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1976年、8月。
看護師や医師が、父に言った。
「出産に当たり、母体の命とお子様の命、どちらかになる可能性が高いです。どちらを助けますか?」
父は言った。
「母体を助けてくれ」と。
更に医師は言った。
「最善を尽くします。最悪、どちらも失う事を覚悟して下さい」と。
こうして、未熟児で産まれたのは私だった。
幸い、両方無事だったが、私が危なかった。
仮死状態で産まれ、直ぐに保育器に運ばれた。
原因は、妊娠中の母の喫煙でした。
脳に頭に酸素が行かず、仮死状態となった。
私が産まれてから1ヶ月間は、保育器で、母は産後から回復が遅く、暫くは父が母の母乳を瓶に入れ、私の居る保育器の管理している看護師に渡した。
こうして、私は誕生した。
やがて、スクスクと成長した私は、次第に保育器の、手につけていたさくが小さくなっていき、私の手が傷つき、血が流れた。
母は怒鳴り付けた。
私の左手首にその痕が今でも残っていた。
保育器からようやく出た私は、早速病が襲った。
今でも発症しやすい、側頭葉てんかんだった。
身体中が真っ白になり、死んだように動かなくなった。
姉が何回も救急車を呼び、病院に搬送された。
これが私が聞いた乳児期だった。
この頃、父はロクに仕事もせず、麻雀、パチンコ、競馬に遊び、借金をしていた。
深夜、母が私が母乳飲んで眠ると、姉に、「愛は、暫くは起きないわ。その間に仕事に行ってくるね」と、私を姉に任せ、深夜のレストランで働いていた。
やがて、時は過ぎ、私が3歳の頃。
側頭葉てんかんの症状が、この頃から出ていた。
近所に大屋さんが住んでいて、空いてる家に私達は住む事になった。
しかし、私は、攻撃的になり、その大屋の方に、「出ていけ!!」と怒鳴り付け、ドライヤー、ブラシ等を投げつけた。
そんな事が何回も起きる様になりました。
暫くすると正常に戻り、大屋の方に謝りました。
家でも暴れた。
ガラスを割り、母からお尻を叩かれ、雨の中、裸で外に出された。
これは今で言う側頭葉てんかんの症状で、攻撃的、または悲観的になるという。
最近解り始めたが、この頃は、当然解らず、子供のワガママ……としか理解されていなかった。
>> 1
4歳か5際かは覚えてない。
だけど、母は、父が働かないので、布団のセールスになった。
私は、幼稚園、保育園にも行かせて貰ってなかった。
母の会社の同じビルに、児童施設があり、そこに居た。
そこで、言語的な障害が出た。
「お片付け」が言えず、「おたたづけ」と言っていた。
そして、斜視もこの頃から出ていて、私は、施設の子供に避けられた。
それだけじゃなかった。
知能、運動にも他の子供より遅れていた。
何時も話易い男の子にグループに入れて貰い、何時も1番後ろにくっついていた。
そんな事が半年~1年続いた。
そして、やっと母が会社を辞めて、洋裁を習い、既製服を作る仕事が貰えた。
この頃からやっと父は働き始めた。
保育園に半年程通っていたが、やはり、私に寄ってきたり、遊んでくれる子供は居なかったので、先生が色々イベントに着いた。
やがて、また引っ越す事となり、私の保育園は、1週間に1回になり、1人で本や、ぼんやり音楽を聴いていた。
>> 2
やがて、小学校入学の時。
母の手作りの洋服で普通に入学式を済ませた。
すると、いきなり校長室に私と母は連れて行かれた。
そして、そこで校長が言った。
「愛さんを特殊学級へ移動させる」と。
そこで母は怒った。
「ふざけないで下さい!確かに愛は人より遅れています。しかし、普通の子です!!それを見た目だけで特殊学級はないでしょう!?こうしましょう!担任に任せましょう。担任がもし、特殊学級と判断した際には従います」と。
こうして、担任に私は委ねられた。
