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神社仏閣珍道中・改

神社仏閣珍道中・改

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旅人
20/03/09 08:54(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。







No.2796560 19/02/13 05:40(スレ作成日時)

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No.351 19/10/19 18:45
旅人 

どちらのお寺の御住職も、先祖がおられる以上、亡くなった方がおられない分家だからと言って御仏壇をもたないというのであれば、それは違うと申されます。

ですがやはり、御仏壇を継ぐ者を一人にしぼるには宗教の自由もありますし、気が引けるところがあります。何よりも住宅事情で御仏壇をお祀りできるところもないのですが(T-T)。
それゆえ、仏壇もどき。香炉と御花立、御鈴にアロマキャンドル(火災予防のためにガラス容器に入った蓋つきの物)を置き、毎日お花とお水とお茶を替えています。
トチってばかり、雑念だらけのこともありますが、般若心経を御唱えすることも増えました。御御影がおられる以上、宗派のない私にはもどきであっても仏壇を冠してもよいのではないかと密かに思っております。

檀家にはおそらくはならないと思います。それこそ、子供たちの誰かが継いでいくことになってしまう。
神道になるやも知れぬ、宙ぶらりんな弥次喜多であります。


お香の香りはこだわりがあり、値段は高くても気に入ったものは即購入いたします。今の物は本数も少ない上に二千円という、貧乏なくせに破格な値段の御線香であります。風邪をひいた者がある時期は煙の少ない御線香をあげます。
そんな私の仏壇もどき。
御鈴も仏具店を何軒も廻り、音色を選んで購入いたしました。
どうにもお願い事の多い、未熟な私の大切な大切な空間であります。

No.352 19/10/20 14:52
旅人 

ところで、私の大切な空間であります仏壇もどきの香炉。ホームセンターで買い求めたものではありますが、それなりの値段がいたしました、陶器製のものであります。
これが、灰の部分になると御線香の火が消えてしまうのです。
一週間に一度くらいは、灰を振るったり、燃え残りの御線香をピンセットで取り出したりしております。

両実家の香炉はどうだったろうか。あまり前回の御線香ののこりに当たって挿しづらいという記憶はありません。ちなみに両家の香炉は金属製。そんな関係なのか?
そうかといって両家の仏壇は埃が積もったり花が枯れていたりすることもあり、香炉の灰を小まめにふるっているとも思えません。両家の香炉、私の仏壇もどきの香炉と異なる点はもうひとつ、大きさが違いました。そして案の定、場所によっては御線香の燃え残りがあり、挿しづらい。どうやら、遠慮がちに人の挿さないあたりを選んで御線香を立てていたために、偶然そういったところにあたらなかっただけだったようです。
そうなると、お寺さんは毎日毎日お手入れをなさるからなのか。
いや、そうではなさそう。知人宅の香炉はスッと御線香の立つ香炉がありました。とりたてて手入れをしてはいないとおっしゃっていた。

そもそもが、灰。
御線香の燃え残りが灰になっていったと思っていたくらいです。灰を捨てることはあっても灰を買い足すことなど考えてもいなかった。


灰?
購入しております灰は、なんだかしっとりした灰です。
お寺さんの灰はサラサラとしております。御線香をたくさんたくさんあげている香炉だから、御線香の灰が溜まるとサラサラになるのか?

困ったときのGoogle先生。
手入れを怠っていると書かれていることがほとんどでした。(∩_∩;)
それから、御線香の種類が原因という説。様々な配合で香りを作り、香りも様々、色も様々。煙の少ない配合など、時代と共に変わってきた多種多用の御線香のせいだという説。

ですが、実はその多種多用の御線香を日によって使い分けている私、どの御線香も同じように燃え残っています。┉そう、灰の部分になるととたんに火が消えてしまう。

やはり灰に問題が?
御線香の灰、という商品を購入しております。百均でダメならとホームセンターのものに変えてみましたがやはり同様です。もう三袋購入して、灰を継ぎ足して、灰をふるっております。


No.353 19/10/20 18:10
旅人 

┉などと香炉の灰のなか燃え残った御線香について、やたら長きにわたって書いておりますが┉。

正直、お祀りするにはあまりに粗末であるため、どなたかのお怒りをかってのことではないかと、心穏やかではなかった時期がありましたのが本当のところである、無知でビビりなヤツでございます。


No.354 19/10/22 02:51
旅人 

即位礼正殿の儀ということで祝日🎌であります今日。
正式に天皇陛下が即位され、名実ともに令和になる日、ととらえればよいのでしょうか。

身も心も立派な初老のおばさんで、脳に至っては認知障害がだいぶ進んではおりますが、生まれたときにはもう戦後も戦後で、すでに豊かな時代をむかえておりました世代であります。
天皇陛下が現人神であらせられたことは歴史としては知っておりましたものの、すでに陛下御自身が象徴としての道を歩まれておられ、陛下が神であったといった感覚のない世代であります。

この度、生前に御退位なされて平成から令和に代わる際は、あらかじめの準備期間がたっぷりとあったこと、なによりも昭和天皇崩御の悲しみのうちに即位された上皇陛下の時と異なり明るいおめでたいムード一色の即位でありますこと。
そして奇しくも神社仏閣に縁のない人生をおくってきた私が、珍道中ながらも、神社に詣でる機会をもつようになっていったため、天皇陛下と神社の深い繋がりを肌で感じることとなったのであります。

今年、神社に詣でますと、天皇陛下の御即位を祝う【奉祝】といった貼り紙がなされ、記帳所が設けられておったりもいたします。それが伊勢神宮、明治神宮とかであればさもあらんと思うのでありますが、近所の普段はほぼほぼ無人の神社であっても、キチンと【奉祝】の貼り紙があるのです。
天皇陛下は日本国を創られた神の子孫であらせられたのだなぁと、こんなおばさんがあらためて感じたことでありました。
即位礼の特別な御朱印も用意されているようで、群馬県でも御朱印で名を知られたような神社仏閣ではすでに特別御朱印がネットで発表されておりました。

どこでどんな風に御即位をお祝いさせていただこう。
今日は雨、午後からは晴れの予報もありますが┉テレビ、かなぁ?
体調の今一つ悪い弥次喜多は、雨の日、テレビの前で過ごしそうな即位礼正殿の儀の今日であります。🎌

No.355 19/10/22 21:06
旅人 

┉即位礼正殿の儀。さて、どちらの神社に参拝させていただこう。などと思いながら、そろそろテレビで宮中三殿での儀式の時間だ、だの、眞子さまと佳子さまのおすべらかしと十二単のお姿がもっとみたいだのと、結局予想どおり、だらだらとテレビの前で過ごしておりました。(((^_^;)
「雨があがったね。どこか行こうかね」
「うーん、だって即位礼が始まるよ」
お互い体調が悪いのでなかなか動こうとはせず、とうとう私にいたっては庭からすら一歩も出ずにごろごろと過ごしておりました。



閑話休題。



【天孫降臨のとき、天照大御神さまは孫であらせらるニニギノミコトさまに稲穂をお渡しになり、「この稲を育て、葦原中国を治めなさい」と仰せになりました。
さらに八咫鏡をお授けになり、「この鏡を私の御魂としてまつり、国の繁栄を祈念するように」とお命じになりました。
ニニギノミコトさまが葦原中国に降臨される際にお持ちになられたのが、天皇家に伝わるあの【三種の神器】であります。
ニニギノミコトのひ孫にあたる第一代神武天皇をはじめ、代々の天皇はこの教えのまにまに、お住まいの中に八咫鏡をおまつりされ、国の平安と発展を祈念されました。やがて、
「八咫鏡を宮中でおまつりするのは畏れ多い」として、伊勢の地におまつりするようになりました。これが伊勢の神宮の始まりなのだそうです。
宮中では伊勢におまつりするようになった八咫鏡に代わる御鏡をおつくりし、おまつりされました。これが現在の賢所のはじまりとなりました。
賢所とは、「天照大御神様がまします、畏れかしこむべき御場所」という意味であるといわれているのだそうです。


今年は、天皇陛下の退位と即位があり、御代が平成から令和へと代わったことをうけ、神社が天皇家の奉祝をするその意味を広く伝えようということで、様々な資料や小冊子が作られていました。これはその中の一冊に書かれた一文であります。




No.358 19/10/23 05:57
旅人 

平成の御代の幕開けの前回のときは子育て真っ最中。
とてもゆっくりテレビなど観てはいられず、即位礼正殿の儀とか言われても正直記憶がない。
今回は子育ても終了し、朝からの雨、たっぷりあり余る時間。テレビでは上皇陛下のときの映像も流れ、平成の御代の儀式のご様子もとくと拝見することができました。


まずは午前九時からの【即位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀】。

午後から行われる【国の儀式・即位礼正殿の儀】に先立ち、
九時から皇居・宮中三殿で、天皇陛下が即位礼を行うことを神前に奉告する【即位礼当日賢所大前の行事が執り行われました。
皇居の森の奥、宮中三殿と呼ばれるところであります。

皇室皇祖とされる天照大御神さまの御霊代として御神鏡をお祭り申し上げます【賢所】。
歴代天皇・皇后、皇族の御霊をお祭り申しあげます【皇霊殿】。
天神地祇をお祭り申し上げます【神殿】。
この御三殿に附属してさらに、【神楽殿】、【綾綺殿】(天皇・皇后が祭典出御の際にお着替えなさる御殿)、また【神嘉殿】(新嘗祭が行われる御殿)などの建物があるのだそうです。
 
神事服の純白の束帯(天皇や公家の平安以降の正装)を着た陛下が賢所に拝礼し、御告文(おつげぶみ)を読み上げられました。
そのご様子はさすがに神事でありますのでカメラはそこまで入らず。
続いて、しばらくの間ののち、同じく神事服の白い十二単(じゅうにひとえ)姿の皇后さまが拝礼されました。初めて見る全てが白の十二単は、私はあまり好みではなかったです。
この後、モーニング姿の秋篠宮さまとローブデコルテの女性皇族方と、安倍晋三首相はじめ三権の長らといった参列者が、賢所の前庭から拝礼しておられました。

音が聞こえそうなくらい横殴りの雨が降っておりました。
それが奇跡のように雨があがり、しかもうっすらと日のさした空に、それは大きな、見事な虹がかかっていたのだそうです。
これぞ吉兆の印でありましょう。

どうか、数々の災害で多くの民が苦しんむ今のこの国の未来にさした明るい日の光であり、幸せへの架け橋の虹となりますように。

No.359 19/10/26 21:29
旅人 

さほど遠くないのに、なかなかそこにたどり着けない。
それは縁がないのだと、その神さま、神社に呼ばれていないからだとと書かれているのを、目にすることがありました。
それでは、今回、お呼びいただけたのかと、うぬぼれてしまいそうな、出会いでありました。

群馬県前橋市にあります、【岩神稲荷神社】さん。
飛石と呼ばれる岩があるということで、心ひかれておりました。 
ただ、前橋市にはひとつきに何度も出向くのに、お参りという形で向かうことができず、今日も違う用事で前橋市に向かったのでありました。ナビを操作する際、ふと画面をスライドする動きをしてしまい、岩神稲荷神社さんの名前が一瞬映し出されました。
「あ、岩神稲荷神社さん、あれ?どこにあったんだろう。岩神稲荷神社さん、いつかお参りさせていただきたい神社さんなんだけど┉」
結局、画面にはもう一度の偶然はなく┉。
用事を終えて、前橋市で薔薇で有名な敷島公園に向かうことにしました。クルマで移動しながら(してもらいながら 笑)ふと外を見ると、街中の景色のなかに突然、目を疑うほどの大きな岩が現れました。
「ここだ!ここだよ!岩神稲荷神社さん!」
隣にはスーパー。ここに停めてもいいということ?
なんという御導きでありましょう!

