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神社仏閣珍道中・改

神社仏閣珍道中・改

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旅人
20/03/09 08:54(更新日時)

 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開でして┉。
自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神様や仏様にお会いしにいこう!




┉そんなところから始めた珍道中、神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。
初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかをネットで調べて、ようやく初詣をしたような人間であります。
未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神様のもと、仏様のもとをお訪ねいたします。
相も変わらず、作法がなっていないかもしれない珍道中を繰り広げております。


神様、仏様、どうかお導きください。







No.2796560 19/02/13 05:40(スレ作成日時)

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No.451 20/02/02 08:35
旅人 

初めての方がいようがいまいが、いつものスタイルで進められる御護摩修行。説明とかは一切なく、御住職が中央の御本尊さまの前から席をはずされて、太鼓の前に行かれたら、錫杖経が始まる合図です。今度こそとの意気込みとは裏腹に、独特の抑揚と独特の間に相変わらずついていけません。┉やはり修行していないものには難しい。
般若心経は、絶対にしっかりとお唱えしたいと、一生懸命にお唱えいたしましたところ、なんとか珍しく(苦笑)三回の読経をご一緒にお唱えすることができました。
続いて読経されるのは、用意されています用紙にはないお経となります。今回は、以前御住職さまにお授けいただいた経本を持参してみました。┉字を追うことすらできずに終了しました。((;д; )
毘沙門天さまの真言こそはせめて絶対にすべてお唱え申し上げよう!┉それが意地とかなら、かえって失礼になるのでしょうに、その感情がなんなのか、考えるいとまも与えず、
「毘沙門天さまのご真言」とおっしゃると同時に唱えられるご真言。もう無心にひたすらお唱え申し上げました。百八回のご真言は、御護摩修行においてもなかなかお唱えすることはありません。御住職が区切りをお付けになるまでひたすらお唱えつづけます。私のなかでやりきった感があったのでしょう、続けてお唱えする吉祥天さまのご真言は、実にボロボロで申し訳ないこととなってしまいました。

内陣に再び入らせていただき、毘沙門天さまのお足元から御礼とご祈願をさせていただき、大好きな慈母観音さまに手を合わさせていただきます。

山伏姿の僧のかたに加持祈祷をお授けいただこうとお願い致しましたところ、
「私に手を合わせてお願いしてください」と厳しいお顔でおっしゃいました。手に荷物を持ってお願いしましたので、頭を下げるにとどまっておりました。申し訳ない。
「これは命がけの行いですので、真剣にお願いする方にしかいたしませんので」とおっしゃると、加持祈祷をしてくださいました。
失礼を詫びてお正月にお会いできなかったのでと申し上げましたところ、「私は看護師だから、毎年三十日から一月二日までお休みをもらって山に来させてもらっているので、三日には山をおりているから」とおっしゃるではありませんか!
御住職のお身内なのかどうかうかがうこともできず、ただただ呆然と立ち尽くしている私をあとにさっそうと御本堂を後にされました。

No.452 20/02/03 04:29
旅人 

山伏姿の看護師さん?!
小刀を手に手印を結び、九字切りをする姿、ともすれば厳しい(今回の件に限らず 笑) いかにも山伏、といった方であります。僧侶の衣姿を見たこともなく、ここ、毘沙門天本堂での御護摩修行には山伏という存在が欠かせないいわれとかがあってそういったいでたちでいるのだろうかと思っていたくらいでありました。
ところが正月三日の日には僧侶の衣を身にまとった若い優しいイケメンの僧侶が、御護摩修行のお手伝いをされており、えっ?山伏の存在は必ず必要な行ではないの?と思ったくらいでありました。
たしかに真言宗は山伏の修行をされる方もおられるようですし、なにしろここは山伏が修行して当然といった趣のお山ではあります。
うーん、この方の好みであえてこの山伏、といったいでたちでおられるのでしょうか?
同じ白の服ではありますが、看護師さんの白衣姿がまるで想像すらできない。申し訳ないけれどあまりに山伏姿が似合いすぎていらっしゃる。剃髪されておられるし┉。

ですが、現代ではそういった兼業のお坊さんはたくさんおられるのが現実であります。一つには跡継ぎさんであってもなりたい職業があり、いったんはその道を歩まれるパターン。もうひとつは、やはり檀家数等の関係から、専業では生計を立てることが厳しいパターン。
実際、学校の先生という方も二人ほどお会いしたことがありますし、普通に夫と同じ会社には普通に会社勤めをされてもおられ、つい最近までその方が僧籍にあることを知らなかったと夫が申しておりました。

いま、洋服を買うに辺り実際に試着するのではなく、CGでイメージできるような時代になっております。いろいろな組み合わせを鏡に映った姿に投影できる┉。私は古い人間で、頭のなかで山伏➡看護師の白衣の衣装チェンジを試みてみましたが到底ムリなくらい、この方は山伏姿が強烈で鮮明であります。
うーん。固定観念が┉頭が固いということですよね。もう若くない自覚はあるのですが、あまりにセンセーショナルな事実でありました。
山伏の方って何度かお会いしたことがありますが、剃髪されておられない方がほとんどでしたし┉。剃髪されている看護師さんにもお会いしたことがなくて┉。
どうでもいいことでずっと混乱している愚かでひまな人間、という証明をしているようなものですね。


        令和二年二月一日

No.453 20/02/04 20:19
旅人 

神社仏閣珍道中というタイトルなのに、どうも仏教に偏っていない?┉はい、自分でもそう思いますし、夫からもそう指摘されます。とはいえ、ミクルのことは家族は誰も知らないこと、なのではありますが。

御仏像が好きなのであります。
苔むした石仏さま、お優しいお顔立ちの仏さま、厳しいお顔をされた仏さま、なめらかなまでに彫られた木造の御像。躍動感あるお姿、みているだけで身の引き締まるようなお顔、心が洗われ、心癒されるお姿。┉ついつい、お寺にむかってしまう私であります。
一方、夫はどちらかと言えば、しいて言うならば、神社のほうが好きなよう。

今年は生まれて初めてのおみくじを、神社さんでひかせていただきました。発祥は仏教、元三大師=角大師さまと言われておりますが、私のなかのイメージがおみくじは神社さん、みたいなものがありまして。

神さまからのお言葉として、時々ひらいてはそこに書かれている言葉をかみしめております。

【善悪は皆手前の覚悟にあり】
『禍を転じて福とし凶を去って吉を招くは自分の覚悟次第である。外部の誘惑に心を動かしてはならぬ。難局にひるまずにこれを克服するように努力せよ。一陽来復の好機も遠くない。』

【中吉】という良い結果であったこともあるのかもしれませんが、私はおみくじって良いものなのだなぁと今さらながらのデビューで思いました。
きっとこれからも、いろいろなところでおみくじをひくようなことはなく、きっとどこか一ヶ所で勇気を出して神さまからのお言葉をお受けすることと思います。


┉出産は、安産間違いなし。だそうで。うーん。

No.454 20/02/05 09:53
旅人 

私の未熟さは、ここに書かれている夫と私のやり取りやら、考え方。さらに言えば文章力もなく、あえてその未熟さをいまさら書くこともないとは思うのでありますが、実際にはここに表されている、自然に滲み出た人間性よりも、もっともっと未熟な人間です。

『四十にして惑わず』は有名な孔子の言葉でありますが、五十をとうに過ぎて、『五十にして天命を知る。六十にして耳順う』という、孔子の歩んだ道でいきますと、惑わないどころか、天命=自分の生涯における指命を見極めていなくてはならないというのに、私は現時点、やっと学に志すに至ったくらいであります。

『吾、十五にして学に志す』の、十五歳の時に学問に志したとは、いろはを学ぶのではなく、自分の求める分野の専門的な勉強を始めたことを意味するとのことでありますので、この珍道中を始めた目的がそうであるのではないかと思うのです。

『三十歳にして立つ』とは、自分の精神の立場を確立したということであるとされ、まだまだグラグラな私。後の世に名を残した孔子に並ぼうとすることがすでにおこがましいことでありますが、┉三十かぁ。

残念ながら、物への執着や欲はどちらかというと強いように思えてなりません。欲しいと思ったとき、考え、我慢しているつもりで大した我慢ではないし、手に入れた物はなかなか捨てることができない者であります。
さらには認めたくなくてもふと、冷静に自分の感情を振り返ってみると、思い込みであったり、偏見であったり、見栄であったり、まるで心のメタボの状態であるように思えてきます。


目指すところはなにか。


┉とりあえず、おぼろげなものではありますが、日本人が長いことそうであった、神仏に手を合わせ、神仏をあがめ、他人の目がどうのではなく、日々生きていられることに感謝し、働けることに感謝して毎日を積み重ねて生きていきたい。┉そのように思う、今現在であります。

毎日、その思いを心のなかで反復して、行動の前、言葉を発する前に、その目指す自分を思い起こしていくことができれば、その道に近づくことはできるのではないか、と。

いつか退職したときに、毎日、どのように生きるか。
まだまだその日を思い描くことすらできずにおりますが、できたら毎日、お寺さんや神社さんに出向いて手を合わせていられたら幸せだなぁと思うのでありますが┉。





No.455 20/02/06 06:32
旅人 

神社仏閣を相も変わらず珍道中しているようなところも未熟でありますが、何より私は人として未熟であるなぁと。

すぐに何かに腹をたて、夫や子供たち、さらには同僚に対して愚痴を並べたて、そのうえ人の悪口を口にする。┉若いときのほうが、そういったところがほとんどない、今よりも大人であったような気すらするくらいであります。若いときはいろいろなことにもっと真摯であり、人の悩みや愚痴を聞く方の人間でしたし、愚痴をこぼしている暇すらないくらい忙しかった。
┉いつ、なんのきっかけで私は退化したのかなぁ?┉まあ、そうは言っても別にそんな善人であったということではなく、仕事も忙しかったし、覚えることもいっぱいでしたが、向上心、向学心に満ちていた、ところはあったと思います。

結婚して、その仕事を辞めなくてはならないとなったときの絶望感、喪失感は大きかったけれど、子育てと夫の事故やら病気やらで、なんとか頑張る、頑張るしかないと、やはりただただ忙しく過ごしておりましたし。そしてそんな私を、ご近所のかたや、子育てサークルのお仲間さん、かかりつけのお医者さまが見守ってくださり、優しいお言葉をおかけくださり、手助けをしてくださいました。

いつから私はこんなに愚痴をこぼすようになったのだろう。夫ともよくケンカをするようになった時期はいつ?

