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【人生】

レス65 HIT数 968 あ+ あ-

匿名さん
22/04/27 16:33(更新日時)

国分「今日のゲストはシンガーソングライターの川嶋あいさんです」

川嶋「宜しくお願いします」

美輪「初めまして」

江原「宜しくお願いします」

国分「今日は色んなお話が出て来ると思いますが、覚悟は出来てますか?(笑)」

川嶋「えぇーと…はい!出来てます(笑)」

美輪「大丈夫よ、だって度胸の塊だもの(笑)」

一同爆笑

国分「えー、では早速ですが、まず運命の出会いを感じた母親との出会いという事ですが…」

川嶋「はい、もともと施設にいまして、3歳の頃なんですけども、そこに今の育ての両親に引き取られたんです」

美輪「施設には何故入れられたんですか?」

川嶋「産みの両親が病気がちか何かで、離れ離れになって乳児院から施設に移ったという感じですね」

国分「産んでくれたお母さんは亡くなったんですか?」

川嶋「そうですね、私が3歳の時に亡くなりました」

国分「それで施設に入って、育ての親と出会った…」

川嶋「はい、そうですね。その出会いのおかげで今の自分があるなとすごく思ってて、歌を歌う事になったのも母がきっかけなんです。私はもともとすごい人見知りで、泣き虫の女の子で、それを母が歌や音楽を通して何とか治せないかと思ったみたいで、それで家の近くの音楽教室に通うようになったんです」

国分「なるほど…。お母さんはどんな方だったんですか?」

川嶋「母は本当に豪快な人で、姉御肌的な感じで、結構めちゃくちゃで、もう二言目には歌手になれって言ってましたね(笑)」

国分「お父さんはどんな感じの人なんですか?」

川嶋「父は逆にすごく冷静で、慈悲深い人で、施設の子供達にプレゼントを贈ったり、刑務所の人達を雇って更生させるような事もしてましたね」

国分「へぇ…。両親との出会いっていうのは覚えているんですか?」


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No.3524240 22/04/21 21:42(スレ作成日時)

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No.1 22/04/21 21:45
匿名さん0 

川嶋「はい、覚えてますね。施設に両親がやってきて、『あいちゃーん』って普通に私に呼びかけるように声をかけてきて、私も、『あ、お父さんとお母さんが迎えに来てくれた』って感じで、普通にお泊り保育をしていた所に両親が迎えに来てくれたような感じでしたね。だから引き取られた時は普通に家に帰って来たって感覚だったんですよ」

国分「そうだったんですか…。産みの母親の記憶は…?」

川嶋「全く覚えていないですね。だから信じられなかったですね。実は本当の親ではなかったって事を知った時は…。中学1年の時に真実を知ったんですが…」

国分「その時はどんな気持ちだったんですか?」

川嶋「もう本当にショックで、母に『私、本当の子供じゃないの?』って聞いたんですが、母は全然動じる事もなく、普通にこれまで通り何も変わらずいてくれたので、それが良かったですね」

国分「へぇ…そうなんですね…。お父さんはその時はどうだったんですか?」

川嶋「父は私が10歳の時に亡くなっているので、その時はもういないですね」

国分「あ、そうですか・・・」

美輪「おいくつでしたの?」

川嶋「えっと…54歳でしたね」
国分「生活というのは、やっぱりお父さんが亡くなってから変わって行ったんですか?」

No.2 22/04/21 21:48
匿名さん0 

川嶋「変わりましたね…。それまでは何不自由なく暮らしてて、大きな家があって、別荘もあって…。だけど父が亡くなってから、それがどんどん無くなっていって、引っ越す度に家が小さくなって行くんですね。もう本当に苦しくなって行きましたね」

国分「あー、そうだったんですね。音楽の方は続けてたんですか?」

川嶋「はい、音楽だけは続けていて、それが母と私の唯一の希望というか、歌手になる事だけが夢でしたね。母は体が悪かったんですが、入退院を繰り返しながら、一生懸命私を育ててくれていました」

国分「へぇ…」

川嶋「13歳の時に一回、演歌歌手としてデビューしたんですけど、全然売れなくて、中州とかでドサ回りとかもして、全然ダメで…。で、一度出直して、東京に出ようと決めて、15歳の時に東京に出てきました」

国分「すごいですね…そこで止めようとは思わなかったんですか?」

川嶋「思わないですね…というか母がすごくて、負けないで頑張りぃって後押しされて、それで私も頑張れた所があります」

国分「東京へはお母さんと一緒に来たんですか?」

川嶋「いえ、一人で出てきました」

国分「一人で?うわぁ…15歳で一人で…すごいな…。どうやってやって行こうとか思いませんでした?」

No.3 22/04/21 21:50
匿名さん0 

川嶋「思いました。決まってた事務所も突然、契約が破棄になってしまって、そこからは野良犬状態で…彷徨っていましたね」

国分「それで、その後はどうやって?どうやったら歌手になれるかも分からないですよね」

川嶋「そうですね…とにかくこのままじゃ何も変わらないと思って、路上ライブを始めたんです。もうそれしかないと思って」

国分「お母さんはその姿は見た事あるんですか?」

川嶋「いや、ないですね。見に来るって言ってたんですけど、亡くなってしまって」

国分「あ、亡くなったんですか」

川嶋「そうですね、路上を始めて半年後くらいに。16歳の時でした」

美輪「天涯孤独になられたのね」

川嶋「そうですね、誰も身寄りはなかったです」

美輪「東京でお友達や誰かもいなかったの?」

川嶋「路上をやっていた時に今のスタッフに出会って、スタッフが色々支えてくれましたね」

美輪「そう・・・それは良かったですね」

No.4 22/04/21 21:53
匿名さん0 

国分「デビューした事は、お母さんは知ってるんですか?」

川嶋「いや、知らないですね。デビューする1ヶ月前に亡くなったので」

国分「あぁ…そうだったんですか…お母さんは知らないまま…」

川嶋「そうですね…」

江原「知ってますよ(笑)」

美輪「知ってるわよ、だってお母さんが仕組んだんですもの(笑)」

川嶋「え?」

美輪「まぁ、そこは後でね(笑)」

川嶋「はい(笑)」

国分「えー、では、話を戻しますが、お母さんが亡くなった時というのは…どんな心境だったんですか」

川嶋「突然の事だったので、もう本当に信じられなくて、ショックで、もう歌を辞めようと思いましたね」

美輪「お葬式や何かはどなたが取り仕切ったんですか?」

川嶋「スタッフですね」

美輪「有り難いわねぇ、いいスタッフに恵まれて。悪い人だってたくさんいますからね」

川嶋「はい、本当にそう思います」

美輪「それ、亡くなったお父さんの徳のおかげなのよ、徳を積んでらしたからそうなるのよ」

川嶋「あぁ…」

江原「だから人様の為に尽くした行為というのは全部返って来るんですよね」

川嶋「あぁ…」

美輪「自分の子供や孫までにも恩恵が回ってくるの…そうやって徳を積んでいるとね…」

江原「お金の貯金よりも徳の預金の方が有りがたい」

川嶋「そうですね」

No.5 22/04/21 21:57
匿名さん0 

国分「やっぱりお父さんの影響もあるんですかね、将来の夢で人を助けたいって言ってましたけど」

川嶋「そうですね、父の事も見てきて…。自分が育ての両親に引き取られて救われたという思いもあるので、なんか世界で困っている人達の為にも何か役に立てる事がしたいですね」

国分「はぁ…すごいなぁ…まだ20歳になったばかりなのに(笑)」

川嶋「アハハ(笑)」

江原「実はお母さん、最初からずっといるんですけどね、このお母さんは意外と慎重な人で、先ほどあいさんは豪快で姉御肌的な人だったって言ってましたけど、人のことですごく苦労して来てる人だから、慎重な人なんですよ。で、このお母さんは、良い人・悪い人はすごく見抜く方なんですよ」

川嶋「あぁ…そうなんですね」

江原「でね、やっぱり川嶋さん、幸せだと思いますよ、本当、恵まれてます。若くしてご両親を亡くして色々大変だったと思いますけどね」

美輪「恵まれてますよ。だって、施設で育った人で、誰にも引き取られず一人で生きて行く人の方が多いのよ?ご存知でしょ?」

川嶋「はい、そうですね」

国分「ちょっと僕、気になったんですけど、お母さんが、大人になったらあいさんに渡そうと、自分が大切にしていたペンダントを音楽教室の先生に預けたというのはご自分の病気が分かっていたからなんですか?」

