秘密―②
秘密―②
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「じゃぁ、乾杯」
加藤さんの音頭で皆がテーブルに着いた
「…ややこしいけど…サキちゃん。改めて宜しく」
啓太さんが笑顔で話しかけてくれる
「こちらこそ。すみません…突然、お邪魔しまして」
「どうせ強引に誘われたんでしょ?諭さんいつもそうだから」
加藤さんよりも2歳下の祐輔さん
「…俺は諭に女の子のツレがいる事に驚いた」
尚人さんはチラッと加藤さんを見た
「…大体なぁ、『明日行くから』っていきなり電話してくるヤツがあるかよ。こっちが驚いたよ」
加藤さんはハイペースでビールを呑む
「…サキちゃんは20歳だったよね?こいつに騙されてない?」
尚人さんがイジワルな顔をする
「そんな事ないですよ…もし騙していたとしたら…別居中とは言え皆さんに私を会わせる事はしないでしょう」
私の言葉に加藤さんは苦笑い
…奥さんと同じ名前、更には別居中とは知らずに来たけど…
「さすが諭の部下だな…20歳とは思えぬ言葉のキレ…」
尚人さんと啓太さんが頷いた
「…で、お前達は何しに来たんだ?」
「それは諭さんを励ましにッ…痛っ」
「余計な事言うなよ」
啓太さんがすかさず祐輔さんの頭を叩く
「…咲さんからお前の様子を見てくれって頼まれた」
尚人さんはまたもやサラッと答える
「…そうか。わざわざ悪かったな」
加藤さんが無表情になった
「でも、思ったより元気そうで良かったよ諭。鍵が開いてたから、中で死んでるんじゃないかって心配した」
「こんな事で死ぬかよ」
啓太さんの言葉に加藤さんが眉をしかめる
「そうそう、諭さんはただでは死なないですよ。憎まれっ子世に憚るで…」
祐輔さんの言葉に皆が大笑いした
「理由はどうであれ久し振りって事で…呑むぞ」
加藤さんが笑顔で言った
それからは…お互いの近況報告や思い出話に花が咲いた
一番盛り上がったのは加藤さんの高校時代の話だった…
「こいつ、腹が立つくらいモテてたんだよ」
啓太さんが加藤さんを小突く
「それは仕方がないよな。顔が良いから」
加藤さんはアルコールが廻り上機嫌
「そうそう、俺の同級に『加藤信者』がいたの覚えてます?わざわざ女子大まで咲さんを偵察に行った…」
『咲さん』の名前を出した事にヤバいといった顔の祐輔さん
「負けたって大泣きした子だろ?」
尚人さんはお構い無し
「俺らより2コ上だから…その子からすると4つ上だぞ。その時点で勝目ないって」
「まぁ、可愛くて良い子だったけどな」
加藤さんがにやけた…
「咲さん…ホント、綺麗だったもんなぁ…恐かったけど」
「恐いってところは今でも健在だぞ。母親になって磨きがかかった」
尚人さんがお腹を抱えて笑っている
「諭、随分手こずってたもんな」
「…手こずったって?」
純粋な疑問なので聞いてみる…
「こいつ、硬派な顔してるけど実は女の扱いは上手くてさぁ…」
「その話は止めてくれっ」
加藤さんが止めに入る
「啓太さんどうぞ続けてください」
私は加藤さんに目で 『黙ってて』と言った
「まっ、早い話…その扱いに馴れてる諭クンでさえ、咲さんにはいつまで経っても手が出せなかったの」
「咲さんとの初キスの時に思わずプロポーズしたんだよな。まだ高校卒業したばっかだったけど」
啓太さんに続いて尚人さんが補足してくれた…
「…」
加藤さんは下を向いて、何杯目か分からないビールを呑んでいた
「あの諭が!?って、仲間内で伝説になったなぁ」
うんうんと祐輔さんが頷いた
「…大切なものはそう簡単に手がつけられないんだよな」
尚人さんが加藤さんをヨシヨシした
か、加藤さんが頭を撫でられてるっ!
私の中で『一匹狼』だった加藤さんに…こんなに気を許せる仲間がいた事を嬉しく思った
「ってサキちゃん…大人しいねぇ。無口な方?」
祐輔さんに聞かれる
「祐輔。そいつにちょっかい出すなよ」
加藤さんが間髪入れずに言った
「すみません、気にしないでくださいね」
…何で私が謝らなきゃいけないのよっ
「サキちゃんって20歳にしては大人びてるね」
啓太さんが優しく声をかけてくれた
「…だからこいつと付き合えてんだろ」
尚人さんにもたれ掛かるようにしてウトウトしている加藤さん…
「おい諭、起きろ」
尚人さんが加藤さんを転がす
「…疲れてるんだと思います。寝かせてあげてください」
私は傍にあったジャケットを小さく丸まった加藤さんにかけて言った
私は飲み終えた空き缶やテーブルの上を軽く片付け帰る事にした
「送っていくよ」
と祐輔さん
「歩いて帰れる距離なので大丈夫です…それより加藤さんを宜しくお願いします」
『宜しくお願いします』
には色々な気持ちを込めた…
…風邪ひかないように布団で寝せてください
…大切だった奥さんとやり直せるように
…加藤さんとこれからも『ツレ』でいてくれるように
「啓太、ジャンケンしようか?」
「あぁ、良いよ」
…この大人たちは夜中に何やってるの?
