しては後手となる。
そのため学校が一定の役割を果たすのが昔のパターンであった。ところが、これまた父兄会の圧力が学校を無力化させている。
ならばマスコミはどうか。マスコミはむしろ、市民に迎合する。
マスコミ業界は、給料がよいためカネが好きな人間が集まっているだけのクズ集団なのだ。
そんなわけで、自由社会の進行に対する、調節機能を担うものが不在といえる。
ブレーキのかけ過ぎかスピードの出し過ぎかの判断や調節は、現実問題として難しい。
実際、人間には理性というものが備わっているけれど、これも人によってバラバラなところがある。
従って、統一を図るのは不可能である。
つまり、倫理や道徳を説く場所も不在だし、理性をコントロールすることもできないのが現代なのだ。
ということは、はみ出し人間が増える。はみ出し人間が増えると、倫理や道徳を外す。
加速度的に時代が変わっていく背景には、こうした要因が働いている。
日本が僅か20年で没落したのは、そんな理由による。
今後も、目立った人間は、現れてはすぐに叩かれて消えるか、実力を発揮できずに消えるはずだ。
だから、目立ってはいけない。目立たない幸福を追求するのが正解である。
最も安全な方法論を見いだすとすれば、弱者と組むこと。
S男性ならば、M女。
S女性ならば、M男。
ノーマル人間も含めて、M人間を探すのがコツといえる。
M人間は、被虐的だから裏切らない。耐え続ける。
裏切り行為が平然とできるのは、S人間なのだ。
世の中は、誰かが我慢して成り立っている。我慢できるのは、数少ないM人間だけだ。
だから、基本的には、S男性とM女性の組み合わせが、古典的には成功確率が高かった。
ところが、女性の社会進出のせいなのか、女性に占めるM女性が減少し、男性側の成功確率が低下している。
逆に、男性に占めるM男性が増加し、女性側の成功確率が上がったかというと、女性はこれに失敗した。男性が逃げ出したからだ。
しかし、女性側からみたら、M男性探しは、実は幸福のための最高のサクセスストーリーなのだ。
M人間とは、被虐的という意味もあるけれど、簡単に言えば、我慢強い人。
我慢ができない人は、かなり多い。ワガママで、自分本位な人だらけだから、社会は崩壊した。
ある意味で、日本のお手本はアメリカだったから、日本の人間作りの基本方針は自由と個性だったのだ。
だから、身勝手な人間だらけになった。
もう少しバランスがとれていればよかったが、権利意識ばかりを主張し、自分の無能を棚に上げて好き放題に振る舞う人間だらけになった。
おかげで、大没落の始末だが、まだ日本人はそれに気づいてはいない。
そんなわけで、M人間は大変貴重なのだ。
全体にワガママ人間が多いのには、マスコミの影響が大きい。
日本のマスコミは、とにかく贅沢を煽る。スポンサーは商売だからやむを得ないが、テレビや新聞は広告倫理が緩い。
そのため快適生活が標準化されていて、庶民も背伸びしつつ消費を積み上げる。
経済学的にいえば悪いことではないが、一度こびりついた贅沢は抜けないから、落伍者には厳しい現実が待っている。
社会が煽れば煽るほど、庶民が無理をする構造は、ついて来れなくなる庶民を次々と生み出す。
庶民はそれがイヤだから、カネのある人間にくっつこうとする。
自由経済の宿命として、カネを持つ人間がエラくて、貧乏人は惨めという公式はこうして出来上がっていく。
つまり、テレビに公共性がないのが原因なのだ。といっても、貧乏庶民向けテレビ局というコンセプトは成立しない。
日本人はみんなカネが好きだからだ。
カネが欲しいというと、なんだか賤しい人間に聞こえる。
たしかに、不必要にカネを持ったからといって幸福にはならない。しかし、邪魔にもならないのがカネだ。
カネの稼ぎ方は、人生そのものだから、実はそちらのほうが重要なのだが、日本においては、稼ぎ方よりも稼ぐ額のほうが重要視される。
だから、仕事が乱れる。仕事が乱れるから、客も乱れる。
ここまでくると、手段を選ばず、カネを稼いだヤツが勝ちみたいな価値観が形成される。
クスリを捌こうが、カラダを売ろうが、盗みをしようが、詐欺をしようが、ダマすヤツが利口で、ダマされるヤツが馬鹿という図式となる。
自由経済だから、理念がなければ、そういう競争になりがちなのだ。
日本は、親不在、学校不在、マスコミ不在なので、宗教的なものに頼るしかない。しかし、宗教家は詐欺師ときてる。
欲望エスカレートに、ブレーキはかからない。
さて、カネは欲しいが不景気ときたら、どうすればよいのだろう。
当然、善人は節約を考える。食費、衣服費、交際費、娯楽費がその中心といえる。
人生でカネがかかるものといえば、持ち家の購入だろうか、子供の教育費だろうか、車の購入・維持費だろうか、いやどれも不正解である。
最大のコストは、『女』なのだ。
女を養えば、家も子供も車もいろいろ必要になるから、『女』問題を解決してしまえば、最大の効果を得られる。
しかも、現代の女は、自分専用ではなくなったし、自分を裏切る可能性が高まっている。さらに、実態が表面化して夢がなくなった。
この『女』という呪縛から解放されれば、人生は豊かになる確率が高いのである。
かといって、女は必要不可欠な存在だから、いかに付き合っていくかが最大のテーマといえよう。
男性にとって女性が必要なときはある。女性特有の愛らしさや性的魅力、ゆったりした会話などである。
可愛くて、癒やされて、ドキドキさせられる女性は大変価値がある。
だから、女性もそれに合うような手口を用いて、男性に接近する。
ところが、それは一時的な演技にすぎない。
そんな女性の実像は、男性も認識している。しかし、一時的に騙される。
男性が、女性のことをどうみているかについて、的確に説明した文章は、いまだかつて見たことがない。
雑誌やテレビや小説においても、お目にかからない。どれもこれも一面的なものしかない。
その理由は、男性の視点が、性的なものであるからだ。
だから誰も表現しきれないのだ。
うまく言えないが、男性が見ている女性は、幻にすぎない。理知的に情緒的に整理して、女性のことをとらえていない。
つまり、男性は、常に性的に歪められる中で女性のことを考えている。
本当のことは、自分でもわからないのだ。
自分の本当の気持ちがわからなくて、よくも人を好きになれるものだと思うかもしれない。
しかし、好きになるから不思議だといえる。とりつかれたようになる。
これを性的本能といってよいのかどうかは知らないが、相手のことを知りたくなるし、振り向かせたくなる。
好きだけど、嫌いという場合もある。
全く説明がつかないわけだが、おそらくそのほとんどは、『好きではない』のだと思う。
結果的にしかわからないのである。
互いに異性は、相手のことがわからない。しかも、自分のこともわからない。
もちろん、その時その時の気持ちは、自分でわかっている。錯覚でしかないにしろ、自分のことはわかる。
しかし、どのような問題でも、ある時点での判断は不安定なものといえる。
それは、その時点での情報に基づいた判断だから仕方がない。
恋愛においては、さらに感情が加わり、判断力を鈍らせてしまう。
男性の場合は、性的な欲情が上乗せされ、異性に惹かれてしまうから、ますますもって、あやふやな決断を強いられるのだ。
従って、男性は目の前の異性のことが好きかどうか、本当の意味ではわかっていない。
一緒に暮らした後で、悔やむ男性や浮気する男性は、かなり多いことからも、彼らの決定根拠が希薄なことがわかる。
結婚制度というのは、こうした不安定な状況において、縁ある異性を一名だけ選択するものである。
ということは、相当に不合理な選択を行っていることになるわけだが、世間では、これを『運命の人』と呼んで、もっともらしく結びつけてきた。
しかし、欲望エスカレート時代が到来し、一名だけの選択制に疑問を持つ人々が増えている。
彼ら彼女たちは、この制度の枠組みだけに飽き足らない。
二股、浮気、不倫、風俗という具合に、1対1の関係を裏切るようになってきた。
こうした傾向については、何度も記載してきたので省くが、そうなると人間は、制約を失い、サルに戻るのである。
制約を失った人間は、サルである。
こうして家庭内は荒れた。浮気系だけでなく、暴力系の荒れ方も増えた。
夫婦間でもめると、当然、口論となり、女性が勝る。すると、男性の中には腕力を用いる人が出てくる。
戦後教育は、腕力を否定してきたので、だいたい男性がDV加害者となるのである。
もはやこうなると、出口は離婚しかなくなる。
暴力を否定する社会においては、男性は圧倒的に不利だ。
もともと男性が女性を養い、何か非があると責め立てられる。挙げ句、腕力が爆発、女性は被害を訴える。
男性はイイトコなしだ。
しかし、よくよく事情を聞いてみると、原因は男女双方にあったり、むしろ嫁側にあったりする。
その場合は、いわば正当防衛的な腕力の発揮となり、鉄拳制裁なのだ。
女性は、ワガママだから、ガマンが効かない。ガキと同じで、早いうちから鉄拳教育をしておかないとダメだ。
女やガキを殴れない男性は、必ず不幸になる。
女やガキを殴って、縁を切られた男性は、器量不足で自業自得だ。
つまり、殴り方というのがあるわけだ。殴るという重要な機能を捨てたら、人間社会は歪むに決まっているのだ。
弱い者を殴ると聞くと、それは許されないと感じるものである。
しかし、バカを殴るのは、必要に応じて実行しなければ教育が進まない。
学校で鉄拳制裁を否定してからというもの、ロクなガキが育たなくなった。
暴力否定の波は、家庭内にまで押し寄せ、家庭教育も成り立たなくなった。
その結果、頭の悪い母親が教育の中枢を担うこととなり、日本の家庭は崩壊した。
母親は、押さえるべきところを知らない。ガキを自由にさせるか、口うるさく教育する。
本来は、父親が鉄拳をちらつかせるからバランスのよい教育が成り立つのであるが、父親がこれまた優しい。
学校は荒れ、家庭が荒れて当たり前なのだ。学校と家庭が荒れれば、イジメが増え、子供たちが荒れる。
そして、地域が荒れた。地域のコミュニケーションは消失し、日本全体が変わった。
暴力機能というのは、使い方が難しいが、使わなければ大きなものを失う。
暴力というのはケンカのためにあるのではない。教育のために、人間に備わっているのだ。
学校教育で暴力を否定したら、クソガキの教育は不可能になる。
父親の暴力も同じだ。
だから、早い段階で効果的な暴力を使い、正しい教育の素地を作る必要がある。
これは核問題と似ている。世界の主要国は核を保有している。
核は暴力だ。使わないけれども、防衛上保有していて、いざという時にはファイティングポーズを構える。
戦前の日本のような独裁的国家は、本当に核を使われてしまったが、これは例外といえる。
戦前の日本は、イラクやキタと同じような国だったから、実際に核を使用された。
いわば世界のクソガキだった。キタも同じように、世界のクソガキだから、例外的に核保有を阻止される。
暴力というのは、バカが使うと困る道具なのだ。しかし、賢者は暴力を上手に使う。だから許される。
核保有問題においても、日本は独特な国となっている。平和憲法という心地よい響きが好きなのだろう。
弱い者は、イジメられないと信じているのだ。
しかし、これは女の発想だ。
暴力否定は結構だが、この論理は、残念ながらクソガキ国家には通用しない。
平和憲法の響きは、暴力否定の女性論理である。
しかし、世界の武装競争は、何もケンカのためではない。
自由主義経済は、地球の歴史において、武力戦争を経済戦争に置き換えることに成功した。
マネーは世界を駆け巡り、国境はボーダーレスとなった。
米国は、死者を生まない戦争の方法を開発し、大きな成果を上げGDP世界第一位となった。
しかし、マネーの欲望はエスカレートするしかないという特性を持っている。
豊さを競う戦争とは、言い換えれば、欲望をエスカレートさせることを意味している。
自動車、家電、コンピューター、通信機器の開発が完了した国は、国内需要が飽和し、諸外国市場を狙う。
これらの商品技術は、すぐに諸外国にも流れ、世界需要は飽和していく。
次は何か。その次は? そしてそのまた次は? 果てしないマネー戦争が続く。
その一つが、軍事力需要なのだ。
自由主義経済における武器輸出は、武力戦争のためではなく、マネー戦争のために行われている。
武器も商品である。
現代においても、紛争が絶えない地域はたくさんある。戦争には武器が必要といえる。
また、実際には戦争を行わないが、外敵威嚇のために武装したいというニーズがある。
こうした需要に応えるのが武器商人である。
マネー戦争においては、なんでも商品になる。極論をすれば、マネーそのものも商品だし、国家も商品になっている。
カネを集めたヤツが勝ちで、貧困は負けという戦争が続いている。
そうなると、仲間作りもカネ、職業選択もカネ、カネ次第で人間は動くようになる。
マネー戦争は死者こそ出さないが、貧困層を生み出す宿命にある。
そして、人類は新たな人格を形成していくのである。
経済行為が一種の戦争だとするならば、富と貧困を生み出す。
富は、商品やサービスや資源の売買取引により移動するから、有利な条件で取引しなければ、勝てない。
そこで、事前に相手他国の国債を購入したり、寄付をしたり、技術協力をしたりして、予め恩を売る。
相手国が育てば、有利な経済取引を行うための準備なのだ。
日本人は、お人好しなので、その辺がヘタクソだと言われる。
だから、カネをたかられて忘れられてしまう。いわば、金持ちのボンボンみたいなものだ。
マネー戦争においては、ドライな行為が不可欠なのだ。
日本人は、狭い島国に住んでいるので、他人から嫌われたくないという心理が強い。
変に愛想笑いをする国民なので、外国人から見たら、ヘラヘラして気持ち悪いという。
愛想笑いというのは、コミュニケーションの潤滑油のつもりなのだが、見る人によっては、詐欺師みたいに見えるのかもしれない。
善人といえば善人なのだろう。日本人男性は、そういう外交しかできない。
女性に対しても、優しい男性が増えた。日本は、病的なほど女性を大切にする国なので、男性は優しい。
優しいから我慢ばかりする。我慢ばかりしていると、限界点に達したときには爆発する。
男性が女性を守る時代は、とっくに終わっているのに、男性というのはお人好しなのだ。
男性に、外交や恋愛をさせてもダメだろう。
ズル賢い駆け引きは、なんといっても女性のほうが、数段優れている。
こうして、暴力を禁じ手にされ、優しいことを求められた男性たちは、黙々と労働に励む。
優しいばかりで刺激のない男性は、魅力もない。だから、女は別の世界に刺激を求める。
亭主は、働いて現金を稼ぐ。家に帰ると、生かさず殺さず、持ち上げられて、住宅ローンと教育費に苦しめられ、定年退職へと向かう。
優しい男性たちは、次第に老化していく。職場の友人とも縁が薄くなっていく。
子供たちには、子供たちの生活があるのに、周辺をうろつき、口を出しては嫌われる。
役に立たない男親は、孤立した優しい男だ。もう稼ぎはない。
使い古しのポンコツ男は、愛する妻とはもうかれこれ15年間はセックスをしていない。
絵に描いたような有意義な人生とは、このようなものを言うらしい。
男たちは、奴隷となり働く。稼いだカネは、せっせと家庭に運ぶ。
カワイイ妻と娘たちを養うために40年という人生の半分を費やす。
戦いを避け、逃げ回って40年間を生き延びなければならない。
父親としての義務だからだ。
彼らを働かせているのは、一部の強い男性たちと家庭で待つ女と子供たち。
その間は、親のことも忘れて働く。妻と娘たちが生きがいなのだ。
彼が60才を過ぎた頃、娘たちは独立してもういない。妻との会話は少なくなり、心からやりたいこともない。
ふと、親を思い出す。
社会の役割を終えた親たち同様の自分に気づくのだ。
男たちは、60才を迎えボロボロになった。元気なつもりでも、若い頃とは違う。
会社を辞めれば、部下もいない。
洗濯物を取り込んでみる。どこへ収納すればよいのかわからない。
風呂を洗ってみる。ズボンの裾はビショビショになった。
ゴミ箱やげた箱、タオル置き場、トイレットペーパーの買い置き、歯磨きの場所、自分の知らない生活に直面する。
味噌汁の具を考えている自分がいる。どれもこれも初心者の自分。
妻は、平等な負担を要求する。女は、隙間を見つけたら逃がさない。
男性の余命まで、まだ20年以上残っているのだ。
酒のせいで溜め込んだ無駄なウエストは90センチに近い。
よく使い捨ての女性がいる。付き合っても付き合っても、男は逃げてしまう。
捨てられ続ける恋愛。
ヤリマンであり、公衆便所であり、中古女と言われる。
男たちは『愛しているよ』と耳元で囁くが、半年もしたら姿を消している。
男たちが愛したのは、肉体という物体だけだ。その証拠に30代も半ばになると、捨てられるサイクルが短くなる。
セックス用の女性。
しかし、こんなことくらいで挫けてはならない。男たちは、生涯をATMとして利用される。
公衆便所と言われるくらい何でもない。40年間を利用され続けることに比べたら、痛くも痒くもない。
優しい男と優しい女は、常に不幸なのだ。
優しい男と優しい女は、それでも『幸せだった』と、つぶやく。
邪魔者扱いされるほどツライものはない。いないほうがマシと言われているのに等しい。
しかし、反撃しようにもそういう事態に陥れば、反撃のしようがなくなる。
黙って空気のように過ごすか、消えてしまうしかないような局面となる。
頼りにされる要素がなくなる。
重要な機能を失うと、周囲の反応は様変わりしてしまう。
誰からも頼りにされないならば、一人で楽しむしかない。
発言力がないのなら、発言せずに会話をしなければよい。
マネー社会は、非情だ。価値がなくなれば、孤独が待っている。
運が悪いのではなく、みんなそうなる。
昔は、優しい老人が助けてくれた。孤独な人間にも社会が手をさしのべた。
だが、いまは、違う。
老人は変わった。弱い老人は自分自体が孤独だ。
女が強くなったせいで、大半の男と大半の老人と半数の女は孤独に陥った。
優しい人間は、みんな孤独に押しやられる。
優しい人たちは、初めて、唆(そそのか)されていたことに気づく。
女たちが一様に『優しい人が好き』と言っていたのを思い出す。
女が『優しい男性が好き』というのは、男性を利用したいという潜在意識がそう言わせる。
暴力などもってのほかだし、反抗も許さない。黙ってカネを運び、自分を幸福にせよ、つまりそういう意味だ。
実際は、女たちはそんな男が好きではない。結婚相手として、都合がよいだけなのだ。
男はバカだから、みんな優しい男性になりきった。我も我もと優しい男性を目指した。
それがモテる道だと、信じた。
ところが、本当に女たちが好きなのは、そんな単純な男ではない。
自分をチヤホヤしてくれるスケベで遊び慣れた男がよいのだ。
男たちは、何十年も騙され続ける。
『優しい男性が好き』というのは、女が男を選別するときに限った話ではない。
我々も友人を作るときには、必ず選別基準を働かせている。
人間関係とは、一方的では窮屈だから、持ちつ持たれつが心地よい。
それを意識するかしないかは別として、打算的にならざるを得ない。
ということは、このバランスが崩れるとき、人間関係も崩れ始める。
用済みになる。
これまでの優位劣位の関係が逆転して、人間関係が引き続き良好であり続けることは難しい。
亭主の定年退職は、その最たる典型例である。
熟年離婚が増えている背景には、人間関係の変化がある。
妻が、我慢できないのだ。働かない亭主が、くしゃみをしただけで、全身に虫酸が走る。
そういう生理を人間は、備えてしまったのだ。
男の典型例が、定年退職だとしたら、女の典型例は老化であろう。
女は老化してしまうと、母親を除き、社会の老廃物と化す。
従来は、それでも妻を見放しはしないのが男性たちの生き方であったし、女はグングンとパワーをつけて老化した。
だから、なんとかなっていた。
しかし、これからはわからない。これからのキーワードは『孤独』だ。
男たちも、老化した妻を躊躇なく捨てるときが来るかもしれない。
もちろん、妻がまだ若い亭主に見切りをつけるケースだって増えている。
亭主を働かせておいて、妻はもっと満足できそうな男を探す。
離婚して乗り換えるパターンは、珍しくなくなっている。
結婚は維持しつつ、働かせておいて、不足部分を他の男性で補う女もいる。
つまり、何でもアリになりかけている。
結婚する選択もあれば、結婚しない選択もあり、結婚したまま他で補う選択もあるし、離婚して乗り換える選択もある。
とにかく、30半ばまでに落ち着き所を決めなければ、老化が始まってしまう。
そうして、ベストな状態を確保して、人生の後半に突入する。
女たちにも、生活がかかっているのだ。
これだけAVが氾濫していると、AVの見すぎ男性が当たり前になる。
すると、AVで行われていることが、次第に標準化していく。
既に、カネさえ出せば、たいていのことはできる時代が到来している。
これからは女性も、願望を実現させることが一般化するだろう。
もともと、女性はセックスの相手を選ぶことが容易だから、ブームが到来すればかなり盛り上がるだろう。
芸能人やスポーツマンなどの副業となるかもしれないし、貧乏学生のアルバイトになるかもしれない。
優しいセックス、激しいセックス、男性に囲まれてのセックス、若いイケメンとのセックス。
女たちも、低価格で好きなように楽しむ時代になるだろう。
女が男を買う価格は、驚くほど安い。
ママたちは、千円かそこらで、激しく突きまくられて、野獣のように汗まみれになる。
ストレスはすっかり発散できる。
ママにしてみれば、気分転換になる。仕事で疲れた亭主とのセックスは、ワンパターンだ。
20代男たちは、筋肉が張り、肌も美しい。セックスの才能があり、もてなしを覚えた青年は、毎日3~5人くらいは応対できる。
甘い青年もいれば、筋肉の塊のような青年もいて、希望すれば複数を呼べる。
老化の始まった使い捨てされた女性たちやレスとなった妻たちは、こうしたショップで洗練したサービスを受ける。
セックスの才能は、従来はおおっぴらには注目されない分野であった。
しかし、セックス技術はそれなりの価値があるから、そんな時代がすぐに到来しておかしくない。
『女性ホルモンの分泌を活発化させ、若さを保つ』セックスエステの広告だ。
亭主は、イヤな顔をするが、文句を言えば、理解のない男だと非難される。
男で風俗を利用する割合は九割以上だろうから、そういう意味でも文句は言えない。
