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No.488 19/02/14 18:33
ハプスブルク=パレオロゴス,AUT ( 40代 ♂ MLdWxe )
あ+あ-

≫487

🎶勿論ベートーヴェンが18世紀末にウィーンに移住し、それから死ぬまで35年くらい(つまり人生の半分よりずっと長く)ウィーンに住み続けた事を思えば、当時既に街の中心地の一角にギリシャ正教会が有ったのは、知っていたろう!?

だがベートーヴェンと言えども、当時の音楽教育を受けて育ったわけで、それはつまりルネサンスからバロックにかけてイタリアで生まれ、更にその影響受けつつ高度なボリフォニーや和声を完成させたバッハ、ヘンデル、それから早死にで直接習えなかったが尊敬していたモーツァルト、代わりに古典派作曲技法を教わったハイドンなりサリエーリ等の伝統の中から出発したのだ。

あの時代、半ば忘れ去られていた大バッハの作品を、偶然少年時代にボンで師ネーフェから習ったのが、後にベートーヴェンの強みになる。
だがそのベートーヴェンも、死ぬまでヘンデル>バッハと言う信念は抜けなかった。古典派時代には確かにヘンデルの方が偉大な模範であり、大作曲家だったのだ。

バッハは生前既に時代遅れの複雑難解な作曲家と思われ、死後かなりの作品が散逸した。

バッハが再評価され出すのは、ベートーヴェンの死後メンデルスゾーンによってであり、これはバッハ死後80年以上経ってからである。

つまりベートーヴェンはバッハのチェンバロ作品は知っていたが、マタイ受難曲やロ短調ミサ曲を知らなかったのだ。
メンデルスゾーンが財力を頼りに、これらの作品を集め再演し、バッハの名声は不動になった。


とにかくベートーヴェンは時代を先取りする作品を作曲し続けたが、やはり基本的にルネサンス以降生まれ、古典派で大成したヨーロッパ正統派音楽から、百年後のドビュッシーやサティみたいな逸脱は想像だにしなかったのだ。

こうなる為には、晩年ベートーヴェンの影響受けたロマン派作曲家らが現れ、和声が多彩化し、遂にリストやワーグナーが無調を生み出し、他方ロシア国民楽派らが西欧と異なる基盤で作曲し始め、それらをドビュッシーが受け取って初めて可能だったのだ。

なおサティの特にグノシエンヌ全6曲は、当時パリにあったルーマニア正教会の典礼の聖歌の影響を強く受けている。
サティは頻繁に刺激を求めてルーマニア正教会に出入りしていたらしい♪

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