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昭和から令和へ

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匿名
20/03/28 09:52(更新日時)

長く生きたな。人生の折り返し地点は過ぎたけど、まだ夢も希望もある。




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No.2888258 19/07/26 00:23(スレ作成日時)

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No.1 19/07/26 00:32
匿名0 

昔、解らなかった事や深く考えなかった事を、ここ最近思い返してみる様になった。

19、はたちの頃は、56才と65才の区別があまりつかなかったが、

最近では、19とはたちにあんなに拘っていた自分がなぜだったのか、もはや解らなくなってしまった。

No.2 19/07/26 00:39
匿名 

50の誕生日を迎えた頃だったろうか、ああ、半世紀生きたか、と振り返ってみた。

まず、結婚前の自分と結婚後の自分では、全く違う人の人生を生きた気がした。

私は25より前には戻りたくはない。いや、もっと言えば50より前にも戻りたくはない。

No.3 19/07/26 00:53
匿名 

あと数年で還暦。また若い時に戻って、1から人生やり直したところで、

未来を知っている訳でもないなら、電話一本かけるタイミングさえズレなかったら、大して変わらない人生だった気がする。

私は頑固だ。後悔がないと言えば嘘になるが、その時々で、言いたい事はハッキリ言って生きて来た、

あの時、ああすれば良かった、しなきゃ良かった、は、人生の小さな場面場面でしかなかった気がするので、

大きく違った人生とやらを、やり直しの人生で送ってたとは思えない。



No.4 19/07/26 01:06
匿名 

先日、昔妹がファンだったアイドルグループ、光ゲンジの動画をムリやり?見せられた。懐かしいものを見た。

その中の、「風の中の少年」という曲を聴いて、なぜだか哀しくなった。

若い男の子を純粋な目で見てあげられる大人はどれだけいたんだろう、と思った。

No.5 19/07/26 01:17
匿名 

私の想像がほとんどだが。

十代後半位の男の子と女の子が結ばれる歌の様だった。

この歌の歌詞の前を、勝手に考えた。

18才位の男の子だろうか。

真面目で礼儀正しくて、性格も良い子が、真剣にひとりの女の子を好きになるんだ。

相手の女の子もその男の子を好きだとわかっているんだ。

男の子は純粋に、その彼女を好きだから抱きしめたいと思う。

けれど、周りの大人たちは、彼をそうは見ない。

No.6 19/07/26 01:30
匿名 

若い男の子だから、好きだというんじゃないんだろう、その年頃特有の感情だろう、と、

大人たちは大人の醜い心でしか彼を見ない。

彼は違った。僕は、ただ彼女だけを真剣に好きなのに、彼女の嫌がる事は絶対にしないのに、

ただ彼女が好きで愛しいから、この手で抱きしめたいだけなのに、彼女とやさしい気持ちでいたいだけなのに、

僕はなぜいけないの?未成年って、どうしてなの?

とさんざん悩んで泣いて、それでも彼女から離れて行く事が出来ずに、

そしてあの「風の中の少年」の歌につながった。

No.7 19/07/26 01:36
匿名 

昔の自分は素通りしていた曲だった。

年を取って、遠い昔を思い出し、この位の年で初めて、アイドルグループさんの歌の歌詞に、哀しみを感じるとは。

自分にも若い頃があったはずなのに、いつの間に忘れてしまったんだろう。

No.8 19/07/26 02:36
匿名 

こんなふうに、自分が年を取った事を思い知るんだろう。

「他人は、あなたが思っているほどあなたを若くは見ていませんよ」

「なんでも思い通りに生きた人なんていないから」

「生まれて、生きて、死ぬ、このパターンだけは皆同じ」

たくさんの人たちから名言をいただいた。そして年々、名言だけが増えていく気がする。

No.9 19/07/26 02:47
匿名 

80年以上生きたら、今とはどんなふうに人生観が違うのだろう。

それより、長年連れ添ってくれた相手に、先に逝って欲しくない。

私のパートナーはよく出来た人だ。私よりたくさんの人に好かれ、何より人を大切にする。

いいよ、いいよ、といつもニコニコしている。私は自分の性格を時々恥じるが、悔しいので相手には言わない。

バレてるのかな。(苦笑)

