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神社仏閣珍道中・改

神社仏閣珍道中・改

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旅人
20/03/09 08:54(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。







No.2796560 19/02/13 05:40(スレ作成日時)

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No.401 19/12/30 04:18
旅人 

結婚以来、ずっと夫の実家のいうがままに元旦には必ず行く、2日も3日も呼び出されたら必ず行く、┉といった悪しき慣習が出来上がっています。それをもう変えてもいいのではないかと。わが家自体が実家になった今、行けるときに行くでよいのではないかと、一年かけて夫に提唱して参りました。
義母は今はもう施設に入り、義姉の来られる都合にあわせ、義母を空き家(留守宅?)となっている義実家に連れていきそこで宿泊する、といった形に変化している。義姉が滞在中、それに合わせて呼び出されたら行く、といったものになっているのはどうかと。
義兄は自分のサークルの集まりがあればそちらを優先するし、娘が帰京すればそれを優先しているのに、なぜうちは(夫は)今まで通りに予定を組めず待機しなくてはならないのだと、長年の不満を変革していこうと思っての妻の抵抗でした。
予定を組んでしまえばいい!
二年参りはどうだ。
義姉一家が義母と水入らずの時間をもっていくのだっていいのではないか。
そこに義兄がどうからもうと、わが家の正月をつくっていきたい。

元旦が休みでない子供もいて、元旦しか休みでない子供がいて、わが家自体がみんなで集まることができない正月ではあるけれど、せっかく一日しかない休みをわが家に顔を出してくれているというのに、義実家最優先はもうやめたい、というのが本音です。私が行かないでもいいのではないか?それは角がたつ? そして顔を出せばあがって少しゆっくりして行けば?となり、結局宴会となり、洗い物までして帰宅することになる。結局、今まで通りになってしまう。
義実家が実家となった頃、義親たちはどうだったか?
お年始回りでいない時間帯あり、ショッピングでいない時間帯あり、それを留守番する係としての私たち夫婦の役割が確立していき、今にいたっていたのだなあ。
私の実家に行っていようと呼び出しがあれば(┉携帯電話もない時代に私の実家に電話してくること自体がそもそも凄まじい支配だ)夫は脱け出して自分の実家へと行くことすらありました。不満もたまるものです。義兄の元妻は、暮れから自分の実家に泊まり込み、暮れと正月の挨拶にすら来ないというのに。

さあ、令和初めての正月。
わが家の正月のスタートですよ~。
┉なれ!

No.402 20/01/03 05:30
旅人 

元旦に、近所の神社に初詣をし、花を携えて両家の先祖代々が眠るお墓参りをして参りました。ここまではもう何年か(夫は一昨年から)続けてきたことであります。 
今年は、元旦家にいた子供たちと初詣に参ることができました。
そう、ごく普通のお正月の風景であります。それがようやく形となった、結婚して三十四年目でありました。


夫は実家にいたときの習慣をずっとここまで引きずっていました。
姉や兄はそれぞれの家庭に合わせた形に変えてのお正月を早くから確立して、それがすでに当たり前のお正月の風景となっていたというのに。
結婚前、家族でお酒を飲みかわしながら【紅白】を観て、【ゆく年くる年】を観ながら明けましておめでとうを言い、眠くなったものから寝ていく。目が覚めたらおせちを食べ、その後は親がお年始まわりをするのについて歩ったり、友だちと出かけたりしたのち、家族揃っておせちをいただく。
それを自分の家庭を築いてからも実家に合わせてのスタイルをずっと今まで続けてきた人であります。
三、四年前まではたった一人自室で【紅白】を観ながらたった一人でお酒を飲み、新年を迎えた時がくると「明けましておめでとう」とだけ言いにきて、「寝ます」と宣言して自室に戻るということをくりかえして。知っている歌手の方が少ないかもと言いながら┉。

私は┉夕飯要らないと早くから友だちと出掛ける子供があったり、その成長成長で個々いろいろな動きをする子供たちに合わせながら、新年を迎える準備の最終仕上げをしつつ。
一人減り二人減りしていく子供たちではありましたが、最近はずっと【ガキの使いやあらへんで】を観ながら、お菓子を食べたり、ジュースや缶チューハイを飲み、笑ってガキつかが終わると明けましておめでとうを言って自由解散するというパターンに定着しておりました。

夫は朝、おせちを食べると実家に向かう準備に取りかかり、初詣もお墓参りもなにもしない、元旦はずっと実家で過ごす。たとえそれが実家の留守番でしかなくても。
その流れによっては二日も実家に入り浸り、三日はうちの実家に出向くけれど、早々に抜けて自分の足で実家の親の年始まわりの運転手を務めたり。
ずっと形こそ変われど、夫は実家に共依存しておりました。

まあ、私の不満はたまに大噴火しておりましたが。


わが家なりのお正月の過ごし方があってもいいだろう。

No.403 20/01/03 06:29
旅人 

このところずっと、元旦は雲ひとつない静かな穏やかな年が続いております。今年も同じように、青い空がひろがっておりました。
仏さまやご先祖が、空の上から見守ってくださっているような清んだ空であります。

何年か前、「正月にお墓参りするなんて聞いたこともない!」と豪語したことなどすっかり忘れたように、神妙な面持ちで手を合わせる夫の横顔をみて、思わず小さく笑ってしまう私でありました。
今年も、両方のお寺さんは家族でお墓参りをされる方々で賑わいをみせておりました。ここは私どものお寺さんではないけれど、子供たちとこんなお正月を過ごして来たかったなと思わずにいられない光景であります。
去年はすっかり花のことを忘れて、どこのスーパーも花屋さんも開いておらず、花のないさびしいお墓のお参りにしてしまったので、今年はそれだけは避けねばと暮れの買い出しに一番にカートに入れました。
今年はお線香が残りわずかだったというオチはありましたが、なんとか間に合い、帰宅後すぐに補充いたしました。


反逆者となったような気分で、『わが家の、わが家なりの正月』『実家としてのわが家』の確立を試みた令和初めての正月。
お墓参りを済ませて、なんだかそんな気持ちが薄れていることに気づきました。頑固爺だった舅が「そうあるべき」、と背中をおしてくれたのかなぁ。もちろんそれは私にとって勝手によい解釈をしたに過ぎませんが。(^_^;)


わが家の確立は結婚三十四年目にして、まだまだこれから。
新たな時代、変化している時代に合わせて、私たちなりのわが家を確立して次世代に渡していくこと。
すでに固定していることもまずは破っていくことにもなりますが、次世代の子供たちによい形でバトンを渡したい、渡すために、頑張っていかねばならないことであります。



No.404 20/01/04 05:54
旅人 

息子二人と夫と私で、初詣に向かったさきは、群馬県前橋市の【三夜沢赤城神社】さん。一人暮らししている息子はこちらへは何度かお詣りに訪れているのだとか。ふとした拍子に新たな一面が見られるものです。

そこにはいつもと趣の異なる、風景が┉。さすがパワースポットとして有名な神社さんでありました。
信じられないくらいの場所からの渋滞でありました。しかもまるで微動だにしない。
運転手を務めてくれた息子と助手席の息子が、「さっき通りすぎてきた駐車場に入ればよかったかな」とポツリ。うかつな私は当然ながらそんな駐車場など目にもはいっておりませんでした。
「あ、なんとかあそこでUターンできるかも」
「いや、Uターンしなくても道自体は繋がっているから、そのまま抜けられそうだよ」
運転席と助手席の息子たちが話しています。助手席の息子は渋滞を見るや、即座にiPhoneで地図を出して周囲の道を検索していたようです。阿吽の呼吸だな。

細い細い道を進めて行くと、! そこは急なカーブをなして曲がる、さらに細い、通常は人のためだけに使われているだろうような細い道であります。しかも片側には天然の小さな小さな川が! 軽自動車一台やっとの車幅の未舗装の道で、サイドの川は自然なまま、昔ながらの土の道にそのまま川が流れているといったもの、ガードレールはおろか被いすらありません。
「無理だよ、やめておこう」
三人が異口同音に話しかけるなか、
「いや、大丈夫だろ、行ける行ける!」 !!(゜ロ゜ノ)ノ
ちなみにこの車、彼はこの日二度目の運転で、彼の愛車とは車高も車幅も全く異なる、親のものなのであります。へ?
ひょいひょいひょいといとも簡単そうにハンドルを操って、あっという間にその道に入って、あっという間その道を走り抜け、あっという間にショートカットして元来た道に出たのでありました。

私にはもはや神業。いや、夫からも感嘆の声。
さすが幼少の頃から車好きだった息子で┉関係あるかどうかはとにかく、車が好きで好きで、走ることはもちろん、メンテナンスにいたるまで自分で手がけるお人であります。m(_ _)m


問題はあの混雑ぶり。この駐車場までいっぱいなこともありえます。
しかしそこは問題なく停めることができました。







No.406 20/01/06 04:58
旅人 

【三夜沢赤城神社】さんは、たいへん水の豊かな、そして緑豊かな、静かな神社さんであります。
しかし、さすがにお元日の初詣。前述したように、初詣渋滞を起こすほどで、普段の静けさはどこへやら、鳥居の外には何軒かの屋台が並んでおります。

こちらの神社さんの特記すべきは手水舎。豊かな御神水でできた、いつ行っても水位の変わらない神池にせり出すように建てられているのです。池の水は本当に澄んだもので、池を囲んだ常緑でしかもいつの季節も新緑のような美しい緑の木々をその水面に映しており、大変幻想的な、それはそれは美しいものなのであります。
そちらで柄杓を使うとき、神さまにお水をお分けいただいているように感じるくらい、本当に神々しいものです。ですがさすがに、この日のその手水舎にできた長蛇の列では、いつもの雰囲気は味わうことはできなかったです。

それでも、この時間帯は空いているはずなのであります。なぜなら、十二時から催されていたお神楽が終え、さらにこの日この時間帯には、ニューイヤー駅伝が行われているから(?)

拝殿に向かう石段はさほど混雑しておらず、拝殿前もほんの少し並べば済みそうです。そして┉不思議と私の後ろに列はできず、ゆっくりと参拝することができました。

参拝を終え、本殿脇に向かいます。不可能でない限り、私たちの珍道中では暗黙の了解となっており、どちらともなく自然とそちらに足が向かいます。普段一緒に来ない子供たちも、何度か一緒に珍道中に同行するうちに私どもが次に向かう先がわかっているようで、自然についてまいります。

参拝後本殿の造りを見させていただいたり、神社さんによっては本殿裏に裏神さまがおられるのでそちらの参拝をするためなのですが┉。今回ふと本殿裏のさらなる山の上に目をやると、立入禁止の貼り紙があり、山の斜面に無数の小さなお社があるのが見えました。真の神域ということなのでしょう。
目にしてしまったことすら申し訳なく思えて、私は静かに頭を下げてその場を去りました。

この日もさらさらと音をたて、神水が境内の人の歩かない辺りを流れる音が聞こえます。神水をお分けいただいく場ではざーざーと音をたて勢いよく水が流れ続けております。

人々が多く訪れようと、静かな日であろうと┉神さまは変わらずに土地を人々をお護りくださっておられました。



         令和二年 元旦

No.407 20/01/06 06:04
旅人 

参拝できる限り参拝させていただいている、栃木県足利市の【大岩山最勝寺毘沙門天堂】さんに参拝いたしました。

こちら本坊まではなんとか私一人でも行けるのですが、毘沙門天本堂は、本堂を過ぎてから細い細い┉対向車が来たらすれ違うことが困難な箇所がほとんどというカーブの連続する山道を数キロ登っていく、という場所にありまして。さながらテレビの『ポツンと一軒家』に向かう道のような道を走るため、ただでさえ運転技術に自信のない私には、連れていっていただいてはじめて参拝できるといったお寺さんなのであります。
今回も、本堂は連れていっていただいくにもかかわらず、まるでそうすることが当たり前、のような自分に内心反省しながらも、夫に運転させて(!)の参拝であります。(┉反省)