しかし、こんな事も……。
担任を決める際に、私の顔写真などのデータを見た時に、誰もの先生が私をクラスに呼ぶ事を避けたという。
そこで、引き受けたのが、私に規律を教えてくれた先生だった。
私のクラスは、何人か学力等に遅れていた子供が何人も居た。
そして、半端じゃなく厳しかった。
今では問題とされていた、暴力なんて平気で振るっていた。
しかし、私は、ここでもてんかんの病状が出ていた。
男子を箸箱で殴って泣かしたりしていた。
保育園の頃、スコップで男子の頭を殴ったりとかもしていたが。
そして、更にこの頃からてんかんの前兆発作、そして、倒れたりしていた。
>> 3
更に悲劇が母や私達に襲った。
父が母に、「百万、どうしても欲しい」と言ってきたので、母は稼いだ百万を父に渡した。
……そこで、明らかになったのが、父の浮気だった。
母から貰った百万を、愛人に貢いでいた。
母は怒り狂い、時間の秒数まで忘れられなくなっていた。
この頃から、母は私に酷く当たる様になっていった。
「アンタなんか産まなきゃ、お父さんと離婚できたのに!」とか、「何で愛には出来ないの!?お姉ちゃん、お兄ちゃんは出来るのに!!」と私は、その度に泣いていたが、傷つく事も慣れて、涙すら枯れていた。
完全に麻痺していたのかも知れない。
しかし、学校は楽しかった。
新しく出来た友達で、楽しい毎日を過ごしていた。
特に、出版した本にもあるが、Nさんが何よりの支えとなった。
クリスマスに飾り付けしたり、Nさんの家や私の家で遊んだりと、本当に楽しい毎日を送っていたが、母は、Nさんの母と祖母を嫌っていた。
理由は、生活保護を受けていたから。
仕方なかった。
彼女は、数年前までは、普通の家庭だった。
しかし、交通事故をお越し、彼女の父親は亡くなり、母は、首に重症、一生働けなくなっていった。
そして、彼女の家は創価学会だった。
母は嫌な顔をしていたが、Nさんは悪くない。
だから、私は彼女を親友として慕っていた。
>> 4
しかし、私は、「あいうえお」すら書けなかった。
大体の子供は幼稚園等で字を習う事もある。
しかし、私は、実際に保育園には半年~1年位しか行けなかったのと、やはり、未熟児という事もあり、他の教科書も国語以外は全く解らなかった。
スポーツもビリだった。
しかし、友達が減っても、Nさんだけはシカトも何もせず、私には凄く優しくしてくれていた。
それから、人とのコミュニケーションがまるで解っていなかった。
それで起きたのは悲惨なイジメだった。
ある日、1人の男子が給食の時に、かなり汚い食べ方をしていた。
そして、母に言うと、直ぐに母は担任に電話した。
しかし、言われた方は私を憎んだ。
私は、鼻に指を少し入れただけで、「汚ねー鼻くそほじってる!」とその子は騒ぎ始めた。
やがて、クラス中に広まった。
そして、その私を憎んだ子供は、兄が居た。
その子は、私の悪口を兄に言いふらし、聞いた兄は、自分のクラスに私の悪口を言いふらした。
やがて、クラスの男子がその子と同じく兄弟等に言いふらし、私は、学校中に「汚い女子」と言われていた。
母は怒り、私を憎んだその子の母親に自宅まで殴り込んだが、遅く、更に私は、暴力等も振るわれ始めていた。
>> 5
やがて、その規律を教えてくれた教師は、産休に入った。
私は、あの頃、Nさん以外の人、親や姉兄にも私の存在を解って欲しかった。
そして、起こした行動は、父親を見て思った。
反抗的になる事だった。
私は、母の言葉や、先生の言葉にわざと反抗的になった。
初めはわざとだったが、次第に癖になり、結婚した今でも残っている。
しかし、更に嫌われる事となり、Nさんも私には距離を置いていた。
変化はもう1つあった。
今まで、自分の机や部屋は掃除を毎日していた。
そして、母が起こす30分前には起きていた。
