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昭和から令和へ

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匿名
20/03/28 09:52(更新日時)

長く生きたな。人生の折り返し地点は過ぎたけど、まだ夢も希望もある。




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No.2888258 19/07/26 00:23(スレ作成日時)

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No.151 19/08/17 02:41
匿名 

久しぶり!元気だった?と4人。

妹の顔も明るかった(あ、そうだ、弟君の一周忌の後だった)。

あの時のたこ焼き、うまかったな、お小遣いあんま持ってなくて、8個入り買って、ひとり2個だったな、とか、

かき氷も、なんだか雰囲気が楽しかったよな!と、なんか私が一番テンション上がったんだ。

女性二人が、ヨーヨーありがとうね!と覚えててくれたんだ。

花火大会、良かったなぁ。本当に楽しかったんだ。

そっか~、十代だった二人も、31才か~、と言ったら、妹たちに、お兄ちゃんたちのがオジサンじゃん!と言われてしまった。

酒の飲める年になってまた4人揃えるなんてな。

また折を見て会おうな!と約束して、4人は別れた。

妹を家に送り、私は自宅へ帰った。

No.152 19/08/17 03:06
匿名 

家に帰ると、妻はまだ起きてた。ちょっと目が赤かった気がした。

懐かしいお友達に会えて良かったね。と笑顔の妻。

俺君の奥さんも一緒に来れば良かったのにって言われたよ、と話すと、

妻は、驚く様な深い考えを話してくれたんだ。

その事なんだけど、もし私が行ったと思ってみて。もちろん、4人にしか分からない話は、私も子供じゃないから、

へえ、そんな事があったんだ、と聞き役にまわるけど、そうじゃないの。

あのね、私が行ったら、あちらもご夫婦、私達も夫婦、妹ちゃんだけひとりだよ。

まだ弟さん亡くなって1年ちょっと。2組の夫婦を見て、自分だけひとりの妹ちゃん、どんな気持ちになると思う?

家に帰ったら、ひとりでわんわん泣いてしまうかも知れないでしょう?

もう妻は涙ぐんでいた。そんな思い、妹ちゃんにさせたくなかったんだ。

昭和の50年代半ばの気持ちに戻ってもらって、幸せな時間を過ごして欲しかったの。だから、これで良かったんだよ。(笑顔の妻)

嫁ちゃん…

ありがとう、ありがとうな、そんなにまで妹を思ってくれて。

私は思わず妻を抱きしめていたんだ。妻の優しさ、私には気付かなかったんだ。


No.153 19/08/17 03:10
匿名 

こんな時間まで読んで下さり、ありがとうございます。

おやすみなさい。

No.154 19/08/17 12:30
匿名 

携帯電話を持つ様になったキッカケは、やはり仕事仲間だった。元々、私は男のくせに機械音痴で、どう使うのか、覚えが悪く、先輩どころか後輩にも迷惑かけた。

昔はPHSだの、なんだか棒の様な物を引っ張り出して使ってたが、どこへ行ったのだろう。

あの頃は電話とメールしか出来なかったな。今の様に検索したりなんてなかった気がする。いや、あったのかも知れないが、私は知らない。

妻と妹は、二人で色違いを買うとか言って仲良く携帯ショップへ出かけて行ったんだ。

よく解らんので、登録ってのを二人にしてもらったんだ。嫁ちゃん、を押すと嫁にかかり、妹、を押すと妹にかかる。会社の人にもやってもらったが、これは便利だな。

私はお恥ずかしながら、この令和の今でも、ツイッターもラインも出来ない。

が、さして生活に困らない。ただ、携帯が無くなったら仕事にならないので困る。

携帯のない時代を生きてきたのに、いつからこうなったのかな。


No.155 19/08/17 21:38
匿名 

平成9年~10年、皆30代半ば~後半になっていた。妹は、コツコツ働き、少しずつだか給料も上がっていき、弟君の残してくれたものを引き落とさずに、なんとか毎月積み立て貯金も出来る様になっていた。

