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復讐

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小説好きさん
21/02/13 20:37(更新日時)

《4月2日 金曜日》

 幾多の現場を見てきた検視官でも、思わず目をそらしたくなるような惨状だった。
 目の前にある遺体は、これでもかというほど、包丁で滅多刺しにされており、その表情は、何かとてつもない憎しみを抱いたまま殺されたようにも見えた。

「第一発見者は?」
「マル害の職場の上司と、このマンションの管理会社の方です。昨日、重要な取引があったにも関わらず出社せず、連絡も取れなかったそうです。今日になっても姿を現さなかったため、不審に思い自宅を訪ねたところ、玄関には鍵がかかっており、管理会社に事情を話し、鍵を開けて入ったら、この有様だったということです」
「最後に連絡が取れたのは?」
「一昨日、つまり3月31日は、普通に出社して働いていたそうです。ただ、午後からは営業で外に出ていたそうで、そのまま直帰したはずとのこと」
「では、空白の時間は、一昨日の午後から、今朝までということか」
「はい、そうなります」
「しかし、あまりにも刺し傷の数がすごいな。誰かに相当憎まれていたのだろうか」
「上司によれば、成績優秀で人当たりもよく、社内でも評判は良かったそうです。それに……」
「それに、なんだ?」
「冒頭申し上げたとおり、玄関の鍵は閉まっていました。そして、このマンションはカードキータイプの鍵になっていまして、カードの発行枚数は管理会社の方で管理されているそうです。発行数は二枚。二枚とも部屋の中で確認できています。マンションの十階ですから、外からの侵入も考えづらいですし、それにベランダも他の窓も、全て鍵は閉まっていました」
「つまり、密室殺人ってわけか」
「しかし、見てください、マル害は包丁を腹に刺したまま、自分で握りしめています。自殺の可能性もあるのでは」
「自殺するのに、自分で自分をこんなに滅多刺しにする理由があるかい? それに、普通の人間なら、ひと刺しふた刺ししただけで、意識が飛んでしまうもんだ」
「そうなのですが……。今のところ、部屋の中からはマル害の指紋以外には検出されていません」
「やっかいな事件だな。分かった。ひととおり状況は把握した。鑑識を続けるぞ」

No.3230379 21/02/06 03:32(スレ作成日時)

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No.1 21/02/06 04:31
小説好きさん0 

《3月2日 水曜日》

 午後、早めに仕事を切り上げ、いくつかアポイントを入れているので営業に出たまま直帰する旨を上司に伝え、私はオフィスを出た。

 気持ちの良い午後だ。オフィスから少し離れた川沿いの散歩コースをゆったりと歩きながら、少し暖かくなり始めた陽の光を全身に浴びる。窮屈なオフィスは、私には合わない。こうした定期的なリフレッシュが必要だ。
 ひとしきり散歩を楽しんだ後、近くにあるカフェに入り、お気に入りのカプチーノを飲みながら読書にふける。
 時々、会社では同僚たちがあくせくと働いているのだろうなと言う事実が頭をよぎりながら過ごすこの時間は、また格別なものがある。
 私は、オンとオフをはっきりと区別するタイプだ。それによって、人並み以上の優秀な成績をあげているのだから、考え方によっては、これも仕事のうちだと言えるだろう。
 そんなことを考えていると、あっという間に夕方になった。

 もうこんな時間か。そろそろ向かわなければ。

 今日は早い時間から、ガールフレンドとデートの約束をしていたのだ。
 彼女は外資系の大手商社で働いており、なかなか会う時間が取りづらいのだけれど、今日はたまたま仕事が早めに終わるというので、それなら、ということで私の方も早上がりをしたというわけだ。
 もっとも、デートの時間よりもうんと早く会社を出たわけだが、彼女に最高のデートを提供するためには、私自身が心身ともにリフレッシュしている必要がある。
 私は待ち合わせの場所へと足を向けた。

No.2 21/02/06 04:38
小説好きさん0 

「待った?」
「いや、いま来たところだよ」
「こんなに早い時間からでごめんね、私にあわせてもらっちゃって。仕事の方は大丈夫だった?」
「ああ、まったく問題ないよ。君が行きたがっていたレストラン、予約しておいたよ」
「ありがとう」
「少し時間があるから、美術館にでも寄って時間をつぶそうか」
「いいわね。ちょうど今日からそこで現代アートのイベントをやっているわ」
「同じところに目をつけたね。僕もそこへ行こうと思っていたんだ」
「あら、やっぱり私たちって気が合うのね」

 小さなアートイベントだったので、予約までの時間をつぶすのにはちょうどよい規模だった。ひとしきり鑑賞し終えた私たちは、レストランへと向かう。
 
「雰囲気のいいレストランだね」
「そうでしょう。会社の同僚の女の子がね、ここでプロポーズされたんだって」
「本当かい。それはさぞ良い記念になっただろうね。こんな素敵な場所なら、落ちない女もうっかり落ちちゃいそうだな」
「また、あなたったら。私にはいつプロポーズが来るのかしらね」
「ははは。ここよりもとびっきり素敵な場所を用意しておくよ」
「期待してるわ」

 冗談っぽく、そんな会話をしながらも、いずれはその時は来る。しかし今は彼女は仕事優先だし、その邪魔はしたくない。それは、お互い暗黙の了解で理解し合っているし、だからこそ、こんな会話ができるのだ。

「美味しかったわね」
「そうだね。雰囲気も味も最高だった。何より、君とこうして過ごせる時間が何よりも心地よいよ」
「まあ、ありがとう」
「明日は早いんだろう?」
「そうね。朝一の飛行機で、また海外出張。さすがにイヤになっちゃうわ」
「でも、そんな君も輝いて見えるよ。もっと一緒にいたいのはヤマヤマだけど、今日はこれでお開きだね」

 彼女をタクシーに乗せて見送り、私も逆方向のタクシーで帰宅した。
 彼女との心地よかった時間の余韻をもう少しだけ楽しもうと、冷蔵庫のビールを取り出し、ひとりで飲み直した。

No.3 21/02/06 08:03
小説好きさん0 

《3月3日 木曜日》

 頭が痛い。完全に二日酔いだ。ふと見ると、テーブルには何本ものビールの空き缶がころがっていた。

 昨日の私め、何をやらかしてくれてるんだ。社会人たるもの、翌日のことを考えて行動しなければ。
 とにもかくにも、今日も仕事だ。気持ち悪さを抱えながらシャワーを浴び、フラフラとしながら電車に乗り込み、オフィスへと向かった。
 なんとかデスクに着き、仕事に取り掛かるが、二日酔いのせいで頭の回転がひどく遅い。休み休み作業を進め、夕方ごろにようやく辛さからは解放されたが、昨日の仕事がまったく進んでいなかったこともあり、どうにもこうにも時間がかかる。
 今日までに終わらせるべきタスクがほとんど片付く頃には終電の時間になっていた。
 急いで駅へ向かい、帰宅後も何かをする気力も到底出てこようもなく、すぐにベッドに入り眠った。

No.4 21/02/06 08:20
小説好きさん0 

《3月4日 金曜日》

 いつも決まった時間にセットしているアラームが鳴るよりも先に目が覚めた
 どうやらぐっすり眠れたようだ。目覚めはすこぶる良い。
 シャワーを浴び、朝食はシリアルとミルクですませ、オフィスへ向かった。

