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神社仏閣珍道中・改

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旅人( 匿名 )
19/07/21 08:41(更新日時)

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 [神社仏閣珍道中]  御朱印帳を胸に抱きしめ 人・・・

No.2796560 19/02/13 05:40(スレ作成日時)

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No.1 19/02/14 23:32
旅人0 ( 匿名 )

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明日、2月15日は『涅槃会(ねはんえ)』であります。
せっかくあらたな珍道中録を始めるのに、お釈迦さまの亡くなられた日から始める?と思われるかと思うのですが、私、2月15日生まれ、なもので、そんな節目にもあるものですから。

涅槃会とはお釈迦様の命日に、お釈迦様の遺徳を偲ぶ法要を意味し、お釈迦様の最期を描いた「(釈迦)涅槃図」を掲げて、遺教経(ゆいきょうきょう)というお釈迦様の最期の言葉をまとめたというお経を読経するのだそうです。


涅槃会の法要は宗派や、お寺さんのお考えでその規模もだいぶ異なるようです。
涅槃図を掲げ、御住職が朝、遺教経┉正式には「仏垂般涅槃略説教誡教」(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)をあげて終わられるとか、その地区の仏教会の御住職がその年の担当となったお寺さんに集まって、そのお寺の涅槃図を前に遺教経をあげて法要をされるとか、旧暦の3月に行うお寺さんもあるようです。
檀家や一般の方にむけての法要を営まれるお寺さんもあり、涅槃団子とよばれるものをまいたり、配ったりするところもあるようで、せっかく(?)涅槃会という日に生まれたのだから、一生に一度くらいは涅槃会に参列して、涅槃団子というものをいただいてみたい。


と、いうことで昨年はなぜか希望者が多くて休みがとれなかった2月15日、明日、お休みをとって、一般にむけての涅槃会法要を営まれるというお寺さんにうかがう予定であります。
けっして食い意地がはっているからではありません。

そんな珍道中ではありますが、どうかお見守りください。

No.2 19/02/15 16:46
旅人 ( 匿名 )

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涅槃会の法要に参列させていただきました。
念のためあらかじめお電話を差し上げて、一般の参列が可能かどうかを確認し、うかがいました。

お教えいただいた時刻より少し早めにうかがい、御本堂に上がらせていただくと、それは見事な大きな涅槃図が掲げられておりました。
中央にお釈迦さまが横たわれ、それを多くの人たちが取り囲む、┉ 仏教に縁なく育ち、縁なく生きてきた私でも、見たことのある絵であります。

涅槃図を前に机几をおき、御祈祷などに使われる仏具が置かれておりました。その隣に置かれた机几に涅槃団子とよばれるパステルカラーのかわいらしいお団子がお供えされております。
お団子は単色ではなく、金太郎飴のように何色かを合わせて、伸して、包丁で切ったような、そんなお団子でありました。

副住職さまが参列の人たち一人一人に、一般の者向けの振り仮名付きの経本を手渡し「みなさまにも般若心経を一緒に唱えていただきますので」とおっしゃって経本が配り終えるとすぐに、
仏具の置かれた机几の前で御住職が、その斜め後ろで副住職さまがおすわりになり、いくつかの真言を唱えて法要が始まりました。



No.3 19/02/16 00:11
旅人 ( 匿名 )

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(涅槃会の続き)

いくつかの真言を唱え、いくつかのお経を唱えていかれます。
あるときは、副住職の読経の合間、住職が真言をささやくように唱えられ、あるときは御住職と副住職さまが呼び掛けのように御経を合わせられたり。
その間も細く長い┉例えるなら太い箸を伸ばしたかのような杖で金色の聖水の入った容器をかきまぜるような所作などを行いながら、涅槃会の法要儀式を営まれていかれます。
そして、木魚に合わせて一般の参拝の者たちと般若心経の唱和を。
さらにいくつかの真言や御経を唱えられ、立ち上がって踵をそろえて踵をあげると同時に膝を曲げては伸ばしという動作をされて、法要を終えられました。

その後、御住職さまからの講話がありました。
涅槃会、お釈迦さまの最期について。
涅槃図がお釈迦さまの最期の様子を描かれたものでありますので、涅槃図を使ってお話くださるため、大変分かりやすいものとなります。

悟りをひらかれた後も、生きた肉体を持たれているとお釈迦様であられてもどこか煩悩があり┉それは生きていることにより営む衣食住などに基づく、人として当たり前のものではあるのですが┉死を迎えることでようやく真の悟りをひらくことができるのだから、死は悲しむことではないと、集まったものたちすべてに最期の説法をされたという。
お釈迦様の最期を悲しむものは人間だけではなく、動物や植物も悲しみ、お釈迦様が息を引き取ると沙羅の樹は枯れてしまうほどであったという。
お釈迦様の生母マーヤ様が天界から駆けつけておられる姿も描かれております。お釈迦様が不老不死となり、更なる教えを広められるようにと不老不死の薬を持って現れたものの、薬はお釈迦様のもとに届くことなく、沙羅の樹の枝に引っかかってしまい、お釈迦様は亡くなられてしまった。
お釈迦様のような方でも不老不死の身体を与えられることはなく、死は必ず訪れるものである、という真実を、身をもってお教えになられたということになります。

    

No.4 19/02/16 07:01
旅人 ( 匿名 )

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(涅槃会の続き)

そんな涅槃図、
沙羅の樹は足元のものは白く枯れてしまうのですが、
お釈迦様の頭の上には生い茂った沙羅の樹が描かれており、そのうち一本にお釈迦様の生母マーヤ夫人がお投げになった不老不死の薬袋が引っかかっております。

御住職さまいわく、「たくさんの動物が集まるなか、この中に猫とねずみは描かれていないのですよ」
┉?
なんでも、ねずみはその不老不死の薬袋を取ろうと沙羅の樹に登り、そこを猫が追いかけねずみを食べてしまったから、だというのです。
食べられちゃたねずみは当然いなくなりますが、猫は?
┉その場から追放されたとのことでありました。
さらにお話の続きがありまして、あえて猫を描かれた涅槃図もあり、いろいろな涅槃図をみて、猫を探すのを楽しみのひとつにしている方もいるとか!


涅槃図は本当にたくさんの登場人物がおられ、それぞれに逸話があるためかいつまんでのお話となりますが、とお話くださいました。


最後に一人一人御焼香させていただき、「好きなだけお持ちください」とのことで、まんまるな真っ白なごく一般言われるお団子と、
涅槃団子をスプーンですくって、いただいた袋に詰めてまいりました。


いつもお縁日には平日であろうと大勢の人たちで大変賑わうこちらのお寺さん。
涅槃会にお集まりになられていたのは全部で二十名強くらいでありました。一月のお縁日でいただいたお寺の寺報にご案内があったので、存じ上げていたくらいだったのですが、そんなにはお集まりにならないものなのだなぁと思いました。とても心が穏やかになる大変ありがたい法要でありました。
来年も誕生日休暇、とれたらいいな。
┉来年はもしかして土曜日、かしら✨


No.5 19/02/16 07:34
旅人 ( 匿名 )

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(もうひとつの涅槃会、その1)


えぇ?また涅槃会のお話ぃ?
すみません。笑
┉じつは15日、父たち二人の月命日なのであります。休みをとってお寺さんにうかがうのに、父たちの眠るお寺さんにお墓参りに行かないというのはなんとも気が引けるものであったので、お寺さん巡りとなりました。
誕生日にお墓参り。ほんの何年か前には考えもつかなかったことであります。


義父の眠るお寺さん。涅槃会はこれといって一般向けの法要はないとおっしゃっておられたのですが、第1、第2駐車場に車が置けないくらいのたくさんの車で、御本堂でなにやら大勢の人が移動する気配がいたします。
檀家代表の方の涅槃会の法要がちょうど終られたのかもしれません。
私の気配に気づいて、お寺の女のかたがお声をかけてくださったのをいいことに、「月命日でお墓参りにまいりましたが、よろしければこちらのお寺さんの涅槃図を拝見させていただくことはできますか?」
┉義父が生きていたら、頭をこずかれそうな図々しい申し出であります。
それでも、笑顔ですぐに、「どうぞ是非ご覧になってやってください。今しか見られないものですから、せっかくの機会です、どうぞどうぞ」と御本堂にご案内いただき、拝見させていただくことができました。
こちらの涅槃図はコンパクトなサイズで、だからこそ、ひとつひとつに目が届く。┉本当にお寺さんお寺さんでいろいろな涅槃図が伝承されているようです。
こちらにお供えされていた涅槃団子は直径が大きな、すべてが同じサイズに整えられたものだけを並べた、お花の柄を作ったお団子でありました。

冷や汗かいてるだろう義父のお墓にお参りして、
┉お寺さんのはしごであります。


No.6 19/02/16 10:51
旅人 ( 匿名 )

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(もうひとつの涅槃会、その2)


┉「もうひとつの」と銘打ったら、あとひとつはおかしいでしょ。と、みなさん思われるかとは思われますが、神社仏閣の参拝初心者のみならず、日本語もいまいちな情けない人間でありまして。
┉そんなやつの拙い文章でお目汚しをさせて、すみません。


三ヶ所目のお寺さんは、婦人会の方々が毎年涅槃団子をお作りになるという、地元では知る人ぞ知る涅槃会を開かれるということであります。もちろん、私が知らなかったことはいうまでもありません。
こちらのお寺さんはこれで五回目の参拝となりますが、涅槃会のご紹介をいただいたのは、こちらのお寺さんではなく、地元仏教会会長さんの、ちがうお寺の御住職さま。御自分のお寺は涅槃図を掲げて朝方御住職がお一人で読経されるだけだと話しながら、こちらの涅槃会を教えてくださいました。
お電話を差し上げたところ、「写経もありますし、手作りの涅槃団子やお汁粉のふるまいもありますので、どうぞお友だちをお誘いになって、是非お出かけください」とおっしゃってくださいました。
じつは写経も、お寺さんで全文を書かせていただいたことがなく、またとない機会だと、喜びいさんで向かわせていただいた次第であります。
┉ですが、本来涅槃会はお釈迦様の亡くなられた日。決して喜びいさんで出かけてはいけないので、そこはきちんと反省して。

早めに到着したので、写経から始めさせていただくことができました。写経の最後に『為』という文字があり、納経の際は仏さまにお願いしたいことがあればそちらにお願いを記すようであります。決まった文言(四文字)から選ばせていただくことが一般的なようですが、私の隣で写経なさっていた方は、菩提を弔うためとおっしゃっておられました。
みなさん、文鎮やmy筆ペン持参で、お寺さんのおっしゃってくださった言葉通りに手ぶらで気軽に出かけてまいった自分が情けなく恥ずかしかったです。以前写仏させていただいた折に、文鎮の必要性を痛切に感じたのに┉。相も変わらず未熟なままであります。


No.7 19/02/16 18:03
旅人 ( 匿名 )

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(もうひとつの涅槃会、その2)続き


こちらは1600~1700年に建てられたという御本堂や山門、鐘楼などの建築物が残る、由緒あるお寺でありますが、涅槃図についてはいつ頃誰が描いたものかはわかっていないということでありました。大変大きなもので、大きなお寺さんの壁一面すらも超える大きさであります。

納経後、御本堂の涅槃図の飾られているお部屋に行くと、涅槃図の前にお手製とうかがっていた涅槃団子がお供えされています。
やはりまんまるなものではなく、金太郎飴のように切り揃えられた、きれいなピンク色の可愛らしいお花の模様です。
三十年以上前から、こちらの婦人会で考えて作るようになった涅槃団子だそうです。 
こちらのお寺は婦人会の方々の活動が大変活発なようであります。お揃いの支度で、お揃いの仏具をお持ちになって涅槃会の御詠歌(┉こちらのお寺さん独自のものか、曹洞宗のものなのかは、私が素人過ぎてわかりません。「へぇー、涅槃会の御詠歌もあるんだぁ」とただ感心して帰ってきたものですから)を奉詠されていました。
もっとも、私が生まれてはじめての涅槃会への参列でありましたので、すべてが目新しいものであります。御詠歌もはじめてお聴きしたくらいですので (^^;


奥さまお手製のお汁粉もご用意いただき、甘さもちょうどいいおいしいおいしいものでありました。


境内には小さなものではありますが、自然の滝もあり、大好きなお寺さんのひとつであります。



   平成三十一年二月十五日  涅槃会参列







No.8 19/02/17 15:25
旅人 ( 匿名 )

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涅槃図はお寺、お寺でその図柄はさまざまでありました。
どうしてもこの絵におさめなければならない方々や、
例えばお釈迦様の横たわる御姿、
例えば沙羅の樹など、決まりごとはかなりあるとはいえ、猫は描かれない、という点に関してはさしてお釈迦様の終焉において大きな意味をなしてはいないので、描き手によってあえて描いてみたりと、ある程度の自由はあるためかと思われます。

今年、三幅の涅槃図を拝する機会をもつことができ、ふと気づいたのは、そのうち一幅の涅槃図はお釈迦様の真上に満月が描かれていたという点であります。
御住職さまたちが異口同音にお釈迦様が亡くなられた日そのものが、2/15であったということも定かではないこととおっしゃっておられましたし、なにより当時は旧暦であり現在の2/15とは一ヵ月ほども異なることになります。お寺さんによっては三月に涅槃会法要を営まれるところもあるようです。
旧暦は新月を朔日=1日とするため、15日は必ず望月、満月を迎えます。今年の旧暦の2/15は3/21の春分の日に当たり、当然のことながら満月であります。


【願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃】と平安の頃の僧、西行が詠んでいましたが、それはまさに釈迦入滅の日に、ということ。
この寒さの中亡くなられたと考えるより、あたたかな花の頃入滅されたと考えると、お釈迦様が亡くなられる時季までお選びになられて亡くなられたように思えて、少し心があたたかくなりました。

大きな満月が描かれた一幅の涅槃図が、こんなことを私に語りかけ、考えさせてくれました。




ちなみに2/19はスーパームーンのようです。その大きな大きな満月の下、私はなにを思うのかなぁ。

No.9 19/02/17 19:39
旅人 ( 匿名 )

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夫からの誕生日のプレゼントは【ピーターラビットの御朱印帳】でした。
「これ、秩父三十四観音巡礼用?」と聞くと、
「いや、秩父は専用の御朱印帳じゃないと」

 

いったい、いつこの御朱印帳を使うというのだろう?



 

No.10 19/02/20 23:09
旅人 ( 匿名 )

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いつも見守ってくださっている、仕事先のすぐそばの稲荷神社さまに、お昼休みを利用して参拝して参りました。


石段を何段登るのだろう。参道の一番下からでは拝殿は見えません。
見晴らしのよい小高いところに建つお社であります。

こちらの神社さんは、今の勤め先になって知ったのですが、本当に仕事にいく私を見守ってくださっているように感じる神社さんであります。
人間関係に疲れた時や仕事につまずいた時など、まさに困ったときの神頼み、で訪れております。
仕事を終えて前を通るときは、下からで申し訳ないのですが、
心のなかで今日もありがとうございました、とお声がけさせていただくのが日課となっております。
もうずっと拝殿に詣でていないことが気がかりで、昨日から今日は絶対、お参りしようと思って仕事に向かいました。

あたたかで爽やかな風がそよいで、気持ちのよい境内でありました。
よい昼休みにしていただいて、それもまた感謝いたしました。


登りはキツくて息が乱れた┉身体のなまった私でありました。が、お参りのあとは、それが嘘のように軽やかに下ることができ、
バタバタと忙しかった仕事も一つ一つしっかりこなすことができました。



No.11 19/02/22 06:28
旅人 ( 匿名 )

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今日はお休み。

どこか少し遠出をしてみようと、ネットで検索をしてとても風情のある、由緒あるお寺さん┉というより、「行きたい!」お寺さんに出逢うことができました。なんとも便利な時代であります。

前スレをお読みでない方はご存じないことかと思いますが、私、大変な方向音痴であります。
今はこれまた便利な時代で、ナビというものがございます。が、私のクルマ、あえてナビを付けなかったので、あとから簡易ナビを購入したのでありますが、クルマも(私も)年をとり、ナビをつないでも起動しない!のです。自宅で充電して持ち込めば起動するのですが、これがまた、長い時間使うと突然切れる!
それはもう、大変スリリングなお出かけとなるのであります。
しかもナビって、「目的地周辺に着いたので」とか言い出して、目的の建物すら見えない状態で「音声案内を終了します」とか言ったかと思うと同時に、ただの地図に変わるではないですか!
そこが、クルマを停めて周辺をみて歩くことができたり、お店や周辺にお住まいの方に(大変ご迷惑なことではありますが)お聞きすることができたりするようなところでおっ放されたのであればよいのですが┉山のなか、バックするしかないような、辺りに建物一つないようなところで放された日には、もう、パニック難民!!