見上げてため息がもれるような、大きな大きな、大きな岩であります。しかも、よく見ると大きな岩がいくつかの岩と、バランスよく支えあいながら立っているのです。
「はあぁぁ┉」❤

拝殿があって、本殿にあたるところがこちらの大きな大きな岩、御神体となっています。
榛名神社さんは本殿が御山に寄り添わせていただくように建てられていますし、妙義にある中之嶽神社さんは本殿はなく御山の上に鎮座する轟岩が御神体でありました。
ですがこちらは山の中であったり、山の山頂であったりすることない、街中にそびえ立つ岩となります。
神社さんでいただいた資料によりますと、地表露出部分は高さ約9.65m、周囲60m、地表下の約10mは広瀬川砂礫層に埋没しているのだということであります。
浅間の活動期に山頂付近にあった岩塊=火砕岩が前橋泥流によってこの地に押し流されて現在地にいたったのではないかという説が有力なようです。


No.360 19/10/27 07:45
旅人 

鳥居や拝殿は新しく、おそらくは元々は拝殿のない形のままお祀りされていたのだろうと推測されます。岩神さま自体にも篇額が設けられた小さな石造りのお社がお祀りされておりますし、岩神岩さま、のお足元にも稲荷社が設営され、お稲荷さまがお祀りされています。

崇め奉らなければいけない、といった威圧感のあるものではなく、そんなにも大きな岩であるのに、街並みにあって当たり前といった自然な雰囲気を醸し出しておられる御神体であります。
先にも述べましたが、大きな大きな岩が奇跡のバランスで支えあいながら立っている岩。これは神さまのなされた奇跡、と現代人の端くれの私が思う、そしてここに優しい神さまがおられる、と感じさせていただけるお力をお持ちの御神体であります。

主祭神さまは倉稲魂命さま、木花咲耶姫命さまであります。
上野厩橋藩初代藩主酒井重忠公が稲荷大神を勧請されましたことから、岩神稲荷神社と称されました。
崩れることなく組合わさって立つ岩に、崩れ落ちないことから験を担いで、合格祈願をされる方も多いと聞きます。


その昔、石工が石材に使おうと岩神の飛石にノミをいれたところ岩から不気味な声がして血が流れ出したという伝説が伝わっております。


時代の移り変わるなかで、大きな自然の力┉榛名山の大きな岩なだれであったり、大洪水であったりで、坂東太郎と呼ばれる坂東一の利根川の流れは流路を変えて、旧利根川と現利根川の流路に挟まれた前橋台地の最上部に位置するのがここ岩神の飛石があるということです。
町を呑み込む大きな災害のあとにあって、川の流れすら変わってしまったあとにあっても、形を変えずに凛と立つ岩神さまはどれだけ当時の人の心を癒やしてくださったことでしょう。




このたびの大きな災害に、言葉を失うばかりであります。
一日も早い復興をと思う最中に追い討ちをかけるような大雨。自然の力は本当にはかり知れず、度重なる被災をされた方のなんと多いことか。
どうかどうか、一日も早く復興できますよう願い祈るばかりであります。


No.361 19/10/29 16:36
旅人 

四年越しの夢がかない、群馬県みどり市のはねたき道了尊さまの大祭に参列することができました。
そもそもがこちらの場所にたどり着いたのが四年前。偶然目に入ったお社のような風景。クルマの置くところもわからないために、歩いて歩いてたどり着いたのが、ここ、はねたき道了堂でありました。

【はね瀧道了尊】さま?
近くにはねたき橋と呼ばれる橋がかかっております。そこからのお名前なのでしょうか?道了尊さま? 
本当にいつまで経っても初心者でありますが、その頃こそがまさに神社仏閣珍道中を手探りで始めた頃。道了尊さまの御尊名を初めて目にいたしました。そもそもが読めない。道了┉どうりょう?
そろりそろり入った境内には大きな赤い高下駄が祀られ、その隣には古びたねじれたような木?根っこ?が納められたお堂があります。
その隣に、はねたき道了尊さまの像がまつられておりました。

 
【はね瀧道了尊のお姿は、烏天狗のお顔をしており、子どもの心に宿ろうとする悪鬼を睨みつけさらに悪鬼を懲らしめる為に右手にねじり木を、左手に網を持ち、煩悩を焼き尽くす火焔を背負い、疾風より早く駆ける白狐に乗っていらっしゃいます。】┉まあ、御像がブロンズ(?)のため白い狐だということはこの文を読まなければわからないことでありますが。
【往昔、心のねじれた子どもを立ち直らせる為に道了尊に詣で、ねじり木一本を持ち帰り、『拗ねた心の子どもは【すなほなれかし】』と朝夕お唱えし、大願成就のあかつきには、ねじり木を二本にしてお礼参りをしたということが古い記録にあります。
近時、不登校や引きこもりなどの心の悩み、万引きや麻薬などの非行が、大きな社会問題となっていることは周知の通りです。未来を担う子どもらがすなおに育って欲しいという親の願い、人々の様々な願いを叶えてくださる道了様をここに改めてお祀りいたしました。道了様の霊験は、その昔には、養蚕守護・水難除・盗賊除・火災除・鼡口止などにその功徳を発揮されてきました。時代が変わった今も、開運・家内安全・身体健全・交通安全・所縁吉祥・五穀豊穣。災厄消除、特に、非行防止など、心願成就を願う方々に多くの御利益が享受されますよう期待いたします。】
と、立派な金属製の真新しい立看板に書かれておりました。



毎月28日祈願法要
10月28日大祭日

十月二十八日、群馬県民の日であります。

No.362 19/10/29 17:15
旅人 

 さらに御由緒として
【『どうりゅうさん』の呼び名で親しまれております『はね瀧道了尊』は、諸願成就、子育ての仏様として江戸時代から現在に至るまで、時代を越えてたくさんの信仰を集めてまいりました。
道了尊は、宝暦二年(1752)5月、光栄寺第十世寿賢の代に、
【神奈川県足柄市大権現最乗寺】より、ここ大間々の渡良瀬川沿岸にお迎えされたと、記録に残されています。
以前は、現在地よりも北側およそ100メートルの斜面を下がった所にありました。当時、縁日は毎月27日、28日の2日間で、道了堂参道には『滝の湯』という湯屋や茶店が並び、たいへん賑わっていたそうです。
また、天保二年(1831)には、かの渡辺崋山も当地を訪れ、要害山から高津戸一帯を描いたことが『毛武游記』に記されています。しかし、昭和二十二年(1947)のキャサリン台風による水害で、渡良瀬川沿岸にあった道了堂は、周辺の滝の湯、茶店もろとも一瞬のうちに濁流に飲まれ、跡形も無く流されてしまいました。その後、災害復旧は果したものの、道了堂の再建が叶わなかったこともあり、残念ながら道了尊信仰は衰微して行きましたが、参拝は、数少ない篤信者の方方により続けられてきました。
しかし、落石、崩落の危険は絶えず、参詣が困難となり、また、再建に対する地元民の強い要望もあり、平成十五年(2003)十一月一日、光栄寺開山400年を記念して、道了尊をこの地に移転、勧請いたしました。】
とあります。こちらのお堂、同みどり市内にある【瑠璃光山医王院光栄寺】さんの境外仏堂になります。


道了は『どうりょう』ではなく『どうりゅう』と読むようで、もともとは実在の人物であったようです。修験僧であり、師と慕う僧が亡くなった際に伝えられるお姿に変化され、白い狐に乗って山のなかに入っていったと伝えられているそうであります。

ここからお借りしていくというねじり棒はかなり大きな天然のねじれた枝であり、子供のねじれた心がまっすぐになり大願成就のあかつきには、二本にして奉納していくということ。┉無理だわ。
そんなねじれた木の枝を探すことが大変であります。
それほどにねじれた心を治すのは容易いことではないということなのかなぁ?( ´-`)
ましてや私、齢五十余年。筋金入りのひねくれ、ねじれたハートであります。道了尊さまのお力を持っても治すのは困難かと。



No.363 19/10/29 23:59
旅人 

毎月のお縁日も大祭も、十一時からということで、少し前から現地入り。本
堂とか、扉のしまるお堂はなく、小さめの児童公園くらいの広さです。その境内にすでにもう人がたくさん集まっています。道了尊像の前には保育園児がお行儀よく、体育座りをしています。入り口では無料でポップコーンとわたあめが配布されています。
さらに御守等を授かる、仮設の授与所が。
御守りは、通常、【御守り】といったときに誰もが思い浮かべるあの御守り。それから、木の棒に凹凸をつけさらにはその木の棒を真ん中からたてに切れ目を入れてそこに御札が差し込んである御守りがありました。
それから道了尊さまのお姿の入った祈願書。A4の紙に道了尊さまのお姿が描かれ、そこに自分のお願い事を書き、名前を書くというもの。
聞けばここで祈願していただき、自宅に持ち帰る。そしてその紙を来月のお縁日に持参してそこに押印していただく、というもの。
「来月のお縁日には来られないから無理だなあ」と言うと、「来られるときのお縁日で大丈夫」と言われました。そもそもがそのA4のお姿を持ち帰る、ということが難しい。
┉とりあえず、御朱印をお受けしよう、と。

No.364 19/10/30 19:38
旅人 

光栄寺の副住職さまは、子どもが大好き。
そして、目端のきく┉常にピンとアンテナをたてておられ、人の動きや、物品の減り具合・補充のタイミングをいち早くお気づきになり、また、行事のスケジュールの流れもきちんと全体をご覧になっておられ、なにかをすっと察知したと同時に身体が動いているお方であります。こまめに動くことを厭うことなく、そして優しい笑顔の絶えないお方です。

今回もその様子が見て取れ、本当に頭が下がると同時に、あれが修行をなされた僧侶のお姿なのかと、同じ人間として恥ずかしくもなる、私がひそかに尊敬している人物の一人であります。
いつもお参りをされている方のお顔をきちんと覚えておられ、ご自分から声をかけてくださる方であります。

副住職さまが今回御朱印をお書きくださっておられました。尊敬する方のお手によるものは格別なものであります。
御朱印を求める方の列が途切れたかと思うと、韋駄天のごとくにその場を離れ、作務衣姿で自転車に乗られたかと思うや、全速力だろうスピードで漕いで┉おそらくは光栄寺さんにお戻りになられたのかと思いましたが┉。
気づくと、緑色の衣姿になっておられました。もちろん、さすがにそのお姿で自転車で戻られた訳ではないでしょうけれど。
そのお姿でまた御朱印をお書きになられ、マジックショーが終わったタイミングで、今度は法要の準備に取りかかられました。御住職をたてて脇役にまわりながら、呼吸をぴったり合わせて、法要を進めておられます。

御祈願書に書かせていただいた、願い事と名前をひとりひとり読み上げたうえで、御祈祷くださいました。
交通安全や、家内安全、商売繁昌被災者の方々の復興等、たくさん、たくさんの祈願をしてくださっていました。

三人の僧侶で子供たち全員にひとりひとり、頭にそっとねじり木をあてられ祈祷してくださったあと、あの木で作られたお札のついた御守りを手渡してくださいました。


ねじり木では私の年期の入ったひねくれた心根は治らないような気がいたしますが、副住職さまをみていると、なんだか心が洗われたような気がして。
ありがたい大祭に参加することができました。