女は、一度でも誘い合わせて、他の男を経験すれば、殻は外れる。
紹介クーポンがママ友の間で、やり取りされ、スポーツとエステと若い男がセッティングされれば、広まっていくだろう。
問題は、清潔感をどう演出するかにかかっている。挿入を好まない女性も多い。若い男が恥ずかしがるのを見たいというニーズもあるだろう。
風俗を堪能するとわかるが、何度か『指名』をすると、情が湧いてくる。
好みの男の子や素敵な紳士を3人くらいヒイキにしてやれば、とても癒やさるだろう。
射精をさせずに奉仕させる遊びや、代わる代わる舐めさせる遊びや、見せつけて他の男性と楽しむ遊びなど、女性向けのプレイが開発されるだろう。
欲望はエスカレートしていく。一度、脳に刻み込まれた快楽は、けっして消去することはできない。
中性的人間が増加していき、同時に単身者が主流になった現在、人間の在り方は急速に変化を続けている。
人間同士のコミュニケーションは、極端に希薄化し、マネーのやり取りによって隙間を埋めるようになった。
こうした単身者カルチャーは、夫婦間や親子間にも入り込み、家族が二面性を持つ時代がやってきている。
人間は、拒絶されたり、無視されたり、反抗されたり、裏切られたりすることを恐れ、余計なコミュニケーションを取らなくなった。
また、失うと深い悲しみに陥るような大切な気持ちは、最初から保有しないことを身につけた。
傷つくことがイヤなのだ。
『孤独』への挑戦が始まっている。
コミュニケーションの希薄化が急加速している。
それを補う科学が、代わって登場した。インターネット、携帯電話を始め、3D映像やブルーレイ映像、セカンドライフなどのバーチャルゲーム、出会い系サイト、SNS、ツイッターなど目白押しだ。
つまり、リアルに人と人が相対さずとも、あたかも現実のような感覚を味わうことができる。
おそらく次世代の人類は、傷つくことを嫌い、仮想自分を作成して、他人と交わることになるだろう。
これなら、ケガもしないし、困ったらリセットしてトンズラできる。
まあ、オーバーな空想ではあるが、少なくとも現在の延長線上にはそういう世界が待っている。
そうなれば、人間はブサイクであろうが、貧乏であろうが、恋愛が自在にできる。
恋愛は日々のメニューで選択できるから、スピード感を持って展開するだろう。
こうして人類は『孤独』に立ち向かうはずだ。
恐ろしい事態も錯綜するだろう。
バーチャル世界は無責任だ。リアルな義務から逃げ回る。
インターネットは、もともとは米軍が情報伝達スピードを向上させる目的で開発された。
しかし、いまやゲリラにとっての有力な伝達手段になっている。皮肉な話だ。
中東のテロリスト集団・アルカイダもインターネットを活用して布教活動を強化している。
自爆テロの志願者が、次々と現れて大成功を収めているのだ。
米国や英国の国防総省は完全に後手に回り、バーチャルな洗脳活動を食い止めることができない。
仮想世界は新たな文明をもたらすだろう。
人類は暴力を否定したときから、頭脳ファイトを進展させている。
頭脳暴力は、小さな悪魔だろうが、非力な女性だろうが、巨大な犯罪を可能にする。
リアル世界とバーチャル世界の使い分けによって、これからの男女は、欲望を追求していく。
すでに、男性の場合は、2次元コンテンツをはじめとしたツールを生活に取り入れている若者も多い。
問題は、女性のほうだ。女性の欲望は、男性とはかなり異なる。
単に、視覚的な興奮とか、肉体的な刺激とかを求めてはいないので、そこが難しい。
リアルで感情のやりとりを重ねるうちに、気持ちが高まってくるというのが、女性の興奮なのだ。
女性にもいろいろあって、軽薄な女性から慎重な女性まで、一様ではない。
男性の場合ならば、とりあえず精液が日々溜まるので、排泄が伴う分、わかりやすい。
女性は生理の周期に沿って、あるいは出産との兼ね合いで、あるいは年齢によって、性欲が高まったり、無縁だったりする。
また、男性とは違って、性欲を隠すため、表立った行動をとらない。
あくまでも、秘密主義に徹するのだ。
そういう意味では、バーチャル世界やクローズなリアル世界は、一部の女性に利用されそうではある。
誰もが女性を癒せるわけではない点が難しいのだ。
女性向けのデリ男は、おそらく特定のお気に入り男性になるだろう。
カフェやバーで幾度かの応対を重ね選出されたお気に入り男が好ましい。
また、男性向けのように写真指名か、できれば奴隷売買のような男性オークションがあったほうがよい。
バーやカフェのカウンター内に並んでいてもよい。女性は、黙って飲食をしながら、そのうちの誰かを決定して、ボックス席へ移る。
会話をしながら、体格やスタイル、性器、声などを確かめる。
男性は指名されるように、感じよく応対する。
お気に入りができたら、来店のたびに指名して、必要ならば店外デートにエスコートさせるのだ。
つまり、女性はやれれば誰でもよいのではないところが、男性とは決定的に異なる。
女性の場合は、相手の男性から何かを感じ取ることに最大の目的があるのだ。
だから、それは例えば、自分の魅力でその気にさせたとか、特別扱いをされているとか、そういう別格になることを夢見るのだ。
したがって、カネで買うとか、セックスをするとかが主目的ではない。
プロセスを通じて、だんだんと虜にさせていく楽しみを求めているのだ。
結果的に、男性は興奮して女性を求める。求めては拒絶され、それでもめげずに求め、その頑張りを観察して楽しむのが女なのだ。
男性からしたら、かなりアホらしいゲームだから、通常はつきあってられないが、そこはプロとして演じきらねばならない。
風俗男とは、結構大変な仕事なのだ。
女性は、求められるのを待っている。待ちながら自分も求めている。
女性の求め方は、屈折していて、素直ではない。
お気に入りができると、接近したり、ガードを緩めたりする。
そして、男が網にかかるのを粘り強く待つのだ。
相手に伝わるか伝わらないかというくらいの微弱なサインを送る。
男がこのサインに反応しなければ、『鈍感な男』ということになる。
女性というのは、こうして自分の魅力にすがりついてくる男を待っているのだ。
男は、生殖器を勃起させて求めてくる。網にかかった男は、とても悲惨だ。後には引けなくなり、なんとかモノにしたくなる。
少なくとも20年前までの女は、それができた。勃起した男を、焦らしてつなぎ止め、苦労に苦労を重ねさせた末、体を少しずつ与えた。
昨今は、違う。楽しみ方が変わった。男もそこまで頑張らない。
互いにどうでもよい関係なのだ。
微弱なサインは、基本的には、お気に入り男性に向けて発信される。
ところが、このサインを四方八方に向けて発信する女が増えた。
一本釣りではなく、投網漁だ。女性には、恋愛したいというニーズとともに、チヤホヤされたいニーズがあるからだ。
チヤホヤされたいニーズは、ややもすると女性の運命を変える。
チヤホヤされる快感は、未来永劫、脳の海馬に刻み込まれ、常にチヤホヤさせることを求め続ける。
まるで、覚せい剤の中毒患者のように、心を支配してしまう。
若い女性には、とろけるような肉体が備わっているため、チヤホヤを求めればそれなりの体験が可能になる。
この体験頻度が高まった昨今、女性にチヤホヤ体質が急増し、母にはなれなくなった。
このチヤホヤ中毒者が増えすぎないように、社会には倫理や道徳が形成されているのだ。
チヤホヤ中毒者が母になると、その家庭は多大な影響を受ける。
チヤホヤ中毒の母親が増えると、人類のDNAもに刻み込まれるのだ。
四方八方へ微弱サインを発信した結果、さらに新たな現象が起きている。
好きな男性とは、一度も付き合ったことがない女性が増えたのだ。
『告白されたから付き合った』というパターンを繰り返す女たちが多くなった。
まるで、合宿先の食事を食べさせられるだけの人生。自分の好きなものを食べたことがない女性たちがいる。
女というのは、好きでもない男とは寝ないと言われていた。
しかし、それはウソだった。突き詰めるとウソではないのだが、現在の現象をみるかぎりウソということになる。
求められたり、カネを詰まれたりすれば、誰とでも寝れるのが女なのだ。
しかも、体液を飲み込んだり、大便の付着したオヤジの肛門に舌を入れるのが女性なのだ。
男は、たいていの女とやれるが、そこまではやれない。ブヨブヨの三段腹のババアとか、ニオイの強い女とは、どうしてもやれない。
女たちの正体を、男たちは知りはじめてしまった。
7000億年昔に、ビッグバンによって宇宙が誕生してからというもの、現在も宇宙は膨張を続けている。
地球に水が溢れ、生命が誕生、生物は進化をしては絶滅し、現在にたどり着いた。
地球など、太陽のエネルギーがなければ、明日にでも閉店しなければならない星にすぎない。
たまたま生命が生息しているだけでも儲けものといえる。
生命には、オスとメスがおり、結合することで種が永続性を保つ。
そこに、倫理・道徳を持ち込んだのは文明の成果といえる。
この倫理・道徳が崩壊すれば、母親が育たないし、病気が伝染し、さらには子供が異常化する。
宇宙的な観点から言えば、すでに文明は発達しすぎ、限界点が近い。
最近の病理や自然現象をみていると、あと数百年か数千年もしたら、地球上には生物がいなくなるような気がしてくる。
ルールを破った現世代の人類は、人間としては最終形態の生物かもしれない。
一つだけ真実がある。メスは人類の宝だ。
オスにはメスを喜ばせる義務がある。メスはそれに応える母性がある。
ではなぜ、その原理が崩れ、日本の倫理・道徳が崩壊したかというと、彼女たちの親が崩壊したからだ。
彼女たちの親は、カネに踊った。貨幣経済社会の渦の中で、カネを持つ男になびいた。
親が崩れれば、子どもたちは傷つきやすい。快楽の反対で、脳の海馬に深い傷が残りやすいのだ。
カネに踊る親に育てられた子どもたちがそれだけ多いのである。
こうして貨幣を主軸とした文明は、人間を傷つけてしまった。
そういう宿命に生きる女たちは、少なくない。
親は子供よりもカネを愛した。傷ついた子供たちは、やがて大人になった。
傷ついた子供たちは、唯一の強力な武器を使って、形式的な愛を求める。
肉体だけでも愛されたいと、心が叫び続ける。愛されても、愛されても、心は埋まらない。
心は、本当の愛情を見分けてしまう。愛ではなく、寂しさを紛らわせているだけだと感じてしまう。
だから、道徳や倫理を外してまで、抱かれようとするのだ。
そういう宿命を持った女たちが増えたにすぎない。
繁栄の犠牲として、日本には大きな借金が残った。そして、母性を失いかけた女たちが残った。
男性たちは、物心がつくと、無数の女たちの裸をみる。
グラビア、テレビ、AV、ネット動画…。その数はハンパではない。
この氾濫状態の中で、それは避けられない。
男といえども、過激なエロはかなりの刺激を脳に与えられる。最近は特に衝撃的な内容のものが増えている。
そして思う。
自分の彼女は大丈夫だろうか? 妻は? 子供は? 友人は?
そう無意識に感じながら、エロに接している。エロに恩恵を受けながらも、エロに関わることを恐れる。
エロを歓迎する反面で、もう止めてほしいと感じている。
あの痛々しさは、不思議な興奮だ。人間の尊厳などない内容に、絶望を感じるのだ。
だから、軽蔑を口にしてしまう。止めてほしいという意味を込めて。
そして、また新作を探す。
多くの場合において、女性は無意識のうちに加害者となっている。
ただ、やはり多くの場合、悲鳴をあげるのは女性なのだ。
加害者なのに、悲鳴をあげる。女性とは、そういう生き物なのだが、周囲は、女性に同情する。
とりわけ、行政や学者は対症療法なので、被害数を単純に減らそうとする。
例えば、DVがそうだ。DVには、身体、性的、言葉といろいろあるが、DVに至るのは結果なのだ。
問題は、原因を探ることなのに、バカどもには結果しかみえない。
泣いてる女性だけをケアしてしまう。そんなことをしているから、非婚や離婚が増える。
DVの多くの原因は、女性の怠慢や言葉の暴力だ。
女性はもともと、受け身的に幸福を待つ。だから、幸福感が不足するとクレームを出す。
女性からのクレームの蓄積が、やがて男性のDVにつながる。
その意味では、非婚は正解だ。
『誰のおかげで生活できてると思ってるんだ』
もはや、そんなセリフを吐かせる女性は、終わりだ。
男性は、簡単にはそんなセリフは使わない。よほどの事態だから、過激にならざるを得ないだけだ。
女性は、常に自分が可愛い。愛されて当然だと考えて結婚や交際をしている。
だから、ワガママが重なっても、それが度を超しても自覚できない。すぐに日常化してしまう。
そんなとき、男性の仕事がハードだったりすると、2人の落差が最大化する。
男性は『俺はこんなに大変なのに、あの女ときたら』と考える。
女性は『私のことを全然わかってくれないのね』と考える。
客観的にみると、女性が我慢すべきなのに、現象的には、男性からの暴言や暴力となって幕引きとなる。
世の中の女性は、老化すればするほど、逞しくなって衰えを補う。
なので、中年以降は、どこの夫婦も程度の差はあるものの同様の状態に陥る。
男女の宿命といってよい。
現代の人間は豊かなため、我慢が効かないうえ、快適が当たり前になっている。
コミュニケーションにおいても、相手が優しくて当然だと考える。
要するに、自分本位であり、自分の目線が正しいと考えている。
この自分尺度は、あまりに幼稚なレベルなので、往々にして期待を裏切られてしまう。
そもそも、どういうことを優しいというのかを聞いても『すぐにメールを返してくれる人』『ドアを開けてくれる人』などとバカバカしいレベルなのだ。
優しいという意味すら理解していない。『メールとドア』ならアホでもやれる。
ところが女性たちは、本気でそう思っている。完全に、テレビや雑誌で覚えたことだ。
そんな人間たちが、社会に出たり、結婚したりしても、うまくいくはずはない。
優しさだけではない。
食事、空気、清潔さ、寝心地、座り心地、明るさなど、全てを我慢できない体質なのだ。
我慢ができず、快適さを追求しすぎると、その環境を得られない場合、ストレスとなってしまう。
簡単にいえば、美味しいものばかり食べていると、マズイものの種類が増えることになる。
また、美味しいものは限られるから、食べるものがだんだん偏っていくのだ。
快適さを求めるということは、特定の理想的状態を求めるということに等しいので、それ以外の状態を受け入れにくくしてしまう。
だから、贅沢に慣れると不幸になる。
金持ちが決まって不幸なのは、贅沢な環境で身の回りを固めてしまうせいだ。
ちょうど、貧しいクセに、ケリーバッグを購入する女性も同じだ。
ケリーバッグを買えば、その他の装飾品や洋服、靴も揃えなければならなくなる。
また、毎日そのレベルを維持するためには、大変な費用がかかるし、車も高級車が必要になる。
過剰な清潔人間は、花粉症に陥る。
快適さを求めすぎた人間は、あらゆる場面で『花粉症状態』になってしまうのだ。
人間付き合いやコミュニケーションにも、ひょっとしたら『花粉症状態』があるのかもしれない。
つまり、快適な友人やパートナーを求めすぎるが余り、やや退屈人間だったりやちょっとでも意見が合わない人間だと、不快に考えてしまう傾向のことだ。
人間など、性格はバラバラだし、育った環境は異なるし、誰だってクセを持っているし、簡単には自分とフィットなどするはずがない。
なのに、つい相手に対して不満を感じてしまう。『人間関係花粉症』になると、好きな人間が限られてしまい、やがて人間を嫌いになる。
それだけ、自分が好きだという言い方もできるが、むしろ『人間関係花粉症』というほうが近いと思う。
自己愛型人間などと、おエライ先生がたは言うのだろう。
最近の先生がたは、サンプリングやアンケートに頼るので、結果主義でしかない。
それをエラそうにテレビで語るので、かっぱえびせんを食べながら見ているババアどもやおねーちゃんたちが盲信する。
物事には、原因があって結果がある。結果をみたら、原因を探らなければならない。
なぜそうなるのかを知り、そうならないための対策を打てる人は、幸福になれる。
豊かな時代になると、誰もが、好きなことを選び、好きなことだけをして生きていきたいと思い描いてしまう。
実は、これが最大の落とし穴になる。
しかも、大先生や寛大な人物ほど『それでよいのだ』などと、したり顔で語る。そいつらは、ふざけた詐欺師だ。
好きなことだけを選び、好きなことだけをしていると『人生そのものが花粉症状態』になる。
よく金持ちや大スターたちが、依存症や鬱病になるのは、彼らの場合、好きなことだけを選べるからだ。
人間は、そんな状態になったら終わりなのだ。
簡単にいえば『覚せい剤をうっているときが一番快適なので、そういう人生を選びます』というようなものだ。
大先生たちは『そうかそうか、ならばそうせよ。ムリは禁物じゃ』と回答する。
すると、患者は晴れ晴れとした顔に変わり、会計を済ませて帰る。
しかし、全然病状は改善しないから、また通院する。
大先生は『焦るでない。自分のペースでよいのじゃ』と回答する。
患者は晴れ晴れとした顔で会計を済ませる。
世の中は、そういう関係になっている。
バカは騙され続ける。
これからの男は、なるべく小刻みに女と接することが好ましい。
これからの女は、できるだけ長きにわたり男を確保することが好ましい。
男女ともに、好きな仕事に出会うことが大切。
男女ともに、信頼できる友人を最低2人持つことが好ましい。
そして、他人と自分を比較しないで生きられるようにしなされ。
狭い領域で構わぬゆえ、日本代表を目指しなされ。
流れ的には、これからは既婚者の乱れが増す。
平和な既婚夫婦が、裏で遊んだり、風俗で働いたりすることが増える。
といっても、活動を活発化させるのは、夫婦生活が低調な男女か、あまりいただけないような男女が主体となる。
こうした夫婦は、もともと結婚失敗組とか、底辺層の夫婦が多い。つまり、最初から崩れた夫婦といえる。
既婚ヤリマンが繁殖すれば、ますます男性の非婚と草食化が進む。
数少ない上玉男女は、20代前半で売れてしまい、鮮度の落ちた男女市場では匂うような地獄絵図を繰り広げるだろう。
エリート市場と底辺市場は、ますますくっきりと明暗をわける。
昨今の女性は、一昔前と比べると格段にいやらしくなった。
ふしだらなのは困るような、嬉しいような、とりあえず既婚男性・独身男性に関わらず、便利な世の中になったものだ。
男性は、早い段階で50人くらいの女性を味わうと、見る目がグンと養える。
色香に惑わされないようになれば、本来の女性を見る目ができる。
50人というと、約一年間くらいだ。風俗で構わないから、女のカラダにハマり続けてみると世界観が変わる。
ハッキリ言えば、どれもこれも似たようなものと言える。
けなしているのではなく、どれもこれも気持ちがよいものであることがわかる。
つまり、キリがないのだ。
だから、どうすべきかがわかる。敢えて答は書かないが、女との距離感の在り方が理解できるはずだ。
要するに、こと欲望に関わるものはキリがない。
キリがないことは追求をどこかでストップしないと中毒してしまう。
中毒すると、他のことができなくなってくる。他のことが疎(おろそ)かになるあたりから人生が狂い始める。
行動が偏ったり、金が足りなくなったり、体を壊したりする。
つまり、規則正しい人は、そういうリスクがないわけだが、これまた面白みに欠ける。
『何事もほどほどに』がとても大切なのだ。
結局、全部足し算をしてみて、最大の快楽を得た人が賢い。
食べ物の食べ方を見ているとわかる。ガツガツと貪欲な人は好きなものから食べる。好きなものを最後まで取っておく人は快楽に慎重だ。
欲望との付き合い方を決めると、楽しみ方もわかってくる。
例えば、歩きながら、ガムを噛み、音楽を聞き、ケイタイでメールをチェックしたり、ゲームを楽しんだりする人は、快楽をフルに享受しようとしている。
ただ単に歩いて目的地へ向かう人とは、時間の使い方に差があることになる。
その差は、ガムの味、音楽の心地よさ、ゲームの楽しさなど、快楽の差となっている。
経験値や知識として蓄積されるわけではない。
この状態に慣れてくると、ガムと音楽とゲームがない歩行が物足りなくなる。
これが現代のストレスなのだ。
我々は、知らず知らずのうちに、快楽全開の味を覚えてしまう。
このため快楽値が不足したら、ストレスに置き換わっているのだ。
しかも、そのことに気づかない。ストレスは蓄積され、快楽全開値が脳にインプットされたまま生活を継続している。
人生がつまらなく感じる初期兆候は身近なところから始まっている。
こうした快楽を提供するために、無数の企業が活動をしている。
快楽情報は、マスコミを通じて伝達され、口コミでさらに広がる。
一つ一つの快楽は、たしかに満足感を与えてくれる。
我々は、一つ一つの快楽をゲットしていこうとして動いている。
快楽をゲットすればするほど、快楽全開値を経験し、すぐに慣れてしまい、そして飽きてしまう。
それがストレスとなるころ新製品が登場するから、果てしない欲望人生が続く。
こうしてストレスは、ある一定の分量が日常化してしまい、渇望状態が持続しているのだ。
『敢えて快楽を拒否する精神修業』が、Mの気質といえる。
東西冷戦が終結してからというもの自由主義経済が広まった。
実を言うと、世界はボーダーレスとなりつつあり似たような問題を抱えつつある。
共産圏においても、既に極端な貧富の差が出現しており、旧西側諸国でも勝ち組負け組が鮮明になっている。
しかも、全般的に世界不況を呈して世の中は進行しているのだ。
具体的には、多くの国で貧しい層が拡大し、恥ずかしいことに親の支援を受ける大人がたくさんいる。
日本においても、50才とか、60才のいい大人が、80才の親から援助を受けていたりする。
親不孝もここまでいくと、目を覆いたくなる。
悲しいことではあるが、企業が活性化しないということは、失業者を増やし、就業者の賃金を増やせないということを意味する。
もちろん、個人消費も伸びないから、消費税率を上げても、さほどの税収に結びつかない。
そうこうしているうちに、国民は老化していく。
つまり、企業が活性化してくれないと話が始まらないわけだ。
疲弊した経済社会を復活させるパワーが、これまた欲望ニーズだから始末が悪い。
欲望を無限大に拡大させてはいけない。しかし、欲望を拡大させなければ経済が活性化しない。
いったいどうすればよいんだ???
