扉を開ければ『非』日常!
普段何気ない日常……
そんな日常に、見慣れない扉があったら?
そして『絶対開けるな』と書かれていたら?
少しは覗いてみたいと思いませんか?
気楽に覗いてみませんか?
大丈夫ですよ、書いてる人間も、気楽に書いてるんですから……
あ、たとえ何かがあったとしても、
自己責任ということで……
ではではノシ
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では、扉を開けましよう
腕時計は、まもなく翌日になるところだった。
男は、階段の前で足を止めた。
駅から徒歩10分、築30年の二階建てのアパート、その二階の一室が男の部屋である。
男は自分の部屋を見上げて、ため息をついた。
”やめとけば良かったな……”
男はもう一度、先程よりも深いため息をつく。
友人二人と楽しく酒を飲み、酔った勢いで、二軒目に入った飲み屋の片隅にいた、『若い女性』占い師に声をかけた。店主と知り合いらしく、週の何日か場所を借りて、占いをさせてもらっているらしい。誰ともなく、占ってもらおうかと言い出した。
一人目が、
「水難の気配を感じます、帰り道はご用心ください」
占い師はいびつな水晶を覗き込み、そう言った。
二人目が、
「女難の気配を感じます、ご用心ください」
そして男の番になった。
「!……、……」
占い師は男の顔と、水晶を何度も見、沈黙した。
心なしか唇が震えてるように見える。
男は不安になってきた。
「いやだな、焦らさないでくださいよ」
笑いながらそう言ったが、心中は穏やかではない。
「今日は、ご自宅に帰られないほうが……」
占い師は、男と視線をあわせず、小声で呟くようにそう言った。
「え、何でです?」
「命に関わるかもしれません、あ、いえ、申し訳ありません、楽しい酒の席で、こんなことを……。お忘れください、酒の席の余興です、もちろん御代は結構ですので……」
占い師はそう言うと、逃げるように身支度を済ませ、店を出て行った。
男と友人二人は会計を済ませ、店を出た。
何とも気まずい空気だ。
「まあ、気にするなよ、あの女占い師が言ってたろう、酒の余興だって、な」
「そうだよな、あんな所で間借りしてるような占い師、当たるはずないよな」
「そうそう、当たるんだったら、行列の出来る占い師、って店くらいあるって」
三人は笑い出した。
男三人が占いくらいで、一瞬でも不安になったことが可笑しくて仕方がなくなった。
お互い自分を棚に上げて、こいつらも意外に小心者だな、と。
「気を取り直して、もう一軒行こうか?」
ヨシ!、と三人が意気投合しようとしたとき、
「うわっひゃっ!?」
一人が奇妙な悲鳴を上げた。悲鳴のほうを見ると、ずぶ濡れの友人がそこにいた。
「どうしたんだよ、おい」
「ご、ごめんなさい~」
頭上から女の声がした。見上げると、ビルの二階の窓に、半身を乗り出し、大きな花瓶を抱えてる女の子がいた。
「お店の花瓶の水を替えようと思ったら、こけちゃって……」
花瓶を落とさないようにするのが精一杯で、中身の水はぶちまけてしまったらしい。
平謝りする女の子に、大丈夫ですよ、とずぶ濡れになりながらも紳士の欠片を見せて、男と友人二人は何故か逃げるようにその場を去った。
「水難……」
前髪を掻揚げながらそう呟いた。
「ば、馬鹿たまたまだよ、偶然!」
そう言った友人の携帯が鳴った。
どうやら彼女かららしい。
「え、いま、友達と飲んでるよ、え、浮気?そんなわけないだろ、相手は男だよ、男、お前もほら、会ったことあるだろう?いや、聞けって、人の話、あ、おいこら……」
携帯を耳にあてたまま、ボー然としている。
「女難って、これかよ……!?」
携帯を乱暴に胸ポケットに戻し、男の顔を見た。ずぶ濡れの友人も男の顔を見た。
「とにかく、おれ、帰るわ……」
「俺も……」
「……そうだな、その方がいいよ……」
「……何て言うか」
「お前……気を付けろよ」
そう言うと、二人は男を残して駅に向かって歩き出した。
「気を付けろったって、何に、どうだよ……」
人ごみに消えていく二人の背中に、男はそう呟いていた。
男は塗料が剥げ、サビの浮いた階段をゆっくりと登り始めた。
カーンカーン、カーンカーン
やけに階段の音が、今日は高く響く気がする。
カーンカーン……カーンカーン
目の前が真っ赤に光り、点滅する。階段の音が耳鳴りのように響く。
めまいと頭痛がする。
”警報……?踏切……?”
手すりと壁を支えに、やっとの思いで部屋の前に立つ。鍵を開けようとするが、なかなか鍵穴に鍵が定まらない。
何とか鍵を挿し、鍵をまわす。
「……!」
鍵が開いている?
鍵を閉め忘れたか?いや、それはない、しっかりと閉めた記憶がある。
男はゆっくりと、音をたてないように、ドアノブを回した。
カチャ、ン。
キィィィーィイ。
造りの古さが恨めしい。
最善の努力をしたはずだが、音が鳴ってしまった。実際は、微かな音で、普段なら男は気にもしてなかったが、今は状況が違う。
男は身体を強張らせ、気配を窺う。
……、……。
中からは何のリアクションもない。
男は、呼吸も忘れたように開けた隙間から、中をのぞき見る。
当然だが、中は真っ暗だった。
視線が、右から左、左から右に忙しなく動く。
……!
部屋の右隅に、何かを感じた。
そこは、ベッドがある場所だ。
男は、目がこぼれ落ちそうな程、目を見開いた。じっとベッドを窺う。
な、なんだ……!?