母は偉く誉めていたが、反抗的になってからは、自分の部屋を掃除する気にもなれなかった。
しかし、母には好かれたく、母の台所は掃除をしていたが、母に言われた。
「自分の所を掃除をしない愛に、いくらお母さんの所を掃除されても、嬉しくない」と。
馬鹿馬鹿しくなった。
寝坊している姉や兄は、母は何も言わない。
それに2人は、部屋も汚い。
もう、頑張るのを止めていった。
>> 6
やがて、小学2年になった。
母がある近所の方と仲良くなり、その姉妹と私は、仲良くなった。
特に妹の人は私より2つ年上で、凄く優しくしてくれて、良く森の探検などをしていた。
てんかんで弱かった私の身体が良くなってきて、今まで出来なかった鉄棒の前回りが出来る迄になった。
そして、出たのがファミコンだった。
その人にファミコンがあったので、夜の7時まで遊んでいた。
本当に楽しかった。
そして、登校班もその人と一緒にしてもらった。
しかし、私は、Nさん同様に、かなり依存してしまった。
次第に私のしつこさに、その人も距離を置いていた。
母が、「あんなにベッタリされたりして、彼女、嫌がっていたわよ」と言われていた。
私は、反抗的にまたなっていったが、ここでは、余り態度には出なかった。
誰もが距離を置く、母や家族すら嫌がる……誰も居なかった。
そこで、母の働く姿、父の遊ぶ姿を見て、今の私の考えの基盤となる物が出来た。
何と言って良いのだろう。
誰が社会で成功するのか、失敗するのかが見えた。
私は、更に自分が許せず、嫌いになり、そして、人を平気で見下す考えがここで生まれた。
この考え方は、旦那と結婚するまで続いていて、治すのはかなり苦労した。
>> 7
しかし、てんかんの発作は起きていた。
学校では倒れませんでしたが、出先で、いきなり腹痛が起こり、立ってられない程になった。
そして、猛烈な吐き気と耳鳴りがして、気がつくと倒れていた。
腹痛、吐き気等は前兆発作です。
更に倒れたのは発作です。
母は私が何故ここまで倒れるのか、疑問に思い、大きい病院へ、脳波を撮った。
しかし、異常は見つからず、病院を5~7ヶ所程まわった。
最終的には国立病院まで行き、脳波を撮った。
そこで言われたのが、「自律神経失調症です」だった。
私は、中学まで倒れていた。
同時に、猫を飼い始めた。
私は、動物にはかなり癒された。
学校の帰りに、私の声がした瞬間、玄関先で待っていて、何時も私に抱っこされていた。
私は、猫がこの頃から大好きになった。
野良猫にも可愛がり、本当に猫を心から好きになった。
それは今でも変わらない。
>> 8
やがて、小学3年になった。
この頃から、母がエホバに狂った。
私がまだ赤ん坊の頃。
父方の実家に行くと、親戚中が集まり、そこの隅に、ある女の子が居たと言う。
その女の子は、親戚が浄土真宗に対して、エホバの証人だった為にキチガイ扱いされ、親戚一同からハブにされていたと言う。
母は、その女の子を助けようと、エホバを勉強したが、母自体がエホバに取り込まれた。
そして、小学3年の私に、聖書やら、端末誌だの教えてきて、疑問を持たない私は、どんどんエホバにのめり込んだ。
作文も書いてクラスの皆に発表したが、冷やかしで終わり、先生も、「良く解らない作文ね」と言われた。
その先生も若かった。
若干23歳で担任を任されたが、母親も呆れる位にノーテンキで、勉強だけの先生で、柔軟性も何もなかった。
当然イジメには無関心な先生で、母も更に呆れていた。
>> 9
そして、更にイジメはエスカレートした。
私はNさんにも、誰も帰る友達が居なく、1人で学校から帰ると、いきなり泥が飛んできた。
そして、次々に泥が飛んできて、避ける間もなく私に当たった。
中には石が入っていて、目に当たり、身体中に当たり、傷だらけ、目が開けられない状態だった。
そんな中家に帰ると、母がビックリして、急いで傷の手当てと共に、学校へ連絡した。
