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ブルームーンストーン

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自由人
22/05/27 00:15(更新日時)

1993年初夏。

「ほらこれ!」

と、真っ赤な顔をしながら綺麗なリボンのついた小さな箱を私に押し付ける彼。

開けてみると小さな宝石のピアス。

ブルームーンストーン。

ブルームーンストーン、6月の誕生石。

そして宝石言葉は恋の予感…


No.2652859 18/05/29 14:06(スレ作成日時)

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No.36 18/06/06 21:11
自由人 

さて、バンガローに案内され中に入ると、6畳程の広さの畳敷きに焼肉用のテーブルが置かれ、部屋の片隅にはディスクタイプのカラオケの機械があった。
なるほど。
プチ宴会ができそうだ。
ただし、カラオケの曲はほとんどが演歌で、演歌を唄えない私達には全く無用の長物となってしまったが。

カラオケが使えないので、おしゃべり中心になったがそれが逆に楽しくてとても盛り上がった。

「よ~っし!ゲームしよっ!ジャンケンをして1番先に勝った人の言うことを負けた人がきく!」

ほろ酔いのユータンが言い出した。

思えばこれ、この数年後に流行った王様ゲームのノリだった。
何でも「走り」というものがあるものだ。

「ウェーイ!」
何故かみんな自信満々でジャンケンに挑む。
「ジャーンケーンポン!」
ユータンが勝ち、ユッキーが負けた。

あからさまに嬉しそうな顔になったユータンが、
「ユッキーには俺の質問に答えてもらいます。
キスをするなら俺と大ちゃんどちらを選ぶ?
絶対答えてよ!」
とユッキーに迫る。

うっわ…
なにそれ…

でも、俺にキスしろ!と言わないだけユータンの良心を感じるな。

色々と思いを巡らせている間に、
「え~?そういう下心ありそうな質問する人は怖くて選べませ~ん。
だから消去法でいくと大ちゃんということになっちゃうかな?」
とユッキーは笑いながら即答した。

わぁ…

チラリと大ちゃんを見る。

大ちゃんは笑っていたが気を使ったのか、
「ほら!次やりましょ!」
とさりげなく流し、

「ジャーンケーンポン!」
今度もユータンが勝ち、私が負けた。

「何にしようかな~」
とユータンが悩んでいると、

「あ、俺ちょっとトイレ行ってきます。」
と大ちゃんがバンガローを出ていってしまった。

No.37 18/06/06 21:43
自由人 

ユータンは出ていく大ちゃんの後ろ姿を見て少しニヤリと笑ったが、特に気に留める風もなく、
「じゃあ、ミューズにも同じ質問っ!どっちを選ぶ?」
と問いかけてきた。

「えっ?!え~と。じゃあ私も大ちゃんで…」
慌ててユッキーの真似をして答える。

「なんだ~2人とも大ちゃんか。
俺、可哀想。」
ユータンはそう言いながらも笑っており、
「だってユータン、エロいよ!
そんなエロい人にはいきませ~ん!」
というユッキーの言葉を皮切りにゲームは自然と終了して、
「私とユッキーでユータン弄り」の雑談に変わっていった。

そこに大ちゃんが戻ってきた。

「罰ゲーム何だったんすか?」
部屋に入りながら聞く大ちゃんに、

「あのね、」
と答えようとした私の言葉を遮り、

「誰とキスしたいかって聞いた。
ミューズは大ちゃんとキスしたいってさ。」

とユータンが笑いながら答えた。

「ええええっ?!
そんな言い方してないよっ!」
焦る私をチラ見して、

「ふ~ん。」

大ちゃんは全く興味無さそうに答え、

「外、出てみません?河原の方に降りられますからちょっと行きませんか?」
とまた外に出ていった。

「あいつ…ホントに可愛いな。」
ユータンが1人フフッと笑う。

「え?何が?」

全く理解出来ずに問う私に、

「大ちゃんは狼に見えるけど、実は犬って事だよ 笑」
???
ますます意味がわからない。

「あ~そうだね!
顔立ちも総合するとドーベルマンってとこかな。」
ユッキーが笑いながら納得している。

えっ…
私だけ意味わかんないんですけど…
2人の会話に入り込めないものを感じた私は、
「とりあえず大ちゃんのとこに行ってくるよ。」
と外に出た。

No.38 18/06/07 00:11
自由人 

ドーベルマン。

どんな性格なんだ?
当たってるのかなぁ。
ドーベルマンのことあまり知らないけどね。
考えながら河原に降りると、座っている大ちゃんに近づいて横に座った

ぼーっと川を眺めていた大ちゃんはちらっと私の方を向いたがすぐにまた川の方に視線を戻し、
「山田さんたちは?」
と聞いてきた。

「バンガローだよ。」

「そっか。」

大ちゃんは再びこちらを向くと、
「ねぇ。誕生日プレゼントは?くれないの?」
と聞いてきた。



数日前、可愛いドラムセットの置物を見つけた私は大喜びで即購入した。
一点物のそこそこ良い品だったらしく価格が予算よりかなりオーバーしていたが、それでも大ちゃんにあげるプレゼントは他にはもう頭に浮かばなかった。

ところがちょっと誤算が生じた。
早速包装してもらった所、まずは破損と汚れ防止のために大きめのプラスチックケースにそれは入れられた。
次いで、厚紙製のプレゼントボックスに入り、包み紙とリボンでラッピング。
更にそれを持ち運ぶための特大紙袋に入れられて完成!
と、なったのだが。

デカイ。
こんなの持って職場に行けない。
持って行けても置き場所に困るし…

と、いうことでその日早番だった私はプレゼントを家に置いてきてしまっていた。

どうしようかな。
本人もこう言ってる事だし、明日渡せたら明日がいいよねやっぱり。

私は大ちゃんの言葉が聞こえなかったフリをして、
「.あの、明日、空いてる時間帯ってないかな?
ちょっと会いたいんだけど。」
と聞いた。

「んっ?あ~別に朝からでもなんでもいいよ。暇だから 笑」
大ちゃんが即答してくれて助かった。

「あ、じゃあ昼過ぎでもいい?
場所はどうしようかな。」

「俺、車出すからミューズを迎えに行くよ。」

プレゼントが大きいので非常に助かる申し出だった。

「ありがとう!じゃあお願いします。」
何とか無事にプレゼントを渡せそうだ。

内心ホッとした私に、
「誕生日のお祝い…キス…しよ?」
と大ちゃんが少し照れくさそうに言ってきた。

No.40 18/06/07 18:37
自由人 

バンガローに戻り、私が先に中に入った途端、
パン!パン!
とクラッカーが鳴り響いた。

「誕生日おめでとう!!」

ユータンとユッキーがクラッカーを持って一斉に叫ぶ。

えっ?なに?
もしかして大ちゃんが帰って来るのをずっとクラッカー握りしめて待ってた?

でも、ごめん…
私なんだけど…

「あ…」

少し遅れて入ってきた大ちゃんが、
「なにしてるんすか。わざわざこんな物持ってきて。」
と淡々と言う姿に何故か3人ともツボにどハマりして笑いが止まらなくなった。

唖然とする大ちゃんを完全に置いてけぼりにして散々3人でバカ笑いをした後に、

「はい!これ。3人から。」
とユータンが隠していたプレゼントの箱を出した。

「え?あ、ありがとうございます。」
大ちゃんは戸惑いながらも箱を受け取り中身を見た途端、満面の笑顔になった。
中にはコンバースのバッシュ。

その頃はSRAMダンクという漫画等の影響で空前のバスケブームが起こっていて、元々バスケ好きの大ちゃんも友達と3on3を楽しんだりしている事を私達は聞いていた。

「気に入ってくれたかな?」
ユッキーが優しく尋ねる。

「まだ18歳だけど、19歳の誕生日おめでとう!!」
ユータンがわざと茶化した様に言う。

「あ、はい!ありがとうございます。」
満面の笑顔で答えた大ちゃんは大切そうにバッシュを抱きしめて頭を下げた。

No.41 18/06/07 22:11
自由人 

翌日。
大ちゃんの誕生日当日。

PM12:50
約束の10分前。

待ち合わせ場所である私の最寄り駅のロータリーに着くと、
うっ…
やっぱりもう来てる…

ロータリー横の駐車スペースに大ちゃんの車があった。
そ~っと中を覗き込むと、大ちゃんが文庫本を顔に乗せ、シートを倒して寝ている。

一体いつから来てるんだろう…

コンコン。

運転席の窓を軽くノックすると、気づいた大ちゃんが起き上がってきた。

「お疲れ様~。寝てたみたいだけど疲れてるんじゃない?」

ならば、さっさとプレゼントを渡して早く家に帰してあげねばと私は気を使いながら言った。

「へっ?ほっ?うん!
ダイジョーブ!ダイジョーブ!
ちょっと昨日あんまり寝てないだけだからエヘヘ」

大ちゃんは恥ずかしそうに笑うと、
「さて、どこに行きましょうか?」
とエンジンをかけた。

「えっ?いや、今日はこれを渡すつもりでだったんだけど…」
私は紙袋を大ちゃんに渡した。

「えっ?あ、ありがとう。
じゃあどこも行かないの?」

「えっ?だって昨日寝てないんでしょ??
帰ってゆっくり寝なきゃダメなんじゃない?」

「いやっ!ここに来てから1時間くらい寝たからもう大丈夫!」

え…1時間前から来てたのか…
そんなに早くに来て何をしてたんだ一体。
あ、寝てたのか…

心の中で色々とツッコミながらも、

「わかった。じゃあせっかくだから遊びに行こうか。」
私が言うと、
「うん!遊園地は?」
大ちゃんがメガネをかけながら聞いてきた。

あれ?
メガネ?

「うん。寝てないせいかコンタクトすると目が痛くて…俺、目がすごく悪いからコンタクトないと全然見えないし。メガネ好きじゃないんだけどね。」
大ちゃんがちょっと恥ずかしそうにする。

メガネは大ちゃんにすごく良く似合っていて、ひそかにメガネ男子大好き女子だった私はドキドキした。

この子、本当に美形だ…

でも顔のことばかり言うときっと気を悪くさせると思った私は、
「メガネ、よく似合ってるよ。」
とサラッと伝えた。






No.42 18/06/07 22:53
自由人 

私達を乗せた車はしばらく走って小さな遊園地に着いた。
有名テーマパークと違い、小規模遊園地は比較的空いている。

ジェットコースターという名のミニコースター、お化け屋敷らしき?ホラー館、グルグル回るブランコ、どれもが地味でショボイ。

でも、とてもとても楽しかった。

散々はしゃいで笑い合う。

「ミューズ!次何に乗る?」

楽しそうに頬を紅潮させて聞く大ちゃんに、
「そうだね。やっぱり観覧車かな?」
と答えると、一瞬大ちゃんの顔がピクっと痙攣したような気がした。

「んっ?観覧車嫌い?静かに回るだけだからつまらないかな?」

「いやそんなことないよ。観覧車乗ろ~!2人きりになれるし。」

大ちゃんは変な冗談を言いながら、早く!早く!とばかりに私の手を引っ張った。

2人きり…

2人きりの空間で夕暮れ時の遊園地を見下ろす。

ドラマのシチュエーションみたいじゃない?

何か素敵。

ワクワクしてきた。

私達は手を繋ぎながら観覧車の方に走って行った。

人のまばらな遊園地はいつしか夕暮れ時の薄闇に包まれ、あちらこちらで点灯した照明がキラキラと輝きを放っていた。

No.43 18/06/08 00:43
自由人 

「どうぞ~」
係のお兄さんがニコニコとゴンドラの扉を開けてくれる。

私達が乗り込み向かい合って座ると、
「行ってらっしゃ~い。」
とお兄さんはニコニコと扉を閉めた。

少しずつゆっくり上昇していく。

少しずつゆっくり周りの景色が下に広がっていく。

私は後ろを振り向いて外の景色を見た。

ジェットコースターやお化け屋敷、私達が遊んだアトラクションが真下に見える。
少し視線を遠くにやると遊園地の照明がキラキラと星の様に光って見えた。

「綺麗…」

「……」

んっ?

視線を前に戻すと、大ちゃんが真剣な表情でこちらを見ている。
何故だかメガネも外している。

「うわっなに?どうしたの?」

「ミューズ…横に座ってもいい?」

言うが早いか大ちゃんは私の横に座り、私を抱きしめてきた。

No.44 18/06/08 01:04
自由人 

「えっ?ちょっ、やだ、周りから見えるよ。」
焦る私の様子に、
「ごめん…」
と大ちゃんはおずおずと私から離れると、
「あの…その…隣に座ってるのはいい?
目をずっとつぶってるから着いたら教えて…」
と蚊の鳴くような声で言った。

「へ?どういうこと?
まさか…」

「う…ん…実は高所恐怖症で…見えないようにメガネ外してもみたけど…もう…無理…かも…」

いいいいいい??!!

ゴンドラはやっと1番てっぺんに差し掛かろうとした所だった。
またまだ残りはかなりある。

「ちょっとやだ!何で言わないの!
言ってくれたら乗らなかったのに!」
焦る私の言葉に、

「.だって…ミューズ…乗りたそうだったし…ミューズが喜んでくれたら俺、頑張って我慢できるかなって…」

バカだな…もう。

普段の大人びた態度や表情はどこへやら、怯えた子犬の様な目をして俯いている大ちゃんを私はそっと抱きしめた。
?!
大ちゃんは少し驚いたが私のなすがままになっていた。

「ほら、こうしてれば少しは落ち着く?」

「うん…」

「目をぎゅっと閉じててね。着いたら教えてあげるから。」

「ミューズ…」
少し落ち着きを取り戻した大ちゃんが言う。
「なに?」
「ずっとこうしててくれる?」
「うん。大丈夫だよ。ずっと横にいるよ。ずっとしててあげるよ。」

「うん…」

大ちゃんを抱きしめながら私はふっと視線を下に落として大ちゃんの足元を見た。

足には真新しいバッシュを履いている。
昨日、私達がプレゼントしたやつだ。

喜んで早速履いてきてくれたんだ…

可愛くて愛おしくて胸が熱くなる。

私は大ちゃんの髪に顔を埋めた。
大ちゃんの髪からは昨日と同じシャンプーの爽やかな香りがした。

No.45 18/06/08 21:49
自由人 

「ミューズ…ごめんね…」
観覧車を降り駐車場に向かう途中、
打しおれながら大ちゃんが言う。

「俺…かっこ悪いよね。」

「なんで?私のために苦手な観覧車乗ってくれて嬉しかったよ?」
心からの言葉を言ってみるも、
「うん…でも…」
あまり響いていないようだ。

そうだ!

「ねぇ?私からのプレゼントまだ開けてくれてないでしょ?
車に戻ったらすぐに開けてみてよ!結構苦労して買ったんだからね!」

私の言葉に大ちゃんもアッ!という顔になった。

クルマに戻ると大ちゃんは早速包みを開ける。
「あ~っ!ドラムだ!!」
大ちゃんはプラスチックケースの中に手を入れると嬉しそうにドラムをトントンと指で叩いてみせた。

「喜んでくれて良かった。」
私がホッとして笑うと、

「昨日、皆でってバッシュくれたのにまたこんな高そうなプレゼントくれて…」

「ううん、いいの。
それより、バッシュも今日早速履いてきてくれて、喜んでくれてるのが伝わってきて嬉しいよ。」

私のその言葉に大ちゃんの目が急に輝いた。

「ねぇ、ミューズ。
今から行きたいとこがあるけどいいかな?」

「いいよ。」

私の返事を聞いた大ちゃんはウキウキと小一時間ほど車を走らせ、薄暗い空き地の様な駐車場に車を停めると、

「ここだよ。」
と更に嬉しそうな顔をした。

「えっ?ここって?」

「うん。最近よく来る場所。」

大ちゃんは、そう言いながら先に車を降りる。
慌てて私も降りると、
「駐車場を出て右に曲がったすぐだよ。」
と手を引きながら案内してくれた。

「わあ!」

角を曲がった私の目の前には、隣接する公園の外灯の明かりを受けて夜の闇の中に浮かび上がる3on3のコートが広がっていた。

No.46 18/06/09 12:48
自由人 

「へぇー」
私はゴール下に立ち見上げた。
懐かしいな。
高校の球技大会以来だ。

シュートを打つ真似をしてみる。

「やってみる?」
大ちゃんは言うが早いか、駐車場の方に走っていき、バスケボールを抱えて戻ってきた。

「え?どうしたのそれ?」

「うん。友達といる時に、気が向いたら来るからボール車に積んでる。」

言いながらボールを私に渡してくれる。

よしっ!
シュートを打つ。
げっ、ゴールにすら届かない…
テンテンテン…情けない音を出しながら転がっていくボールを笑いながら拾い上げた大ちゃんがシュッとボールを投げる。
スッ。
簡単にゴールが決まった。

はぁ、何でも私より出来るのねぇ。



私は新人研修の時の大ちゃんを思い出した。

「その子」は私のすぐ斜め前に座っていた。
いつも人事教育部の講師さんの話を聞いているのか、聞いていないのか、ボーッとした表情でいつもつまらなさそうに欠伸を噛み殺していた。

「この研修での講義内容から最終日の前日にテストをします。テストは採点をして翌日皆さんにお返ししますが、コピーを各自の配属店の店長にもお渡ししますのでしっかり勉強して下さい。」

講師のその言葉に、
うわっ、しっかり聞かなきゃ。
講師の言葉に焦る思いで必死で講義を聞き、ノートをとる。

他の新人達は私より年下ばかりだ。
悪い点を取ったら恥ずかしい。

家に帰って復習もしてしっかり勉強した。
テスト当日、
「うっ、思っていたより難しい…」
ダメだ。落ち着こう。
焦りながらもふと斜め前を見ると、
「.その子」はつまらなさそうに問題用紙を一瞥したかと思うとサラサラっと何かを書いてすぐに突っ伏して寝てしまった。

No.47 18/06/09 19:12
自由人 

えっ?なんなの?
例え分からなくても最後まで普通考えない?
テストはいつも時間ギリギリいっぱいまで粘るタイプの私には彼の行動は理解できなかったが、人の事を気にしている余裕はない。
とにかく良い点を取らなきゃと必死でテストに取り組んだ。

真面目に勉強したのと、最後まで粘りきった甲斐があり、
翌日の最終日に返されたテストは周りのほとんどが80点台だった中での95点だった。
ふむ、悪くない。

これで午後から配属店の店長に会っても恥ずかしい思いはしなくてすみそうだ。

午後に迎えに来てくれた店長と共にオープン前の店舗に着いた私達はオープン準備中のスタッフへの挨拶後、休憩室で簡単なオリエンテーションを受けた。

「さてと。」
店長は人事教育部から渡されたテスト結果の封筒を開封し中を覗くと、
「おっ!すごいな。」
とニコニコとした。

「ありがとうございます。」
と答える私に、
「うんうん。95点に100点なんて田村さんと神谷君はなかなか優秀だ。」
と店長は優しくほめてくれた。

ほめてくれた。
ほめて…
えっ?100?!

大ちゃんこと神谷君は全く興味のなさそうな顔をしていたが、
「ありがとうございます。」
と無理矢理な作り笑顔を作ってボソッと頭を下げた。

「ねぇねぇ、すごいね、満点なんてなかなか取れないよ。」

オリエンテーションの合間の休憩時、私は大ちゃんに話しかけた。

「別に。ちょっと要所の話聞いて適当に書いたら取れるでしょ。」

店長に対しての作り笑顔とは裏腹に私には相変わらずぶすっとした顔で答える。

はぁ。

もうやだこの子。

でも頭の回転は早そうだな。

一緒に仕事して慣れればもっと打ち解けてくれるかな。
よしっ!頑張ろう!

基本、ポジティブな私はグッと心の中で気合を入れた。

No.48 18/06/09 21:04
自由人 

「ミューズ?」

声をかけられてハッとする。

「ミューズ?疲れちゃった?そろそろ帰ろうか。」
大ちゃんがニコニコしながら立っていた。

「.あ、うん。」
返事をした私と大ちゃんは並んで歩き出した。

あれ?
研修は3月の終わり頃、今は6月の終わり頃。
3ヶ月の間に、あの仏頂面とこうやって仲良く歩く様になってる。

そういえばあんなにぶすっとした態度を取っていた私に対して急に好きだとか言い出して、一体何がこの子の中であったのか?

人を本気で好きになるのにじっくりゆっくりと時間をかけるタイプの私には大ちゃんの言動が正直理解できなかった。

「ミューズ?」
車に乗り込んだ途端、大ちゃんが声をかけてきた。

「えっ?なに?」

「いや、なんか…機嫌悪そうだなと思って。」

大ちゃんの言葉に私は慌てた。

「あっ、ううん。ちょっとね考えてただけ。
研修の時にはあんまり私の事を好きじゃなさそうだったのに、何故急に親しくしてくれる様になったのかな?って。」

「…から…」
大ちゃんがボソボソと声を出した。

「えっ?何て言ったの?」

聞き返した私に、
「研修の時からずっと気になってたよっ!!!」

と大ちゃんが半ばやけくそ気味に叫んだ。

No.49 18/06/09 22:48
自由人 

「うおっ!」
び、びっくりした。

「え?!気になってたって…何か気になる様なことしたかな?」

「えっ?何かって…」
カアアアア。
大ちゃんの顔が耳まで赤くなる。

えっ、やめて、そんなリアクションやめて、こっちが恥ずかしい。

「だってほら大ちゃん最初の頃は素っ気なかったし。ホント仏頂面で怖かったよ。」
私は気恥しい空気を払いたくてわざと笑いながら茶化した。

「あ~そんなに愛想無かった?
うん、まあ気恥ずかしかったのと…」

大ちゃんはそこでちょっと言いよどむ。

「ん?」

「.いや、気にはなってたけど…
簡単に人を信用なんてできないから警戒してたっていうか…」

…えっ…

「あのさっ、この人を信用出来るなって思ってから普通気になりだしたりしない?」
私はごく当たり前と思われる疑問を口に出した。

「いや、この人気になるなって思っても深く知り合うと違ったってことあるよ。」
大ちゃんはアッサリそう言った。

まあ確かに…

「それに俺、人のことをあまり信用しない様にしてるし。」

へ?

ということは…
私の事もまだ信用してないって事じゃないかな?

急に虚しさと寂しさが私の中に押し寄せてきた。

「何でそうなの?そういうの寂しくない?」
との私の問いには答えず、

「ミューズはすぐに人を信用しそうだね。単純そうだもんね。」
と大ちゃんは笑って私の頭をポンポンした。

この子は一体どういう子なんだろう。

私を好きだと言ってくれてるけれど、本当にそう思っているのだろうか。
と、いうかそれ以前に私の何を好きなのだろう。

色々と考えてみたが答えが出るわけもない。
まっいいか。
そのうちに聞いてみよう。
どうせ今聞いてみたって答えそうにもないしね。

マイペースで面倒臭がりの私の悪い癖である。

多分…
私と大ちゃんの性格って真逆なんだろうなきっと。

「ミューズ?」
大ちゃんが黙り込んだ私に声をかけてくる。

「んっ?ああ、さっ帰ろうか。」
私は笑って答える。

「…」
大ちゃんはそんな私を黙って抱きしめてきた。


No.50 18/06/10 09:50
自由人 

この子、やっぱりよくわからないな…
何か抱えてる感じはするんだけど…

あいつは繊細で天邪鬼…
と言ったユータンの言葉を思い出す。
天邪鬼。
心で思っていることと逆の事を言ってしまう人…だったっけ?
そうなの?
大ちゃんの本音はどこにあるのかな?

大ちゃんに抱きしめられながら、私はまだ見えてこない大ちゃんの心の内をそっと思った。

「ミューズ…何で簡単に人を信じることができるのかな?」
私を抱きしめながら大ちゃんがポツリという。

「え?わかんないよ。それに信じられないより信じる方が幸せじゃない?」

「ミューズは幸せに育ってそうだね。」

「あ~そだね~。甘やかされ気味で何も出来ない子だったから大人になって苦労してるけどね 笑」

「そか…」
大ちゃんは小さく呟くと、
「俺は早くお金を貯めて家を出たい…
あの家にはいたくない…」
と語気を強めた。

「えっ?」
聞き返す私に大ちゃんはかいつまんで自分の事情を話してくれた。

幼い頃の父親からの暴力。
一人っ子の自分に過干渉するくせに父親の暴力には見て見ぬふりの母親。

「今も…暴力…あるの?」

「ううん。
中2の時に、殴りかかってきたのを逆にやり返してからもう手を出そうとしてこない。」

「そっか…」
良かったねと言うべきかどうか悩んだ。

「父親は暴力以外は特に何もない。
だから母親よりは全然いい。」.

「お母さんと仲よくなれないの?」

「仲良く?」
わたしの言葉に大ちゃんは鼻で笑った。

そうして、
「もし父親が寝たきりになったら多少は面倒みるかもしれない。
でも母親は知らない。
どこでどうなろうと関係ない。」
とゾッとするほど落ち着いた声で淡々と呟いた。

No.51 18/06/10 15:24
自由人 

「山田さんは一体どういうつもりかしらね。」
30歳パートの沖さんがバックヤードで作業をしていたわたしの横に来て囁く。

「え?何ですか?」
作業の手を止めて聞く私に沖さんは店内の方を顎でしゃくってみせた。

店内に通じるスイングドア越しにそっと店内の様子を伺う。
スイングドアの上部にはマジックミラーが付いており、バックヤードから少し店内の一部を見ることができた。

そっと覗いてみた視線の直線上に納品作業中のユッキーが見える。
その横にしゃがみ込んで嬉しそうに話しかけるユータンの姿があった。

「最近ずっと森崎さんにまとわりついてああなのよね。
森崎さんに気でもあるのかしら。
森崎さんも相手にしなきゃいいのに、見苦しいったらありゃしない。」

はあ。
またか…と私は心の中で呟いた。
沖さんは根っからの悪い人ではないのだが、とにかくいつも自分が正しく、自分が中心でチヤホヤされないと気が済まず、自分以外の人間がチヤホヤされたり、仲良くしたり、誉められたりするのを心良く思わない厄介な人だった。

やれやれ。
ご自分がチヤホヤされる時は店内だろうが何だろうが「見苦しい」なんて言葉使わないのにね。

かくいう私自身もその数日前に
「神谷君と随分対等に話してるのね。歳上の威厳がないのかしら?」
と冗談めかしつつもしっかり嫌味を言われた所だった。

でもまあそれにしても…
と私は店内の様子をもう一度見た。
確かにちょっと目に付くかも。
せっかくユッキーが真面目に仕事してるのにあれじゃユッキーまで仕事そっちのけで私語三昧と誤解されちゃうかも。

ユータンどうしちゃったんだ一体。

私は大ちゃんにその事をそっと相談してみた。
「人の気持ちなんて周りがどうこう言っても仕方がないし、何をやっても嫌味を言う人はいるから2人の事は放っておけばいいんじゃない?」

というのが大ちゃんの答えだった。

それが大人の答えだろうし、
その言葉には大ちゃんなりの考えがあったのだと思う。
でも当時まだまだ若くて人の言葉に込められた思いを読み取る事ができなかった私は「冷たい人だ」という思いを持ち、それが心の奥底に澱のようにへばりついた。


No.52 18/06/10 19:22
自由人 

大ちゃんは繊細で感受性が強く激しい気性の持ち主だった。

自分が心を開く相手は少ないが、一旦開いた相手には「自分」を出した。

中でも私に対しては日に日にその「.激情」を出すようになっていった。
私が彼に対して「マイナスの感情」を持つと、それはマイナスに、「プラスの感情」を持つと、それはプラスに増大されて私にぶつけられた。
「愛憎」という言葉が彼の感情表現にはピッタリの言葉だったのかもしれない。

ユータンの些細な1件で私が彼への「否定の気持ち」を少し抱いたのをキッカケにそれは一気に発動した。

「俺、何か間違った事言ってる?」
探る様に聞いてくる彼に、
「ううん。当然の事だよね。」
と私は答える。

彼の顔が一気に曇ったかと思うとサッとその場を離れ、その日私に近寄って来ることは一切無かった。

今夜仕事終わってから一緒に食事に行く約束してたんだけど、どうしたもんかな?

ユータンに理由は言わず相談してみる。
「大ちゃんを怒らせちゃったみたいなんだけど…
機嫌直るまで放っておいた方がいいのかな?」

「んっ?普通に話しかければ?」
ユータンは事も無げに答える。

「えっ?怒らせたんだよ?」

「うん。だから普通に話しかければ?」

「それで機嫌直るの?」

「うん 笑」

わからないなぁ。

でもちょうどバックヤード整理で力仕事とかあるし、男の人に手伝ってもらいたかったから頼んでみるか。

店内に行き、黙々と品出しをしている大ちゃんに声をかけてみる。

「神谷さん、すみませんが手が空いたらバックヤード整理を手伝ってもらえませんか?」
店内では敬称、敬語である。

「はいっ!わかりましたっ!すぐに終わらせて行きます!」

「神谷さん」はビックリするほど元気な声で返事をした。

No.53 18/06/10 21:11
自由人 

「お先に失礼します!」

早番上がりの私と大ちゃんはスタッフに挨拶をして更衣室に向かった。

「じゃあ、いつものとこで待ってるから。」
大ちゃんがポソッと言う。

いつものとことは私の最寄り駅近くのロータリー横の駐車スペースである。

自転車通勤の私は急いで家に帰り、自転車を置くと駅に向かった。

大ちゃんの車に乗り込み、何とか鍋
を食べに行く。
その何とか鍋はジンギスカンの様な物で、野菜から出る水分で煮焼きしながら頂く料理。
ピリ辛味噌味が絶妙でとても美味しかったのだが、残念ながら数年後には店がなくなり料理名も忘れてしまった。

もう一度食べたいなぁ。
と今でも時々思う二度と食べる事のできない味だ。

食事が済んだ後、夜景でも見に行く?という事になり、有名な夜景のスポットに行ってみたがスポットには車がいっぱいで駐車を断念、ウロウロと走り回り、生い茂った茂みの隙間から辛うじて少し夜景が見えるか見えないかの場所に車を停めた。

流石に他の車は全くいない。

と、思いきや少し離れた場所に1台の車ができるだけ奥に隠れる様に停まっていた。

暗がりのため中はよく見えないが何となく人の気配はする気がする。

「こんな所で車に乗ったまま?何してるんだろう。」

「SEXでしょ。」
大ちゃんは興味無さそうに答える。

げっ?!
げ!げ!げ!

思わず降りかけた車のドアを閉めた。

「.え?降りて夜景見ないの?」

「いやっ!無理!無理!無理!やだよ。無理だよ。降りてウロウロなんかしたら完全に覗きと思われるよ!」

「そう?」
焦る私とは対照的に大ちゃんはのんびりと可笑しそうに笑っていた。

No.54 18/06/11 00:30
自由人 

「降りるの嫌だったら中にいる?」
大ちゃんが優しく聞いてきた。

コクコクコク
頷く。

「まあ、いいけど。中で何するの?」

「えっ?何って…話…」

「ふ~ん。話なんかより…俺らもする?」

Noーーーっ!!
大ちゃんの言葉に耳を疑った。

「えっ?車でって?何を?何を?した事あるの?」

「え?S○Xでしょ?あるよ。」
オーマイガーッ!

「な、何て早熟な。
初体験とか早かったのかな。」

「車と早熟って関係ある? 笑
普通だよ。中2で相手が中1だから。」

目眩がした。

「自分で聞いといて、なに慌ててるの?」
大ちゃんがクスクスと可笑しそうに笑う。

「いやっもうダメだ。
動悸が止まらない。
どっかおかしいのかもしれない。」

大ちゃんからなるべく逃れるように助手席のドアにへばりつきながら私は意味不明な言葉を吐く。

「あはははは!冗談だって!ミューズの反応面白過ぎて調子に乗っちゃった。」
大ちゃんは笑いながら私の頭をクシャクシャとした。

「えっ?冗談なの?」

「うん。聞かれた事は本当だけど、今しよ?って言うのは冗談。
いや、ミューズが良ければ俺はしたいけど。」

?!