男は反射的に左手で、鼻と口を塞いだ。
思わぬ悲鳴や、荒くなる呼吸音を少しも漏らすまいと、ぐっ、と左手に力が入る。
男は確認してしまった。
ベッドの上に、闇よりもなお黒い、何かがあることを。
その何かは、規則正しく微かに上下に動き、丸まった塊のようだった。
耳を澄ますと、微かな呼吸音のような、空気の漏れるような音が聞こえる。
しゅーー、すーーー、しゅーー……
その音が止まった。
闇の中に青白い鈍い光が二つ、ボーっと浮かんだ。
ずるずる、しゅるう、しゅる……。
何かが擦れる音にあわせ、二つの光と塊がぐぐぅーと伸び、辺りを窺うように二つの光がゆっくりと、右に左に動いた。そして、ドアの方を向くと、ピタリと止まった。
どっどっどっどっどっど、
ヒュー……ヒュー……
男は全身が心臓のように感じ、のどが情けない音を出す。
耳鳴りが、吐き気がする。
思考は完全に止まってしまった。
オレノヘヤニ イッタイ ナニガイルンダ?
「……お兄ちゃん……?」
少女の声が沈黙を破った。
お兄ちゃん……?
男の全身から力が抜けた。ドアを開け、玄関に入るとそのまま崩れるように座り込んでしまった。
「お兄ちゃん?どうしたの、大丈夫……?」
心配そうな少女の声に、
「大丈夫だ、ちょっと飲み過ぎただけだから……」
そう答え、男は急に可笑しくなり、ついで腹が立ってきた。
こんな何でもないことが、『あの占い師』のおかげで!、
寿命が縮むかと思ったじゃないか!
「いつ来たんだよ、お前?」
男は闇の中の少女にそう言った。立ち上がって、部屋の明かりを点けようとする。
パチン。
壁のスイッチは、音だけして結果を出さなかった。
「?」
「何か、電球でも切れてるみたいだよ、私がやっても点かなかったもん」
昨日は何ともなかったはずなのに……。
「夕方にお兄ちゃんの部屋について、いつの間にか寝ちゃったみたい」
「鍵はどうしたんだよ?」
「あーお兄ちゃん、無用心だよ!鍵開けっ放しだったよ」
「いや、ちゃんと鍵閉めたって……」
思い込みか?あれ?
いまだ続く耳鳴りと頭痛で、頭が回らない。
「それより、何の用だよ?」
「お兄ちゃん、お父さんとお母さん寂しがってるよ」
そう言えば、両親と会ったのはいつだったか?
最近実家に帰ったのは、一年前、葬式の時だ。あの時は何だか慌ただしかったから、まともな会話したのはさらにその前だな……。
「帰って来いってか?」
「お父さんもお母さんも……二人とも何も言わないけど、サ」
「……」
「お兄ちゃん、お父さんとお母さんのトコロに、一緒に行こうよ……ね?」
明日は休みだし、めずらしく何の予定もなかった。男はしばらく考えてから、たまには実家に帰るのもいいか……、と考えた。健気にも妹が迎えにも来た事だし……。
「一年前の葬式から、帰ってないもんな……」
男は闇の中、手探りでイスを引き座った。その瞬間、疲れと酔いが一気に襲ってきた。気が抜けたのか、眠くなってきた。
「いいよ……明日一緒に……」
「一緒に、行ってくれる?」
「ああ」
「本当、約束だよ?」
「ああ、約束ナ、分かってるよ」
「お兄ちゃん……」
「何……?」
「……ありがとう」
「別に、礼を言われることじゃないだろ」
「お兄ちゃん」
「悪い、もう眠いんだよ、明日ナ、明日」
「お兄ちゃん、一年前のお葬式って、誰のお葬式?」
「……」
あれ、誰の葬式だったっけ?親戚の誰かだったか?
そう言えば、何でオレ、両親と話す暇もないほど忙しかったんだ?
いや、二人が事故で死んだから、オレが喪主になって……
「お兄ちゃん」
「……」
「お兄ちゃんって、一人っ子だって、知ってた?」
くすくす、と少女の笑い声が部屋に響き、やがて反響し始める。
男は、背後に何かの気配が近付くのを感じたが、身体は反応しなかった。
首に、細く長く冷たい、十本の何かが絡みつく。
「お兄ちゃん、では、私はだーれだ?」
カッチャン!
一つ目のとびらは開き、いま、閉めさせていただきました……
ああ、申し送れました、私、『ダメな主』の代理人
AHA=ROTTEN=PLY
アハ=ロッテン=プライ
と申します。
以後、お見知りいただけるかは、皆様次第でございます……。
では、扉を開けましょう。
鏡にまつわる話というのはよく聞く話だ。
A子も高校の友人B子から、よく聞く話だけど、とこんな話を教えてもらった。
夜中の12時ピッタリに、合わせ鏡をすると、13番目の自分が未来を告げるらしい……。
「ふーん、私が知ってるのは、夜中の2時に合わせ鏡をすると、13番目の自分の姿が、真実の自分の姿だって言うの、かな」
「あー、心が醜いと醜い姿に映っちゃうとか言うのね」
「でも、最近合わせ鏡の噂、何か流行ってるよね……?」
「そう言えばそうね、なんかさー2組の子の話だとね、ファーストフード店とか飲食店とかに出没する、若い女性占い師から聞いたって」
「占い師?」
「うん、なんかよく当たるって評判らしいけど、その占い師が必ず最後にい言う、キメ台詞見たいのがあって……」
「ちょ、キメ台詞?」
「合わせ鏡の、13番目の自分が告げる未来には敵いません、って」
「変な人ねー」
「会ってみたいよね」
「えーっ、私はいいよー」
「もう、ノリが悪いなー、じゃ、今日家に帰ったら、合わせ鏡実行ね?」
「やりません!」
「ダーメ、明日お互いに報告、ネ?」
「やりません!!」
「じゃ、明日学校で!楽しみにしてるから~」
ピンポーン
突然のチャイムにA子はビックリした。
時計を見ると23時ちょっと。
こんな時間に、誰……。
仕事の都合で、両親が海外にいる為、A子は現在一人暮らしだった。最近、一人の夜の不安に慣れてきたが、こんな時間の訪問者は初めてだった。一瞬、無視しようかと考えたが、そう言う訳にもいかないか、とため息をつき、A子は玄関に向かった。
「どちら様ですか?」
ドアの向こうに呼びかけるが、反応がない。
鍵を開け、様子を窺おうとしたときだった。
ガチャーン!