途中、大晦日に年中恒例行事として行われている【大声コンクール】の会場のあとが残っておりました。こちらはどちらかというとあと付けされたもので、本来の年中行事として伝承されているのは【悪態祭り】であります。江戸の時代からのもので、一年間溜めた鬱憤を大声を出して払い出しながら山道を歩いて本堂に向かい、よい年を迎える、といった行事のようであります。実はまさにこの悪態祭りに参加し年越しをさせていただきたくて計画を練っておりましたのでありましたが、昨年末に限って寒波と強風となり、さらには子供の晴れ着の着付けという重大任務をおおせつけられたため、いともあっさり諦めてしまったという経緯があったのですが┉。
悪態祭りに引き続き行われるのが滝流しの行と言われ、大盃を口につけて座り、その目の前に立たれた御住職さまが盃にお酒を滝のように注ぎ続けるといった行事が行われ、早朝まだ日の昇らないうちの五時半から御護摩修行が行われるという長い長い二年参りになるのがこちらの最勝寺さんの年越しの行事であります。
今年こそ!と年明け間もなく心に思うのでありましたが┉(^_^;)

年明け三日間はさらに初詣の人々のために回数を増やして御護摩を焚いてくださっておられます。息をつく暇もないように思われますが、境内にたまたまおられました御住職さまはいつもと変わらない笑顔でお迎えくださって、御丁寧なご挨拶を頂戴いたしました。
まさに日ごろの修行のたまものにありましょう。
心から信頼し尊敬しているお方です。


心躍る思いを鎮めながら本堂の階段を昇ります。




No.408 20/01/07 23:06
旅人 

いつもと変わらない本堂。
いつもと違うのは、副住職が居られないこと。御住職には三人の息子さんがおられるので、今日は一番下の息子さん、でしょうか。若いお坊さまが護摩壇を整えておられます。
こちらのお寺さんは真言宗豊山派。黒の空衣=うつおと呼ばれる法衣をお召しになり、護摩壇の支度が整うと五条袈裟(ごじょうけさ)と呼ばれる袈裟をかけました。そしていつもは山伏姿の副住職がお打ちになる戸口の側の柱に吊り下げられた鐘を鳴らされます。最初はゆっくりと、徐々に早く、それを繰り返すと、堂内の灯りがうす暗くされ、法螺貝を吹く音が近づいてまいります。いつもとは異なりご本尊の真正面の障子を開けて、御住職さまの入場です。

御住職さまは紫の空衣に、首もとには白いマフラーのような布を衿に沿うようにお付けになっておられます。僧網襟と呼ばれるもののようです。やはり五条袈裟をかけ、空衣の下には裳を着け、指貫=さしぬきと呼ばれる袴を裳の下に履いておられます。
これが真言宗の僧侶の装束のようです。たしかに宗派によって、だったかまではわかってはおりませんでしたが、装束に違いがあることは気づいておりました。知れば知るほど逆に奥が深く、いつまでも初心者の域を出ることができない気がいたします。

護摩壇の前に少し高めの高さの座壇が設けられています。そこに伏すように礼を三回なされたあと、若いお坊さまが後ろから裳を整えて席に着かれ、御護摩の始まりとなります。

ついついみとれてしまうのが、まだ珍道中の域にいる私。
御数珠の使い方一つにしてもいく通りもいく通りもあって、数珠を棒のような法具で掻き鳴らしたり、折り畳みおしいだいたり、両の手に持ち擦り合わせたり、珠の一つ一つをいとおしむように触れて百八つを回したり┉。
真言を唱えながら次々と手印を組み、袖の中で組むこともあり。
かなりの長い時間にわたって行われる護摩修行、経本をご覧になることはなく、ほぼずっと読経されたり、真言を唱えたりなされておられます。こちらの御護摩修行ではもうひと方の僧侶は途中で護摩壇横から護摩壇に向かって九字切りをされます。

流れるように行が行われるのは、毎日毎日朝の五時からなんキロも離れた本坊からお山を登って、御護摩を焚いて修行されておられるから。
御護摩の焔は天井近くまで火の粉を舞いあげて、あたりを浄めます。

No.409 20/01/08 05:27
旅人 

大岩山毘沙門天さまの新春の御護摩修行は、月に一度の御開帳のときよりもさらに回数を増やしてくださっておられます。そのせいでなのか、いつものものとは少し異なっており、参列した者が一緒に錫杖経や般若心経を読経するべく経の書かれた紙が用意されてはおりませんでした。
当然ながら書かれたものをようやく読んで読経している私はただただ聞いているしかできない。最近はお寺さんを訪ねるときはほぼ携帯するようになっていた般若心経の書かれた小冊子も、今日はあえて置いてきてしまって┉。つたない読経ですが、本堂でご本尊さまに向けての読経はまた格別なものであり、少し残念に思いながら読経に耳を傾けていると┉(゜ロ゜)!
錫杖経をご一緒に御唱えになっておられる女性の声が聞こえます。錫杖経はそれなりに長いものでありますのに、信心されている信者さんは、そらで御唱えすることができるものなのだなぁ。
般若心経は何人かがそらで御唱えされておりました。仏教に帰依したというわけでないといえ、最近においては心の拠り所ともなってもおり、もう少しだけ、努力したいと思った私でありました。まぁ、読経ですら、いまだにつかえつかえなので、せめて般若心経の書かれた小冊子は必ず携帯しようと思ったのでありました。


御護摩を終えて、最近気に入って使っているこちらのお線香をお譲りいただき帰宅の途につくと間もなく功徳があり、娘が今から自宅に来るという朗報が飛び込んでまいりました。言い換えると相も変わらず子離れできない母、という未熟な私、という事実が浮き彫りになっただけでありますが┉娘に会えるのがうれしいのはどんな母も同じでしょう。
ありがたいご利益であります。
こちらの毘沙門天さまは、奥がたの吉祥天さまとご長男の善膩師童子さまとでお祀りされておられ、ご家族の絆を感じさせる三尊像であられます。どうか、私どもの家族が絆を深めたよい年でありますように。



        令和二年 一月三日

No.410 20/01/09 21:03
旅人 

お正月三が日も終え、神社仏閣巡り珍道中の本格的始動のときです。

私は、体調が悪いときでも、そこに着くと、先ほどのだるさ、先ほどまでの痛みはどこへいったのだろう、という、まさに魔法のような、私にとってありがたい土地があります。それが、輪王寺、日光東照宮の、その広い意味での?┉中くらいの意味での境内。市営駐車場からの階段を登りきったあたりからのところであります。
いざ、日光へ! 

遠足にいく子供のようにワクワクしている私とは明らかにテンションの異なる夫は、約束の時刻を過ぎても起きてこない。えっ?┉体調でも悪いのかなぁ?夫の寝室の襖をガラッと開けて、「もう、七時過ぎたんだけど、体調でも悪いの?」┉妻は具合ではなく、確実に機嫌が悪いです。がばっ!!!夫はすごい勢いで飛び起きました。

「そんなに早く行くと思ってなかったんだよ」
は?
「八時に開くって言ったよねっ!私、開くと同時に入場して、その日なん体かしか授与することかできないっていう御守りをお受けしたいって言ってたよね」
「わかった悪かったよ、でもそんなこと言ってる間に、一刻でも早くご飯食べてでかけようよ」 (; ・`ω・´)

新年そうそう、朝の早い時間帯、よりにもよって神社仏閣に向かうというのに┉。

No.411 20/01/10 06:42
旅人 

夫の寝坊、だと知って、私の怒りはあらためて炎上しつつあるというのに、「聞いてないよ」だの「いいから早く食べてでかけようよ」とのたまう夫。もちろん、そこは未熟にして修行の足らない私の怒りはさらにヒートアップする、という悪循環に、彼はいつになったら気づくのか(´_`。)゙ おそらくは一生涯このままな二人?
いやいや、それを直していくための神社仏閣珍道中であります。
とりあえず、しゃべらないで!自分に都合のいいように話を持っていくな!ひーひーふぅ、ひーひーふぅ。

なんだかんだと支度をし、┉とはいっても私はすでに、食事以外の準備は、保温ボトルにコーヒーをおとしてあるくらいに準備ばんたんなので、ひーひーふぅと食後のお茶を飲んで、怒りを鎮め、心を整え┉ま、なかなかこの行、私には難しいのですがね(^-^;
なんだかんだと出発です。すっかり昇っているお日さまに、三たび夫にイラッとしそうな気持ちを抑えて、助手席にどすんと座りこむ私でありました。


うーん、風もなく穏やかな一日でありそうです。

┉風もなく穏やかな┉だったのはある曲がり角を曲がるまで。曲がり角を曲がり、川沿いの道を走り出したと同時に、細かい白い小さな物がちらほらフロントガラスに向かって舞っています。?┉なに?
えっ?まさかの雪~っ?
さらに進むと道こそは路面が濡れているくらいですが、道沿いに枝をひろげる木々の枝にはうっすら白い物が飾られており、さらに進むともうそこは雪景色。フロントガラスに向かって舞っているのは雪だと、誰もがわかるレベルのふりかたに変わりました。
「この路面なら大丈夫でしょ。早く行って早く帰るようにすれば大丈夫」と夫。そ、そうかぁ?明日から仕事だよ?なにかあったら大変です。何年か前の関東に降った大雪で高速道路から閉め出しをくらい、その影響で大渋滞した道路で、何時間も何時間も同じ路上にずっと停車せざるをえなかった過去を持つものとしては、降りだした雪に不安しかありません。二十四時間かけてもまるで自宅はおろか、地元にすら戻れず、車中から仕事先に休ませてくださいと電話した苦い過去。
雪国の方からみたら、鼻で笑うくらいの積雪でありました。雪に不慣れな地方の泣き所であります。



No.413 20/01/10 19:17
旅人 

窓の外は完璧な雪景色となりながらも、路面はあくまでも濡れている程度。これならば、と内心思いながらも、「今日無理をおしてまでの参拝を神さまも仏さまも望んではおられないから、少しでも無理だと思ったらすぐに引き返すんだよ」
┉はい、助手席で威張っているかわいげのかけらもないおばさんであります。今年の目標、[女子力をつける]にしようかな (^_^;)

それでも道路はずっとウエットな路面のまま。ただ、対向車がそれなりの積雪を最低限払ったくらいの状態で走って来ます。あたりは幻想的な風景となっています。ほうっ❤、と思ったのもつかの間。!シャーベット状態の路面が。
「じゃあ、そろそろUターンしようかね?」と私。
「俺もそう思ったとこ」と夫。

┉実際にUターンをし、かなりの距離戻りかけて夫が、「やっぱり、行けちゃう気がする」
?┉対向車にライバル心でも抱いたのか?日光は大雪注意報が出ています。でも、実はこう言い出したときの夫は結構な頑固者。そこは多少なりとも取扱いを学習している私は、「じゃあ行ってみれば?また無理だと思ったらまた戻るのもありだから」と述べて、彼におまかせ。だって助手席の女に過ぎないのだから(^_^;)

もう、すでに本降り、ボタン雪。先ほどのシャーベット状態の路面の箇所を再び通り抜け、日光を目指します。

もう駐車場はいっぱいかな?

