ねずみの国のミラボル
『私の名はギルト。
この国の案内人でございます。
あなた様のお越しをずっと
お待ち申し上げておりました。
数ある我らの国の中から
当国をお選びいただき、
誠に光栄でございます』
そして右手を胸に当てて
深く頭を下げて僕に言った。
『ようこそ。ご主人さま』
暗く広がる洞窟の中で
無数の彼らが立ち上がり、
僕のことを愛おしそうに
大きな目を光らせて見ていた。
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―夢の国への入り口―
帰り道。
僕たちは毎日毎日逃げ回った。
それでも捕まってズボンを下ろされて、お尻を汚れた靴でぐりぐり踏まれた。
悔しくて、歯をくいしばって、その屈辱の時間が過ぎるのをただひたすら堪えた。
そして気づくと、今日も僕たちはまた走ってる。
さぞかし元気のいい小学生だと思って見てたんだろうか...
だけど僕たちはいつも、三人から必死に逃げ回ってた。
『いたぞ!あそこだ!早くあいつらを追え!ケツさらしの刑にしてやれ!』
なんでいつもいつもケツなんだよ......
ブルは手下のカカシとトナカイに命令した。
『ぎゃっほーい!ケツ見せろー。ケツ見せろー』
ブルドックみたいなツラしてるからブル。
カカシみたいにヒョロっとしているからカカシ。
ランドセルにリンリン鳴る鈴をつけてるからトナカイ。
僕たちは密かにあだ名をつけて、あいつらをそう呼んでた。
『まただよー。あいつらがまた追いかけてくる。僕もういやだよー』
カン吉は半べそかきながら、ランドセルの両サイドにぶら下げた巾着袋を左右に弾ませてパタパタと走った。
『カン吉!もっと早く走れよ!おまえがトロいからいつも捕まっちまうじゃないか』
『あーあ。どうせまた捕まってしまうのか。もう、いつまで続くんだよーこの生活……』
呟きながら僕も走った。
前には何度も振り返りながらカン吉を急かすコウタ。
後ろには泣きじゃくりながら今にも走るのを止めて立ち止まりそうなカン吉。
捕まるのはもう時間の問題だ。
一人が捕まると、残り二人が出てくるまで、捕まった一人は永遠にあいつらにいじくり回される。
『おいおい早く出てこいよ。こいつがどうなってもいいのかー?』
ブルの嫌味な声に交じって、尻をむき出しにされてぐりぐり踏まれてるカン吉の泣き喚く声が聞こえた。
コンクリートの塀の後ろに隠れていた僕とコウタは、
こうしていつも渋々、自ら尻を差し出すハメになった。
ズボンを下げられて、尻をさらして、
地面にうつ伏せになって、
三人の心ゆくまで泥のついた靴で踏みつけられた。
早く大人になりたい。
早く大人になって、
僕はあの飛行機を操縦するパイロットになるんだ。
それが僕の夢だ。
今はこうして
地面にうつ伏せになって
ひたすら耐えているけど、
大人になった僕は、必ずあの空を飛んでいるんだ!
お父さん......
僕も必ず
お父さんのような
かっこいいパイロットになりますから!
だから天国で見ていてください。
僕はこんなところで
絶対に負けません!