仕事中の夫に半泣きで電話をかけたことすらある、生粋の方向音痴の者であります。


昨夜、仕事から帰宅した夫におそるおそる、その行こうと企てているお寺さんのある地名を申し、私にも行けるものかと相談いたしましたところ、即刻、
「無理!」
と無情な一言!
┉まあ、千葉に向かおうとすれば反対方向の高速に乗り。
ナビの微妙な案内を間違えて高速道路の変更を間違えて、とりあえず下りられるところまで走って、ガソリンスタンドの方に道案内をしていただいたり。
ディズニーリゾートの駐車場に着いたり。
数々の伝説を築いてきた私を、一番長く見守って(迷惑を被って)きた夫であります、彼の判断することはおそらく、私本人の判断よりも的確にして正しい。

癪にさわるものの、仕事先の、一緒にクルマで出かけたこともない同僚にすら、薄々感づかれている天才的な方向音痴。夫の意見に従って、「行きたい!」お寺さん、今日はあきらめることにいたしました。


┉行けそうな気がするんだけどなぁ。






No.12 19/02/22 06:39
旅人 ( 匿名 )

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ちなみに、
前スレで、行きたいと書くと近いうちに行くことができるというありがたいジンクスがあり、記しておきたいと思います。

獨鈷山 西明寺(益子観音)さん。



千葉に行くよりも全然近いし、一応は地図でイメージトレーニングしてみたんだけどなぁ。

No.13 19/02/22 18:38
旅人 ( 匿名 )

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本日二月二十二日。
昨今流行りのフレーズ、平成最後の二月二十二日であります。
しかも三月を思わせるようなポカポカ陽気、まさに絶好の神社仏閣巡り日和であります。

近隣の群馬県桐生市、太田市、栃木県足利市の【七福神巡り】がどれもみな、六福神さまでとまっていたり、四福神さまでとどまっていたり、三福神さましかお参りしていなかったり。
今日は、どこかの七福神さまをコンプリートさせていただこう。我が家から向かう方角は三つの市どこもが同じ方角であります。
とりあえず、出発してしまおう!こんなにも気持ちのいいお天気、いつ、風が強くなるとも限らない。

結局どちらの七福神さまをコンプリートすることになったか、決め手となったのは、┉なんと私の腹の虫!どうせなら行きたいうどん屋さんを含むコース、┉ということで、桐生市の七福神巡りに決定しました。

桐生市の七福神さまは、福禄寿さま、大黒天さま、弁財天さま、そして毘沙門天さまを巡らせていただいてます。
本日寿老人さま、恵比寿さま、布袋尊さまのお寺さんを参拝いたしました。



さて、本日こそ、単身私のみでまわらせていただいておりますが、いつもは二人三脚の珍道中であります。
┉まあ、私が希代まれなる方向音痴(┉はさすがに言い過ぎ、だと思いたい)であり、運転も好きではなく、と同時にあまり運転技術もかんばしくなく┉そんな妻を見張り、なおかつクルマの運転の大半を引き受けるべく同行してくれている夫と神社仏閣巡りをしております。


夫は祖父母、そして両親、兄弟という家庭で生まれ育ったので、両親が無信心であっても信心深いお祖母さんがおりました。
どこどこのお縁日があると言えばかならず詣でておられたようで、幼いころ、夫はよく、そんなお祖母さんに連れられてあちこちのお寺さんや神社さんに詣でていたようでありました。

それに比べて、私、祖父母との同居がほんの短い期間であり、加えて両親は無信心。お仏壇も神棚もない家庭で育ち、加えて両親が離婚して、父方の祖父母、なにより父親の死に目どころか葬儀にすら参列できず。
ずっとずーっとお盆もお彼岸もなく過ごして何十年、初詣もなく当然厄除けなどもしたことも見たこともなく何十年と過ごしてきた、筋金入りの神社仏閣超初心者でありました。








No.14 19/02/23 02:32
旅人 ( 匿名 )

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神社仏閣珍道中┉それはひとえに私が神社仏閣の超初心者であるが故。夫は両親こそは無信心者でありますものの、祖母さんの存在もあり、初詣も経験者で、お盆の迎え火送り火も行う家に育っておりますし、なによりも夫はかなりの歴史オタクなのでありました。
神社仏閣は歴史と切っても切れない間柄であるようで、初めて訪ねる神社仏閣さんの歴史的な流れにくわしいこと、くわしいこと!伝承されている民話に至るまで、まあ、スラスラと語ってくれるのであります。さながら無料の神社仏閣巡りのガイドさんのようで、運転もするは解説はするは、珍道中には頼もしい、なくてはない存在、なのであります。そんな彼から聞いた話によると、妙音寺さんには変わったお宝があるようで┉。


『妙音寺開運招福秘蔵什物』

〇 人魚のミイラ
世界各地に伝承される人魚。
日本では嵐を起こし漁師を惑わすと恐れられている一方、吉兆との説もある。
人魚の肉を食せば八百歳の寿命を得るとされ、不老長寿や無病息災の信仰対象にもなっている。

〇 雷獣のミイラ
落雷と共に現れると言われる雷獣。
東日本を中心に日本各地で伝説が残る。
中国では「山海経」に、この名が有り、水に入ると風雨を呼び、声は雷鳴の様だとある。
その皮で作った鼓は五百里にまで響くとする。
雷雨の時、空中を飛び地に落ちて樹木を裂き、人畜を害するなどと言われるが、
拝すれば落雷や暴風雨などの災害に遭うことなしとも言われる。

〇 幽霊画
幽霊画と言うと不気味なものとして怖い物見たさで見る物と思われがちであるが、縁起物としての一面も持つ。なぜならば、幽霊は「夜に出る」故に「世に出る」に繋がり、出世すると言われるからである。
幽霊画の作者も、応挙をはじめビックネームが多くいるが、真贋より縁起物として楽しむべきであろう。



┉という秘仏ならぬ秘蔵什物があるようであります。そんなことはお寺さんに行ったところで一切書かれてもなく、御本堂も閉ざされており、まあ、夫にいたっては行ったことのないお寺さんなので二人ともその秘蔵什物を見たことはないのでありますが。

天保の頃に大火にあい、重要な記録のほとんど、そしてなんと百体観音を安置していた栄螺堂を焼失してしまったとのことで、なんとも残念なことであります。
いつか、その秘蔵什物、拝見できたらいいと思ったりもする、私だったりして(*`艸´)



No.15 19/02/24 01:24
旅人 ( 匿名 )

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久昌寺さんは、優しくてあたたかなご年配の御夫婦が
法灯をまもられているお寺さんであります。
この日はご不在。
少し淋しい思いでお参りをして、
七福神の【恵比寿】のスタンプを捺させていただき、
お寺さんをあとにしました。


西方寺さんは桐生市の市街地を抜けて、桐生城のあったという梅田の地にあります。
そしてまさにその桐生氏の菩提寺であります。
ナビ無しでは行けない、というほどではなく、曲がるポイントには分かりやすく看板も出ております。
しかし、もちろん私の場合は、久昌寺さんも西方寺さんもナビ無しではたどり着けない!しかも西方寺さん、道が狭い!!
「えええぇ、対向車来たらどうするんだろ、┉仕方がない、私に道を譲ってもらおう」
と、おばちゃんらしい考え方でおそるおそる道をすすめ、幸いにして対向車には出合うことなく無事に西方寺さんにたどり着くことができました。ほっ❤ 
┉そんなことだから、家族は全員私にハンドルを握らせないんだよなぁ。
たどり着いた┉というより、やはり御仏の御導きかと感謝しつつ境内に向かうと、薄紅の梅がお出迎えしてくれています。六分咲き、といったところでしょうか。参道は枯山水を思わせるような佇まい。
「ん?」
大きな大きな梵鐘です。
┉初めて見るような書き方をしておりますが、御朱印もお受けしてあるお寺さんであります。ですが、まるで記憶になかった。
お参りを済ませて【布袋尊】のスタンプを捺させていただき、ふらふらと梵鐘のところに。「ん、ん?」
どうやらこちら、梵鐘をつかせていただいていいようであります。
┉そう書かれてはいるけれど、聞いてからのほうがよいのかな。
躊躇することしばし。いやいや、迷いの念があってはいけない、つきたいのだ、ならば迷わずつかせていただこう!
またまたおばちゃんは、そう考えて、梵鐘を、
ごーん。
大きな、そして重みのある、心に響き、心洗われるような音色でありました。いつまでも音が長く長く残っておりました。ありがたいという念が自然にわき出る音色であります。
小高い地に建つ西方寺さんからの景色は、いつも心に爽やかな風を届けてくれる、そんな気持ちのよいものであります。
┉大きな梵鐘が記憶になかったのは、きっとそのせいに違いない!


夫には黙っておこうっと。(;-`´-)



    平成三十一年二月二十二日  参拝









No.16 19/02/24 06:53
旅人 ( 匿名 )

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一人神社仏閣珍道中。(┉いやいや、そもそもが夫が一人で神社仏閣を参拝したら珍道中ではなく神社仏閣巡りでしかない。)
七福神巡りの他にも、ずっと気になっていたお寺さんがあり、そちらにも寄らせていただきました。


桐生市の長福寺さん。
七福神巡りの【弁財天】光明寺さんより奥まったところ、
昔からの住宅街にあり、未知の細そうな道を行くこととなります。当然住宅街ですのでクルマは通る、ですが万が一対向が困難な道であったら?
これはもう、歩いて行ってしまおう!

ということで、自らの器を知る私、吾妻公園という公園にクルマを停めて、歩いてまいりました。
どれくらい歩いたのかな?あたたかな春のような日、周りの景色を楽しみながら目には見えない、クルマで来たら感じることもない微かな上り坂を歩くこと10分以上、なのかな、そろそろ本当にこの道でよかったか不安になる頃に、お寺さんの小さな看板がみえました。
(歩いてきてよかったぁ。)┉かなり急な坂を上っていくところに駐車場があるようでありました。対向が難しそうにも感じられます。少なくとも、私に関しては、歩いてきてよかったぁ。

小さな坂を登ると途中遠くでチャイムが鳴るような音。
どうやらセンサーがあって、人が通るとチャイムが鳴るような仕組みになっているようです。そんなことに感心していると!
庫裏の前に、最近の造りと思われる石造のお地蔵さまがおられるのですが、サングラスをかけ、頚には大きな粒のネックレスをつけておられるのであります。驚いたのは、そのサングラスとネックレスは本物であったこと、それがまたあつらえたようによくにあっていたこと。

決して大きくはない境内には明るい日の光が燦々と降り注ぎ、柔らかな気があふれています。御本堂の仏さまから遊園地の観覧車が見えるかと思われます。新しいお寺さんなのかな?
┉いやいや、私の心をくすぐる石仏さまがたくさんおられます!そして御本堂の彫りの見事なこと!!風雨にさらされる外の彫刻が、それはもう細部にまでこだわった薄く薄く削られたところとか、これは新しいお寺さんではなさそうです。


  ┉続きます。


No.17 19/02/24 07:57
旅人 ( 匿名 )

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御本堂の前での参拝をさせていただき、御朱印をお受けしようと庫裏にまいりました。いかにもお優しいといった雰囲気を身にまとわれた女の方が対応して下さいました。
私が、御由緒書などがおありでしたらいただくことはできますか?と聞くと、困ったようにそれはないですとおっしゃられました。私、どうしても気になる石造のお社が御本堂の前にあり、そのいわれだけでもとうかがうと、「お薬師さまなんですよ」と、ばぁと明るい笑顔になり、彫りの見事なことを申し上げると、こちらのお寺の御由緒をスラスラお答え下さいました。

元々は桐生市の中心地にあったこちらのお寺、昭和30年代に入り、桐生市の都市再開発で道路拡張工事の必要性から、移転要請があったのだそうです。そのときお寺の調査にあたった建築家のすすめで由緒ある御本堂を解体移転という形をとったため、姿をそのままに残しておられるのだということでありました。
桐生市の中心地からの距離はなんキロの単位。それはそれは大変な作業であったことでしょう。釘を一本も使っていないとのことで、だからこそ解体移転が可能であったのかもしれませんし、取り壊すには勿体ない造りであった、ということでありましょう。
それにしてもなんともぶっ飛んだお話があったものであります。

そんなことを考えながら、石造のお社のお薬師さま、そして御本堂に再度お参りに向かっていると、先ほどの女性が庫裏から少しあわてるように私を追いかけてお出になり、「こちらの寺のことが載っている新聞があるのでよかったらお持ちください」
とおっしゃられ、御本堂の脇からお入りになり、新聞を一部下さいました。

そこには、こちらのお寺に祀られておられる三宝荒神さまのこと、こちらに移転される前のお寺の歴史が短く書かれておりました。

こちらのお寺さんは、桐生が徳川の支配地となり、桐生新町を創設されたときに桐生の中心地、本町五丁目に建立されたようでありました。そこに合祀された三宝荒神さま。
火伏の霊験あらたかであられ、江戸の大火のおりにちょうどこちらのお寺さんを境に火がとまり、そのことから東日本一帯から信仰を集め、付近には旅館が建ち並び、門前には商い屋などで賑わいをみせたお寺さんだったとのことでありました。
それほどのお寺さんに移転要請をする!
そんな時代があったのだなぁ┉。




No.18 19/02/24 08:14
旅人 ( 匿名 )

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いただいた新聞より。

寺伝三宝荒神縁起等によれば400年以上も前の話。
比叡山の名僧法心上人が諸国行脚のうち、利根川のほとりでうたた寝をしていると夢枕に荒神様が現れ、こう告げた。「その方、いまより私を背負って行脚しなさい。そして私のとどまるところ、艱難の衆人を助け生涯安楽の恵みを与えなさい」と。目覚めると枕元に一体の荒神様があった。お告げに従って諸国を巡り、ある時桐生新宿村雷電原坊主山に立ち寄ると、荒神様はたちまち千貫の重さとなり動かなくなった。そこで、法心上人は土地の者に夢話を語り、その地に荒神様を祀ったという。
其後50数年、戦国の世が去り、桐生郷は由良氏支配地から徳川氏の支配地に変わり、桐生新町創設時に桐生中心地5丁目に新たに建立された中央山多宝院長福寺と併せて荒神様尊像も祀られました。火伏の荒神様の霊験はあらたかで、元治元年の桐生新町の大火の際、この荒神様で火がとまり、以後長福寺イコール荒神様といわれ、東日本一帯からの信仰を集めた。




とのことであります。



   平成三十一年二月二十二日   参拝

No.19

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No.20 19/02/24 21:24
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長福寺さんの、(二日)後日談

夫に22日に参拝させていただいたお寺さんのことを話したところ、「俺も長福寺さんに行ってみたいんだけど、いいかな」
やっぱり┉。
私が一人で参拝させていただくと、こうなることが多いから、結局初めてのところに一人で行くのを躊躇しちゃうんだよな(ー_ー;)
と、いうわけで、本日再拝させていただきました。

近くを歩いていると木魚の音が聴こえてきます。日曜日なので法事を営まれているご様子です。そおっとそっと。

 ┉
「これは見事だねぇ」
お寺の彫刻を見て夫がつぶやきます。
「ね。ここのところなんて別にそのままでもいいだろうに、あえてこだわって薄く薄く削ってるんだよね」
「ほんとだ!本当に細かいところまで彫られてるねぇ」
そんな会話をしていると。
奥さまが庫裏から出てこられました。「あ?」奥さまのお口から小さなお声が漏れました。そうですよね、一昨日、ですものね。(^-^; 御朱印もお受けして、御由緒書はないかだの、石造のお社はどういったものかなどの会話をしておりますし。
「先日はご丁寧にいろいろご案内いただいた上に新聞までいただきまして┉」「またお越しいただきましてこちらこそありがとうございます」

このやり取り!なんと心和むことでありましょう。こんな出逢い、こんなふれあいがあるから、御朱印をいただくのがやめられなくなっております。やがて法事が終わられて御本堂から出てこられたご住職に奥さまが「一昨日来てくださった方がまたお越しくださったの」と紹介してくださいました。
ご住職が「よろしければどうぞ(御本堂に)お上がりください」
┉ありがたいことでございます。御本堂の中も見事な彫りが施され、天井には大きな龍が描かれていました。

「こちらの本堂は元々は三宝荒神堂であったので、だいぶ小ぶりなものですけど、造りはしっかりしております」
「荒神さまは生活全般を見守ってくださる仏さまで、特に火伏のお力が強く、今も荒神さまの御札を台所などに貼っておられるお宅もあるかと思いますが┉」
「冬至の日にこちらで御護摩を焚いてお札を配らせていただいています」
と、ご住職がいろいろお話をしてくださいました。本当にありがたいことであります。

┉当然のことながら、我が家には御札もありません

No.21 19/02/25 22:49
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なにぶんにも神社仏閣、初級どころか超初心者。
三宝荒神さまが仏教の神さまと言われても、その『仏教の神さま』の意味がわからない(・・;)
仏さまが仏教で神さまは神社、みたいな、幼稚園児のようなレベルの者なので┉。

で、ありがたいGoogleさまにおすがりして、三宝荒神さまについて学んでみました。まあ、当然のことながらよくはわからないのですが┉。

【三宝荒神さま】
⚪竈(かまど)の神様。
⚪火伏せの神様。
⚪仏法僧の三宝を守る神様。
⚪暴悪なものをこらしめ、仏法と寺院を守る神様。


荒神様は民家の代表的な屋内神で、不浄をきらうことから、火の神に当てられ、竈の神様とされました。
仏教的には、仏法僧の三宝を守る神様であり、三宝を大切にする人や、法華の修行者を守護すると言われます。

お姿は、「如来荒神」、「麁乱(そらん)荒神」、「忿怒(ふんぬ)荒神」で三宝荒神となります。三面三眼六臂の神様です。お顔が三つ、ひとつのお顔に眼が三つ、手は6本と言うことです。仏様や神様の手を数えるときは臂(ひ)とお数えします。


不浄をお嫌い┉(。´Д⊂)
もともと神さまや仏さまは不浄をお嫌いなものであります。あえて「不浄をきらう」ということは、かなりのきれい好きな神さまであらせられるということ。
┉告白いたします。私は物は捨てられない、すぐ物は買う、片づけは苦手。
これはもう「三宝荒神」さまに叱られる!(・・;)


┉ああよかったぁ。
長福寺さんのご住職が三宝荒神さまの火伏の御札をご厚意でお授けくださることがなくて。
掃除も行き届かず、散らかったウチは三宝荒神さまにとって居心地の悪い家であります。


今度の休みは片付けをしようっと。(^-^;



No.22 19/02/26 06:05
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「さて、今日はどこに行きますか?」

┉休みの日の朝食が済むと、夫が必ずと言っていいくらいこう聞いてきます。正確に言えば、前日の夜にも。
そんなに出かけてばかりじゃダメだろ、と、思うには思うのですが、天気のよいお出かけ日和だったりすれば、もう「出かけるっきゃない」と思ってしまう未熟者で。(^-^;
そんなわけで、先日の土曜日は「行きたいと思うところに。」と言ってみました。遠出も可能な時刻であります。
「じゃあ┉」
ミステリーツアーのスタートです。夫いわく、「御朱印帳を忘れないでね」┉(^-^; ミステリー性が半減だな。
ちなみに言えば、この日は風も強く、気温も前日と一転して平年並みの、さしてお出かけ日和というわけでもなく。

ま、そんなよぶんな話はさておいて、珍道中録、珍道中録!


