昭和から令和へ
長く生きたな。人生の折り返し地点は過ぎたけど、まだ夢も希望もある。
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レス44に、両親が亡くなった理由は書きたくない、と書いたが、心のどこかで吐き出したいと、苦しい気持ちもある。
最近テレビでお見かけしなくなったある俳優さん(やはり50代の方だろうか)のご両親の亡くなられ方と、私たちの両親の亡くなり方が、申し訳ない書き方かも知れないが、とても似ている。
両親(と思いたくないが)は、私と妹が実家から逃げ出した後、私や妹の手取りから4割ずつ生活費にあてていたのが無くなり、生活が苦しい、と、あの叔父をはじめ周りへ愚痴をこぼしていたらしい。
が、ハタチ前後の息子や娘の収入を当てにしていたのか、と逆に周りから厳しい事を言われたらしい。
冷静に考えれば、4人で生活していたのが二人になったんだ、親父だってあんな獣でも一応は仕事してたんだ、母親がやりくりすれば生活出来ない事もないだろう。
母親とかいうあの女は、パチンコ屋によく入り浸っていたとか。最低だな。私や妹がいた頃は、しょっ中自分だけ実家に帰ってたし。
本当に、家庭を機能させようなどという感覚のない母親だったとあらためて知った。
私と妹を探そうにも、友だちの名前すら知らない様な親だ、叔父たちに私と妹は心配され、
それこそ、行方不明で捜索願いを警察に出すか?と言われたらしいが、もし家を出た事に心当たりはあるか聞かれたら、
あの獣親父は、妹が見つかった際、自分のおぞましい犯罪が明るみに出る事を恐れたんだろう。
いや、上の息子(私の事だ)と一緒の様だから、そこまでしなくていい、と言ったそうだ。おまえらを親だと一生思いたくないと強く思った。
叔父をはじめ、周囲の人たちにも生活がある、あいつらだけに関わってばかりもいられなかっただろう。
クソ親父とバカ母親は、だんだん追いつめられていったんだろう。
なぜそういう結論を出したのか、いきさつは知らない。けれど、常識的に生きていれば人間のする事じゃない死に方だった。
絶対に昭和何年などと言いたくない、地方紙に小さく載ってしまった。
父と母は、お互いを刺し違えて絶命した。玄関から、
ごめんなさい。赤いものが流れ出て、近所の人が通報して、警察の方が玄関を壊して中に入ったら、あたりは、本当に本当にすみません、血の海だったそうです。
バカ野郎。父さんって呼びたかったんだぞ、母さんって呼びたかったんだぞ、なんでだよ!
私と妹に、そんな親の姿を、どう見ろっていうんだよ!
ごめんなさい。あんなのでも両親だったんです。
すべては、叔父と、親戚のお姉ちゃんと書いてきた彼女の両親から聞かされた。
あまりの事で、警察に私や妹まで色々聞かれたが、すべてを正直に話し、私と妹は、両親の葬儀には行かなかった。行きたくなかったんだよ!
妹は、あんな目にあったのに、わんわん泣いたんだぞ。あんたら、そんなバカな死に方して、それでも親なのかよ!酷いだろう?死ぬ事ないだろう!何してくれたんだ!
もう、私は当時涙も出なかった。こんな人生、恨まないヤツいるのか、と放心状態の様な、訳分からなくなってた。
なぜ生きようとしなかったんだ、生きて、生きて、いつか妹に謝ってほしかったんだぞ。
私だって、あったかい家庭で育ちたかったんだぞ。優しい父さんと母さんのいる、妹と4人家族幸せな家庭で大人に成長したかったんだぞ。
なんで、なんで、妹も私も、こんな両親のもとに生まれなきゃいけなかったんだろう。
ここに書かないつもりだったのに、ごめんなさい。
こんな夜中まで、読んで下さった方、ありがとうございます。
遠い遠い昭和の昔の事だ。1度、家や土地の事で叔父に呼ばれて、妹と実家から逃げ出して以来、数年ぶりにあの家に行ったが、
普通に上がり込める状態になってはいた。実家なら懐かしがったりするものなんだろうけど、恐ろしい事があったんだ、懐かしくなどなかった気がする。
叔父は本当によくしてくれたんだ。後片付けやら、むごいものを見てつらかったろうに、私と妹には優しい叔父だ。
そんな叔父が今、缶詰めを送ってくれる。叔父には、1番好きな銘柄の焼酎を送る様にしているんだ。
手続きをどうしたかなどは、レス45~46に書いた。自分の実家とこんな別れ方をした人も、そうそうはいないだろう。
あの俳優さんも、妹さんがいたっけ。どの様にしてご実家と決別なされたのだろう。
ずっとずっと書けずにいた。私は、人は誰でも他人に言いたくない事を抱えて生きていると思っている。
それから30数年、家も墓も、私たちは寄り付かない。毒親と暮らした挙げ句、あんな亡くなり方をされた家に、嫌な記憶はあってもほのぼのと懐かしむ所じゃない。
私と妹にとって、ふるさと、は、妹と弟君夫婦、そして妻、この4人がいる場所がふるさとなんだ。
妻は、地方紙に小さく載った、私たち両親の刺し違え事件を知っていた。姓が同じだった事で、私からわざわざ言わなくても、
え……そうなの?と静かに聞いたので、うん、と頷いたと思う。妹は結婚して弟君の姓になっている。
妻だって辛い家庭で育ったのに、泣いてくれたんだ。私さんも妹ちゃんも、よく乗り越えたね、どんなに悲しくて怖くてやりきれなかったでしょう、もうそんな思いしない人生を送ろうね、と。
嫁ちゃん、ありがとうな。何があっても嫁ちゃんを守るからな。私が年老いていなくなったら、妹と助け合って暮らしてな。
私は本当に、両親以外の人たちに恵まれて生きて来たんだ。感謝しても感謝しても足りないくらいだ。
嫁ちゃんの分のパイナップルは、私と妹で食ってやるから、な。
もう10月なんだな。もう少ししたら、紅葉の季節だな。毎年、3人の休みの取れる日、1日日帰りで紅葉狩りに出かけるんだ。
車がないので、電車で出かけたりもしていたが、妻と妹で、観光バスのツアーを探して決めてくれるんだ。楽しそうに二人でパンフレットを見ているんだ。
大体予算はひとり一万円かな。今年も色とりどりの綺麗な紅葉を楽しみにしているんだ。女性はこういう時、行き先から車中でいただけるお弁当まで、よく吟味してくれているんだ。
男はおおざっぱだから、どこでもいいぞ、ってなもんだ。こういう事は、女性陣に任せるんだ。不思議と二人が決めたツアーはいつも当たりだ。
今年はどこへ行くのかな。綺麗な紅葉を楽しみにしているんだ。
3人で、いや弟君も4人で、紅葉狩りに行こうな。🍁
小、中、高と、1度も修学旅行に行かせてもらえなかった妻は、旅行に行ける事がよほど幸せなんだろう、本当に嬉しそうなんだ。