突然ドアが引かれ、チェーンが開くドアをストップした。
な、何……!?
あまりの事態に、A子は悲鳴も言葉もなかった。
ガチャガチャ、ガチャ
ドアを開けようとしてるのか、チェーンが鳴る。
「誰……!?」
A子は鋭くそう言うと、玄関に飾ってあった花瓶に手を伸ばした。花瓶から活けてあった花を取り、脇にそっと置く。
がちゃがちゃ
「あーん、もう」
ドアの向こうから聞きなれた声が……。
「A子ちゃーん、開けてー、あたし!あたし!」
A子とは何とも対照的な、のん気なB子の声だった。
……。
手に持った花瓶が、細かく震える。
「ドアを閉めなさい……チェーンが外せないから……」
「ほーい」
ドアがカチャンと閉まる。A子は慎重にチェーンを外すと、ドアの向こうのB子に声をかけた。
「ドア開くわよ……」
「おっじゃましまーす」
B子が勢いよくドアを開けた。
A子は開いたドアに向かって、花瓶の水を、花瓶ごと投げる勢いで撒いた。
A子はB子にタオルを渡し、自宅の道場に案内した。
びしょ濡れになった――いや、びしょ濡れにしたB子にシャワーと着替えを用意しようとしたが、彼女はタオルだけで良いから、道場に案内してくれと頼んだのだ。
A子の家は、代々古流の武術を教えていて、両親が近所の子供などを相手にしてたのだが、現在は某国の警察や軍にインストラクターをしている。余談だが、A子も物心が付く前から武術を習っており、その為、中学時代は彼女を見かけたら、まず逃げろ、と近隣の不良に恐れられていた。彼女には迷惑なことに『溢春のアテナ』と言う二つ名がある。(溢春は彼女たちの住む北海道の市。アテナは戦の女神で処女神)B子曰くは『残念な美少女』である。
怒りに任せ、友人にした仕打ちを後悔しているA子は、一も二も無く道場に案内したが、一体何故だろう?と疑問はある。
「何で、道場?」
畳と板の間が半々の道場の、畳の上に座り、B子はA子の質問に不敵な笑顔を見せた。
「A子ちゃんトコロの道場に、大きい鏡があったと思って」
「鏡?」
確かに、練習用に壁に鏡はあるが……。
「あんた、まさか……」
「これ」
そう言って、彼女はカバンから30センチ四方の鏡を取り出した。
「合わせ鏡!シャワーも着替えもしたいけど、時間が無いからサ」
「あんた、本当に馬鹿?」
「うっさいな~、あー時間ないよ、A子ちゃん早く鏡の前に立って!」
B子はA子の手を引き、鏡の前に立たせる。
A子は何かを言おうとしたが、ため息をついて、あきらめた。
「分かったわよ、付き合えばいいんでしょ……」
この後、A子は一生後悔することになる……。
B子は手際よく、キャスター付きの、縦長の鏡を用意し、壁の鏡に向かって角度をチェックする。かつて知ったる我が家、元門下生は、道場の備品に詳しかった。
「持って来た鏡、意味ないじゃない」
A子は思わず皮肉を言う。B子は笑って、
「記憶が確かじゃなかったから、万が一に備えました」
と、自分の鏡を足下に置いた。
二人は鏡の前に並んで立った、
鏡には、何を期待しているのか、満面の笑みを浮かべたB子の顔と、不安少しと明らかな不満の表情のA子……。
二人の顔が無数の鏡の中に、重ね連なっている。
時計は、00:00を指した。
前もってセットしてあったらしく、後ろに放り出されているカバンの中で、B子の携帯電話が、ピピピ・ピピピとアラームを鳴らしている。
「何とか間に合ったね、A子ちゃん」
間に合わなければよかったのに、とA子は心の中で思った。
鏡の中の自分たちが、自分を観察してるような錯覚を覚える。めまいにも似た不快感をA子は感じた。
その時だった――。
噂にあった、13番目の自分と目が合ったような気がした。
ニヤリ
と、自分が笑う。他のどれもが同じ表情なのに、その顔だけがどこか邪悪な気配を漂わせ、皮肉気に唇を歪めて笑った。
「……見たな」
13番目の自分の唇が動き、ハッキリとA子の耳元でそう言った。
そして、何とも優しげで慈悲深く、なのに邪悪な微笑をA子に向け、
「死ね!」
と、言い放った。
A子は鏡から視線を外した。
幻覚?幻聴?
そう思ったが、もう一度確認するために鏡を見るのは躊躇われた。
A子は、横のB子に視線を移す。
先程までの笑顔は無く、無表情で鏡の向こうを睨んでいた。
A子はB子の肩を掴んで、少し乱暴に揺すった。
「ちょっと、大丈夫!?」
B子は、やや遅れて反応し、A子を見た。
「あ、A子ちゃん、大丈夫だよ、どうしたの?」
力無い、どこか気の抜けた声だった。
「様子が変だから……何かあった……?」
「A子ちゃんだって、何か変だよ?」
「……」
「……」
二人は沈黙し、お互いに俯いた。
B子はため息をつくと、キャスター付きの鏡を片付けようと、鏡の前に立った。
ビクン!