 今日は金曜だが、月初の週末は会社の決まりでノー残業デーとなっている。また、この日は社員同士の食事会などで親睦を深めるといった意味や、しっかりと休息を取ることで、週明けからの一ヶ月を頑張るための英気を養うといった目的で終業時間も2時間も早くなっている。
 いつも以上に集中してバタバタと仕事をしている連中が多いが、私は違う。
 英気を養ったはずの週明けの月曜の自分に期待しつつ、逆にいつもよりもゆったりと仕事を進める。英気を養うために時短になっているわけなのだから、それによって神経をすり減らしては元も子もない。
 そうこうしているとあっという間に2時間早い終業時刻。ノー残業デーなのであちらこちらで、この後の事を話している声が聞こえる。

 私にも親しい同僚から声がかかり、数名で飲みに向かった。
 職場の連中とのこういった飲み会は、最初こそ仕事の話もするものだが、次第に取るに足らない雑談になり、ともすればシモネタなどが交じるようになり、社内の誰それと誰それが実は付き合ってるだのというゴシップネタで盛り上がり、嫌いな上司の悪口が入ってきたと思えば、急に仕事の熱いトークになったりと、割と混沌としたものになりがちだ。
 最近の若者は、業務時間外の職場の連中との食事や飲み会などには極力参加したくないという層が増えているようだが、私には、楽しく、また、ここに居る連中も率先して来ているわけだから、楽しんでいるのだろう。
 一次会、二次会、三次会と進んだあたりで終電となり、数名が帰宅。
 そして、比較的家の近い者が残り、四次会、五次会……となると、もうなんの話をしているのか、誰も理解していない状況なのだが、そんな状況自体が、ただただ楽しく、あっという間に夜は更けていく。
 さすがに始発まで頑張る勇気のある者は居なかったが、そこそこ無駄に長時間過ごした私たちは、記憶もおぼろげに解散したようだ。

No.5 21/02/06 09:43
小説好きさん0 

《3月5日 土曜日》

 せっかくの休日だが、起きた時には既に夕方だ。

 頭がガンガンするとはよく言ったものだが、本当に割れるように痛い。
 昨日の私はいつまで飲み歩いてたのか……。自分のこととはいえ、ひどく腹立たしい。

 二日酔いどころの騒ぎではない。まだ酔っ払っているのではないか。

 起き上がる気力もなく、シャワーを浴びる元気もなく、食事は胃袋が受け付けず、苦しみながら眠ったようだ。
 何もできずに土曜が終わる。

No.6 21/02/07 07:59
小説好きさん0 

《3月6日 日曜日》

 清々しい朝だ。体調はすっかり回復している。
 とはいえ、なにやら身体が気持ち悪いので、お風呂にお湯をため、まだ肌寒い3月の朝をじっくりと湯船に浸かって過ごす。
 私は半身浴が好きだ。時間がある時は、2、3時間ぐらい風呂の中で過ごすこともざらにある。
 本を持ち込み、読書にふけることもあるが、ただ目を閉じ、考え事をするのも悪くない。
 目の前に何もない状態で、自分の脳だけが存在する状態。
 脳だけが自分のすべてとなり、脳内からアウトプットされるものだけが、その空間ではコンテンツとなる。そういった状態のときに、デスクに向かっていては出てこなかった何かが生まれてくるものだ。
 何も仕事に限ったことではない。人間の五感のうち、限りなく多くを遮断した状態にすることで、脳は活性化する。
 風呂に入り、目を閉じている状態の時は、少なくとも視覚は遮断される。
 聴覚はどうか。換気扇の音、自分が湯船から手を出したり入れたりするときの、「ちゃぷん」といった程度の音しか聴こえてこない。
 嗅覚はどうか。天然温泉ならまだしも、自宅の風呂では匂いは皆無だ。
 味覚はどうか。飴玉でも口に入れていなければ、自分の唾液以外には存在しない。
 触覚はどうか。湯船の中でお湯を撫で回すようなことをすればその浮力を感じ取る事ができるかもしれないが……、といったところだ。

 目を閉じ、じっとしていれば、ほとんどの五感は限りなく遮断され、脳のみが活発に動き始める。何を考えるでもなく、脳だけが勝手に働き始め、何かが生まれる。
 脳が活性化する一方で、瞑想の時間も作りやすい。全身がリラックスできる状態にもなり得る。
 人間の造りとは面白いもので、これに気づいた時は、世界的な発明をしたような気持ちになったものだが、おそらく多くの人たちは知っていることなのだろう。

 この日は、じっくりと身体を休め、とても良い休日を過ごせた。

No.7 21/02/07 17:32
小説好きさん0 

《3月7日 月曜日》

 私にとってもかなり大規模なプロジェクトのプレゼンテーションを、今週木曜にクライアントに向けて行うことが決まっている。
 社内でも、かなりの期待をされている案件で、是が非でも成功させたい契約でもある。
 それに向けての資料作成が私の今週のタスクであり、おそらく今後を大きく左右するであろう至上命題でもある。

 仕事はというと一切進捗していない。少しでも進んでいればと期待したが、期待するだけ無駄だということは当然分かっていた。そんな都合の良い話があろうはずがない。

 期限は今日を含めて三日間。死にものぐるいで成功させなければならない。幸い、今日は体調は万全のようだ。最高のパフォーマンスを出せる状態にある。
 ひたすら、これまでのプロジェクトの経緯やクライアントの反応を振り返り、クライアントにとっての顧客ニーズと向き合い、我社の強みをどういった形で提供でき、その結果どのような化学反応が起き、ベネフィットが生まれるのか。
 それらを分かりやすく、シンプルかつ深みのある言葉で伝えられるよう、構成から、使用するキーワードやグラフィックスまで慎重に選定し、私たちがただのビジネスパートナーではなく、運命共同体でありWin-Winの関係性であることを、強く訴えかけなければならない。

 かなり遅い時間になってしまったが、体調の良さもあり、なんとか目処がついた。
 あと二日もあれば、準備に不足はないだろうが、この流れのまま、帰宅後にもう少し手を入れたいところだ。

 いつものように最新バージョンの資料をクラウドフォルダに置き、オフィスをあとにした。

No.8 21/02/09 03:23
小説好きさん0 

《3月8日 火曜日》

 いつもの時間にアラームとともに目が覚める。

 プレゼンは明後日か。そんな風に思いながら、自宅のPCから資料にアクセスし目を通す。
 やはりほとんど道筋は立っている。素晴らしい出来だ。これならうまくいくだろう。叶うものなら昨日の自分を褒めてやりたいものだ。
 ここまで進んでいるのであれば、あとは明日進めれば充分だろう。気分転換の方に切り替える方が得策だ。

 私は会社に電話をかけた。

 「少し熱っぽいので大事を取って本日は休暇をいただきます。資料の方はほとんど出来上がっています。自宅からにはなりますが可能な限り進めておきます。いずれにしても、間違いなく今回のプレゼンは成功させますし、その自信がありますので、ご安心ください」

 大手の割に自由な社風でもあり、リモートワークなども積極的に取り入れているため、こういったときの融通はききやすい。
 本来であれば、リモートワークでも出勤退勤などのタイムカードの打刻や、定期的な連絡などが必要にはなるが、今日に限ってはお休みをいただくと宣言した上で、ある意味サービス労働すると伝えているわけなので、その義務は発生しない。

「さて……」

 身支度を整えた私は、軽装に着替え、軽くジョギングに出かけた。
 いつもの川沿いをゆったりと走りながら、心地の良い空気を全身に感じる。
 川のせせらぎの音は、神経を穏やかにさせてくれる。都会の便利さは嫌いじゃないし、不便な山奥で自給自足の生活をしようと思ったことはないが、こうやって定期的に自然を身体一杯に感じることの必要性は、とても良く理解できる。
 頭で理解するのではなく、身体が、そのように欲している。