No.6 22/04/21 21:58
匿名さん0 

江原「いや、まぁ、それもあるけど、それよりも自分の境遇から、万一の時の備えを常に怠らなかったんですよ。これはあいさんのお母さんだけじゃなくて、一人でお子さんを抱えて生きている方なんかは、もし自分の身に何か起きたら…という事を常に考えて、残された子供の為にそりゃ日々色々考えて生きてますよ」

国分「なるほど」

江原「それでね、人間というのは本当に辛い時というのはギャアギャア泣かないんですよ。冷静にどうしようって考えるんですね。意外とギャアギャア泣いている時っていうのは本当に苦しんでないんです」

美輪「そう…泣くというのは余裕があるから出来る事なの」

江原「そうです。私も15歳で親を亡くしてますから、泣き叫ぶ余裕なんてなくて、さぁこれからどうやって生きて行こうって考えるんですよ」

美輪「そう…。まずどうやって食べて行こうかって、生きる事がまず先に来るの。泣いてる暇なんかありゃしない」

国分「そんなもんですか」

江原「究極、人間というのは強いものですよ。だから泣くのは余裕があるから泣けるの」

国分「川嶋さんも同じような感じでしたか?」

川嶋「そうですね…。泣けなかったというか…。母の死を電話で聞いた時に、これからどうしようってまず思いました」

No.7 22/04/21 22:10
匿名さん0 

江原「で、いっぱいやらなきゃならない実務がありますしね。役所にも届けに行かないといけない、あれもしなきゃいけないって感じでね」

国分「そんなに冷静なんですか?」

美輪「だって、死亡届も出さなきゃ行けないし、焼き場に持って行かなきゃならないのよ?喪主にならなきゃいけないし、泣いてる暇なんて本当にないのよ」

江原「でもね、川嶋さんの場合はスタッフの方が良くして下さって…やっぱり幸せですよ」

川嶋「はい、そう思います」

江原「でね、お母さんなんですけどね、豪快な人だったけど、お父さんへの愛で生きてたって知ってます?お父さんに物凄い深い愛情があったんですよ」

川嶋「あぁ、そうなんですか…」

江原「お母さんが言ってるんですけどね、お母さんはあいさんと同じで、お父さんに助けてもらった身なんですって…。だから、いかにもお父さんの世話を焼いて豪快に生きてたと思うでしょうけど、実はお父さんへの恩返しで生きてたんですって」

川嶋「あぁ…」

江原「お母さん、幼い時から家族関係で苦労してきていて、身内っていう身内がないんですよね」

川嶋「あ、そうですね、はい」

江原「だからお父さんが自分に取っての唯一に身内になってくれた人って思いがあるんですよ」

美輪「初めて信じられる人間に出会ったんですよね。お父様との出会いによって」

No.8 22/04/21 22:16
匿名さん0 

江原「本当にお母さんはお父さんが唯一身内を持った感覚があって、そういった意味であいさんを無条件で愛して、自分とあいさんを常にオーバーラップしてるんです。お母さんは血の繋がった家族はいたけれども身内縁が無い、だから人に対しても優しくて面倒見が良かったのは血の繋がりを考えない人だったからなんですよ。魂の清い人かどうかだけで判断してた…困った人はみんな家族という感じでね」

川嶋「あぁ…そうなんですね…。確かにお父さんが亡くなった後、本当に元気がなくなって…」

江原「お父さんにはお父さんの歴史があって、お母さんにはお母さんの歴史があってね…それをお母さんは伝えて欲しかった言って来てらっしゃるの、今日は」

美輪「【蛇の道は蛇】って言ってね、自分が通って来た道だから、その人の痛みや苦しみが分かるの。自分が経験した苦しみ・悲しみを味わっている人を見ると、自分に重なるのね。きっとこの子もそうだろう、あの時の私と同じ気持ちだろうって事が分かるのよ。だからお母さんは貴女の幼少の頃を見ていると自分自身なのよ」

江原「そう!そうです」

川嶋「あぁ…そうなんですね…本当にそうですね」

美輪「でね、お父さんが早くお亡くなりになったのは、要は早く卒業証書を手に入れたの。つまりノルマを貫通したわけ」

No.9 22/04/21 22:24
匿名さん0 

美輪「10歳とか12歳で大学院を出た子がいるじゃない?それと同じで、ここまでの人格形成、こういう勉強をしなさいというノルマがあって、例えば本来はそれを70年かかって勉強するカリュキュラムが組まれていたんだけど、本人の心掛けや努力が良くて、50年でそのノルマを達成したら、20年繰り上げて若くして【はい、ご苦労さんでした】って早めに切り上げて楽な所に行けるのよ。だから若くして亡くなったからって、必ずしも不幸とは限らないのね。予定よりも早くノルマを貫通して、おめでたであの世に凱旋して逝ける人もいるのよ。お父さんはそういう人なのよ」

川嶋「へぇ…そうなんですね」

江原「産みのお母さんなんですけどね、育てのお母様に対して物凄く感謝してらして、やっぱり自分が産んだ我が子ですからね…。で、この人はこの人で色んな事情があって、だからそういう意味では育てのお母さんに対して、育ててもらった事にとっても感謝していますよ。産みのお母さんも色々苦労があって若くして亡くなって可哀想だと思うかも知れないけど、この人はこの人なりの前世とかの目的があって生まれて来てるんですよ。オーラの泉だから話せるんですけどね、あの世があるという事を知ると知らないとでは大違いなんですね、人生というのは。それが理解出来ると、この世の在り方というのをもう少し俯瞰して見る事が出来るんです」

No.10 22/04/21 22:27
匿名さん0 

江原「変な言い方ですけどね、あいさんにしても、今までの苦労や悲しみがあったからこそ、こうして歌手になって歌が歌える自分がいる訳じゃないですか。色んな意味で肥やしになってるはずで…。私にしても子供の時に両親を亡くして色々あって、だから今の私があるんですね。逆に言うと、全然違う人生だったならば、今ここにいる私は無いんですよね。そういうふうに考えると、不幸は不幸にあらずだったりするんです。だからある意味で私達は幸せな道を辿ってるんです」

川嶋「はぁ…本当にそう思います」

国分「いやぁ、深いというか、ちょっと僕では経験した事がないので分からないんですけども、自分の思う幸せってやっぱり両親がしっかり揃って生きてるって事だと僕は思ってるんですけども…今のお話っていうのはそうじゃないじゃないですか」

江原「いや、人生経験は平等ですよ。だってそれは現時点の話でしょ?例えば、これから親が年老いて、認知症なんかになって、介護で大変な苦労をするかも知れない、あれだけ元気で逞しかった親が子供の事さえ誰だか分からなくなったり、オムツが必要になって、子供からすると見たくない親の悲しい姿で最期を送る事になるかも知れない…。だけど私達の場合、若くして親を亡くしてるから、そういう意味で残酷な親の姿は見ずに済んでいる訳ですよね」

No.11 22/04/21 22:29
匿名さん0 

江原「何ていうのかな…要はメニューの違いというか、学びの違いがあるだけで、総合的に見ればみんな一通り同じような経験をするようになっているんだと思います」

美輪「小学校、中学校、高校って勉強して行くのと同じように、国語、数学、英語、体育、美術…それぞれの科目でちゃんと点数を取らないと進級出来ない訳でしょ。点数が足りなくて赤点を取ったら落第で2年生には上がれないのよね。人生もそれと同じで、例えば辛いからって自殺すると中途退学になる訳。そうするとまた同じ科目からスタートして、同じ人生に生まれてやり直さなきゃならないのよね。そうやって人生というのは、男になったり女になったり、黒人になったり白人になったり、病気の人生だったり、孤児に生まれる人生だったり、様々な人生に生まれ変わって、魂の向上の為に修行しなきゃならないように作られてるんですよ。つまりまだ上に行けない未熟な魂だから、私達は人間としてこの世に生まれて辛い人生を生きなきゃならないようになってるの。極楽浄土では怠けて修行が出来ませんからね。もし極楽浄土でも怠ける事なく修行が出来るくらい磨かれた魂なら、そもそも人間になんかに生まれてこんな辛い人生を生きる必要はないの」

川嶋「へぇ…」

No.12 22/04/21 22:32
匿名さん0 

江原「そうやって様々な苦しみ悲しみを経験してる人というのは幸せの数を数えるんです。で、未熟な魂の人は不幸の数を数えます。そこに違いがハッキリ分かります。幸せの数を数えられる人はそれだけ魂の経験の深い人」