B子の肩が弾み、しばし全身が硬直した。鏡に伸ばした手が細かく震える。
「?……どうしたの……?」
A子はB子の背中に声をかけた。
「あ、ちょっと静電気でビックリした……」
そう言うと、B子は鏡を元の場所に戻した。そして、持参した鏡をカバンに戻そうと手を伸ばし、またそこで鏡を睨んだまま動きを止めた。
「本当に大丈夫!?」
A子はB子に声をかける。
「期待してたのと違って、ガッカリしちゃって……何か急に眠くなっちゃった」
B子はカバンを肩にかけ、A子に笑いかけた。いつもとはどこか異なる笑顔だった。
「あたし、帰るね……」
「遅いし、途中まで送ろうか?」
「ふふ、それ、男の子の台詞だよ。やっぱり、惚れちゃうなー」
「『残念な女』って、また言うんでしょ」
「違うよー『残念な美少女』だよー」
いつもの朝……、とはいかなかった。
ほとんど眠れぬまま、朝を迎えたA子だった。
幻覚?幻聴?も気になったし、何より普段見せないB子の様子が気になって仕方がなかった。あれやこれやと考えてるうちに、携帯電話の目覚し機能が勤勉に働き、アラームを鳴らした。
頭がボーっとする。
少しでもスッキリしようと、A子は洗面所に向かった。
蛇口を捻り、水を勢いよく出す。
エコを謳う人間には怒られそうだが、今はそんなことを気にしている余裕は無かった。
顔を洗い、タオルに手を伸ばす。
顔を拭きながら、鏡に目をやった。
白いタオルで顔を拭いている自分と……、その後ろでニヤリと笑っている自分……。
「!?」
鏡の中の自分が、自分自身に首を絞められ悶絶した。
自分に自分が助けを求めるように、手を伸ばし、その手が細かく震え、やがてピーンと伸びて硬直し、パタリと力無く落ちた。
舌を出し白目を剥いた自分がそこに映っていた。
その後ろで、せせら笑う自分……。
今のは一体何何?
A子は鏡を睨みつけた。そこには、自分を睨みつける自分が映っていた。
鏡は鏡として正常に機能していた。
まさか、あの時のB子も、自分と同じものを見たのだろうか?
A子は制服に着替え、身支度を整えた。鏡は使わないようにした。
学校に行って、B子に会って、話をしよう……。
でも、何と言おうか?
鏡の中の出来事が、すべて自分の幻覚や幻聴だったら……。
B子に余計な心配をさせてしまうことになる。
あれやこれやと考えてるうちに、いつの間にか学校に着いてしまっていた。
A子は教室に向かい、B子を探した。
教室の窓側、前から三番目、そこがB子の席だ。
……まだ来てない……。
A子はその横の自分の席に鞄を置き、校門までB子を探しに行こうと思った。一刻も早くB子に会わなければいけないような、何かイヤな予感、不吉な予感がA子はしていた。
教室を飛び出る勢いで、入り口に向かうと、廊下を力無く、青い顔をしたB子が歩いているのを見つけた。
「B子……!」
A子は、走り寄りながら声をかけた。
B子は虚ろな瞳をA子に向け、顔をクシャリと歪め、泣きながらA子にしがみついた。
「A子ちゃん、A子ちゃん……あたし、あたし……」
B子の小さな肩が震えてる。
「殺される……鏡の中のあたしに……!!」
鏡を見るたびに自分が殺される。
それも、自分自身に……。
首を絞められ、背中から刺され……。
自分を殺して、自分を見て微笑む自分自身。
鏡を見ないようにしようとするが、意識するとどうしても鏡を見てしまう。停車中の車のサイドミラー、カーブミラーこんなに通学路に『鏡』と呼ばれるものは多かっただろうか?
「あたし、もう11回も殺されている……」
B子はすがるようにA子にそう言った。
青ざめ、泣きじゃくるB子の顔が強張り、B子の目が見開かれる。
「……どうしたの?」
明らかな様子の変化に、A子はB子の頭を撫でながらそう言った。
B子は突然A子の手を振り払い、叫んだ。
「あたしを見るなっ!」
半狂乱でB子は、腕を振り回しA子から逃げるように後に退く。
A子は混乱しながらも、何とかB子を落ち着かせようと声をかけ、顔を覗き、そばに歩み寄る。
「見るなっ!あたしを……見るなぁー―!!」
B子は廊下の窓の側に走りより、右腕を振り上げ、渾身の力を込めてガラスを叩き殴った。
ガラスが割れ、廊下に破片が散る。B子はその破片の一つを拾い、握った。右腕を血が伝う。
駆け寄るA子の顔、目に向かって、鋭利なガラス片を突き出した。
咄嗟の事に、A子の反応が遅れた。
右目にガラスの先が刺さり、血が流れる。
バランスを崩し、A子が廊下に転がった。右目を手で押さえ、A子は立ち上がりながら、B子を見た。
自分とA子の血で真っ赤に染まったガラスを握り締め、B子は立ち尽くしていた。B子の全身がガクガクと震える。
A子はB子の視線の先を無意識に追った。
集まりだした野次馬の一人、女子生徒が握ったままの鏡……。
そこには二人のB子が……。
一人は、A子が見た、自分自身を殺した自分と、同じ微笑を浮かべている。
ナイフを握り、愛しむように銀色の刃を、B子の首筋に当てる。
スッ。
躊躇いも何もなくナイフが横に引かれた。
「ごふぁ、ハ」
B子がむせる様に呻き、口から血が溢れ出した。首が赤くぬらりと濡れ光る。
鏡の中で、銀色の光が乱射し、B子の身体に吸い込まれる。
全身から血を噴出し、B子が自身の血溜りの中に崩れた。
野次馬の悲鳴や叫びが聞こえ、A子は意識を失くした。
目が覚めると、病院のベッドだった。
意識回復の報せを受け、駆けつけた医者から、A子は説明を受けた。
「残念ですが、右目の視力は……」
言いよどみ、歯切れの悪い医者を冷たく一瞥し、A子は確認した。
「失明ですか?」
「いや、まだ完全にそうと決まった訳ではなく、ただ、視力の回復が現状困難で……」
「そんなことはどうでも良いんです。それより、B子は……」
「それに関しましては、刑事さんがいらっしゃってますので、そちらからお聞きください、あなたから事情も伺いたいそうなんで……」
医者は、逃げるザリガニのように退室した。
あの学校の騒動から四日が経っていた。
A子の意識を失っていた四日間に、B子の葬儀は執り行われていた。
B子の死因は、出血性のショック死……。
掻き切られた首と、全身22箇所の刺し傷からの、多量の出血がB子の命を奪った。
「発作的な自殺と考えています」
四角い岩のような顔の刑事がそう言った。
「自殺……!?」
A子は鋭くそう言い、左目だけでその刑事を睨み付けた。