向かったのは初めてお聞きするお寺さん、群馬県甘楽町の寳積寺さん東国花の寺の一寺にあたられていました。
到着してお寺のご案内を拝見して初めて知ったのですが、垂れ桜のお寺のようで、当然花の頃はまだまだ先。大変な数の垂れ桜の樹が植えられております。
「もう!ちゃんと調べて来ないから!」
例によって連れてきていただいた恩を仇で返す発言です。
「そうだねー」┉慣れたものでありました。(^-^


 1280年にはすでに天台宗の寺として栄えていたという。1450年、国峰城主小幡実高が中興開基となり曹洞宗の寺として再興。現在の本堂は1793年に再建されたもの。本堂右手前に立つ菊女観音像は小幡信貞の腰元のお菊の霊を慰めるために建てられたもので「子ども授かりの観音さま」として参拝者が絶えない。病気平癒の身替地蔵、ふれ愛観音も信仰を集めている。上州観音霊場第19番札所でもある。

とあります。
おそらくは夫は『群馬県歴史散歩』あたりでこちらのお寺さんを知ったのかと。

それにしても東国花の寺の差し換えタイプの御朱印が存在するものなのだなぁ。
こちらは御朱印はすべてお書き置きで、四種類。御本堂の御賽銭箱に並んでガラスの蓋のある平台に置かれておりました。

No.23 19/02/26 10:55
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寳積寺さんは修行道場として栄えたお寺さんだったようであります。

境内には大きな、┉直径三メートルくらいでしょうか(┉違っていたらごめんなさい)イビツな半球の、人が手足を広げてゆったり寝られるほどの岩がありました。その岩にはなんとも物騒な【天狗の腹切り石】という看板が掲げられています。
1563年に寳積寺合戦という戦さがあったようで、
そのとき外敵と応戦した僧侶が二メートルを超える巨体であったようで、当時としてはずば抜けて大きなその身体つきから天狗の異名で呼ばれ、そのときその方がこの岩の上で切腹されたということで、そのことから天狗の腹切り石と呼ばれて今なお供養されているようであります。
また、その合戦の折、諸堂に火を放たれたようで、現在の御本堂はそのためその後築かれたものとなるのでしょうか。

その岩はもともと僧侶たちが座禅などを行う、修行の中心の地であったということであります。


また、当時この辺りの城主から寵愛をうけた女性の壮絶な秘話、【お菊さま伝説】。言葉を失うほど壮絶な最期を遂げられておられました。若冠19歳。
その美しさや聡明さ、片時も離さないほどのご寵愛から奥方や他の腰元の妬みをかい、城主の留守に山中で、石で造られたものに毒蛇やムカデとともに閉じ込められて亡くなられておられます。その恐怖たるや、想像を絶するものであります。
そのときの城主は小田原攻めの際行方知れずとなり、小幡家は絶えてしまったようです。
その後織田信長の孫がこちらの城主となったようで、その菩提寺ともなったようであります。

参道石段の脇には【身代り地蔵さま】が優しい笑みをたたえてたたずんでおられます。その昔、薬などない時代に、その身を薬のかわりとして削られて、背部は大きな空洞となっておられ、頚も大きく削られておられました。あまりにも痛々しいお身体の石仏さまであられました。その痛ましいお姿に心痛めた方が、お地蔵さまに三角巾で包帯をされていたのがまた印象に残りました。


そこここに植えられた垂れ桜の頃には早すぎではありましたが、足元に咲く色鮮やかな福寿草の黄色が、心なごませてくれた、寳積寺さんでありました。



   平成三十一年 二月二十三日   参拝

No.24 19/02/27 00:18
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群馬県に織田家。


ぼーっと生きてる私、おそらく夫が夫にならなければ知らなかった事実┉この場合は史実ですかね┉です。
あの誰もが知っている織田信長の子孫が群馬の地に移り住み、そこ┉群馬県甘楽郡小幡を治めていたなんて!夫に初めて連れてきてもらったときは本当に本当に驚いたものでした。
群馬県民なら誰もが知る【上毛かるた】にすらあつかわれていないのです。まあ、上毛かるたの成り立ちを知った今、それもまた当然だったことのようなのですが┉。


戦国時代のスーパースターとも言える織田信長。
本能寺の変で長男信忠と共に討たれ、信長の孫秀信の死をもって織田家は滅亡したかのように思われますが、フィギュアスケートの織田信成氏の登場で、信長の子孫がクローズアップされましたが、
信長の次男信雄が、信長には縁遠い関東の、世界遺産となった富岡製糸所に程近い、群馬県甘楽町を治めていたということでありました。

秀吉の小田原征伐後の1615年、織田信長の次男・信雄には大和宇陀藩と上野甘楽郡が与えられ、信雄は大和に入り、上野甘楽郡は信雄の四男で信長の孫にあたる信良に任せ、小幡藩を立藩させたということであります。
小幡藩立藩にあたり信雄は藩邸に付属する庭園の築庭を命じましたということで、いま、その跡地が【楽山園】という、その趣を残した庭園となっています。小幡藩の城下町もその当時を偲ぶことのできるところを残した、素敵な昔ながらの町並みであります。



ここに連れてきてもらった時は、もう子供たちが育ち巣だったあとのこと。
たしかに子供にはおもしろくもない庭園ではありましょうが、いずれ大きくなったとき必ずや心に残ったものになったと思うのに、
不器用な夫はそんな自分の知識や興味ある歴史を語ることなく、子育ての頃はまさに企業戦士のごとく仕事優先で、休みの日は全力で(?)休むような人でありました。(あ、いまもまだまだ現役でありますが)

もっと子供たちに伝えて欲しかったな。本当に惜しんでも惜しみきれないことであります。
群馬県に織田信長の子孫が移り住んでいた、なんて知ってることってすごい知識だと思うし、誇らしい史実じゃないのかなぁ。┉凡人、どころかおバカな私にはわからないけど。



    ┉続きます。



No.25 19/02/27 07:50
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今回参拝させていただいたのがその【織田家七代の墓】のあります、
【崇福寺】さんであります。


┉こうして出来上がった小幡藩は、織田家七代に亘って続き、二代信昌により藩政が固められました。
五代信右の頃藩財政が赤字となり、七代信邦の時に幕府による尊王論者弾圧事件に連座して蟄居され、弟の信浮が家督を相続し出羽高畠藩に移されました。
これにより織田家の小幡藩藩主は実質七代で終わり、その後は松平家が藩主を継ぎ、廃藩置県まで藩は続きます。

「織田家七代の墓」はその後もここ、群馬県甘楽町に残り、奉られてきました。

もともとは、さきに記した旧領主小幡家の菩提寺でもあり格式も高い寳積寺さんが菩提寺でありました。
四代信久が急に廃寺であった崇福寺を三年間で改築し、臨済宗に改めて菩提寺とし、寳積寺から先三代の墓石をここに移したのだそうであります。しかしその後1758年に焼失、再建後の1871年に失火により全焼してしまったようです。墓石の破損はその時に生じたものと言われているようです。
現在の崇福寺さんは墓所に隣接して建っておりますが、元々は墓所の前にある広い土地にあったようであります。

ここ織田家の墓所にはには信長の次男信雄を初代として七代が葬られています。崇福寺境内には二代信良と七代信富を除く十代信美までと、四代小幡藩主信久の実父高長に位牌が祀られた「織田氏位牌堂」もありました。


┉正直、織田宗家にあたる墓所を守るお寺としては小さなお寺さんであります。境内に陸続きに建つお家は何軒かあったのですが、ご住職のお住まいかどうかわかりませんでした。それでもご位牌を祀る位牌堂があるおかげで、参拝させていただくと必ずその立派なご位牌も拝することができます。

元々の寺跡地は現在公園を造る工事をすすめていました。
賑わうことがよいことかどうかはとにかく、公園ができる頃にはお寺さんも少し変わっていかれるのかもしれません。




    平成三十一年 二月二十三日   参拝

No.26

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No.27 19/02/28 23:49
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【辛科神社】さん。

神社仏閣珍道中を始めて、何度かお名前を目にしていました。とはいえ、どちらにある神社さんなのかも存じ上げず、このたびの夫が立ててくれたどこに行くのかわからないわくわくのミステリーツアーに組み込まれており、参拝のはこびとなりました。
夫も初めての参拝で、『ナビに牽かれて辛科神社』といった感じであり、「えっ、こんな道行くの? ┉案内の看板ひとつも出ていないし、あまり整備された感じのところではないのかもしれないなぁ」とブツブツ。山道、というほどでもなく、さりとて畑の連なる道でもなく、ただ細い道をはいって、しばらく走っていくと、細い下り坂。神社敷地内につき静かにお通りください、といったニュアンスの文章の書かれた小さな立て看板がありました。さながらひなびた温泉宿に入って行くような、細いそれなりな傾斜の下り坂であります。
「┉駐車場がないんだぁ」  駐車場どころか駐車しておけるようなスペースがありません。
社務所と祢宜のご自宅を兼ねた社務所があり、そこには車を置くスペースはありますが、置いていいものかどうか┉見ず知らずのお宅に突然車で乗りつけるような感があります。「私が車から降りて聞いてみてからにしよう」と、社務所のインターホンを押して、中からおうちのかたが出てくるのを待っているあいだに勝手にそのスペースに車を入れている夫!┉許可をとってからにしてよ、もう!

出て来ていただいたついで┉と申し上げてはなんですが、御朱印をお受けできるかどうかうかがうと、参拝する間にご用意いただけるとのありがたいお言葉で。
そこからいったん廻って通りに出てからの鳥居にむかいました。
通りのすぐそばは畑┉というよりちょうどこんな季節であることもあって、農作物がないことからまるで野原が広がっているようにみえました。なんとも長閑な土地であります。
そんな長閑な風景を見下ろすように随神門があり、随神さまをのぞきみると( ・д・)!金属製の狛犬的な随神さまがおられました。あとで調べて知ったことですが、こちら神獣さまであるとのことでありました。


      ┉続きます。

No.28 19/03/01 01:48
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随神門には奉納された額が飾られておりますが、古いものであるためどんな絵柄なのかよくわからなくなっております。随神門をくぐってさらに少し高いところに拝殿があり、拝殿のむかって左手には神楽殿があり、拝殿の前には狛犬がおりました。

こちら辛科神社は多胡総鎮守の神社であります。
多胡の地はユネスコ世界遺産の多胡碑があり、何度となく登場する【上毛かるた】で、『昔を語る多胡の古碑』と読まれております
多胡の地は羊太夫という豪族が治めていたということで、羊太夫の伝説があるようです。


昔、羊太夫という者がいて、秩父で銅を発見して和同開珎の開拓をし、その功績を認められ旧多野郡吉井町から富岡市藤岡市にかけての土地を与えられたという。
彼の従者は神通力使う八束小脛(ヤツカコハギ)という者で、その者の神通力で羊太夫は空を飛んで都に日参していた。あるとき、羊太夫が御所での勤めをしている間、昼寝をしている小脛の脇のしたに生えていた羽のようなものを抜いてしまった者がいた。以後小脛は神通力を失い空を飛べなくなってしまったために、羊太夫は毎日参内できなくなってしまった。
朝廷は、羊太夫が姿を見せなくなったので、謀反を企てていると誤解して討手をさしむけた羊太夫は釈明も許されず、都の大軍に攻められ、ついに最期を遂げてしまった。そのとき羊太夫は、金の蝶に化して飛び去ったという。


┉このようなことを、うちの専属無料ガイドは何を見るでもなくすらすらと語る根っからの歴史オタクでありまして。なにやらもっともっと語っておりましたが、覚えきれず、聞けばまたさらに多くを語るため、正直めんどくさいので、多胡碑や羊太夫のことはこのへんでおしまいにして。


辛科神社さんの拝殿はさほど大きなものではありませんが、本殿の彫刻の細やかで美しいこと。拝殿と本殿の造りに差違を感じましたが、あとで調べたところによると造られた年が百年ほど異なるようでありました。
参拝を終えて社務所に戻ると、トレイにのせて窓の外に私の御朱印帳が置いてありました。この日途中から体調のすぐれなかった私は、御朱印帳を受けとり車を置かせていただいたお礼を述べると、そそくさと車に戻ってしまい ┉夫はもう少しゆっくり参拝したかったのか、もう一度再拝したいとのことでありました。



    平成三十一年二月二十三日  参拝

No.29 19/03/02 23:35
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群馬県高崎市の【仁叟寺】】さん。

こちらは、どうしても涅槃会に参列したかった私が、ネットで、
「群馬県内で一般の参拝者に向けて涅槃会法要を営まれるところ」と検索をかけて、ヒットしたお寺さんでありました。
結局、仁叟寺さんは一般に向けて、というよりは、檀家の、御詠歌の会の方々に向けたもののようで、やんわりとお断りされてしまったところでありました。
ですが、その際に、大きな大きなお寺さんであることを知り、いつかこちらに参拝したいと思ったしたいでありまして、このたび、そんな私の夢もかなえる、夢のミステリーツアーを夫が計画してくれたのでありました。

ところが大変残念なことに、私、(ツアー)途中で体調を崩し、せっかくの仁叟寺さん参拝は、トイレの神さま参拝をメインとしたものとなってしまいました。やはり、どこまでも珍道中を繰り広げてしまう私であります。
第三駐車場、だったか、第五駐車場だったかすら記憶に残らない勢いでトイレに駆け込み┉、そんな駆け込み寺は、お寺さんはもちろんのこと、駆け込んだ者もイヤだよなぁ┉。(^-^;

そして、なんとか第一回トイレの神さまの参拝を終え、夫を捜しがてら(!)山門に向かうと、夫が心配そうにかけ寄って来てくれました。ですがそのとき、私の目はすでに山門入ってすぐのトイレをとらえておりました。
心配と、何よりも迷惑をかけている、しかも、私の行きたいと願っていたお寺さんに連れてきてくれた夫を、「捜しがてら」お寺の正規ルートを辿ろうと企てるようなヤツには早速神罰がくだったのでありました。┉そう、もちろん、トイレの神さまの神罰であります。
こもる、こもる!(T^T)
仁叟寺さんが大きくて何ヵ所かに(外に、初めて訪れた私が知る限りでも二ヵ所!)トイレがあり、しかも、そのトイレのなかも一ヵ所ではなくて少なくても二ヵ所、多いと五ヶ所もあるような、大きなトイレを設けてくださっているようなお寺さんであったことが何よりの救いでありました。

┉念のために、これはあくまでも、参拝の記録なのでありますが、
どう思い出してもトイレに通いつめた記憶があまりにも大きくて、このような珍記録となってしまっているだけでありまして┉。
こんな珍道中はさすがに初めてなんですよ、本当に、もう!(T^T)


    ┉続きます。

No.30

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No.31 19/03/03 17:07
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せっかく参拝に訪れたというのに、門を一つ見てはまた、(トイレの)神さまに会いに行く私。
このままでは御本堂にたどり着く前に、閉門されてしまうかもしれない。┉さすがにそれは大げさ?とりあえず、門をくぐってから向かうのはまずは御本堂の参拝ですので。