美輪「みんな不平不満の数を数えるのは得意なのよ。あれも足りないこれも足りない、容姿が悪い、背が低い、給料が安い、もう上げればきりがないくらい不平不満ばかりなのね。幸せの数ってのは、病気してない、目が見える、耳が聞こえる、手がある、足がある、喉が乾けば冷たい物が飲める、温かい布団で寝れる家がある、家族が健康である、どれだけ私達はたくさんの幸を得ているかって事を考えればね、それはもう不幸の数よりはるかに上回るのよ。だけど魂が未熟な人っていうのはその幸を感じる事は出来ないのね。幸不幸の数を合わせて100個あったとして、その内90個が幸で不幸はたったの10個だったとしても10個の不幸を数えて不平不満を漏らすのよ。だから魂が未熟であるという事はどんなに幸福な環境にあっても幸福だと感じ取る事が出来ないの」

川嶋「あぁ…そうなんですね」

江原「で、お母さんが伝えて欲しいって言ってるんですけどね、まずはデビュー出来て良かったね、おめでとうって。最近ちょっと怖気づいたり色々あるみたいだけど、弱気な事を言わないでまずはしっかり地に足を付けて頑張りなさいって」

川嶋「はい…ありがとうございます」

No.13 22/04/22 23:28
匿名さん0 

川嶋あい。
私は彼女の事はあまりしらなかったのだが、彼女の生い立ちを聞き、世の中は色んな人がいるのだと改めて思い知らされた。

「私たち人間はまだ上に行けない未熟な魂だから、人間に生まれて辛い人生を生きなければならないようになっている」という話を聞いて、肩の力が抜けたような気がした。

人間はみんな不完全で未熟なのだ。
他人の愚かな言動に腹を立て、自分は問題無き人間かのようについつい上から物を言いがちだが、お互い様であり、他者を攻撃しても仕方がない。

人の事はどうでもいいのだ。問題は自分なのである。

「魂のグレードの高い者は幸せの数を数え、グレードの低い者は不幸の数を数える」
痛い指摘だった。
私は…もちろん不幸の数を数えて不平不満を漏らしてきた口だ。愚か者の証拠である。

何が起こっても動じない強靭な生命状態になれるまで、修行は続くのだと美輪氏は言う。

今世は平和な国&時代に生まれ、健常者に生まれたかもしれないが、次は障害を持って生まれる人生かもしれないし、紛争地域に生まれ、命懸けの人生を生きるかもしれない。

どうやら人間は過去世で解決出来なかった問題(欠点)を解決する為に今世が仕組まれているらしいので、今、苦悩している事は過去世で解決出来なかった自身の欠点なのだそうだ。

あがいても無駄。腹を決めて受け入れ、立ち向かえと。

辛いがそれが人生なのだ。

No.14 22/04/22 23:39
匿名さん0 

国分「まずは戦時中のお話を聞きたいんですが、海老名さんは当時11歳…」

海老名香葉子「そうです。小学校5年生でした」

国分「えっと…それで東京大空襲の時は海老名さんは何処に?」

海老名「沼津の叔母の所に疎開していました…私1人だけ…家族は皆東京に残っていました」

国分「えっと、ちょっと僕分からないんですが、なぜ海老名さんだけが疎開されたんですか?」

海老名「軍の強制でした…あの頃は…」

美輪「中学生以上は兵隊が足りなくなった時の為に学徒動員で使われるから疎開出来なかったのよ。小学校5年生と6年生だけが疎開命令が出されたの。それは日本を絶やしては行けないから、次の世代を背負って立つ種を残す為に安全な場所へ非難させたのよ」

国分「あぁ!なるほど。そういう事ですか…。だから他の兄弟は東京に残って海老名さんだけが疎開したんですね」

美輪「そう…」

国分「沼津の方では空襲はあったんですか?」

No.15 22/04/22 23:41
匿名さん0 

海老名「えぇ。機銃操射って言いましてね、低空で爆撃機が飛んで来るんですよ。学校で帰宅命令が出まして、そうしたらサイレンが鳴らないうちに飛行機がバーッと飛んで来ましてね、もう無我夢中で逃げて垣根に突っ込んで隠れました。防空頭巾を被ってたんですけど、飛行機が去って行った後、頭が凄く熱くて、触りましたら火みたいに火傷するくらい熱いの。何かと思ってほろったら鉄の破片みたいのが突き刺さってて…慌てて落としました。そしたら私の前に自転車に乗ってた人がいたんですが、その自転車がひっくり返ってタイヤがグルグル回ってるの…そしたら人が倒れてて血がバーッと流れ出てましたの」

国分「海老名さんの前で自転車に乗ってた人が飛行機から撃たれて倒れたって事ですか…」

江原「その低空飛行ってどれくらいの距離なんですか?」

美輪「操縦士の顔がハッキリ見えるくらい低空してくるわよ。それでエンジンを切って低空してくるのね、ギリギリの所でエンジンをかけて銃撃してくるの。だから無音で来るから私達は直前まで分からないのね。そして射撃ゲームをして楽しむかのように、逃げ惑う人達を見て笑いながら面白がって銃撃してくるのよ。」

国分「いやー、信じられないですね…」

No.16 22/04/22 23:44
匿名さん0 

国分「で…東京大空襲ですけども…」

海老名「3月9日夜半から退避命令が出ましてね、私は疎開先で山の上に登って行ったんですけど、真夜中過ぎましたら東の空がボーッと赤くなってて、東京がやられてるぞー!という大人の声が聞こえてきましてね、とにかく正座して東京にいる家族の無事を祈って拝んでました。そしたら4日目にすぐ上の兄がボロボロの姿で現れましたの。それで、ごめんごめん皆死んじゃったんだー、香代子ごめんねごめんねって泣いて謝るんですよ。父ちゃんも母ちゃんも皆死んじゃったんだって…」

美輪「そのゴメンネって謝るのが哀れですね、まるで自分が悪いみたいに…」

海老名「そうですね…兄は自分1人だけが助かってしまって、罪悪感を抱えていました。父、母、3人の兄と弟は学校に非難しようと必死で逃げたんですが、学校の門が閉まってたんですって。開いて中へ入れたら助かってたみたいなんですけど、母が弟を胸に抱いて、その上から父が覆い被さって、兄達はそこに寄り添って、そしたら兄が、日本男児だ!潔く舌を噛んで死のうって言ったんですって…そしたら父が、三郎!あそこへ逃げろ!って兄に言って、兄は無我夢中で父の言った通りに逃げたら、自分だけが気が付いたら助かってたって…」

No.17 22/04/22 23:45
匿名さん0 

海老名「それで自分1人だけが生き残ったのが申し訳ないようで私にごめんごめんって…。一晩抱き合って泣き明かして、二人でお世話になるのは悪いからって兄は東京へ帰って行っちゃったんです」

国分「え、帰っちゃったんですか、お兄さん…」

美輪「東京に戻ったって身寄りもなかったでしょうに…」

海老名「はい…だけど二人で厄介になるのは叔母に迷惑がかかるからって…。私の手を持って涙をポトンポトン垂らすの…その涙が熱いんですよ…私も一緒に泣きました」

美輪「本当に憎らしいわよ。じゅうたん爆撃って言ってね、じゅうたんを引いたみたいに全部やっちゃうの。逃げられないように、追い詰めるように、集中的に空襲をするのよ」

海老名「下町の密集地に回りからグルっと囲うように爆弾を落として包囲した状態で、焼夷弾を落としたんですよ。ガソリンの固まりみたいなものですよね。それで地上何百メートルの所で炸裂して落ちるんです。当時はコンクリートの建物なんかありませんで、みんな木造でしょ?だからあっという間に火の海になって、たった二時間で10万人の人が死んだんですよ。みんな焼けただれて悲鳴をあげながら苦しんで死にました」

No.18 22/04/22 23:53
匿名さん0 

美輪「私は原爆が落とされた時に長崎にいたんだけど、ちょうど夏休みでね、空は晴天で、何の前触れもなくいきなりピカッと光ったのね。雷が1000万個くらい同時に落ちたみたいな光で、次の瞬間、大嵐が来たように爆風が吹いて、建物は吹き飛ぶわ、一瞬で灰。それでね、私は自宅で夏休みの宿題の絵を書いてて、家の窓が全面ガラス張りになってたんだけど、そのガラスが一瞬にしてピッ!と飛ぶのね。そのガラスの破片が針山みたいに一面壁に直角に突き刺さってて、私だけは一切何にも刺さらず無傷だったの」

国分「それは本来は刺さっててもおかしくなかったって事ですか?」

美輪「いや、当然刺さってなきゃおかしいのよ。だって私の後ろの壁一面にガラスの針山が突き刺さってるんだから、物理的に刺さってなきゃおかしいのね、だから奇跡としか言いようがないのよ」