尚人さんが立ち上がる
「負けたから俺か…タバコも切れてたし…ほらサキちゃん諭に帰る挨拶して」
尚人さんがニヤリ…
私は…震える手で…加藤さんの綺麗な唇に…口紅を塗った
あらっ、やっぱりカワイイ加藤さんっ
「笑うの堪えて手が震えましたよ」
「サキちゃんはまだまだ諭に甘いな」
尚人さんはそう言うと私と一緒に家を出た
家まで10分…途中タバコを買いにコンビニへ立ち寄る
「はい」
尚人さんが暖かいコーヒーをくれた
「すみません…」
「…そう言う時は『ありがとう』って言った方がカワイイぞ」
「…すみません」
まるで加藤さんと話してるみたいだ
「…サキちゃんと諭の付き合いってどれくらい経つの?」
「一年半です」
「ふ~ん」
ふ~んの後は特に何もなく…あっと言う間に家の傍の公園に着く
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
私は別れの挨拶をして立ち去ろうとした
「…サキちゃん、諭を頼むよ」
後ろから聴こえた尚人さんの声に足を止めた
暗くて顔は良く見えないけど…尚人さんのその『声』は心からの『声』だった
「諭とぼけてたけど…俺達が来た意味ちゃんと解ってたと思うんだ」
「…はい」
私もそう思う…
「今日はクッションとしてサキちゃんを連れて来たって俺は思ってる…アイツ強がりだからさ」
私が居れば…弱音を吐かずに強気のままでいられるって事か
「あんな風にしてるけど…極度の寂しがり屋さんなのねアイツ」
「はい」
「これは俺と啓太からのお願いなんだけど…サキちゃんには母親のような気持ちでアイツを見守っていて欲しいんだ…10歳も上のオッサンだけどね」
尚人さんは小さく笑った
「…重大な任務ですが…私なりに頑張ります」
「ありがとう、これで安心して帰れるよ」
こうして私は『ツレ達』公認の『お目付け役』に任命された…
「山村君、社員になるなんて…良く覚悟出来たね」
ひと足先に2号店に戻って来たトシ君
「…まぁ、ひと波乱あったけどね」
「あはは、今からはもっといろんな事があるよ」
…『加藤信者』のトシ君はずっとこのままなんだろうか…
「俺もずっとバイトのままって訳にはいかないんだけど…社員になるのは迷うなぁ…」
「どうして?トシ君なら何の問題もないよ」
トシ君は難しい顔をしている
「…加藤さんみたいな働き方が出来るか自信がない」
「働き方?」
「休みもまともになくてさぁ…社長の一言で無理してでも動かなきゃだろ?…俺は加藤さんみたいに器用じゃないし。坂田副店長も仕事が原因で離婚してるんだよ…?」
なるほど…そう言う事か
「あまり先の事を考え過ぎると身動きとれなくなるよ」
私はトシ君の肩を叩いた
「う~ん…」
トシ君は基本的に真面目だ…私なんかよりずっと…
「でも君が社員になっても変わらずライバルだからな」
トシ君の笑顔はいつも私に元気をくれる
「引き離されないようにね」
私はイジワルな顔でそう返した
『ツレ達』に加藤さんの『お目付け役』を任命された事は本人には言っていない
あれから『別居』がどうなっているのかも触れていない
…『母親のような気持ちで見守って欲しい』
そう尚人さんからお願いされた…だからあの夜、口を挟まず静かに見守る事に決めた
「あぁ~っもう、だから灰皿を片付けてくださいって何回言えば解るんですかっ」
「これくらい気を利かせて先に始末しとくのが女だ」
「はぁっ!?自分の事は自分でするっ…幼稚園児でも解る事ですよ?」
「…お前…うるさい母親になりそう」
「…心配しなくても加藤部長の母親になる事はまずあり得ないですからっ」
………尚人さんは加藤さんにとっての私の『役割』を、実は見透かしていたのかも知れない
加藤さんは渋々灰皿を洗いに行った
「笹岡さん、今日からまた宜しくお願いしますね」
私は予定通り社員になり新店に戻って来た
「山村マネージャーっ、お帰りなさい」
笹岡さんが笑顔で迎え入れてくれる
「もうマネージャーではないですよ」
「そうでしたね。暫くはマネージャーって呼んじゃいそう」
笹岡さんは舌を出して笑った
「今日から本店のパートの川崎さんと言う方が2週間こちらに勤務します」
「はい、坂田副店長から聞きました…何でも扱いが難しいとか…」
…坂田副店長…余計な事を
「心配しないでくださいね。彼女の事は私が任されていますから。笹岡さんはいつもの通りで大丈夫。仕事はチームワーク命ですからね、頑張りましょう」
「はい、これからも宜しくお願いします」
明るい元気な声の笹岡さんにちょっぴり勇気をもらう
…オープンの新人研修を受け持った時以来の『緊張』だ…
気持ちを引き締めるように、ギュッと強めに髪をまとめた
川崎さんのシフトは10時~16時
休みは私と揃えてもらっている
笹岡さんには『大丈夫』とは言ったものの…私が不在の間に何かしらトラブルがあっては困る
2週間のメニューは敢えてざっくりと決めた
短い期間で『マネージャー』の心得を理解してもらう為には、キッチリ縛りつけた内容よりも、ある程度自由な中で『体感』してもらうのが良い…そう考えた
「おはようございます」
9時40分…川崎さん出勤
「おはようございます。今日から2週間宜しくお願いします」
私は自分から挨拶をした
続けて笹岡さん
「パートの笹岡です。宜しくお願いします」
