【自伝】good day!!~発達障害パイロットの軌跡~
ミクルをご覧の皆さん。こんにちは。
このスレを開いてくださって、ありがとうございます。
いきなりですが、私はこのミクルに登録して数年、老若男女いろんな方のお悩みを見てきました。
それは、仕事のことだったり、お金のことだったり、はたまた恋愛のことだったり。
その内容は実に様々ですが、そういった悩み苦しむ人々を目にし、時にはお話をしたときに、この社会におけるたくさんの問題に気付かされます。
そして、自分にできることはなんだろうと、よく考えさせられるのです。
この思いの中で、私はこのスレッドを立てることにしました。
自伝といえば格好をつけてしまいますが、私には「ちょっと変わった半生」があります。この話が、ひょっとしたら誰かの勇気になったり、世の中をほんの少しでも動かせるかもしれない。
そう思ってしまったのです。
とはいっても、どこの誰かもわからない奴の自伝など、皆さんは見る気も出ないでしょう。
だから、軽く私がどんな人間か、先にお話をしたいと思います。
私(主)は、今年で28歳になる男です。
幼い頃、私は医師に「自閉症」と診断されました。なので小中学校は特殊学級で過ごしました。変な子だったので、友達もいませんでした。
周りの大人も誰一人、私に期待なんかしてなかったと思います。
それでも私は、様々な経験を通して大人になりました。今では自分で会社を作り、仕事をし、お金を稼ぎ、好きな車を買い、家も買い、恋人を作り、ついにはアメリカで幼い頃の夢だった飛行機の免許も取りました。
でもこれらはすべて、周りの人たちから「絶対に無理だ。諦めろ。」と言われ続けてきたことばかりです。
それでも私は、それを実現してしまいました。どうしてでしょうか?そういうお話を今回皆さんにして行きたいと思っています。
よろしくお願いします。
20/09/21 01:52 追記
自分のことを文章に書くのは初めてです。なので色々考えながら書いています。
書き貯めはあまりないので、完結まで数日かかるかもしれません。
なので、チョビチョビと見ていただければと思います。
あわよくば、読み終わった方から感想など頂けたらとても嬉しいと思います。
なのでレスは誰でもできるようにしていますが、読みやすさの為にできる限り、完結まで書ききるまでレスをお控えいただけると助かります。
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~はじめに~
私が、この自伝を通して皆さんに伝えたいことは、「パイロットになる方法」や「発達障害を乗り越える方法」ではありません。
ましてや、「夢を叶える方法」でもありません。
夢って何?努力って何?信じるって何?生きるって何?
発達障害者だけじゃなく、学生でもサラリーマンでも、主婦の方でも。
子供から大人まで老若男女誰もが、人生で一度は向き合う大切なことを、自分の人生を通してお伝えしたいのです。
ですから、できるだけ子供にもわかりやすい文章で進めて行こうと思います。
そして、先に書きましたが私は今27歳です。私よりもはるかに年上の方もいらっしゃるでしょう。
若輩者の私が、こういった場で偉そうに人生を語るのは少々生意気かもしれません。
実際私も本当に書こうかしばらく悩みました。。。
でも、私はこれを通して誰かに勇気を与えたいと思っています。だから、私も勇気を出して書くことにしました。
良ければ最後まで読んでくれたら嬉しいです。
~子供時代 異常な我が子~
私は1992年の冬、日本の北のほうの、ある町に生まれました。
両親は繊維関係の会社を経営していて、当時はそれなりに裕福な家です。
幼い頃の私は、今の姿からは想像もつかないくらい、天使のようにかわいい子供だったそうです。
家の裏には、おじいちゃんとおばあちゃんの家もありました。
私は初孫でしたから、二人もさぞかし私を可愛がって、毎日のように会いに来たんだそうです。
こうして4人の優しい家族に囲まれて、私はスクスクと、成長する・・・
はずでした。
私が2歳、3歳と大きくなるにつれて、少しずつ両親たちは私の「異常」に気付き始めます。
その頃の私は、おもちゃで全く遊ばない子供でした。おじいちゃんが、子供がよく好む仮面ライダーとか、ウルトラマンの人形を与えてみても、見向きもせず一日中無意味な手遊びをし続けていたそうです。
そして、言葉は早かったものの、「パパ」や「ママ」ではなく、「れーぞーこ」とか「ふぉーく」など、目に映ったものの名前を、覚えたての言葉でただつぶやくような事を繰り返していました。
大人になってから母に聞いた事ですが、当時は自分の子供ながら、気味の悪さを感じていたそうです。
そして、両親たちが抱いていた違和感は、私が幼稚園に入る年になって、確信に変わりました。
幼稚園に通いだした私は、周りのお友達と一緒に遊ぶ事ができません。というより興味がない。目に入ってすらいないと言っても良かったかもしれません。