国分「へぇ…信じられない奇跡ですね…。それでその後はどうしたんですか?外はどんな状況に?」

美輪「もう地獄ですよ…馬はドタッと横になって引き付け起こしてるし、馬車引きのおじさんも狂ったように叫びながら引き付け起こして、全部顔の皮が剥けてるのよ。そして逃げてる最中に塀の下敷きになってる人が『助けて~』って足首を掴んで来るのね。だけどみんな自分の事に精一杯で他人なんか助けてられないし、顔が損傷してお化けみたいになってるから怖くて、掴まれた手を振りほどくの」

No.19 22/04/22 23:54
匿名さん0 

美輪「そうするとその人の皮と肉がズルッと剥けて、自分の体にピタッとくっつくのよ」

国分「うわぁ…」

美輪「もうね、とにかく戦争ってのは凄いわよ、本当に…」

国分「終戦後なんですが、海老名さんはご家族を亡くされて、その後どうやって生きて行ったんですか…」

海老名「二ヶ月後…土地の処分などしなければならないという事で、後見人になる叔父さんがいたんですよね。その叔父さんが私を引き取らないと処分出来ないものがたくさん出て来て、兄が何処に行ったか行方不明だから私を引き取って、焼け野原に雨露しのぐだけのトタン屋根を囲っただけの親子3人で暮らしてる叔父さんの家に引き取られたんです」

国分「場所は何処だったんですか?」

海老名「中野だったんですが、東京へ戻って来てから私はもう生きる戦いでした。叔父さんの家もそんなに長くは居られなくて、あっちの親戚3日、こっちの親戚4日と転々として…」

国分「そんな数日で変わって行っちゃうんですか?」

海老名「そうですね…。『こんにちは』って行って居られそうだなと思ったら3日4日居るの…それで、あぁ、これが限界だなーって自分で分かるんですよ、そしたら、『叔父さんさようなら、叔母さんありがとう』って言って、また次の家を探すんです」

No.20 22/04/22 23:56
匿名さん0 

海老名「それで、初めて実家の焼け後を見に行って、橋の上から町を見た時、何もかも消え去って、灰になっていて、そこで初めて、『父ちゃーん、母ちゃーん』って叫んで泣きました。そして実家の焼け後に入って、何かないかと瓦礫を避けてみたら、家族が使ってた茶碗の欠片とか、皆の生きた証が出て来て号泣しましたね。もう12月に入って寒かったんだけど、実家の石段に腰かけて、もうこのままでいいやと思ってたら雪が降って来て、それでもしゃがんだまま俯いていたら、黒っぽい人が通って行ったんですよ。その時、助けて!って言おうかなと思ったんだけど言えないまま俯いてたら、その人が戻って来て、姉ちゃんしっかりしなくちゃダメだよ、こんな所にいたら凍え死んじゃうじゃないか、頑張ろうよ頑張ろうよって声を掛けてくれたの。それでも私、顔をあげる事が出来なくて俯いてたんだけど、そしたら、御上がり御上がりって言われて、何の気なしに手だけを差し出したら、パカッと半分に割ったサツマイモを乗せてくれて、もう夢中でそれを食べました。そしたら体中が暖かくなりましてね、今の人神様だったのかしらって思いましたね…」

国分「その後はどうやって…」

No.21 22/04/22 23:57
匿名さん0 

海老名「もう相変わらず転々としてまして、ただ父の関係で色んな方を知ってましたから、家の焼け後の所に、(長谷川しん来たる、連絡乞う)とかメッセージが書いてありましてね、その中に金馬師匠からの(金馬来たる、連絡乞う)ってのがあって訪ねて行きましたら、生きてたのかい!良かったねー!と言って下さって、その日の内に私拾われました。家の子におなりって言って下さって…」

美輪「でも当時は落語家の方も大変だったでしょうにね…」

海老名「えぇ。でも、『家の子におなりよ、苦労しただろうに』って言って下さって、その日の内に温かいお布団に寝た時は、これで助かった…!と思いました。それで兄を探してやっと見つけましたら、神田の今川橋という所で女の人の腰ひもを売ってましたの。まるで大人の口調で…。そこで再開しました」

国分「あぁ、お兄さんと再開出来たんですか…!」

海老名「はい…そしたら兄が、『何で東京なんかに出て来たんだ、叔母さんの家に居れば良かったのに』って泣いてるんですよ」

美輪「偉いわねぇ、お兄さん…」

国分「それまで海老名さんを支えていたものって何だったんですかね…」

海老名「とにかく無我夢中でした」

美輪「生きる本能ですよね」

No.22 22/04/22 23:59
匿名さん0 

江原「さきほど焼け野原でサツマイモを頂いて励ましてくれた人の話がありましたでしょ?あれ、お父さんですよ。あの声、お父さんだったって気が付きませんでした?」

海老名「えー!」

江原「それで余談なんですけど、蓄音機ってお有りでした?」

海老名「はい、ありました。子供の頃にどこの家にもなかったんですけど家だけ持ってて…。私の首もとくらいの高さがある大きな蓄音機が…」

江原「蓄音機にまつわる楽しい思い出がたくさんお有りでしょ?どうやって音が出るんだとか、いい音だねとか皆ではしゃいで歌ったり踊ったり楽しかったねってお父さん仰ってます。この時の思い出、忘れてないよって…」

海老名「まぁ…。その通りです。家族皆で蓄音機の回りに集まって楽しく過ごした思い出があります」

江原「思い出だけは残りますものね…物は焼け消えても…。蓄音機の思い出をお父さんずっと語ってるんです。本当にあの頃は皆で楽しく面白く過ごしたって…」

海老名「そうですね…本当に幸せでした」

江原「ただね、やっぱりお父さんお母さん、置いて逝ってごめんねって言ってます。こうやって言うんですよ、ある意味死ねた者の方が幸せだったと思いますって」

海老名「はい。あの時はそうでした…戦後すぐの時は…一緒に死んでたらなぁって思いました」

No.23 22/04/23 00:01
匿名さん0 

江原「逆に生き残った者が幸いというより、生き残った者が悲劇…それはそれで辛いものをいっぱい見た…。だから逆にお父さんお母さんは置いて逝ってごめんなさいって仰ってるの。そしてこれは海老名さんだけじゃなくて皆に言ってるんだけど、家族を大切にして下さいって…。家族の絆を大切にして欲しいって仰ってますね」

海老名「はい…そうですね。やっぱり家族ですよね…居なくなっても自分の事を思ってくれるのは…」

国分「いやぁ…何か考えさせられましたね。僕が知ってる戦争は、1900何年に何が起こって…みたいにしか習ってないので実感がなかったんですが、今日の話を聞いてこんなに悲惨な事だったのかって初めて知ったような気がします」

美輪「分かるわ…。若い人がね、戦争は悲惨だと言われても頭では理解出来るけど実体験がないから分からないって言うんだけど、じゃあこう考えたらどう?って言うのね。家へ帰った時に、もう明日からお父さんがいないのよ、ご主人がいないの、息子にも会えないのよ、兵隊に取られちゃって赤紙一枚で死ぬのよ。もう一生会えないんですよ。病気や事故で死んだ訳でもなく、理不尽に他人から逝けと命令されて死ななきゃならないのよ。それが戦争なのよって事なの」

No.24 22/04/23 16:51
匿名さん0 

疎開の目的が種を絶やさない為であったとは知らなかった。

それだけ戦死者が続出し、このままでは日本人が絶滅してしまうという危惧からだろう。

子供を危険から避ける為、子供を守る為の対策だと思っていてた自分の甘さを痛切に感じた。

居なくなっても自分の事を想ってくれるのは家族だけ…
死んだ側からしても、自分の命日に供養してくれるのも家族だけ…
他人はそんな事はしてくれない。


独身、天涯孤独だから、死んだ後、命日に供養してくれる者は無い。それ以前に焼き場に持って行ってくれる者も、埋葬してくれる者もいない。

若い時、現役時代は分からないが、晩年になってその生き様は出る。
孤独死する人間、最期になって困るのは、そういう生き方をしてきたという事だ。

人との関わりを避けてきた者、どういう事情があろうと、家族含む他者との関わりを避けてきた者は…

米国は日本とは比べものにならぬほど戦争犯罪を犯しているが、戦勝国となった為、全てが肯定された。そして日本は敗戦くにとなってしまった為、全ては日本が悪く、日本は侵略国家だと罪を被せられた。

