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チェルシー・イン・ストア

レス41 HIT数 629 あ+ あ-

葉月( AmcTnb )
23/05/30 11:21(更新日時)

毎日働く、デパートガールのチェルシー。

ベテランの女性たちのいざこざに巻き込まれ、アクシデントを乗り越えていくチェルシーは、バラ色の人生に、たどり着けるのか、、、?




No.3671786 22/11/14 10:38(スレ作成日時)

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No.1 22/11/14 10:53
葉月 ( AmcTnb )

「、、、、、ええ。そう。それで全部かしら。よく見せてちょうだい。
、、、ああ、やっぱり素敵ね。このカップでお茶を飲んだら、さぞかしおいしいでしょうね。7客あるから、ちょうど一週間、日替わりで飲めるわよ。ええ、これでいいわ」
銀髪のマダムは、にっこりと、チェルシーに微笑んだ。チェルシーも、いつもの笑顔で、にっこりと微笑み返し、
「それでは、ここに、奥様のサインをお願い致します」
と、万年筆と、ブルーの紙片を差し出した。
「これでいいかしらね、、、、、そう、間違いないわ。どのくらいで届くの?

「航空便でしたら、2、3日以内にお届け致します」
「そう。じゃ、間に合うわね。初めての女の子だから、食器は、素敵な物を使わせないとね。私もね、嫁ぐ時、おばあちゃんから食器セットをもらったんだけど、娘に持たせようとしたら、古いのはイヤなんですって。あの子たちの家は、わけのわからない物で、あふれかえってるのよ。せめて孫には、いい物を使ってほしいと思って、、、」

No.2 22/11/15 10:56
葉月 ( AmcTnb )

「きっと、喜んで頂けますよ、マダム」
「そうね」マダムは、大きなエメラルドの指輪をはめた手で、万年筆をチェルシーに差し出した。
「わざわざイギリスまでやって来た甲斐があったわ。メルシー、お嬢さん。あなたにも、幸せが訪れますように」
「ありがとうございます」
チェルシーが、最上級の笑顔になると、マダムは、軽く手をふり、くるっときびすを返して、「ほら、あなた、行きますよ、次は家具売り場!」と、少しはなれた所でゼンマイ時計に見入っていた初老の紳士の腕を取って歩き出した。

No.3 22/11/15 11:04
葉月 ( AmcTnb )

ガラスのカウンターの中で、マダムたちが立ち去っていくのを、やさしく見つめていたチェルシーは、そっと小さく、下に向けた右手で、ピースサインをつくった。
もちろん、ピースサインは、カウンター内側の白板に遮られて、外からはわからない。ふと通りかかったお客が見ても、美しい雑貨やお花で彩られたガラスのカウンターで、若くて小柄な金髪の店員が、愛想よくスタンバイしているようにしか見えないはずだ。
(ウェッジウッドのティーセット、お買い上げ!)
チェルシーの頭の中で、今度のお給料明細の「ポイント計算」が行われる。

No.4 22/11/17 10:33
葉月 ( AmcTnb )

にんまりと妄想にひたるチェルシーのもとに、接客を終えたミズ・セイラがやってきた。
「よかったわね、チェルシー」
ミズ・セイラーー この店の方針で、目上の女性には、「ミス」「ミセス」ではなく、「ミズ」という敬称をつけないといけないのだーー は、スマートな羽根ぶとんのようにふんわりとした印象を持つ、おだやかな女性だ。
ここで働き始めて30年近くなるというのに、ちっとも威圧的な所もなく、なんでも気さくに話せる相手だ。

No.5 22/11/17 10:39
葉月 ( AmcTnb )

「ウェッジウッド、お買い上げです」
「うん。店長さんも、喜ぶわ。あれだけ素敵なティーセットを、飾っておくだけじゃ、もったいないわよね」
「ヨーロッパ一週して、イギリスに来たそうですよ」
「まあ。幸せなマダムねぇ」ミズ・セイラは、青い陶器の花びんの中のバラを、ゆっくりと整えている。幾重にも重なったやわらかそうな花びらのすき間から、ほのかな香りがただよってくる。

No.6 22/11/22 10:45
葉月 ( AmcTnb )