しかし、担任は、若い。
手の打ち様がなく、1週間程、泥だらけで帰る事になった。
そこで、私が自分でもう自分の身を守るしかないと思い、嘘泣きをした。
それ以来、泥は投げて来なくなったが、目のオカシイのは社会人になるまで治らなかった。
>> 10
そして、家庭でも酷い状態だった。
ある日、洗面所から、父が私に叫びました。
「愛!!お兄ちゃん呼んできてくれ!ちょっとお母さんがヤバイから」と言われ、兄を呼びました。
この頃、兄は中学生でした。
「お母さん!何やってんだよ!」と兄がドアを開けた瞬間、私は絶句しました。
母が父を刺そうと、包丁を持ち、父が入っている風呂の入り口に居ました。
兄が必死で止めて、無理矢理洗面所の出口まで運びました。
母が狂い出し、大切にしていた祖母の写真を投げ出し、植木や家具も倒し、暴れ始めた。
私は現実を受け止める事が出来なかった。
ポカーンとしていたが、兄が必死で母を止めた。
「そんな事しても、何の解決にもならないだろ!?」と兄は叫んだ。
「座りなさい!」と父が怒鳴り、母が数分後、座った。
ギャンブル依存症は、病気だ。
恐らく、父はそれを制御出来なかったと私は思う。
この頃、数百万のサラ金があり、母が連帯保証人になっていたために、母は働き、家事もやっていた。
ストレスが母を狂わせたと私はあの時、ボンヤリと思っていた。
>> 11
そして、近所の登校班も、かつて森の探検などをしていた人も、新しい友達が入学してきて、いくらこっちが「遊ぼうよ」と言っても断ってきた。
母に言うと、「何も出来ない貴女をバカにしてるのよ!友達の縁を切りなさい!」と強く言われた。
誰も私を受け入れてくれる人が居なかった。
そして、小学4年になった。
登校班を変えて、空手の黒帯のかっこ良く、私はそこにしてもらったが、とんでもない親子だった。
そして、担任も変わり、更に評判の悪い先生となった。
先ずは登校班から。
その黒帯の班長は、初めは良かったが、毎日の様に私の腹部に蹴りを入れられた。
酷い時は、立てなくなる位に激痛となった。
そして、更に最悪な事が……。
その班長の両親は、登校班の連絡事を、私の家には教えず、家を完全にハブにした。
母は黙って様子を見ていたが、キツイ仕事と家事で、心に余裕がなく、成人した姉に愚痴っていた。
そう、その班長の両親は、父がギャンブル依存症で、母の稼ぎで食べている事を知り、わざとハブにした。
更に、担任の、今で言うパワハラが酷かった。
毎日、居残り勉強をさせられ、「早くやれよ!!」と、怒鳴られていた。
そして、頼る人も居なかった私は、前の班長のクラスまで行き、友達と帰っているその班長の後ろに、下を向きながら帰っていった。
>> 12
そして、母がついに動いた。
余りにその班長の暴力が酷く、母は、副班長の親と連絡を取り、完全にその班長の家庭をハブに仕返しした。
私は穏やかな登校班で、毎日が楽になった。
しかし、イジメは更に酷くなり、「桜井菌がうつる。触ると病気になる」とまで噂が広がっていた。
時は流れ、小学5年になるかならないかの時だった。
私は、眉毛、まつ毛を抜き初め、快感になっていった。
専門家が云うには、チック症病と言うらしく、精神病の1つだった。
やがて、眉毛、まつ毛がなくなり、母が言った。
「愛がオカシイ。病院に行きましょう」と。
そして、私立病院に行ったが、母は私の細かい所が解らず、案内の人に言われた。
「それは、勝手に抜けるの?それとも、自分で抜いてしまうの?」と。
怖くて本当の事が言えず、「勝手に抜けます」と嘘をついた。
母は精神疾患を「キチガイ」と偏見があった為に、本当の事が言えなかった。
しかし、皮膚科の医者は見事に見抜いた。
「愛情欠落です。この様な事にはならないように、親指から中指までガーゼで縛りましょう。そうすれば、回避出来ますよ」と。