 ひとしきり汗をかき、そのまま近くのスーパー銭湯へと向かった。
 温泉に浸かり、目を閉じる。
 お昼前にこのような場所に来れるのは、既に仕事をリタイアしたシニア層ぐらいなのだから人影もまばらだ。
 ジョボジョボと注がれ続けるお湯の音だけが聴覚を刺激する。

 自宅の風呂とは異なり、聴覚、嗅覚を遮断することは出来ないが、自宅でのそれとはまた違うイマジネーションを働かせる。

No.9 21/02/09 03:23
小説好きさん0 

 私が今こうしていられるのは、昨日の私のおかげでもあり、また明日の私へ託す課題でもある。
 私はオンとオフを完璧に区別する。それが私にとって必要なものなのであれば、それこそが正義である。そのためには、嘘もつく。自分以外の誰かに迷惑をかけるような嘘でなければ、それは許されるべき嘘であるはずだ。
 また、それによって、オンになる明日の自分の存在が生まれる。卵が先か、鶏が先か。持ちつ持たれつ。今日の自分と明日の自分、昨日の自分と今日の自分。
 なんだか哲学的な話ではあるが、ひとしきり脳が勝手に働いたところで、温泉を抜け出し、施設内の”もみ処”へ向かった。 
 マッサージを受けているときも同じである。
 触覚が最大限に刺激される中、ほんのりアロマなどの匂いに嗅覚は反応し、リラクゼーションを目的とした店舗では話しかけられることはなく、心地よい静かな音楽が優しく聴覚をくすぐる。
 視覚と味覚のみを遮断し、その他の三覚にバランスの取れた刺激を与えることで、また人間の脳は、普段とは異なる動きをする。

 と、また脳が勝手に働き始めたところで、終了の時間となり、程よくふわふわした感覚のまま、施設内のレストランへと向かい、ちょっとした肴とともに、ビールを飲み干す。
 三杯ほどジョッキで喉を潤したころには、夕方を過ぎていた。
 リラックスし、気分の良い、こういった感覚のときは気のおけない友人とおしゃべりをしたくなるものだ。
 そのまま馴染みのバーへ向かった。

「おお、久しぶり。今日は早いね」

 早いも何も、本来ならまだオープンしていない時間に来ているのだから、それは早いだろう。店主は、まだ開店準備をしている。
「ああ、明後日大事なプレゼンがあるんだけどね、その前にリフレッシュしておこうと思って、今日は一日休んで、さっきまで温泉に行ってたんだ」
「良いご身分だなぁ。羨ましいよ。俺なんて店開けないと金になんないんだから、休みたくても休めないよ」
「何飲む?」
「ウーロンハイで。あ、準備終わってからでいいよ」

No.10 21/02/09 03:24
小説好きさん0 

 もう通って十数年にもなるこじんまりとしたバーではあるが、最近はしばらく来ていなかったようにも思う。
 それでも、毎日来ているかのように接してくれる店主との縁は今後も続くのだろう。
 とりとめもない話をしながら、時間が過ぎる。
 ときには、初めて来店する一見さんとの初対面トークに興じたり、海外からの旅行客相手に拙い英語で話しかけたりもする。
 あっという間に時間は過ぎる。

「あれ、そういえば終電は?」
「あ、気づいた? 俺もさっき時計見たら、終電もう五分前に終わってたのよ」
「ははは。じゃあ、まだ飲めるな」
「またそうやって引き止める。そうしたら最後にもう一杯。マスターも飲みなよ」
「じゃあ、ありがたく」

 こういうときの最後の一杯は、ほぼ間違いなく、「いちはい」ではなく、「いっぱい」の意味の一杯となる。
 結局、かなりの時間タイムオーバーしたようで、帰宅したときには、スーツを脱ぐこともなくベッドに倒れ込んだ。

No.11 21/02/10 07:29
小説好きさん0 

《3月9日 水曜日》

 いくつか設定してあるアラームをことごとく消してしまい、最後のアラームでなんとか目覚める。

 一体どういうことだ。スーツのまま、いや、脱ごうとした形跡はあるようで、くしゃくしゃになったジャケットの袖を片方だけ通した状態で、死ぬほど、いや、むしろ死んでしまいたいと思えるレベルで吐き気がする。
 正気の沙汰とは思えないレベルで飲み明かしたのは間違いない。
 昨日のわたしは、何を考えていたんだ。プレゼンは明日だぞ。資料は?

 自宅PCから資料を覗くが、案の定、昨日手を付けられた形跡はない。当然だ。やっているはずはないのだから。

 とにかく、今日完成させなければならない。概ね出来上がっているとはいえ、細部の詰めこそが重要だ。
 この体調で出社してから作業に取り掛かったとしても間に合わないと判断し、仮病を使う。
 
「お疲れさまです。どうも体調がすぐれないようで、本日お休みをいただきます」
「大丈夫かね? 昨日も熱があるとか言っていたが、悪化したりしてないだろうね。本番は明日だぞ」
「あ、いえ、大丈夫です。明日が本番ですし、念には念を入れてと思いまして。資料の方は、今日中に仕上げてお送りしますので」
「そうか、頼んだぞ。明日の成功は君にかかっているんだから」

 そう言って電話を切ると、どっと疲れが全身にのしかかった。
 二日連続……。自己嫌悪にでもなりそうだ。昨日の自分はなんてことをしてくれているんだ。とはいえ昨日の自分も今日の自分であり、明日の自分へ繋ぐためにも、なんとかしなくては。

 とにかく作業に取り掛からねばならない。
 昨日丸一日を無駄にした挙げ句、この体調での能率は悲惨なものだ。やれどもやれども、前には進まず、脳は、ガス欠を起こしているかのごとくエンジンが回転しない。
 それでも、本番は明日なのだ。かすかにすら残っているかも分からない気力を、あるものと信じつつ振り絞り、終業時間直前ぐらいに、なんとか仕上げたものを上司に提出した。

No.12 21/02/10 07:29
小説好きさん0 

「遅くなり申し訳ありません。今、資料を送付いたしましたのでご確認ください」
「分かった。すぐ確認する。待機して待っていてくれ」

 ようやく、一息ついたが、いまだに気持ちが悪い。なんなんだ、昨日の自分は。今日明日が大事なことぐらい、充分に分かっていただろうに。
 そんな愚痴を心のなかでリフレインしていると、ほどなくして上司から折り返しがあった。

「概ね良いと思う。だが、先程メールで送ったが、コメントを入れた箇所、そこだけ手を入れ直してくれ。ほかは問題ない。あとは君に任せるから、最終版をチームにシェアしておいてくれ。では、明日の成功を祈ろう」

 上司から返ってきた修正点を確認し、すぐさま作業に取り掛かる。修正箇所はほんの数箇所だったが、見た目以上に時間のかかる内容だったこともあり、日付が変わってから、ずいぶんと時間が経ったころに作業を終えた。
 とにもかくにも、一応明日の準備ができたことに安堵すると共に、猛烈に腹が減っていることに気がつく。
 気持ちが張り詰めていたのと、酷い二日酔いだったこともあり気にもとめていなかったが、今日は何も食べないままだったようだ。
 さすがに……、と思い、軽くレトルトのお粥を腹に流し込み、ベッドに潜った。

No.13 21/02/13 20:17
小説好きさん0 

《3月10日 木曜日》

 若干の疲れはあるが、短時間で熟睡したようだ。夢ひとつ見ることはなかった。
 昨日はシャワーすら浴びなかったのかな。全身が不潔に感じられ気持ち悪く、すぐにシャワーで身体を洗い流した。