「あなたも、幸せそうね、チェルシー」
「ええ、、、、、」チェルシーは、嬉しそうに微笑んだ。
「なんとか、結婚まで、こぎつけそうですよ」
「よかった」ミズ・セイラも、にっこりと笑った。このあいだTVで見たドラマの中の、やさしいママのようだ。
「いろいろと大変だったでしょう、、?このお店も人手不足で、若いあなたたちに負担がかかってたわね。でも、おかげで、ロンドンの中でも、最近かなり好調な売れ行きになってきたわ。あなたも、もう、一息ついて、幸せになる準備を始めないとね」
「でも、結婚するって、意外とメンドーですね?」
「まあ、ちょっとはね」ミズ・セイラとチェルシーは、顔を見合せて、いたずらっぽく笑い合った。

No.7 22/11/22 10:54
葉月 ( AmcTnb )

「最初は、いろいろと話し合って決める事が多くて大変かもしれないけど、でも、愛し合う相手と一緒になるわけでしょう?そのうちに、お互いの不都合も、許し合えるようになるわよ。
うちのパパは、最初どうしようもなくヘビースモーカーだったけど、私が長年努力して、このごろは1/2の本数で我慢できるようになったわ。ずっと台所の片隅がパパの喫煙所だったけど、お庭で吸ってもらうようになって、真っ黒だった壁も、やっと白さを取り戻してきているところよ」
「へえ、そうなんですかあ、私も彼に、、、」
コツコツと、重いヒールの音が近づいてきて、チェルシーは、あわてて、口をつぐんだ。

No.8 22/11/24 10:52
葉月 ( AmcTnb )

「セイラ、売り上げが上がって、ご機嫌良さそうね」
つんとした感じの、低く通る声が、割り込んでくる。
「ええ、チェルシーのおかげで、ウェッジウッドがついに売れたのよ」
「まあ」ミズ・ケイト。まるで、年老いたエジプトの女王、という感じの女性だ。見つめられると、思わず固まってしまう。
「これまでの赤字が、ようやく少しは埋められたってわけね」
「ケイト。フランスのマダムがお孫さんへプレゼントされる品物を赤字埋めだなんて、そんな事言ってはいけないわ」
「赤字は赤字よ」ミズ・ケイトのきつい視線が、チェルシーをとらえる。
「この子たちときたら、平気で化粧室の電気や水道を使いまくる、スタッフの食堂の調味料は遠慮なくカラにする、このあいだなんか、備品のティッシュペーパーやボールペンまで持ち帰っていたのよ。
こんなふうで結婚したって、しっかりとした家庭が作れるもんですかね。ちゃんと、きちんとした事を教えてあげなさいよ。私は、あちらのカウンターに行ってくるから」
ミズ・ケイトは、くるりときびすを返し、ギフトコーナーへと向かう。

No.9 22/11/25 10:29
葉月 ( AmcTnb )

しおれた葉っぱのようにしゅんとしたチェルシーに、ミズ・セイラが、笑って、ポン、ポン、と肩をたたく。
「気にしちゃ、ダメよ」
その言葉で、ちょっと救われた気持ちになるが、胸の中にわいてきたモヤモヤは晴れない。
(結婚するって、ホントーに、大変なんだよなぁ、、)


「そうか、大変だったね、チェルシー。ところで、今夜のコンサートは、時間、大丈夫?」

No.10 22/11/25 10:39
葉月 ( AmcTnb )

「ええ、ボビィ。残業なんか、ぶっちぎるわ。もし、遅めのお客が来たら、同僚の子にまかせることにしたから。ちゃんと、私の席、確保しておいてね」
「OK、まかせときなよ。それでさ、終わった後、サロンにも寄っていく?」
「そーねー、時間があれば、、、 あ、なんか、ここ、電波の調子がおかしいみたい、、 また、連絡するわ、じゃ、あとでね、、、」
ボビィが、何か言いかけた声が聞こえたが、チェルシーは、かまわずに携帯電話の電源を切り、ポーチの中に放り込んだ。
コツコツ、、、と、ミズ・ケイトの靴音が近づいてくる。 