No.10 19/07/26 02:58
匿名 

元号が、昭和から平成に変わった時も、平成から令和に変わった時も、一緒に過ごした。

昭和は遠くになりにけり、か。昔は明治は…だったのに。

妹の記憶によると、私は先程のアイドルグループ、光ゲンジさんが「パラダイス銀河」?とかいう曲を歌っていた頃、結婚したらしい。

自分の結婚で、アイドルの歌どころではなかったが、バルセロナオリンピックの頃は、なぜだか覚えている。

「風の中の少年」はそれより前だったか。私は、少年という言葉にとても懐かしさを覚える。

No.11 19/07/26 03:10
匿名 

けれども、25才より前には戻りたくないんだ。

戻りたくもない。私にはもう妹家族以外、故郷はない。

今のパートナーと助け合いながら人生をまっとうするつもりだ。

帰る場所なんてない方が、腹をくくれる。妹もそうだろう。

兄妹してよくあんな、家庭として機能していないところで生き延びたものだ。

普通の家庭とは、どんな家庭だろう。

おかげで私も妹も、結婚しても子供は持たなかった。

No.12 19/07/26 08:48
匿名 

細かい事は書きたくないが、高校まで出してもらえたのは、親の世間体で、

家を出たかったが、あの人らは、私たちがまるで子供二人を高校にも行かせてやれない親だと思われるじゃないか、高校だけは、親の私らのために出ておけ、

という人たちだった。その先は知らない、勝手に生きろってな人たちだった。

私にも、妹にも、学費を払う話になると嫌みったらしかった。だがバイトも禁止された。世間体だった。

No.13 19/07/26 09:54
匿名 

細かい事を書きたくないと言いながら書いているが。

今の気持ちは、階段をあと少しで60段、という所まで上って、ふっと振り返ったらずい分上ったな、といったところだろうか。

自分の頑固な性格があの人たちに似たのなら、ゾッとする。

ありがたい事に、私の連れ合いと妹が、ウマが合うらしく、私ぬきで遊んだりしてくれている。

妹の旦那も、こんな私をお兄さんお兄さんと慕ってくれるので、嬉しいんだ。弟が出来たみたいで本当に嬉しい。

30年以上続いている関係だ、大切にしたい。



No.14 19/07/26 10:05
匿名 

この場合、類は友を呼ぶ、があてはまるかどうか解らないが、

私の連れ合いも、妹の旦那も、聞けば悲しい家庭で育った様だ。

具体的な事を書く訳にはいかないので書かないが、世の中、いわゆる毒親に育てられた人はけっこういるんだと知った。

私は昭和の30年代後半生まれだが、今だったら私らの親とかいうあの人たちは、間違いなく児童虐待で捕まってただろう。

No.15 19/07/26 10:15
匿名 

私は親父によく殴られた。妹もよくビンタされて泣いていた。

どしゃ降りの雨の中、子供二人が外に立たされた事もあった。

よそのお宅に、傘を貸して下さいとお願いしに行くと、あとであの人らが傘を申し訳なさそうな顔で返しに行き、私ら兄妹が殴られた。

妹だけでも風邪ひかせたくなかった。あの鬼の様な人らは、なぜ私ら子供二人をこの世に誕生させたのだろう。

No.16 19/07/26 10:29
匿名 

なんだ、こんな日記を書きたかった訳じゃなかったのに。

幸せになったと思っている。ただ、子供の頃、どんなお子さんでしたか?だの、ご両親は?と聞かれるのが嫌で、答えたくなかった。