「本店の川崎瑠美です。宜しくお願いします」
…二人共、やや緊張気味
勿論、私もだけど…
「川崎さん、ロッカーは空いている所を使ってくださいね。準備が出来たら手洗いをしてキッチンにどうぞ」
私は笑顔で彼女と向かい合った
…2週間
何があっても私は『笑顔』で徹す
「手洗い終わりました」
カウンターで伝票整理をしていた私の所に彼女がやって来た
「まずはキッチンとドライブスルーの受け方を説明しておきますね」
本店と新店では設備が大きく異なる
本店勤務しか経験のない彼女…
機械の扱い方は直ぐに覚えてもらわないといけない
「…大まかな説明でしたが大丈夫そうですか?やってみて何か解らない事があれば笹岡さんに聞いてくださいね」
私の言葉に川崎さんは『えっ?』と言う顔をする
「…笹岡さんに聞くんですか?」
「はい。私は発注や事務処理がありますから…笹岡さんはオープンの時から頑張ってくれているスタッフです。彼女に聞いてもらえば間違いないですよ」
笑顔の私に戸惑い気味の川崎さん
「…分かりました」
「川崎さん、本店と新店ではハード面が大きく違います…でも私達がしなければいけない仕事は一緒ですから」
ざっくり研修その①
課題『順応性と協調性』
マネージャーになると…彼女も例外ではなく、他店に異動する事も出てくるだろう…
それぞれの店で、いかにスピーディーに動けるようになるかは重大な課題だ
ハード面は勿論の事、ソフト面でも『扱い方』を理解して実践に移す能力が必要となる
今更、製造や接客、発注や仕込みの基本確認などする必要はない…それは出来ていて『当たり前』の事だ
「笹岡さん、仕込みは私がしますので川崎さんと二人で前をお願いしますね」
「分かりました」
笹岡さんは川崎さんよりも8歳年上である
川崎さんが彼女の性格を理解し上手く『扱い』ながらどのくらい店を回していけるか…暫く様子をみる事にした
仕事をする相手の年齢や経験年数に関係なく『チームワーク』を保つ為には頭も下げなきゃいけないし、時には毅然とした態度も必要となる
相手に自分の『プライド』を感じさせてしまうと上手くいかなくなるのが『マネージャー』なのだ
時間はお昼になった
笹岡さんが製造に入り川崎さんがレジを担当しながらドリンク製造や袋詰めをしている
二人で対応可能なギリギリの状態まで…私は手を出さない
カウンターレジを受けている時にドライブスルーの入車を知らせるブザーが鳴った
『申し訳ありません。暫くお待ち下さい』
笹岡さんがマイクに向かって話す
カウンターには新たなお客様…
私は直ぐにドライブスルーの注文を受け、ドリンク製造に入った
「山村さん、こっちは大丈夫ですから仕込みをしてください」
ドライブスルーが途切れ、川崎さんに声をかけられる
「分かりました」
私はまた後ろに下がり仕込みを続ける
川崎さんは一人でレジやホールを行ったり来たりしながらオーダーをあげていく
出来上がった商品がウォーマーの下に並べられなくなった時
「山村さんお願いします」
笹岡さんから呼ばれ私はコントローラーに入った
「笹岡さん、その調子でどんどん作ってくださいね」
私はオーダー票に目を通し川崎さんを呼んだ
「川崎さん、テイクアウトのドリンクは後からでも大丈夫。先にホールのドリンクを出してしまいましょう」
一人でバタバタしていた川崎さんは返事をしないまま、ホールのお客様にドリンクを出す
私はその間に袋詰めを済ませドリンク製造に入る
戻って来た川崎さんに出来上がったイートインの商品をカウンター越しに渡した
「山村さん、手が空いたのでドライブスルーの会計します」
「お願いします」
笹岡さんが会計を済ませたと同時に揃った商品を彼女に渡す
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
二人で笑顔でお客様を見送った
ホールには食べ終わったトレーがそのままになっているテーブルがある
次の袋詰めをしようとしていた川崎さんを止め
「ホールチェックを先にお願いします」
と声をかけた
「はい」
彼女はそう短く答えるとフキンを持ってホールに出て行った
ざっくり研修その②
課題『判断力と実践力』
「山村さん、仕込みの途中で呼んですみませんでした」
店内が落ち着いた頃、川崎さんが謝ってきた
「どうして謝るんですか?」
私は穏やかに聞く
「あれくらいのオーダーを二人で回せないなんて…すみません」
言葉では『すみません』と言っている彼女…顔は明らかにひきつっている
「川崎さん、まだ初日ですから。そんなに気負いする事はないですよ。でも…自分達の仕事に集中するあまり、周りが見えなくなる事がないようにお願いしますね。常にお客様第一で」
マネージャーはその場の状況を的確に判断し、お客様が気分良く商品を口にする事が出来るよう…そしてそれを『当たり前』のようにスタッフが『演出』出来るように動かなければならない
状況に合った『自分の動き方』が重要になる
滑らかな潤滑油になったり、柔らかなクッションになったり、活気を出すBGMになったり…
お店を『舞台』に、お客様を喜ばす演出をするスタッフを支える『裏方』がマネージャーだ
その為には常に頭は『判断と実践』を繰り返す
マネージャーは決して派手な立場ではない
「お疲れ様でした…慣れないお店の初日は疲れたんじゃないですか?」