No.414 20/01/11 06:31
旅人 

日光東照宮のそばまで来ても、車はウソのようにまばらで、いつも利用する市営駐車場もがら空きな状態でありました。
信心深い方々は正月三が日中に参拝を済まされておられ、賢い方々はネットで天気予報をチェックするなどして、今日わざわざ無理をして参拝することを選択されなかった┉ということなのかもしれません。日光でも路面は湿っている程度。
夫の言うように、ポイントをしぼっての参拝をさせていただけば雪の積もる前には帰宅できそうです。

ポイントをしぼるとしたら┉
はい、除夜の鐘も虚しく煩悩のかたまりの私が求めております限定御朱印帳の授与、そして一日の授与数が限られていて10分足らずで終了してしまうという御守りの授与、であります。正直、御守り自体はもう、お寺の授与所が開いてすでに二時間近く経過しておりあきらめております。それなので御朱印帳の授与、が第一の目標、向かう先は【護摩堂】であります。

┉?いつもとは異なり、静粛にして厳かな参道に、明るい聞き慣れた音楽が流れています。ええ、たしかにお正月松の内でありますので、いつも、ではありません。が、あまりにもそぐわない賑かな歌が、エンドレスに流れています。
♪~ 福ーよ来い来い、福よ来い 年のはじめに福よ来い┉ ♪
テレビで毎年暮れにお正月は聞いている、聞き慣れた歌であります。つい最近まで神社仏閣にほぼほぼ縁のない生活を長年続けておりました私は、そもそもがこの手のCMにまるで関心がなく、┉正直、今現在にいたってもこの手のCMに興味を示すことがなくて、ともすれば嫌悪感さえ感じるくらいであります。
なんでこんな静粛な場所にこんな賑かな歌を流し続けているのだろう! と不思議に思いながらも、とりあえず、私の心は護摩堂に参拝して限定御朱印帳の授与をお受けすることにほとんどが占められておりますので、いつものように聞き流しながら濡れた参道を走るように一路護摩堂へ。

夫はとりあえずトイレに行きたいとのこと。
お参りを先に済ませるのもイヤなので、御守りや数珠を見て過ごすことにいたしました。
御朱印はお参りを済ませてから、が決まりでありますが(これも神社仏閣によっては先に御朱印帳をお預けするところがありますので、一概には言えませんが、)つい最近、御守りは先にお受けして、拝殿なり、御本堂に向かう方がよいのだと本で読んだりテレビで観て知りました。御守り┉

No.415 20/01/12 09:25
旅人 

御守りを見ることで、一日の授与数に限りのあるとネット上で知った御守りのことが、またむくむくと私の心のなかで大きくなってまいりました。
何度も参拝しておりますが、どこをお参りさせていただいてもここのどちらの授与所においてもその御守りを目にしたことはなく、だからこそ、その日に数体限定というネット上の情報に信憑性の高さを感じました。その御守りには元三大師さま=角大師さまの御札が収められているということから考えるに、それは間違いなく輪王寺さんでのお取り扱いをしていらっしゃるはず。ここ、護摩堂は輪王寺さんの御堂であります。
ただ、今日はすでに十時になろうかという時間、次回のためにどちらでお受けできるのかを伺っておくだけでも意味があると、おそるおそる授与所の方にお声をかけました。
私、「一日に何体か限定でお分かちいただけるという御守りはこちらでお受けできるのですか?」
係の方「御守り┉ですか?どのようなものでしょう、御守りはこちらにあるものだけなのですが」
私「ネットで知ったものなのですが、大きなもので、その日に数体限定でお分かちいただけるもののようで、葉のような、羽のような円形のもののようなのですが┉」
係の方「ああ、鬼門除けのことでしょうかね」と、おっしゃると同時に後ろを向いて何かを取り出す動作を!

私「そう、それです、それです!┉今日はもう、終わられてますよね┉」
「いえ、ありますよ。こちらでよろしいですか?」
私「は、はいっ!❤」
「こちら、本来はこちらの七福神の縁起扇とセットでお受けいただくのが正式なものなのですが、どうされますか?」
私「┉うーん」
私「┉そちらはとりあえずお参りをしながら考えてからでもよろしいですか?」

やったぁ!
御守り┉ではなかったけれど、長いことお受けしたかった御札をお受けすることができましたぁ。これはお正月そうそう縁起のよい❤
トイレから戻っていた夫は、飛び上がって喜びそうな妻を温かく見守っておりました。
護摩堂の中ではその七福神の縁起扇の説明をしておられました。
お目当ての御札をお分かちいただけ、さらに欲張るのもかえって良くない気がして、今回はやはりこの【鬼門除け】と呼ばれる御札だけにすることにいたしました。
護摩木に心願成就を願い、護摩堂をあとにいたしました。

もうひとつの、【限定御朱印帳】も手にいれることが叶いました。

No.416 20/01/12 18:57
旅人 

ステップをふみそうな軽やかな足取りの私は、もう帰ってもいいかの勢いでありますが、初詣、そういうものではありません。

そして┉ステップをふみそうなわりにはふと気づくとあいも変わらず境内に流れている
♪~福よ来い来い、福よ来い、年のはじめに福よ来い♪の歌が再び気にかかり出しました。
「ねぇ、なんでこの歌がここで流れているの?」と夫に聞きました。
「え?、輪王寺だから」
「は?」
「毎年毎年、テレビで流れてるじゃない。これ、輪王寺の初詣のCMで流れてる輪王寺の初詣の歌なんだけど」
「┉?!」
ああ、なるほど、納得いたしました。先ほど護摩堂で説明を受け、鬼門除けの御札とセットだと言われた七福神の扇が、福を呼び込むものだと係の方がおっしゃっておられました。その扇で♪福よ来い来いの歌ができたということか┉。

輪王寺さんはその他にも、九星気学に基づいた御守りや、生まれ年の守護仏さまの首にかける御守りなど、毎年新たな御守りをお見かけいたします。それはそれで私の首にはすでに昨年からかけられているくらいなので、それをどう信じ、どう祈るかは個々の心によるものであります。七福神の扇の御札(?)は、その歌がために私に受け入れられなかったものとなったかもしれません。


さて、どちらをお参りさせていただくのかなぁと考えていると
「東照宮をお参りさせていただく?」と夫。 へ? そ、そうなんだ。┉きっと顔に出たのでしょう、
「やっぱり、初詣だし、東照宮でしょ?次に来たときは今度こそ東照宮のお参りをさせていただこうと言ってたんだし」
そ、そうでしたそうでした。
東照宮の拝観料は┉うーん一人千三百円かぁ。今日は早く帰るって言ってたからなぁ。┉参拝に来ているくせに、拝観料をみてびびっている、根っからの貧乏人、貧乏性であります。

こちらは東照大権現さま、家康公を神として崇める神社、神域となります。家光公廟大猷院が寺院であるのと異なり、その門、東照宮表門も、┉に、仁王門?でありますが┉。?





No.417 20/01/12 23:59
旅人 

日光東照宮は、家康公の孫にあたる三代将軍家光公が建てられたものでありますので、当然江戸時代のもので、明治の世をむかえての【廃仏毀釈】以前のものでありますから、そのようなことも当然ありましょう。それでも明治時代にはいったんはこの仁王像さま、大猷院のほうに移動されていたことがあったようであります。

表門のそばには石垣があり、その石垣には阿房丸という名前まである巨石があります。
表門をくぐるとすぐに見えるのがきらびやかで立派な┉倉庫が三棟。こちらには春と秋のお祭りの際行われる千人行列の際の装束などが収められているのだとか。正倉院と同じ校倉造であります。
神厩の長押には三猿で有名な猿の物語の彫り物がめぐらされております。塗り直しをされてしばらく経ちますがそろそろもう鮮やかな色彩が落ちついてきているように思われました。
塗り直されてから三猿の御守りやマスコットなどのみやげ物がだいぶ増えました。この授与所も江戸時代の建物であり、もともとは警備の役人が詰めていた番所なのだとか。
この日は悪天候のため神馬はおらず。動物好きな私どもは少しがっくり、であります。

手水舎も豪華絢爛な立派な建築物でありまして、見上げる位置にある陽明門との調和を計ってか、白を基調としたものであります。いまはきちんと手や口を浄めるということが一般常識とされて、ほとんどの方がこちらに立ち寄って手や口を浄めてから参拝されております。
そこここに、歴史の教科書に出てくるような人物たちの名前が惜しげもなく残されております。寄進した物に名前が残されているということであるということであります。

陽明門まではあと少し、であります。

陽明門は修復から四年目くらいになりましょうか。相変わらずの人だかりであります。まさに日暮しの門、といったことなのでありましょう。遠巻きに見上げる方、近くで彫刻をじっくり眺める方、それぞれがさまざまに楽しまれておられます。
陽明門で有名なものとなった逆さの柱でもみんな集まって記念撮影をされていました。

さあ、東照宮さんの御朱印は┉?どこでありましょう。

No.418 20/01/13 05:02
旅人 

雪はいよいよ本降り。
境内に、足元注意の放送が何度か流れます。御朱印はいつもの場所で行列ができていました。整理する係の方がおられます。雪とお疲れからか無愛想でつっけんどん。まあ、なんとかパークではないのだから、そんな見事なパフォーマンスを求めているわけではないのですが、少し敵意すら感じるような対応はやはり神域である以上慎むべきかと思いました。
御朱印をお書きいただくのにほんの少し┉15分ほど待つようです。そう伝えると夫は、「じゃあその間に奥宮にお参りしてこよう」
へ?
【奥宮】ってそもそもが15分では到底往復できないでしょ?
それに┉前回、退院してから初めて昇ったこともあったけれど、すごい大変そうだった記憶しかないんだけど┉。それはいくらかは体力は戻ってるかもしれないけれど、最近また咳がひどくてつらそうなんだけど?大丈夫なの?
「大丈夫だよ。それに東照宮に来て肝腎の奥宮にお参りしなければ申し訳ない」
┉ 出た、歴オタ。そう言われれば反論できないくらいの正論でありますが┉。東照大権現さまの墓所でありますところの奥宮ってなんだかんだ直線五百メートルくらいの距離を、石段を昇って昇っていく、呼吸器の持病、足腰に持病をあわせ持つあなたには結構な難所なんじゃない?あ、でも、言い出したら聞かない、退かない。なぜならば正論であります。
左甚五郎作の国宝、【眠り猫】の彫り物の下をくぐり、門をくぐって奥宮をめざします。大きな杉の林の間を参道が続きます。傾斜も急で私自身がけっこうな息切れをして、やっとやっと昇っていきます。下りてくる対向の人に笑われそうな息の切れ方で、夫の様子など見る余裕すらありません。
ようやく、ようやく見えてきた青銅の鳥居。いろんな意味でありがたく合わせる手にも汗がにじんでおりました。今年の目標に体力向上もあげるようかも( -`Д´-;A)

青銅の鳥居の脇にはなにやらやはり、倉庫のような建物があります。鳥居正面には休憩所が❤┉、休んだらいけないと自らを律してさらに石段を昇ります。数段昇ると拝殿があります。
拝殿で手を合わせ、右回りにさらに石段を昇ります。拝殿の真後ろには【鋳抜(いぬき)門】があり、その門は当然そばによることもできない、本殿であります墓所につながっている門であります。狛犬がいたのを本で読んで知ったくらい、門にしか目がいかない重厚な見事な門であります。

No.419 20/01/13 06:37
旅人 

拝殿の横を歩をすすめますと、鋳抜門をぬけた先にはさほど広くない空間に青銅色の金属製の宝塔があります。東照宮全体の金蘭豪華なイメージからはほど遠い、厳かにしてともすれば質素な宝塔が砂利を敷いた奥に建てられております。家康公の神柩、であります。
宝塔がともすれば質素な造りであるのに反し香炉や花立の側にある鶴が若干の違和感を感じます。調べたところ、こちらは朝鮮国王の寄贈であるということでありました。雑草も苔も一切ない、聖域、神域であります。