あの人らが亡くなったと聞かされた時は、ホッとした。妹と、もうあいつらに苦しめられる事はないんだ、と、

目の前が開けた位の解放感でいっぱいだった。

No.17 19/07/26 16:03
匿名 

こうして昭和から思い返してみても、個人的には、ひとケタの子供の頃にも、

10代にも20代にも30代にも、40代にも特に戻りたくはない。

50才の、落ち着いた年でいい。大体の自分の生きざま、これからの行き方がもう固まって来た今が1番穏やかだ。

若い頃ほど、違う人生があったんじゃないか、と悪あがきをしたが、この年ではもうない。

悪あがきをしている最中はただ苦しみもがいていただけで、良い事に気が付けないでいたと思う。

もったいない歳月の費やし方をしたものだ。

No.18 19/07/26 16:44
匿名 

妹に初潮?が訪れた頃だった。私は女の子のそういった事に、何の知識もなく、

結婚してから連れ合いに初めて、お赤飯を炊いてもらったと聞き、

妹がどれだけ酷い扱いを受けていたか知った。実の母親に「汚い」「汚すな」と怒鳴られていて、

お腹が痛い、と毎月言っても親は妹に「うるさい」としか言わなかった。

私は、お腹痛いのか?と聞いたが、兄にも知られたくない事だったんだろう、「何でもない」としか言わなかった。

連れ合いは、そんな妹の話を聞いてボロボロ泣いた。

連れ合いと書くより、妻、嫁の方が良いのだろうか。

No.19 19/07/26 16:55
匿名 

妻は(照れくさいな)、「妹ちゃん、今からでもその日を覚えているなら、お赤飯炊いてあげるよ」と言ってくれたが、

妹は、あまりにも思い出したくなかったんだろう、「ありがとう、でも正確な日、覚えてないんだ、思い出そうとすると動悸と震えが来るのでごめんね」と話した。

妻は妹を泣きながら抱きしめてくれた。妹も泣いてた。

男はこういう時何も出来ないんだ。

No.20 19/07/26 17:05
匿名 

お互い、子供を作らなかったから、なんでも「早く終わる可能性が高い」らしい。

そしたら互いに、終わったかな、と思った頃、お赤飯炊こうね、と約束したらしい。

詳しくは知らないが、仲のいい二人を見ているだけで幸せだ。

妹の旦那とも時々酒を飲む。昔、なかったものを取り返したい気持ちは同じだと思った。

No.21 19/07/26 17:56
匿名 

妹の旦那と、妻側の家族構成や家庭の事情は書けないので割愛する。

義理弟も人が好い。彼も辛かったろうに、私と会うと何だか弾んでくれる。嬉しい。

妹を取られた、などという気持ちにならない、欲のなさそうな人柄だ。

私たちの様に、親に憎しみの目を向けられて育った者は、他人に話せるものではないのだが、

どこかにとてつもない寂しさを抱えた者同士は、自分や相手を認め合える人とは仲違いをするのが怖い。

学生時代から、友達を失うのが異常にこわかったんだ。

親に見捨てられ、友達まで失ったら、こんな悲しい状況はない。

かと言って、友達を家に呼べる家庭ではなかった、だから人付き合いは気を遣った。妹もだろう。

No.22 19/07/26 18:15
匿名 

酒が入ると、恐る恐る話していた親への恨みもハッキリと言える。

死んでくれてホッとした事、もう生き返って欲しくない事、義理弟も、テレビを見ていただけなのに、いきなり親父さんに殴られた事などを、目を真っ赤にして話してくれたんだ。