わずかな金額でもコツコツと続けると、何かの時に助かる。

弟君の三回忌の時だったかなぁ。

あれから2年経ったんだな。弟君、君があまりにもいい人だったおかげで、妹は、一生独身かも知れないな。

弟君の存在は、今こうして時代が令和に変わっても私たち4人家族には変わらない。

おっと、また平成9年~10年と令和元年が一緒になってしまった。それだけ、弟君はみんなの心の中にいるんだ。

いつの間にか、墓参りの時は、線香と花は妹、お酒とお供え物は私たち、になっていた。妹がお酒代払うと言ったが、妻も私も受け取る気などなく、

弟君の面白話を誕生祝いの乾杯の際に話してもらって、それを供養の気持ちにしたんだ。弟君は一度も、妹を怒鳴った事はなかったそうだった。根が温厚だったんだな。

頑固な私は、反省した。

No.156 19/08/18 01:46
匿名 

こうしてみると、時間は経っているんだな。年取る訳だ。妻の人生も、妹の人生も、これで良かったのかな、とふっと思う。

いくつも携帯の機種変をし、今はガラホとかいう、スマホでもガラケーでもない、コウモリみたいなヤツを使っている。

ガラケーは動画が見られなくなり、スマホはツルツルしてどうも気持ちが悪い。

あれからもなんだかんだあったが、親と暮らしてた昭和の頃を思えば、ありがたい生活だ。

本当に、妻も妹も、何十年と仲良くしてくれて、二人の絆は強い。

これを言ってはなんだが、50代になった弟君は、どんな男性になっていただろう。三人とも時々思うのだった。

また少し30代後半から40代も振り返ってみようと思う。

No.157 19/08/18 01:59
匿名 

スレ主です。いつもこんなつまらないものを読んで下さり、本当にありがとうございます。

誤字、まとまりのない文、日記にしても酷いもので、本当にお粗末です。

私事で恐縮ですが、ちょっと、検査前日と月、火の3日間、書けないので、お休みさせていただき、早くて水曜日か木曜日に再開したいと思います。

共感票を見てビビっています。アホな私の独り言で、少しゆっくりしていただければ幸いです。



No.158 19/08/21 02:04
匿名 

夜中に今晩は。スレ主です。再び私事で恐縮ですが、検査も終わり、結果、異常なしでした。

あえて、何の検査かは書きません。私よりもっと辛い思いをしている方がいらっしゃると思うので。

また少しずつ書いていきたいと思います。読み返してみましたら、文章になってない箇所の多い事、誤字の多い事…

こんな内容のものでも読んで下さっている方、本当にありがとうございます。もうちょっと国語を勉強しておけば良かったと後悔しています。

妹の夫(弟君)が元気だった頃の事も、もう少し書いてみたいと思います。

No.159 19/08/21 02:25
匿名 

平成5~6年の、妻の誕生祝いで4人で集まった時だった。妻のパイナップル嫌いはみんなの知るところとなり、

皆それぞれに、これだけは食べるのは大人になってもしんどい、という物をあげる事になったんだ。

弟君はセロリやシソの葉など独特の味の物がダメで、妹は昔からいわゆるシーフード物がダメで、魚は平気だが、ガキの頃から、イカ、タコ、エビ、カニがダメだった。

私は、お餅がダメだ。あやつは、煮ても焼いても食えん。シャレではないのだが。

こんな他愛もない会話が本当に楽しかったんだ。そして、こんな4人での会話が、ジジババになっても続くと思ってたんだ。

弟君の亡き後、3人の誰も、セロリとシソの葉は食べなくなっていたんだ。

No.160 19/08/21 03:00
匿名 

過去レスに書いた、妹が、500円の物でもありがたいと大切にする事を、弟君に、お兄さんに感謝してます、といった内容の事を言われた時、

それは弟君の人柄のおかげだよ、と話した事があった。元々、ケチというより世間体しか気にしなかったあの人らと暮らしてた時、

月の小遣い妹500円、私はかろうじて千円、で1ヶ月をやりくりしていたので(中、高6年間)、

結婚して妹に、弟君が、頭かきかき、例の遠慮がちな人当たりの良い表情で、「1ヶ月のお小遣い、そんなにあげられなくてごめんな、ただ、美容院代だけは別に出すからね」と言われ、

妹は恐る恐る1ヶ月の小遣いの額を聞いたらしい。

弟君は、3千円しか今は月にあげられないけど、昇給したら、5千円に上げるから、な、と言ったら、

妹は、「そんな大金、毎月戴いていいの?」と言ったそうだ。妹は、高校を卒業して働いてお給料をもらうまで、人様からそんなお金をもらった経験がなかったからだった。

私が弟君にお礼を言いたかったんだ。

No.161 19/08/21 03:19
匿名 

昔、私が仕事で毛虫退治で何ヵ所か毛虫に刺されて痒かった時、

妹は、毎月500円を使いきってた訳ではなく、いくらかずつでも残し、200円でも150円でも残して貯めて、

私に虫さされの薬、980円のを買ってくれたんだ。その時妹は、値札をはがしてくれたが、薬局に行った時、そんなにするんだと知ったんだ。

弟君はこの話に泣いてくれたんだ。そして、18才~19才まで、女の子らしいオシャレが出来なかった妹に、ありったけの愛情を注いでくれたんだ。

それはなにも金銭的な事ばかりじゃなかったんだ。

私も遅れる事数年、決して無駄遣いしない妻には、肩身の狭い思いはさせたくなかった。

No.162 19/08/21 03:25
匿名 

こんな時間まで読んで下さり、ありがとうございます。おやすみなさい。

No.163 19/08/21 10:24
匿名 

妻よ、レス159、許してくれ。妻のパイナップル以外の苦手な食べ物を書き落とした、仲間外れにしたんじゃないんだ、いつも一緒にいるので書いたつもりだったのが忘れたんだ。言い訳だ。

妻は、パイナップルの他に、最近見かけなくなった、ワラに包まれた納豆が、家族に無視された象徴の様で、食べ物としてと言うより、悲しかった家庭環境を思い出すのか、

容器が変わっても、自分からはほとんど納豆を買わない。子供の頃の体験はおそらく一生なのかも知れない。

嫁ちゃん、もう4人で、3人で、ふたりで食卓を共にしてるんだよ。

悲しい食べ物なんて今の嫁ちゃんにはないんだよ。

No.164 19/08/21 13:01
匿名 

平成8年、弟君の一周忌の後の、花火大会で一緒だった二人の結婚披露宴に着て行く服がなく、私も妹も、失礼のない格好の服をそれぞれ1着ずつ、貯金をおろして買う事になった時の事。