まあ、私の言い分は私本人の思考でありますので、何度省みたところで間違ってはいないという結論に到達するのですが、その対応に間違いがあったのではと思うようになりました。
特に同僚に対して愚痴をこぼし、ともすれば悪口をいう自分を反省するようになりました。それはいつから?
┉それはそんな自分に嫌気がさして神社仏閣珍道中を始めたころから、かもしれません。

そうは言っても相変わらず気分の浮き沈みも激しいし、「なんで私ばっかりこんな目に遭うの?」と嘆くし、理不尽なことがあれば、即座に愚痴やともすれば陰口が口をついて出てしまう、イヤなやつ、未熟なやつであります。

No.456 20/02/08 06:46
旅人 

私の実家に、十センチ×三十五センチほどの黒地に塗られた五ミリほどの厚さの木の板に、金色の文字で、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』が書かれたものがあります。
それは物心ついた頃から飾るともなく置かれており、文字の読めない頃からずっと生活のなかに存在していたものでした。片仮名が読めるようになり、簡単な漢字が読めるようになり、その全容がとりあえず読めるようになったのは小学校中学年、の頃だったでしょうか。
ところどころは読めないところがあり、父親に聞いてようやく読めたところがあったことも記憶しています。
それは「雨ニモ負ケズ」から始まり、「サウイフモノニワタシハナリタイ」で終わるもの。
小学生の私、中学生の私、それぞれに感じかたは異なったものの基本的に、私はこういう人になりたい部分となりたくない部分とある、不遜な言い方をすればどちらかと言えば好きではない詩でありました。
私だったら┉と、パロディではないものの、真剣にその詩のなかに自分なりの理想を折り込んで、自分なりの雨ニモ負ケズを仕立ててみたりしたりもしました

高校生の頃、実はこれは亡くなる前に書かれた、賢治の死後に発見された詩かどうかもわからないメモだったこと、さらに続きがあることを知ります。

【雨ニモマケズ】 宮沢賢治

風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」で覚えるともなく覚えてしまった私には、今更感も強く、さらには正直違和感も強く感じてしまい、心のなかで封印しておりました。


No.457 20/02/08 07:23
旅人 

今、この【雨ニモ負ケズ】は、すべてが素直に心に入ってくる、まさに私のめざす生き方がここにあるかのような気すらするものになっていたことに気づき、驚きとともに喜びを感じました。
違和感でしかなかった、最後の仏さまのお名前や御経の一文が、欠かせないものであったことにようやく気づくに至りました。

正直に言ってしまえば、宮沢賢治の世界┉【銀河鉄道の夜】も、【風の又三郎】【やまなし】もその独特の世界がいまだに理解はできておらず、それは生まれ育った環境のちがいもあり、住んでいる地域の┉気候の差もあり、時代も異なり、何よりがさつな私の感性と、繊細な賢治との差もあるので、ここはきっと理解できないままに終るのかもしれませんが。

サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
『サウイフモノニワタシハナリタイ』


┉強いて言うなら、寒さの夏は来ないんじゃないかな( >Д<;)





No.458 20/02/08 17:24
旅人 

サフイフモノニ ワタシハナリタイ
に続く、仏さまのお名前や御経は今なお読めず、ついでといってはなんですが、調べてみました。するとさらにこの【雨ニモ負ケズ】続きがあることを知りました。仏さまのお名前と本当の全文を記しておきます。

南無無辺行菩薩(なむむへんぎょうぼさつ)
南無上行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ)
南無多宝如来(なむたほうにょらい)
南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)
南無浄行菩薩(なむじょうぎょうぼさつ)
南無安立行菩薩(なむあんりゅうぎょうぼさつ)

なんでも宮沢賢治は三歳から聞き覚えたお経を毎日お唱えしていたとか。
さらに続く一文は

[スベテニウへノオコナヒヲチカフ]
全てに上の行いを誓う、ですか┉。日本人のほとんどが知る、この有名な雨ニモ負ケズは、仏さまに全ての言葉、全ての行いを誓った、本気の宣誓書でありました。


No.459 20/02/09 05:58
旅人 

先日、職場に来られたお客さま。いつもはご夫婦でおみえなのに、その日お一人でいらしたので、「今日はめずらしくお一人ですか?(ご主人は)ごかげんでもお悪いのですか?」とお声がけしましたところ、「主人は今日、デイサービスなの」。
 
はたから見ても、頑固でマイペースなご主人に、やさしく上手に意見なさっておられ、悩みごとは包み隠さず私どもスタッフに打ち明けて、明るくていつも前向きな方でいらっしゃいますが、この一年でご主人に認知症の症状がみとめられ、夜も眠れないほど苦しんで来られた方でもありました。

介護認定をお勧めし、いまはデイサービスなどでご主人との距離を作って、もとの明るさを取り戻したかに見えておりましたが、
「最近、何をするのもイヤになっちゃって┉。何かあったわけじゃないんだけど、お食事の支度するのすらイヤでイヤでたまらないの」「でも主人がいるしお食事作らないわけにはいかないでしょ?もうね、ほんとに苛々して時々大声で叫びたくなっちゃうくらい。┉実際にはやらないわよ?でも本当にそんな感じなの」
他のスタッフが一人カラオケなどを勧めてみましたがなにやらそれはお嫌な様子。
ひとしきり愚痴をこぼされて「すごく楽になったわ、ありがとう」とおっしゃって帰っていかれました。


そこで私は最近本で知った、【阿息観】という瞑想法を思い出しておりました。
その本は特に僧侶やら宗教研究家の書かれた本ではないのですが、初めて目にした修行法であり、またそのやり方にたいそう心惹かれるものがありました。真言宗の寺院で行われることのある修行のようです。

簡単に述べると、あぐらに似たかたち(半跏坐といわれる座りかた、他にもありますようですがとりあえずはこの一つにさせていただきます)で座り、呼吸を静かに整えたのち、『阿ー(あー)』という声を出し続ける、というもののようです。
呼吸を整え、静かに「阿」という言葉を口にするこの修行に、すごく心惹かれるものがありました。考えただけでも無心になれるような気がいたします。

家でもできそうな修行に思えて読み進むと、『一見簡単なようでも瞑想しているうちに違った世界に入ってしまうこともないとは言えないのでまずは初心者の方は僧侶の方の指導を受けてからにしましょう』と書かれておりました。
以前書かせていただいた【阿字観】【月輪観】なども真言宗の修行であります。


No.460 20/02/10 06:39
旅人 

【阿息観】にかなり惹かれるものがあった私は、『一見簡単なようでも、瞑想しているうちに違った世界に入ってしまうこともないとは言えないのでまずは初心者の方は僧侶の方の指導を受けてからにしましょう』と最後の最後に書かれていた一文に、けっこうなショックをおぼえました。

実にそれはそれは丁寧に、どのような形で座り、目の開けかたはこうで、手はどのような形で、とか、呼吸を整える方法とか、一つ一つが具体的に、解りやすい文章で書かれているのです。
気の早い人など、その場で読みながら実践しそうな書き方であり、しかも、そのやり方が全て書かれて、完結したあと、いろいろな瞑想法があるけれど、【阿息観】は具体的なイメージがあるため精神統一しやすいとかまで書かれていて、そのあとにすらすらとその一文が添えられているのです。泣。

そこがやはり僧侶の方が書かれたものとの違いでありましょう。
違った世界に入ってしまうことがあるっていうこと自体が想像すらできない、超初心者の私などが手軽に手にしちゃってる本では、そういった具体的なやり方を本当の危険をご承知されている、実際に指導をされている僧侶の方は絶対に書いたりなさらないので。


諦めきれない私は、実際に自分のうかがえる範囲のお寺さんで、御指導いただけるところをGoogle先生に調べてもらいました。なかなかないようで、そもそもがお寺さんもそのようなことをネット配信されておられるところもほとんどありません。
東京の高輪の高野山別院が一番近いのかな。

その本に具体的なやり方を書く前に書かれていた文章だけは転記しておきます。



┉「阿」は、密教でもっとも大事な文字であり音です。密教の世界ですべての根源とされる仏さまを大日如来と言い、その大日如来をサンスクリット語で表すと「阿」という文字になるのです。阿は命の根源であり、その音を唱えながら宇宙の根源と一体化していくのが阿息観です。┉


いつか【阿息観】に出会えるときのために、そういった行があるとお知恵をいただいたと思って、やり方は忘れることとします。┉忘れることは得意ですから。┉というより、覚えることも難しい年頃なので、実際に【阿息観】をお教えいただけるとき、御指導される僧侶の方が、大変かなぁ(;`・ω・)
ま、僧侶の方はそれがまた修行になりましょうかね。

No.461 20/02/11 06:40
旅人 

本日は祝日【建国記念日】。しかしながら、本日仕事が休みなのは私だけ。夫や子供たちより、確実に多い休日、なんとも申し訳ない気分になるのであります。
私ども夫婦は【建国記念日】=「けんこくきねんび」と長いこと言い続けておりましたが、正確には【建国記念の日】。今さらどちらでもよいような気すらしてしまういいかげんな人間でありますが、『建国をしのび、国を愛する心を養う日』として、1966年に【建国記念の日】として制定されておりますから、誤った表現で実に長いこと生きてきたということになります。しかしながら、すでに記憶すらも曖昧となりつつあります私どもですが、学校の先生も「明日はけんこくきねんびでお休みです」と言っていたような気がするのですが┉。


もともとは、神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝うこと(紀元節〔きげんせつ〕)であったもので、それが戦後、占領軍の意向で祝日ではなくなります。「紀元節を認めることは、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で廃止されました。
しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まります。
それでも「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など専門家による多くの議論があったようです。そんな反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることとなり、その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正され、1966年に国民の祝日に認められ、翌年から適用されています。

「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだと言います。

神社とほぼ無縁で生きてきた私などは、建国記念の日が如何様なものかも当然知らずに、過ごして参りました。しかしながら、ここ平成から令和に移り変わるというころにようやく神社に足を運ぶようになった私は、天皇家と日本中の神社が深い関わりを持つことに気づきます。あ、天皇家は現人神であられたくらいだったし、そもそも神話の世界から天皇家は存在しているんだっけ。(;`・ω・)



No.462 20/02/11 06:44
旅人 

そもそも日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代になってのこと。神武天皇(初代天皇)即位の初日を日本の紀元(歴史が始まる最初の日)としたことから始まります。この、日本の紀元の日を「紀元節」といい、紀元節には全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていたもののようです。
日本書記に、『日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、初代天皇になった神武天皇である』と書かれています。
イワレビノミコト(神武天皇)は、現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたとされているようです。


建国記念の日って、紀元節ほどではないにしろ神社さんにとっては大切な日で、国民も神社にお詣りする日、なのかもしれない?(・・;)

No.463 20/02/13 05:07
旅人 

以前にも書きましたが、『神社仏閣珍道中』どう考えても仏閣の比率が高く書かれております。

まあ、かかあ天下といわれる土地柄をフルに活用し、自分の持ち味(⁉┉自分中心で威張り散らしてるという欠点のこと?)をフルに活かして、自分の好きな御仏像のおられるお寺さんを巡るように仕向けているようなところがあるのは事実であります。
あとはやはり、五十過ぎての立志で、さらには祖父母、何より両親からに至っては受け継ぐものが何一つなく、基礎知識もないままに始めた珍道中に過ぎないことがあだとなっているところもあるのであります。

いわゆるネットによる情報に頼るしかなく、ネットの情報が正しければよいのですが、誤ったものも含まれていたり、誤った解釈をしてしまったりということが多々起こりうるということ、であります。加えて、記憶力の著しい低下。もともと低かった自己能力は日に日に衰えるばかりで、記憶し考察することが難しくなっております。
大雑把でいいかげんな私が、勝手な解釈をするほど危険なことはないのでありますが。

