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アヤコ( ♀ kAwVh )
11/09/03 00:41(更新日時)



『アヤちゃん、こけしさんみたいに可愛いらしいなぁ~』


昔、母の周りの人達からは、私はこう例えられ、可愛がられていたようだ。


物心ついた頃、そう母に教えられたが、イマイチ喜べない。

『こけしって…別に可愛いくないし。』

幼い頃の記憶は、あまりない。


ただ、断然、今の自分が好きだと言い切れる。



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No.1662648 11/08/31 00:28(スレ作成日時)

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No.1 11/08/31 01:02
アヤコ ( ♀ kAwVh )



私は4人兄妹の3番目で長女。

長男のタクヤとは4才離れていて、年子の次男カズヤ、4才離れた三男フミヤがいる。


兄妹関係は、良いとは言えない。


現在も、だ。


私は長男に問題があると思っている。

昔から、タクヤは自己中心的で、弟や妹に兄としての優しさを見せた事がない。
長男を見ているからなのか、次男のカズヤも私と三男、フミヤにはあまり感心がない。


まぁ基本的に、我が兄妹には“無関心”という言葉が適している。


そんな中、私とフミヤは比較的仲が良く、気兼ねなく話し合える間柄だ。

小さい頃は
『姉ちゃんと一緒に遊びに行きたい』
と、私の後ろをよくついて回って、私は友達に疎まれながら遊んでいたのを思い出す。


だから私は、あまり友達と遊んでもらえなかったのかもしれない。


No.2 11/08/31 01:21
アヤコ ( ♀ kAwVh )



人間の性格とは、一体、いつ、どのように形成されるのか…中学生になり、思春期真っ只中になった私は、いつもそんな事を考えていた。


小学生の6年間、一定した友達はいなかった。

だいたい、2年に一度友達の入れ替わりが発生し、私は何も動かないが、ついてくる友達が自然と変わっていた。

その多くは、Aグループではみ出しをくらった子が、行くアテがないから私の所へやってくるというもの。

そしていつの間にかBグループに入っていき、私はまた1人になる。

でも、この頃の派閥争いは絶えず、常に私は派閥の真ん中にいて、どのグループにもつかず、仲間ハズレされた子の“一時休憩場所”だった。


揉め事は面倒だった。

誰かに合わせられるような器用な性格でもない。



それに、母が宗教をしていたから、世間一般的に普通な行動も許されず、縛りが多く、周りの子達と自分のギャップがあって、幼い脳では、考えてもわからない事だらけで、結局、なんにもしないのが一番楽だったから、当たり障りのない事ばかりしていた。

No.3 11/08/31 01:47
アヤコ ( ♀ kAwVh )



それでも今振り返ると、それなりに活発な小学生だったようにも思える。

父から継いだ運動神経の良さで、体育は成績がよかったし、後半3年間の部活動は、バドミントン部、陸上部、卓球部。
まぁ、本当はいつだって家庭科部が第一希望だったけど、倍率が高すぎていつもハズレだった。


あぁ、そうだ。
私はまったくのお暗い人間ではなかったんだ。

ただ、自己主張がうまくできない子だったんだ。

いつも控えめで、遠慮がちで…。
目立たないようにしようとばかり考えていた。


そうした中、小学生の間、一貫していた事は、“絵”を書く事だった。

主にキラキラお目々の女の子を書くのが大好きで、休み時間になると、将来確実に“その道”に行くであろう友達と、絵を書いては見せあっていた。

小学生後半は、絵に没頭していたのと、一番仲の良かった子が中学生にあがるタイミングで引っ越しした事をキッカケに、誰とも関わらず楽しめる絵に、私は迷わず突き進んだ。

No.4 11/08/31 02:08
アヤコ ( ♀ kAwVh )



私は暗いのではなく、単純に臆病者だ。
人と関わる事を極端に嫌っていた。


それはあまりにも無知すぎて、何をどうすればいいのかを、全く持って知らなかったからだろう。



自然界に生きる動物達は、親の姿を見様見真似し、自らの生きる術を学ぶ。

だとしたら、私もそうなんだろうか?