「あはは!だからそんなに怯えるのやめてって。」
大ちゃんは楽しそうに笑うと、

「キスは…いいよね?」
と、私の顎をそっと持ち上げて深くキスをしてきた。

前回した軽いキスとは全然違う濃厚なキス。

ねっとりと舌を絡めて吸いそしてまた絡める。

頭の芯が痺れた様にボーッとなる。

「美優、可愛い。美優。」
大ちゃんの声が遠くで響くように聞こえる。

たっぷりと濃厚なキスをされ、ボーッとしている私の耳元で、

「これ以上しちゃうと我慢できる自信無くなるから。」
と大ちゃんが囁き、私の頬に軽くキスをして、

「帰ろ?」
と優しく微笑んだ。

No.55 18/06/11 22:00
自由人 

7月に入った。

ユータンは相変わらずユッキーの周りをウロウロしていたが、こっそりとユッキーに沖さんの陰口の事を教えると、賢いユッキーが上手く立ち振る舞う様にしたためさほど目立たなくなり、沖さんもいつの間にか何も言わなくなった。

「ユッキーってユータンと遊びに行ったりするの?」
ある日の休憩時、ふと思いついて聞いた私に、

「いや行かないよ。ユータンにも誘われたことないし。」
ユッキーがやや意外な返事をした。


「え?そうなの?仲良しだからご飯くらい行くのかと思ってたよ。」

私の言葉にユッキーはうーんと言った様子で首を傾げ、
「ユータンは見た目も性格も私好みなんだよね、でも何だろう。
同性の友達の感覚が抜けないんだよね。
どうしても男性として見られないというか…だからみんなで遊びに行くとかはいいんだけど特に2人でとか行く意味を感じないというか…」
と考え考え言った。

ユータンが聞いたらショックで寝込むなこれは…

とりあえず聞かなかった事にしておこう。

逆にみんなで遊びに行くのならユッキーはOKなのね?

「あ!そうだ!
ね、ね、7日のシフトどうなってたっけ?」
私はある事を思い出しユッキーにシフトをチェックしてもらった。

「え~と、私と美優ちゃんが早番、大ちゃんが中番、店長が遅番、ユータンは公休だね。」

うん!よしっ!ギリギリ行けるな。

「ねぇ、7日に○○神社ってとこで七夕祭りあるらしいのよ。
夜店の閉店までには何とか間に合うと思うし、良かったらみんなで行かない?」

「うんっ!行く行く!」
ユッキーが文字通り二つ返事で承知してくれたので他の2人にも聞くと、他の2人も異議なし!といった感じで喜んで参加の意を示してくれた。

「その日、用事があるから終わってから現地に直接行くよ。
その神社ってどこにあるの?」
ユータンが聞いてきた。

「えーとね、3on3のコートがある公園の近くなんだけど…」
私がユータンに説明したその公園とは、他でもない大ちゃんと行ったあの3on3のコート横の公園だった。

No.56 18/06/11 22:59
自由人 

大ちゃんと3on3コートに行った時、隣接する公園の前に立っていた掲示板らしきものに1枚のポスターが貼られていた。

「7月7日 七夕祭り。
17:00~21:00
○○神社境内。
雨天中止。」

へぇ。
七夕祭りなんて行ったことないな。
地元の小さなお祭りなのだろうが、夜店も少しは出たりするのだろう。

行ってみたいな。

みんなで行けたらなおいいな。

そう思いながらそこを通り過ぎたのだが、まさか本当にみんなで行けるとは思ってもおらず、気軽に付き合ってくれる3人に感謝して心がウキウキと楽しくなった。

7月7日。
当日は曇で少し小雨は降ったものの、祭りが中止になるほどの影響は無さそうだった。

早番上がりの私とユッキーは店舗近くの喫茶店で大ちゃんを待ち、大ちゃんの車で現地に向かった。

公園近くの駐車場に入ると既にユータンが待っており合流する。

「お疲れ!お土産持ってきた!」
ユータンが嬉しそうに笑いながら大きなビニール袋を車から降ろす。

「なにそれ?」
中には小型の水鉄砲が2つと、大型の連射式のこれまた水鉄砲が2つ入っていた。

えっ?

「今日さ、俺の地元で七夕祭りやったからそれの準備の手伝い料。」

ユータンはドヤァといった顔で私達を見回す。

何で手伝い料が水鉄砲なんだろう…
よくわからないユータン&ユータン地元。

ユータンを除く3人の顔に同じ疑問が浮かんだのを素早く見てとったユータンは、
「本当はビールとかくれようとしたんだけど、それは要らないからくじ当てを引かせてくれ!って引いた。
それの景品。」
と照れ笑いをしてみせた。

「えっ?何回引いたの?」
とユッキー。

「5回!」
ユータンは鼻をフンっと鳴らして答える。

5回中、4回も水鉄砲引いたのか…

水鉄砲率高くないか?
ユータン地元主催のくじ当て屋…

「後の1回は何を引いたんすか?」
顔が既に爆笑している大ちゃんが肩を震わせながら聞くと、

「これ。」
とユータンが大切そうに出してきたのは小さなカバのキーホルダーだった。

No.57 18/06/12 07:11
自由人 

「カバ?!」

3人がじっとそのカバを見つめると、

「違うよ!カバじゃないよ馬だよ!」

と、ユータンがさも心外そうに鼻を鳴らしながらキーホルダーに付いている小さなタグを見せた。

「可愛いポニー君」
と書いてある。

なるほど。
確かに馬だわ。

でもユータンには申し訳ないが、その「可愛いポニー君」の造りのクォリティがあまりにも高すぎ、どこからどう見てもカバにしか見えなかった。

いや、言われてみればカバにしてはやはり多少はシュッとしてスマートと言えばスマートなので、
純粋なカバと言うよりも、
「スタイリッシュなカバ」
という言葉が相応しいカバだった。

カバだわ…
カバだよな…
カバだよね…

3人の顔にくっきりとカバの文字が刻まれているのをまるで無視したユータンは、

「前にさ、大ちゃんは動物だとドーベルマンって話あったでしょ?
それでいくとユッキーはキレイでスタイル良くて品があるから白馬って感じなんだよね。」

「え?!僕がドーベルマン?」

自分の知らない所で勝手に犬呼ばわりされていた大ちゃんが不思議そうな声を出すも、

「だからさ、何か馬っていいよね。」

とそれを更に無視したユータンはうっとり語り終え、

「.これあげるね。」
とその「.スタイリッシュカバ」改め、茶色の「白馬」をユッキーに渡した。

ユッキーは笑いながらそれを受け取ると、
「ありがとう。何につけようかな?」
と思案した。

「家の鍵は?」

と、以前大ちゃんに貰ったキーホルダーを家の鍵に付けた私が言うと、

「そうだね。そうしようか。」

ユッキーはキーケースを取り出して付いていた家の鍵を外した。
見ると某一流有名ブランドの数万円はする高級キーケースで、それに車のキーと一緒に付けていた様だった。

「あ、ごめん。
それを外しちゃうのは…」

謝りかけた私に、
「ううん。いいの。車に乗らない事も多いからこんなにかさばるキーケースより家の鍵だけスッキリ持てる方がいいし。なかなかこのカバ君は愛嬌あって可愛いし。」

違うよ。
馬だってば。

というツッコミをさせないほど、
嬉しそうにユッキーはニッコリしてそう言うと、
「で、お土産の水鉄砲はどれを貰ってもいいの?」
とイタズラっぽくユータンにそう聞いた。

No.58 18/06/12 21:05
自由人 

「おうっ!好きなのもらってくれたらいいよ!」

嬉しさ全開のユータンの言葉に、

「あ~じゃあカバンに入るからこの小型のやつにしとくね。」

ユッキーは笑いながら小型水鉄砲を仕事用カバンにしまう。

「じゃあミューズも同じやつにしとく?」

ユータンが小型の水鉄砲を渡してくれたので有難く頂きカバンにしまう。

「大ちゃんのは大きいけどリュックだからギリギリ入るかな?難しいだろうから入れてやるよ!後ろ向いて!」
ユータンはお兄さんの様な顔で大ちゃんに優しく話しかけた。

「いや、それなら…」
と言いかけた大ちゃんの言葉を制し、

「大ちゃん、遠慮するなよ。ちょっとは甘えろ。」

ユータンは大ちゃんの肩を軽くポンっと叩くと、大型の水鉄砲を苦労しながら大ちゃんのリュックに押し込み四苦八苦しながらも何とかリュックのジッパーを閉め、

「OK!上手く入ったよ!」
と得意そうに言った。

いや…
無理にリュックに押し込まなくても…
大ちゃんの車に積んでおけば良かったんじゃ…ないか…な?

私はそう思いながら、無理やり許容範囲外の大きさの物を詰め込まれ、耐えきれずに「開いてはいけない方向」からパカッと口を開けだしている大ちゃんのリュックのジッパーの無事の回復を静かに願った。

「さて!行くか!しまった!俺、カバン持ってないからこのまま持つのか。」
ユータンが騒ぎ出す。

え?
車に積んでおけば?

という大ちゃんとユッキーの心の声が超能力の様にハッキリと私の中に聞こえてきたが、あまりにもユータンが嬉しそうだったので誰も何も言えず、
それぞれ鞄の中に「.鉄砲」を忍ばせた(1人は直に持ってるが)
謎の暗殺集団の様な一行は兎にも角にも七夕祭りの会場へと出発した。

No.59 18/06/13 10:36
自由人 

神社の周辺は予想以上に人が多く、夜店も参道の左右にズラリと立ち並びなかなかの賑わいぶりを見せていた。

当初は、恥ずかしいかなと思っていた「水鉄砲を持ち歩く」ユータンの姿も祭りの中では実に自然に溶け込み、ちょっとした「お祭りの風情」さえ醸し出していた。

立ち込めるソースや焼きとうもろこしの醤油の焦げた香ばしい香り、ザラメの甘い香り、ベビーカステラのふんわりとした卵の香り、それらが渾然一体となっている夜店の少し非現実で幻想的な明かりの中で、七夕祭りに相応しい何本もの立派な笹に飾り付けられた沢山の七夕飾りや短冊が風に揺らいでいる。

お祭りって何でいつも少し夢見心地な気がするんだろう。

人々のざわめきの中で、
「君が~いた夏は~遠い夢の中~」
と脳内BGMがかかる。
JITTERIN'JINNの夏祭り。

「夏祭り歌いたくなったな。」
と笑いながら言うと、

「その曲、俺も好き。今度カラオケで歌ってよ。」

と大ちゃんが頷く。

「うん。みんなで?2人で?」
とそっと聞き返すと、

「どっちも。」

と大ちゃんはニッコリした。

祭りの終了時刻が近づき、夜店もボチボチと片付けを始めていた。

慌てて、ベビーカステラ、焼きそば、たこ焼き、フランクフルト、etc

色々買い込み夕飯代わりに食べる事にする。

「どこか座って食べられる場所ないかな?」

「公園に確かベンチがあったよ。」
この辺に詳しい大ちゃんの言葉に私達は神社を抜けて公園に向かった。

No.60 18/06/13 22:54
自由人 

公園は縦長に広い公園で、入口付近には祭り帰りの人達がウロウロとしていたが、奥の方まではさすがに人はいないようだった。

「この奥に進むと草野球とかできる空き地があるよ。
その周りにベンチが幾つかあったはず。」

「草野球」という大ちゃんの言葉にグラウンドの様な場所を想像していたら、なんのことは無い本当にそこは単なる空き地で殺風景なものだったが、それでも周りには古びた木のベンチがいくつか置かれていて、私達は喜んでそこに座った。

公園内にポツポツと点在している外灯の灯りで辺りはほの明るいものの、手元などは見えにくい。

「うわっ!やばっ、思いっきりケチャップ手についた。」

「私も~何だか手がベタベタする。」

それぞれが何となく
「手を洗いたいなぁ。」
というムードを色濃く漂わせ始めたのを悟った大ちゃんが、

「確か水道が…」
と空き地の片隅に立っていた用具入れの小屋?らしき建物の横にある手洗い場に案内してくれた。

手を洗って元のベンチに戻った時、

「お!いいこと考えた!」

大ちゃんがいそいそとリュックを手に持つ。

リュックのジッパーは特大水鉄砲に与えられたダメージを受け青息吐息状態の所に、大ちゃんが無理に開け閉めしたため、

「もう…ダメ…パカッ…」

と半分ほど口を開けて逝ってしまっていたが、大ちゃんは構わずその「開いた口」から3分の1ほど飛び出していた水鉄砲を引っ張り出し小脇に抱えて手洗い場の方に走って行った。

「あっ!私もっ!」
しとやかな見た目とは裏腹にイタズラ好きなユッキーも自分の「武器」を素早く取り出して大ちゃんの後を追う。

…なにやってんの?

ポカーンと呆れて2人を見ていた私達の元にしばらくすると大ちゃんが戻ってきた。

No.61 18/06/13 23:28
自由人 

「ピューッ!ピュッ!ピューッ!」

「つ、冷たっ!そして痛っ!」

「へっへっ!どーだー!」

小学生の様に大喜びしながら私に
特大連射式の水鉄砲の攻撃を浴びせかける大ちゃん。

特大水鉄砲は連射式で立て続けに水を発射できる。
しかも至近距離で当たるとちょっと痛い。

「仲が良いなぁ。あんまりイチャつくなよ?」
嬉しそうに笑うユータン。

どこがだよっ!!

腹が立ち、反撃しようと私も武器を手に手洗い場に走る。

たっぷり充填して戻ると、ユータンがユッキーの攻撃を受けていた。

「冷たい、冷たいな!もぉっ。」

わぁ…
幸せそう…

そこに調子に乗った大ちゃんがユータンに向けて連射した。

「こらこら!それは洒落にならないぞ!俺びちょ濡れだわ。」

わぁ…
更に幸せそう…

「よし!俺もやる!俺の腕を見せつけてやる!」

ユータンは持っていた水鉄砲をおもむろに大ちゃんに向けて発射した。

スカッ。

あの…まだ水入れてませんよね?

「しまった!水入れてくる。
ミューズ!援護射撃してくれ!」
ユータンボスの命令で私はユータンに付き添い一緒に手洗い場に走った。

幸い2人の暗殺者は手洗い場まで追っては来ない様だ。

ユータンはゆっくりと水鉄砲に水を入れながら、
「ミューズ…楽しいな、楽しいな…」
と少ししんみりした声で話しかけてきた。

No.62 18/06/14 19:39
自由人 

「うん?楽しいね。
こんなにバカ騒ぎしたの初めてだし。」

私の言葉にユータンは頷くと、

「大ちゃんもユッキーもここまでこんなに楽しそうにはしゃいでるの初めてだな。
ミューズ…
ずっと…こうやって一緒にバカなことをいつまでやれるんだろうな?」
と下を向いた。

ずっとだよ!

その言葉は何故か直ぐには出てこなかった。

ユータンは顔を上げて、返事をしない私を少し見つめた後、何もかも見透かしたようにフッと笑った。

男っぽいキツイ顔立ちの大ちゃんとは逆の優しい中性的な顔立ちのユータン。
女性だったらさぞかし可愛かったんだろうと思わせる顔立ち。

「ユータンの顔も性格も好みなんだけど…」
ユッキーの言葉を思い出す。
キーホルダーを貰った時のユッキーの嬉しそうな顔を思い出す。
ユッキーは本当にユータンのこと何も思ってないのかな?

何か大事なこと隠してそうで、何か抱えていそうで…
でもなかなかそれを出そうとしなくて…
あ…
ユッキーと大ちゃんって…

「.あの2人は根本的な所がよく似てる。」
ユータンがいきなり言い出す。

えっ?!ビックリした~。
心を読まれたのかと思った。

と、驚いた私の心も読んだかのように、
「ミューズもそう思ってるんじゃない?」
とユータンは可笑しそうに笑った。

ユータンの水鉄砲からは既に水が溢れ出している。

ユータンは水道の蛇口を閉めながら、

「ミューズ、あの2人とずっと仲良くしてあげて。あの2人にはミューズの様なキャラの人間が必要だから。」
と呟いた。

「うん?必要とされてるのは勿論ユータンもじゃない?歳をとってオジサンオバサンになってもこんなバカな事をして笑い合いたいね。」

私のその言葉に、
「ああ、そうだね。
50歳になっても100歳になっても仲良く遊びたいな。」

とユータンは静かに笑った。

No.63 18/06/15 17:51
自由人 

ユータンと2人戦線復帰すると、ヤンチャな2人組が大喜びで襲ってきた。

「わわっ!」

「キャーッ!」

必死で応戦する。

散々騒いで少し疲れた私は1人ベンチに腰掛けて、楽しそうにはしゃいでいる3人の姿を眺めた。

ホント。

バカな事してるな。

「わあっ!二人がかりでズルイぞ!
こらっ!反撃できないだろ!」

大ちゃんとユッキーの集中攻撃を受けて必死で応戦しているユータンを見て思わず笑ってしまう。

来年の夏祭りもこうやって遊ん
でるんだろうか。

50歳になっても100歳になってもか…
ユータンの言葉を思い出す。

100歳は現実的にはちょっと厳しいとしても、50歳ならまだみんな健在かな?

私が50歳になるのは後ちょうど25年後か。

2018年。

うわっ、2000年に突入しちゃってるよ。
ノストラダムスの大予言もあるし、無事に2000年を迎えることが出来るのかな?

25年後の未来。

確か「バックトゥーザフューチャー」
という大好きだった映画の
「30年後の未来」は2015年だったよね、それよりも更に後か。

何か便利な物が発明されているのかな?
遠い未来に思いを馳せようとするものの全く想像も付かない。

「ミューズ!帰ろう!」
大ちゃんに声をかけられる。

「あ!うん!」
はっと現実に戻る。

3人がニコニコとしながら私の方を見ている。

ずっと一緒にいられたらいいな。

私はそう思いながら3人の元へ走って行った。

No.64 18/06/15 22:43
自由人 

「じゃまた!おやすみ~。」

駐車場で解散。

店の駐車場に車を置いてきたユッキーはユータンに店まで送ってもらうことにする。

徒歩出勤していた私はそのまま大ちゃんに送ってもらうことになった。

ユータンの車を見送ると、大ちゃんは私の服の袖に触れ、
「結構濡れたね。」
と笑った。

「もうっ!ほとんど大ちゃんにやられたんだからね!」
とブツブツ言うと、

「ごめん。ごめん。ちょっと待って。」
大ちゃんはリュックからフェイスタオルを取り出し、

「これ、使って拭きなよ。」
と貸してくれたので、

「ありがとう。」
と濡れた服を拭こうとした途端に、
「ああっ!!ダメだ!!」

といきなり大ちゃんにタオルを奪い取られ驚いた。

「なに?なに?なに?ビックリしたんだけど。」
驚く私に、

「いや、それ1回俺の顔の汗拭いたの忘れてた。
ごめん。汚いから使わないで。」
神経質な大ちゃんらしく焦った様に謝る彼の手から私はタオルを奪い返した。

「1回ちょっと拭いただけでしょ。
気にしないから貸して?」

「でも…気持ち悪くない?」

ウジウジ気にする大ちゃんの相手が面倒臭くなり、

「え?他の人のなら嫌だけど大ちゃんのでしょ?
気持ち悪くなんかないよ。」
と勝手にゴシゴシ拭き始めた私の腕を大ちゃんが急に掴んだ。

うわっ!
無神経な私の態度に呆れて止めに入ったか。
てっきりそうだと思い、おそるおそる大ちゃんの顔を見ると、大ちゃんは目を潤ませ真剣な顔付きで、

「ミューズ、俺の汗汚くない?」

「え?ああ、そうだね。」

更に大ちゃんの目が潤む。

「俺も、俺も、ミューズの汗汚くない!」

言うが早いか大ちゃんがガバーっと抱きついてきた。

うわっ!なになに?
驚く私を抱きしめながら、
「ミューズ、大好き。
嬉しい。」
と大ちゃんが1人で盛り上がっている。

「え、え~と、
そんなに感動される様なこと言ったかな?」

「そりゃさすがにタオルが汗でしっとりしてるとか、全身拭かれとかなら嫌なんだけど~。」

ボソボソ大ちゃんに言ってみるも聞こえていない。

「あのっ、ちょっとっ、体拭きたいんだけど。」

タオルを持った手で大ちゃんの背中をトントン叩くと、

「ああ、ごめん。」
と大ちゃんはやっと離れると、

「タオル貸して?拭いてあげる。」
と優しくわたしの手からタオルを取った。

No.65 18/06/16 11:31
自由人 

大ちゃんは私の背中を優しく拭きだした。

見た目や仕事中の男っぽさからは想像できない繊細で優しい仕草。

私なんかより余程女らしい。

一緒にご飯を食べに行っても、先ずは必ず私に料理を取り分けてくれる。

焼肉も焼いて食べ頃になったら小皿に入れてくれる。

私、ただ食べるだけ。

19歳の男の子に甲斐甲斐しく面倒見られてる25歳女って…

ある日、さすがに恥ずかしくなり、

「私が分けてあげるね。」

と鉄の串に刺さった2切れの肉の塊を串から外そうと力を込めたはいいが、
力を入れすぎて肉が1つ皿から飛び出しテーブル上に転がった。
私のやることは本当に雑い。

「ああっ!!この肉食べたかったのに!」

ガックリする私に大ちゃんが、

「大丈夫だよ。テーブルの上だから食べられるよ。」

と言う。

「そうだね。捨てるのは勿体無いしね。」

と気を取り直し、転がった肉を皿に乗せている間に大ちゃんが残りの肉を綺麗に串から外して取り皿に乗せ、

「はい。どうぞ。」

と渡してくれた。

「え?私の肉はあるよ?」

とテーブル上に落ちた方の肉を指すと、
「それは俺が食べる。」
と大ちゃんが素早くその肉の皿を自分の手元に置いた。

ああ、いつもそうなんだ。

気の利かない私は彼のしてくれる事の半分も返せない。

彼は私と付き合って何か得られる物があるのかな?
何故そこまで私を好きと思ってくれるんだろう。

「ねぇ?ちょっと聞いていい?
私の何を好きになってくれたの?」

私の言葉に大ちゃんは私を拭く手を止めて、
「何をと言われても直ぐには答えられないけど、キッカケはあるよ。」
と話し出した。


No.66 18/06/16 13:39
自由人 

注※少し「汚く感じる」表現があります。





新人研修の数日前、全体オリエンテーションという名目の顔合わせみたいなものが行われた。

オリエンテーションもつつがなく終了し、皆が我先にと会場を出て帰って行く中、1人具合が悪そうに机に突っ伏している男の子がいた。
チラリと見える横顔がハッキリとわかるほどに青い。
数人いた人事教育部の担当者の方々は廊下に出て新人達を見送っている。

(大丈夫かな?誰か呼んで来ようかな。)
と近寄ろうとした時に、
その子が急に苦しそうにし出すと机や床に嘔吐してしまった。

?!


まだ会場に残っていた10人ほどの新人達が驚いて固まる。


「.大丈夫?!」

私は咄嗟にその子に駆け寄ると、持っていたポケットティッシュをその子に手渡しながら、

「誰か!ティッシュ持ってたらちょうだい!
それと○○さん呼んできて!」
と人事教育部の主な担当の方の名前を出した。

直ぐに○○さんが駆けつけて来てくれた。

「大丈夫?ちょっとお手洗い行こうか?」
まだ気分が悪そうにしているその子を支える様にして連れ出してくれる。

騒ぎを聞いて他の人事教育部の方も会場に戻ってきた。
私と同年代くらいの若い男性だ。

「すみません、ほうきとちりとりとゴミ袋ありませんか?」
私がそう言うと慌てて頼んだ物を揃えて持ってきてくれた。

幸いティッシュは周りの子達の協力のおかげで有り余るほどある。
ティッシュをたっぷり使えたので早く綺麗に掃除ができた。
掃除をし終えた私に、

「ありがとうございます。
お掃除までさせてしまってすみません。
後の片付けは僕がしますので。」

男性は丁寧にお礼を言ってくれ、私からそれらを受け取ると頭を下げてくれた。

ふぅ、後は大丈夫そうだな。

安心した私はお手洗いで手を洗った後、ちょうど隣の男子トイレから出てきた○○さんと男の子に会釈をして帰った。

No.67 18/06/16 14:59
自由人 

「で、その事が何か関係あるの?」
と、私は不思議そうに聞いた。

その体調を崩した男の子は大ちゃんではないので何の関係があるのか分からなかった。

「あの時、あの場に俺もいたんだよ。
咄嗟のことに俺は何も出来ずにボーッと見てるだけだった。
いや、咄嗟じゃなくてもきっと汚いことなんてやりたくないから、やはり何も出来なかったと思う。」

大ちゃんは私の頭をなでながら私の目を見つめた。

「その日、初めて見た時に、決して美人とは言えないのになんか可愛いと思える気になる子を見つけた。
その子はそうやって人のためにすぐに動いて嫌な事も率先してやる優しい子なんだと思ったら、ますますその子が可愛く見えて仕方なくなった。」

大ちゃんの言葉に恥ずかしくなる。

「いや、それはたまたまそこに私が居合わせただけで、他の人でも同じ事をする人はきっといるよ。当たり前の事をしただけだし大した事してないよ。」

私の言葉に、
「そうかもしれない。
でもこう言われてもそういう返事をするミューズが好きだよ。」

大ちゃんは私の両頬を両手で優しく包むように持ち上げると、
優しくキスをしてきた。

うっとりととろける様なキス。
全身がカーッと熱くなる。

あぁ、大ちゃんは私のそんな所を好きになってくれてたのか…
大ちゃんの言葉がグルグルと頭の中に過ぎる。

ん?
ん?!

「どうしたの?美優。」
大ちゃんがうっとりと優しい目で問いかけてくる。

「.ちょっと待て~!
決して美人とは言えないってどうゆう意味だよっ!!」

「あ、そこ気づいた?」
大ちゃんが可笑しそうに笑う。

「そこは、可愛いなと思える子を見つけた…で良くない?
何故、わざわざそういう余計な前置きつけるかね?
全くもって失礼な奴!」

鼻をフガフガ鳴らしながら怒る私に大ちゃんは笑い転げた。

散々笑った後に大ちゃんは、

「あはは、やっぱり美優のこと大好きだ。」

とまた私にキスをした。

No.68 18/06/16 17:00
自由人 

大ちゃんのキスは私の全身を熱くさせ頭をボーッとさせる。
まるで何かの媚薬を盛られているようだった。

「美優…美優…」

大ちゃんの息遣いが段々荒くなり、

彼は私の耳たぶを甘噛みすると、
そのまま首筋に舌を這わせた。

「あっ…」

我慢出来ずに声が出る。

私の声を聴くともう我慢出来ないといった様子で大ちゃんが私の胸を触ってきた。

「あっ…やっ…」

と拒む声がかえって欲情をそそるのか、
あっという間もなく、ブラウスのボタンを外され中に手を入れられると、彼は胸を直接愛撫し始めた。

「あっ…ダメ…やっ…」
と彼の腕を必死に押さえて抵抗する。

「そんな…色っぽい声で…嫌がられたって…無理…だよ…」

大ちゃんは抵抗する私の腕の力などものともせずに愛撫を続けた。

男の人の力ってすごい。
まざまざと思い知らされる。

今まで何人か付き合った人達はいたが全員私よりも歳上で、奥手気味な私を気遣い深い関係になったのは半年以上経って私の警戒心がとけてから…
というプロセスを必ず経ていたので、力ずくに来られるという経験をまだしていなかった私は大ちゃんの行動に少し恐怖した。

なのに、怖いはずなのに、
私の恐怖心とは裏腹に大ちゃんの愛撫に身体の芯から感じている自分に気づく。

きもち…いい…

怖いのにきもちいい…

こんなにきもちよくてとろけそうになったのは初めて…

私は…

いつかきっとこの子に身も心も溺れる…

溺れたらどうなるんだろう。

もしも溺れて抜け出せなくなった時に、彼が歳上の私に飽きて若い女の子を好きになったらどうなるんだろう。

「ミューズ?」
大ちゃんの心配そうな声がする。

「え?」
と大ちゃんの顔を見た私に、

「ミューズ、ごめん。調子に乗りすぎたごめん。」
と大ちゃんが叱られた子犬の様にしょげきって私の乱れた胸元を整えてくれた。

「ううん。ごめんなさい。こちらこそ…」
と私が謝ると、大ちゃんは静かに首を横に振り、

「帰ろう。」
それだけ言うと後は無言で車を走らせた。

No.69 18/06/17 10:09
自由人 

翌日から大ちゃんが素っ気なくなった。

仕事中は今まで通り普通に笑顔すら出して接してくる。

しかし仕事が終わればまともに私の目を見ることもせず丁寧に頭を下げてさっと帰ってしまう。

はぁ。
何となくこうなる予感はしてたんだ。
気まずい別れ方したもんね…

追えば逃げる、逃げれば追う。
か…

追い方を知らない私はそこまで行き着けないな。
と、言うより追う前に逃げられてるから話にならない。

エッチをさせなかったから私に愛想を尽かしたの?

悲しくなった。

前の様な仲に戻るのにはエッチすればいいのかな?

でも…
ご機嫌取りのためにエッチしなきゃいけない関係ならそんな関係は要らない。

相手が去るのなら仕方ない。

幸い大ちゃんも馬鹿ではないからユータンやユッキーの前では極力普通にしようとしてるみたいだし2人にはバレていなさそう。

よし、何事も無かったかの様に自然に普通にしていよう。

さようなら。
大ちゃん。
短い間だったけど楽しい思い出をありがとう…

涙がこぼれ落ちる。
泣いてスッキリし、翌日何事も無かったかの様に出勤した翌日の朝、

「大ちゃん、ここんとこ元気無いけど何かあった?」
と同じ朝番のユータンにいきなり聞かれた。

「えっ?いつもと同じじゃない?
元気ないどころか楽しそうにしてるじゃない。」

驚いて聞き返す私に、

「見た目の話じゃないよ。僕は寂しいです。構って下さいオーラがムンムン出てるじゃない。」

ユータンが笑いながら言う。

私は普段のんびりおっとりのゆるふわ系キャラだとばかり思っていたユータンの観察眼の凄さに舌を巻いた。

No.70 18/06/17 13:26
自由人 

「何か凄いねユータン!」

素直に感心する私に、

「いや、ユッキーにもバレてるから。」
ユータンは可笑しそうに笑う。

「えっ?ユッキーにも?」

「うん。ユッキーにも大ちゃん最近変だよね?と聞かれて、どうせミューズと何かあったんだろうから放っといてあげな。と言っといた。」

はぁ。
恐れ入りました。

「うん、まあちょっと意見の相違があって…気まずくなっちゃって…
どうしたらいいと思う?」
さすがにエッチを拒んだからとは恥ずかしくて言えない。

「普通に喋れば?」
ユータンはアッサリ言う。

またそれか。

「でも2人で話そうとすると逃げるようにその場を離れるんだよ?」

「じゃあ追いかければ?」
ユータンが「追えば逃げる」理論に真っ向勝負を挑むような提案をする。

本当にそんなんで上手くいくのかな?

でもどうせ避けられてるのだからこれ以上特に何が悪くなることもないだろう。

今日は大ちゃんは休みで明日は遅番。
遅番社員は閉店後、バイトさん達を返した後に戸締りなどのため15分ほど1人で残る。

決行するならその時だ。

「よしっ!わかった!頑張ってみます!」
ユータンに向かってグッ!と親指を立てて突き出すと、

「はい、GOOD LUCK!」
とユータンも笑いながら親指をグッ!と立ててきた。

翌日、決行前に戦闘服ならぬ勝負服を着る。
ヒラヒラの短めのフレアースカートに可愛いミュール、メイクも可愛い系のピンクでバッチリ。
よしっ。
後は武器だ。

戦闘車=自転車に乗り、武器=差し入れ
を買いに行く。

いざ敵地へ!