 念の為、資料の送信が確実に行われていることを確認し、朝食に無糖ヨーグルトにカットしたりんごとバナナを入れ、少しだけはちみつをかけたものを口にした。
 乳酸菌は腸に良いというのは誰しも知っていることだと思うが、実は腸と脳は密接につながっている。腸は第二の脳と呼ばれていたりもするし、言う人によっては、「脳が第二の腸」と表現する人もいるぐらいだ。にわとりたまごの話になってしまいそうだが、とにかく
脳とともに、腸も大切にするにこしたことはない。

 出社した私は、上司ほか、数人のチームメンバーと共に、いざクライアントの元へ向かった。
 先方は重役陣がずらりと並び、このプロジェクトの交渉を始めてからずっと担当してくれている気心の知れたクライアント側の担当責任者は、平身低頭、かなり緊張した面持ちで、私たちを迎えてくれた。まるで「あなた達のプレゼンに私の運命もかかっているのですか頼みましたよ」と言わんばかりの目で訴えてくる。
 厳かな空間の中、私は意気揚々と、大げさなアクションを交えながら、時には場に似つかわしくないユーモアを交えながら話し始めた。

 結果として、私のプレゼンは大成功だった。口頭で、ではあるが、その場で契約がまとまり、あとは先方の形式的な稟議のフローを経て、社長の決裁を待つのみとのことだ。その場にいた私たちおよびクライアント側の担当者らは、一様に安堵した。 

 帰社してからは、皆、あまり仕事に手がつかないようだった。もちろん、私もだ。
 就業時間にはまだほど遠い時間だったが、一番興奮しているように見える上司が、「今日はもうそろそろいいだろう。祝勝会行くぞ」と号令をかける始末だ。

No.14 21/02/13 20:17
小説好きさん0 

 こんな日があっても良いだろう。就業規則など、結果を出さないまま、怠けるだけ怠けて、給料をもらい続けるものたちを縛るためにあるようなものだ。
 他部署の連中はもちろん、社長ら重役方も我々を暖かく見送ってくれているようにも感じた。
 もちろん、ライバル心むき出しに闘志を燃やしている若手社員もいたようではあるが。

 平日ではあるが、上司の機嫌があまりにも良く、また、他のメンバーも全員高揚感に浸っていたわけで、自然と終電まで解散することはなかった。

 プロジェクトの担当責任者である私以上に喜んでくれていた上司の気配にかき消され、私自身の喜びを発散できるスペースが思ったよりも狭かったこともあったが、帰宅後、また冷蔵庫にあるビールを開け、ひとり祝勝会を行った。
 余韻に浸るのが好きなんだな、そんな風に自己分析する。

No.15 21/02/13 20:18
小説好きさん0 

《3月11日 金曜日》

 体調は悪い。これが、やけ酒由来のものでなくてよかったと思う。
 プロジェクトは成功したのだから、少々のダメージはなんてことはない。これが未来に繋がるはずだ。あれだけ苦労して、失敗していたとしたら、私の心は、ポッキリと逝ってしまっていただろう。

 なんとか起き上がり、出かける準備をする。身体は重いが、足取りは軽い。不思議なものだ。
 とはいえ、出社したところで、今日の能率はすこぶる悪い。本来なら、ここでもうひと奮起して、先に繋げなければならないところだが、昨日の自分がすべて悪い。どうにもならないのは私の責任ではない、と割り切るしかない。

 ゴソゴソとなんとか仕事をしながら、ようやく就業時間を少し過ぎたあたりに、違う部署の友達に「お祝いも兼ねてどう?」と誘われたが、いまだ消え得ぬ胃のむかつきと、明日は彼女とのデートがあるからと伝えて断った。

 明日で十日ぶりのデートになるだろうか。お互い忙しいので、日常のどうでもよい雑談程度のやりとりは、極力省いているからこそ、たまに対面できる瞬間に喜びを感じられる。

 帰宅し、明日に備える。

No.16 21/02/13 20:18
小説好きさん0 

《3月12日 土曜日》

 土日もいつもの時間に鳴り響くアラーム。平日であっても休日であっても、できる限り同じ時間に起きようと努力はする。とはいえ、努力目標であり、絶対ではない。それでも、いつも昨日の自分は、明日の自分に向かっては少なからず期待を寄せるものなので、アラームは繰り返し設定にしている。

 昨日は早めに眠れたようだ。デートは午後からなので、午前中はゆったりとした時間が流れる。
 朝から浴槽にお湯をため、一時間ほど目を閉じ、今日のクライマックスまでの工程を綿密に計画する。計画? シミュレーション? いや、ただの妄想かもしれないし、あるいは、ただただ欲望に忠実なだけの何かなのかもしれないが、それらが溢れ出てくる様を自分自身で感じてしまうほどなので、やはり彼女は自分にとって特別な何かを備え持った存在なのだろう。
 五感遮断作戦は失敗に終わった。

 外面にまで出てきそうな内面の意識をなんとか隠しながら約束の場所へ向かう。
 久しぶりに会う彼女は、やはり素敵だった。久しぶりといってもたったの十日間ではあるが、私たち二人の関係上、十日以上の価値がここに生まれているのだ。

「脳を騙す」という方法論がある。心理学を勉強したことがあるわけでもなく、これについて詳しく調べたことがあるわけでもないが、この言葉からの印象だけを頼りに考えるとしたら、とりあえず「脳は意図的にコントロールすることができる」ということになる。
 騙すという言葉はネガティブだが、この場合は、自分にとってポジティブな方向に騙すことで良い人生を送りましょうといった思想のはずだ。
 私たちにとっては、たまにしか会えないという状況に対して、だから頻繁に連絡を取り合うのではなく、あえて、実際に会うとき以外の接触を極力遮断することで、よりお互いに愛おしい存在になれるように、また、会ったときに情熱を注げるように、燃え上がれるように脳を騙すことを選択していると言えるのかもしれない。

 はたから見ればいたって普通のカップルのデートなのだろうが、内心燃え上がっている二人は、それどころではなかった。
 一通り普通っぽいデートをし、そのまま彼女の家に招かれ、言うまでもなく、そのまま、熱い夜を迎えた。
 私たちはなんどもなんども愛し合い、気づいたときには、共に深い眠りにいざなわれていたようだった。

No.17 21/02/13 20:19
小説好きさん0 

《3月13日 日曜日》

 朝。彼女に起こされる。

「今日も夜まで一日一緒にいたかったんだけど、海外の方の支社で急なトラブルがあったみたいで……、このまま会社行かないといけなくなっちゃった。ごめん。もうちょっとで家を出ないと行けないから、準備してもらっていい?」
「え? あ……そうなんだ。久しぶりに……と期待してたけど、分かったよ。大変だね。顔だけ洗って着替えたらすぐ出られるから」
「でも、昨日あんなに楽しい時間を過ごしたじゃない。でもごめんね」

 せっかく日曜日を楽しめると思ってた私は、その反動で落ち込み、そのまま家路へとついた。

 なんだろう、この虚無感は。日曜日は半日以上残っていたが、何かをする気もおきず、ぼんやりとテレビから映し出される映像を眺め続け、そのまま眠りについてしまった。

No.18 21/02/13 20:19
小説好きさん0 

《3月14日 月曜日》

 先週の件で、全社員の前での朝会で表彰された。クライアントの稟議についての最終決済も無事おりたとのことだ。

「今回は、彼が大変良く頑張ってくれた。普段からコツコツと積み上げてきたクライアントとの関係性や、新規の見込み客とのコンタクトポイントの作り方。外での動き方はもちろん、オフィス内でも夜遅くまでしっかりとやるべきことをやる。それでいて、オンとオフはしっかり区別することで、ストレス無く仕事に集中出来ているようにも見える。みんなも、ぜひ参考にするように」