リュックサックも水筒も持った事も見た事もなかったんだ。遠足はどうしてたの?と聞くと、毎回、家の都合で行けません、と学校に報告されていたそうだ。
寂しかっただろうな。ひとりでポツンと家にいたんだ。家族に無視されて。
私がリュックサックと水筒を買ってやった時は、まだ妹とは別居だったが、今は30年以上経って、だいぶ古くなり、
買い換えるにあたり、妹と色違いのお揃いにしているんだ。また取り替えっこして、イタズラするなよ~。
昔、初めてリュックを妻に買った時、本当にぎこちない開け閉めをしていたんだ。可哀想だった。
もうすっかり慣れた様だ、これからも色んな所へ行こうな。
自宅療養中、と言っても、ものすごく悪い病気とかではなく、気長に治していきましょう、という状態なので、
事務仕事だけでも、週3、4だけでも、医者からもらった薬で働けない事もないのになぁ、悔しいんだ。もう少し頑張って治そう。
妻は、私がケガ&病気の前から、色々妹に気を遣って、基本は夫婦で一部屋、妹が別の部屋で寝ているが、
夜中まで二人で話し込んだ後や、何か女性だけで話したい事がある時は、互いの了解の上で、
きょうは妹ちゃんの部屋に泊めてもらうね、と妹の部屋へ行ってしまうんだ、いつだったか枕投げしてて、楽しそうだったな。明るい声が聞こえて来て、嬉しかったんだ。
最近は私が2ヶ月以上家にいるからか、妻が妹の部屋へ行く回数が増えた。これはいかん、会社と病院に内緒でバイトでもせにゃ。
バレたら、二人と病院の先生と会社の3方向から叱られるな。
早く治って欲しいものだ。そして、療養中になんとか500レス🈵レスにしたいな。
以前、書いただろうか。私は、歌手でタレントの、つるの剛士さんは本当に素晴らしい家庭で育った方なんだなあ、と思ったんだ。
ご本人が公言なさった事なら引用させていただいて良いだろうか。
「僕は、自分の両親が理想の夫婦なんです。」と、つるの氏は仰っている。私は目頭が熱くなったんだ。
世の中には、私や妹の様に、両親みたいにだけは、なりたくないと逃げ出す兄妹もいれば、
つるの氏の様に、真逆の方もおられるんだ。素晴らしい家庭で育たれ、羨ましい。そうでなきゃ、お子さん5人もいる人生はなかなか送れないだろう。
そして、「夫婦円満が最大の育児」とも仰っている。すごいな。
ただひと言、息子さんの、つるの剛士さんにそこまで言わせたのは、他ならぬご両親様の愛情を注いで育まれた賜物だと思っている。
私は、感動したが、自分の人生に経験のない事は、どうしても出来なかった。親御さんや育つ環境は本当に大きいと、はっきり悟った。
そしていづれの場合も、気が付くのは大人になってからなんだ、とも思った。
金銭の話でなんだが、1日百円貯金も、3人で8ヶ月もすると、缶に8万8千円も貯まっていた。
いちいち数えた訳ではなく、妻と妹が、900円になったら千円札と替え、4900円になったら5千円札と替え、
9900円になったら1万円札と替えていたので、数えやすかった。
強制ではなく、バイト代の出る前の苦しい時はいいからと二人に言い、二人は私がコソッと300円入れておいたりするのに気が付き、
バイト代が入ると、二人とも300円入れておいてくれたりするんだ。嫁ちゃんも妹も無理するな。
私は二人が百円ショップで化粧品を揃えているのを知り、顔につける物は、良いのを買え、な、と言ったが、特に困ってないからと、
ファンデーション?とか言う粉やらなんだか塗るやつやら目の化粧品やら、みんな百円ショップの物で済ませているんだ。
化粧品って何千円もする物じゃないのか?そんな安物じゃなくていいんだぞ。
その代わり?二人はコラーゲンだか毎日飲んでいる。肌質もあるだろうが、二人とも何度も言うが、50代に見えないぞ。
うちの石田ゆり子似の妻と、相田翔子似の妹は、綺麗だぞ。私にはもったいない妻と妹だ。
来年2月、3人の休みに、ディズニーランドへ行こうな。今まで2回か3回(3人の記憶が曖昧)しか行ってなくて、
いつもカレーとチュロスだけでごめんな。お土産も、ひとりクッキー入りの缶2個までと、アナ雪のなんだか2つだけでごめんな。
2月は4人(弟君)も入れて、良い思い出のあった月なんだ。
また行こうな。今度はレストランに入ろうな。
妻が妹の部屋へ泊まりに行く回数が増えた事を、私は少し勘違いしていた様だったんだ。
完治するまで家で養生する様に言われ、2ヶ月を過ぎたので、妻がそろそろうんざりして来たかな、と思っていたが、妻と話してみると、少し違ったんだ。
私が元気で働いていた頃は、妹も、夫婦は同じ部屋で休むのは当たり前、と思っていたらしいが、
今の様に、薬が効いて眠ったり起きてたりすると、お姉さんもリズムが狂っちゃうよ、と妹のアドバイスがあり、
また妻も、私が眠れずに夜中の2時3時に起きてここに書いている際、わざわざリビングに移動させたくないからと、妹のところで早めに眠ったりしていたんだ。
悪い事してしまった、ごめんな。仲良く気を遣ってくれて、ありがとうな。
忙しくしていると、昔を振り返る暇もなかった。けれど時間が出来ると、昔あんな事やこんな事があったな、と思い出してしまう。
良い事だけ覚えていられたらどんなに良いだろう。人間の記憶は、曖昧でいい加減だったりするが、
その時の自分の感情も思い出したりするので不思議だ。今だったらこうしたのに、とか考える。
たられば、は、もしこうだったらという話だ、結果論なんだろうな。
妻の人生、妹の人生、これで良かったと、最後まで思わせてやりたいんだ。
二人には、本人のせいでないところで身に付かなかった、人としての色々を、
たくさんの人を見て、自然に覚えてくれればいい。せっかく毒親から逃れられたんだ、
まっとうな人生を送ろう、な。
先日も引き出しの中の小箱を見たくなって、始めはとなりの箱の、ガチャガチャで当てた恐竜のチッコイのを見てたが、
妻と妹で作った思い出の小箱を開けてみた。いちいち断らなくてもいいそうなので。
中に入ってる物は、幸せな思い出の物ばかりだな。ヨーヨーのしぼんだヤツ、こやつが1番の古株か。何しろ昭和55年の花火大会の出店のだ。
あの結婚した二人、元気でいるかな。またみんなで会いたいな。妻の助言だと、妹を連れてったら、夫婦2組と妹、になってしまうから、
向こうからも独身者がひとり来てくれればいいなぁ。独身男性?いや、妹には弟君しかいないんだ、いくら妹がかわいいからって、男性はダメだ。
こんな事を、箱を閉めてからメシの時に話したら、二人に笑われてしまった。「お兄ちゃん、私、いくつだと思ってるの?」「妹ちゃんは独身なんだから、これから恋愛したっていいのよ」と。