私は指を縛られ、何も出来なくなった。
今でもまつ毛を抜く、髪を抜く癖は残っている。
- << 18 私が小学5年になった頃。 家庭でも異変は起きていた。 父が例の愛人と駆け落ちをしようとした。 母は、もう技術者として私達を養っていけるだけの収入はあったので、父を家に残し、母と私達子供の家を見つけ、4人で暮らしていた。 そこで、私達の前の家は平屋で、かなり年期の入った家でしたので、学校中の男子から、「貧乏人!2階建てじゃない!」と散々バカにされ、母には、2階建ての家を探して欲しいと言うと、ちゃんと母は2階建ての家を見つけてくれた。 しかし、引っ越してから3ヶ月後。 父と愛人は破局し、父は情けない事に、独り暮らしは出来なかった。 そこで起こした行為は、自殺未遂だった。 ガスをひねり、意識不明の状態になり、母が父を引き取った。 しかし、母の弟子は母には強く言った。 「あんな奴なんか死なせれば良い!」と。 私は当時はそうだと思っていた。 父のギャンブルはまだ続いていた。
>> 13
そして、母がついに動いた。
余りにその班長の暴力が酷く、母は、副班長の親と連絡を取り、完全にその班長の家庭をハブに仕返しした。
私は…
私が小学5年になった頃。
家庭でも異変は起きていた。
父が例の愛人と駆け落ちをしようとした。
母は、もう技術者として私達を養っていけるだけの収入はあったので、父を家に残し、母と私達子供の家を見つけ、4人で暮らしていた。
そこで、私達の前の家は平屋で、かなり年期の入った家でしたので、学校中の男子から、「貧乏人!2階建てじゃない!」と散々バカにされ、母には、2階建ての家を探して欲しいと言うと、ちゃんと母は2階建ての家を見つけてくれた。
しかし、引っ越してから3ヶ月後。
父と愛人は破局し、父は情けない事に、独り暮らしは出来なかった。
そこで起こした行為は、自殺未遂だった。
ガスをひねり、意識不明の状態になり、母が父を引き取った。
しかし、母の弟子は母には強く言った。
「あんな奴なんか死なせれば良い!」と。
私は当時はそうだと思っていた。
父のギャンブルはまだ続いていた。
>> 18
更に学校でも異変は起きていた。
新しくなった担任は、保護者から良く見て貰いたく、学校にお菓子は自由に持ち出して良く、席替えも友達と自由になった。
そして、クラス替えでも、私は全く変わった環境になる。
更に、その担任は私達の前ではこう言った。
「薔薇色の人生を送りましょう。灰色の人生は送らないように」と。
母は、その担任を怒鳴り付けた。
「灰色の人生を救うのが担任じゃないのか!?」と。
それ以来、先生は、薔薇色人生とは言わなくなった。
そして、私のイジメは男子が私の席を数人で蹴り飛ばしたり、新しい文具はメチャクチャにされたりと、散々だった。
そして、更に、もう一人の男子がイジメの対象となった。
その男子がターゲットとなり、私のイジメは軽くなった。
その男子は上手く物事を口には出さず、必死で勉強をしていた。
しかし、泣くと耳、手や顔が異常な程赤くなり、男子に反抗する事から、「反抗心」とアダ名を付けられた。
何回も暴力沙汰になり、私とその男子は一緒の席にさせられ、男子から笑われていた。
やがて、担任が、そのイジメられ、反抗する男子を、「気にするな!何時までそんな態度でいるんだ!?」と言われ、平手打ちを数発喰らった。
顔に手跡が残る位に叩かれ、私の隣でワンワン泣いていた。
そして、その男子は転校した。
>> 19
更に、イジメが続いていた。
学校から帰って、ゆっくりして、ついでに窓から外を眺めたらビックリした。
男子生徒約20名程家の前にいた。
私の家を見にきた。
貧乏人がどんな家に引っ越したのか、見にきた。
私は慌てて母に言うと、母は、「愛は2階に行ってなさい。お母さんに任せて」と言い、私は2階に逃げた。