 社長から、そのようなおめでたい言葉を頂戴した。
 気分も良かったので、昼前にはランチ後にそのままアポに行き直帰すると上司に伝える。
 みんなからは、「やる気満々じゃないか。またデッカイのとってくる気か?」などと送り出される。

 社長の言葉もあって、ますますやりやすくなる。ありがたいことだ。

 そして、私は、そのまま自分メンテナンスへと向かった。

 人それぞれ、自分のメンテナンス方法というものはあるのだろう。
 例えば、エステなどに通うとか、美容院で身だしなみを整えることとか。ジム通いもそうだろうし、マッサージを受けることもそうだろう。ジョギングやウォーキングなどの有酸素運動とか、食事による健康管理もそうだ。子供と触れ合うことや、ペットと触れ合うこと。気の知れた友人と語り合うこと、あるいは全く知らない人との交流を持つこと。
 メンテナンスと一口に言っても、人間の表面上のメンテナンスや、肉体の内側のメンテナンス、精神面のメンテナンス。自分自身にただひたすら向き合うことでのメンテナンス。

 さまざまな方法や考え方が、ひとそれぞれにあるはずで、それはとても興味深いことである。

 私は、今日は、ちょっと、ひとには言いづらいメンテナンスをした。
 気分は爽快である。その気持のまま、友人を誘い出し、豪勢に遊び、また帰りは深夜遅い時間になっていた。

No.19 21/02/13 20:20
小説好きさん0 

《3月15日 火曜日》

 とりあえず、昨日は仕事らしき仕事を何もしてないことは確かだ。昨日の自分は阿呆なのか。目の前にいたら小一時間問い詰めてやりたいが、目の前にいるのはPCのモニターに映る今この瞬間の自分しか居ないわけで、どうにもならない。やり場のない怒りと落胆は、どこに向けようもない。

 とにかく、今日はしっかりとやらねばならない。
 
 黙々と作業をこなしアポイント先になりそうな候補をリストアップし、ひとつひとつ精査する。
 営業は数を打て、とは、ひと昔前の人はよく言ったものだが、数売って無駄にリソースを消費するのはナンセンスだ。明らかに無駄だと判断したら、接触する前に撤退し、他に時間を費やす方がはるかに効率が良い。そうやって来たし、それが成功に繋がっている秘訣であるとも言える。

 一日かけて精査した営業候補に、終業間際に一斉にメールで問い合わせを入れ帰宅した。

No.20 21/02/13 20:20
小説好きさん0 

《3月16日 水曜日》

 いくつかメールの返信が届いているようだ。なるほど。

 他の既存クライアントとの打ち合わせも含め、可能なところはすべて明日にまとめることにした。こういうのは一日で一気に片付けたほうがいい。
 今日は調整だけに終始し、あとは適当に過ごした。
 ちょうど定時。同僚から誘われ飲みにいく。久しぶりに夜の接待のあるお店などにも顔をだす。
 羽振りが悪い方ではないが積極的にこういったお店に行くタイプでもない。
 何せ、私のガールフレンドは世界で一番美しく、大切な存在で大事なものなのだ。

 一昨日のメンテナンスのことは、結果として仕事につながることなので、これとはまた別次元の問題でもある。

 そんな事を考えながら、酒が進んでいくと、自分の脳は徐々にエラー起こし始め、これは完全にメンテナンスとは異なる、本能による致し方ない結果を迎えた。
 人間というものは、最高のものが近くにあったとしても、別の良品が欲しくなってしまうことも事実であり、真理だ。
 人生の波を上手く乗り切るには、そう開き直ることも必要なことである。
 大胆に、ときに豪胆に。

No.21 21/02/13 20:20
小説好きさん0 

《3月17日 木曜日》

 アラームが鳴る。だんだんと、毎朝同じ時間に鳴り響くこれを鬱陶しく思うようになってはいるが、これがなければ、どこかへ放り出されそうになる感覚、恐怖を感じてしまう。
 とりあえず自宅のベッドの上にいる自分にホッとしたが、なんだか、かなり疲れが残っている。
 ひとまず今日のスケジュールを確認すると、朝一から予定がぎっしりと入っている。

 疲れが残っているなんてことを言っている場合ではない。
 急いで身支度を済ませて会社に向かい、そのまま、すぐに客先へ出かける。
 休む間もなく次々と場所を移動し、それぞれの要求に対して、いろいろな角度から切り込む。ときには懐に入り込み、壁が厚いと判断すれば速やかに撤退する作業を繰り返す。
 予定されていたアポイントの全てを廻り終え、帰社した頃には、とっくに定時を過ぎていた。
 そういえば今日はまだ何も食べていない。
 しかし、まだ角度の高そうな新しい案件候補は見つけきれなかったので、そのままオフィスに残って遅くまで仕事を続けた。

No.22 21/02/13 20:21
小説好きさん0 

《3月18日 金曜日》

 出社し、デスクを見ると、何やらメモ書きが残してあった。
 ああ、昨日忘れないように今日のタスクを書いておいたものか。

 PCを立ち上げ、リストアップされていた客先にメールや電話で営業をかける。ひととおり連絡はした。今日の私の仕事はこれで充分だろう。
 
 オンとオフ。切り分けが重要だ。今日はオフの日だ。

 そう思いながら、「クライアントから急ぎで相談したいとの連絡があったので出かけてきます。用件が詳しくは分からなかったのですが何やら深刻そうでして、少し時間かかるかもしれません」と、適当なことを上司に伝えオフィスをあとにした。

 そういえば、あの映画がまだ上映中だったかもしれない。古典的なSF小説のリメイク版が「大ヒット公開中!」というお決まりのフレーズで宣伝されていたのを思い出し、気分転換に観に行った。

 本当に古典ではあったが、古典には古典の良さがある。勧善懲悪がテーマの時代劇と同じだ。概ねストーリーは予測できるが、その予測どおりに進んだときの爽快感もあれば、稀に期待を裏切る展開が待ち受けているときの興奮は、他には代えられない。
 古典SFには、哲学的な要素が散りばめられていることも多くあり、ともすれば全く理解できないまま終わり、無性に腹が立つことも多いのだが、しばらくすれば忘れてしまう。
 そのくせ、映画配信サービスなどでオンデマンド配信が開始されると、ついつい思い返して見直すのだが、自宅で見る哲学的な古典映画ほど集中できないものはなく、結局まともな感想に行き着かないというオチに行き着き、ほとほと自分に呆れてしまうこともあるが、それもまたオフの過ごし方のひとつだ。

No.23 21/02/13 20:21
小説好きさん0 

 映画が終わった頃には、定時ちょっと前。
 戻って、少しだけ作業をすると、隣の部署の先輩から飲みに誘われたので、イエスともノーとも言うまでもなく、普通についていった。
 今日のお前は来るだろう? というなんだか暗黙の了解をお互い感じ取っていたようにも感じた。

 もちろん同僚との飲み会は楽しいが、違う部署の先輩からお誘いをいただくほど嬉しいものはない。
 同じ部署や、同期入社の連中たちには、けっして話すことのない話題を遠慮なく話せるというのはとても面白い。一応先輩ではあるものの、部署が違った上で仲がよければ、それほど気を使うこともなく無礼講が許される。あちらからしてもそうだろう。変に仕事上の関係にとらわれること無く、遠慮なく、一応後輩である自分にところどころヨイショさせて楽しめるのだから。嫌いではない。こういう関係は。

 楽しい時間はあっという間なもので、二人肩を組みあい、繁華街のど真ん中を高らかに歌いながら闊歩していた。

No.24 21/02/13 20:22
小説好きさん0 

《3月19日 土曜日》

 また頭が痛い。今日は土曜日か……? 
 おもむろにスマートフォンのカレンダーを覗く。
 やはり土曜日だ。もうお日様はだいぶ高い所に登っているような気がするが、カーテンが外の風景を遮り、正確にはわからない。