No.11 22/11/28 10:46
葉月 ( AmcTnb )

視線を合わさないように、、、と、チェルシーが、じわじわと廊下のわきによけながら行き過ぎようとした時、
「チェルシー」
ミズ・ケイトの乾いた声が、狭い通用口の廊下に響いた。
「、、、、はい?」
「家具売り場のスミが汚れていたから、掃除してらっしゃい」
「あ、あれは、このあいだ小さなクモが出てきて、商品の家具に付いたら大変だと思って叩いたら、つぶれて、壁にちょっとだけ汚れがついちゃって、、、、」
「いいからきれいにしてきなさい。お店の中を清潔にするのは、当たり前の事でしょう?」
「でも、一回拭いたんですけど、汚れが取れないんです、、」

No.12 22/11/30 10:43
葉月 ( AmcTnb )

「取れなければ、3Fの備品に、キッチンクリーナーがあるでしょう。あれを原液のまま、布に染み込ませて、拭いてくるんです!
私は、あなたに、お掃除の説明をしている時間はないのよ。プライスダウンの時間までに、さっさとやってしまいなさい!」
ミズ・ケイトの顔つきがけわしくなり、声のトーンがだんだんと高くなっていく。
このあいだはエジプトの女王で、今日は、戒律の厳しい学校の校長先生のようだ。これから、チェルシーが、派手なバントのコンサートに行くと知ったら、この店の中に監禁してしまうかもしれない。

No.13 22/12/01 10:34
葉月 ( AmcTnb )

去っていくミズ・ケイトの後ろ姿に、チェルシーは、しかめ面をする。
ポーチをロッカールームに置き、3Fのキッチンクリーナーを取りに行き、5Fの家具売り場の掃除にかかる。
「あれ、チェルシー、掃除してくれるのかい?」
「ええ、ミズ・ケイトの言いつけでね、、、、」
「そうか、ちょうどよかった。そっちのカウンター周辺も、きれいにしといてくれる?近々、配置替えするかもしれないから」
5Fで働いている男の子の何気ない一言で、チェルシーの仕事が倍に増えてしまい、結局、午後のほとんどの時間を掃除に費やしてしまった。
お店のプライスダウンセールの開始時間とともに、うまく同僚の子と交替して、ドタバタと帰り支度を済ませ、タイムカードを押し、あわてて店の外へ出る。

No.14 22/12/02 10:57
葉月 ( AmcTnb )

待望のコンサートの会場にかけ込み、お待ちかねのボビィの横にすべり込み、バントの演奏も、チェルシーたちも、熱くもり上がる。
コンサート終了時間を1時間ほど過ぎ、やっと、幕が下りた。
スタッフたちが、あちこちで走り回っている。
「ほら!!ボビィ!ギターピック2枚手に入れたわ!!」
「よかったね、チェルシー、じゃ、そろそろ帰ろうか、、、」
「ちょっと!メンバーが出てくるわよ!メンバーグッズをばらまくはずだわ!!私、もうちょっと、何かもらってくるっ!」
「あっ、、、チェルシー、じゃ、僕、入口の所で待ってるよー、、、」

No.15 22/12/05 10:25
葉月 ( AmcTnb )

30分ほどして、チェルシーは、にこにこと、タオル、ポスター、よれよれのパンフレットなどをかかえて戻ってきた。
「ごめんね、待った?ボビィ」
「いや、大丈夫、、、 タバコ一本分くらいだから。そのパンフレット、買ってきたの?」
「ううん。誰のかわかんないけど、落ちてたから、もらってきちゃった。他にもいくつかあったけど、これが一番キレイだったの」
「そうか。じゃ、後で僕にも見せてね」
ボビィは、笑いながら、クセのある金色の髪をかき上げた。
「ところで、チェルシー、サロンにも行かないといけないんだけど」
「サロン?ウェディングドレスのこと?私、レースがたくさんついてる最新のモードなら、別にどんなのでもいいわ」
「うん。それでね、結婚式のことなんだけど、そろそろ予約をしないといけないと思うんだけどね、、、」

No.16 22/12/06 10:31
葉月 ( AmcTnb )