横の若い刑事が、複雑そうな声を出した。
「あなたが言いたいことは、我々にも分かります。とても自殺とは思えない、ですが、周囲の目撃証言からも、彼女が他殺とも考えられません」
若い刑事は、少し躊躇いながら言葉を続けた。
「正直言います。我々も疑問に思ってるのです、ですから、こうしてあなたからお話を伺っている次第なんです……」
「まあ、少しでも何かが分かれば、いや、私も正直に言いましょう、あなたからお話を伺い、少しでも納得できれば……」
二人の刑事は口を閉じ、俯いた。
「申し訳ありません……。刑事二人が、友人を亡くし、意識を回復して間もない、怪我までしているあなたに、愚痴を……」
二人の刑事の意外な態度に、A子は驚き好感を少し持ったが、合わせ鏡の件は話さなかった。
話して信じてもらえるはずも無いだろうし、話すにしてもどう説明して良いかも分からない。
間もなく、丁寧な謝罪と挨拶と、連絡先を残して二人の刑事は退室した。
A子はため息をつく。
混乱する頭や感情を整理したいところだったが、落ち着く間もなく次の面会者が来た。
A子はその人物を見て、沈黙した。いや、言葉が出なかった。
B子の母親だった。
B子に似た明るく溌剌とした面影が、今はやつれ力無い。
彼女は、開口一番にA子に謝罪し、容態を案じた。
A子は戸惑いながら、B子に対するお悔やみと、葬儀などに出席できなかったことを詫びた。
B子の母親は、力無く微笑み、微笑みながら涙を流した。
「A子ちゃん、あの子に何があったか……もし何か知っていたら……何でもいいの、おばさんに教えてくれない?」
「……」
A子は沈黙した。
感情が混乱し、言葉が出ない。
幼い頃から知っているはずのB子の母親が、自分のまったく知らない姿を見せている。そして、自分と彼女を繋ぐB子……その彼女はもういない。その事実を、彼女の姿が何よりもA子に現実として突きつける。
A子の手を優しく握り締め、B子の母親は真っ直ぐに視線を合わせた。
「ごめんなさいね、本当に、だめな母親で……。こんなことになって、あの子のこと何にも分かってなかった……」
「おばさん……」
言葉が続かなかった。
涙が溢れる彼女の瞳に、自分が映っている。
右目に包帯を巻き、複雑な表情の自分――皮肉気に唇を歪め、微笑んでいる、包帯を巻いていない自分……。
強張るA子の表情に気付き、B子の母親が心配そうに顔を覗く。
「A子ちゃん?大丈夫、傷が痛むの……?」
A子は彼女の視線から逃れるように俯き、肩を震わせた。
深いため息をつき、何とか言葉を継ぐ。
「大丈夫です……ごめんなさい、おばさん」
『退院したら、あの子に会いに来てあげて』
そう言葉を残し、B子の母親は退室した。
残されたA子は、ベッドに倒れるように寝た。右手で右目の巻かれた包帯に触れた。
あの時……!
B子は自分の瞳に見たんだ。
自分自身を、自分が殺される姿を――。
A子はB子の母親の瞳の中で、自分が殺される姿を見た。
両目をえぐられ、なぶられ、首を引きちぎられる自分と、それを嬉々として実行する自分。
混乱していた感情が、A子の中でスッキリしていく。
悲しみや後悔、恐怖や不安……。
それらが今、一色に染まっていく。
怒り。
A子はベッドから起き上がる。
これは、復讐だ……。
「待っててB子。あなたの仇は私が取ってあげる……」
呟くようにそう言った。
「もし、もし失敗したら……あなたの所に謝りに行くわ」
夜……。
溢春市の繁華街にA子はいた。
病院を抜け出し、一度自宅に戻って用意した。
昼から現在まで、飲食店を探し回り、その辺中の人に話を聞く。形振り構わない行動が祟ってか、右目が疼く様に痛み出す。
少し、休憩をしよう……。
A子は喫茶店に入り、ため息をついた。
運ばれて来たコーヒーを一口飲む。口の中に苦味が広がり、A子を少し落ち着かせた。
店内を見回すと、薄暗い照明が落ち着いた雰囲気を演出している。
「昼間とはずいぶん違うのね」
A子はそう呟いた。
昼間に一度来た店であることに、今気付いたA子だった。
A子は、B子の会話に出てきた『占い師』を探していた。
会ってどうなる訳でもないが、会わないことには次のステップにも進めない、A子はそう考えていた。
鏡の中で自分に殺される自分……。
A子は少し考えを整理することにした。
まずは……。
A子は、コーヒーを一口啜った。
①鏡を覗くと自分が自分に殺される
②B子は鏡の中で十二回、十三回目に自分が殺された
③自分は現在、鏡の中で三回殺されている
④この状況は、二人で合わせ鏡をした時から始まっている
⑤B子は二組の子から噂を聞いた
⑥二組の子は、若い女性占い師から聞いたらしい
⑦その女性占い師は、繁華街の飲食店に出没するらしい
A子は空になったカップをソーサーに戻した。
考えれば、肝心の占い師の情報が不確かだった。先に二組の子を探し出し、そっちから話を聞けばよかったか……。
A子がそうしなかったのは、実は不確かだが理由があった。
二組の子は存在せず、その噂はB子が、直接占い師から聞いた可能性が高いのではないか、と考えていた。
昼間の情報で、占い師が存在するのは事実だが、B子にA子以外の親しい友人、噂話をしあうような友人というのを、A子は知らなかった。休み時間、放課後……常にB子はA子の側にいたのだ。B子はA子以外と、ほとんど会話すらしなかったのだ。
ズキン、と右目が痛んだ。
首を振り、A子は感傷を振り払う。
思い出に浸り、涙を流すのはすべてが終わってからだ。
もっとも、すべてが終わったときには、思い出にも浸れず、涙も流すことが出来ない結果になるかもしれないが……。
ふぅーっ。
自嘲気味にため息をつき、A子はコーヒーのお代わりを頼んだ。
確信はもてないけど……。
私が鏡を見ない限り、私の命のカウントは減ることが無い……。
もし、鏡に映ることが命のカウントを減らす条件なら、自分はとっくに死んでいることだろう。夢中で歩き回ったため、鏡に気付きもしなかったが、この繁華街に鏡、または鏡足り得るものがまったく無いはずが無い。
私が見て、それを認識することが条件なんだと思う……。
運ばれて来た2杯目のコーヒーを手に取り、A子はもう一度ため息をついた。
とは言え、行き詰った感じだな……。
冷静になれば、その占い師に会ったところで、何の解決にもならない気がするし、そもそも会うことすら出来ないでいる。