 しばらく気持ちの良い朝を過ごしていない気がする。気のせいかもしれない。よく分からなくなってきた。この状況はなんとかならないのか。

 とりあえず、週明けの月曜日は春分の日で祝日で三連休のはずだ。

 一度目覚め、そんなことを一瞬考えたのち、そのまま、また深い眠りについてしまった。

No.25 21/02/13 20:23
小説好きさん0 

《3月20日 日曜日》

 目が覚めた。まだ随分と早い時間のように感じる。若干身体が重いのは、長い時間眠ったからだろうか。身体の節々に痛みがあるが、むくりと起き上がり、少しストレッチをするとそれもほぐれる。
 眠り過ぎは余計に疲れるというが、必要な睡眠は取るべきであるし、眠すぎによる疲れは、ちょっとした体操や運動で、あっという間に健康に転化するものだ。
 睡眠にまさる健康法なし。
 時間を見ると、本当にまだ明け方前だったのだけど、眠気はひとかけらもなくなっていた。

 しかしながら、どうも腹は減っているようなのだが、あいにく、この時間帯に見合った常備食は持ち合わせていなかった。
 コンビニへ向かっても、まだ朝の弁当類の配送には早い時間帯だ。

 しかたがない、風呂にでも入ろう。

 朝の風呂ほど気持ちの良いものはない。普段はあたふたと仕事へ出かけなければならないので難しいが、湯船にじっくりと浸かり、いろいろな考え事に集中できるというのは至福の時間でもある。脳が勝手に喜んでいるようだ。
 とはいっても、喜んだ脳が何かを自分にもたらすとも限らない。ただただ、脳を喜ばせて終わることだって多分にある。
 しかし、喜ばせた脳は、そのうち、何らかのタイミングで、リターンパスをくれるはずだ。

 そういえば今日は三連休の中日だったな。特になんの予定もないが、どうしようか。

 そんな事を考えていた矢先に、古い友人から合コンのお誘いの連絡が来た。
 一瞬、「彼女が怒るからやめとくよ」と返そうと思ったが、ヤツとも久しぶりに会いたいし、という理由付けもあり、「行かないわけないじゃん。何時からどこで?」とやる気まんまんの返事をした。


No.26 21/02/13 20:23
小説好きさん0 

 合コン自体は、いたって普通だった。お互いそれほどスペックが悪いわけではなかったが、そういう集団ほど、高望みしがちだ。集団心理として、自分たちがそれほど悪くないと思っていると、相手には、それなりに高いスペックを求めてしまうのだ。結局は同じ穴のムジナなのだけれど、困ったもので、こればっかりは仕方がない。同レベルの男女チームの合コンで上手くいくケースは、よほど気の合った、たった一組のカップルか、よほどノリの良い学生や、そういった雰囲気を演じきれる若手らが、その場の勢いでくっついてしまうケースぐらいだろう。
 お互い連絡先交換をするのが礼儀だが、求めるのは、その先にあるかもしれない、さらなる人脈であったりもするのだから、面倒くさいとは思いつつも、一応ひととおり連絡先の交換タイムは発生する。

 などという脳の勝手な思想にいつまでも付き合うこと無く、男性陣は反省会という名の二次会へ向かった。

 合コンの楽しみは、反省会が主であったりもする。

 男子チームも、女子チームも、終わった後の反省会で、あっちの誰々がどうだのああだのと、それ自体を肴におしゃべりをすることが目的になってしまうケースは、いたく多い。

 脳の構造的には、最初は「気になる異性を見つけたい」から、「あわよくばくっつきたい」に変わり、途中で「無理そうだな」と思うか、対面した瞬間に「あ、はずれだわ」となり、無難に会を終えることが当面の目的になることがほとんどで、そうなってしまうと「さっきの時間を何かしらに昇華させよう」という気持ちになり、結果としてそれがコンテンツとなり反省会=二次会が盛り上がるというロジックが成立する。これは、脳科学者である某先生がおっしゃっていた、ということではなく、私の持論だ。

No.27 21/02/13 20:23
小説好きさん0 

 反省会も終わりかけの頃に、これまたかつての悪友から久しぶりに連絡があり、麻雀んでメンツ足りないから来れないか、と。

 久しぶりの連絡に嬉しくもあり、今日、この合コン後の反省会も、まもなく終わりそうで寂示唆を感じていたこともあり、即座に「行く行く。こっちすぐ終わるから、またあとで連絡するわ」と返事をした。

 偶然、場所が近かったこともあり、すぐに合流し、いわゆる徹マン開始である。
 学生時代を思い出すが、社会人になって、これほど経ってから、またこんな雰囲気で卓を囲むことになるとは思わず、酔いも手伝ってか、普段以上に心地よさを感じていた。

 脳は、こういったことでも喜ぶのだな、そんな風に思った。

 他の3人は、個別には、時々会っていたようだったが、3人で集まってというのは本当に久しぶりだそうだ。私はというと、全員、最後に会ってから久しかったので、余計嬉しく思えたし、4人同時にとなると、それこそ学生時代まで遡らなければならないかもしれない。

No.28 21/02/13 20:23
小説好きさん0 

《3月21日 月曜日 祝日》

 そんな状況の中、始発の時間が訪れても、誰もギブアップは宣言せず、幸せな時間が経過する。そもそも、明日が祝日だということも手伝ってはいるが、思い出補正がそうさせたであろうことは言うまでもない。

 とはいえ、流石に疲れて眠りそうになるやつが出始めたので、徹夜からの麻雀は、お昼をとっくに過ぎた頃にようやくお開きになった。

 私もアドレナリンによる興奮状態ではあったが、さすがに眠りたかった。しかしながら、あまりに早く帰宅し眠ってしまうと、おそらく変な時間に起きてしまうであろう明日の自分が支障をきたす。
 眠気覚ましにサウナの水風呂に使ってから考えよう、と、徹夜のままの変な意識で、いつものスーパー銭湯へ向かい、じゃぶんと水風呂へ突入したが、心臓が止まるかと思うほどの衝撃に、「んあっぐ」などという文字には表しづらい声を発し、二度とこんなことはやるまいと心に誓った。
 熱湯風呂より、氷水風呂の方が、テレビ番組の視聴者的には面白いんじゃないかと、その時思ったが、氷水だと温度調節が難しそうだろうから難しいんだろうなと変に納得したりもした。

 とりあえず、温泉でカチカチに固まった身体をほぐしてから、別の風呂へ向かった。
 偶然男女が風呂場で出会って、恋に落ちるというなんともロマンティックな場所が、いたるところにある日本は素晴らしい国だ。
 そこでも改めて身体と心のメンテナンスを行った後、帰宅した。
 濃厚な一日、いや二日間を送ったなあと、しみじみ回顧しながら、ゆっくりと、そして自然にまぶたは閉じていった。

No.29 21/02/13 20:24
小説好きさん0 

《3月22日 火曜日》

 ああ、よく寝た気がする。今日は月曜日か。何をしようかな。最近あまりなかった休日だしな。そう思いながら、スマートフォンの日付を見た。

 火曜日……?