「結婚式?もうすぐ、お店の大セールが始まるのよ。それが終わってから決めましょうよ。ボーナスも、出るかもしれないし」
とりあえず、チェルシーは、ボビィの車の中に、かかえていたタオルやポスター、その他もろもろの戦利品を放り込んだ。
「サロンまで、歩いて行く?」
「うん。今日は、雨も降ってないから、歩いて行きましょうよ」
二人は、腕を組んで、石だたみの街角を歩き始める。
「次のチケットも取れそう?」
「うん、たぶん大丈夫。ヨーロッパのファイナルツアーだもんね」
「あれ、もう、1年くらいになるの?僕たちが出会って」
「そうよ。前回のコンサートから1年ぶりなんだもの」

No.17 22/12/07 10:10
葉月 ( AmcTnb )

「そうか、あの時、君がいなかったら、あの感動的なコンサートも、見られなかったんだね」
「そうよ」チェルシーは、にこっと微笑んだ。
「私、チケットを取るのは得意だもの。名人といってもいいほどよ。携帯電話の裏技も知ってるしね」
「そうだね」ボビィは、立ち止まって、チェルシーにキスした。
「君がいてよかった」
石だたみの街角のあちこちに、黄色いライトが灯(とも)り、夜の中なのに、まるで昼のように明るく輝いている。



お店のセールも終わり、チェルシーたちは、後片付けにてんてこ舞いしていた。

No.18 22/12/08 09:58
葉月 ( AmcTnb )

色とりどりのバスマット、こまごまとしたキッチン用品、、、、
次のセールのための品物と、今回のセールの目玉商品を入れ替え、段ボールに収納する。
「なんとか、無事に成功したわね」
「ええ。よかったですね、たくさんお客が来て! 、、、、ミズ・セイラ、この、壊れた木馬は、どうしましょう?」
「ああ、そういえば、子供たちがそれに群がってたわね。しょうがないわ。古くなってたし。守衛のサンドラさんが、日曜大工が得意だから、なおしてもらいましょうか?」
ミズ・セイラとチェルシーは、物品室の品物の整理を、あらかた終えようとしていた。
「うわあ、今日中に終わるかなぁ」
「無理しなくてもいいのよ。明日は何もない日だし、こまかいチェックは、私がやっておくから」

No.19 22/12/09 11:09
葉月 ( AmcTnb )

「いつもすいません、ミズ・セイラ」チェルシーは、ちらっと、壁の時計を見る。
「デートなんでしょう?」
マリア様のようにやさしい顔で微笑むミズ・セイラ。
「行ってらっしゃいな」
「いいえ、もう少し片付けてからで、いいんです」
「いいのよ。あなたは、ちょっとそそっかしい所があるけど、セールの時なんか、あちこちのフロアでよく働いてくれるし、私たちも、すごく助かってるわ。若い娘さんは、なんでも簡単に済ませてしまおうとするけど、あなたは、一生懸命してくれるもの。
すてきな恋人を、あまり待たせちゃいけないわよ」
「いいんです。携帯電話で連絡が取れるから。、、、、このリネンは、ここでいいんですか?」

No.20 22/12/12 10:54
葉月 ( AmcTnb )

「ええ。グリーンの、5番目の棚に入れてちょうだい。そこにあるテーブルクロスも、別の場所に置かないとね。ところで、チェルシー、スイートホームの準備は、いいの?」
「それが、これからなんですよ!おたがいに忙しくて、、、、」
「そうでしょうね。最近の家庭用品は、いろいろとセットするのが面倒よね。、、、、誰か、頼りになる人は、いるの?」
「いいえ。私、パパもママもいないから、、、、 ステイ先のママは、いたんですけど」
「ステイ先?」
「ちょっとした、カンパニーの施設です。ずっと、そこで育ったんです。そこのママも、もうおばあちゃんになってます」
「まあ、、、、 じゃ、あなたのパパとママは?」
「ほんとのママは、私を産んでくれて、3年くらい後に、天に召されました。パパも、一生懸命、ママの看病をしてたんですけど、病院代が足りなくなって、遠い所までお仕事に出向いて、それっきり、、、、 音信不通なんです」
くしゃくしゃになった茶色い包装紙が、通風口からの弱い風で、カサッと音を立てる。