現在のロシア、中国の覇権は言わずもがなである。

一般市民が暮らす都市に原子爆弾を投下できる米国の残酷さといったら無い。
ドイツに投下しなかった一つの理由に、同胞(同じ白人)というのがあった。日本人は黄色人種、イエローモンキー、ジャップといって差別があり、見

No.25 22/04/24 00:35
匿名さん0 

江原「それでね、守護霊さんが仰ってるんだけど、どうしてそこまでお父さんの事が気になってるはずなのに、後もう一歩が踏み込めないの?って…」

相田「もう一歩…」

江原「そう…今は昔と違ってだいぶお父さんに対するイメージが変わったでしょ?なのにどうしてお父さんに自分を出せないの?って…」

相田「ねぇ…私もそう思うんですよ」(苦笑い)

国分「あ、自分でも思ってるんですか…」

相田「はい…。姉が父っ子で、私が母っ子だったんですね。で…どっか父に未だにさらけ出せない部分はあるかも知れないです」

江原「うん…」

相田「最近やっとですね…母が亡くなって、よりこう家族の絆が深まって…」

美輪「お父さんも心象風景が変わって来たからね、お母さんを亡くした後…」

江原「だからそのもう一歩を変えなくちゃいけない…」

相田「はい」

江原「でね、実は守護霊さんが仰ってるんだけど、相田さん、本当はお父さんを心配でならないはずなの。」

相田「はい」

江原「相田さんはお姉さんを父っ子って決め付けてるけど、相田さんも十分父っ子なんですよ」

相田「あぁ…」

江原「でね、どうしてもう一歩っていう所でお父さんに自分をさらけ出せないかっていうとね、お母さんがもう少しお父さんに優しくしてもらえてたらっていう思いがあるんですよね…」

相田「そう…ですね…」(言い当てられたかのように大きく頷く)

No.26 22/04/24 00:40
匿名さん0 

江原「その思いがね、相田さんからお父さんを遠ざけちゃうの。ご自分で分かってます?」

相田「はい…厳しかったですね…母には…」(目を潤ませながら答える)

江原「で、これはお母さんが言ってるんだけど、『私はお父さんに泣かされてない』って…」

相田「…」(涙を目に溜め、大きく頷く)

江原「実はね、お母さんなりにお父さんを尊敬してるんですって。そりゃ理不尽に見えたり厳しすぎると思う事もあったけど、でも、確かにお父さんの言ってる事は道理に叶っていたし、理不尽な事は言ってないって。それとお父さんは苦労人。苦労してきた人だから、その苦労を計り知る事は出来ないんだって…。だからお母さんはお父さんの言ってる事を一生懸命受け入れて、自分を成長させる為の肥やしにしようと思って生きて来たんですって…。時に辛いなと思う事もあったけど、そうは言ってもお父さんから労いの言葉もちゃんとあったって…」

相田「…」(涙をこぼし頷くのが精一杯)

江原「それともう1つ、先ほど美輪さんも仰ったけど、お母さんが亡くなった事でお父さんの心象風景が変わった…。これがお父さんのお母さんに向けた本当の心なの。だからこの事を相田さんが理解すれば、もっとお父さんの懐に飛び込んで行けるはずらしいですよ」

No.27 22/04/24 00:43
匿名さん0 

美輪「そうするとお父さんも許せるしね…。それでね、お母さんが何て仰るか分からないけど、お母さんはね、若い頃の、出会った頃のお父さんをとっても愛してらしたのね。その愛情がずっと根底にあったから、どんなに厳しい事を言われても、その原風景を思い返す事によって、挫折しかけた心を何度も取り戻す事が出来たのよね」

江原「そう!そう!お母さん、その通りだって仰ってます!」

美輪「でしょ?その原風景がお母さんの支えだったの。だから相田さんは、結婚して夫婦となって、夫としてお母さんに厳しかったお父さんの姿、つまり現象面しか見てないからお分かりにならないかも知れないけど、お母さんの内観には、貴女達姉妹が生まれる前、まだ恋人としてお付き合いしていた頃の愛情溢れる素敵なお父さんの姿が脳裏に焼き付いてるのよ」

相田「はぃ…」

美輪「でね、お父さんもお母さんが亡くなって初めて気が付いたのよね。お母さんが亡くなる前後に忘れていたものを全部思い出しちゃったのね。それでずいぶん反省したり、自分も変わらなきゃ行けないってお父様はお思いになったはずよ。それと同じように相田さんにも分かって頂いて、変わらなきゃいけないって事をね、守護霊様は仰ってるの」

相田「はぃ…」

No.28 22/04/24 00:47
匿名さん0 

江原「それで後もう一つ、お母さんはね、『私はこれはもう寿命だったと思ってる』って仰ってるの。だからもっと早くに気が付いていれば…って貴女達姉妹が語った所で時間は戻らない訳だから、その事をもう少し理解して大人になって欲しいって、お母さん言ってますよ」

相田「…」(泣き崩れる)

江原「それよりも残されたご家族の事をお母さん、心配されてます。もっと三人の絆を深めて生きて欲しいって…」

美輪「暖めつつ暖められつつでね…。だけどこのお母さん、とっても大きくて強い人よ」

相田「そうですね…すごく…強い人でした…」

国分「(江原に)お母さんは相田さんの近くにいるんですか?」

江原「いえいえ、もう浄化されて上にいってらっしゃいますけど、今日は特別に来てるんです」

国分「あぁ…そうなんですか…」

美輪「だからいつまでもくっついている人っていうのは成仏出来てないの…未練があるから。現世にいる残された家族がいつまでもシクシク泣いて悲しんでいると成仏の足を引っ張るのよ。だから一番の供養ってのは亡くなった人が心配しないような生き方をする事なのよね。自分が家族を残して置いて逝く側になれば分かるでしょ?嘆き悲しんだり喧嘩ばかりしてる姿を見たら安心して逝けないじゃない。仲良く幸せに暮らしてる姿を見て初めて安心して上に逝く事が出来る訳だから」

相田「本当にそうですね…」

No.29 22/04/24 00:50
匿名さん0 

江原「良かった…ようやく笑顔が出て…。オーラの色も明るくなりましたよ。お母さんを亡くして、自分自身にすがる人がいなくなったって思ったんでしょうね」

美輪「この世に味方が1人もいなくなったと思っちゃったのね」

江原「でも今日お話させていただいて、くすんでた色もスーッと晴れたから、これでお父さんに対する見方も変わって行くと思いますよ」

美輪「お父さんも変わられたからね…色んな意味で…」

相田「そうですね…」

美輪「変わっていらしたでしょ?」

相田「はい、お母さんみたいになっちゃいました」

江原「それでお母さんがね、先ほど相田さんがお姉さんは父っ子でお父さんから可愛がられてた…みたいな事を仰ってたけど、子供は一緒…どっちに対しても…親からすればどっちも可愛くて愛情があるって。だから相田さん自身ももっとお父さんに飛び込んであげないと…それが孝行」

No.30 22/04/24 00:51
匿名さん0 

美輪「ただね、お父さんは下手だったのよ」

相田「そうですね…不器用ですね」

美輪「本当に不器用な方でね、愛情表現も何もかも全てね…下手だったの。そこが誤解を生んじゃったのね」

相田「はい…」

国分「いやー、来た時よりスッキリした顔してますよ、相田さん」

相田「こんな泣き通しになるとは思わなくて…(笑)本当は私はテレビとかで泣くのは苦手なんですけど、今日は我慢出来ずに溢れてしまいました」

美輪「いや、もう自然体でいいんですよ。涙っていうのは精神的な汚物を流すんだから。それを全部流しちゃえばいいんです。そうすると後はスッキリするから。悩みの大掃除よ(笑)」

相田「はい。ありがとうございました」

No.31 22/04/24 00:53
匿名さん0 

相田→相田翔子(元Wink)

No.32 22/04/24 02:21
匿名さん0 

『お母さんがもう少しお父さんに優しくしてもらえていたら…』という思いが父親を遠ざけていた…という下りが印象的だった。

父親に対して、(どうしてそんなに厳しい事を言うの)(お母さんにもう少し優しくしてよ)という思いがずっとあったのだろう。

けど、母親からの、「私はお父さんに泣かされていない。確かに厳しかったけども、理不尽な事は言われてないし、労いの言葉もあった」というメッセージを聞いて誤解が解けた…

子供の目には見えない、夫婦にしか分からない事もあるのだと思った。


そして、(もっと早く気付いていればお母さんは助かったかもしれない)という後悔に対して、「私は寿命だったと思っている。時間は戻らないのだから、それを理解して受け入れて欲しい…」という母親からのメッセージ…