ただ、仁叟寺さんは、総門があって、さらに仁王門=山門になります。入口がわからず、緊急性もあったためお寺の裏にある駐車場に停めさせていただいたため、正反対の方角にある総門に向かう必要があり、その後も総門の真ん前にある山門にストレートに向かうことができずに、横にそれる始末です。最悪、門をくぐってから参拝することにこだわらずに御本堂の参拝に向かうことも考えましたが、参拝の途中で中座するほど失礼なことはありません。
一つ一つミッションをクリアして(トイレの神さまの参拝をしっかり終えて)から、御本堂に向かわないと。
そこで、いつもは私がお受けしている御朱印を夫に御朱印帳を託し、お受けしてもらおうと考え、夫に頼みました。ふたつ返事で引き受けてくれ、夫は御本堂へ、私は(トイレの)神さまのもとに向かいました。
やっと鎮静化の兆しがみられ、御本堂に向かうと夫が御本堂から出てきたところでありました。「お受けできたの?」
「いや、御住職がご不在でお書き置きになるんだけど、御本堂でお待ちくださいっておっしゃってくださっているので迎えに来たところだ」
「あれ、じゃあ急がないと申し訳ないね」
┉そんな会話をしながら御本堂兼庫裏の入口に向かいました。引き戸を開けると御住職の奥さまがちょうどお出になられ、開口一番、
「大丈夫ですか?」と、心配そうに私の顔をのぞきこまれます。
「!」┉何故それを!
夫よ、何故それをばらす?!┉いやいや、しかたないよな。夫にすれば一緒に参拝したいと思ってくれてのことだし。ありがたいことなのだ。( ノД`)…

大きなお寺さんの奥さまでありますのに大変気さくな方で、
「御本尊さまを独り占めして、どうぞゆっくり参拝してください」「写真も自由に撮って大丈夫ですからね」と、御本堂へ案内してくださりながらそう話され、退出してくださいました。


      ┉続きます。

No.32 19/03/03 18:08
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奥さまのご配慮で、ゆっくり御本尊さま、観音さまに参拝させていただくことができました。
そしてその後は御仏(とトイレの神さま)の御加護で、体調もとりあえずなんとか落ちついて、ゆっくりと境内をまわらせていただくことができました。
大きな大きな見上げる高さの┉さながら舞台のようなところにある御堂、文殊堂にもしっかり階段をのぼって参拝することができました。
そして薬師堂を参拝させていただき、私はとりあえず、もう最低限の参拝をまわらせていただけたことに感謝して、本日何度となくお助けいただいた(トイレの)神さまにもう一度だけお助けしていただくためにお寺の裏に先に向かいました。

まあ、大体私たち夫婦は参拝させていただいたのちはほとんど別行動するので、いつも通りの流れといえばそうなので。
おかげでゆっくりゆったり気を使うことなく存分に参拝し、境内を散策することができたと、夫は大変満足そうでありました。


節分には見上げる高さの文殊堂の舞台のうえから、いろいろな授与の品がまかれるようであります。



    平成三十一年二月二十三日  参拝


 追記)
仁叟寺さんは、地元の領主や地頭などの帰依と手厚い保護を受け、江戸時代においても幕府より寺領及び御朱印二十五石を改めて賜ったとのことで、今よりずっとずっと広く大きな規模のお寺さんであったようであります。
明治の廃仏毀釈のときでさえなんとかその危機を乗りこえたのでありますが、昭和の時代の終戦により、六町を超える広さを誇った地所を手離さざるをえず、いまの境内(それでも充分に広いのでありますが)の広さになってしまったようでありました。
想像もつかない広さだったのだなぁ。


No.33

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No.34 19/03/04 18:28
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さて。夫が私に向けてのミステリーツアー(?)に凝ったのかどうかは知りませんが、この土曜日、やけに早めの時刻から、
「今日はどこか行きたいところはありますか?」
「少し遠出するなら、早めに出ないといけないからね」
┉お読みくださっている方はすでにお気づきかもしれませんが、あまのじゃくな私、
「いや、別に行きたいところはないし。いつもいつも休みのたびに出かけていてはダメでしょう?やらなきゃならないこともあるし」
と冷めた顔で言ってみました。外は一足早い春といった感じの、気持ちいい風もさほど強くないよく晴れた朝です。
「そうか。そうだよね」
「もしよかったら少し遠出をしようかと思ったんだけど┉ダメかな?」
「┉そうだね、今日やらなきゃならないことが別にあるわけじゃないし」
┉ダメじゃん!
神社仏閣巡りだけが自分を高める修行じゃなくて、たとえば断舎離とか、ね。ゆきとどいてたことのない掃除をするとか。やること、やるべきことは山とあるのよ。おーい!(;´・ω・`)」

┉そもそも、前日から話そうよ、ね⁉ もう!


と、いうわけで、今回はどんなミステリーツアー┉じゃなくて神社仏閣に参拝させてくれるつもりなのでしょう。
本当はあんまりミステリーツアーじゃないほうが御祭神はどなたであられるのかとか、御由緒とか見所とかがわかって参拝できるからありがたいんだけどなぁ。


「今日は足利から佐野にむかって、賀茂別雷神社さん、そこから満願寺さんに行こうと思うんだ。満願寺さんのあとは参拝を終えて時間に余裕があったら考えるってことで┉ いいかな?」┉はいはい、仰せのままに。


ところで今回は、私に起因しない珍道中となりました。『カモワケイカヅチジンジャ』さんと入力し距離から目的地を設定して。【加茂別雷神社】さんに無事到着いたしました。立派なお社です。ただ、宮司さまがいらっしゃらない。どうやら常駐されないようであります。そこで、『ご用の方は┉』と書かれた電話番号に電話すると「左隣が御自宅なのでお越しください」とのこと。ていねいにお書きくださった御朱印をいただいて┉。
「うーん」┉どうもこちらの神社さまについて調べた記憶がない。夫は夫でイメージしてた神社さんと違うという。うーん?



    ┉続きます。

No.35 19/03/05 02:20
旅人 ( 匿名 )

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┉お気づきになられた方もおられるかもしれません。

『カモワケイカヅチノジンジャ』さんはわずか九百メートルの地に【加茂別雷神社】さんと【賀茂別雷神社】さんが存在していたのであります。
よもや同じ読み方で、しかもそんな近い地点に、異なる神社さんが存在するとは思いもよらずに、距離と栃木県の佐野市のどの辺りか、で、ナビで目的地設定をして、【加茂別雷神社】さんに向かったというだけのことであります。ま、いずれにしても珍道中であります。
怪我の功名、と言ったら失礼にあたるのてしょうか、おかげで【加茂別雷神社】さんに参拝させていただくことができた、ということになります。

ちなみに【加茂別雷神社】さんと【賀茂別雷神社】さんは御祭神も異なるまるで別個の神社さんでありました。


【賀茂別雷神社】さんは佐野市やその近辺の市で立ち寄るようなところ┉観光案内所とか観光センターとか他あちこちにパンフレットが置かれており、私どももそれで御名前が記憶に残っていた神社さんでありました。
ネットではその名は有名なようで、さまざまな限定御朱印がある神社さんであるようで、参拝に訪れてみて、その御朱印をいただく方がほとんどであったよう感じました。たいへん綺麗な、そしてかわいらしい雷ちゃんのイラストが散りばめられたさまざまな御朱印がございました。
百年の歴史のある神社さんでありますが、今なお整備を続けられており、また境内には黒山羊が飼われているような、のどかな高台に鎮座する神社さんでありました。
┉そうそう、その黒山羊ちゃんも御朱印になっておりました。



     平成三十一年三月   参拝




No.36 19/03/05 03:22
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栃木市の【満願寺】さんは、坂東三十三観音霊場となっております。

山門は1735年の建立とのことで大変立派なものであります。一対の仁王尊像は足利時代の作とのこと、たいへん貫禄のある立派な御像でありました。

御本堂(大御堂)は1368年足利義満公の寄進によって、観音堂として建立されたようですが、1740年の大火により、山門を残すのみで、堂塔はことごとく焼失してしまったとのことで、今の大御堂は1764年に再建されたものであるとのことであります。
三手先竜(みてさきりゅう)というみごとなたくさんの龍の彫刻がほどこされたものであります。
さらに1864年には本堂と書院を焼失し、そのため現在大御堂をもって本堂としているとのことであります。
焼失した本堂は、現在の本彷のあたりにあり、大日如来を本尊としていたと伝えられるようです。
現本堂の大御堂には弘法大師ご敬刻の千手観世音菩薩がご本尊として安置されているとのことであります。

ここで毎日、大護摩修行が行われているとのことで、また、私どもが訪れていた間にも祈願を依頼した信者のために、案内の僧侶が先立ち、さらには僧侶が三人、法螺貝を吹き、鍾を打ちならし列をなして本坊から御本堂に歩いて来られ、四人の僧侶で御祈祷をされていました。見ている者の身も引き締まる思いがするような一場面でありました。


奥之院に向かう道には、女人堂、大悲の滝、大師霊窟、聖天堂がありますが、現在大師霊窟には倒木により道が閉ざされ行くことができません。とにかく、ほぼ天然の山道。石段、というより悪路でありました。砂防ダムまでがあるような場所であります。
運動不足な五十代夫婦は往復で筋肉疲労を感じるほどでありました。

大悲の滝から石段を登ること百余段で奥之院の拝殿に入ります。この拝殿が鍾乳洞の入口になっており、中に鍾乳石で自然に出来た十一面世音菩薩の後ろ姿のご尊像が拝されています。




     ┉続きます。

No.37 19/03/05 10:17
旅人 ( 匿名 )

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前述のとおり、奥の院、じつに鍾乳洞になっておりました。


「開山以前より霊窟の鐘乳石は、自然に生れた[十一面観世音菩薩]の後ろ姿として拝まれておりました。
かつて下野の国司が子宝に恵まれないことから、この鍾乳洞に21日間籠り観音様に祈念したところ男子を授かり、この子が後に出流山を開祖し、日光山の開祖でもある勝道上人であったといわれております。
上人はこの尊像に深く帰依し、二十歳にしてこの霊窟で三か年修行、やがて男体山の登拝、日光山を開創したといわれております。
さらには820年、空海が勝道上人の徳を慕って参詣し、この岩窟への参詣だけでは難儀であろうと当山の銘木で千手観世音菩薩を造立。千手院として称えたのが、今の満願寺といわれている」


縁起から、この十一面観世音菩薩さま、子授け・子育て観音として多くの信仰を集めているとのことですが、奥の院への道のりはじつに1.5km。

以前奥の院が女人禁制だったこともあり、女性の方は山道にある女人堂でお参りをしたといわれております。そうは言っても女人堂までもそれなりに足元が悪く、私などは子授けを希望したとしてもここまでの参拝、考えなかっただろうなぁ。実際、「私は女人だからもうここで参拝させていただくのでいいと思う」と申したくらいでありますし。

無言で私を置いて歩き続ける夫。これは私にもきちんと参拝するようにという意思表示なのでしょう。((;д; ) 私にすれば足腰の悪い夫をいたわっての発言なのでありますが。┉多少は。

やっとたどり着いた奥の院も、本当にまだ見上げる位置にあり、つづら折りの階段を上ってようやくようやく、たどり着くものであります。
奥の院が鍾乳洞であることには本当に驚きました。。┉正直に、正直に申し上げれば、どう目を凝らしても、十一面観音さまだと認識できなかった私でありました。
ただ一つ、これだけのみごとな鍾乳石を崇め奉る気持ちだけは理解できます。本当に長い年月をかけてできた大きな大きな鍾乳石であります。
なんとも申しわけない未熟者の参拝で、正直すまない思いを抱きました。ですが珍道中、素直に今感じたことそのままを綴ることも大切なのではないかと思い、そのままを書き記しておきます。
┉いつの日か、素直に、ありがたい十一面観音さまと拝する日が来るかもしれません。



      平成三十一年三月三日   参拝


No.38 19/03/05 15:19
旅人 ( 匿名 )

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満願寺さんに向かうのにあたって、夫が選んだ道は、杉の林道! 
見るからに花粉まき散らしてますなう! みたいな道であります。しかもヘヤピンカーブが何ヵ所かある、対向車に要注意!みたいな道でありました。
┉ 私には決して無理だな。そんなところに連れてきてもらえる、こんなありがたいことはないな。そんな感謝の気持ちを内面に秘めたままに、流れる景色とたまぁにナビを眺めておりました。

ん?【立木地蔵尊】? 
でも地図のさっぱりわからない私が見ても、ナビに映し出されるその場所は、このままの道を走っても着かない、かなり回り込む必要がありそうです。(ふーん。そんなところが近くにあるんだな) (まあ、無理だな、無理だろうな。)
そう思って、画面から目を離して再び外を見ていると、
「!!」
「ねえ、そこに停めて!」
┉ナビ上ではずっと離れた場所にあった┉しかも左側にあるはずの【立木地蔵尊】が真横にあることになっています!(゜ロ゜)
┉まあ、もっともっとびっくりしたのは運転してる夫ではあるのですが。

『こちらのお地蔵さまは、弘法大師がこの辺りを歩かれた折に、二股の杉の( ┉!。その頃から杉の多いところであったのでしょうか )木立の一方に地蔵尊を刻んだものだと伝承されているようであります。
あるとき付近に山火事が起こり、もはや危険というときに、この土地の人達が、地蔵尊を空しく焼失してはならないとその立木を切り倒して、ようやく焼失を免れたという。その後信者が相談し、浄財を出しあって、この地にこのお地蔵さまを安置する御堂ができた』
とありました。


御堂の中は暗くてよくはそのお姿を拝することはできませんでしたが、思った以上に大きな立像が除き見ると見えました。御堂の隣にも苔むした大きなお地蔵さまと小さな六地蔵さまが、優しい笑みを浮かべて立っておられました。



     平成三十一年三月三日  参拝

No.39 19/03/12 20:02
旅人 ( 匿名 )

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なんだか、いろんなことがうまくいかなくって┉、
仕事が休みな今日、こんなときお邪魔させていただいているお寺さんを参拝させていただきました。

夫は、な、なんと、先日の杉の林を訪れたその日から、咳が止まらず、次の日には熱まで出して!昨日、CTを撮ったところ『肺炎』の診断をされ、仕事を休んでおります。┉厳密に言えば、私に休むよう命令されたからで、昨日、肺炎と言われたその足で、仕事に戻って通常通り仕事をしてきた大馬鹿者でありまして!Σ(×_×;)!