仕事を終え着替えた川崎さんに声をかけた
「大丈夫です」
「何か解らなかった事や気になる事はなかったですか?」
私は事務所の椅子にゆっくり腰掛け『きっかけ』を作った
「別に…明日からはもっと上手く仕事が出来ると思います」
無表情の川崎さん
「そうですか。川崎さんはこの店に研修目的で入っています…マネージャーのテストを受けに来ているのではないですから、今後、ご自分の為になる事は積極的に学んでください」
「……」
「それから…疑問に思った事はその日のうちに解決されてください。後回しにしても何の得もありませんよ。本当に大丈夫ですか?」
川崎さんは小さく溜め息をついた
「…ではお聞きします。この研修を決めたのは誰ですか?」
…今更それですか
「研修の提案をされたのは館山副店長です。加藤部長と私が頼まれました…でも『決めた』のは川崎さんご自身ですよね」
彼女は大きな目を私に向ける
「ご自分で決めた事です。最後までやり遂げてください」
私は大きな冷たい目に笑顔で応えた
…う~ん…
さっきの彼女の口振りからすると『私との研修』は完全に館山さんの独断と言う事になる
社員ミーティングの日を境に館山さんとは逢っていないし、話をする機会すらない
「…山村さん、川崎さん何か殺気だってなかったですか?」
心配そうに私を見る笹岡さん
「大丈夫ですよ…それよりちょっとご相談があります」
「何ですか?」
私はもう一度川崎さんが新店勤務になった理由を話し、彼女にはなるだけ自由に動いてもらうようにお願いした
「山村さんも何か考えがあっての事でしょう?私は構いませんよ」
ニコッと笑う笹岡さん
「はい、すみません。そのせいで笹岡さんには少し仕事の負担が増えるかも知れませんが…何かあればその都度私がフォローに入ります。宜しくお願いします」
笹岡さんに頭を下げる
「あはは、山村さんが留守にしていた間、随分私も鍛えられて図太くなったの。大丈夫ですよ」
オープンからのパートナーの頼もしい言葉に私は励まされる
「さっ、仕込みを終わらせちゃいましょ」
明日も迷わず研修続行
川崎さんが研修に入ってから4日目…
ざっくりし過ぎているのか、彼女には初日からこれと言った『変化』がない
相変わらずどこか『壁』があり、何でも『自分一人』でやってしまおうとする…
結果、周りが見えなくなり大事な事を置き去りにして、仕事をただの『作業』に下げてしまっていた
「川崎さん、お先に休憩どうぞ」
お昼のピークが終わり店も落ち着いた
「仕込みが遅れてますから休憩はいりません」
彼女は私と目を合わせる事なく仕込みを続ける
「…川崎さん、休憩はきちんと取りましょう。続きは私がしますから」
笹岡さんが気を遣い交代をかって出る
「私が任された仕事ですから」
彼女はそう言ってレタスを洗うのを止めようとしない
私が間に入ろうとした時だった
「ねぇ川崎さん。そんなに私が頼りないかしら?」
今まで見た事のない笹岡さんがそこにいた…
「えっ!?」
川崎さんが不機嫌そうに振り向く
「…これからマネージャーになるんだったら、たかがパートの私くらい上手く使いなさいよっ」
さっ…笹岡さん!
仁王立ちになってます…
川崎さんの顔色が変わった…
笹岡さんに言われた事に腹を立てているのとは少し違う気がした
…ちょっとこのまま様子をみてみよう
「私は自分の仕事に責任を持ちたいだけです」
川崎さんが言い返す
「私にはそうは見えないよ。貴女は片意地張ってるだけ。研修だか何だか知らないけど、一緒に仕事をしてる方は貴女の態度…困るの」
笹岡さんは静かに言った
「分かりました。言われた通り休憩頂きます」
「はぁ?言われた通り?…その態度の事を言ってるんだけど」
「じゃぁ、どうすれば良いんですか?…研修って言うばかりで山村さんは何も指導してくれないじゃないっ」
…来た。言うと思ってた…
「川崎さん、それはですね…」
私の言葉に笹岡さんの声が被さる
「何も指導してくれない?…20歳やそこらの小娘じゃないんだから。自分の研修くらい自分で仕切りなさいよ。貴女がここで何がしたいのか私にはさっぱり解らない」
…すみません、指導者が20歳の小娘で…
笹岡さんの啖呵に言葉が出ない川崎さん
「…私は貴女よりもずっと経験年数は少ないけど…この仕事が好きだって気持ちは負けてないと思う。何が気に入らないか知らないけど貴女がこのままの態度を貫くなら…この仕事が好きな私の方がマネージャーになるわ」
おっと…笹岡さん
「川崎さん、休憩には身体を休める他に自分をリセットする意味もあります。無理を重ねるとミスに繋がりますからね。笹岡さん、川崎さんの仕込みを引き継いでください」
私は二人をなだめるように言った
「…ほら、休憩に行って来て。私がちゃんとしておくから。山村さんが穏やかに言ってるうちに行かないと…彼女が怒ったら、私も止めてあげられないよ。加藤部長と坂田副店長が黙るくらい恐いんだから」
笹岡さんは、あははと笑いながら言った
「休憩頂きます…後はお願いします」
川崎さんは小さく頭を下げると事務所に入って行った
事務所とキッチンの間のドアが閉まると
「山村さん、ごめんなさい。でしゃばった」
と笹岡さんが手を合わせて謝る
「そんな事ありません。ありがとうございました」
私は心からお礼を言った
…笹岡さんのお陰で大収穫だった