これを聞いた彼女は号泣していたが、美輪氏の言う通り、心に溜まっていた悲しみや胸のつかえも涙と共に流れたのだと思う。

別れの時は必ず来る。
口煩かったり、ウザいと思う事があっても、世界で一番自分の心配をし、面倒を見てくれた存在を永遠に失うのだから、それは大変なショックで、人生観は変わるだろう。

孝行したい時に親は無し…と言うけれど…

No.33 22/04/25 20:24
匿名さん0 

石原真理子「15歳の時にスカウトされた事がきっかけですね。小さい時から何度かスカウトされた事はあったんですけど、いつも男の人だったので無視してたんです。でもその時は女の人で、ちゃんと台本もあったので…」

ピーター「で、例の彼との馴れ初めはどんな感じだったんですか?」

研ナオコ「馴れ初めってやぁねー、露骨(笑)」

石原「もともと所属事務所が一緒だったんですよね。向こうはまだデビュー前で面識は全然なかったんですけど、17歳の誕生日にプレゼントが届いたんです」

美川憲一「あらそう…何をもらったの?」

石原「それが…真っ赤な下着で、なにこれ!?って感じで最初は驚いて、まだ17歳だったので、何かすごく大人なプレゼントというか、それまで私が知らなかった世界を見たというか…。でもその時は彼氏がいたので無視してましたけど(笑)」

ピーター「あら、そうだったんだ」

美川「それでその後はどう進展して行ったのかしら?」

石原「その後もプレゼント攻勢は続いて、私の為に書いた曲だと言ってカセットやレコードを贈ってきたりして、かなり積極的にアプローチされましたね」

研「へぇ、すごいわねー」

石原「それである日マネージャーから『ライブに行くわよ、彼がぜひ真理子に来て欲しいって言ってるのよ』って言われて、半ば強引に彼のライブに連れて行かれたんです」

No.34 22/04/25 20:26
匿名さん0 

石原「ライブの際中、彼が私に熱い視線をガンガン送って来て、何となく引き込まれて行くような、そんな感じはありましたね」

ピーター「すごいね、彼は本当に真理子ちゃんにゾッコンだったんですね」

石原「それでライブが終わった後の打ち上げに誘われて、凄く会話も盛り上がって、彼から電話番号を聞かれたんですよね。で、『あ、いいですよー』って感じで私の電話番号を教えて、『じゃあ貴方の番号も教えて』って言ったら、『俺、電話がないんだ』って言うんですよ。その時は(あ、電話がない方というのは経済的にお苦しい方なのかな)と思って、これ以上聞いちゃいけないと思って、私だけが電話番号を教えた形になったんです」

美川「あら…」

石原「その時は全く知らなかったんですけど、彼、既婚者だったんですよね。後になって分かった事なんですけど…。でもまぁ、番号を教えてからは頻繁に彼から連絡が入って、どんどん親しくなって、レコーディング中の彼の所に会いに行ったりとか…」

研「なるほどねぇ…じゃあ彼が既婚者だと知らないまま、どんどん仲良くなって行ったんだ」

石原「そうですね…。それで彼が私のマンションに来るようになって、いつの間にか同棲するようになって…。付き合って2ヶ月くらいした頃かな?彼が既婚者である事をスタイリストさんから聞いてしまって…」

美川「あら…!それでどうしたの?」

No.35 22/04/25 20:30
匿名さん0 

石原「すぐ彼に聞きました『結婚してるって本当?』って…。そしたら『あぁ、戸籍上はね…でも、それももうすぐ無くなるからさ』と言ったんです」

ピーター「それで真理子ちゃんはどう思ったの?」

石原「凄くショックでした。ショックでしたけど、離婚を前に傷付いてるのかなぁと思って、時が経てばちゃんとなるんだなぁって思ってました」

美川「それはショックよね。じゃあその後も彼を信じて同棲は続けてたのかしら?」

石原「そうですね…。所がある日、仕事から帰宅した彼が突然家で倒れたんですね。すぐに救急車を呼んで病院に行って、急性胃腸炎だったんですけど、彼が暫く入院する事になって、私は付き添いで頻繁に病院に行ってたので、他の患者さんに当然見られて、それが原因でマスコミに…」

美川「あぁ…不倫騒ぎね」

石原「そうです。もう尋常じゃないくらいマスコミに追い掛けられて、仕事にならないくらい酷かったので、マネージャーから記者会見を開くしかないと言われてやったんです」

研「凄かったよね、厳しい追及を記者から受けて…」

石原「そうですね…。あの記者会見は本当に辛かったです」

美川「貴女が泣くのを見物にしてた感じだったものね」

石原「まぁ、それで何とか記者会見を終えたんですけど、その直後、会見場の外で待ってたマネージャーに『これで次のドラマの視聴率も上がるわよ』ってご機嫌な感じで言われて…」

No.36 22/04/25 20:31
匿名さん0 

石原「その時はショックで走ってその場を去りましたね」

研「えぇ!?そんな酷い事を言われたの?」

石原「はい…」

ピーター「それは傷付くよねぇ」

美川「でもさ、この記者会見で事態は収まらなかったのよね?」

石原「そうなんですよ。むしろこれを引き金にますますマスコミに追い掛けられて猛攻されました」

ピーター「バッシングされてるって感じ?」

石原「もう毎週毎週、週刊誌に書き立てられて、自分では読まないようにしてたんですよ。でもつい目に入ったりするともの凄い書き方をされてて…」

ピーター「私は、向こうも売れて真理子ちゃんも売れてる時に出会ったのかと思ってたら、向こうはまだ無名で売れてない時から知り合ってたんですね」

石原「そうですね」

美川「でもさ、可哀想よね」

ピーター「どう答えてあげていいか分からないもんね」

研「本当は彼が喋ってあげなきゃいけないよね、真理子ちゃんじゃなくて」

ピーター「そうそう、逆だよね」

美川「誰か相談する人はいなかったの?」

石原「いなかったですね…」

美川「だから世の奥さんたちは絶対に不倫は許さないのよ。自分の旦那に置き換えて考えるから。だから不倫女優とか不倫した人達っていうのは絶対敵になっちゃうのよ」

石原「そうですね…」

美川「結局はそのタネになっちゃった訳よね…。可哀想よね、21歳であんなに叩かれて…」

No.37 22/04/25 20:33
匿名さん0 

ピーター「プッツン女優とか言われたりもしたよね?」

石原「そうですね(苦笑)本当は最初はさんまさんとかタモリさんの番組に出て、面白い事を言うって意味で、ある種、飛んでるっていう感じでプッツンって使われてたのが、ある時から頭がいかれてるとか精神障害とか、違う意味で使われるようになっちゃったんですよね」

美川「本当にプッツンだったの?」

石原「(苦笑)あの…ある女優さんでね、仕事の途中からいなくなっちゃったりとか、現れなかったりとかいう人がいて…」

研「あぁ、あれだな(笑)」

ピーター「あぁ、はいはい、あれね(笑)」

石原「その方はその方でプッツンって言われてたんですけど、ほとんどそれと一緒にされちゃって…」

美川「その後はどうだったの?」

石原「相変わらずマスコミに追い掛けられて、自宅マンション近くには必ず週刊誌が張り込んでるし、深夜問わず取材攻勢されて、有ること無い事を書き立てられていました。そんな中である時から頻繁に目眩を起こすようになって病院に行ったら、自律神経失調症と診断されて、ますます苦しくなって行きましたね」

研「わぁ…そんなに…」

石原「私の事をどんどん陥れるかのように毎週マスコミに書かれて、あまりのプレッシャーと辛さで…三年以上に渡って追い掛けられました」

美川「三年…!」

ピーター「まぁ、マスコミも執拗だったんですね」

No.38 22/04/25 20:33
匿名さん0 

石原「彼が地方でコンサートをやっていた時、休暇をかねて尋ねた事があったんですね。そこでホテルの部屋で彼の帰りを待っていた時、何か物凄い疲労感が襲って来て、もう人生を終わらせたいっていう気持ちになって…。で、彼が帰ってきた時に、その気持ちを話して、2人で死のうかって話しになったんですよね」

美川「まぁ…」

石原「どんな死に方がいいかなって話し合ったりして、それで飛び降りにしようって事になって、階段で屋上に上がろうとしたら、ドアに鍵がかかってて屋上に出れなかったんです」

