同性愛者だったのに急に同性愛に冷めたり飽きた理由

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同性愛そのものに冷めてしまった

同性愛者だと思って生きてきたけど、あるキッカケで「もう同性愛はいいや」と同性愛自体に冷めてしまったという人がいます。なぜそのような事態に陥ったのでしょう。そしてその原因となった出来事とは⁉︎ そんな、同性愛自体に冷めてしまった人の冷めた理由を調査してみました。

結局異性と同じだ

私が同性愛に冷めたのは、ある彼女と喧嘩をしている時でした。私は小さいころから同性を好きになる傾向があり、何人か歴代の彼女もいました。そしてその当時付き合っていた彼女とデートしている時にその歴代の彼女と鉢合わせたとう事から、喧嘩は始まったのです。

もう別れているし未練はないと何度言っても信じない彼女。嫉妬に顔をゆがめながら私を疑い、ありもしない事を詮索する表情を見て、「あれ、これって結局異性と付き合っているのと同じだ」と気がついたのです。

私はどこか女性が持つ思慮深さや控えめな優しさ、細やかな気遣いなど「男性には出せないガラス細工のような美しさ」を愛していたので、当時の彼女も自分の好みに正直に選んでいました。その彼女がこうやって、ちょっとの疑惑に取り乱し、我を忘れて罵る姿を見ていると、結局皆皮をかぶっているだけで、本質は異性も同性も変わらないじゃないかと気がついたのでした。

そこから私は同性愛はやめました。そういったキタナイを隠す技術は女性の方が上手く、男性の方が自分を取り繕わずに素のままでいる事を恐れない人が多いと思ったからです。

お気に入りだった綺麗なものが汚てしまい、全て台無しになったと感じ捨ててしまったような感覚でしょうか。

ずっと一緒がキツイ

僕の恋人はとても甘えたで、どこに行くのも何をするのも一緒がいいという考え方の持ち主でした。はじめはそれが可愛いと感じていたのですが、これが毎日だとさすがに疲れてしまって…。トイレも一緒なんです。お風呂も当然一緒。銭湯へ行っても一緒。一人になれる場所がない事に気付いた時、同性ってめんどくさいと感じて興味を失いました。

確かに同性愛であると「一人になる」のにも理由がいるのかもしれません。トイレや脱衣所まで一緒の空間というのが嫌な人は嫌なのかもしれませんね

だんだん家族のような感覚に

今回話を伺った中では、「パートナーがだんだん近くなってきて嫌になった」という意見や「やっぱり同性は生産性がないし、外で手をつなぐと周りの目が気になる」などといった意見が多かったように思います。

自分に合うか合わないかは試してみないとわかりません。試して無理だとわかっただけでも良かったのかもしれませんね

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