川崎さんはきっと今まで、自分の為に本気で『叱ってくれる人』に恵まれていなかったのだ
気の強い彼女を力で捩じ伏せようとしたり、トラブルを避けた相手が我慢する…そんな環境で今まで来ている
私はそう確信した
優しくされるよりも『本気で叱られる』事に相手の『愛情』を感じる事もある
『愛情』を確認する事で自分が『認められてる』事を知る
「笹岡さんのお陰で研修の最終目標が決まりました。ありがとうございました」
私は思わず笹岡さんを抱き締めた
そして…もうひとつの大収穫
『笹岡さんはマネージャーになれる』
私の確信
オープン研修で不安のあまり泣き出した笹岡さんを、昨日の事のように思い出す
「笹岡さん成長されましたね」
私は『感動』して涙が出そうになった
『これから貴女が研修していく方たちは貴女の意志を継いでいく人達です』
大迫さんの言葉がフラッシュバックした
笹岡さんの仕事に対する気持ちは『本物』だ
私が不在だった半年…きっと彼女も苦労しただろう
ここまで育ててくれた『和美さん』に心から感謝した
そして川崎さんの研修終了後の『私』の目標が決まった
…笹岡さんをマネージャーに育てる
「笹岡さん、これからも好きな仕事を頑張ってくださいね」
「勿論ですよ。私は山村さんの一番弟子なんだから」
笹岡さんのとびきりの笑顔は、やっぱり私に勇気をくれた
「山村、どうだ?」
夕方、加藤さんが新店を巡回して来た
「変わりはないです」
パソコンで売上や発注を確認する
「…夕方~夜間は伸び悩みってとこだな…田舎のオフィス街の特徴だよ」
加藤さんは頭の後ろで手を組み、数字で埋め尽くされたパソコンを睨む
「川崎の研修はどうよ?」
「大丈夫です。最終日までには目標達成して頂きます」
加藤さんには今日の出来事は報告しない
最終まで私が彼女と向き合う
…プルルルル…プルルルル…
「はい、新店事務所の加藤です……お疲れ様です、お待ち下さい」
受話器を渡され出る
「館山です…研修の方はどうですか?」
「心配されなくて良いですよ。彼女なら大丈夫です」
「そう…じゃぁ宜しくお願いします」
…プーッ…プーッ…
明日は公休だったけどお誘いなし…
加藤さんがいたからかな…
「川崎のさんの事?」
「はい」
「ふ~ん…」
…明日はゆっくり休むとしよう
私は受話器を静かに置いた
家に帰り久し振りに美貴に電話をしてみる
「美貴?サキだけど元気にしてた?」
「サキちゃん久し振りぃ、元気にしてるよ。サキちゃんは?」
美貴の声を聴くとほっとする…
私は近況報告と月末に東京へ研修に行く事を話す
「お土産買ってくるからね。楽しみにしてて」
「うん…ねぇサキちゃん。社員になっても館山氏とは…このままなの?」
こんな風に心配そうに話す美貴の声を、何度聴いただろうか…
「う~ん…実際のところ、暫く逢ってないんだよね。別に意識して距離を置いてる訳ではないんだけど…仕事が忙しいから仕方がないよ」
本当は…逢えない事で不安を感じている
「そっかぁ…サキちゃん、これからの事を考えたら…」
「美貴の言いたい事は解るよ…いつも心配してくれてありがとね」
「うん…」
「サキちゃん、酷な事を言うけど…館山氏との未来はないよ。だから…サキちゃんの大事なこれからの為に自然消滅だけは止めてね…上手く言えないんだけど」
「うん、それも解ってる」
これ以上、美貴と館山さんの事を話すと気持ちが乱れてしまいそうだ…
私は早々に電話を切った
本当は明日は美貴と会いたかった…でもそれも言えなくなってしまった
『仕事』が休み
『彼』とは逢えない
『友達』も誘えない…
そんな時の自分には『何も』ない
私は独りで過ごす時間をもて余している
自分で自分の事を『ツマラナイ』人間にしてしまっている…そんな焦りを感じながらも
『明日一日が終わればいつものように時間が廻りだす』
そう自分に言い聞かせる
このまま上手くバランスをとっていけるのか解らないまま…
休み明け
事務所の鍵を開け中に入って驚いた
「坂田副店長こんな時間までどうされたんですか!?」
深夜勤が終わって5時間…
「おはよう、サキちゃん…もうこんな時間かぁ…」
机の上には何かの資料と吸い殻で山が出来た灰皿
「仕事ですか?」
「そう…深夜の売上上げる対策を練らないとぉ…」
そう言いながら欠伸が出ている
私は灰皿を片付けコーヒーを淹れた
「はい、どうぞ」
「おっ、ありがと」
ニコニコとコーヒーを飲む坂田副店長
「すみません。経営に関してはまだまだ勉強不足で…坂田副店長には負担かけてます…」
「焦らなくて良いよ。今から覚えていけばいいんだから」
「はい」
「川崎さんの研修は上手くいってる?俺の方こそごめんね…ノータッチで」
本店の時から『水と油』の二人…
…『犬猿の仲』の方が適切な言い方かな
「私に足りない部分は笹岡さんが助けてくれてます」
このお店の『トップ』には一昨日の話しを少しした
「へぇ~っあの川崎さんも笹岡さんには負けたか」
カッカッかと笑う坂田副店長
「笹岡さんからは、これからのヒントをもらいました」
「笹岡さん、頑張ってるね」
「はい、とても」
シフトの関係で坂田副店長が普段見れないスタッフの頑張りは、私がちゃんと伝えてあげないといけない
「…館山副店長は川崎さんとは上手くやれてるんだよねぇ。俺と何が違うのかな」
「そうですねぇ…」
それは彼女が彼を『好き』だから…?