う~ん、複雑だな。が、私の心境をよそに、妻と妹はなんだか勝手に盛り上がっているんだ。
ねえねえ妹ちゃん、イケメンさんが来たらどうする?え~、亡くなった夫に悪いな~、じゃ、弟さんに似てたらどうする?え~どうしよう~、と二人でキャーキャー楽しそうだ。
いやいや、まだ6人で会う話はありませんから。女性の想像力はスゴいな。
でも二人が楽しそうで良かったんだ。二人とも、明るく生活出来ているのか、良かった。嫁ちゃんも妹も、ありがとうな。
間違えた。留守番してもらったのは妻だった。妹を連れてったんだった。花火大会の頃はまだ、妻とは知り合ってなかったな。
なんだか薬でボーッとしたか。妻が、私がご一緒させてもらったら、夫婦2組と妹ちゃん、という5人になるから、
その時の4人で行って来て、と言ってくれたんだったな。あの時はありがとうな。
妻にも妹にも気を遣わせてしまっている。ごめんな。
こんな時間まで読んで下さって、ありがとうございます。おやすみなさい。
50年前、私は小学生だった。はっきりした記憶はさすがにないが、昭和40年代前半、1年生か2年生のあたりに、学校帰りにちょっと怖い事があった。突然、思い出した。
なぜか集団下校ではなく、ひとりでランドセルを背負ってたと思う。まだ妹は幼稚園にも上がってなかっただろうか。
細い道から出て来ると商店街になっている所をトコトコ歩いていた気がする。そこに、扉の付いた電話ボックスがあった。
当時の電話ボックスは、後のスケルトンと違って丸見えではなく、クリーム色のボックスの、上半分だけが、新幹線の窓の様に中が見える様になっており、
下半分は全く見えないタイプの電話ボックスだった。私は、商店街にしてはあまり人が歩いてない時間帯に、電話ボックスに向かって、商店街を歩いていた。
もう少しで電話ボックス、という所で、横の細い道から3~4人位の大きいお姉さんお兄さんがものすごい勢いで駆け出して来て、ランドセルを背負った私とバッタリ出くわした。大学生位の大きい人たちだった。
その大きいお姉さんお兄さんたちは私を見ると、少しこわい顔で、確か女性の方だったと思うが、
「ぼく、ここで私たちを見た事は誰にも話したらダメよ。わかった?」と、強い口調で言われ、なんだか解らないが怖かったので首を縦に振った。
言い終わると急いでその人らは電話ボックスに隠れる様に入って行った。内側から扉を引っ張って閉めていたんだろう。当時の私の目の高さからは窓の下の事は分からなかった。
今思えば、ヘルメットを被りタオルを首に巻き、こん棒だかゲバ棒だか持っていた気がする。
そこへ、制服姿の警察官が数人、これまたスゴい勢いで細い道からドドドと走って来た。6才か7才の私は完全にビビった。
私は何も悪い事はしていなかったが、数人のお巡りさんを見て、固まってしまった。
そしてひとりの警察官が私に尋ねた。「ぼく、あのね、黄色いお帽子をかぶった、お兄さんお姉さんを見なかったかな?」と。
私は、お巡りさんにウソをついてはいけないとは思ったが、あの棒を持った人らの、誰にも言っちゃダメ、が恐ろしく、
とっさに変な方向を指差して、「あっちへ行きました」と、ウソを言ってしまった。
警察官は何か会話をしたかと思ったら、二手に別れて走って行った。
私は、電話ボックスからその人らが出て来ると思っただけで恐怖で、今来た道を一目散に引き返した。
なぜかランドセルをつかまれやしないかという怖さで、走りながらランドセルを肩から外して両腕で抱き抱え、家まで泣きながら走って帰った様に思い出した。
難しい考えの人たちだったんだろう。今現在、70才前後の方たちか。
こんな話を妻と妹に、リンゴを食べながら話したら、「あなた(お兄ちゃん)、怖い目に遇ったのね」と一緒になって聞いてくれたんだ。
その昔の出来事は、両親とか言うあいつらへは話せなかった。私が泣いて帰ろうが、なんの関心も示さなかったからだ。
嫁ちゃんも妹も、半世紀も前の事を聞いてくれて、ありがとうな。
この電話ボックスの思い出は決して良い思い出ではないが、吐き出せた事、二人が聞いてくれた事がありがたかったんだ。
私がこの話をしたのは、人生で2度目だったと思い出した。1度目は、高校を卒業して最初に就職した会社の人だった。そうだ、先輩から学生運動の話を聞いた流れだった。
私が19の時、30代前半の先輩(団塊の世代の人だ)が、昭和の30年代より40年代に入ってから学生運動に参加していた話をしたのだった。
順番は違うかも知れないが、成田闘争だの三億円事件だの(これは何となく覚えている)、昭和30年代後半生まれの私には、正直、ウルトラマンやウルトラセブンより分からん話だったが、
社会人として先輩の話は聞くのが礼儀だと思い、解らないなりに相づちを打って聞いていた。
その時、例の電話ボックスの話をしたら、団塊先輩は、「おめ~小学生だったのか~!?」とビックリしていたが、
私にしてみれば、この先輩が、ヘルメットにタオルにゲバ棒の兄さんたち世代だったのかと、驚いた。
もちろん、直接あの時の人ではないだろうが、今一緒に仕事をしているんだ、と不思議だった。
昭和50年代半ばの話だ。その辺は少々、身バレ防止をさせて下さい。
妹の、思い出したくない過去も前後するので。
人間、機嫌の良い日悪い日、体調の良い日悪い日、色んな日が誰にだってある。私にも、妻にも、妹にも。
でもそれが人間なんだ、理解を示し、それぞれがそれぞれと折り合いをつけてやっていくものだと思って生きて来た。
でなければ、私たち3人の暮らしも成り立たなかったろう。私たちは、幸か不幸か、毒親に育てられて来た。幸、という事はないな。
あいつらは、いつから私や妹を育てる事を放棄したんだろう。なぜ子供の存在を否定したんだろう。妻の親や兄弟姉妹はなぜ妻だけ無視して来たんだろう。
世の中には、子供のいる事を幸せ、と生きているご両親がいる。なにが、この両極端の夫婦に分けたんだろう。ケースバイケースなのは解る。手のかかる子と育てやすい子がいるのも解る。
ならば、手のかかる子供の親は皆、毒親か?聞き分けの良い子の親は、ひとりも毒親になってないか?違うだろう。
子育てをどれだけ甘くみていたか知らないが、自分も昔子供だった頃、
一度も親に迷惑かけた事ないのか。ここミクルの母ちゃんたちはみんな一生懸命だ。もうこの子殺して私も死ぬとまで追いつめられた母親でも、みんな励まして助けている。
なのになぜ、うちの両親とか言うあいつらは、夫婦で刺し違えて無理心中をしたんだ?子育てが辛かったらなぜ誰かに助けを求めなかったんだ?
