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ヒマ人
19/12/17 22:16(更新日時)

源義経の最期ってどうなったんですか?

No.2942646 19/10/30 15:34(スレ作成日時)

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No.1 19/10/30 15:48
負け犬1 ( ♂ )

チンギスハーン

  • << 4 やはりか!

No.2 19/10/30 16:03
ぐぅ〜 ( hZ7BSb )

朝敵とみなされて奥州に逃れたけども最後は自刃かな〜

色々と諸説ある人物ですよね。

  • << 5 やはりそうか! 実際どうなんだろう?

No.3 19/10/30 16:09
名無し3 

歴史こそ人に聞くのじゃなくクグれば確かな事が分かる

  • << 6 やはりか! その手があった ぬかったわ~

No.4 19/10/30 20:45
ヒマ人0 

>> 1 チンギスハーン やはりか!

No.5 19/10/30 20:49
ヒマ人 

>> 2 朝敵とみなされて奥州に逃れたけども最後は自刃かな〜 色々と諸説ある人物ですよね。 やはりそうか!

実際どうなんだろう?

No.6 19/10/30 20:51
ヒマ人 

>> 3 歴史こそ人に聞くのじゃなくクグれば確かな事が分かる やはりか!

その手があった
ぬかったわ~

No.7 19/10/30 22:12
名無し7 

義経を匿った奥州藤原氏と共に鎌倉幕府に攻め滅ぼされた。

No.8 19/10/30 23:31
匿名8 ( ♂ )

平家側の描いた、義経の画は出っ歯でねずみ男の醜い画だったけど

源氏は、美男子に描かれて在った

実際はどっちだろうか

源頼朝も、何割り増しか今若い女性が盛るみたいに、男前に描かれていたのかもしれない

No.9 19/10/31 20:02
ヒマ人 

>> 7 義経を匿った奥州藤原氏と共に鎌倉幕府に攻め滅ぼされた。 やはりか

No.10 19/10/31 20:03
ヒマ人 

>> 8 平家側の描いた、義経の画は出っ歯でねずみ男の醜い画だったけど 源氏は、美男子に描かれて在った 実際はどっちだろうか 源頼朝… はやりか

No.11 19/11/05 22:20
ヒマ人 

源氏を滅ぼしたのは北条政子だった!

No.12 19/11/06 05:46
匿名8 ( ♂ )

>> 11 奥さんが?

No.13 19/11/06 21:43
ヒマ人 

>> 12 相違ない

No.14 19/11/06 22:00
ヒマ人 

政子は強い権力欲を持っていたのだ
頼朝の謎の死もきっと政子が

No.15 19/11/06 22:22
ヒマ人 

後白河法皇は義経を平清盛の後継者にしたかった

奥州は藤原
鎌倉は頼朝
西国は義経
この上に朝廷という図を画策

頼朝、義経間の確執を作ったのは後白河法皇

No.16 19/11/12 20:47
ヒマ人 

平氏政権

貴族層が力を失いつつあった中で武士層が力をつけ、保元の乱では後白河法皇に勝利をもたらす
その後、覇権をめぐって源義朝と平清盛が戦い、勝った平氏が権力を掌握
平氏政権は貴族体制を否定せず組み込む
これが源氏勢力の反感を呼んだ

No.17 19/11/12 21:42
ヒマ人 

藤原秀衡

はじめは義経をあまり歓迎しなかったらしいが、身近で接するようになって次第に惚れ込んでいった

  • << 21 名前は何て読むの? ひでこう?

No.18 19/11/13 06:44
匿名8 ( ♂ )

>> 17 ふじわら……ひでこう?

No.19 19/11/15 00:42
ヒマ人 

>> 18 さあ?

No.20 19/11/15 00:52
通行人20 

苦しゅうない‥(゜ε゜ )

No.21 19/11/15 05:00
匿名8 ( ♂ )

>> 17 藤原秀衡 はじめは義経をあまり歓迎しなかったらしいが、身近で接するようになって次第に惚れ込んでいった 名前は何て読むの?

ひでこう?