でも…どうして彼を好きになったんだろう
私も決して人の事が言える立場じゃないけど
彼女には『家庭』がある…
「坂田副店長、もう帰って休んでください。身体を大事にしないと」
欠伸タラタラの坂田副店長に声をかける
「う~ん…今日は公休だしどうせ帰っても独りだから」
独り言のように呟く
「…10時前には川崎さん来ますよ」
坂田副店長は慌てて帰り支度を始めた
「おはようございます」
坂田副店長と入れ違いに笹岡さんが出勤
「おはようございます。今日も宜しくお願いします」
「そこで坂田副店長と会ったけど…まだ仕事だったんですか?」
「はい…色々とあるみたいで。坂田副店長が笹岡さんの事、誉めてましたよ」
自分が『認められてる』事は率直に伝えてあげる
仕事に対するモチベーションを上げてもらう為に…
「うっそぉ、ただ単に恐いだけじゃない?私の事」
「えっ!?」
「一ヶ月くらい前かな…坂田副店長が鈴木さんに対してあまりにも酷い言い方をしてて…」
「…はい」
「『それは人の上に立つ人間の言い方じゃない』って一喝した事があったの」
あはは、と笑う笹岡さん
…そうですか
でもきっと…笹岡さんの心からの『言葉』は坂田副店長に伝わってる
「大丈夫。笹岡さんらしく頑張ってくださいね」
私は彼女の肩を叩いた
「おはようございます。今日も宜しくお願いします」
川崎さんが出勤
「こちらこそ宜しくお願いします」
私と笹岡さんはにこやかに彼女を迎え入れる
「…あの、山村さん」
「はい、何でしょうか?」
少し控えめに川崎さんが話しかけてきた
「私にコントローラーを教えてくれませんか…?」
新店勤務5回目にして初めて『自分の意思』を示す彼女
「勿論、良いですよ。本店では経験はないですか?」
「ほとんどありません」
「分かりました。出来て損はないです。きっとこれから役に立ちますよ」
川崎さんが頭を下げた…
「笹岡さん…暫くはまだご迷惑をおかけしますが…宜しくお願いします」
川崎さんは少しはにかみながら笹岡さんを見た
「何を遠慮してるんですかぁ、山村さんから盗める技はどんどん盗んで!新店は本店をライバルだと思ってるんだから、貴女の責任は重大よ。しっかり頑張って」
ふふん…といった顔の笹岡さんに川崎さんと二人で笑った
「じゃぁ、川崎さん。手加減はしないですよ」
「勿論、それでお願いします」
私はパソコンを使い売上に対する商品の出方や売上予測の方法…どのタイミングで商品の『見込み』をつけ、スタッフに的確な指示を出していくかなどを説明した
「理論的な数字は計算で出せますが…実際はほとんど勘と経験です。それぞれの店で客層もピークが来る時間帯も違いますから」
「…暫くは毎日パソコンで情報を得ながら動いてみます」
「そうですね。川崎さんは飲み込みが早いので、後は経験を重ねていきながら、ご自分の動き方とスタッフの動かし方を覚えていってください」
真剣な顔の川崎さんを見ると…ちょっと聴いてみたくなった
「川崎さん…どうしてマネージャーになりたいんですか?」
暫く沈黙の彼女
「以前はただ単に、頼りないスタッフの中で頑張ってる自分を認めてもらいたかったから…」
「…以前はと言う事は…今は何か心境の変化でも?」
彼女の顔が少しだけ微笑んだ
「…今は、そんな中からちゃんと私を見つけてくれて、認めてくれた人の為に…私はマネージャーになりたい」
何かを思い出すように話す川崎さん
彼女を見ていると返す言葉が見つからない
「山村さん…また一方的に言ってしまうけど…その人の為にも私は貴女には負けられない」
私の目を真っ直ぐ見て話す彼女から、やっと目を離す事が出来た
…落ち着いて
落ち着いて話すんだ
私は笑顔を作る
「そうですか。誰かの為に頑張れる事は素晴らしい事だと思います。川崎さんを認めてくれたその方が…川崎さんにマネージャーになって欲しいと望んでいるなら…期待に応えてくださいね」
私は席を立ちながら彼女に言った
真っ直ぐに向けられた彼女の気持ちが心に痛くて
そう言うのが精一杯だった
…自分の気持ちが乱れるのが解っていながら、私はどうして聴いてしまったんだろう
私は『誰』に対して『何の』確信が欲しいんだろう
「…お前…今日は何か疲れてないか?」
「えっ…!?そんな事ないですよ」
「じゃぁ、今俺が言った事を復唱してみろ」
…何の話しでしたかねぇ
とりあえず笑ってみる
「聴いてなかっただろ?」
加藤さんは呆れ顔
「すみません…」
疲れてるんじゃない
集中出来てないんだ…
「お前が研修に言ってる間、このまま川崎さんにここのシフトに入ってもらおうと思うって話だ」
机の上にあったファイルで私の頭を叩く
「それで良いと思います」
「…それだけか?」
加藤さんは私の答えに不満そうな顔をする
「何かあったのか?」
「別に何もないです。すみません」
もうすぐ私も研修だ
頭を切り替えないと
「そう言えば、竹内社長の店がまた賞を取った。6号店がオープンする直前まで片岡さんがいた店だ」
片岡チハル副店長…
大迫エリアマネージャーの秘蔵っ子
「やっぱり凄い人なんですね、片岡さんって…」
その店は今回『接客優秀賞』を取ったと加藤さんから聞かされた
「そろそろうちのエリアも審査対象になるから…気を抜くなよ」
「はい」
『お客様』に成りなりすました本部審査員が、ある日突然来店し気付かない間に『審査』が行われる
この時期に入るとどこのお店もピリピリし出す…
「それを聴いて社長…かなり焦ってるからな。だからと言って俺はお前に片岡さんみたいになれとは言わない」
「はい」
「俺達は俺達のやり方で、会社の名前を全国区にすれば良い」
ここで加藤さんが言う『俺達』はきっと『加藤さんと私』
「勿論です」
私は力強く頷く
野田社長が竹内社長の会社をライバル視し、あの会社のような強固な組織を目指しているのは言葉の端々で解る…
野田社長からすると『大迫さんと片岡さん』は、未来の『加藤さんと私』に見えてしまうのだろう…
「俺は俺。お前はお前。『らしく』やるぞ」
でも…そうは問屋が卸さないのが『加藤さん』なのだ
ふと…思う
マネージャーになりたくても、私と比べられてジレンマを感じていた川崎さん…