死ぬ事なかっただろう。しかも妹に人でなしな事をしておいて。
妻の家族もなぜなのか理解出来ないんだよ。私たちは、自分たちが毒親しか知らないので、自分たちが毒親になったらどうしよう、と、こわくて子供のいる人生を歩めなかったんだ。
こうして振り返ってみるとやはり50数年は長い。これから仮に30年、40年、若しくは百歳まで生きたとして、どんな人生観になっているんだろう。
今、百歳以上のご健在な方は、50年前の50代の事をどんなふうに記憶しておられるんだろう。
大昔なのか、はたまたつい最近の様なお気持ちなのか。忘れたい事ほど覚えていて、忘れたくない事ほど記憶が薄れていくのはなぜなんだろうな。
いや、私や妹、妻が、弟君を忘れない。そして、両親とか言うあいつらは遠い人になっていけばいい。
去る者日々に疎し、というが、弟君の様な人の事はずっとずっと家族として覚えていたいんだ。あいつらこそ、日々に疎くなって行ってもらいたい。
妹も妻も、そうだよな。妻とは、妹が結婚してから知り合ったんだ。このご縁には、神様に感謝しているんだ。
私が安全地帯さんの「風」という曲を好きになったのは、妻と付き合う様になってからだったっけな。
そして、いい曲なのに辛くなるのが、中島みゆきさんの「糸」だ。
妻にとって私は本当に縦の糸の人なのだろうか。私にとって妻は、本当に横の糸の人だと思っていいのだろうか。妻はどう思っているのかなぁ。
妻を信じて生きているのに、私の弱さが時々こんなふうに自分に自信を無くさせる。私は頑固なくせに、人と縁が切れるのは異常に怖いんだ。
4年半前の春、私たち夫婦と妹の3人が一緒に暮らす事になった。3人とも50才になり、互いに助け合って生きて行こう、と、考えは一致していたんだ。
何しろ妻と妹が、本当に仲が良く、過去レスにいくつか書いたが、お互いがお互いの人生に一緒になって泣いてやれる仲なんだ、ありがたい。
引っ越し先は、この沿線はやめようとなり(妻の兄弟姉妹に突き止められたくないという、妻の強い希望で)、
妹の気持ちを聞き、かつて弟君が利用していた電車の沿線の、利便性や治安の良い所にしよう、と話し合い、今の物件に決めたんだ。
家を、ローンを組んでまで買うほどの財産も将来的に見込めず、毎月家賃を払う生活に決めた。
私は自分の収入に見合った家賃、間取りを考えて選んだ。すると妹が思いがけず、私の月々はどの位がいいかな、と言って来たんだ。
妻は、妹ちゃん、いいのよ、食費をちょっとだけいただけたら助かるから、ね、と言ったが、
妹は、ううん、だってお兄ちゃん夫婦が暮らしている所に一緒に住まわせてもらうんだもの、ケジメとして、払わせて、と言うので、
妹の気持ちを組んで、例えば家賃が6としたら(6万円という意味ではない)、1でいいぞ、と言ったら、なんと妻までが、「私も仲間に入れて」と言い、
自分も、1入れると言い出し、夫婦でおかしいぞ、と言ったが、妻は、私だけ仲間外れはイヤだからと言うので、
私4、妻1、妹1、という比の値になった。他人さんから見たら変かも知れないが、私たち3人は、こういう結び付きなんだ。
早朝になり、すみません。着レス通知設定している方、眠っているところを起こしたら申し訳ないので、解除される事をおすすめします。
こんなものでも読んで下さり、ありがとうございます。不定期的な更新でごめんなさい。独り日記、という事で、お許し下さい。
m(_ _)m
また大型の台風が来ます、皆さんどうぞお気を付けてお過ごし下さい。
さすがに明日は妻も妹も休みだ。私もきょう中に病院へ行って良かった。帰りにスーパーで買い物したら、レジは長蛇の列だった。
自然の災害は怖い。何事も起きません様に。
昭和の40年代は、台風が来るとなると、皆、家の外側から釘打ちをし、自分も小学校高学年にもなるとやらされた。
そして台風が去ると、釘を引っこ抜いていた様に記憶している。ご近所皆さんでやっていた。
近所のオジサンの方が、父親とかいうあいつより優しかった。こうすると、手に当たりにくいよ、と教えてくれたんだ。
近所に、いつもニコニコしたオジサンやオバサンが、必ずひとりはいた気がする。世間体を気にするあいつらは、他人の前では言い親のフリしやがった。けれど、いったん家に帰るとまたいつものフンってな顔だった。
妹は女の子で手も小さいため、釘仕事は親父と私がやっていたが、どこのお宅でも、小学生の女の子に台風に備えた釘打ちをやらせているのは殆ど見なかったのに、
あいつらは妹に「この役立たず!」と怒鳴っていた。私は中学生になってやっとあいつらに、妹に暴言を吐く事を、やめろよ、と言える様になった。妹はいつも下向いて泣いていた。
ある時、台風の直撃前に買い物に行くのを忘れ(あの女はほとんどの家事を私たち兄妹に丸投げしていた)、暴風域の中、意地でも買い物に行こうとしたら、
世間体の悪い事するな!と、家にある物で4人で食事する事になった。食事、なんていう楽しい雰囲気の家じゃなかったが。
妹と手分けして、4人分、食卓をととのえたが。
いざ、食卓につくと、あいつらの方に(セコい話だが)、私たちの分のおかずが山の様に皿に移り、
私は申し訳程度に少々、妹に至っては、ご飯と味噌汁と沢庵が3切れだった。私は自分のおかずの半分を妹に分けたが、あいつらは、「働かざる者食うべからずだ」とぬかしやがった。
腹に据えかねた私は、「お袋の方こそ何もしてねーだろ!」と怒鳴ってしまった。親父は私じゃなく、妹を睨む。私と妹は、お盆の上に自分たち兄妹の分だけ乗せて、別の部屋で食った。
妹はしょんぼりしてたので、気にするな、うちはちょっと変なんだ、と言いながら二人だけで気を張らずに食ったんだ。
台風の時期になると思い出す。妻も常にひとりだったため、妹の気持ちが解るんだ。きょうも3人で充分な買い込みをし、
明日は相当な悪天候だから、外に出ちゃダメだぞ、と二人に言い、
ベランダの物置小屋などを補強しておいた。現場仕事からしたら、中学生の頃の技術の授業みたいなものだ。
読み返してみると本当に矛盾だらけで、誤字脱字が多く、すみません。
全部言い訳ですが、人間、良い思い出悪い思い出、どちらかだけを鮮明に覚えていて、どちらかを全く覚えていない、というものではない様です。
変な事を覚えていたり、大事な事をどうしても思い出せなかったり、50年間忘れていた事が、突然フラッシュバックして記憶が甦ったり、自分だけなのかと思ったら、