   令和元年十月二十八日   参拝

No.365 19/11/06 00:09
旅人 

はね瀧道了尊様の大祭で、道了尊のねじり木に御札がついた御守りを、お受けてしても、仏壇がないため購入を考えていると、檀家の代表の一人のかたが「神棚は?」と聞いてくださり、「神棚もないんです」と話したところ、目の高さにおまつりするようにおっしゃってくださいました。

そんな話の流れから、仏壇も神棚も、この年になって持とうとしても、跡を継いでくれる者がいないときびしいから、なかなか持つことができないという話をいたしました。すると、その檀家代表の方から、私にとってはきびしい一言をいただきました。「きちんと子どもが小さいときからそういう教育をしてこなかったからいけないんだよ。仏壇があって、神棚があって、先祖を親を大切にするような教育をしてこなかったから」
┉私としてはそれを望んでいたんだけど、な。畏れを抱く存在をもち、自分を律することを覚えてほしかったし、つらいとき悲しいときの心の拠り所にさせていただきたかったし、子供たちにもしてほしかったから、御仏壇や神棚のある生活をしたかった。
ただ、そもそもが私自身が神様や仏様のもとに詣でることすらないような育ちをしてきた存在だったから、どうお祀りをすればよいかわからなかったし、義父の反対があってその理由を疑問に思いながらも、反論したところで、ほとんど知識もなかったし、実際にそのお祀りのしかたの教えを乞う存在が嫁ぎ先くらいしか考えられず、いつの間にかあきらめてしまっていたことであります。
義父母は宗教にたいしてクールな存在で、親から伝えられたことは伝承してはいるものの、懐疑的に思っているといった発言が多々聞かれていましたし。
いずれにせよ、反対されようが強い意思を持って挑めば、叶った望みであったのだから、すべて自分の選んだ道でしかないのです。そんな過去のことは後悔してももう取り返しはつきません。そもそもいまだに正しくお祀りできる自信がないという、未熟者であります。



No.366 19/11/06 00:11
旅人 

ただ、御仏壇や神棚を持ちながら、それを次の世代に受け渡すことができない悩みもお聞きします。お墓すらがそうなってきている時代であります。
五十代。そろそろそんなことを真剣に話し合う私どもではありますが、いまだに菩提寺さんすら決まったところがないくらいであります。
私どもの住むところは共同墓地のような宗教にとらわれない墓地はなく、菩提寺さんを考えようとするとき、後継者がいないと断られるというお話もお聞きしたりして、私どもが珍道中を重ねたうえでこちらに帰依したいと思うところがあっても、お寺さんに後継者問題をお聞きするほどにはまだ考えたくもないところもあって、実際には宗教すら定まらず、今後、神道にと思うことがあることもあろうし、キリスト教となるかもしれません。当然、お墓問題もふわふわと浮いた状態となっているのが現状であります。

お墓問題も御仏壇も、すでに新時代を迎えております。
もう少しその流れを見守って考えていこうと思う、私どもであります。


No.367 19/11/06 00:55
旅人 

群馬県みどり市の光栄寺さんの【柿薬師大祭】は十一月三日。
毎年新聞の折り込み広告に案内をいれるほどのイベントとなっております。
お寺さんはどうやらむしろ場を提供して協賛しているような立ち位置にあるようで、毎年異なる寺宝を展示してくださるのと、人形供養の御祈祷をしてくださるというお役をなさっているくらいで、あとはすべて檀家の方々がそれぞれ役割を担って祭りを進行されています。
綿あめ、ポップコーン、柿茶などの無料配布や、輪投げ大会、柿の種飛ばし大会などが催されています。
毎年、参拝者全員に柿を一つ、御札を一枚お授けくださいます。昨年お受けした御札をお返しして新たな御札をお受けするのと、写経のために朝一番に参拝いたしました。
昨年は自分の守り本尊さまの写仏をさせていただいたので、今年は写経をいたしましたが、こちらの写経の紙は裏側に鏡字で印刷されているもので、文鎮等がいらない作りになっていました。
昨年写仏の際にマイ筆ペンと文鎮の必要性を痛切に感じましたので、最近私のバッグには筆ペンが常に入っており、今回はしっかり文鎮も持参してきておりましたが、これなら下に敷いた経文がずれることがないので文鎮も要らず、私のような初心者には大変ありがたい写経の紙であります。時間が早かったせいか昨年のようにマイ書道セットや、マイペンセット、マイ水彩絵の具を持参された方々にはお会いできませんでした。
ちょうど内陣にほど近い、目をあげればお前立ちの仏さまが拝見できるような特等席で写経することができました。
写経のあとはお灯明をあげて、書かせていただいた般若心経を御本尊さまの前におかれたお盆にお納めする前にあらためて読経させていただき、納めてまいりました。
今年の寺宝は十二天の掛け軸十二幅と涅槃図でありました。古いもののようですが保存状態がよいようで、どちらもお美しいお姿であられます。いつもは閉じられた襖の奥に安置された不動明王さまにも参拝させていただけました。
写経をお納めし、特等はディズニーリゾートペアチケットというイベントには参加することなく帰宅いたしました。
孫を連れて来るようになったら、そのときはばあちゃんも一緒に輪投げやら柿の種飛ばしをしてみようかな。



     令和元年十一月三日  参拝




No.368 19/11/10 05:58
旅人 

このところよいことがなく、こんなときお祓いをするのかな?などと考えて、ふと気づきました。「お祓いってどこでお願いするものなのだろう?」
┉いやはや相も変わらず初心者のままでありました。
「どこの神社さんで┉」というレベルの問題ではなく、神社さんなのかお寺さんなのか?といった、初歩の初歩の段階であります。
車のお祓いをする祓い所があるのは神社さんです。地鎮祭も神社さん。以前ならばお祓いといった行為は神社さんが執り行うところと思っていました。
少し珍道中をし、加持祈祷や厄除けをなさるお寺さんの在り方を知り、そこのスタート地点に立った、ということなのかもしれません。どれだけ初心者であったかをあらためて思い知りました。(^-^;

そして困ったときのGoogle先生にお聞きしました。



【お祓いとは】
お祓いとは、簡単にいうと罪や穢(けが)れ、災厄などのよくないものを取り払う行為。お祓いは「不浄のものを清浄に、不完全なものを完全に、不良なものを善良に」することを目的とし、災厄や汚れを取り除いて「理想の状態」にすることができるとされています。

そもそもは日本古来の宗教である神道において行われる儀式であり、神道における罪の概念「天津罪(あまつつみ)・国津罪(くにつつみ)」などの罪や穢れ、また不浄のものを除くための呪術や神事のことをあらわしていました。

穢れとは「気枯れ」ともいい、これは「気=生命力」が失われた、あるいは枯渇した状態を意味します。

神道で死を穢れとするのは、この生命力が失われた状態に該当するからとなっています。同じように血液を嫌うのも、「血を流している=生命力が減少している」状態であると考えられるためで、そのため出血を伴う出産も穢れとなるわけです。

また神道では罪についても日常私たちが考えるような罪のことではなく、「包み」といって私たちの本質を覆い隠してしまうものと考えられています。「心の垢」とも表現されるものです。罪や穢れは生命力が減少する、あるいは本質が失われた状態であり、「心のバランスを崩した状態」であるともいえます。

そのような淀みがたまれば大きな負の塊となって災いをもたらすかもしれないということから、身を清め、また災厄を防ぐために罪や穢れを取り除く「お祓い」が行われるのです。


No.369 19/11/10 06:34
旅人 

なるほど、やはりお祓いは神道、神社さんなのか。
と読み進むと!さらに私の求める答が書かれているではありませんか!
Google先生も拝みたいほどありがたい存在であります。




「お祓いをしてもらおうと考えたとき、神社?それともお寺?どちらなの?という人がいるでしょう。どちらでも、同じようなものがありますので、本当に迷ってしまいますよね。」(┉はい、まさに私です。)

身近な例として厄年に行う【厄払い】【厄よけ】があります。
お正月などにお参りに行った先々で、[前厄]、[本厄]、[後厄]と分けて厄年の人の年齢が書かれています。

[厄払い][厄よけ]ともに同じものと考えますが、厳密にいうと本来は【厄祓い】か【厄よけ】に分かれるのです。
諸説ありますが、「厄払い」は厄年の人の厄を祓(はら)い、「厄よけ」は祓(はら)った厄を寄せないようにするというのが有力な説と考えられています。

そもそものお祓いという考え方で行けば神道の考え方ですので、お寺ではなく神社で行ってもらうものです。しかしお寺でも「厄よけ」といって、祈祷を受け付けているところもあり、現在はそれほど厳密に分けられていないと考えて問題ないでしょう。




【お祓い】と【加持祈祷】の違い
【お祓い】は神社で行うものであり、罪や穢れを祓うことで身を清め、正常な状態に戻す儀式のことを指しています。

神社とは異なりお寺で行われるのは「お祓い」ではなく、密教とされる天台宗や真言宗が行う【加持祈祷】という儀式になります。
これは手印を結んで呪文を唱(とな)え祈祷し、不動明王や観音様の力で災厄(さいやく)を遠ざけてもらう加護を受けることが目的です。
一般的には神社では厄祓い、お寺では厄よけというイメージを持つと覚えやすいのではないでしょうか。


Google先生、ありがとうございました。


ん?では、神社さんでお祓いを受けてのち、お寺さんで加持祈祷をしていただいたほうがよいの?(・・;)
そんな欲張りなやつのたわ言には、さすがにGoogle先生もお答えくださいませんでした(^^;


No.370 19/11/10 07:01
旅人 

【お祓いや加持祈祷を受けるにあたってしてはならないこと!】

おお、Google先生はやはり読みが深い。迷える愚者へ更なる助言がありました。


お祓いや加持祈祷をお願いするときに、どこの神社やお寺に行こうかと悩んだり、あるいはたまたまみつけた神社やお寺でやってもらおうと決めたりしてはいけません。

お祓いや加持祈祷は、どこで行ってもらってもよいというのはちょっと違います。(・・;))

信仰していない、自分にあっていない場所でお祓いや加持祈祷をしても余り効果は得られません。例えば仏教徒がキリスト教会でお祈りをするというのはちょっと違和感があるでしょう。
お祓いや加持祈祷も、信仰している宗教に合わせるのがおすすめです。

また、スピリチュアルな物や場所が好きな人というのはいますが、だからと言って「有名だから」「御利益があるから」といろいろな場所へお祓いに行くというのはおすすめできません。!Σ( ̄□ ̄;)

いろいろな場所へ行くということは、多くの神様や仏様に願いをかなえてもらおうということになってしまいます。

信じる者は救われると聞きますが、信じすぎてあちこちに頼るのはよくありません。(._.)
お正月で毎年お参りにいっている神社やお寺や、あるいはお墓があって檀家となっているお寺など、縁がある神社仏閣にお願いしてみるとよいでしょう。
もし、特に信心しているところがなければ、安心して任せられるところにお願いして見ましょう。


┉私の場合、毎年お参りにうかがっていたような神社仏閣がなく、さらにはどちらの檀家ともなっておらず、自分探しという目的で珍道中をさせていただいておりますので、いろいろな神社仏閣にお参りさせていただくのはお許しをいただくにして(そういうのは身勝手な自己判断という、やはり忌むべき行為かもしれませんが)、たとえば居心地のよい神社さんやお寺さん、その立ち居振舞いや修行をなさる姿勢に感銘を受けた宮司さま、御住職さまがおられるところはございました。
ある意味、まっさらな状態であったからこそ、自分の信じる道を探求できたのかもしれません。
だとしたら、親に感謝すべきなのかもしれません。( ´ー`)