私はまだ妹がギリギリの生活をしているのを知っていたので、自分の服と込みで、妹にも披露宴用のドレスを買ってやるつもりだった。

女性は、ドレスの他に靴やバッグなどもいると、妻に教わり、なんと妻は、妹ちゃんに靴とバッグをプレゼントしてくれたんだ。

初めは妹は、お姉さんにお金使わせて悪いから、と断ったが、妻の、「私も陰ながらでいいので、仲間に入れてね」と、気を遣った言葉で話し、

妹が着たい服を私が、妹が店員さんのアドバイスを参考に選んだ靴とバッグを妻が、それぞれ買ってやり、妹はずっと申し訳なさそうだったが、

それを試着した妹を見て、妻が、「妹ちゃん、綺麗よ。」と声をかけていたっけ。

妹は、いつか必ず、お姉さんとお兄ちゃんに恩返しさせてね、と言ってたんだ。

過去レスにはこんな細かい事書けなかったな。二人が女性同士、仲が続いているのは、お互い、相手に感謝を忘れてないからなんだ。



No.165 19/08/21 14:23
匿名 

あれ、おかしいな。二人の結婚披露宴に招かれた時はまだ弟君は元気だったんだ、平成8年じゃないな。

あれ、あん時なぜ弟君いなかったんだんだ?いや、いたんだ、妻と昼飯食っててな、って妻にお金を渡してる。

あそうか、弟君、1ヶ月出張でいなかった?ん?なら妻にお金渡したりしないな。

何だったっけな、ドレスやら買いに行った時、確か3人だった。靴とバッグを妻がプレゼントし…あれ?

それは弟君が妹にするよな?何?何?私の記憶おかしいな。

この24年以上の間に、妹がドレス着た事ってあとあったか、あっても2着は持ってないはず。

いや、花火大会の二人の結婚披露宴の時は弟君はいたんだ。

私の記憶、完全になんかと刷り変わってる。申し訳ない。昭和から順を追って書いてたつもりなのに。

正確に思い出したら書こう。こんなに記憶力悪かったっけな。

申し訳ありません。

No.166 19/08/21 22:00
匿名 

人間の記憶はいい加減だな。スレタイ間違えたか。曖昧な記憶、にでもすれば良かったな。

妻と妹に聞いた。3人共いい加減な記憶だ。

妻は、うん、うん、妹ちゃんのドレス姿がきれいだったの覚えてる、あの時、デパートに弟さんいなかったよね?でもお元気…だった頃よね?あれ?だし、

妹は、うん、お兄ちゃんにドレスを、お姉さんに靴とバッグをプレゼントしていただいて嬉しかったので覚えてるんだけど、あの時確か売り場には3人だったって覚えてる、あれ?夫は…え、震災前?あと?いつだったかな?だし、