神様はともすればお怒りになられることもあり、キチンとした知識が必要で、どのような神様がお祀りされている神社さんなのかをちゃんと前もって調べた上で、その神さまの御神徳に合わせての御祈願を申し上げるべきだし、御礼のお参りを欠かしてはならないと、現時点で思い込んでおるので、ついつい敷居が高いというか、ハードルを上げすぎてなかなか気軽に参拝できない呪縛を自ら作ってしまっております。
そのくせ、遠くにある神社さんにはけっこう気軽に参拝させていただいて、参拝させていただけたお礼を申し上げて参拝とさせていただいていたりするのですが┉。

そもそも神社さんは合祀されておられることが多く、お祀りされておられる神様がたくさんおられることもあり、なかなか予習もむずかしいのでありますが、八百万といわれる神様のお一方お一方の御神徳を覚えるのが難しい。いやいや、八百万の神様のお一方お一方のお名前すらが覚えられない。
こうして、なかなか神社さんを詣でることがなくなっていく現状があります。


それでは仏様はキチンと御尊名を覚えたのか?と問われれば、うーん、ほんの一部の仏様にすぎません。仏様はお怒りにならないのか?と問われれば決してそうではないようなのでありますが┉。

No.464 20/02/16 14:46
旅人 

涅槃会で書きはじめさせていただきました、小説枠での珍道中も早いもので一年が経ちました。こんな駄文で稚拙な文章でありますが、お読みくださる方がおられるようで、本当に感謝しております。

そう、そして涅槃会で、実父と舅の月命日で、自らの誕生日であります、二月十五日。



今年は土曜日ということもあって、どちらに伺おうか思案しておりましたところ、息子が前々日に、「朝には着けるから、どこか一緒に出かけよう」と言ってきてくれました。仕事終えた足でそのまま向かってくれるとのことで、ほぼ眠っていない状態です。
どうしよう(((((゜゜;)

前日の夜、夫と二人で会議です。
息子の疲れをとってから出かけよう。┉とすれば八時から始まるという【榛名神社さんの代代御神楽奉納】はそれこそ寝入ったら起こして出かけるようです。これはまたの機会ということで┉。涅槃会も午前中か午後一で、疲れた息子と一緒に出かけるところではないだろうし。
そうなると、どうしたものか┉。答えのないまま、早朝まだ日の昇らない四時半に息子が帰ってきました。
「おとうさんと色々相談したんだけど、┉榛名神社は八時に始まって十一時には終わってしまうようなんだよね。いったんここは寝て、起きてから梅でも見に出かけようかね」
すると、
「寝ちゃうと起きられないから、なんならこのまま出かけてもかまわないよ。そのかわり、車で寝ちゃうけど」と息子。
「えっ?」
私「じゃあこのまま出かけたほうがいいってこと?」
息子「そうだねぇ」
私「┉じゃあ、もしあれだったら、いつか行きたいって言ってた、茨城県の海の中に鳥居のある神社さんに行っちゃおうか?」
息子「┉いいんじゃない?」


息子との会話を伝えるべく、夫の寝室に向かうと、目は覚めしていたものの、まだ寝ぼけまなこの夫に、会話の内容を一応伝えると、「あ、そう、じゃあ行こう!」
「えっ?」Σ(・ ・)ノ?



と、いうことで、ほぼ冗談のように口をついて出た、茨城県の【大洗磯前神社】さんに急遽参拝させていただくこととなりました。



No.465 20/02/16 20:23
旅人 

海の中の鳥居。私のつたない表現からでは、竜宮城をすら想像してしまう方がおられそうです。
裏技(?)で写真を載せておきます。

突然、唐突に私の思いつきだけで、参拝させていただくことになった【大洗磯前神社】さん、ここ、海の中の鳥居しか私の予備知識にはありません。社殿はなく、この側にある岩場が御神体であるのかと、正直思っておりました。
ナビで茨城県大洗に向かうこと一時間半、大洗に入ると交通標識の道案内に【大洗磯前神社】の文字がそこここにあります。もうナビはいらないくらいです。「さすが!」
最終段階は【大洗磯前神社大鳥居前】を左折。
ん?えっ?┉海に向かってないと思うけど?そう、斜めに坂を上がっていく道であります。

それでも明らかに神社さんの敷地に入ったような様相ではあるのですが┉「ねぇ?違うもうひとつの磯前神社さんに着ちゃったりしてない?」
「いや、そんなことはないよ」と夫。当然、半信半疑┉どころかほぼ信じてはいない私。まあ、行ってみるしかない。
駐車場に着きました。神社さんの拝殿どころか、鳥居ひとつ見えてきません。「はあぁ┉」連れてきていただいている立場、声に出さないため息をつきつつ車から降りました。海も見えません。ですが、先ほどまで私自身が道案内の道路標識で【大洗磯前神社】に向かう道である案内を見ております。うーん。

「とりあえず、私、先に行って様子を見てくる!」夫と息子の軽い制止などまるで聞く耳を持たず、走り出すおばさん(=私)。
うーん、なんだろう?立派な西洋風の待合所(?)があります。なんなんだろう。
さらに歩を進めると、大きな大きな一枚板の石碑があります。【軍艦那河忠魂碑】と書かれていました。追いついた夫が感嘆の声をあげています。出た出た!夫は軍艦だの戦闘機だの好きなんだよなぁ。┉そういえば、ここ、大洗ってガールズアンドパンツァーの聖地なんじゃなかったかな?( ;-`д´-)

そんな夫は無視して、さらに進むと!┉ありました。陸地の神社さん。うーん。神社の名前は間違いなく大洗磯前神社さんであります。



No.466 20/02/17 07:10
旅人 

すると、まもなく手水舎が目の前に、右手に鳥居、左手に随神門が見えてまいりました。またまた、走り出す私。夫と息子は、もはやついてきてもおりません。

まずは随神門に目をやり、次にさほど大きくはない鳥居に視線を移すと、石段が下へと続いて┉。その石段の向こうに、道路で隔てられた向こう側、建物と建物の間に、昇って一時間半ほどの朝日をあびてきらめく海の水面と、水平線、あかるい空とが見えるではありませんか。
┉いい歳をしたおばさんが、口に手をあてて小さくぴょんぴょん跳ねる様ったら┉(;^_^A
すぐに気づいて自粛いたしましたが、海無し県民の哀しい性で、海を見るとテンションが上がってしまうのであります。┉もちろん個人差がありますし、その表現もさらにさらに個人差がございますので、海無し県、群馬県民の名誉のために、きちんとそこは明記しておきましょう。
夫の姿が見えてきました。すると再びテンションがあがって(私の名誉のために書いておきますが、夫が来た嬉しさでは決してありません)その場でぴょんぴょん跳ねながらおいでおいでの合図をしてしまう、怪しい怪しいおばさんが一人。
「見て見て!♥」
┉再び自らの怪しさに気づき、気持ちを落ち着かさせるためにも、手水舎で心身を浄めました。普通人の夫は、「ほおぉ」と小さな声をあげて海に向けてスマホで写真を撮っておりました。息子にいたっては表情も変わらず、しばし、建物のすき間からみえる小さな海を見つめております。
いつもなら、┉鳥居や、せめて随神門は、まずは夫を一歩でも先にくぐってもらうよう努めております。まあ、そのときの私のテンションによっては、そうでないことがありますのも事実ですが┉。今回はまるで、まったく待つ気になれない。一歩でも一秒でも早く門のうちに入って、神さまにお会いしたい思いでいっぱいです。
大国主命さまと少彦名命さまを主祭神とされておられるこちら【大洗磯前神社】さん。日本国の国造りをなさって諸国をお巡りくださったお二方であります。(二柱と申し上げるのは存じ上げておりますが、あえて親しみをこめて、お二方と述べさせていただきます)
お二方の神話は子供の頃から慣れ親しんだお話であります。そのお名前を拝見するとテンションが上がってしまう、私。
もう、誰も止められない。 

No.467 20/02/18 04:03
旅人 

┉誰にも止められないおばさん、ですら、やはり、神さまには止めるお力がございます。
随神門におられるお二方のお美しいお顔立ちといったら!まるで雛人形のような端整なお顔立ちで、思わずぽおっとみとれてしまいます。
そして随神門に書かれた文字が、さらに胸の高鳴りを高めつつも、夫を待つように、と、私の足をとめました。


【月次祭のご案内】
【大洗磯前神社では毎月一日と 十五日 午前十時より 月次祭という祭典を斎行しております
どなたでもご参列いただけますので 参列を希望される方は社務所までご連絡ください】


夫を待って、「見てみて見て!」
┉すでに鳥居のなか、境内であり、神域であるというのに、いくら小さな声でといってもなんともにぎやかなおばさんであります。そして夫の反応も返答も一切見ず聞かず、随神門をくぐるべく低頭する最強クラスのおばさんでありました。

そして、随神門を胸ときめかせようやく潜らせていただきますと♥、
巫女さんがそこここで、しずしずと、黙々と、朝の仕度をなさっております。
真正面に拝殿。拝殿の扉という扉、すべてが開け放たれております。拝殿の前、左手に大きな大きな絵馬が飾られております。磯前神社さんらしく、「ネズミが磯にある鳥居に詣でる」といった絵柄であります。右手にはどういったいわれか、蛙の石像が三体並んで座っています。
そして梅の花。白梅が七分咲き┉散りだす花もない、一番きれいなときかも知れません。
ずっとぽおっとしているおばさんに、いつの間にか息子が追いついてきております。ようやく気を取り戻し、拝殿に参拝しようとすると巫女さんが、お祓いのふさふさ、祓い串を拝殿前に設置しました。自分で自分の穢れを祓うように、と書かれています。ばっさんばっさんと自分で自分を祓って、いよいよ拝殿にお参りです。

二礼二拍手一礼をし、三回、「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、幸さきわえ給え」(お祓い下さい、お清め下さい、神様のお力により、お守り下さい、幸せにして下さい)とお唱え申し上げました。

No.468 20/02/18 18:24
旅人 

拝殿前での参拝を済ませ、振り返ると目に入ってくるのが、絵馬を掛ける台がふたつと、やはり大きなもう一枚の絵馬が!
┉ガールズ&パンツァーの絵であります。うーん┉。
私じつはガールズ&パンツァーというものがなんたるか何も知らないのです。
大洗が舞台のアニメ?なのかゲーム?なのか。どうやらここもそういう世界においてのいわゆる聖地だったらしく。┉神社さんとしては奉納された絵馬でありますし、もしかしたら大洗という街の町おこしとして重要な任務も担う存在なのやも知れず┉。
まあ、それでも私はガールズ&パンツァーという存在を知っているだけでも、この神社さんにこの絵馬があることに大きな違和感は感じずにいられたかもしれません。
そして絵馬を掛ける台には、私のように画才のないものには『プロ』のイラストレーターさんが納めたのではないだろうかといった、それぞれおもいおもいのイラストが描かれた絵馬が掛けられていました。
一枚一枚、みとれるくらいの上手さです。なかには立体の女の子の顔のイラストが貼られた絵馬もあり、本当に、絵馬を見ることでも別の意味で感動を得ることができました。

夫は絵馬に時間をさいている私を置いて、本殿に向かったようです。
私も本殿にもお参りしなくては!末社もあるかもしれません。
奥に向かおうとすると壁に沿ってずっと、大きさもさまざま、種類もさまざまな像が置かれています。大黒さまだったり、ひょっとこだったり、ずらーっと並んで置かれていました。その先に三社が一体化した社殿があり、そのみぎて、拝殿の奥に(当然でありますが)本殿が。┉茅葺きの大きな本殿です。茅葺きの屋根によく合う、色彩のない白木が時代を経た落ちついた、立派な彫刻の施された社殿であります。
私はその本殿裏でも神さまに参拝いたします。