奥宮のお参りを終え、御朱印所となっている倉庫に再び立ち寄ると、当たり前でありますが、新たな行列ができております。さて、番号札を持った私はどの様に御朱印帳を受け取れば良いのかと思案し┉出したと同時に、先ほどの係員が怒鳴りつけます。「ちゃんと並んで!」
新年そうそう、御神域で怒鳴られるのはなんとも気落ちするものであります。どう並んだらよいのかわからないほど、いくつもの窓口があり、並んでいる列さえないというのに┉。仕方がないので、少し離れて立っておりました。御朱印をこれからお受けする方も、御札をお受けする方も、御朱印帳を受け取りにきた者も、どうやら一列に並ぶということのようで、窓口には先頭からそれぞれの窓口にはけていくという方式のようです。なれば、そのようにロープを張るなり、線を引くなりしたほうがよほどわかるというもの。
列が入り乱れているのにそれは正さず、あとから来た者を怒鳴りつけて、畏縮させるだけの係員はいらないと思います。並ばないで横入りしている方に注意をされるくらいならとにかく、新年そうそういきなり怒鳴りつける方は配備しないほうがいいですよ、東照宮さん。

こうして書くことで再度の怒りを覚えておりますが、その場では神域であり、新年そうそうであり、悪天候のなか連れてきてくれた夫のために何事もなかったかのようにその場を立ち去りました。本当は塩でも撒きたいくらい、その場が、その方の繰り返し怒鳴りつける行為と私のモヤモヤする思いで穢れたかもしれませんが。そこは神職の方が大勢おられる神域でありますから、大丈夫でしょう。



さて、帰るのかな?┉ぼたん雪が降りしきります。

No.420 20/01/13 12:33
旅人 

「どうします?そろそろ帰りますか?」と内心の、係員への怒りを抑えて話すためか、いつもと異なり、丁寧で低調な私。
「奥にも上がってお参りしようよ」
えっ?早めに帰るって言ってたじゃない?┉ま、いいか。
神域は心を穏やかにするのが早いようです。

奥に┉というのは唐門の奥にあたる、回廊を通って入らせていただく拝殿であります。拝殿に上がって、巫女装束のかたに従って、二礼二拍手一礼をしたのち、石の間と呼ばれる少し下がった本殿前にあたる間でさらに拝ませていただいて、拝殿をあとにいたします。ここ、石の間は私の好きな空間であります。心が厳かになって、無になる瞬間が持てる気がするのであります。
また、冷たくて長く感じる回廊を歩いて、外にでます。あらためて唐門からお礼を申しあげ、陽明門をくぐる前に、逆さ柱を夫に伝えると気づいていなかったようで、抜ける前に気づいて伝えることができてよかったぁ。

ここまできたら、もう譲らない。
「ねぇ鳴龍の薬師堂に行くでしょ?」
えっ?と夫。どうやらひさしぶりの東照宮で、鳴龍の存在を忘れていた?というかもうすでにスタスタとそちらに向けて歩きだしている私。鳴龍はもういまは自分では手をたたいて鳴き声を確認することはできません。一定の人数が揃うと、係の方が案内し、拍子木で鳴き声を楽しむという、何度行ってもどの係の方があたられても同じフレーズの説明をなさる、ねずみの国のテーマパークのようになっています。ですが、私こちらの御堂に漂う空気が好きなのであります。
御朱印をお受けする辺りからは、龍の全体像が眺めることができるのであります。ここを訪れた何人の方がそれを知っておられるのか┉もったいないばかりであります。
御朱印をお書きくださる方に、「冷たいところお手をわずらわせまして申し訳ありません」と申しあげたところ、「あたたかいお言葉をありがとうございます」と笑顔で御朱印帳をお渡しくださいました。パンフレットを添えてくださったようで、こちらこそありがとうございます。

雪は降りしきるものの積もるほどには至らない。東照大権現さまならびに大猷院さまが、参拝者に気を配ってくださっておられるように思えてなりません。

No.421 20/01/13 17:36
旅人 

そして┉東照宮の五重塔のすぐ前のテントで、例の当たりつきのおみくじが用意されています。どうする?
これを引けば生まれて初めてのおみくじとなります。「ひけばいいじゃない」と夫。生まれて初めてのおみくじ、いわば神さまの助言を、当たりつきということに惹かれてひくのでは、なんとも賤しい気がして気がとがめております。┉こちらの神さまはそんなことはもう百も御存じでおられるか。そんな私と知りながらも、身体の不調をあっという間にいやしてくださる神さまにございます。
神さまの助言をお伺いしよう!

生まれて初めてのおみくじは、【中吉】。東照公御遺訓として、[善悪は皆手前の覚悟にあり]とあります。うーん、深いお言葉を頂戴いたしました。
夫は【小吉】とだけ言い、中は見せてはくれませんでした。
ハズレのないおみくじの景品は、私がペットボトルのお水で、夫は御守りを。やっぱり当たりつきって少し楽しいかもしれない。
すぐあとにひいた方は鐘を鳴らされ、御神酒の瓶をいただいておられました。


やっぱり、日光、好きだなぁ。


夫はさらに、やれ、【化け地蔵】さんのほうへ行ってみないかだの、果ては霧降高原に行ってみないかだの、何かにとりつかれたかのように行動を拡げようとしておりましたが、頑として帰宅をうながす妻にあきらめて自宅に向けてハンドルをきったのでありました。


        令和二年一月五日

No.422 20/01/13 23:01
旅人 

一月八日。令和初の初薬師さまであります。
この日はどうしても仕事を休むことができなかったため、昨年、一昨年と参列させていただいておりました、群馬県みどり市【光栄寺】さんの厄除け大護摩に、朝一番の六時からの座に参列してまいりました。
まだ日の出前の薄暗い中を車を走らせてまいります。朝ごはんの支度を済ませて来たため駐車場はすでに満車で、一番遠い駐車場を指示され、そこからひた走りに走って光栄寺さんに到着いたしました。
ちょうど法要が始まったところでありました。朝の六時からの法要であるのにすでに本堂の中はほぼ満員で、なかには登校前の小学生┉高学年くらいのお子さんもいます。寒くて暗いなかを嫌がることなく、お寺さんの行事に参加するなど、私には考えたことすらなかったことで、人生でのスタート地点の差を感じ、少し情けなくも恥ずかしく思うのでありました。

こちらのお寺さんは真言宗智山派であります。同じ真言宗ではありますが、御護摩にはやはり違いがあるように見受けられます。お薬師さまの御護摩であることも関係しているのでしょうか。
こちらでは御護摩を焚かれるのはこの初薬師のお縁日のみ。護摩の炉の上には大きな換気扇が取りつけられておるようです。
般若心経をお唱えし、さらにはいくつかの真言を声を合わせてお唱えされています。私にわかる真言は不動明王さまの【のうまくさまんだばざらだんかん】と、薬師如来さまの【おんころころせんだりまとうぎそわか】だけでありました。ご唱和させていただいている間に御護摩の焔がいつのまにか点されておりました。
家内安全、交通安全、学業成就、商売繁盛、病気平癒、世界平和、災害復興、諸願成就、心願成就、などをご祈願くださると、副住職さまが布加持のご案内をなさいます。

No.423 20/01/14 19:05
旅人 

【布加持(ぬのかじ)】とは、衣類やバッグなど身に着けるものを、炎にかざして厄を落とすというもので、人によっては家族の身につけるものを風呂敷につめて持参し、風呂敷につめた一式をお坊さまにお渡しして、火かざしをしていただいています。
昨年は仕事が休みだった事もあって、今は一緒に住んでいない者の物も何かしらつめて持ってきたものでしたが、なにぶんにも今日はこれから仕事であり、なおかつその前にも食事のしたく┉はしてあるものの、食事をして、洗濯を干して仕事に向かわねばなりません。前日、用意しておけばよかったのですが、仕事の前に行って仕事に間に合うかどうか、と、なかばあきらめていたもので┉。それでもどうしても、二年続けて参列させていただいていたものを途切れさせることに抵抗があって、食事を抜いてでも、仕事先に直行すればなんとかなるかと思い直して参加したものですから┉。

バッグのほかに、自分自身の頭をも御加持いただき、さらに布加持だけでなく、御本尊に近づいて参拝する【内陣参拝】をもさせていただいて、これでもう、今日本日の任務を遂行した気分になりました。
いやいや、これからお食事を食べ洗濯を干して、仕事をすることが私の任務であります。(*゜ー゜)ゞ


      令和二年一月八日



No.424 20/01/15 18:29
旅人 

突然、同居の息子が「どこかに出かけるなら一緒に行きたいな」と、うれしい、うれしい申し出を❤
とはいえ本日、娘のところへ届け物をするのがメインイベント、というか、それしか決まっていることは何一つなく、どこへ行くとも┉ (;`・ω・)どうしよ、どうしよ?!

「(群馬県高崎市の)観音さまはどうだろ?」
夫「観音さまってどこのだよ」
「そりゃあ、びゃくいかんのん(白衣観音)さまだろう」┉参道沿いの店で飼われているふくろうもいるし、自然豊かだし┉。
ただでさえ少ない引き出し、そこへ持ってきてその引き出しは神社仏閣の情報くらいしか入っておらず、とりあえず早めのお昼を食べて、まずは本日の外出の目的の娘のところへ向かうことにいたしました。


娘宅をあとにし、気まぐれな妻にして母親は「┉榛名はどうかな」と、いとも簡単に変更を発案する。「大丈夫だけど?少なくとも赤城よりは┉雪がないかな?」あくまでも雪を怖れる、平地民夫婦。
後部シートに座る息子からも「榛名がいいかな」と賛同の声。夫は元地元である高崎市から何度も何度も通ったという榛名へと向かいます。┉のわりに、ナビなどセットし、挙げ句の果てには
「こんな道なかった!」「こんなところに道なんかなかった」とうるさいこと。はいはい、あなたが住んでいたのはもう三十年以上も昔の事ですよ。元号はその間、昭和から平成、平成から令和へと変わっているんですよ~。

榛名神社が近づくと、「ここまで来たのだから榛名神社にお参りしようよ」
┉憎いなぁ❤ 夫とちがって人間ができている!