3人の記憶がこんなものだ。弟君、ごめんな。

この感覚が解る方は、50代以上の方かと思います。

はて?花火大会の二人の結婚披露宴の時の事なのか、弟君の亡き後の事なのか、記憶がもはや飛んでしまっている。

何かが3人の記憶を混乱させている様だ。私も嘘など書きたくない。思い出せないものだろうか。

No.167 19/08/21 22:22
匿名 

何かの拍子に思い出すかも知れない。他の出来事を書いてみよう。

少し最近の話に飛ぶが、3人とも50代になった今、3人暮らしをしている。

私は解体の現場を離れたくなかったが、年齢的に会社が50代には気を遣うので基本的には事務所勤務で、人手がいる時にたまに駆り出される。

妻はまた、今の生活圏内でパン屋さんで1日3時間のパート、

妹は、その後会社の人がいくつか持って来てくれた縁談を丁寧に断り、今はカラオケ店でバイトしている。

もう再婚する気はないと、はっきり言ってから15年位経つだろうか。

記憶は曖昧だが、絆は強いんだ。

No.168 19/08/22 08:06
匿名 

もう1つ、いい加減な記憶の話を思い出した。

私たち3人は、人生で2度ほどディズニーランドへ行っている…と思っていたら、

妹は3回じゃない?と言い、妻は、どっちだったっけ?と言っている。

お金もかかるので、4回は行ってないね、で一致している。弟君がいなくて残念だというところも一致しているので、

平成8年からあと、から平成の30年、昨年までの22年間の記憶だ。記憶ってそんなものだったのか。

また、妹が自分で買った500円のイヤリングを片方、ディズニーランドで無くしている、

その事は覚えているのに、いつ、何回目に行った時に無くしたか、の記憶が、これまた3人とも曖昧だ。

なんとも人間の記憶は、日記でもつけておかないと本当に曖昧でいい加減なものなんだな。

読んで下さっている方、申し訳ないです。

No.169 19/08/22 21:39
匿名 

この様なスレ・レスになってしまった。人間、困った事やしんどかった事、決定的な事は覚えているのに、幸せだった時と忙しかった時の事って、覚えてないものなんだな。

こんなものでも読んで下さっている方に申し訳もないですが、

覚えている事、思い出せる事をなんとか書いていきたいと思います。

人間の記憶がこんなに曖昧だったとは。呆れられても仕方ないので、このスレが嫌になってしまった方、どうぞ読むのを終わりにして下さい、こんな書き方、ごめんなさい。

貴重なお時間を、すみません。

m(_ _)m💦💦


No.170 19/08/22 22:01
匿名 

平成9年の1月は、間違いなく弟の三回忌だった。妹、妻、私と、弟の会社の人がそれでも数人来てくれたっけな。

妹もだいぶ落ち着いた様に見えたが、やはり弟君と過ごした日々を思い出すには辛かった様だった。

喪主?そうだ、妹が喪主で、葬儀の際、とても人前で挨拶出来る状態じゃなかったので、私が代わって弔問客に挨拶した。

3人とも喪服はどうしたんだっけな。なんとかしたんだろうな。けれど、デパートでドレスを買う訳ないし、

借りた喪服だったのかも知れない。その後、ちゃんと3人とも喪服を買って、一周忌からはそれを着てた気がする。

弟君、葬儀の際は、いくら間に合わなかったとは言え、借りた喪服なんかですまなかった、ごめんな。

No.171 19/08/23 01:16
匿名 

私が解体先で後輩に怖い話をして、先輩やリーダーさんに怒られた事があった。

ちょっとお調子者なヤツだったので、少し怖い話をしたろ~と思った。私も悪いな。

「俺さんは、この仕事長いんッスか?」と後輩。私は、ああ、10年になるかな、と言ったあと、

あのな、この辺り、色々曰く付きの土地でな、ひとりになると、変なもん見るらしいから気をつけろな、と、ほんのからかいの気持ちで言ったのだが、

後輩は、日に日に元気がなくなっていく。先輩とリーダーが心配して気を付けて彼を見ていた。

ある日、「うわぁ~」と後輩の声。何?何?みんな声の方へ飛んで行った。

何も見えない所を指差しておびえる彼は、「俺さん、俺さんの言う通りに、あれ、あれ」と。

私には、な~んにも見えないのに、先輩とリーダーが「おい、俺、あいつに何言ったんだ?」とこわい顔。どうも後輩にはなんか見えたらしい。

先輩とリーダーには見えたのか分からないままだったが、「仕事場で怖がらせはするな!」と叱られてしまった。

根も葉もない事だったが、後輩君、ごめんな。それより、指差したところ、何だったんだろう。

悪ふざけして、すみませんでした。

これについては、妻にも妹にも絞られてしまった。

No.172 19/08/23 14:41
匿名 

その後、後輩君にはちゃんと、この辺りの土地にはなんの曰くも付いてないと話すと、また日に日に元気を取り戻していったんだ。良かった。あ、私が悪かったんだ。ごめんな。

なんとなく思い出して来た、がまだそんなに刑事ドラマみたいにはいかないが。

花火大会の二人の結婚披露宴の時、私たちはドレスや礼服を買うお金は、最後の引っ越しで使ってしまってなかったんじゃなかったか?

弟君の葬儀で喪服を人に借りた位だ、

今はお付き合いのない人から借りて、クリーニングに出して返した様な、確かそんなだった。

そして妹は、一番最後に勤めた会社の女性の披露宴にドレスが必要だった気が…そうか、それで私は礼服を買う事もなく、弟もいなかったんだ。

まだ記憶に自信ないが、そうだった気がする。平成何年だったか忘れたが、その披露宴の女性は、妹より10才位年下だった様に聞いていた。

なんと頼りない思い出なんだろう。

人間の記憶なんて、こんなものなんだろうか。

No.173 19/08/23 14:55
匿名 

ん?ん?レス164に、貯金をおろして私も礼服を買ったと書いてあるぞ?本当に私は礼服を買ったのだったろうか?