お寺はなんだかにぎわっています。工事の業者さんがおられるせいでしょうか、境内のサンルームではお茶を飲まれる方々がおり、庫裏の玄関も開け放たれています。
こちらは御本堂の中に入っての参拝をおゆるしになっておられるお寺さんであります。今日は鍵がかかっております。
庫裏にうかがい、お声がけすると、奥さまが┉。
「今開けますね」
┉奥さま、なんだか疲れていらっしゃるみたいです。

御住職はお留守のご様子。
「家族に病人ができちゃって」とお疲れの原因を明かしてくれました。さしつかえなければ┉とうかがうと、なんと御住職が御入院されているとのこと。インドから帰ってきてすぐにかかったインフルエンザのあと、咳が出るでもなく熱が続いて、入院となったようでありました。

せっかく御本堂にお通しいただいたのに、肺炎談義で終わった参拝となってしまった、今日でありました。
 

肺炎のお二人が一日も早くよくなられますように(。-人-。)





No.40 19/03/16 15:01
旅人 ( 匿名 )

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肺炎の夫を置いてきぼりにして、神社仏閣を参拝するのもなんなので、珍道中はお休みです。
こんなときだからこそ、病気平癒のお願いに参拝するのがよいのかもしれませんが┉。

自転車で買い物に行くと、ここ二年ほど初詣をさせていただいている、氏神さまの境内の桜が満開を迎えておりました。
白い垂れ梅も満開。
初詣の時と異なり、誰一人いない境内。それはそれは贅沢な、貸し切りの境内で花を愛でるひとときを過ごすことができました。
ただ残念なことに風がそれなりに冷たく強くて、長居をすることはできませんでしたけれど。

神さまが私にお声がけくださったような気持ちになりました。

No.41 19/03/17 18:15
旅人 ( 匿名 )

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わが家の子供たちが小さな頃、私がどうしても行ってみたいと言って行ったところに、【鎌原観音堂】があります。
その【鎌原観音堂】を語るのに欠かせない、【浅間山】の引き起こした悲しい過去があります。


浅間山は上毛三山にこそ入ってはいませんが、(山自体が長野県と群馬県をまたいでそびえるものなので、上毛をうたうことに無理があるのだとも思われます)、車を走らせその山の姿が見えると思わずため息が出るほどに、美しい姿の山であります。長野県の旧軽井沢や信濃追分からみる浅間山も見事ですが、群馬県の北軽井沢からみた山並みの美しさもそれは見事なものであります。
浅間山は現在も活火山、私の小学生の頃にも、埼玉県や東京にまでその火山灰が降り積もったようなこともありました。

そんな浅間山には歴史に名高い大噴火があり、天明三年(1783)、あの歴史の授業でその名が挙げられるほどの飢饉、【天明の大飢饉】を引き起こした噴火であります。
この時の噴火は大規模な火砕流が土石なだれを引き起こし鎌原村を直撃し、村にあった93戸の家屋はすべて押し流されて477名もの命を奪うものだったようでありました。村で唯一残った建物こそが、小高い丘の上にあったこの観音堂だということでありました。

鎌原観音堂は今、杉林に囲まれぽつんと佇む、茅葺きのひなびた建物です。御堂の前には幅1.5メートルほどの石段があり、その石段前には赤い橋がかけられています。その石段は十五段。
噴火前には五十段前後あったことが、1979年に行われた発掘調査で明らかになっています。ここに押し寄せた土石なだれは五メートルほどにも及んだことになるようです。
この時たまたま村を離れていて難を逃れた人を含め、ここ、観音堂に逃げることができた村人93名が生き残ったに過ぎず、村人の8割もの命が失われたということであります。

発掘調査の折、埋まっていた石段に折り重なる二体のご遺体が見つかりました。遺骨の様子から、若い女性が年老いた女性を背負っていたものと推測されています。
発掘調査当時、そのご遺体の様子は大きく新聞記事等で扱われておりました。遺体の発見ということもありますが、それよりも、若い女性は年老いた女性を背負って石段をのぼっていなければ、おそらくは助かったであろうのに、最期のときまでその背に老女を背負っていたということを。


    

   


No.42 19/03/17 19:08
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ずっと長いこと私の心に深く深く残るこの【鎌原観音堂】に、残された歴史と悲話、どうしても子供たちと共に訪れたくて、
もうかれこれ十五年以上も前に、参拝をいたしました。
子供たちには事前にその鎌原観音堂に伝わる話を伝えて。

あのとき、実際にその石段に立ち、当時助かった村人たちが立ち尽くした境内に立ち、私はそこで子供たちとあえて語ることなく、
「自分だったなら┉」とひとり心の中で長いこと考えておりました。

親子、でなかったかもしれないのであります。
祖母だったかもしれないし、嫁と姑だったかもしれません。
隣の家に住むご近所さんにすぎなかったかもしれないのです。
┉自分だったなら┉



背負うた人を降ろしても、
背負われていた人も、逃げ延びた人も、
誰一人、その女性を責めたりはしなかった状況であったと思うのであります。
それでも、彼女は背負った女性をおろそうとはしなかった。
五十段もの石段を背に老女を背負ったまま、かなりの高さまで登ってきていたようでありました。
登りきれると思ったのかもしれない。背負った女性をおろす時間すらがおしかったほどに緊迫した状況であったかもしれない。
長いこと、長いこと、考えて┉
答などない、生きるということ、生きているということ┉
一人一人の生きざま、死にざまを、
ただただ、ぼんやり考えただけでありました。


昨年、ふたたびこの鎌原観音堂を訪れました。
御堂にはお年寄りたちがあつまって、談笑されておりました。


私はといえば、おんなじように
答などない人の生きること、生きているということ、
これからの自分の生きざま、死にざまなどを
ぼんやりと考えて、御堂を見上げてまいりました。


ここは、そんな恐ろしいときをみつめた、見まもった、
観音さまが今日も静かに村の人たちを見まもっておられます。







No.43 19/03/18 06:07
旅人 ( 匿名 )

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二度目に訪れたとき現地の看板資料を読んでいると、発掘調査の際には皇室の方々もご見学に訪れ、皇太子さまは実際に発掘作業をなさったようでありました。
美智子さまはその際歌を読まれておられ、書き写してきたつもりだったのですがみつからなくなってしまっていて(;_q)

それなので┉ネットで鎌原観音堂について調べたところ、
件の女性ふたりの御遺体は石段の下のほうだった、、という記述がほとんどでした。
私の記憶の中では、だいぶ上まで登られていて、「あと何段登れれば助かったのに」のように語られていたものが残ってしまっていたため、間違った記載をしてしまい、申しわけありませんでした。お詫びして訂正いたします。


観音堂に詰めていた村人の方々は、ご先祖さまのことを語り継ごうとこちらにいらしてくださっていて、御朱印もこちらの方がお書きくださいます。
囲炉裏を囲んで、お茶をお出しくださって、伝えられていることをお話しくださっているようであります。┉知らなかった!
私は、夫のほか息子も待たせていたため、
「よかったら上がってお茶でも飲んでいって」と、おっしゃってくださったのを、残念に思いながらお断りしてしまいました。
上がらせていただけばよかったぁ!(。>д<)


また、参拝にうかがいます。(*_ _)

No.44 19/03/19 05:52
旅人 ( 匿名 )

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今日はお休みのつもりでいたら、
昨日、普通に勤務の日だと知ってがっかり。
未熟だなぁ。働けることに感謝して生きたい、と思うのでありますが、志と心は異なってしまって┉。

神仏を崇め、生かされていることに感謝して、自然の移り変わりにも感謝して、運命を運命と受けとめ、日々をたんたんと生きる┉
古来日本の人々が当たり前に生きてきた生きざまに憧れはするものの、なかなか煩悩を捨てられない。
日々未熟なままに一日を終えている今の私であります。
心のありかたが定まらない。


このお彼岸のとき、わかっている私の欠点、わかっていて逃げている私の課題に、取り組むことこそが本当のご先祖さまの喜ぶ供養なのだよなぁ。それはお墓参りよりも望まれることなのかもしれません。

No.45 19/03/21 03:15
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肺炎が治った┉かどうか、本当のところは不明なのではありますが、とりあえず熱もでなくなり、夫はようやく仕事復帰をいたしました。

春の彼岸。やっと今日、私はお墓参りができそうであります。
夫も子供たちも仕事なので、私のペースでのんびり両家のお墓をお参りして来たいと思っております。
とはいうものの私の実家のお墓は、離婚した父と祖父母の眠るところでありまして、私はその葬儀にすら参列することがかなわなかった存在ですので、本来お参りしていいものかどうか┉。ただ、御住職にうかがったところ、ほとんど訪れる者もいないようだということで、大手を振って墓参しております。

それにしても、母方のお墓というのは墓参するものなのでしょうか?
あまり墓参すら習慣としていなかった両親のもとに育ったものですので、その辺すらよくわからない。もしかしたら、「嫁したら生家はもう他家」というのが当たり前だった時代の名残で、あまり母方のお墓はお参りしないような感じなのでしょうか。
お墓やらお寺さんといったものに無頓着というか、ともすれば無関心な両家の両親のもとに育った二人でありますものの、さすがに両家の父方の墓所も母方の墓所も、墓参できる私たち。わが家の子供たちもその四ヶ所の墓所がわかっております。ただ夫の母方のお墓は昨年とうとう跡継ぎの方が墓終いをされたようであります。その話がでたとき、長女第一子である義母は烈火のごとく怒り狂ったということでしたが、そもそもがあまり信心深い人ではないので、いざ墓終いをすると「せいせいした」とまでいう豹変ぶりで┉。自分の夫の祥月命日も忘れていて、お墓参りに誘うと「めんどくさいからいいや」「お墓参りなんてえらいんねぇ」と言う人なので、なんだか自分が信心深いような錯覚にまで陥りそうであります。
┉時代、ですかね。ちなみに義母はいたって健脚でして、高尾山も友人たちと毎年訪れ、登りも下りもすべて自分の脚で歩くことが自慢な人なので、価値観が異なるのだと思うのであります。

No.46 19/03/21 09:23
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花曇り┉というのでしょうか。今日は少し肌寒い曇った天気です。
一人で両家のお墓参りの┉ついで、といってはたいへん失礼にあたりますが、少しお寺さん巡りなどしてみたい気分でおります。

群馬県の桐生市には【山手通り】と呼ばれている通りがあります。最初に申し上げておきますが、東京のそれとはまるで異なる、連なる小山の麓をはしる通り、とでもいうことから名付けられたのか、古くからの通り┉田舎の、よくある対向一車線(┉っていうのでいいのでしたっけ?)の道路であります。
その通り、実にお寺さんが密集しているところであります。どこからが山手通りであるのかはわからないのでありますが、この界隈で有名なえびす講のひらかれる西宮神社さん、境内を共にした延喜式内上野十二社の一社美和神社さんがあり。
神社さんの隣に小さな、藤棚のある広場があって地続きに円満寺さん。その隣に長い坂道を登る寂光院さん。寂光院さんの麓といった位置関係になる妙音寺さん。少し離れて奥まった、小高いところに法経寺さん。さらに少し離れて、その名のとおりに蒼い蓮の花の咲く青蓮寺さん。
本当に短い距離の通りに沿って、それだけの神社仏閣があります。
さらに言えば、少しその通りから奥には光明寺さん。
その辺りには吾妻公園という古くからのひなびた公園があり。桐生が岡公園という無料の動物園、入場料のかからない安い値段で乗れる遊具のある遊園地があって。

先日コンプリートした【桐生七福神】はこの山手通りにほぼ集中していて、そのおかげでこの辺りにこんなにもお寺さんが集中していたことを知りました。


さあ、遅くにかけた洗濯が終了のブザーを鳴らしてだいぶ経ちました。洗濯を干してお墓参りに行って参ります。

そのあとは、桐生?太田?

No.47 19/03/23 06:15
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花曇りどころか雨すら降りだし、
そんな雨に、ああ、私の日頃を戒めておられるのだなぁ┉とか思う。
それでもお寺さんのある方角は曇ってはいるものの明るく見えます。止みそうな気がする、私の勘は結構当たるので、なんの迷いもなくお寺さん目指して車を走らせます。が、┉。
あと少しでお寺さん、というところまで来て、いよいよの本降り。
確かに止むには止むのではあろうけれど、もしかしたらお参り中はこの雨のなか、ということになりそうです。
明日仕事だしなぁ。もう若くないのに無理して風邪でもひいては仕事先に迷惑をかける。傘を買おう。
コンビニで傘を買ってお寺さんの駐車場に到着しました。お、空いている❤

以前このお寺さんの駐車場で、買って間もない車を当て逃げされてしまいました。一目でわかるくらいにぶつけてありました。
そのときの担当してくださったお巡りさんが、「お寺の駐車場で当て逃げなんて、よくできるよなぁ」と、おっしゃったのが印象的でありました。「バチが当たるよ、きっと」といいながらも、
「こういった当て逃げは目撃者でもいない限り、まず犯人がみつからないと思っていてください」
┉私としてはその方に仏罰など望んではおりませんので、ただ修復していただきたいだけでございましたが、お巡りさんの予想通り、自分で直すしかないこととなりました。
仏罰ねぇ┉。もしかして私に?なのかなぁ。そんなことさえ考えてしまったけど┉いちおう、人の世では私は被害者、落ち込むけど、さらに自虐的になるのはやめよう。そんな風に思って気持ちを切り換えた過去の当て逃げ事件でありました。

今年の初詣でも駐車場内で車同士のぶつかるところを目撃したりいたしました。これはこれで当事者同士はたまったもんではないことでしょうが、このくらいの事故で済むように、仏さまのお力添えがあったのかなぁと思ったりしました。
〖ものは考えよう〗起きてしまったことを、いかに早くいい形で切り換え消化するのかが、楽しく明るく暮らす生き方になのだろうな。それがなかなかできないのが、私、なんだなぁf(^ー^;


┉雨に濡れて、さしたる掃除もしないで済んで、ありがたい、、、はあり?そんなお墓参りとなりました。


予想通り、誰一人訪れてはいない、主人の実家のお墓でありました。

No.48

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No.49

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No.50 19/03/23 08:38
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雨の石段を気をつけながら登っていると、石段の隙間に小さなすみれが咲いているのをみつけたり。いつもは外が明るいためか、なかなかよくは見えなかった観音堂の天井画がはっきり見えて敢闘したり。
雨の日のお寺さんもいいものだなぁなどと考えながらふと周りをみわたすと、周りは家族みんなで、あるいは親子三代四代で訪れる方々がほとんどで、一人で来ているのは私くらい。
私も祖母に連れられて、お墓参りをしたよなぁ。


わが家の子供たちは、わが家が次男の家、分家、ということもあり、祖父母と墓参した思い出はほとんどありません。そういうことは古い考えをもった義両親でありました。跡継ぎでない次男の家は、と差別もありました。
義父の生前から、法事すらも義理の姉と兄の都合だけで日時を決め、「その日の都合がどうしても悪ければ、来なくてもいいけど、、、とにかく法事は最優先だからな!」┉いじめとしか思えない。そんな旧家でもあるまいし!
次男、次男と言われるたびにムカッとする私を尻目に、幼い頃からそんな風に育てられて疑問すら抱かない夫にも不甲斐なさを感じて、なかなかこの嫁ぎ先の家風に馴染むことができなかった私であります。

義父とはよく衝突もしました。納得がいかないとそれは違うとはっきり言い、頑固な義父が「悪かった」と頭を下げたときには、周りから「あの義父に謝らせた嫁」とびっくりされていたようでありました。
そんなぶつかり合いをしてお互いの気心を知った私と義父なので、むしろ晩年の義父と私は、入院先で実の父娘と思われていたくらいに仲良く過ごせていたと思い(込んでい)ます。
そんな義父の私への遺言は、
「うちのやつらはみんな、誕生日とか命日とか忘れちゃうようなやつらばっかりだから、○○頼んだよ」
その時はまだ遺言ってほどの体調でもなくて、「ええぇ?私は次男の嫁でしょ?頼む筋は他でしょ?」と返したのですが。
義父が亡くなって一週間後、初七日の日に、普通に友達と旅行に行ってしまった義母をみて、義父の遺言をしっかり守っていこうと固く心に決めた私でありました。


義母はもちろん、義兄もほとんどお参りしなくなったお墓。
実は次男である祖父と、次男である義父が眠るお墓だったりする。のでありました。┉(;´・ω・`)、じいさん┉。

No.51 19/03/24 14:00
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車中から托鉢のお坊さまをおみかけしました。何年?いや何十年振りでしょう。子供の頃はよく行脚なさる姿をおみかけしましたし、自宅にもおいでになっていた記憶があります。子供の頃は田舎のとはいえ、駅の近くのメインストリートとも言える場所に住んでおりましたし、商店が多く建ち並ぶ土地柄もあったかもしれません。
夫は、といえば「生まれて初めて見た」(失礼)と。夫のほうが市の中心街の、○○市といえば△△通りというくらいの街に住んでおりましたが、少し通りを入ったところに実家があったため、そこまで托鉢のお坊さまが廻らなかったのかもしれません。

若い女性がちょうど置き看板を出しに外に出て来たところ、托鉢のお坊さまが通りかかり、何やらお話をされました。ほとんど話を聞くそぶりすらみせずに、若い女性は店内に。その待ち時間、お坊さまはずっと深々と頭をさげておられました。女性は二度と外にでてくることはなく、お坊さまは合掌してその場を離れられました。
夫ですら、初めて見たというくらい、異形のいでたちであります。不審に思ってしまったかもしれません。お坊さまは足早にまた歩き始めました。菅笠に草鞋をはいた、本格的ないでたちであります。生憎寒の戻りで昨日もそして今日はさらに寒い一日であります。草鞋は冷たかろうし、アスファルトや石畳の道は足が痛かろうと思います。
しかしその足取りは速くて、しっかりされておられました。

修行。
この世を生きること自体が修行かもしれませんが、なかなか修行になってはいない私であります。

No.52 19/03/24 15:35
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今日、二十四日はお地蔵さまのお縁日。
群馬県桐生市の観音院さんに参拝いたしました。

真言宗豊山派の寺院で、奈良の長谷寺さんを総本山とされているお寺さんであります。その名の通り、御本尊は聖観音菩薩さま。寺号は詳しくは【諏訪山観音院能満寺(すわさん かんのんいん のうまんじ)】であります。あらためて書くにあたり、そうなんだぁと思ったくらいでありますが┉(^^;
ただ一般には「日限地蔵尊」として有名であり、地元桐生市では【お地蔵さま】と言うだけでここをさすくらいに有名なところで、かつて、信心深いお年寄りたちが健在の頃は、遠くから電車を使ってまで毎月24日の縁日には、多くの参拝者が訪れるお寺さんでありました。その勢いはだいぶ衰えたとはいうものの、いまなお観音院さんを中心とした通りひとつが車を通行止めとして、露店商が軒を並べるものであります。ひと昔┉二昔前くらいまでは、その通りいっぱいに露店商が居並び、セルロイドのおままごとのバラ売りなどもあり、わが家の上の子供を連れてそこでおままごとのおままごとの小物を、┉どちらかといえば私が楽しんで買ったものであります。美味しい方のたい焼き屋さんはどこそこ、というくらいに同じ食べ物の屋台があったくらいでありました。
今はその何分の一、なのでしょうか。子供向けの屋台はなくなり、たい焼き屋さんも一軒のみ。十年くらい前は本当に閑散としてしまっておりました。