遠く離れていくジャンボジェットの機体を
ずっと目で追いながら、
踏みつけられる尻の痛さに
グッと歯をくいしばった。
翌日。
コウタが『裏道から帰ろう』と言い出した。
学校の正門を出て真っ直ぐ歩いた二つ目の角で
ブルたち三人は僕らをいつも待ち伏せしている。
見つからないように手前の角を曲がっても、
ブルたちのいる二つ目の角の手前で結局道は繋がってしまう。
あいつらから逃れられるのであれば、もうなんでもいい。
僕とカン吉はコウタの提案にすぐさま頷いた。
学校の裏道。
この小学校に通い始めてから今まで、
僕たちは一度もこの道を通ったことが無い。
正門を出た道とは違って、
ここは薄暗く、民家も店も何も無い。
街灯もたまにあるくらいで、多くは立っていない。
日が暮れると真っ暗になってしまうのは確実な道だった。
ススキや背の高い雑草が生い茂る中に、
一本、細い道がくねくねと続く。
前と後ろしか視界が開けず、少し息苦しかった。
コウタとカン吉と僕は何も話さず、
その細い道を縦に並んで
早歩きでひたすら歩いた。
裏道を通って帰るということは、
かなり回り道をすることになる。
この道はどこかで僕たちの家に続く道に繋がっているのかな...。
陽が落ちる前にいつもの道へ戻れるのかな...。
不安な気持ちを胸に、
僕たち三人の家の方角とは真逆の道を
ブルたちから逃れるために歩いた。
コウタ、カン吉、僕の順番で歩いている。
左右は生い茂る背の高い雑草しかない。
前に見えるのはカン吉の後ろ姿。
時々左右の雑草が倒れて僕たちが通るのを阻んでいたみたいだけど、
コウタが茎を折ったり足で踏んで通り易くしてくれているのが分かった。
あとどのくらい歩くんだろう...。
もう30分は歩いた。
後ろを振り向くと、
僕たちが今歩いてきた道が、ただあるだけ。
くねくねと曲がっているから、
その後ろの道も5メートルほど先しか見えない。
突然誰かが後ろから現れたら...。
少し怖くなった。
僕はカン吉を後ろから押して
二人の前に広がる光景を見た。
『たしかに着いたね...』
『だけどここは?』
雑草の壁の細い道が終わり、
僕たちの目の前にあったものは
砂利が敷き詰められた、
だだっ広く広がる地面と
そこに蛇のように長く横たえた、
湿った植物がべったりと張り付いた洞窟だった。
洞窟は暗い口を大きく開けて、
僕たちが入るのを待っているようだ。
ボーーーーーーーーー
洞窟の口から気持ちの悪い音を立てて、
肌寒い湿った風が僕たちに向かって吹いてきた。
ゾワゾワっと鳥肌が立った。
ブルたちから逃れるためには、
この道を通るしかないのだけれど、
その道の先にこんなに気持ちの悪い洞窟があって
まさかそこに入ることになるなんて
思いもしなかった。
でも来た道を戻っても仕方がないし、
ここは前に進むしか選択肢がなかった。
僕たちは恐る恐る洞窟に足を踏み入れた。
足場は岩でボコボコしている。
洞窟のどこかに触れて体を支えないと、なかなか前に進めない。
ムカデやダンゴ虫が数えきれないくらい岩壁に張り付いている。
両手でバランスを取りながら、
できるだけ岩壁に触らないように一歩一歩中へ入った。
『ねえ。コウちゃん、ソウちゃん』
『なに?』
『行くのやめない?』
『バカ。もう行くって決めたんだろ!』
『でも...』
正直言って僕も足がすくんでいた。
カン吉に加勢して僕が「やめよう」と言えば、
少なくとも考える時間は持てる。
だけど考えれば考えるほど怖くなるし、
今日進むのをやめてもまた明日、ブルたちから逃れるために
今歩いてきた道を通って結局この洞窟に辿り着く。
遅かれ早かれこの洞窟の中に入って、
裏道の先がどこに続いているのかを確かめることになるんだ。
『カン吉、大丈夫だ。行こう』
カン吉の手をとってコウタの後をゆっくり進んだ。
『ねえ』
カン吉が後ろから問いかける声が洞窟の中で反響する。
岩の上を足の踏み場を考えながらもくもくと歩いた。
『ねえってば!』
『うるさいよ、カン吉。黙って歩け!』
コウタの怒鳴る声が更に狭い洞窟の中に響き渡る。
『ねえっ!』
『どうしたんだよ、カン吉』
『あのね...
逃げる時はちゃんと言ってね』
『逃げるってどこに?』
『ここから外に逃げる時はちゃんと言ってね...』
『何を?』
『ちゃんと合図してね。
コウちゃんとソウちゃんが急に走り出したら怖いから』
『わかったよ。その時はお前もちゃんと全速力で走るんだぞ』
カン吉が僕の手をギュッと握りしめた。
『えっ!?
本当に逃げなきゃいけない時ってあるの?
僕、急に言われても走れないよ...』
カン吉が急に足を止めたから、僕が後ろに引っ張られた。
『カン吉、止まるな』
僕はカン吉の手を引っ張った。
『コウちゃーん、ソウちゃーん...』
カン吉が泣き出しそうだ。
だけど僕もコウタも
カン吉の問いかけに応じてる余裕はなかった。
ヌルヌルと滑る苔のついた岩。
できるだけ平らな岩を足の裏で探りながら
カチコチに固まったカン吉の手を引いてゆっくり歩いた。
カン吉、泣くなよ...