No.371 19/11/13 05:56
旅人 

加持祈祷の意味も知らずに、お寺さんがいいかなとか神社さんがいいのかなとか言っているとチコちゃんに叱られてしまう。
まさに私、お寺さんが行うお祓いに当たる行為を加持祈祷と呼べばいいのだと思っていました。

【加持祈祷】

「加持祈祷」はひとつの言葉のように捉えられがちですが、実際には「加持」と「祈祷」は別の意味を持っています。

仏様の信者に対する働きかけの力を「加」といい、信者がその仏様の力を受け止めることを「持」といいます。つまり「加」と「持」のふたつが相互に作用して「加持」となるわけです。
一方で祈祷は文字通り、仏様に願いをかなえてもらうために祈りをささげることですから、加持を行うための手段と考えることができるでしょう。
自分の能力を開発する三密加持(さんみつかじ)から、葬儀のときに行われる土砂加持(どしゃかじ)、安産を祈願する帯加持(おびかじ)などで、何を願うかによって加持の方法も変わってくるのです。

手印や真言呪(しんごんじゅ)、観想などの方法で加持をすることが多いのですが、宗教によっても方法は変わってくる場合もあります。
火の中に供物を入れ、護摩木(ごまき)を投じて祈祷する方法や、自分の心の中にある煩悩や業を仏の智慧(ちえ)の火によって焼き払ってもらう方法など様々です。


祈祷は国家で行われるものと、個人で行うものがあります。

国家の場合は「修正会(しゅしょうえ)」「修二会(しゅにえ)」「節分会(せつぶんえ)」のように、行事として定期的に行われるものが多く、五穀成就や除災与楽(じょさいよらく)などの目的で行われます。
「修正会」は正月に仏教寺院で行われている、世の中の人が平穏に暮らせるように幸福を願う法要であり、修二会とは昔は旧暦の正月に行われていた、最近では新暦の3月などにもされている法要で、特に東大寺二月堂の「お水取り」や、薬師寺の「花会式」が有名であります。
「節分会」とは節分に行われ、テレビのニュースにもなる、仏教寺院での「豆まき」として知られているものです。

個人で行うものには、家内安全や商売繁盛、諸願成就(しょがんじょうじゅ)などがあります。



修行をしているわけではないにしても、いつまでたっても初心者レベル。「加」「持」「祈祷」、なのですね。 


No.372 19/11/19 15:28
旅人 

さて。その悩み多き私。
さんざ、お祓いや加持祈祷について調べて、いったいどうしたかといいますと┉。
毎日、ふもとの本坊から、お山にある本堂の毘沙門天さまに出向いて朝の五時半から加持修行をなさっておられる、ある御住職のことが頭に浮かんで、ぜひ御住職にお願いしたい思いが胸にいっぱいになってしまいました。
加持祈祷をなさっておられるのはお正月の三が日と毎月一日とされております、【栃木県足利市の最勝寺】さんの大岩毘沙門天さま。

ですが、その毎月一日、は過ぎたばかり。藁をもすがる思いで┉ある意味図々しく、最勝寺さまに電話をいれさせていただきました。
「一日でなくても加持祈祷をお受けすることはできますでしょうか。護摩檀を焚かれてのご祈祷でなくてのご祈祷はお受けいただけますでしょうか。」
「何かお悩みがありますか。┉私にはお話をうかがうことぐらいしかできませんが、それでよろしければどうぞお越しください。午後になれば毘沙門天さまのところに向かう予定でおりますので。」
┉図々しさにもひるむことなく、すでにお電話口で私の悩みを受け止めてくださっておられる御住職さま。
「毘沙門天さまをお頼りくださり、私を頼ってくださるのもありがたいご縁であります。どうか気をつけてお越しください」

ありがたい。
なんとありがたいお言葉でありましょう。
お聞きすれば、去る十月の巨大台風でお山の毘沙門天さまの御本堂に向かう道が崩れてしまい、遠回りして毎日お山にむかい、途中から歩いてくる日もくる日も加持修行に向かわれておられるとのこと。なんと尊くありがたいことなのでありましょう。

ただ┉ただひとつ問題なのは┉ただでさえ方向音痴で最勝寺さんの本坊に初めて参拝に向かった折りにも迷子になり、御住職に電話で道案内をしていただいた私。そんなことよりも、さらにさらに問題なのは、山道の、ほぼ車一台しか通れない初めての道を私にはとうてい走ることができない!ということ。
そうであれば、と、本坊の最勝寺さんでとさらにさらに図々しい申し出をお引き受けくださいました。


ご祈祷にうかがう前から、すでにもう感謝しかございません。

No.373 19/11/23 08:40
旅人 

御住職さまは、内陣のご本尊様の不動明王さまの前で、祈るようにたたずんでおられました。
思わずその神々しさに、声をかけることすら躊躇われ、お気づきになられるまでのほんの少しの時間だけ、私はそのお姿にみとれておりました。そしてそんな私にまもなく

お気づきになられた御住職さまは、ご本堂正面の扉を開け放たれて、「今しばらくお待ちください」とおっしゃって、ご本堂を出ていかれました。
最勝寺さまのご本堂は正面からではなく、脇のきざはしを昇ってそのまま脇から入堂するスタイルであります。ご本堂正面の扉を開け放たれると!それはそれは見事な、名勝地の景観に優るとも劣らない景色が広がっていました。紅葉の枝が開けられた扉をまるで額とした名画のように、本当にバランスよく枝を広げています。
ああ、こうして私の心を鎮めてくださっておられるのだなぁ。
境内も季節の花が咲いています。

それなりの時が流れました。心を穏やかにするために、わざとそうされておられたかとさえ思われる時間でした。
やがて私の目の前にお座りになられて、今一度、「何かお悩みがおありですか?」
よくとおる、穏やかなお声でお聞きくださいました。


No.374 19/11/23 21:12
旅人 

御住職さまは、何を何から話せばよいのかわからずにいる心の内を、一つずつほぐすように、優しく優しく声をかけてくださいました。
いま、どんな環境にあるのか、どんな職についているのか、職の尊さをお誉めくださり、心に寄り添おうと努めてくださいます。ご自分のなさっておられる日々の修行をお話しくださり、般若心経の言葉の意味をお教えくださったり、この世に生まれた者の宿命である四苦八苦についてお話しくださいました。

人が生きるということは、そのなかでどうしても避けられない【四苦八苦】の苦しみがあるのだと、お釈迦さまが修行された結果得られたことなんだけどね。四苦とは生病老死であって、【生苦】、生まれること。【老苦】は 老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる苦しみ。
【病苦】はこの世のなかには様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる、病の苦しみ。
【死苦】は死ぬことへの恐怖、その先の不安とかいったもので。
その他に
【愛別離苦(あいべつりく)】、愛する者と別れたくなくとも別れなければならない苦しみがある。
人の苦しみの中でも、とりわけ重いのは、愛する人と別れねばならない苦しみで、これを「愛別離苦」と言うが、人は必ず死ぬ。生きる者すべての人が背負わなければならないものだね。

それから、【怨憎会苦(おんぞうえく)】、これは怨み憎しみ合う同士が会うこと。互いに頼ることができないので、ともにいて苦しむことになり、これは本当に苦しいことだね。でもどうしてもそういう相手に出会ってしまうのが与えられた宿命、なんだね。
なんとかうまく付き合えればいいんだけど、どうにもうまが合わないっていうか、顔をあわせば「このやろう」って内心思っちゃうような出会いがあるって定められているんだね。

それでも人間関係はうまくいってるってことだから、まあ、それは良かった。あとは┉真面目なんだろうね。自分のことを追いつめてしまうんじゃないかな。それとやっぱり会社がおかしい。そんな働きかたじゃあ、疲れて集中力も何もなくなって失敗して当たり前だ。そこを改善してもらわないと身体をこわしてしまうよ。今回をきっかけにして、改善してもらわないと。つらかったね。頑張りすぎちゃったね。真面目はいいことだけど、このままじゃあ自分が壊れてしまうよ?
じゃあ、仏さまに御祈願しよう。


No.375 19/11/23 23:49
旅人 

ああ、その前にあと二つの苦しみを話しておこうかね。

【求不得苦(ぐふとくく)】というのは求めるものを得ることのできない苦しみだ。
「求めるものが得られないから苦しい」という文字通りの意味だけではない、求めて念願のものを手に入れても、それを喜べず、さらに他のものを求めてしまう。人の欲というのは際限がないからね。


【五陰盛苦(ごおんじょうく)】


これは仏教的な見方で、仏教では、人間の体は五つの要素が集まってできているんだ。
【地水大風空】

「地」は大地のように固い骨。
「水」は液体。
「火」は熟。
「風」は呼吸。
そういう四つのものが集まって、これが「空」であると考えられています「地水火風」と四要素を列記して、その全体を集めて「空」とします。
この空をも合めた五つが苦しみになるというわけだ。
般若心経にもあるんだけど、五陰は「空」
五陰とは、色受想行識の五つを指して、この五陰が盛んであれば健康な証拠ですが、この健康が苦しみになるという意味、なんだな。

いわば、「元気を持て余す」という苦悩、かな。

現代の若者にいろんな乱暴な行いがあるのは、精力が盛んで元気を持て余してしまっているからです

だから人間は「求不得苦」で苦しみ、「五陰盛苦」でも苦しむ。どっちに転んでも苦しみになっていくんだね。


No.376 19/11/25 06:26
旅人 

御住職さまは、「それでは仏さまに御祈願していきましょう」とおっしゃって、住所、氏名、生年月日を記入するようにおっしゃって静かに席を立たれました。
内陣にお入りになり、灯明され、外陣の私の前に置かれたろうそくを新しいものに変えて内陣から灯を遷されました。焼香用の香炉の、残っていた香の燃えかすを処分されると、また綺麗に灰をならされてのち、新たに焼香用の香を整えてくださって火をお付けくださりました。
塗香をお持ちになり、私の手にお乗せになり塗香の作法を手解きくださいました。焼香をするようおっしゃったのち、私の目の前でいくつかの印を組まれました。そうして、┉ご本尊様の不動明王さまの御前ではない、もう一つ設けられた読経の席に座られると、高らかによく通るお声で読経を始められました。
【錫杖経】という御経。(前回の毘沙門天さまの御護摩修行に参列した際、そういった御経であることを初めて知った次第であります。護摩供養の際によく耳にしていた御経であります)
そして、そのあと、住所、生年月日、氏名を仏さまに申し上げてくださり、御祈願くださいました。
そのあと、般若心経と毘沙門天さまの真言を一緒に唱えるよう促され、しどろもどろではございましたが、心込めてお唱えいたしました。御真言は数珠をお使いになられ、百八回唱えたのだと、あとで知りました。

私の心に寄り添うように、終始お優しい対応をしてくださいました、御住職さま。心が乱れたとき塗香を手元に持っているとよいとおっしゃられ、高野山から届いたばかりだという塗香をおわけくださいました。
また、生まれ年の念珠も持っているとよいとおっしゃったのですが、そのお数珠は毘沙門天さまの御本堂にあるので、あとで受けに来るように、とおっしゃられました。
「今度お越しになるときは、本堂への道が直っているかどうか電話で問い合わせてからお越しになるといい。」とおっしゃって、長いこと、私のためにお時間を割いていただいた時を解かれました。