駐輪場にはバイトさん達の自転車やバイクは既にない。

私は武器のマクドナルドの袋をぐっと握りしめると開いている裏口からバックヤードへと入った。

No.71 18/06/17 13:34
自由人 

敵は店内チェックの真っ最中だった。

「お疲れ様!」
と叫ぶと、大ちゃんは一瞬「はっ!」
とした顔をしたがすぐに、

「お疲れ様です。もう戸締りしますから忘れ物なら早く持って出て下さいね。」
と私の視界から更に遠くの方に歩いて行こうとした。

え?
ちょっと待ってよ。
せっかくわざわざマクドナルド買ってきたのに。
その態度はないんじゃない?

何だか無性に腹が立ち、
「ちょっと待てい!!」
と猛ダッシュで大ちゃんを追いかけた。

「.うわっ!なになになに?!」
振り向いた大ちゃんは完全にビビっている。

閉店後の店内で、フレアースカートを翻し、更にはマクドナルドの袋を振り回し、ミュールをカツカツ鳴らして叫びながら自分の方に突進して来られたら当然と言えば当然の反応であろう。

何事かとビビる大ちゃんの目の前にフンっとマクドナルドの袋を突きつける。
「これ!差し入れ。
お腹空いてると思って。」

「あ、あ、ありがとう。
店閉めちゃうからちょっと待ってて。」
私の気迫に気圧されたのか妙に大人しくなった大ちゃんは急いで戸締りをし2人で駐車場に出た。

「これ、コーヒーとハンバーガーとポテトのセット買ってきたから。」
そう言いながら中身を覗いて唖然とした。

振り回しながら走ったためにコーヒーが半分ほどこぼれ、ハンバーガーとポテトがコーヒーまみれのハンバーガーセットならぬコーヒーセットになっている。

ガーン。

「これ…もう食べれない…」

「どれ?」
大ちゃんは私の手から袋を受け取ると、
「うん。美味いよ、お腹に入ったらどうせ一緒くたになるんだし美味い美味い。」
と一気に食べてしまった。

「何か変な物食べさせちゃってごめんね。」
ハンバーガーを台無しにしてしまった事ですっかり戦闘意欲を無くした私はガックリしながら自転車に乗って帰ろうとすると、

「夕飯食べたの?
あの…もし良かったら食べに行かない?」
と大ちゃんが誘ってきた。

No.72 18/06/17 14:25
自由人 

車は職場近くのファミレスの駐車場に入った。
以前、ケンケンのキーホルダーを大ちゃんに買ってもらった店だ。

「えーとハンバーグにしようかな。
何にする?」
大ちゃんに聞くと、

「.あ、さっきのハンバーガーでお腹いっぱいになったからコーヒーで」
と大ちゃんが答える。

あれ?
じゃあ何でご飯食べに行こうって誘ってきたのかな?
何か話でもしたかったのかな?

私の顔色を素早く読んだのか、
「あのね…俺のこと…嫌になった?」
と大ちゃんが言い出した。

「え?何が?何か嫌になる理由浮かばないけど?」
不思議そうな私の言葉に、

「ならいいけど…
この前、ミューズを怒らせたみたいだったから…」
大ちゃんは言いにくそうにボソボソ言う。

「えっ?何が?」
聞きかけてハッとした。

そうだ。この子、人の顔色や心の変化を異様に敏感に読むんだ。

おそらく私があの時感じた、
「この子に溺れては困る、私はいずれ飽きられるかもしれない。」
という思いを感じ取って「拒否」されたという形で認識したんだ。

私は大ちゃんが「エッチを拒まれた」からよそよそしくなったと思ってたけど、
違う。
「自分を拒まれた」
と思ったから傷が深くなる前に自分から離れようとしたんだ。

でも元来の寂しがり屋さんにはそれが難しかったってわけか。

何て面倒臭いタイプ。

おっと、今の読まれたかな?

私の気持ちを読もうとするのなら読まれる前に先に言ってやる。

「もしかして、いつも人の心を深読みしてたりする?」
私の急な言葉に大ちゃんは少し驚いた様だったが、

「うん。みんなそうじゃないの?」
と答えてきた。

No.73 18/06/17 16:36
自由人 


え、ごめん。
私そんな面倒臭いことしませんけど…

「ねぇ、人の心をいつも読んでるの?ずっとそうやって生きてるの疲れない?」

「疲れる…でも何となくわかっちゃうから…」

「ふ~ん、何だか面倒臭いね。」

ズケズケと言う私の言葉に怒るかと思いきや、

「うん、確かにそうだね。」

大ちゃんはシンミリと頷く。

この子、きっと生まれつき勘がかなり鋭いんだ。
それに家庭環境の事も加わって…

「ねぇ、人のことを基本的に信用しないって言ってたよね?
じゃあ私の事も信用しきれてないって事だよね?」

「えっ、それは…」
大ちゃんが口ごもる。

やっぱり信用してなかったな、お主。

「まぁいいわ。全体的に信用しなくてもいいから1つだけ信用して。
私は絶対にあなたを嫌わない。もしも何かの事情で2人が離れる事になっても。わかった?」

言いながら自分でも大胆な事を言っているなと思った。
でもこの約束だけは絶対に守り抜きたい。

私の決意が伝わったのか、
「うん、分かったよ。
ありがとうミューズ。」
大ちゃんは少し微笑んだ。

ファミレスを出て帰りの車内、

「私の心もいつも読めるの?」
と聞いてみた。

「ミューズは単純だからあまりその必要はないかな?」
と大ちゃんが笑う。

「ちょっと!失礼な!
どーせ、私は大ちゃんみたいに美形でもないし繊細でもないですよっ!」

決して美人とは言えないが…のくだりをまだ根に持っている私はさりげなくそれも盛り込んで文句を言ってみる。

私の言葉に曖昧な笑顔を浮かべた大ちゃんは、

「.本当は、ミューズみたいなタイプが1番読めないんだ。
何でもストレートでクルクル気が変わって、思考も他の人とちょっとズレてて、翌日にはあらかた前日のこと忘れてる。」

ちょっとまて。
それ完全に馬鹿にしてるよね?

「いや、完全に俺の中では最大級の褒め言葉だよ?」

そう言いながら大ちゃんは私の髪に優しく触れ、

「今日すごく可愛いね。」

と、優しい目をして微笑んだ。

No.74 18/06/21 23:27
自由人 

「えっ?そ、そう?」

内心嬉しくてドキドキする。

「うん。服装も可愛いし髪もサラサラしてて綺麗だし、なんか可愛いなって…やっぱりミューズ可愛い…特に今日すごく可愛い…」

大ちゃんがすこし照れた様に言う。

「え~?お風呂上がりにぱぱっとそこらの服着てから髪を適当に乾かして、簡単にメイクしただけだよ~」

と、おとなの余裕を極力醸し出し、何言っちゃってんの?的に返す私に、

「へぇそうなんだ。でもすごくいいよ。」

と大ちゃんが感心したように言う。

嘘だよ。
嘘だよ。
大嘘だよっ。

本当は、服をわざわざ買いに行ったんだよ。
髪もサラサラのロングが好きだって言ってたから丁寧に時間かけてブローしたんだよ。
メイクも雑誌を見てナチュラルで可愛いメイクを時間かけてやったんだよ。

だって、また可愛いって言われたくて、好きだって言われたくて、
私を見て欲しくて、

あ~ダメだ。
ハマりかけてるじゃん。
溺れたら困るって自分を戒めようとしてるのはどこのどなた様でしたっけ?

相手はまだ19歳だよ?
未成年だよ?
この前まで制服着て学校に通ってた子に四捨五入したら30歳の私が…

はぁ、なにやってんの私は。

「ミューズ、俺に会いに来るからオシャレしてきてくれたの?」

1人、頭の中で葛藤中の私にいきなり大ちゃんが鋭い所を突いてくる。

急に直球ど真ん中のストレートをダイレクトにぶつけられた感覚がして、恥ずかしくてクラクラした。

はっ?何言ってるの?
適当な格好で来たって言ったよね?

頭の中では色々言葉が渦巻くのに
上手くそれが外に出せない。

少しの沈黙の後に、
やっとの思いで私の口から出た言葉は

「心…読んだの?」

だった。


No.75 18/06/22 23:34
自由人 

「いやっ、読んで、ませんっ、」

大ちゃんの言葉が急に途切れ途切れになる。

「本当に?」

「はいっ、全く、わかりませんっ、」

嘘つけ、完全に笑っちゃってるじゃないの!

「いや、もう、こんなに、単純で、わかりやすい人は、初めて、あっ、いやっ、何でも、ない、です、」

おいっ!全部口に出してしまってから誤魔化すんじゃない!

しかも、ミューズみたいなタイプが1番わかりにくいんだ…
と言ってたどの口が言う?

「何よ~!張り切ってオシャレしてきて悪いのかよ~!
3時間かけたってそっちを待たせたわけでもなんでもないだろ~。
それとも私のオシャレがなにか迷惑かけたのかよ~!」

人は図星を指された時ほど腹を立てるというが。
うむ、よくわかった。

恥ずかしさときまりの悪さがピークに達し、ならず者の様な口調になっている私に、

「えっ?3時間もかかったんだ。」

と追い打ちをかける大ちゃん。

…しまった、ドツボ…

引きつる私に、

「でも、さすがに3時間もかけたようには見えな…」

黙れ!!
目で脅す。

そんな私の必殺視線ビームに怯えたのか、
「あ~う~ゴホッゴホッ。」

大ちゃんは変な咳をして誤魔化した後、

「そ、そういや、今日店に変な電話あったみたいでさ。」
と急に話を変えてきた。

「なに誤魔化そうとしてんのよ~」
と、文句を言いかけた私に、

「いや大した話じゃないんだけど、ちょっと気になってたのを思い出したからさ、時間まだ大丈夫そうなら聞いてくれる?」

と、大ちゃんが苦笑いしながら言う。

車はとっくに店の駐車場に着いていた。

あまりそこで長居をするのもためらわれる。

「わかった。マクドナルドに集合しよ。先に行ってて。」

私は自転車に跨りながらそう告げる。


私の言葉に頷いた大ちゃんの車が出ていくのを見送り、私もマクドナルドの方向に自転車を漕ぎ始めた。

No.76 18/06/23 18:16
自由人 

本日2度目のマクドナルドご来店なり。

自転車をとめ、入口側にまわると大ちゃんが既に待っていた。

店内はガラガラに空いている。

飲み物を注文し、カウンターから一番遠くの奥の席へと向かう。

「で、どうしたの?
変な電話って?」

席に座るのもそこそこに切り出した私に、

「うん。朝の事だから俺が出勤する前の話なんだけど…」
と、大ちゃんが話し出した。





朝、開店してから30分ほど経った頃、
1本の電話がかかってきた。

電話をとったのは沖さん。

電話の相手の年齢はわかりにくかったが、30~40代くらいかと思われる女性の声で、

「そちらに森崎有希さんという方はおられますか?」
と尋ねられた。

ユッキーについてくれている常連のお客様かと思い、

「はい。森崎は本日は中番出勤でございますので、まだこちらの方に出勤は致しておりませんが。」

と答える沖さんに、

「そうですか。
森崎さんってどんな方ですか?」
とその女性は探る様に聞いてくる。

え?
なんなの?
クレームか何かかしら。

沖さんは咄嗟にそう思った。

クレームの電話をかけて来られるお客様の中には、

「そちらの従業員の〇〇さんってどんな方ですか?」
から始まり、
電話を受けた従業員が答える間も無く、
「〇〇さんって愛想のない方ですよね!」
とクレーム本題に入られる方もいらっしゃるからだ。

しかしその女性は特にそんな様子もなく淡々と、しかし探る様に、

「森崎さんはどんな感じの方ですか?
△△にお住まいの森崎さんで間違いないですよね?」

と聞いてくる。

これにはさすがの沖さんも気味が悪くなった。

「あのっ、森崎に御用がおありでしたら、もうそろそろ出勤致しますので、改めて森崎にお電話頂くか、よろしければ森崎からお客様にお電話させて頂きますが…」

沖さんの言葉に、

「いえっ、結構です。
森崎さんには先日大変お世話になりましたので、お店にお礼をと思っただけですので。」

と、相手の女性は少し慌てた様に、
「では失礼します。」
と電話を切った。

何だったんだろう。

沖さんはモヤモヤした気味の悪さに、朝番出勤だった店長に電話の内容を報告をしたが、ちょうどその最中に、

「おはようございます。」
と、ユッキーが出勤してきた。

No.77 18/06/23 23:26
自由人 

「.ああ!森崎さんちょうど良かった!
さっき沖さんがお客様からの電話を受けたんだけど。」

店長が沖さんから聞いたばかりの電話の内容をユッキーに伝える。

「森崎さんにお世話になったからとお電話下さったみたいなんだけど心当たりある?」

沖さんの言葉にユッキーは不思議そうに首を傾げた。

「私は最近、納品やバックヤード整理の裏方仕事ばかりで接客はおろかレジにすらほとんど入ってませんでした。
ですからお客様にそこまで感謝して頂く機会は無いはずですが…」

それに…
とユッキーは続けて言った。

「本当に感謝の電話だけなら、何故私が△△に住んでいる事を知っていて、更に確かめる様な事を聞くのでしょう?
最初から、お世話になりましたのでお礼の電話です。
という感じの事を言わず、沖さんに怪しまれたと思ったから、取ってつけた様に言い訳でそんな事を言ったって感じですよね?
私の事を探る様に聞くのもおかしいですよ。」

そんな事はユッキーがわざわざ口に出さなくても店長も沖さんも十分分かっていた。

「まあたまに回りくどい物の言い方をするお客様もいらっしゃるし、それじゃないかな?一応神谷君にも聞いてみるか。」

と、店長が少しでもユッキーの不安を和らげようとかなり無理矢理な結論を出した。




「で、そこに俺が出勤したってわけ。」

大ちゃんは沖さんから事の始終を聞かされたが、

「さあ?店長の言うように単にお礼の電話じゃないんですか?」
としか言えなかったらしい。

「本当にそう思う?」
と聞く私に、

「さあね、ユッキー見合いでもする気なんかな?
で、相手の家が凄い良い家柄で見合い前にユッキーの身辺調査してるとか?」

と、大ちゃんが半分真面目な顔で言う。

何か凄い話になってきた。

「どうなんだろう。
とりあえず私はその場にいなかったし、ユッキーから何か言ってくるまで知らん顔してた方がいいのかな。」

私の言葉に、
「そうだね。
それがいいかも。」

と、大ちゃんが頷く。

店内の時計はもうかなり遅い時間を指していた。

「とりあえずそろそろ帰ろうか。」

と大ちゃんと別れて急いで家に帰る。

部屋に入った私は、家の電話に1件の留守番電話が入っていることに気がついた。

No.78 18/06/24 14:22
自由人 

急いで電話を再生してみる。

「有希です。
帰ってきたらすみませんが電話を下さい。」

ユッキーからだった。

直ぐに折り返し電話をしたい気分ではあったが、何分時間が時間だ。

家族と暮らしているユッキーに電話をかけるのにはあまりにも非常識な時間帯だった。

個人専用電話があればいいのになぁ。
とつくづく思う。

まさかその数年後には、お金持ちや法人しか持てないと思っていた「携帯電話」というものを気軽に持ち、
直接本人に通話出来る様になるなどとは夢にも思っていなかったが…

気になりつつも一晩明かし、翌日出勤前にユッキーの家に電話をかけてみた。

幸いユッキー本人が出てくれ、早番の私の仕事が終わる頃の時間に職場の近くのファミレスで落ち合い話をする事に決まった。

「大ちゃんも今日は早番だったよね?
何なら大ちゃんも誘って来てよ。」

と、ユッキーが言う。

やはり例の電話の事かな?
とチラッと思ったが、一応何も知らない体になっている私は、

「うん、わかった。
誘ってみるよ。」

と、返事をし電話を切って職場に急いだ。

出勤すると幸いまだ大ちゃんしか出勤していなかったので、ユッキーの事を伝え誘うと、

「.わかった。
じゃあ自転車をここに置きっぱなしにも出来ないだろうし、仕事終わってから一旦自転車を置きに帰りなよ。
いつもの所に迎えに行くよ。」
と快諾してくれた。

いつもの所とは私の言葉に最寄り駅近くの駐車スペースである。

その日、大ちゃんとほぼ当時に仕事を上がった私は急いで家に帰り、いつもの所に向かうと既に大ちゃんが待ってくれており、
私達は大ちゃんの車でユッキーの待つファミレスに向かった。

No.79 18/06/24 20:30
自由人 

ファミレスの駐車場に入り車を降りると、同じように停めていた車から降りてきた女性がいた。

「ミューズ!大ちゃん!忙しいのにごめんね。」
ユッキーだ。

「大丈夫だよ~。さっお腹すいたし早く入ろっ。」

わざと明るく返して3人で中に入る。
大して待たされることも無く直ぐに席に案内された私達は、それぞれ料理を注文し一息つくと、

「あのね。」
とユッキーが話し出した。



昨日、中番だったユッキーは仕事が終わってから公休のユータンと食事の約束をしていた。

ユータンは呑気でマイペースだが思いやりが深い性格で穏やかでとても優しい。

周りの雰囲気を悪くしたくない思いで、電話の件はもう何も気にしていない様に振舞っていたユッキーだったが、やはり気味が悪いという不安な気持ちは拭えず、ユータンに電話の件を話してみた。

いつも不安な気持ちを話すと、
ユータンは優しく笑って大したことないよ。大丈夫だよ。
という風に簡単で的確なアドバイスをくれる。

仮にアドバイスがない時でも、ユータンの優しく頷きながら聞いてくれるその姿にだけでも心癒された。

「考えすぎだよ。ユッキーは心配性だな。」
とユータンはきっと笑うよね。

ユータンがそうやって笑ってくれたら私もきっと笑い話にする事ができる。

ユータンに話を聞いてもらえるという安心感で、話しながらユッキーはもう電話の件のことは既にあまり気にならなくなりかけていた。

ところが、話しながらユッキーはある異変に気づいた。
話が進むうちにユータンからいつもの優しい微笑みは消え、表情がだんだん強張り険しくなっていく。

ユッキーの話が終わるか終わらない頃にはユータンは拳をぎゅっと握りしめ体が小刻みに震えだしたかと思うと、
ユータンはキッとユッキーの顔を見据え、

「多分…それは…俺の母親の…仕業だと…思う…」
と切れ切れに言葉を吐いた。


No.80 18/06/25 10:24
自由人 

「えっ?どういうこと?」
言われている意味が直ぐには理解できなかった。

呆気に取られるユッキーに、

「.俺の母親はそういうタイプなんだよ。
あいつは仕事を言い訳に俺を捨てたくせに、俺が社会人になってからは今度は俺を家に戻して縛りつけようとしやがる。」

と、ユータンは吐き捨てるように言った。

「まさか。そんな。
何かのドラマじゃあるまいし 笑」

ユッキーは笑ってやり過ごそうとしたが、

「それがあるんだよ。
あいつは仕事を理由に子供だった俺をばあちゃんに押し付けた。
俺はずっとばあちゃんの家で育ってきたんだ。
でも、ばあちゃんが死んで、父親も病気で死んであいつが1人になった時、一人っ子の俺を家に呼び戻そうとしやがった。
プライドだけはやたら高い家柄と自分の老後の面倒をみさせるためにな。」

ユータンの顔は怒りで蒼白になっていた。

まさか、そんな、出来の悪いドラマじゃあるまいし。
そんな変な話って本当にあるのかな?

ユッキーの疑問がユータンに伝わったらしく、
「だよな。
でも今日ユッキーの事でかかってきた電話はなんでだと思う?
恐らく自分でかけてきたんだろうけど、お粗末な内容だと思わなかった?
そんな変な内容の電話なんて怪しいし、少なくとも社員達には伝わるよね。
俺が電話に出るとまずいから、昨日は休みなのも調べあげて、わざと怪しまれるような電話をかける。

俺に対する嫌がらせだよ。」

ユータンの言葉にユッキーは訳がわからなくなった。

No.81 18/06/25 10:38
自由人 

「ちょっとまって!何でわざわざそんな回りくどいことする必要あるの?
何で私の名前を出して電話してきたの?
第一、本当にお母さんからなのかどうかも証拠がないじゃない?」

ユッキーの言葉にユータンは少し寂しそうに笑うと、

「.それは…俺がユッキーの事を本気で好きで好きでたまらないという事をアイツが知ってしまったからだよ…」

とポツリと呟いた。






「ぶはっ!!」
大ちゃんが飲みかけていた水を吹いた。

「ちょっと!やだもうっ!」

おしぼりで慌てて飛び散った水を拭く。

大ちゃんは自分のおしぼりで口を拭きながら、
「.いや、山田さん何気に告ってますね。」
と半分照れながらニヤニヤする。

「もう!とりあえず気にするのはそこじゃないでしょ!」

と言いながら話が中断してしまったユッキーに続きを話すよう頷いて見せた。

「うん。それで。」
とまたユッキーが話し出す。


「あいつは俺の1番の弱点を知っている。
俺のせいでユッキーに嫌な思いをさせたり、職場に不審な思いをさせる事が俺にとって1番辛い事を知っている。
そうやって俺が関わるものに入り込んできて、俺を大好きな人や大好きな場所から引き離そうとするんだ。」

ユータンは忌々しそうに言うと下を向いた。

No.82 18/06/25 13:00
自由人 

「でもそれっておかしくない?
だってそんなことしたってメリットがない所かデメリットしかないし、現にこうやってバレて?るし。」

ユッキーの言葉にもユータンはもう一切耳を貸そうとはしなかった。

「あいつはね、頭がおかしいんだよ。
常人には理解出来ない。
とにかく二度とこういう事をさせない様にするから。」

ユータンは立ち上がると、
「本当にすみませんでした。」
と深々と頭を下げた。



「で、帰って来ちゃったんだけど…」
ユッキーがため息混じりに言う。

う~ん。
どうなんだろう。

「ユータンのお母さんは事情があって離れて暮らしていたけど、本当はユータンの事が可愛くて仕方なかったとかじゃないのかな?」

私の言葉に大ちゃんとユッキーが
「ん?」
という顔をする。

「え~とね、お父さんが亡くなって1人になって寂しいっていうのはあると思うのね、でユータンと一緒に暮らしたいって思いが強くなって…とか?」

「今さら?」

大ちゃんが少し呆れた様に言う。

「う、うん、まあそうなんだけど、お母さんもがむしゃらに働いていた若いときとはもう違うだろうし…
可愛い一人息子が凄く大好きになった女性の事を知りたくてたまらなくてついあんな電話かけちゃったとか…」

「無理がない?」
と大ちゃんは更に冷めた様に言う。

ま、まあ確かに。

「2人とも今日は本当にごめんね。
普段、見ないユータンの姿を見てちょっとショックだったから話を聞いてもらいたかっただけなの。
おかげでスッキリした。
ありがとうね。」

私達の様子を見て、ユッキーが慌てて取りなすように言った。


ユータンは結局、その後もこの話題には触れなかった。
私達も聞かなかった。
もしかしたらユッキーは何か聞いたのかもしれない。

でも私と大ちゃんはユータンとユッキーの間に踏み込んではいけない物を感じ、この問題は私達2人にとっては永久に謎のままになった。


No.83 18/06/27 20:57
自由人 

梅雨が明けて、本格的に夏がやってきた。

BBQでもやりたいなあと思う。

例によってシフトをチェックすると、私とユッキーが公休で大ちゃんが朝番、ユータンが中番の日が見つかる。

早速3人を誘ってみると3人とも喜んでOKしてくれた。

「さて、材料なんだけど。」
と私が言いかけると、

「ね!ね!当日に用意した方が良いお肉とかは当日お休みの私達で用意するから、ユータンと大ちゃんはオススメのタレとか何かあったら持ってきてくれない?」

と、ユッキーが言い出した。

「う~ん。
あんまりそういうのわからないけど、俺の好きなタレとかでもいいのかな?」
と大ちゃんが首を捻る。

「うんうん。勿論だよ。
普段自分が食べない食材や調味料に出会えるって楽しいし。」

ユッキーが嬉しそうに言う。

そういうのも面白そうだね。

「俺が1番最後の参加になるけど肉残しといてよ。」
ユータンが嬉しそうに言う。

ユータンが嬉しそうにしている顔を見るとこちらも嬉しくなる。

「うん!お肉残しておくからなるべく早く来てね!」
私の言葉にユータンはニッコリした。

「場所は〇〇でいいな。」
と大ちゃんが職場から車で15分程の距離のBBQスポットを提案する。

ここは小規模ながら泊まり客のためにバンガローやコテージがあり、日帰りのBBQ客には有料のBBQスペースも完備されていた。

私達はもちろんそこで大賛成し、とりあえず私がそこの予約などをとる役目を仰せつかり予約の電話を入れた。

No.84 18/06/28 07:33
自由人 

「申し訳ありません。
そのお時間からですと宿泊の予約しか受け付けていないのですが…」

電話の向こうで係の方が申し訳なさそうに言った。

BBQコーナーの利用自体は夜の9時半まで可能なのだが、日帰り利用は夕方の4時までなのだという。

4時に終了して5時までに片付けを終えて日帰り組は撤収。

その後、5時から宿泊組が利用するというシステムらしい。

「あの…宿泊ってバンガローかコテージを借りる事になるんですよね?
朝までチェックアウトも出来ないんでしょうか?」

一応、空きはあるのか、チェックアウトのシステムは?、価格は幾らくらいになるのか聞いておく。

すると、バンガローに空きがあり、事務所には24時間職員が常駐しているためチェックアウトは夜中でもOKだという。
料金はBBQコーナー使用料、炭などの消耗品購入も全部含めて1人頭4000円程の計算になった。

うーん。
これに食材費プラスでしょ?
普通に焼肉食べに行けるよね。

頭を悩ませ、3人に報告すると
「たまにはいいんじゃない?
思い出作れるし!」
と3人とも口を揃えて乗ってきた。

ノリのいい仲間は幹事としては本当に助かる。

「じゃあ、そこに決定ね。
BBQコーナーは屋根があるから雨天決行。
大ちゃんとユータンは各自仕事が終わり次第来て。
ユッキーは当日私と買い物や準備があるから昼過ぎには会いましょ。」

OK?という風に首を傾けてみせると、
「おうっ!」
と3人は嬉しそうに返事をした。


No.85 18/06/28 12:33
自由人 

当日、朝から蒸し暑く空模様はどんよりと今にも降り出しそうな曇り空だった。

テンションはやや下がったもののユッキーとワイワイやりながらの買い物は楽しく、もうその買い物だけで1日の楽しみを満喫した気分だった。

ユッキーが車を出してくれ、大きなクーラーボックスや保冷剤等を持ってきてくれたので買ったお肉等をそこに詰め車に載せる。

楽しい時間の経つのは早いもので、
現地に着いた時には既に5時前だった。

「早くチェックインしに行かなきゃね。」
と車を降りようとした時に、ゴロゴロゴロ!と雷が鳴り響き、事務所で手続きをしている頃には前も見えない程激しい大雨が降ってきた。

「うっわ最低。どうしよう。」

途方に暮れる私達に、

「夕立ですからね、しばらくしたらマシになりますよ。
少しそこで待っていなさい。」

と、係のおじさんがニコニコして事務所前の広いスペースにパイプ椅子を出して下さった。

私達はお礼を言うと、椅子に腰掛けておしゃべりをしながら全面ガラス張りの事務所前のスペースで、ガラスに叩きつけられる雨を見ながら小降りになるを待った。

「美優ちゃん。」
ユッキーが話しかけてくる。

ユッキーは真面目な話をする時は必ずと言っていいほど、私をミューズではなく美優ちゃんと呼んだ。

No.86 18/06/28 12:39
自由人 

「美優ちゃんと大ちゃんってつきあってるの?」

うーん。
どうなんだろう。

直ぐに返事が出来ずに無言の私に、

「大ちゃんね、美優ちゃんの事を本当に大好きだよ。
こんな事を言っては失礼だけど、大ちゃんはお母さんの愛情に飢えてる感じがする。
そんな大ちゃんにとって美優ちゃんは恋人でもあり、お姉さんでもあり、お母さんでもあるんじゃないかなって何となくそう思うんだ。」

ユッキーは外の雨を見ながらポツリポツリ言う。

「お母さんか。
6歳も歳下だしそうなるのかな。」
私が苦笑しながらそう言うと、

「ううん。そういう意味ではないんだけどね。」

ユッキーは相変わらず視線を窓の外に向けたままそう言う。

そういうユッキーの方はどうなの?
ユータンとつきあってるの?
ユータンのこと好きなの?

聞きかけた言葉を何となく飲み込んでしまう。

何故かはわからないが何だか聞いてはいけない気がした。

私は黙ってユッキーと同じ様に外を眺めた。

激しく降っていた雨は少しずつ勢いを弱めていっているようで、いつの間にか激しく荒れていた雨音は優しく静かな雨音へと変わっていった。

No.87 18/06/28 21:47
自由人 

雨音がしなくなり辺りは薄い霧の様な物で包まれた。

「思ったより早く上がって良かったね。」

職員のおじさんがニコニコしながらバンガローの鍵やBBQの用具を揃えて渡してくれた。

「ありがとうございます。」

お礼を言って外に出ると薄い霧の様な物はサーッと晴れていく。

「すごい湿気だね。」

苦笑いする私の腕を、

「ミューズ!見て!見て!」

と少し興奮した様子のユッキーが掴む。

ユッキーが指さす方向を見ると、遠くの山々の合間に上空の雲の切れ目から差した光の帯が何本も見えた。

「綺麗…」

それ以上の言葉は出ない。

あれは確か天使の梯子っていう名前だったっけ?

「幻想的だね…」

ユッキーは私の腕を持ったまま感動した様に呟いた。

「美優ちゃん。私たち4人…これからもずっと仲良しでいられるかな?」

ユッキーが私に少し寄り添う様にしながら言う。

その姿は何故か妙に大ちゃんと被って見えた。

そう言えばユータンが大ちゃんとユッキーは似ていると言ってたな。

遠い空の向こうから青空が広がりだし蝉の鳴き声も辺りに広がりだす。

夏だなあ。

暑いけれど大好きな季節の夏。

大好きな夏をこれからも何度も大好きな人達と迎えたい。

「うん。ずっとずっと仲良しだよ。もしも何かの事情で離れちゃう事があったとしても必ず夏には同窓会やろ?絶対にお互い忘れないでいよう。」

私の言葉にユッキーは嬉しそうに頷くと、
「.うん。おじさんおばさんになっても、おじいさんおばあさんになってもこうやって遊べたらいいね。」

と握手をするかの様に私の手を軽く握った。

No.88 18/06/29 21:43
自由人 

炭火を起こしそろそろいい具合になってきたかと思う頃に、

「.お疲れ様~!」

と大ちゃんがやって来た。

「ちょうどいい時に来たね~
食べよ!」

ユッキーが笑って言う。

「.おうっ!山田さんも少し遅くなるけど、なるべく早く行くようにすると言ってたからゆっくり待ちながら始めてよう。」

大ちゃんがこっそり私に目配せをしながらそう言った。

うん。
了解!

私もこっそり大ちゃんに目で合図をする。

実はこの数日後にユッキーの誕生日があり、例によって皆で集まった時にお祝いしようという計画なのだ。

後から来るユータンがケーキの手配をして持ってきてくれる。

そのケーキが来たら…
大ちゃんに頼んでおいた花火をそれに刺して…

よくオシャレなレストラン等でバースデーケーキを頼んでおくと、パチパチとキレイな光を放つ花火を刺して持ってきてくれるサービスがあった。

そういうのって素敵じゃない?

ユッキーもきっと喜んでくれるよね。

嬉しそうに笑うユッキーの笑顔を想像しただけでワクワクする。

3人でお肉を食べ楽しく雑談をしているうちに、
「お待たせ~!」
とユータンがやって来た。

ケーキはとりあえずユータンの車に隠している手はずだ。

4人でまずBBQを楽しんで、適当な頃合を見てから大ちゃんが上手くユッキーの気をそらす。

その隙に私とユータンがケーキを出して大ちゃんの車に積んである花火を刺して運んで来ると。

うん。
完璧!