そして、ひたすらにクレヨンで絵を黙々と描き続けます。
幼稚園では時間割があります。自由時間が終わり、先生が私のお絵かきを止めようとすると、私は狂ったように泣き叫ぶのです。
今では当然問題になる事ですが、私の幼少時代は、幼稚園でも躾のために軽くお尻を叩いたり、暗い所に閉じ込めたりという事がまだギリギリ許された時代でした。
私はルールが守れず、癇癪を起こすたび、先生に真っ暗な清掃用具入れに閉じ込められるのです。ほぼ毎日だったと思います。
私はその頃の記憶というのがほとんどありません。でも、何も見えない空間で、喉が潰れるまで叫び続けたことだけは、今でも鮮明に覚えています。
幼稚園でそんな毎日が続いた事で、ついに私は幼稚園の送迎バスの姿を見ただけで、パニックを起こし泣き叫ぶようになりました。
最初のうちは柱にしがみ付く私を、母と先生が二人がかりで引き剥がして、騒ぐ口を押さえつけながら、座席に押し付けてまで幼稚園に運んだそうです。
他のお友達を乗せる為に停車した隙に、バスから脱走した事もありました。
でもそんな事を繰り返すうち両親も、先生方も、どんどん疲れていってしまいます。そして、私がタダならぬ何かを抱えているんじゃないかという空気が、幼稚園内でも漂いだしたそうです。
そしてようやく、母は医師に相談する事を決めたのです。
~発達障害の発覚~
医師「○○(主)くんには、自閉症の傾向があります」
※厳密には ADHD:注意欠陥多動性障害 であったのですが、当時では医療現場でも解明が進んでおらず、まとめて自閉症と扱われたのだと思われる。
何度かの検査や問診のなかで、医師からそう告げられました。両親はついに私が抱えていたものの正体を知ったのです。
ところが、両親はこれをすぐさま納得はできなかったそうです。当時は、自閉症・発達障害というものの認知が世間一般どころか、幼稚園などの教育の場にすら浸透していませんでした。
母にいたっては、自閉という言葉から「引きこもり」になってしまう病気だと勘違いしていたほどです。
そしてなにより、自分の子供が障害を持っているなんてことを、その場で受け入れてください。という方が無理な話です。
ですから、両親は半信半疑で医師の説明を聞いていたそうです。
しかし・・・
医師「何か、特定のものだけに執着したり、強い興味を示したりはしませんか?」
両親は医師からこの質問をされた瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われたと言います。
それは、両親にとってあまりにも心当たりがある質問だったからです。
母「・・・。飛行機です・・・。」
発達障害を持つ人は、特定の分野にのめり込んだり、時に並外れた記憶力や能力を発揮することがあります。
私も一例でした。そして、私にとってのその対象は
「飛行機」
だったのです。
先に書いたように、私は他人や、周囲のものへの興味が極端に薄かったです。
ただ、遠方の親戚が遊びに来て、帰りを見送りに地元の空港の展望デッキから、初めて本物の飛行機を目にしたときです。
家族は皆初めて、私が子供らしく笑う顔を見たといいます。
そして、病院に足を運ぶ前、母は幼稚園の先生から、私がクレヨンで書き続けていた絵を見せられたのだそうです。これもすべて飛行機の絵だったのです。
しかもその絵には、私の発達障害を裏付けるレベルのものが隠されている事に、幼稚園の園長先生が気付いたのです。
当時、幼稚園の園長先生も、趣味で飛行機が好きでした。
私の絵を見た園長先生は、一瞬でその絵が普通の子供が描いたものでは無いと思ったそうです。
私自身も大人になってから、残してあったその絵を見たのですが、自分ですら驚いたほどでした。
園長先生は、その絵を見ておそらくこう思ったはずです。
「A300だ・・・。」
そう、私が描いていたのは、ただ胴体に翼を生やしたような絵ではなく、一度しか見た事がないはずの、エアバスA300という実在する飛行機を大人が見て解るほど特徴を捉えて描いていたのです。
それも、胴体上の通信用アンテナや、主車輪のタイヤの数、補助動力装置の排気口に至るまでが精細に描き込まれていました。
このような事実をして、両親は医師の言う事を認めるしかなかったのだと思います。
しかし、両親や先生方がこの事実を知った事で、私が取り巻く環境は劇的に変化していきました。
両親は興味のないウルトラマンや、仮面ライダーなどではなく、飛行機のおもちゃや、図鑑を買い与えるようになりました。
すると、全く笑顔を見せる事がなかった私は、みるみるうちに子供らしい、よく笑うに子に変わって行ったのだそうです。
幼稚園も、わざわざ私一人のために担当の先生をつけてくれました。暗がりに閉じ込めるような躾も無くなりました。
そうして少しずつ、幼稚園への恐怖心を克服する事ができたのです。
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