神社仏閣珍道中・改

レス500 HIT数 16014 あ+ あ-


2024/01/20 11:13(更新日時)

[神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神さまや仏さまにお会いしにいこう!



┉そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。

初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神さまのもと、仏さまのもとをお訪ねいたしております。

そして┉相も変わらず、作法のなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神さま仏さま、どうかお導きください。





No.3818310 (スレ作成日時)

新しいレスの受付は終了しました

投稿制限
スレ作成ユーザーのみ投稿可
投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

No.401

(続き)

…まだ続く?

…そう思われますよね、すみません。
チャットGPTに頼めば、この半分くらいで済んだかもしれませんよね。
あれもこれもと思うと、あ、書き忘れていた、と書き足し書き足し、さらにはまだまだたくさん漏れがありました。
まぁ、それは法華経のお写経を終えて納経に伺った際に書き足すこととして。

あの、金色に光り輝く伝教大師さまの尊像についてが書かれておりません。
…これは次回、というわけにはいきません。
なぜならば、この尊像のポスターを見ながら、桐生市正圓寺さんのご住職さまに、こちらの浄法寺さんへの参拝をとお勧めいただいたわけですし、このお寺の現在のシンボルでもあり、ひいては群馬県の天台宗のシンボルと言っても過言では無い存在です。


この尊像、平成二(1990)年に群馬教区の二百五十六寺が比叡山開創千二百年記念に建立を発案し、
京都・『三十三間堂』の『十一面千手観音菩薩像』を修復された仏師の『西村公朝』師が制作されたものであるといいます。
西村師は仏師と書かせていただいておりますが、天台宗僧侶で京都愛宕念仏寺のご住職であり、東京芸術大学名誉教授でもあります。

西村師は、この尊像を造るにあたり、群馬県教区の〝お大師さまの巡錫のお姿〟という希望にたいそうお悩みになられたといいます。
当時の天台座主にご相談されたところ、座主自ら、旅姿をされて西村師の前に現れ、
「このお姿で、胸前に法華経を下げて、東国へ向かったであろう」と付言なさったといいます。

西村師は境内全体を極楽浄土に見立てて場所を決め、伝教大師像の前にある左右の石は『梵天』と『帝釈天』を表すなど、一つ一つに意味が込められているといいます。
(ちなみにどの石が梵天で、帝釈天なのかはさっぱりわからなかった凡人でありました。
再拝の折にそういった目でもう一度見てみたいと思います)

像高4.5m(地上高8.5m)のブロンズ像。
今なお煌めく金色のお姿であります。

「この伝教大師さまの尊像は、右手には錫杖でなく、歩行を補助する弾力性のある若木の杖。
左手は法華経を収めた包みを持ち、その上には念持仏のお薬師さまを入れた巾着があります。
足元も草鞋ではなく、遣唐使時代に唐から持ち帰った履き物を履いています」
とご住職さま。




No.402

(続き)

この伝教大師さまの尊像、建立から三十年が経過して、塗装面が劣化しかろうじて表面の塗膜が付いている状態となっており、黒い線状の汚れが多数付着して、お大師さまが涙を流しているかのように見えていたといいます。

お大師さまの一千二百年の大遠忌を迎えるにあたり、令和三(2021)年、この尊像の保守メンテナンスと、相輪橖(そうりんとう)の修復を実施したといいます。

この『相輪橖』。
『相輪橖』とは五重塔や多宝塔などの一番上にある最も重要な部分「相輪」だけを塔のように建てたものですが、こちらの相輪橖は伝教大師さまの発願によるもので、全国に六カ所、法華経納経の所在地に立てられたものといい、地域の人々の平穏無事や五穀豊穣を祈られました。
この相輪橖は弘仁八(817)年に建てられ、全国六ヶ所の宝塔の中で、伝教大師様がご存命のうちに完成したのは浄法寺と大慈寺(栃木県)の二カ寺だけであったといいます。

現在のこの浄法寺さんの相輪橖は青銅製で高さは5.3m。
寛文十二(1672)年に改造され(一説では再建)、文政十二(1829)年に補修されたものといいます。
改造とありますが、かなりの大掛かりなものであったのでしょう、それが無ければ藤岡市の指定重要文化財程度のものではないでしょうから。
ゆえに再建という表現をするものがあるのだと思われます。

表面には細かな文字で寄進者の名前が刻んであるのが、かろうじて見てとれます(これはあくまでも距離的なものです)。
今回蓮弁の破損や剥落があり、これを修理、あるいは新調し、高所作業車を用いて相輪橖頂頭に取り付けたといいます。


そして。
道路を隔てておりますが、八功徳池(はっくどくいけ)・弁天堂、独鈷水(とっこすい)などが残されています。
この八功徳池はかつての浄法寺さんの中庭の池であったといい、背景に広がる山並みを比叡山に見立て、琵琶湖を模して作られたものだといい、弁天堂は竹生島から勧請した弁財天さまが祀られているといいます。
この弁天堂の彫りがハッとするほど立体的でリアルで、鱗の一つ一つ、尖った爪の内側に至るまでリアルに彫られております。
名のある方が彫られたかどうかまではわかりませんが、とびきり腕の良い彫り師さんの手によるものであることは間違いありません。

独鈷水はお大師さまが独鈷という仏具で掘ったと伝えられる井戸であります。

No.403

【中尊寺の…】

ご住職さまのお話を絞るように思い出し、あれこれ張り切って調べて、ずっと綴っておりました群馬県藤岡市の【浄法寺】さんについて、いったん(えっ?)ここで終わりにします。

話の収拾が付きづらくなってしまってもおり、ここで、同じく天台宗のお寺さんであります中尊寺さんの、大変嬉しいニュースを一つ。


『建立九百年 特別展【中尊寺金色堂】』が、

【東京国立博物館 本館】にて、
2024年1月23日(火)から4月14日(日)まで開催されるのです。


岩手県平泉の中尊寺金色堂は、天治元年(1124年)、藤原清衡(ふじわらのきよひら)によって建立された、東北地方現存最古の建造物です。

そう、まさに来年が建立から九百年!

この建立九百年を記念して開催される特別展【中尊寺金色堂】は、
金色堂中央壇に安置される国宝の仏像十一体をすべて展示するといいます。
これら、《阿弥陀如来坐像》、《増長天立像》や《持国天立像》など十一体の仏像がそろって寺外で公開されるのは、初の機会となるようです。

きゃー♡

このニュースを初めて見たとき、まさに小躍りするほど嬉しく、胸がときめいた私。

この金色堂の御仏像、私にとって日暮の門ならぬ日暮の御仏像、なのですから♡

それが東北まで出向かなくとも東京でお会いできる♡

あー嬉しい♡

実はまたかれこれひと月あるいは二月前くらいからこの情報を手に入れた私、早速その胸のときめきを夫に伝えました。

ところが!

「ふーん」
へっ?
「金色堂の仏像?そうなんだぁ」
はあぁん?!💢
…なんでしょうその軽い物言い。

私「えっ、行かないの?」
夫「えっ、どうして?」

きーっ!!💢


「…一人で行きます!」
これはよく一昔前のドラマとかで(ふた昔?だいぶ以前?)
「実家に帰らせていただきます」
と同じくらいの熱量でありました。

さらに追い討ちをかけるように夫は
「えっ、行くなら一緒に行くよ」
私「結構ですっ!」

私の怒りがおさまるまで書くことができなかったくらいの発言です。

まあ、今となっては価値観の相違で、夫にとっては〝中尊寺の御仏像は一度見たからいいや〟というレベルに過ぎず、私の恋心とはかけ離れたものであったに過ぎないことは理解したのですがね。

そうだ!

チケット買わなくては♡



No.404

今日は一日。

師走の朔日となり、次の朔日は元旦、新たな年を迎えております。

師走は『御礼参りの月』とされ、師走の神仏の縁日は特別視されるとも言われます。

と、いうわけでいつもの朔日参り、というよりもやはり今年一年お護りいただきましたお礼を申し上げますため、毎月の朔日に伺っております神社さんの他、今年の初詣に参拝させていただきました神社さんへもお参りしてまいりました。

本日この日まで無事に過ごせましたことを御礼申し上げ、
師走と言われる忙しい月にも事故無く怪我なく、心身共に健康で過ごせますよう御祈願申し上げました。

いつも伺う神社さんへの朔日参り。
それから【桐生天満宮】さん。
そして【貴舩神社】さんへと参拝してまいりました。

いずれの神社さんも一般の参拝者に対して、とりたてて月次祭としての行事を設けておられるわけではなく、ただただ信心深い方々がお詣りをされているだけ、ではありますが、桐生天満宮さんにしても貴舩神社さんにしても、県外ナンバーの車が何台も停まっておりました。

これが〝信仰心〟なのだろうなぁ。


ことに桐生天満宮さんは今まさに紅葉の美しい時期を迎えており、
よく晴れた青空の下、御神木の黄金色のイチョウの葉が散って、まるで境内にじゅうたんでも敷き詰めたかのようでありました。

うーん♡
神さまからのご褒美のようです。(? 一体なんのご褒美をいただけるというのだ?そんなご褒美をいただけるような行いは何一つしてはいないであろうに)


ご褒美では無いにしろ、良い日であります。
これはお恵みであることだけは確かです。


さあ、今日はどこのお掃除をしましょう?
頑張らなくては神さまに申し訳ありません。

No.405

【朔日参り】・【おついたち参り】

月の満ち欠けによる「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶといいます。
お正月の元旦をはじめとして毎月初めの一日(=朔日)に神社に参拝することを【朔日参り】・【おついたちまいり】と呼び、神恩感謝の真心を捧げ、
無事に過ごせた一か月への感謝と、
新しい月の無病息災・家内安全・生業繁栄・商売繁盛などを祈念し、益々大神様の御加護を頂けるようにお参りする古式ゆかしい習わしであるといいます。

月の満ち欠けをもとにした太陰暦に従えば、一日はまさに朔日、新月の日となり、十五日は満月の日となります。
それなので、地域によって、あるいは人によっては現代の暦の一日、ではなくて、新月の日、まさに朔日に神社に詣でるということもあるようです。

とはいえ、参拝者に向けて月次祭の行事を開催されるような神社さんでは、現在の暦の一日、十五日に月次祭を執り行われているところがほとんどです。

…うーん。

月次祭に参列したくなってしまった。


うーん。

No.406

【法華経】

「いきなんなら一日一文字でもいいんですよ」
と、浄法寺さんのご住職さまがおっしゃっていました法華経のお写経、いまだにその一文字すら手がけていないおば(か)さん。


どうやら私は理屈っぽいところがあるのかもしれない、のです。

普段はそれを自覚していて、あえて封印しているところがあります。

子どもの頃、私はよく「なぜ?」「どうして?」「どういう意味?」「どうなってこうなる?」が気になる子どもで、よく周りの大人を困らせていたのは、今も記憶しています。

それで、なのでしょう。
母に、
「お前は一言多いからとにかく黙ってろ」
「お前は屁理屈ばかり言って嫌われるから、人の前では何も言うな」
と、ことあるごとに言われてきたことが刷り込まれてのことでもありましょう。
母の前では話し出しただけで必ず話を折られていました。

そんな繰り返しの中、いつしかそれが私の処世術となってしまっていました。

…でも封印しただけ、ですからね。

今、むしろそういった疑問は大切にされる時代になっています。
むしろ「エビデンスは?」
などと聞かれる時代です。


写経って、その字面からいっても『お経を写す』こと。
何も難しいことはなくて、ただ心を込めて一文字一文字書き写せばいい、…それだけのことなんです。

もちろん、内容を理解したうえで写経されておられる方も多くおられます。

でも私は般若心経を読んでも聞いても書いても、その真の真意を理解してはいない。
知るために書き写す、のかもしれません。
いや、今はもはや知るため、でもないな。
それを理解することは悟りでもあろうことを理解したので。

御仏の言葉に触れていたくて、写経をしている、というのが一番近いのかもしれません。

ではなぜ法華経はうつせない?