家族旅行なんてした事がないので、旅の仕方もよく解らず、妻と新婚旅行に行ったんだった。

働いてお金を貯めた。妹には結婚式を挙げさせたかったが、高いからいいと、ウェディングドレスの写真だけで、がんとして妹は、私のお金を受け取らなかったんだ。

義理弟は、500円の物でも大切にしてくれる妹をありがたいと言ってくれた。

そんな気持ちにさせてくれるのは、弟君なんだよ。ありがとう。

No.23 19/07/27 01:07
匿名 

人間、どんなにしんどかった惨めな話でも、人に話す時は笑って話すものなんだ。

妻も、「お赤飯炊いてもらったならいい家庭じゃない?」と言われそうだが、そこはそれ、結局、おめでとうと言われる事もなく、

妻を理由に家族が赤飯食えてラッキーといった雰囲気だったらしい。こういう事は、例え形だけでも「祝って」もらった側は何も言えないんだろう。

妻はそっちのけで家族は勝手に盛り上がっている様な雰囲気だったらしく、心が通ってない事をされると人間はすぐに気が付く。

けれど、妻は中学1年で、赤飯を目の前にして何も言えなかった、家族全員に無視されても、悲しかったと、ずーっと言えなかったんだ。

男の私には「そうか…辛かったんだね」しか言えなかった。あんな雰囲気なら赤飯なんていらなかったと話した。鼻の頭が赤くなっていたんだ。

No.24 19/07/27 01:56
匿名 

そんな家庭で育った妻でも、いつもニコニコしていて、いいよ、いいよ、と遠慮や我慢しても不満な顔を見せないんだ。

妹ちゃんの方が辛かったと思うよ、と言ってくれる。

普通、私が高校生にもなったら、力で乱暴な親父を殴り飛ばす位、出来ただろうに、と思われるが、

もしそんな事をしようものなら、親父は「お前には何もしないぞ」と低い声で脅し、次に妹の方をギロッと見る。

妹だけはなにがなんでも私が守らなくてはいけない。親父には逆らえなかった。何度、拳を握りしめただろう。

母親とかいうあの女は、文句を言う時以外は私と妹とは、目を合わせようともしなかった。

私や妹がちょっとでも文句を言うと、「お父さんに言い付けるわよ」と吐き捨てる様に言っては、ニヤニヤしやがった。女親でもぶっ飛ばしたかった。

早く妹とこの家を出ようと思った。



No.25 19/07/27 02:37
匿名 

楽しかった事もない事もなかったか。花火大会を妹や友達と見に行った時は楽しかったなぁ。

私と男友達、妹と女友達で花火大会を見に行ったんだ。ポケットには千円は入れてた。

空高く上がる花火の迫力と見事な美しさとで、4人とも、「わぁー!」と歓声をあげて見ていたっけ。

花火を見ている間は、毎日の嫌な事は忘れられた。ちょうど今位の季節だった。

人混みではぐれない様に4人つねに一緒だった。そんな事も嬉しかったんだ。

もうひとりのヤツに、お互い金持ってないけど、女の子にはお金使わせないであげよう、と話し、そいつもそうだな、って顔してくれた。

4人でたこ焼きを食べた。4人ともなんだか楽しくて、同じ物食って楽しいって、幸せだな、と思った。

2つのかき氷を女の子二人と男二人で分け合った。その時の雰囲気があまりにも楽しかったので、幸せな時間だったんだ。

あとはヨーヨーを女の子二人に買ってあげて解散だった。

もっといいものを買ってやりたかったが、妹は帰る道々、嬉しそうにヨーヨーありがとうね、と明るい顔をしてた。

花火大会は今でも本当に楽しい思い出だったんだ。

家が見えて来て、急に暗い気持ちになった。

No.26 19/07/27 11:59
匿名 

花火大会は、昭和の50年代半ばの話。かれこれ40年近く前の出来事なんだなぁ。

書きたい事と書きたくない事があり、なかなか時系列順に書けず、文章も下手くそだし、話があっちこっち飛ぶと思う。

自分の事だけならいいが、妻や妹の旦那やそれぞれの家族の事は、人物が特定される様な事は書けないので、

話にまとまりもないと思う。ただ吐き出したい。みんなそれぞれに人生があったし、今の生活に落ち着くまで修羅場もあった。

そのほとんどが家族が原因で、人の身の上の話の方が自分の事より大変だったんだな、とつくづく思った。

No.27 19/07/27 12:57
匿名 

私は高校を卒業するとすぐに働いた。高校の担任の先生が見つけて来て下さった、ちゃんとした会社だった。

とにかく必死で働いてお金を貯めて、妹と1日も早く家を出ようと思ったんだ。

あいつらは、私に給料を全部家に入れろとか言いやがったが、それは拒んだ。そりゃ生活費を1円も入れないってのは違うと思ったから、

将来のために貯金したいと口座を作って、自分としては7:3の希望だったが、あいつらが5:5とか抜かしやがって、頑固な私は働く意欲なくなってクビになったら1円も入って来ねーよ、と強気で言ったら、

なんとか私6:家4になった。芸能事務所じゃないが。

私が社会人1年生の頃、妹はまだ学生だった。(中、高の何年生かという事だけにしておきます。)