そしてその本殿のちょうど左右にあたる、先ほどの社殿と同様に三社が一体化している社殿がありました。
そのみぎてにあります社殿に参拝していると、拝殿の方から太鼓の音が聴こえてきます。まだ、十時には早い時間かとはおもうのですが┉。

No.469 20/02/19 07:42
旅人 

急いで拝殿のほうへ戻ります。

十人ほどの参拝の方々が、神妙な面持ちで拝殿に向かって立っています。その中の一人は息子。一瞬目が合いましたが、すぐに拝殿に目を戻しました。なんだろう。
皆さんの後ろを通って、拝殿に向かうと┉。

ほおぉ┉。(・о・)

烏帽子を着けた神官さんと巫女さんが拝殿内に座っておられます。
神さまに捧げるいくつかの所作をされ、一人の方が祓詞(はらえことば)を唱えたのち、皆さんで二礼二拍手一礼をされておられました。その後、楕円形に向かい合った形で座を組み直し、ミーティングとでもいうのか、朝の挨拶と申し送りをされ、退出して社務所に向かって行かれました。
なるほど、朝の神社さんではこのようなことをされておられるのかぁ。
先ほどまで参拝させていただいていた末社の神さまの御前には、すでに白い陶磁器や、新鮮な野菜などのお供えがされており、紙垂のつけられた榊も置かれておりました。
神さまに仕える方の朝も早いです。朝日の昇るまえから、毎日毎日途絶えることなく執り行われる神事は大小多岐にわたるものなのでありましょう。

爽やかな気持ちであります。

いよいよ鳥居の間にみえた海をめざして、石段をくだります。
大きな鳥居がもうひとつ。
道路を渡って、お店のわきの細い道を通って行くと、水面のきらめく海と、明るい青空がひろがっています。そして┉。
ひだりてにあの、本やネットで何度となく見、いつか必ず!と願った海の岩場に立つ鳥居がみえます。

落ちつけ!落ちつけ、私。
海は静かに静かにきらめいている。
┉すべてが神域だ!
 
┉鳥居は足場の悪い岩場に立ち、岩場自体に注連縄が巡らせてあります。一目で立ち入れるところではないと思われます。
ここは神さまが降り立った場所である。
そう一目でそう理解できるところでありました。



『文徳天皇の斉衡3年(856)12月29日に常陸国鹿島郡大洗磯前に御祭神大己貴命・少彦名命が御降臨になりました。里人の一人に神がかりして、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を済わんが為、亦帰り来たれり」と託宣され、ここに当社が創建されました。』

とあります。
ああ、あの国造りをしてくださった、神話では一度お別れになられたお二方が、こちらに再び私たちをお救いくださるために降り立ってくださったのか。


No.470 20/02/19 15:18
旅人 

一波、一波、変化する海。寄せる勢い、寄せる向き。
夏の海とちがって、むせるような磯のにおいはしません。海辺はごみひとつなくて、美しい海であります。


あの日、あの東日本大震災の際、この大洗にも津波は押し寄せたと聞きます。五メートル近い高さの津波は多くのものを飲み込み、流し、連れ去っています。
今、その爪痕を見ることはありませんでしたが、この高台にある磯前神社にも多くの人が逃げたことかと思うと、胸がしめつけられる思いがいたします。
【神磯の鳥居】と呼ばれる海の中の鳥居は、当然のことながら、あの時、津波に飲まれ津波に翻弄されたものであります。昭和34年(1959年)にご鎮座1100年の記念事業として建立されたという、この鳥居にも、あの日の爪痕は残ってはいないようにみえました。


この日の海はあくまでも静か、穏やかな、ものでありました。

No.471 20/02/19 20:30
旅人 

どれだけ海で過ごしたのか┉。

私たちは神社仏閣では、基本時計を見ないで、時間を気にせず、過ごします。ゆっくり参拝し、心ゆくまで、咲いている花を愛で、大きな木を見上げ、風を感じ、水音を聞き、石仏に語りかけ過ごします。

今回は月次祭といった時間で始まる神事がありますが、おそらくはゆっくり境内に戻ってもまだまだ時間には余裕があるかと。
「車にに戻って温かいコーヒーでも飲んできますか?」
┉息子はそのまま車で休んでいるとのこと。仕事を終えて長い道のりを寝ないで私に付き合ってくれていたので、ほんの少しでも眠れるといいなぁ。

境内にもどり、社務所にうかがって手続きをすると、待合室に案内されました。そこでは大洗磯前神社の歴史などのビデオが流れていました。観ようとすると、巫女さんが「それではご案内しますので、こちらにお越しください」とのこと。
結婚式場の廊下を思わせるような通路を通って行くと、拝殿に続く扉があり、数段の階段をのぼるとそこは拝殿への通路。
┉ここまで珍道中をお読みくださったかたならご存じのことかと思いますが、私、生まれてこのかた、神社の拝殿にはいったことがありません。
「どうぞお入りください」と言われて、右足と右手を揃えて歩きそうなほど緊張しておりました。居並ぶ神官さま方。そして御神前。
┉ところがそのまさに御神前に目を向けたとたん、安心感に包まれ、緊張していた気持ちなど嘘のように消え失せてしまいました。

やがて拝殿正面から、白い神官の装束の方々が四人列をなして入ってこられ静かにお座りになりました。そしてその中のお一人が、
「どうぞそちらにおかけください」と。
結婚式場でつかうような和風の椅子が並べられています。
私たち、先頭でご案内いただいたものですから、そのまま上座に座ることに!夫を立てるつもりも確かにあるにはあるのですが、おそれ多くて上座につけないので押しつけた感もあります。神さまの御前であるというのに( ;-`д´-)

太鼓をたたくのは若い女性の神官さま。三人女性のかたがおられますが、お一人だけが桜色の巫女の装束で、あとのお二人は男のかたと同じ白い神官の装束で黒い烏帽子をつけています。

何から何まで初めてのことなので記憶していることも飛び飛びで、ここから先は、たぶんこうだった、ということが書かれているとお思いください。

No.472 20/02/20 07:43
旅人 

女性の神官さんが太鼓をたたいては何人かの神官の方が祝詞をあげて、たった一人で参列していた巫女さんが舞を奉納されました。その後、巫女さんが紙垂のくくられた榊の束を移動してきました。
ん?( ;-`艸´-) 榊の┉束?

宮司さまが祝詞をあげ、榊を奉納なさいました。進行役をされておられる神官の方が
「皆さん、続けて榊を奉納なさってください」

┉や、やっぱり?((((;゜Д゜)))
よりにもよって神社さんの拝殿に上がることさえ初めてだというのに、所作をカンニングする存在が夫だけなんて!

それでも夫はためらう様子すらなく、スッと立ち上がり巫女さんが差し出す榊を受け取っています。へぇー、結構すごい人だったんだぁ。
と、夫を見直しつつ、その所作をカンニングして少しでも真似できるように凝視している私に、
「ご夫婦でどうぞ」と進行役の方が。
へ?どうして私たちが夫婦だってわかったの?
┉というか、夫婦だって個々に神さまに御挨拶を申しあげたいし、お願い事も違うかも知れないでしょ? と、突然の展開に内心千々に乱れながら立ち上がり、夫の隣に立ちました。
┉それでもやはり神さまの御前に立つと、その瞬間にスッと気持ちが落ち着き、私の中のすべてが神さまに向かって立っている感じになるのです。神さまのお力にございます。ほんの一瞬で、ありました。

榊を御前に奉納する所作なんて夫はわかるのだろうか。またまた神さまに一番近い神聖な場所に座しながら、無心でなくなる私。夫婦になって三十五年の時が過ぎている私たちであります。その間、神事に関わらなかっただろうことを、誰より私が知っているはず。
((((;゜Д゜)))
┉大丈夫だぁ、すごいんだなぁ、夫って。

そんな超初心者の私のあとに続かれた方々は、落ちついたご様子で、慣れたご様子で、榊を奉納されていました。

そのあと、宮司さまが神前に奉納されていた御神酒の入った瓶子をお下げになり、巫女さんに渡すと、急須のような銚子のような容器に移し、巫女さんが几を運び、陶磁器の杯を置きました。
おお、三三九度以来であります。

御神酒をいただき、神官の方々が拝殿正面から下がられて、
「これにて月次祭は終了です」と、進行役の神官の方がおっしゃって私たちも元来た通路から社務所に戻っていきました。



No.473 20/02/21 06:08
旅人 

その通路からちょうど、本殿の左右に鎮座しておられる、向かって右の末社がみえ、先に退座された神官さんたちがそこを参拝されておられました。夫を呼び止め二人で一緒に拝見させていただいていたら、あとから拝殿から下がられた方も一緒にご覧になっておられました。

このあと、左の末社の参拝にまわられる?

右の神さまの儀式で窓越しとはいえ、手を合わせ二礼したならば、左の神さまの儀式にも同じように手を合わせ二礼しなければ!
神事の知識がほぼない私の、とりあえずの自分なりの考えで、急いで靴を履き、拝殿前で短く手を合わせ通らせていただいて、左の末社に駆けつけました。┉本当に落ちつきのない、いつまでたっても子供染みた行動ばかりの困ったおばさんです。
神官の方々が左の末社にちょうど到着されました。
そこに神官の方が来られることをご存じの方なのでしょう、私がそこに着く前から、末社を参拝するでなく、末社の方を向いて神妙な面持ちでたたずんでいる女性がおられました。
神官の方々が末社の境内でもすでに準備されておられました瓶子や、榊をあらためて奉納されて、二礼二拍手なさり、神事を終えられるとスッと、まるで絹が風になびくように、そう思えるほどさらさらと歩かれて、拝殿の前を通って、随神門から出て行かれたのでありました。
┉実は随神門前で、小さな二~三歳ほどの子供が道をふさいでいたのですが、その親は「だめだよ~、通り道をふさいじゃ」と軽くいなす程度で、子供はなかなかそこをどきませんでした。
その歳も、一切困ったそぶりなく、かといって子供の方をみることもなく、まっすぐ随神門のそとを見ておられました。子供の親は相変わらず声をかけるだけで、そのうち、声すらかけなくなるのですが┉(怒)、子供が自分で納得してそこを退くまで、ずっとまっすぐ前を見て、静かに時が流れるままに立っておられたのが、とても心に残りました。
神に仕える方々は、この世に起こりうることを静かに受けとめ、静かに待つといったことが、日常のなかで身に付いておられるのでしょうね。

いずれにしても、相変わらず、未熟で気持ちの起伏の激しい私でありました。ひとつひとつ反省させていただく機会を、境内で神さまがお与えくださいました。

No.474 20/02/21 16:51
旅人 

帰宅して、榊を正しく奉納する方法を調べて、未熟な私の心はまたまた、さざ波が┉(T.T)


【玉串奉奠】

正式参拝やご祈祷など昇殿のお参りの際は、玉串を捧げて拝礼します。これを玉串奉奠(たまぐしほうてん)といいます。
玉串とは、榊などの常緑の小枝に白い紙を切った紙垂(しで)を付けたものです。
作法は、次の通りです。
①神職から手渡された玉串を、右手で根元を上から持ち、左手で榊の中程を下から支え、胸の高さに持ちます。

②神前に置かれた案(机)の前に進み、一礼をして玉串を立て、左手を下げて右手にそろえ、玉串に祈りをこめます。

③右手で玉串の中央を下から支え根元を時計回りに神前に向けお供えします。この後、二礼二拍手一礼の作法でお参りします。



た、玉串に祈りを込めて~?
私、榊、いやいや玉串に触りもしなかったし、夫と一緒にだったから、祈りを込めることもなく、ただ神前で御挨拶を述べて終わってしまった┉(´;ω;`)
ど、どうして、夫婦ご一緒にって言われたんだろう?
というか、どうして一言も口も聞かなかった私たちを、どうして夫婦だと見破ったので?