いま、┉往年の賑わいこそは取り戻せはしないものの(たぶん)その賑わいを取り戻しつつある観音院さん┉いや、日限地蔵さん。
御朱印のブームであります。
どうやら桐生市のお寺さんは御朱印に大変力を入れているところが多いようで、桐生市のお寺さんに休日出向こうものなら、車はいっぱい、人は行列、といったお寺さんまであるくらいで、ここ、観音院さんもそのお寺さんのひとつになったようであります。私どもが最初にこちらで御朱印をお受けした時にはなかった、お地蔵さまのお縁日限定の御朱印を始められておりました。

その御朱印、大変風雅な季節のお花を直に御朱印帳にお描きくださるものであります。一目見て「わあ、綺麗」と声に出てしまったくらいに綺麗な絵をひとつひとつお描きくださっています。
朝九時半くらいに参拝して御朱印をお願いしてすでに七十~九十番台の受け付け番号になるくらいの人気であります。


   ┉続きます。

No.53 19/03/25 00:49
旅人 ( 匿名 )

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観音院さんは、かつてわが家の子供たちの手を引いて、参拝、というよりは屋台目的のお祭り気分で訪れた頃より、境内にいろいろな参拝するゾーンが増えておりました。

まずは立派な仁王門が建ち、その中心には大きな提灯が提げられています。
弘法大師さまの御像が建ち、その石像の周りには四国のお寺さんの砂が埋められているとのことでその周りを廻ることでお遍路ができるというところがあります。
仏舎利ということで、お釈迦様の石像があり、その石像のもとに仏手、仏足の彫られた石盤があって、そこを目指してあえて石の凹凸を残し裸足で歩く参道があるというゾーンがあったり。
回すとお地蔵さまの真言を唱えたのと同じ効果が得られるというものがあり。
水掛け不動尊の石像があり。
大黒天の御堂があり。
禰宜師大明神がまつられ、背中合わせに金精大明神がまつられた御堂があります。
記憶に間違いがなければ、地蔵堂もなかったような気がするのですが、それはもしかしたら、私が子供を連れてお祭り気分で訪れていたせいで、そんな風に記憶しているだけかもしれませんが(^^;


御本堂には【心の間】という、外陣が衝立で仕切られたゾーンがあり、そこでは自分の悩みや願いを、個別に御本尊さまと向き合うことができるようになされております。
まずは塗香で手を清めて、合掌したのち、心のなかで願ったり、紙に書いて納めることもできるようになっています。紙に書くのも一切書式などなくて、記名もしたければする、したくなければ無記名でと自分の思うようにお参りさせていただくことができます。
私がお参りさせていただく間にも何人か心の間にお入りになる方がおられました。

御住職をはじめ、スタッフのかたもいつも穏やかな笑顔で接してくださる、私の好きなお寺さんのひとつであります。

No.54 19/03/25 06:14
旅人 ( 匿名 )

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群馬県桐生市の文昌寺さんを参拝させていただきました。
看板を見るもののなかなか参拝する機会に恵まれなかったお寺さんであります。今回、観音院さんの参拝にこちら方面に出かけた足で、夫が【小雀観音】さんを参拝したいということで、【文昌寺】さんと【小雀観音】さんの参拝をさせていただきました。


文昌寺さんには、伝承のない石塔(?)があり、縄文時代のものだろうということはわかっているものの、当時は寺院、というものの存在がなく、なんのために建てられていたものかわからない、という石塔があるということを、何かの折りに読んだ記憶がありました。
それは鐘楼の隣の陽当たりのよい場所に、古い石仏さまと一緒に奉られていました。先端の尖った、ちょうど大きなサイズの┉2.5Lのペットボトルくらいの太さでしょうか┉高さは1メートルくらいの┉人造のものか、自然にできたとしたら現代人であっても自然の神秘を感じるような石塔でありました。


┉私どもは神社仏閣の参拝を済ませたあと、境内の散策はおのおの単体でまわります。それは取り決めではないものの、フワァっと興味のあるところへさっさと行ってしまう妻と、ゆっくりひとつひとつの建造物やそのいわれなどを視て歩きたい夫が、自然にたどり着いた、スタイルでありまして。私が興味のあるところを回り終えれば夫のもとへ行き、夫のほうが先に視終われば夫が私を探し回る、という┉f(^ー^;


名ガイドの夫が今回語るところ、こちらの文昌寺さん、
「小雀観音のいわれである小雀とよばれる馬がいて、その馬はこの辺りを治めていた細川内膳が京の八条殿より拝領した愛馬だったんだ。当時、桐生を治めていた桐生大炊介が、ある時細川内膳の館を攻め、細川方は敗れ、内膳は自害してしまったんだ。その後、桐生氏がその名馬小雀をもらい受けようとして乗ろうとすると、一歩も歩かずその場で死んでしまったんだって。主君のあとを追うように亡くなった愛馬小雀を、二君にまみえず死を選んだ名馬ということで、崇め、またその死をあわれみ冥福を祈って祀ったのが小雀観音なんだ。
こちらに細川内膳のお墓があるようだよ」

ほぉー。
時々、この辺りを車で走るたびに「この辺りに小雀観音があるわけなんだけど┉」と言っていたのは、そういう伝承があったのか。

   ┉続きます。

No.55 19/03/26 06:14
旅人 ( 匿名 )

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歴史の教科書に出てくるような、有名な方のことすら名前を聞いたことがある┉程度の薄い知識、薄識?しかないような私は、当然のように、桐生氏さんも細川氏さんも存じ上げないので、「へー」と思うだけなのでありますが、私にすれば超歴史オタクの夫は満足そうでありました。
地元でもないところの、地方の歴史すらも、その当時の日本の歴史と絡めて記憶している人間は、どんなところへ行っても楽しいのだろうな。
知らないことばかりのところへ行けば、新たな知識として今までのものと繋ぎあわせて。知識として知っていた現地に行けば、いにしえのかつてあった歴史を偲んで。
同じくらいの年数生きてきて、私、無駄に過ごしてた時間が多かったのかな?(._.)
覆水盆に帰らず。


閑話休題。


文昌寺さんは、お地蔵さまがそれはそれはたくさんおられるお寺さんでありました。
〖子育て地蔵〗と道案内の看板に掲げられてはおりましたが、地蔵堂があり、そこにお祀りされたいろいろな時代のお地蔵さまが何体かおられて。┉そこには絵本やらお菓子やらが、まるで子供グッズのお店の平台のように綺麗に並べてお供えされておりました。その地蔵堂の前にもいく体かのお地蔵さまがおられ、参道の両サイドにもお地蔵さまが花道を作られておられるように並んでお立ちになっています。仁王さまのおられる入り口のすぐ脇にも、古くからの六地蔵さまが優しい笑みを浮かべておられます。

そして、見たことのない石塔があったり(鳥が二羽と猿かと思われるものが2匹彫られた古いもの)、〖薬師の水〗、という、整備されているわけでもない小さな池があり、境内からは見えないほど雑木林を分け行ったところにあるという百庚申塔やら、いわれをうかがうことができたら、御由緒をうかがうことができたらいいなと思ったお寺さんでありました。
お彼岸の日曜日でありましたので、御朱印をお受けできただけでもありがたいことで、再拝させていただけたらいいなと思ったお寺さんでありました。
ただ┉お寺さんに向かう道はナビを使えばなんとかなるとしても、入り口が狭くて、対向車が来たらアウト!といった難問題を、私が攻略できるかどうか┉(。-ω-)


陽当たりのよい、居心地のよい境内のお寺さんでありました。



    平成三十一年三月二十四日  参拝



           

No.56

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No.57 19/03/26 11:37
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小雀観音さんは、文昌寺さんから少し車を走らせて、細い細い住宅街用だけの道路を入り、駐在所と郵便局を通り越し┉てしまうともう車が停められないので、お休みなのをいいことに郵便局に車を置かせていただいて、車では入れない細い道、参道のむこう、小さな御堂がありました。
御堂の前には自然石に馬頭観音と彫られただけの石碑が二体。
なぜか、馬頭観音の石碑に人参が一本お供えされておりました。
┉馬頭観音さまは、小雀観音とはちがうんだけど┉、という言葉は飲み込んで、お参りさせていただきました。
主君細川内膳さんのお墓は御堂もなく、小雀は自分の御堂に居心地悪かったりしていないかな。┉いやいや細川内膳さんのお墓は、陽当たりのいい場所に安置されておりましたし、そんなことを気にするようなお人柄ではなかったような名君であったようでございます。
きっとあの世では内膳さんを背にのせて、雲の上を誇らしげに駆っているのでありましょう。そして、自分をただ一人の主君として勤めあげた名馬小雀を、内膳さんも誇らしく思いながら、雲の上の野を駈けておられることでしょう。

No.58 19/03/31 20:15
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栃木県鹿沼市の医王寺さんの仏像見学会に参加してまいりました。
元々、行きたいとかねてから思っておりましたお寺さんで、時々医王寺さんのホームページをチェックしており、偶然この見学会のご案内を拝見いたしました。募集が始まって六日が経過しております。
無理かなぁ、と思う私と、
「えぇ?、全然大丈夫じゃない?」と言う夫。
┉1日限定で、午前の部、午後の部、共に先着三十名の募集です。
まあ、なんにせよ申しこまなければ絶対に当選しません。

早速ネットで申し込み、その日のうちに返信いただきました。
そして何日かしてすでに午前の申し込みはいっぱいとのことであります。なんとか午後の部に滑り込むことができました。

仏像展といえば、昨年東京都の上野で開催された【運慶展】が
初めて🔰で、それが最後になります。

どんな仏さまにお会いことでしょう。




No.59 19/03/31 21:28
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栃木県鹿沼市の医王寺さんは初めての参拝でもあります。

ドキドキで医王寺さんに向かったその日は、花冷えといわれる、寒い寒い日となりました。
到着するとなんと!駐車場が満杯です!
どうしよう⁉困った車が三台、「この区画も大丈夫ですかね」とアイコンタクト。
まあ、臨時駐車場の車の置き方自体がそもそもあまり決まりがなくて、まあ、事故なく置きさえすればどうでもよかったようでした。

石段をのぼっていくと仁王門があり、こちらは比較的新しい御門であります。仁王さまは御門に比して古い時代のもののように思われます。まあ、今日は参拝ではありますが、参拝後仏像見学会ということで、解説をいただけるのかも知れません。

初めてのお寺さんではありますが、見学会ということで境内には案内の立て看板が出ております。一目散に唐門の奥にある御堂に向かうことができました。入り口で受付をしながら、絶句!
┉御朱印帳、忘れた! !Σ( ̄□ ̄;)
何人かの先に御堂に入られた方々の御朱印帳が山に積まれておりました。どこか、参拝させていただく、という感覚が薄れていたのかなぁ。


御堂にはびっしりと人が座られています。まあ、駐車場が満杯になっていたくらいです、さもありなん。
 ! 内陣の境にある欄間の龍の見事なこと。
欄間の彫刻、龍の手が欄間の枠からはずれるように下に軽く下げて彫られています。そのおかげで奥行がでて、なおかつ迫力がでております。もう、龍に釘付けの私の意識。
髭が立体的に欄間から浮き出すように作られているものは数多くありますが┉とは言っても、その繊細さゆえ髭が取れてしまって、しかも紛失してしまっていることが多いのですが、手、であります。
いいなぁ。

そんなことを考えていると、副住職さまのお話が始まりました。
どうやら、見学会、武蔵野美術大学の先生が解説してくださるようであります。




No.60 19/04/01 17:28
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医王寺さんは、聖徳太子が自ら薬師如来を造立して伽藍を整えられた、というお話が縁起として残されているとのことであります。
さらには日光開山の勝道上人が夢告にしたがい、山中より薬師如来を発見し御堂を建立して尊像を安置したとも伝えられているようです。
また、弘法大師空海が東国を巡礼した際に、ご自身の御影像や不動明王などを納めて道場とし、高野山の開創によって当地を「東高野山」と呼ぶようになったと伝えられているということであります。


しかしながら、ちょっとびっくりしたことに、解説を務められた大学の講師の方は、いとも簡単にそのへんはバッサリと否定しておりました。仏教界における三大スターをあげたい気持ちはわかるけれども、と。

といったぐあいで、医王寺の創建については必ずしも明らかではないようですが、講堂の〖秘仏本尊薬師如来坐像〗が、平安時代後期の作と推定されることから、遅くともこの頃までには寺院としての体裁を整えていたものと考えられるということであります。
鎌倉時代には、金堂の〖本尊薬師三尊像〗を始めとして、数多くの仏像が造立され、そのころに大がかりな造営事業が進められたようだというお話でありました。中世以降、地方における仏教修学の道場としての機能を有していたようで、江戸時代には幕府から朱印地として寺領五十石を下賜されたようでありました。

1624~1644年頃に焼失したとされる多くの堂宇も、当時の住職等の尽力により次々再建されて、現在の伽藍が完成したと考えられているとのことでありました。


さらには近代に入り、明治35年(1902)の足尾台風により仁王門・金剛力士像が倒壊する被害があったとのことで、倒壊した門の下敷きとなって金剛力士はバラバラになってしまい、阿形の金剛力士はお顔を失われてしまうほどであったようです。その後、再建に至る昭和50年代まで、御堂の中に箱詰めにされてしまわれていたのだそうです。
それで、はじめに通らせていただいた仁王門は新しいものであったのだなぁ。平成四年に完成したものだということであり、その際失われたお顔も再建されたとのことであります。お顔にさほどの違和感がないのは、現代人の技術、なのでありました。

No.61 19/04/01 19:35
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解説にあたられた先生の仏像愛の深いことといったら┉
まあ、それはそうですよね、それを学ぶべく大学にいき、それを教えとくことを生業とするくらいに大好きなことなのですから。

そして┉こういった仏像見学会などで出会う方のなか、仏像や仏教に詳しく、それこそなにも見ずに仏さまのお役目であるとか、仏像の造りであったり作者についてだったり、スラスラと語りながら見学されている方のなんと多いことか。
今回隣に座られた方もお若い方ですが、仏像がたいそうお好きなようで、奈良や京都などあちこち仏像にあいに出向いておられるようなお話を、お仲間に熱く語っておられます。
そして会が始まって、ご住職が般若心経をお唱えになられると、自らの経本をリュックから取りだし唱和されていらっしゃいました。

はあぁ、場違いなんじゃないかな、私。   

解説をききながら、しばし反省した次第であります。
また解説を聞くにあたっても、
メモを取るのにえんぴつやシャーペンを使って記入するものだとか、
小さな単眼鏡を持っているとよいとか、 
いろいろ学ぶことができました。


No.62 19/04/01 22:15
旅人 ( 匿名 )

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今回は参拝、であり、仏像見学会。
大好きな御仏像を像として拝観してもさほど罪悪感を覚えずにいてもいいのであります。
なんともそれがありがたい。
仏教は決して偶像崇拝ではなく、あくまでも私のような仏さまのお教えを必要としながらも、なかなかお教えが伝えにくいような人間のために、お姿が造られているだけ、ではありますが、そうは言ってもやはり〖仏さま〗であらせられ、そのお姿が好きだとか、お美しいとか、細かな細工が素晴らしいとか申し上げるのはなんとも気がひけるものであります。まあ、そうは言っても、いつも結局そう言ってしまっているのではありますが┉

医王寺さんの薬師三尊像の素晴らしいこと!
薬師如来さまはお顔がすっきりとされた、美男子さまであられます。なんとも見るものに安心感をあたえてくださる、お顔であられます。そして月光菩薩さま!薬師如来さまを見守るような視線をお身体を軽く薬師如来さまにむけてお立ちになられておられます。美智子妃殿下が陛下のお側に立たれておられる姿に似ている、如来さまにそっと寄り添うような立ち姿であります。
日光菩薩さまは薬師如来さまの方に微かにお顔を向けておられるような、ほぼ前をお向きになられているような立ち姿で優しい微笑みを浮かべていらっしゃいます。如来さまが何かおっしゃれば、すぐに動けるような構えにも思われます。まるで左右の立ち姿が異なる、日光月光菩薩さまでありました。
薬師如来さまの光背におられる小さな仏さまにもその表情がわかるくらいにまで細かな彫りがほどこされた見事な御仏像であられました。

そして、そのとなりには左右六柱づつ十二神将がお立ちになっております。その表情の豊かなことといったら。聞けば、少し前まで極彩色に塗られており、もとのお姿に戻されたとのことで、以前の極彩色に彩られていたころよりかえって表情が豊かになられたように感じました。お手が失われたりされお痛わしいところもございましたが、細かなところまで細工のほどこされた素晴らしい御像でありました。

No.63 19/04/02 04:53
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普段は閉ざされた金堂の中、須弥壇のすぐそばまで寄らせていただくことができました。ため息が出るほどにお美しい薬師如来三尊像と、十二神将像であります。

そんな金堂を後ろ髪をひかれる思いで後にして、向かったのは大師堂であります。そちらに安置された弘法大師像に、私は目が釘付けとなりました。まるでマネキン┉というより蝋人形のようにリアルな感じなのであります。色彩もさながら、手の指の折られたときの皺一つ一つにいたるまで、リアルな感じであります。
薄暗い御堂の中に超リアルな男性像。┉なんだか怖いようなイメージでしょうか。いえいえ、決してそんなことなく、凛とした、眼光鋭い御像でありますが、なんとも親しみやすくともすればお優しい表情の、イケメン、といった感じであります。
そして、そんな超リアルな、と私が感じている御像でありますのに、講師の方によると五鈷杵を持つ手が不自然なのだそう。ありえない方向にまでねじられて五鈷杵を持っていると。そう言われてもそう感じない私は、とうてい美術の才がないのだなとあらためて認識いたした次第であります。右手の御数珠は本物が握られており、五鈷杵は本物?┉(;゜゜)?そのくらいリアルな御像でありました。先生いわく、江戸くらいの造りかと思っているとのことでありました。
こちらはこの見学会のために特別に開放していただいたようであります。

そのとなりには地蔵堂もあるのですが、なぜかこちらは素通りで講堂と呼ばれるいわゆる御本堂にもどるようであります。
やはりお優しいお美しいお地蔵さまの御像が安置されておりますのに┉。あとあと調べたら、こちらは他所にあった御堂を移築されたもののようでありました。お地蔵さまの御堂にありがちな犬の像┉ビクター犬とかも一緒に飾られておりました。『絵で見る地獄と極楽』というしっかりとした作りの本が一冊五百円ということで御堂の賽銭箱のところに置いてあり、一冊購入してまいりました。

No.64 19/04/02 05:13
旅人 ( 匿名 )

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┉講堂に戻って、最後のご挨拶かな?