…おそらく法華経を全く知らないから。
耳にしたことがあっても、それが法華経なのだと知って聞いてはいないから、私にしたら一度も聞いたことがない、となる。


(私の写すこの紙一枚分のお経にはどんな意味があるのだろう。)
(何を伝えている、伝えようとしている一部なのだろう)
…などと考えてしまい、ネットを以って調べてみたり、ただただいたずらに時が過ぎていくばかり、なのです。

No.407

(続き)

ではなぜ法華経はうつせない?

まあ、今回の最初のためらいは、そのあまりにも壮大な写経事業の一環に私などが関わることへの畏れがあってのこと。
皆さんの仕上げた写経があまりにも完璧なもので、その完成度の高さに正直ビビったことに端を発してはいます。

でも、たとえば文字の汚さだけからの躊躇いであれば、努力して、私に出来る精一杯で、一文字一文字、下にうつし出される文字一つ一つと同じように写せばいいだけのこと。

今はそこまでは歩を進めています。

今の躊躇いは?

…おそらく法華経を全く知らないこと。

耳にしたことがあっても、それが法華経なのだと知って聞いてはいないから、私にしたら聞いたことがない、となる。

その文字の羅列を見て
(私の写すこの紙一枚分のお経にはどんな意味があるのだろう。)
(何を伝えている、伝えようとしている一部なのだろう)
…などと考えてしまい、ネットを以って調べてみたり、ただただいたずらに時が過ぎていくばかり、なのです。


…じゃあ、『般若心経』は内容を理解して写しているのか?
そう問われたら、当然ながら答えは「NO」。
じゃあ同じじゃない、とおっしゃるかもしれません。

しかしながら。
般若心経二百七十六文字、全てを読んでも、書き写しても、どんな意味かという解説を読んでも、その、御仏…お釈迦さまが本当に伝えようとしておられることは、『私には理解できない』ということが、…『少なくとも今は真に理解することができない』ということがわかって。
『それに近づくべく、写すのだ』ということまで理解して、そんな状況でいま写経しているのが現状、なのだと思います。


ただ。
そもそもが般若心経の初めての写経のとき、まさにただ字面を追って、一字一句の間違いがないよう、写しとっただけだったのです。
『写経というものを体験してみよう』
でしたから。


「難しいことはないです。一字一句間違えずに写すだけですから」
と浄法寺さんのご住職さま。

そう、まさにそれ。
素直に、与えられたも一枚の、『法華経の一部を写しとること』が、私の使命なのですから。

今回の写経の意味は…法華経の一部を書き写して、それを順番に貼り合わせて一つの【法華経】の巻き物とすること、なのですから。

読まなくても、読めなくても、意味がわからなくとも、一字一句違わず書き写すこと。

No.408

(続き)

『法華経』は、正式には『妙法蓮華経』というもののようです。
全体が二十八品(二十八章)に分かれ、文字数にすると六万九千三百八十四文字あるといいます。
その教えの内容から前半の十四章を「迹門」(しゃくもん)、後半の十四章を「本門」(ほんもん)というそうです。

…もう、ですね、これを知った時点で、自分が書き写す部分がどこであるのかを探し出すのは結構大変なことだと気づきました。
お坊さまにお聞きすれば、「ああ、これは…」と、お答えいただけることなのかもしれませんが、さすがにそんな一部分だけを知って、なんの意味があるのかと気づきました。

般若心経もそうですが、実はお経ってお釈迦さまの御教えでありますが、それだけではないことに気づくのです。
わかりやすい言葉を使って、その教えを説くため、(…わかりやすい言葉を使っているはずですが、内容が深くて大いなるものであるため、毎日お唱えし、さらには写経をしている般若心経でさえ、私には相変わらずさっぱりわからないままですが)
関心を持てるよう、話しかける言葉であり、詩でもあり、物語でもあるよう感じるのです。

門前の小僧ですらない、ただの、しかも信心深くもないおばさんが、超わかったような口をきくと、バチが当たりそうですが、そう感じたのですから、それはそれで私の感じ方の範疇なのでお許しいただいて(…誰に?)

何もこ難しいことは一切考えず、法華経の一部分を写経する覚悟はできました。

ただ、悪筆というか、文字のクセというか、書写を授業でしかやっていないため、墨や筆に慣れていないこととか、ああじゃないこうじゃないの、言い訳はあるにはあるんですが、ね。

珍道中ペアの夫に言われました。
「そんなふうに難しく考えなくていいんだと思うよ。そう和尚さんもおっしゃっていたじゃない。
毛筆でなくても、ペンでも、なんなら鉛筆でもいいって。
素直に、ただ丁寧に写せばいいんじゃない」


…たまぁに、深い言葉を宣うわが心の師。(心の中でたまに〝師〟だなぁ、と思うだけで、敬うような態度は一切ない、悪妻でありますが)
 
大掃除も着々と進んでいます。
年賀状も書き終えました。


とりあえず、一文字書き写してみましょう。

No.409

【浄法寺さんの石塔】

『聖徳太子の墓』と伝えられている群馬県藤岡市の浄法寺さんの『聖徳太子供養塔』が、8世紀後半に造られた石塔とみられることが分かったといいます。
先日お邪魔させていただいた際に、ご住職さまがお話しされていた調査の結果が出たということです。

石造物研究者さんと藤岡市文化財保護課が、共同研究し、論文『浄土院浄法寺(緑野寺)聖徳太子供養塔の基礎的研究~古代石製層塔の新事例』というタイトルで発表されたといいます。

『…浄法寺境内にある聖徳太子供養塔は、18世紀に作成された【上野國志】に『境内に太子御塔あり、五輪塔なり、其石甚だ古し』と記載されているが、造られた年代は不明だった。

供養塔は高さ約2・6メートル。円柱状の七つの石が、径の小さい軸部と大きい笠部とで交互に積み重ねるように構成されている。

主に凝灰岩でできており、造立後は、戦国時代の戦乱によって破壊されるなど、一部は改変されていると見られている。
ただ、部材の形状や大きさ、石の風化度合いなどから、一番下とその上にある石が造立時のもので、改変は加えられていないと推定した。

古代、中世の塔と比較し、笠部の形状や大きさ、軸部と笠部の幅の比率が古代のものと極めて似ていることから、古代に造られた蓋然(がいぜん)性が高いと判断。

さらに、造立年代が推定可能な多胡碑(711年ごろ)、山上多重塔(801年)などとの類似点から、8世紀後半ごろと推定したという。』

(朝日新聞の記事より抜粋)

今後の課題としては、
「下部が地中に埋まっている可能性もあり、全容を解明するには発掘調査を検討する必要がある」
と話しておられるといいます。

国内で確認されている古代(奈良~平安時代)の石塔はわずか十数例だけだといいます。
この石塔は、
『伝法灌頂(でんぽうかんじょう)(師弟間の法脈の継承などの儀式)』や祈願の場として重要な役目があったと考えられるとされ、また、写経などに携わる人びとの拠り所として造営された可能性もあるといいます。

聖徳太子伝説はとにかくとして、この石塔が歴史的に大変貴重なものであることは、確かなことであります。


あのタイミングで浄法寺さんへ参拝できたこと、なんだかとても光栄に思えて、嬉しくなったおばさんでありました。

No.410

【桐生天満宮の境内社・機神神社】

先日の朔日詣り。
雲一つない天気に恵まれ、『国指定重要文化財』の『附(つけたり)』として指定された機神神社さんの社殿を時間をかけて拝観してまいりました。

…実は、今度の土曜日、桐生案内人の会さんの主催するイベントがあるようなのですが、気づくのが遅くて申し込むことさえできませんでした。
申し込み初日の数時間で募集人数を超えてしまい、すでにキャンセル待ちが八人おられるとのこと。
この桐生案内人の会さんのイベントは人気が高くて、今までも一度も申し込むことができませんでした。

この国指定重要文化財指定を受けてのこのイベントでしょうから、きっとこの機神神社さんの詳しい解説があるのだろうなぁ…。

お聞きしたかったなぁ…。



この、附として指定された『機神さま』、決して大きくはない社殿ではありますが、実に見事な繊細な彫刻の施されたものでありました。
この機神さまは、社殿と思っておりました建物が実は覆屋となっておりますこと、偶然お会いした桐生案内人の会の方に教えていただき知ったものでありました。


寛政四(1793)年完成の、彩色や彫刻による装飾に富んだ社殿で、もとは天満宮さんの境内にあったものではなかったようです。
たしかその時、あまりな見事な彫刻であるため、朽ちていくことを惜しんだ方が、天満宮さんの境内に移動して覆屋をかけたと、案内人の方がおっしゃっておられたよう記憶しております。

桐生天満宮本殿・幣殿と同時期に制作された建物で、彫刻は天満宮社殿にも携わった【星野政ハ】とされています。

御祭神は【栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)】さまであります。
兄弟姉妹神さまは
【八意思兼神】さま。
【少彦名命】さま。
【三穂津姫命】(=大物主神あるいは大国主神さまの妻)。

配偶者神さまは
【天忍穂耳尊】さま。
天照大御神さまの子であり、神武天皇の高祖父であります。

お子さまは
【天火明命】さま。
【瓊瓊杵命】さま。
であります。


【古事記】では
【萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)】と呼ばれ、
萬幡;『多くの布』
豊;『多くの』
秋津;『蜻蛉の羽のように薄い上質なもの』
師;『技師』『織女』
の意。

織物の神さまであり、安産・子宝の御神徳があるとされる女神さまであります。

No.411

(続き)

彫工【星野政八】の生まれた年は分かっていないといいます。
 
最初に名が残されたのが宝暦十一(1761)年、大滝村の『三峰神社』であるとされます。
桐生天満宮の彫工棟梁『関口文治郎』とは師と弟子の関係で、熱田神宮には共に名を連ねているといいます。

その後、独立して最初の仕事が、昭和村橡久保の『千賀戸神社』本殿といわれており、明和五(1768)年であるといいます。
独立はしても、小倉弥八や前原藤次郎のグループの作品にも名が出てくるといいます。

【桐生天満宮】の時は棟札には名前がないといい、客分扱いなのか蟇股の裏に墨書が残されているのだといいます。

最後に出てくるのは死後十年くらいたってから、二代目関口常八の出世作といわれている『野木神社』の棟札、息子の慶助と一緒に出てくるといいます。


桐生市の花輪村にあります天海上人の伝説の残る【善雄寺】に、政八・慶助のお墓ががあるといいます。
墓誌には政八の亡くなったのは文化八(1811)年十一月十九日と刻まれているといいます。

また、境内には松尾芭蕉の句碑があるのですが、政八は俳句を楽しんだらしく、句碑建立者の中に政八の名がみられるといいます。

句碑には
『此のあたり目に見ゆるもの皆涼し』と刻まれています。


そんな政八が施したという機神神社さん。
覆屋が結構大きな建物で、実は写真で撮って拡大して見る方がよりその素晴らしさを味わうことができるのです。

…⁈

もしや…。

このたび開催される桐生市の案内人の会のイベントでは、この機神さまのお社の中に入れたりするのでは?