何だったんだ~このデパートの買い物。妹にドレス買ってやった、妻が靴とバッグをプレゼントした、3人しかいなかった、この記憶は3人に共通している。

何かキツネにつままれた気がするな。

また思い出したら書く事にする。

3時半に歯科へ行かねば。総合病院は助かる。

No.174 19/08/24 03:23
匿名 

結局、弟君が元気だった頃の記憶ははっきりしていて、4人の結束は固かったが、弟君が天に召されてからの記憶は曖昧になってしまった事がわかったんだ。

妹のあの時期の、おかしくなってしまった時も、妻が妹の支えになってくれたり、妹が逆に妻に力を貸してくれたり、

今思えば、弟君がいてくれて4人のバランスが良かったんだ。辛い事もあったし、今の方が生活は落ち着いているかも知れないが、

人間、失いたくない人を失うと、当たり前だが、その後の人生、大きく変わるし、また年を取るとそれまでが平成の何年だったかもあやしくなるんだ。

思い出せない事に関してはもう仕方ないので、なんとなくでも覚えている事を書いてみたいと思う。

弟君、君のせいなんかじゃないんだ、むしろ悲しいんだ。

こんな書き方、ごめんな。

No.175 19/08/24 03:25
匿名 

スレ主です。こんな時間に読んで下さって、ありがとうございます。おやすみなさい。

No.176 19/08/24 10:29
匿名 

私は今でも4人は家族と思っているし、妻や妹はもちろん、弟君にも伝わっていると信じている。

妻の母から妻を守る時の2組の夫婦の結束も固かったし、世の中、毒親に育てられた人がみんな気が合う訳じゃないだろうから、

この4人を巡り合わせてくれた神様に感謝している。

それだけに、弟君の事はみんな悲しいなんてもんじゃなかったんだ。

もちろん、失われて良い命なんてないだろう。でもなぜ、あんな人の好い彼が…。

やっと妹を理解してくれる人と巡り会えて、結婚の挨拶の時も、自分には妹さんはもったいないとまで言ってくれた彼が、

私などに頭をいつまでも下げていた彼が、妹と同時に頭を上げた時に涙ぐんでいた彼が、

私より勉強家で、難しい漢字も読み書き出来る彼が、

いつも遠慮がちで欲のなさそうな、頭を掻いて苦笑いしている様な彼が、

頑固な私と違って温厚な彼が、

なぜ命を落とさなきゃいけなかったんだよ、って、悔しいんだ。

彼が居なくなってからの記憶は、なんだか順番通りではなくなってしまったんだ。

だからもう、妻も妹も失いたくないんだ。私が更に記憶に自信がなくなってしまいそうだからなんだ。



No.177 19/08/25 08:39
匿名 

結局、分からない事はどうしようもないので、正確に思い出したら書く事にしよう。正確に、というのも実は曖昧だったりすると思うが。

今から5年位前だったか、ディズニー映画のアナ雪が流行った頃、妻と妹は二人ともハマッて見ていたっけな。お小遣い遣り繰りして、グッズを買ったりしてた。

私はわざわざは見に行かなかったが、今年だったか正月にテレビで放送されたので妻と妹と3人で見たんだ。

姉妹愛の映画なんだな。あのクライマックスシーンと言うのか、姉(名前分からん)が男に剣で斬られそうになった時、あいだに妹(アナか?)がとっさに姉を庇う様に入って、手を高く上げたまま凍ってしまうシーンのあと、

姉が妹を抱きしめ、アナ、アナと涙を流すシーンで、妻と妹は手を握りあって泣いて見ていたが、

私にしたら、君ら二人の絆の方が深く感じたぞ。実の姉妹以上だと思う。

姉の涙でアナだかが元に戻るんだっけな。映画は素敵だと思った。

男は現実的なのか、良い映画だね、とは言ったが涙までは出なかった私に妹が、お兄ちゃんたら冷たいの~だと。

いやいや、君ら二人の絆にたくさん泣いて来ましたから。

No.178 19/08/26 13:26
匿名 

まだ弟君が元気な頃、子供について話した事があったんだ。

自分たちも、子供が出来たら毒親になってしまうのだろうか、それは嫌だ、子供がかわいそうだ。けれど、自分たちの親の様にならなければ必ず良い親、とも言えない。

街中で子供を見ると、育児は簡単ではないだろうけど、世の中、毒親になる人とならない人がいるのは、何が境界線で、何が決定打なんだろう、と、よく話したんだ。

弟君は、子供の前でも子供の見てないところでも、夫婦が仲良くないのは子供が悲しいと思うので、乱暴や暴言だけは嫌です、と言い、

妻は、とにかく兄弟姉妹に差を付けたり無視せずに、忙しい家事の合間でも、子供の話をしっかり聞いてあげるお母ちゃんになりたかったと言い、

私と妹は同じで、やはり子供に向かって「汚い」とか「うるさい」という言葉を投げたり、通信簿を見て「バカなのか」と罵ったり、全く育てる気なんかない、と態度に表したりする親にはなりたくない、

家族みんな一緒に笑っている様な、子供がパパママ大好きって思う様な家庭を築きたかったな、と話した。

話しているうちに、それらが皆、自分の親への願望だと気付いた。

皆、悲しかった。

No.179 19/08/26 17:30
匿名 

私たちが話した内容はおそらく理想論、空想論、絵に描いた餅なんだろう。それでも話さずにはいられなかった。

実際、親子家族仲の良い人たちはたくさんいるだろうし、うまくいってない家族もたくさんいるだろう。

なんの問題も抱えてない家族なんていないだろうし。私は妹と弟君夫婦にケンカしたらどう仲直りしているか聞いてみた。もちろん私と妻も答える羽目になったが。

温厚な弟君は、妹とぶつかりそうになったら、君も間違ってない、僕も間違ってない、それでいいよね、と言うと、妹もそっか、そうだよね、で大体は大ゲンカにならないで終わる、と言ってたっけな。

私と妻は、私が頑固なのがいけないので、とにかく、お互い全部吐き出そう、悪意で結婚したんじゃないんだから(当たり前だが)、

自分はこう思っていた、私はこう思っていた、なんだ、そうだったのか、妻は私にそっぽを向かれるのが嫌で、ごめんね、と言い、私は頑固なくせに人と仲違いをするのが嫌で、ごめんな、と言って、大概は終わる。

こんなふうに、2組の夫婦でも違う。でも夫婦の在り方に正解なんてないんだ、その夫婦なりに関係を築いていけばいいんだ。

親たちはどうだったんだろう。子供が生まれたら私たち夫婦の関係ももちろん変わっていくんだろう。

けれど毒親にだけはなりたくない。

No.180 19/08/26 17:40
匿名 

結局私たちは、親との思い出したくない生活が頭から離れず、子供のいる人生を選ぶ勇気はなかった。

子供が地獄をみるのも嫌だし、子供に愛情をどう注ぐか解らぬまま大人になってしまった自分たちに、子供を育てる事など出来ない、と思ったからだった。

親と子の愛情なんて、理屈じゃないんだろうな。

No.181 19/08/27 11:12
匿名 

若かった頃、あるいは今、息子でもおかしくない年齢の仕事仲間が、子供が出来て喜んでいる姿を見て、どこかで羨ましく、どこか別の世界の人になってしまう様な、複雑な気持ちになる。