妻も妹もそうでした。悲しい事も嬉しい事も、ちゃんとあるんですが、計画性もなく書いていたら、この様なレスになってしまいました。
ここまで書いたので、書けるだけ書いてみようと思います。本当に、こんな酷いものを読んで下さり、いつもありがとうございます。
m(_ _)m
いつもは妻が、売り物にならなくなったパンをもらって帰って来ていたが、きょうは思いの外パンが売れ、残ったパンも20円引き30円引きで売れたそうで、なんとかパンのみみをもらい、冷凍庫に固まっている。
妹は台風前から八百屋さんに、おそらく金曜日は野菜も売れるから、曲がったキュウリやいびつなトマトも、いつもの店じまいの時間にまとめて千円で分けてあげられないと思うのよ、ごめんねー、と言われ、
ご商売だ、当然の事、と、きょうは私の病院帰りに、バイトあがりの妻と妹と3人でスーパーへ行って買い込みをしたんだ。あ、もう昨日だな。
本当は妻は、3人休みの日はマクドナルドが楽しみなんだが、さすがに悪天候の中、家で出来るだけ美味しいものを食べようとなったんだ。
二人はそれでもこうして家族が3人、肩寄せ合って、台風から身を守り、昔、過ごしたくても過ごせなかった悲しい歳月を取り戻すかの様に、
この悪天候を乗り切ろうね、と頼もしいんだ。
いつからだったかな、なんかの拍子に妹が妻の事を、お姉さん、と言うところ、とっさに、「お姉ちゃん!」と言ったんだ。
ハッとして、ごめんなさいと言おうとしている妹が妻の顔を見たら、なんと妻は涙ぐんでるんだ。
「妹ちゃん、嬉しいよ、お姉ちゃんって呼んでくれて嬉しい。これからもお姉ちゃんって呼んでくれる?」と妻が言い、妹も、「いいの?本当にいいの?」と、泣いていたんだ。
私は本当にこの二人に感謝しているんだ。それから二人は、お姉ちゃん、妹ちゃんと呼び合っているんだ。
今頃のレスに書いているが、1年かそれ以上前だったな。
二人ともありがとうな、この台風も3人で乗り切ろうな。
そうだ、桃缶もパイナップル缶もあるぞ、と言ったら、妹がエヘヘって顔で、「お姉ちゃん、パイナップル缶食べる?」と言い、
妻は「もう~、妹ちゃんめ~、イカとタコのキーホルダー、バッグに付けちゃうからね~」と追いかけっこしてたな。もちろん、こんな夜遅くは近所迷惑だから、もっと早い時間だったが。
私は二人の笑顔を見るのが幸せだ。
実の家族にひとりだけ無視されて、ひとりポツンと誰にも口をきいてもらえなかった妻が、修学旅行にも遠足にも1度も行かせてもらえなかった妻が、
子供の頃から親父に殴られて来た妹が、思春期に、殺されても仕方ない様な事をした獣親父と一緒に暮らさなきゃいけなかった妹が、
両親の凄惨な死を知らなきゃいけなかった妹が、
今、女性二人が笑顔で暮らしているんだ。私たち3人が、幸せを噛みしめて生きているんだ。この幸せは、壊したくないんだ。特に二人から笑顔を奪いたくないんだ。
妹は、生涯を共にしようとした弟君を神戸の震災で亡くしたんだ。
もう、この二人に辛い思いはさせるもんか。嫁ちゃん、妹、これから年は取るが、もっと幸せになろうな。🌛
スレ主です。かなり悪天候です。どうぞお気を付けてお過ごし下さい。
窓ガラスは内側から、ガラス飛散防止シートなどを貼り、色々情報を聞き、ただ指示に従うのではなく、
自分たちで、動かない方が良いのか避難した方が良いのか考えて行動を取る様にして居ます。
ここを読んで下さっている方も、何事も起こりませぬ様、お祈りします。
こちらも3人ともなんとか無事です。皆さんどうぞ、危険な目に遇われません様に。
スレ主です。皆さん、台風の被害に遇われませんでしたでしょうか。こちらはなんとか無事でした。
多少、ご近所で、男手が必要だったので、数人で車を押したりした位でした。
妻と妹は手分けしてご飯を作ってくれたりテレビのニュースを見ておりました。
深夜、雨風が強く、二人が怖がるので、3人で川の字になって昨夜は休みました。当然、私が真ん中、と思いきや、妻と妹が懐中電灯と貴重品を枕元に置き、
不謹慎かも知れませんが、おしゃべりしたあと、仲良くひっ着いて眠ってしまったので、私がはしっこで眠りました。
きょう1日、大変だった方々、お見舞い申し上げます。どうかこれ以上、被害が大きくなりませぬ様に、お祈りしています。
1日も早く、日常生活が送れます様に。
いつも読んで下さって、本当にありがとうございます。
m(_ _)m
それにしても、今回の台風は大きな爪あとを残して行ってくれたもんだ。
窓の内側は、ガラス飛散防止シートを貼り、小窓には、養生テープ(面白い名前だ)を、米印に貼り、それらを貼ったり剥がしたりしている時に、
中学高校時代の、授業を脱線して、太平洋戦争の話を必ずしてた先生を思い出した。
焼夷弾(しょういだん)とかいう、町や人を焼き尽くすための恐ろしい爆弾を米軍が何十機も飛んで来ては、大都市の上からばらまき、多くの犠牲者が出た、という話だ。
何レス目だったか、私の中学高校時代の学校の先生は、まだ大正生まれと昭和生まれの先生が半々だった、と書いた。
ものの解る年になっておられた先生は、爆風で、ご自宅のガラスや障子が割れて(破れて)飛び散らない様に、やはり、その当時あった丈夫なテープを内側から米印に貼ったと話していたっけな。
私たちは自然災害に備えてだったが、これが国と国との戦争ゆえのテープ貼りだったら、どんなに怖かっただろう。
いや、自然災害も充分に怖い。が、いくらでも命を守る行動が取れるが、戦争は、人を殺す事を目的にしていた訳で、人を殺そうと爆弾を落として来る人たちから命を守らなきゃならない恐怖は、いかばかりだったろう。
親世代は、祖父母世代に、どれだけ「恐怖から身を守る恐怖」を教わって来たんだろう。
それが原因なのか?私や妹が平和な時代に生まれた事が、親は面白くなかったとでも?
バカな。我が子が不幸な時代に生まれる事を望む親がいるのか。
そう言えば、若い頃、バス停でバスを待っていた時、前に並んでいた年配の方々が、チラッと私の方を見て、
今の若い人はねぇ、戦争があったなんて、なんのこっちゃってな顔しかしないからねぇ、とイヤミっぽく言っていたが、
私は密かに心の中で『あんたらだって、徳川様ってどなた様?って時代に生まれたんだろう』と、時代や歳月の移り変わりはいつも子供や若者には平等だったはず、と思っていた。
我が子が平和な時代に生まれて良かったと思わない親なんているのか?我が子が戦争で人を殺したり殺されたりする時代に生まれる事を望む親がいるのか?