そう思いながら必死に岩場を前へ前へと進んだ。
『ソウスケ』
何かを感じたようなコウタの囁く声。
『どうしたの?』
僕たちは足を止めた。
『どうしたの!!』
カン吉が後ろから叫んだ。
『しっ!静かにしろ!』
真っ暗で何も見えない。
僕たち三人は耳を澄ませた。
ピトン。
ピトン。
洞窟の中で滴が落ちる音。
ピトン。
パタ。
ピトン。
パタ。
『あの音なんだ?』
ピトン。
パタ。パタ。パタ。パタ。
ピトン。
パタ。パタ。パタ。パタ。パタ。パタ。パタ。
『何か来る!!』
カン吉が叫んだ。
何何何何何何何......?
ピトン。
僕の背中に冷たいものが!!
『ヒーッ!!!!』
コウタとカン吉を掴んで思わず叫んだ。
冷たい滴が背中に落ちただけだった。
だけど何かが僕たちの前にいることは確かだ。
『大丈夫ですか?』
『………』
誰かが僕たちに向かって喋った。
少しの沈黙の後、僕たちはゆっくり顔を上げた。
声のする方向。
薄らと白い人影が見える。
真っ暗な洞窟の中では、はっきりとは見えないけど
恐ろしい何かではなさそうだ。
安心して三人一緒に立ち上がった。
『あなたは?』
コウタが言った。
『私のことが見えるのですか?』
その白い人影は言った。
『見えます』
ほとんど見えてないけど、
そこにいるのは分かったから、三人同時に応えた。
『そうですか。
それは驚きですね。
私を見ても全く驚かれないなんて。
大概初めは驚かれて一目散にお逃げになるのですよ。
たいそう肝の座ったご立派なお三方だとお見受け致しました』
『いやあ、それほどでも…。
あの、あなたはここに住んでいるの?』
カン吉が聞いた。
『はい。
私はここで皆さまの案内役をしております。
長らく、ここを訪れた方はいらっしゃいませんでしたから、
皆さまが10年ぶりの訪問者になります』
『すみません。勝手に入ってきて...』
『とんでもございません。いいのですよ。ハハハ』
『ハハハ』
ホっと安心して、僕たちも一緒に笑った。
『あの、案内って、
ここは一体なんなのですか?』
『ここではなんですから、
皆さまが座って話せるお席にご案内致しましょう。
皆さまは私どものお客様ですから。
さあ、私についてきてください』
お客様?
彼はそう言って僕たちの前を歩き出した。
僕たちは白い人影を追って暗闇の洞窟の中を進んだ。
『着きましたよ』
岩でごつごつとした地面が終わり、
平らな場所に着いた。
変わったことはただそれだけで、
明かりも部屋も何もない。
要するに真っ暗な洞窟の中。
『ここ?』
『ではそちらにお座りください』
お座りくださいって言ったって、何もないじゃん...と思いながら
真っ暗な中で手を手繰らせた。
痛っ!
でっかい岩に手をぶつけた。
『そうです。そちらです』
椅子じゃなくて、岩かい...
コウタとカン吉を引っ張って、三人一緒にでっかい岩の上に座った。
目の前の白い人影が喋り出した。
『私の名はギルト。
ここは、皆さまの夢を実現させる夢の国なのでございます。
何なりと、皆さまの夢をお申し出ください』
ぽっかーんと開いた口が閉まらない。
コウタが口火を切った。
『ギルトさん、要するに僕たちの夢を叶えてくれるってことですか?』
『その通りでございます』
『なんでも?』
『なんでもでございます』
そもそも僕たちは、
ここに何をしに来たんだっけ?
ブルたちの顔が頭に浮かんだ。
そうだよ...
裏道を探しに来たんだよ。
だからギルトに
この洞窟がどこに繋がっているのか、
ただそれだけ聞ければいいはずなんだけど。
なにをちゃっかり、
夢を叶えてもらっちゃおう!
なんて思い始めてるんだよ、
二人とも......。
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