No.28 19/07/27 13:34
匿名 

あの頃は、バブルの走りの頃だったろうか。まだバブル時代ではなかった。

が、消費税がなかっただけ有り難かったんだな、今の若い人、大変だな、私は政治家じゃないし、どうしてあげる事も出来ないが。

給料をもらうとさっさと6割を口座に入れて、4割を現金で封筒に入れて、あいつら二人がいる前で、きちんと渡した。

あいつら二人、金が入る時だけニコニコしやがって、それも初めのうちで、何ヵ月もすると、「あー、これも妹の学費に消えるんだわねぇ」と嫌みを言う。

私は妹が悲しそうな顔をするのを見てられなかったので、「やめろよ!」とあの女に怒鳴ってやった。

親父は相変わらずにらんでやがる。嫌な家族だった。

No.29 19/07/27 13:48
匿名 

妹は、申し訳なさそうに、あいつらのいない所で「ごめんね」と目を真っ赤にして謝るんだ。

私は、謝らなくていいから、堂々としている様に言った。だいたい自分たちで4人家族を望んだんじゃないのかよ、と昔からあいつらには腹が立っていた。

妹は小、中、と暗い顔をしてたが、高校生になると、無理にでも笑顔でいる様に変わっていった。

妹の笑顔には救われた反面、酷い家庭で育ったと思われたくなくて、無理に笑ってるんじゃないかと、複雑だった。

No.30 19/07/27 14:00
匿名 

私は結婚しているのに、妻より妹の話ばかりで、妻にも何度か申し訳ない、と言ったが、

妻は、いいよ、私と結婚してくれたんだし、妹ちゃん好きだし、私の身の上話も聞いてくれたし、私なんにも嫌な事ないよ、親と生活してた地獄を思えば、今は本当に幸せだよ、と言ってくれた。

私にはもったいない妻だ。妹に旦那がいる様に、結婚したら私は妻を大事にしないとバチが当たるな。

18才の私にとって、妻と知り合うのはずっと後の事だ。



No.31 19/07/27 16:06
匿名 

何年か経った。妹が高校3年生になった。妹も卒業したら働く、とあいつらに伝えていた。

あいつらは、金が入って来る事ばかり考えていた様で、「あ~あと1年学費払わなきゃいけないのね~。」と相変わらずの嫌みしか言わなかった。

けれど私と妹は、密かに計画していた。妹が就職が決まったら、とにかくこいつらから逃げよう、

最初は二人合わせてもボロアパートの狭い所にしか住めないだろうけど、

住所だけは教えずに、ひっそり二人だけで暮らそうな、と。

そのためには、まず私が今の会社を辞めなければならなかった。

No.32 19/07/27 16:24
匿名 

お世話になった会社の人に、家族で遠方に引っ越す事になったので、と、心苦しい嘘をつかなければならなかった。

2ヶ月後に退社し、前から口をきいてもらっていた、家の解体作業の仕事に就いた。百匹近くの毛虫退治だのしてしんどかったが、月収は前の会社よりかなり良かった。

あいつらは、デスクワークから力仕事に変わって、私が日焼けしようが、多少、家を出る時間や帰宅時間が変わろうが気にもしなきゃ何の質問もなく、

唯一、「あんた昇給はないの?あったら家に入れる金額もきちんと上げてよね」だった。

クソ両親だと思った。いや、両親だなどと思いたくなかった。

No.33 19/07/27 16:43
匿名 

この頃、毛虫退治の際、何ヵ所か毛虫に刺されて痒くて困った。

救急箱の中には虫さされの薬はなかった。先輩に教わって、仕事帰りに塗り薬を買おう、と思っていた時だった。

妹が、ただでさえケチな親から渋々の顔でもらってた少ない小遣いをはたいて、私に虫さされに効く塗り薬を買って来てくれたんだ!