鏡を見なければ良いんじゃない、と思うけど……。
それでは何の解決にもならないし、何よりB子の敵討ちにもならない。
それに――。
心理戦的には、見なければと意識した時点で負けだ。
おそらくB子もそう考えたはずである。
だが、そう意識した時点で、鏡を意識しているのだ。鏡を避ける、その為には鏡を認識しなければ実は避けられない。
A子は痛む右目に触れながら、コーヒーを一口飲んだ。
ある事を実行しようと、A子は考えていた。
だが、そのある事を実行するには、相当な覚悟が必要だった。
もとより覚悟は出来ているが、ただ、確信が持てなかった。
だから占い師に会いたくもあったのだが……。
悶々とするA子の背中で、クス、と笑い声がし、
「お嬢さん、何かをお悩みですか?たとえば、誰かをお探しとか?」
と、澄んだ女性の声が響いた。
振り返った、A子の目の前に鏡があった。
驚いた顔の自分と、あの例の微笑を浮かべた自分……。
鏡の中で、あっという間に自分に自分ののどを掻き切られた。
A子は半ば腰を浮かし、声の主、鏡を掲げてる人物を睨んだ。
「……!?」
一瞬、A子のすべての感情が停止した。
腰まで届く長く美しい白金髪――いわゆるプラチナブロンド、褐色の肌に細くしなやかな肢体、整った目鼻立ち。
以前、何かで見たインドの美女をA子は思い出したが、その面影には日本人のような趣もある。
一言で言えば、美女だった。
「あなた、誰……?」
鏡や瞳を見ないよう、注意深くA子はその人物に尋ねた。
「おや、あなたが私を探していたのでは……」
にこりと笑い、その女性は鏡を背中に回した。どんなトリックがあるのか、戻した両手には鏡が無かった。もちろん、背中ににリュックなどの入れるようなものも無い。
「あなたが、占い師……?」
「はい、あなたがB子さんが仰っていた、A子さんですね」
やはり、B子はこの占い師に会っていたのだ。
「あなた、一体何者なの?」
得体の知れなさを感じ、A子は思わずそう聞いていた。
「申し送れました、私は、アハ=ロッテン=プライ、占い師です」
アハ=ロッテン=プライは、向かいに座り言葉を続けた。
「または、こうも呼ぶ人たちもいますね……。
『日常に漣起こす者』
『幻想の商人』
『日常に這いより潜む者』
『嘲笑う女』
などなど、まあ、お好きなようにお呼びください」
A子は気を取り直し、アハに微笑む。
「なぜ、私があなたを探してると……?」
「ふふ、占い師ですから」
アハはそう言って微笑むと、自分のコーヒーと、A子のコーヒーのお代わりを頼んだ。
「と、言うのは冗談です。知り合いの者から、あなたが私を探していると聞いたものですから」
喫茶店の一角に、何とも怪しい、複雑な空気が淀んだ。
店内の人間で、この二人に注目しないものは無かった。どうやっても目立つ容姿の二人が、剣呑な空気をにこやかな表情で店内に振りまいているのだから……。
「鏡をお見せしたのは、謝罪いたします。確認のため、鏡を見たあなたの反応を見たかったものですから」
「……」
「あなた方、合わせ鏡をやりましたね?そして、B子さんはすでに……」
A子は表情を崩さず、変わらず微笑を浮かべている。が、思わず周囲の人間がA子を見るほどに、内面は穏やかではないらしい。
「それで、あなたは私を探してどうするおつもりです?私にB子さんの復讐を?」
「あなたに復讐をしても何も変わらない。もちろんそんな気も無いわ。ただ確認を幾つかしたかっただけ」
「何をです?」
「B子は何のためにあなたに会ったの?」
「……占い師にも守秘義務はありますかね?」
「さあ?たとえあったとしても、話してもらうわ」
アハはため息をついた。
「何でも、昔から好きな人がいて、その人との将来が気になるとのことでした。占いの結果はあまり良くなく、ガッカリした様子でした」
A子はアハの話を聞いて、驚いていた。
あの子に、好きな人がいて、そのことで悩んでいたなんて……。
あんなに一緒にいたのに……。
何にも知らなかった。
何にも気付きもしなかった。
「何で、私に……」
思わず呟き、口を閉じた。
「言えなかったんですよ、だって、相手があなたですから」
アハの言葉に、驚きを飛び越え怒りが込み上げる。
「な、冗談は」
「故人のためにも、冗談ではありません」
「そんな……」
「どうしてもあなたとの未来を知りたかったのでしょう。だから合わせ鏡を実行した」
アハは運ばれてきたコーヒーにミルクを入れる。
「あれは、確かに確実な未来を告げます。誰に対しても『死』という未来を……。そして、それを実行するのですから、その未来は確実です」
「あれは一体何なの?」
「あれは、精神生命体です。私たちの世界の隣の世界の住人です。鏡の中でターゲットの影を殺し、十三人目に現実の世界にも干渉し、目的を果たします」
A子はうつむき、テーブルを見つめた。
色々と混乱はしているが、やることは決まった。
「アハ=ロッテン=プライさん」
「アハとお呼びください」
「では、アハさん」
「はい」
「これからちょっと、私に付き合ってください」
「……」
「ことの始まりたるあなたには、ぜひ見届けていただきたい。いや、見届ける義務があると思いますが……」
脅迫のような迫力がある、A子のその言葉に、アハは無言でうなずいた。
自宅の道場に案内され、アハは興味津々の顔で周囲をキョロキョロする。
「ここで、何をするおつもりで?」
「これから、B子の敵討ちをします。あなたにはそれを見届けていただきたい。万が一、いや、その可能性が高いんですけど、私が返り討ちにあった場合は、そのときはよろしくお願いします」
A子は淡々とそう言った。
「それって、私の立場が悪くなりませんか?」
冗談っぽく言うアハに、A子は笑顔で答えた。
「そのリスクは、あなたに対するささやかな復讐ということで、ご納得ください」
A子はアハに背を向け、目を閉じた。
深く深呼吸をする。
目を開き、鏡の前に歩き出す。
あんなこと、無理にも止めるべきだった……。
いまさらの思いが心を過ぎったが、首を振ってそれを振り払う。
覚悟を決めて、鏡をA子は睨みつけた。
鏡の中には自分が二人、やはり一人は悪意ある微笑を浮かべている。
指を首に這わせ、グッと、力を込める。爪が、指が白い喉に食い込んだ。爪で皮膚が裂け、血が流れる。
まず、一人目……、いや、5人目。
あと、七人!