No.21 22/12/13 10:59
葉月 ( AmcTnb )

ミズ・セイラは、ひとつ、ため息をついた。
「、、、、それで?」
「それから、ずっと施設で育って、途中、養女に行く話もあったんですけど、小さな国だったので、新しい里親の人たちともスムーズに連絡がつかなくって、、それっきりです」
「学校は?施設から通ったの?」
「ハイスクールの初級まで通って、あとは、小さな工場で2年くらい働いて、それからこのお店に来たんです」

No.22 22/12/16 10:40
葉月 ( AmcTnb )

「まあ、チェルシー」ミズ・セイラは、かかえていたテーブルクロスを、ひとまとめに台の上に置いた。
「知らなかったわ、、、、 あなたは、平凡な、普通の女の子だと思ってたのに、、、、 そりゃあ、ちょっとそそっかしい所があるとは思っていたわよ。でも、いつもにこにこ笑っていたから、、、、」
「ああ、いつも、営業スマイルですから」
テーブルクロスが、ビニールの上をすべり、ストン、と、床に落ちる。
ミズ・セイラは、ゆっくりと腰をかがめ、クロスを拾い上げ、元の位置に戻すと、いつものように、やさしく微笑んだ。
「さあ、早く片付けてしまいましょう。デートの時間に、遅れないようにね」

No.23 22/12/19 10:27
葉月 ( AmcTnb )

通風口から夜風が入り込んできて、チェルシーの髪を揺らした。
あいまいな表情の彼女は、ちらっと時計を眺め、「これだけ、全部整理しときます」と、立ち上がった。


「どうだい、僕たちの新居は?」
ボビィが、木造の小部屋の中で、くるりとターンした。
「なんだか、小さなダンススタジオみたい」
「家具が入れば、だいぶムードも変わるよ、、、、 おっと、このへんは、もうちょっと修理しなきゃね」
床が、ギシッときしむ。ボビィが、軽くタップを踏み、おどけた表情でウィンクしてみせる。

No.24 22/12/19 10:33
葉月 ( AmcTnb )

開け放した窓から、風が吹き込んできて、すすけた白いカーテンを揺らしている。
「ほら、あれが、君の勤めている店だよ」
「あ、ほんとだ、、、、 こうして見ると、ロンドンの街も、なんだか映画の中みたいね」
「そうだね」
窓の外から、香ばしいパンの匂いがただよってくる。
チェルシーは、今朝見た、サンドイッチをおなかいっぱい食べていた夢を思い出して、「まるで、夢の続きみたいだな」と、思った。


しかし、夢のような時間は、長く続かなかった。

No.25 22/12/20 10:47
葉月 ( AmcTnb )

「この仕事を担当したのは、だれ!?」
ミズ・ケイトの金切り声が、響きわたる。
「私です、、、、」
働き始めて日が浅い女子店員が、おずおずと出てくる。
「お客様の名前の綴りが、間違ってるわよ!」
女の子は、青ざめた顔で、「でも、前回のお礼状の通りに、書き写したんですけど、、、、」と、答える。
開店1時間前。フロアにいる他の店員たちが、ざわめき始める。まだスーツに着替えてない私服の男子店員たちが、荷物をかかえ、心配そうな顔をして、横切っていく。

No.26 22/12/21 10:32
葉月 ( AmcTnb )

「正式な名称に、書き換えなさい!」
「まあまあ、ミズ・ケイト、次回から、きちんと書くということで、いいんじゃないのかい?」
フロアのチーフが、見かねて、声をかけてきた。
「いいえ。あなた方に任せてはおけません。このお礼状によって、昔からの大事なお客様が、次のセールに来てくれるかどうかが決まるんです」

No.27 22/12/21 10:40
葉月 ( AmcTnb )

「でも、この女の子は、今日、大事な仕事があるんだよ」
「今日は、どの売り場なの?」ミズ・ケイトの鋭い視線が、女の子をすくませる。まさに、ヘビににらまれたカエルだ。
「、、、、地下の、食品フェアです」
「ほら、だから、この子は今日忙しいんだ」黒いスーツに薄いブラウンのネクタイを締めたチーフは、おびえきった女の子の肩を引き寄せて、「準備しておいで」と、自分の後方へとうながす。
女の子は、おそるおそる、チーフの背後にまわり、一目散に、階段めがけて、小走りで走り出す。