私は、ありがとう、を言うのがやっとだった。涙が出た。

落ち着きを取り戻して、もうこんな高い薬、買わなくていいから、自分のために小遣いは使え、な、と言った。

妹が悲しそうな顔をしたらいけないと思い、これは大事に使うからな、と、その日からせっせと塗った。

やがて毛虫の時期も過ぎたが、あんなヤツらからどうしたら、妹みたいな心優しい子が育ったんだろうと、不思議だった。

No.34 19/07/27 21:39
匿名 

妹の就職先が決まり、あいつらに報告をした。

高卒の新人は、身元保証人が必要なため、すぐには私たちの計画は実行には移せなかった。

妹は、最低1年は、そこで頑張ると言ったが、やはり女の子の月収から親に4割は厳しい、その頃の私はかなりまとまった金もあったので、

妹には普通に働いたらあいつらに4割渡して、私が内緒で4割分を妹の口座に入れる事にした。妹が直接作った口座と別の口座に。

初めは妹は遠慮していたが、私が勝手に入金する事にした。大した額ではなかった。

あいつらのいないところでのやり取りだった。

No.35 19/07/28 02:57
匿名 

晴れて妹は就職、私はお祝いに腕時計をプレゼントした。どれがいいか解らなかったので、日曜日に一緒にデパートへ行って、

あんまり高いのは買ってやれなかったが、妹も遠慮していたので、勝手に選ぶゾ~と言ったら、正直に欲しいのを言ったので、それにした。私にしたら、安かった。

妹は本当に喜んでくれて、ずーっと腕にはめて嬉しそうにしてたんだ。私もそんな妹が、可愛かった。

家に帰ると、あの女はムダな買い物してとか抜かしてたが、うるせーやと無視した。

No.36 19/07/28 03:10
匿名 

正直、1年も妹の収入から4割もあいつらに渡すのは私は嫌だった。少なくとも愛情を注がれて来たならまだしも、

邪魔者扱いされて来て、今度は金づるみたいに思っている様なヤツらに、妹がせっせと働いた4割を当たり前の顔して引ったくって受け取る様なヤツらには、私が耐え難かった。

早いとこ出よう、と妹と段取りを立てた。

No.37 19/07/28 03:37
匿名 

まず私が引っ越し先を探して妹と見に行って、納得したらそこに決める。

私と同じ方法で妹に会社を辞めてもらう。あいつらから逃げるために二人で引っ越すので、勤め続けてたら、会社まであいつらが来て、あとでも付けられたら居場所がバレるからだ。

あの頃は、今とは法律は多少違っても、住民票の問題などあったが、友人の知恵を借りて、どうにか私たちは、

実家に分からない様に二人だけで引っ越す事に成功したんだ!

家具などを持ち出せなかったので、本当に身の回りの物だけを、あいつらが留守にしてる間にボストンバッグやデカイ紙袋につめて、友人の車で家とおさらばしたんだ!

友人には、世話になったので、まとまったものを渡した。恐縮して受け取ってくれたが、とにかく親の知らない友人だったので、

友人の名前も住所も勤務先も知らないあいつらに、私たちの居所が知られる事はなかった。



No.38 19/07/28 03:44
匿名 

しばらく妹には家事だけやっててもらった。助かった。

家具も、要らなくなったという人からもらったり、冷蔵庫と洗濯機だけは安くて小さいけど新しいのを何とか私の稼ぎで買った。

妹と二人、やっと笑って暮らせる様になったんだ!

No.39 19/07/28 04:52
匿名 

思い出した。確か、住民票に記載されている住所と、生活している場所、居所が違っても罪にはならないとか何とか、それを利用したのだった。

昔、私が小さい頃、親戚のお姉ちゃんを何ヵ月かウチで預かった様な記憶がある。子供には、何ヵ月がどの位か解らなかったので、2~3ヶ月かも知れないし、半年以上だったかも知れない。