く〜〜〜。


No.412

(続き)

訂正)前レスで
>この機神さまのお社の中に入れたりするのでは?
などと機神さまの社殿の素晴らしさに魅せられたおばさんが、勢いあまって書いておりますが、この〝お社〟はあくまでも>〝覆屋〟
である方の〝お社〟の方で、決して〝社殿〟の方ではないことをご承知おきください。

ちなみに。
この機神さまの社殿は、大きな御神輿をさらにもう少しだけ大きくしたくらいの大きさで、入ってもよいと言われたところで、それは全く不可能でしかない大きさなのであります。


それにしても。
この機神さまの社殿の彫刻は、日光東照宮に奉納されても全く遜色ないほどの素晴らしい出来栄えであると、私は思っております。

さもありましょう。
東照宮のあの素晴らしい彫刻を彫った彫工たちが、あるいはその弟子たちが、東照宮での仕事を終え、次なる職を求めていた、腕のある彫工がたくさんいた時代のことです。

そしてその彫工たちは、再びその腕を思い切り振るいたいと、…職を求める以前に、自分の持てる技をありったけ表現する場が欲しいと願っていたことでありましょうし。

そんな星野政八の情熱と持てるありったけの技術の全てが注がれたものだったのではないかと思うくらいのものです。

かつて、この機神さまの社殿が風雨に晒され朽ちていくのを怖れ、惜しんだ方が、安全な場所に移動し、なおかつ覆屋を建ててくださったことに感謝しかありません。

それでもその方がそうした覆屋を建ててくださったときにはすでにだいぶ時を経ていたと伺っておりますが、それでも、社殿の上の方は、社殿本体の屋根の庇もあることからか、見事な極彩色が残っています。
(どこかの時点で補修されたかどうかも不明ではありますが)
ハッと息を呑むほどに鮮やかな金色と赤の色がしっかりと残っているのです。

柱一つにしても贅を尽くした、といたという表現が適切であるかどうかはさておき、実に繊細な細やかな彫りが施され、しかもそのデザインも素晴らしいものであります。

正直、私の身長ですと見える範囲も限られており、
何よりあくまでもこの社殿は『栲幡千千姫命』さまのお住まい。
いくら覆屋とはいえ、失礼のないように覗くというのも、そうは許される行いではありませんでしょう。

でもきっと、今後桐生天満宮さんへ参拝すれば、きっと必ず機神さまのお社の周りをうろつくに違いない、私です。


No.413

(続き)

『目抜きの龍』という言葉があるといいます。
一番目立つところの龍のことで多くは向拝正面の龍を指すそうで、そういった意味で、この機神さまの社殿にはまさに向拝に一際大きな緑色の塗装の残る龍が一体と、その上にも少し小ぶりな龍が一体、頭の向きを変えて横たわるようにそこにいます。

鱗も細かに彫られ、手の立体感、爪の鋭さもリアルなものです。

…とはいえ覆屋の中の社殿であり、距離もあり、かつ小さな社殿であるため、肉眼ではそこまで見ることは叶いません。

社殿正面の両の柱、向拝柱は細やかな彫りが施され、さらにはその表面に等間隔で金の梅の花の枝が彫られています。

おばさん、写真を見ながら感嘆し続け、そのたびにその部分に目と何よりも心が釘付けになっています。
こうした建物は釘を一本も使っていない技法で造られているというのに、一体どこからの釘でありましょう。

象鼻はいかにも〝霊獣〟といった風貌で、私はあまり見たことがない彫りであります。
これもまた丁寧に細かに彫られたものであります。
またこの象鼻の形からも、この機神さまの社殿が造られた年代が、桐生天満宮さんの本殿・幣殿と同時期であったとされる裏づけともなりましょう。


胴羽目右脇は琴を弾く女性を中心に描かれた図案で、位が高い方でありましょう芭蕉扇を持つ者が側に控えています。
もしかしたら弁財天さま?、でしょうか。
琵琶ではないんですが、ね。

そのそばには将棋盤や碁盤のような盤のゲームに興じる子どもたちがいます。

その下の腰羽目は子供らが遊ぶ〝唐子遊び〟のようです。纏を持つ子供がいます。
その下は…霊獣?
〝白澤(はくたく)〟、でしょうか?
角々には建物に対しては少し大きめな龍が祀られ、角を護っています。


背面の胴羽目は松の木の下で踊りに興じる人々が彫られています。そのうちのお一方は…もしかして恵比寿さま?大黒天さま?
この下の腰羽目は太鼓を叩き踊る者、笛を吹き踊る者が描かれ、その周りには所狭しと踊る人たちが描かれています。

左の胴羽目には中央で巻物を広げる人物が彫られています。
この人物、男の方なのですが、ちょっと表情がリアル過ぎて恐い、かも…。
それをそばに寄って見ている子供らも描かれています。

腰羽目にはたくさんの人たちが群れるさまが描かれていました。

No.414

【一粒万倍日】

日本の暦には一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)をはじめ、『物事を始めると良い』とされる吉日が幾つかあります。

実はその『一粒万倍日』が、なんとこの十二月、五日から八日まで四日連続しているといいます。

【一粒万倍日】とは、『一粒の籾(もみ)が万倍にも実り、立派な稲穂になる』という意味があります。
そのため、一粒万倍日は、何事を始めるにも良い日とされています。

お金を増やしたい方や、会社や事業を大きく発展させたい方、幸せな結婚生活を長く続かせたい方などに、選ばれている吉日です。

そんなありがたい一粒万倍日、実はおおよそ六日に一回、一カ月に五日、一年間だと約六十日あるものであります。

しかしながら五日からの四日間連続は今年最初で最後、そうそうあることではないようです。


一粒万倍日は『何ごとを始めるのにもよい』とされる吉日です。
種が膨らむように、成長や発展につながるとされ、開業や入籍、習いごとを始める日にもぴったりといわれています。

・財布の新調、使い始め
・引越し
・結婚にまつわること
  プロポーズ、入籍、結納、結婚式、婚約指輪・結婚指輪の購入など、そのどれもが当てはまります。幸せが何倍にも育ち、末永く続くとされています。

・仕事始め、開店・開業
・宝くじの購入、投資

などなど。

私事で考えるに、まぁ、引っ越しは夫に却下されましたので、ほぼほぼないこと。

お財布は別段新調する機会でもないし、仕事を始めるにしてはまだ新たな職を探してもいない状態で。
起業することなどそれこそ考える能力すら無い。

宝くじは今まで一度も手にしたことがない珍道中ペア、ですので、そんな清水の舞台はありえない。


いやいや、そんなことより!

実はこの一粒万倍日、よいことだけでなく悪いことも膨れてしまうとされているため、注意も必要とされている日でもあるのです。

そう、ビビりなおばさん、一粒万倍日に気づくことなく過ごした二日間、〝一粒万倍日にしてはならないこと〟をしでかしていなかったかの方が心配になるのでありまして…。

『一粒万倍日にしてはいけないこと』とは
・人からお金やものを借りること
・親しい人との喧嘩
・良くない言動


…うーん。

昨日は一日日がな大掃除をしていました。
…これ、大掃除に追われることには繋がらない?
それは…嫌だなぁ。

No.415

(続き)

ビビりで気にしぃのおばさん、五日は何を〝しでかしていただろう〟と振り返ってみました。

五日は…あの『法華経』の写経に着手したのでした。
ただし、あの浄法寺さんからお預かりした写経用紙ではなく、市販の、罫線だけひかれた般若心経用の用紙に。

読むことができないため、一度書いてみたのです。

長い長い法華経のどこに当たっているかすらわからないため、音読されている法華経全文をあたるには膨大な手間がかかります。
これを全文、読むことはもちろんのこと、写した方、それも一度のみならず何度も写した方はたくさんおられますが、…私はあくまでもただの凡人以下の人間ですので、それをしようとまで思えない存在でありますので…。

少しだけ、〝案ずるより産むが易し〟と思うことができました。

旧字体が多くて、そのため画数が多かったり、思い込みで現在の字体で書きそうになったりいたしますが、それでも少しだけワクワクしながら書くことができました。

…まぁ、下に敷いた経文を字体まで真似て書き写すことに比べたら、自己流の悪筆の書写ですから、そういった意味で楽なことはたしかです。


一粒万倍日、写経を始め、大掃除を始めた私。
今日も写経をし、お風呂場の大掃除や風呂釜洗い、洗濯槽掃除をし。

…粒が増えていますかね?



お掃除は嫌いで苦手なので、この粒が増えることには少し気が重くなるおばさんでありました。

No.416

【成道会】

目が覚めて。
(ああ、今日はお薬師さまのお縁日だ)
毎月八日になると必ずそう思う習慣がついています。

ん?
あ、十二月八日なんじゃん!


私が二月十五日生まれ、娘が四月八日生まれという話をすると、お坊さまの中には
「十二月八日生まれはいないんかい」
とおっしゃる方もおられるくらい、仏教において大切な日、【成道会】であります。

成道会は、涅槃会や灌仏会とともに三大法会のひとつであり、そのため前述したような会話となることもあるということになります。

成道(じょうどう)とは、お釈迦さまが悟りを開かれたことをいい表したことばで、お釈迦さまの成道に感謝をささげる法要を成道会といいます。
『おさとりの日』と親しみを込めての表現もあるようです。
また、十二月は旧暦で臘月(ろうづき)とも呼ばれることもあるので、成道会を、『臘八会』と呼ぶ宗派もあるといいます。

お釈迦さまは二十九歳で出家し、六年間の苦行の結果、『尼連禅河(にれんぜんが)』のほとり、『菩提樹下(ぼだいじゅげ)』で禅定(ぜんじょう)に入られ、魔を降伏(ごうぶく)し悟りを得られたとされています。

それが十二月ハ日、明の明星が輝くころで、お釈迦さま、三十五歳の時といいます。

まさに今くらいのとき、でありましょうか。


成道が得られなければ、多くの人々が救われることもなかったし、
もちろん仏の教えも説かれなかったこととなります。

十二月ハ日は仏の教えが生まれた日ということで、全国各地の寺院で、宗派を問わずお釈迦様の悟りを讃えて感謝する法要や修行、行事などが執り行われます。

一例をあげれば、東京浅草の浅草寺さんでは、貫首はじめ一山住職が総出仕して、本堂内陣に『成道図』を掲げ『法華経』の「安楽行品」を読誦する法要が行なわれるといいます。


曹洞宗や臨済宗などの禅宗では、十二月一日から八日までの八日間にわたり、【臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)】または【臘八摂心(ろうはつせっしん)】と呼ばれる『坐禅修行』が行われるといいます。

お釈迦様が菩提樹の下で、悟りを開かれる八日の未明までひたすら坐禅修行を行ったことにあやかってのことといいます。


(続きます)




No.417

(続き)

【臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)】または【臘八摂心(ろうはつせっしん)】の『摂心』には「心を集める」という意味があるといい、かつてお釈迦さまがなされたように心を集中し坐禅が行われるのだといいます。
お釈迦様の心に接するという意味で『接心』とも書く場合もあるのだといいます。

永平寺などの曹洞宗の寺では早朝から深夜まで、妙心寺などの臨済宗の寺では不眠不休で坐禅修行が行われるといいます。


…そ、そうですか。
さすが禅宗であります。


こうして挙げさせていただきました寺院におかれましても、とり立てて一般の参拝者に対しての行事を行うようなものではないようですが、旧桐生市と呼ばれるお寺さんは、桐生仏教会として、あの〝重伝建通り〟を含む〝本町通り〟と呼ばれるところをお坊さまたちが練り歩き、募金活動をされるのだとか。

…今日は、桐生市へ行ってみようかしら。
募金くらいなら私にもできますし。


その前にいつも参拝させていただいているお薬師さまに一年間のお礼を申し上げて。


No.418

【成道会…の日】

いつも事あるごとに参拝させていただいているお寺さん二寺を普段どおりに参拝し、それで私の成道会。

一つ目のお寺さんでは法要、とは言っても個人の方の法事が営まれていました。
もう一つのいつもお参りさせていただきますお薬師さまのお寺さんでは、普段どおりに作務衣で飛びまわる副住職さまが笑顔でお迎えくださいました。

張り切って行こうと思っておりました桐生市の成道会は、毎年十二月の第一土曜日に決まっているようで、すでにつつがなく執り行われたようでありました。

…なんだかいかにも無宗教の自分に相応しい〝成道会〟だった気がいたします。

それでも。

一粒万倍日の大安、この日の大掃除箇所は浴室と玄関周り。
考えてみれば掃除が苦手で嫌いだからこそ、一粒の種を蒔いて万倍にする必要があるのであります。

そして。

こんな有難い日だからこそと、浄法寺さんの法華経のお写経をいたしました。
ええ、今回は清書、直書きです。

私の写させていただく箇所には〝方便〟という単語が二箇所あります。
法華経には『方便品(ほうべんぼん)』という章があるくらいですから、当然といえば当然です。

つまりあの〝嘘も方便〟、という常用句も仏教由来の言葉ということが、私のようなぼーっとしたおバカさんにも一目瞭然にわかります。

実に仏教由来の言葉は日常に満ちています。
…そう、たとえば昨日私が大掃除をした【玄関】も、元は仏教用語ですし、【愚痴】や【邪魔】、【どっこいしょ】・【ちくしょう】などというものまでが仏教由来の言葉だというのですから、知らずに使っている仏教由来の言葉というのは数知れないものでありましょう。