No.22 19/11/15 21:01
ヒマ人 

>> 21 くぐってきてやったぞ


これはおまえそのあれだよ



…え~と



あ、電話だ
ちょっと待ってて

No.23 19/11/17 09:29
匿名8 ( ♂ )

>> 22 バカ?
オマエ
人物名解らないで知ったかぶりしてレスしてたの

恥ずかし過ぎだろう

遅いぞ早く教えろ35歳無免許男

No.24 19/11/17 09:34
名無し7 

>> 21 名前は何て読むの? ひでこう? ggr

  • << 39 馬鹿垂れ!折角 書いてくださる方々に 失礼だろう? この! コピペ小僧が!(笑)

No.26 19/11/18 22:54
ヒマ人 

源頼朝

挙兵(北条などわずかの手勢)

関東の皆さんが味方してくれて数千騎

鎌倉に向かうと味方が続々登場し大軍に

義経と黄瀬川で対面

No.27 19/11/21 22:02
ヒマ人 

木曾義仲

頼朝が挙兵した直後に頼朝、義経らとはいとこにあたる木曾義仲が三千からの兵で挙兵
信濃路を北上し、横田河原で四万の敵を撃破したあと北陸へと向かい連戦連勝
人々から朝日将軍と呼ばれる
平清盛(既に病弱)は平維盛に十万の大軍を与え、これに応戦
兵数で圧倒的劣勢にあった義仲は加賀と越中の国境にある倶梨伽羅峠で火牛の計を用いて大勝利
敗れた平氏一門は京都を捨てて都落ち
この頃に平清盛は没する
平家の都落ちを聞いた後白河法皇は人質(平家に)にされないために身を隠す

平家は建て前は中央政府軍だが、実質は武力で人々から強奪するような軍で士気も相当低かったらしい

No.28 19/11/21 23:24
ヒマ人 

源頼朝

快進撃を続ける木曾義仲に対して源頼朝は鎌倉で地固めの真っ最中
頼朝は後白河法皇から上洛の要請を受けるがなかなか応じない
義仲が京都に居座る今、上洛すれば義仲との対立は免れない
頼朝自身、広大な領地を持っていたわけではなく、源氏の嫡流という貴種性によって武士団の主君に居られるわけで、輩下の考えひとつで地位を追われないとも限らない立場にあった
そこで頼朝は自身以外の武士を源氏一門でさえ臣下並みに扱い、武士団との一線を引くようにした
皆の見てる前で義経に馬を曳かせたのもそれ

頼朝は上洛できないことを後白河法皇に弁明しながら後白河法皇からの宣旨を求めた
頼朝は今まで似仁王(後白河法皇の皇子)による打倒平家の令旨に頼っていたが、それは各地の有力な源氏にも発行されている
その点、後白河法皇の宣旨は頼朝一人だけに特権を認める内容のもので、これにより頼朝は源氏唯一の棟梁になれた
(頭いいなこの人)

これを知った義仲もその重大さをよく理解しており激怒してクーデターを起こす

No.29 19/11/27 22:00
ヒマ人 

木曾義仲

クーデター成功
義仲、征夷大将軍になる

頼朝にとって義仲は邪魔な存在
後白河法皇の意に従うという形で義仲討伐を義経に指令

義仲、粟津の浜まで追い詰められる

追っ手が迫り、義仲、弱音を吐く
「日頃はなんとも覚えぬ鎧が、今日は重とうてならぬ」

額に敵の矢を受け没

No.30 19/11/27 22:14
ヒマ人 

源頼朝

大飢饉や義仲追討により西の平家は徐々に勢力を回復
三種の神器は平家擁する安徳天皇のもとにあり
頼朝、後白河法皇はこれが必要

No.31 19/12/02 00:14
ヒマ人 

鵯越の逆落とし

ヒヨドリが春秋に山を越えるのでその名がついたというが、山の名前ではなく一ノ谷の背後に広がる山の古道全体を指す
駆け下りたのは鉢伏山か?それとも鉄拐山?

No.32 19/12/02 00:35
ヒマ人 

源頼朝

一ノ谷の戦勝後、頼朝は後白河法皇に書状を送る
「合戦で勲功のあった武士に対しては朝廷からも賞があてがわれるであろうが、それについては自分が検討して一括上申するので独断的な恩賞(官位の授与)は差し控えてほしい」
叙任権は朝廷にあるが、その一歩手前の経路を頼朝は独占したかった
これは頼朝にとって非常に重要なことであり、頼朝が最も腐心したところであった
朝廷の命令系統に従う武士を続出させないためである

No.33 19/12/04 22:19
ヒマ人 

源義経

合戦から一夜明けた義経は時代の寵児
京の都では大喝采
朝廷も凄いおもてなし
後白河法皇は義経に次々と官位を与え、大夫判官まで昇らせ、義経は頼朝の承認を得ずに喜んで新しい官位を受ける

義経、有頂天!
頼朝、ご立腹!