あいつらが私たち兄妹にやたら優しかったので覚えていた。その間、その親戚のお姉ちゃんは住所変更などしてなかっただろうし、

私たちも車の免許など持ってないので、保険証もそのままだったが、病気やケガで、その保険証を使う事は出来なかった。

使うと、どこの病院にかかったか、あいつらにバレると思った。

おかげさまで妹も自分も病院にかかる様な事はしばらくなかった。

妹の通帳も2つ作っておいて良かった。別銀行の別支店の口座だった。片方をあいつらに知られていても、もう片方は知らない。

皆、友人や先輩からの知恵だった、私は本当に親以外の人たちには恵まれていたんだ。

No.40 19/07/28 08:59
匿名 

そこを借りる時、私は成人になっていたが、保証人がいると言われ、両親は亡くなったので、と嘘を話すと、誰か必要と言われ、妹以外、身内はいないんです、と強気で話すと、

会社の上司か先輩でもいいと言われ、先輩に相談したら、「俺君の保証人ならいいよ」と、気立てのいい先輩がなってくれ、この人にも足向けて寝たらいけない、と思ったんだ。

色んな人に助けてもらってやっと妹と二人で暮らせる様になったんだ、一生懸命働いて生きなきゃ、と思った。

携帯などない当時、電話を1台入れるのがけっこう大変だったが、妹と連絡取る方法のためなら、どんな面倒な事も出来たんだ。

解体屋は仕事にムラがあったので、ない時は、別の現場で働かせてもらった。

この頃、妹は、松田聖子の「瞳は?ダイアモンド?」とか口ずさんでいたっけ。まだテレビは買えなくて、ラジオを1台家に入れた。

No.41 19/07/28 12:55
匿名 

年が明けた。妹と二人暮らしも数ヶ月経ち、この間、妹は近くの図書館で本を読んだりして、家事以外の時間をつぶしていた様だった。

外で働きたいと言ったが、まだどこかであいつらに妹だけ連れ戻されでもしたらお互い嫌だったので、私が出来るだけ短期間に稼ぐから、

もっと違う所に引っ越そうと話し、妹には出来るだけ退屈しない様に、小型のテレビを買った。私もテレビを見るのは久しぶりだった。

No.42 19/07/28 13:31
匿名 

不思議な事に、あいつらが自分たちの事を探している様な気配も様子もなく、いなくなってずい分経つのに、

私や妹の収入の分、生活に困ってないのか、疑問だった。妹も同じ事を思っていた様で、

父さんと母さん今ごろどうしているのかな。とポツリと言った。が、ここが頑固な私と優しい妹の違いなんだろう、

私は、またあの生活に戻りたいか?と、ちょっと意地の悪い質問をしたら、妹もさすがに首を横に振った。

本当に、あいつらどうしてるのか、どうでもいいなりに気になった。まぁここがバレなきゃいいだけだが。

No.43 19/07/28 14:42
匿名 

後で知ったのだが、妹は相変わらず毎月お腹の痛い日があり、生理痛の薬を貯金をおろして買っていた。ちゃんと話して欲しかったが、

私には言えず、また、あいつらと暮らしていた時も妹は用品を、自分の小遣いで買わされてたらしい。

普通の事なのか、妻に聞くと、その用品はたいていの家庭では、初めの頃は母親が買って来ていろいろ教えるそうだ、

お小遣いで買ってたなんて、だそうだ。

違うかも知れないが、私が便所で用足したら、私の使うトイレットペーパーを自分の小遣いで買わされてた様な事か。それはずい分だな。

それからは、痛み止めの薬も生活費から買うんだぞ、と妹に話した。

女の子って、大変なんだな、と思った。腹痛だの出血だの、男性に必死に隠して、みんな辛い思いしてるんだ。いくら個人差があるとは言え、

男に毎月そんな事があったら、もっと神経質になってただろうな。

人生、後から知る事のなんと多い事か。

No.44 19/07/28 16:06
匿名 

私の稼ぎでどうにかもう少しマシな所へ引っ越せる様なメドがついた頃、あいつらの家から逃げる引っ越しの際、車を貸してくれた友人から連絡があった。

俺君、落ち着いて聞いてくれ。ご両親が亡くなった。

え?なに、なんですか?