そして、母は男子に怒鳴り付けた。
「人の家だけを見て、それが貧乏人!?貴方達は、貧乏人だけで人を判断するの!!」等、散々男子に怒鳴り付けた。
流石に男子生徒は、落ち込み始めていた。
そして母は言った。
「反省出来た?なら、お家に上がりなさい。お菓子ご馳走するから」と、優しい言葉に変わり、和んだ。
しかし、男子は母から貰う菓子目当てで数回来ていたが、この頃、母は私の事を労るどころか、逆に怒られる日が続いていた。
男子が母を味方につけたのだった。
>> 20
やがて、小学校6年になった。
この頃から転機が訪れた。
担任は、5年と同じだったが、その担任が動いた。
学級委員の女子が、私にやたらと仲良くしたいと言ってきた。
私は素直に嬉しく、一緒に楽しく遊んでいる内に、3人程友達が出来て、私は数年ぶりに学校が楽しいと感じた。
休みの日になれば、ケーキやクレープを作ったり、その学級委員の女子とは交換日記をしていた。
しかし、母は私とその女子との仲を酷く怒っていた。
「この字を見てごらんなさい!貴女とその女の子。圧倒的に貴女の方が幼稚よね!?同情される位なら、愛!貴女は1人で居なさい!」と、交換日記を読んで、ノートを開いた状態で叩き付けられた。
同情って何?
私は意味が解らなかったが、母はこう言った。
「O型なんてロクでもない。今に貴女は裏切られるわよ!」と。
私は、またか……と思い、母の言うことは無視していた。
私のグループで、転入生が入り、仲良くしていて、その転入生も明るく楽しく学校生活を送っていた。
>> 21
そして、更に事態は好転した。
兄がファミコンが好きで、私も好きで、当時はドラクエ3を2人でやっていたが、兄はこの頃からゲームの才能に華を咲かせていた。
そこのキャラを全て最強にしていたりしていた。
今では電気工事1種を持っている。
高圧電流も工場出来る程になっている。
そこで、偶然にもラスボスが逃げた……という異例の事態になり、兄がビックリして私を呼んだ。
私は早速幼稚園並みの字で、ハガキにその事を書き、ファミコン雑誌の編集部にその事を送った。
2ヶ月後。
字が汚かった為に、ハガキが載ることはなかったが、しかし、内容は掲載され、私のペンネームも掲載され、私の間違いがなければ、ドラクエの制作スタッフが、コメントをしていた!
正直驚いていた。
それだけじゃなかった。
ある、イラストコンテストが余りにも気になり、美術部6年入っていた姉からイラストを習い始めた。
それ以来、一生懸命練習していた。
そこのイラストコンテストで華を咲かせる事はなかったが、その努力が二十歳になって実り、ある新聞で取材された同人誌の扉のイラストは私の描いた物となった。
今では薬で画力は落ちたが、高校生の頃は、ノートにイラストを描いてくれと頼まれる位になっていた。
>> 22
しかし、クラスの中では異変が起きていた。
1人の女子が親衛隊をつけ始め、クラスの女子1人1人をターゲットにして、集団で1人の女子に暴言を吐いていた。
担任も甘かったので、平気で女子を資料室へ行く事を許可していた。
しかし、私は資料室で遊んでいた。
他も何人か遊んでいたので、一緒になっていた。
更に、そのターゲットは私にもまわってきた。
私は男子に散々イジメられていたので、言われても全然平気だった。
しかし、男子は私の机を足で蹴られたりしていて、クラス中から私はイジメられた。
私は流石に辛くなって、母に言った。
すると、母は言った。
「学校へ行くのを辞めさせる」と。
私は不登校となった。
>> 23
不登校より、少し前になる。
私は、当時は漫画を描いていた。
しかし、上手く表現が出来なかった。
そこで、私の隣の席の子が言った。
「桜井さんみたいに絵が描けないから、小説を書いてるよ」と。
ハッと思った。
そうだ!そうなんだ……漫画がダメなら、小説を書けば良い!!