そんな事を、昭和30年代後半生まれの私は時々考える。おそらく妻も妹も、世間の皆さんと同じ様に、戦争などない平和が当たり前なんだ、と堂々と思っていると思う。
窓のテープから、ここまで話が飛んでしまった。
また妻や妹に、アイドルグループ、光ゲンジさんの動画でも無理やり見せてもらうとするか。そうだ、懐かしいついでに安全地帯さんの曲も聴こう。「風の中の少年」と「風」が心にしみるな。
少し疲れを起こしてしまった様だ、体調がすぐれない。
妹のバイト先のカラオケ店はビルの上階だったため、水の害はなかったが、妻のバイト先のパン屋は、商店街の並びの1階で、
床数センチ、水が入り込み、妻たち従業員で水をかき出したらしい。
私は、休職中とはいえ事務所に電話したら、水害はなかったが、こういった災害の際は、解体屋も力を貸せるところは皆、現場へ行くので、色々と滞る事もあり、
私の携帯(ガラホ)を連絡先にしてもらい、昨日は、及ばずながら、久しぶりに会社の人と仕事が出来た。
出来れば災害などなく、仕事に戻りたい、と思った。
妹が朝飯を作ってくれてバイトへ行き(こんな時でもカラオケ店に来る人は来るんだな、悪いとは言わない)、
私は夕方、また別の所へ行った。
別の所というのは、普段、夜7時に閉める八百屋さんだ。
少しだが、やはり水が入り込み、かき出しをしていたそうだ。店主さんも夜までボーッとしてらした訳じゃなく、やれる事をご夫婦でなさっていた。
売れる野菜と、これは店頭に出せない、という物を分けられ、
高い台が必要だった様で、私がチャチャっと応急処置的に、ノコギリと板を借りていくつか高い台を作って、野菜を移してもらった。
恐縮する位、お礼を言われ、お断りしたが、野菜をいただいてしまった。
また買わせて下さい、と丁寧に頭を下げ、帰宅すると、妻と妹は喜んでくれたが、
頭痛と目眩がし、食事もとらずに眠ってしまった。ちょっと張り切り過ぎた。
二人にまた心配をかけてしまった。今朝まで眠り、目が覚めたら食事が置いてあり、二人の「無理しないでね」のメモがあり、
ひとり寂しくいただいて、今こうして書いている。
健康が一番だとあらためて思った。
災害の被害というのにも、何十段階もある様で、テレビで報道される様な、本当に気の毒な状態の場所もあれば、
店先に少し水が入って来た程度で済んだ所(軽んじている訳ではないので、お気を悪くされた方、ごめんなさい)もあり、
被害の大きかった所から救助しなければならない訳で、自然の災害とは言え、神様はなぜこんな酷い事をするのだろう、とあらためて思った。
過去レスに書いたが、私たちは、昭和53年頃、世田谷区の新玉川線沿線に住んでいたので、テレビで二子玉川が映ると、当時友だちだったヤツらが心配で、見てしまうんだ。
うちは、申し訳ない位、被害がなかった。今は世田谷区住みではないが、坂を上りきった所のマンションの最上階だ。
ベランダに、最上階でも色々飛んで来るんだ、と知った。
洗濯挟み、パンのみみ(我が家のではありません)、プラスチックの破片、小さいタオル、お子さんのと思われる靴の片方、種類の解らない葉っぱ、
これらがどこから飛んで来たのか分からないが、とりあえず、マンションの1階の、拾得物入れ、に入れておいた。靴が片方無くなったお子さん、不便だろう。
川沿いの土手を高くするにも、全国規模で考えたら、気が遠くなる位の金がかかるのだろう、が、皆さんが納めている税金は、こういう事に使われるべきじゃないだろうか。学のない私が言っても何の役にも立たないと解っているが。
妻も妹も疲れているだろう。こんな時に体調を崩すとは、私は自己管理がなってない。
久しぶりに人様と何かが出来た達成感があった。けれど、台風の災害でなく、体調を完全に良くしてから、正規の仕事としてするべきだった。
まだまだ、私の様な者のでも、腕力の必要な所はたくさんあるんだろうな、と思うと、この体調不良をおこす病気がうらめしい。
今はとにかく自宅療養をしながら、妻と妹のサポート(あってるか)に努めるのが一番なんだな。
二人とも良く頑張ってくれてありがたいんだ。なので二人を見ていると、自分も頑張って外仕事をしたくなっちまうんだ、それがいけないんだな。悔しい。病気の症状なんていらない!と言いたいところだが。
もっと辛い思いをしておられる方々の事も考えねば。どうか1日も早く、被災された方々や場所が、復旧します様、お祈りします。
叔父も、花火大会で一緒だった結婚した二人も、還暦過ぎた親戚のお姉ちゃんも、法律に詳しい、昔、車を貸してくれた彼も、そのほかずっと繋がってくれてる友人も、皆、無事だった。
安否確認をする時は緊張する。あの弟君の時のショックな知らせがいまだに震えが来たのを覚えているからだ。
両親の知らせの時は、ショックだったが悲しくはなかった。バカ野郎、と思った。
妻や妹がもし、あんな家庭でも、こんなにまっすぐ生きて来なかったら、親はどうしたんだろう。
もし仮に、妻がグレて問題ばかり起こしていたら、無視していたんだろうか。妹が、私という兄がいなかったら、どうやって家庭内で自分を守っていたんだろう。
すべては仮説だが。今の現実を大切に生きる事だ。
結局、昨日も朝8時半から私の携帯を連絡先にして、連絡を受けたり他へ伝えたり、自宅で出来るので、会社の人と、連絡係として仕事をしてしまった。
その間、このガラホが使えず、書けなかった。(すみません。)
明日は事務所に行くかも知れないので、夜遅い時間までここにレス出来ないかと思います。
やはり、事務所の固定電話にかかって来る事もあり、皆、出払っていると、誰かひとり連絡係が必要だ。周りの人は、無理しないで下さいと言ってくれるが、
1日事務所にいて電話の受けかけをするだけで、力仕事をする訳じゃないので、薬持参で頑張って来よう。
こんな大災害に、ただでさえ、一軒でも危険な物は取り除いてあげたいのに現場に行けなくてもどかしい。
50年前の人たちとは違うヘルメットを早くかぶって、会社の人たちと一緒に現場で仕事がしたいんだ。
妻にも妹にも、本っ当に無理しないでよ!と言われた。私も倒れたりしたくないので、適度に休みを取ろうと思う。
今回の台風被害は、50数年の経験で、初めてかも知れないくらい甚大だ。テレビで報道されてない所でも被災している所はたくさんある。なんとか力になりたい。
そんな訳で、しばらくはマメに?レス出来ないかと思います。ごめんなさい。また自宅で安静にする様になったら、書けるかと思います。
いつも読んで下さって、ありがとうございます。おやすみなさい。
m(_ _)m