加藤さんを色々な意味でライバル視している館山さん…
『加藤さんと私』を挟んでお互いの目標が結果、同じ事だったと気がついた二人なら…
きっとその『絆』は想像以上に深く…強い
「山村、本部研修頑張れよ」
加藤さんは笑顔で言った
コントローラーを覚え始めた川崎さんは、少しずつ他のスタッフに対する態度が変わってきた
廻りのスタッフに支えられ、協力を得られないと出来ないのが『コントローラー』なのだ
「川崎さん、指示も的確に出せているし、その調子で良いと思います」
「はい、皆さんが頑張ってくれてるお陰で私も助けられてます」
以前の川崎さんからは聴けなかった相手を労い、感謝を表す言葉…
「川崎さん、来週から新人のアルバイト生が来ます。その方の新人教育をしてみますか?」
ざっくり研修最終
課題『教育』
「はい、やらせてください」
川崎さんは迷う事なくこう返事をした
「私は本部研修に行きますので新人さんには一日しか会えません。私が不在の間、川崎さんと笹岡さんで教育をお願いします」
私が2週間留守をする間、川崎さんと笹岡さんがどんな『育て方』をしてくれるのか…不安よりも期待の方が大きい
「笹岡さん、聞こえてましたよねぇ」
私は笑いながら笹岡さんに話しかけた
「はぁい、聞こえてますよ師匠。心配しないで東京に行って来てください」
笹岡さんはオープン研修からの三ヶ月間、ずっと私を見てきた…
自分よりも経験の少ない笹岡さんのアドバイスを、川崎さんがどのくらい受け入れ『自分のもの』にしながら新人教育に活かせるか
そんな川崎さんを笹岡さんがどれくらいの『刺激』に出来るか…
自分の目で確かめられないのが残念だが二人を信じて任せる
「お二人には期待してますよ」
新人教育をする為に大切な事…
『相手にどれだけ愛情がもてるか』
根本にそれがあれば、どれだけ叱っても厳しくしても…必ず応えてくれる
そしてもうひとつ
新人教育を通して、自分自身を客観的に観る事により、自分に不足している部分や『馴れ』になってしまっている部分を確認する事が出来る
私の経験上、新人さんから学ぶ事は意外に多い…
「それでは新人教育マニュアルをお二人にお渡しします」
私はオープン研修の時に加藤さんが作成したマニュアルを手渡した
「懐かしい…」
中身を見た笹岡さんが呟く
川崎さんは冊子を食い入るように見ている
「どのように進めていくかはお二人で相談して決めてくださいね…私から言う事はひとつ…これから教育をする新人さんは、お店に対するお二人の意志を継いでいく事になります。愛情を持って接してください」
大迫さんから教わった『教育の基本』を私の意志を継いでもらう二人に伝えた
「…と言う訳で、新人教育は笹岡さんと川崎さんにお任せする事にしました」
私は笑顔で坂田副店長に報告する
「笹岡さんは良いとして…川崎さんで大丈夫!?サキちゃんは知らないだろうけど、彼女の新人イビりは凄いんだから」
本店で長く一緒に働いたもの同士…色々な『歴史』は知っていて当然
「私は自分の部下を信じます。それと同じように…坂田副店長の部下である私の判断を信じてもらえませんか?」
うっ…と言う顔の坂田副店長
「ねっ」
私はまた彼にニコリ…
「私が不在の間、川崎さんがここに残る事は、彼女にとってチャンスなんです。坂田副店長お願いします」
私は頭を深く下げた
「分かった、分かった。そのかわり何かあったら必ず俺に相談報告するように伝えてよ」
「ありがとうございます」
こうして坂田副店長の許可もおり、私の『研修プログラム』は最終段階に入った
「お疲れ様。山村」
東京に行く3日前
「お疲れ様です」
「お前、明日から公休だろ?これ、社長から預かって来た」
加藤さんから飛行機のチケットと経費を渡された
「…お前、ホントに辿り着けるのか…?」
「心配なら着いて来ますか?」
何だかんだ言ってもまだ『保護者』感覚の残る加藤さん…
「新人教育の事、坂田副店長から聞いたぞ」
カウンター前には、新人さんにレジを教える川崎さんがいる
「研修の最終目標はコントローラーだったんですが、ここのシフトが延びたお陰で教育を入れ込む事が出来ました」
「俺も毎日顔出すから気にしておく」
「宜しくお願いします」
渡されたチケットと経費をロッカーになおす
「研修から帰って来たらちょっと話したい事がある」
「話したい事?今じゃ駄目なんですか?」
「帰って来てから」
…勿体振って
「じゃぁ、気をつけて行けよ」
「はい、行って来ます」
本部研修前
『女の子は色々と準備もあるでしょ』
と…坂田副店長が2日連休をくれた
彼には『女性的』な部分があると最近気がついた…
…変な意味じゃなく
だから『理性』よりも『感情』が先に出てしまって…トラブルメーカーになるのかしら…?
お陰様で『男性的』な部分のある私は、持ちつ持たれつで彼とは上手くやれてる
「ただいまぁ」
「お帰りなさい。サキ、さっき電話があったわよ」
母親が私に小さなメモを渡す
………
「本店の館山さんって方から。携帯に連絡してくださいって」
家に電話があるのは初めてだった
「分かった。本店の副店長なの…電話しとく」
私は子機を持ち自分の部屋に入った
一度もかけた事のない携帯…
なのに私は番号を暗記している
真っ暗な部屋の中
暫く考える
…プルルルル…プルルルル…
突然鳴り出した電話にビックリして子機を床に落とした
母親は出る気配なし…
「はい、山村です…」
「もしもし…山村君?」
「トシ君?!」
「そうそう、元気にしてた?」
「うん、どうしたの?」
「ほら、この前俺の発注ミスで借りたカップの後処理なんだけど……」
暫くそのまま仕事の話を続けた
「じゃっ、ありがとねぇ。本部研修、頑張って来てよ」
「うん、ありがとう」
…プーッ…プーッ…プーッ…
わざわざ家まで電話をかけてくるんだもん…
もしかしたら館山さんも、何か仕事の話しかも知れない…
私は電気をつけて深呼吸を何度もした
番号を間違えないようにゆっくりボタンを押す
…プルルルル…プルルルル…
また鳴り出した電話に、やっと出した勇気が消える…
今度は誰!?