その解答は『他人は他人』と考える技術だろう。
隣で、肉汁が滲み出たハンバーグを食べていても、泡が溢れる生ビールを飲んでいても、ふかふかのソファーでうたた寝していても、キスしながら性器を触りっこしていても、『……』平然としていられる自分を創造することだろう。
できるだろうか?
無理なのだ。我々は、欲望を貪る運命にある。我先にと、欲望を満たそうとする生物と化した。
でなければ貧富が決定的になり、完全な敗北社会に身を置いたときに観念するかだ。
文明は、そこまで発達してしまった。
快楽を貪るか、敗北するかの二者択一しかない。敗北せずに済むようにあがき続けるしかない。
昨日まで、麻薬をやっていた大スターが転落して、心を入れ替えて、他人のために生きるには、あまりに快楽が世に溢れすぎている。
必ずまたやる。
快楽脳が、囁き続ける。
快楽に敗北するか、社会に敗北するか、どちらを選択するしか許されない。
その結果、いたずらに生き続けてしまう。認知症となら、関節は痛みながら、自分で小便にも行けず、シワだらけの晩年を晒す。
欲望が故に、死なせてくれないのだ。
美しい言葉を使いながら、偉そうなセリフに酔いながら、それほどまで生きていたいのが、我々なのだ。
欲望に負けやすい人は、信用されない。誘惑に弱い人は、すぐに折れてしまう。
何事につけ有利か不利かで判断し、損か得かで揺れる。
欲望がそうさせてしまう。ラクして満足を得る方法を常に探している。
仕事でいえば、苦労の多いことをやりたがらない。メリットがないことをやりたがらない。時間が空けばサボる。イヤになったら来ない。権利だけを主張したがる。
簡単にいうと、イヤな奴ということになる。
できれば関わらないのが一番だ。いつか裏切られる。
欲望を満たすために競争をしているというのに、強欲な者は嫌われてしまうのだ。
世の中は、整合性が取れていない。
ややこしい話になった。
欲望に勝つか敗北するかが現代だ。社会は欲望の拡大で発展している。
しかし、自分自身が欲望にまみれると破綻してしまう。欲望にはキリがないからだ。
そこで、自分は自分、他人は他人と区別して、自分をコントロールしなければならない。
欲望にまみれると、信用されない人間になってしまうから一層の注意が要求される。
要するに、ガツガツした奴を満足させておきながら、自分は冷静でいることが求められるということだ。
いわば、暴力団が女をシャブ漬けにしてソープで働かせる、あの手法が、いよいよ一般社会でも要求されているともいえる。
それほど一般人も、快適や快楽に弱くなってきたといえようか。
違法なことは論外だが、ガツガツした奴に手数料を支払って働かせることは有益かもしれない。
ただし、手数料を支払うからといっても、他人はイヤなことや難しいことはしない。
やはりラクをしたいのが人間だ。
カネだけでは動かないとしたら、どうやって他人を動かせばよいのだろうか?
まず、他人は動き方を知らないから、その点を解決してやらねばならない。
客を探す方法がわからないのだから、客を探してやらねばならない。
客と会っても、交渉の仕方がわからないだろうからサポートしてやらねばならない。
ようやく取引に漕ぎ着けたら、その後の客として、育ててもらわねばならない。
育て方もわからないだろうからサポートが必要だ。
二人目の客も、三人目の客も、用意してやらねばならないだろう。
意味があるのかという話になる。
カネを得たいというガツガツした奴を動かすのは、結局のところ、あまり意味がない。
カネが欲しい奴は、不思議と動かないものだからだ。ガツガツしているわりに動きは鈍い。
世の中は、たぶんこういう奴とは無縁のタイプの人間が動かしているのだと考えられる。
ガツガツしていない人が、結果的に成功して、カネを手に入れているのだ。
しかし、カネを手に入れた結果、ほどほどでブレーキがかからず、ガツガツ組に入っていく。
そして、やりすぎて破綻するか、ワンパターンで長続きせず消えていく。
で、地道な奴だけが生き残る。おそらく、そういうメカニズムなのだ。
シャブ漬けソープ嬢は、シャブが欲しいから働く。
しかし、ガツガツ人間は、カネが欲しいからといって動いてはくれない。
ということは、ガツガツ人間をアテにしてはいけないことになる。
やはり、欲望に飢えたガツガツ客に直接アピールするしかない。
直接アピールといっても、商品やサービス力が必要だし、信用力もないと客は近づいては来ない。
甘い蜜がダラダラと流れ出していないと、客は近づいて来ないのだ。
甘い蜜をどう作り、どうアピールするかが、まず根本的な問題だ。
そこにウソがあれば、すぐに客は離れていく。
これこそがこれからの日本の課題とも言えよう。
魅力的な甘い蜜が作れたら、アピールしなければならないが、これまた難題なのだ。
効果的なアピール方法と幅広い宣伝は、体力勝負になる。
ここでギブアップするケースがほとんどと言える。
話が脱線したが、欲望を求める者は、自分勝手なのだ。
自分は動かずに、甘い蜜を舐めたいのが、ガツガツ人間といえる。
ガツガツ人間は、甘い蜜を楽しみにしているから、期待を裏切られたら、感情的になる。
動かず、文句タラタラの人間が、つまりガツガツ人間である。
彼ら、彼女たちは、思い通りにならなければ、簡単に裏切る。
ちょうど、不倫をする主婦みたいな感じだろう。不倫主婦は、不満があると周囲を簡単に裏切る。
不倫主婦が増えたのも、ここ十数年くらいの話であり、その辺はバブル期の親がだらしなかったためである。
不倫主婦の親たちは、人間のクズだ。いまや団塊と言われる巨大年代層であるが、頭の中は、ゴミだ。
なんでも手に入った時代を生きたから、なんにもできない。よくパソコン教室で、マウスと格闘しているアホは、この年代ばかりだ。
欲望人間を信じてはいけない。
依存症の問題は深刻だ。
ギャンブルや酒、ショッピング、セックス、過食…。
ストレスや心のキズは、症状となって現れてくる。要は、脳がズタズタになる。
無限ループが脳を駆け巡り、そこから脱することができなくなるのだ。
恋愛依存も同様に、過去の栄光を呼び戻したい気持ちが常に襲う。
バブル期の女性は、チヤホヤされた記憶とともに生きている。
老化とともに、チヤホヤされなくなっていくが、モテ期の快感はきちんと残っているのだ。
バブル期のモテモテというのは、人間的魅力でモテたわけではなく、男がカネにモノを言わせて『女体』を買ったにすぎない。
不倫妻たちは、それでも求められたい。
無人島の逃亡犯も、カネが尽きると、生きていけなかったらしい。
無人島には、経済社会はないのにカネが尽きると終わりらしいのだ。
いかに都会は、カネの威力が強いかが伺い知れる話である。
カネを稼ぐには仕事が必要だから、いっそのこと、売春を合法化したらどうかという人までいる。
適法に女を買うというビジネス市場の創出だ。
考えてみれば、アルコールや薬品やタバコやギャンブルなども、ある一線で、合法・違法が人為的に決定されている。
人体への影響が判断基準になっているわけで、そういう意味では、女がカラダを売るについては、害はない。
せいぜい病気くらいなものだ。その点をきちんと整備すれば、厚労省の所管になるだろうか。
実際、デリヘルや不倫妻たちは、誰とでもやれる体質だし、やっているのだから、正式な『東証一部上場の売春企業』が生まれるかもしれない。
ここまで、何でもアリにしておいて、不自然な状況とも言えよう…か?
- << 361 再び公娼制度が成立する可能性はありますか?
アホな想像をしてしまったが、もともと女性には魅力的な肉体が備わっており、男性には溢れる性欲が備わっていることを考えると、女性は待ち構えの生き物で、男性は積極的な生き物だと思う。
ところが、文明の発達により、男女かかわりなく生活や仕事がやっていける環境が整ってしまった。
なので、女性も積極的になったし、男性も待ちの構えになった。つまり、逆転現象まで生じている。
その結果、魅力的な女性の肉体は安売りされてしまい、溢れる男性の性欲は退化しつつある。
ならば、女性の肉体に少しでも価値をつけなければ、そのうち全く意味を失ってしまう。
だったら、値段をつけようということで、グラビアやAVや風俗などの合法的フィールドで売買されるようになった。
あとは、潜りのデリヘル部分や黙認中のソープなどの本番フィールドに注目が集まる。
昔は、公的な赤線地帯があったが、今は、黙認型に変わった。
黙認型といっても、だいたいは暴力団が経営している資金源だ。
潜り業者は、ときどき摘発を受けて長続きが容易ではない。
だから、一般の風俗店がハミダシ営業をしているわけだ。つまり、店としては本番を禁止しつつ、女の子が違反行為として、顧客の要望に応える。
そのため公的なサービスはあり得ないし、これからも復活することはないだろう。
それに、世の中にはネタが溢れているため、必要性がなきに等しい。
むしろ、これからは高級志向とか特殊志向の民間サービスの時代になると思う。
そんなことより、そうやって古びたカラダの価値に値付けをしてまで、生き抜かないとならないところまで追い込まれた女性たちは、もう行き場がなくなってきた。
男性たちは、女性をみれば使い古しだと頭から決めつける。
どうせAV女優の真似事を、私生活でもさんざん繰り返して、今に至ったのであろうとみる。
そして、この女は、おそらく、このまま行けば、年老いた風俗嬢になるか、低所得男性と同棲するか、独身のままヤリマン人生を送るかのいずれかだろうと想像する。
ネガティブな連想だが、それが普通の常識になってしまった。
だから、そのシナリオの一部分として、短期間をその女性と過ごすだけなのだ。
百円ライターのほうが、まだ大切にされる。
どこでどう間違ったのか、過去に女性が持っていた天使のようなイメージが大きく様変わりした。
実際は、2割とか3割くらいの女性のイメージにすぎないが、それが全体的なイメージとして定着している。
逆に、男性にもレイプや痴漢や軽犯罪者がニュース報道されれば、男性の全体的イメージは悪化する。
要するに、それだけ特別な情報ばかりが飛び交う結果、極端な(ニュースになるほどの)印象が、インプットされやすくなっているのだ。
そのため男女両者の溝が広がり、互いに嫌悪しやすい傾向になっている。
これも一種の広告効果なのだ。
インターネット時代は、無責任な情報が飛び交う。
無責任情報といえども、書き方一つで、信じ込んでしまう人は大勢いる。
こうして過激情報こそが存在感を持ち、常識化していく。
また、利用者の無知につけ込んだ犯罪が次々に起きるし、利用者の悩みにつけ込んだ悪の誘いも蔓延している。
快楽を提供すれば、飢えた人間たちが群がってくる。
要は、過激情報で興奮を呼び起こし、快楽を得る方法を提供することで、新たなムーブメントが引き起こせるのだ。
例えば、ビールは典型的な快楽商法だ。ビールののど越し快楽を、週末の自分へのご褒美として、インプットしてしまえば、庶民はビール売り場へなだれ込む。
よく考えてみれば、ビールなど何の役にも立たない快楽物質だが、商売人の演出により、健全な商品地位を確立している。
庶民が快楽に勝てないことを、ビール会社はよく知っているのだ。
ビール会社は、毎日ビールを製造して、庶民のノドに爽快感を与える。
飲みすぎれば泥酔して、ゲロを吐いたり、街でケンカを売ったり、女の子に絡んだりする飲み物がビールだ。
だから、その部分はビール会社は絶対に見せない。
週末に、高層マンションの一室で夫婦がオシャレに乾杯していたり、父親と息子がシミジミと語り合っている様子にビールをかます。
要するに、良い面だけをアピールして、金を儲ける。
『安酒場でグダグダと愚痴を言うときにビールは利用されています』なんて、言わない。
飲んでいる人は、ホント言うと、加齢臭にまみれたハゲが多いのに、宣伝上は、イケメンが飲む。
ビールに限らす、大半の商品は、粉飾されている。
60才になり、そろそろ定年退職だというと、今の年寄りたちは、しばらく雇用保険のお世話になる。
もちろん、基礎年金(定額部分)の受給もスタートするから、少しバイトでもしながらブラブラするわけだ。
退職金が入っているし、65才になれば、厚生年金も追加される。
つまり、悠々自適の晩年を迎える。
ところが、こうした老人がなかなか死なない時代になっていて、まだ25年間くらいは生き続ける。
その結果、街にはジジとババがさまよう。
さらに、この連中は選挙民だから、ヒマにまかせて政治に興味を持つ。
主として、福祉や介護や医療に関しての巨大パワーを持つのだ。
日本の費用といえば、借金返済と社会福祉だから、国債保有者でもあるジジとババはVIP待遇といえる。
彼らの保有する資金を早く世の中に環流させねばならない。
そんなこんなで、ビール会社では、ジジとババの懐を狙う。
ジジとババは、酒場には行かない。マイホームへセガレやムスメを呼んで、ホームパーティをやる。
ビール会社は、そこを狙い、親子の語らいをビューティーに描くわけだ。
そこには、アル中のイメージや電車の中のゲロやキャバ嬢の胸に手を入れる酔っ払いのイメージはない。
要するに、こうして、ビール工場で働くお父さんたちは狩りをしている。
現代は、狩りに行き、鹿やイノシシを狩るのではなく、人間の懐(フトコロ)を狩るようになったのだ。
現代の狩猟とは、カネを狩って自宅へ持ち帰ることを言う。
だから、ダマしあいは当然ながら起きる。
生きていくということは、いかにダマすかということなのだ。
現代の狩猟とは、他人のフトコロを狩ることをいう。
石器時代は、獲物を狩るためにトラップ(わな)をしかけた。
今は、人間にワナをしかけて狩りを行う。
テレビ局はそれに協力をして、分け前を貰う。
商品の魅力に引き寄せられた獲物は、フトコロからカネを出して商品を購入する。
ビール会社は、獲物がかかり売上が立つと、製造部門や販売部門に分け前を与える。
分け前を受け取ったお父さんたちは、それを家庭に持って帰る。
だから、強い企業にいれば獲物も大きい。
そこまでは良かった。
時代は移り、人間は狩りをやりすぎた。資源は枯れ、水は汚れ、空気は淀み、遂には地球全体が狂い始めた。
気流が変化して、台風や津波や火山噴火や地震が世界を襲うようになってきた。
人間は、欲望の限りを尽くし、僅か200年で7倍に繁殖した。
地上には、O157を始め、鳥インフルエンザや口蹄疫、エイズなどの奇怪なウイルスが蔓延、粘膜を通じて侵入し始めている。
予期せぬことは、まだまだ起きるだろう。
予期せぬ事態が、これからも次々と起きる。
空気が、水が、大地が汚れただけではなく、家畜が大量に殺され、人間も新たな病原菌に苦しめられている。
だが、一番恐ろしいのは、文明の進化が人間の心の中を毒していることだろう。
ウソを言ったり、ダマしたりすることが平気になった人類。
貨幣経済戦争や貨幣経済狩猟が、それをもたらした。
貨幣を得るには、ウソやダマシを避けて通れないからだ。
武力戦争では直接的に人間は戦死する。貨幣経済戦争では巡り巡って結果的に人間は死ぬ。
ウソやダマシにより、恋愛や結婚も崩壊しつつあるし、健全なスポーツでも筋肉増強剤や八百長がはびこっている。
当然そうなる。欲望には絶対に勝てないからだ。
戦争も狩猟も、人間は行わなくなったのではない。貨幣争奪を通じて、ちゃんと継続的に行っている。
表面的には、ジェントリーな行為を装いつつ、うまくカネを争奪した者が、欲望を満たせる。
一見清潔なスポーツ選手も、俳優も、シンガーソングライターも、作家も、そして貞淑な専業主婦も、欲望に負ける人が続出中なのだ。
彼らは、人生の崖っぷちに立たされたり、一攫千金を夢見たとき、インチキな汚い手を使う。
今やインターネットという武器をみんなが使い、必要な準備を進めることができる。
ネット社会においては、人間の裏側を作ることが可能なのだ。
やるなといっても、カンタンなため、誰もが手を染める。
ネットの闇取引、出会い、協力者募集、メール打合せ、資金の受け渡しなど、なんでもできる。
カップ麺が完成するまでの間に、驚くほどのスピードで悪事が働けるのだ。
もはや食い止めることは、絶対に不可能だ。
そうまでして欲望を満たしたいかと疑問も湧くけれども、その人その人が置かれたシチュエーションによって、人間はズルくなることがある。
崖っぷちの人、見栄をはりたい事情がある人、異性にモテたい人、誰かを養わなければならない人など、いろいろだ。
そう考えると、悪事が暴力的犯罪だけであった時代に比較して、非常に防止しにくくなることが想像される。
しかも、外見から判別しにくいし、パソコン一つで自宅でできる。腕力もいらなければ投資も不要なのだ。
老若男女、誰でもやれる厄介な悪事の世界が、広がりつつある。
どいつもこいつも見た目は善人でありながら、裏側では、詐欺的行為や恐喝行為や不貞行為をやっている。
つまり、目の前の人間が信頼できなくなるという時代が到来しているのである。
「誰とでも分けへだてなく仲良くしましょう」という時代は、もう戻っては来ない。
家族が犯罪に手を染めていても不思議ではないし、妻が売春をしていても驚けない時代がやってきている。
真っ当に働いている我々でさえ、汚い部分を隠してビジネスを展開し、カネを得ているのだから五十歩百歩なのだ。
人類は、領土と資源を確保し、保全を図り、そしてさらなる領域へ触手を伸ばす。
新たな領域には、新たな富が蓄積されている。だから、武力を用いて戦闘を繰り返してきた。
人類の歴史とは、簡単に言えばそういうものだ。
身内であろうが、腹心の部下であろうが、尊敬するボスであろうが、事情が逼迫すれば裏切ってきた。
そのベースにあるのは、常に欲望と感情だ。
要するに、欲望と感情が満たされ続けないと、戦闘を起こす。
言論の自由や表現の自由も同じことだ。為政者と庶民の戦闘的武装でしかない。
平和が実現すれば、人類は快楽を貪(むさぼ)る。快楽が不足したら、さらなる快楽を求める。
いわば、細胞が分裂するが如く、欲望と感情と快楽がめまぐるしく増殖している。
人生とは、ある一時点の欲望値に意識が始まり、ある一時点の欲望値で生命を終焉させる。
それだけのことだ。
青臭いことを言うと、人間と人間が信頼するという一点は、「戦闘を行わず、カネが絡まないという最後の砦」なのだ。
これを失うと、人間は、バラバラになる。
我々の日常生活においても全く同様だ。
「今度は、あのクルマに乗りたい」「休みが取れたらヨーロッパへ行きたい」「本を読む時間が欲しい」「肉が食いたい」
結局、欲望を満たしたいか、感情を満足させることを、目標に設定している。
目標は、意義あるものである場合もあれば、たんなる生理欲求もある。
「一流企業に入社したい」「彼を自分に振り向かせたい」「自分の歌を多くの人に聞いてもらいたい」
とにかく、思うようにならないと嬉しくないし、そうなれば何かが満たされるであろうことを期待しているのだ。
そこへ到達するまでに、努力というプロセスがあり、満足を得る。
それを設定しては、修正し、到達したら、さらなる目標を設定する。
ちょうど、国家が領土を拡大するのと似ている。
要するに、反復的な行為をアリやハチのように繰り返している。
他に何があるだろう?