仕事先などで知らず知らずに口をついて出ていては、「歳だねぇ」と笑われていた〝どっこいしょ〟。

山岳修行する行者が唱える【六根清浄】が、時代を経て民間で「どっこいしょ」になったとされているようです。
六根とは人に備わる〝眼根〟・〝耳根〟・〝鼻根〟・〝舌根〟・〝身根〟・〝意根〟の六つので根。

この六つを清らかにすることを【六根清浄】といい、実はこの〝六根清浄〟、法華経に由来するといいます。

法華経から〝どっこいしょ〟、ですか…。
仏教は奥深くて、それでいてこんなに身近なものだったのですね。


これからは「どっこいしょ」が口をついて出たとき、愛おしく思える気がいたします。

No.419

【十二月八日】

十二月八日といえば、八十二年前の昭和十六(1941)年、旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し太平洋戦争に突入した日であることも決して忘れてはならないことでありましょう。

この後、日本がどういう軌跡をたどることになるか。
戦争で失うものはあまりにも大きすぎるということを、あらためて思う一日となります。


そして。

太宰治の著書に、まさに【十二月八日】というタイトルの短編小説があることはあまり知られてはいないのかも知れません。
まさにこの太平洋戦争の勃発の頃に執筆された、昭和十七(1942)年二月初出の小説です。

開戦のころの、一般的な庶民の家庭の反応が描かれたものですか、この頃はまだ検閲もさほど厳しくは無かったのか…いや、まさに今放映中のNHKの朝ドラで、当時の厳しい検閲の様子が生々しく描かれています。

たしかに、昭和十六年の十二月ハ日の、ラジオのニュウスを聞いた主婦の日記の一日だし、検閲に引っかかるほどの内容でもなかった、でしょうか。

あー、また太宰を読みふける日々が始まる気がいたします。


No.420

【栃木県足利市鑁阿寺さん】

イチョウの美しい季節になると、鑁阿寺さんのイチョウが頭に浮かびます。
以前、何度か早く行きすぎてまだ青いイチョウを見上げたことがあり、今年は紅葉の時期が遅れているとのんきに構えて、ふと気づくと辺りのイチョウが葉を散らす頃となっていて、今日こそは行かなくてはと、足利市へと車を走らせました。

鑁阿寺さんのすぐそばにはお香のお店があり、そろそろ塗香も補充したいし、季節のお香も欲しいとも思っておりました。

足利の街並みは心弾みます。

山があり川があって。
伝説がそこここにあり、それが今なお自然に暮らしに溶け込んだ街、足利。
私は足利市のあちこちを訪ね歩くのが大好きなのです。

鑁阿寺さんの駐車場ではなく、あえて街中の駐車場に停めて、歩いて鑁阿寺さんに向かうのがお決まりです。

楼門が見えてくるとワクワク、どきどきします。
この楼門=山門は足利幕府十三代将軍【足利義輝】公のの再建したものといいます。
太鼓状になった橋の下には鯉や亀、そして鴨が泳ぎ、楼門には鳩。

…実は私、魚も亀も鳥も苦手なのです。
ことに鳩はそばに来ると声をあげてしまうくらい苦手というよりももはや嫌いなのですが、この楼門にはかなりの数の鳩がいるのです。

この楼門から入って真正面にそびえる御本堂を見るのが好きなのですが、その前にこの難関を突破せねばならない。
う〜っ。

今日はよりにもよって橋の上で鳩が私めがけてまっすぐ歩いて来たり、耳の横をすり抜けるように飛んで行ったりと、なかなかの洗礼を受けました。
く〜っ!

両側には仁王さまがおられるのですが、鳩除けのために網が張られていてその尊顔を拝することができません。
どうしてここにこんなに鳩がいるのでしょう。
やだなぁ、本当。

と、門をくぐる前に私だけの特別な修行があり、むしろ煩悩だらけな状態でいつもこの山門をくぐることとなっている私であります。

門をくぐってからも鳩はまだいるので、小走りにそこを通過して…。

ようやく落ち着いた気持ちで、御本堂を見上げながら参道を歩きます。

No.421

(続き)

鑁阿寺さんの御本堂は、鎌倉時代、建久七(1197)年に【足利義兼】公が持仏堂として建立したものを、その後【足利義氏】公が方五間の大堂を建立したものであったといいます。
しかしながら大治四(1129)年に落雷により焼失、尊氏公の父・【足利貞氏】公により正安元(1299)年に再建されたものであります。

当時中国の最新の寺院建築様式の一つであった禅宗様をいち早く取り入れたもので、密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財であるとのことから、平成二十五(2013)年に国宝指定となっています。

このどっしりとした古い御本堂が、見上げるだけでなんとも心落ち着かせてくれるのです。

木で造られた坂を登って御本堂の前で鰐口を鳴らし、お賽銭箱の前で手を合わせます。

中は薄暗く、目を凝らしてもご本尊さまどころか中の様子もあまり見ることができません。

うーん…。


こちらのご本尊様は胎蔵内大日如来さま。
源氏、足利氏の守り本尊であります。
地元では【大日さま】と親しみをこめて呼ばれています。
後方壇に弘法、興教の二大師、
開基鑁阿上人(足利義兼)像、
明治維新まで堀の外に祀ってあった塔頭十二支院の御本尊を安置しているのだといいます。

うーん。

お護摩をお願い申し上げるか、御祈願をお願い申し上げるかしか御本堂へ入ることはかなわないようです。


うーん。
そうした仏事を長きにわたってする事なく生きてきてしまった人物には、なんともハードルが高いのであります。
…何を以って?

こうしたことにはなにかしらの理由を必要とするのでしょう?
何を?
煩悩だらけなおばさん、いざ何かをお願い申し上げようとすると、それは一体なにを?となってしまうのです。

こうしてみると、煩悩の数は膨大だけれど、大したものではないということがあらためてわかる気がいたします。
…とはいえ煩悩は捨てられない、まことに愚かなおば(か)さんであります。



 (鑁阿寺さんのイチョウ)

No.422

(続き)

鑁阿寺さんの大銀杏は樹齢約六百五十年、周囲約十m。
見頃は例年十一月下旬、とのことで、見上げるほどの巨木に、圧倒的な量の黄金色の葉が壮麗で見事と、この木に会いに遠方からも訪れる方がおられるほどの木です。

今年は紅葉の時期が二週間ほど遅れていると言われていたので、先週行ければまさに黄金の木に会えたのでしょうが、先週はどうにも都合がつかず。

だいぶ葉を散らしたイチョウが冬の到来を告げていました。

それでも。
葉が散ったがゆえに、黄色い色合いがまばゆい絨毯になっていました。

イチョウの葉は油分が多いので水を弾きます。
風に乗って飛んできた葉が、手水鉢の壁面に風に乗って流れたままに貼り付いて、それはそれは見事なアレンジメントを成していました。
手水鉢のそばに落ちた葉には、大きな水滴が水晶の粒のように光り輝いています。

うーん♡
来てよかったぁ。


No.423

(続き)
この大イチョウ、樹高三十二メートル、
周囲十メートルの大木で、
地上三メートルのところから二本に分かれており、どちらも数本に分岐し、地上十二メートル付近で枝が伸び、壮大な樹形をなしています。


鑁阿寺の七不思議として、『蛭子さま』『あかずの井戸』『あかざの柱』などがあります。
この「大イチョウ」も実はその七不思議一つにあげられています。

大イチョウは、寺の言い伝えによると、開基足利義兼が手植えしたものとされています。
(最近の専門家の鑑定によると推定五百年とも)

この大イチョウの不思議とは。
「この大イチョウの根本を、息をつかずに三回まわると、樹上から白蛇が落ちてくる」
という、言い伝え。

いくら幸運を呼ぶといわれる白蛇であろうとも、蛇が樹上から落ちてくるなど、そんな恐ろしいことは試したくもありません。

そもそもこの大木の、十メートルともいわれる周りをを、無呼吸で三回まわれる自信もありません。

なお、江戸時代の頃には、『縁結びの神木』とされ、木の下で、『お見合い』が盛んに行われたとも言われています。


このイチョウの木のすぐそばにあるのが【多宝塔】。

足利義兼の創建と伝えられていますが、現在の建物は、江戸時代の元禄五(1692)年、徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院尼公の再建によるものといいます。

塔は、重層、銅板葺、頂上に九輪が立ち水煙がのっています。

水煙とは九輪の上にある火炎状の装飾金具で、火事の連想を避け、併せて水難をおさえる意味をもつといいます。
御本尊は、金剛界大日如来さまと勢至菩薩さま。
両側に十六羅漢が安置されているといいます。

実はこの多宝塔、毎月二十三日の午後から夕方にかけて、お堂を開けているといいます。
御本尊さまの勢至菩薩さまのお縁日であります。

勢至菩薩さまは『二十三夜』さまとも呼ばれるくらいであります。

午後からということでなかなかこの日に合わせて参拝することができずにいますが、参拝者には「お種銭」を授与してくださるといいます。
この種銭を持っていると、お小遣いに不自由しないという言い伝えがあるとのこと。

えっとぉ〜、今月は…うーん、土曜日かぁ。
夫と一緒だと、…どうかなぁ。

…来年になりますか。




No.424

(続き)

【鑁阿寺】は、建久七(1197)年に【足利義兼】公によって建立された真言宗大日派の本山。山号は『金剛山』、院号は『仁王院』。
義兼公は僧名を【法華房鑁阿】といいます。

現在の大御堂(=御本堂・大日堂とも呼ばれる)は鎌倉期天福年間、左馬頭義氏(義兼公の子)の棟札があり、義氏の改修によるものといい、昭和八〜十年に文部省指導のもとに解体修理を実施したといいます。

約四万平方メートル(一万二千三百坪)に及ぶ敷地は、平安時代末期、八幡太郎『源義家』の子、【源義国】及び義国の第二子【義康(はじめて足利氏を称す)】の二代にわたって造営された足利氏の居館跡であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されています。

またこの事から『史跡足利氏宅跡』として、大正十年に国の史跡に指定されており、現在では『日本の名城百選』にも名を連ねています。

寺院としては、鎌倉時代初期、源姓足利氏二代目の【足利義兼】公が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとされています。

義兼公は【義康】公の第三子で、【源頼朝】公の従兄弟に当たり、
しかも正室は【北条時政】の娘・【政子】の妹【時子】ということで、頼朝公の義兄弟でもありました。
晩年【高野山】に入り、出家して、この地に大日堂(現在の本堂)、鐘楼などを建立、又一門子弟の育英のために【足利学校】を興しました。

創建以来災火の厄に遭わず、歴代の勅願所となり、多くの古文書、宝物を所蔵しています。

義兼公の子【義氏】は堀の外(境外地)に『千手院』以下十二ヶ院を建て一山十二坊の大伽藍とし、建武三(1336)年、足利氏の氏寺を完成させました。

義兼公七世の孫が【足利尊氏】公に当たります。

明治維新と同時に塔中十二院は塔頭の『千手院』を除き上地させられています。


No.425

>【鑁阿寺クラウドファンディング】

このたび鑁阿寺さんがクラウドファンディングをなさるとのこと、何ヶ所かにポスターが貼られ、チラシがあちこちに置かれておりました。

それは御本堂の左横にあります【不動堂】とのこと。

この『不動堂』の前に少し古びた立て看板の案内があり、それによりますと、

『【中御堂(不動堂)】

寺伝では鎌倉時代初期建久七(1196)年に開基足利義兼公の創建とあるが、安土桃山時代の文禄元(1592)年に生実御所国朝の再修になる。
御本尊不動明王像は往古千葉県成田山より勧請せるもので興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王である。
本堂が明治四十一(1908)年【国宝】に指定されるまでは不動堂と廊下でつながっていて、四度加行の護摩法の道場として使用した堂宇である。