本当にありがたい。
信頼をおいた御住職さまに出逢え、お頼り申し上げて、こんなによくしていただきましたこと、まさに御仏の御加護であります。
私はいま、毎日般若心経と毘沙門天さまの御真言をお唱えしております。


       令和元年十一月

No.377 19/11/26 09:03
旅人 

小雨降るなか、【群馬県桐生市の観音院】さんの日限地蔵さまのお縁日に行って参りました。
あまり広くはない境内にかなりの人です。御本堂に上がらせていただき、御焼香をさせていただいたのち御朱印を求め列に並びました。そう、お縁日には限定の風雅御朱印がお受けできます。季節のはなが見事に描かれた、しかも直書きの御朱印で、ついつい、欲が出てしまい何度もお受けしてしまっておりました。
『明日より通常御朱印を五百円とさせていただきます』『来月より風雅御朱印は見開き千円とさせていただきます』
なんだか、少し寂しい気持ちがいたしました。
御朱印ブームの過熱で、殊にこの風雅御朱印を求める方が増えたニーズにお寺さんがお応えするにあたり、少しでもセーブする思いがあったのでしょうか。一日で何枚の花の画を描かれ、御朱印をお書きくださっているのかを考えると、以前から気が遠くなる思いがするほど、でありました。
一年間で一万二千円の御寄進をさせていただく、と考えれば別段寂しくもないことかもしれません。
人の欲を戒めるための改善策なのだと思います。

お寺さんの姿勢はいつも開かれた本堂で、こころゆくままに仏さまと向き合う時間を持たせていただくことができるという、ありがたく、
大好きなお寺さんなのであります。

御朱印を求めることがすでに欲であることを私は少しづつ悟りつつ、それでも捨てられない欲との葛藤でありました。
この度、自身の御朱印を求める在り方を原点に戻そうと思った機会を与えていただいた気がいたしました。


この日も心の間で、般若心経をお唱えし、参拝を終えました。
最後にしようかどうか、思案しながらの御朱印を胸に┉。


      令和元年十一月二十四日

No.378 19/11/26 09:37
旅人 

一部のお寺さんでは、明らかに収入のための御朱印となっていることも気づかされる場面に出会うこともありました。
そんな会話が駄々漏れしてきてしまった場面に出くわしてしまったことがあったり。
御朱印で有名なお寺さんで、護摩木が本堂前に用意されていて、『毎日、護摩木を焚きあげ御祈願しております』と書いてあるのにも関わらず、御朱印休みとされる平日に参拝したところ、山のようになった護摩木が午後になっても放置されていたこと、何よりそこの御本堂には、なんと、護摩壇がないこと、などなど。
お寺さんの存続をかけた収入のためかとも思われますが、悲しい現実に出会うこともありました。
私は仏教徒でもなく、お寺さんの正しい在り方などは何一つ存じ上げません。
新しい、人々のニーズに応えるスタイルのお寺さんがあることで、仏教への興味やら、関心やらが広まり深まっていくことも大切なのかと思います。それが御朱印であったり、イベントであったり。

そこに違和感を持つならば、それはそのお寺さんとの相性の問題、なだけなのだと思います。
それがお寺さんの欲でなければ、┉それはすべて新しい時代の流れとして、とらえられるものだと思っております。

No.379 19/12/02 03:49
旅人 

大好きだった神社さんが今年にはいって、なにやら大きな建物を造っておられました。鳥居の外。
人気のある神社さんなので、御祈祷待ちの方々の待機所を造ってくださっているのかな?そんな風に思っておりました。

こちらの神社さん、参拝にうかがうと拝殿の扉はいつも開け放たれ、神さまにより近いような気持ちにさせていただいておりました。
明るくて柔かな和かな気に満ちた、訪れる方の絶えることのない神社さんで、いつかここでお祓いとか御祈祷とかうけたいなと思っていた神社さんでありました。優しい気のあふれでてくる拝殿にあがって、いま一歩神さまに近いところで、神さまにお会い申しあげたいと思っておりました。
やがて完成した建物はなんと、祓い所。
鳥居の外でのお祓い、御祈祷となっておりました。その祓い所、たくさんの人で溢れかえっていました。こちらで御朱印もいただくことになっていました。御守や絵馬はこちらと、境内の中のいままでと同じところでお受けすることができます。
なんとも言えない残念な気持ちになってしまいました。

ですが、神さまはそんな人間たちのいろいろな思いなどちっぽけなことには少しもお気になさらずそのまま御鎮座くださっておられる御様子で、明るくやわらかな優しい気が拝殿から溢れるように流れて、境内全体をそんな気で包んでくださっておられました。


No.380 19/12/02 04:48
旅人 

一日。
栃木県足利市の【大岩山毘沙門天】さまの月に一度の御開帳と、御護摩祈祷をなされる日。
行きたくて、でも諸事情であきらめていたのですが、そこは未熟で我が儘な私のこと。どうしても行きたくて、諸事情一切を棚にあげて、しかも自分では運転困難な道を夫に頼みこんで┉参拝させていただきました。
先だっての台風で土砂崩れが多発し、御本堂への道が遮断されていて、大回りしてそれでもなお、途中からは歩いて毎日の護摩修行をなされていると御住職がおっしゃっていたのが十一月上旬のこと。「十二月にお越しになられるときは電話してからお越しになってください」と、おっしゃっていました。
その、大回りとなるルートも調べてくれた夫。この人と結婚できたことを感謝しなくてはいけません。折しも、十二月一日、結婚記念日。
感謝しなくては┉がプレゼントと思って、に変換されていた、どこまでも身勝手で自己中心なやつであります。こんなやつの願いを聞いては下さらないかもしれません。(ー_ー;)
ですがその善良な市民、夫の願いと私の願いが一つであることは実に明白な事実で、私がダメでも夫の願いとしてなら毘沙門天さまが叶えてくださるに違いない。
あくまでも計算高い私、でありました。

時は晩秋。いや冬でありますが、紅葉の真っ盛り。
車中からの紅葉狩りを楽しみながら(┉運転手の夫はほとんどそれも叶わず(´。-д人)゙)大岩山毘沙門天さまに向かいました。

No.381 19/12/03 17:22
旅人 

今回は大岩山毘沙門天さまのシステムが変わられたのか、【家内安全】【病気平癒】【諸願成就】【交通安全】【心願成就】などの願い事が印刷された護摩木に、住所、氏名を書いて納めることが護摩修行に参列する必須条件となっておりました。
靴を脱いで階段を登るとすぐに、御朱印や御札、御守り等の受付があり、そちらで護摩木に記名いたしました。
内廊下とでも言うのでしょうか?たくさんの奉納された額絵が飾られた空間と本堂は障子で隔てられております。本堂正面の内側となりますので、灯明立ての前、御本尊さまのちょうど前にあたる位置に焼香のお線香立てが障子の手前に置かれています。
「お線香は三本立てること」と書かれております。過去、現在、未来にむけての三本になるのだそうで、ご先祖さま、自分たち、そして子孫のために、ということにもつながっているのだそうです。

お線香の本数の論議は宗派によって異なるだの、一~三本の好きな本数をあげればいいだの諸説ありますが、私は特に決まりのないところでは必ず三本あげさせていただいておりました。その三本の意味はわからないまま、一本は葬儀の際にあげる本数と記憶しておったものですから、これを読んで以来、三本あげることにこだわりをもつようになりました。


障子を開けて本堂に入ると、椅子と座布団が用意され、なんと、護摩壇正面の、御本尊さまを拝しながら御護摩修行に参列することのできるVIP席が空いておるではないですか!
前に席につかれた方々はもっと御本尊さまに近い席を選ばれていたり、椅子をご希望されておられたりと、たまたまそこが空いていたにすぎないのですが、私は、その席をご用意くださっていたようななんとも図々しい錯覚に陥り、迷うことなくその席につかせていただきました。塗香で身を清め、用意された御経の印刷されたものを二部お受けして、その時をまちました。夫は隣の席。これもまた、足腰の悪い夫のためにそう用意下さったかのように椅子の席となっておりました。座布団の隣になぜか椅子の席。私たち夫婦がそこに座るための席をご用意くださっていたかのようでありました。もちろん、それは図々しい私の思い込み、にすぎないののではありますが(^_^;)



No.382 19/12/05 18:38
旅人 

山伏の姿をされた副住職さまが、吊るされた鐘を打ちます。ゆっくりと、その音色が途切れるまで余韻を響かせ、徐々にそのスピードをあげて、その繰り返しを三回。この鐘の音だけで、すでに心が洗われるような思いがいたします。
その後いったん退室され、御本堂を半周まわって、御住職と副住職さまがともに法螺貝を吹きながら登場されました。
炉の前には香炉や金剛杵などが置かれ、さらに御護摩に必要な仏具が置かれております。炉には四角く護摩木が何段かに積み上げられ、その上に常緑樹の葉が置かれています。
御住職はひれ伏すようにお辞儀をなさった後、真言を唱えながら、長い数珠を一粒づついとおしむかのように、撫でさわられておられます。そして塗香で身をお清めになりお焼香をされました。
副住職が太鼓を打ちならし最初は一定の速度でそのうち早打ちとなる打ち方を三度なされました。その間住職さまは鐘を打ちならし数珠をこすり、長い棒状の仏具で鐘を打ちます。また、数珠を一粒づつ撫でながら拝み、副住職の吹く法螺貝の音とともに紙に火をつけそれを掴む仏具で火を炉にくべました。
長い匙のような仏具で液体をかけますが、だからといって火が大きくなるような様子はありません。液体をつけた長い棒状の仏具でも液体を火にかけるようなしぐさをなさっています。細い棒を火にくべつつ、印を組む動きをなされています。副住職さまは身体全体で、焔にむかって九字切りをなされています。
その後、焔は勢いを増し、火の粉が天井の梁にあたっては消えていきます。焔の高さは二メートルほどにもなったでしょうか。

副住職さまが参列者のもとに説明に来られました。「御本尊さまにお参りいただいたあと、お渡しする木を焔にくべてください。その際、お荷物等を火かざししていただいてかまいませんし、難しければ私に声をかけてください」その間御住職さまは般若心経をお唱えなられて
とおっしゃって、細い二十センチほどの木の棒をお渡しください。
内陣まで入らせていただき、参拝させてたただきました。

No.383 19/12/06 06:05
旅人 

内陣を出ると、目の前に囲炉裏がきられているのがみえました。毘沙門天さまを見上げながら、暖をとり、人の悩みをきく空間であるのでしょう。
加持祈祷の焔が人の祈りを捧げる厳かにして勢いあるものであるのに対し、おそらくは囲炉裏の炎は柔らかく人の心を癒すものであるでしょう。御本堂に囲炉裏は初めて見た光景であります。

後ろから列をなしての参拝ですので、そんな感傷に浸っていてはなりません、歩を進め護摩壇に向かいます。護摩壇にくべる木片をくべた後、前のお二人はご自分の手で手荷物を火かざしされています。うーん、どうしよう。(・・;)
少し辺りを見回すと副住職さまがそばにおられます。そうそう、私は図々しいおばさん、そこが直すべき点だとしても、先ほど副住職さまが難しければ申し出てくださいとおっしゃって下さった!┉申し出よう。
いつもいつも持ち歩いている、りらっくまのマスコットまでついたバッグを、恥ずかしげもなく副住職さまにお願いすべく声をかけました。副住職さまは笑顔で受け取ってくださると、バッグに手で言葉でご祈祷くださって火かざしをしてくださいました。
ありがたいことです。ありがたい光景に胸がいっぱいになり、再び笑顔でお返しくださった私のバッグは、先ほどの自分のバッグではない、なにかとても神聖なものになり、私はそれを胸に抱えて副住職さまとバッグを拝んでおりました。