喜びと失望のルーレットをグルグルと回しているのだ。
だから、実は取り組み方がポイントになる。
人それぞれ願望は異なる。イコール正解は一つだけではない。
しかし、目標の設定を明確化しているかどうかにより、達成可能性は違ってくる。
それは目標に到達する効率が変わるからだ。
従って、高度な目標には、明確なシナリオと強固な意識が求められる。失敗の危険性も高い。
逆に、身近な目標は、なんとなく達成できてしまうから気楽に生きられる。
人間の差は、そんなところに現れる。他人にできないことをしたいか、人並みのことを望むかの違いだ。
基礎的な才能や環境や性格により、人間は目標設定を選択している。
稚拙な例だが、例えば金持ちに生まれれば医者を目指すが、庶民に生まれれば公務員を目指すみたいな違いである。
だから、その人その人が目標設定し、満足感を得る行為を繰り返すのが人生なのだ。
もう一つの観点は、他人に貢献するかどうかだろう。
社会に貢献、文明に貢献、科学に貢献、地域に貢献、家族に貢献、子供に貢献、恋人に貢献、ペットに貢献…。
つまり、自分のためではなく、他者へ貢献することによる満足感。
人生の価値は、実を言うと、これが大きい。
人間のスケールも、これで、決定づけられる。
結果的に、自分の欲望・感情・満足に直結しているのかもしれないが、それでも「他者のためになる」という犠牲的精神は、人間を崇高なものにする。
他者を欺(あざむ)く現代。それは、現代の生き抜き方なのかもしれないが、良心の呵責は大きい。
欺く者は、自己生命が無意味であることに薄々気づいている。欺く者が醜く見えるのは、そのせいだ。
貢献しない人間は、醜く見える。
自己のために生きれば醜い。他者のために生きれば尊い。
これは、我々に備わった本能である。
生命が連続的に存続し続けるためには、どうしても他者を保護しなければ絶滅してしまう。
だから、他者をいたわり、育て続けなければならない。社会の仕組みも、資源も、同様だ。
使い果たした時に、生命は終わる。
オスは環境を整え、メスは生活を守る。そんな分業体制がちゃんと用意されていた。
ところが、急速な科学の進歩がその仕組みを壊し始めた。男女差をなくし、平等を目標値としたのだ。
メスも社会へ参画し、生活圏から出てきた。そのキッカケは、オスが富を手に入れたときから始まった。
オスの富を、メスのエロにより、移転させる行動が開始され、瞬く間にオスは浮かれてしまった。
豊かだからといって、義務を放棄してはいけない。
メスが狂えば、生命は滅びる。
PCによる省力化と女性の社会進出により、男性の一部は、仕事を失った。
実際、女性のほうが適している仕事も多いし、派遣労働というパターンも女性を働きやすくした。
企業は、チャンスとばかりにこの動きに乗じてコストダウンを進めた。
高所得の中年男性の一部は、企業を追い出されて失業、転業を強いられる。
派生的に、結婚しない人が増え、少子化も進む。
女性がカネを稼ぎ出しただけで、社会のメカニズムは大きく変化したのだ。
さらに、この循環は新たな現象をもたらした。
一家の大黒柱が所得を減らしたため、家計が不安定になった。
これが個人消費を減少させたのだ。全体的な平均年収も短期間に激減し、いまや300~400万円台の家庭も珍しくなくなった。
この下降急カーブは、雇用不振に及び、社会保障の不安に火をつけた。
では、この一連のコストダウン効果はどこへ消えたのか?
企業内部に留保されたのだろうか? それともコストダウン歩調に合わせて企業の勢いが弱まってしまったのか?
つまり、全体的に縮小均衡してしまったのだ。
どこもかしこも、溜め込んだ資金をチビチビと使う体制に変わった。
家庭内においても、『家庭内所得移転』という逆流現象が発生した。
親の資金を、子供が狙うのだ。
右上がりの経済においては、若い世代が夢と希望を持つ。しかし、右下がりの経済においては、不安と失望を感じる。
だから、溜まった水が流れるように、その時どきの経済情勢に応じて、資金支援の流れは変わる。
男女間の関係性についても同じことだ。
『諸行無常』
物事には、最終形はない。常に変化を続けるから、過去を懐かしんでいると時代に取り残されてしまう。
気にいらない情勢になろうとも、肯定的に受け入れるしかないのだ。
女性が変わった。
男性が変わった。
子供が変わった。
親が変わった。
すべて気にいろうが、気にいらなかろうが、現実に対応しなければ、生命は息絶える。
常識や既成概念に真実はあるが、現実はない。やかて、新たな常識が台頭する。
その変化のスピードは、さらにさらに増している。
転げ落ちるようになりながらでも、対応するしかない。変化を止められる人は存在しない。
かつてのような統制的で、画一的な社会においては、常識が圧倒的なパワーを奮っていた。
年長者が、教育者が、権力者が、常識の一語を以て、民衆を黙らせてきた。
それほど過去の蓄積的慣習が正義であった。
時代が移り、豊かになり、自由を求め出してからは、常識破りによる破壊的パワーが歓迎された。
誰もが刺激を求め、斬新で革命的なものを待ち望んだ。
既成概念にとらわれたものは面白くない。いつものアレなら、もう飽きたと民衆は騒ぐ。
次々と、最先端が塗り替えられ、教育者も、年長者も、権力者も、歓迎され選択されなければ威力を持たなくなっていった。
古き良きものを好むならば、山奥か田舎へ引っ込むしかない。
だから、人々は斬新で刺激的なテーマを渇望し、追いかけたのだ。
めまぐるしい現代。このスピードの中で、勝ち抜くには、生き残るには、ある種の『異常』が不可欠なのだろう。
だから、『正常』は少しずつ姿を消していく。
『国民との約束』
最近、よく聞く言葉だ。国民との約束を果たさないから、どうのこうのと騒ぐわけだ。
だいたいの場合、『国民の生活を第一に考えてます』というのが返し言葉となる。
まあ、空虚なやり取りであり、全然、重要性はない。
そもそも、大借金している国の民衆などの言うことを聞いていたら、破産するに決まっている。
もともとバカと約束なんかするからそういうことになる。
普通は、年収の2倍も3倍もサラ金から借り入れている奴など、実質的に発言力などない。
家を差し押さえて、収入の中で返済計画を立てさせるのが常識というものである。
おそらく、このまま行けば、国は破綻するだろう。クソじじいやクソばばあ達が、金融機関や証券会社を通じて購入している国債が暴落したら、それで一巻の終わりなのだ。
国民とは約束しないことだ。
借用証書には、金利がついている。債務者が信用できる人なら、金利は低い。逆に、頼りない人ならば高い金利をもらわないと困る。
仮に、以前は信用できる人であったとしても、その後、その人が借金に借金を重ね、しかもどんどん金遣いが荒くなってきたとしたら…。
通常は、『すぐに返せ』と言うだろう。無理だとわかれば、せめて『金利を高くさせてもらう』と言うだろう。
相手が早く返済するようあの手この手を尽くす。
今の日本は、そういう奴なのだ。
しかも、社会保障が破滅的情勢にある。
金融機関も、貸せる企業が国内にいないから、国債をイヤイヤ買っているのだ。
みんなイヤな奴に、イヤイヤ金を貸している。
そのうち、抜け駆けが始まるに決まっている。モタモタしていたら、とりっぱぐれるからだ。
そして、国は資金を失う。景気対策をやらないから税収もない。雇用対策をやらないから失業者も増える。給料が増えないから、消費税も入らない。
ジジババだけが、福祉制度や医療制度でカネを使いまくる。
たぶん、バカ国民にはわからない話だと思うが…。
中東諸国では、独裁国家を相手取り国民が騒乱を起こしている。
最近は、インターネットで他国の状況が国民に知れ渡るから、独裁者もやりにくくなった。
バレるとヤバイと考える国は、インターネットを制限して、ナイショで独裁者だけが楽しむ。
要するに、富は一定だから、誰がもらうのかという話だ。
『よこせ』
『渡さない』
そんだけのことだ。
日本などは、不動産の値をつり上げて、利益を作り出し、利益を投資させて、借金を重ねた。
最後に、不動産を持たされた奴は悲鳴を上げたが、売り抜けた奴は稼いだカネで遊んだり、国債を購入した。
いまも、そのクセは抜けず、相変わらずワシワシとメシを食い、モバゲをやり、ペットと遊んでいる。
大先輩の国アメリカは、デブだらけになった。
中東や東南アジアも、同じことをやり出した。
そのうち地球上はデブザウルスだらけになるだろう。
さて、カネ太りデブザウルスは何を思う?
女だ。
昔から、権力者はだいたいの場合、正室や側室をはべらせてきた。
当たり前の話だ。食う、寝る、ヤルは権力者の必需品なのだ。
オスの生殖能力は、もともと一夫一妻制には適合しない。
カネがかかり、働くのがイヤだから、一夫一妻で我慢しているだけだ。
そして、それを教育によりすり込まれるから、1人だけを愛したりするだけなのだ。
権力者は、それこそ200人くらいの側室を抱えたりする。
愛するという行為は、経済負担と天秤にかけた結果生まれる感情といえる。
カネをかけたんだから、苦労したんだから、愛さない(守らない)とモトが取れない。
人類の最高の英知の結晶が、愛する行為の正当化といえる。
なぜ、愛するのか。この説明は簡単ではない。
相当、ケースバイケースだし、あまりに策略的というか理知的というか、とにかく、複雑な構造といえる。
ただ、良好な関係にある親子には、無償の愛が存在する。
これは、理屈なしで説明なしで、感じ取れる生物感覚だ。
あとの愛情は、怪しい部分が推測可能なのだ。
つまり、愛情はひょっとしたらないのかもしれない。
ただし、愛情があると思っていればよいのだ。ある日、突然のごとく、消滅したとしても、その種の愛情は存在するものと考えたほうが豊かに生きられる。
かなり、わかりにくいと思うが、男女とか、友人とか、慈悲とか、教え子とか、矛盾点の多い愛情なのだ。
だからといって、否定しているわけではない。
ただ、人工的な要素は少なくない。…ような気がする。
独裁と自由。
当然、自由がよいに決まっているが、自由には経済的二極化が発生する。
二極化が発生するということは、見方によれば経済的独裁ともいえる。
ただ、この場合は、独裁といっても、富を持つものがより多くの納税負担を強いられるから、公平な二極化といえる。
また、巨大な富に興味や関心を持つ人間も、一部に限られているから、二極化しても、どうぞご勝手にという感じもある。
要は、自由な世界のほうが体制としては理想に近い。だから、独裁国家は我も我もと自由世界をめざして闘争する。
その自由世界は、カネが尺度になっていて、右上がり経済を維持しなければ、他国に負けてしまう。
右上がり経済を維持したらしたで、人々は欲望に目覚め、感情をあらわにする。
一長一短だとしたら、話し合いは成り立たない。政治は、国民の身勝手に翻弄されるのだ。
人は、自分の責任をなかなか認めようとはしない。
とりわけ、責任者になれないような人間は、責任者の心情や痛みがわからない。
責任者が努力しようが、誤魔化そうが、結果をみて評価を下すしか度量がない。
いま目の前に、100㎏のバーベルがあり、3人の男性が持ち上げようとした場合、人々は、3人のうち最も体格のよい男性に期待をかける。
体格のよい男性が持ち上げに失敗したら、二番目に乱暴そうな男性に期待する。
彼も失敗したら、あきらめ半分で3人目の男性に挑戦させる。
そして、3人全員がダメだった場合、最近の男性はダメだと嘆く。
そして、こう言うだろう。『外国人なら持ち上げるよ、きっと』
政治とは、さらに結果の証明が難しい。一時的な成果も、歴史的な成果となるかどうか不明なのだ。
だから、選挙により政治家を選ぶ。彼が失敗したら国民は『騙された』という。
ならば、お前がやったらよいだろうと言えば、俺はできないと返す。
簡単な話だ。
国民以上の政治は実現しないのだ。国民がバカならば政治家もバカになる。
国民が選出した政治家が、バーベルを上げられないなら、誰にもバーベルは上げられない。
少なくとも『オマエよりマシ』だ。
政治家を選んだのは、国民なのだが、国民は自分の責任を認めようとはしない。
一方、ダルがいくら打たれようと、EXILEが歌詞を忘れようと、あまり責めない。
これは、商業的すり込みによる結果だ。
まず、我々はスピードガンで玉を投げてもせいぜい80キロか90キロの球速しか出せないし、カラオケ屋では歌詞を見ながら音程ミスを重ねる。
つまり、彼らの実力を認めて、彼らを応援すべくチケットを購入している。
第二に、スポーツや音楽は所詮は遊びにすぎない。
第三に、マスコミは売れればよいわけだから、ムキにはならない。適当にふざけていればよいのだ。
だから、徹底的に叩かない。
なのに、政治だけは特別だ。マスコミもムキになって叩く。そのほうがバカ国民に新聞が売れるからだ。
要するに、商業的すり込みにより、庶民はコントロールされているだけなのだ。
日頃は、メシを食って、旅行のパンフを見て、テレビを見ているだけなのに、公債法も求職法も知らないクセに、政治を叩く根拠はない。
だから、バカ国民とヘタな約束などしてはならないのだ。
考えてみると、人々は公務や政治には手厳しい。生きるための基本的なことだから真剣なのかといえば、そうとも思えない。
何も理解せずに、テレビや新聞の言うことを鵜呑みにして騒ぐだけだからだ。
群衆とは、常にそんなものであり、革命においてさえ、ムードで動いているにすぎないし、戦争だと言えば、なんとなくお国のために自爆する。
結局、時代に流されているだけの場合が多い。
ただ、それを認めてしまえば、単なるアホということになるから、とりあえずテレビや新聞の情報くらいはインプットしているだけなのだ。
『詳しいことはわからんが、しっかり責任を果たしてもらわねば困る』
そんな感じで、文句は言うが、頭の中はスーパーで餃子にするか、マグロにするか、食べることを真剣に考え、サッカーの試合開始時間だけはちゃんと覚えている。
永らく遊び続けてきた民衆にしてみれば、国がうまくいかないことが、ピンと来ない。
いや、たぶんヤバイとは感じているものの、どこかの誰かが解決するだろうと考えている。
いや、考えてもいない。自然に解決するだろうくらいに思っている。
だから、問題がこじれたら『おい、誰かちゃんとやっとけ』と叫ぶのだ。
問題解決というのは、やってみるとわかるが結構大変なのだ。
現状があり、解決した姿がある。その間の変化を想定して列挙したうえで手順を考える。法律改正や資金計画、体制改革などの実務はもちろん、一番厄介なのは『交渉』だといえる。
基本的に交渉内容は、
『ガマンしてほしい』
『イヤだ』
という流れになる。
試しに、隣の住人に『アンタ悪いけど、どこかに引っ越してくれないか?』と交渉してみるとよい。
たぶん殴られる。
人間の生涯は85年。最も活動的なのは、誕生してから、ハイティーンを迎え40代の働き盛りにかけての僅か30年間だ。
最近は、年を取っても元気で活躍する人も増えたが、それにしても50年間くらいしか、社会文化に触れない。
つまり、自分が感じた僅か50年間の事実や観察をもとに、全ての判断を行っている。
社会文化は、永続的に変化している。そのうちの50年間だけを見ているのが我々の人生といえる。
簡単に言えば、判断力などないに等しい。たまたまその時代の、たまたま信じた行動を取っているにすぎない。
つまり、真理ではないし、間違っている可能性が極めて高い。通常は、過去の歴史を学び、妥当性を推測する。
たぶん、間違っていないだろうという推測をする。
これを反復するから、既成概念がこびりつく。
逆にいうと、冒険的なことを始めるには、リスクが伴う。
ここがポイントになるのだ。
だから、我々はたまたま生きてきた数十年間の経験と知識をもとに、判断をしている。
貧困の経験はないし、独裁国家に住んだこともない。
食料がなくて死にそうになったこともなければ、ゴミ捨て場で食べ物を探した経験もない。
耳元に銃口を当てられたこともないし、誘拐されて指を切り落とされたこともない。
というより、顔を殴られたことが一回もないかもしれない。要するに、何も知らない。
自分が地球上の生物のどの辺に位置しているかも知らない。
そんな中で、洋服や靴や化粧品や香水や眼鏡や文房具などを毎日選んでいる。
マグロやクジラを殺して食い、牛や豚や鶏を焼いて食うのが当たり前だ。
食い終わればウォシュレットのトイレで排泄し、テレビを見たり、音楽を聞いたり、セックスを楽しんだりして生きている。
そして、ある日、消費税が2倍になるとか、年金は半額になるとかのニュースを聞く。
『ふざけるな』と叫ぶ。
我々の生き方とは、そんな生き方なのだ。
だからといって、失望したり軽蔑したりしてはならない。
生物とはそういうものだからだ。
人間だけではなく、あらゆる生物は住みやすく、生き残りやすくなるために進化を続けている。
ただ、人間は脳が発達しているために、理屈を考えて身を守る。
自分だけが、深い香りやコクがある味わいや癒やしの空間や刺激的な快楽を得ていることは承知していながら、町に火葬場ができるだけで、騒ぎ立てる。
だが火葬場が隣の町へ移ることになれば、安心してワインクーラーを開けて『政治が悪い』と話題にする。
そして、サッカーの試合を見て『あの選手は努力家だし、欧州で成功するだろう』と、彼女の肩を抱き寄せる。
それが生物なのだ。
自由な社会に参加すると、そうした豊さを満喫できる。
が、一方では二極化が発生して貧困をも生む。生き方の運不運とか戦略不足が二極化を形成する。
世界一のイチローは、年間700打席出場する。そこで200本以上のヒットを打つ。
野球の世界は3割打てば一流といわれるから、210本打てばよい。
もし、これが2割9分の選手ならば、203本だ。これだと目立たない。
その差は7本。
160試合に出るとしたら、22試合につき他の選手よりも1本だけ多くヒットを打てば世界一なのだ。
世界一と並みのプロの価値(報酬)には、天と地の差がある。
CMのオファーも雲泥の差がある。後輩からの尊敬を神扱いだろう。
寄付もできるし、交遊もハイレベルになる。
つまり、自由な社会には飛びきりの才能や成功が待っているが、ほんの僅か幸運に恵まれなかったり、ほんの僅か戦略を欠くと脱落するのだ。
だからこそ、考え方が重要といえる。考え方一つで、誰だってうまく行く。
ヒット7本のヒントを得ればよいのだ。
自由満喫レベルに達すると、今度は堕落との戦いが待っている。
アメリカ人は、3人に1人が肥満に悩んでいるという。ポテトチップスやフライドポテトもほどほどにしなければ、あっという間に体重100キロを突破してしまう。
身軽さを失えば、足の筋肉は減り、腹の贅肉がたまる。有酸素運動もキツくなり、動脈も固まる。