昭和四十四(1969)年信徒の浄財により半解体修理を実施した。

商売繁盛を祈念する堂であると同時に酉年守り本尊なり。

堂の右側に古井戸の跡あり
八百年前足利氏が居住した時に使用したといわれる。』

とあります。

この不動堂がこのたびクラウドファンディングの対象であるとのこと。

具体的にどこをどう修理補修されたいかは書かれておりませんでしたが、この御堂、板張りの壁でその隙間から中が見える…厳密には中は見えはしませんが、ただその隙間は穴であり、中とつながってしまっているものです。
通気性が良いといえばそういう言い方もできましょうが、今どきなかなかそういった御堂は見かけないようになってきております。

檀家さんを持たないお寺さんでございますので、熱心な信徒さんは多くおられるとはいえいえ、こうした浄財をお集めになるのはなかなか大変なことかと思います。

クラウドファンディングをなさるとのことを知り、私のスレでは微力ではありましょうがここに記させていただきました。

ちなみにクラウドファンディングの受付は今現在ではまだのようで、詳しくは鑁阿寺さんのホームページからご覧いただければと思います。


以前一ヶ月に一度のお縁日に偶然詣でた際、お寺さんに申し出て毎月御祈願をお願いした方の御祈願の法要が行われておりました。
この日だけという、いわば〝一見さん〟は受け付けておられないようでした。
事前に申し出て伺えば良いのかもしれませんがそのあたりは不明であります。

No.426

【鑁阿寺さんの経堂】

中御堂とも呼ばれる不動堂さんの左隣、とはいいますものの広めな通路を隔てての隣に、その出入口を御本堂に向けて建てられているのが、経堂となります。
正式には【一切経堂】。

寺伝では開基、足利義兼公の創建となっていますが、現在の経堂は、応永十四(1407)年に、関東管領足利満兼公により再建されたものといいます。

内部には【八角輪蔵(経棚)】があり、一切経二千余巻(黄檗版)
が収蔵されているといいます。

一切経堂とは一切経を安置するための堂で、一切経二千巻余(黄檗版)が収められています。
八角輪蔵は一切経堂の中央に、それはそれは大きな回転式の八角輪蔵で、見上げても上部までは見えないほどに大きなものであります。
各面に引き出しがあり、この中に一切経が収められているのかと、感慨深く見上げることしばし。

この経蔵を回転させると、それだけで経典全巻を読誦(どくじゅ)したのと同等の御利益が得られると信じられています。

…まぁ、回すことはできないのでありましょう。
そもそもがあまりにもこの輪蔵は大きくて、しかも回すための持ち手が短く、そういった物理的な点からも回せる気がいたしません。
ただ、触ることは禁止されておらず、写真撮影だけ禁止されています。

ちなみに、『黄檗版(おうばくばん)』というのは江戸時代につくられた木版大蔵経(だいぞうこう)であるといいます。

この経蔵の周りには足利幕府初代将軍【足利尊氏】公から十五代将軍【足利義昭】公に至る坐像がずらりと並んでおります。
この将軍像の見事な出来といったら♡

ただ、今回初代尊氏公と二代義詮公の坐像はどちらかに(たぶん京都であったよう、かすかに記憶しております)お出ましになられているとのことでお留守でありました。

実はこの一切経堂、いつも拝観できるわけではないといいます。

たしかに、何度も参拝させていただいておりますが、こちらに入れる時と入れない時があったような…。

今はこの一切経堂の御本尊さまが御開帳されているとのことで、入館させていただきました。
…そもそも、以前にもこちらに入らせていただいておりますが、その時も御本尊さまは御開帳されていたような、そうでなかったような、曖昧な記憶しかないおば(か)さんでございます。

No.427

(続き)

一切経二千巻。
…ちょうどあの、比叡山の開山後に伝教大師さまが布教に必要な一切経の書写を奈良の七大寺や知人に依頼された際、あの道忠禅師さまが、二千巻の書写を送り届けたとされるのとちょうど同じ数であります。
これだけ大きな八角経蔵に収めるくらいの量、ということになります。

このたび法華経の極々一部を写すだけだといいますのに、ひいこらひいこら言い、しかも出来映えも悪くてすっかり気落ちしております私。

こちらに収められている一切経二千巻の重みと、有り難さを今まで以上に感じ入り、回転式の経蔵の持ち手に手を添えさせていただきました。

…。
……。

…この回転式の八角経蔵に触れることを禁じる張り紙等はどこにも見当たりません。
写真を禁じる張り紙はあちこちにあるというのに。

八百経蔵の軸のある下部を見てみました。大変きれいに手入れされています。

……。

…もしかして。

受付の、高校生くらいのバイトの子に、
「つかぬことを聞いてもいい?」

エックスキューズミーおばさんの登場です。

「この経蔵って、もしかして回しても良かったりします?」

「ええ、回せます」


!!
即答です。

「い、いいんだぁ♡ 良かった、聞いてみて。ありがとう。
では遠慮なく回させていただきます」


ふんっっっっ!

…回りません。
微動だにしません。

ちなみに一人ではなく、珍道中ペアで、全力で回そうとしております。

ふんっっっっっっ!

「…回らないんだけど」と夫。

いや、回す!
回せるはず!
こんなにメンテナンスされているのだから、絶対回せる!

ううんっっっっっっっ!!


う、動いた!
揺れたくらいかもしれないけれど、動いてる!

ええーいっっっっっ!


回し始めは、まるで動く気配すらなかったものが、一度動き出すと、なんともスムーズに回りだします。


こういった回転式の経蔵は、一回りさせることで経典全巻を読誦したのと同じ御利益が得られると言われています。

さすがにそのような図々しいことは考えもしませんが、それでもとても嬉しく、そして大変ありがたいものであります。

ここだけ入館料を支払う必要があり、何度か目でもあったので、夫は「どうする?」と聞いてきたくらい。
「入ることにして良かったね」
「うん、ほんとに」



…皆さん、この経蔵、回せます。




No.428

【兒守地蔵尊】

栃木県足利市の【鑁阿寺】から【鶏足寺】へと向かう道すがら、不思議とも思える場所に大きなお地蔵さまが一体お祀りされています。
道端、とかですと、昔からのものであればなんら不思議でもなんでもないですし、新しいものであっても、悲しい事故等を受けてそこに建立されることもあったりしますが…。

このお地蔵さま、昔からの辻々に立つお地蔵さまにしては大きなもので、車窓から見てももう少し新しい時代のお地蔵さまに見受けられます。

事故を受けて建立されるお地蔵さまは、そうした事故が二度と起こらないようにとの願いもあってのことでしょう、道路脇の目立つところに建立されますが、…こちらのお地蔵さま、道路からは奥まった、民家の庭の前、何より飲食店の敷地内に建てられているのです。
なので私どもがいく度となくこの道を通っていたにも関わらず、気づいたのは実に今年のこと。

今年建立されたもの、という感じではない、それなりに経年された石仏さまに見えるのです。

ただ、それもあくまでも車窓からのこと。
飲食店の敷地内にある上、路上駐車は不可能な道路のそばにあるのです。
なにしろカーブした道で、信号のある交差点のすぐそばで、おまけに周囲に車を停められるところなどまるで無いのです。

細い生活道路がお店や民家の脇をはしってはいますが、車一台通るだけの道幅でそこへの路駐もまた不可能。

気になっても通り過ぎるしかない、そんなお地蔵さまでありました。

それでも。
私どもは珍道中のペア!
しかもエックスキューズミーおばさんがおります。
たまたま朝の八時ころ、その道路を走っていると大勢の人たちが道路脇の清掃作業をされておられました。

夫がその生活道路に一時停止した状態で、おばさん、車から降りてその方たちに話しかけます。
…尊い清掃の奉仕作業を邪魔するなど、おそれを知らぬ行いですよね。
でも地元の方にお声がけするこれとないチャンスでもありました。

「ああ、あのお地蔵さん?
あれは鶏足寺さんのお地蔵さんなんだけど、あの店のおばさんが管理してるから、聞いてごらん。
起きているよ。
何せこれからこの作業に加わるんだから」

…千載一遇のチャンスだった!

お店から営業している時にはそんなにお話をお聞きすることもできないだろうしなぁと、思案していたくらいだったので。


No.429

(続き)

私がそのお店に向かって歩きだしたところ、ちょうどそのお店の方が外に出て来られました。



さすがのエックスキューズミーおばさんも心の準備ができていませんが?

「あ、あのぉ、以前からこちらにお祀りされているあちらのお地蔵さまが気になっていておりまして。参拝させていただいてもよろしいですか?」
「ああ、いいよ」

「あのぉ〜、誠に図々しいのですが、車を駐車場に入れさせていただいてもよろしいですか?」
「ああ、入れな、入れな」

心の準備がないわりに、図々しさだけは常にスタンバイされているようです。

「このお地蔵さまは鶏足寺さんのお地蔵さまなんだよ。ここの土地は鶏足寺さんの地所なんだよ」
「このお地蔵さまはね、昭和十一年に〇〇〇〇さんという方が建てたものなんだよ。〇〇さんのお子さんがね、池に落ちて亡くなってしまって、その供養にと建てたものなんだ。
この土地は⬜︎⬜︎さんという人が持っていた土地なんだけど、それを鶏足寺さんに寄付してね、だからここが鶏足寺さんの地所となったんだけどね」

鶏足寺さんの飛地の境外地であるようです。

「御由緒が書いてあるからちょっと待ってて」

…ありがたい。

【線起
小俣町山藤干賀。喪受兒於不慮之禍。哀傷無己。途發悲願。
欲建立地曬您像。之憑修善業。以銷愛苦焉。募淨財于両毛之間。有緣道佑喜捨者夥。翱山太郎寄進土地。爲建立之所。尊像成而建之桐生川畔炎。鶴足寺前住豐山化主正大個正。撰其稱號。日兒守地藏簟。仰冀。菩薩犬慈大悲。
通擁鼥世問孩置。以能使長育安溯焉。

昭和十一年歲次丙子三月吉祥日
鶏足寺第三十六葉沙門周盛謹記】

額に入れたコピーを見せてくださいましたが、
「漢字ばっかりだから私には読めないんだけど、ね。読める人は読めるんだろうけどね」
…読めません。
少なくとも私にはおばさんの説明してくださった部分が書かれた部分がかろうじてわかるくらいです。
そのコピーした紙には、こちらのお地蔵さまの御札のコピーもありました。
鶏足寺さんで御札をお受けすることができるようです。


…そんな悲しい事故によって建立されたお地蔵さまでありましたか…。

優しい穏やかなお顔をされています。

No.430

(続き)

このお地蔵さまの台座の後ろの面に先ほどの漢文が書かれていました。
そして右側の側面には
【毎日晨朝】
【入於諸定】
【遊化六道】
【抜苦與樂】
とありました。

…抜苦與樂はわかります。
『苦しみを除いて安楽をお与えくださること』
仏さまの御慈悲で、
衆生を苦しみから救い、福楽をお与えくださることです。

あとは…、、、。

調べてみたところ、『延命地蔵菩薩経』の一文なようです。

毎日晨朝(まいにちじんちょう)
入於諸定(にゅうおしょじょう)
遊化六道(ゆけろくどう)
抜苦与楽(ばっくよらく)

と続く一部分があります。


うーむ。
抜苦与楽以外わからない。

晨朝とは卯の刻。現在の午前六時ごろ。また、その時に行う勤行(ごんぎょう)。朝の勤め。とあります。
毎日朝六時にお勤めをする、という意味でよいでしょうか?

ま、まぁお経の一部ということが、わかりましたので、おいおい調べてまいりましょう。

No.431

【ホームページやパンフレット】

ホームページに
◎ 毎朝7時
 住職と一般の方とで本堂にて般若心経と観音経を唱えるお勤めを致しております。
どうぞご参加ください。


と書かれたとあるお寺さんがありまして、朝五時起きして、そのお勤めに間に合うように車を走らせました。
…つまりはそれなりに遠い。

手水舎で身を浄め、御本堂前で待つこと10分。

…どなたもおみえになりません。

それは一般の方、のみならず、ご住職さまも、であります。

5分待ち、場所が異なるのかとあちこちに目をやり、10分過ぎた時、思い切って電話をかけさせていただきましたが、…お出にならない。

気温六℃。

じっとしていると深々と冷えてまいります。

20分経ち30分経ち、…お寺の中でご住職さま等の寺族の方の動きは一切ありません。

パンフレットにも
◎毎朝7時、住職と一般の方とで本堂にて般若心経と観音経を唱えるお勤めを致しております。(所要時間20分)
どうぞご遠慮なくご参加下さい。

とはっきり明記されています。

結局、八時過ぎても御本堂は無人のまま。
猫が一匹、手慣れた様子で御本堂に入り込んで行っただけでありました。

臨時で中止されたにしても、御本堂の扉は開けられて(ただし大きなお賽銭箱とネットがかけられているため、中に入ることはできません。…猫以外は)、内陣には灯りが灯され、電灯式のお灯明も着けられていますので、仮に急にお休みされたならば、なんらかの貼り紙等してくださっても良いのでは?