バッグの中にはこちらの御守りも、普段腕にしている数珠もみな入っておりました。
新たな御加を、お力をいただき、また、このバッグを手に毎日を毘沙門天さまに恥じない生き方を努力をしていこう、と深く胸に思いました。

御住職はその間も護摩壇に木をくべ、般若心経をはじめ読経を続けておられます。

No.384 19/12/07 07:24
旅人 

「般若心経をご一緒にお唱えいただき、御本尊さまの毘沙門天さまの御真言をお唱えいただきます。」
┉ついていけるかな?(・・;

配布された書面二枚。錫杖経は、どうやら御住職様のみがお唱えする文言があって、御唱和させていただく部分とがあるよう、途中で気づきました。ついていくのがやっとで、フリガナがついているにも関わらず、ボロボロと途中が抜けたり、私個人のお経としては、成り立っていないものとなってしまいました。
般若心経は早いペースでありますが、今回はなんとかご一緒にお唱えすることができたように思えむした。如何せんそんなレベルでありますので、本格的に長い数珠と経本を持たれての参列者の方には足元にも及びません。それが修行であります。さらに続く御経は、配布されたものにはないものでありますが、ご一緒にお唱えできる方が何人もおられました。
不心得ものの私は、あの数珠はどうやって入手されるのだろう?とか、チラッと思っては反省をいたした次第であります。

さらに続けて、まるでパフォーマーのような達人技の太鼓さばきとともに、御住職さまは読経を続けられます。

そして┉堂内に灯りがともされ、御住職さまがご挨拶をなさって修行が終了いたしました。一時間強、でしょうか。
その後、山伏姿の副住職さまに御身のお祓いをお願いされる方が何人かおられました。私も最後に並ばせていただいておそるおそるお願いをしてみました。
副住職さまは笑みを浮かべて、
「覚えておりますよ。ようこそお参りくださいました」とおっしゃってくださいました。
お祓いをしてくださったあとも、「おつらいこともありましょうが、大丈夫、きっと毘沙門天さまの方からお訪ねくださいますよ。」
と優しい笑顔、優しいお声でおっしゃってくださいました。
来てよかった。
本当に来てよかった。

ありがたさに深くお辞儀をして、生まれ年の数珠と御札をお受けして本堂をあとにいたしました。


すると┉先に靴を履いた夫が、嬉しそうに「あ、猫だ」と声をあげています。かわいい猫が参拝のお見送りをするようにちょこんとすわっています。人に慣れた猫であります。よくみると本堂の下に市販の猫の寝床がおいてあります。【猛猫注意】の貼り紙もありました。猫を愛するお寺さん、猫好き夫婦はさらに足しげく通いそうであります。


       令和元年十二月一日

No.385 19/12/10 05:55
旅人 

追記)
今回の参拝時、大岩山毘沙門天本堂の裏手をひっそりとお護りになっておられました、【氷掲羅天童子(ひょうがらてんどうじ)の像】が本堂の中に安置されておりました。お厨子の中にちょこんと、何となく居心地が悪そうに、まだこちら、┉御本堂の中ににおられることに慣れていらっしゃらないのかな。裏手におられたときは下から見上げて拝見していたお顔が、目の前で同じ目の高さで拝することができます。日本でここだけといわれる御仏像であります。

氷掲羅天童子像は、鬼子母神像が抱いている赤ちゃんの成長した御姿であります。
五百人、一説には千人いるという我が子を養うために、人間の子供をさらっては食べていた鬼子母神。釈迦が鬼子母神を戒め、諭されるために鬼子母神の子供のうち最愛の末っ子である子供を隠したというお話は有名ですが、氷掲羅天童子こそが、この時に隠された子供が大人になった姿なのだそうです。
毘沙門さまのお妃の吉祥天とは、姉と弟の関係であります。
こちらの御本尊さまは毘沙門天さま、妻であられます吉祥天さま、お二人のご長男禅膩師童子(ぜんにしどうじ)の三尊でありますので、
お姉さまと甥ごと、ご一緒にお過ごしになられるようになられた、ということになります。
そもそもが、鬼子母神の夫である散脂大将は、毘沙門天さまに仕える方であるようです。いろいろなつながりのある神さまたちでありますようです。

よその子供をさらってきては食べていた母、鬼子母神の罪を償うため、救いを求めてくる人には、限りないご利益を与えてくれるといわれています氷掲羅天童子。
鬼子母神もいまは改心され仏となり、仏の教えを広める役割をもたれておられます。どうか、母の犯した罪をいつまでも背負うことなく御自身の優しさだけで充分であります。


仏の道には人の世とは異なる決まりがありましょうが、罪深い母である私は、子供がそこまで罪を背負う姿につい胸を痛めてしまうのであります。

No.386 19/12/11 17:07
旅人 

かねてより行きたいと思っていた、群馬県太田市の【青蓮寺】さんに参拝いたしました。太田市、ではありますが、市町村合併前は尾島町、であったようです。

【岩松山義国院 青蓮寺】と称し、新田氏や足利氏の祖となる源義国の開基とされているお寺さんです。公安年間に一遍上人関東布教の影響を受けて時宗に改めたとのことで、群馬県には珍しい時宗のお寺さんであります。
天正三年(1575年)桐生氏を滅ぼした金山城主由良成繁が桐生入部の際に、桐生(現桐生市西久方)に青蓮寺を移したために一時期寺運は衰えたとのことでありました。
もともとのお寺はさらに東方に建てられていたようですが、江戸初期村人によりここに移建されたということであります。境内地は義国の居住跡と伝えられ、岩松氏館跡といわれるようです。新田岩松家の崇敬が厚く、また、徳川氏発祥の地として将軍家より寺領二十五石を与えられ、以降、寺運も再び盛んになったようでありました。


桐生市の【仏守山義国院 青蓮寺】の御本尊、阿弥陀如来三尊佛を、高崎市の県立歴史博物館の新田氏の歴史展で拝することができ、その後、年に一度の御開帳でまたその三尊像を拝観することができて以来、是非、元々の青蓮寺である太田市の【岩松山義国院 青蓮寺】に参拝させていただこうと思っていたのであります。
信州善光寺の秘仏本尊を模したとされる善光寺式阿弥陀如来三尊佛も、もとは太田の青蓮寺から寺が移設された時に、阿弥陀如来像も移されたものだったようです。ちなみにこの阿弥陀如来三尊像は、平成19年(2007年)に「銅造阿弥陀如来及両脇侍立像 三軀」として国指定重要文化財に指定されています。


いつものように、ナビに翻弄されながら道を進むと『◀青蓮寺』という、かなり立派な道路標識が見えてまいりました。
その方向を車窓からのぞくと!大きさこそは小振りではありますが、立派な山門が見えました。古い歴史を感じさせる山門であります。ワクワクする気持ちを落ち着かせ、山門の前に立つと、二体の御像がお護りになっておられます。


No.388 19/12/12 04:48
旅人 

こちらは┉金剛力士さま?でありましょうか?
小振りながらも表情豊かな、筋肉隆々、血管の隆起した素晴らしい御像であります。そして、なにより、思わずぽおっとしてしまう、それはそれは素敵なお顔だちであります。
ただ、歴史ある古いものであればあるだけ、なんの被いもなく外に立たれておられます二体の御像は風雨に曝され傷んでおられ、なんとも胸が痛みました。
特記すべきは、なんの意味があるものなのか、山門の前に台が置かれ、どうやら『靴』が奉じられているようです。いわれの書かれたものなどはなく、理由はわかりませんでしたが、女物、男物、靴の種類も様々に十足ほど納められて(?)おりました。うーん(・・;)

山門前には大きさの異なるお地蔵さまが二体、向き合ってお立ちになられておられます。

山門をくぐると、みぎてに鐘楼がみえました。しかし、そこには鐘はなく┉戦争の際の供出、でしょうか?その鐘のない鐘楼が、なんとも哀しいような寂しいような、なんともいえない雰囲気を醸し出しておりました。ただ決して荒れているわけではありません。
いちょうの葉が黄色い絨毯となって境内を敷きつめている、秋の光景がそう思わせているのかもしれません。
そして、御本堂。扉が開け放たれているのが見えます。


まっすぐに本堂にむかいます。みぎてに手水鉢がぽつんと置かれています。手水舎もなくむき出しのまま┉これは┉もうしばらく手水の役割を果たしてはいないのでしょう。
そしてひだりてには小さな御堂が建っています。

御本堂に入ってよいものなのか否かをお聞きするために、庫裏を目指して歩いて行くと、自転車が無造作に置かれています。いらっしゃるのかな?と思ったのも束の間、回覧板が玄関先の地べたに置かれています。そもそもが呼び鈴がない。
もうひとつ、奥に玄関がみえます。そちらに向かうと呼び鈴があったので┉押してはみましたが、あまり最近開けられていないのではないか?と思われる印象を受けました。そして、呼び鈴の音は空しく中から響いてはくるものの人の気配を感じることはありませんでした。いまは先ほどの玄関だけをお使いになられているのかもしれません。

お留守のようです。



No.389 19/12/14 05:24
旅人 

昨今のお寺さんとは趣の異なる、古いまま、時代の流れに任せておられるような御本堂でありました。
┉あの3・11のときにできたものでしょうか、壁に大きなクラックが入っています。江戸時代に村民が移建した際の建物がそのまま残っている┉わけではないのだとは思うのですが、本堂入ってすぐの壁面に江戸時代に奉納絵とともに壁に掛けられた昭和の終わり頃の物と思われる時計が、時を止めたままであるのが、なんとももの悲しく思われました。
内陣のむかって左側には、日限地蔵さまがお祀りされているようです。こちらは、毎月四日が御縁日のようです。

般若心経をお唱えして御本堂をあとにいたしました。小さな御堂はお祀りされておられるのがなんであられるのか等の案内が一切なく、小さく手を合わせてまいりました。

比較するものではありませんが、桐生市の青蓮寺さんも古いものではありますが、本堂には見事な彫刻がほどこされ、桐生市に移した際にこちらに安置されることとなった御本尊の三尊像は国の重要文化財の指定を受けたようであります。また、御朱印を求めて参拝客が全国から訪れていると御住職がおっしゃっておられました。
世が世であれば┉つい、そう思わずにはいられなかった、太田市の青蓮寺さん。
そんな私の愚かな思いを戒め叱りつけ、大切な青蓮寺さんを今日もお護りくださる金剛力士さま。
どうかこれからも永きに渡り、この由緒あるお寺をお護りください。



     令和元年十二月

No.390 19/12/15 08:00
旅人 

【お香】についての小冊子をお分けいただきました。
そこにはお香のみならず、知らなかったことが数々書かれており、一枚の紙を三つに折っただけの小冊子に、たくさんの教えが詰まっておりました。

仏さまや亡き方に、御供物を捧げおもてなしをすることを供養ということは存じ上げておりましたが、お坊さまたちは六種の御供物を基本とされ、それを特に【六種供養】と呼ぶのだそうです。それが六種であるのは、【六波羅密(ろっぱらみつ)】という悟りに通ずる、六つの修行に掛けているようであります。