研「(笑)」

ピーター「あら」

石原「彼がドアを開けようとして、鍵がかかってて開かないよって言ったんですけど、今思えば、もしかしたら本当に開いてなかったのかなって思ったりもしますけどね(笑)」

美川「でもさ、三年以上もマスコミに追い掛けられて叩かれたんだものね…そりゃ精神的にもおかしくなるし死にたくもなるわよ」

ピーター「本当に執拗だよね」

石原「あの当時のマスコミって今と違って本当に厳しくて、今は凄く緩いからまたやっていけるかなと思ったんですけど、あの時のマスコミは全員で集中攻撃して来る感じで、もうどうにもならなかったですよね」

No.39 22/04/25 20:36
匿名さん0 

鈴木砂理奈「でも本当に酷いと思いません?17歳の女の子にこれがいけない、あれがいけない事なんて分からないし、彼の猛アタックはもちろん、マネージャーまで仲を取り持つように彼と接近させて、しかも彼が結婚してるなんて知らないんだもん」

美川「それで彼との関係も破局して、その後はどうしたの?」

石原「もう彼から離れると同時に芸能界もイヤになって、一旦日本からニューヨークに渡りました。もうなんか日本の男性イヤ!みたいになってしまったんですよね」

研「そりゃそうだよね」

石原「毎日毎日作り話を本当の事のように書かれていた頃、もう『石原真理子さん』と自分の名前を呼ばれるのが耐えられなくなって、とくに『真理子』の『子』の響きが耐え難い苦痛になったんですよね。それで91年に裁判所に行って、仕事柄、本名と芸名が同じだとこれだけ辛いものがあるという事を話して、それなら…という事で了承を貰って、本名を石原真理子から石原真理絵にしたんですね」

ピーター「そんなに精神的にやられてたんですね」

石原「そうですね…。その後、ニューヨークからフランスに渡って、もう日本には戻らなかったんです。勿論ちゃんと事務所には辞める事を話して行ってるんですが、今度は失踪したとか、やっぱりプッツン女優は気紛れで行方不明になっちゃうなとか書かれて…」

No.40 22/04/25 20:38
匿名さん0 

石原「事務所には念のため連絡先を伝えてあるし、連絡を取れる状態にはしてあったので、全然失踪なんかじゃなかったんですけどね」

美川「どこまで行っても悪く書かれて叩かれたのね」

石原「そうですね(苦笑)」

ピーター「その後は?どうされたんですか?」

石原「あの時はもう本当に日本も芸能界もさようならって感じで、フランスから再びアメリカに渡って、アルバイトをしながら大学に行って天文学と心理学を勉強してました」

研「そうだったんだぁ」

美川「向こうでハリウッド映画なんかにも出たりしたんですって?」

石原「あぁ、そうですね(笑)大学を卒業してからなんですけど、ちょっとだけ出演したりしてました」

ピーター「英語もペラペラなんでしょう?」

石原「まぁ、英語は好きですね(笑)」

美川「でもあれでしょ?ハリウッドのギャラとかって高いんでしょ?」

研「ギャラって、いやぁねぇ(笑)」

石原「うーん…というか真剣にはやりたくなかったんですよ…何て言うのかな…カメラの匂いとか、現場のセットとかが恋しかったんですね」

美川「あぁ、なるほどね」

ピーター「アメリカでは恋人なんかはいたのかしら?(笑)」

石原「えっと…結婚してました(笑)」

ピーター「えー!、結婚してたのぉ?」

石原「えぇ、まぁ…(笑)」

美川「どんな人なのかしら?」

No.41 22/04/25 20:39
匿名さん0 

石原「えっと…アメリカ人で、16歳年下の男性でした。ホテルのカメラガールをしてた時に知り合って付き合うようになったんですけど、そこでプロポーズをされて」

研「そうだったんだぁ」

石原「何か…私の中で彼との出会いは人生の流れ的に凄く意味合いがあるような感じはしてたんですよね…」

ピーター「へぇ…」

石原「小さな教会で、二人だけで結婚式をあげました」

研「素敵ね」

美川「彼とはどんな暮らしだったの?」

石原「凄く楽しかったですね。まず新婚旅行に出掛けたんですけど、彼はまだ23歳でしたから、豪華なホテルとかに泊まるとかじゃなくて、キャンピングカーであちこち回って、テントを張ってバーベキューをしたり、とても楽しかった」

ピーター「日本じゃ出来ないもんね、マスコミにすぐ追い掛けられるから」

石原「そうですね」

石原「彼は日雇いの仕事を見付けては日銭を稼いで、私はその間、食事の準備をしたりして、彼が帰ってきたらキャンプファイアを囲んで食事をしながら色んな話をして…幸せでした」

美川「そうよね…日本じゃ出来なかったさ、女学生時代の青春のようなさ、思い出が作れて良かったわよね」

石原「はい。何か初めて誰に追い掛けられる事もなく、人として普通の生活が出来たというか、安らかな時間を過ごしたって感じでしたね」

研「じゃあもう彼とはラブラブで(笑)」

No.42 22/04/25 20:40
匿名さん0 

石原「それが、キャンピング中に、ある日強盗に襲われたんですよ」

ピーター「えぇ!?」

石原「夜だったんですけど、海岸で拳銃を持った男二人組に襲われて、幸い撃たれる事はなく助かったんですけど」

美川「良かったわねぇ」

石原「はい。でも、彼が私をそういう目に遭わせてしまったという事で傷付いちゃって、何かその時からちょっと…なんとなく雰囲気が良くない感じになって…。この事件を機に彼の実家のメーンランドに帰る事になったんですよね」

ピーター「そっかぁ…」

美川「で、彼の実家で暮らす事になったの?」

石原「そうですね。彼のご両親がとても優しく私を受け入れてくれて…。彼はとても仕事熱心な人だったので一生懸命働いて、私も彼の家族に打ち解けようと頑張りました」

研「じゃあ、うまく行ってるというか、落ち着いた生活を送れるようになったの?」

石原「それが…彼の実家は何もない田舎町で、彼が仕事に出てる間、私はただ1人で家で待ってる感じで…。彼が思ってた考えは、いつも二人で一緒にいる…みたいな感覚があったと思うんですけど、それで私もいつも楽しく会話とかもあるならいいんですけど、ただ、家に居てくれ、みたいな感じで、だけど話しはしない…っていう事になると、ちょっと違うじゃないですか…」

美川「そりゃそうね、それはちょっと話が違うわよね」

No.43 22/04/25 20:41
匿名さん0 

石原「退屈しのぎに働きに出る事も出来ないし、籠の中の鳥のような生活になって、だんだん彼の態度も変わっていったんですよね。私が一生懸命会話をしようとしても、うるさいな、君は黙って家に居てくれればいいんだよ、とか冷たく言われるようになって…」

ピーター「あらぁ…それは酷いよね、彼はどうしちゃったのかな」

石原「そうですね…何かそんな感じでどんどんすれ違っていって、ある日とうとう堪えきれなくなって私が泣き出してしまったんですね。そしたら彼が、『ごめん、僕が悪かった』って言ってくれて、『マリー、色々話してくれないか?日本での事…』って言ってきて…。私はずっと何年も役者をやっていた事を彼に話してなくて、いつも『シークレティ(秘書)』とか言って誤魔化してたんですけど、徐々に今までの人生をもう一回考え直すというような感じになったんですよね」

美川「そうだったの…色々あったのねぇ」

石原「で、彼に自分が役者だった事や日本で起こった辛い経験を初めて話したんです。そしたら彼が『君はここを出た方がいい、女優に戻った方がいいよ、君はここに居ちゃいけない、僕の事は忘れて』って言ってきて…。そこで、また一つ区切りがつく形になるのかなぁっていうか、もう彼との終わりを予測していた感じですね。どうなるかは分からないけど、とにかく彼が言うようにここに居たらダメなんだって思いました」