No.28 22/12/22 11:06
葉月 ( AmcTnb )

ちょうどそこへ、女の子と入れ違いに、チェルシーがやってきた。
いつもと違うフロアのムードと、店員たちの視線に、とまどうチェルシー。
「すっ、、、 すいません、バスが混んでて、いつもの時間のに乗れなくて、2本くらい後のに乗ったら、いつもの角の停留所あたりで渋滞してて、、、、」
「チェルシー」
裁判官のように無表情な声で、ミズ・ケイトが呼びかける。
「お礼状の書き換えをしなさい」
「えっ! 、、、、? 、、、、でも」
「前回のセールの分を、全部、今日中にやってしまいなさい。50枚きっちり。定刻までに、できなければ、残業です」

No.29 23/05/14 12:02
葉月 ( AmcTnb )

「ミズ•ケイト、前回の分は、50枚もないですよ」
チーフが、ネクタイを少しゆるめながら、低い声で口をはさむ。
「なければ、前々回のセカンドボックスの分があるでしょう。とにかく、この子は、遅刻の常習犯なんです。今日という今日は許しません。事務室に行って、今すぐ始めなさい」
「、、、、あの、このままで、書き換え、やっていいですか、、、、?」
「何を言ってるの!!そんなヒッピーみたいな格好で、仕事ができるとでも思ってるの!?制服に着替えてからに決まってるでしょう!今すぐ、50枚、書き換えしなさい!!」
ミズ・ケイトの金切り声が、フロアに響きわたる。
天井のスピーカーから、開店準備時間を知らせる電子音のチャイムが、鳴り始める。と同時に、クモの子を散らしたように、フロアの店員たちが、それぞれのカウンターへと向かう。

No.30 23/05/17 13:00
葉月 ( AmcTnb )

呆(ぼう)然とするヒマもなく、チェルシーは、ミズ・ケイトの視線に追い立てられるように、くるりと階段へ向き直って、事務室へと下り始めた。


「、、、、というわけなのよ、ボビィ。ごめんね。今日はそちらに行けそうにないわ、、、、 え?チキンサンド?食べたいけど、持ってこれないわよね、、、 このお店は、裏のレストランのメニューしか、頼めないことになってるもの」
コツコツと、靴音が響く。チェルシーは、あわてて、「じゃ、また、後でかけるわね」と言って、携帯電話の電源を切る。

No.31 23/05/17 13:12
葉月 ( AmcTnb )

ガチャ、と、ドアが開く。
「チェルシー、何枚書けた?」
同じフロアの、リズだ。ブロンドの髪を、無造作にバレッタでとめて、アップにしている。
「27枚」
「大変ね。手伝ってあげたいけど、私もこれから、3Fのマネキンの着せ替えがあるから、、 お昼は?もう食べた?」
「もうちょっとしたら、食堂に行くわ」
「そう。これ、1Fのベーカリーで予約してたお客様がキャンセルしたパンなんだけど、よかったら、どうぞ」
「うん」
リズが、事務室の中に入り、ベーカリーの袋を机の上に置く。
ふわりと、小麦粉の匂いと、ローズの香りが流れ込んでくる。チェルシーは、急に、おなかが減っている事に気がついた。
パンもいいけど、チキンサンドが食べたい、、、、

No.32 23/05/19 11:38
葉月 ( AmcTnb )

雑念をふりきるように、チェルシーは、伝票を1枚手に取った。
「ねぇ、リズ、この綴りは、aだと思う?それともeだと思う?」
「わかんない」リズは、ちらっと伝票を見て、「じゃあね」と、ドアを閉め、再び、コツコツと靴音を響かせて去っていった。
やがて、フロアの終了時間が来た。が、チェルシーの、お礼状伝票書きは、終わりそうにない。
「あと、、、、 8枚、、、、 こんな、高級住宅街、何て読むのか、わかんない、、、、 地図にも載ってないし、、、、」
手元のメモ用紙は、よくわからない綴りの、ペンの走り書きで、ぐちゃぐちゃになっている。