 おいおい、どういうことだ。カレンダーを読み間違えたか? 記憶を飛ばしたのか?
 とっさに理解できないまま、とにかく職場へ急ぐ。

 幸い始業時間には間に合ったし、周囲も何も変わったところはない。
 しかしながら、休みだと思って目覚めた瞬間からの急な出勤にイライラが止まらず、ろくに仕事にならなかった。

 その挙げ句、就業時間直前に急な仕事を頼まれて、結局また終電間際の帰宅。

 どう考えてもおかしい。
 憤慨する気持ちを抑えきれずに、ノートをビリリと破り取り、乱雑に赤いマジックペンを走らせ、それをテーブルの上に置き、身体の変調を感じつつも、睡眠導入剤を服用し、無理やり眠りについた。

No.30 21/02/13 20:24
小説好きさん0 

《3月23日 水曜日》

 いつものアラームで起床し、朝食を摂ろうとキッチンへ向かおうとすると、テーブルの上に、何やらたいそう威勢の良いことが書いてあった。

「おまえ、いい加減にしろよ」

No.31 21/02/13 20:25
小説好きさん0 

《昨年 7月頃》

「ねえ、今年は5日ほど夏休みいただけそうなんだけど、旅行とか行かない?」
「そんなに長い休み取れるの? 国内でも海外でも、行けるなら行きたいな」
「あなたは、休み取れそう?」
「僕より君の方が制限あるだろう。合わせられるよ。僕の方はどうにでもなるから」
「いつも無理させちゃってごめんね」
「いや、本当に大丈夫だからさ」
「海外だと移動の方に時間使っちゃって楽しめないかしら?」
「うーん、そうだね。君は仕事でも海外ばかりだし、たまには近場の国内旅行の方が、濃密な時間を満喫できるかもしれないね」
「あなたの方は国内でも良いの?」
「君と居られるなら、どこでもいいし、国内にも行ったことのない場所はたくさんあるからね。国内外に限らず、一緒にたくさん、初めての場所に、一緒にスタンプを押してしていきたいよ」

---伊豆大島---

「本当にこんなところで良かった?」
「東京から近くて、ちょっと遠い場所。いいじゃない。大島のお鉢めぐりしようよ」
「民宿でレンタカー借りれるって聞いて来たけど、普通に民宿のオーナーのおじさんが使ってる軽自動車なんだね」
「そうだね。おもしろいね。伊豆大島は外周五十キロもないらしいよ」
「そうしたら、一時間ぐらいで一周できちゃうのかしら?」
「信号は殆どないし、多分そのぐらいだろうね」
「へえ。同じ東京都なのに変な感じ」
「国内でも、色々と興味深いね」

No.32 21/02/13 20:25
小説好きさん0 

《昨年 10月31日 土曜日》

《ピンポーン》

 誰だろう?

「はい、どちらさ……」
「トリックオアトリート!」
「え、何してるの!?」
「ハッピーハロウィーン! 開けて!」

「おいおい、どうしたんだい」
「ほら、うちの会社外資系でしょ。普段は仕事バカなのに、こういうときだけ張り切っちゃうのよ。私も無理やりコスプレさせられて、パーティ終わったんだけど、もったいないから、そのまま来ちゃった!」
「嬉しいけど、変な声でちゃったよ……」
「お菓子ちょうだい!」
「お菓子は無いので、いたずらの方でお願いします」

No.33 21/02/13 20:26
小説好きさん0 

《昨年 11月22日 日曜日》

「一ヶ月ぶりぐらいかな?」
「そうだね、ハロウィン以来だからね。会いたかったよ」
「今日、なんの日だか、知ってる?」
「えっ、なんだっけ……」

「答えは、”良い夫婦の日”でした!」
「ええ、僕らの記念日的なものじゃないの? 何か忘れてたかと思ってびっくりしたよ」
「でも、いずれは?」
「記念日になるよ」
「嬉しい」
「お互い時間にゆとりが出来たら、しようね。いや、するよ」
「うん」

「ところでさ、こんなタイミングで言うのはおかしいんだけど、最近、時々変なときあるよ」
「え、どういうところ?」
「なんだか良くわからないの。うーん、なんて言えばいいんだろう、一度言ったこと、翌日言っても同じように反応したりとか」
「良い夫婦の日も?」
「ううん、それは違うの。なんか普段の会話で。最初はただ私が同じこと言っちゃったから、それに合わせて聞いてくれてるだけなのかなって思ったり、もしかしたら少し物忘れがちなのかなとか、思ってたんだけど、なんだか、違う感じがするの」
「ごめん、自分では意識していなかった。そうならないように頑張るよ」
「違うの、一度、一緒に病院に行ってくれないかしら」
「僕自身は、なんともなく普通に過ごしているつもりだけど、君が言うなら、もしかしたら何かあるのかもしれないね。分かった、行くよ」
「ありがとう。病院は私が探して予約もしておくから」
「うん、ありがとう」

No.34 21/02/13 20:26
小説好きさん0 

《昨年 11月25日 木曜日》

「認知症かもしれないといったことを問診票にいただいていますが、具体的にどういったことに不安をお感じでしょうか」
「あの、付添で来てもらっている彼女が言うには、物忘れが激しいと言うか、同じことを二度言っても、初めてのように返事をしてしまうとかで。自分では自覚がないのですが、若年性アルツハイマーとか、そういった可能性があるのかと不安になりまして」
「なるほど。ちなみにご自身では、そういったことについて、思い当たることはありますか?」

 医師から矢継ぎ早に質問をされ、その日は一旦経過を観察しましょうということで診察をおえた。翌週の診察の予約も入れた。

 不安そうな彼女に対して、どのように接しするのが正解なのかは分からなかった。私自身がそうさせているのだから、仕方のないことだろう。

No.35 21/02/13 20:27
小説好きさん0 

《昨年 12月2日 木曜日》

 スマートフォンのカレンダーに病院の予約をしていることが記されていたので一人で病院を訪れた。
 いろいろな質問をされた。

 すこし訝しげな表情を浮かべた医者は、明日も来てくださいと言う。

 こちらも同じく訝しげに思ったが、医者の言うことなので仕方がない。
 仕事は半休を取ることにし、カレンダーにスケジュールを組み込んだ。

No.36 21/02/13 20:27
小説好きさん0 

《昨年 12月3日 金曜日》

 医者からいろいろなことを質問された。

 「可能性として」という前置きがあったが、私的にはあまり聞き慣れない病名を告げられた。
 詳しく経過観察しなければ分からないという。

 次はもう一度彼女さんか親御さんと来てくださいと言われたが、彼女のスケジュールが分からなかったのと、親とはもう何年も連絡を取っていないこともあり、予約はせずに、一旦病院をあとにした。

 不安でしょうがなかったが、これは自分の問題なのだから、彼女にだけは伝えることはやめておこうと心に誓った。

No.37 21/02/13 20:28
小説好きさん0 

《3月25日 金曜日》

 彼女と会うのは二週間ぶりぐらいだろうか。仕事を終え、約束の場所へ向かった。

「ねえ、その後、病院には行っているの?」
「何回か行ったけど、診察結果は、なんの問題もないって言われて、そのままだよ」
「何か隠し事してない?」
「するわけないじゃないか。君のことはとても大事に思っているし、裏切るようなことはしないよ」
「本当に?」
「本当に」
「私、知ってるんだけど」
「何を?」
「私に言わせるの?」
「なんのことだか、よく分からないよ」
「そっか。今日はそれだけ聞きたかったの。帰るね」

 物憂げな表情を浮かべた彼女とは、そんな短い会話だけで別れた。

 どうも調子が良くない。
 何かしら彼女をケアすべきなのかも知れないが、そんな気持ちにもなれなかった。
 
 私自身も心身ともに、メンテナンスが必要なようだ。
 しばらくの間、馴染みの店で心を整え、その足で、彼女の元へ向かった。

「疲れたよ」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないから、来たんじゃないか」
「いいのよ。おいで」

 私はいつも以上に甘えた。

「もう疲れたよ、この生活」
「あいつのことなんて忘れちゃいなよ」
「忘れられるなら、忘れたいものだけど、そうはいかないだろう」
「分かるけどさ」
「今日は眠りたくないよ」
「うん。いいんだよ」