BBQは予定通り楽しく進み、そろそろ終了の時間になる。
ワイワイ言いながら片付けを済まし、もう少しここで話そうと理由をつけてそこに居座る。
周りにいた他の宿泊客さん達が片付けを終えて宿泊場に引き上げ、私達だけが残された頃、大ちゃんが合図を出すかの様にそっと自分の車のキーを私に手渡してきた。

No.89 18/06/29 23:21
自由人 

「コーヒー飲みたいな。
近くに販売機ってある?」

大ちゃんがユッキーに聞く。

「え~と、この近くに確かあったよ。
ユータンやミューズもコーヒー飲む?
良かったら私が買って来るよ。」

さすが気配り女王のユッキー。
こちらが労せずとも自分からその場を離れると申し出てくれた。

「4本も持つのは大変だから俺もついてくよ。」
大ちゃんがチラリとこちらを見てユッキーと一緒に暗がりの中に消えていったのを合図に私とユータンは駐車場に走った。

駐車場はポツポツとある外灯以外の明かりがなくかなり暗い。

「.早く!早く!」
と薄暗がりの中でそれぞれ慌ててケーキや花火の袋を車から出す。

箱から出したケーキに花火を刺そうと袋から取り出した花火を見て私は唖然とした。

えっ?
太く…ない?

レストランで出される花火は細い金属の棒の先にうっすらと火薬が付いており見た目にもスマート。

だがしかし。
大ちゃんの買ってきてくれた花火は、赤い木の棒にキンキラキンの飾りが付いた子供の頃によく遊んだあの手持ち花火そのものだった。

…これをケーキに刺さってか?

「ミューズ何やってるの?早く行こうよ!」
ユータンは躊躇している私の手から花火を取り上げると3本程ケーキにぶっ刺しBBQスペースに走って行ってしまった。

「えっ?ちょって!待ってよ!」
慌てて追いかけると、

「あ!やばっ!電気消されてるよ!」
ユータンが叫ぶ。

BBQスペースは終了時刻が過ぎると強制的に消灯になる。

周りのほのかな外灯の光を受けて、暗闇の中に大ちゃんとユッキーらしい2人の影が所在なげにボーッと浮かんで見えた。

「ちょっとどうする?
バンガローに移動しようか?」
と言う私の言葉に、

「.いや、逆に暗闇で都合がいい。
電気を消す手間が省けた。」
ユータンはそう言うと、

「Happy birthdayユッキー!!」
と叫びながらロウソクならぬ花火に火をつけた。

No.90 18/06/30 00:11
自由人 

キンキラ手持ち花火の威力は凄かった。

シューッ!!
バチバチバチ!!!

ユータンが無駄に手際良く火をつけたため、ほぼ同時に3方向からいっせいに火花が吹き出した。

「あつっ!あつっ!」
火花が飛んできて怯む私に、

「我慢しろ。俺はもっと熱い。」
とユータンは意味不明な我慢を強いる。

盛大にバチバチやっている花火を持ちながら自分の方に向かってくる2人を見て、
「なに?なに?なに?」
とユッキーはビビり、大ちゃんはその場に崩れ落ちる様に笑い転げていた。

あんたの花火のせいだっつーの!!

私達が2人の元にたどり着いた頃には花火はその威力を弱めほぼ消えかかっていた。

ハァハァ…
あ~外で良かった…

とりあえず花火の残骸を引き抜き、
「お誕生日おめでとう。」
とユッキーの前に置く。

「えっ?ケーキ?」
ユッキーの嬉しそうな声がする。

「うん。暗いからバンガローに行ってゆっくり見ようか。」
私の言葉に皆でそれぞれ荷物を持ちバンガローに移動した。

バンガローに入り、部屋の真ん中にある小さなテーブルにケーキを置く。

ケーキはユータンが持って走ったため少し崩れかけてはいたが、いかにもバースデーケーキらしい可愛いケーキだった。

ちゃんとチョコレート製のお誕生日プレートも乗っている。

ん?
んんん?

ユータンを除く私達3人は同時にプレートを覗き込んだ。

プレートには
「ゆうとくん、23才のお誕生日おめでとう。」
と書いてあった。

No.91 18/07/01 17:11
自由人 

ゆうと君だわ。
ゆうと君だね。
ゆうと君だよ。

3人が無言で「ゆうと君」プレートを見つめていると、

「えっ?!何でゆうと君??
あああっ!!あれか!!」

と、「ゆうと君」が1人で納得しながら騒ぐ。

聞くと、休憩時間に店舗の敷地内に設置されてある公衆電話からバースデーケーキの予約をし、
「23才になるのでロウソクは大を2本と小を3本…」
までは良かったのだが、

お店の人が
「(プレートに書く)お名前は?」
に対して何を勘違いしたのか、
「あ、山田です。山田勇人です。」
と堂々と答えて電話を切ったという。

「受け取りの時に、こちらでよろしいですか?と確認で見せてくれなかったの?」

と聞く私に、
「.あ~見せてくれてた…でもレジ横にあったこれが気になっててちゃんと確認してなかった…」

と、そう言いながらユータンは自分の仕事カバンから綺麗な模様の紙袋を取り出して中身を出して見せた。

マシュマロマン?!

それは私が16才の頃に映画を観に行った
「ゴーストバスターズ」という映画のキャラのマシュマロマンにどこか似ているマシュマロ製の人形菓子だった。

マシュマロマンだわ。
マシュマロマンだね。
え?これなに?

残念ながら若い大ちゃんはマシュマロマンを知らなかった…

「山田さ~ん!これモコモコしてて何か不気味っすね!あの「抜いたら呪われる草」にしか見えないっつか。」
遠慮のない大ちゃんが大笑いしながら言う。

No.92 18/07/01 17:15
自由人 

確かに言われて見ればその形は引き抜いた時に叫び声をあげると言われる伝説の魔草「マンドラゴラ」に見えなくもない。

「えっ?そうか?可愛くないか?」
と少し怯むユータンに大ちゃんは、

「これってどう見てもマンドリルでしょ!」

おい…それは猿だわ。

それを聞いて大ウケしたユッキーが、
「やだもう大ちゃん!
マンゴラゴラだよっ!」

おい…言えてない、言えてない。

しかし、大ちゃんとユッキーのツッコミにドM体質?のユータンは大喜びし、

「そっか~?マンボラゴラかなぁ?」

チャッチャッ!チャチャチャチャチャ!う~マンボっ!
って…もはや何が言いたいのかわからない。

「で、ユッキーって色が白くてモチモチしてるからマシュマロってユッキーみたいだなぁって思って…」

ユータンは素早く今までの会話を無かった事にしたかの様にそう言うと、

「これあげるね。」
とそのマシュマロをユッキーに渡した。

No.93 18/07/02 19:31
自由人 

残念なイケメンという人種がいる。

あ~、ユータン黙ってればカッコイイのになとつくづく思うが、この天然系の憎めないキャラがユータンの1番の魅力なのかもしれない。

私も大ちゃんもそんなユータンの事が好きだった。

ユータンの恋が叶うといいのにな…

チラリとユッキーを見てそう思う。

「ミューズ、コンビニ行きたい。
荷物持ちとしてついてきてよ。」
大ちゃんが急に言い出した。

「えっ?!荷物持ち?!」

何で女の私が!
と文句を言いかける私の腕を、

「ほら!トロトロしない!」
と大ちゃんが強引に引っ張り、私達はバンガローの外に出た。

「コンビニで何買うの?」
理由がわからず聞く私に、

「.二人きりにさせてあげなきゃ。」
と大ちゃんがニヤリとする。

あ~。

納得する私の頬に大ちゃんがいきなり軽くキスをしてきた。

「俺も…キスしたかったし。」
大ちゃんがヘヘッと笑う。

「あ…」

ちょっと恥ずかしくて俯く私の顔を覗き込むように大ちゃんがキスをしてきた。

「んっ。んんっ…」

大ちゃんのキスは気持ちいい。

全身が痺れた様になり頭がボーッとする。

ユータンとユッキーもキスしたりするのかな?

そんなことを考えていると頭が余計にボーッとして真っ直ぐ立っていられなくなり、大ちゃんに寄りかかる形になった。

「ん?大丈夫?」
大ちゃんの大人びた優しい声を聞くと
ますます立っているのが辛くなり座り込みたくなる。

「腰抜けちゃったの?」
大ちゃんが心配というよりもむしろ満足気に聞いてきた。

「大ちゃんの…せいだよ…」

切れ切れに答える私を大ちゃんは強く抱きしめて、

「可愛い…可愛い…」
と耳元で何度も囁く。

と、急に大ちゃんが私から離れた。

「ダメだ…我慢…出来なくなる。」

大ちゃんはそのまま先に立って歩き出した。

No.94 18/07/02 19:42
自由人 

大ちゃん…

無理にエッチしようとしたら私が離れていくと思っているのかな?

「しよ!」
って言った方がいいのかな?

いや、今の時点ではあんまりしたいと思ってないんだけど…

だってね~なんかね~
知り合って数ヶ月ですぐにするっていうのもね~

「あの、1人でブツブツ言いながら後ろを歩くのやめてくれるかな?
不気味だから。」

急に後ろを振り向いた大ちゃんが半分笑いながら言う。

えっっ?!

声に出てた?!

私の昔からの恥ずかしい癖で、難しい問題を解いていたり、考え込んでいたりすると無意識にブツブツ独り言をつい言ってしまう。

「また1人で喋ってたよ。」

とよく周りにもからかわれたものだ。

カアアアアアア。

うわっ、カッコ悪っ。

「あの…結構…他にも喋ってたりする?」

「あ、うん。」

「うわぁ。あの…どんな時に?」

「え~と。さっきキスしてる時に『気持ちいい』とか。イデーーッ!!」

無意識に大ちゃんの背中を思いっきりバチーンと叩いていた。

もうダメだ。
倒れそう。

「言えって言ったから言ったのに
~。絶対背中に手の形ついたよ。」

大ちゃんがブツブツ言う。

「そ、れ、はっ、言わなくていいんだよっ!!聞こえてても聞こえなかった事にするんだよっ!!」

「そう?でも俺は嬉しかったけど。」

カアアアア。

「ほらっ!早く買物しに行くよっ!!」

大ちゃんの腕をむんずと掴んで引っ張りながら歩き出そうとする私に、

「ちょっと痛いって!暴力女だなぁ。」

と大ちゃんは言葉とは裏腹に、笑いながら私と並んで歩き出した。

No.95 18/07/03 12:44
自由人 

一応コンビニに行くと言って出てきた手前、車で近くのコンビニに行って飲み物等を買う。

さて、問題はいつ頃バンガローに戻ればいいのかだけど…

「もう40分くらいたってるからそろそろいいかな?」

「う~ん。40分だとイチャつくにはちょっと時間足りないんじゃない?」
大ちゃんが下世話な所に気を回す。

「何言ってんのよ!もう!」
と言いながらも、もし戻って2人の邪魔をしたらと思うとそれも気が引ける。

散々悩んだ末に、戻らないのも変だろうと結局戻る事にして、おそるおそるバンガローのドアをノックし少し待ってから開ける。

2人は普通に笑いながら雑談していた。

あ…
何だ普通だ。
でもドアをノックしたから仮に抱き合っててもすぐに離れる事はできるよね。
ダメだ…
大ちゃんの思考がうつった…

2人は私達が色んな妄想を抱きながらバンガローに戻って来たことを知る由もなく、

「遅かったね~」

と呑気に声をかけてきたが、待たされた事を全く苦にもしていない様子から二人きりの時間を楽しく過ごしていたんだなということは容易に見て取れた。

私達が戻り30分程たった頃、

「俺トイレ行ってくるわ。」

ユータンが立ち上がった。

「待って!私も行く!」

私も慌てて立ち上がる。

私達のバンガローはトイレから1番遠い場所にある上にここのトイレは少し不気味で怖かった。

1人で行くのは怖い。

トイレに入る前も、

「待っててよ!絶対待っててよ!」

とユータンに念を押してトイレに入る。

トイレから出ると、ユータンがそこから少し坂道を降りた所にある木のベンチに腰掛けてタバコを吸っているのが見えた。

「お待たせ!」

と声をかけると、

「うん。」

と言いながらもユータンは立ち上がる様子もなく、私は何となくチョコンとユータンの隣に腰掛けた。

No.96 18/07/04 22:50
自由人 

小さなベンチなので私が座りにくそうに端に座ると、ユータンはさり気なく横にズレて私の座るスペースを確保してくれた。

タバコを静かにふかしながら眼下に流れる川を見つめているユータンの横顔をそっと見る。

大人の男性の表情。

いつもの天然系のほわっとしたユータンとは違う顔つきだ。

「.ミューズ。」

川を眺めながらユータンが静かに言う。

「なに?」

「俺たちいつまでこうやって仲良くしていられるんだろう。」

「えっ?ユッキーと同じこと言うんだね。」

思わずユッキーの名前を出してしまう。
あちゃっ、まずかったかな?

しかし私の心配をよそに、

「そっか、ユッキーも同じことを言ってたか。」

とユータンが嬉しそうに笑ったので私は内心ホッとした。

「あのさ、もし何かあって離れる事になっても夏には同窓会するよ。私が幹事やる。
だからずっとお互いに忘れないでいよう?
そしたらずっとずっと仲良しって事じゃない?」

「そかそか。」

ユータンは笑いながら私の言葉にウンウンと頷くと、

「俺の事は忘れてもいいけど、大ちゃんの事だけはずっと大事にしてあげて。」

と私の頭を優しくポンポンとした。

「大ちゃん?」

「うん。
ミューズ、大ちゃんが前に店の親睦会で悪酔いしたこと覚えてる?」

「うん。帰りは私が送って行ったやつだよね。」

「そう。あの時何であんなに荒れてたか聞いた?」

「ううん。」,

「そか。ならいいよ。」

えーっ!
なにそれ!
1番嫌がられるパターンだぞっ!

あ、でも確か後、私が
「お母さんが心配するよ。」
って言ったら急に機嫌悪くなったっけ…

「家の人と何かあったのかな?…」

私の問いに、

「あいつは外見も言うことも妙に大人びてるとこあるけど中身はまだ高校生いや、小さな子供のままなんだ。
更にあいつは人一倍愛情深いから愛情にも飢えやすい。
ミューズ。
あいつの事を本当に頼むね。」

ユータンは答えになるともならないともわからない返事の仕方をした。

No.97 18/07/04 22:54
自由人 

「大ちゃんにとってミューズは女の子でありお母さんであり色々な要素が詰まってると思うんだ。」

ユータンは更に続けて言う。

「あ、またユッキーと同じ様なこと言う。」

「そか?また同じ?」

ユータンは面白そうに笑った。

ユータンもユッキーも大ちゃんの事をいつも心配してるのかな。
2人にとって大ちゃんは可愛い弟みたいで色々と気になるんだろうな。

で、肝心のお2人さんの進展具合の方はどうなんだろう。
私はそっちの方が気になるんだけど…

「ユータン。」

「なに?」

「あの…ユータンとユッキーって…」

何となくモゴモゴしてしまう。

ユータンはふっと優しく笑うと、小さな子供にする様に私の頭をクシャクシャっとした。

「俺はあいつの事を愛してるよ。
いずれは結婚したいとも思ってる。」

うわあっ。

人の事なのに物凄くドキドキした。

「あ、あの、あの、もうキ、キスとかしたりして?」
何を聞いてるんだ私は。

「ん?ミューズはどうなの?教えてくれたら教えてあげるよ。」

「え、え、え、そ、そんなのしてないよ…」
嘘をついてしまった。

「そう?じゃあ俺たちもしてないよ。」

ユータンがイタズラっぽくはぐらかす。

確実にしてるなこれは…

「あ~!こんなとこにいた~!
遅いよ~!」

突然後ろの方から響き渡ったユッキーの声にビックリして飛び上がった。

ユッキーと大ちゃんが2人でトイレの前に立っている。

「さて、戻ろうか。今の話は内緒ね。」

ユータンはそっとそう言うと2人の元へ駆け上がって行った。

No.98 18/07/05 18:29
自由人 

「あ~私、あと1時間くらいで帰るね。明日は早番だし帰ってシャワー浴びたいし。」

ユッキーが時計を見ながら残念そうに言う。

私も早番だ~。

「ごめん、私も帰る。
ユッキー悪いけど車に乗せてってもらってもいい?」

私の言葉に、
「ミューズも早番だもんね。いいよ~。大ちゃんとユータンはどうする?」

「俺は泊まるよ。今から帰るのもキツイし。」


4人の中では1人だけ圧倒的に家が遠いユータンが言う。

「じゃあ僕は帰ります。」

気を使って残ると言うのかと思いきやアッサリ冷たい大ちゃんの一言で帰宅組と居残り組が決定した。

さて、あと1時間何をして過ごすかな。

「定番だけど肝試しでもする?」

私の何気ない一言に、

「おっ!やろやろー!」

と意外に皆が食いついてきた。

「じゃあ1人は怖いから2人組で~」

と発案者の特権で、これだけは譲れない決まりを予め提示しておく。

「カップルで?い~よ~。」

と男性2人がニヤニヤしたが、見ないふりをした私が、

「皆でジャンケンで決めようか。」

と言うと、

「え?じゃあもし俺と山田さんがペアになったらどうすんの?」

と失礼にも大ちゃんがあからさまに不満そうに言い出した。

「え?いいじゃん。私はユッキーとなら嬉しいし。」

と私が言うとユッキーが、
「私もミューズと行きた~い!」

「だよね~。」

「あっ俺は~大ちゃんとで~全然構わないぞ~」
ユータンが何故か妙に嬉しそうだ。

「じゃあこれで決定…」

言いかけた私の腕をガシッと掴み、

「嫌だ、山田さんと2人で肝試しなんて気持ち悪すぎる。」

大ちゃんはとても失礼な不満を本人の前で堂々と必死の形相で訴えた。

No.99 18/07/05 22:30
自由人 

大ちゃんの必死の強い要望により、男同志、女同士でジャンケンをし、勝ち組負け組で組むことにした。

ジャーンケーン!

勝ち組、大ちゃん&ユッキーペア。

負け組、ユータン&私ペア。

うん…
何かこうなる予感はしてたよ。

「うぇ~い!」

勝ち組の2人がハイタッチをしている。

「ミューズ、やっぱり俺たちは負け組だな。フフッ」

負け組の相棒が上目遣いに私を見て笑う。

ちょっ、やめて。
やっぱりとか言うのやめて。

でも何かキャラ的に勝ち組ペア負け組ペアそれぞれ似た者同士くっついた感が抜けないのはどういう事なのだろう。

とにもかくにも時間がないのでサクサクッと肝試しをスタートする事にした。

ルートはここの敷地をぐるりと取り囲む遊歩道。

結構な距離がある上に、昼間は、

「緑に囲まれて自然を感じられて素敵よねっ」

な格好の散策スポットが、夜は、

「鬱蒼とした木々に囲まれて不気味で怖いぜ」

に変貌を遂げ、格好の肝試しスポットに化すという
1粒で2度美味しい昔懐かしアーモンドグリコのキャッチフレーズを思い出させるなかなかに優秀な道であった。

「私達が先に行くから15分くらいしたら後で来てね!」

ユッキーはテンション高くそう言うと大ちゃんと嬉しそうに遊歩道の先へと走っていった。

…絶対脅かす気だな。

あの2人を組ませるんじゃなかったと後悔したが仕方がない。

きっちり15分たった後、

「そろそろ行こうか?」

と私は相棒に声をかけた。

No.100 18/07/06 12:50
自由人 

ほのかな月明かりのみが照らす遊歩道はそこを歩くのを躊躇わすのに十分な程暗かった。

静まり返った空間の中で、近くを流れる川の音や遠くの道路から聞こえてくる車やバイクの音が妙に恐怖心を掻き立てる。

いつ、あの2人に脅かされるかもしれないというドキドキ感が更に恐怖心を煽る。

脅かされるのも怖いのだが、こんなに真っ暗で不気味な場所で、ただ人を脅かしたいがためにワクワクしながらずっと待っているであろうあの2人の神経が1番怖い。まったくもう。


それにしても暗闇から何か出てきそうな雰囲気が半端ないなココは…

やばい。
本当に怖い。

肝試ししよ!なんて言わなきゃ良かった…

怖いよ~…

私はいつの間にかユータンの腕をしっかり掴んでしがみつくようにユータンに密着していた。

「ミューズ。」

そんな私にユータンが優しく声をかけてきた。

「ミューズ知ってる?何年か前にこうやって肝試しをしていた人が歩いているうちにふと何か柔らかい物を踏んだんだって。
何だろう?と思ってよくよく見たら…それは人の手だったんだって…」

ギャアアアア!!

思わずユータンを突き飛ばして走って逃げようとした私に、

「あはは!ごめんごめんウソ。
ミューズがあんまり怖がってるから。」

ユータンは可笑しそうに笑う。

「ちょっと!ひどいじゃない!泣きそうになったんだよ!」

怒る私にユータンはごめんごめんと楽しそうに笑うと私達は再び歩き出した。

少し歩くとユータンがいきなり立ち止まって低い声で

「ミューズ…」

と声をかけてきた。

「え?なに?」

身構える私に、

「俺…何か…踏んだ…」

「何かって…何を?」

平静さを装おうとしながらも、
自分の声が震えているのを私はハッキリと感じ取っていた。

No.108 18/07/12 21:20
自由人 

8月も終盤に差し掛かり、ユータンの誕生日が近づいてきた。

なるべくユータンの誕生日近くの日のシフトで皆が揃いそうな日を探す。

さてと、どこに行くかな。


「カラオケでいいんじゃないの?」

大ちゃんがアッサリ言うのに対し、

「そうだね~それでいいんじゃない?」

ユッキーも賛成する。

君ら決断早すぎるわ。

「.カラオケもいいけどそれだけじゃちょっと物足りないかなぁ?」

と言う私に、

「じゃあ焼肉は?
ちょっと高めだけど美味しい焼肉屋さん知ってるのよ!」

とユッキーが言い出した。

「おー!たまには贅沢って事でいいんじゃないの?」

大ちゃんが即座に食いつく。

「ね~?たまには贅沢しないとね~」

「だなぁ。俺カルビ好き!食べたい。」

「私も1番好きだよ!美味しいよね。」

この2人本当に気が合うなぁ。

ちなみに私はタン塩やハラミ派。

脂っこいカルビはあまり沢山食べられない…

とりあえずカルビの2人がノリノリでユータンを誘いに行く。

「おー!行くよ!そういうのいいな!」

ユータンが喜んで返事をした。

この2人の誘いなら例えそこらの公園でおにぎり食べるだけでも喜んで行くでしょ。

ユータンはこの2人の事が本当に好きだからね~。

「山田さん!カルビめいっぱい食べましょ。高い店らしいから絶対美味いっすよ。」

俗物的な事を嬉しそうに言う大ちゃんに、

「あ~俺、カルビは脂っこいから苦手。
どちらかと言えばタン塩やハラミが。」

また被ってるよ。

何故、好みや気の合う同士でくっつかないんだろうね私達は。

「じゃあその焼肉屋に決定ね!予約よろしく~!」

「お願いしてもいいの?
ごめんね~」

大ちゃんとユッキーが無邪気な笑顔で私に向かって言う。

はいはい。
私はお母さんだな。

「楽しみだな。」

私の横でユータンおじいちゃんが満面の笑顔でそう言った。

No.109 18/07/13 22:47
自由人 

焼肉当日。

その日休みだった私と大ちゃんは約束の時間までデートを兼ねてユータンのプレゼントを買いに行く事にした。

「あった!これこれ♪」

ユータンへのプレゼントは某有名ブランドのサンダル。
ユータンはきっと喜んでくれるだろう。
まぁ、ユッキーや大ちゃんからのプレゼントならトイレスリッパでも大喜びしそうだけど…

「さてと、プレゼントも買ったし後はどこに行きますか?」
大ちゃんがお兄ちゃんの様な口ぶりで聞いてくる。

大ちゃんは皆の前では私にわざと意地悪を言ったり大して良い扱いをしてくれないのに、2人きりになると何故か優しくてマメに尽くしてくれる。

何でそんなにギャップがあるんだろう。

みんなの前でも2人きりでも全く態度も考えも変わらない私には彼のそういう所が本当にわからなかった。

「大ちゃんの行きたい所でいいよ?」
と言っても、

「ミューズの行きたいとこでいい。」

と返事が返ってくるのはわかりきっている。

自他共に認めるマイペース人間の私にはとっては実はこういう相手の方がありがたい。

そう考えると逆のタイプ同士っていうのも悪くはないのかも。

時間はまだかなりあった。

「ん~。水族館は?」

「わかった!」

大ちゃんはすぐに車を高速乗り口に向かって走らせた。

高速に乗ってしばらく走ると高速から見下ろす景色に海が広がってきた。

「海だ!泳ぎたいな!」

「え?!海で泳ぎに変更?!」

大ちゃんがビビる。

いや、そこまで気まぐれじゃありませんよ…

高速を降りるとスグに水族館に着いた。

「あっ!ミューズ!ミューズがいる!」

「ちょっと!それフグじゃない!」

馬鹿な事を言い合いながら魚を見てまわる。

こういうやり取りって楽しい。

ささやかな幸せを噛み締める私の腰を大ちゃんがそっと抱き寄せてきた。

げっ。

さりげなく離れる。

大ちゃん寄ってくる。

離れる。

「なに逃げてんの。」

「やだよ。バカップルみたいで恥ずかしい。」

「カップルなんだからバカップルでいいじゃない。」

「バが付くのとつかないのでは恥ずかしさが100万倍ちがうんだよ!」

「ふ~ん。」

大ちゃんはつまらなそうに言うとやっと私から離れた。

No.110 18/07/14 10:41
自由人 

水族館を出てもまだ少し時間があった。

せっかくだから海を見て帰ろうということになり、海を見渡せる展望台に上がる事にする。

階段数が結構あるその階段を大ちゃんは軽々とヒョイヒョイと上がっていく。

さすが若いな。

ついていけずノタクタと後を追う私を見下ろして、

「遅いっ!」

と大ちゃんが笑った。

「ちょっと待って。
はあ、ついていけない。」

「やっぱり歳だからじゃない?
オバサンなんだから無理しないでいいよ。」

くっそ!図星つきおって。

負けてなるものかと必死で階段を上がる私の元に大ちゃんが駆け下りてきた。

「なに?オバサンの手を引きに来てくれたの?」

「オバサン?誰のこと?」

「なによ~自分で言ったんじゃない!」

顔を上げて文句を言った私を大ちゃんが突然抱きしめてきた。

?!

「本当にオバサンだって思ってたらこんな風に言わないよ。」

えっ?

聞き返そうとした私の耳元で、

「ね…キス…しよ…」

言うが早いか大ちゃんがそっと私の唇に自分の唇を重ねてきた。

?!

えっえっえっ。

思わず周りを見回す。

下の方にいた1組のカップルの男性と目が合う。
もしかして見られてた?!

カアアアアアアア。

下を向き、階段を高速で駆け上がる私を追いかけながら、

「へへっ!バカップルだね~!」

と大ちゃんが嬉しそうに叫んだ。

No.111 18/07/14 10:57
自由人 

「痛~!絶対肩に手の形ついたよ。」

展望台で大ちゃんがブツブツ言う。

「叩かれる様なことするからでしょ!」

「え~!いいじゃない!したかったんだもん。」

ったくこの男は…

私が今まで付き合ってきた歳上の男性達はこんなことしたことなかった。

いつも大人の余裕見せてて、人前では絶対こんなイチャイチャした様な事をしてなかったのに、気がつけば深い仲になってて…

ああ、私が深い関係になるのを躊躇しても、
「大丈夫だよ。」
とリードして、そういう事に奥手な私の拒否はいつの間にか上手くはぐらかされてたな。
そして、結局…

嫌な事を思い出した。

「どうしたの?怒ってる?」

大ちゃんが聞いてきた。

「ううん。
あの…私…まだその気になれないとか…ワガママでごめん…」

自分でも何を言いたいのかよくわからなかったがすぐにそれを察した大ちゃんが、

「ん?俺も男だから好きな人とそういう関係になりたくて仕方ないけど、ミューズが嫌がる事をしてミューズに離れていかれる方がもっと嫌だからいいよ。」

と笑った。

こんな事を言われたのは初めてだった。

嬉しさと悲しさが綯交ぜになった何とも言えない感情に襲われて俯いてしまう。

「えっ?!なに?!」

驚く大ちゃんに、

「なんか私、いい歳してこんなんでごめんね。」

と頭を下げた。

「なに言ってんの!そんなミューズだから好きなんだって!」

大ちゃんがわざと元気そうな声を出して言う。

まだ10代なのに無理して我慢してるんだな。
本当にごめんなさい。

「ミューズ!ほら!すごい!」

大ちゃんがそんな私の肩を叩きながら急に興奮した様に海の向こうを指さす。

海の向こうの空には綺麗な虹がかかっていた。

私はこの子が好きだ。

自分からこんなに相手の事を好きだと思った事は1度もなかった。

大好きだよ。
大ちゃん。

私は大ちゃんと一緒に虹を眺めながら、いつまでもこんな時間が続くことをそっと願った。

No.112 18/07/15 20:25
自由人 

「予約していた田村です。」

「お待ちしておりました。」

時間ピッタリに焼肉店に着いた私達はにこやかな愛想の良い女性に案内されて個室に通された。

少し狭めだがなかなか良い雰囲気の部屋だ。

「ご注文はどうなさいますか?」

ユッキー達はまだ来ていないが先に始めていればそのうち来るだろう。

「えっと、タン塩とカルビとハラミと…」

とりあえず少し注文しボチボチ食べながら待つことにする。

焼肉ってそれぞれの個性出るな~と思う。

皆の分も甲斐甲斐しく焼く人、自分の分だけをじっくりと好みの焼き具合に焼く人、鳥のヒナの様にボケーッと焼いてくれた肉をただ待って食べるだけの人。

私は勿論鳥のヒナだ。

いや一応言い訳すると、気を利かせて焼こうと最初は頑張るのだが、気がつくといつの間にか焼いてもらっているという….

この日もやっぱり大ちゃんが1人で焼いてくれた。

「ほら、食べごろだよ。」

とお皿にまで入れてくれる。

せっせと焼いて、自分が食べるよりも私のお皿に入れてくれる。

服にタレが飛んだと言えば、おしぼりで叩いて汚れを取ってくれる。

タン塩は焼けるとお皿に取りレモンまで絞ってくれる。

いいお嫁さんになりそうなタイプだな…

何もしないグウタラ亭主の様な私はそんな彼を見ながらつくづく感心した。

……

……


いやっ!
ダメでしょ!
感心している場合じゃない!

私も女らしいとこを見せなくては。

焦った私は大ちゃんの目の前のお肉をひっくり返して上げようと手を伸ばした途端、近くのタレの容器をひっくり返してしまった。

「ああっ!!」

「なにやってんの!大丈夫?」

大ちゃんが慌ててテーブルを拭いてくれる。

…ううっ
肉をひっくり返さずにタレをひっくり返してしまった…

ガッカリしながらテーブルを拭き終えたところに、

「お疲れ様~!
お待たせっ!」

とユッキーとユータンがやってきた。

No.113 18/07/15 22:55
自由人 

「どうしたの?」

ユータンがテーブルに置かれたタレ色に染まったおしぼりを見て言う。

「ミューズが鈍臭いことしてタレをひっくり返した。」

大ちゃんが笑いながら言う。

えっ。
さっきまでは私の失敗も優しくフォローしてくれてたのに。

「大丈夫?服とかにかからなかった?」
ユッキーが優しく心配してくれる。

「大丈夫だよ。元々服がタレ色だし。」

大ちゃんが代わって答える。

おい。
「タレ色」ってなんなんだよ。
ブラウンにそんなカラーの種類があるって今初めて聞いたよ。
それとも今期登場の新作か?