友達関係云々よりも、私の兄妹関係はもとより、家族関係が良好ではなかったように思う。


長男タクヤは、両親とは毎回対立していて、一番厄介者だった。


母は宗教の信仰ばかりを優先していたが、私達兄妹には意味がわからず反発していたし、父はまったく興味がない人だった。


誰を見ても、人と関わる良いお手本はなかった。


No.5 11/08/31 09:43
アヤコ ( ♀ kAwVh )

絵は小さい頃、母とよく書いていた。

母もある程度の年齢まで書き込んでいたんだろう、今思い返してもバランスの良い、綺麗な女性の絵をよく書いてくれた。

父が運送会社の自営業を経営していた為、母は事務職を担当していたから、幼い子供を引き連れて事務所へ通っていた。

私が思い出として残っているものは、その場所で一緒に母と絵の書きあいをした事くらいだ。

兄達は私に構う事はほとんどなかったから、誰かと共通して遊べたのは母と書く絵だった。

だから、絵を書く事だけは続けていられたのかもしれない。

No.6 11/08/31 11:25
アヤコ ( ♀ kAwVh )

小学生の頃でもそうだったが、クラスに数人、必ず絵を書く子がいた。

決まって、物静かで目立たない子…。

消極的で揉め事が嫌い、何かあると母に抑制されてきたような感覚だった私は、劣等感の塊だった。
だから、本心で付き合える友達がいなかったし、自分の弱さを見せる事すら、できなかった。

と、言うかそういう感情がそもそもわからなかった。

そして、ひたすら自分と向き合う事もせず、どこか陰りのある子とツルむのを好んだ。


そんな時、父が家を建てると言い出し、中学生になってまもなく、私達家族は引っ越しをする事になった。

No.7 11/09/03 00:14
アヤコ ( ♀ kAwVh )

中学生にあがった時、本当はソフトボール部に入りたかった。


小学6年の時に、なにげにやってみたソフトボールが楽しかったからだ。


でも、中学生に入ってもすぐには入部しなかった。

ひとつは、嫌いな先輩がいた事。

ふたつめは、顧問が怖そうだったから。

No.8 11/09/03 00:26
アヤコ ( ♀ kAwVh )

もう、ほとんどうろ覚えだが、私は小学生の時、学級委員の書記か何かを担当した事があった。

全学年の委員が集まった時の事、私は靴下を裏表逆にはいていた…と思う。

今思い返せば、それをどうこう言ってたわけではなかったんだろうけど、先輩が笑ってる姿に、自分の事で笑ってるんだと思い込んでいた。
たったそれだけの理由だが、私はその先輩が入部していた事で、ソフトボール部に入る事を躊躇った。

ふたつめの、顧問は、私のクラスの担任でもあったが、私の兄、次男を受け持っていた先生で、見るからにイカツいオヤジだった。

入学して名札の配布に名前を呼ばれた時
『お前…カズヤの妹か?』

『…はい…』


『ソフトボール部決定やな。』


と言われた。

私の兄妹は運動神経だけは良い方なので、兄を見てある意味見込まれたんだろう。
それがプレッシャー、先生の顔の怖さもプレッシャーで、アッサリと入部は避けた。

No.9 11/09/03 00:28
アヤコ ( ♀ kAwVh )


そして、クラスでも仲良くなった子は、やはり絵を書くのが好きな子だったから、私は逃げるように“美術アニメ部”に入部。

行くのは最初だけで、結局幽霊部員だったが…。

雰囲気が暗すぎて、こんななら教室でみんなと書いてる方が楽しかった。

No.10 11/09/03 00:41
アヤコ ( ♀ kAwVh )

そうこうしてると、転校が決まってしまった。


転校するまでは半年程の時間はあった。
だから、珍しく私は決めた。

『引っ越しするまでの間だけ、ソフトボール部に入る』

友達が入部していた事もあり、避けていた先輩も辞めたようだったし、何よりお金がかからないと思ったからだ。

この頃は、長男のタクヤがバスケ部に入るだけ入ってすぐに辞めてしまった事や、ユニフォームなどにお金がかかるからと、あまり母がスポーツの部活に協力的ではなかったから、自分のやりたいことをやろうとは思っていなかった。


越境通学も大丈夫な距離ではあったが、今の生活を変える事に未練はなかったし、むしろ変えたかった。

この学校で唯一やりたかったのは、ソフトボール部だったから、子供ながらに考え、やっておきたかったんだろう。

転校するまでの間だけは、自分の意志を奮い立たし、やる気がでたようだ。

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