「はい…山村です」
「…先ほどお電話させて頂きました館山ですが…」
「私です」
…館山さんだった
「サキか…お母さんと声がそっくりで分からなかったよ」
「今、電話をしようと思ってたところ」
「ごめん、家にまで電話して」
久し振りに聴く彼の声がとても遠くに感じる
「大丈夫。元気?」
「うん。サキ、明日なんだけど…逢えるかな」
「…私も逢いたい」
館山さんの顔を一ヶ月以上見ていない
こんな事…今までなかった
「夕方には仕事が終わるから迎えに行くよ。いつものところに…19時。大丈夫?」
「うん、昼間は研修に行く準備をするから私も夜の方がいい」
館山さんの携帯に電話をする事なく
明日の約束が出来た事に少しほっとした
翌日…
午前中のうちに買い物に出掛け午後からは荷造りをした
二週間の研修で休みは一日しかない
研修中は制服で過ごす為、実際は大した荷物にならなかった
館山さんとの約束の時間が近づいた
湿度が高く蒸し暑い今日は、髪を高い位置でアップにする
彼からもらったBVLGARIの香水を直接自分にかからないように部屋にふる
まぁるい優しい匂いの中でざわつく気持ちを鎮めた
『貴女には負けられない』
あの日から、川崎さんのあの時の声がずっと頭の中にある
…館山さんは彼女の気持ちに気付いてるんだろうか…
自分よりも10歳以上歳の離れた『大人』の二人がどんな『関係』で今まできているのか…
知るのが恐い…
でも…今日こそは彼に聴こうと思う
『私の事をまだ好きでいてくれてますか?』
19時に少し遅れて彼の車が着いた
「ごめん、待った?」
今までと変わらない優しい声
「お疲れ様です…私も今来たところです」
あまりに久し振り過ぎて丁寧語になってしまった…
車に乗った途端、彼は無言で私を抱き寄せた
私も彼の背中に腕をまわす
「サキ、寂しくなかった?」
「寂しかった」
「今日はいつになく素直だね」
私を抱き締めたまま笑いながら彼は言う
車は近くの海に着く
ここは一年前…
『好きになって欲しい』
と…彼に告げられた場所
私達の『秘密』の始まりの場所
私は意を決して聴いた
「館山さん…まだ私の事を好きですか?」
駐車場を照らすオレンジの光の中にある彼の顔は、少し驚いているように見えた
「どうしたの…急に」
彼はうんと優しい声で聴く
「…ずっと不安な気持ちでいるの…私」
「どうして?」
「館山さんが私からどんどん離れていってる」
自分の『立場』を忘れて無茶苦茶な事を言ってる
でも…止まらなかった
「館山さんが、もう私の事を好きじゃないなら…終わりにする。私だけ好きでいるのは無理」
「サキ」
彼の手が私の頬を包む
「応えられないならこんな風に…優しくしないでっ」
私は顔をそむけた
「サキ、こっちを見て」
彼の顔がまともに見れない
「サキ、好きだよ…俺は終わらせるつもりはない」
自分が嫌で…情けなくて涙が出た
『サキが不安に思ってた事…気付かなくてごめん。泣かせてしまったけどサキの本心が聴けて俺は嬉しいよ』
こうして…
私達の『秘密』はまだ続く事になった
いつまで…?
それは私にも、きっと彼にも解らない
次の日
私は母親に頼んで、背中の真ん中まであった髪をバッサリ切った
「あぁ~勿体無い…お父さんにあげちゃいたいくらいの量よ」
「あはは、たくさん頭にのせてあげてよ」
長い髪と共に、自分に溜まった色々なモヤモヤや迷いを切り捨てる
「あら、ベリーショートもいけるわね」
「母上の技術のお陰」
私は短くなった髪に似合う化粧品を買いに出掛けた
…化粧品だけのつもりが洋服まで買ってしまった…
髪を切った事で気分まで軽くなった私
そんな自分を結構…単純なんだと思う
「ただいま」
「遅かったわね。1時間くらい前に店長さんが訪ねてきたわよ」
えっ!?加藤さんが
「これ、サキに渡してくださいって」
母親に渡された紙袋には、近くの書店の名前が入っている
「ありがと」
早速、中身を確かめた
………
『会社に必要とされる社員になれ~新社会人の君へ~』
本のタイトル
「東京までの移動中、暇だろうからって言ってたわよ」
パラパラと本をめくると紙切れが落ちた
…加藤さん…
『万が一、遅刻でもされると私の仕事が増えます』
そう添えられた紙には、空港から本社までの移動方法が事細かに書いてあった
初めての東京
自分が『井の中の蛙』だと言う事にあらためて気付く…
空港にいるだけで心臓がバクバクした
キョロキョロしていた自分が恥ずかしくて、下を向いて歩くと何度も人にぶつかった…
電車に乗って、自動改札が上手く通れるか不安だった
コンビニとコンビニの間隔が狭い事に驚いた
綺麗な人、素敵な人が普通に道を歩いている…
『私はちっぽけだ』
気持ちが少し沈む
加藤さんの『ガイド』に頼る事なく本社前に着く事が出来た時
『やれば出来る』
と…少し自信を回復させた
これから二週間
この大きなビルの中で朝から晩まで『缶詰状態』…
『研修の名を借りた軟禁』と呼ぶ人もいたとか…
背筋を伸ばしジャケットの裾をピンと引っ張る
野田組 山村サキ
『出陣』
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