後白河法皇は己の政権を守りたい
そのための義経

No.34 19/12/09 20:53
ヒマ人 

源頼朝

義経を冷遇し始め放置

長門の彦島、讃岐の屋島には源範頼を使う

うーん
うまくいかない

あーもう!
しゃーねー
義経ゆけー!

No.35 19/12/09 20:59
ヒマ人 

扇の的

屋島の戦いで那須与一が平氏軍の船の扇を弓矢で撃ち落とす

実はこの戦いではもうひとつ、弓に関わる話があってそれが弓流しというもの

義経が馬に乗りながら海で戦っていた時にうっかり弓を落とし、それを拾う
家臣からは「なぜ弓ぐらいであんな危険なマネをするのか」と指摘されて義経は
「叔父為朝の剛弓ならばわざと落としてでも敵に拾わせる。だが弱い弓が敵の手に渡って笑われるぐらいなら、命に代えても取り戻す」と答えた

No.36 19/12/12 22:53
ヒマ人 

源義経

平家を滅ぼした義経は大変な人気ぶりで、頼朝もつい愚痴をこぼす
頼朝も最初から冷遇していたわけではなく、義経の功績をそれなりに評価し、義経の国司補任を朝廷に上奏していた
また、河越重頼の娘(頼朝が大恩ある人の孫)と義経の婚儀を実現させる(かねてからの約束事だった)

頼朝の許可なく任官された武士が他にもいたが、それらは処罰された

そんな中、平時忠(平家に非ずんば人に非ず、て言った人)が頭を下げて義経に自分の娘を差し出す(どうも頼朝の追及から逃れるためと思われる)
義経はその娘を後宮に入れて手厚く待遇
これにも頼朝は(怒)

No.37 19/12/16 22:28
ヒマ人 

源義経

壇ノ浦の戦いで生け捕りにした平氏軍の総帥父子を鎌倉に護送するが、鎌倉入りを許されず、頼朝から京都に戻れと命令される
義経はおとなしく京都に戻る
やがて平氏討滅の戦功として与えられた平氏没官領の荘園24ヶ所は没収される旨が幕府から伝えられ、義経は頼朝との対決を考えるようになる
その陣営には、同じく頼朝に不満を抱く叔父の源行家がいた
二人は共通の目的を秘め、後白河法皇ら朝廷勢力に接近してゆく

No.38 19/12/16 22:48
ヒマ人 

頼朝は義経らの不穏な動きを察知
探らせてみるとどうやら謀叛の噂は嘘ではないようだ
義経に叔父の源行家追討を命じるが、これに義経が応じなかったため刺客を放つ
これを迎え撃って破った義経はついに後白河法皇に奏申し、頼朝追討の宣旨を獲得

もう後にはひけない

貴族たちの間ではどちらを立てるかで意見が別れる
自分への追討の宣旨が出されたことを知った頼朝は、すぐさま大軍を編成して京に上り、貴族社会に睨みをきかせる
すると京都の貴族たちは雪崩をうったように反義経陣営に回る
肝心の後白河法皇も冷たく背を向けるばかり

これによって義経の逃避行が始まる

No.39 19/12/17 18:08
匿名さん39 

>> 24 ggr 馬鹿垂れ!折角 書いてくださる方々に 失礼だろう?

この! コピペ小僧が!(笑)

No.40 19/12/17 22:15
ヒマ人 

7さん気にせずに
お礼言いたいくらいだ

もうそんな書きたいこともないし閉鎖するから
どうもありがとう
(_ _) ペコ


あ、最後に
義経の首が頼朝の元に届いたのは1ヶ月以上経過した(頼朝方の事情で遅らせた)真夏のこと
酒に浸して保存してたらしいが、果たしてそんな具合で本人であることをちゃんと確認できたのか…?
頼朝はするつもりでいたのか…?

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