生まれてから手のかかりそうな時期のお子さんの写メを、娘です、息子です、と嬉しそうに見せて来ると、私らの親も、あの時代に携帯があったら同じ事してくれただろうか、いや、しなかっただろうな、などと寂しく想像する。

せいぜい世間体のために撮る位はするだろう。しかし愛情で、私や妹の写メを撮る様な人たちじゃないのはあの人らと暮らした人なら分かるだろう。

妻は、きっと私だけ写ってないから、と明るい声で言ってたが、目は赤かった。

毒親、あんたらがこの世の中にした事、それは、まともな社会性を身に付けさせずに成人してしまった人間を無責任に社会へ放り出す事だ。

私も妻も妹も弟君も、親に当たり前の愛情を注がれて育っていたら、普通に、我が子のいる人生が歩めただろう。

親を選べるなら選びたかった。

No.182 19/08/27 11:34
匿名 

親以外の人には恵まれて来たんだ。それで良しとしようと思いたい。

今の、落ち着いた50代は、妻も妹も昔より幸せだと言っている。

が、どうしても過去を振り返ってしまう。そして、懐かしく子供の頃をほのぼの話せない事に、苛立ちを感じてしまう。

毎日の積み重ねが人をつくるんだと、思い知った。

No.183 19/08/27 13:10
匿名 

50代3人が暮らし始めて数ヵ月たった頃だった。夜中に便所に起きた時、妻と妹が二人でとんでもない会話をしているのを聞いてしまった。

「お姉さん、私が一緒に暮らしたら、夫婦の行為、出来ないんじゃない?そうだったら申し訳ないや」

「あ、ううん、これから子供つくる訳でもないから、そういう事はなくてもいいの。それより妹ちゃん、弟さんが亡くなってから、誰とも一度もないの?」

「うん。私も子供どころか夫もいないし、あんな行為、なくてもいいや」

二人は笑ってたが、私は心臓が飛び出そうになった。女性は、女しかいない時、こんなあからさまな会話をするのか。

弟君、やはり君にいて欲しかったぞ。その後は朝まで眠れなかったんだ。

No.184 19/08/27 17:37
匿名 

弟君が亡くなった時、妹は30才だった。その後20年以上、男性とひとりもお付き合いせずに今もバイトしている。

妻も、妹ちゃんまだ若いのに、一生ひとりはなんだかもったいないなぁ、もう弟さんもあちらの世界で許して下さると思うし、誰かいい人いないかな、と10年以上前に言っていたんだ。

私は、40過ぎて年甲斐もなく、嫁ちゃん、俺が死んだら誰かとお付き合いするの?などとアホな質問をしたっけな。

妻は、縁起でもない事言わないでよね~と言っていたが、お互い、先に逝って欲しくないと思っている。

それだけに、妹がどれだけ弟君を思って夫婦でいたか、悲しい位、伝わって来るんだ。

何十年経っても、弟君の存在は決して私たち3人の心の中から消える事はないんだ。

No.185 19/08/28 21:29
匿名 

妹が36才の頃だった。男性に、たった一度だけデートに誘われて、断り切れずにデートする事になったが、これはお付き合いとは到底言えない事だったと記憶している。

そうだ、ドレスを買う事になったいきさつを思い出した!

No.186 19/08/28 21:52
匿名 

その頃まだ独り暮らしだった妹は、ずっと事務職を続けていた。

会社の、ある真面目な男性から、きちんと、交際して下さいと言われ、とても誠実そうな人だった事や、こんな私に、と妹は考え、

妻に相談したらしい。妻は、妹がずっと弟君の事を引きずって生きるよりは、このお話をきっかけに、幸せになってくれるなら、と、後押ししたそうだ。

その男性に誘われた最初のデートが、クラシック音楽の演奏会に出かける、というものだった。

妹も私も妻も、クラシック音楽とはまず縁がなかった。そのため、普通の地味なスーツで良いのか分からず、決して派手ではない、その場にあった落ち着いたトーン?のドレスを買いに、3人でデパートへ行ったんだった。

なぜか妻が張り切っていたが、今にして思えば、妻もドレスが欲しかったのかな、と、少し反省している。

No.187 19/08/28 22:01
匿名 

店員さんのアドバイスを受け、演奏会に来て行くドレスを決め、妻はそれとコーディネートした靴とバッグを妹にプレゼントしたんだ。

妹は恥ずかしそうにしながらも、妻と私に何度もありがとう、ありがとう、と言ったっけな。

そして妹はその男性と、デートに出かけた。私としては複雑だが、妻もニコニコしていたので、見守る事にしたんだ。

No.188 19/08/28 22:12
匿名 

夜も遅くなり、妹はもう家に着いただろうかと心配になっていた時、玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。

妹だった。デートの帰りだ。まっすぐここへ来たんだ。

浮かない顔をしていた。何かあったのか!?妻も私もとにかく話を聞く事にした。

相手の男性は何も悪くなかった。

No.189 19/08/28 22:40
匿名 

妹は、その男性に、入った事のない高級レストランで食事をご馳走になり、会話も良い感じだったらしいのだが、

「あのね、その、なんか会話が合わないの。愛想も感じもいいし、気も遣ってくれる人なんだけど、時々出てくる言葉が、解らなかったり、その人はそれを普通に話すから、私に教養がないのがバレたと思うの。」