お願い、私にも祈らせてほしい、┉欲しかった。
リベンジ月次祭!


ですが┉ 拝殿の御神前で私は、「いつもお護りいただき、ありがとうございます。感謝しております」と、二礼の際に心のなかで申しあげておりました。だから、とりあえずの御挨拶を申し上げることはできたし、今回はこれでよかったのかもしれない。
そう、リベンジ月次祭♥
┉そのときまでに少しでも成長した私で。


      令和二年二月十五日


No.475 20/02/22 07:32
旅人 

私の手もとに今、【良寛さんの戒語】という一冊の本があります。

【良寛さん】というと、『子どもたちとよく遊んでくださる優しいお坊さん』、『(私の好きな)すばらしい歌や俳句を詠まれた方』といったイメージがあり、誰もが知っているお坊さんなのかと思います。そしてそんな良寛さんに好感を持っております私でありましたが、┉良寛さんって、何宗のお坊さん?という大変に失礼な疑問につきあたりました。
同様にして、やはり誰もが知っているお坊さん【一休さん】もまた、何宗の僧であるのか、記憶していないことに気づきます。
あれ?(苦笑)。

私の世代は、児童書が大変多く出回っていた時代で、今のような創作童話、創作小説もたくさんありましたが、伝記(いまのような漫画ではありません)や、世界の名作、日本の名作、歴史など、本のジャンルが多岐にわたっておりました。本さえあずけておけば静かにご機嫌にすごしている子どもだった私は、本をたくさん読んだほうだとは思います。そして、そのなかで伝記も何冊も読みました。良寛さんも一休さんもそのなかに含まれているのですが、子ども向けの本だったためか、子どもの頃から記憶力に欠けた者だったせいか、まったく記憶にありません。
困ったとき、今、現代は、Google先生が、まさに数秒で教えてくれるありがたい時代であります。
さらに哀しいことに、昔と違って、あとで○○について調べよう!と、思っても、そう思ったことすら、かなり短時間で記憶していられない、┉脳のなかで沈澱して、まるで無きもののようになってしまい、あるとき不意に、その澱からそのキーワードが突然浮上してくるような、完全に老い衰えたおばさんと化しておりますので、Google先生は先生であり、神のような存在であります。


閑話休題。

一休さんは室町時代の、【臨済宗】の僧。
良寛さんは江戸時代の、【曹洞宗】の僧、でありました。

良寛さんのうた、俳句はたくさん素晴らしいものが遺されていますが、
【この里に手鞠つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし】
この歌は、良寛さんらしさにあふれた、私の好きなものの一つであります。

No.476 20/02/23 01:17
旅人 

良寛さんは1758年に越後国(新潟県)名主橘屋、山本家の長男として生まれました。幼少期は手習いをすることも書物を読むことも拒み、人の注意も気にすることなく、朝寝坊して、気ままに過ごす子供だったようです。
ところがある日、父親のところにやってきて読書がしたいと言い出してきかないため、しぶしぶ『論語』や『孟子』が入った十三経の巻を与えたところ、淀みなく早口に読み出したのでした。父親が理由を尋ねると「昨夜自分の枕元に白髪白髭の老翁がやってきて、心を込めて諭された」と答えたそうです。

良寛さんは橘屋の長男として生まれた宿命に従って、いったんは家督を継いで、18歳で名主見習いの職につきます。が、学問で人間の理想を学んだ良寛さんにとって、現実は厳しいもので、代官と漁師の間に争いごとが起きたときに調停する立場でしたが、噓や二枚舌を使って争いごとをまとめるやり方はできず、双方の悪口をそのまま伝え、町は一層混乱に陥ったといいます。結局、名主見習いはわずか1か月でおしまい、家督を継がず親の反対を押しきって18歳で出家し、隣町の禅寺「光照寺」に入ったのでした。

良寛さんが20歳のとき、越後を訪れた国仙和尚に自ら弟子入りを志願し、備中(岡山県)玉島にあった曹洞宗の禅寺「円通寺」に入ります。そこで10年余り修行をしたのちに、34歳で吉野・高野山・伊勢など諸国行脚の旅へ。
39歳で越後に帰郷。国上山の中腹にある五合庵や乙子神社の草庵に住みました。74歳で逝去するまで、生涯寺をもたず、粗末な草庵に住み、名利にとらわれない生活を送ります。清貧の中で生けるものへの愛を失わず、子供と戯れ、友と語り、和歌や漢詩を詠み、書に優れた托鉢僧でありました。


と、Google先生に教えていただいたものを、簡単ですが記してみました。やっぱり、読んだはずの良寛さんの伝記もほとんど覚えておりませんでした。




曹洞宗といえば、あの永平寺。私がテレビで観たのは永平寺の修行でありました。
テレビで観ただけでもその厳しさが伝わるくらい厳しいもので耐えきれず脱落する者もあるとテレビでも淡々とナレーターが語っておりました。袈裟と食器とともに涅槃金(修行中に万一死んでしまったときの弔い金千円)を荷物に、厳しく冷え込む二月後半から三月頭、ちょうどいまごろの早朝に雪道を歩き上山するといいます。

No.477 20/02/23 02:20
旅人 

その修行の厳しさはいまなお続くものではあり、良寛さんも、寺に入って何年か後、母の死を知らされても帰ることなく、その後の父の死にも帰らずに修行したと書かれておりました。
それでもその後の生き方をみるに、生来の良寛さんらしい生き方をなさって生涯を終えられておられたようで、寺の跡取りではなかった良寛さんではありますが、当時のお寺は世襲性ではなかったので、希望すれば住職の道もあったかと思われるのに、生涯を托鉢僧で終えられています。

そんな良寛さんが、戒めの言葉を遺された?説法じみたことをされた方のようには思えませんでしたので、なんだか不思議な思いがして、【良寛さんの戒語】という本を手にいたしました。

この良寛さんの戒語、やはり良寛本人が残した箴言集があって、それを良寛さんの死後弟子が歌集とともに取りまとめ本にするのにあたって【戒語】という言葉を使ったようです。

一、ことばのおほき
二、物いひのきはどき
三、くちのはやき
四、はなしのながき
五、とはずがたり
六、かうしゃくのながき
七、さしでぐち
┉┉┉
四十、おのが氏すじゃうのたかきを 人にかたる
四十三、あしきとしりながら いひとをす 
四十四、ことばとがめ
四十五、ものしりがほにいふ
┉┉┉
と、九十までの戒語が連ねてあるものであります。
現代にも通ずる、未熟者の私などは思わずハッとすることしばしばの箴言の数々でありました。
中でも、一際私の心に深く刻まれたのが、

補遺一、
すべてのことばは をしみをしみいふべし
いひたらぬことは又つぎてもいふべし
いふたことはふたたびかへらず

すべて言葉は惜しみ惜しみ言ふべし
言ひ足らぬことは又継ぎても言ふべし
言ふたことは再び返らず

という言葉でありました。うーん、確かに┉。


そんな良寛さんの生前の姿を記したものに、「師常ニ黙々トシテ動作閑雅ニシテ 余有ルガ如シ」とあるようで、口数は少ないもののたちいふるまいはゆったりとして雅に見えたようです。さらに、良寛さんが泊まると、家の者がみな仲むつまじくなり、家中に和やかな空気が満ちたといいます。良寛さんと一晩語り合うと、心の中が清らかになるような気がしたとも書かれておりました。
この本のおかげて、良寛さんがますます好きになりました。

No.478 20/02/23 09:48
旅人 

良寛さんというと村の子供たちとかくれんぼをしたり手鞠をついて遊ぶ、素朴で優しい姿を連想します。
ですが実際は、曹洞宗の托鉢僧で、師である大忍国仙や、高祖道元の教えを守り、生涯寺を構えず、妻子をもたず、物質的にも無一物に徹して、清貧の思想を貫いた人でした。

それでも、やはり良寛さんは、愛すべきエピソードがたくさんあり
、幼少期朝寝坊して父親に叱られ、上目づかいで父親を睨んだとき、
「父母を上目で睨むような者は鰈(かれい)になってしまうぞ!」と父親が叱り上げるとそのまま行方不明になります。夕方の海礁にたたずむ少年を家人が見つけると、「まだ自分は鰈になっていないか?」と尋ね、いつ鰈になってもすぐに海に飛び込めるようにしていたといいます。

寛政2(1790)年に、国仙和尚から修行の修了証明書ともいうべき「印可の偈」と共に杖をいただいた良寛さん。ところが、なんとその大切な杖を出先に忘れたことがあったそうです。
また、托鉢には人々から喜捨(きしゃ)される米や銭を入れる鉢を必ず手に携えていましたが、野の花摘みに夢中になって、鉢を忘れてしまうこともあったようです。「道のべの菫(すみれ)摘みつつ鉢の子を 忘れてぞ来しその鉢の子」と、和歌にも詠んで悔やんでいます。
良寛さんは、あまりに忘れ物が多いので、自身で「携帯品リスト」をつくり、出立のときには持ち物チェックをしていたようです。

かくれんぼをしていて、いつまでも見つからない良寛さんを置いて子供たちが帰ってしまったその次の日、畑仕事に訪れたお百姓さんに発見されたり、なんとも良寛さんらしい愛すべきエピソードであります。

そんな良寛さんの書もまた、後世において大変高い評価を得ておるようであります。

夏目漱石は「心の純なところ、気の精なるあたり、そこに摺れ枯らしにならない素人の尊さが潜んでいる」と、良寛さんの書を高く評価し、北大路魯山人は「良寛様の書は質からいっても、実に稀にみるすばらしい良質の美書であって、珍しくも、正しい噓のない姿である」。そして「書には必ず人格が反映しているもの」と。
その書は、微笑みを湛えて人々と接し、清貧の生活でも強い精神をもって民衆とともに歩んでいた良寛さん自身の生き方を反映しているようです。


そんな良寛さんの書を展示した施設が、群馬県みどり市にあります。
【陶器と良寛書の館】┉行ったことはないけど

No.479 20/02/23 17:15
旅人 

茨城県笠間市にあります【笠間稲荷神社】さんに参拝させていただきました。ひとめで懐かしいという感情のわく、心弾む、心和む門前通りであります。門前通りにも心うばわれながら、まずはお参り、お参り。
鳥居をくぐりますと、今度は参道の両脇に仲見世。うーん。
見ないように見ないように進むと、可愛らしいお狐さまたちが参道をお護りになっています。可愛らしいお狐さまにいつまでも語りかけそうな自分をさらに律して、進むと大きな門が見えてきます。┉いかによそ見ばかりしながら歩いているかがわかりますよね。(^-^;
楼門、随神門であります。立派なものであります。 


