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🎭ある暗黒卿の気紛れな呟きⅡ🎵+⚡✒🐱

No.38 19/03/27 12:58
メッテルニヒ=パレオロゴスAUT ( 40代 ♂ MLdWxe )
あ+あ-

≫37

①彼のボン時代の作品には、今日普通に知られた名曲が全く無く、天才の香りはあってもまだ未熟な作品だらけだった。
ベートーヴェンの作品のほとんどはウィーン時代に書かれたモノで、事実、彼自身が作品番号Op.を付けたモノは全てウィーン時代の作品。
Op.1のピアノ三重奏からしてウィーン時代の作品。
ボン時代の習作には作品番号がない。彼自身、重要視して居なかったのだ。
つまり<大作曲家>ベートーヴェンはウィーンで生まれた。

②ベートーヴェンと言う苗字自体、オランダ語であり、ドイツ人らもそれ認め、彼はオランダ人またはオランダ系などとよく言っている。
これは彼の祖父が、今日のベルギーのオランダ語(フラマン)地方出身だから。
その祖父は、仕事の為に当時ケルン選帝侯の領地だった田舎町ボンに移住して来たのだ。

③ではベートーヴェンはオランダ系ベルギー人なのか?
オランダ人はともかく、ベルギー人がベートーヴェンをベルギーの作曲家だと言うのを聞いた事ない。

またベートーヴェン時代には、今と全く国の概念が異なり、ベルギーは独立国ではなく、ベートーヴェンの祖父が生まれた頃、スペイン領からオーストリア領に変わった。(スペイン継承戦争の結果)

だから彼の祖父は子供時代、ずっとオーストリア人だったわけだ。

④また、ドイツという国も当時は無かった。代わりに<神聖ローマ帝国>があり、オーストリアの領主であるハプスブルク家が、事実上、皇帝を世襲していた。
つまり<神聖ローマ帝国>内の沢山の大小の諸侯(大体、今のドイツに重なる)は、名目上、オーストリア君主で神聖ローマ皇帝だったハプスブルク家の家臣だったわけ。

だから祖父の問題を除いても、ベートーヴェン自身、ボンで生まれたと言う事は、当時の感覚なら究極にはオーストリア君主ハプスブルクが皇帝である<神聖ローマ帝国>で生まれた事であり、その時点でオーストリアまたはハプスブルク帝国の国民だったのだ。


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