そう、講堂では先ほどすでに内陣前でお焼香をさせていただいております。
まあ、私の場合は(半紙に)御朱印をご用意いただきますことになっておりますので、いずれにしても講堂に戻る必要があり、お美しい仏像を間近で拝観することができてご機嫌な私は足取りも軽く┉夫を置き去りにして┉講堂に戻りました。
席に着席する前に少し屏風等を観させていただこうと、一旦着席しかけてまた立ち上がったその瞬間、内陣の横の間の、私が立つ少し前の襖が開け放たれました。

 !  

その時の私はまさに「ビックリマーク、絶句!」といった感じでした。
そこにはこれでもかといったくらいに見事な御仏像がところ狭しと収められておりました。何故?
まさかこの見学会のためにここに集結させたわけでもあるまいに。まさに展示、といった感じに安置されておりました。
「どうぞ、お入りになってごらんください」
┉吸い込まれるように、ふらふらとそちらの間にはいる私。


うわぁぁ。



No.65 19/04/02 20:35
旅人 ( 匿名 )

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はいって真正面に、大きな御厨子の中に、大きな、
穏やかでお優しいお顔立ちの、お美しい【弥勒菩薩さま】が安置されておられます。はあぁ┉。
御本尊でこそない仏さまでありますが、これだけの大きさ、この繊細で丁寧な造りは、御堂があったに違いありません。この弥勒菩薩さまは鎌倉時代の作であるとのことで、金堂におわします薬師三尊像と同時代の作であるようであります。手で触れることなどはとうていできはしませんが、撫でたらどれだけすべすべで滑らかであることでしょう。
十二神将像も、そしてこのお部屋に安置されておられる仏像┉
不動明王の脇士(わきじ)として矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制吒迦童子(せいたかどうじ)が祀られておられますがこちらも鎌倉時代の作であるようです。ほかにも聖徳太子や、狛犬、獅子の御像が安置されておりました。

もうため息しかでない。

【弥勒菩薩さま】の右てにやはり大きな┉ちょうど人と同じくらいの大きさの立像、【十一面観音菩薩さま】がすっとお立ちになられています。
こちらもこれだけの大きさの立像、ひとつの御堂があって然るべき仏さまであるかと思うのであります。そんな仏さまが、あまりに無造作に、ぽんぽん並べて置かれているのであります。

十一面観音さまは十世紀の作と伝えられているようで、医王寺さんの秘仏本尊であります薬師如来像(十一世紀)よりも古い仏像で、こちらで一番古い御像と伝えられているとのこと。
さらに平安の作とされている仏像が、不動明王二体と、
おそらく普賢菩薩さまがお立ちになっていた【象像】が安置されております。

凄い数の、御仏像です。
しかも保存状態がかなりよいかと思います。無造作な保存をしていた時代もあったようで、何より火災にあってこの状態!
前に述べたレスがあるかと思いますが、光背部分も本当に繊細であり、よくぞ火の粉を浴びながらこれだけの数の仏像を安全なところに運び出したものであります。
本当に本当に、ありがたいことであります。
重いでしょうし大きさも大きくて、それをお助けどこかにぶつけることもなく!

その先人のお陰で、こうして今日私が胸をときめかせる仏さまたちにお会いできたのでありました。


   平成三十一年三月三十日   参拝

No.66 19/04/03 06:33
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悲しいニュースを目にしました。

私はそちらにうかがったことはないのですが、夫とふたりで「いつか、暖かなころに必ず行こうね」と言っているところであります、白虎隊のお墓。そちらに御朱印があることも知らず、ただお参りしたいと思っていたのでありますが、全国的に勃発している、御朱印騒動のまさに氷山の一角であるかと思います。
自分は御朱印ブームに乗って御朱印をいただいているわけではない、と思っているのではありますが、そうは申しても納経してお受けした御朱印は数えるくらいで、ややもするとミーハー的な時があることも否定しきれない。群馬県桐生市の観音院さんの日限地蔵さまの縁日限定の御朱印を何度かお受けしたりしていることをミーハーな行動と言われれば否定できないと思っていたので。
ただ、そうは申しても必ず御本堂で御本尊さまと地蔵堂でお地蔵さまにお参りしてから、御朱印の申込みをしております。それだけは必ず自分なりに律しております。
こちらは以前述べたように、九時半で七~九十番代の受付番号となり、四~五時間待ち!ということもあり、お参り前にまず御朱印受付に並ぶ方が多いのですが、その待ち時間にお参りしていらっしゃいますし、なによりも文句をおっしゃる方をみかけたことはないのですが┉。
これだけの数の御朱印をお書きになられたらしんどいだろうな、と思いますし。本来、お昼の時間帯は避けるという決まり事も守られているのかどうか。
基本、お寺は庫裏=御住職の御自宅ですので、ご家族もおられますし、当然一般的な社会生活をそこを基点としておくられています。「お寺に生まれたから」「お寺に嫁いだから」と、当たり前に考えて受けとめられていらっしゃることも多々あるかとは思いますが、生活している自分の敷地に誰ともわからない方が突然前触れもなく侵入してきている、と考えれば一般的な考えでいけばこれはこれで本当にスゴいことであります。
お寺さん、お寺さんでルールを作られているところはよいのです。
正午から一時間はお休み、とか、何時までで門を閉める、とか。あるいは御朱印のためにスタッフがおられて、番号札を用意されているとか、「書き置きの御朱印のみ」とか、御朱印帳を預かっていついつまでに書いておくので取りに来てくださいとか、┉普通に宅配を受け付けているシステムすらあるお寺さんもあるくらいです。

   ┉続きます。

No.67 19/04/03 13:59
旅人 ( 匿名 )

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こちらは白虎隊の墓守りをされている方がご厚意で始めてくださった御朱印であるようです。対応も書き手もすべてをお一人でなさっておられます。

「ただ判を押すだけでは申しわけないような気がして」とおっしゃっておられました。「わざわざ参拝に来られた方々に礼を尽くしたいのでお一人お一人と対話をし、一筆一筆丁寧に書きたいので、時間がかかります」と貼り紙もして、そのスタイルをとっておられたところ、「遅い!」「しゃべってないでさっさと書け!」等を直接言われてしまうことが増え、そのストレスで御朱印自体をお休みしたいと思われたとのことです。どこの神社仏閣でも、一人あたり五分程度は当たり前にかかります。参拝させていただいて御朱印もお受けした数もそれなりにはあるかと思うのですが、いまだかつてそんな暴言を口にする方に出会ったことがないです。
穏やかにその場におられる方と会話を楽しまれたり、御朱印帳を預けてその土地の名物を食して来られたり。
鎌倉などではさすがにそれこそ長い列はできてはおりましたが、外国からの方々や小学生もその列を崩すことなく、不満を口にする方は一人もおられませんでした。

観光の一環で訪れて、たまたま御朱印をお書きになってくださっているのを知り、たまたま御朱印帳をお手持ちになっていて、次の観光地に行きたい思いでもあったのでしょうか。

この女性は、ならばとお書き置きの御朱印で対応なさったところ、ネットで高値で取引されていることを知り、お書き置きを止めたという経緯もあったようです。
たしかにネット上で高値での御朱印の取引があることを、親しくお話くださる御住職からうかがったことがあります。
もはや言葉が悪いけれど御朱印スタンプラリー、ということですらないです。

神社仏閣巡りの初心者がいろいろおこがましく語って申しわけありませんが、その墓守りの女性のお手は、たいそうお心のこもった素晴らしいものでありました。
どうかいま一度、御朱印をお受けになられている方のごく一部の方、心こめた御朱印はもうそこに〖縁〗というものがうまれております。時間がなくてお受けできないのもその時のご縁です。
例えば煽り運転をして、結果人一人の心を深く傷つけたこととなんら変わりがない行動であるかと、私は思います。

No.68 19/04/03 15:51
旅人 ( 匿名 )

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ちなみに、「飯盛山には栄螺堂があるんだよ。いまはお寺ではなくなっているようだけど」 大学生のときにかの地を訪れた夫。
すばらしいところだよとかねてから語っておりました。



この墓守を代々受け継がれておられる女性は、すでに五代目ということで、【飯盛山参道】の記念に御朱印をお書きくださっておられます。
【飯盛分店での白虎隊御朱印の始まり】は、当時の藩主松平容保に頼まれた当時の白虎隊墓守が書いたのに始まり、白虎隊御朱印では一番古く、唯一、容保公の一言で始まったものであるとのことであります。
お店ではありますが、元々が茶屋を営まれていた女性が墓守を始め、徳川将軍家とも深く関わっておられた藩主松平容保に頼まれ始まった歴史ある由緒ある御朱印であります。
また、この御朱印も白虎隊墓守以外の方が記入はなさらないというこだわりもあるもの、お店が御朱印ブームにあやかって始めたものでもありません。
そして、代々収益は全額養護施設や福祉、震災等へ寄付しておられるということであります。

一部の心無い御朱印を求め、暴言を吐かれた方、┉どうやら何年も前からそういった方がおられたと、今回の件に関わることなくかつてネット上で嘆かれていた方もおられました┉あなたの暴言が、こんなに歴史ある御朱印を、心こもった素晴らしいお手の御朱印を、一時的とはいえ途絶えさせたのですよ。


一日でも早くこの貼り紙が取り外され、何よりもこのような暴言を口にする方がなくなりますように(。-人-。)

No.69 19/04/03 22:17
旅人 ( 匿名 )

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二月に、夫によるミステリーツアーで行った、群馬県甘楽郡の小幡の桜まつりに行ってまいりました。とはいえ、ここのところずっと戻りっぱなしの寒の戻りで、桜は二~三分咲き。しかも本来なら三月ではなく四月に行われているこのお祭り、今年は選挙のため一週間早めざるをえなかったということであったようでありました。

織田信長の孫である織田信良公が治め、その後も松平家が明治を迎えるまで治めた小幡の地をいつまでも伝承し周囲にも知らしめるために、武者行列が行われているとのこと、先日参拝の際に寶積寺さんにポスターが貼ってありました。
寶積寺さんの垂れ桜の花はまだまだ早い頃ではあろうかとは思ったのですが、小幡八幡宮の天井画も見事なようで、武者行列の祈願式が終えたあと、天井画が公開されるという┉これは行くしかないでしょう。
現地では駐車場がなく、四キロほど離れた駐車場からシャトルバスが出るとのことであります。
私たちの前で定員数となりバスが発車となりました。
ところが待てどくらせどバスが来ない!三十分以上経ってようやくバスがきたものの、武者行列はとうの昔に出発してしまっている!
走って追うしかありません。


走って走って、それでも武者行列の歩いた形跡すらありません。

涙。

No.70 19/04/04 22:16
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┉そして結局、シャトルバスが発着駅に到着すらしていなかった頃、号砲の音を合図にスタートしたという武者行列に追いつけるはずもなく、武者行列は休憩地点で休んでいました。泣
シャトルバスの発着地点で、係りの人が「直接会場近くの駐車場に行けばまだ空いてたから、間に合ったのにねぇ」┉はぁ⁉
ネットの案内では会場近くの駐車場はなないということで、こんなに離れたシャトルバスの発着地点しか案内がなかったんですけど。せめて、係りの人はそれを口にしないで欲しかった。

┉復路がある。

すっかり仮装したお祭りムードの人達に戻っている武者行列の方々を、八幡宮の参道でみることとなり、寒さと花曇りの天気も手伝って私はすっかり異邦人、お祭りに参加しきれないでおりました。
それでも気をとりなおして、写真など撮っていると私がたまたまカメラを向けたところにおられた方が優しく笑って写真を撮らせてくださいました。お礼を言っている途中でなにやらその人めがけて何人かの人が集まってきて「わあ、会えた!うれしい」 ┉⁉
地元で人気のある方なのかなぁ┉。
あ!ゲストのお笑いタレントさんだった。私、結構ついてるんじゃないかしら。

No.71 19/04/04 23:53
旅人 ( 匿名 )

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閑話休題

武将に扮した方たちは祈願をするため、八幡宮の拝殿にむかい石段をのぼって行くのが見えます。拝殿を見上げると、慣れた一般の方たちはすでに境内で待機しているのが見えました。行かなくては!
私は石段を一気に駆け上がりました。
境内には神職の方と武将の方の席が設けられていました。祝詞をあげていただき、お祓いを受けて、祈願をし。榊を捧げて、御神酒をいただき祈願式はつつがなく終了。武将たちは再び行列の中央におさまって目的地に向けて出発していきました。

私はといえば┉ 行列を見送ることもなく御朱印所にむかい、御朱印をお受けして、再び拝殿に。八幡宮の天井画を拝見させていただきに拝殿に参上させていただきました。
素晴らしい天井画です。迫力ある龍が描かれその周りには花鳥風月、そして歌人の絵も描かれています。


そこで┉写真撮影が許されているのをいいことに、あろうことか拝殿に寝ころんで写真を撮る女性がおりました!
拝殿の中、中央です。拝殿のしたで鈴を鳴らして拝んでおられる方もいるというのに。しかもスカート!!三十代後半から四十代後半くらいの体格のいい女性が、拝殿のど真ん中、大の字に寝ころぶ図、って┉
あり得ない!┉インスタにでもアップするのでしょうか。
人として、同性としてもたいそう恥ずかしくて情けなくて。


今回の珍道中は、毒を吐いてばかりの私であります。
申し訳ありません。
そんな私自身、未熟で恥ずかしい。

No.72 19/04/05 07:56
旅人 ( 匿名 )

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小幡八幡宮の天井画はこんなにも迫力あるものでありました。
甘楽町指定重要文化財となっております。群馬県指定にはダメですか私は凄いと思いましたし、ひとめで好きになりました。これからもより良い状態で後世に残していっていただきたいと、強くおもうのであります。

No.73 19/04/07 01:32
旅人 ( 匿名 )

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夫と結婚して何年経つのだろう┉覚えてもいないところがなんともがさつな女でありますが、親と暮らしたのが18年間、夫とは30年は越えています。親よりも長く一緒に暮らしていることになりましたが、いまだになかなか『阿吽の呼吸』とはまいりません。軽い冗談に結構なお怒りをかったり、こんなことを私が教えねばならないのかとかむかっ腹をたてたりと、未熟者の似た者夫婦、なのかもしれません。
私がいい歳をして神社仏閣に詣でることが初心者なのはそういった家庭に育ったから他ならないのでありますが、知らなかったことが多くて、かえって新鮮な思いで参拝することができます。

左右二体でおられる狛犬や獅子、金剛力士像のほか、随臣像もみな、【阿吽】の形相をされていることを、実につい最近知りました。そういえば沖縄のシーサーも阿吽の二対の像であります。


信心深いお年寄りがいつものような自然体で、お寺さんや神社にお参りされている姿を見かけると、いつかはああなりたいものだと思うのでありますが、いまだに興味深そうに随臣門を覗きこんだりしている私はまだまだ到底先、なようであります。
お地蔵さまにお供えされた飴などを、ごそっと持っていかれるお年寄りもおられるのですが、あれはお供物をいただいている正式なお参りのひとつの形なのか、よくないお参りなのか、聞くに聞けないでおりまして、未熟者の神社仏閣珍道中は当分珍道中のままのようであります。


No.74 19/04/07 02:25
旅人 ( 匿名 )

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先日、群馬県前橋市の【産泰神社】さんに一人お参りして参りました。産泰道路と呼ばれる道路があるくらいの有名な神社さんでありますが、三年ほど前に夫に連れていってもらうまでは、お名前もうかがったことがなかったほどの神社仏閣超初心者であります。
夫は以前から知っていた様子でありましたが、こちらは安産の祈願をする神社さん、知っていたなら私が妊娠中に一体くらい御守りを授与してきてくれてもいいものを。入退院を繰り返していた初めての子の時すら御守りの一体すらいただくことなく。
時々、安産の御守りを授与していただいている若い男の方をみるといまだに羨ましく思う未熟な精神の持ち主であります。