こちらの主祭神さまは【宇迦之御魂神】さまであります。
『古事記』によると、宇迦之御魂神は須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)の間の御子とされています。
生命の根源を司る「いのち」の根の神で、農牧、水産、養蚕を始めあらゆる殖産興業の神、蘇生(よみがえり)の神、生成発展の神、産霊(むすび)の神、火防の神として霊験あらたかな御神徳が普く全国の人々より崇敬されています。

かつてこの地には胡桃の密林があり、そこに稲荷大神さまがお祀りされていたことから、「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれ、御神木は胡桃の樹。
境内には大きく立派な藤棚がありますが、胡桃の樹は大きさはさほどではないものの、その扱いは別格でありました。

創建は、第36代孝徳天皇の御代、651年と伝えられています。

その後幾星霜を経て、時の笠間城主、井上正賢により社地社殿が拡張され、さらにまた牧野貞通が城主となるや祈願所と定められます。境内地・祭器具等が寄進され、以来歴代藩主の篤い尊崇を受けました。
日本三大稲荷のひとつとして広く人々に親しまれ、霊験あらたかな御神徳を慕って多くの参拝者が全国より訪れています。 

拝殿は色鮮やかな朱塗りの比較的新しい社殿であります。大きな絵馬がそこここに掲げられ、拝殿両サイドにそれぞれ小さな木彫りの白虎、玄武。朱雀、青龍が高い台の上で楼門方向の空をみつめています。

拝殿のみぎてを歩いていきますと、様相のガラッと異なった重厚して色調は木そのものの本殿が見えてまいります。空気すらが変わる空間です。とはいえ、あたたかな穏やかところは同じなのですが┉。

No.480 20/02/23 22:44
旅人 

こちらの御本殿は江戸時代末期安政・万延年間(1854~1860)に再建されたもののようです。昭和63年に国の重要文化財に指定されています。
御本殿周囲の彫刻は、「三頭八方睨みの龍」「牡丹唐獅子」、「蘭亭曲水の図」と呼ばれる当時の名匠によるものということで、実に精巧を極めています。
┉が、こちらの御本殿、彫刻の施された位置が結構高いところであり、さらには鳥の糞害除けなのでしょうか、金属製の目の細かい網が取りつけられていて、よく見えないというのが正直なところでありました。車に戻れば簡易双眼鏡があるというところがまた、私のうかつなところで┉以前、あるお寺さんの仏像見学会に参加した折に、こういったところを訪ねる際は双眼鏡があるとよいと学習し用意したものが、車までどまりという、なんとも情けなくも悲しいことであります。
とはいえ、神さまや仏さまのおられる神聖な場所、仏像見学会でお寺を訪ねた時とは状況が異なります。
お参りに双眼鏡は失礼、な気がいたします。

そしていつものように本殿のちょうど中央辺りで、今一度神さまに手を合わせようとすると┉ちょうどそのあたりに大きな岩がお祀りされていて、その周りにたくさんのお狐さまがおられます。
どういった経緯からそのようになったのかは、わからないまま、なのでありますが。      

ともあれ、本殿のお参りをおえ、もと来た道にもどります。
こちらの境内も穏やかなやわらかい気が流れています。

藤棚のわきを抜けていくと、大黒天さまがお祀りされているようです。大黒天さまにお参りをさせていただきます。
それにしても大きな藤棚であります。というか大きな藤、なのであります。これが咲いたらそれはそれは見事なことでありましょう。


仲見世には、さすが日本三大稲荷と呼ばれる稲荷神社であります。狐さまのお店がありました。そう、あの陶でできたお狐さまであります。ところが、次々とシャッターを閉める音が隣近所のお店から聞こえてまいります。あ、四時?
悲しい音がひびきわたります。


     令和二年二月十五日

No.482 20/02/25 18:58
旅人 

比叡山には死をかけた修行が今なおあるということを知り、衝撃を受けました。えっ?今も?

回峰行と呼ばれるもののようです。
『行不退』。一度始めたならば、いかなる理由かあろうと行を中断してはならない。行に挫折したならば、死出紐で首をくくり、自ら命を絶たねばならないのだと。え、ええっ?今も?

今も?┉と問うことが、僧侶のに対してこの上なく失礼なことなのかもしれませんが、私は人生の半分以上を神仏と繋がりを持つことなく生きてきてしまった愚者であります。
今の世の中で、挫折したら自死しなければならないといったことが決められているということにショックを受け、かつ今なおその決まりは絶対のものなのか、とにわかには信じられないでおります。

ブッタ=ゴータマ シッダルータが、歩んだ道もまた命がけの行でありました。その上で悟りをひらかれ、釈迦如来となり、いまこんにちの仏教があるのは存じあげております。
そんな仏教の成り立ちからして、厳しい行があって然るべき、なのでしょうか┉。
命がけで唐に渡り、インドに渡り、その地で修行をし、教えを学び、認められてお経を授かり、そしてまた命がけで日本に戻り、更なる修行をし、諸国を行脚してその教えを説いて歩いた先人が、開基となり、現在に至る教えとなっている仏教。

その教えを、真に知ろう、極めようとした者が、その死をかけた行を行うのは、自然の流れなのでしょうか。
┉私のような愚かな凡人にはわかろうとしても芯のところで理解できないことなのだと思います。
ビデオで観ただけのごくごく一部の修行の様子とて、充分に厳しいものでありましたというのに。それが┉命がけの修行に挑み、行に挫折したならば自らの命を絶たねばならない?まあ、それは究極の修行なのではありましょうが。



ただ、仏教が時代と共に変遷してきたことも学校の授業で学んでいます。
さらには今、思うところあって神社仏閣の珍道中を始め、ごく一部に過ぎないお寺ですが、御本堂でモデルの撮影会を行い。また御本堂のなか、よりにもよって御本尊さまにお尻を向けて寝そべり、御本堂で写真を写すようなお寺があることを実際この眼で見てきてもいます。


仏教とは。
まあ、それは、そんな簡単に答えの出せるものではない┅、ということがわかれば、私のような愚かな者にはちょうどよいのでありましょう。

No.483 20/02/26 06:04
旅人 

仏教における究極の、決死の行は私のような者には縁なきことでありますが、現在、グローバル化した世の中で、まさに全世界が、全世界の人類が、命のかかった行を望まずして強いられております。

人々はいま、未知のウイルスに侵食されつつあり、いにしえの人々が苦しんだのと同じように、防ぐ術も持たず、翻弄され、その命さえ危機的状況におかれております。
それでも、かつて、いにしえの人々が何度も乗り越えたその苦しみよりは、栄養状態も、衛生面もよく、何よりも発達した科学の力はその頃とは格段に異なるスピードで収束し、終息することであると信じております。


それにしても┉この春の┉うららかな陽の頃に。
白や桃、紅の梅が満開をむかえようとし、桜の花も咲こうかという、私の一番好きなこの時季に。やわらかな黄色の菜の花。
その葉の形が仏様の台座(蓮座)のように見えるというのが名前の由来のホトケノザ。近年流行(?)しているネモフィラに似たオオイヌノフグリ。
花々が春がきたと告げているこの時季に┉(;ω;`*)


子年、だからというわけではありませんが、ねこの額(ひたい)よりも狭いという意味で、ねずみの額(ひたい)と呼んでいるわが家の庭にも春が訪れております。
春を愛でる思いは、コロナウイルスになどに負けません。
花粉症に苦しみながら毎日庭に立ち、花と語らう私であります。

No.484 20/02/27 05:54
旅人 

いま、コロナウイルス感染症で、人々すべてが不安で、疑心暗鬼で、
心に余裕をなくしているかもしれません。
それでも、それもやはり生きている環境、おかれている状況、その人の性格によって、そのとらえかた、感じ方は大きく異なるでしょうが。


すべての方々がそれぞれの置かれたところで、今日の一日を、毎日の日々を、少しでも穏やかな気持ちで過ごせますように祈ります。
すでに闘病中の方の一日も早い回復を祈ります。



No.485 20/02/28 05:38
旅人 

きのうの朝、仕事に向かう車の窓に、家並みや山並みに添うように、大きな大きな雲が横たわっておりました。まるで優しく包み込むように、寄り添うように。それがあまりに大きいために、見ようとしなくても目に入ってくるので、見ていると┉ おお!こ、これは龍みたいだ!
大きな龍が地球に┉まあそれはおおげさでしょうが、遠くの家並みや山並みにふんわりと優しく、安心して身をやすめているようにうつ伏せで寝ているように見えます。

あ、神さまや仏さまが、見守ってくださっている。この地球で起きているコロナウイルス感染症のパンデミック状態を憂いて、なんとかしてくださろうとしてくださっておられる。┉単純な私はその雲をみて、安心してしまったくらいでした。
雲ひとつ見て、なんとも単細胞な、楽天的な考えだなぁと、自分自身ですらそう思います。

楽観視できない現実は私のような者の耳にも入っております。地元でも地元の病院で、コロナウイルス感染症に罹患された方が陰性化したとのことで一般病棟に移ったという話が伝わっております。そして、時をおなじくして、一度陰性化された方が再び陽性となったと報じられていました。


┉でも、世界中の医師にも、その道の研究をされている方にも、未知のウイルス、未知の病であります。騒いでも心配しても、私のような者にはわかることはなに一つなく、気をつけることも限られていることが現実です。ありがたいことに食べるものはなに一つ不自由なく入手できております。よく食べ、よく寝る。┉そして祈る。
私に今できることはそんなこと。
もちろん家族がおりますから、心配は尽きません。

ニュースを観ても、毎日、感染者の拡大を報じることと、それに付随して国やWHOがどう発表したかを報じ、さらにはあれが効くかも、これを買っておくとよいといった怪情報も合わさって、不安が高まるばかりです。ついにはマスクの取り合いをしている画像も撮されていました。

そんなニュースは嫌でも入ってくるのだから、自らテレビのニュースを観なくてもいいかもしれない。夫が朝、仕事に行く前にネットのニュースを伝えてくれますし。
私のような愚者は愚者のままでいよう!雲ひとつ見て、笑顔になる、それでいいんだ。
罹りたくて罹った方など一人としていないのです。

No.486 20/02/29 14:02
旅人 

【堅香子(かたなご)】

あと少しすると、堅香子の季節がやってきます。堅香子とは、【カタクリ】の古語で、私はカタクリの少し群生しているところを毎日歩くことができるところに住んでいます。カタクリの花をご存じでしょうか。座りこんで花と語らって、はじめて良さが伝わるような、正直、少し地味な花とおもわれます。

カタクリは、「春の妖精」(スプリング・エフェメラル)と呼ばれる植物の一つで、エフェメラルとは、「はかない命」という意味だそうです。
カタクリが1年のうちで地上に出ている期間は、春先の2か月ほど。葉で光合成をして栄養分を鱗茎に蓄えて、夏には葉を枯らし、翌年の春まで土中の鱗茎のまま休眠状態で大半を過ごしているといった花のようです。光合成ができる期間が、1年のうちでわずか2か月ほどしかないため、種子から発芽して花を咲かせるまでに8、9年ほどの歳月を必要とするのだといいます。
個体が大きく成長した後は複数年に渡り開花が継続し、カタクリの平均寿命は40から50年ほどと推定されているのだといいます。