榛名神社さんもまた、かなりの山を登って行くのに、軽い足取りで息もきれることなくお参りできる、お山全体に人々を歓迎してくださる優しくて、それでいて凛と引き締まった気の充ちた素敵な神社さんであります。息子は昨年ひとりで(?)ここに初詣に訪れておるものの、私どもとは初めての参拝となります。
「へえぇ、こんな景色なんだね」┉へっ?
あぁそうか。昨年は暗いうちからの初詣で、しかも初めて来たものだから、明るい参道の景色なんかみたことすらなかったのですね ( ´~`)
ゆっくり景色を楽しんでもらおう。

No.425 20/01/16 05:21
旅人 

参道わきに流れている川も、暗い夜道を参拝客の波に流されるように歩いただけの息子にとっては、初めて目にしたもののようで。
「あそこ、見てごらん」┉さっそくよけいな案内を始める母親に、素直にしたがってくれる息子。
「ほら、あそこに」指さす先にはなんとも不思議なアーチ状の岩。この岩ひとつとっても、信仰の対象となるであろう、本当に不思議で奇跡のような岩であります。そんなに太いものではなく┉とはいえ、川向こうの高い位置にそびえ立つものでありますから、実際の太さはわからないのですが、おそらくは小動物がようやく渡れるくらいの幅でしかなく、それでいてかなりの長さを┉アーチ状のものですが直線で軽く七、八メートルくらいありそうな(┉数字のつくものすべてに弱い者の申す、根拠もなくあてにもならないものであります 苦笑)大きな、そして一見か細い岩であります。
「ほおぉ」と、感嘆の声をあげる息子に、「┉あれ?な、なんていう岩だったかなぁ」
無言で立て看板を指さす息子。そ、そうね、【鞍掛岩】だった(^_^;)
┉これが言えればかっこよかったのにね。

大きな高い杉並木が参道わきに連なっております。ですが、古くからの信仰の場、人が歩くのにほどよい明るさを保つように並んでおります。明るく、心はずむような気に満ちた空間であります榛名神社さんの神域は、仕事で疲れた息子にもお力を与えてくださっておられます。やわらかい笑顔で参道を歩いています。


そんな息子に見せたかった【双龍門】。残念ながら修復工事中で、そのすべてがシートに覆われておりました。私の大好きな建築物のひとつ。放っておけばいつまでもそこに居すわりそうなくらい、大好きな門は

竣工は安政2年(1855)。
一間一戸四脚門で総欅造り。
入母屋造、銅版葺、正面と背面に千鳥破風、四面に軒唐破風をつける。
4枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された龍の彫刻が施されていることから双龍門と呼ばれるようになった。
羽目板の両面には「三国志」にちなんだ絵柄が彫られており、天井の上り龍、下り龍とともに双龍門の風格を高めている。

と、榛名神社さんの公式ホームページに書かれております。
「いつか、必ず修復を終えたこの門をくぐってね。私たちと一緒じゃなくてもいいから、ね。一緒ならもっと嬉しいけど、ね」と、心のなかでつぶやきながら、門、であろうところを通ります。


No.427 20/01/16 17:55
旅人 

こちらの本殿は御姿岩に接しており、岩奥に御神体をお祀りされているのだそうであります。見事な彫刻が数多く、下部にいたるまで細かな彫刻が施されております。
そびえ立つ御姿岩は高さ大きさ共に大きく、特記すべきはその、御姿岩のかなり上の方にしっかりと取りつけられた【紙垂(しで)】であります。足場も悪い、かなり高い位置に、雨風などでも飛ばない強度でしっかりとつけられているのですが、初めて目にしたときは我が目を疑うものであります。どうやって┉?
答えはまだ得られてはおりません。本当に天狗が取りつけたような気がするくらい、どうやったらあんなところに取りつけられるものなのか、凡人というよりお馬鹿な私には見当もつきません。

本殿のわきにあります建物は初めての参拝の折りには修復工事中でありました国祖社・額殿であります。
もと榛名山西部の御祖霊嶽にあったものを、本社のそばに摂社として祀るようになったと伝えられているようです。神仏分離以前は本地仏を安置し、本地堂とも呼ばれていたとのこと。
御祭神は豊城入彦命さま(とよきいりひこのみこと・崇神天皇の皇子。
上毛野国君・下毛野国君の始祖)、
彦狭島命さま(ひこさしまのみこと・豊城入彦命の孫)、
御諸別命さま(みもろわけのみこと)。
額殿とよばれる建物は北面は国祖社に接続しており、本来は神楽の拝見所であるが、大小の「太々御神楽」の扁額を揚げてあることから額殿とも呼ばれているのだということです。

神楽殿は、北側が吹き放ちの舞台となっていて、南側は楽屋としているのだそうです。とはいえ、高さがかなり高く、その様子はよくは見えません。神に奉納する神楽を演じる場所であるため、こちらの神楽殿は本殿と向かい合うように建てられ、本殿とちょうど高さを同じにしてあるのだそうであります。まさに神さまに捧げる舞、雅楽、ということになっております。

こちらの御神楽、実に二月十五日に奉納されるのだとか。
うーん、涅槃会の法要にも参列させていただきたいし、こちらの御神楽も拝見したい。
今年は二月十五日は土曜日。榛名神社さんの参拝客の多さは群馬県で屈指のものでありますが┉。ちなみに。
この日の御朱印はお書き置きの御朱印紙、五百枚限定でありましたが、すでに終了しておりました。
御朱印を求めた参拝客の方だけでも五百人超えということになります。はあぁ(|| ゜Д゜)




No.428 20/01/17 18:57
旅人 

本来の目的地、榛名湖畔に着いたのはすでに四時四十五分くらい。
ちょうど空が夕焼けに変わりつつある、山のきわは桜色に、見上げる空は空色に、見事なグラデーションをなしています。
山と湖の景色を、うつりゆく空の色とともに楽しむことができる、なんとも贅沢な時間帯に到着することができました。

家から持参した温かい飲み物と、息子がコンビニで買っておいてくれた生チョコクレープをいただきながら、少しづつ変わりゆく空を眺めておりました。
やがて空には月齢16日の大きな月が顔を出します。
なんとありがたい、幸せな時間でありましょう。
身体を取りまく空気は冷たいものなのに、幸せな気持ちが寒さすら感じさせません。

昨年末┉ほんの少し前まで、ここではイルミネーションが施されライトアップされた、まるで異なる景色がありました。ですが、私たち三人はこの、自然のままの景色がありがたかった。うれしかった。
そんな思いもまた共有できたひとときでありました。
よい新年であります。
この、すべてのものに感謝するような思いをいつまでも持ち続けていたいと、心から思いました。
これも榛名神社の神さまのおくりものでありましょうか。






              2020,01,11


No.429 20/01/18 04:23
旅人 

榛名からの帰り道。


「ここで拓海は百キロ出してたんだから、スゴいよな」
?( ・-・)?
「藤原拓海だよ、イニDの。」┉知らんがな!
そういう夫のスピードも別に遅くないと思うんですけど。そぉーとスピードメーターを見ると四十キロ程度、なるほどぉ、ここで百キロはあり得ない。
それは走り屋さんの世界のことだから、って言うか【イニシャルD】は漫画ですから。そもそもあの漫画では【榛名】は出てこないでしょ?
┉知ってるんやん。かつてデートとおぼしきドライブをしたときとはずいぶんと道も異なって、情緒もへったくれもない、ガッコンガッコン、ブアンブアンとスピード抑制のための加工の施された路面となっておりました。初めてみる伊香保、渋川の夜景はそれはそれは綺麗なのに┉。さらには時々カーブの加減で顔を出す月齢16日の大きなお月さま。┉運転手の夫には申し訳ないのだけれど。

やがて高速道路のごとき上武道路をしばらく走行し、トイレ事情で前橋市で一般道に下りたときのこと。日輪寺さんというお寺さんがふと目に入りました。初めてきくお名前であります。┉まぁ私の場合、行ったことがあってもすっかり失念していることが多々ある者ですから、それはともかくとして、お寺センサーの発動と同時にそのお名前をインプット。
こうやってインプットしてきたお名前を自宅に帰ってからネット検索かけて、参拝させていただく寺社候補にあげるのであります。
さらに走行すると(運転手は夫)、道路標識に日輪寺通りとあります!これは由緒ある古くからのお寺さんなのでありましょう。

すっかり遅くなったので、本日お夕飯も外食であります。地元で有名な中華料理屋さんに私の独断で寄りこみます。┉とはいえ一応、みんなの希望は確認しておりますが、ここ群馬県は[かかあ天下と空っ風]で有名な土地。夫唱婦随の奥さまも大勢おられますが、私はどうにも大人しくはない性分でありまして(^_^;)
大好きなこのお店の看板メニューを頼んで、「おいしい、おいしい」を連発し完食し、大満足のうち帰宅いたしました。

【日輪寺】さん、日輪寺さん、さっそくネット検索です。

No.430 20/01/19 00:28
旅人 

群馬県前橋市の日輪寺さんについてネット検索をして、衝撃の事実が発覚いたしました!

なんと、日輪寺さんの秘仏であります十一面観音さま、まさにこの日、一月十一日が御開帳の日であったとのこと。
これはきっとこの十一面観音さまが「来年は会いにお越しなさい」と、お声がけくださったにちがいありません。┉と身勝手な解釈をして、来年の勤務の休み希望をすでに思い描く私なのでありました。


No.431 20/01/19 01:56
旅人 

日光輪王寺護摩堂でお分かちいただいた【鬼門除札】。やっと手に入れることが叶い、帰宅してすぐに御札を掲げるべく開封いたしました。
お分かちいただくときに「御札の中に元三大師さまの御札が納めてあるので、そこに家族の名前と生年月日を記入して再度納めてから、居間等の壁や柱にお掛けください。こちらに返信していただくハガキが同封してありますので、同様に御家族の名前と生年月日を記入して投函してください。こちらで毎日御祈祷させていただきます」と説明をお受けしましたので、そのようにして、次の日にはハガキも送らせていただきました。
[星回りが変わりましたときにご案内を差し上げます]の一文が同封の説明書に書かれており、新年早々に手にすることができてよかったと思っておりました。
が、┉ネットでさらに調べるに、節分を境に買いかえる、といった記述が多く、お分かちいただくときにはそのような説明は一切なく、まさかあと半月足らずで買いかえることになるの?と一転悲しい思いになってしまいました。一言おっしゃっていただければ、その頃にまたお詣りに参りますものを┉(*T^T) ┉夫の運転で。
やっぱり一大テーマパークの商品に過ぎないの?
そんな悲しい思いにまでなっていたとき、そんな気分を一新してくれるブログの一文に出会いました。




ありがたくて
嬉しくて
泣いちゃいましたよ。

今の家を建てた17年前から
日光山輪王寺の鬼門札を
鬼門となる場所に
掛けさせていただいていたんです。
一年に一度、節分がくると
掛け替えるんです。
我が家にとっては
毎年恒例のこと…


先程、郵便屋さんが来て
現金書留って言うんです。
依頼主を見ると
日光山輪王寺って書いてあります。

???

なんだろうと思いながら
開封してみると…

見舞金が入っていました。

[このたび台風十五号により、貴家の地域一帯が甚大な被害に逢われたとの事。一日も早い復旧を遠方よりお祈りするとともに誠に些少ながら心ばかりのお見舞いをお送りいたします。(一部抜粋)]

そのお心遣いに
涙が溢れました。   (一部抜粋)




すごい!
こんなことまで送らせていただくハガキ一枚から管理し、ご配慮いただけるなんて!これはもう檀家寺のようです。
ありがたいことであります。


これは間違いなく、最高の御札でありました。



No.432 20/01/19 10:14
旅人 

日光輪王寺さんのお見舞いの手紙の書き出しは、やはりここ、日光はこうあって良いと、以前書いた自分の文章を思い出させる一文で始まっておりました。
「貴家におかれましては当山の○○を受けていただき、『世界文化遺産護持の一助を担っていただいております』」


そう、歴史あるお寺さん・神社さんの維持には、たいそうなお金がかかるもの。求める者があってそれに応える形で御守りなり、御朱印、御朱印帳なり、お線香なり、御数珠なりを御用意され、納得した者がそれをお分かちいただく、あるいは購入する。
今回私は、鬼門除けの御札を受けたいと申し出た。それが例えあと半月足らずで買いかえる時期が来ることを知らなかったとしても、ネットで調べてやって来たと言われて、受付の方はそこを知っていてあえて授与したいと思われたのかもしれないのです。あと半月でこの御札の期限が来るかもと知り、悲しいと思ったのも、ひとえに私の未熟さであります。その御札をお受けできたときの喜びこそを大切に思えばよかったのであります。

御札も信心であります。それをお受けしたところで、台風などの被害をこうむることはある。でも、それをお受けした際、気持ちを引き締め、心新たになることができたらそれはそれでもう、御札の役割は発動しているのであります。
期限がある、あるいは期限はない。そんな御守りや御札。
それはそれで個々の心の有り様であるのだと思います。
御札をお受けしたから、このくらいの被害で済んだと思うか、御札をお受けしたのにこんな目に遭ってしまったと思うか┉それはすべて自分の心の有り様なのであります。
あいも変わらず未熟でありました、私であります。