大体さっきまでは、

「大丈夫?こうやると汚れ取れるよ。」

とか言っちゃって私の服を優しくおしぼりでパンパンしてくれてたのはどこの誰だよ。

「まっとにかく何か頼もうか。
お腹すいたし。」

心の中で突っ込むのに必死で黙りこくっている私を優しく促す様にユータンがそう言った。

色々頼み、新ためて乾杯する。

焼肉は本当にそれぞれの個性が出る。

じっくりと自分の肉を育てるユータン。

「ちまちま焼いてちまちま食べても美味しくないよ!
ガッツリ食べなきゃ!」

と「男らしく」肉をドバーッと焼き網に乗せるユッキー。

「ほら!ミューズ!肉が焦げる!ちゃんとしっかりひっくり返さなきゃ!」

といちいち指図してくる大ちゃん。

あれ?
さっきは黙ってても1人でやってくれてたじゃん…

「大ちゃんの方がお兄ちゃんみたいだね。」

と笑うユッキーに、

「そ~か~?
俺、こういうの面倒くさいし、やってもらわないと~。
ほら!ミューズ!しっかりどんどん焼いて!」

へ?へ?へ?

おい大輔!
その多重人格か?と思わせる程の豹変っぷりはなんなんだ??

呆気に取られる私をよそに、

「大ちゃんはクールなタイプだし、亭主関白っぽいよなぁ。」

とユータンがうっとりした様に言う。

クール?!
数時間前には、

「バカップルだね~!」

とヘラヘラ笑ってたこのお方がクール?!

頭の中が?でいっぱいになったが、

「あ~!はいはい!いっぱい焼くからね~!」

と、とりあえず話を合わせる。

こうして?だらけの焼肉ナイトはそれでもそれなりに結構楽しく過ぎていった。

No.114 18/07/17 22:16
自由人 

焼肉をたっぷり堪能して大満足した私達は店を出た。

「じゃ、カラオケでも行きますか。」

大ちゃんの一声に皆が賛成する。

「カラオケ久しぶりだな。」

と笑うユータンの足元には私達がプレゼントした真新しいサンダル。

案の定、ユータンは大喜びして私達に何度も何度もお礼を言ってくれた。

ここまで喜んでくれるとプレゼントした甲斐が有ると言うよりも少し気恥しいがやはりとても嬉しいものだ。

カラオケでまずは主役のユータンに歌ってもらおうということになった。

「じゃあ、ちょっと古いけど…」

とユータンが恥ずかしそうに歌った曲はマッチこと近藤真彦。

うわあ懐かしい!
というかユータンの声がマッチにそっくりで驚愕する。

普段の声は似てないのに、歌うと本人かと思うレベルで、モノマネ大会があったら絶対優勝間違いないといった高クオリティだった。

「すごいね~!上手いね~!」

ひとしきり感心する私に、

「マッチファンだったの?」

と、ユータンが笑う。

「ううん。好きだったのは吉川晃司だったなぁ。」

「ああ、人気あったね~。」

「でしょ?本人も良いけど特に曲が好きだったんだよね~」

とユータンと2人で話している横で大ちゃんが入れた曲が始まった。

あれ?
この曲は。

吉川晃司と布袋寅泰がユニットを組んでいたCOMPLEXの曲の
「恋をとめないで」

大ちゃんが歌い出す。

うわっ、めちゃくちゃかっこいい。

曲と大ちゃんの声がマッチしててすごくかっこいい。

「すご~い!大ちゃんってやっぱりかっこいいね!」

私の気持ちをユッキーが先に言った。

「確かに。
俺…惚れそうになってる。」

ユータンが本気っぽくて何だか怖い。

「大ちゃんって吉川晃司とか歌うんだね。初めて聞いたよ。」

ユッキーの言葉に、

「吉川晃司の曲は特に好きじゃないから歌わない。
今、初めて歌った。」

と大ちゃんが笑って答える。

「あ…もしかして…私が吉川晃司の曲が好きだと言ったから歌ってくれた?」

少し嬉しくてドキドキしながら言う私に、

「え?別に。
何となく目についたから入れただけ。」

大ちゃんが何故か目を逸らしながら言う。

なんだ…

私の勘違いか。

内心かなりガッカリしていると、ふとユータンと目が合った。

No.115 18/07/23 19:07
自由人 

ニッタァ~!

え?
なに?
その笑顔怖いんですけど。

ユータンは少し意味ありげにチラッと大ちゃんを見て、またすぐに私に視線を戻してまた二ターッと笑ったかと思うと、

「.ユッキー!デュエットしようか?」

と大ちゃんの隣で話していたユッキーを手招きして呼んだ。

「うん?何歌おうか~?」

ユッキーがユータンの横に座り2人で仲良くカラオケの本を覗き込む。

今の時代はリモコン1つで選曲や注文もできるが、当時は分厚い曲本を見てそこのコードを入力する。

1冊の本を2人で仲良く覗き込むカップルの姿は実に微笑ましく私の好きなシチュエーションの1つでもあった。

ユータンの横でニヤニヤしながら2人の様子を見ていた私に、

「ちょっとミューズ、ここに3人も座ってないで大ちゃんの隣に行って2人も何か曲を決めてきなよ。」

とユータンがまたニヤッと笑って言う。

「.あっ!そだね。」

慌てて大ちゃんの横に座り、

「ね、何かデュエットしよ?」

と大ちゃんに話しかける私に、

「え?俺デュエット曲とかあんまり知らないし。」

「あ、そうなんだ…」

「ちょっと貸して。」

ガッカリする私の手から本を奪い取った大ちゃんが何やら曲を入れた。

え?と思う暇もなくその曲が始まる。

中山美穂&WANDSの
「世界中の誰よりきっと」

「これ歌える?」

と大ちゃんが私にマイクを渡しながら言った。

「あ、うん。」

私が歌い出してすぐにWANDSがハモリを入れてくるパートになり、
WANDSならぬ大ちゃんが歌に入ってきた。

「うわあ!上手~い!」

ユッキーが拍手をしてくれる。

「なかなかいいね~」

ユータンがニヤニヤする。

ハモりが上手な人と歌うと自分の歌が格段に上手くなった様な気がしてとても気分が良い。

歌い終わり大ちゃんに、

「ありがとう。」

とお礼を言うと、

「.いや、俺が歌いたかっただけだし。」

と大ちゃんが少し素っ気なく言う。

ふと視線を感じて前を見ると、ユータンがまたニッタァ~と笑ってこちらを見ていた。

No.116 18/07/26 23:30
自由人 

カラオケはとても楽しかったが、その日はかなり混んでいるという事で2時間しか時間を取れなかった。

楽しい2時間はあっという間に過ぎる。

「これからどうしようか。」

と思案する私達に、

「花火があるから河川敷に行ってやらない?」

と大ちゃんが言い出した。

BBQの時に例のケーキに刺す用を含めて他にも色々買っていたらしいが、結局花火をすることが無かったため車にずっと積んでいたらしい。

「そんなに沢山はないけどこのままずっと持ってても仕方ないし。」

大ちゃんの言葉に車で少し走った先にある河川敷に向かった。

4人で子供の様にはしゃぎながらそれぞれ花火を手に持つ。

花火をケーキに刺した時にはひどい目にあったなぁ。

でも楽しかったな。

私は花火を眺めながらその時の事を思い出してひそかに笑った。

と、

バチッ!!

と突然火の粉が爆ぜる音がして、

「あっつ!」

とユッキーが花火を落とした。

「どうした?」

ユータンが即座に駆け寄る。

「あ、うん。
大きな火花が腕に飛んできて…
熱かったぁ。」

ユッキーが苦笑いをしながら腕をフーフーしていると、

「見せてみろ!」

と、いつになく厳しい声のユータンがユッキーの腕を取った。

「大丈夫だよ。」

照れ笑いをしながら腕を引っ込め様とするユッキーに、

「来い!冷やさなきゃ!」

と、ユータンはユッキーの反対側の手を掴んで引っ張った。

「あの橋の下を超えた辺りに簡易トイレありま~す!
その横に水道あったはずっすよ~」

大ちゃんがのんびりと教える。

「うん!」

ユータンは短く答えるとユッキーの手を握ったままユッキーを引っ張る様にして走って行ってしまった。

No.117 18/07/27 15:56
自由人 

うっわ~

ユータンってば。

いつもと違うユータンの姿にこちらがポーっとして恥ずかしくなってしまった。

「何か…ユータン男らしかったね?」

「好きな人が怪我や火傷したら誰でもそうなるでしょ。」

大ちゃんが当たり前の様に言う。

私がケーキの花火の火の粉で大騒ぎしてた時に地べたに転がる勢いで笑ってたのはどなた様でしたっけ?

どの口が言うかね?
全く…

心の中でツッコミながらユータンやユッキーが向かった方向を見る。

直線距離だがなかなか遠そうだ。

戻って来るのもしばらく時間がかかるだろう。

「山田さん達が戻って来たらそろそろ帰るだろうし残りの花火やっちゃおうか?」

大ちゃんが残りの花火が入った袋を持ち上げて見せる。

「うん。そうだね。」

私達は並んで花火に火を点けた。

シューッ!パチパチパチ
音と煙を伴いながら花火が様々な綺麗な光を放つ。

「カラオケもうちょっとやりたかったね。」

花火を見ながらそう言う私に、

「何かもっと歌いたい曲あった?」

と、大ちゃん。

「ううん。
歌いたいっていうより歌って欲しい曲はあったよ。」

「なに?」

「ミスチルの抱きしめたい。」

「そっか。」

大ちゃんは燃え終わった花火を火消し用の空き缶に突っ込むと低く静かな声で
「抱きしめたい」を歌い出した。

川からの風は涼しく、対岸の遠くの方に街の明かりが煌めいて見える。

ロマンチックで気持ち良い空間の中に大ちゃんの静かな歌声が心地よく響いた。

No.118 18/07/29 14:30
自由人 

夏が終わり、秋が過ぎ、何となく人恋しくなる冬が来た。

「おはようございます。」

その日、遅番だった私が出勤するといつも元気に挨拶を返してくれるバイトさん達の元気がどことなく無い。

バックヤードに入ると店長とユッキーが真剣な顔をして話し込んでいた。

「おはようございます…」

おそるおそる声をかけると、

「ああ、田村さん。
山田さんね辞めるんだって。」

ユッキーが寂しそうにポツリとそう言った。

えっ?

「あの…すみません。
どういう事ですか?」

私は店長の方に向かって聞いた。

「うん。実はね、うちの会社が今どんどん他県に出店しているのはみんな知っての通りだけど、〇〇県に行ってもらう優秀なスタッフの数が足りないんだ。
で、山田君に店長として行ってもらうという話が前々から出てたんだけど、彼がそれを頑なに拒んでね…」

店長が淡々と答える。

「はい…」

「確かに〇〇県に勤務するには遠すぎるから向こうに住んでもらう事になるし何かと負担もかかる。
だから1度目は他の店舗から何とか別の社員に行ってもらう算段がついたが、また2度目の話がきた。」

店長はここで言葉を切った。

「で、また断ったんですね。」

私が代わりに答える。

「ああ。
それでもうこれ以上自分のワガママで他に迷惑もかけられないから辞めると言ってきた。」

「そうですか…」

「引き留めたんだけど、他にやりたい仕事もあるからと、どうやら辞める気持ちは前々からあったみたいだね。」

「そうなんですか…」

店長が店内に行った後に、

「知ってた?」

とユッキーに聞いてみた。

「他にもやりたい仕事が出来たとは聞いてたよ。
でもこんなに急に辞めるとかは聞いてなかった。」

ユッキーが戸惑った様に言う。

「そか。
1番ビックリしたのはユッキーだったね。ごめんね。」

私はユッキーの肩を軽く叩くと店内に入った。

No.119 18/07/29 14:37
自由人 

その日はあまり仕事に身が入らず、私はボーッとユータンの事ばかりを考えていた。

うちの会社にいる限りは転勤は避けられないんだよね…

特に特別な事情もない独身者なら余計にね…

わかっていた。

わかってはいたけれどモヤモヤは拭えなかった。

ユータン。

転勤の話に応じてたら間違いなくトントンと出世コースだったよ?

転勤がそんなに嫌だった?




「転勤が嫌と言うより辞める気持ちの丁度いい後押しになったという方が正解かな。」

翌日、同じ早番出勤だったユータンが私の問いにそう答えた。

「辞める気持ちの後押し?」

「そう。1度目の時はいつ辞めるかもしれない俺が会社の大事な企画に中途半端に参加出来ないと思い断った。
でも2回目ともなるとね、もう断り切れないし、ゴリ押ししても他の店舗にも迷惑かけるしね。
そろそろ潮時かなって。」

「もともと辞めようって思ってたんだ…」

「うん。
もっとちゃんと気持ちが固まってからみんなに伝えようと思ってたんだけど…
何か急でごめん。」

ユータンは申し訳なさそうに言うと頭を下げた。

寂しさがこみ上げてくる。

涙が溢れてきた。

そこに、

「おはようございます。」

と遅番の大ちゃんが入ってきた。

大ちゃんは気まずそうにしているユータンと半泣き顔の私を瞬時に見て、
無言で私の腕を引っ張り店舗の裏口から外へと連れ出した。

店舗の裏側は広い畑が広がっており、そこで作業をする人以外は普段は全く人気のない場所だった。

「ここで頭を冷やしてから戻っておいで。」

大ちゃんは先生の様な口調で事務的にそう言うとサッサと中に入ってしまった。

何か冷たい…

ひどいよ…


あの頃の私はあまりにも幼稚で人の気持ちや立場が何も分からないお子様だった。

私は寂しさと悲しさで少しの間こっそりそこで泣いた。

No.120 18/07/29 19:45
自由人 

「〇月✕日 神谷大輔を副店長代理とする。
その後、副店長研修等を経た後、副店長に任命する。」

ユータンが正式に退職願いを出すことになり、ユータンの後任として大ちゃんが抜擢された。

人手不足とはいえ、入社して一年未満の10代の子が副店長に抜擢されるのは他の店舗にもまだ例は無く珍しい事だった。
それだけ期待もされていたのだろう。

大ちゃんと同期でしかも歳上の私やユッキーは大ちゃんが「上司」になることについて勿論何の異論も無かったが、「副店長の山田さん」が居なくなる事に寂しさと不安というマイナス感情がどうしても拭えなかった。

大ちゃんはユータンが退職するまでの1ヶ月半、副店長研修を受けながらユータンから引き継ぎをする事になる。

「急な事で悪いな。
でも後任が神谷君で良かった。
よろしくお願いします。」

微笑みながらそう言うユータンに大ちゃんは黙って頷いた。

No.121 18/07/30 12:30
自由人 

「これから1ヶ月の間は神谷君が本社研修等で居ない日が多くなります。
今までよりシフト的に厳しくはなりますが、山田君が抜けても人員の補充が無いのでこれからはずっと社員4人体制でやっていくことになりますし、この期間は言わばそれの慣らし期間だと思って下さい。」

店長が私とユッキーにそう告げる。

「わかりました。」

揃って返事をする私達に店長は軽く頷くと、

「神谷君は肩書きは副店長になりますがまだまだ山田君の様には出来ない事も多いです。
僕もなるべくフォローしますがそれでも限界はあります。
そこで、」

と、一旦言葉を切った店長がじっと私を見つめる。

「田村さん。」

「はい。」

「神谷君の助けになってあげて下さい。」

「はい、私がですか?」

「はい。彼のフォローを田村さんにもお願いしたいのです。」

「わかりました。何ができるかはわかりませんが私なりに彼を支えられたらと思います。」

私の言葉に店長はにこやかに頷くと、

「それと彼のフォローはパートの沖さんも申し出てくれています。
沖さんはご婚約をされて今でこそパートの立場になられましたが、社員としての歴は僕の倍以上ありますからね。
何か分からない事があったら沖さんにも聞いてください。」

沖さん…

一気に気持ちが沈んでいくのを感じた。

沖さんは…ちょっと苦手…かも…

ちらっとユッキーの方に目をやるとユッキーが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。

ダメだ。
ダメだ。
ちゃんとしっかりしなきゃ。

「はいわかりました。
何かありましたら店長や沖さんに頼らせて頂きます。
神谷君の力になれる様に私も頑張ります。」

「はい、頼りにしてます。
あ、それと、」

店長は私とユッキーの顔を見回しながら、

「神谷君は副店長という立場になります。
仲良くなるとつい気が緩んで君付けで呼んでしまいがちですがお客様の目もあります。
新ためて店内ではさん付けの徹底をお願いしますね。」

「はいわかりました。すみません。」

そう言いながら、ユータンが居なくなる不安と大ちゃんに対する得体の知れない距離感で私の心は不安でいっぱいになっていた。

No.122 18/07/30 23:39
自由人 

「神谷君、これなんだけどこうした方が良くないかな?」

沖さんの「フォロー」が早速始まった。

今まで新人ということで沖さんに鼻もひっかけられなかった大ちゃんだが、役職がつくことで今までとは扱いがガラリと変わる。

「ああ、でもこの方が合理的じゃないですか?」

「そうなの?まぁ神谷君がそれでいいならいいんだけどね。」

2人のやり取りが近くで仕事をしていた私の耳にも入ってきた。

大ちゃん頑張ってるな。
あの沖さんに対して1歩も引いてないし、むしろ沖さんを納得させている。

沖さんは大学を卒業してから8年間社員として働き副店長も務めた事がある、当店舗では圧倒的に社歴の長いベテランさんだった。

沖さんはその経験とやや勝気な性格で誰も何も逆らえない雰囲気を出しており、それでも店長だけはいつも沖さんとそこそこ激しい攻防戦を繰り広げていた。


ユータンはその甘い外見と穏やかで憎めないキャラで沖さんのお気に入りだったが、よく観察してみるとユータンは実に沖さんの扱いを心得ていて
いつも上手く付き合っていた。
ユータンがいる日はいつも沖さんの機嫌が良かった。

そんなユータンが居なくなったらどうなるんだろう…

「ちょっと!田村さん!」

ボーッと考え込んでいた私は、いつの間にか真横に来ていた沖さんの声に驚いて飛び上がった。

No.123 18/07/31 12:57
自由人 

「はい!すみません。」

驚きのあまり思わず謝る私に沖さんは、

「この子大丈夫?」

というような表情をチラリと浮かべたが、

「これ、やり直してくれるかな?」

と先程大ちゃんがやった仕事を私に渡してきた。

「え?でも…
これは確か神谷さんが…」

ボソボソ言う私に、

「うん、確かにこのやり方は一見合理的だけどズバリ言ってしまうと雑なのよ。
だからほら…
こうした方が良く見えるでしょ?」

なるほど。

確かに沖さんのやり方の方が良い様にも見えた。

「じゃあ私はお昼休憩に行ってくるからお願いね。」

沖さんはそう言うと出ていってしまった。

残された私はとりあえず沖さんの言う通りにやり直しの作業にかかったが、沖さんのやり方は確かに時間がかかりあまり合理的とは言えない。
しかも改めて実際に大ちゃんのやり方と結果を比べてもそこまで大きく変わる訳でも無かった。

大ちゃんに…断ってからやった方が良かったかな…

今更ながら後悔し始めた私の所に大ちゃんが来た。

大ちゃんは私の手元を見るや否や物凄く険しい顔つきになり、

「僕はこれのやり直しを頼んだ覚えはありませんが。」

ときつく言い放った。

「あの…すみません…」

「誰かに頼まれたんですか?」

「あの…はい…沖さんが…」

「田村さんは沖さんに言われれば僕に何の断りもなく勝手な事をするんですね。」

確かにそうだ…

沖さんに言われたからといって大ちゃんに何の断りもなく勝手にやったのは私自身だった。

「いいですか?このやり方は本社からの伝達で全店共通になった事です。
沖さんには朝に伝えたのですがどうも納得してもらえていなかった様ですね。

田村さんにはお昼の休憩が終わってから伝えるつもりでしたが…」

大ちゃんは言葉を切ると私がやり直したものを更にやり直しし始めた。

敬語を使う大ちゃんは昔の大ちゃんに戻った様でどことなく近寄り難く怖かった。

しかも今叱られているし…

「すみません…」

「田村さん。」

シュンとうなだれる私に大ちゃんが声をかけてきた。

「手伝ってもらえますか?」

「あ!はい!わかりました!」

慌てて手伝いを始めた私を見て大ちゃんが少し微笑んだ。

No.124 18/08/01 21:44
自由人 

「お先でした。」

沖さんが休憩から戻ってきた。

沖さんは早速私たちのしている事に気づき表情を曇らせた。

「結局このやり方でやるんだ。」

「沖さん、これは本社からの指示です。
色々あるでしょうけどこのやり方以外は認められない事になりましたので、これでお願いします。」

大ちゃんが丁寧に、でもキッパリと言い切った。

うわっ、沖さんにここまでキッパリ言い切る人初めて見た…

店長ですら沖さんの顔色を伺いつつ、押したり引いたりなかなか苦労しながらやってるのに。

これは…

私はちらっと沖さんの様子を伺った。

荒れそうだ…

案の定、大ちゃんが立ち去った後に沖さんが私の横に寄ってきた。

「田村さん。神谷君ていつも黙々と仕事してたから大人しいのかと思ってたけど、結構キツイ言い方する子なのね。」

はい!
来た~!!

ううっ。
沖さん、気に入らない事があるとその相手の愚痴を言いに来るんだよね。
しかも大声で言うからどうしようかいつも困るんだけど…

どうやって沖さんの愚痴から逃げようかと身構える私に沖さんは続けて言った。

「私より一回りも歳下なのに随分偉そうな口をきいてきちゃったりして!
ホント神谷君たら。」

…はい?

最後の神谷くんたらのたらの後が随分嬉しそうに聞こえたのは気のせいかしら?

恐る恐る沖さんの顔を見ると、沖さんは明らかに嬉しそうな顔をしていた。

「私、いつも周りに気を使って話されるからあんなに偉そうに言われたの初めてなのよ。全くもうっ!」

うん。
明らかに喜んでいる。

でも…
と私は沖さんの気持ちを想像した。

沖さん、きっと周りにちょっと腫れ物扱いされてて寂しいと思ってた所あったんだよね。

大ちゃんと沖さんが仲良く仕事を出来る様に私も応援しよう!

3人で力を合わせて頑張るぞ~!

私は心の中で大ちゃんと沖さんにエールを送った。

だがしかし。

この考えが非常に甘かった事をこの時の私はまだ知る由も無かった。

No.125 18/08/02 11:54
自由人 

今更言うのもなんだが…
大ちゃんは我が強い。

そして沖さんも我が強い。

私は世の中出来れば平穏無事に暮らしたい。

性格的にも大ちゃんは短気だ。

沖さんも短気だ。

そして私はのんびりしている。

大ちゃんは頭の回転が早い。

沖さんも早い。

そして私はボーッとしている。

大ちゃんはテキパキと仕事をこなす。

沖さんはテキパキと人の仕事に口を出す。

そして私は…トロい…

強烈な2人に挟まれて、私にとってまるでサンドイッチ状態の様な日々が続いた。

でも、サンドイッチって中の具を引き立てるためにパンの存在は少し控えめにしなきゃだよね?

パン達の個性が強烈だったら中の具はまるで役に立たない所か邪魔ですらあるよね?

私は強烈に味が濃くしかも不必要なまでに熱々のパン達に挟まれたしなしなのレタスの様な存在だった。

「田村さん!ちょっとこの仕事を手伝ってもらえます?」

パン男が私を呼ぶ。

でも、手伝うも何もパン男の仕事のスピードは早い上に的確で余裕で私の倍のスピードで仕事をこなしていく。

「あら~また田村さんを助手にしてるの?神谷君1人でも出来るんじゃないの?」

パン子さんが嫌味を言う。

そしてパン子さんは私の横に張りつき、ここはこうした方が良い等とパン男のやり方と違うやり方を指示してくる。

耐えきれなくなり
「すみません。そろそろ休憩の時間ですので…後は休憩が終わってからやります…」

と逃げるようにその場を離れ、休憩から戻ってみるとパン子さんがパン男の隣で私のやりかけの仕事をやっていた。

うっ…

神谷君1人でも出来るんじゃないのぉ?

と言ってたのは確かアナタでしたよね?

引きつるしなびれレタスの目の前でパン達は仕事を終わらせた。

No.126 18/08/02 22:26
自由人 

「あ…終わった…んですね…」

モゴモゴ言う私に、

「田村さんが中途半端に放り出して休憩行くから沖さんが見兼ねてやってくれましたよ。」

大ちゃんが少しぶすっとした様に言う。

え…
はい…
一応、キリをつけて、沖さんにも言ったんですけどね。
なに?
その様子だと何も聞いていらっしゃらない?
ちゃんと直接言うべきでしたね。
そらどうも失礼致しました…

心の中でモゴモゴ言いながら別の仕事にうつる。

くっそ。どうせ
「沖さんに言いましたよ。」

と言ったって、

「僕に直接言って下さいと前にも言いませんでしたか?」

と言われるのは目に見えている。

くっそー!

自分の落ち度なので自分に怒るしかない。

モヤモヤを抱えたままバックヤードに行くと、

「このダンボール固い~!なかなか潰れない!」

と、ユッキーがやたらと丈夫なダンボール相手に苦戦していた。

「このダンボール潰して捨てるの?」

「うん。でも分厚いからやたら丈夫で潰れないの。」

と、ユッキーが困り顔で言う。

「分かった。私がやってあげる。
ちょっと離れてて。」

ユッキーが2~3歩下がったのを見届けた私は、

「おりゃ~!!!」

とダンボールを思いっきり足蹴にした。

怯むダンボール。

怯んでクタッとなった所をとどめを刺すかの様にこれでもかと両足で踏みつけた。

「おりゃ!おりゃ!おりゃ!」

「すご~い!ダンボールが一瞬で潰れたよ!ありがとう。」

ユッキーの声で我にかえるとダンボールは完全に敗北宣言をし、ぐったりと私の足元に横たわっていた。

ふぅ。
ちょっとスッキリしたぜ。

「助かった~本当にありがとね。」

感謝の心を全面に押し出して喜ぶユッキーに、

「いや、こちらこそありがとう。」

と、ユッキー側からすると意味不明な感謝の言葉を吐きつつ私はそのまま隣の倉庫へと入っていった。

No.127 18/08/03 14:22
自由人 

さてと…

気持ちを切り替え倉庫で作業を始める。
冬の倉庫は寒い。
と言って夏の倉庫は酷暑なんでまだ冬の方がマシと言えばマシかな?

は、はっくしょん!

ズビ…

うっ、寒い。
鼻水出てきた。
あまりの寒さにプルプル震えながら仕事をしていると、

「上着着れば?」

突然、後から声をかけられ、ビックリして振り向いた私の後に大ちゃんがニヤニヤと笑いながら立っていた。

「び、びっくりした!なに?なに?なに?」

「いや、何って。
商品を取りに来ただけだけど。」

「そ、そうなんだね。」

何となくモヤモヤがスッキリしきれていない私はすぐに商品棚の方に顔を向けると商品チェックしているふりをした。

そんな私に構わず大ちゃんは私の後ろ姿に話しかけてくる。

「今日さ、仕事終わってからご飯食べに行こうか。」

聞こえないふり。

「何か食べたいものある?」

聞こえないふり。

「聞こえてないのかな?」

そうです。
全く聞こえていません。
だから早く立ち去って下さい。

「あっ!!汚っ!!鼻水垂れてる!!」

「えっ?!嘘っ?!」

思わず顔を隠した私に、

「聞こえてるんじゃない。」

大ちゃんはニヤリと笑いながら私の頭を軽くこずいた。

「返事しないけど、今日はご飯食べに行きたくないの?」

えっ…
いや…だって…

「何か怒ってるの?」

「え…いや…だって…パン子さん…」

「は?パン粉?」

しまった。
私の心の中限定のあだ名を出してしまった。

「あ、いやっ!パン粉はいいね。食べたいね!」

「は?
俺今まで19年間生きてきてカツが好きという人はいくらでもいたけど、パン粉が好きと言う人初めてなんだけど?」

私だって初めてだよっ。

「あ、え~と、トンカツ!トンカツが食べたい。」

こうしてその日の夕飯はトンカツに決定した。

大ちゃんオススメのお店のトンカツは肉が柔らかくジューシーでとても美味しかったが、なんといってもその店のこだわりの「パン粉」が肉の味を見事に引き立てていた。

パン粉万歳。

No.128 18/08/03 23:59
自由人 

大ちゃんの研修がスタートした。

それに加え、社員が入院し人手が足りなくなった店舗へ応援に行くことも急遽決定してしまった。

本社へは車で1時間ほどかかるのだが、その店舗は更にまた1時間ほどかかる。
道が混むと更にまた時間がかかる。

負担がかかるであろうとの事で、会社が大ちゃんのために本社とその店舗の間の地域にウィークリーマンションを用意してくれた。

大ちゃんは週に1~2日くらいはユータンからの引き継ぎのためうちの店舗に顔を出すが、シフトが見事に私と入れ違いになってしまった。
でも翌日また早くから研修や応援に入る大ちゃんにこちらに来て仕事をした後に会おうとはとても言えなかった。

頼みの綱だった休みの日も全く合わない。

しばらく会えないな…

ふっと寂しくなる。

大ちゃんが行ってしまってからは時々電話で話したが、当時固定電話でその距離の通話料は高い上に電話の向こうの大ちゃんはいつもとても疲れていて気を使った私は電話もし辛くなり、私達は何となく少し疎遠になっていた。

ある寒い日、朝から雪が降っていた。

「わあ、寒いわけだ。
今日は歩いて行かなきゃ。」

急いで支度をしようとした私を強烈な寒気と倦怠感が襲った。

あれ?
何か嫌な予感…

案の定、熱を計ると39度もあった。

うわっなにこれ。

不思議なもので39度という具体的な数字を目の当たりにすると何も知らなかった時より具合の悪さがいきなり一気に加速する。

立っていられなくなった私は這うように電話の所にたどり着くと何とか電話をかけた。

No.129 18/08/04 00:05
自由人 

今日は幸い私の他にユッキーが早番で入っていたはずだ。

ユッキーまだ家にいるかな?

プルルルル。

「はい、森崎でございます。」

早めの時間だったため、出勤前のユッキーが出てくれた。

「ユッキー?私…美優…ごめん今日熱があって…」

私の辛そうな声を聞いたユッキーは、

「大丈夫?行けそうなら病院行ってちゃんと寝ててね。
お店は大丈夫だから。」

とすぐに察してくれた。

「何かいるものない?
休憩時間に差し入れ持って行こうか?」

心配そうなユッキーの言葉に、

「うん。大丈夫。
食べるものあるし。ゆっくり寝るよ。ありがとう。」

と心配をかけたくなく強がりを言い電話を切った。

電話を切った後、なんとかまたベッドまで這い戻り、少し寝ようと横になるが身体の節々が痛みだし寝られない。

寒気はどんどん強くなり布団を頭まで被っても震えが止まらなくなった。

痛いよ。
寒いよ。
辛いよ。

大ちゃん。
寂しいよ。

大ちゃん。

寒気と心細さが容赦なく襲って来る。

私は布団を被り震えながらシクシク泣いた。

No.130 18/08/04 11:42
自由人 

ようやく寒気が治まったかと思うと今度は急激に熱くなる。
熱を計ると39,8度。

私の平熱は36度なのでこれはかなりキツイ。

病院にはとても自力で行けそうにない。
解熱鎮痛剤を飲み無理矢理にでも目を閉じる。

しばらくすると大量の汗をかき熱が39度まで下がる。

少し楽になる。

だがまたすぐに強烈な寒気に襲われ出し熱が上がり始める。

寒い。
苦しい。

大ちゃんに会いたかった。

でも何度も繰り返すがその頃は私達はまだ携帯電話というものを持っていなかった。
電話をするとすれば家か職場の固定電話になる。
その日は大ちゃんは本社研修の日程だったはずだ。
夕方までびっちり研修を受けているだろう。
連絡するのは無理だね。
それにもし連絡出来たとしても
頑張っている大ちゃんに迷惑はかけられない…

でも…声だけでも聞きたいな…

いやいやダメだ。

こんな状態の声を聞かせたら心配させる。

私は、自分の気持ちを押し殺す事が相手への思いやりだと思っていた。

我慢する事が相手への愛情だと思っていた。

だって、元来はマイペースで自分の思うようにしたい私がそれをするのは相当の努力がいるから。

それに….
1番の理由は、
私が会いたいと言えば大ちゃんは無理をしてでも来てくれるって分かっていたから。

余程の事でないと自分を犠牲にしてでも私の頼みを断らないから。

こう言うと私がかなり自惚れの強い女に思えるが本当に大ちゃんはそういう人だった。

おそらく私だけでなく、自分が気を許した人にはそういう態度を示すのだろう。

でも私は自分のために大ちゃんが無理をするのは嫌だった。

自分のために無理をさせない事が相手への愛情だと思っていた。

その気持ちが大ちゃんにとっては1番「嫌がる事」だということを当時の私は全く気づいていなかった。

No.131 18/08/04 23:27
自由人 

プルルルル!