いくら覚悟を決めてはいても、自分が殺される様を見るのは、かなりダメージがあった。
後ろから滅多刺しにされ、口や鼻を押さえられ窒息し、顔の形が無くなるほど滅茶苦茶に殴られ……。
思いつく限りの方法で、嬉々として自分を殺し続ける自分。
幾度も目を逸らしたくなるのを堪え、その場に崩れ落ちそうになるのに耐え続ける。
堪え耐え続けながら、A子は反撃の時を待ち続けた。
十一人、十二人目。
いよいよ最後の……。
凄絶な笑顔とでも言うのだろうか、もはや自分の顔をした人ではない悪魔の形相の自分。
A子の身体に緊張が走り、右手が動いた。
大きく息を吸い込み、腹の底から声を出す。
「うあぁぁぁあぁぁぁっ!」
道場全体の空気が震える。
A子の右手には銀色に光る、ナイフが握られていた。
ナイフを握る右手に左手を沿え、ためらいも無く自分の左目に――!
左目に火を押し付けられたような熱さと、激痛、無くなる視界、左頬を生暖かいモノが覆う。
そして――。
「ぎやぁーーーーーっ!!」
断末魔の悲鳴が道場に響いた。
A子は力なく崩れ、その身体をアハが後ろから抱えるように支えた。
左目に突き刺さったナイフを慎重に抜き、アハはハンカチでA子の左目を押さえる。
「お見事です」
「ど、どうなったの?」
震え力無いA子の声に、アハは優しい声で答える。
「あなたの勝ちです。あれは悲鳴を残し、消えました。よく、自分の目にあれが寄生してることが分かりましたね」
「ただの勘、だったんだけど、ね」
荒い息の中、A子はやっとそれだけを言い、気を失った。
アハはA子を畳の上に優しく寝かせた。
そして、もう聞こえないであろうA子に説明を続けた。
「あれは、合わせ鏡を行い、あなたが認識した瞬間に、あなたの目に自身の種子の様な物を植え付けたのです。精神生命体である自身の、器という核のようなものです。そして、鏡の中であなたを殺すことにより、あなたが感じた恐怖やその他の感情をエネルギーとし、合わせ鏡一枚一枚あなたに近付き、器に自身を移動させていました」
「あれは、人の感情、死の断末が何よりの好物であり、快楽なのです。私、あれに立ち向かい、勝ち残った人間を始めて見ました」
A子の両目にアハは両手を優しく置く。
「私、あなたが気に入りました。これは珍しいものを見せて頂いた、お礼です」
そう言い微笑むと、A子に置いた両手を外した。
包帯と、ハンカチも外す。
血も傷もそこには無くなっていた。
「視力は『人』が踏み込んではいけない領域を犯したペナルティです。その代わり、あなたには贈り物をしました。傷は、綺麗な顔には似合わないので、私からのおまけです」
アハは、意地の悪そうな微笑を浮かべた。
「もっとも、私の贈り物が、あなたにとって最良かどうかは分かりませんが……。今後、私の楽しみが増えたことは間違いないでしょうね」
アハそう言うと、A子をその場に残し立ち去った。
やがて道場に朝日が差し込み出した。
カッチャン。
また一つ扉を閉じました。
さて、その後のA子さんと、A子さんへの贈り物、気になるところですね?
しかし、それはまた別の扉の向こうのお話……。
その扉を開く機会があるかどうか、それはまた皆様次第でございます。
それでは、またお会い出来る事を心よりお待ちしております……。
では扉を開けましょう。
溢春市郊外の住宅街にある、とある一軒家。
その前で一人の少女が、途方に暮れていた。
「ここで、どうしろと……」
口の中で小さくそう呟いた。
歳のころは、十七、八くらい。
色の濃いサングラスと長い前髪(癖の無い黒髪も腰まで届くほど長いのだが)が、目元を隠している。
それでも、やや細身ではあるが、美少女なのは間違いない。
「おや、あなたが彼女の言っていた方かな?」
庭から男の声がかかる。
少女は、声の方向に意識を向けた。
頭髪に白いものが混じりだした、中肉中背の、ひどく顔色の悪い50代くらいの男が玄関に立っていた。
「塩見と申します。アハ=ロッテン=プライさんから聞いておりませんか?」
男は不安そうな声を出した。
「あ、ああ、伺っていますよ」
少女は咄嗟に話を合わせた。
実は何も聞いていない。
アハ=ロッテン=プライからは、今朝携帯電話で、ただ『タクシー回したから、それに乗って』としか言われていない。
いつものことながら、少女はここにはいない美女を呪った。
「あ、えーと、申遅れました、私、香 如(カガイク)と申します」
如は慌てて名乗り頭を下げた。
「光に弱いものですので、サングラスを外さないのは、お許しください」
にこりと笑う美少女に、塩見は鼻の下を少し伸ばし、頷いた。
「詳しい話は家の中で、丁度妻が出掛けているところなので」
塩見はそう言うと、玄関のドアを開けた。
中に入って一番最初に気が付いたのは、異様な臭いだった。
如はその臭いに覚えがあった。いや、自身は認めたくないが良く知っている臭いだった。
これは、死臭……。
心の中で呟いた。
「やはり気になりますか?」
「何がですか?」
塩見の問いに、如は微笑でそう返した。
「この臭いです。死臭、と言うのですかね、家中この臭いが充満しています」
「……」
「この臭いの原因は、多分妻です」
「奥様が?一体何故?」
「それをご相談したくて、アハ=ロッテン=プライさんに連絡したのです」
「その前に、彼女とはどういった知り合いですか?」
勧められた椅子に座りながら、如はそう尋ねた。
「繁華街のあるバーで、占いの営業をしてるところを偶然……」
塩見はそう言って、名刺を一枚如に見せる。
「何か困ったことがあったら、ここに連絡くださいと」