そのカタクリの群生する土地をお守りくださるように、稲荷神社があります。カタクリの群生するのは、稲荷神社のある小高い山の、神社とは反対側にあたるふもとになります。神社はそのほぼ頂きにありますが、不思議なくらい神社の境内には、カタクリは一輪も咲いていないのです。まるで、カタクリが自分の咲く場所をわきまえているかのようにさえ思えるくらいです。
稲荷神社さんは、一の鳥居からはそのお社が見えないくらいのところにあり、急な石段をそれなりに昇っていきます。私などは息がかなりあがるくらいです。お参りを済ませ昇ってきた方角をかえりみると、集落が一望でき、「ああ、お守りいただいている」と心からありがたいなぁと思える┉風景がひろがっています。

今、一の鳥居の前を毎日二往復している私でありますのに、なかなか鳥居をくぐって石段を昇ることをついつい躊躇し、鳥居の外からお参りしているくらいであります。
カタクリが咲く前に、是非必ずお詣りを済ませおかなくてはなりません。がんばる!(^-^;





No.487 20/02/29 14:56
旅人 

今日は、四年に一度の二月二十九日。

群馬県太田市で、本日までの期間限定で、コラボ御朱印をお書きくださるお寺さんがあるという情報を得ることができました。
【曹源寺】さんと【玉巌寺】さんであります。二つのお寺さんは車での移動であれば十分かかるかどうかという距離です。私でもナビなしで行けるという好条件、┉行くしかないな♪
朝からワクワクして、朝食を用意し、二回の洗濯もしっかり済ませ、なぜかやはり一緒に行くことになっている夫が、今回も運転手を勤めます。

風一つないおだやかな春の日。道すがら咲いている梅の花が香ってくるような気がするくらいに心が浮き立っています。
相変わらずの珍道中、慣れたはずの道を間違い、狭い、八人乗りの車がやっと通れるくらいの道から入ってしまったアクシデントはありましたが、十時ちょうどに曹源寺さんに到着いたしました。
駐車場には車が一台。?
あ、そうだ、どちらかというとこちらはサブ的な駐車場、もう一つ駐車場があるんだった。┉境内に女のかたがお参りをされています。
スキップでもしそうな気分で、仁王門をくぐります。夫はトイレに行ってくるとの伝言を残して、まさにその、もう一つの駐車場にあるトイレに向かいました。
うーん、青空に映える!

曹源寺さんは、さざえ堂と呼ばれることが一般的です。文字どおり、さざえ堂という造りの建物で、国の重要文化財に選ばれています。

新田氏の祖義重が京都から迎えたという養姫である祥寿姫の菩提を弔うため、1187年に開基したと伝えられています。
江戸時代に本堂が火災に遭い、その後、造られた観音堂が栄螺堂(さざえどう)と呼ばれる造りの物で、その観音堂をそのまま本堂としてたようです。江戸時代中期に普及・発展した三十三観音・百観音信仰を背景に、関東・東北地方に限って建造された三匝堂(さんそうどう)のひとつです。 
正面は東向きで、外観は重層の二階建に見えますが、内部は三層になっています。
堂内には秩父、坂東、西国の観音札所計百ヵ寺の観音像を安置し、右回りに堂内を一方通行で巡拝できることから「栄螺堂」の名があります。
現在、埼玉県本庄市の成身院、福島県会津若松市の旧正宗寺、茨城県取手市の長禅寺などがありますが、曹源寺の栄螺堂が最大だということです。
さあ、お参りを。

ん?なにやら貼り紙がされています。

No.488 20/02/29 23:56
旅人 

【新型コロナウイルス感染症の拡大のリスクを抑える為、しばらくの間、拝観・御朱印の受付けをお休み致します。期間 2月27日〜未定】
 
え? お、お寺さんが?そ、そんなぁ。衆生救済は?


┉コラボ御朱印、とかいってるくらいのところには、それだけ人が集まるか。そして、賢い御朱印巡りの方々はWebサイトで確認済み、ということなんだなぁ。
まあ、本堂に入れないお寺さんの方が断然多いくらいであります。
┉夫よ、賢くない妻でごめんなさい。

曹源寺さんは以前一度拝観させていただいております。珍道中を始めた頃にはまだちょうど修復中で、一般公開を今か今かと待っていたことを思い出します。修復を終えたばかりの栄螺堂が、あまりに古いままのもので、どこを修復したのかと不謹慎な私はそっと内心で思ったものでありました。

堂内はらせん状に三階建てとなっていて、1階正面に本尊の魚藍観世音菩薩が祀られています。御本尊さま以外は写真撮影もオッケーということで、拝観者はそれぞれのペースで中を進みます。
左側の通路より右回りに進んで2階3階と上がっていき、また回りながら同じ道を通らずに1階に戻ってくるといった造りになっています。

回廊の内壁に、1階に秩父三十四観音、2階に坂東三十三観音、3階に西国三十三観音、計百札所の観音菩薩さまを模した観音像(寄木造)が安置されています。また、それぞれの観音様の頭上にはその観音様の奉安されている各お寺の風景画・御詠歌が掲げられています。さざえ堂を一回りすれば百箇所の札所を巡った功徳を得らるといわれている大変ありがたいもので、いまのように交通の発達していない時代においては、たくさんの善良な老若男女が訪れたものと思われます。

仏さまの前を右に回って退出するという【右繞三匝(うにょうさんぞう)】という仏教儀礼を建築構造に採り入れた、大変珍しい建築様式で、これを【三匝堂】というのだそうですが、この【さざえ堂】という呼び名は、貝のサザエに似ているからとも、三匝堂の呼び名が変化したものとも言われています。
江戸時代後期に盛んに建築されましたが、現存しているの中ではここ曹源寺が最大の規模だということです。




No.489 20/03/01 00:50
旅人 

┉コラボ御朱印をお書きくださるというもう一つのお寺さん、【玉厳寺】さんもきっと御朱印はお休みされてはいるのでしょう。それでも玉厳寺さんのホームページは今朝確認しているのだけれど、なぁ。

まあ、いずれにせよ、参拝が目的で、御朱印集めではないのが信条である珍道中。┉今日は四年に一度の日付の入った限定御朱印という魅力に惑わされてのものでありましたのが本当のところでありましたが(^-^; そんな私への戒めであったのでしょう。


玉厳寺さんは、車で五分するかしないかで到着するところにあります。┉が、道が狭い。対向車が来たらどうしよう、と思う道幅です。はじめて玉厳寺さんを参拝したときは、私一人で八人乗りのワンボックスで、ひーこら言いながら行ったものであります。本日三回目の参拝は、やはり八人乗りのワンボックスですが、今回は夫の運転なので安心です。┉やっぱり狭い。

こちらは古い石段をほんの少し、昇ったところにあるお寺さんです。秋にはフジバカマという花が咲くお寺さんで、七福神巡りの一つとしても知られているお寺さんです。
境内には今、何本もの沈丁花がちょうど盛りをむかえていました。
案の定御朱印はお休みと書かれた紙が御本堂の扉に貼られています。

その時、庫裏の方から声がかけられました。「扉開いてるから御本堂入れるよ」出入りの業者さんでしょうか。ありがたい。
御本堂に入るのは今回が初めてです。ドキドキわくわくしながら御本堂にはいると、! 御本尊さまや脇侍の御仏像、すっぽりときれがかけられております。(*T^T)

参拝をさせていただき、境内にある虚空蔵堂に向かいます。こちらも新田氏ゆかりのお寺さんですのでそこここに新田の家紋がはいっています。こちらの参拝をし、しばし境内の沈丁花の香りを楽しんでから┉ お寺をあとにしました。
やはりここから車で二、三分のところに【永福寺】さんという、七福神巡りのお寺さんがあるのでそちらへもお参りさせていただきました。

御住職はご不在でしたが、満開の河津桜や梅が私たちを出迎えてくれました。里、といった風情の景色に、感動し、しばしそこで春の陽日を楽しませていただきました。よいお寺巡りができました。


      令和二年二月二十九日

           

No.491 20/03/03 01:27
旅人 

今日は栃木県足利市の大岩山毘沙門天さまの月に一度の御開帳、そして御護摩修行の日であります。

昨日のお寺さんの拝観中止の件を考えると、ホームページのチェックは欠かせません。
おお、三月一日、開催する旨明記されております。┉いかにもこちらの御住職らしいことであります。 

こちらで御護摩修行が終わったあと、御住職に悩みをお聞きいただいたり、以前ご相談されたことのその後をご報告しようと、それぞれの思いを持って御住職のもとに人々が遠巻きに集まっては、御住職に話しかけられるタイミングを見計らっております。

こちらの御住職は本当にすばらしいカウンセラーでいらっしゃいます。
よくよく傾聴なさったうえで、きちんとその一つ一つの問題に真摯に向き合ってくださいます。
今日も御住職がお手隙になられるのを待ってお話しなさっている方がおられました。
いつもキチンと耳を傾けお話を聞いて下さっているので、時を経てその後の経過をお伝えするところからお話ししてもすぐに話がつながりますし、「心配してたから、よかった」とか「それを聞いて安心した。話してくれてこちらこそありがとう」といった、お言葉をお返しくださる、┉ありがたいことでございます。


さらに今日は御住職自らお手製の、麹からお作りになった甘酒をご用意くださっていました。┉すごいなぁ、本当にありがたい。ことことと、寒い中を参拝に訪れる人を思って、手間隙かけるお姿を想像しただけで胸温まる思いです。

No.492 20/03/03 02:13
旅人 

御護摩修行の折、最勝寺さまの毘沙門天御本堂に今回、【阿字観(あじかん)】の掛け軸が置かれておりました。初めてのことであります。
【阿字観】を単純に一言で掛軸の前に座って瞑想をする┉などというと本来の深い意味からかけ離れてしまうのかもしれません。
なにぶんにも私は【阿字観】をおこなったこともない、何より掛け軸を見たことすら初めてな者ですので、ここで知ったかぶって阿字観について語ることはできません。ただ阿字観という行を知ってから、いつかおこなってみたいと思っておりましただけの存在なだけであります。
もしかしてこちらで阿字観の行を一般向けにもおこなっておられる?もしくは始めようと考えておられる?
「こちらで阿字観をなさるのですか?」と浮き立つ気持ちを一生懸命おさえながらうかがいますと、
御住職は一瞬の間を置いて「阿字観をなさるのですか?」と私にお聞きになりました。
「いえ、阿字観というものがあることを最近知っただけの者で、したことはないです。こちらでなさっておられるなら、ぜひにと思ったものですから」とお答えいたしました。

が┉こちらでは阿字観をなさることはなく、御住職がかつて小山市の方に出向かれて御指導されていたことがあったけれど、こちらでは特には行う予定はないとのことでありました。
御住職にご指導いただけたら、最高の形で初めての阿字観の行となったでしょうに ┉ 残念。

何度かこの御護摩修行に参列させていただいて初めて目にしたこの【阿字観】の掛け軸。┉ もしかしたら御住職の毎日の御護摩修行の際に阿字観の行もなさっておられるのかもしれません。



私は寺を持たない者でありますので、このように一般にも開かれた法要に参列したり、御朱印をいただく時くらいしか、僧侶の方とお話をさせていただく機会はありません。
ですが、昨今の、いわゆる儲け主義となってしまっているお寺さんの御住職とは異なり、毎日の御護摩修行をされ、檀家であろうとなかろうと悩める者の話を聞いてくださるこちらの御住職を、私は心から尊敬しております。
毘沙門天さまのありがたいお導きでありました。