交互にくる寒気と熱さに苦しみながらうつらうつらとしていた私は電話の音で起こされた。

大ちゃん?!

フラフラする身体を引きずりながら受話器をとる。

「もしもし。」

「美優ちゃん、具合はどう?
仕事終わったから今からちょっと行っていいかな?」

電話の相手はユッキーだった。

いつの間にか夜になっており、部屋の中は薄暗くなっている。

「あ、うん。」

部屋の明かりをつけ
汗でぐっしょりと濡れていたパジャマを脱いで簡単な部屋着に着替えてユッキーを待つ。

大ちゃんは私が寝込んでいるの知らないのに心配してかけてきてくれるわけないじゃない。
ハハッ。

私はそのままベッドに倒れ込むと少し寝てしまった。

ピンボーン!

チャイムの音がして私は慌てて飛び起きた。

ガチャ。

「ちょっと!美優ちゃん、病院は行けたの?」


ドアを開けた瞬間にユッキーが質問してくる。

「えっ、ううん。
辛くてとてもじゃないけど…」

「だと思った!
保険証持ってきて!今から病院行くよ!」

「えっ?!でも…」

「でもじゃない!車で来てるから今すぐ行こう!」

ユッキーは両手にぶら下げていた大きなビニールの買い物袋を私に手渡しながらそう言った。

中には大量のスポーツドリンクやゼリー、お粥など…

「これユータンから。
何も気にしないでゆっくり休んでね。
お大事に!だって。」

「ありがとう。」

2人の優しさが本当にありがたかった。

病院で診てもらうととりあえずただの風邪らしくはあったが、何ぶん高熱なので下がっても1日くらいは大事を取り休んだ方が望ましいだろうとの事だった。

その旨を便箋に箇条書きにし、店長宛にユッキーに託した。

No.132 18/08/04 23:30
自由人 

「店長にはちゃんと渡しておくから、ミューズはもう何も気にしないでちゃんと休むこと!」

ユッキーはホッとしたのか私の呼び方を美優ちゃんからミューズに戻していた。

心配させてたんだな。

「ごめんね。ユッキー。ユータンにも謝っておいてね。」

「ううん、謝らないでね?
悪いと思うなら早く元気になること!いい?」

ユッキーはそう笑いながら、
「お大事に!」
とやさしく付け加えると帰っていった。

ありがとう。

玄関のドアを閉め、そのままキッチンに向かい冷蔵庫のドアを開ける。

そしてユータンからの差し入れのスポーツドリンクを取り出し口に含んだ。

美味しい。

私は冷たいスポーツドリンクが体中に染み渡っていく感覚に浸ると共に、心も体も癒されていくのをゆっくりと感じていた。

No.133 18/08/05 22:09
自由人 

「ご迷惑をおかけしました。」

数日ぶりに出勤した私は店長に頭を下げた。

「病み上がりですからあまり無理をせずボチボチとやって下さい。」

そんな私に店長は優しく声をかけてくれる。

「お!おはよ!」

その日、遅番出勤だったはずのユータンが中番の私と同じくらいの時刻に出勤してきた。

「おはようございます!
ご迷惑をおかけしました。
って、あれ?
随分早くないですか?」

「ああ、もうそろそろ日も迫って来たから早めに来て片付けとかしようと思って。」

ユータンが静かにそう言った。

あ…
そうだったね…

大ちゃんに会えていないという事以外はいつもと変わらない日常で、ユータンが居なくなるという事がまだ実感できていなくて…

涙が出そうになり、慌てて私は更衣室に向かった。

着替えて戻るとユータンが事務所で黙々と書類などの片付けをしているのが見えた。

ユータン…

分からない仕事をいつも優しく教えてくれたね。

沖さんに色々と言われた時はさり気なく笑いをとって場を和ませてくれたね。

大ちゃんと気持ちがすれ違って気まずくなった時は「気にするな!」っていつも笑顔で言ってくれたね。

ユータン。

「どうした?」

私の気配に気づいたのかユータンが後ろを振り向いた。

「ユータン…」

「なに?大ちゃんに会えなくて寂しいの?」

ユータンがわざと茶化してくる。

「ち、違うよ。」

「そうなの?電話とかしてあげてる?」

「ううん。だっていつもすごく疲れてる感じで、電話するのも悪いかなって…」

「優しい言葉の1つもかけてあげなよ。喜ぶから。」

「う、うんそうだね。」

って、何か…

大ちゃんの話を出して上手くはぐらかされてしまった。

大ちゃんか…
電話は気を使うし他の気楽な方法ないかな?

あ!そうだ!

私はメモ用紙に大ちゃん宛にメッセージを書き折りたたんだ物を大ちゃんのロッカーの扉にマグネットで留めた。

No.134 18/08/05 22:43
自由人 

こうやって手紙を貼っておいたら大ちゃんが出勤した時に見てもらえるよね。

内容は大ちゃんの研修&応援期間が終わったらまたいつもの4人で食事に行こうということと、「頑張ってね!」
という応援メッセージだ。

返事は好きな時にしてもらっても構わないから、電話の様に気を使ったりしなくて済む。

後日、その手紙を見た大ちゃんから電話があった。

「何か手紙ってもらう事ないからこういうのいいね。」

と嬉しそうな大ちゃんに

「ユータンとの食事会の事も決めたいしまた書くね。」

と返事をし、約束通り大ちゃんが研修を終了するまで何通か「手紙」を書いた。

筆不精の大ちゃんからの「手紙」は無かったが、代わりにクッキーやチョコ等のお菓子が私のロッカーに貼り付けられていたり電話がかかってきたりで、それが嬉しく楽しくいつの間にか寂しい気持ちも無くなっていった。

後に大ちゃんが私に

「あの時もらった手紙は大事にとってあるんだ。」

と言った事があった。

嬉しいというよりも気恥ずかしかった私は、

「やだもう!恥ずかしいから捨ててよ!」

と何回も言ってしまった。

あの時、何で素直に喜べなかったのか…
何故捨てろと言ってしまったのか…
今でもその事を少し後悔している。

No.135 18/08/08 17:21
自由人 

ユータンが辞める日が近づき、辞めてからしばらくはなかなか時間が取れないというユータンの都合で職場全体の送別会は少し早めに行われた。

私達4人の送別会はなんとかユータンの最終日に予定を組むことが出来たため、その日休みだった私とユッキーは早番だったユータンと3人で早めの時間から呑み始め中番の大ちゃんを待つ事にした。

今日はいつもよりも更に楽しく盛り上がって過ごそう。

ユッキーと私の共通した思いがユータンにも伝わったのか、ユータンも終始ニコニコと楽しい話題をふってくれ、私達3人は本当に楽しいひと時を過ごした。

これで後は大ちゃんが合流すれば…

ユータンは本当に大ちゃんの事を弟の様に可愛がっている。

その可愛がりというか愛し具合は溺愛に近いもので、ある意味ではユッキーより愛されていたのではないかと本気で思わせた。

「お疲れ様。」

お待ちかねの大ちゃんがようやくやってきたがあからさまに機嫌の悪そうな顔をしている。

「どうしたの?
顔色少し悪いよ?」

ユッキーの言葉に、

「うん。
昨日深夜までテレビ視てたし、酒も呑みすぎたし。」

大ちゃんが少し照れた様にユッキーに答えるのを聞いて、

「大ちゃん、今日は黙々と仕事してたから疲れてるのかな?心配してたよ。
大丈夫か?」

ユータンも心配そうに大ちゃんの顔を見る。

私は3人のやり取りを見て少しモヤモヤしていた。

なんで、今日はユータンの送別会だって分かりきってるのに前日に夜更かしや深酒するかな…

別に夜更かしも深酒も自由だが、主役に気を使わせるほど体調不良になるなんて私からしたら信じられない。

「とりあえず大ちゃんも何か注文しなよ!
お腹すいたでしょ?」

ユッキーが優しく大ちゃんにメニューを手渡そうとしたが、

「あ~ごめん。
胃の調子が悪いのか食欲ないんだよね。
残り物を適当につつくから大丈夫。」

大ちゃんは少し素っ気なく断り、
自分でウーロン茶を注文すると他には何も手をつけずウーロン茶のみを飲み続けた。

No.136 18/08/08 18:40
自由人 

私達3人が楽しく談笑している横で大ちゃんはずっと黙々と不機嫌そうにウーロン茶を飲んでいたが、遂には壁にもたれて俯くと目を閉じてしまった。

え?

「大丈夫か?大ちゃん。」

ユータンが優しく聞く。

「すみません。」

大ちゃんはそう言いながらも顔を上げようとしない。

仕方ないので3人で最後まで話したが、帰りのタクシーの中でも「大ちゃんの具合」は全く良くならず、俯きながら時折肩や首の後ろを触る。

「どうしたの?痛いの?」

思わず触ろうとした私の手を、

「やめて!」

と大ちゃんが払い除けた。

「えっ?!なに?」

大ちゃんは返事もせずにまた俯く。

それまでモヤモヤとしていた思いが怒りへと変わった。

せっかくのユータンの送別会に自分勝手に体調崩してやって来て、ずっと雰囲気悪くした挙句に八つ当たり?!

ユータン今日で最後なんだよ。

辛いのは自業自得でしょ?
笑って楽しく見送れないの?

ユータンがあんなにいつも大ちゃんの事を気にかけて可愛がってくれたのに
そのお返しがこれなの?!

大ちゃんのせいで何もかもぶち壊しだよ。

私は喉元まで出かけた言葉を何とかぐっと飲み込んだ。

幸い助手席に座って運転手さんと話してしたユータンには私達のやり取りは聞こえていないようだ。

ここでつまらない喧嘩をしてユータンに気を使わせてはいけない。

私の服の裾が軽く引っ張られた。

そちらを見るとユッキーが優しい目で私を見ながら軽く頷く。

私は小さく深呼吸をして気持ちを整えたが、大ちゃんに対する不満はいつまでも消えることはなかった。

No.137 18/08/08 19:21
自由人 

いつまでも消えることはなかった…

いや。
違う。
正確にはやっと、やっと分かったよ。
大ちゃん。

あの日の前日、本当は悲しくて寂しくて眠れなかったんだよね?

顔を見たら声を聞いたら寂しい思いが募るから黙々と仕事に打ち込んで、
送別会には参加したものの、泣きたくなって、でも泣いたらユータンに気を使わせるからと我慢してじっと耐えて。

馬鹿だな。

そんな痩せ我慢なんて誤解を生むだけで何の得にもならないよ?

寂しかったら寂しいって言えばいいんだよ。

泣きたいなら泣いていいんだよ。

でもそうなんだよね。

本当は繊細で寂しがり屋で泣き虫で、
誰よりも愛情に飢えてて深い情を持つ大ちゃん。

それらを全部「強がりのバリア」で包んで。
でも不器用だからそれが「感じ悪い態度」にしか見えなくて。
そんなんじゃ人生損するよ?

ああ。
だから君には敵が多かったね。

でも、
君の味方はとことん君を好きだよね。

君が後に「強いカリスマ性」を持つと言われて、激しく恐れられたり慕われたりしていたのはそういう所から来てるんだねきっと。

でも君はきっとそういうややこしい事を望んでいるんじゃない、
君はただ、そんな不器用な自分を受け入れてもらいたいだけ。
優しく包み込んでもらいたいだけ。

あの時わかってあげられなくてごめんね。

まだ10代だった君を包んであげられなくてごめんなさい。

No.138 18/08/09 12:58
自由人 

「あっ!」

2月に入りバレンタインデーも近づいて来た頃、
いつもの様に出勤して、髪をシュシュでまとめた私は自分の耳を見て「しまった!」と思った。

昨日大ちゃんとデートしたので、付けていったブルームーンストーンのピアスを外すのを忘れていた。

職場はアクセサリー類は一切禁止だ。

朝、鏡を見てメイクまでしたのに…
髪が耳を隠していたので気づかなかった…

「外さなきゃ。
でも失くしたら嫌だなぁ。」

憂鬱な気分になりながらもピアスを外し、事務所の机に放置されていた小さな袋に入れるとカバンの内ポケットにそっと入れた。

仕事が終わり、ピアスの安否確認をしようとした私はピアスを入れていた袋を手に持ったまま凍りついた。

袋が破れてる…
袋の側面にスッと亀裂が入っておりピアスはその隙間からこぼれてしまったらしかった。


慌ててカバンの中身を全部出しカバンをひっくり返して探す。

片方はすぐに見つかったが何故かもう片方はどんなに探しても出てこなかった。

どうしよう。
大ちゃんが一生懸命選んでくれたプレゼントだったのに。
特別なものだったのに。

大ちゃんに、ピアスを失くしたとはとても言えなかった私は、翌日の休みの日に姑息にも同じ物を購入しようとそのピアスのブランドのお店に行った。

「申し訳ありません。
こちらは限定品でしたので、当店では完売致しております。」

ショップの店員さんが丁寧に頭を下げて謝ってくれる姿を私は呆然と眺めていた。

「他に!他に店舗はありませんか?」

「はい。この近辺ですと私〇〇店と✕✕店がございます。」

店員さんが丁寧にそのショップの最寄り駅まで教えてくれた。

「ありがとうございます!」

お礼を言うとすぐにその2店のショップに向かった。

が、結果はどこも同じだった。

どうしよう…

散々悩んだが、考えてみれば大ちゃんを騙す事はやはり良くない。

大ちゃんに謝ることにした私は
その夜、会った大ちゃんに、

「せっかくくれた大切なピアスを失くしてしまいました。
ごめんなさい…」

頭を下げた。

No.139 18/08/09 20:11
自由人 

どうしよう。
どうしよう。
絶対ガッカリされるよね。

大ちゃんは短気ですぐにムッとした顔をする事が多く、その顔を見るのは嫌だったのだが、ガッカリした顔を見るのはもっと嫌だった。

ところが大ちゃんは私の話を聞き終えると、

「なんだ~そんな事だったのか。」

とホッとした様に笑った。

「えっ?…怒らないの?」

「ん?なんで?」

「だって…
あれ高いのに無理して買ってくれたでしょ?なのに…」

「あのさ、形あるものはいつか壊れるんだよ。
失くなる事もあるでしょ。
だからいいの!」

「でも…」

「いいって!いいって!
すごく深刻な顔をしてたから大変な事があったのかと心配したよ。
そんな小さな事なんか忘れて!
ほら~笑って笑って!」

大ちゃんは私の両頬をつまんで軽くグ二ーっと引っ張った。

「ごめんね…」

「だからもう謝らない!
この話は終わり。
あ、そういえば山田さんとまた会いたいな。
ユッキーに伝言頼んどいてよ。」

大ちゃんはわざと他の話題をふってきた。

「うん。わかった。
大ちゃんの誘いならユータンすぐに都合つけるんじゃないの?」

私も笑いながら返し、
ピアスの話はこれで終わりになった。


その数日後。




2月14日。
バレンタインデー。

「ほらこれ!」

大ちゃんが綺麗なリボンの付いた箱を私に渡す。

開けてみると小さな宝石のピアス。

ブルームーンストーン。

それは…
それは私が失くしたピアスと同じデザインの物だった。

No.140 18/08/09 20:16
自由人 

「これ?!
どうしたの?!」

「えっ?
え~と、ミューズがピアスを失くしてすごく気にしてたから…
たまたま近くのそのブランドの店に行ってみたらたまたま同じのかあったんで…」

「なんで?…なんで?…」

「えっ、いや、その…
ほらバレンタインデーだしプレゼントにちょうどいいかなって。」

「違う。違うよ…」

「あっ、プレゼントはホワイトデーだったな。ハハッ。」

照れ笑いをする大ちゃんの腕を私は軽く掴んだ。

「私…ごめんなさい…
本当はあの時、代わりのピアス買おうとして探し回ったんだよ…
でも限定品だからどこも売り切れてて…
だから…近くにたまたまあるなんて…
絶対にありえ…ない…」

切れ切れの私の言葉に大ちゃんは観念した様に笑うと、

「ごめん。
実はかなり遠くまで行って探し回った。
でも見つけたから良かった。
もうこれでミューズは何も気にしなくていいよ。」

と優しく言った。

胸がいっぱいになり苦しくなる。

何と言ったらいいのか苦しくて言葉が上手く出てこない。

「…なんで?
なんでそこまでしてくれるの?」

「なんでって言われても…
あの時ミューズが落ち込んで少し泣きかけてたから。
だから泣いて欲しくなくて…うおっ!」

大ちゃんは途中で言葉を切った。

自分があげたピアスのために私が泣くのを見るのが嫌だから。

自分の事が原因で私を泣かせたくないから。

なのに、
今、目の前で
「.自分のせいでミューズが号泣している」姿を目の当たりにした大ちゃんは少なからず狼狽えた。

「ミューズ?ミューズ?どうした?ミューズ?」

慌てる大ちゃんの腕を掴んだまま、

「.ありがとう。
ありがとう。
大ちゃん…」

と、私はしばらく泣いた。

大ちゃんはもう何も言わず、そんな私の頭をずっと撫で続けてくれた。

No.141 18/08/10 19:54
自由人 

2月も終わりを迎える頃、

「何とか落ち着いたからみんなでまた会おうよ。」

と、ユッキーを通じてユータンから連絡があった。

じゃあどこかユータンの希望のとこにでも行かなきゃね。

ユッキーにユータンが何処に行きたいか聞いてもらおうとすると、

「みんなと一緒ならどこでもいいってきっと言うよ。
だから私達で決めてから誘っていいよ。」

ユッキーが笑って言う。

その姿がもう恋人というより奥さんといった感じで2人の親密さをうかがわせた。

こんな感じいいなぁ。
もしかすると、
もう深い関係になっちゃったりしてるのかなぁ。

勝手に想像してみる。

私と大ちゃんは初めて知り合った期間も含めるともう1年近くにもなるのにまだ身体の関係は無かった。

過去に付き合った人達は長くて半年後、短くて3ヶ月後にはそういう関係になっていたので、1年はとても長い。

最長記録更新だな…

大ちゃんは私が何回かそういう関係を拒んでからはあからさまには誘って来なくなった。

それどころか、2人で車中やカラオケ等の二人きりの空間でまったりとしている時には決まった様に、

「こうやって2人で過ごしているだけでいいね。
イチャイチャしなくても楽しいね。」

と言った。

「男の本音」+「男の痩せ我慢」というものに全く疎かった私は、

「そうだよね。
下手に深い関係になったら破綻する日が近づくだけだしね。」

と、とんでもないことを言ってしまい、大ちゃんをますます「我慢」の世界に押し込めていた。

今思うと気の毒な事をしたものだ。

さて、ユータンとどこに行こうかと私達3人は相談し合ったがその場にいないユータンの事を弄ってみたりふざけてばかりでなかなか決まらない。
でもそんな時間が1番楽しかった。
大ちゃんやユッキーもきっとそう思っていてくれただろう。
他愛もない話で笑い合える事が1番楽しい事だとあの頃の丁度倍の年齢になった今本当にそう思う。

No.142 18/08/10 20:44
自由人 

店長が研修や連休等で私と大ちゃんの連勤が続き、その加減で珍しく2人の休みが同じになった。

滅多にない事にウキウキして朝から遠出をする。

「この近くに日帰り温泉があるんだって!寄って行こうよ!」

私の言葉に大ちゃんが、

「いいけど。混浴じゃないでしょ?
別々に入っても面白くないよ。」

と笑って返してきた。

「一緒に入りたいの?」

「そりゃあね、背中ながして欲しいし。」

「え?お客さん、お背中流しましょうか?って感じで?」

「それそれ!ってかなんでお客さんお背中流しましょうか?になるのかわからないけど。」

大ちゃんが可笑しそうに笑う。

大ちゃんは整ったきつい顔立ちなので黙っていると怖い雰囲気だが、こうして笑うと無邪気さがよく出て、私は大ちゃんの笑顔が大好きだった。

大ちゃん。
好きだよ。

大ちゃんの笑顔を見ながら私はとうとう思い切って返事をした。

「いいよ。」

「えっ?」

「お背中流してもいいよ。」

「えっ?えっ?」

大ちゃんが戸惑うのを見た私は慌てて、

「いや、あの、嫌ならいいけど…」

「えっ?あっ!嫌じゃない!嫌じゃない!
えと、どこがいいのかな?
今から混浴できるお風呂探すの時間かかるし…
ミューズのとこは女性専用マンションだし…」

大ちゃんはそのまま黙り込んだ。

「あの…とりあえず適当な場所で…」

言ってはみたものの、だんだん恥ずかしくなってきてボソボソと提案する私の言葉に、

「そ、そうだね。
あの、ごめん。
適当な場所あったら入って…いい?」

大ちゃんが何故か申し訳なさそうに聞いてくる。

「あ、あ、うん。
えと…お風呂の湯加減も任せて下さいお客様。」

「お、おうっ、お客様はお湯加減には厳しいからな。」

もはや温泉旅館ごっこになっている。

「適当な場所」が見つかるまでの車内は気恥ずかしくて気恥ずかしくて、2人の「温泉旅館ごっこ」はずっと続いた。

No.143 18/08/10 21:40
自由人 

田舎の国道を1時間くらい走った所に、ポツンと「適当な場所」が現れた。

見るからに古そうな建物で
正に文字通り「適当な場所」だったが、このままいくと気恥しさで決心が鈍りそうだった私は、

「あ…あそこでいいかな?ごめんね。ごめんね。」

とボロいラブホの存在をまるで自分の罪の様にやたら謝る「お客様」に

「だ、大丈夫です!」

とOKを出した。

駐車場に車を停めて、
「適当に部屋を選び」入る。

ドキドキドキドキ。

心臓破裂しそう。

今までは何となく相手に自然にそういう流れに持ってこられて相手任せだった私は、今までこんなに緊張したことは無かった。

とりあえずボスっとソファに座る。

と、お客様が突然抱きついてきた。

「あ、あ、お風呂、お風呂、」

緊張の中でも、そんなイチャイチャムードの中でも使命感を忘れない「旅館従業員」に、

「あ、そだった。みてきます。」

と、お客様が慌ててお風呂の方に行った。

しばらくして、戻って来るや否や、

「少し熱めに設定しておいたけどいいかな?」

とお客様。

「あ、うん。何か緊張して口の中がカラカラだよ。」

「あ、お茶入れるよ。」

と、お客様。

逆にもてなされている…

そうこうしているうちに、

「お風呂そろそろだから先にどうぞ?」

と、お客様。

「あ、うん。」
と入ったはいいが、

しまった。
バスタオルってどこにあるんだろう。

すると浴室の外から、

「あの、バスタオルここに置いとくんで…」

と、お客様。

立場が完全に逆転している…

私がお風呂から出ると、次に大ちゃんが入り、その後は互いに緊張を隠すように抱きしめあった。

体の相性ってあるんだよ。

どこかで聞いた言葉を思い出す。

本当に相性の良い相手っているんだな…

こんなこと思ってるの私だけかな?

そう思いながら横にいる大ちゃんの方を見ると、

「俺、本当にやばい…
離れられなくなる…」

と、大ちゃんが照れた様に笑った。







あ…お背中流すの忘れてた…

No.144 18/08/12 13:51
自由人 

「久しぶり!」

ユータンがニコニコと私達に向かって手を挙げる。

「ユーターン!」

思わず駆け寄る私にユータンは、

「相変わらず元気そうだね。」

と優しい目を向けてくれたが、

「山田さん、仕事はどうなんすか?」

と大ちゃんが嬉しそうに声をかけると、

「おう、大ちゃん。
大ちゃんの方こそどう?
何か困った事はない?」

と直ぐに大ちゃんの方に意識が行ってしまった。

やれやれ。

「山田さん営業やってるんですか?
山田さんに営業なんてできるんですか?」

無邪気な笑顔でわざと憎まれ口を叩く大ちゃん。
彼流の精一杯の甘え方だ。

「ああ、何とかね。
一応これでも上からは有望視されてるからね。」

そんな小憎らしい愛情表現しか出来ない大ちゃんを、可愛いヤンチャな弟を相手する様にユータンは目を細めながら、相変わらず変わらないのんびりと優しい口調で返す。

「この2人の間には入り込めないな~」

笑いながらユッキーにそう言うと、

「ユータンね、ああ見えても意外とドライな性格してるのよ。
そのユータンが無条件に大ちゃんの事は可愛くて仕方ないみたい。」

ユッキーもふふっと笑いながらそう返してきた。

「なんでなんだろうね。」

私の問いに、

「さあ、もしかしたら大ちゃんが自分の事を本気で慕ってくれてるのが分かってるからかもしれないね。」

そう答えるユッキーの横で、

「山田さ~ん。
あまり近くに寄って来ないで下さいよ。
キモイっすよ。」

「いやあごめん。つい。」

……

あ、うん…

とりあえず聞こえなかった事にしておこう…

「大ちゃんはツンデレタイプだからねぇ。」

今のやり取りが聞こえていたらしいユッキーがほのぼのとした表情で2人を眺めながら呟く。

ツンデレ…

ツンデレっていうのは素っ気なくツンツンしたかと思えばデレデレもあるんだけど…

デレるのか?

あの大ちゃんがユータンにデレるのか?

「ほら!山田さん!いつまでもこんなとこで喋ってないで早くお店に行きましょ!
山田さんの好きそうな店を予約しときましたから。」

大ちゃんがニコニコとしながらユータンを軽く促した。

No.145 18/08/13 20:45
自由人 

ユータンのために予約したお店は居酒屋とダイニングカフェの中間の様なお店で、ざっくり言えばおしゃれな雰囲気の居酒屋といった感じだった。

カクテルの種類も豊富でそのお店オリジナルのカクテルも何種類かあり、その1つ1つに「魅惑の〇〇パッション」
というような長い名前が付いている。

面白いのでとりあえずはそれぞれ自分のイメージに合う?名前のカクテルを頼んでみようという事になった。

「俺これね!」

大ちゃんが嬉しそうに選んだのは、

「✕✕の夜のダークネス」

とかいうような何だか中二病っぽい名前のカクテル。

「これどんなんだろ~」

の自分のイメージというより物珍しさでのユッキーさんセレクトは、

「オーバーザレインボウ」

ある名曲の曲名そのままパクリやないか~いな名前のカクテル。

海が好きな私は、

「カリブ海のフルーツシャワー」

的な名前のカクテルを注文する。

「ユータンはどうするの?」

ドリンクメニューを真剣にながめているユータンに促す様に聞くと、

「この小悪魔カシスベリーにする!」

と言い出した。

No.146 18/08/14 09:53
自由人 

えっ?!

小悪魔なの?
小悪魔なのね?
小悪魔かよ?

3人がじーっとユータンを見つめると、

「何だよ~?小悪魔いいじゃない。
小悪魔な女の子に騙されてみたいな感じ?へへっ」

と、ユータンが1人でにやける。

うん。
小悪魔みたいな…じゃなくても貴方は十分騙されるタイプですからそこは大丈夫ですはい。

注文を済ませ少しすると、突然ユータンのポケベルが鳴った。

「あ~会社からだ。
ちょっと電話してくる。」

ユータンは席を立つと店の入口付近にある公衆電話に電話をかけに行った。

ユータンが席を立ってすぐに、

「お待たせしました。」

と、カクテルが運ばれてきた。

大ちゃんのダークネスはダークチェリーのリキュールをベースに炭酸水で割った物なのか?シャワシャワしてて何だか黒い。

私のカリブ海はグレープフルーツやライム等の柑橘類ベースの味で青い海を思わせる色。


ユッキーのレインボウは比重の異なるリキュールを交互に重ねて注いだ物で、グラスの中でくっきりと色の層が別れており、今で言うなら「インスタ映え」しそうな綺麗なカクテル。

で、ユータンの小悪魔は赤いドリンクの底に色んなベリー類が沈んでいる、女の子っぽいカクテルだった。

「これがユータンを騙す小悪魔かぁ。」

3人で小悪魔を覗き込む。

「ちょっと飲んでみよっと。」

ユッキーがいきなりごくごくと小悪魔を飲む。

「うん。カシスソーダだね。」

ユッキーの分析に、

「どれどれ。」

と大ちゃんも飲む。

「これがカシスソーダって言うのか。」

初めてのカシスソーダの味に頷きながらグラスを私にまわしてくる。

「あ~カシスソーダだね。」

私も飲んで納得した所で気がついた。

「ねぇ、残り半分くらいになっちゃったよ?いいのかな?」

私の言葉に大ちゃんがにやりと笑うと、

「じゃあ足しておこう。」

と、自分のダークネスをユータンのグラスに注いだ。

No.147 18/08/14 10:11
自由人 

「ええっ?!」

驚く私に、

「小悪魔とダークネスだから相性はいいでしょ。」

と、大ちゃんが意味不明な理屈をこねる。

小悪魔にダークネスが加味されて悪女になってしまった…

「私も飲んだから返しておこうっと。」

ユッキーも自分のレインボウをものすごい勢いで混ぜてドクドクと悪女に注ぎ入れた。

わぁ。

「ミューズも飲んだから返さないとね。」

有無を言わさず大ちゃんが私のカリブ海も続けて投入。

「小悪魔」から
「カリブ海で虹を眺めながらくつろぐ悪女」に変貌を遂げ、
「爽やかなカリブ海」と言うよりは、「呪われた沼」みたいなおどろおどろしい色になってしまったそのカクテルは静かにコポコポと炭酸の泡を上げながら生贄の男が帰って来るのを待った。

「ごめん。ごめん。おまたせ。」

やっとユータンが戻ってきて、

「乾杯しようか。…多っ?!」

ユータンの小悪魔改め悪女は無計画に入れられた虹と、海と、闇のせいで溢れんばかりになっている。

「ごめん。グラス持てないからちょっと先にすするよ。」

全く謝る必要が無いのに謝りながらグラスに口をつけてすするユータン。

チラッと大ちゃんとユッキーの顔を見ると、2人とも笑いをこらえすぎて、大ちゃんは眉間にシワを寄せ厳つい表情に、ユッキーに至っては目があらぬ方向に泳いでいた。

この小悪魔どもめ。

と、突然ユータンが、

「うおっ!これ!」

と、声を出した。

「美味しい!」

えっ?

「これ見た目も深い赤で綺麗なんだけど、とにかく美味しいよ!」

「えっ?この沼色が綺麗?!
いやっ、ゴホゴホ、ごめっ、
とにかく、ちょっと飲ませて!」

ユータンの手から「悪女」を半ばひったくるようにして飲んでみた。
うわっ確かに美味しい…

カシスをベースに色んなフルーツの味が散りばめられていてとにかくトロピカル。

他の2人も、

「うっそ!」
「うまっ!」

と感嘆ひとしきり。

やはり、男性をハマらせる技に長けるのは悪女様、小悪魔ごときでは太刀打ち出来ないなと感じた至極の1杯で、
その後もあの味を求めてみるも、
「悪女カクテル」は2度ともう再現不可能な幻のレシピになってしまった。

No.148 18/08/14 21:13
自由人 

おしゃれ居酒屋でたっぷり飲み食いを堪能した私達は、

「この後は軽くカラオケでも行こうか?」

となり、近くにあったカラオケ店に向かった。

「すみません。
混みあっておりまして1時間ほどお待ち頂かないといけないのですが…」

受付のお姉さんの言葉に、

う~ん。
1時間か、ここで待つには少し長いしどうしよう。

考え込んだ私の横から、

「あ、じゃあ1階のゲーセンで時間潰してきます。」

大ちゃんがテキパキと返事をした。

「ゲーセン?」

少し躊躇する私に、

「わあ!行こう!ゲーセンは高校生の時以来だよ。
ね?ミューズ!」

ユッキーが嬉しそうに私の手を取りエレベーターの方に誘導した。

「私、家がそういうのに厳しくて…実は…ゲーセンとかほとんど行ったことないんだけど…」

「ええっ?!ミューズどれだけお嬢様育ちなんだよ?!
まさかゲーセン行ったら不良扱い?!」

大ちゃんがわざと茶化した様に驚く。

「えっ…あ…うん…」

「えええっ?!」

驚く3人を目の前にして私は恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じていた。

ううっ、言わなきゃ良かった…

「よしっ!なら今日はミューズの不良デビューの日にしよう!
高校デビューじゃなくて25歳デビューだな!」

大ちゃんが大きな声で言うと、

「ブッハア!!」

ユータンが真っ赤な顔をして吹き出した。

バ、バカヤロー!