No.433 20/01/21 05:34
旅人 

群馬県太田市の【冠稲荷神社】さんに、新年の御挨拶と御礼の参りに行ってまいりました。
冠稲荷神社さんをイメージするとき、カラフルな┉色とりどりな雰囲気を持つ、柔らかなあたたかな、女性的な気のあふれる神社さん、と私は思うのでありますが、こちらの主祭神さまが
【宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)】さまであらせられ、女神さまでありますから、なのでありましょう。


【宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)】さまについて

宇迦之御魂大神さまは『古事記』と『日本書紀』で系譜が異なっております。
『古事記』では「素蓋鳴神(スサノオノカミ)」と「神大市比売(カムオオイチヒメ)」との間に生まれた神様です。
『日本書紀』では神産みの際に「伊邪那岐神(イザナギノカミ)」と「伊邪那美神(イザナミノカミ)」が飢えて気力がないときに生まれた神様です。飢えたときには食べ物を必要とすることから、穀物の神様が誕生したとされています。

名前の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神と同一視され、「宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)」は女神と考えられています。



こちらは平安時代に、新田義重公の父、源義国公が創建された神社で、そののち、源義経公が奥州下向の折、源氏ゆかりの社であることを知り、しばらく滞在し、冠のなかに勧請してこられた京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭されたことから【冠稲荷】と呼ばれるようになった社であります。
さらに新田義貞公が1333年の挙兵にあたり、戦勝を祈願しお手植えされたとされる金木犀の樹が今なお青々と境内に繁っております歴史ある神社さんでありますようです。
お社の色調が色鮮やかな状態で、どこも手入れの行き届いた一見新しく感じる神社さんのように思える神社さん。時代のニーズに応えたかわいらしい御朱印あり、おしゃれなフリンジと花の御守りあり、心華やぐ神社さんであります。
神社さんになかなか縁のなかったような初心者が、神社さんの参拝について自然に学び、またお詣りに来たいと思えるような神社さんであります。



     令和二年一月十九日

No.434 20/01/22 05:50
旅人 

相も変わらず珍道中。
微々たる知識はついたものの、生まれたときから自然に神さまや仏さまと暮らし、敬い、その法要やら祭事に参加されてこられた方の足下にも及びません。
それは仕方のないことと、いろいろな神社仏閣を相も変わらずまわらせていただいて勉強させていただき、視野を広げております。もともとそれが目的で、そこで自分を見つめなおし、直すべきを知るためのものであります。 

ただ┉最近、ほんとうに偶然にまわらせていただくお寺さんの、宗派がビックリするほど合致していて、戸惑うほどであります。その宗派が日本で圧倒的に多い仏教┉というわけでもありません。そうしたことが続いていると知恵のない愚か者は、御導きか?とかつい考えがちでございます。
しかし、あくまでもただの偶然に過ぎないことは火をみるよりも明らかで、例えば、どこかに行く→その土地のお寺さんに行く→着いたらまた同じ宗派であった、ということであります。
そこで私がそれではと、その宗派が説く教えなりを理解し、最低でもその宗派の他の宗派との違いを知り、それを活かせて初めて【縁(えにし)】となるのだと、その程度のことは理解しておるつもりであります。
今まだまだ未熟な珍道中のさなかにある私は、宗派を越えた十三仏霊場巡りやら、三十三観音霊場巡りをさえ、道半ば。
お坊さまたちでさえ、今なお修行の道半ばであるとおっしゃいます。
道を究めた方は、お釈迦様ただお一人であるとも言われている仏教で、ほんの一つ、一かけらでも、なにかを得、自分を高めることができれば、珍道中は成功への一歩となるのだと思うのであります。
出家しておらない、仏教徒ですらない私。
道ははるかであります。
でも、五十代も半ば過ぎて、時間は限られておりますこともたしかであります。日一日一日を大切に生きねばならないと、あらためて思った今朝であります。

No.435 20/01/24 13:34
旅人 

群馬県桐生市の【観音院】さんの初地蔵の御縁日。
仕事は休み、静かな穏やかな日でありますのに、どうしようかと迷う私がおりました。
今日は、私の大好きな御本堂は御祈祷にお使いになられるので、ごった返した境内の内外での露店商の屋台を見て歩くだけになりそうであります。うーん。

昨年は初めてのことでなにも知らぬまま、「お入りください」と言われなんの疑いもなくそのまま普通に参列しておりました。終盤に入り、どうやらこの日は御祈祷を申し込んだ方のみ入場できるようだったようだと気づいてそのあとからはたいへん居心地が悪かったのは記憶にあらたなものであります。
他のお寺さん以上にいつもはオープンなこちらの御本堂、疑うことすらありませんでした。ましてや他のお寺さんですら普段は扉すら閉ざされた御本堂に、御祈祷をお頼みしなくてもあがってよいところがいくつもありますものですから。

ですが、結局、日限地蔵さまの御縁日に参ることにいたしました。案の定境内は人、人、人、でいつも以上の賑わいであります。
御祈祷と御祈祷の合間に御本堂に上がることができました。いつもより明るい?と感じるのは気のせいなんでしょうね。今日はいつもは香炉が置かれている場所に、シンプルな長机に御祈祷に使う仏具がいくつか置かれており、真ん中には五鈷杵(ごこしょ)が置かれていました。当然ながらいつも設けられている【心の間】は取り払われておりました。
少し寂しい気持ちで、御本堂をあとにいたしました。せめて日限地蔵さまにお灯明をと思い財布を開けると百円玉がひとつ。係りの方に声をかけようとすると、〖お灯明 二百円から〗との貼り紙が目に入りました。ふぅ(〃´o`)=3
それではと特設の御守りや御朱印の授与所でありますテントに入ったのですが、そこもまたごった返した状態で。すっかり気落ちして、日限地蔵さまに先ほどの百円玉をお賽銭にあげ、お寺をあとにいたしました。
御縁日でない日にゆっくり参拝させていただくこととしましょう。



        令和二年一月二十四日

No.436 20/01/25 16:15
旅人 

群馬県太田市の七福神巡りの最後を飾りましたのは【長念寺】、【恵比寿】さまであります。

長念寺は応永元年(1394年)に、この地にあった朽ち果てた地蔵堂を修繕し、その脇に草庵をかまえ、浄土宗の念仏の教えを広めていったのが始まりと伝えられています。
【足利義満】全盛の頃で、南北朝の動乱も収まり、この周辺では【新田氏の末裔、岩松氏】が台頭し、金山南麓に蛇行する八瀬川の水利があるこの周辺に人家が定着し始めた頃、と考えられているようです。

浄土宗の元祖、法然上人の念仏の教えは、1250年代以降、関東地方各地に広まっていったようで、六流派に分かれて法燈が伝えられましたが、長念寺はそのうちの一派の流れをくむものであるとのことです。

長念寺は何度も火災に見舞われ、残念ながら古い資料は残っていないそうですが、橋本本陣家の墓地に並ぶ国筐印塔や、江戸中期以降の年代が刻まれた墓石から、江戸時代中期以降に太田の街の発展とともに寺院規模が拡大安定したものと考えられるようです。

現在の山門は文政4年(1821年)の建立で、総けやき造のものです。
同時に本堂も建立されており、現在のものより一回り大きく、その本堂で明治30年(1897年)4月11日に『群馬県尋常中学校新田分校』が開校されます。
翌31年4月5日に『尋常中学校新田分校』は現在の『県立太田高等学校』の地に移り、『県立太田中学校』となり、現在の『太田高等学校』に至っております。太田高校は群馬県内でも有数の進学校であり、その発祥の地ということで、受験シーズンには合格祈願に長念寺さんを訪れる方もいるのだとか。

その本堂も明治32年に全焼し、大光院別当の内野俊亮上人が25世となり、明治38年に再建されたのだそうです。上人は広く地域の為に活躍した方で、貧困家庭に医療無料券発行等の福祉事業を展開、また、教育方面では子女のために『太田女子実業補習学校』を開校、常見ろく女史の『常見裁縫伝習所』と合併し『太田裁縫女学校』を設立、初代校長となられたそうで、その学流は現在の『私立常盤高等学校』となっているのだそうです。

そして、今、境内には幼稚園が併設され、参道脇にはかわいらしい遊具と遊具のそばにはお寺の飼い犬がおりました。今日は園児がいないせいか、うなだれ寂しそうにしておりました。

こちらは教育と深く関係した歴史があるようであります。 


No.437 20/01/26 00:13
旅人 

長念寺さんではお正月のみの限定で恵比寿さまの御朱印をお書きくださっておりました。たいそうきれいなそのお手を拝見すると、お正月のみなのがなにやら勿体ない気がいたしました。
こちらのお寺の恵比寿さまは、鯉を掲げもっているとかで、拝見する機会があればいいと思いました。
毎年太田市の主催する七福神巡りの行事に参加すれば拝見することができるのかも知れませんが、なにぶんにもスタートの時刻が早くて、
毎年くじけている私であります。暖冬、温暖化となっているのだから、一度くらいは頑張ってみればいいのに┉。太田市の七福神巡りは距離も長くて、それもあって、ついつい車で自分のペースでまわれる七福神巡りとなってしまうのでありました。


今朝、NHKで放送されていた【新田ベーカリー】さんが近くにあるようです。【健康パン】という看板メニュー、久しぶりに食べたいなぁと思い立ち寄ったところ、本店さんはお休み。太田市の学校給食のパンを提供しているパン屋さんだから、土日はお休みなのかもしれません。工場も稼働していないようでした。明治生まれの初代の方が建てた建物のままなのでしょうか、大きくて高い【新田パン】と書かれた白い煙突が青い空に誇らしそうにそびえているのが印象的でした。



       令和二年一月二十五日

No.438 20/01/26 01:07
旅人 

長念寺さんのすぐそば、新田ベーカリーさんの裏手には【東光寺】さんというお寺さんがありました。寄らせていただきますと、新しい近代的で斬新な御本堂であります。建てられてさほど経過していないだろう仁王さまの石像が門をお守りになっておられます。端整なお顔だちのしばし立ち止まって見とれるほどのイケメンさんです。
入ってすぐには見上げるほどの大きな聖観音様の石像が優しく微笑んでおられます。
その合い向かいには不動明王さまを真ん中にひだりてにお地蔵さま、みぎてに観音様のやはり新しそうな石像が並んでおられます。こちらの石像はどちらも顔立ち、お姿のお美しいものばかりであります。干支の守り本尊さまの石像もこざいます。
御本堂前にも手前に馬頭観音さまの石像と虚空蔵菩薩さまの石像がおられ、御本堂入り口を護るように四天王の石像がおられます。
どちらの石像もみな真新しいもののようで、お寺さん自体が新しく開山されたものなのかと思っておりましたら、鎌倉時代の創建の歴史ある新田家ゆかりのお寺さんでありました。

【東光寺さんの伝説】
新田義貞の息子、義興の秘話が伝えられている。義貞死後も弟の義宗とともに宗良親王を奉じ挙兵、転戦するが、正平13年(1358年)10月10日、武州矢口の渡しに於いて、よりどころとしていた竹澤右京亮、江戸遠江守に欺かれ自害して果てる。義宗が竹澤らの手に取り囲まれ、一命危うき折、その魂は鬼神となってこれを助け、雷電を巻き起こし敵方をことごとく苦しめた。義興の死体は「新田に持ち来たりたる」とされている。その場所が太田市の「東光寺」であり無縫塔が岡家墓所内にある。
東光寺よりの法名と高野山蓮花院の法名がそれぞれあり、また義興の霊を鎮めるため、矢口の畔に社を建て、新田大明神と号す。鬼神義興の話は、芝居になり、知る人ぞ知る。「義興」の名は、新田家を「興す」という意味から天皇より授かりしものであった。

と、御住職からいただいた御由緒書きにありました。
それを車中で読み出すと、ほぼ同じ内容を諳じて語る歴史オタクの夫。堅い文面の御由緒書きよりわかりやすいので、ありがたいといえばありがたく、あり得ないといえばあり得ない。まあ、知る人ぞ知るとあるくらいですから、知っている一人であったということでありましょうが、行く予定になかったお寺さんの伝説がすぐに語れる、歴史オタクは、スゴい!