私はさすがに1回で事態が飲み込めず、聞き返した。

両親が亡くなった理由は、書けない。交通事故か病死か飛行機事故か事件か、どれかだと思ってもらえれば。

さすがにあんな人たちでも亡くなったと聞いて、あ、そうですかとは言えなかった。

妹も知る事となり、警察の人に色々聞かれたが、初めの方のレスに書いた様に、

私たちは、家庭として機能していない様なところで暮らしていたため、早く妹と家を出たかった事、

ここの住所は教えてない事などを正直に話し、特に疑われる様な事もなく、親戚が両親の葬式を出してくれたが、私たちは行かなかった。

非道に思うかも知れないが、いちいち書かなかった酷い仕打ちを思い出すと、とても両親の死を悼む気持ちになどなれなかった。

むしろホッとしたのだ。妹はわんわん泣いたが、私は泣けなかった。

No.45 19/07/28 16:19
匿名 

しばらくは力が抜けて、引っ越しを考える気力も無くなっていた。

妹もしばらくは笑えずにいた。私はこんな時も妹が心配だった。

それでも、あの人らの人生、何だったんだろうと考えた。私と妹という二人の子が出来、気に入らないと殴り、大人になったら金づる扱いをし、

両親は幸せだったのか?とても幸せそうには見えなかった。

ただ、ちきしょう、と思った。最後まで勝手だったとしか思ってない。

No.46 19/07/28 21:00
匿名 

四十九日の法要が過ぎた頃、叔父さんが私に、実家に来る様に言うので、妹と何年かぶりに、あの逃げ出した家へ行った。

家や土地の権利書だか登記簿だかなんだか、当時20代前半の私にさっぱり解らない話を、叔父は話して来た。

あの、僕たちは家を勝手に出たので、遺産相続とか、いいです、お金もいりません、と、妹とうなずき合って話した。

叔父さんには葬儀屋の手配からお寺さんへの支払いまで、相当な金額、立て替えて支払ってもらったりと面倒かけたので、

叔父さん、全部叔父さんが相続して下さい、と、法律を知らないアホな私はその様な事を言った様な気がする。

家や土地、また現金など両親がいくら持ってたか知らないが、私たちは1円ももらう気はなかったので、その叔父に丸投げする様な形になってしまったが、

税理士さんだかと話し合って、私はなんだか書類に名前を書いてハンコついた。妹も同じだった。

叔父さんは面倒事なのに、本当に要らないのか?と何度も聞いてくれた、私らは、相続なんてしたくなかった。



No.47 19/07/28 22:49
匿名 

その後、何回か難しいやり取りに出席させられ、仲の良い家族だったらどうしてたのか、などと考え、

これで終わりです、となり、それから私と妹の私物で持って出られなかった学校の卒業アルバムなど、持ち出して良い物を確認してもらい、

それらを持って叔父さんに頭を下げて妹とアパートへ帰った。その後、あの家や場所がどうなったのか解らない。

1ヶ月以内に叔父さんから現金書留が2つも届いた。50万円ずつ2つ入ってた。驚いた。

甥君たちがあまりにも欲がないのでね、叔父さん気の毒になってな、これは相続分でないから、安心して受け取りなさい。将来の結婚資金にでもしなさい。また顔見せてな。と手紙が添えてあった。

妹は手紙を書き、私は電話で丁寧にお礼を言った。

例え叔父さんが何千万円相続しようが、私も妹も、あいつらの物などいらなかったので、こんな心遣いをしてくれた叔父に、泣けた。

No.48 19/07/28 23:17
匿名 

話は突然飛ぶが、妹が30過ぎた頃、私は妹に注意をされてしまった。

お兄ちゃん、いくら義理姉さんが優しくて良い人だからと言って、姉さんの前で、妹、妹、言ったらダメよ、姉さん、気悪いわよ。と。

てぇ~。妹に恋愛感情なんてねーよ、気持ちワリーな。と言ったが、妹の言う通り、1度、妻が珍しく悲しげに、

あなたと妹ちゃんは、特別な絆で結ばれているのね。私の入る隙ないかな?と本当に泣いていた。

私は慌てて、違う、好きで君と結婚したんだ、あんな家庭じゃなかったら、妹との絆なんて薄かったかも知れない。向こうにも旦那がいて、別の所帯なんだ、だからそんな事言わないでほしい。と告げた。

妻にも妻の、家族構成があり、色々があった訳で、お互い、生まれた家庭で生活するしかなかった訳で、その結果が今なんだ。私は君と結婚出来て本当に幸せなんだよ。と何度も何度も、兄妹と夫婦は別、と訴えた。

なんとか妻は解ってくれたと思う。50を過ぎた妻と妹は、今も仲良く二人でカラオケ行ったりしているんだ。

私は、人と人が仲が悪くなる事に、死ぬほど嫌悪感を持ってしまうのだった。

No.49 19/07/29 00:32
匿名 

話は戻る。私も妹も、叔父からのお金を大切に銀行口座に入金して、本当に困った時に使おうな、と話した。

あの人らが他界して、私たちは誰はばかる事もなく生きていけるんだと、本当に長年の呪縛からとかれた気持ちだった。

妹も働いてお金を入れたいと言い、会社訪問に精を出していた。

当時は若い人は優遇された。私は変わらず解体屋を続けたが、

あの時代はバブル全盛期に向けて、日本はちょっとおかしくなってた気がする。

会社を訪問するだけで、往復の交通費から昼の弁当を会社が出してくれ、さらに追い風の会社などは、訪問して下さった謝礼として、1万円くれたりと、今考えたら本当におかしくなりそうな位、景気が良すぎた。

久しぶりに最初の勤め先で一緒だった同い年のヤツに会って聞いたんだ。

ズルい奴になると、その会社に就職する気もないくせに、謝礼の出る会社を調べて60社も訪問して、60万円ぼったくり…。働く意欲無くなるだろうに。

妹はそんな人間じゃないので、比較的、そんな時代でも浮かれてなさそうな良心的な会社を、あたりを付けて訪問し、その中の一社に採用された。

この時も就職祝いに、靴を1足プレゼントしたっけ。

この会社で、妹は未来の旦那に出会うんだ。

No.50 19/07/29 00:38
匿名 

私は…あるところで未来の(今の)妻と出会い、私が告白してお付き合いしてくれて、プロポーズして受けてくれて、あちらにご挨拶に伺い、許可をいただき、結婚して今に至ります。

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