みっともなくて顔から火が出そうな「25歳デビュー人」を引き連れた一行はとにもかくにも意気揚々とゲーセンに乗り込んだ。

No.149 18/08/14 21:25
自由人 

ビルの1階のフロアを全部使ったゲーセンは広かった。

今まで小さなゲームコーナーで遊んだ事はあったが本格的なゲーセンで遊ぶのは初めてで、ドキドキした私は設置してあるゲーム機等を珍しげに見て周った。

「ミューズこれやろ~」

ユッキーに呼ばれて目をやると、4人まで対戦可のレースのゲーム機のそれぞれのシートに既に大ちゃんとユータンが座り、

「もう1台空いてるから。」

とユッキーが私を空いているゲーム機のシートに座らせてくれた。

「えと、これどうやるのかな?」

「ここに簡単な操作方法書いてあるよ。」

ユッキーに言われて操作方法を読む。

「要は4人でカーレースするだけってこと。準備はいい?」

大ちゃんが笑いながら聞いてくる。

「えっ?えっ?えっ?」

焦る私の横から、

「そうだ!最下位は罰として次のカラオケ奢りって事で~」

ユータンがノリノリで提案してきた。

「ちょっとそれは可哀想だよ。
チーム戦にしよ?
ペアの順位の合計点で決めようよ。
1番上手そうな大ちゃんとミューズがペアでどう?」

と、ユッキーが提案してくれたが、

「え?でも…それだと大ちゃんが絶対1位取らないと負けちゃうよ?
私、たぶん最下位だし…」

と、プレッシャーでますます不安になる私に、

「大丈夫!お遊びだから。
それに俺が1位取ればいいんでしょ?」

と大ちゃんは軽く笑い、

「じゃあスタートしましょか?」

と他の2人に声をかけた。

No.150 18/08/15 08:28
自由人 

ピッピッピッ
ポーン!

スタートの合図が鳴り響き、
ヴォォォー!
と各自スタートする。

うわっうわっうわっ

ハンドル操作が思うように上手くいかない。

痛いっ!壁に激突した。

体制を整えモタモタと再スタートして走るうちに前をヨロヨロと走る車を追い抜かした。

「よし!ユッキー抜かしたね。」

大ちゃんが横目で私を見ながら教えてくれた。

「え?何でわかるの?」

「画面の上の方を見て?」

言われた通りに画面の上の方を見ると小さく全体のコースが出ており、そこにみんなの車らしきものの印がモソモソと動いていた。

その横の画面上の中央部分に自分の現順位が大きく出ている。

あ、3位だ。

ちょっと嬉しくなったが喜んだのも束の間、

あれ?

呆気なくまた抜かれてしまい順位を表す数字が4になる。

う~っ。

もう他の順位を気にする余裕はない。

必死で画面を見つめハンドルを握る。

「はいっゴール~」

隣で大ちゃんの余裕の声がした。

「ええっ?!もうゴール?!」

焦る焦る。

「ミューズその調子、頑張れ頑張れ。」

大ちゃんに声をかけられながらやっとゴール。

「おめでとう。2位だよ。」

大ちゃんがハイタッチをしてきた。

「え?あれ?」

横を見ると、

「うわっ、よりにもよってミューズに
負けた~。
ミューズにだけは勝てると思ってたのに。」

と失礼なセリフを言いながらユータンが苦戦する横で、

「ちょっとユータン笑わさないで。
運転できない。」

とユッキーが笑いながら3位で入った。

悔しそうなユータンがやっとゴールしたのを見届けて、

「そろそろ時間なんで行きましょうか。」

大ちゃんがみんなに声をかけると、

「じゃあ、カラオケ代は俺出すよ。
本当はミューズが負けて、俺が出してやるよとカッコよく決めるつもりだったのに、くっそ、よりにもよってミューズに負けるとは。」

とユータンが悔しそうに言う。

おいおい、さっきから失礼が過ぎるぞ。

「じゃあ私も出すね。」

ユッキーが横からそう言い出したが、

「いやいいよ。
元々本当は俺が出すつもりだったから。」

ユータンがやんわり断る。

「何言ってるの?
私達はチームでしょ?」

ユッキーはユータンの肩を軽く叩き、
私達の方を見ると、

「さっカラオケ行こっ。」

と楽しそうに笑った。

No.151 18/08/16 22:40
自由人 

「えっ?!1時間なんですか?!」

カラオケの受付でいきなり時間制限の事を聞かされ困惑した。

「はい。本当に申し訳ありません。
週末のこの時間帯は非常に混み合いますので、先程お伝えさせて頂いた様に1時間でお願いしていまして…」

んっ?

先程お伝え?

聞いて…ない…ぞ?

記憶の糸を必死で手繰り寄せる。
え~と
確か私は1時間待ちだと言われた後にすぐユッキーとエレベーターに向かってと…

で、そこに大ちゃんがくっついてきて…

すると残りは…

「あ、ごめん。言うの忘れてたヘヘッ」

やっぱり…

「もうっユータン!」

ユッキーが軽くユータンを叩く。

「いや1時間でちょうどいいよ。
ちょっと覗いてみたいとこあったし。」

大ちゃんがサクサクと受付を済ませて、早く行こう!と私達を促す。

1時間おしゃべりもせずに曲を入れまくり、それなりにガッツリ歌って満足した私達は大ちゃんの後に続いて1階に降りた。

「ここ。」

大ちゃんが指した場所は、

「えっ?さっきのゲーセンだよね?」

「うん。ミューズが25歳デビューした場所。」

それはもうええっちゅーねん!

軽く睨む私に構わず大ちゃんは嬉しそうにゲーセンに入る。

「さっき来た時に見つけてさ、この奥なんだけど。」

と、大ちゃんに案内されて奥に進むと、

「わあっ!」

ガラス張りのドアの外に幾つかの3on3のコートがあった。

ナイターの様にしっかり証明に照らされたコートは真昼の様に明るく、見ていると何だか胸が弾んでウキウキとしてきた。

「ちょっとやらない?」

と大ちゃんが聞いてくる。

3月の夜はまだかなり寒いが、3つあるうちの2つは既に他のグループが使っており、1つだけ辛うじて空いている状態だった。

「やろう!ほら!早くしないと他の人が入っちゃうよ!」

ユッキーの言葉が引き金となり、私達は慌ててそのコートの申し込みに行った。

No.154 18/08/18 21:25
自由人 

え?なに?え?なに?

呆然とする私に向かって、

「ミューズ、ボールと一緒に俺の手も思いっきり叩いてるし、山田さんはボール持ったまま歩いちゃってるし。」

「で、ファールだよ~って声をかけたんだけど、2人で勝手に盛り上がってシュートまで決めちゃうし。」

大ちゃんとユッキーが口々に言う。

えええっ。
困ってユータンを見るとユータンはニヤニヤしている。

さては気づいてたな…
私だけ必死になってて恥ずかしいじゃないの!

「あ~可笑しい。
本当に2人とも好きだわ。」

ユッキーの言葉に大ちゃんはうんと頷くと、

「さっ、メンバー代えてもう1戦やりましょか。」

と、立ち上がった。

え?
私と大ちゃんが組むの?
性格が真逆同士なのにチームプレイできるのかな?

でもそんな私の不安は杞憂に終わった。

嘘っ?!やりやすい。

ドリブルの下手な私が行き詰まると、パスをもらってくれる。

なるべく私にシュートを打たせてくれようとする。

私を自由に動かせて極力フォローにまわってくれている。

ユッキーとユータンペアの方は?

うん。

何がそんなに面白いのか?と聞きたくなるほど爆笑し合ってて、
ものすごく楽しそうだ。

「あはは、楽しい!」

と大ちゃんが笑う。

「笑い過ぎてお腹痛い。
動くの辛いよ。」

とユッキーが笑う。

うん。

楽しいね。

楽しいね。

性格が違う者同士だから役割も別々で補い合うこともできるのかな。

「あっ…」

ユッキーが大ちゃんにボールをカットされ、大ちゃんがそのままゴール下に向かう。

すかさずユータンがガードする。

来るっ。

大ちゃんが辛うじて出したパスを受け取りシュートをしようとするが、
ユッキーのガード。


大ちゃんっ。



実際に声をかけたわけでもないのに、

苦し紛れに出した私のパスを

察知したかの様に上手く拾い、



大ちゃんが

シュートした。

No.159 18/08/22 19:54
自由人 

「じゃ、また後で。」

電車を降りようとした私に大ちゃんがそう言って軽く手をふった。

「うん。」
私も軽く手を振り返し電車を見送った後、自宅マンションへと急いだ。

どうやらフラれる気配は無さそうだ。

ふ~っ。
良かった~。

ホッとしながらシャワーを浴び着替える。

おっと、もうこんな時間、早く行かなきゃ。

トーストとコーヒーの簡単な朝食を済ませた私は、慌てて自転車に乗ると職場に向かった。

「おはようございます。」

事務所に顔を出し、店長に挨拶をすると、

「おはようございます。
田村さん、いきなりだけど4月に僕の人事異動が決まりまして…」

と、店長が言い出した。

えっ。

聞くと店長もユータンの場合と同じ様に他県に配属される話が来たらしく、3月の末からは会社が用意した住居に引越しをする予定との事だった。

「随分、急すぎませんか?」

「そうだね、まあうちの会社のやる事なんてそんなもんだよ。」

店長は少し笑うと、

「そんなわけで、あと半月ほどの間に色々と準備などをしなければいけなくて、他の社員達にも色々と迷惑がかかるかもしれない。
特に神谷君には負担をかけるだろうからなるべく助けになってあげて欲しい。」

「はい、わかりました。
森崎さんと力を合わせて頑張ります。」

「森崎さんか…」

店長のその言葉がどことなく悲しげに聞こえたのを私は聞き流せなかった。

No.160 18/08/22 20:13
自由人 

「森崎さんが…何か?」

「ああ、いや、森崎さんとも会えなくなるんだなって思って…」

店長のその表情は人の心に鈍感な私でさえ、完全に把握できるほどありありと店長の心情を物語っていた。

「あの…店長…」

言いかけた私の後ろで、

「お客さんが多くて忙しい時に、社員が2人揃って何をおしゃべりしてるのよ!!」

と、沖さんのイライラした声がした。

「あっ、すみません。」

慌てる私に、

「田村さん、とっくに出勤の時間過ぎてるでしょ?
着替えもしないで何をやってるの!」

沖さんのお叱りの声が飛ぶ。

「す、すみません!」

慌てて着替えに走り、そのまま店内に入った。

大ちゃんが出勤するお昼頃には忙しさも一段落し、ホッと一息つきながら倉庫作業にまわった私の所に休憩中の店長が近づいてきた。

「さっきはすみません。
沖さんには僕が田村さんを引き止めたからとちゃんと話したから。」

「あ、いえいえ、それよりも、あの…店長…今日良ければ夕飯でもご一緒にいかがですか?」

店長へ誘いの言葉をかけた途端、

あっ。

大ちゃんが倉庫に入って来るのが見えた。

No.161 18/08/23 10:33
自由人 

大ちゃんは私達を一瞥したかと思うとすぐにふいっと倉庫を出ていった。

ん?
何しに来たんだ?

「僕は大丈夫だけど。急にいいの?ごめんね。」

出ていく大ちゃんを目で追っていた私に店長が遠慮がちに声をかけてきた。

「あっはい。
ここでは色々と話も出来ませんから。
落ち着いてゆっくり話したいですし。」

私の言葉に店長はニッコリと笑うと、

「僕ね、こういう言い方をしたら失礼だとは思うけど、ずっと田村さんの事をお姉さんの様に思ってしまっていた所があってね、
田村さんにはつい何でも話してしまいたくなるっていうか…」

と、照れくさそうに言った。

「私は店長より2歳上のお姉さんですからね、話して楽になる事は話して下さい。」

私の言葉に、

「ありがとう。
では〇〇でどうですか?」

と、職場から歩いて10分ほどの所にある小洒落たカフェの名前を出した。

「わかりました。
では仕事が終わり次第すぐに行きますね。」

私の言葉に店長は軽く頭を下げると休憩室に戻っていった。

店長が出ていって少しすると入れ替わりに大ちゃんが倉庫に入ってきて作業を始めた。

顔が何だかムスッとしている。

「昨日はありがとう。
疲れてない?」

と、優しく聞いても、

「大丈夫です。」

と素っ気ない。

うげっ、やっぱり昨日のこと思い出して気を悪くしてるのかな?

「あの…昨日は迷惑かけてごめんね?」

「なんの事ですか?
別に迷惑な事なんてされてませんけど。」

さ、左様でございますか…

「な、なら良かった。」

シーン…

うっ気まずい。

黙々と作業を続けるうちに、

「休憩お先でした。
田村さん休憩に行ってね。」

と、店長が倉庫に顔を出しすぐに店内に戻って行ったので、

「あ、じゃあ休憩行って来るね。」

と、倉庫を出ようとした私に、

「今日……」

と大ちゃんがボソッと聞いてきた。

「え?なに?」

聞き返した私に、

「だから今日は会わないの?」

と、大ちゃんが少しイラついた様に聞いてきた。

「あ~ごめんね。
今日は…」

私が言いかけると、

「わかりました。
休憩に行って来て下さいね。」

と、大ちゃんはプイっと先に倉庫を出ていってしまった。

No.162 18/08/24 21:07
自由人 

へっ?
なんなんだ?一体。

何をそんなに不機嫌になっているのか本気でわからなかった。

これはまた夜にでも妹の優衣に聞いみよう。

もうそれからは大ちゃんは私に関わって来ようとしなかったのでそれが気になりつつも、私は仕事が終わると急いでそのまま店長の待つカフェに向かった。

カフェに入ると、店長は奥の窓際に座って軽く頬杖をついて窓の外を眺めていたが、私が近づくと気配を察したのかこちらを向いて軽く頭を下げた。

「お待たせしました。」

「いえいえ、それより僕の方こそ田村さんに気を使わせてしまってごめんなさい。」

「大丈夫ですよ。
なんと言ったらいいのか…
いつも店長ってあまり自分の気持ちとか話さない方じゃないですか。
だから…こう…ちょっと心配になったっていうか…」

言葉を必死で選びながらそう言う私に、

「えっ?僕の態度そんなに変だったかな?」

と、店長は苦笑しながらも、

「最近、疲れてるからかな?」

と、独り言の様に呟いた。

店長?

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

カフェの店員さんが水の入ったグラスを置きながら声をかけてきた。

「あっ!え~と、じゃあこのAセットで。」

私が慌てて答えると、

「僕も同じ物で。」

といつもの冷静な顔つきに戻った店長が静かに言った。

それからは何となく店長の話を聞くタイミングを逃してしまい、それからはお定まりの仕事の話や職場での人間関係の話になってしまう。

「僕の後に配属される店長は物静かだけど、仕事もできると評判だし何よりも穏やかな人柄だから、きっとアクの強い神谷君と上手くやっていけると思うよ。」

店長は大ちゃんの日頃の言動を思い出したのかクスクスと可笑しそうに笑った。

No.163 18/08/24 21:15
自由人 

「神谷君ってやっぱり…なかなか我が強い…ですよね?」

恐る恐る聞く私に、

「ああ、彼は頑固で我が強いね。
好き嫌いも激しいし。
気に入らないとブロック長にすら噛みついちゃうしね。
実は僕も何回か噛まれたよ。」

と、店長が笑いながら答える。

うわっ、ダメじゃん。

狂犬か、あやつは。

聞きながら顔が引きつるのを必死でこらえる私に、

「でもね、彼は多分伸びるよ。
そういうオーラを持ってる。」

と店長は確信を持った様に言い切った。

「そうなんですか?」

「うん。ただ今の彼はまだまだダメだ。
だから良いフォロー役がいてくれる事が重要になる。
その点では、田村さんや森崎さんがいてくれて良かったよ。」

「森崎さん?」

「うん。
彼女はとても芯がしっかりしている。
感情的になる事もほとんどない。
頭の良いしっかりした人だよ。
神谷君の良い助けになってくれるだろう。
ただね…」

「お待たせ致しました~
Aセットでございます。」

またここで絶妙なタイミングでカフェの店員さん来る。

おい~~っ!
もしかして狙ってない?


またタイミングを逃してしまったか?と私はヒヤヒヤしながら店長の顔を見た。

No.164 18/08/25 20:06
自由人 

「森崎さんは…」

私の心配をよそに店長は話の続きをしようとした。

「.はい。」

私は、続きを促すように返事をする。

「彼女はいつもニコニコとして周りへの気配りも完璧な人でしょ。」

うんうん。確かに。

「でもね、何と言うか…
僕の勝手な思い込みかもしれないけど、森崎さんはどことなく闇を抱えてそうな気がする…っていうか。」

「闇?!ですか?」

「あ、いや、闇っていうか悲しみというか…」

店長が慌てた様に否定する。

悲しみ?
なんだろう。
いつものユッキーからは想像できないけど、
でも言われてみればユッキーもあまり本音を出さないタイプかも。

「それで、ずっと僕は彼女の事が気になっていて…
それで…いつの間にか…何と言うか…」

店長が言いよどむ。

「そういうことありますよね。」

私が店長の言葉を先回りして言った。

「えっ?
あ~、はは、そうかな。そうなのかな。」

店長が少し気恥しそうに笑う。

その顔は店長と言うよりも、23歳の青年の顔そのものだ。

店長もこんな風に恋をしたりするんだ…

当たり前の事だけど「店長」という役職は店のトップになるわけで、そのせいか何となく勝手に「落ち着いた大人のイメージ」を持ってしまっていた。

そんな私の勝手なイメージを払拭する様に店長が話を更に続ける。

「ま、まあそれで僕が彼女にどうこうという話でもないんだけど…
その、はあ…
森崎さん健気だし、本当に可愛い…」

うっ。
だんだん店長のセリフがアイドルに憧れる中高生男子の様になってきたぞ?

「で、どう思う?」

心の中で少し焦りだした私に、

いきなり何の主語もなく店長が私に話を振ってきた。

No.165 18/08/26 21:21
自由人 

「えっ?
どう、思う、ですか?」

返事に困る私に、

「いや、森崎さんは何か辛い事とか抱えていたりしていないのかな?」

と、店長が言う。

「いや~どうなんでしょう。
特に何も聞いたことはありませんけど…」

そう答えながらもふとユータンとの事が気になった。

あの2人、昨日も楽しそうに仲良くしていたな。

だから特に問題はないか。

それにユータンはユッキーといずれ結婚したいとまで言ってたしな。

と、するとユッキーの家庭環境?

いやあ、体調不良のユッキーを送っていった時に立派なお家に優しそうな御両親、
特にこちらも問題なさそうだけど?

「ごめん、ごめん、きっと僕の考え過ぎだね。
森崎さんの事が気になりすぎて勝手な想像してたみたいだ。」

考え込む私の顔を見て店長が慌てて訂正をしてきた。

店長。
そんなにユッキーの事が?

「あの…店長?
森崎さんにそのことを、店長の気持ちを伝えるんですか?」

私はかなり複雑な気持ちだった。

だって…

ユッキーはユータンの事を…

だが店長は静かに首を横にふり、

「いや、伝えない。
これからもずっと伝える気はないよ。」

ときっぱり言い切った。

「何故ですか?」

「僕が気持ちを伝えても森崎さんが困るだけの様な気がするから。
多分ね、そんな気がするから。」

「そうですか…」

頑張って気持ちを伝えましょうよ?
なんてとても言えなかった。

自分が相手を好きになったとしても、相手も自分を好きになってくれるとは限らない。

「そろそろ帰ろうか。
田村さんと話して何だかスッキリしたし。」

店長が伝票を持ち立ち上がった。



「今日はご馳走様でした。」

頭を下げる私に、

「ううん。僕こそ。
今日は本当にありがとう。」

店長は笑顔で軽く手を挙げて帰っていった。

人を好きになるのって難しいな…

店長の後ろ姿を見送り、
ふとそんな思いが私の胸をよぎった。



翌日、

「おはようございます。」

早番で入った私に、

「おはようございます…」

同じ早番の大ちゃんのまだ機嫌の悪そうな声。

あ、しまった。

優衣に対処方を聞くのをすっかり忘れていた。

やはり私に近寄って来ようとせず黙々と仕事をしている大ちゃんの姿を遠目で見つつ、

人を好きになるのって本当に難しい。

と、私はため息をついた。

No.166 18/08/27 13:00
自由人 

「おはようございます!」

中番のユッキーが出勤してきた。

「おはようございます!
この前はちゃんと帰れた?」

大ちゃんがニコニコとしながらユッキーに話しかけに行く。

あれ?
機嫌良いな。
機嫌が直ったのかな?

ほっとしながら2人が楽しそうに談笑している所に近づくと、

スッ…

大ちゃんが無言でその場を離れた。

あれれ?

遅番の店長が出勤した時も同じだった。

私以外の人とはニコニコと話すが、私が近づくとムスッとした表情で逃げる。

私と話したくないのかな?

仕方がないので相手の希望通りに?その日はなるべく関わりを避けたが、仕事が終わる頃には大ちゃんの私に対する機嫌はますます悪くなった。

う~ん。
よく分からないが何だか面倒臭いタイプだな。

でもいつまでもこんな気まずい空気のままというのも耐え難いものがある。

ここはひとつ仲直りをしなくては。

帰り支度をしている大ちゃんの近くに寄っていき、

「ご飯食べに行こうか?」

と誘ってみた。

大ちゃんはチラリとこちらを見たきり何も言わない。

「いつもの所で待ち合わせね?」

と更に声をかけると、

「気分が乗らないから行かないかもしれませんよ?」

と大ちゃんが言う。

「まあそれならそれでいいよ。
私が行ったときに大ちゃんがいなければ帰るしね。」

と私は笑って先に店を出た。

あまり期待もしていなかったのだが、とりあえず家に帰って自転車を置き、歩いて駅まで向かう。

待ち合わせの場所にはちゃんと大ちゃんの車が停まっていた。

来てるよ、おい。

律儀な性格だなぁ。

こういう所は私にはないなと感心しながら車に近づいた。

「お待たせ!」

と助手席に座ったが、大ちゃんは車を発進させない。

ん?

不思議に思う私に、

「俺って面倒臭いでしょ?」

と大ちゃんがポソリと聞いてくる。

「うん。」

と即座に答えると、大ちゃんの顔色が心なしか青ざめた。

No.168 18/08/28 23:44
自由人 

「1時間くらいかかるよ?
大丈夫?」

大ちゃんが気を使って聞いてくれる。

「大丈夫!大丈夫!
着くまでゆっくり話せるし、それにお腹すかせた方がご馳走もより美味しいしね!」

と、バブル世代ど真ん中の私はウキウキと答え、
どんなオシャレなレストランかな~?
イタリアン?フレンチだったりして~!
と内心ドキドキと胸が高鳴っていた。

それから、大ちゃんの予告通り車はほぼ1時間ほど走り、

「ここなんだけど。」

と大ちゃんが駐車場に車を停めたその先には。

んっ?

こっ、ここは?!

ドーン!

これは一体、築何年なんだ?

思わず聞きたくなるほど、古くて小汚い…
いや失礼、
ものすごく歴史を感じさせる趣きのある建物がそびえ建っていた。

店の入口には、これまた長い歴史を思わせる黒ずんだ赤のれんにラーメンと書いてある。

「ちゅ、中華料理であったか…」

「いや、ラーメンだけど?」

私の呟きを聞いた大ちゃんが訝しげに答えてくる。

そ、そうでございましたな…

「いらっしゃいませ!!」

歴史のあるのれんをくぐり、店内に入った途端、

ズルッ!!

油でコーティングされてるのかと思うほど油ギッシュな床で滑りかけた。

おわっ?!

驚きつつも何とかカウンター席に座ると、テーブル、メニュー全てが油ぎっている。

こいつはすげぇや。

初めての強烈油体験に目を白黒させている私に、

「ここのラーメン本当に美味しいって有名だから!」

と、大ちゃんが嬉しそうに囁いてきた。

No.171 18/09/02 20:33
自由人 

「この前4人で遊んでからもう何ヶ月も経ってるし、そろそろまた企画しようか?」

ユッキーと休憩中にランチを食べながらそう切り出した私に、

「あ、う、うん…」

とユッキーは微妙な顔をした。

「どうしたの?」

何気なく聞いた私に、

「うん…実は…
ちょっと生理が遅れてるなと思って念の為に検査したら一応陽性反応が出ててね…」

「ええっ?!
そうなの?あの…ユータン…の?」

「あ、うん。
昨日、検査薬の結果を一緒に見てもらったんだけど、結果判定がね、ギリギリすこし分かるくらいに不鮮明なのよ…」

「うん、あの、それで病院は?」

「まだなんだけど、あまりにも不鮮明だしまだ早すぎるのかなって、もう少し待ってからユータンに付いていってもらって行こうかなって。」

え?
じゃあ、ということは…

「あの…ユータンと結婚…とか?」

「う、うん。
ユータンが凄く喜んでね、ちゃんと病院で診てもらってハッキリとわかり次第、籍を入れようって。」

「すご~い!おめでとう!!」

喜ぶ私に対してユッキーの表情は晴れないままなのが気になった。

「ユッキー?大丈夫?」

「う、うん。
あのね、美優ちゃん。
私の親戚のお姉さんが私と同じ様に陽性か陰性か分からないくらいの状態になった事があって、
どっちなんだろう?と思っているうちに、生理が来ちゃったんだって。
だからまだ完全にそうとは決まった訳じゃないから。」

そうだね。
まだハッキリ分からないうちに
あまりに周りに色々と言われるとプレッシャーになるね。

「そうだね。
先走ったこと言ってごめん。
でもハッキリするまでは身体を大事にするに越した事はないからね。
無理しちゃダメだよ?」

私の言葉にユッキーはようやく少し笑顔を見せると、

「私がママになるとか全然実感できないね。」

と、照れた様に自分のお腹を見下ろしていたが、
その数日後、体調不良を理由に休んだユッキーから電話があった。

「もしもし。」

電話をとった私に、

「美優ちゃん?有希だよ。
あのね、やっぱりちゃんとした妊娠じゃなかったみたいなんだ。
生理が来たから慌てて病院に行ったら、化学的流産っていうのだった。」

手短に説明をしてくれるユッキーに私は、

「体調は大丈夫なの?」

と言うのが精一杯だった。

No.174 18/09/07 23:13
自由人 

「お先に失礼しま~す!」

中番の私は遅番のユッキーやバイトさんに声をかけた。

「は~い!お疲れ様です!」

ユッキーが「また後で。」という風に頷きながら軽く手をあげる。

さてと、大ちゃんはもう着いてるのかな?
急いで店を出ようとした途端、

プルルルル!

事務所の電話が鳴った。

「はい、お電話ありがとうございます…」

咄嗟に電話をとり、お決まりの電話応対文句を言いかけた私の耳に、

「あ!良かった~間に合った!」

大ちゃんの嬉しそうな声が飛び込んできた。

「神谷さんですか?」

咄嗟に職場モードの話し方になる私に、

「はい、僕です。神谷です。
田村さん、急で申し訳ないですが場所の変更の電話です。
予定していた○○ビルの横に細い路地があるのを知っていますか?
そこを入って2つ目の角を曲がったすぐに良さそうなお店を見つけました。
そこに居ますのでお願いします。」

大ちゃんが可笑しそうに含み笑いをしながら職場モードの話し方で答えてきた。

「はい、わかりました。
森崎さんにも伝えておきます。」

慌てて電話を切ると、ユッキーにその旨を伝え、自転車を家に置きに帰り電車に乗ると○○駅に向かった。

○○駅前ビルの横の路地。

ここかな。

え~と、2つ目の角を曲がると…

ザワザワザワ
人々のざわめき。

いらっしゃいませ~
店員さんの活気に満ちた明るい声。

香しい焦がしバターやガーリックの香り。

角を曲がった私の右側に、いきなり小洒落て明るく活気のある空間が広がった。

No.175 18/09/08 16:22
自由人 

そこは1軒の立ち飲み屋であった。

立ち飲み屋というと、その店自慢のオデンをつつきながら日本酒をちびりちびり。
今日もお疲れ様だねぇ。
という、サラリーマンのおじさま御用達の昭和感溢れる立ち飲み屋が思い浮かぶのだが、
そこは小洒落た看板、可愛い文字のメニュー表、テーブルの代わりに大きなビア樽を幾つも置いている見るからにセンスの良さそうな洒落た雰囲気の立ち飲み屋さんだった。

通常多い奥に細く長くの造りではなく歩道に面して横長の造りのその店は、突き当たりがカウンターを挟んでの横長厨房、手前の歩道側が立ち飲みスペース、

外に向かって全面開放されている店内は人で溢れ、その店の人気の高さが伺い知れる。

「お~い!ここ!」

大ちゃんがすぐに私に気づいて手招きをした。

「お待たせ~!
っていうか、どうしたの?ここ。
すごく良い感じじゃない。」

感心する私の言葉に、

「山田さん達と飲むのも久しぶりだから、どうせなら面白い店がないかな?と思ってブラブラと探し回った。」

まるで100点をとって褒められた子供の様に、大ちゃんがへへっと嬉しそうに笑う。

「うん、うん、いいね!
ユータン達も喜ぶよ。」

口ではブラブラと言っているけど、皆を喜ばせたくて必死で探し回ったのであろう大ちゃんの優しさに心が和みながらメニューを眺めた。

フードメニューは豊富で多岐にわたっていたが、メインはイタリアンという感じで、○○のオリーブ焼きとか、○○の香草焼き等、
ブラーヴォな名前がずらりと並んでいてなかなか良い感じだ。

う~ん!
トレビア~ン!
あ…
これはフランス語だわ。

心の中での1人ツッコミもすみ、
とりあえずビールを頼む。

ブラーヴォだろうが、トレビアンだろうが、
とりあえず冷たい生中は外せない。

ちょっぴりイタリアを気取ってみました、フフッ
な、お店もそこの所はよく理解しているらしく、流石にジョッキではないが、細長い洒落たグラスに注がれた冷たい生ビールが2つテーブルに運ばれてきた。

カンパ~イ!

2人で乾杯をする。

うん!美味しいっ!