気持ちがモヤモヤしておさまりません。



…と。

先ほどの猫が私たちに近づいてきました。
足元にすり寄り、果ては夫に抱っこして目まで瞑って喉をゴロゴロと鳴らして気持ちよさそうにしだしました。

猫好きの私ども。
あっという間に猫に夢中。

先ほどのモヤモヤとした気持ちは(とりあえず)すっかり封印されました。

…これは、御本堂におられる御仏のお使いでしょうか。

ずっと私どもと一緒にいて離れません。他の参拝の方も結構おられるのに…。



まぁ、煩悩おばさんはそんなことで気持ちはおさまりきれず、
「こんなだったら少し遠出もできたよね」
と帰りの車中でブツブツと。

しかし夫は「でも朝の境内の空気は気持ち良かったし、猫とも遊べたし、良かったよ」

…できておられる。

御仏のお使いの猫だし、な。

No.432

【十二さま】

ナビのある車で(無い車の方が珍しいと思われますが、私の車はあえてナビを付けなかったので、ナビが無いのです)国道122号線を走行していると、びっくりするくらい【十二山神社】という神社が点在していることがわかります。

この場合の国道122号線は、栃木県日光市(旧足尾町)、群馬県みどり市、桐生市の辺りをさします。
そしてどの十二山神社さんもワンツーツーから逸れ、山道に入っていくのであります。

以前もこの十二山神社さんについて書いておりますが、この神社さんの主祭神は【十二さま】であります。

十二さま。

そもそもが私は『十二さま』自体を存じ上げていなかったのです。

だから、ナビ上に表れるこの辺りあちこちに点在する『十二山神社』という神社さんの名を見たのも初めてであり、どうしてこの辺りにはこの『十二山神社』さんがこんなにもお祀りされているのか、不思議でしかありませんでした。

偶然手にした、群馬県勢多郡黒保根村(書かれた当時は合併前で、現在は桐生市黒保根町であります)の民話で、ようやく十二さまの存在を知り、十二山神社さんの謎が解けたのでありました。
そう、…私だけでなく、私の周囲の誰も、十二さまの存在も、十二山神社さんも存じ上げていなかったのです。

十二さまは『山の神さま』でありました。

たしかに、この辺りは山に囲まれ、…というよりは山の麓から山の途中くらいまで民家がある、山と共に生きている所であります。
そういった山での暮らしにおいて、山の神さまは身近で、生まれたときから崇め奉る存在であり、それゆえ当然、それぞれ自分たちの集落で『十二さま』を祀る『十二山神社』さんがあるのでありましょう。

私が知らなかっただけで、この辺りには当然のように十二山神社さんがあり、山と共に暮らすような地域においては、どうやら全国のあちこちで十二さまがお祀りされているようであります。

【十二さま】は女神さまで、一年に
十二人の子供をお生みになられるとされます。
御縁日は毎月十二日。

また、一説では十二月十二日は山の神さま『十二さま』のお誕生日なのだそうです。

〝十二人の子供〟というのは、
〝山の豊饒さ〟と、一年が十二か月であることに由来しているといいます。



No.433

(続き)

山林の木を切り出すことが生業の方々にとって山の神さまは、その場に入ってそこにある木をいただいているありがたい存在あります。

山の土地をお借りしてキノコ等の栽培をされる方々もまた然り、山での作業を生業にしている方々は、山の神を畏敬し、昔から禁忌とされていることは今なお守って仕事をされている方が多いといいます。


禁忌の一つに
『山の神様の日には、山に入らない』というのがあるといいます。

これはその地方によって異なることもあるようですが、【十二日】という点は同じであります。

十二月十二日といいますのは『十二』か二つ。

この日は山に入らず、山林での作業を自粛している林業関係の方が今でも少なくないといいます。

それは。

山の神さまの日に禁忌を破って山に入ると、
『樹木の下敷きになって死ぬ』とか、
この日には山の神さまが山の木の数を数えるといい、数える際一本一本触れてまわるので
「山の神にさわられると木になってしまう」、
木の一本として数えられて、
「山から出られなくなる」
と言い伝えられているのだといいます。



…うん?

私どもは山登り、登山などというものは、そうした体力がなくてすることはありませんが、それでもハイキングくらいはすることがあります。
今は車で簡単に山に登れるところも増えていますので、休日、山へと車を走らせる(もちろん私ではない)こともあります。

…十二日という日を意識したことなど無かったわ。

この辺りの十二山神社さんでは、
二月、そして八月にそうした祭り事をするといい、かつては毎月十二日が山神さまの月次祭であったようです。

来年からは十二日には山に入らないようこのすっからかんの頭にインプットしなくては。

山の神さまに対して、守られてきた禁忌は、遊び目的ならことさら守らなくてはならないな。

…これは、あくまでも、ビビりのおばさんの独り言であります 笑。
そしてこのビビりのおばさん、何よりこの十二日というキーワードがちゃんと頭に残っているかが、最重要。
やれやれ、であります。



No.434

【新月 そして双子座流星群】

今双子座流星群が見えます。
そしてさらに今日は新月です。
時間も問わず、方角も問わず、早朝五時くらいの時刻でも寒さ対策をしっかりとさえすれば見られます。

少しなら寒くはない日ではありましたが、風もそれなり、星を見るには最高の条件なのですが、じっとしているのですぐに寒くなります。

そう、実はおばさん、今朝見ていたんです。

日の出の時刻もだいぶ遅くなりました。
七時くらいが〝ようようしろくなりゆく〟頃です。


朝のこのくらいの時間は私の癒しの時間なのです。

No.435

今日、月命日には二日ほど早かったのですが、義・実父のお寺さんへお参りし、お墓参りをしてまいりました。

義父のお墓の二つ隣にもお墓参りにお越しの方が一人おられました。

この嫁ぎ先の菩提寺の墓地は背の高い落葉樹があちこちに植えられていて、この時期お墓参りに行くと落ち葉をかきながら場所に行くほどであります。
一足先にお越しになっていたその方は、落ち葉を一生懸命集め、丁寧に丁寧にお墓周りをお掃除されていらっしゃいました。

一軒の墓所だけで45リットルのゴミ袋をパンパンに詰めてもまだ落ち葉があるくらいのそんな墓所であります。

一足先にお掃除を終えられたその方は大きな花束を二つ墓前に供え、お線香をあげておられます。
見るとはなしに目に入る、そんな位置のお墓でありますが、こちらにお墓参りに来て、その墓所にお参りに来られている方とは初めて一緒になりました。

ん?

その方はお墓の前に腰かけて、まるでお墓におられる方と話しておられるかにみえます。

愛おしそうにお墓を見つめ、お墓参りの決まり事であります、手を合わせるとかではなく、静かに静かに、腰かけていることで、ちょうどお墓の真正面の高さになるようです。

(大切な方が、心に生きておられる方が、ここに眠っておられるのだな)


やがて立ち上がって。
私に会釈をされると、凛とした背中で、墓地の出入口へと向かって歩いていかれました。

立派な花束の供えられたお墓には、真新しい、一周忌を終えたばかりの卒塔婆が建てられていました。


…。

一年経ったのだなぁ。
一年かけてあの方はここまできたのだなぁ。

人はこうして人を送り、墓を守るのだなぁ。


学ばせていただいた。

そんなお墓参りとなりました。


ありがとうございました。

どうかお元気で。

またお会いできたら嬉しいです。


No.436

【日にち薬・時薬】

昨日、お寺さんでお逢いした方のことを書きながら、書きたかったこととはズレていたため、書かなかったのですが、心の端っこに【日にち薬(ひにちぐすり)】【時薬(ときぐすり)】という言葉が浮かんでいました。

私は誰に聞いた…ということもなく、時々耳にしていたこの言葉が、しばらく前に某SNSでトレンド入りしていたようです。

元となったのはある方の〝つぶやき〟から。
その方は『日にち薬』という言葉を聞いたのは友人からのメッセージが初めてだったとのことで、最初は入力ミスかと思ったといいます。でも気になるワードで、でも入力ミスにしては自分の中で当てはまる言葉が思いつかないと『日にち薬』で検索されたとのこと。
そして、
「関西でよく使われる言葉らしい。お恥ずかしながら知らんかった。良い言葉だな」
とさらに綴っておられました。


関東生まれの関東育ち、…というか群馬生まれの群馬育ち、生粋のグンマーは、この『…関西でよく使われる言葉らしい』ということにむしろびっくり。
私の周りでは年配の方が結構使われておられる、
私の中では、人生の経験を積まれた方がそっと出す、大変重みのある、だけれどとても優しい言葉、でありました。

〝時〟が癒してくれることを【日にち薬】・【時薬】といいます。

「月日を経ることで薬のように癒してくれるという発想としては、関西に限らず全国的に使われる言い回しだと思いますが、『日にち薬』という言い方自体は関西弁にあたると思います」
と語られたのは、日本語学を専門とする、神戸女子大学文学部の橋本礼子教授でした。


え。


か、関西弁〜っ?


他の地域での使用例については、「大阪や京都と密に交流があった場所で徐々に使われるようになり、そこから全国的に広まっていったのではないか」
と話され、さらに
「時間の経過が心身を癒してくれるというような発想は励ましや慰めの表現として他地域にもいろいろな言い回しがあってもおかしくないと思います。
『日にち薬』のような名詞になっているのは京都や大阪のあたりだけかもしれませんが」
と話されておられます。


そう、人間だから。

きっとこれは日本だけではない、世界中で感じる、他人や自分へ向けた感情で体験であると、私は思うのです。

心の傷にはこの言葉をかけるには、タイミングが難しい時もあるけれど…。




No.437

【聞き捨てならぬニュース】

最近のことではないのですが、NHKのアンケート調査で判明した由々しき事案が発覚したようです。

DVの被害に遭われた方の住所等の個人情報を、公の役所がよりにもよって加害者に渡していたようです。

…ありえない。

いくらなんでもあり得なさ過ぎて吐き気がします。
そうしたありえない情報漏洩により、被害者の方は転居を余儀なくされたといいます。

しかもこれ、NHKのアンケート調査でたまたまそうした被害者が対象に当たったから発覚しただけだったような表現で報道されていました。

こうしたことのあった自治体においては、そうした発表がなされていたのでしょうか。
そこまではニュースでは語られて発覚いません。

公的機関はそもそもがそういった最低限の知識と常識を持ってこうした書類の扱いをすべきだし、なんならなんらかのこうした事案に適した資格があるのならば、むしろ積極的に配置して然るべきだと思います。


その担当する部署での書類の扱いに問題があるということになると思います。
これは明らかに、心ならずとも加害したことなる事案だと言えます。

これ、早急に事実を明らかにして(されているのかどうか…あくまでもNHKのニュースで流された情報しか手元にはありませんので…)、
被害に遭われた方への然るべき補償がなされているのかどうかを確認すべきだと思います。

…まぁ、あのマイナンバー制度にしてもズタボロなものです。

忙しい仕事をされておられます方もおられ、確かに簡易な手続きで公的な書類を入手できるのは一見ありがたいとも思われるものであります。

でもそれ、元となるマイナンバー制度がしっかりとしたものであることが第一条件です。

それがズタボロで、全く関係のない方の情報が入手できてしまったり、診察に支障をきたしたりまでしているのが現実なわけで。


信頼したいものが信頼できない今の日本で、私たちはなにを信じて生きていけば良いというのでしょう。

今年の漢字が【税】。

納めているのはどこに?
何のために?
そこすらが信頼できない、今の日本です。

No.438

【石蕗】

この季節、お寺さんでよく見かける花があります。
寂しい冬にハッとするような黄色い花に自然に目がとまります。

『石蕗』と書いて『ツワブキ』と読みます。
季節の淋しさだけでなく、何か心の淋しさを抱えているとき、濃い鮮やかな黄色の花はポッと灯った光のようにもみえ心が和みます。