         令和二年三月一日

No.493 20/03/06 06:01
旅人 

御朱印ブームとなり、御朱印帳もまた、様々な神社仏閣でお分かちいただけるようになり、書店文具店でもたくさんの種類が並ぶようになりました。それでもまだ驚くことはあるようで、昨日購入した漫画の本、にその漫画のオリジナル御朱印帳の折り込み広告が入っておりました。

なにもわからない、知らない状態からのスタートだった私の御朱印帳デビューは、ある意味ありがちな、ある意味特殊な、ネット通販での【ピーターラビット】のものであったくらいですので、神社仏閣でお分かちいただくのが正統でほぼ主流だった当時においては、書き手の方にもびっくりされることがあったくらいでありましたが、この溢れんばかりの御朱印帳が世にはなたれ、今度は私がびっくりすることがあるのかもしれません。

ネットで検索するだけでも、すでにびっくりしておりまして、『ポケモン』『プリキュア』辺りもびっくりでありましたが、『名探偵コナン』の種類の多さや『鬼滅の刃』の御朱印帳がすでに販売されていること、『ルパン三世』『NARUTO』『魔法少女まどかマギカ』『ウルトラセブン』『竹宮恵子の地球へ┉』などなど。
『鬼灯の冷徹』『千と千尋の神隠し』『ゲゲゲの鬼太郎』などは地獄の鬼だったり妖怪が題材のもの、┅なんでもありの世界になりつつあるのかなぁ。

うかがった先の神社さんの風景写真のもの、お寺所蔵の日本画などは私の欲望という名の邪念をかなり刺激いたします

No.494 20/03/07 04:59
旅人 

カタクリの咲く山の頂にある稲荷神社さんに参拝してまいりました。

その後特に運動するでなく、いきなり思い立ってのことでありましたので、歩き始めてまもなく息が荒くなる自分を情けなく思いながら、一歩一歩登っていきました。┉息が荒いのは、マスクをしているせいだと思い込もうとしながら┉。
この参道は石段と坂の繰り返しであります。参道わきはまさに山の木々が生い茂っただけのもので、季節の花なども咲かないところであります。反対側の麓には今、何本もの白梅が咲き誇っておるというのにのに、なぜ?
神さまが質素を希望されたかのような、木々の間を縫うような参道をひたすら登って行きますと、鳥居が多いことに気づきます。そのなかの朱塗りの鳥居をくぐった辺りで山門がみえてきます。
するといきなり強めの風が。私が登って来るまで風をおさえてくださったかのようでありました。

山門をくぐるともう、すぐに拝殿が目の前であります。呼吸を整えてからでないと、神さまにごあいさつも申しあげられません。深呼吸、深呼吸。
拝殿には立派な彫りをめぐらせた立派な扁額がかかげられております。その扁額を見上げ呼吸を整え、拝殿の扉の窓に手を入れられるだけの穴を開けたところからお賽銭をお入れして、二礼二拍手。
いつもお守りいただいているお礼を申し上げ、この度の全世界を震撼させているコロナウイルス感染症の一日も早い鎮静を御祈願申し上げました。

No.495 20/03/08 06:38
旅人 

以前書いたとおり、小心者の私はある文章を読んで、神さまに御祈願させていただくのならばきちんとその神様の叶えてくださる御利益を知った上でお参りし祈願申し上げなけらばならないのだと知り、それ以降、一時期はきちんと事前にその神社さんについて調べたうえでしかお参りしないことがあったくらいでありました。
今は、ご縁あって参拝の機会を得た神社さんには、どんな神さまがお祀りされていらっしゃるかは知らないままであっても、日ごろお守りいただいている感謝の気持ちをもって感謝の言葉を述べにお参りさせていただいております。

そんな相変わらない初心者珍道中でありますが、以前ある神社さんに合祀されていたお社に畏怖の念を抱いたことがありました。

【疱瘡神社】さまであります。疱瘡という疫病を神格化し、崇めることでその怒りを鎮めようとした、疱瘡神さまが祭られているお社であります。
私のような者が御参りして大丈夫だろうか。いい歳をしていつまでも未熟で穢れた心根の私がお参りなどして、御気分を害されたらどうしよう。いにしえの人々が懸命に祈りお鎮まりいただいた神様であられます。私のような者は御前を通させていただく際に、「御前を通らせていただきます。失礼いたします」くらいがちょうどいいように思い、そうして前を通らせていただくにとどめたことがありました。

No.496 20/03/08 07:25
旅人 

【疱瘡】はいつ頃からか長いこと人類を苦しめた病でありました。
聖徳太子の頃にも『疱(もがさ)』は天皇の命を奪い、源氏物語にもその病が出てきていたように記憶しております。
天然痘であります。
ワクチンが作られ予防する方法を発見するまでは、ひとたび流行すると次々に感染し猛威を振るう、致死率20~50%ともいわれた病でありました。天然痘に感染すると高熱が出、全身に膿疱が生じ、治癒してもその膿疱のあとが瘢痕として残る、恐ろしい病です。
現在では、天然痘はWHOにより根絶宣言されて久しい病となっております。
天然痘の撲滅に貢献した人として、世界的にはジェンナーの名が知られていますが、実は日本においてはジェンナーに先駆けて1790年に、筑前秋月藩医緒方春朔が、天野甚左衛門の二児に人痘種痘実施しておりました。1793年に長崎にて五児に種痘を実施し、その効果を認められ、1795年には藩主に伴って江戸に赴き、求めに応じ多くの人に種痘法を実施し、各藩侍医に種痘法を伝授しています。
1796年イギリスの医師ジェンナーが牛痘苗による種痘実施し、それが認められて、世界中に広まり、種痘が廃止されるまでジェンナーにより開発された種痘が広く行われたことで、あまり緒方春朔の名が日本において知られていないのかもしれず、悲しく思ったことを思い出しました。
とはいえ、撲滅宣言されて久しい病となったのはありがたいことです

No.497 20/03/08 08:05
旅人 

今回の新型コロナウイルスの感染力は、まだ不明で、感染の仕組みも解明されていないものであります。このウイルスが突然変異を起こし、SARSと同様に感染力も弱まれば、自然消滅ということもあるのかもしれませんが、それはあくまで希望的なものに過ぎず、このウイルス感染症は、SARSやMERSとは発現から感染に至るまでのスピードも全く異なる速さのものであるようで、素人の私ではなく、最先端にいる研究者や医師においても分からないことが多過ぎる病気であるのが悲しい現実であります。

今回の感染拡大によって、既に観光業や貿易、経済全般が打撃を受けています。政府機関への信頼も大いに揺らいでいます。


そんな状況下、私にできることは、やはり祈ること。でありました。

家族の免疫力を高める食事を作ろうにも、独立して住んでいる子供たちの食事は各々に任せるしかなく、マスクの効果さえ疑いの声が上がるなかではありますが、その肝腎のマスクが入手すらできません。
ちなみに備蓄を嫌う夫がなにげなくマスクを買い控えよう言った直後のことでありました。花粉症から肺炎までおこす当の本人の決めたこととはいえ、あまりにも大変な事態に、夫は恐怖すらを抱いているようですが、マスク不足は解消される兆しはみられず、地元でも朝一番にマスク(トイレットペーパー?)を求めて長蛇の列ができていると聞かされました。


私はいま、毎日祈っております。

No.498 20/03/08 21:35
旅人 

今日は【石打こぶ観音さま】で有名な群馬県邑楽郡邑楽町の【明言寺】さんに参拝させていただきました。二度目の参拝となります。

こぶ観音さまは瘤願成就という特有の御祈願があります。不要なものを【瘤〔こぶ〕】として取り除くという御祈願であります。
また【子生〔こぶ〕】と読むことで、子宝、安産、子育てといったご利益があるということでもあります。

今日は小雨ちらつく日でありましたにも関わらず、ひきりなしに参拝の方々が訪れていました。その年齢層はまさにさまざまで、若い女の人がお一人であったり、ここにいつも訪れている風なお子さん連れがなん組も来ていました。年配のご夫婦や、ちょうどお孫さんを授かろうかという年頃のご夫婦などなど、参拝の方が途切れることがありませんでした。子供たちが楽しそうに、手慣れたようすで参拝しているのがひどく印象的でした。
山門をくぐると正面に大悲殿があります。こぶ観音さまのおられる建物であり、奥の院と呼ばれているようです。その隣に御本堂?佛殿があります。大悲殿の手前右手には茅吹きの手水舎。
コロナウイルスの影響はこのお寺にもありました。手水舎にはひしゃくがなくなり、大悲殿は鰐口の紐がなくなっておりました。けれど参拝の方々が訪れることに関しての規制は一切なく、御本堂は無人のままはなたれていて、お焼香をすることができるようになっています。ありがたいことです。


No.499 20/03/08 23:14
旅人 

こぶ観音さまの瘤願祈願として、コロナウイルス感染症(=瘤こぶ)の一日も早い終息をお願いいたしました。

こぶ観音さまは本当に人々に愛されて親しみをもって信仰されていらっしゃるとその境内の様子で感じます。あたたかな気に満ちた境内であります。
そして、御朱印をお書きくださったのがイケメンの和尚さまであられたことを、どうしても書きたくなってしまうあたりが、まだまだ未熟な私であります。

午年に御本尊のこぶ観音さま、千手観音さまが御開帳となるようです。うーん、まだ先だなぁ。
私どもが珍道中をはじめる少し前に御開帳になった秘仏の仏さまの多いことといったら┉そんなことを思っていたら、夫も同じことを言っておりました。再びの御開帳まで元気に珍道中を続けていたいものであります。いやいや、立派な巡礼とかになっていることを祈りましょうね。



     令和二年三月八日

No.500 20/03/09 08:54
旅人 

こぶ観音さまの大悲殿の壁面に、『谷中の観音さまもお参りしないと片参りとなると云われているような話があるようですが、全くそのようなことはありません。谷中の観音さまは歴史ある立派な観音さまですので、参拝された方のご自身の判断でお参りしてくださるといいと思います。』といったのが貼られていました。

明言寺さんは以前よりこのような貼り紙が多く、初めての参拝ではそんなところに驚いたものです。
今回も手水舎には『新型コロナウイルス対策のため、水は直接、手でお受けください。たまり水は使用しないでください』という貼り紙がありました。

よし、両参りとか関係ないにしても、これは行くしかないだろう!勇んで車に乗り込んだもののナビに出ない。仕方ないのでもう一度、明言寺さまにうかがって谷中の観音さまの場所を教えていただきました。
「門を出ると直進してくださると看板が出ていますので」イケメンでおだやかなお坊さまが、イヤな顔ひとつせず丁寧にお教えくださいました。ありがたいことであります。


【谷中の観音さま】は土地の突き当たりに、ひっそりと建つ小さなお堂でありました。お姿は厨子のなかで拝観はできません。
ん?お堂のなかからは、なにやら聞き慣れた音声が┉。テレビだ┉。お漬物とりんごの匂いが混じった匂いが、猫一匹分くらい通れそうなすき間から漏れてきています。年配のご婦人が二人、楽しそうに雑談しています




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