マラソングッズは飛ぶように売れ、皇居周辺には虫が集まるようにマラソンランナーが集合する。
成功戦略とは、成功した後のことも考えておかないと、すぐに脱落してしまう。
成功者は、打合せをしていたかのようにこう語る。
『ボクは、これをやっているときが一番楽しいんです』
すなわち、成功とはカネを手に入れることではなく、カネを手に入れる方法を好きになることなのだ。
目的地は、好きな仕事であり、カネは副産物でしかない。
たまに聞くセリフにこういうのがある。
『カネはあとからついてきます』
好きになる気持ちとは、計り知れないパワーを持っている。
これは人間ならではの感情だ。人工的愛情かもしれない。
無償の愛情と人工的な愛情が持つパワーを知ることだ。
無償の愛情とは、説明不要の愛情関係である。
人工的愛情とは、人間が意図して作り上げた愛情関係である。
意図して作り上げた愛情関係は、人間ならではのものであり、その人の価値観が反映されて形となる。
しかし、人工的に創出したものであるし、人工的に消滅させることも可能だ。
この創出から消滅までの間は、まるで無償の愛情関係かのような態様をとるから、一見、永遠な愛情と錯覚しがちである。
また、こうした愛情を、対象者へ降り注ぐことで、自己満足を得ることができる。
犠牲的で献身的な愛情は、他者のために存在するため、尊い行為として、無意識に位置づけられるのだ。
しかし、ある一定の条件が揃うと、人工的愛情は消滅してしまう。
こうした脳が営む愛情と心が営む愛情の違いは、あまり区別されないが、その理由は、区別することが、脳の愛情を否定しかねないからだ。
脳は、人間の行動の全てを司る。脳が何かしらの判断をすると、心の抵抗と戦い、葛藤が起きる。
人工的愛情とは、人間がだけが持つ貴重な価値なのだ。
人工的愛情とは、意図ある関係の中で、無償のような(無償と思いこめるような)愛情関係を結ぶことである。
実は、無償ではないことを認識しているものの、無償であると自覚する。
なんかあからさまに言うと悲しくなるけれども、そこが人間らしいのである。
人工的愛情は、合理性を欠く。そもそも、愛情の対象者は行き当たりばったりで選択される。
少し運命がズレると、愛情対象者とはならない。
また、愛情対象者に対して、何かしらの条件を設定したうえで選択している。
さらに、愛情供給を継続するかどうかは、進行状況に応じて、常時チェックが行われている。
そして、進行中に破綻要件が発生すると、無償愛情の提供を打ち切る。
すなわち、人工的なのである。
これは当然といえば当然の話であり、人間の行動は大半が合理性に基づいているのだ。
しかし、これをそのようにグサリと指摘してしまうのは、よいことではない。
なぜならば、人間のつながりを希薄にしてしまうからだ。
なのに、女性たちはその禁じ手を破ってしまった。
女性たちは、この20年間で、結婚制度を人工的な関係にしてしまった。
具体的に言うと、結婚をまるで契約書を取り交わすように扱うことにした。
例えば、学歴条件や身長条件、年収条件を提示したうえで、相手の絞り込みを行い、その後初めて真剣に面接へと進む。
結果的に、相手を気に入れば恋愛がスタートし、問題がなければ結婚する。
結婚生活が反復されると、資金の使用権限が話し合われ、その大半の管理権を奪う。
生活において、妻としてようやく全力を投入し、犠牲的かつ献身的奉仕を実践する。
永久の愛情が存在しないのではなく、もともと愛情は人工的に設定されただけなのだ。
にもかかわらず、いつからか妻は、すっかり愛情に包まれた気分に浸る。
いまから十数年前、契約条件的な結婚が横行。
彼女たちは、口々にお相手の年収条件を公表し、競争が発生した。
あれから日本は長引く不況に陥った。
その間に、身長条件は解除され、学歴条件は意味を薄めた。
今や年収条件だけが残り、しかもそのバーは下がり続けて、ついに400万円にまで暴落している。
実は、今の日本においてこの400万円を満たす男性は、全体の25%しか存在しないのだ。
だから、その僅か25%の男性をめがけて、ますます競争は激化してしまった。
この競争下において、目の色を変えない女性は少数派だろう。
こうして、契約条件的な結婚は行き詰まりをみせている。
人工的な愛情が発動する機会さえ、減少し始めたのだ。
こうした女性たちの計算による婚姻計画は、男性たちに対しても公表された。
当時の男性たちは、条件にかなうよう努力した。それには理由がある。結婚できない男性には欠陥があるというのが定説だったのだ。
次第に、男性の価値は年収へ収れんされていくようになった。
計算式に基づいたコストパフォーマンスを満たす男性が結婚相手となるのだ。
双方が折り合えば恋愛が始まる。恋愛は駆け引きを通じて力関係を形成する。
女性たちの思惑は、安定だ。
やがて、女性たちは新たな条件を追加する。
家事を分担しよう。
立場が弱く、能力の劣る男性たちは、この条件を呑んだ。
家事を分担してくれる男性は、素敵な旦那様という栄誉を得られるから、黙って皿を洗い、ニコニコして洗濯物をたたんだ。
そうなって、妻は感謝の言葉を口にする。
『あなたはステキな旦那様。あなたと結婚してよかった』
2人は、深い愛情で結ばれているのだろうが、キャッシュカードは妻のポケットに入っている。
ティファニーの指輪やペンダントが流行った。
男性が、人工的な愛情を演出するための定番の小道具である。
男性による人工的愛情は、とても多い。というより、人生の大半は、人工的愛情を作っては壊し、作っては壊しを繰り返して過ごす。
彼らの目的は、性行為だ。
目的を果たすためであれば、高価なネックレスなど、なんてことはない。
愛情もへったくれも微塵もないのだが、性行為への熱意が錯覚を起こさせる。
寝ても覚めてもターゲットの肉体を妄想し、モノにすることに意識を集中する。
この人工的愛情の演出力が、優れているか、劣っているかで男性の人生は大違いになるのだ。
人工的愛情のどこに、純粋な愛情がブレンドされているのだろうか。
男も女も、主たる目的は違えど、条件が満たされれば、ピュアな気持ちになる。
この構造は、とても複雑だ。パートナーに対するいたわりや励まし、甘えや癒やしは、けしてウソではない。
基礎条件に納得したとき以降、人間は素直になり、誠意を示そうとする。
そして、約束事が破られたり、期待に反したとき、誠意は失せてしまう。
その際の忍耐力は、人によって差がある。
所詮は、互いに他人ではあるけれども深い契りを交わすから、忍耐力が限界を迎えたときの爆発は大きい。
つまり、傷つく。
薄々は、主たる目的が、カネであったり、性行為であったりという疑念の中で、人は傷つくことを想定しているのかもしれない。
びくびくしつつ、メインレースに何万円つぎ込むかを考えているギャンブラーのようだ。
世の中には、欲望に満ちた人間がウヨウヨしている。
ところが、露骨に欲望人間ですとは、宣言しない場合も多い。
人は見かけによらないから、見た目だけでは、判別は容易ではない。
とにかく、何割かの男女は、ギトギトな欲望を腹の底に潜ませている。
どうすればそうした人種を見抜くことができるのだろうか。
肉食恐竜の生き残りみたいなオスやメスは、必ず自分を表現するはずだ。
職業か、友人か、親か、趣味か、会話か、なんとかして識別し危険を回避しなければならない。
見た目だけではわからないけれども、男女に当てはまる共通項は、とりあえず金目(かねめ)の持ち物だと思う。
視野に、金目(かねめ)の持ち物がロックされたら、だいたい警戒体制に入ったほうがよい。
肉食恐竜は、無意味にハデなのだ。
長居は無用だ。
レベル3とか4の危険人物は、結構身近にいるものだ。
彼らは、絶えず獲物を物色している。チータがバンビの群れをじっと見つめるように、狙っている。
男の場合、女ならどれでもいいわけだから、群の中からトロそうなバンビを選ぶ。
女のうち、マズそうな底だまり20~30%には手を出さないが、あとはどれでも同じだ。
ただ、上位10~20%には手が届かないから、実質的に、残り60%くらいの中からトロいのを選ぶ。
この水準の女たちは、一様に駆け引きをする。取り立てて優れてもいないし、カスでもないから、気をつかう。
ただ、気をつかうのは、食べるまでの間だから、その期間だけ男は、まるで別人になるのが普通だ。
この別人期間中のナチュラル具合が、オスの技量といえる。
チータが、身をかがめて草村の影から獲物に近づく。そして、油断したバンビに接近し、一気に飛びつく。
首を噛みきる。
後は、ゆっくりいただき、平らげたら、去っていく。
そして、いつもの自分に戻る。
60%の中間層女性は、常にチーターに狙われている。
その中でも、獲物にされる女性は、だいたい決まっている。
スキがある女性、断るのがヘタクソな女性、その気になりやすい女性が狙われやすい。
タイプに合わせて、チーターは冷静に空気を読む。余裕を感じさせながらも、真摯な思いを告白する。
焦ってはならない。チャンスがやってくるまで辛抱強く待つ。
実は、この期間が非常に大切なのだ。女性という動物は、自分に非がないことを要求する。
つまり、理由が必要なのだ。一番のチャンスは、女性側が悩みを抱えたときといえる。
弱ったところを狙うのは、野生のセオリーといえる。弱った獲物に、酒を飲ませ、思考能力が低下したところで襲いかかる。
要するに、レイプ犯罪者とあまり変わらない。違うのは、ほぼ合意に近いというスタイルをいかに作るかの違いだけだ。
弱った彼女の生殖器を開き、カラダに割って入る瞬間、チーターの征服感は最大値に達する。
と、不思議なことに、あとは一転して、下り坂に入る。
そう、そこまでの興奮に比べると、あとは急速に冷めていくのだ。
ひどい場合は、面倒くさくなるほど冷める。
征服後は、接触頻度が月に一回くらいにまで低下する。
軽いキープは続けるが、さほどの執着はない。一度味わったら、急に『どれも似たようなものだ』という冷静さを取り戻す。
ときには、グロい対象物とさえ感じたり、チャラい女だと軽蔑してみたりするから、なんとも不思議だ。
5個入りの肉まんを買ってきて、2個か3個あたりまでは食えるが、後は冷凍庫行きになるのに近い。
そして忘れた頃にまた食う。
元彼から、忘れた頃に電話がかかってくるのはそういうことだ。
しかし、一流のチーターは、飽きた頃が一番神経を使う。
自分が飽きたのではなく、彼女が自分を嫌うように演出しなければならないからだ。
そして『もう一回だけ会ってほしい。お前を忘れられない』とメールを打つ。
女性は『ゴメンナサイ。もう…会わないほうがいい』と返信する。
これで任務完了なのだ。
いつからか、ここ20年間くらいだろうか、男女の関係は様変わりした。
食うか食われるかの駆け引きを楽しむ関係を恐れつつ、理想を追う。
または、とりあえずの関係に持ち込んでおきながら、実質的に破綻し、パートナーを裏切る。
どのインターネット掲示板をみても、そんな事例が満載だ。
いかにもラブラブなカップルをみても、一時的な状態にすぎないと推測される。
とにかく、すぐに不満を募らせる人間たち。不満に耐えれば、鬱(うつ)症状が出る人々。
揚々とした高度成長期の面影は今はない。
生き方を探ろうにも、あまりに閉塞的で、あまりにワナの多い社会。
人それぞれ、自分だけの希望を、どこにみつけるかにかかっている。
オバタリアン、エロジジイと互いに罵り(ののしり)あうようにもなった男女。
オバタリアンは、エロジジイのことが死ぬほど嫌いだし、エロジジイはオバタリアンを絞め殺したいほど嫌いだ。
その傍(かたわ)ら、オバタリアンはジャニーズが大好きで、朝鮮半島にも頻繁に足を運ぶ。
若い男には涎(よだれ)を垂らしている。
もちろん、エロジジイもメイド喫茶やAKB48やグラドルに目がない。
若い女の子に涎を垂らしている。
ということは、とても素直な話だ。ババアやジジイになると、ジジイやババアが嫌いな一方で、若い男の子や女の子が好きになる。
理由は簡単だ。
美しくて、可愛いし、礼儀正しいからだ。
日本人のババアやジジイの醜さやふてぶてしさは、世界でも群を抜いている。
これも理由は簡単だ。
カネを持っている(いた)からだ。カネを持っていれば偉いと考えているのだ。
3億か5億くらい稼いだジジイやババアはゴロゴロいた。これが人間関係を変えた原因なのだ。
カネを持ったババアは、醜い生き物の頂点に立つ。
40才あたりを超えてくると、ブヨブヨとし始め、途端にふてぶてしさを増す。
なのに、相変わらず化粧を続け、蛾のように舞う。赤い口紅は不気味に光り、誰を意識してか、やたら笑う。
笑うとシワが現れて、目をそらしたくなる。
本心は、そう感じていても、男性は気を使うから、「いつまでもお美しいですね」と、ひきつりながらも、なんとか被害から逃れて生きている。
そんなババアたちも若い頃は、ハゲたパパが不動産屋か街の金貸しをやっていたので、遊びまくった。
当時、着用していたビキニの水着も、今は小さくて使えない。
オバタリアンを養ってきた中高年オヤジの疲れた背中をみると泣ける。
エロジジイの臭気がリビングに漂う日本の家庭は独特だ。
磨いても意味のないゴルフセットやつり道具は、エロジジイの必需品であった。
彼らは、会社の経費で、バーやキャバレーへ行き、カラオケをやって、40代を過ごした。
今や60才を迎え、団塊世代として枯れてしまった。
枯れてはきたが、最近はムダに元気なジジイも増えた。
ジジイが元気かどうかなど、どうでもよい人たちは、「いつまでもお若いですね」と、ニコリと挨拶をする。
ジジイは、その一言にますます気をよくして、ジョギングを始める。
10キロも走ると、シワだらけの顔面が紅潮し、目玉だけが生命力を物語り、この世のものとは思えない形相でラストスパートする。
エロジジイは、健康に気を使いながら、キャバクラやソープへよく行く。
商店主や社長なら、領収書を書いてもらえば、いつでもタダみたいなものなのだ。
似合わないスニーカーを履いたジジイが街に増えた。
昔のお年寄りは、若い人に人生を語った。
今のお年寄りは、若い人を追い回す。
随分と人間は変わるものだと思う。
60才以上のジジイやババアになると、だいたい人生が見えてくるので、あとは自分たちの生きたいようにスローに生きる。
なかなか死なない年寄りも、やがてカラダや脳にガタが来ると、周囲のお荷物になり始める。
医学の進化は、若い世代には迷惑だ。
早く高専賃や特養(特別養護施設)を整備し、老人ホームなどへ入ってもらわないと、若い人間は困ることになる。
ジジイやババアが、駅の階段や繁華街の人通りでモタモタしていると、ビジネスマンや学生は迷惑なのだ。
また、嫁に入った専業主婦にとっても、ボケた亭主の親が大きな負担になる。
日本の高速老齢化は、いずれ『隔離と安楽死』のススメを選択することになると思う。
老人に学ぶ時代が終わろうとしている。
日本においては、戦後まもなくマイホーム政策が取られた。
今や4000万世帯を超えるマイホームが建ち、目的は完遂した。
日本のお父さんたちは、30代でマイホームを作り65才くらいで寿命を終える予定だった。
その間、約30年間は住宅ローンを返済した。
そのための専用ローンが住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)のローンだった。
破格の長期で低金利という世界の一流企業でもかなわない有利な住宅ローンが提供されて、マイホーム政策は見事に成功したのだ。
おかげで住宅産業は潤い繁栄を続けてきた。
しかし、長きにわたる供給の結果、もはや顧客が減り始めた。
家は余っているのだ。
人間と同じように、ボロ家がたくさん残ってしまった。
これを活用しない手はない。もったいないからだ。
空き家は全体の15%に達しようとしているから、600万戸以上になるのだろう。
だから、再生したり、国が借り上げたりして、少しでも有効活用されようとしている。
老人も同じだ。
少しでも役に立つように動いてくれたら、数百万人のパワーが使える。
ただ、彼らが労働市場に出てくるのはやめてほしい。
側面からボランティア的に活動するか、老人向けの新たな市場を創出するための足がかりになってほしいと思う。
どうせ時間だけはたっぷりあるのだろうから、家でゴロゴロしながらでも社会に役立ってほしい。
そのためには、まずパソコンを覚えることだ。
パソコンをみんな買ってくれたら、それだけでも活性化につながる。
つぎに、パソコンを活用してほしい。そうすればショッピングや旅行も増えるかもしれない。
また、パソコン上で、誰かの何かの作業を手伝えるかもしれない。(思いつかないが)
結果的に、ヒマだらけのジジイが元気に暮らせれば医療費も減る。(寿命がさらに伸びるだけだと困るが)
とにかく、役立ってほしい。
結果論でしかないけれど、団塊世代は日本の高度成長期を支え、大きな恩恵を受けた。
その子供たちも同様に、金持ちニッポンを享受してきた。
これら一連の世代は、繁栄した島国を生き、今もその余韻の中で暮らしている。
日本はその間に、様変わりした。
それは、すべて結果論でしかない。欲望は次第にエスカレートする以外にないことが証明された。
自由が浸透し、日本人にバラバラな考え方が広がっている。
相変わらず勤勉な者もいれば、犯罪者すれすれの生き方を選ぶものもいる。
世界で活躍する人がいる一方、仕事もせずブラブラしている人もいる。
他の人と自分を比べても仕方がない時代を迎えている。
日本の祭りが終わり、膨大な数の高齢者が残ることになった。
一方で、若者たちを含めた失業率は5%に及ぶ。年金制度はガタガタになり、彼らの老後は危うい。
この落差を考えたとき、高齢者たちには、何らかの責務があるといったら言い過ぎだろうか。
今の高齢者は若い。まだ元気なのだ。ただし、発想は古く、技能も昔のものだ。
でも資金はある。
若者たちへ有意義に環流させ、新たなチャレンジにつなげる方策はないのだろうか。
それとも、高齢者たちはちびちびと計画的に貯蓄を消費し、残った資金を次世代に相続すべきなのだろうか。
いまはまだ年金・福祉へ巨大な費用が回されている。
日本はこのまま枯れていくのか。
高齢者たちが国に対して、貢献する方策はないものだろうか。
彼らはカネで動いた世代だ。朝から晩までカネを稼ぎ続けてリタイアした。
世の中は、経済戦争を続けている。だから、頭ごなしに彼らの生き様を否定することはできない。
ただ、枯れ始めた国内に住み、社会保障制度の下に生きる以上、やるべきことはあるはずだ。
問題は、彼らの価値観だろう。彼らは、このままスローライフを楽しむつもりだと思う。
高齢者たちは、公的年金で生活の保全を図りつつ、貯蓄で美味いものを食ったり、旅行を楽しみたいのだと思う。
人生の大半を日本の経済成長に捧げてきて、ようやく余暇を楽しむセカンドステージに立った。