お寺さんというのは本当に季節季節に咲く花の種類が多いよう思います。

ツワブキの花は初冬の季語だといいます。
ちょうど立冬を迎える十一月頃から咲き始める気がいたします。
花期が長いので今も鮮やかな色でその場を明るくしてくれています。

仏教には【自灯明(じとうみょう)】という言葉があります。
自分を頼りに、自分を灯火として歩くという意味で、お釈迦さま最後の教えとされています。
出口がわからないような暗闇においても、しっかりと自分の運命を受け入れ、自分を信じ、自分の心の灯を見つめて歩く…。

周りが枯葉色となるこの季節、ツワブキの咲くところだけパッと明るいことに『自灯明』という言葉を重ねて句を読む俳人もいるようです。


ツワブキのほか、山茶花や白いお茶の花、ヤツデなど、冬に咲く花はいずれも小さな虫たちにとっては重要な蜜源。
私の家のネズミの額ほどの庭にも小さな小さな蝶が今なお咲く菊や河原撫子へとやって来ます。
同じく秋の花である桔梗などは、すっかり枯れてしまったかのように葉を散らしているというのに。


そして。
ネモフィラの芽が発芽して可愛らしい手のような本葉を広げだしました。
こぼれた種から今年も目を出してくれたのです。

すっかり冬色となったわが家の庭にも、春の兆しはすでに訪れています。

No.439

【いのち短し恋せよ少女】

…と、突然なんのことでしょう?
自分でもちょっとどうかとは思ったのですが、でもなかなかのキャッチフレーズです。

歳を重ね、〝命短し〟を、痛感、とまではいかないけれど、まぁ、先をぼやぁとは見るようにはなります。
少女だった頃など、遥か彼方の大昔にはなってはおりますが、ね。
まぁ、そんな大昔のことはさておいて。


この、ね。
コロナ禍から始まって、時代はまさに激変しました。

死に至る感染症、それも初めて発見された、感染力の強い病ということで、それによる未曾有の緊急事態宣言。
大きな行動制限がとられ、幼稚園も含む学校、保育園の長期にわたる一斉休校、不要不急の都道府県をまたぐ移動の自粛、鎖国に近い状況ともなりました。

ロシアによるウクライナ侵略。
しかもその長期化により、世界中の経済も圧迫され、日本においては今、まさに第二次世界大戦時における物価高騰をすら彷彿させる、異常なほどの物価高騰となっています。

こんな中で、将来に不安を感じ、身を縮めて生きている人は決して少なくはないと思うのです。


でも…。

身を縮こめて生きているだけでは良くないことばかりしか見えてこないです。
もっと簡単に言えば、…つまらない。


たしかに、コロナは第五類に分類されただけで鎮静化したとは言い難く、そこへもってきてインフルエンザだの、溶連菌感染症だの、流行り病が蔓延しているのが現状かもしれません。

物価は高いし、ガソリンもう高い。

でも…。


【いのち短し恋せよ人よ】。

ときめきをもって、
楽しみをもって
生きていなくてはつまらない。

そ、恋するのは乙女の特権ではないのです。
恋する対象は殿方だけでもありません。
〝人〟に限ったことでもない。


ガソリンは高いけど、普段自転車で買い物に行って、その分たまにお出かけしたって、『いいんじゃな〜い?』

縮こまることに、身も、何より頭、心が慣れて、固まりつつあるよう感じたのです。


…たしかに。
わが家には慢性呼吸器疾患の夫がおり、コロナにしろ、インフルエンザにしろ、感染はできうる限り避けたいもの、であることに変わりはありません。

でも、それに囚われて、縮こまっていた自分に気づいたのです。


元おとめ、恋せよ!と思ったのであります。


東京、京都、東北…
…「いいんじゃな〜い?」

No.440

私のスマホのホームページの画面には、全国各地のお寺さんの名前がズラリ。
法話をホームページで拝見できるお寺さんのものです。

私のスマホ画面を見た方は、
👀(…なんだこれは)
と思われるのだろうなぁと思ったりいたします。

写真を開いても然り。
神社仏閣、御仏の御像やら、彫刻やら、もう一目見るだけでそんな情報ばかりのスマホであります。

SNSでもよく神社仏閣のものを開くので、おすすめでさまざまな神社や仏閣のSNSの発信があがってきます。
挙げられた仏像写真にいいねばかりするので、御仏の御像がやたらと画面上にあらわれ、(うーん、幸せ♡)。


そんな私の怪しいスマホ。

時間ができるとゆっくり法話を読ませていただきます。

あの薬師寺さんは四コマ漫画までアップしてくださっていて、心に小さな小さな棘を感じる日は、その四コマ漫画に棘を抜いていただいたり。


ありがたいことです。

法話などなかなかお聞きする機会はありませんものを、気軽に、自宅のおこたつに座りながら拝することができるのですから。

お寺さんによくある、墨書きの『今日の言葉』。『今月の言葉』だったり『今週の言葉』だったりも、お寺さんによっては掲載してくださっています。


強風で外に出るのを躊躇してしまう今日などは、まさにこのマイホーム画面から、あれこれ見ては勉強させていただいたり、漫画を見て笑ってみたり。


私は間違いなく、スマホに依存しているなぁ。

No.441

【円覚寺の掲示板】

神奈川県鎌倉市の【円覚寺 】さんの総門の階段下の参道沿いに掲示板があるのをご存知の方もおられましょう。
墨書きの、よく他のお寺さんでも見られる、ありがたい言葉の書かれたものになります。

もうずっと行けずにおりますが、鎌倉の円覚寺さんに参りますときには、必ず写メを撮るくらいに、この貼り紙の一ファンであります。

この言葉の貼り紙、私が参拝させていただいたときには『坂村真民』という人の名が必ず添えられていました。
こうした貼り紙の言葉に人の名が書かれていることはあまりないように思えるのですが、偶然にしては高確率でこの方の名が記されているのでありました。
一体どなたなのであろうとその場では気になったものの、なかなか調べずにおりました。
円覚寺さんの僧侶の方か、あるいは円覚寺さんにご縁のある方であることは間違いなそうと思ってしまったことが一因でもありました。

が。
このコロナ禍以降、いよいよ鎌倉へ鎌倉に行きたい病が募りに募った私、そういえば…と思い出したのです。『坂村真民』さんのお名前を。
…正確にいうと、円覚寺さんの貼り紙のことを、でありますが、ね。


(続きます)

No.442

(続き)

【坂村真民 さかむら・しんみん】氏は明治四十二(1909)年熊本県生まれの方だといいます。
昭和六(1931)年に神宮皇學館(現・皇學館大學)を卒業をされ、二十二歳歳で熊本で小学校教員になられたといいます
二十五歳で朝鮮に渡り現地で教員を続け、召集中に終戦を迎えたといい、帰国後は愛媛県で高校教師を務め、六十五歳で退職されています。

ここまでの経歴をみると、愛媛県の高校の先生の書かれた詩が何故、毎月毎月鎌倉の円覚寺さんの門前の貼り紙となるの?となります。

坂村真民氏は在職中から詩を書かれ、詩人の顔も持たれた方であります。

坂村真民氏は八歳の時に、小学校の校長をしていた父を突然の病で失います。
齢四十歳であったといい、三十六歳の母と五人の幼子が残されました。一家の生活は一変し、五人の幼子を育てるために母は懸命に働かれます。

そんな母が愚痴を言う代わりに、いつも唱えていた言葉が
「念ずれば花ひらく、念ずれば花ひらく」であったといい、この言葉が真民先生の根底にいつもあったようで、詩集のタイトルにも、随筆集のタイトルにもこの
『念ずれば花ひらく』というものがありました。

そんな坂村氏と円覚寺さんとの接点は?

現在の円覚寺さんの管長さまが、この坂村真民氏の昭和五十六年に出版された『生きてゆく力がなくなる時』という本を読んで感銘を受け、坂村氏に手紙を書いたのが、ご縁の始まりであったと書いておられます。
管長さま高校二年生の時であったといいます。

この本に掲載された詩にある
『死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある』
という言葉に心打たれ、坂村真民氏へ手紙を書いたといいます。

一高校生の手紙に真民氏はそれはそれは丁寧なご返事をくださったといい、それからご縁が始ったのだといいます。

そして…。

円覚寺の僧堂師家と黄梅院住職になり、毎月黄梅院の掲示板に真民先生の詩を書くようにしたのだとおっしゃっておられます。



それにしても…。
『生きてゆく力がなくなる時』とはまたなんともセンセーショナルなタイトルです。

ただ。
この本があって。
この本があったから今、
円覚寺さんの掲示板に坂村真民氏の詩が毎月書かれていることとなっているのは確かなことです。




No.443

本日は、六曜の吉日『大安』と、
一粒の種が万倍にも実るという『一粒万倍日』が重なる開運日となります。

ビビりのわたくしめは、大掃除兼断捨離をしつつ、
(これを捨てるということは良いこと?悪いこと?)などと、自分の行動の一粒一粒にビビるという、小さい小さい自分に苦笑しながら過ごしております。

それにしても。
急に気温が急降下しました。
十年に一度の大寒波とテレビで報じられています中、どうかお身体ご自愛ください。


No.444

本日は『冬至』で一年のうちで一
番昼間が短い日となります。
北半球では太陽が真南にくる『南中高度』が最も低くなる日だといいます。
冬の寒さも心身に堪える時期、さらに太陽が顔を出している時間が短くなるこの日、生命力も弱まると考えられていました。
そこからさまざまな風習が生まれます。


冬至といえば『柚子湯』が有名です。
柚子を浮かべたお風呂に入ると風邪をひかずに済むといい、実際、柚子は血行を促進させて身体を温め、風邪の予防となり、冷え性、神経痛などに効果かあるといいます。
豊富に含まれるビタミンCは、ひびやあかぎれなど肌荒れにも効果があります。
柚子湯が始まったのは江戸時代のことといわれています。


『冬至→湯治(とうじ)』
『柚子→融通(ゆうずう)』
に当てているという説があるといいます。

【融通】は【融通無碍』(ゆうずうむげ)】という仏教用語で、【華厳経(けごんきょう)】が由来と伝わります。
『融通』は、それぞれ別々のものが溶け合い、通じ合い、相まって完全となるという意味があり、物事がよく通じることや、滞りなく進むことなどに使われます。

冬至に柚子湯に入ることで『湯治(冬至)』と『融通(柚子)』で心身共に相まって無病息災となるよう願ったようです。


冬至には『かぼちゃ』を食べる風習もあります。
でも本来は夏が旬のかぼちゃ。
私などは大人になるまでかぼちゃは冬の野菜なのだと思っていたくらいです。

夏の太陽の恵みをたっぷり閉じ込めたかぼちゃを冬場に食べることでやはり『風邪をひかなくなる』と言い伝えられています。

このかぼちゃ、『なんきん』などと呼ばれるところもあるようです。
冬至に【ん】がつく食べ物を食べると『運』がつくともいわれているといいます。

この時間『蓮根』『にんじん』『銀杏』『金柑』…こうした『ん』のつく食べ物は結構あります。
この年の暮れに運気をUPしておくと、さらに良い年を迎えられそうな気がいたします。


冬至を過ぎればまた少しづつ日が伸びます。
こうした現象から、冬至は『太陽が再生する日』とも捉えられ
【一陽来復(いちようらいふく)】ともいうといいます。
古代の中国では冬至を一年のはじまり、『元旦』と定めていたこともあるそうです。