それは如もよく見知ってる、彼女の営業用の名刺だった。
「はぁ、ここまでの経緯は察しました……。相談の内容をお話ください」
何かあきらめたように、如は塩見に話を促した。
塩見は頷き、話を始めた。
塩見は重々しく口を開いた。
「私は、妻を殺したんです」
「はい?」
突然の発言に如は、思わず上ずった声で問い返していた。
塩見は席を立ち上がり、急に台所に向かった。戻って来た時には、手に茶色い小瓶を持っていた。その小瓶を如の前に置く。
「英語、でもないし、何語で、これなんですか?」
「書かれているのが何語かは私も分かりませんが、これは毒です」
「これで奥様を……?」
「はい……結果的には……」
「結果的……?」
奇妙な言い回しに如は首を傾げた。
「これは私が手に入れた物ではないんです」
塩見はため息をついた。
「これを私が台所で発見したのが、2週間前です。実はその前から体調がどうにも悪く、病院からも原因不明と言われ、気休めに貰っていた薬を飲む毎日でした」
ほら、顔色がいまだ悪いでしょう?と塩見は笑った。
「それまで、正直台所に入ることなんか無かったんです。台所は言わば妻の聖域だったんです。が、薬を飲むのに水が必要でして、その為に台所に入るようになったんです。それで、これを発見しました」
「本当に偶然でした。調味料棚に隠すように置いてある、これを発見したのは……」
如の顔を見、塩見は苦笑した。
「どう思います?直感的にこれは毒だと思いました。妻が自分を殺そうとしていると……。しかし、これが毒と言う証拠も無い。事実、私の体調不良は、医者でも原因は分からなかったんですから……」
「それで、まさか……」
「妻はコーヒーが好きなんですよ。インスタントコーヒーを一日に何杯も飲みます。私はそれに、インスタントコーヒーのビンに、この薬を密かに混ぜました……」
「……」
「結果毒でなければ、妻は何事も無かったでしょう。私も気の迷いだとふっ切れます。しかし、妻は日に日に弱っていき、ついに三日前に血を吐いて倒れました。そしてそのまま――」
「亡くなられたと……」
「はい……」
うなだれる塩見を見て、如はため息をついた。
正直、そう言う事は警察にいって欲しい……。
「それで私に何を?犯罪に手を貸すことは出来ませんよ」
「いえ、この件が無事終われば、私は自首します。あなたに来ていただいたのは、あなたがこの方面の処理屋だとアハ=ロッテン=プライさんから聞いたからです」
「と、いいますと?」
「死んだはずの妻が、今も何事も無くこの家で、生活を続けているんです」
血を吐き絶命した妻を前に、塩見は激しく動揺したらしい。
頭が真っ白になり、どうして良いか分からない。
ただ、この場所には居たくない、逃げ出したいと家を飛び出したらしい。
しばらく近所を歩き、落ち着きと、してしまったことに対する後悔と恐怖が、今度は家路を急がせた。
家に戻ると、台所から物音と、食欲をそそるいい匂いがする。
台所を覗くと、そこには死んだはずの妻が、鼻歌を歌いながら夕食の支度をしていた。
「それから、この家に死臭が漂い始め、今では家中この匂いで充満しています……」
「確認ですが、奥様は本当に亡くなられたのですか……?」
「何度も脈も呼吸も心音も確認しました。それのどれもありませんでした……」
「ですが、相当動揺はされてたでしょうから……」
「それは仰るとおりです。ですが、この家中の、この臭い、これはどう説明しますか?」
身を乗り出すように塩見はそう主張した。
確かに……。
この家を支配するかのようなこの臭いは、生者の出しえる臭いではない。
「それで、私にどうして欲しいのですか?」
「殺しておいて何ですが、死して迷っているなら、妻を、安らかに眠らせてください……」
「……分かりました。確かに、私はその方面の処理屋ですからね、ご依頼をお受けしましょう。日を改めて奥様にお会いしましょう」
「……よろしくお願いします」
塩見は深々と頭を下げた。
如は玄関を出、塩見の話を思い出し、頭の中を整理しようと考えた。
死んだはずの妻が……って、簡単に言えばゾンビか……。
庭を抜け、通りに出ようとする如に、女性が声をかけた。
「お客様ですか……?」
痩せた、顔色の悪い女性が立っていた。
如は頭を下げた。
「奥様ですか?旦那様にお仕事の件でお邪魔しておりました」
「まぁ、私の留守中に間の悪い。あの人のことだから、お茶も何もお出ししなかったでしょう?薬を飲むしか台所に入らない人だから」
ため息をつき、女性はクスクス笑い出した。
「どうかなさいましたか?」
「あの人、私が死んでるとか言いませんでしたか?」
「え、何でそれを……」
思わぬタイミングのため、如はそう言い、慌てて口を手でふさぐ。
「ホホホ、やっぱり……」
上品そうに、でもやはり顔色の悪い女性は笑った。
「死んでいるのは、自分の方だと言うのに」
女性は意地の悪そうな微笑を如に向ける。
「仕事の話と言うのは嘘ではないでしょうけど、あなた、いわゆる霊能力者か何かね?」
「はぁ、それに近いものでしょうか」
「ホホホ、あの人の正体を見破れないようでは、『自称』なのかしら?」
「別に霊能力者とは自分では言ってませんから」
如はにこりと笑い、皮肉を受け流す。
「逆なのよ、私があの人を殺したのよ」
「台所にあった毒で、ですか?」
「ええ、あなたのお仕事の役にも立つでしょうから、少し話を聞いてくださいな」
そう言って女性は話し出した。
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