No.38 21/02/13 20:29
小説好きさん0 

《3月26日 土曜日》

 そのまま朝を迎えた。一睡もしていない。
 二人は燃え上がり、何度も愛し合った。
「そろそろ帰らなくては」
「うん。またね」

 眠気はピークに達していたが、夜まではなんとか耐えよう。
 そんな風に思っていたが、不思議なもので、睡眠を取らないで居続けると、気持ちが張って神経が荒ぶっているのか、眠りたいという欲求をよそに、眠ろうとしても眠れなくなるものだ。
 ナチュラルハイとはこういうことなのだろう。
 帰宅し、一度ベッドに入ったものの、全く眠れる気配は訪れないまま、数時間が経過し、音を上げた私は、とある場所に電話をかけ、やってきた若い女の子とメンテナンスの時間を過ごした。
 その後も眠れはしない。
 何気なく、映画を見続けたが、脳はこれまでになく疲れている。映画のストーリーは全く頭に入ってこなかった。

No.39 21/02/13 20:29
小説好きさん0 

《3月27日 日曜日》

 結局そのまま朝を迎える。
 金曜の朝からだから、まる二日間が経過していることになる。
 時々ベッドに横たわるが、ぼんやりしているはずの脳は、なぜか以上に活発に働き始める。眠ろうとすることを拒否しているかのようだ。
 五感を遮断することでの「脳活」を意識してきたが、このような状態でも脳は活発に動いてしまうのだなと、ただただ関心した。ただ、脳は活発に動いているものの、それが正常な思考であるかは判断できなかった。自分ではコントロール出来ないおかしな思考が、ぐるぐるとめぐり続ける。

 そんなとき、彼女からの電話がなった。

「もしもし」
「何か言うことはないの?」
「何をだい?」
「私のこと、誰だか分かっている?」
「もちろんんじゃないか。なんでそんなことを聞くんだい?」
「もう、無理かも」
「そうか。僕もだよ。二度と電話をかけてこないでくれ」
「あなたからそんな風に言ってくるのね? 信じられない」
「信じようが、信じまいが、今私は、はっきりと言った。面倒だ」

 そう伝えて、電話を切った。

 面倒くさい、面倒くさい、面倒くさい……。 
 いろいろな事を考え、ある種の錯乱状態に陥りながら、頭を抱えて布団に潜り込んだ。

 気づくと、一瞬眠ったような感覚があった。
 時間を確認するために、スマートフォンを見ると、彼女との通話履歴が残っていた。
 急いで、彼女に電話を入れたが、留守番電話だ。
 何度かコールしたが、いっこうに出る気配がないので、「もう一度話したい。連絡が欲しい」とだけメッセージを残し、また眠りについた。

No.40 21/02/13 20:30
小説好きさん0 

《3月28日 月曜日》
 
 早朝に目が覚めた。週末は随分と不規則な生活を送ってしまったようだ。
 どうにも頭の中が混乱している。
 普段は飲まないコーヒーを飲み、一息ついて、昨日のことを整理した。
 
 早朝ではあったが、出勤前に、できる限りの整理をしておきたい。
 
 出勤の準備を整え、だいぶ早い時間に家を出て、彼女の自宅へ向かった。

《ピンポーン》

 玄関を開けた彼女は、訝しげな表情をするとともに、驚いていたようだった。

「どう、したの?」
「はっきりさせておかなくてはと思ってね」
「あいつとは別れたよ」
「あいつって……」

 しばらく沈黙の時間が過ぎる。

「このあとどうする気なの?」
「なんとかするさ」

 そう言い残した私は、ドアを閉め、フラフラとした足取りで会社へ向かった。

No.41 21/02/13 20:31
小説好きさん0 

《3月31日 水曜日》

 先週末以来、彼女からの折返しの連絡はない。
 自分の知らないところで、何が起こっているのかと、考えるだけでも恐ろしく、この数日、脳が振り回されている感覚しかない。
 考えれば考えるほど、いらだちを覚える。
 仕事は手につかず、早退することを上司に伝え、帰宅する。
 家に帰ってからも、悶々とした時間が流れる。
 何をするでもなく、風呂に入る余裕もなく、ただ、静寂な時間が流れる。

 もう一度、彼女に電話を入れたが、当然のように反応はない。

 何をするでもなく、薄暗い部屋で、ここ最近の記憶をたどっていた。

 カチ、カチ、カチ、カチ……

 壁掛け式のアナログ時計の秒針の音だけが聞こえる室内。
 まるで、自分の心音とシンクロしているようにも思えた。

No.42 21/02/13 20:34
小説好きさん0 

《4月1日 木曜日》

 日付が回ったその直後に、彼女からメッセージが届いた。

《二度と、あなた達とは関わらないようにします。ごめんなさい。これ以上あなた達と一緒にいると、私まで頭がおかしくなってしまいそうです。さようなら》

 エイプリルフールの冗談かな? そんな事を考える余裕はなかった。

 少しだけ気持ちを落ち着け、意を決して、もう一度電話をかけたが、既に着信拒否されているようだ。メッセージすら、エラーで返ってくる
 私はすべてを悟り、どうにもなり得ぬ自分の人生を悲観した。

 あいつへの怒りを抑えることは到底できようはずもなく、衝動的に包丁を手にしていた。
 衝動的にではあったが、心には、はちきれんばかりの憎悪の気持ちが充満していた。

 順風満帆だった人生が、あんな、あんな奴のせいで、あんな奴のせいで。

 その気持ちを、客観的に俯瞰し、冷静に抑えられる自分は、すでに存在しなかった。

No.43 21/02/13 20:35
小説好きさん0 

4月5日 月曜日

 数日で捜査は進み、捜査員が、マル害が通っていた精神科の主治医に聞き取りを行ったときの発言だ。

「彼は解離性人格障害のようでした。面白い特徴として、眠るたびに人格が入れ替わるようだったのです」
「眠るたびに、人格が入れ替わる?」
「彼にはとても慎ましやかで気の利いたガールフレンドが居たのですが、彼女が言うには、睡眠を取っていないタイミングでも、別の人格が現れることがあったそうです。また、彼女自身のことも、正式なガールフレンドと、そうではない浮気相手として別々に認識して接するようなことが増えてきたとも発言していました」

「頭がおかしくなってきそうなシチュエーションですね」

「私の方では、眠るたびに人格が入れ替わるといった症状のみだと診断していたのですが、彼女が言うには、外で女性と肉体関係を持ったり、そういった妄想をしたとき。本人はよくそのことをメンテナンスがどうのと逝っていたようですが、そういうタイミングでも、人格が入れ替わっていたように感じたとのことでした」

「そんなことがあり得るんですか?」
「分かりませんが、彼の脳内では様々なことがぶつ切りに発生し、お互いの人格がお互いの人格を牽制しあい、自分たちでもコントロールできなくなっていたことは確かでしょう」

「具体的にいつ頃からそのように?」

「そこを調査するのはあなた方、警察の仕事でしょう。私が知りうる限りは、自ら本命の彼女に別れを告げ、その後、その彼女から、別れを告げられた直後に、どうにも脳内が錯乱状態に陥り、最終的に、彼に、というか二人共にですが、彼女が別れを告げたその日に、彼は自殺を試みた。自殺というよりも、もうひとりの自分への激しい憎悪によるめった刺し殺人とでもいうものなのかもしれませんが」

No.44 21/02/13 20:37
小説好きさん0 

終わりです。

自分では一番長い文字数(2万3千文字ちょっと)でした。お付き合いありがとうございました。

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