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アレックス( ♀ 0Lfbob )
21/04/28 12:42(更新日時)

ここのところ調子が良くない。
体調というより心の調子の方だ。
朝食を食べながら(朝食といってもコーヒーと、お菓子を少しつまむ程度だが)自己否定をしている。
自分の行い、自分の性格、自分の全てを否定しているといっても過言ではない程の暗く重い感情がグルグルとまわっている。

No.3280041 21/04/27 16:08(スレ作成日時)

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No.1 21/04/27 16:37
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

この暗く重い感情と共に、今日もまた1日を過ごさねばならないことにうんざりしている。

ぼくの心を傷つけたりショックを与えてくるようなことが最近あったわけではない。
月並みな表現をすれば、「今までいろいろあった」のである。
幼少期から少年時代を経て、青年と呼ばれる歳になってから、今まで…
怒りや憎しみや悲しみ、自己否定の渦に何度ものまれているうちに、渦にのまれることが当たり前になってしまったのだ…多分
心の闇とはそういうものである。
暗い感情の渦にのまれることは誰にでもあるが、それが頻繁になるかならないかで、闇を見る人になるかどうか決まるのだ。
ぼくは…まぁ闇を見る人になってしまったわけだ

No.2 21/04/28 09:44
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

こんな気が重くなることを考えながらムシャムシャと勢いよく食事ができるわけがない。
だが、何も食べないと頭が全く回らないので少しでも食べるようにしている。



朝食を終えて、歯磨きをし、
「また、長い1日が始まったな…」と思うとため息をつきたくなる。
ため息をつく気力も無いのだが…
気力は無いが、何もせず何も考えずボーッとしているのは苦痛である。
そんな時は、じっと静かに座って音楽を聴く。
最近のお気に入りはベートーヴェンの「悲愴」とショパンの「別れの曲」である。
カッコつけてクラシックを聴いているわけではない。
この2曲はぼくの祖父が好きだった曲で、ぼく自身もなんとなく心ひかれる曲なのである。

No.3 21/04/28 10:11
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

ぼくの祖父はよくピアノを弾いていた。
正確な演奏ではなく、太い指で大雑把に弾いていた。
それでも子供の頃のぼくはピアノ曲に興味を持ったし、
「おじいちゃんは自分の好きな曲を自分で弾くことができて楽しそうだな、すごいな」と思っていた。
祖父はショパンやベートーヴェンの曲が好きでよく弾いていて、祖父の演奏を聴いていたぼくは少しだが曲名くらい知っているのだ。

No.4 21/04/28 11:10
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

祖父の影響で知っている曲の中でも
「悲愴」と「別れの曲」は、ぼくにとって印象深いものなのだ。
祖父がよく「へぇそうかい、悲愴かい」などとギャグを飛ばしていたし、
「俺の葬式の時は別れの曲を式場で流してほしいな、とてもいい曲だから、きっと穏やかな気持ちでみんなとお別れできる」なんて言っていたのを今でも覚えている。

…祖父はここ3年くらいの間にめっきり老け込んで、今はもうクラシックを弾かない。正確に言えば、弾けない。
指先もヨボヨボで力があまり入っていないようだし、そもそもピアノ自体をあまり弾かなくなった。ほとんど1日中ソファーに座ってボケーっとテレビを見ているだけである。そのままソファーでぐうぐう眠っている時間も長い。
以前の祖父と比べると別人のようである。恰幅がよかったのに、筋肉が落ちて足や腕が細くなったせいかすごく小さくなったように見える。口数が少なくなり、ジョークを飛ばすこともなくなった…
これが歳をとるということなのだろうか。

今の祖父は…ショパンやベートーヴェンを、彼らの曲を、覚えているのだろうか??
ぼくの誕生日も忘れてしまった祖父は…覚えていないのではないだろうか。
とてもさみしい気持ちになる。

誰かが歳をとっていろいろなことを忘れていくのは、人間という生物が一生のうちに刻むリズムとしては自然なことで、何も不思議ではない。
だが「誰か」が自分の家族で、「忘れていくこと」が自分がその人と共有していた思い出、その人と自分とのつながり…であれば自然なこととして受け入れるのは難しい時もある。

No.5 21/04/28 11:19
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

ぼくは、祖父がいつまでも元気でいると思っていたのである。
つまり、祖父の老いを受け入れきれていないのだ。

だが、自分の気持ちと祖父との思い出を今こうして綴ることによって、祖父の老いと向き合おうとしていることも事実である。

No.6 21/04/28 11:37
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

そして、祖父が教えてくれた「悲愴」と「別れの曲」…(祖父が弾いていなかったらぼくはこの名曲を知らなかったかもしれない、だから教えてくれたといっても過言ではない)
…この曲を聴くと、ぼくの暗く重い感情に曲が寄り添ってくれるような気がする。静かな悲しみ、怒りを含んだような激しい悲しみ、感情の渦…全てを否定せずにそのままそっとしておいてくれるような感じがする。

闇のそばには光がある。
ぼくが見ているぼくの心の闇にも、そばに光があるのだろう。

No.7 21/04/28 11:57
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

いや、
ぼくの心の闇のそばにも確実に光はある。

今朝だって、重く暗い感情が心の中に渦巻き、ぼくは闇を感じたがそれでも「悲愴」と「別れの曲」というかすかな光を見つけ、その光のほんのりとした暖かさも感じることができたのだ。
その光はかけがえのない祖父との思い出にもつながっている。

さらに言えば、祖父が老いていくことへのさみしさ、受け入れきれないという感情と向き合い、ぼくは今新たな光を探そうとしているのである。


No.8 21/04/28 12:39
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

祖父のことだけでなく、この調子でぼく自身のこと(怒りや悲しみや自己否定などの感情)とも少しずつ向き合えるようになり、感情の渦にのまれることがいつか減ったらいいなと思う。
感情と向き合うということは、感情に抗って戦うことではないとぼくは考えている。
それは決して簡単なことではないが…

まずは、身近にある光を見つけていくことから始めよう。
マイナスやゼロからのスタートではない。
今も、完全に闇に塗りつぶされた毎日を過ごしているわけではないのだから。
ぼくの心の、光を感じる機能がちょっと鈍って感じにくくなっているのだ。
それで、闇のほうが強く感じられてしまっているのだ。
「もっと光を感じてみようかな」とぼく自身が思えば、光を「再発見」できるはずだ。さっき「新たな光を見つけようとしている」と書いてしまったが、ほんとうは新たな発見ではなく再発見だ。

…光は今も昔も変わらず、ぼくのそばにある。ゆらゆらと揺れながら優しく降り注いでいる。

     
           終

No.9 21/04/28 12:42
アレックス ( ♀ 0Lfbob )

このような文章を投稿するのは初めてでした。
タイトルと書いた内容があまりあってない気がしますが。タイトルはほのぼのしている感じなのに内容は暗い文章が多かったです。(特に最初のところとか)まぁしょうがない。

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