私も妻も、なんて言ってあげたらいいのか、言葉が見つからない。

「彼もデートにかなりお金を使ってくれたと思うの。演奏会のチケット二人分は高かっただろうし、帰りに、家まで送りたいけど、女性の独り暮らしの家まであなたを男の僕が始めてのデートで送っていいものかどうか、とどこまでも紳士的な人で、」

「電車を降りたら家までタクシーで帰りなさい、と2千円も渡してくれて…」

かなり妹に気を遣ってくれるヤツなんだな、と思った。


No.190 19/08/28 23:08
匿名 

妹は続けた。「まだ一度しかデートしてないから、お互いの事よく知らないのは当たり前だと思うのね。でも…」

「この人といて、心が休まるのかな、って思ったの。正直、かなりクラシックに詳しくて、いくら説明されても、ただ聞いてうなずくばかりで、会話にならなかったし、」

「昔、お姉さんと光ゲンジで盛り上がった、あの感じは全くなかったし、私が楽しめなかったって事は、彼も楽しめなかったと思うの。」

「それに…。」急に妹は涙目になり、

「きょうデートして、私、無性に夫に会いたくなったの。もう会えないの分かってるのに、デートして何言ってるの?って言われそうだけど、そうじゃないの、そうじゃない、私が会いたいのは、神戸に行ったきりの夫なの!あの人に会いたいの。会いたいよ。」

妹はおめかししても幸せなデートなんかじゃなかったんだ。

泣き崩れる妹を、妻がまた抱きしめたんだ。妹にとって、弟だけが一生涯の人だったんだ。

No.191 19/08/28 23:36
匿名 

幸いその日は土曜日だった様な気がする。きょうはもう遅いから妹ちゃん、泊まってって、と妻が言い、

明日の日曜日、3人で美味しいもの食べよう、男性で泣く事があった日は、女性といた方がいいから、ね、と妻。

嫁ちゃん、ありがとうな。

その後、1円でも大事にする妹(妻もだが)は、

「せっかく買ってもらったのに」と言うので、私と妻が、リサイクルショップに売っていいよ、と言い、

なんとか3点売れて、そのお金を封筒に入れて、妹はテーブルの上に置いてったけな。

3人ともそのデートの話はその後18年間一度も話題にしなかった。

それで私たちは、花火大会の二人の結婚披露宴のおめかしと、なんだか記憶がごっちゃになってたんだった。

だいぶ前のレスの謎がとけました。

読んで下さってる方、本当にいい加減な記憶でごめんなさい。こんなものでも読んで下さって、ありがとうございます。

No.192 19/08/29 00:22
匿名 

その後、妹は、その男性に、デートに誘ってくれた事、色々知らない事を教えてもらえた事のお礼を言い、

自分にあなたは出来すぎた方で、会話も私とでは楽しめないかと思い、今後はお仕事での先輩として接しさせて欲しい、と、やんわりと伝えたそうだ。

何度か男性は妹を口説き続けてくれたそうだが(兄としては、しつこいぞ半分、妹にも魅力はあるんだという鼻高半分)、

真剣だったら申し訳なかったとも思ったが、2年もしないで他の女性と結婚したと聞き、私といくつも違わない男性だ、いつまでも若くない、そんなものだろう、としか思わなかった。

誰にでも、その人の人生がある。人の人生を壊す権利は誰にもない、例え親であっても。

No.193 19/08/29 03:03
匿名 

スレ主です。読んで下さって本当にありがとうございます。

どこかで、私のレスが辻褄が合わなくておかしい、変だと言われているかも知れませんが、

古くは昭和40年代50年代から思い出した事やその時頭に浮かんだ事を書いているので、確かに変だと思って居ます。

どうしても思い出せない事、突然フラッシュバックする事、長く生きていれば、あると思います。

すべて言い訳ですが、始めは毒親の事をあまり書かずに、妹に懐かしいアイドルグループの曲を動画で聴かされて、楽しい日記を書こうかと思ったのですが、

自分の人生経験を綴っていたら、この様な流れのレスになってしまいました。

書けるところまで書いてみようと思っています。

こんな時間まで読んで下さって、ありがとうございます。おやすみなさい。

No.194 19/08/29 11:23
匿名 

昔、私と妹が実家から逃げ出し、その後、他界した両親の事で、家や土地の事でお世話になったあの時の叔父とは、今も続いている。

年賀状はもちろん、引っ越す度に連絡し、携帯を持つ様になってからも、ほんの時々、叔父さん、お元気ですか、と電話したりメールのやり取りで繋がっている。

叔父は今、果物の缶詰め工場で仕事をしているらしい。先日、「3人で食べて下さい」と缶詰めを送ってくれた。

開けたら、パイナップルの缶詰めだった。妻は、戴いたんだもの、お礼をしなきゃね、とニコニコしていたが、顔はちとひきつっていた。

私と妹でせっせと食べた。嫁ちゃん、ゴメンな、叔父に悪気はないんだ、嫁ちゃんがパイナップル苦手なの知らないんだ。今度さりげなくやんわりと、

パイナップルも好きですが、桃も好きです!と、遠回しに図々しいメールしておくな。

No.195 19/08/30 00:11
匿名 

妹は、お姉さんだけ仲間外れは嫌だからと、私たちがパイナップルの缶詰めを開けて食べる時のためにと、桃缶を買って置いている。

妻は、妹ちゃん、いいのに~と言ったが、妹は、3人で食べたいからね、と、器3つにフォーク3本必ず用意して、一緒に食べるんだ。女性らしいな、と思った。

家族の中で、自分だけ勘定に入れてもらえずに育つって、どんなに妻は悲しかったか知れないのに、いつもニコニコしているから、私は妻を好きになったんだと思う。いや、のろけではないんだ。