ところが、彼らが残したものは、予想外にも曲がり角に立った国の危機と疑り深い人間社会の2つだった。
しかも、自分たちの高齢化がさらに国を苦しめる。膨大な数の高齢者たちが国の息の根を止める。
彼らにできることは何か。その答えはあるのだろうか。
高価なトロを食ったことがあるだろうか。スーパーマーケットや街の寿司屋にはない上物。
甘くとろけるトロを味わうと、幸せな気持ちになる。
日本人は、世界のマグロ消費の大半を牛耳っている。
ウニやイクラやホタテなども上物はやはり違う。
ただし、微妙に違うだけだといえば、そういう言い方もできる。
ワインだって同じことだ。数十万を支払って、高級クラブで飲むワインは美味い気がする。
しかし、違いは少しだけかもしれない。
その証拠に、高価なものと廉価なものを、明確に見分けることができる人間は限られているのだ。
日本人は、そういうことが大好きだ。
隣の住人が貧しかろうが、病人が出ようが、交通事故が起きようが、レストランの予約をキャンセルする人はいない。
日本が立ち直れないとしたら、その原因は、日本人の心の中にある。
些細な贅沢を追求することをやめて、地道な貢献と奉仕の精神に立ち戻れるシニアはどれくらいいるだろう。
子供夫婦や孫の人気取りよりも、社会的活動を生きがいにできるシニアはどれくらいいるだろう。
セカンドライフの自由を投げ打つことは、そう簡単ではない。
なぜなら欲望はエスカレートするしかないからだ。
いったん脳裏に刻まれた快楽は、脳が覚えている。
バブルを体験してきたシニアたちは、史上稀にみる快楽ステップを登り続け、セカンドライフの入口に立っている。
上質のトロや良質ワインがやはり捨てられないのだ。
貧しかった戦後を生き延びて、マイホームを立て、車を購入し、ゴルフに明け暮れ、カラオケ三昧の日々を過ごしたシニアたちは、巨額の借金を残したまま生涯を終えるのだろう。
彼らの作った飽食カルチャーは、次世代が引き継ぎ、東南アジアや中東のハングリーな若者たちには歯が立たない。
ちょうど、長い休暇をリゾートで過ごした後、職場へ出勤しても、月曜日ボケするのに似ている。
ボケたままのシニアたちは、まだまだ遊び足りない。
一方で、老人の孤独死もしばしば問題になる。
日本の世帯スタイルの標準はいまや1人住まい、つまり単身者が一番多い。
非婚・少子化が進み高齢化が進行すると、いよいよもって単身者世帯が増えていくだろう。
単身者は気楽でイイなんて、言ってはいられない。日本には十分な仕事がないのだ。
仕事をやらなければ、老後の年金ももらえない。いや、そもそも年金制度自体が危うい。
仕事はない、老後が心配、一人ぼっちなどでは、社会として成立しない。
みんな生活保護を受けて暮らすしかなくなる。
実は、現在の日本は、まっしぐらにそんな社会構造に向かっている。
ハローワークでは就職支援訓練に生活支援給付をセットして、なんとか労働市場への返り咲きを応援している。
これに失敗すると、完全な生活保護に落ちる。いったん生活保護に陥ると、再び労働市場に返り咲くのは困難なのだ。
しかし、必死の崖っぷち政策を打つ政府も、根本的な悩みを解決できない。
世の中の仕事量自体が足りないのだ。
仕事は、伸びゆく大陸へ逃げてしまい。国内は枯れていく。
仕事を作るしかないのに、そこへの支援は乏しいのが実情だ。
一に雇用、二に雇用、三に雇用、雇用、雇用、雇用と、叫んだ人がいた。
しかし、なかなか仕事を作り出すのは難しい。福祉や介護が必要なのはわかっているが、過酷な労働を選択する人は少ない。
いよいよ追い詰められれば、そういう職業・職場へ入っていく人も出てくるとは思うが、彼らが心底望んだ仕事ではないというところが心配だ。
やはり、日本の場合は、過去の経緯が特殊なため、仕事を選ぶ傾向がとても強い。
また、消費者へ目を向けると、有力候補は
①小リッチ高齢者
②バブル外国人
しかいないだろう。
選び道は、あまりないのに言い出す人は少ない。
選挙に負けるからだ。
・若者たちに仕事を。
・定年したシニアたちに役割を。
それには何が必要なのかというと、社会のルールというか慣習だろう。
バラバラに生きる日本人に、再び慣習を作り上げなければならない。
具体的に言うと、若者たちに夢のある仕事をさせるため、高齢者は別の役割を担う必要がある。
付加価値が高く、拡大が見込まれる市場に、シニアがウロウロしないことだ。
しかし、投資を促し資金援助の役割は、やはりリッチシニアが担うべきではないか。
若者たちは、この資金的バックアップの下、新たなビジネスを創出する。
もし失敗したら、リッチシニアたちが損失を被る。成功すればリッチシニアは儲かる。
しかし、精神的には支援だ。ウルサイ口出しも困る。
次に、定年シニアたちは相互扶助的なコミュニティー活動を行う。
町内の老人のお世話をして、買い物や通院を助け、生活をサポートする。
自分が年を取れば、また次の定年世代が面倒をみてくれる。
いわば、サポート年金だ。自分がサポートすれば、老後はサポートを受けられる。
定年後の健康管理にも有効だ。
電子ブックなるものが普及を始めている。新聞もデジタル型に姿を変えつつある。
いままで入力や割付、レイアウト、製版などを担当してきた人たちは不要になるかもしれない。
また、印刷物を販売していた書店や新聞販売店だって、この先どうなるかわからない。
中間の取次も役割が小さくなるかもしれない。
一方、購入者側もデジタルなら安い。体裁にこだわらなければ、いままで1500円で買っていたものが300円くらいで購入可能になる。
制作の人手が減れば、コストダウンになるが、売上高も激減だ。
こうした合理化・省力化の時代に雇用を拡大するのは、大変難しい。
いままでになかったものを考えなければ、需要は創造できないからだ。
また、一つ一つの商品単価が安いから、使い捨て的なものでないとビジネスは継続しない。
それを思いつくかどうかだ。
新しいビジネスとは、いままでになかった世界を作る必要が出てきた。
しかも、ビジネスというからには永続的に収益をあげられないと成り立たない。
社会が何を歓迎するか。消費者は何を望んでいるか。
これからのビジネスは、作曲家や画家や小説家のような創造力がないと、市場を形成できない。
しかも、これまでの商品のように作品(製品)をCDに焼いたり、本にしていたのでは失敗する。
遊び続けてきた日本消費者が受け入れるものは、何なのか。
たぶん、その答えは、彼らの欲望の中にみつかるのだ。
欲望を形にするしかない。
シニアが会社を退職すると、退職金を受け取り家庭に入る。自由な時間がようやく手に入るのだ。
40年間もの長い年月を会社に捧げ働き続けてきた。朝は遅刻しないように、夜は夜更かししないように、毎日を通勤に費やしてきた。
『今日から、仕事に行かなくてもよい』
どんな気持ちがするのだろうか。ゆっくりしたいのだろう。趣味に打ち込みたいだろう。旅行に行きたいだろう。古い友人に会ってみたいだろう。
人間の欲望が満たされようとするとき、希望が溢れる。晴れ晴れとリタイア後の生活に突入したいのだ。
それに、時間はたっぷりあるから、ゆっくり考えればよいのだ。
ところが、人生はそう甘くない。
意気揚々としたセカンドライフは、長くは続かない。不思議と行き詰まるのだ。
それほど、人間の心はワガママにできている。
会社に出ていれば、ツライことも多いが、満たされることも多い。
例えば、自分と異なる意見を聞けるし、誉めてもらえるし、何かを完成させることができるし。
要するに、どんな立場であろうとも、自分を主役にすることができるのだ。
人間は、自分の人生で主役を演じて、それに酔って生きている。
主役じゃないと、人生はつまらないのだと思う。
だからセカンドライフは、楽しくない。半年か一年もしたら、楽しくなくなるだろう。
自由は寂しい。
ほとんどの人は、よく自分の主張をする。みんな主張の中身を分析して、相手の関心の在処(ありか)や知識のレベルを判断する。
主張の中身が新鮮でなければ、その人は面白くない人という結論が出される。
主張の中身がよくそこらで聞くようなウケウリばかりだと、面白くない。
かといって、斬新すぎてとてもついていけないというのも、理解に苦しむから歓迎されないし、ヘタをすると人間性を疑われてしまう。
また、主張のしすぎや主張がないというのも、相手としては疲れてしまう。
要は、センスと発想によって、人間の魅力は決定される。
これを定年後のセカンドライフに実践するのは極めて難しいのだ。
たとえ会話がヘタであっても、それを受け入れてくれる相手に出会えるとラッキーだ。
相手にしてみれば、得るものは全くないにもかかわらず話を聞いてくれるのだから、本来は感謝しなければならないのに、センスのない人は感謝をしない。
そして、相手を失う。
会社勤めをしていた頃はタテ社会だったから、後輩や部下が話を聞いてくれたし、出入りの業者もニコニコしてくれた。
しかし、もうそんな人はセカンドライフでは現れないのだ。
会社勤めを終えた男たちには、それだけではない過酷な人生が待ち受けている。
妻の存在だ。
定年した男性に立ちはだかる最強の敵は、実は妻だ。
ようやく自由になり、妻とゆっくり過ごそうと考えていた男性は、異様な反応に驚く。
妻は、自分を待ってはいなかった。いや、妻こそ自由になりたがっていることを知る。
40年間もの間、家族のために働いてきたのに、妻は定年後の自分を待ちわびてはいない。
生命保険の定期部分の契約期限が切れると同時に、妻は行動を起こす。
どういうことなんだ?
男性は理解に苦しむ。
そして、バカな男性は、簡単な結論に、ようやく気づく。
そう、ずっとダマされていた。ただそれだけの話だ。
妻は、もう何十年も前から、男性の定年を区切りに自由になるつもりだったのだ。
ダマされていた。
男は、甘い。
今の時代の女性は、間抜けな男性とは違って、メリットのないことはしない。
定年後の亭主など、どこに魅力があるというのだ。それでなくとも、散々ガマンしてきたのに、一日中家の中にいる亭主の何を尊敬しろというのか。
正論としか言えない。
魅力はないと思う。尊敬できないと思う。ウザイと思う。
たぶん、これは妻のほうが圧倒的に正しい。
でも、最終的にここへ追い込んで去っていくのは、手口としては相当に卑怯だ。
いまどきマフィアだって、そこまではやらない。
しかし、妻たちは、残り20~30年間を亭主とは過ごしたくないのだ。
何度考えても、むなしい。男たちの末路は、ワビシイ。そして、妻たちは正しい。
世相的にみると、男性の定年時期は、人生にとって最も危険なターニングポイントだ。
そんな段階で、パートナーに裏切られたら、おそらく人生全体を否定された気持ちになるだろう。
裏切りの中でも、かなり凶悪なレベルだと思う。
一口に裏切りといっても、結婚前に遊びまくっていた裏切りとか、結婚後に浮気していた裏切りとか、真剣に向き合わない裏切りとか、いろいろだが、熟年離婚は冷酷だ。
それだけ過去の怨念が詰まっているのかもしれないが、恐ろしい計画性を想像すると身の毛もよだつ。
捨てられて傷ついた男性たちは、一人になって、何を思うのだろう。
『俺が悪かったんだ』だろうか、『女なんか信用するんじゃなかった』だろうか。
とにかく、ようやくその時になって、プロポーズのときの異常心理が理解できるかもしれない。
半日も、ミクルを見てれば、女の怖さがわかるのに。
>> 441
専業主婦の日常は、その人次第で、ハードコースやお気楽コースがセレクトできる。
お気楽コースを何十年も続けていた専業主婦にとって、夫の定年退職はまさに一大事だろう。
『やべー』とか舌打ちしている様子が思い浮かぶ。
そういう妻ならば、夫としても、案外、熟年離婚はプラスなのかもしれない。せいせいする(気休めだが)。
さて、そうではなくて、亭主関白のもとで肝をカミ続けてきた妻にとっては、恨みも蓄積しているだろう。
また、男は何度か浮気をするものだから、そういう…見なくてよいものを見てしまったとか、聞いてしまったとか、裏切り行為に遭った妻も怨念の塊になるだろう。
熟年離婚。妻の報復とみるか、妻の逃亡とみるか、……。
火に飛び込むか、崖から落ちるか、みたいな選択でしかない。
とにかく、熟年夫婦は難しい。一昔前ならば、亭主が定年退職したからといって、『やべー』なんて舌打ちする奥さんはいなかったが、今は違う。
亭主が一日中家にいて、メシ、フロ、お茶とリクエストを出すだけの存在感がウザイわけだ。
たまに会話になると、『どうだ?明日、映画にでも行くか?』と、提案されて、ギクッとしてしまう。
亭主がエラそうな人であればあるほど、並んでロードショーなど観たくないものだ。
卒婚という言葉があるらしい。夫婦は別々に自立して、最小限の接触だけにとどめる生き方なんだそうだ。
最小限の接触ね。
人生の結論とは、予想がとっても難しい。
それなら定年亭主も何かやればよい。
『まあ、ゆっくり自分の趣味でもやりますよ、あっはは』
といっていた亭主も、半年くらいすると、ヒマになってしまうらしい。
だから、図書館へ行って、マクドナルドに寄って、夕方帰宅する。
思った通り、夕飯が完成していたらよいが、時々は妻がいない。
だから、コンビニの弁当で食事を済ませる。たまにだから風呂も自分で沸かして(ボタン押すだけだが)、ゆっくりつかって、テレビでも見る。
こうした生活を反復していると、どうみても社会のお荷物でしかない。
誰の役にも立っていないし、誰にも誉められない。
そこで、子供夫婦に小金を渡す。感謝されたいのだ。子供夫婦は喜んで、孫の顔を見せる。
……終わり。
20年間、それを続けるのか? それでよいのか?
これが日本の命題なのだ。遊び呆ける妻も同じことだが、一応、個人消費者として役立っている。
亭主は、マクドナルドで買うコーヒーとハンバーガーくらいなものだ。
じゃあ、なにができる?サラリーマン上がりの亭主は何をやればよいのだろうか。
そんなお父さんたちに、事業をやってくださいと頼んでも、せいぜい友人が3人か5人いるだけだから、厳しいと思う。
だったら、何人か集まって共同でビジネスを立ち上げ、できたら若者を雇ってください。
これもリスキーだし、客の開拓ができないだろう。
一番困るのは『俺も働こう』とヘンな決心をして若者の市場に割り込んでくるお父さんだ。
一方、ボランティアでどこかの団体に参画するほど、コミュニケーション能力がない場合、行き場がない。
信じられないかもしれないが、そういうお父さんは結構多い。
せいぜい散歩をして、犬と遊び、パソコンで若い女の画像を収集するか、掲示板を荒らすのが日課なのだ。
なってみないとわからないが、かなり侘びしい毎日だろう。
ただし、健康管理にはウルサイので、80才すぎまで歩き回る。
年金財政はパンクだ。
日本は稼いだ。稼いだからシニアには、財産が残り、国には借金が残った。
年金制度は、思わぬ不況と少子化によって先行き絶望的なのに、国民の義務だから、せっせと払い込まねばならない。
だから、少しはお父さんやお母さまにも、助けていただけたらありがたいのだ。
ところが、若い人たちもそれなりに楽しんでいたりするから、どうも盛り上がってこない。
就職先がなかったり、ヒッキーもたくさんいるはずなのに、世間はアンドロイドやぷるぷる化粧品や恋愛ドラマが目立つから、誰も助けてくれない。
ハラハラしても仕方がないと言えば、仕方がないのだが、本当にこのままでよいの?
まだ、遊びたいの?
繰り返しになるけれども、今の日本はいろんな人たちで構成されている。
だから、面倒な問題で『みんな右向け~』と、号令をかけても揃わない。
何年前だかに定額給付と称して、政府がカネを配って回ったが、それでも辞退者がいたくらいだから、面倒な話になればバラバラになる。
逆に、流行は大合唱でブーム化する。人気スターも国民的アイドルがすぐに誕生する。
そういえば、民主党に投票した国民はスゴかった。それまでの与党であった自民党をあっさり捨てて、民主党に大移動した。
しかし、国民の読みは甘かった。こういうミーハー素人をダマすのは、マスコミを抱き込めば可能なのだ。
バカな国民は、またマスコミが与党を叩くから、そのつど大移動を繰り返すだろう。
まるで笑い話みたいだが、真面目な顔をして大騒ぎするのだ。
ほとんどはテレビや新聞で、貫禄のあるおじさんやおばさんがしゃべったことをパクっているだけなんだが。
そして、投票の日曜日には国民の義務だとか誇らしげに自慢しながら、近所の小学校へ行くのだ。
買い物のついでに、投票をして、選挙速報をみる。
『ほおら、俺の目は正しかった』投票政党が勝利したのだ。
妻は、ウットリして、お父さんの顔をみる(それはないか)。
単純に言って、不況時には国民に不満が溜まる。
だから、与党を叩けば、喜ぶ人間の数が多い。
ということは、新聞、雑誌、テレビは、部数を増やして広告を取りたいから与党を叩く。
お父さんやお母さまは、それを読むから、与党が倒れやすくなる。
さらに、若者は未来に失望感を抱いているから与党がキライなのだ。
多くの若者は欲望を満たし、ラクをしたい。そのため、部数の多い雑誌や視聴率の高いドラマやバラエティー番組をみる。
失望感を一時的にせよ、忘れさせてくれるメーカーが好きなのだ。
景気の浮き沈みによって、国民は大移動するメカニズムになっている。
太平洋戦争など、国民が扇動したようなものだ。
思いもよらず、浅はかなのは自分である。世間は自分そのものを写している。
ネット社会は、その自分たちが情報発信する絶望的社会なのだ。
悲しいかな、庶民には情報がない。
新聞や雑誌やテレビが情報と思っていたら、寝ぼけている。あれは決定事項ばかりだ。
本当の情報は、中央官庁のエリートが政治家を巻き込んでシナリオを作る。
外部の息のかかった識者が集められて審議会なる過程を経て、大臣に提案する形をとるのだ。
大臣が了承したら、閣議なるものを通して、国会で成立を目指す。
初めから与党の政治家が絡んでいて、後ろ盾になる業界の意向を汲んでいるだけだ。
こうして旅芸人の一座みたいなことをして、政策が実行されている。
つまり、パワーがある人間がパワーのある政治家と組み、パワーのある官僚に考えさせて、パワーのある民間識者を抱き込み、パワーある政党が支持を得るという連鎖になっている。
最後は多数決で決まるから、出来レースなんだが、ねじれ国会の現在、マスメディアは与党を叩き、紛糾させて、祭りを盛り上げているにすぎない。
どうせ国民はそんなことは知らないし、不満をぶつけるものがほしいから、キオスクで雑誌を買うわけだ。
政権が転覆したら、もっと盛り上がるから、最近はすぐに与党の責任者が交代する。
いわば、一種のショーともいえる様相を呈している。
- << 452 では主さんはどこから情報を得ているのですか?