No.445

本日上皇さまは九十歳、卒寿の誕生日を迎えられました。

確かな記録が残る歴代天皇の中で九十歳を迎えられた方は初めてであるといいます。

昭和八(1933)年、当時の継宮(つぐのみや)【明仁親王】として宮城(現:皇居)内の産殿にて誕生されました。
宮内省は、「午前六時三十九分をもって親王殿下ご誕生」と発表、東京に親王生誕を知らせるサイレンが鳴り、人々は旗や提灯を持って街を行列して祝い、街には号外も出たといいます。

まぁ、当然と言えば当然、当時、天皇は神の時代であります。
東京だけでなく、おそらくは日本中がそうしたお祭りムード一色となったことでしょう。


昭和六十四(1989)年一月七日、父・昭和天皇の御崩御を受けて、五十五歳で第125代天皇に即位されました。
元号法に基づき【昭和】に代わって世は翌日の一月八日より【平成】と改元されましたことは、まだ記憶に新しい気がいたします。
まぁ、私がその時すでに成人した年齢であったこともありましょうが、その発表の席で『平成』と揮毫された台紙を持って記者会見をしたのが当時の官房長官、群馬県出身の【小渕恵三】氏であったことも大きいかと思われます。

昭和生まれの人間にとって初めての改号でもありました。



そして、年齢を理由に譲位を希望され、譲位時の年齢は八十五歳。
いくつもの疾患と闘って闘って、その上で出されたご希望でありました。

この時、(本当に申し訳ない、ありがとうございました)と思った国民は多かったことと思います。


平成元(1989)年から三十(2018)年までは十二月二十三日が国民の祝日【天皇誕生日】でありました。
平成三十一年/令和元年(2019)は、昭和二十三(1948)年の『祝日法』施行以来初めて「天皇誕生日」のない年となったことも、記憶に新しいことです。
クリスマスイブの前日の祝日は嬉しくて、その日からパーティ気分を味わっていた人も多かったはずで、これ以降、この日は祝日ではないのだなぁと大変残念に思ったものです。


御公務を退いた現在、上皇さまは上皇后美智子さまと共に芸術鑑賞などをして日々を過ごされているといいます。
また、長年続けてこられた〝ハゼ〟の研究にも今なお取り組まれ、かつてのご自分の書かれた研究文を見直しておられるのだとか。


どうか穏やかに、御自愛いただきお過ごしくださいますように。

No.446

(続き)

今でこそ天皇家は日本国の『象徴』でありますが、昭和天皇の御代まで、天皇は【現人神】として奉られておりました。

その『現人神』として国民全体の崇拝対象になったのは、実はさほど古いことではなく、明治以降であります。
尊王攘夷を契機に成立した明治政府は、成立当初から天皇を神聖視しており、かの『大日本帝国憲法』にも、『天皇は神聖にして侵すべからず』という条項があるくらいであります。

しかしながら、国全体で『現人神』として崇め奉ったのは明治以降ではあったにせよ、万葉集にすでに
『大君は神にしませば』で始まる歌が収載されており、その頃からすでに天皇(大王、大君)は神であったのです。

さらにそのルーツを辿れば神代の時代までさかのぼるもの。

天皇家と神道の結びつきを考えた時、その参考になるのはやはり『古事記』の物語でしょう。


『古事記』は、世界(日本列島)の誕生を神々の誕生から綴られております。
天と地がはじめて分かれたときに、高天原に天之御中主神(アメノミナカヌシ)という神が現れ、その後も何柱かの神が現れますが、そのまま姿を隠してしまわれています。

この後も実に多くの神が姿を現しては消え去られます。
そんななか伊邪那岐(イザナギ)、伊弉波(イザナミ)という男女の二柱の神が現れます。
この伊邪那岐、伊弉波こそが子孫を残すことのできる神だったのです。

そして、この二神は、「天の浮き橋」から矛を降ろし、海をかきまぜました。

その矛の先からしたたり落ちた海水の塩が固まり、積もって島となります。
二神はこの島に降りると、子供を産みます。
そして生まれたのが、淡路島や四国、九州、さらに本州など八つの島【日本列島】なのです。


さらに二神は次々と神を産みますが、伊弉波は火の神を産んだ際のやけどがもとで死んでしまいます。

そして、伊邪那岐は伊弉波に会うために、黄泉の国を訪れますが、その恐ろしさのあまり逃げ帰り、その時の伊邪那岐の禊(みそぎ)で生まれたのが、天照大神、月読命、須佐之男命などの神々でありました。

日本列島が落ち着くと、高天原の天照大神は、孫である瓊瓊杵命に地上に降り、国を治めるよう言い、瓊瓊杵命はたくさんの神を伴って、日向の高千穂の地に降り立ちます。

瓊瓊杵命は地の神と結婚し、子をもうけます。

No.447

(続き)

瓊々杵命は地の神と結婚し、『山幸彦・海幸彦』という兄弟をもうけます。
正式には『ホデリ(海幸彦)』『ホオリ(山幸彦)』という名であります。
山幸彦はその後、妻の豊玉毘売(トヨタマヒメ)との間に鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズ)を授かります。
このヒコナギサタケウガヤフキアエズは、豊玉毘売の妹玉依姫との間に四柱の神を出産。
その子が初代、日本最初の天皇『神武天皇』なのです。

天皇家の血筋は神武天皇から鵜草葺不合命、山幸彦、瓊々杵命を経て天照大神まで一本でつながっているのです。

天照大神が天皇家の祖先神とされている理由は、まさにここにあると同時に、天照大神は日本列島の創造神である伊邪那岐の直系でもあるわけです。


と、いうことで。

本日上皇陛下のお誕生日ということで、天照大神さまをお祀りする神社さんの一つ、群馬県みどり市に鎮座されます【神明宮】さんに参拝してまいりました。

上皇さまのお誕生を祝い、感謝し、神の国日本の真の平和をお願い申し上げてまいりました。

境内は少しづつ、お正月に向けての準備を始めておられました。

🎵もういくつ寝るとお正月。


あと…少しです。

No.448

本日は2023年最後の満月。

夏目漱石はあまり好きではないのですが、離れて暮らす子供たちに満月のたびに、『月が綺麗ですね』とLINEを送る、実に怪しい母であります。


英語教師をしていた頃の漱石が、
『Ilove you』を
『我君を愛す』と訳した教え子に対して、
「日本人はそんなストレートなことは言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけば足りる」
と言ったという話があることからの
このLINEであることは言うまでもなく。

この話果たして事実なのかといった声もあり、実際、漱石のどこを調べても、確かな根拠となる資料は無いようです。
まぁ、授業中の話であれば、当然、そうした資料も残りはしないので、
真偽は永遠に謎のままでありますが。

でもこの『Ilove you』を『月が綺麗ですね』と訳すというこの感性はたしかに、日本人のものであると私は思うのです。
まぁ、今はもうストレートに気持ちを伝えることの方が当たり前となっておりましょうが。

この『月が綺麗ですね』
さて、子どもたち、知っているのかどうなのか。

仕事を終えてわざわざ実家であるわが家にやってきて、
『月が…』と言った息子は当然知っているけれど。


今朝五時に小望月の月を見て。

そして今、家からは見えない月を見るため、十メートルほど歩いて空を見上げまんまるのお月さまを仰ぎ見てまいりました。


今宵の月は『コールドムーン』というのだとか。
でもやわらかな薄黄色の月はそんな寒々しいものには見えませんでしたが。


月を光を受けながら、大切な人を思う時を過ごす。
こんな時間を世界中の人が持てば、戦争も無くなるのではないかなぁ。




No.449

【大掃除とお正月飾り】

ここ数年心がけていたのは、暮れになってあちこち大掃除をするよりも少し暖かい時期から始めておこう、でありました。
まあ、今年などはいつまでも暖かい日が続いておりましたが。


わが家は障子を貼るのも網戸を張るのも私。

障子を外して障子紙を剥し、洗って干して、紙を弛まないよう張って貼っていく障子貼り。
大変といえば大変ですが、実は好きな作業。
障子紙をえいっと破いてベリベリ剥がすのも、ジャージャー水を掛けてがしゃがしゃと洗うのも(…がしゃがしゃと洗うのはガサツなおばさんの私だけです)、実にストレス発散になる!
そのあと、身を引き締めて、全集中して(…もうこれ、古いのでしょうか?)新しい障子紙を貼る。

なんとも清々しい気持ちになれるのです。
新しくなった障子を部屋に戻した時のその障子の白さ、明るさがさらにテンションを上げてくれます。

でもこれ、お正月の差し迫った年の瀬にすると、なかなか大変で。

天候に恵まれた日にしないと悲惨なこととなるのですが、果たして年の暮れの休みの日に、そういう恵まれた日があるかどうかはまさに運!
風が吹いていようものなら、貼る前の紙が凧のしっぽのようにヒラヒラと舞ってしまいます。いやたなびいてしまう。到底障子貼りなどできたものではありません。

で。
今は平日、晩秋から冬のよく晴れてあたたかい風のない日にしてしまっています。
平日なのは夫に変なプレッシャーもかけずに済むことも理由であります。

なにせ私ども、両実家ともに障子がなかったため、障子貼りなど見たことすらなく、見よう見まねですらない。
今はネットで調べながら出来ますが、私どもが家を持った頃には、ホームセンターで『障子の貼り方』という小さな紙をもらってきて、試行錯誤しながら貼り替えるしか無かったので、不慣れなうちはかなり大変で。

こうした作業を決して嫌いではなさそうな夫なのですが、なぜかこの障子貼りに関しては「やろうか?」という目に光が無く、どこか虚な気配を感じ、うん十年ずっと私が引き受けているのです。


さきにも書いているように、本人いたって好きな作業、なのですが、側から見ると結構大変な作業です(まぁ、実際大変といえば大変ですが)。
何もしない自分に引け目を感じるらしく、そばでウロウロとするのです。

好きな作業とも伝えてあるのですが、ねぇ…。


No.450

(続き)

以前は子どもたちがまだ小さかったり、フルタイムの仕事をしていたこともあり、暮れも押し迫った、なんなら大晦日さえ大掃除をしていたのですが、今は断捨離も兼ね、毎日、毎月、こまめに掃除をする遠モットーとしたお陰で、今年ももう大体の大掃除は済んでいて、あとは居間の天井くらいとなっています。

実は今年知ったのですが、大晦日はもう歳神さまをお迎えする日、なのでお掃除をしていてはいけないようで、まぁ、無知というのは困ったものでありました。

そして。
追記しておかねば、あまりにも良心が咎めるので書いておきますが…。

いかにもキレイな環境のように住んでいるかのように思える文面ですが、元がひどすぎるので世の中で及第点を取れる『綺麗なお家』にはほど遠いのが現実なのですが。

それでも昨年頑張って襖を貼り替え、ドアのペンキを塗り、廊下の壁には漆喰を塗って、自己満足なリフォームもいたしましたので、とりあえずボロっとしたところは改善されましたし、今年は全ての部屋の電灯も変えてイメージチェンジもいたしました。

さあ、これで居間の天井のお掃除をして、お正月飾りをすれば、わが家なりの(ええ、あくまでもわが家レベルではありますが)お正月の準備は完了です ♪。


ちなみに。
うちの母はそういったお正月飾りなどには一切興味のない人間でありましたので(彼女の名誉のために書くならば、元キリスト教徒ということもありましたでしょうか。まぁ、あくまで〝元〟なのではありますが)、これまたどうしたものをどこまでするのかわからない。

唯一飾られたのが鏡餅。
それもお仏壇に一つ。(元キリスト教徒なのに、離婚してのち思い立ったようにお仏壇を購入いたしました)

嫁ぎ先は各部屋各部屋、玄関やお店にも鏡餅が飾られていて、(ああ鏡餅って一家に一個ってわけではないんだ)と思ったくらいでありました。

嫁ぎ先では昔ながらの大きなものもきちんと和菓子屋さんにお願いして飾っていました。

まぁ、スーパーやホームセンターに行けば、それこそまさに迷うくらいにさまざまなお正月飾りが売られていますので、あとはどこまでやるかを決定して購入すれば良いだけのこと、なんですが、ね。

投稿順
新着順
主のみ
画像のみ
付箋

新しいレスの受付は終了しました

前スレ・次スレ

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少

新着のミクルラジオ一覧

新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