研「そっかぁ…」

No.44 22/04/25 20:41
匿名さん0 

石原「そんな感じで、彼に後押しされる感じで日本に帰国したんです」

美川「凄い経験してきたのねぇ…。砂理奈はさ、彼女みたいな人生を見てどう思った?」

鈴木「凄いドラマチックだと思うけど、自分がそうなったら耐えられないなと思った」

ピーター「でも強いよね、話を聞いててそう思った」

石原「うーん…でも強かったらそのまま芸能界にいたと思います。私は耐えられなかった…」

美川「あぁ、そうね…」

石原「なんて言うのかな…弱いとか強いじゃなくて、やっぱり生きて行かなきゃならないから、経験で乗り越えて行く?でも擦れたくないみたいな感じですね」

研「でもさ、自分1人で溜め込まないでさ、誰かに話した方がいいわよ」

美川「何かあったらナオコに相談すりゃいいわよ」

研「(笑)」

石原「その時はお願いします(笑)」

No.45 22/04/27 16:01
匿名さん0 

国分「今日のゲストは義家弘介さんです!初めまして」

義家「初めまして、宜しくお願いします」

美輪「ようこそ」

国分「美輪さんとは初めてですか?」

義家「はい、お会いするのは初めてなんですが、本当に達観してると言いますか、超越してると言いますか、もう超越者というイメージですね(笑)」

国分「超越者ですか!」

美輪「(笑)」

義家「ご本なんか読ませて頂いても、今の日本が失っているものを真っ直ぐに指摘しているというか、刀でバッサリ斬るような、時々、自分も斬られてます(笑)」

美輪「まぁ、それは申し訳ありません(笑)」

国分「江原さんとも初めてですか?」

江原「いえ、何度か仕事でご一緒させて頂いています」

国分「あ、ご一緒した事あるんですね。江原さんはどういう印象ですか?」

義家「いや、実は尊敬してるんですよ。やっぱり教育っていうのは熱だと思うんですが、自分の熱が火炎放射器のような熱だとしたら、江原さんは暖かい熱という感じで、それは自分に無いものだし、すごく尊敬するんですよね。そして、自分自身がそうなんですが、誰かの悩みに本気で共鳴しようとすると、傷を共有してボロボロになるんですよね。で、江原さんに【傷付きませんか?】って聞いたら、本当に今のような柔和な笑顔で、【傷付きます】って仰ったんです。それを聞いた時に、あ、この人って本当に凄いなって心から思いました」

No.46 22/04/27 16:02
匿名さん0 

国分「あぁ、そうなんですか」



1971年、長野県に生まれ。生後間もなく両親が離婚。祖父母に育てられた義家さん。父親との関係が上手く行かず、中学時代に不良となり高校を中退。実家からは勘当されました。行き場を失った彼を受け入れてくれたのは、北海道の北星学園余市高校でした。全国から学校を中退した生徒達を受け入れる高校で、担任の安達先生との出会いが義家さんの人生を変えました。無事、高校を卒業し、弁護士を目指して大学に進学。しかし、大学4年の時、バイクで事故を起こし、内臓破裂の重症で入院。生死の境をさまよう。その時、北海道から駆けつけてくれた安達先生。「死なないで、あなたは私の夢なんだから」義家さんの心に教育への情熱が芽生えた瞬間でした。

国分「いやー、リーゼント頭にうんこ座り、決まってましたねー(笑)」

義家「申し訳ありません、いやー恥ずかしいですね(苦笑)」

国分「大学4年の時の事故が人生の転機だったって事なんですが、どんな事故だったんですか?」

義家「はい、自損事故で相手はいなかったんですけど、何でこんな所で事故が起きるんだ?っていうくらい緩やかなカーブで転倒して、民家の石塀に腹からぶつかっちゃって、その時も退院してから警察の現場検証に行ってるんですが、全く覚えていないんですよね。激痛で気を失って、激痛で目を覚ます訳ですよ」

No.47 22/04/27 16:04
匿名さん0 

国分「事故を起こす前の自分の心というか、気持ちっていうのは、揺らいでいる感じだったんですか?」

義家「揺れてるというか、あの頃の自分の口癖は【絶対、天下を獲ってやる】って言ってたんですよ。こんな時代のど真ん中で噛み付いて生きてやると・・・俺が絶対に噛み付いて勝ってやるっていう思いだったんですけど、それがあの事故によって全く変わりましたね、考え方が」

国分「それは、先ほども言ってましたが、入院してる時に先生が来て、お話を聞いたのもきっかけになってるんですか?」

義家「勿論です。昂然と【あなたは私の夢だ】なんて言われる事って、普通はそう無いことで、それが消えそうな中で聞いたから余計に衝撃を受けたんですね。自分は母親ってのを知らないんで、だからその時、彼女が本当の母に感じたんですよね。すごく温かいものを感じて、生まれて初めて心の底から生きたいって思ったんですよ。それまではいつどうなってもいいと思ってたのが、本当に心の底から生きたいって思えた瞬間でしたよね」

国分「うーん、なるほど。それまで司法試験を受けようと思っていたのに、教師になろうと思ったのは、その入院中なんですか?」

義家「そうですね、自分がどんなに望んでも自分はこの人(先生)の子供ではない、だったらこの人が歩んできた教育の道の続きを歩いて行こうって思ったんですね」

No.48 22/04/27 16:07
匿名さん0 

義家「そして、こんなクソッタレの世の中だから、いっぱい傷付いたり涙するヤツらがいる、だったらその連中に寄り添いながら生きて行こうって・・・時代に噛み付くんではなくて、そいつらに寄り添って生きて行こうと、自然に思ったんですよね」

国分「義家さんは学生の頃はそういう学生だったんですか?」

義家「いえ、そんなヤツじゃないですよ、全然。結局、自分の自己主張をするだけの愚かな存在で、何か失敗するといつも人のせい、アイツが悪い、親が悪い・・・。で、『生きてる』なんておこがましく思ってたけど、生かされてるって初めて真から思えたんですよね。あ、生かされてるんだなと・・・」

国分「(江原に)やっぱり事故の事がきっかけとなってそう思える所が大きいんですかね?」

江原「それ自体がカリキュラムって事があるんですよ。生まれ変わりをさせられたんですね。それまでの人生に終止符。だからそこからの人生はまるで変わってるはずです」

義家「はい、そうです、全く違ってます」

江原「ただね、何て言うのかな・・・元は輝く宝石の原石ではあってね、さっき、悪い事や失敗は何でも人のせいって仰ってましたけど、それは嘘。表面的にそう言ってただけで、いつも自分で自分の事を許せなかった。自分が嫌いだった、いつも自分を責めていた・・・【俺はダメなヤツ、どうせ俺なんか、】というように、どんなに成績が良くても、先生に褒められても→

No.49 22/04/27 16:09
匿名さん0 

→それでも認めたくない、自分は最低だと思ってしまう心があったんだけど、実はその心をあの事故で死なせたんですよ。自分を認めまいとする頑なだった心を・・・」

義家「はい、そうでした。ずっと自分を責め続けていました。やっぱりある程度の年齢になると、生まれてすぐ離婚したって事は、俺が生まれる前から離婚する事を話し合ってたんじゃないか、だったら自分は望まれないで生まれて来た存在だったんじゃないかって、だったらそんな人間いつ死んでもいいし、そんな思いがあってか、自分を責め続ける事で、自分の存在を確かめてたってのがあったと思います」

美輪「で、やっぱり、自分の弱さとか、悲しみとか、そういうものを見るのが怖かったのね」

江原「ある意味で、こんなに無駄の無い人生の方ってのも珍しいなって思いますね。全部、課題通りに生きて来られた、すごく魂においては優等生」

国分「事故なんて無い方いいですけども、義家さんに取っては本当にいい事故だった訳ですよね?」

江原「そういう事っていっぱいありますよ」

義家「ホント後遺症が全くないんですよ、あれだけ内臓を損傷したのに・・・それが不思議で」

美輪「だからそこで区切りが付いた・・・小学校を卒業したんですよ、そこから中学校に入ったんです」

江原「でやっぱり、優等生っていうのは、天から可愛がられてる人ですね。天から愛されてる→

No.50 22/04/27 16:10
匿名さん0 

→だから天から愛されてる人ってのはある意味、波乱万丈って事ですよ」

国分「あぁ、なるほど」



1999年、母校で教師となった義家さん。不良達の教育・指導に奔走する。


国分「実際に人を教える立場になった時というのは、やっぱり思うように行かなかったりとか色々ありましたか?」

義家「だいたい教育って、子供と向き合う事って、9割9部は思うように行かないんですよね。ただ、そこから逃げない事が教育なんじゃないかなと思うんですよ。そうすると、とてつもないほんのちょっとの感動が手に入る、その感動を一度味わうと実は教師って辞められない仕事なんですよね」

国分「1年目からその感動は味わえたんですか?」

義家「そうですねぇ、上手く行かない事ばかりでしたからね。やっぱり真剣に向き合おうとすればするほど独り善がりだったりして・・・」

江原「そんな大変なのになぜ続けられるか・・・そこに自分がいるからですよ。子供達一人一人が自分自身なんですね。だから放って置けないんです。一体なんですよ」

国分「いやー、あんなに熱い先生いないですよね!」

義家「自分が学校に行って、自分みたいなヤツがいたらイヤですねー、暑苦しくて(笑)」

一同爆笑

国分「でもその分、生徒は向き合おうとするんじゃないですか?」

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