企業の提携だって、海外進出だって、上場だって、新聞や雑誌やテレビで見れるのは、実際に動き出してからの話だ。
ただ、情報が入ったからと言って、我々ができるのはせいぜい株式を買ったり売ったりするのが関の山といえる。
世界情勢に精通していても、別にガソリンを買い込んで六畳間に備蓄したりはしない。
庶民に有用な情報とは、もっとネチネチしたものが多い。
開発部のAさんが独立するらしい、B常務は社内に女がいるらしいとか、駅前に弁当屋ができるらしいとか、水枕は心地よいらしいとか、そんな情報を役立てている。
言い換えると、下世話な情報ばかりといえる。
結局、そういう情報をネタに、上手い汁を吸いたいとか、人気を集めたいとか、節約したいとか、快適性を求めたいとか、結構、アニマルな活用なのだ。
従って、デカイことに携わっている人とセコいことに携わっている人とは、自ずと関心事が異なってくる。
主婦やOLはセコいのが当たり前だから、お父さんたちとは、接点が生まれにくいのだ。
お父さんたちだって、セコいお父さんはたくさん存在する。
案外、駅の向こう側のスーパーマーケットに詳しかったりするのだが、お父さんというのはワンパターンで、一回でもそのネタがウケると、しつこく使い回す。
一回聞きゃあわかる話だから、女性は『はい、またそれね』みたいな冷ややかな態度をあらわにする。
だから、お父さんには友達が少ない。
独立した同僚がいたら、雇ってもらえないかどうか調査のために、酒を誘う。
ところが、同僚は多忙で都合がつかない。それでも同じパターンで近づこうとする。
会えたら会えたで、毎月20万でいいからと、カネの条件を先に出す。
どうみてもそんな価値はないから、同僚は体よく断る。
だから、お父さんには友達ができない。
それほど、いままでの企業というのは甘かったのだ。一度、辞めると誰も拾わない人材ばかりなのだ。
そういえば、今から20年くらい前、自分の子供をしっかり勉強させ、きちんとした学校に通わせて、子供の未来に確固たる保証を得ようとする親が多かった。
進学に関して、受験に関して、研究に研究を重ねて、情報を集めまくって、夫婦で熱中したものだ。
あれから20年が経過して、史上空前の就職氷河期がやってきてしまった。
育てた子供は、そこそこの大学を卒業したものの、働く場が…ない。
何十件もの面接を繰り返す人もいるらしい。
働く場は、企業に収入が増えない限り永遠に拡大しない。
日本に収入が増えない限り、何も解決はしない。
テレビをみて心配ばかりしている限り、何も解決しないのだ。
不満をためたり、ストレスをぶつけたり、批判をいくらしても、何も解決しない。
収入がない国とか、収入がない会社とか、収入がない家庭とか、収入がない男とか、とにかく貧すると問題ばかり続出する。
なぜならば、経済社会はほとんどのことをカネが解決する仕組みだからだ。
こんなときに、カネを使うことに目を向けていたら、ただでさえ足りないカネが、ますます足りなくなるというものだ。
人間は、ピンチになると心配ばかりするようになる。
人間は、チャンスが巡ってくると夢ばかりみるようになる。
ただし、自分一人ならば、気持ちはブレないものだ。
恋人がいたり、親がいたり、子供がいたりするから、気持ちがブレる。
とかく周囲の声は、判断を歪める。自分をしっかり持ち、惑わされないことが求められる。
情報の入手やピンチ、チャンスの到来が起きたときは、冷静にならないといけない。
冷静になるというのは、つまり解決に向けて、動くという意味である。
騒いでいても、何も変わらない。
日々一歩でも前に進め。
だとしたら、今は国の経済活性化が最重要課題だろう。
国民に手当金を配給したり、生活支援したり、生活保護したりしている場合ではない。
そんなことを国民などと約束するから、回復が遅れるのだ。
ただでさえ、予算が足りずに、基礎年金の原資さえもアテがないくせに、手当金など余計な話を持ち出すから、混乱を招いてしまう。
とにかく、国の企業の家庭の男たちの、収入を増やし、安定させるための仕事を作らねばならない。
一時金では意味がない。
勢いをつけて、安定させなければならないのに、可能性がある企業の多くは、東南アジアへ出稼ぎに出た。
海外で利益を上げて納税することだろう。
国内は、相も変わらず、枯れたままだ。めぼしい事業ノウハウは、中国や韓国に盗み出され、いずれは日本へ逆上陸してきて荒稼ぎされてしまうことだろう。
今や世界は、スピード勝負なのだ。
国は予算が足りない。なのに、あれも支援、これも保障と、国民のいいなりになっていて、使い道ばかり考えている。
被害者団体などは、次々と国を相手どり訴訟を起こし、見舞金をくすねて山分けをする。
弁護士は、カネさえもらえれば、人殺しと毎日メシを食う。
最近は、仕事をするよりも、支援や保障や保護を受けたほうが、よほど生活がよいと聞く。
浅ましい奴らばかりになり、まさにカネの奪い合いを全国規模でやっている。
貧しくなると、人間はうまくやってやろうと考え始めるのだ。
探求心だとか、向上心とか、道徳心だとかは、貧しい場所では薄れてしまい、うまくやった奴が勝ちになってしまう。
いま必要なのは、企業が稼ぐことと消費税だ。他のことは多少後回しで構わない。
まずは、収入を増やし安定化してからの話だ。
いま日本のあらゆる開発スタッフたちは、東南アジアへ流出している。
日本が不況なので、東南アジアの企業が拾ってくれるわけだ。
もちろん彼らの狙いは、日本の最先端技術。雇い入れたスタッフたちは、用が済めばお払い箱になる。
こうして、東南アジアの企業は、10年も20年もかけることなく、日本の最先端技術ノウハウを入手できる。
非常に効率よく、トップレベルに追いつける。
日本人はマヌケなので、視察や見学に応じて、技術や商品を買ってもらえると信じている。
買ってもらえるのは間違いではないが、数年もしたら、彼らは自分で作るようになる。
要するに、安く仕入れているだけなのだ。
日本政府が、国内企業、国内技術を守らなければ、カネ欲しさに、あっという間に優位性を失うだろう。
負け戦(いくさ)を見ているのはツライ。
生活苦に陥ると、理屈は後回しになる。
貸金業規制法が改正されてから、生活苦の人たちが、ヤミ金の餌食になっている。
ヤミ金は違法だから、やたらと金利が高い。一度でも借りたら、元金はとうてい返せないであろう。
ヤミ金にまで手を染める以上、家族や友達には相談しにくいワケがある。
それに、主婦ならば貸金業規制法により、夫の同意を得られないからこそ、ヤミ金へ突撃しているという事情がある。
そんな人が数百万人もいるというのだから、屁理屈ばかりこねてはおられない。
よくもまあここまで、悪化したものだ。
ヤミ金を経由すると、だいたい行きつく所は決まっている。
風俗か、生活保護かだ。または犯罪者に加担するかだ。
特に、主婦の場合は、サラ金で借入を起こす際に、住所や家族構成を書かされるから、逃げられなくなる。
こうした裏事情を知れば、なぜ風俗嬢やエロ動画が溢れているかだとか、生活保護が膨れ上がっているのかだとか、保険金詐欺が起きるのかを知ることができる。
正常な消費者金融会社からは、多重債務者が排除できたのかもしれないが、数百万人は行き場を失うことになった。
子供を殺したり、売春をしたり、一家心中したりして、ニュースになることも増えるだろう。
しかし、なぜ夫は助けないのだろうか。なぜ「help me」と叫べないのだろうか。
カネのために、人生を失う人たちが増えていく。
数百万人が風俗へ行き、数百万人が生活保護、数百万人が生活支援、数百万人がサラ金へと、日本民族はえらいことになっている。
こんなにスゴい状況なのに、テレビや新聞、雑誌などは、政治家の人事問題が大好きだ。
会社などの職場でも、人事問題にばかり躍起になり、目の前の仕事をやらない連中がいるものだ。
人事異動があれば、目の前の仕事は、自分の仕事ではなくなるため、手をつけたら損という打算が働くためだ。
ハッキリ言って、テレビや新聞の論説委員は汚い。雑誌の編集者はその数倍汚い。
彼らは必ずこう言う。
「また辞任者がでました。辞任の理由はこうで、周囲の見方はこうで、こうなっていくものと考えられます」
そして最後にこう言う。「今はそんなことやってないで、課題の解決をしてほしいものです」
バカたれ、騒ぎ立てているのはお前らだろうが。お前らがアホ国民を煽るから、騒ぎに火がつき、いつまでたっても仕事が進まないのだ。
マスメディアこそ、人事異動しなさい。
「なぜNo.1じゃなきゃダメなんですか? No.2でもいいじゃないですか」
そういう名セリフがあった。聞いたときは、「なるほどね。なんも一番でなくともいいわな」
そう思った。
ところが、プロに聞くと、一番と二番では大違いらしい。
というのも、二番ならば三番目でも四番目でも似たようなものなんだそうだ。
つまり、二番も三番も四番も五番も、みんな一番のコピーなのだ。
コピーじゃないのは、一番だけ。
一番は本物で、二番以下はニセモノなのだ。
だから、価値が大きく違うし、そもそも、一番ならば、みんなが買ってくれて喜んでくれる。
二番以下は、それを真似て安く売るしかない。
ちょうど、PRADAのニセモノが流行ったときのPRADOみたいになる。
日本には、No.1の技術がたくさんあった。ところが、次々に海外生産や資本協力や技術輸出により失った。
スポーツの一流選手が、海外でコーチをやると、すぐに追いつかれるのと近い。
ビートルズのアルバムを購入したとき、ミカンのレーベルが貼ってあって945円だったのを思い出した。(本物はアップルです)
こうしてバブル後の20年(失われた20年という)は、日本を廃墟にしてしまいかねないほどの禍根を残した。
街には、失業者が溢れ、家族の絆は失われ、会社への忠誠心がなくなり、混沌とした閉塞感だけを露呈している。
高齢者が次第に増加し、若い大卒は働く所がみつからない。
社会保障制度の保障さえ行き詰まっている。
なのに国民は、遊びに慣れていて、ペットやセックスやガーデニングや温泉が大好きだ。
このアンバランスな貧困は、富裕国が崩壊する前夜ともいえる不気味さを呈している。
このまま墜ちる所まで墜ちるのか、はたまた起死回生の復活を遂げるのかは誰にもわからない。
ただ、思い直してほしい。結局、我々が最終的に大好きなのは『たまごかけご飯』なのだ。
マスメディアに洗脳された我々は『たまごかけご飯』に戻ればよいと思ったりする。
ハローワークは長蛇の列になっている。設置された端末で、求人情報を検索するためだ。
よい働き口が見つかったら、相談員に面接の手配を頼める。
だが、よい仕事ほど競争は激しい。そのため、だんだんと希望条件を下げていくことにならざるをえない。
どこで働くにせよ、いまはパソコンができなければ話にならない。
パソコンが登場したせいで、働き手が激減したというのに、自分もパソコンを覚えなければならないのだ。
まるで、銃口を突きつけられた状態で、パソコンを覚える。
しかしパソコンといっても、覚えるのは小学生レベルの知識と技術にすぎない。
最近は、子供たちのほうが詳しい。
つまり、仕事の必需品に関するスキルが、子供たちのほうが高いという逆転世界が生まれている。
これは極論すると、『大人は子供』だといえる。
ある意味で、大人が不在になった。パソコンすら、子供たちに負けている大人はとても厳しい社会なのだ。
ソーシャルネットワークという世界が広がりつつある。
日本語にすると『社会的つながり』という意味である。
ただし、あくまでも、つながっているのはパソコンや携帯の中での話だ。
もちろん、過去から現在までの友人・知人を含めて、面識のない人間もいる。
とにかく、なんらかのつながりをキーワードにして、つながっていく。
つながった人間同士が情報交換を行ったり、一緒にゲームを楽しんだりするわけだ。
いわば、パソコンの中で遊ぶし、話し合うし、探求するし、励まし合えるし、ケンカをすることができる。
極端に言えば、一年間顔を合わせることなく、親密な交友が可能になる。
顔を合わせないのに、仲良しなのだ。
いや、お互いに望めば、カメラを通じて、顔を合わせることもできる。
一緒にお茶を飲んだり、酒を酌み交わしたり、お菓子を食べたり…。
現実のコミュニケーションは、パソコンの中に取り込まれようとしているのだ。
たしかに、電車賃は助かるが…。
PCコミュニケーションは、やがて主流になっていくのかもしれない。
『一度も会ったことのない親友』なんていうのも、そのうちできるのだろう。
PCコミュニケーションは、たしかに手軽だ。しかし、切れるのも手軽といえる。
よくカラダの関係だけの男女関係があるけれども、あれだってメールアドレスだけしか繋がっていない場合が大半だ。
受信を拒否すれば、その瞬間から連絡は取れなくなる。さっきまでは、親密な男女だったのに。
要するに、メリットがなくなれば互いに切ってしまうだけの関係といえる。
この関係性は、昔とは全く概念が異なる『使い捨ての人間関係』なのだ。
いつから生まれたかというと、女が遊び始めた頃から始まった。
女が次々と、男を乗り換えていくカルチャーが、パソコンの中に根付いた。
女も、男も、用がなくなればポイ捨てする文化といえる。
この小刻みな人間関係は、基本的には、傷つきたくないという心理から発生して、ラクチンという機能がセットされたため主流になりつつある。
人間関係は、面倒になってきたと感じる人が多いわけだ。
1990代後半に、Windowsが98パソコンをヒットさせた。
当時、日本はバブル。男たちは泡銭を稼ぐために奔走していた。
家庭にはママがいるが、ママは遊びに夢中だ。パパは深夜になってから帰宅する。子供たちは留守番要員。
ダイヤルQ2、ブルセラショップ、テレクラ、ノーパン喫茶など、実に様々な風俗文化が登場した。
みんなカネはあるから、遊びに行く。女の子たちは、待ち構えて遊んだり稼いだり。
一応、風俗営業店へ出向いていたところへパソコンが出現した結果、遂に出会い系サイトが生まれた。
ここから先は、個人対個人で、遊びまくった。
友人や知人を探せば、年に50人や100人の男にやらせた女が一人や二人はいるはずだ。
彼女たちも、いま40才を過ぎ、真っ黒な股間でパソコンに向かっていることだろう。
子宮頸ガンが話題になるのも頷ける。
パソコンを通じた出会いは、瞬く間に拡大した。最初は、Yahoo!パートナーだ。
若い男は、10人くらいの女性と常にメールのやり取りをした。
爽やかな話題を数カ月続けると、一度会ってみようということになり、リアルに発展する。
このときパソコンは、完全にコミュニケーションツールとしての地位を確立したのだ。
そして、携帯になり、スマートフォンへと続く。
見知らぬ出会いから、繋がりある出会いまで、パソコンは実現させてきた。
そして、ソーシャルネットワークへと向かう。
まさに、機械の中に人生がある。ソーシャルネットワーク。
びっくりすることはない。テレビが登場したときも、機械の中に人がいて笑っていた。
憧れのスターも、大切な友達も、機械の中で会える便利な時代を迎えるだけの話だ。
人間は、一歩だけでも便利で快適になることにより、喜びを感じている。
そのことが、未来にどんな影響を与えるかなんて後回しだ。
いまつかんだ快適と便利を恐る恐る味わいながら、前に進む以外にチョイスはない。
チョイスを拒否すれば、ハローワークへ足を運び、ソーシャルネットワークの利用スキルを学ばないと、子供たちにも劣ってしまうから。
だから、『社会の理想郷はない』変化し続ける宇宙の中で、理想社会などは有り得ない。
せめて、あるとしたら、自分がどの場所に、どんな仲間と、どんな準備をして、生息するかだろう。
そう、ジャングルや海の中の生物と同じだ。
生きるということは、欲望により進化する社会の中で、どこにどういう方法で身を置くかだ。
どうすれば外敵から身を守り、食料を確保でき、雨露をしのげるかなのだ。
変化し続けるコミュニケーションに疑念を抱いたところで、この大津波は止められない。
表現や言論が自由な世界では、欲望が人々をリードするメカニズムが働くのだ。
もちろん、理想郷だとは言い切れないが、少なくとも、ミサイルや戦車の中で生活するのと比較すれば、幸福度には天と地ほどの差がある。
世界には70億人という人間が生息しているが、民主化された国は30もない。未だに独裁者の下で暮らしている人間が、25億人もいるのだ。
つまり、3人に1人は独裁者に支配されていて、言論や表現を制約されている。日本など僅かな国の民衆だけが、相対的な幸福を満喫している。
しかし、その日本の幸福度は急速に低下しつつあり、その大きな原因が、女性の変化、パソコンの浸透、マスメディアの堕落だと考えている。
しかし、繰り返しになるが、それを誰も止めることはできない。
イヤならば、自分の生息環境を探すしかないのだ。
ジャングルの掟(おきて)とは、そういうものだ。
ただ、たとえ独裁的な軍事政権下であろうとも、政府高官がどう感じているかはわからない。
通常、独裁者の取り巻きは、かなりの厚遇を受ける。独裁者からの信頼も厚いだろう。
国民は、ある意味で平穏かもしれないし、独裁者を崇拝しているかもしれない。
ちょうど、我々がマスメディアに踊らされているように、彼らだって、独裁者に踊らされているという意味では、大差はない。
ましてや、政府高官ともなれば、権力の中枢にいて、裕福で、かつ尊敬されて、これ以上の幸福はないのかもしれない。
そうなると、独裁国家も捨てたものではない。
要するに、幸福の総計をどれだけの人間で分かちあうかによるのだ。
独裁者周辺で巨大な幸福を形成するのか、民主的に成功者全員で分け合うのかの違いだ。
いすれにせよ、経済性が重視される物質文化においては、富が偏る。
だからこそ、精神性をより重視して、心の平穏を獲得しなければならないのである。
職場や家庭も同じだ。
パパやママが厳しい家庭に育つと、それなりにキチンとした子になる。ただし、パパやママが変な人ならば、変な子になるかもしれない。
パパママ連動型の子は、中学生にもなると、周りの友だちと自分を比較して『だって、うちは厳しいの』と、説明するだろう。
だからといって、独裁的な両親のことをキライになるか、案外スキかはわからないと思う。
ただ、民主的家庭の友だちからみたら『かわいそうに…』と見えるだけだ。
しかし、互いにお小遣いの額を比べてみたり、生活の様子を比べてみたり、一家が写った写真を見せ合ったりした結果、どっちが幸福かが少しわかる程度なのだ。
ということは、人によってフィットするかどうかともいえる。
そんな具合に、理想的な環境とは、一口には表せない。
ただ、漠然と思うのは、メリハリというのか、締める所は締め、自由な所は自由みたいなバランスだと思う。
例えば、学校や職場は規律正しいが、家庭や友だちは優しいみたいなメリハリだ。
バーチャルで言えば、ブログは自由な発想だが、ツィッターや掲示板は緊張感をもつとか…。
一人一人が、時と場合に応じて、自分なりにルールを持つことで、締めたり緩めたりする。
そのようなセンスを磨くことで、自分なりの理想を作るしかない。
ジャングルの動物たちだって、ルールを決めて、過ごしやすさを追求しているに違いない。
人間の場合は、ビジネス業者がいろいろと商品やサービスを提供してくるから、それらとどうつき合うかが大きい。
ジャングル同様に、人間社会にもワナがたくさん潜んでいるからだ。
理想的な居場所を作るといっても、食べていけなければ理想は成立しない。
つまり、エサを穫ってくることは生存のための基礎的条件だから、エサの多い所に身を置くことが重要だろう。
エサとは、もちろんカネだ。
ここで一つの分岐点が現れる。安定的な路線でいくか、一攫千金を狙うかの選択。
最近は、この安定的路線(正社員)でさえ、なかなか確保が難しいという。
血みどろの闘いの末に、安定的な場所を確保しなければならない。
ならば、いっそのこと事業を起こして、一攫千金とまではいかずとも平穏な商売にチャレンジしてはどうかと思う。
なにせ、大人も子供もない時代なのだから、アイデアと準備を早い段階から進めたら、意外と芽が出るかもしれない。
このコツコツとした準備に耐えられれば、安住の地へ到達できる。
しかし事業には、裏がある。この裏を知っておかないと、地獄をみる。
裏とは…。
東日本が壊滅状態に陥っている。引き続き極めて危険な状況は変わらない。
今回の悲劇は、地震が発端ではあるが、連鎖的に津波が発生し、原子力発電所が崩壊した点に象徴される。
原子力発電所のメルトダウンは恐怖であるが、この事実は、これから長期間にわたり、日本人を苦しめるだろう。
親または子供を失った人、財産を失った人、チャンスを失った人などが大勢いる。
繁栄が続いていた国に試練が与えられた。
なのに、被災地をいったん離れれば、酒場からは相変わらず笑い声が響いている。
回転寿司のお皿は高く積み上げられ、首まで赤く染まったお父さんが会計をしている。