色々アイディアが一気に浮かんだ。
丁度、友達から貰ったノートがあったので、それで書いた。
当時は、当時夢見ていた、憧れていた家庭の生活、そして、イジメを利用して、そこから起こる内乱を書いた。
早く云ってしまえば、FINAL FANTASY2の内容をオリジナルに近いモノに少し変えて書いていた。
主人公は人間だが、皇帝の魔法で猫にされてしまい、人間の言葉が話せない。
そこである男性白魔術師に助けられ、彼は本当はその猫が人間である事が解っていたので、主人公はその男性に甘えていた。
これは、今考えると、いくら私が親に言っても解って貰えず、中々上手くいかない……それを言葉の喋れない猫にした。
そして、本当の理想の母親は優しい母親をイメージして変形させたのが、その白魔術師の男性だった。
それは、不登校した時でも書いていて、深夜の4時まで書いていて、1週間足らずで書き終えて、更に2部へと書いていた。
>> 24
不登校中。
ある日、外がやたらと騒がしかったので、2階から窓を開けて玄関口を見ると、クラスの女子殆どが来ていた。
私は驚き、1階へ下りて、仕事をしている母に言った。
母は、「愛、2階へ行きなさい」と言い、私は2階の窓から見ていた。
母が出て、母に女子生徒は一斉に総攻撃をした。
しかし、母は毅然として、バシッと言うと女子達は一斉に黙った。
母は笑って言った。
「主犯を連れて来なさい」と。
次の日。
主犯と3人の親衛隊が家に来た。
しかし、攻撃するどころか、4人は母の話を聞いていた。
そして、母は言った。
「良い?ゴムをピーンと伸ばすと、切れて、痛い想いをするよね?でも、緩めると、切れないし、痛い想いをしなくて済むでしょ?貴女方のやり方は、ゴムをピーンと張った状態なの。かなり難しい事を言えば、柔軟性を持ちなさい……って言いたいのよ。解る?難しいかな?」と。
しかし、主犯は頷いた。
「解ります。お母さんの言っている事は正しいと思います。すいませんでした」と謝って帰った。
私はヒヤヒヤして見ていたが、事態が良くなったと思い、急に学校へ行きたくなった。
「お母さん!学校へ行きたい!」と私は初めて言った。
しかし、母は首をふった。
「駄目よ。愛の眉毛、まつ毛が綺麗に生えるようになるまでは禁止です」と言われた。
私は不登校生活を続けていた。
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中間管理職です。私が悪いのですが、腹が立つので聞いてもらいたいです。 新入社員の部下が試用期間が終…
14レス 434HIT おしゃべり好きさん (30代 女性 ) -
言い方とか、誹謗中傷等したりはやめて下さい。原因はなんだろね
腰痛になり整骨院通い始めたんだけど 相変わらず、行けばまぁ治るんだけど休みの日(病院が休み、自分も…
30レス 542HIT 聞いてほしいさん -
ひねくれてますか?
母親から愛情を受けずに育ちました。 日常生活はめちゃくちゃ、人間関係を築けず、で大人になりました。…
24レス 892HIT 心の病気さん -
私の人生観、おかしいですか?(長いです)
30歳を過ぎ、自分の考えに疑問に思うことが増えたので、聞いていただきたいです。 私は20歳を過…
15レス 439HIT 相談したいさん - もっと見る