悔しい。私は悔しい。きょうも朝から事務所へ行き、もうひとりの後輩君と色々、現場組の段取りなどを聞き、しっかり仕事をしようと気持ちは張り切っていたのに。
薬も朝飯のあと、ちゃんと飲んだのに、1時間たった頃、頭痛がし、目眩がしたと思ったら、嘔吐してしまった。後輩君が、「大丈夫ですか?!」と、事務所を開ける訳にいかないので、タクシーを呼んでくれて病院へ。
あ~あ、役に立てなかった上、医者と妻と妹と事務所の所長に(電話で)怒られちまった。情けない。なんでだよ!まだ被災している所はたくさんあるんだ、なんで私が今こんななんだ!悔しい。
医者に、「私さんね、気持ちは解りますが、あなたが倒れたら、それだけお仕事の復帰が遅れるんですよ、お辛いでしょうが、今は、完治する事を最優先にして下さいね。」と、お説教をいただいてしまった。
後輩君が知らせて(余計な事しなくていいぞ)、たまたま二人とも休みだった妻と妹が病院へ。
こってり絞られた。「無理しないって約束したじゃない?」「お兄ちゃんのバカ!命に関わったらどうするの?!」……はい、そうです。トホホ。
いつもの薬の他に頭痛薬をもらって帰宅、そして今に至る。
午前中は目まぐるしかったな。まだ昼か。昨夜、夜中に寝たから寝不足だったか。4時間は眠ったんだが。
嫁ちゃん、妹、心配かけてごめんな。会社の皆さん、迷惑かけてすみませんでした、後輩君、すぐに車を呼んでくれてありがとう。お医者さん、子供みたいですが、ごめんなさい。
少し休みます。本当に身体が思う通りにならなくて悔しいです。撤去作業でもかき出しでも重い物の移動でもやりたいです。悔しい。
また早朝になってしまった。私の自宅から事務所まで、歩いて7~8分だ。昨日は、午前3時に寝て7時に起き、
顔洗って朝飯食って歯をみがいて薬飲んで、家を出たのが朝の8時20分、半には事務所に着いていた。9時半頃体調がおかしくなった。妻も妹も同じ物を食べているので、食べ物が悪かったとは考えられず、
やはり病気のため弱っているのか。早く治したい。ずっと眠っていたのだろうか。今回はさすがに懲りた。
妻に、謝られてしまった。私がしょっ中、妹ちゃんのところで寝る様になったから、あなたを疎ましく思う様になったと思われたのね、ごめんね、
確かに7月下旬から生活のリズムは変わったけど、あなたを疎ましいなんて思ってないよ、妹ちゃんが、「お兄ちゃんに全部合わせてたらお姉ちゃんの生活リズムが狂ってしまうよ」と言われて、それで妹ちゃんと寝起きする回数が増えたの。気を悪くしたらごめんなさい。と。
いや、嫁ちゃん、私の方こそごめんな。嫁ちゃんは仲間外れにされたりしたりする事が一番、生きてて辛いんだったよな、嫁ちゃんや妹に、出来るだけ迷惑かけない様にするから、な、完治するまで、二人ともごめんな。
またきょうから通院と家事に専念して、ひと月でも早く治すから、な。
外仕事が好きなのも考えものだ。学生時代から時間の使い方と体力と運動神経だけは自信があったが、頭の使い方と気の遣い方は下手くそだった。こういう時は、女性の能力?の方が上なのかも知れない。
また元気になって、外仕事、力仕事を頑張ろう。
早朝のレス、すみません。m(_ _)m
今月に入ってからガチャガチャを1回もやってないな、また3人であの辺りに行ったら何百円かやってみような。
消費税が上がる前はレジの行列でガチャガチャどころじゃなかったしな。それに、嫁ちゃんはマクドナルドへ3人で行くのを楽しみにしているのに、
店内で食ったら10%(1割)、持って帰って自宅で食ったら8%、になって、家でしか食ってないもんな。税金ってヤツは、本当に私ら納めている者が希望している様に使われているんだろうか。
ここのところ台風の被害が酷いので、被災した方々や被災地の役に立っていればいいが。
令和元年は、個人的にはトホホな年だった気がするが、昭和の、あいつらと暮らしていた頃よりはまだマシだと思う。人間、生きていくのに金は必要だが、
耐えられない目に合ってカネだけあるのも違う気がする。あったかい人間関係が構築されてはじめて、人はそこに居られるんだ。
私は、妻と妹に、迷惑かけてしまっているのに、いつも良くしてくれて、嫁ちゃん、妹、ありがとうな。いつか必ず恩返しさせてもらうぞ。
ウトウトして、夢を見ていた。私と妹と、ランドセルを背負っていた。昭和の40年代か。あの頃、今の様に至る所にコンビニがあったら、土曜日の菓子パンは違っただろうな。
母親とか言うあいつは、私らとメシを食うのを嫌がるため、土曜日の午前中、4時間授業を受けた後、昼は外で食ってこい、とパン代を投げる様によこし、妹と、菓子パンを買って食ってたな。
何百か前のレスに書いたっけ。妹はそういうものだと思ってたのか、土曜日の菓子パンを楽しみにしてたっけな。
普通のお宅では、家族そろって土曜の昼飯を食ってたんだろう、経験がないので想像するしかない。
日曜日は1番、あいつらの機嫌が悪かった。子供の私たちが1日家にいるのが相当嫌だった様だ。
なら、なんで子供が二人いる人生を選択したんだよ。邪魔者扱いしやがって。あんたらから逃げ出し、あんたらが亡くなり、私たち兄妹はやっと人間らしく生きられる様になったんだ。
土曜日の昼の菓子パンだって本当は悲しかったんだぞ。
まあ、居ても勘定に入れてもらえず家族に無視されて生きて来た妻も相当つらく悲しかっただろうが。
思い出したくない過去でも記憶として付いて来るものは、どうしようもないんだな。忘れてしまいたい。あんな奴らと家族だったなんて思いたくもない。
毒親の事を思い出しても何も良い事はない。考えない様にしよう。そう思っても、自分の人生の間違いない現実は、ふっと何かの拍子に思い出してしまう。妻も妹もそうなんだろうか。
今、幸せなのはありがたい。けれど、自分の生い立ちもよく知らない、名前の由来も知らない、両親に憎しみの目を向けられて生きて来ると、恨み言も簡単に消えるもんでもない。
ガキの頃から、友だちと一緒に遊ぶのだけが楽しかったし、それぞれが「おめーんちの父ちゃんさ~」などと言ったり言われたりしているのを聞くたびにヒヤッとした悲しみは、今でも消えない。
だからか、今、3人で会話する時、私も妻も妹も、誰も両親、妻に至っては兄弟姉妹の話に一切触れない。たまに妻が、「私さんと妹ちゃんは、ずっと一緒だったの?」と聞かれ、顔を見合わせると妻が「あ、ごめんね」と、さっと話を変える。
逆に、私がすっかり忘れていて「そう言えば、嫁ちゃん、15才から23才までどこにいたんだっけ?」と聞くと、妻は、目に涙を溜めて首を横に振る。慌てて私が「あ、ごめんな」と話を変える。
これは、それぞれ私たち3人だけのせいでこんな会話をしなければならなくなった人生なのか?