No.33 23/05/19 11:46
葉月 ( AmcTnb )

悪戦苦闘の末、やっと、お礼状50枚が書き上がった。
フラフラした足取りで、配送室のミスタージェイムスに渡しに行く。
ミスターは、スーツの上着を掛けた椅子から、大きな体を持ち上げ、
「ご苦労だったね。ちょうど、コーヒーを入れたところだけど、君も飲んで行くかい?」と、笑った。
「いいえ、今から帰ります、、」
「そうかい。また、今度のセールのお礼状書きの係も、君にお願いしようかな」
陽気な笑い声と共に、ドアが、パタンと閉まる。

No.34 23/05/20 12:14
葉月 ( AmcTnb )

チェルシーは、やや疲れた顔で微笑み、廊下を歩き出す。
休憩室に差し掛かった時に、ふと、「、、、、、、 チェルシーが、、、、」という声が、耳に飛び込む。
思わず、足が止まる。今日の、お礼状の事なんだろうか?
固い、ドアの木目に耳を押しあてて、中の会話に耳を澄ます。
「50枚は、ちょっと可哀想だったわね」
「今時、手書きのお礼状なんて出す所、ないわよね。お客様も、今度いつ来て頂くのかもわからないのに」
「ねぇ、このあいだのチケットはどこ?」
「ああ、ここよ。これもあげる。50%オフのチケット」
女性店員たちのしゃべり声が聞こえる。
「ミズ・ケイトもねえ、ちょっと、やり過ぎよねぇ」
「また、ヒステリーの発作が出たみたいね」
「彼女にも、休息が必要なのよ」
聞き覚えのある、ミズ・セイラの声。「何十年も、勤めてきたんですもの」
「どこか、郊外のお店に、移ってくれないかしら。新しくお店を出す話は、どうなったの?」

No.35 23/05/24 12:08
葉月 ( AmcTnb )

「若い店員の子が、いないのよ。掛け持ちばかりで」
「そういえば、チェルシーは?50枚も書けば、伝票係になれるんじゃない?」
「チェルシーは、できないわよ」ミズ・セイラの、おだやかな声がする。
「結婚するんですもの」
「まあ、そうなの?よかったわねぇ、お相手はだれ?トムかしら、もしかして、カール?」
「このお店の店員じゃないわ。私の知り合いが勤めている会社の代表の、息子さんみたい」
「あら、すてき!シンデレラガールじゃない!ミズ・ケイトに、こき使われた甲斐があったじゃない。幸せになるといいわよねぇ」
「どんな会社?」
「アットホームな会社よ、、、、 アメリカに、カンパニーを持っている所でね、将来も安定していると思うわ。鉱山業で成功したみたいよ」
「ああ、うちの主人の親類にもいるわ。一代で財産を蓄えたんですって。いいわねぇ。アメリカンドリームっていうのかしらね」

No.36 23/05/26 11:50
葉月 ( AmcTnb )

「アメリカンドリームなんて、、、、この、イギリスで、何か価値があるのかしらね?」
「だって、生活の保証があるじゃないの。お父様が会社の社長なら、きっと立派なお家を用意してもらえるんでしょうねぇ」
「どうせ、セレブリティになったら、私達の事なんて、見向きもしなくなるわよ。出ていく人達は、みんなそう。特に若い子はね」
「たぶん、お相手は、苦労知らずのヤンキーボーイじゃない?この間も、そんな感じの子が、買い物に来てたじゃない。変な格好して、、、、」
「チェルシーも、そういう人と結婚するのが、お似合いよね。ほら、あの子、ちょっと、、、、 英語が、アメリカンだもの、、 くだけすぎというか」
「グラスを、ガラスとか?」
「そうそう」
ドッと、笑い声がおこる。チェルシーは、はっと我に返り、ドアから離れた。
休憩室の、自分の棚の中には、リズからもらったパンの残りがある。
でも、取りに入ることはできなかった。
しょうがない、明日のランチで食べようーー