No.439 20/01/26 06:37
旅人 

東光寺さんも新田氏ゆかりのお寺さんでありました。さすが新田の郷、太田であります。ただ、本当に新しいものばかりが目について歴史を感じさせる風情は一切ありません。
新しい見事な造りの石仏も心はずむものではありましたし、御本堂には古くから伝わるものが納められているのかも知れませんが、古い石仏ひとつなく、あくまでも現代的なお寺さんに少し寂しさをおぼえたものです。
寺院を建て直すという一大プロジェクトには、それはそれは莫大なお金がかかります。新築でなくとも瓦を葺き替えたり、いまの耐震基準を満たす改修なども何千万のお金がかかるそうです。
その費用は、宗教法人と住職個人の他はすべて檀家さんの寄付によるものになっていくのですから、まず資金繰りが大変であります。五千万円を檀家さん百人で支えるとなれば、単純計算で檀家さんの寄付のみでとなれば一軒五十万円の寄付をお願いする計算となります。
なにをお寺の関係者でもない者がさもしいことをとお思いになられましょうが、ごく最近、そのようなお話を御住職ご本人からお聞きする機会があり、また、とある僧侶のお書きになったエッセイを読んだのですが、そこには事細かにその内情が書かれておりましたものですから。

平成に入って、葬儀ホールが普及し、一般宅で通夜・葬儀を行うことがほとんどなくなりました。
一般宅での葬儀しか私の数少ない経験と記憶にはなかったのですが、御本堂での葬儀というものもありますようで、それが地域性なのかはわからないのですが、葬儀社を舞台とした推理ドラマではたしかにお寺さんでの葬儀がよく執り行われるシーンが多くみられました。それは意識的にこれが葬儀だ!ということを視覚的に視聴者に理解させる効果を狙ってのものかとばかり思っておりましたが、実際御本堂を葬儀に使っての葬儀ということもあるようです。
ただ、そうした葬儀を営むには御本堂を葬儀ホールに準ずる整備が必要となってくるのだそうで┉通夜・葬儀となると駐車場もかなりのスペースを確保しなくてはならず、通夜振舞いとしてかなりの人数が食事をされる場所も必要となるのだそうです。
そうした御本堂として建て替えていく必要性を問う檀家さんもおられますよね。
お寺さんも大変そうであります。

No.440 20/01/26 16:07
旅人 

お寺さんの御本堂の話。


私の父、そして祖父母の眠るお寺さんは鉄筋コンクリートの御本堂であります。いかにも鉄筋コンクリート、といった感じの建物であります。とはいえ、瓦葺きの、誰がみても日本の寺院といった外観であります。こちらのお寺さんが鉄筋コンクリートの御本堂にされたのは、火災で御本堂を焼失し多くの寺宝を失なったことから、そういったことが二度とないよう、火災に強い造りの鉄筋コンクリート製にされたのだそうです。
ある僧侶のエッセイによると、鉄筋構造や鉄骨構造にすると木造より三割ほど価格が下がるのだそうです。しかも、現在の工法は見た目が木造と変わらないものを造ることができるほどに進化しており、木造のものに比べ、掃除、メンテナンス、空調なども快適になる。新築とするか、改修とするか、いずれにしても、莫大なお金がかかることには変わりはありませんが┉。

日本仏教を後世にまで伝えていくという、使命も担っているお寺さん。
私の個人的な意見といたしましてはやはり古くからの伝統あるものを改修維持していただけることを望むものでありますが、癒しの空間を伝えていくといった意味では、古くからのものであれ、新しいものであれ、その空間を作り上げるお寺さんの御努力に大きなお力があるのだと思います。
境内地に入って御本堂に向かって手を合わせたとき、静かな、おだやかな、自然に恵まれた美しい空間がそこにあれば、それはお寺さんの御努力によるものでありますでしょうが、私は、み仏がそう努力しているお寺さんの思いにほんの少しお手を貸してくださって、そうあるのではないかとよくそんな風に感じ、思っています。


掃き清められた境内。手入れの行き届いた木や草花。
そこに行くだけで心が洗われるような空間であります。

No.441 20/01/26 20:52
旅人 

仏教の教えでは、人は亡くなると四十九日の旅に出掛けるといわれています。暗く、細く、険しい山道を歩いていくのだそうで、この山を死出の山と呼ばれているそうです。そして七日ごとに死者の裁判が執り行われます。
そうあの【十王図】に描かれた世界です。裁判官は不動明王、釈迦如来、普賢菩薩などの諸仏諸菩薩です。生前の故人の生き方が問われ、善行、悪行の度合いによって来世が決定します。仏教に深く帰依した人は極楽などの仏さまの国へ、悪行を犯した者は地獄へ落ちていきます。
一番厳しい審査が、亡くなって三十五日目、五七日(いつなのか)の地蔵菩薩=閻魔王によるものであります。場合によってはその場で処罰も受けることから、「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれる」という言葉も生まれたくらいであります。ただし、公平を期するため合計十回の裁判があり、しかもその間に、遺族の供養も裁判に影響を与えるのです。
「遺族がこのように合掌し故人の救いを求めています」
そう報告をされると裁判官も情状酌量して、仏さまの国へ往くことができるというもの。
そして通常七回目の四十九日で結審、これが四十九日忌であります。
仏さまの国へ迎えられたことを感謝する法要です。
その間、遺族も供養、という仏道修行をしてまいります。
その四十九日であっても、仏さまの国へ往くことが許されない人がいて、その後さらに再審が行われます。これが百ヶ日忌、一周忌、三回忌の法要で、すでに仏さまの国へ往った者にとっては追善供養となります。
百ヶ日忌のことを別名、【卒哭忌(そつこくき)】といいます。泣くのを卒業する日、であります。
義父の百ヶ日忌で御住職が、「これからは私は仏の道にはいります。あなた方もいつまでも悲しんでいないで泣くのはやめて、私が生きていたときと同じように日常生活を送ってください。それがなによりの供養です。そう言って、いよいよ仏さまの国へ旅立つあらたな別れの日であります。」とおっしゃっておられました。
そして一周忌、その翌年が三回忌となります。
亡くなった日が一回目の忌日、一周忌は二回目の忌日、その翌年が三回目の忌日、三回忌、となるのだそうです。



No.442 20/01/28 17:01
旅人 

お通夜や葬儀の儀礼の行い方は、各宗派によって異なりますよね。どうにもそれがなかなか覚えきれない。それがコンプレックスとなり、前に御焼香をされる方の手もとを一生懸命にみさせていただいて、それを真似て御焼香する┉なんとも格好の悪い大人であります。
そうは言ってもそもそもがお通夜・葬儀にうかがうまで┉それどころか、いざお通夜・葬儀となってもどちらの宗派であるのか、わからないまま御焼香のときを迎えることすら多々あります。
それどころか、なんと!同じ宗派であっても、隣の市で異なることすらあるようで┉。これは未熟者にして覚えの悪い私などはもう太刀打ち出来ません。
天皇家であればいざ知らず、庶民の葬儀は鎌倉時代くらいから始まったとされ、それが変化しながら今日に伝えられたもので、江戸時代においてはお寺の境内にお墓すらなかったもののようです。

お葬式に参列させていただいて、僧侶の方のいでたちが異なっていることに気づいたりすることはございますが、御経が宗派で異なっていることとかなどは、さっぱりわからない。何経をお唱えになられているのかすらわからない私であります。
ただ、共通している点があることに最近気づきました。
それは、
一、亡くなられた方が仏さまの弟子となる儀式を行うこと。
二、仏さまの弟子となった証としてあらたな名前=戒名を授かる。
三、仏さまのおられる世界へと旅立たせる。
といったことです。

┉実は、戒名、戒名とずっと言っていた仏さまの弟子となった証の名前も、宗派でその呼び名が異なるようです。
天台宗、真言宗、禅宗では【戒名】といいますが、
浄土宗、浄土真宗では【法名】、
日蓮宗では【法号】というのだそうです。
初めて知りました。
きっとそんな会話になったとき、謙虚な方々は(一般的に【戒名】と呼ばれているから、意味合いは同じことだし、まあいいか)と、私に話を合わせてくださっていたのでしょう。
ああ、恥ずかしい。





No.443 20/01/28 19:13
旅人 

檀那寺を持たない、それどころか無宗教な私┉ではありますが、珍道中で参拝させていただいたお寺さんのなかで、尊敬するお坊さまが何人かいらっしゃいます。

そのなかのお一人、栃木県足利市の【大岩山多聞院最勝寺】さんの御住職さまは、毎日、毎日何キロか離れたところに建つ大岩山毘沙門天の御本堂に通っては朝の五時半から御護摩修行をされ、一日に何度も本坊であります最勝寺さんと、毘沙門天本堂を往復して、【毘沙門天さま】と【不動明王さま】それぞれに、水と仏飯(ぶつぱん)を捧げ、お花やくだもの、お菓子などのお供物を点検され、ろうそくに火を灯しお線香をあげ、お経をあげられています。まあ、これはどちらのお寺さんであっても同じようになさっておられるお勤めでありましょう。
ただ、こちらのお寺さんは、離れて二ヵ所にあります、最勝寺本堂と毘沙門天本堂、それぞれの本堂、境内のお掃除もあります。御住職は足が少し不自由でありましょうに、そんな毎日のお勤めや修行、お掃除も『ありがたいこと』と受けとめておられ、いつもニコニコされ、また、どんなに短い時間接するのであっても、きちんと目をみて一言二言ご挨拶くださいます。檀家でもない私の悩みを聞いてくださったこともございます。
一ヶ月に一度の御開帳とその日に合わせて執り行われる御護摩修行では何も見ずにお唱えになる御経の長さ!御真言の多さ!修行のたまものにございましょう。


┉お寺の和尚さんたちは、いったいどのように毎日を過ごされておられるのでしょう。    

No.444 20/01/29 09:47
旅人 

お坊さまは厳しい修行をなされて僧侶となられておられます。それぞれの宗派で本山とされるお山に行かれ、御経の伝授やさまざまな儀式を経て、試験もあるようです。
ある宗派では、朝の三時半に起きて掃除をし、読経をし座禅をくみ、厳しい作法のもと食事をし、また掃除をし、読経、境内の樹木の手入れなどなされて、読経し、眠るまでがひたすら修行といったドキュメント番組を観たことがあります。睡眠時間も四時間あるかないか┉。
そもそも入山の際、一時間以上門すら開けてもらえず、門が開いてもそのまま「帰れ!」と怒鳴られるシーンからすでに衝撃的でした。

普段の行いが怠惰にして、いいかげんで、我慢強くもない私は、その門にたどり着くまでのお山を上る行すらがすでに厳しい。お坊さまってスゴいんだな。とひたすら嘆息しながらその番組を観ました。

得度し、その宗派の僧を名乗ることがはれて許されてお山を下りてこられて、さらに修行させていただいている師のおられるお寺に戻られそのお寺での修行をなさり、お山におられるときほどではなくても毎日が修行であります。
ご自分がお寺の跡継ぎであり、ご自宅であるお寺の庫裏に戻られたところで、やはり毎日が修行であられることは最勝寺さんの御住職さまをみても明らかであります。
いろいろなお寺さんにうかがうことがありますが、作務衣どころか作業服でショベルカーを自ら動かしておられる御住職さんも、梯子をかけ樹の剪定を自ら行う御住職さんもおられました。まあ、これは修行かどうかは不明でありますが。
御住職さんがお留守のときもほとんどどなたかご家族が留守をまもられ、あとどのくらいでご帰宅の予定、ですとか、今日は○○に呼ばれているから夜にならないと帰らないとか、御住職のご予定をお伝えくださることも多々あります。何泊ものご旅行とかに行かれることもありますが、檀家の方々とご一緒であり、ご家族はお留守をまもられておられました。お坊さんのご一家はなかなか大変そうです。
一日中、見ず知らずの方が突然ご自宅の=お寺の敷地内に侵入し、ともすればご自宅の呼び鈴を押されて、「御朱印をお受けしたいのですが┉」などと言ってくる。はたからみてのお寺さん像であります。