「このビール美味しいね!
イタリアのビールなのかな?」

そう聞いた私に大ちゃんが、

「これは、
サン=トリーモ=ルツだよ。」

とサラッと銘柄を言い当てた。

No.176 18/09/08 18:44
自由人 

「えっ?えっ?そうなの?
すご~い!
何でわかったの?」

感心しきりで聞く私に、

「コップに書いてある。」

と、大ちゃんが事も無げに答える。

よく見るとグラスの側面に、
「SUNTORY モルツ」
と書いてあった。

サントリーモルツであったか…

う~っ

モルツモルツモルツモルツ
モルツモルツモルツモルツ

美味いんだなこれが。


プレミアムモルツに取って代わられ、今では飲めなくなってしまったモルツの味が懐かしい…

口当たりが良く喉越しの良いモルツを飲みながら、オリーブオイルの風味豊かなトマトとモッツァレラのサラダやカリッと焼かれたクリスピーなピザを頂く。

「この若鶏のグリル、ローズマリー風味っていうの美味そう!」

「イタリアのチーズも色々あるみたい。
え~とこのパルミジャーノ・レッジャーノって何かな?
やたら名前が長いんだけど。」

「山田さん達も来るし、気になる料理を頼んでおけばいいんじゃない?」

「そうだね、そうしようか。」

2人であれこれメニューを覗きながら吟味する。

過去に付き合った彼氏たちはバブルという時代もあってか羽振りが良く、ディスコに行って遊んだ後は大人のムード漂うBARでカクテルを飲んだり、
価格の書かれていない小料理屋さんで贅を凝らしたお料理を希少な日本酒と共に頂いたり、本格的なフランス料理のフルコース等、その他あれこれ食に関しては贅沢をさせてもらった。

とても優しくもしてもらった。

今でもそれは感謝している。

でも、彼らと付き合っていた私は、「私」でいられなかった。

「大人」の彼らに合わせようと無理をして背伸びをしている自分に常に違和感を覚えていた。

「自分が自分でいられる相手」と数百円のツマミを真剣に選び、舌鼓を打つ。

それは今まで食べたどんなご馳走よりも素晴らしい。

私達が幾つかメニューを注文し終えた頃、

「お待たせ~!」

ユータンとユッキーが到着した。

No.177 18/09/10 12:34
自由人 

「こっちだよ~」

軽く手を挙げて呼ぶと、

「お~っ久しぶり!」

ユータンがニコニコしながら近づいてきた。

「あれ?ユータン痩せた?」

童顔で丸顔気味のユータンの頬が少しこけかけている。

「え?ああ、仕事が忙しいからかな。」

曖昧な笑顔で答えるユータンに、

「山田さん、乾杯しましょうか。」

大ちゃんがドリンクメニューを差し出しながらそう言った。

「よし、乾杯しようか。」

車で来たユッキーはジュース、残りの3人はビールのグラスを持ち、いざ乾杯をしようとした時にふと大ちゃんが呟いた。

「イタリア語で乾杯ってどう言うんだろう。」

えっ。

なんて言うんだろう。

「チンチンだよ。」

ユッキーがサラッと答える。

えっ?

「ええっ?マジで?」

大ちゃんが何故か喜びを露わにしながらユッキーに聞き返す。

「うん、確かグラスを合わせる時にチンッて音がするからだとか…」

ユッキーが大真面目に説明する横で、

「ミューズ!ミューズ!ミューズもちょっと言ってみてって!」

イタリアン風乾杯由来説明をすっ飛ばし、はしたなく大喜びする大ちゃん。

小学生男子か君は…

あれ?

いつもなら一緒になって大笑いするユータンの笑い声が聞こえない。

ユータンの方に目をやると、ユータンはうつむき加減で真っ赤な顔をしていた。

へえ。

これが私が言ったんならきっと爆笑してたんだろうに…

好きな人が笑われて恥ずかしくなったのかな?

本当にユッキーのこと好きなんだね。

微笑ましくなり、まだ笑っていた大ちゃんのグラスを取り上げ、

「ほらっ!乾杯するよっ!」

と皆に促した。

「うん、チンチーン!」

グラスを軽く合わせると、

グラスは「チンッ!」と
軽やかな音を立てた。

No.178 18/09/10 19:44
自由人 

乾杯を終えたタイミングで頼んでいた料理が運ばれてきた。

「うわあ、美味しそう!」

喜ぶ私達の目の前に1cm角の物体が幾つか並べられている皿が置かれた。

「この石鹸みたいなの…なに?」

ユータンが不思議そうに覗き込むと、

「パルミジャーノレッジャーノでございます。」

店のお姉さんが笑いを堪えながら答えた。

「誰だよ?こんなの頼もうって言ったのは。」

と大ちゃんがパルミジャーノレッジャーノをつつきながらブツブツ言う。

あんただよ…

後日知ったのだが、パルミジャーノレッジャーノを名乗るためには数々の厳しい条件をクリアせねばならず、
彼は言ってしまえば選び抜かれたエリート中のエリートチーズ、
イタリアチーズの王様とさえ言われるやんごとなき身分の御方であった。

「ふふん、パルミジャーノ様よ?
そこいらのプロセスチーズとは格が違うのよ?
ひれ伏せ!愚民共よ!!」

と、意気揚々と登場したパルミジャーノ様であったが、いかんせん相手が悪かった。

パルミジャーノ様を存じ上げない愚民of愚民に罵倒され、つつき回され、

「もうやだ…イタリアに帰りたい…」

と、彼は粉をポロポロと落としながら嘆くのであった。

そんなパルミジャーノ様の嘆きを知らない愚民共は、とりあえず食べてみましょうということで各自口に入れてみる。

ん?
んんっ?

こ、これは!

「あっ!」
とユータンが声を出す。

「ミートソースの上にかかっているアレだ!!」

そう。
パルメザンチーズ。

パルミジャーノ様とは似て非なる物。

主君と影武者の様な物だが、
愚民の味覚等しょせんこんなものである。


余談だが、年齢を重ねて今ではデパートに行く度に、ブルーチーズやウォッシュタイプチーズ等色々なチーズを買い込む程のチーズ好きに成長したが、パルミジャーノレッジャーノだけは何回食べてもあの時の

「ミートソースの上にかかっているアレ。」

が脳裏に浮かんで離れない私は、今だ愚民のまんまである。



「これワインに合うと思うよ」

のユッキーの言葉に3人がワインを頼む。

ワインを飲みながら色々食べてまた飲んでを繰り返しているうちに、立ち飲みというのもあってか酔いがかなりまわってきた。

No.179 18/09/15 19:02
自由人 

「やばっ、調子に乗りすぎた。
立っているの辛い…」

その場に座り込みそうになりながら訴えた私に、

「大丈夫?そろそろ出ようか。」

と、強制的にお開きモードになり、私達は店を出た。

「ごめんね。」

謝る私に、

「いいよ、いいよ、それより車に乗れそう?
今、乗ると悪化するかな?」

ユッキーが優しく声をかけてくれる横で、

「カラオケボックス行こうか。
そこで水でも飲んで横になってたら?
俺達は勝手に歌ってるし。」

大ちゃんが少しぶっきらぼう気味にそう言う。

げっ。
冷たっ。

コノヤロー!と思いはすれど、早く横になりたい私は、

「うん。そうする。」

と答え、私達は近くのカラオケボックスに向かった。

「パーティールームなら1つ空いてるんですが…」

「いい、いい、空いてるなら高くてもそこでいいよ。」

受け付けから少し離れたソファにぐったりと目を閉じて座っていた私の耳に、受け付けのお姉さんと大ちゃんのやり取りが聞こえてきた。

パーティールーム?

ユッキーに支えられながらよろよろと部屋に入った私は目を向いた。

広っ!!

そこはパーティールーム(大)

20人は入れるだろうスペースの真ん中に長テーブルがドンっと置かれ、テーブルの周りにこれまた長いソファが幾つも置かれていた。

「すごいな。」

ユータンや大ちゃんが笑っている声を聞きながら、カラオケの機械から1番離れている壁際のソファに横になる。

「ミューズ、烏龍茶でいい?」

大ちゃんの声に、

「うん、お願いします。
みんな何か歌っててね、それを子守唄にして少し寝ます。」

そう答えながら目を閉じた私に、

「冷えるといけないからこれ掛けてて。」

とユッキーが私の体に何かを掛けてくれた。

エアコンの程よく効いた広くて開放感のある空間で横になっているうちに気分がぐっと良くなってきた私は、1曲目のユータンの歌を聴いているうちに本当にぐっすりと眠り込んでしまった。

フワッ。

頭に何か当たる感触がして目を覚ました私の横に大ちゃんが座っていた。

No.180 18/09/16 23:14
自由人 

「気分はどう?」

「うん、寝たら良くなった。」

「そう?良かった。
すぐに家に帰してあげなくてゴメン。
今日はあのまま解散しちゃいけない気がして…」

「うん。私のせいですぐにお開きになったら、せっかく集まった皆に悪いしね。」

起き上がりながらそう言う私に、

「いや、そうじゃない。
ミューズのせいとかじゃなくて…
何か、今日の山田さんはほっとけない気がするっていうか…」

大ちゃんが歯切れ悪く説明するのを聞きながら部屋を見渡した私は、ユータンとユッキーの姿が見えない事に気がついた。

「あれ?2人は?」

「山田さんはタバコ買いに行った。
ユッキーはトイレ。」

「そうなんだ。」

返事をしながら烏龍茶を取りに行こうとして立ち上がった私を、大ちゃんが不意に抱きしめてきた。

「どうしたの!?」

「あのさ、あの2人…」

コンコン!

急に大ちゃんの言葉を遮る様にノックの音がして、大ちゃんは慌てて私から離れた。

「お待たせ致しました。
ハイボール2つとオレンジジュースでございます。」

店員のお兄さんが淡々と事務的な口調でそう言いながら飲み物をテーブルに置き、空いたグラスを素早く回収して部屋を出て行った。

「ビックリした~。」

大ちゃんが後を追うようにドアを見つめる。

私もつられてドアのほうに目をやると、ドアの向こうに人影が映り、

ガチャッ。

「あ、起きてた?
気分はどう?」

ユータンとユッキーが2人で揃って部屋に戻ってきた。

No.181 18/09/16 23:17
自由人 

「うん、もうすっかり大丈夫だよ。
ありがとう。」

お礼を言いながらふと自分が寝ていたソファに目をやると、そこには数枚の服が散らばっていた。

拾い上げてみると、パーカー、サマーニットのカーディガン、チェック柄のシャツ。

3人がそれぞれ羽織っていた上着だ。
ユッキーはこれを掛けてくれてたのか…

何故だか不意に涙が溢れてきた。

嬉しいのか悲しいのかわからない。

ただひたすら高ぶる感情を抑えきれなくなり、私はトイレに行くふりをして部屋を出た。

部屋出ちゃったけど、どうしよう…

ここに立ち止まっているのも変だよね。

とりあえずトイレ方面までブラブラ歩いて戻って来るかと歩きだした途端、

「ぎゃはははは!」

隣の部屋から出てきた男の子と思いきりぶつかりそうになった。

「おい!前!」

その子のすぐ後ろにいた別の男の子に声をかけられ、

「あっ!すいません!」

慌てて謝る男の子。

「すいません。」

後から出てきた2人の女の子達もぺこりと会釈をしてくれ、

「あ、いえいえ。」

と、私も慌てて頭を下げた。

20歳前後?
学生さんかな?

「それでね〜…」

楽しそうに笑い合いながら歩いていく4人の後ろ姿をぼーっと眺めながらそんな事を考えてみた。

楽しそうだな。
この頃って何のしがらみも無く、ただ目の前の楽しい事にだけ夢中になってた様な気がする。

微笑ましさと羨ましさが混ざった何とも言えない複雑な感情に襲われたが嫌な気持ちは全くしない。

さて、そろそろ戻るか。

私の大好きな仲間たちの所へ。

ねえ、私にもあなた達と同じように笑い合える仲間がいるんだよ。

もうとっくに姿も見えなくなったさっきの子達に心の中でそっと語りかける。

ずっと、ずっと、いつまでも仲良く一緒にみんなで笑い合いたいね。

ガチャッ。

「お帰り。もう遅いしそろそろ終わろうか。
ユッキーに送ってもらってくれる?」

ドアを開けた私の耳に大ちゃんの声が飛び込んできた。

No.182 18/09/16 23:31
自由人 

「えっ?大ちゃんたちは?」

「うん、ここフリータイムで借りてるからもう少し山田さんとゆっくりしていくよ。
俺は明日休みだし。」

大ちゃんが何とも言えない微妙な顔つきで答える。

えっ?

私も残りたい…

私がその言葉を口に出す前に、

「帰ろうか。酔いはもう大丈夫?」

とユッキーが私の荷物を手渡してくれた。

「あ…うん、じゃあまたね。」

曖昧な笑顔で挨拶をする私に、

「気をつけて!」

大ちゃんがニッコリと手をふり、
ユータンは無言で優しく微笑んでくれた。

「今日は迷惑かけてゴメンね。」

帰りの車内で謝る私に、

「いいよ、いいよ、ミューズがあんなに酔うなんて珍しいね。」

とユッキーが優しく笑う。

「ユータンも久しぶりに会ったのにほとんど話せなかったよ。
謝っておいてね。」

私の言葉にユッキーの顔から急に笑顔が消えた。

「美優ちゃん。」

ユッキーが静かに改まった声を出す。

ユッキー?

なんで、美優ちゃんなんて呼ぶの?

やめて、変だよ?

「ごめんね、私たちは…」

何言ってるの?

やめて、いつもの冗談だよね?

頭が真っ白になった私には、その時ユッキーが話してくれた内容の記憶があまり残っていない。

ただ、ユータンのお母さんのこと、

ユッキー自身の家の事情、

互いの家の事情の問題などで色々と揉めて悩んでいる所に、例の妊娠騒動。

「妊娠したかもってなった時に本当は複雑な気持ちしかなかった。
それでその妊娠が間違いだってわかった時に、心のどこかでホッとしている自分に気づいてしまったの…」

そんな様な事を話していたような気がする。

何を言っていいのかわからない。

「うん。でも…ごめん…」

胸が苦しくなった。

「それでも…私は…大切な友達として…ユータンが好きなんだ…だから辛いよ…」

やっとの思いの私の言葉に、

「うん…私も好きだよ…」

ユッキーがポツンと答える。

「そか…」

「そだ…」

なんでこんなに不器用なんだろう。

ただお互いに好きというだけじゃダメなの?

本当にいいの?
考え直す余地はないの?

頭の中でそんな言葉がグルグル回る。

「いつか…また…4人で…」

見当違いの言葉を言いそうになり、
途中で切った私の言葉を引き継いだかのように、

「また、いつかきっと…」

と、ユッキーが答えた。

No.183 18/09/17 19:12
自由人 

「ユッキーから聞いた?」

翌日、仕事が終わって帰宅した所に大ちゃんから食事への誘いの電話があった。

大ちゃんと初めて食事に行って以来ちょくちょく利用しているいつものファミレス。
ハンバーグ定食を食べながら大ちゃんがそう切り出してきた。

「うん、細かい部分まではよくわかってないけど。」

私もハンバーグを食べる手を止めずに答える。

口に物を入れながら話すなど、お行儀があまりよろしくない事はわかってはいたが、手を止めてじっくり話に集中してしまうのが何となく嫌だった。

大ちゃんも同じ気持ちだったのか、食べ終わった後もやたら水を飲んだり、テーブルの紙ナプキンを弄ったりしている。

「もう、4人で会うことは無理かな?」

私の言葉に、

「どうかな?あの2人がこれからどういう関わり方をしようと思っているかによるし。」

大ちゃんが至極もっともなことを言う。

「だよね、あの2人って…
嫌いで別れたわけじゃないん…だよね?」

「多分ね。
2人の問題だからよくわからないけど、恋愛と結婚は別っていうか、好きでも結婚を意識すると、色々考える事もあって付き合い続ける自信が無くなったんじゃないかな?」

まだ20歳になったばかりの大ちゃんにはピンと来にくい話だったのであろう。
考え、考え、話す大ちゃんの手元の紙ナプキンはボロボロになっていた。

「大ちゃんは前から知ってたの?」

「いや、昨日あれから初めて山田さんに聞いた。
本当は2人の最後のデートのつもりだったらしい。
でも俺達が誘ってしまったから来てくれたみたいだよ。」

「ええっ?悪いことしちゃったかな…」

「いや、嫌なら何だかんだ理由つけて来ないでしょ。
俺達にもその話をしたかったらしいし、呼んで良かったんじゃない?」

大ちゃんの話しを聞いているうちに、私の中にある疑問が浮かんだ。

「でも、大ちゃんは何となく前々からわかっている様な雰囲気だったよね?
何も知らなかった様に思えなかったけど…」

紙ナプキンを弄る大ちゃんの手が止まった。

「俺、人の心の動きっていうか、何となくそんなのわかっちゃうから…」

大ちゃんは少し俯いた後、
コップに残っていた水を一気に飲み干した。

No.185 18/09/18 20:19
自由人 

「引越しをすると言っていたけど特に連絡先も交換してなかったから…」

店長もその言葉を最後に遠くの県に転勤移動していった。

もうその頃には携帯電話が急速に普及しだしていたが、
私達4人が最後に集まった1994年にはまだ私達の誰一人携帯電話を持っていなかった。

連絡は固定電話。

遠方への引越しなどで電話番号が変わるともうわからない。

ユータンはユッキーと別れた後、すぐに引越しをしたらしいが新しい連絡先を私達の誰にも教えてくれずに行ってしまった。

そう。
大ちゃんにさえも。

そうしてやっと店長を通じて所在が少し掴めたかと思うと
またどこか遠くに行ってしまった。

店長に無理矢理にでも頼んでユータンの携帯電話の番号を聞いてもらっておけば良かった…

ふとそう思ったが、ユータンにその気があるのなら自分から連絡をしてくるだろう。

それが無いということは…

ユータン…
ずっと仲良くしようって言ったのに…

無理な願いだとわかっていても寂しかった。

でもユッキーの事を思うと、出しゃばった様な真似をする事もできず、
ひたすらユータンからの連絡を待ってみたが、ユータンからの連絡は遂に来ることは無かった。

人との出会いも別れもちょっとしたきっかけや偶然で起こるんだ。

今まで何人の人との出会いや別れを経験してきたのだろう。

サヨナラは別れの言葉じゃなくて
再び会うまでの遠い約束…

ふっとそんな歌詞が頭に浮かぶ。

これ何だったっけ。

ああ、薬師丸ひろ子さんのセーラー服と機関銃だ。

可愛かったな。

あの曲好きだったな。

ユータン。

また会おう。

前に言っていた様に50歳、100歳になるまでにまた。

忘れないでいればまたきっと会える。

また以前の様にみんなで笑い合える時が来る。

そんな何の根拠も無い思いにかられ、
私はユータンの事を決して忘れないとそっと心の中で誓った。

No.187 18/09/19 20:11
自由人 

「やった!家賃会社持ちで一人暮らしできる!」

大ちゃんが妙にはしゃぐ。

「はあ、私はギリギリダメだ。
今までよりかなり早く起きなきゃ。」

私はため息をついた。

私の住む場所から本社までの距離は会社の規定する距離に足りないため部屋を借りてもらうことができず、
自腹で借りようにも本社の周辺はとにかく高い。

「じゃあさ!会社に移動願い出して俺のとこ来る?」

「えっ?どういうこと?」

「だから~、本社なんか行くのやめて俺と一緒に来たら?
どうせ大したことするわけでもないんでしょ?」

軽い調子でふざけた様に言う大ちゃんに私はカチンときた。

「何言ってるの、行くわけないでしょ。
通勤は大変だけど、新プロジェクトのメンバーに選ばれたんだもん、こんな名誉ないもん。」

普通に言ったつもりの言葉だったが、イライラが出ていたのだろう、
私の言葉に大ちゃんは少しポカンとした顔をしたがすぐに、

「新プロジェクトと言ったって会社のいつもの気まぐれプロジェクトでしょ?
やってみてダメだったら、はい!おしま~い!ってなるじゃん。
そんなに気合い入れたってガッカリするだけじゃないの?」

と嘲笑うかの様に嫌味な笑いを浮かべながら言い返してきた。

は?
あまりの言い様に返す言葉が出て来なかった。

そのプロジェクトは今までに無い新しい試みで、確かに上手くいくかどうかはやってみないとわからない。

でもだからこそ、それなりに会社に認められたメンバーで構成するのだと聞かされていた。

辞令が出た時には自分が会社に期待されている様な気持ちになって嬉しかった。
コンプレックスの塊だった私が初めて掴んだ名誉。

なのに、なのに…

「わかりました。」
と私は一言答えた。

その声は自分でもゾッとするほど静かで冷たい声だった。

No.188 18/09/20 22:00
自由人 

「はあ、疲れた…」

帰宅した私はすぐにベッドに倒れ込んだ。

本社勤務になって1年半が経過しようとしていたが毎日こんな調子の日が続いている。

休みの日もここ半年は遊びに出かけた記憶が無い。

大ちゃんとも連絡を取り合っていたのは最初の僅か1~2ヶ月。

電話で話してもお互い疲れた、疲れたの言葉の繰り返しで特に話が盛上がることも無い。

大ちゃんの事を嫌いになったわけではない。
好きか嫌いかと問われれば、迷わず好きとも言えた。

ただ、心身共に疲れていた私には「大ちゃん」を受け止めてあげられるほどの余裕が無かった。

何となく会うのをやめた。

何となく電話するのをやめた。

大ちゃんと全く繋がりが無くなって1年程経ったある日、
大ちゃんが年下の可愛い女の子に告白されたという話を、私達2人の共通の知り合いから聞かされた。

「みんなで海に遊びに行った時、2人で水をかけ合ったりしてじゃれ合ってて可愛かったよ。
すごくお似合いの2人って感じだった。
若いっていいね。」

私と大ちゃんの過去を知らないその人は、微笑ましくて仕方ないといった様子で事細かに私に大ちゃんの事を話した。

「そう…ですか。友達を作るのが下手な子だったから心配してたんですけど、あちらで上手くやっているようで安心しました。」

無理をして笑顔を作る。

「仲良しのグループで色々遊びに行ってるみたいだよ。
僕も時々参加させてもらうけど、夏にはBBQしたりして盛り上がってなかなか楽しかったな。」

楽しんでるんだ…

良かったね。

結局、私はあなたに寂しい思いをさせたまま終わってしまったけど、
あなたの幸せを願う事が私の最後の愛情なのかな?

胸が締め付けられる様な感覚に陥った。

心が寒くて仕方なかった。

でも、そう仕向けたのは私。

我慢しなきゃ…

我慢しなきゃ…

我慢…

……

ピリリリリ!!

?!

突然鳴り響いた枕元の携帯電話の着信音で思わず飛び起きた。

び、びっくりした~

いつの間にか寝てしまっていた様だ。

大ちゃん。

あれから半年経ったのか…

今も年下彼女さんや向こうの仲間たちと楽しく過ごしてる?

ピリリリリ!
ピリリリリ!

携帯電話が早く出ろ!と催促せんばかりに鳴っている。

「あ!もしもし!」

私は慌てて電話に飛びついた。


No.189 18/09/21 12:20
自由人 

「もしも~し!元気にしてる~?」

ユッキーからだった。

「お~、毎日クタクタだよ。」

「疲れてるみたいだね。
ねえ、私今度の日曜日休みなんだけど、土曜の夜から泊まりに行っていい?」

外泊が苦手なユッキーにそんな事を言われるのは初めてで、私は驚いた。

「へえ珍しいね。
歓迎するけどご飯はどうする?
2人鍋パーティーでもする?」

「おおっ!いいね~。
じゃあ私は飲み物買って行くから悪いけど用意お願いできる?」

「わかった。じゃあ土曜日仕事終わったら適当に来て?待ってるよ。」

「は~い!久しぶりだからいっぱい喋ろう!
寝かせないよ?」

ユッキーはおどけた様に言うと電話を切った。

ユッキーと会うのも久しぶりだな。

気分が少し高揚して久しぶりにウキウキした。



土曜日の夜、

ピンポーン!

「こんばんは~お世話になります!」

ドアを開けた私の目に、両手に大きなビニール袋をぶら下げたユッキーが立っていた。

「…大荷物だね。」

「うん、今夜は飲んで喋って飲むからね。」

ユッキーは私にビニール袋を渡しながら笑った。

ビニール袋を受け取り中身を冷蔵庫に入れながら、
あれっ?この場面は前にもあった様な…
と思い出す。

「ねえ、私が寝込んだ時もこうやって差し入れくれたよね。」

「ああ!あの時はユータンからの差し入れだったけど。」

ユッキーも思い出したのか少し懐かしそうに笑う。

「そうそうユータンからだったね。
あの…ユータンから連絡とかは?」

「ないよ。一体どこで何してるんだろうね。」

「そっか。まあ多分元気にしてるんだろうとは思うけど…」

「多分、きっと元気だよ。
そういえば大ちゃんはどうなってるのかな?
連絡し合ってる?」

「ううん。全く。」

「そうなの?してあげたら?
寂しがってるんじゃない?」

「ううん。なんかさ聞いた話だと年下の可愛い彼女できたみたいよ。
もう寂しくないんだよ。
だからもう会うことも無いと思う。」

私の言葉に、
「えっ?何か意外だね。」

とユッキーが少し首を傾げる。

「え?意外って何が?」

「ん?いや、ミューズと大ちゃんって絶対切れない関係って気がしてたから。
ちょっと違和感がね。」

絶対に切れない関係か。

ユッキーのその言葉で、
私は以前、学生時代からの友人に言われた話の内容を思い出した。

No.190 18/09/21 19:05
自由人 

その友人は昔から少し不思議な雰囲気を持つ男性だった。

「俺ね、ある有名な先生について占いの勉強してるんだ。」

大真面目に語る彼に、
えっ?
占いの勉強?
そんな勉強ってあるの?
と不思議に思ったが、特にその場は何も無くその話もそれきりで流れていった。

その数年後、私と大ちゃんが付き合い出して少し経った頃に、ちょっとしたミニ同窓会的なものがあり、久しぶりに再会した彼と懐かしい話題に花が咲いたのだが、
その時、彼が副業的に占い師をやっていることを聞かされた。

「へえ、儲かるの?」

「いや半分趣味みたいなものだから。
それに人をみさせてもらう事も修行の1つだと思ってるからほとんどタダみたいなもんだよ。」

「へえ、私の事もわかっちゃったりするのかな?」

「俺はまだまだ修行中だけど一応プロだし、大体はわかると思うよ。」

「相性占いは?」

「それ得意。」

彼はニッと笑うとジャケットの胸ポケットから小さな手帳とペンを取り出した。

「ここに自分と相手の生年月日を書いて。簡単で良ければざっと占ってあげるよ。」

「え?お金とる?」

「とらね~よ!」

彼は笑いながら持ってきていたカバンから何やら細かい字の書いてある分厚い計算表?らしきものを取り出した。

「なにそれ?」

「商売道具。」

「え?いちいちそんなの持ち歩いてるの?」

「ひと仕事した後にここに来たからっ…て、いちいちうるさいな!
書いたの?」

口調とは裏腹に優しい顔で笑っている彼に、

「これ。相手は結構年下なんだけど…」

と慌てて2人の生年月日を書いた手帳を渡す。

「ふ~ん、どれどれ。」

彼はパラパラと計算表らしきものをめくり、2人の生年月日の横に何やら書き込んでいく。

「これ、なかなか面白い相性だね。
こんなに強い関係珍しいよ。
よく言えば切れない強い絆、悪く言えば腐れ縁になりやすい関係だね。」

「それと~」

更に彼は何かを書き込みながら呟く。

「面白いくらい力関係がハッキリしてる。
これは片方が完全に振り回されてるんだろうな。」

「当たってる!当たってます!」

思わず出した私の大声に、周りに座っていた男女数人が驚いた様に私の顔を見た。

No.191 18/09/22 00:35
自由人 

「え?なに?食いつくとこそこ?」

彼も私の大声に驚いたのか少し体が引き気味になっている。

「そこでしょ!だって、本当に何を考えてるのかわからないから凄く疲れる時あるもん。」

カッ!と目を見開き食いつかんばかりに答える私に、彼は更に身を引きながら、

「あの、ごめん。
振り回されてるっていうのは相手の方だよ。」

と、持っていたペンで「大ちゃんの生年月日」を軽くトントンとつついた。

ええええ!?

「.ええっ?何でよ?いつも喧嘩になっても私の方が折れてるんだよ?
絶対に私の方が悪くなくてもごめんなさいって言わないと長引くし。」

「いや、なんだろうな。
そういう表面的なのじゃなくて、
う~ん、2人の関係性をわかりやすく例えると…
外灯と蛾?みたいな…」

すごい例えを出してきたなおい。

「外灯と…蛾?」

「うん、タムランは黙って立ってるだけでも何か強く光る物を相手が感じてるんだね、
で、ついついフラフラと寄っていってしまうんだけど、そのうちに飛び疲れてパタッと落ちるっていうか…」

ダメじゃん、蛾。

余談だが、私の昔のあだ名はタムランだった。

ミューズといい、タムランといい、微妙なあだ名しかつかない私のキャラって…

「外灯ってさ自分では動かないじゃん。
だから蛾だけが必死で外灯の周りを飛び回ってるとこを想像してもらうといいかな?と。
占いでみた2人の本質はこういう感じかな。」

「う、う~ん。
じゃあ外灯は蛾に対してどんな態度を取っていけばいいの?」

「ありのまま…かな。
動くはずのない外灯が変に動いたらおかしいでしょ?
蛾が勝手に飛び回るのは気の毒だけど蛾の性質。
だから蛾が疲れた時には優しく包んであげるといいよ。」

そうなのか~。

「ありがとね。とりあえず頑張ってみる。」

お礼を言う私に、

「かなり強い縁だからお互いにとってきつく感じる事もあるかもしれない。
でも2人の関係の形がどんな形になろうとも切れにくい縁の糸を感じる。
結局その縁の鍵を握るのはタムランの方だと思うけどね。」

と友人は笑い、私の肩を軽く叩いた。

No.192 18/09/22 18:40
自由人 

「面白いね~。」

缶ビールを飲みながら私の話を聞いたユッキーが笑う。

「う~ん、外灯と…蛾…だからね。」

「例えがわかりやすいし面白いよね。
私も占ってみて欲しかったなあ。」

「そ、そう?」

私は内心焦った。

実はユータンとユッキーの事も少し占ってもらっていたからだ。

「この2人の関係性は何になるかな?」

「う~ん、わかりやすく例えると…
花とミツバチかな?
需要と供給がマッチしてて対等に付き合えるけど、恋人よりも友人関係の方が上手くいく相性。
女の子単体だとハエ取り草の方がしっくりくるけど。」

はい?

「この女の子は異性にモテる星の下に生まれてる。
結構男が寄ってくると思うよ。
恋愛をして別れたとしてもその恋愛を肥やしにする力も持ってる。
男という虫を捕まえて上手く自分の養分にできるんだね。
恋愛をすればするほど魅力に磨きがかかるタイプだ。」

へえ。
解説をされると何となく納得はできるんだけど、
蛾だのハエ取り草だの、もうちょっとマシな物に例えられないのかこの男は。

ビールでほろ酔いになりご機嫌状態のユッキーに、

「あんた、ハエ取り草だよ?」

とは口が裂けても言えない。

「あ、完全に酔っちゃう前にお風呂入ってきたら?
お風呂上がりにゆっくり飲み直そうよ。」

私は慌てて立ち上がり、食器を片付けだした。

「私も手伝う~」

ユッキーも立ち上がり2人で食器を洗って片付けた。

「たまにはこういうのも楽しくていいね。」

とユッキーが笑いかけてくる。

「うん。」

私も笑顔で返す。

「今日はいっぱい話そうね。」

「うんうんわかった。
だからまずお風呂入ってきなって。」

「ミューズはやっぱりお姉ちゃんみたいだね。」

ユッキーは嬉しそうにそう言いながら甘える様に私の腕を軽く掴んだ。

その仕草や表情が大ちゃんと被って見えて私は少し胸が苦しくなるのを覚えた。

No.196 18/09/22 19:37
自由人 

数ヶ月に渡り、思い出日記のように書いてきたブルームーンストーンも、話の流れの中で1つの区切りの時期まで来ましたので、一旦終わりに致しました。

ユッキーとのお泊まり女子会の1~2年後にまた色々な出来事があり、
大ちゃんやユータンの連絡先をゲットできた話も含め、
それを後編として書ければなあと思い、敢えて前編(完)と致しましたが、飽き性の私に書けるかな?と正直不安です。

何人の方が読んでいて下さったのか、私には全くわからないのですが、
何人かの方がいて下さると仮定して、ここでお礼を申し上げます。

数ヶ月もの間お付き合い下さりありがとうございます。

もし後編を書かせて頂いた時には、よろしければまた是非ともお付き合い下さるととても嬉しいです。

本当にありがとうございました。


No.197 22/05/26 23:47
自由人 

私の一時的な感情のせいで
スレを汚らしく消してしまい申し訳ありませんでした。
私の自己満足ですがあらためてもう一度
掲載させて頂ければ…と思いますm(_ _)m

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