No.37 23/05/28 12:42
葉月 ( AmcTnb )

結婚するから、これから節約しようって、ボビィとも話し合ったのに、新しい部屋だって、二人で選んで、決めたのに、、、、
ロッカールームまでの道のりが、今日は、いつもより遠く感じる。疲れきった足も、重たい。


日々が過ぎていくのは、早い。いよいよ、チェルシーの結婚式の朝となった。
小さなチャペルの控え室は、ごった返していた。入場の時のチャイルドを何人にするかが直前まで決まらず、結局、チャペルの関係者のかわいい子供を2人、探してもらうことになっていた。
金色の髪を美容師からきつく結い上げられ、ウェディングドレスをまとい、ベールを頭にのせられて、チェルシーは、花嫁姿になった。

No.38 23/05/28 12:55
葉月 ( AmcTnb )

そこへ、タキシードを着たボビィがやってきて、目を丸くする。
「うわあ、チェルシー、見違えたよ!」
「そう?ちょっと、ウエストがきついのよ、、、、 ねえ、新しい部屋の、契約書に、サインしてくれた?」
「え?契約書?あさってみたいだったから、明日、持っていけばいいかと思って、、、、」
「それが、今日までなのよ!オーナーさんから電話があったの。ごめんね、言うの忘れてた」
とまどうボビィに、黒いスーツを着た友人たちが、「よう、ボビィ、コングラジュレイション!おめでとう!!」と、次々に声をかけていく。
そのどさくさにまぎれて、チェルシーは、携帯電話を確認しようと、控え室へ戻った。

No.39 23/05/30 11:00
葉月 ( AmcTnb )

メールを確認していると、ドアに、ノックの音がする。
「はい、どうぞ」
「花嫁さんに、お祝いのメッセージが届いてますよ」
ブラックのパンツスーツをゆったりと着た女性スタッフが、にこやかな顔で、チェルシーに封筒を渡し、去っていった。
右手に携帯電話、左手に封筒を持ったチェルシーは、とりあえず携帯をテーブルの上に置き、封筒を見つめた。
ソファーに腰かけると、ドレスのシルクやレースが、サラサラと音をたてる。
差出人の名前を見ると、ミズ・ケイトからだ。
ーーミズ・ケイト?
ミズ・ケイトは、しばらく前から、お店を休んでいた。お礼状騒動の後、体調がすぐれず、しばらく家で療養しているというウワサを聞いていたが、どうして、結婚式の事を知っていたのか、チェルシーには、わからなかった。ごく身内だけの式なので、お店の先輩たちには、誰も、招待状を出さなかったからだ。
とりあえず、封を開けてみる。簡素なペーパーに、くっきりとしたインクの筆跡が、目に飛び込んだ。

No.40 23/05/30 11:12
葉月 ( AmcTnb )


チェルシーへ

結婚おめでとう。本来ならば、お店の同僚と共に、お祝いをせねばならない所ですが、私も療養の為、現在どこにも出向く事ができません。書簡にて、失礼致します。
実は、前回のセールのお客様より、お礼状のお返事が届いていました。高額なお買い物をされた方ですが、出来栄えに大変感激されて、次回のセールの予約も承った次第です。
これも、あなたが御礼状をきちんと書いてくれたおかげです。感謝しています。ーーただ、女性として、お店の中の基本的な事柄を、もう少し身につけておいてほしかったとは思いますが、それは、新しい生活の中で、身につけていくしかありません。
今度、お店でお会いした時には、主婦らしい落ち着きがついている事と思います。
それでは、お幸せに。御主人、御親族と共に、祝福に満ちた家庭を築かれん事を願っています。
 

No.41 23/05/30 11:21
葉月 ( AmcTnb )


トン、トン、と、ノックの音がした。
「チェルシー、準備はできたかい?」
前髪を分け、かるくムースで髪を固めたボビィが、ドアを開けて入ってきた。
チェルシーは、ペーパーと、封筒を握りしめて、急に、泣き崩れた。
チャペルの鐘の音が、遠くから、響き出している。
驚いたボビィは、部屋の中まで歩いてきて、そっと、チェルシーの肩に手を置き、泣きやむのを待った。



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