この日本人に対する天罰は、始まったばかりだ。
破壊された地区の復旧には、かなりの時間と労力、費用を要するだろう。
これらの地区へビジネスを展開していた企業も、お先真っ暗だし、働いていた人たちも失業だ。
東側海岸は壊滅的だし、今後も広範囲地震帯を考えると、安心して投資できない地域となる。
同様のことは、東海地域にも当てはめて想像されるかもしれない。
東海地域から関東にかけての地震だって、同様のリスクを抱えている。
今は、北からと北西から首都圏へと、震源が迫っているが、むしろ東海のほうが怖い。
東海道新幹線や羽田空港がやられたら、東京の価値は消滅する。
悪い予感は当たるというが…。
首都圏の交通や電力供給は不安定なまま推移している。
いかに、東京という都会は便利であったかがよくわかる。
便利な環境に慣れてしまうと、もう戻れない。それもこれも経済力が全ての世の中。
網の目のような交通網・道路網に慣れた国民にはつらいし、エアコンを使い放題に使ってきた国民には過酷だ。
国の経済力、信用力は、この先極端に低下するだろう。どれだけの資本を失っただろう。
すでに、失業率5%の枯れた国がどうなっていくかは明白だ。
今、余裕を持っている遠隔地の人間や仕事を確保している人間も、だんだんと他人のことを同情している余裕はなくなる。
豊かさと快楽を満喫してきたこの島国が、弱者をずっと守っていけるのかどうか心配だ。
悲しみと貧困を分け合うことができる国民かどうかは、感情的ないまは全くわからない。
数年後には、結果がわかる。
こうして考えてみると、人間なんて、運不運に左右される生き物だ。
生まれ方も、両親も、環境も、時代も、病気も、事故も、出会いも、全てが運不運に左右されている。
世の中には、不運な人がたくさん発生している。中越地震だって、阪神大震災だって同じだし、航空機事故だって、台風被害だって同じだろう。
そのたびに感傷的になっては、数ヶ月もしたらバカ笑いをして暮らしているのが我々なのだ。
結局、野生の生き物同様に、縄張りを守っている。
何億も財産を持っていたとしても、一億だけ残して義援金に投じる人はいない。
むしろ、チャリティーコンサートなどを開催して、金儲けに弾みをつけるのが金持ちの考え方なのだ。
感動的な場面をフィルムに収めて、大衆の感情に訴えることがスポンサー探しに役立つ。
大衆の熱しやすく冷めやすい特性を知り尽くした連中が、様々な危機を煽り、様々な行動を誘う。
無力な我々は、黙って見守るしかない。
毎晩、窓から見えていたレインボーブリッジのライトアップが消えている。
銀座の通りも、まるで地方都市のように暗い。
東京タワーは、大都市の象徴だというのに元気がない。
首都高速に並ぶテールランプも、少なくなった。ガソリンが足りないからだ。
大都市・東京は、世界でも最高級の都会だ。清潔だし、治安もよい。四季は美しく、気温も程よい。
世界中に東京ファンが大勢いる。パリやニューヨークも偉大な大都市だが、快適さを競うなら、東京は負けてはいない。
その東京が、いま泣いている。
欲望を追求し続けて創造した大都市社会は、大地の神の怒りに触れた。
地震、津波、火事、エネルギー消失、停電、放射能…。
大地の神の怒りは、まだまだおさまらない。
一方、被災地は5日目。最初は、環境の変化に順応するため、ある意味、正常ではない。
ところが、そろそろ落ち着いて現実や未来を考えることができる段階へ入ってくる。
はっきり言って、絶望的な気持ちになる。
現実の苦痛、当面の生活、今後の安定、将来への希望に対して、どうすればよいか…、おそらく大半の人たちは、活路が見いだせないのではないかと思う。
そろそろ略奪や性犯罪も増えてくるかもしれない。弱者が存在する世界とは、そうなりがちなのだ。
一刻の猶予もない被災地。北日本太平洋沿岸部で苦しむ人を、テレビが煽りたてる。
テレビは、被災者を見せ物にして、ここぞとばかり稼ぎまくる。
どのテレビ局も、全く同じ内容の番組を組み稼ぎまくる。
庶民は、すぐに飽きることを知っているから…。
もともと東海大地震のほうが、発生確率は高いと恐れられていた。
案の定、静岡東部で震度6の直下型地震が発生した。
こうなってくると、日本の首都圏に対する海外からの見方は変わってくる。
仙台や新潟や静岡が、震源を抱えているというのは、いかにもまずい。
すでに株価は下落し、70兆円の資本価値を失っている。
世界80カ国が支援をしてくれたとしても、経済戦争においては相当不利になるのだ。
人間の気持ちとカネの動きは符合しない。
悪いときには、悪いことが重なるものというから予断を許さない。
日本の社会資本が倒壊し、交通・通信が遮断、混乱すれば、産業は大ブレーキがかかる。
被災者救済に莫大な費用を回し、それとは別にバラマキ行政を断行すれば、赤字国債は増発にならざるをえない。
日本の価値が低下する中で、借金を重ねようとした場合、買い手はつきにくい。
そうなると高い金利をつけざるを得なくなり、国債価格暴落の引き金になることが懸念される。
さらに、被災者救済活動が広範囲に及ぶことになれば、もう皿回しの状態になるだろう。
静岡東部地震が余震だったのか、東北地震のときのような前ぶれなのかはわからないが、もしも万一、後者であったとしたらわが国の決定的な致命傷になる。
避難所に人が集まっていることは明白なのに、結局、助けることができないなんて、いったい人間は今まで何をやっていたのだろうか。
こんなに便利な世の中なのに、所在が明らかなたくさんの避難所を、ただ見ているだけしかないなど、本当に信じられない事態だ。
ついに気温は下がり、雪が積もり始めた。空腹の中で、疲労の中で、この厳寒を迎えるというのがわかっていながら、何もできないのが人間の実力なのだ。
なのに、原子力発電所におけるミスを罵(ののし)り、計画停電の不手際に顔を真っ赤にして叫ぶ。
我先にと、スーパーマーケットやガソリンスタンドへ殺到し、子宮にワクチンを打って安全なセックスを確保しようとするのが人間だ。
わかってはいるものの恐ろしい生き物だ。
テレビを見ていると、やたらと、子宮頸がんの定期診断を呼びかけている。
これは予防医学の位置づけで150億円の税金を使う。
一回のワクチン摂取に、15000円もかかり3回必要だから、一人当たり5万円近くいるのだ。
ところが、このワクチンの効き目は、100種くらいのウイルスのうち2~3種にしか有効ではない。とりわけ日本人には、関係性が薄い。
また、効き目は6年で切れる。だから、永続的な税金投入が避けられない。
で、効能といえば、若いうちからセックスし放題というだけなのだ(実は効かないが)。
だから、セックスデビュー・ワクチンと言われる。
しかも、効き目はほぼないし、クラミジアにもHIVにも効くわけではない。
子宮頸がんで、悪性化するのは、言い方が悪いが『ヤリマン』か『不潔な女』が中心なのだ。
本当は、もっと詳しく書いておきたいが、ひとくちでいうと、これは米国発の『ワクチン・ビジネス』なのだ。
いま世界で、ワクチンビジネスが一大旋風を巻き起こしている。
サーバーリックスも、たしか英国(あやふやな記憶)の医薬品会社の独占商品だ。
これを日本人に投与できれば莫大な利益が出る。
まあ、日本には、ちゃんとチェック機能があるから安心だとは思う。
あの最高に信頼できる役所。厚生労働省の保証付きだ。
きっと、厚生族の代議士ルートで市場参入を試みるには、例によって、医学博士に集合をかけ『OK』と言わせる。役人は『ホイキタ』とばかり、日本市場での使用を許可する。
いい加減な想像かもしれないが、あまりに危険な話なので、少なくとも詳しく調べてからのほうがよいかと感じている。
バカ国民が言われたままに、横並びで我も我もと列を作るのは危険な気がするのである。
ワクチンビジネスといえば、あの『新型インフルエンザ』が有名だ。
これは大成功を収めたと言われる。
医薬品会社はもちろん、小児科医も、診察・摂取・薬と三拍子揃った大きな商いになった。
日本医師会のお手柄であろう。
なにせ、日本市場へ売り出せば、4000万人とも6000万人とも言われるお客様が列をなすのだ。
新型インフルエンザの重傷例をいくつか挙げて、『ほら怖いでしょ?』とやれば、誰だってビビる。
国会や役人に対しては、『国民の生命を第一にお考えください』と、涙を流せば、まあ断わりにくい。
ひと仕事終えた連中は、医師会から感謝され、医師を味方にできる。そして、ワクチン投与者からも尊敬される。
『6000円くらいでいいかな?』ワクチンの値段も決まる。
税収も上がる。
世界のタミフルの70%は日本市場で捌(さば)ける。
そして、ワクチンビジネスが次に目をつけたのが『日本女』だったのだ。
『日本女には、子宮頸がんワクチンが大ヒットする』という狙いは、当たりそうだ。
超巨大ビジネスになる。なかなか鋭いとは思うが、一方で、調子に乗るなとも言いたい。
いやはや大変な一週間だった。東日本がグラグラした一週間。
東京がマヒして、通勤難民で溢れかえり、狂ったような買い占めが起きた。
しかし、これら一連の動きを黙ってみていた人たちは、それぞれ何かを感じたと思う。
期待を含めて書かせてもらうと『日本人もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ』と感じた人も多かったのではないだろうか。
被災地の人たち、救済活動を行う人たち、地元の行政、地元の教師・医者・支援者など、苦難がゆえに生まれた協力関係をみていると、まるで『バブル以前の日本人』をみるようだ。
バブル以前の日本人は、こういう感じだったのだ。他人の痛みを感じると、手を差し伸べたくなる。
島国の国民は、みんなで協力し合って、金持ち国をめざしていた。
しかし、一部の人間が金持ちになり、女性たちに火がついたところから日本人は、変わってしまったのだ。
女性たちに見放された男性も変わっていった。金がなければ相手にされないからだ。
懐かしさを感じる一週間だった。
こうした苦境にあって、なんのメリットもないにもかかわらず、ヘトヘトになるまで貢献しようとする人たちが大勢いる。
東北という土地柄のせいだろうか。都会ではない地区には人情味が溢れていた。
ひとたび大都会に目を転じれば、マスコミに煽られた人々が、目を血走らせている。
しかし、おしなべて男性の本質は、あまり変わってはいない。
暗くなるまで被害者捜索に汗を流し、命がけで放射線を浴び、非難を浴びながら黙々と調整作業を行う。
現代においては、まったく『バカみたーい』と、女の子たちに笑われそうな作業に没頭している男たち。
たしかに、たいていは仕事でやっているのかもしれないが、男たちはつい没頭してしまう。
どれもこれもワリに合わない仕事ばかりだ。
そんな男たちをみていると、オスの本質が見えてくるから不思議だ。
オスは、弱い者を救うことに生きがいや喜びを感じているのだと思う。
使命感とか責任感というより、本能なのかもしれない。
ただし、カネにはならない。カネにはならないから、女たちは彼らを尊敬しようとはしない。
口では称えるが、苦楽を共にはしない。
孤高の男たちが増えれば、孤独な女も増える。
計画停電で真っ暗になった部屋の中で、四人家族がコタツを囲んでいる。
コタツの卓上には、アロマろうそくが一本だけ灯っている。もちろん、コタツには、電気が来ていない。
『電気は入ってないけど、なんだか暖かいね』
子供たちが嬉しそうだ。
いつもと違うから嬉しいのだろうか。
ママやパパと一緒だから嬉しいのだろうか。
そういえば、みんなそんな感じだった。昭和40年代とか、昭和50年代とか。
たいした会話はしないけど、お互いの目が届くところで家族はくつろいでいた。
甘栗やみかんやリンゴを、ママがむいてくれたりした。
あれから年月は流れ、時代は飛躍的に便利になったし、子供たちも個室を持つようになったから、そんな家庭の風景は消えた。
なぜだろう。豊かになると、寂しさが増す。
なぜだろう。通信コミュニケーションが発達するにつれて、寂しさが増す。
なぜだろう。情報量が増えれば増えるほど、疑り深くなる。
世の中は、便利で手軽になるほど、荒れてしまいがちなのだ。
あくまでも精神世界の話をすれば、心は病むばかりなのだ。
物質世界と精神世界の対比を考えたとき、反比例が起きている。
いや、人間は物質世界ばかりにとらわれすぎて、精神世界の進歩を忘れていたのかもしれない。
何万人もの災害犠牲者を出さなければ、気づかないのが人間なのだ。
人間は、犠牲者たちの命を、無駄にしてしまうのだろうか。
お父さんが社会で活躍している頃、お母さんは家庭や地域で活躍していた。
子供たちは、お母さんにくっついて離れない。まさに、お母さんは、家庭というチームのリーダーだった。
毎日毎日、買い物に行き、ご飯の用意をする。子供たちは、お母さんの一挙手一投足をみつめて育つ。
お母さんは強いけれど弱い。お母さんが病気になって寝込むと、家族全体が心配した。
お母さんは必ず『大丈夫よ。ありがとう』と答える。
家族の絆が基本となり、子供たちは体を鍛えたり、勉強をしたりした。
お母さんを幸せにするのが、子供たちの目標なのだ。
だから、日本の女性は、母性を脈々と受け継いできた。確固たる宗教はないとしても『家族』が精神世界の中心に、しっかりと根づいていたのだ。
ところが、子供たちは個室に入り、インターネットやテレビで情報収集を行い、友達と情報交換した。
子供たちの心は、家庭の中から離れ、社会へ向けられた。
遊びの世界が待っていた。遊びには、カネが必要だ。物質世界が進展する中で、カネは猛威を奮った。
女の子には、カネを手に入れる方法があることを知る。
1980年から1990年当時、女の子たちは"仕事"を始めた。
女の子たちは、少しでも美しくなって魅力的になることで、自分の価値が高まるような錯覚に陥っていった。
大人はそれをみて、新しい化粧品やヘアデザインや下着や水着やアクセサリーを発売した。
そして、女の子たちは早くから"女性"になっていき、家庭という拠点から社会という拠点で活躍しようとし始めた。
並行して、物質世界は驚異的に進展し、腕力を不要とする仕事を増やした。
こうして美しい女性たちは、大人になって、社会の中へ溶け込んでいくかにみえた。
ところが、美しく強い女性たちの参入を受け入れた男性社会に動揺が起こった。
男性と女性の接触は、セクハラや不倫を発生させ、派遣社員を増加させることにつながった。
家庭の大黒柱の平均年収は、不況とともに下降し、男性の威厳は損なわれ、萎えさせてしまった。
さらに、女性は社会に定着し、家庭と社会との間に、"秘密"の壁を作った。
やがて、男性と女性との間には、みえない距離が生まれたのだ。
バブル崩壊後、パソコンが普及、オフィスは省力化された。
企業は、中高年をリストラし、安い人件費を派遣労働者やアルバイトなどの非正規労働者と海外労働者に求めた。
技術は、海外に漏れ、国内の年功序列賃金・終身雇用制度は終焉を迎え、成果主義型報酬のようなドライなやり方が試行錯誤された。
女性たちの社会進出は、少子化をもたらし、ダブルインカム・ノーキッズが新たなスタイルとして登場するのだ。
かつて青春期に、家庭のを否定した世代が、遂に親世代になったとき、ノーキッズを選択した。
そしてリーマンショックが拍車をかけ、失業率は急上昇。立ち直りかけた今、東日本大地震が日本を襲う。
本格的な社会進出を果たした女性たちは、不運にも経済不況に遭遇した。
思うように自立ができない女性も多く、年月が過ぎていく。
ノーキッズ夫婦の離婚や一般家庭の若い女子やキャリアウーマン志向者たちは、社会に放り出されたまま行き場を失いかけている。
まだまだ不況は続く。
男性は男性で、生活を確保しなければと必死だ。
女性も男性も、結局、散らばりながら、落ち着き場所を模索する時代。
時代の大きな渦の中で、日本全体に巨大な津波が襲いかかったような情勢だ。
都会の男女は、みんな大波に流されようとしている。
高台に上がった男女は、悲鳴を上げて救助を求めているかのようだ。
物質文明と貨幣経済社会の到来は、世界一の高齢社会を締め上げている。
我々はいつからか、空をぼんやりと見上げなくなった。
未来の夢をみても、目標がみつからないからだ。カネばかり稼いで何を得ようというのだ。
数量化された幸福感は、常に他人との比較を伴う。昨日の数量を減らせば、幸福感は消え去る。
欲望はエスカレートをやめない。
女たちは、生き方を変えた。変えたとたん、世の中は運悪く、地響きを立てて怒り狂った。
日本だけではない。東南アジアも、中東も、物質社会に目覚めつつある。
世界の女性たちは、日本が歩んできた欲望の追求を始めるだろう。
日本国民だけが経験した失意を、いずれは世界中の欲望探求者たちも経験することになるだろう。
疑念の日々、詐取の日々、競争の日々に、世界中の女性たちが直面する。
彼女たちも、やはり疲弊し、深夜の誰もいないオフィスで茫然とするときがくる。
携帯端末に向かい、涙を流すときがくるに違いない。
しくしくと痛む頭や胃や、そして卵巣をさすりながら、何を思うのだろうか。
大地の神々は、それを見逃してはくれない。そうなったら、世界は地球環境の破壊に向き合うことになる。
女性たちは、運命の悪戯により、進むべき方向を誤った。
彼女たちは、母性という精神世界を守るべきだったのだ。
そのことに気づいているのは、地球上で、私たち島国の国民だけだ。
西暦1700~1800年の人類の平均寿命は、20~30歳くらいであった。
日本人は世界最高の長寿国家であり、いまや80歳を超えている。
つまり、人類はわずか200年の間に、3倍から4倍長生きするようになった。
また、人口も、その間にやく7倍になった。人類は、繁殖し続けている。
当然のことながら、地球は悲鳴をあげている。地底のマグマが燃えたぎっているのだ。
野生動物には絶滅種が絶えない。
人間といえども、無精子のオスやEDに悩むオスが急増している。
HIVやHPVなどのウイルスもじわじわと繁殖しつつある。
人間の自然治癒力は低下し、補完的に医療や薬品が進歩した。
やりすぎだ。
産業革命を皮きりに、エネルギー産業や精密機械技術ばかりが、発達しすぎた。
勢い貨幣の地位が上がる。貨幣が貨幣を稼ぐ金融市場が巨大化し、貨幣を増やすことが目的化してしまった。
その究極の姿が、不動産バブルとその後の飽食の時代だ。
歴史上、この快楽的繁栄は空前の水準だった。
大都会は、ゴールドラッシュに賑わった。
その中で、人類が最も失ってはならないものを失いかけている。
それが母性だ。
母親は親元を離れた息子や娘を遠くから、元気でいてくれることを祈るだけで立派な仕事なのだ。
だから、若者たちはパワーを得る。次第に強くなっていけるのだ。
だから、若者たちは夢とか目標を追い続けることができるのだ。
立派になった若者たちは、ときどき母ちゃんを思い出す。ときどき母ちゃんの声を聞きたくなる。
『母ちゃん、元気か?』
母ちゃんは、必ずこう答える。
『母ちゃんのことは心配いらないよ。ありがとね』
********
4カ月にわたり、暴言を吐き続けた稚拙な文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
日記とはいえ、かなり偏見に満ちた記述内容には、気分を害された方も多かったことと思います。
また、途中で激励くださった方々にも、レスをせず、大変申し訳ありませんでした。
仕事の移動中や就寝前のベッドで執筆したため、意味不明な個所や誤植がたくさんあり、読みにくかったことと思います。
何卒ご容赦くださいますようお願いします。
(あとがき)
なんとなく毎日が過ぎていく中で、漠然とした空虚感を感じることがあるのではないでしょうか。
正解のない世の中が、自分の自信をグラグラと揺さぶるため、自分の進路とか方向性に確信がもてなくなるのでしょう。
この世のものは、変化し続けていますから、いわば仮の姿でしかないのかもしれません。
私たちは、変化の中で、より適切な道を選ばなければならないと思うのですが、それは歴史がすぎていき、振り返ってみなければ、適切であったかどうかさえわからないのだと思います。
あのとき『ああしておけばよかった』と思っても、時間はどんどん過ぎていきます。
だから、野生の動物たちのように、不思議なカンを大切にして、毎日を過ごしていかなければならないと感じています。
論理的な説明がつかなくても、直感的で本能的な正解が脳裏を横切る感覚を大切にしたらよいのではないでしょうか。
たぶん、理屈や知識に毒された私たちは、素直になりきれない何かを宿してしまったような気がするのです。
それは、見栄かもしれないし、体裁かもしれないし、強がりかもしれませんが『弱さを見せることの大切さ』を考えてみたら、人生が大きく変わるかもしれないですね。
完
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