六種供養は【水】【塗香】【花】【焼香】【飲食(おんじき)】【灯明】が供物の基本とされており、それぞれに、

【水】は【布施】┅独り占めしない
【塗香】は【持戒】┅決めたことを守る
【花】は【忍辱(にんにく)】┅怒ったり妬んだりしない
【焼香】は【精進】┅努力する
【飲食】は【禅定(ぜんじょう)】┅心を落ち着かせる
【灯明】は【智恵】┅物事を正しく認識する

という修行に通ずるとして、御供物を捧げておられるのだそうです。私は何の意味も知らずに、仏教の決まり事として花と水を捧げて、お灯明を灯しお線香をあげておりました。こんなに深い意味を持つものだったのだと、身が引き締まる思いがいたしました。

No.391 19/12/18 02:08
旅人 

お香の原料には、香気に富んだ樹脂・木片・根・葉などの様々な種類があり、インドやインドネシアで多く生産されている【白檀】、香辛料としても広く使われている【丁子】。防虫剤や防腐剤としても古くから使われている【龍脳】、などがあります。
代表的な香木として【沈香】があり、なかでも特に質の良いものを、【伽羅】と呼び、最高級のお香とされています。

もともとお香は、その原料となる香木を直接火にくべて焚いていたのが、時代を経て、いまのお線香が生み出されたようです。
最近では、ラベンダー、桜、といったものから、珈琲、ワンカップ、イチゴミルク、ミルキー、佐久間ドロップの香りといったものまであり、先日、なんとリラックマのお線香を見かけたほどであります。ちなみにへがリラックマのお線香はホットケーキの香りとトロピカルジュースの香りの二種類が入っておりました。

日本に仏教の伝来とともに伝わったお香のなかでも、天下一とされるのが【蘭奢待(ぐしゃたい)】。このお香は東大寺正倉院に納められている、重さ約十一キロある巨大な【沈香】で、もともとはもっと大きかったようですが、時の天皇や将軍が、手柄のあった臣下に分け与えたため、徐々に小さくなってしまったようです。実際に足利義政、織田信長、明治天皇が切り取った跡が残されているそうです。


マッコウクジラの体内で生成される【竜涎香】も古くから貴重なお香として用いられてきたもののようです。マッコウクジラの腸内でできる結石なのだそうです。海上や海辺などでごくまれに採れていたものではありましたか、その正体がわからないものの、そのあまりにもよい香りに、中国では竜のよだれが固まったものと考え、竜涎香と名付けたそうです。
そして、『お香』を体内で生成するクジラであるため、日本では『マッコウクジラ(抹香鯨)』と呼ばれるようになり、そのまま生物名として定着したのだそうです。
クジラの結石をお香にと考えたり、竜のよだれが固まったものとして竜涎香と呼んでみたり、昔の方の発想や想像力はスゴいものです。


No.392 19/12/19 05:32
旅人 

お線香について調べていると、あの細い、ともすればすぐに折れてしまう脆い物が、仏教においてはいかに大切な物かがみえてきます。
それはそうですよね、お墓参りにしろ、葬儀にしろ、お縁日にしろ、欠かさず使われているものですから。

『身は華とともに落つれども
        心は香とともに飛ぶ』  弘法大師空海
「咲いた花がいずれ散りゆくように、私たちの身体もいつかは滅んでしまいますが、心はお香の煙とともに浄土に昇ることができます」
ということだと書かれておりました。
真言宗という一つの宗派を築いただけでなく、全国を自ら行脚して教えを広めた弘法大師さまがそのようにおっしゃるくらいに、長きにわたり大切なものとして扱われてきたお(線)香。

一度火をともせば、一定速度で急がず、遅れず燃え続け、お線香が燃え尽きても、馥郁たる香りはいつまでも立ちこめて、朝に手向けたお線香の香りは、殊にこの季節の閉めきった状態の部屋には、夜になろうともその香りは先ほど燃えつきたばかりのような香りが残っております。なるほど、たしかに神秘的、であるかもしれません。
まっすぐに上に向かってたちのぼる煙もまた、心を鎮め浄めるように思われます。

Wikipediaにあるお線香のページに、お線香の本数について、次のように記述がありました。


仏教では香煙によって使用者や周囲の環境を浄化したり、瞑想などの意識を集中させる修行に使われるもの。
線香の供え方は立てるのが一般的だが浄土真宗系では火をつけて寝かせる。ただしお墓によってはこれに限らない。
また、仏教系のお供え(特に真言密教)では、線香を立てる数は3本である。
理由としては、身と口と心(身・口・意)の三業(身業・口業・意業)を浄化し、大日如来の三密(身密・口密・意密)に同化する。
また、もう一説には、三宝(仏・法・僧)と、衆生と、我に供養する為3本立てるとの説がある。
また、真言密教では弘法大師の「三信条」に報いる為、3本立てて香煙の行き渡る功徳によって、相互礼拝に報いる。
                   (Wikipediaより)

ほぅ、あの、たまにお仏壇で見かける寝かせるタイプの香炉は、宗派によるものだったのか。香炉一つにしても奥が深いのだなぁ。

No.393 19/12/22 08:59
旅人 

私どもには菩提寺がありません。と、言うと語弊があるようで、先祖代々のが奉られているお寺さんはあるものの、そのどちらのお寺の檀家でもないからです。
お寺をまわらせていただいて思うことは、檀家でない寂しさであります。檀家でないことの身軽さ、気軽さは確かにあるのだろうと思います。お布施も、卒塔婆だったりも、┉金銭的な感覚だけで言ってしまえばそれなりの出費だと、お墓を守っている方々のなかには宗派を問わずに話しておられる。
ですが、お墓の数から言ったらそれこそ何百もの檀家さんをお持ちのお寺さんであるのに、一目見ただけでどこのどなたかがわかっていただけて、その方その方に合わせた世間話をし、お身体を気づかっていただくお話をなさっている御住職さまをお見受けするたびに、死しても孤独、みたいな寂しさが心の片隅で小さな波を立てるのです。
子供たちによけいな苦労をかけたくない、という思いは変わらないものの、菩提寺がイコール旦那寺ではないことは百も承知しておりますので、葬儀、とかいうことになれば、もう、仏式なのか、神教なのか、果てはキリスト教なのか、┉信仰する宗教すらありません。

自己満足に過ぎない仏壇擬きはありますが、そもそもそこにご本尊がおられない。なぜならば宗派でご本尊さまは異なるから。
護り本尊とされる虚空蔵菩薩さまの御像をお祀りしようか、と思ったこともあったのですが、それこそ、自分たちがまるでまもってもこなかった仏壇を守っていってもらう義務を、子供たちの誰かに託すことになってしまいます。
幸い、私たち夫婦は二人で神社仏閣の珍道中、そのなかでここのお寺さんは好きだな、いいなという感覚が同じ、であります。そのお寺さんにこういった考えでこういったお墓のあり方をお許しいただけるものなのかどうかを、問い合わせていったうえで、檀家となっていくのもあり、なのかもしれません。

神道は私の周りににそういう方がおられず、亡くなったときのお墓って?という疑問からしてどこにどう問い合わせていくものなのかすらわからないし。


人はいくつになっても学び、悩むものなのだなぁ。ましてや未熟で軸がブレブレな私は四十どころか六十すら目の前にぶら下がってきているというのに、惑いっぱなしで生きているから。でも、それでもそこに学んでいくことがおりこんであれば良しとするか。
┉甘いな、自分に対して。ダメだなぁ。

No.394 19/12/23 06:31
旅人 

嫁ぎ先と、自分の父方のお墓にお参りをしてきました。その後のご報告とお礼のために。
嫁ぎ先の卒塔婆立てに比較的新しそうな卒塔婆があり、誰かあげたものかと見やると十三回忌のときのものでした。二年前のものになります。見慣れていたもののはずなのにそんなに古いものに見えず、首をかしげてしまいました。むしろ、今年の年明けにあげられた卒塔婆のほうが古く見えるくらいです。まあ、当然錯覚でしかないのですが┉。

そんなことから昨日は卒塔婆につい目がいくようになって、失礼ではあるのでしょうがよそさまの墓所の卒塔婆にもつい目がいってしまい、はじめて知ったことがありました。
卒塔婆に書かれている文字は、一本一本異なるということ。
いや、それは戒名だったり、何回忌供養とかだったりと個々に異なる部分ではなくて、その上に書かれた文言であったり、裏に書かれた文字であったりが、異なっていたのであります。
もちろん、まじまじと何本も何本も見て歩いたわけではなく、たまたま隣り合わせたお墓のものや、すぐ間近のお墓に供えられた卒塔婆と、実家のものに過ぎないのですが┉。
当然、二ヶ所のお寺さんにお参りしておりますので、宗派も異なっており、そこでの違いもまたあるのではありましょうし、まじまじ見るのも失礼かと、同じお寺さんのものでも目についた違いがあったことに気づいたことと、たまたま裏に書かれた文字が見える卒塔婆があってそこに書かれた文字を読んだにすぎないのですが┉。
両家のお寺さんは、地元では名の知られた古くからのお寺さんで、両寺ともにお墓の数も多いのですが、一本一本を御住職さまが自ら手書きされておられます。(御朱印をいただいた御手による文字でありますので┉)
一本一本にそれぞれの御霊に対しての文言を選んでお書きになられているのだなぁ、と本当に感動しあらためて感謝いたしました次第です。
ちなみに裏に【勢至菩薩】さま、と書かれていた卒塔婆があったお寺さんは、ご本尊さまは【虚空蔵菩薩】さま。なので余計に胸に残りました。
何故あえて勢至菩薩さまの御名前をお書きになられたのか。御住職さまにお聞きできれば早いのでしょうが、檀家でもない者がそんなことでお話をお聞きする機会もなくて┉Google先生にお聞きしてみましたが、さすがに専門的過ぎるようで、今回はこれといった答を得ることができませんでした。

No.395 19/12/25 05:15
旅人 

もしかして┉十三仏さま?
いまだに初心者の域を出ることなく珍道中を繰り広げる私ではありますが、古都鎌倉を巡った際に【十三仏巡り】なる言葉をしりました。本来、知っていて当たり前なことすら知らずに、やみくもに神社仏閣を自分探しのために巡らせていただいております者でありますので、【十三仏】さま、という響きすらが初めて耳にしたくらいのレベルでありました。
とりあえず三十三観音さまの霊場巡りと合わせて、一緒に十三仏巡りをさせていただこう!┉そのくらいの軽い乗りで、そうして巡っている間にはわかってくる、みえてくるものがあって、得るものもあるであろうと、始めた【鎌倉十三仏巡り】┉いまだに未完であります。

その十三仏さま。

十三仏さまは、あまたの御仏さまの中でも、私たちにもっとも身近で、古くから信仰される十三の尊い仏さま。この世に生きる我々のお守り本尊であると同時に、来世の、つまり先祖供養の仏さまでもあり、年忌の際には必ず御本尊として拝まれているのだそうで。
十三の御仏たちは、それぞれに違った徳(特性、役割)を持ち、それぞれの働きを以て私たち一切衆生を救済されておられます。そして、私たちの心が真に救われ、すべての世が浄土となることを願って精進されてくださっている、十三の明王さま、菩薩さま、如来さまです。