本当に、ここに弟君がいてくれたら、もっと弾んで楽しかっただろうに、神様、もう悲しい事は勘弁して下さい。

そう言えば、妹はあの弟君と暮らしてた所から、50を過ぎて3人で暮らす様になる前に、一度引っ越してた。それは決して、クラシック音楽好きの男性のせいなどではなかった。

No.196 19/08/30 03:15
匿名 

弟君がいなくなり、妹の独り暮らしが続き、クラシック音楽の彼とのデートも一度で終わり、妹は変わらず働き、私たちは時々会っていたが、

妻の母の事はもう済んだと思って忘れていた。が、その妻の母(お袋さん)は、なんと時々、妹の所へ来ては、旦那がいない事までつきとめていた。

離婚したかなんかとでも思ったんだろう。男性がいると声をかけずにいたお袋さんが、妹の帰宅時間を調べて、ある日、玄関前で待ち伏せして、妹に声をかけて来たというのだ。

もう7~8年会ってないはずで、妹は一瞬、どこのオバサンかと思ったらしかった。

「あの、○○さん?」と声をかけられて、妹はやっと、お姉さんのお母さんだ、と思い出したらしい。

まずい、兄夫婦の住所を知られたら大変だ、と、妹は頑張ってくれたんだ。

No.197 19/08/30 03:41
匿名 

かいつまんで書くと、お袋さんは妻の兄弟姉妹の家を転々としたらしいが、結局どこへ行っても疎ましがられるので、妻の居る所を知らないか聞きに来たそうだ。

妹は、さんざんお姉さんを無視して差別しておいて、今さらこのオバサン何?と思い、自分は面識がない事になっているのを思い出し、

あの、前にもお話しましたが、私、おたくの娘さん知らないんですよ、私に付きまとうの、やめてくれませんか?と強気で言ったらしい。

お袋さんは、そんな事言わないで、何か知ってるんでしょう、教えて下さらない?としつこかったらしく、

妹は、今すぐ警察呼びますよ、と携帯から11れいをかけようとしたら、また来ます、というので、

もう来ないで下さいと言い、お袋さんが帰るまで家の玄関を開けようとせずに睨んでいたら、その日は帰ってくれたが、

またお袋さんは来たそうだ。妻は妹に、何度も何度もごめんなさい、と言っていた。

No.198 19/08/30 07:15
匿名 

お袋さんは妹の勤め先までは知らないし、そこの住まいしか手掛かりはない。私の解体会社の事務所までは来た事はない。

妹は、しばらく私たち夫婦にここへ来ない様に連絡をくれ、今後どうするか、電車を複雑に乗り換えてうちまで来たりして、3人で話し合った。

長く住まない条件で、妹は引っ越す事を決めた。妻は、本当に本当にあの母のせいでごめんなさい、引っ越し費用は私が出すからと言い、

妹は、無理しないで、私は、お姉さんとお兄ちゃんとの3人の関係が壊れないためなら、なんでもするからね、と言った。

No.199 19/08/30 09:25
匿名 

妹もそうそう仕事を休めないので、引っ越すなら土日だ。物件は割と早く見つかった。

駅3つの所から、今度は反対方向へ駅4つ、うちと離れている所だった。家賃は前の所とほとんど変わらず、引っ越し費用は私と妻とで出す事にした。妹はお金の話になると申し訳なさそうにしてたが、

妻は、今度の引っ越しでもまだお袋さんがなんか言って来る様なら、裁判沙汰も覚悟すると言い切ったんだ。

引っ越し当日、私たちは新居の方ではいくらでも手伝えるが、今いる所を出る手伝いに行けなかったのが歯がゆかった。私と妻がばったりお袋さんと鉢合わせする訳にはいかないからだ。

当日は引っ越し業者さんと妹だけで済ませた。万が一お袋さんと引っ越しの荷物の運び出しに出くわしたら、私の両親のいる北海道へ帰るんです、と話す様にと業者さんにも話を合わせてもらった。

トラックが出る時も、後をつけてる車はないか、気を付けてもらった。

幸い、引っ越し当日、妻の母と会う事もなく、後をつけてる車もなく、不動産屋さんに中をあらためてもらって鍵を返す時も、これと言って困った事もなく、

妹の引っ越しは成功したんだ。

3人はホッとしたのを覚えている。

No.200 19/08/30 09:37
匿名 

スレ主です。どうにか200レスまで来られました。読んで下さって、ありがとうございます。

これからも、思い出したり曖昧だったりするかと思いますが、なんとか頑張って記憶をたどっていきたいと思います。

つまらないものにお付き合い下さり、本当にありがとうございます。

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