No.445 20/01/29 16:48
旅人 

修行僧の朝は三時半。それほどではないにしろ、栃木県足利市の最勝寺の御住職は、本坊から細い山道をクルマで、何キロか離れた毘沙門天さまのおられる御本堂に向かわれ、五時半には御護摩修行をなされています。着の身着のまま向かえるわけではありません。僧侶として身を清めて身支度を整えてお出向きになりますし、その後もすぐにすぐ御護摩修行にかかられるわけではありません。まずは御本堂の掃除をされて、お花の水をかえ、ご飯とくだもの、お水やお茶をお供えし、それからろうそくを灯します。塗香で身を清めて、お線香をあげ、はじめて御本尊であります毘沙門天さまに対座されます。その際、はじめて目にしたとき深い感動をおぼえた、【三拝】をなさります。
【拝】とは、両肘、両膝と頭を地につけて行う礼拝(らいはい)【五体投地】のことで、これを三回繰り返すのが、三拝です。そう、平伏すようになさる礼拝であります。
お勤めはお経と回向文を読まれるようです。宗派により読むお経は異なるようですが、共通しているお経はいくつかあり、【般若心経】や【観音経】は宗派を超えて唱えられているお経のようです。
私が悩みを聞いていただいたときも、御護摩修行の際も最勝寺の御住職は【錫杖経】をお唱えになられていました。毎日の朝のお勤めの際のお経まではうかがったことはないので、そこまでは存じ上げないのですが┉。最勝寺さんは真言宗豊山派のお寺さんですので、真言もお唱えになられます。
釈迦如来さま、観世音菩薩さまなど、各如来さま、菩薩さまに。不動明王さま、毘沙門天さま、吉祥天さま、善膩師童子さまに。
お釈迦さまの法を継いだ高僧、インドの高僧、弘法大師さま、本山の開山さま、その教えを受け継いだ僧侶、ご自分のお寺の開山さまにむけて、お経を読みます。
それから、日本を守護する八百万の神さまにお経を読まれる宗派もあります。仏教は伝来してかなりの年月を経てはおりますものの、仏教が伝播したとき、すでに日本の神さまたちがこの国に住まわれていました。仏教はあくまでもその場所をお借りしてお寺を建て教えを広めてきた、そういった感謝の気持ちを神さま方にお伝えし、神さまたちの守護を願うためなのだそうです。

No.446 20/01/29 18:06
旅人 

そして、日本人のご先祖さま、日本国全体、檀家のご先祖さまに感謝のお経を読まれます。

回向文で『このお経を釈迦如来さま、各如来さま、各菩薩さま、御本尊さまのために捧げます。どうぞ次の願いをかなえてください』と仏法の興隆。国家の安泰と繁栄。国民の生活が豊かになり、さまざまな災難がなく、また消えていきますように。┉この功徳が現在、過去、未来にわたり、伝わっていきますように。仏さまの御加護をお願いいたします。』と『~のために~というお経を唱えました』と、読経の目的を明らかにします。

臨済宗のお坊さんのお勤めでは、【般若心経】【消災呪】【大悲呪】というお経を読まれるのだそうです。

宗派により異なるお経が読まれるのではありますが、どの宗派にあっても、日本国の安泰と繁栄、国民の生活が豊かになること、交通安全や家内安全。病気平癒や諸願成就等々が毎日毎日、日本全国のお寺さんで、お坊さまによって祈られているのであります。




No.447 20/01/30 05:04
旅人 

【天海上人】という方は、私の大好きな日光に東照宮をと唱えた方であります。死後、慈眼大師という号を受けておられ、日光東照宮・輪王寺の広い広い境内のなかに慈眼堂という廟所があります。
徳川家康から家光にいたるまでの三代将軍に深く関与された上人であります。

元和2年(1616年)、危篤となった家康は神号や葬儀に関する遺言を同年4月に大僧正となった天海らに託したとされています。
家康の死後、神号を巡り、以心崇伝、本多正純らと争い、天海は【権現】として自らの宗教である山王一実神道で祭ることを主張し、崇伝は家康の神号を【明神】として古来よりの吉田神道で祭るべきだと主張しました。二代将軍・徳川秀忠の諮問に対し、天海は、豊臣秀吉に豊国大明神の神号が贈られた後の豊臣氏滅亡を考えると、明神は不吉であると提言したことで家康の神号は【東照大権現】と決定され家康の遺体を久能山から日光山に改葬したのであります。
その後三代将軍・徳川家光に仕え、寛永寺を創建し、江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護を構想したとされます。

寛永20年(1643年)に108歳で没したとされ、その五年後に、朝廷より慈眼大師号を追贈されます。
天海は前半生に関する史料がほとんど無いものの当時としてはかなりの長寿であります。

その天海、秀忠と家光にそれぞれ長寿の秘訣を歌に詠んで送っています。
秀忠に対しては「長命は、粗食、正直、日湯(毎日風呂に入ること)、陀羅尼(お経)、時折、ご下風(屁)あそばさるべし」、
短気で好色な家光に対しては「気は長く、務めはかたく、色薄く、食細くして、心広かれ」というものであります。
将軍を前にして、「時折おならをあそばさるべし」だの、色薄く、だの、なんとも大物であったようであります。


たしかにお坊さんの毎日の暮らしぶりは規則正しく、健康的であるといえますよね。

No.448 20/02/01 00:26
旅人 

キリスト教では食事をいただくときに、お祈りをいたします。
キリスト教は両手の指を交互に合わせた合掌です。
「主よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意されたものを祝福し、私たちの心と身体の糧としてください」そして合掌を解き顔の前から胸にかけて十字を切り、「アーメン」とのみ言ったり、「父と子と精霊との御名において、アーメン」だったり。キリスト教もカトリックとプロテスタントではお祈りも異なりますし、私が日曜学校に通ったのは四年生から六年生までの短い期間で、さらにはウン十年経っておりますので、記憶が曖昧なものとなっておりまして┉。

仏教で、とか、神道で、とか(特に神道は)あまり機会もないのですが、通夜振るまいや葬儀のお清めなどで、特にお坊さんがお祈りをなさっていた記憶はないのですが、仏教にも実はお祈りがあるのだそうです。【食事五観文】というお経があるのだそうです。


  一つには、功の多少を計り、彼(か)の来処を量る
一つ、この食事は自然や多くの方々のおかげによるものです

  二つには、己が徳行の全欠をはかって供(く)に応ず
二つ、この食事は自分の務めを成し遂げるためにいただきます
 
  三つには、心(しん)を防ぎ、過貧(とがとん)等を離るるを宗
  とす
三つ、この食事は不平や不満を抱かせないための心の修行です

  四つには、正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり
四つ、この食事は命を保つための最善の薬としていただきます

  五つには、同業を成ぜんが為に、将にこの食(じき)をうくべし
五つ、この食事は物道修行を成就するためにいただきます


うーん、感謝するとともに食事もまた修行ですか┉。
たしかに食堂(じきどう)への出入りのしかた、座りかた、給仕、食器の扱い方など細部にわたるまで修行道場では作法が決められていました。
食器は持鉢(じはつ)といい、五枚一組で大きさが順番に小さくなっていて、重ねると一つに収納でき、全体を持鉢包みという布で包み、布巾と箸も効率よく、きちんとキレイにセットします。これはテレビの特別番組で観たことであります。持鉢の持ち方、食器の出し方、並べ方、片付け方にもそれはそれは細かな作法かありました。
仏教では食事を作ることも仏道修行だと考えます。


焼き芋にかぶりついたりはダメ?

  

No.449 20/02/02 04:32
旅人 

キリスト教、仏教と書いておいて、神道のことに触れないのはいけないなと調べてみました。

神道では、亡くなったご先祖様やご家族に対して、仏教のようにお線香をあげるのでなく、お米をあげるくらいですし、神社さんでは毎日食べ物を捧げる時間があるくらい、神さまのお恵みで実り、生きるために必要な糧を得ることができたことに日々感謝して過ごす、古来から日本人の生活の基盤となってきた教えであります。
いただきます。という言葉がそもそもまず神さまへの感謝から生まれているのだと考えたとき、神社さんでは当然、神道のお宅でも毎日毎食唱える言葉があるに決まっています。
神道のお宅につながりがなくて、お葬式に参列したことすらないので、知識を得る機会がなく生きてきた私。なにより神社さんへのお参りも、年に一度も行かないで過ごしていた時代が長いことあったくらいの不届き者でありますので、幼稚園児ですら知っているようなことも知らないで生きているかもしれません。

【食前感謝】
静座  一拝一拍手
「たなつもの百の本草(ほんぞう)もあまてらす日の大神のめぐみえてこそ」
いただきます


【食後感謝】
短座  一拝一拍手
「朝よいに物くふごとに豊受(とようけ)の神のめぐみを思へ世の人」
ご馳走さま


これは一例なのかもしれません。なにぶんにも神道の方との縁がなく、お忙しそうな神職の方に、わざわざ唐突にそんな質問もできないものですから(^-^;

No.450 20/02/02 05:28
旅人 

一日。栃木県足利市の【大岩山最勝寺毘沙門天堂】の毘沙門天さまの月に一度の御開帳の日であります。とはいえ、なにぶんにも自分の運転技術では到底行くことのできないところにございますので、夫にお願いするしか手段がありません。
体調はどうだろ?(´・ω・`;)
おそるおそる聞いてみると、快諾してくれました。

ところがアクシデントが!
でかけなければならない時刻がきても、いっこうに動いている気配のない夫。?(´・ω・`;)?
┉お腹をこわしたもようです。ムリかな?
「平気だよ。痛くなかったし、もう落ち着いたから」


四台しか置けない駐車場は当然一杯。さらに上にある展望台の駐車場まで行き、一キロ以上離れた本堂目指してひた走りました。それでもなんとか御護摩修行に間に合いました。
本堂に入ると、以前一緒になった方が何人かおられます。一組はおそらくどこかのお寺のお坊さんと奥さまで、普通のいでたちでお越しになられていますが、ご主人が剃髪されておられ、手には正式な使い込まれた御数珠をお持ちになっておられ、なにより読経となると、どのお経もそらでお唱えになっており、真言もすべてそらで唱えておられたので。
┉今回、何やらテープででしょうか?堂内にずっと御経のような効果音が流れています。私は静寂と、法要の鉦なり太鼓の音やかすかな数珠をならす音などの、いわゆるONとOFFのほうが有り難くもあり、効果的だと思うのですが┉。これは好みの問題かなぁ。少し残念。法要、御護摩修行が始まったら切ったほうが良かったと思うのですが┉。

御住職と山伏姿の僧侶の方が法螺貝を吹きながらのご入場であります。何度か修行させていただいている、いつものスタイルであります。今回の席はななめに座るとご本尊様がかろうじて拝することができ、御住職のお手元も拝見できる私にとっての特等席であります。夫はその後ろの椅子の席。
いくつかの真言をお唱えになり、手印を組まれ、さまざまな法具を使って、御護摩を炊くまでの手技を次々と繰り出されています。やがて御護摩の火が点されると山伏姿の僧侶が九字切りをされます。
御護摩の炎はやがて天井まで届かんばかりに舞い上がります。

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