私たちが冥土へ旅立った時、自力では浄土へは行けません。そのため、仏さまに浄土への道を導いてもらうという、十王信仰からうまれた考えのようです。


人が亡くなって次に生まれ変われる事が仮に決まる49日まで、あの世で死後七日ごとに7回、十王の裁きを受ける際、それぞれの仏さまが弁護をして下さる、という考えの信仰です。
七七日(四十九日)目に最後の裁きを受け、浄土へ行けるかどうかが決まります。 この日を"忌明け"といい、ご先祖さまの仲間入りをします。百日忌、一周忌から三三忌までは仏さまに感謝を申し上げ、導いて頂き、来世の生まれ変わり先を決めていただくと言われています。

【勢至菩薩-せいしぼさつ】さまは一周忌、往生浄土、滅罪のため、
無限の光明と知恵によって、人々の苦しみを取り除くために努めてくださっておられる仏さま。

もしかしたら、そういったことに由来していて、お寺のご本尊さまではない御仏の御名が書かれていたのかもしれません。

まぁ、私の推測に過ぎないのですが┉。




No.396 19/12/25 05:43
旅人 

十三の明王さま、菩薩さま、如来さまに浄土への道を導いてもらう、十三仏信仰は、宗派を越えてほとんどの宗派、お寺さんで行われる供養となります。

中陰(人が亡くなって次に生まれ変われる事が仮に決まる49日まで)の私たちはあの世で死後七日ごとに7回、十王の裁きを受けるときに、それぞれの仏さまが弁護をして下さいます。
七七日(四十九日)目に最後の裁きを受け、浄土へ行けるかどうかが決まります。 この日を"忌明け"といい、ご先祖さまの仲間入りをします。
さらに百日忌、一周忌から三三忌までは仏さまに感謝を申し上げ導いて頂き、来世の生まれ変わり先を決めていただきます。

【十三仏さま】

【不動明王尊-ふどうみょうおうそん】初七日-しょなのか・・・(行者守護、悪魔退散、除災招福)
亡くなった亡き人自体、遠い冥界へ旅立つ覚悟もまだ不十分ですし、残された者もその人の死を認められず、現世への未練が残っている時期です。
死後の世界へと旅立たなければならない者が、再び現世に未練を持たないように不動明王尊の持つ右手の剣で迷いを切り払い、左手の縄は迷いの信者を縛って救いとり、 冥界へと引き込む役目をして下さいます。

【釈迦如来-しゃかにょらい】二七日-ふたなのか・・・(仏智悟入)
実在の人物であり、その大いなる力は、全ての人々を救うための仏として存在しています。 そのために葬儀のときにあわてて戒律を授けなければならぬ者、修行をしていない者に冥界への旅立ちに際して、仏教の祖である釈迦如来が祖の本来の教えを説いて下さるのです。 

【文殊菩薩-もんじゅぼさつ】三七日-みなぬか・・・(智恵、天変地異、降状)
文殊菩薩は知恵の仏さまであり、釈迦が前世で子供時代に教えを受けた仏だと言われます。 また、釈迦如来を中心とし両脇侍に、文殊菩薩、普賢菩薩としてこれを"釈迦三尊仏"といい、この釈迦三尊仏が二七日から三七日を経て四七日迄の間に、 仏教徒として身につけるべきことを教え込んで下さるのです。

No.397 19/12/25 05:44
旅人 

【普賢菩薩-ふげんぼさつ】四七日-しぬなのか・・・(仏智悟入、滅罪、大根清浄)
普賢菩薩は慈悲門を司る、すなわち情を担当する仏さまで女性的なやさしい表情をしています。 たくさんの功徳を備えていて、私たちの煩悩を打ち砕き悟りの世界へと導いて下さるのです。

【地蔵菩薩-じぞうぼさつ】五七日-ごしちにち・・・(滅罪、先亡成仏、無仏時代の守護)
釈迦の入滅後から弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救うための救世主です。四七日まで冥界への旅をしてきた亡き人が、六道へ落ちてしまった時に地蔵菩薩が救いの手を差し伸べ極楽浄土へ導いて下さいます。

【弥勒菩薩-みろくぼさつ】六七日-むなのか・・・(未来の救済)
弥勒の力と如来の力を併せ持って、人々を救ってくれると信じられています。弥勒菩薩には釈迦の入滅した五六億七千万年後に、釈迦に代わってこの世を救う「未来仏」としての役割があります。

【薬師如来-やくしにょらい】七七日-しちしちにち・・・(四九日)
四九日で現世とのつながりが終わりますが、まだ次の世界までは完全に入れない中間の道中の苦しみを乗り越え、極楽浄土への道を歩むための薬を与えて下さいます。


【観世音菩薩-かんぜおんぼさつ】百ヶ日・・・(除災滅罪、施餓鬼本尊)
観音様は三十三に身を変え慈悲の面で亡き人を救って下さり、阿弥陀如来まで導いて下さいます。

【勢至菩薩-せいしぼさつ】一周忌・・・(往生浄土、滅罪)
無限の光明と知恵によって、人々の苦しみを取り除くために努められています。

【阿弥陀如来-あみだにょらい】三回忌・・・(往生浄土、敬愛)
阿弥陀とは「無量寿」「無量光」という言葉のサンスクリット語を訳したもので、寿命は限りなく、阿弥陀さまの光はあらゆる国々や人々を照らして下さいます。
四八の誓願の一つに「阿弥陀如来を信じる者は、みな極楽浄土へ往生させる」があります。

【阿閦如来-あしゅくにょらい】七回忌
発菩提心、悟りをめざす心をおこすことを意味します。
発心を託す強い力を持った阿門さまが着ている衣を握っているのはその決意の強さを表しています。

No.398 19/12/25 06:07
旅人 

【大日如来-だいにちにょらい】十三回忌~二七回忌・・・(一切成就、即身成仏)別名は、昆盧流遮那如来とも言われ、天地あらゆる者、宇宙生命そのものの仏さまで太陽の様に輝いていることから、大日如来と名付けられています。これまで導いて下さった十一人の仏さまに教え導かれどれだけ悟りが深まっているかを観て下さり、その上にさらに導いて下さいます。

【虚空蔵菩薩-こくうぞうぼさつ】三十三回忌・・・(仏智悟入、福徳)
虚空(天界・法界)のような蔵(知恵・功徳)を持ち合わせ、広大ではかり知れないお力ですばらしい記憶力と知恵を表す剣を持ち、左手には福徳を表す蓮華の上に宝球をのせて持っています。 どんな人にも仏さまになれる仏性があることを虚空蔵菩薩が教えて導いて下さり涅槃へ到着できると言われています。





この十三仏信仰。信仰のあつい檀家さんでは、今でも忌み明けまでの毎週を法要をなさっておられるようですが、今は葬儀の際に併せての法要を済ませることが増えているようです。それなので、義母は法要を営んだという考えのもと、予定していた旅行に、いつものように私ども夫婦に特に告げることもなく出かけて留守にしていた、ということなのであります。それでもやはり義理がたい方々は何人かお線香をあげにお越しになられており、法要云々ではなく、そこは信仰心の違い、ということになるのでしょうか┉(^_^;)



義父の十三回忌の卒塔婆の中ほど、上部に、小さく並べて【一切成就・即身成仏】と書かれておりました。なるほど、さきにGoogle先生にお聞きして挙げた十三回忌のところに書かれてあります文言であります。いろいろな意味を込めて書かれていた卒塔婆に、今さらながら感心し感動し、感謝しておる次第であります。



また、十三仏巡りは、先祖の供養にこの上ない功徳をもたらすものとされているようです。なかなか行けない鎌倉。いつになれば【結願】となるのやら┉(^-^;


No.399 19/12/26 22:18
旅人 

【四無量心】 
たまたまネットで見つけた四文字の言葉に心惹かれました。
四無量心は「心(気持ち)」のあり方、とあります。常に意識をしなくてはいけない心のあり方なのだそうです。この心を意識し実践することにより功徳が積めるのだそうです。
【無量】とは「この上ない」「計り知れない」と共に、「自分と関係のあるものだけではなく、全てのものに対して平等に」という意味があるのだそうです。では、4つの無量とは?

1【慈無量心(じむりょうしん)】
人々に無量の情愛の心を起こすこと。【与楽(よらく)】といい、相手に喜びや楽しみを積極的に与え、共に喜んだり楽しんだりすること。

2.【悲無量心(ひむりょうしん)】
人々に無量の同情の心を起こすこと。「抜苦(ばっく)」といい、相手の悲しみや苦しみを抜き取ってあげ、共に悲しみ苦しむこと。

3.【喜無量心(きむりょうしん)】
人々の幸せな姿を見て、無量の喜びの心を起こすこと。慈無量心と似ているが、慈無量心は自分から積極的に相手に喜びや楽しみを与えることだが、喜無量心は自らが何かをするのではなく、相手が幸福になっている姿を見て、自らも同じように幸せを感じること。他者の喜び幸せをねたまないことも含まれる。

4.【捨無量心(しゃむりょうしん)】
好き嫌いによる差別の心を捨てること。同時に全てのものに対する執着を捨てること。必要以上の執着は苦しみを生むだけである事を知る。どんなに莫大な財産でも、愛情をかけた者でも死後の世界には連れて行けないように、失うまいと思うが故に苦しみを味わうことを知る。


簡単にいうと
「分かち合う喜びは二倍にも三倍にもなり、分かち合う苦しみは半分にも三分の一にもなる」ということ、のようです。


┉捨無量心。そうだなぁ┉。
四無量心こそは、私のめざすべき生き方、なのかもしれません。

No.400 19/12/28 06:54
旅人 

ミクルではない、いわゆるブログでは、神社仏閣のブログのコーナーがあって、みなさま本当に詳しくお書きになられており、掲載されている写真もため息がこぼれるくらいに素晴らしいものがございます。
みなさま本当にさまざまなところに出向かれておられ、御縁日でありますとか、大祭でありますとか、一年に一回の御開帳日であったり、何年かに一回、○○記念しての特別な御開帳に、しっかり出向かれておられます。
神社仏閣さまのホームページをこまめにチェックされたり、ブログのフォロワー同士での情報交換などで情報を得られるのか┉うかつな私などはそのブログを拝見して、終わった情報を得てため息をついているくらいなのですが┉。



私、日光東照宮の境内(輪王寺、大猷院、二荒山神社さんを含める大きな意味でのもの)の気が、たいへんよい波動を与えてくださるようで、落ち込んで沈んでいた気持ちが嘘のように晴れたり、すぐれなかった体調が治ってしまったりと、私には体感的にも大好きな神社仏閣であります。忙しかった今年、なかなか参拝にうかがうことが出来ずにおりましたが、今年はちょうど世界遺産に登録されて二十周年の年にあたる年であったようであります。
輪王寺さんではそれを記念して、限定の御朱印帳を授与されておられるようで、さらには一年間で五回、期間限定で護摩堂の五明王さまの御朱印の授与がおこなわれているようです。しかもなんとかその一回目の期限内の情報を得られたのではありますが┉。

行きたい気持ちがすでに日光に向いているのですが、なにぶんにもこの年の瀬にきて大掃除がかろうじて着手したくらいの状況、やるべきことは歳神さまをお迎えする準備=大掃除、であります。


また、日光東照宮さんの御神籤には、なんと!当たりが入っているのだとか。
長い間生きてきて、御神籤をひいた記憶がないくらいの人物ではありますが、当たりとか、限定、とかにたいへん弱い、浅ましい人間でありまして┉(^-^;
大好きな大好きな鳴き龍の描かれたという御朱印帳を、なんとか得られますように(。-人-。)

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