自分の事なのに大切な人にさえ話せない、そんな事、そうそうあるのか。世間の女性はみな、父親におぞましい目に合っていたのか。
私は妻も妹も、しなくていい辛い思いをして来たと思っているので、これから幸せな毎日を送って行って欲しいだけなんだ。
明日は(きょうだな)、桃缶とパイナップル缶を食べような。
神に誓って、私も妹も、警察沙汰を起こした事はない。おそらく妻も、あの結婚の挨拶に行った時のご家族の雰囲気からして、妻自身が悪さをした過去がある様には、私には見えない。
いつもニコニコしている、と書いたのはウソではないが、どこか申し訳なさそうな、人に強い態度に出ていいのだろうか、という表情をするんだ。(それで、女優の石田ゆり子似、と書いたんだ。)
妹は、少し無表情なところがあるんだ。(それで、相田翔子似、と書いたんだ。)でもそんな妹を、弟君は解ってくれたんだなぁ。妹も、弟君を好きになり、お互いの気持ちに間違いないと、結婚したのに、
結婚10年の年、弟君は神戸の震災で帰らぬ人になってしまった。私にとっても、彼は本当の弟みたいな、人の好いヤツだったんだ。
頑固な私も、妻や妹、弟君の影響で少しは丸くなったはずなんだが、まだまだ頑固な面は簡単に直りそうもないのか。
今週こんな事があったのに、少しでも体調がいいと、仕事に行きたくなるんだ。また周囲に迷惑をかけるので、我慢して治そう。
人間、必要とされなくなるのが寂しいし、怖いんだ。今は、とにかく風呂掃除でもなんでも任せろ、な、嫁ちゃん、妹。
バイト、ご苦労様。ありがとな。
こういうところへ長く書き続けた事がないため、酷いレスですみません。過去レスとカブッたり、書いたと思ったら書いてなかったり、かなり無茶苦茶です。
なんとなく書き始めたら、いつの間にかこんなレスになってしまいました。昭和に戻ったり、2、3日前の事を書いたり、脈絡も何もなくてごめんなさい。
とにかく、書けるところまで書いてみようと思っています。
読んで下さっている方、ありがとうございます。
m(_ _)m
きょうは二人ともバイトなので朝飯作る私は、4時に目が覚めてしまった。味噌汁も出来たし、メシが炊けるまでちょっとあるな。
妻と妹は時々、古新聞を広げては、二人並んで足の爪を切っている。切りながらお喋りしている後ろ姿は、なんだか微笑ましいんだ。こんな何気ない日常が幸せなんだ。
神様は、私と妻を巡り合わせてくれたと同時に、妻と妹にも良い縁をもたらしてくれたのかも知れない。女同士、ウマが合うって、見ててもいいものだな。
けれど…。弟君が生きていたら、妹と弟君は今も夫婦だったんだ、本当なら2組の夫婦だったんだよな。いや、妹の悲しむ様な事は口にはすまい。
きょうはなんでも、バイト帰りに二人でカラオケ行こうと話してたっけな。あなた(お兄ちゃん)も1~2時間どう?と誘われているが、体調が良かったらな。
二人は、妹のバイトあがりに普通に客としてそこへ行く。私が現場仕事の頃から、二人だけで5時間は歌って来る。すごいな。きょうは私が仮に少し一緒だったとして、何時間になるんだろう。
家でも一緒、買い物も一緒、バイトあがりも一緒って、二人の仲の良さは私なんか入る隙ないじゃないか。おっと、僻んでいるみたいだ。
そろそろ起きて来るかな。私は、何が悲しくてこの年でプーさんのエプロンをしているんだ?!
4日前に体調を崩し、色んな人に迷惑をかけたので、きょうはお留守番だ。晩飯はあったかい煮物にした。漬け物も納豆も用意したんだ。妻はやっと、私たち3人での晩飯で、納豆が食える様になったんだ。
子供の頃の、仲間外れの藁の納豆は辛かっただろう。が、今は、家族3人で、刻みネギにタレを混ぜて、笑顔で皆で食べる様になったら、妻は、納豆って、幸せな食べ物だったのね、と、嬉しそうだ。
妹も、なんでも3人で分けるっていいね、と、楽しそうなんだ。
カラオケ店を6時半に出て、7時に二人は帰宅、それから晩飯だった。後片付けは二人がしてくれたので、やっとプーさんのエプロンから開放された。二人のエプロンは花柄で綺麗だ。なぜ私だけプーさんなんだ?!
ゆっくり風呂に入った。私が自宅療養する前は、その日1日休みのどちらかが家事全般をやっていた。洗濯やら掃除やらメシの支度やら、天気のいい日は布団を干したり、タオルを換えたり、日曜日に買い忘れた物を買いに行ったり、
雑用も入れたら結構忙しい。ガキの頃、親に丸投げされて、妹と二人で手分けして夢中でやってた頃は、やらないと親父に殴られたので怖くて訳も解らずやってたが、
人間らしい生活を送ると、幸せな忙しさ、を感じるんだ。
また悪天候だな。明日は二人とも仕事だろうか。無理しないで家にいて欲しい。50代3人の家庭は、そんなものだろうか。
最近は台風が多いな。解体屋泣かせだな。ああ、早く現場仕事に戻りたい!
だいぶ前に書いたレスで、おそらく読んで下さった方がおかしいと思われただろう事(たくさんあるが)のうち、書き落としていた事で、気が付いた事を読み返しながら書いてみたいと思う。
私と妹の、両親とか言うあいつらが無理心中をはかり、お互いを刺し違えて凄惨な死に方をしたあの家は、いわば事故物件だ。そんな家を、いくら人のいい叔父でも、
当時20代前半の世間知らずの私とそのいくつか年下の妹が相続を放棄したからと言って、好きこのんで、手続きまでして相続するとは思えない事は容易に察したと思う。
あいつらは、なんだかよく知らないが、土地をいくつか持ってたらしい。私も妹もこの年になっても興味ない。叔父には本当に、過去レスにも書いたが、葬儀屋からお寺(墓)まで支払いの立て替えやら、香典返しの発送、喪中のハガキの印刷、郵便代まで世話になったので、
それらの立て替え分のお返しをしなければならず、叔父に色々調べてもらい、相続を放棄した方がマイナスにならないのか(相続した方がプラスになるのか)、叔父が放棄した場合、私が分割で叔父に返していく事になったが、
思いの外あいつらの持ってた土地がなぜだか広く、叔父がプラスになると判り、叔父に相続してもらった。事故物件になってしまったあの家は、
この前、缶詰めを送ってくれたお礼の電話をした際、その後どうなったのか、聞いた。
「甥君たちが何度か、事件後に来たよな?」から始まり、私と妹が相続を放棄し、正式に叔父が相続する手続きを何回かに分けて行い、その後、私たちは寄り付きもしなかったので、その後どうなったか知らなかったが、
叔父は半年もしないうちに、その事故物件の家を壊し、更地にし、今は駐車場になっているそうだ。他の土地にもアパートを立て、駐車場代と家賃収入で生計を立て、
缶詰め工場での仕事は、友人の手伝いでしているそうだ。それで、私たち3人に、年に4回も缶詰めの詰め合わせを送ってくれてたんだ。
焼酎のお礼も、「年に1~2回でいいぞ、もちろん何回でもうれしいが。ははは…」と笑いながら言ってくれる、気のいい叔父なんだ。
私たちがあまりにも、もうあの家で暮らしてた事など思い出したくありません、と強く言ったため、
叔父が気持ちを察してくれたんだ。本当に、私と妹は、この叔父がいなかったらどうしていたんだろう。足を向けて寝られないひとりだ。
妻は、私さんと妹ちゃん、本当に辛かったね、よく乗り切ったね、と言ってくれたが、
妻の方こそ、家族全員に無視され、ひとりぼっちでどんなに悲しかったろう。妻と妹の結びつきは、変な話だが、あたたかい家庭で育っていたら、なかったかも知れない。
お互い、形こそ違っても、親の愛情を知らずに大人になった悲しみで、今の幸せを失いたくないんだ。
スレ主です。なんとか350レスまで来る事が出来ました。
スレ本文と、始めの方の共感票にビビってしまい、ミクルさんに調整していただき、ほそぼそと書いています。
これからも、誤字脱字、辻褄が合わない、どうしても思い出せない、年代と年齢にズレがある、なんだか支離滅裂、突然思い出す、など、酷い内容が続くかと思いますが、
なんとか頑張って、昭和から令和まで書いてみたいと思います。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。時代が突然飛んだりしますが、独り日記という事で、なにとぞお許し下さい。
m(_ _)m
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