平日でありましたが、ちらほらと子供連れの参拝の方がおみえになっており、御祈祷をお受けになっている方もおられました。
こちらの主祭神はコノハナサキヤヒメさまであられ、優しい気の満ちたあたたかな雰囲気の神社さんであります。
拝殿の鈴もしゃらしゃらと優しい音のするたくさんの鈴を束ねたものであります。
本殿の右斜め後方には安産祈願の胎内くぐりの岩があり、拝殿脇には抜けびしゃくというやはり安産の祈願をするところがあります。
安産の祈願にご利益のある神社さん。女性の守り神さまでもあらせられ、女守りという御守りを一体お授けいただきました。
綺麗な桃色の御守りなのでありますが、「二十歳まで」「二十歳から四十九歳まで」「五十歳以上」という、年齢によって異なる御守りであり、見る人が見れば年齢がわかってしまうこの御守り、アラフィフのような微妙な年頃の方には、ちょっと持つのにためらいが生まれそうな御守りであります。


  平成三十一年四月一日  令和の元号発表の日に

No.75 19/04/08 04:36
旅人 ( 匿名 )

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今年の一月に初めての参拝をさせていただいた、栃木県足利市の【浄因寺】さんに再拝してまいりました。

四月八日の灌仏会(かんぶつえ、降誕会ともいう)の前にあたる日曜日に、そちらに境内から見上げる位置、巨石の上に少し岩からはみ出すように建てられたお茶室があるのですが、お釈迦様の誕生を祝ってお茶を点てると書いてあり、必ずやその日に再拝をしようと誓ったものですから。それが今年は今日。
ただ、その浄因寺さん、細い細い、車一台がやっとの山道を登っていく、かつて関東の高野山といわれたお寺さんで、私のような運転技術の者では到底参拝できるところではありません。
どなたかに連れていってもらわなければ、片道四時間(!)の道のりをひたすら歩いてようやくたどり着く、といったたいへんな参拝となります。
頼りの夫はちょうど一カ月前に風邪から肺炎を患い、ようやく治ったところで、行けるかどうか、たいへん危ぶまれることでありました。
山道の運転をお願いすることぐらいは容易いところまでに回復したと
はいえ、その後の歩く山道も足元の悪い急傾斜すらある、しかも広い広い境内です。
大丈夫、と言ってくれたので、ありがたくその言葉に甘え再拝にたどり着いたといった、ようやくの実現、だったのであります。



その茶室『清心亭』は、その横にある細い太鼓橋を渡って行くのですが、その景観を葛飾北斎が描いたという『足利行道山雲のかけ橋』と題する画が存在するくらい、ここ浄因寺さんは人々に崇拝され愛されたお寺さんでありました。

いま┉。
私のようないい歳をして神社仏閣の初心者すらが存在する時代、こちら、浄因寺さんはだいぶ衰退をしてしまっております。嘆かわしいことではありますが、御住職が亡くなられて無住の、檀家を持たないお寺さんとあれば、それは悲しいけれど仕方のないこと、なのかもしれません。こちらを兼務される僧はおられるようですが、ご自身のお寺さんの法要があり、法会があり、実際にはこちらのお寺さんを守っておられるのは地元の保護会の方々のような状況であります。



   ┉続きます。

No.76 19/04/09 11:03
旅人 ( 匿名 )

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一説によるならば、浄因寺さんまで駐車場から二キロ。

んなに距離があるかどうか┉なにせ山道を人が登れるだけに加工した細い石段を登っていくものなので、体感的にはさほどに距離があったようには思えませんでした。石仏に癒されながら登っていくので、距離を感じないのかもしれません。一月にはなかった、春の顔をした山道でありました。
二つ山門をくぐり鐘楼が見えてきました。清心亭での景色はどんなでしょう❤



┉戸が締まったままであります。人も数えるほどしかおられません。?気持ちを落ち着けて、落ち着けて。とにかく御本堂にお参りです。ひなたになき住職の形見の四匹の猫が寝ころんでいます。┉まずはお参り!
御本堂も閉ざされたまま、人の気配はありません。ガラス越しに御住職が使われていたままに経本がおかれ座布団が敷かれているのがみえます。遺された猫たちの気持ちと遺した御住職の気持ち、そこには諸行無常の寂しさ、儚さを含んだ空気がとどまっているように感じます。
お参りをすませしばし猫と戯れ、ふと御本堂の脇の入り口付近に貼り紙がしてあるのが見えました。花まつりの行事は今年は中止です。
えっ?┉
たしかに御本堂へのお参りあっての参拝です。それがあってはじめて花まつりの行事はある、かとはおもいます。ですが駐車場にもこの貼り紙、あってもよかったのでは?

修行、でしょうかね。(;´・ω・`)

仕方ありません。

もうひとつ、今日の目標があります。前回あまりにも軽装で来てしまい諦めたさらなる上にある寝釈迦さまの石像のお参りです。今回はパンツスタイルで山道用の杖を持ち、しっかりとした靴を履き岩道を登る支度で来ております。

さぁ、いざ登らん‼



   ┉続きます。





No.77 19/04/09 15:15
旅人 ( 匿名 )

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浄因寺さんの御本堂の横には庫裏があり、そこで猫たちは雨風をしのぎ、ご近所の方がここまでの道のりをひたすら歩いて届けてくれたエサを食べているようです。
さらにその脇に上へと向かう階段があり、そこを登っていくと、境内を一望するところに御堂があります。熊野清心堂。その脇に山に分けいって行く大きな大きな大岩の間をすり抜けるような階段が設けられています。
人一人が通り抜けるだけの階段で、しかもその幅も段差も傾斜もバラバラ。そこに濡れ落ち葉が敷き詰められていた一月、ここから上を断念いたしました。前述した通り、今回は山道を歩く支度で訪れておりますのでここから┉書いてある通りであるならば┉六百メートル、登っていきます。
さっきの階段にケチをつけていた自分を恥じるくらいの、なんとか登りやすいようにと作られた階段とは名ばかりの道を登っていきます。もちろん、ぶーたらぶーたら言いながら┉。修行には一切なっておりません。
お、あっという間に広いところに出ました。
なんだぁ(*´・∀・)

ん?┉違うな、ここは。歴代住職のお墓、でありましょうか。
その向こうに赤い御堂が見えます。「ここはあかずの御堂と呼ばれる開山した僧が入定したところのようだよ」あ、運転手にして無料ガイドの夫が、今日はじめての解説であります。なにやらいろいろ話してくれておりますが、なかなかハードな山道で(もちろん、私たち二人に、ではありますが┉)これから先どのくらい登ればいいものか、そればかりが気になっている私はふんふんと聞き流して、再び先へと続く階段を登りはじめるのでありました。

おぉ、看板です。あともう少し!
山の中腹かな。
展望台があるようです。えっ?ええ
ここを?

ここを登らないと寝釈迦さまを拝することができない?

道は┉あると言えばあり、ないと言えば、ない。
もう杖は捨て置きよじ登ります。

No.78 19/04/09 16:33
旅人 ( 匿名 )

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┉ご想像通り、ブツブツと文句を言いながら、ほんのわずか岩をよじ登ると、
パアァァっ❤ (┉私の心を表した表現です)
石仏さまがそれはそれはたくさん、小高いところにおられるのがみえました。たぶん、普通ならば、目の前に広がる足利市の展望に感嘆するところなのでしょうが、私は正直、それがまるで目に入らなかった。

たくさんのたくさんの仏さまたちがまさに
「不生不滅不垢不浄不増不減」という、般若心経でお説きになられている空間に、石仏像のお姿を借りて、私たちを見おろしてそこにおられるような気がいたしました。

江戸の元号の刻印された石仏さまがほとんどのようです。なかには長い年月の間に、その石の欠けてしまわれたもの、元の形をとどめておられないものもございます。倒れてしまわれた像もございます。その自然のなしたままに、一切石仏に手触るることなく、そこにあるがままに、石仏群は山の頂にございました。
私は、なんとそこに五十分!ただただたくさんの石仏と向き合っておりました。
それはたったいま、カメラで確認した驚愕の事実でありまして。
一言も私に声をかけることなく、夫と息子は、私の心のすむままに付き合ってくれていたのでありました。そして、二人の元に戻った私に、息子が無言で一粒の飴をくれました。

感謝、です。


それでも私はそこを立ち去る際、名残惜しんだことを記憶しております。


私の癒しの空間であります、栃木県足利市の浄因寺さん。
しかしながら、そこは自力だけで到達するには片道四時間の道のりを歩くしかない、近くて遠い遠いお寺さんであります。
これから先、歳を重ねて、努力するとしたら、運転技術をみがくなどと戯けたことは考えてはいけないので。片道四時間の道のりを五時間かけようと登ることなら┉まあ、努力するとしたならば間違いなくそれくらいであります、がね (;´・ω・`)

「いつかまた、私を浄因寺さんに連れていって」┉言えないな、五十分待たせたなんて┉ (;ω;`*)


     平成三十一年四月七日   参拝

No.79 19/04/14 18:56
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今日は、先日御朱印をいただきましたお寺さんの御住職の奥さまから、
「お祭りがあるの、よかったらどうぞ是非お出かけください」
とありがたいお言葉を頂戴し、ずうずうしくも参加させていただきました。
ただし、この度のお祭り、メイン会場は小高い山の上にあるお社であります。先代の御住職の夢枕に半僧坊さまがお立ちになられたことから、お社を建て半僧坊さまをお祀りするようになったとのことでありました。

半僧坊大権現さまのお社には副住職がおられ、半僧坊さまについて語ってくださいました。立ち話のような気安さでお話しくださったことに、
【半僧坊大権現】さまは【天狗】さま。元はインドの鳥の神様、【ガルーダ】さまであって、その神様が仏教に取り入れられ【迦楼羅】(かるら)・金翅鳥(こんじちょう)となり、さらには日本では神格化され、神道と結びつきさまざまな神様の眷属として親しまれることとなった、ということであります。
さらにそこから【烏天狗】となり、中世には人格として祀られるようになったのが【半僧坊さま】であるということで、
諸悪を退散させ、良きことをかなえてくださる神様として信仰を集めておられると。
【迦楼羅】が火を吐き、悪龍を退治したことから、焔との結びつきを考え、天狗さまの祀られるところには火防稲荷を祀ることにとなっているということで、こちらの半僧坊の下にも稲荷社がありました。

明治の廃仏毀釈以前はもともと寺院内に神様が祀られていたりしたこともあり、鳥居もあるお社でありますが仏教側の神様なので禁忌はないのだということであるようです。


うかがったお話に忠実に書いているつもりではありますが、なにぶんにも書いている私が咀嚼できていないため、わかりづらいことで申しわけありません。
仏教側の神様、というお話はよく耳にするのですが、奥が深く、私にはまだ到底理解にまでは至らないものであります。
そういった仏教にも神様がおられるのだと単純に覚えてしまうのでよいのかな
 (;ω;`*)

No.80 19/04/15 03:31
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【御朱印】をお受けすることについつい重きをおいてしまいがちになる神社仏閣めぐり。今回半僧坊のお祭りということでお邪魔いたしましたお寺さんでもそういう方が多くて、と御住職がおっしゃっていました。
「それでも寺ってものに興味を抱いてくれてるってことでそれはいいことだと思うんだよね。わざわざこんな片田舎のはじっこにあるような寺に来てくれてるんだ、ほんとありがたいと思うよ。ただ、うちの場合は必ず本堂にあがってお参りをしてから、それならば書きますってことにしてるんだ」
┉ありがたいことであります。
御本堂に入れていただけることだって、お断りされることの方が圧倒的であります。
「御朱印ブームってのかい?だから、1回御朱印をもらったとこにはもう二度と行かないのさね。まあ、月替わりみたいな御朱印を書くお寺さんは別だけど」
御住職のお寺も御朱印がだいぶ増え、いくつかの御朱印があります。御住職のスタイルは御本堂で、目の前に座って、御住職とお話をしながら、といったものであります。
このたびは本来の御朱印の受け方、『納経をしてから』というものもご用意なさっていました。特別な御朱印をご用意され、寄付金をセットしたものなのでそれなりの金額となります。
「それでも、という方や、写経に興味を持つ方が結構いるんだ」

商売!となっているお寺さんもあるし(実際、そういった発言をしていました。「書き入れ時だから頑張ろう」と。)それはお互いの感じ方。
でもやっぱり、最低の礼儀はして欲しいと思っちゃう、生意気な神社仏閣珍道中者であります。┉ 参拝、しようよ。おひるどきや夕方になったら諦めようよ。


No.81 19/04/15 21:02
旅人 ( 匿名 )

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半僧坊で初めてお会いした副住職。
剃髪をまだされていない、法衣を着ていなかったら僧籍におられると思われない方であります。副住職も気さくな方でいろいろ興味深いお話をしてくださいました。

迦楼羅さまやガネーシャさまの絡みから、外国の神様や日本の八百万の神様について語られ、
「神様は死を不浄なものとして忌み嫌うんですよ。だから、神社の宮司さんは神社の敷地内で亡くなるようなことのないように現代でもしてるんですよ。あとは神棚のあるお宅でご不幸があると半紙で目隠ししたり。神様がお怒りになられると恐いですから」
「特に外国の神様は説教をしたくなるほど自由奔放です。ガネーシャという神様は、頭は象、身体は人間というお姿をされているのですが、これは父親であるシバ王がなにかに腹をたててガネーシャの頭を切り落としたところ、母親である妻が怒り狂って抗議をし、あわてたシバ王が首から下となった身体に象の首をすげたところ、母親はその姿で納得したため、今に至るまで全世界でガネーシャの姿は人間、というスタイルが定着されているというんですよ」
「ありえなくないですか?首を切り落としたり、そのあと怒られたからって象の首をすげちゃうって。」
┉はい、びっくりです。

「可愛い牛だと思うとその牛に交尾したゃったり」┉はあぁ?
「説教をしてくれたい!と思っちゃうくらいほんと奔放なんで」はぁたしかに。

まあ、そのあとだから仏教は素晴らしいという話にはもっていかないところはよかった、よかった。

No.82 19/04/16 00:16
旅人 ( 匿名 )

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半僧坊の境内ではお参りをされた方全てにお赤飯をくださり、腕にはミサンガを結んでくださいました。

実はこちらの御住職、何度もインドに出かけ仏跡を訪ねておられ、今年もまたインドに行かれ、ほんの少し前に帰られたところでありました。
御住職が毎回インドに行くと必ず参拝されるのが、お釈迦様が最初に説法をされた聖地の一角にある、仏舎利が奉安されている寺院なのだそうです。その寺院ではお参りすると、住職が左手首にミサンガを結んでくださり、旅の安全と幸せを祈ってくださるのだそうです。
そのインドでのミサンガにあやかって、御住職が厄除開運・交通安全の御祈祷をしてくださった木綿の袈裟色(カラシ色)のものであります。糸が三本なのは仏法僧の三宝をあらわしているそうで、仏教の守護を象徴したものなのだそうです。

寒さのためにまだまだ見頃のさくらをながめながら境内におりると、本堂の斜め前に特設された野点のコーナーがあり、着物を御召しになられた女性がお茶を点ててくださいました。


お赤飯も野点の御茶も、ミサンガも、全てお寺さんのご厚意でありました。なんて贅沢なひとときを過ごしたのでしょうね。檀家の方やお寺の奥さまも「是非来年もお越しください」と口々にお声がけくださいます。なんだか人のあたたかさを感じる、心の豊かな方々に囲まれた、とても素敵な時間でありました。



      平成三十一年四月十四日  参拝



No.83 19/04/16 01:28
旅人 ( 匿名 )

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半僧坊大権現大祭のあと、かねてから気になっていた神社さんにも参拝させていただきました。こちらの神社一ヶ月ほど前から春の大祭があるとのポスターも見かけておりました。
神事もあるとのことでワクワクしながらの参拝であります。
しかしながらこちらの神社さん、気になっていながら今日まで参拝に到らなかった理由が駐車場!どこを見ても駐車場が見当たらないのです。お祭りであれば特設の駐車場を設けたりするかもしれませんし。

んー、こ、ここかぁ(;´・ω・`)
私のクルマ、普通車でもでかいほうでありまして。んー。
交差点のすぐ脇の砂利のしかれたものですが、コンクリートを分厚く敷いたところがありかなりな高低差が見てとれます。切り返しきり返し (  ̄ー ̄)bよしオッケー
車を停めて鳥居を目指して!

(((・・;) ┉みんなお知り合いっぽい方々ばかりです。手には抽選券をお持ちです。 あれ? どちらかというとここらへんにお住まいの方のお楽しみ会的なお祭りみたいです。
まあ、いいか、神様は平等、平等!
で、主祭神様は?┉
御由緒の書かれたような看板は一切見当たらない。
┉。

┉さくらがきれいです。手水舎の鉢は大きな石をくりぬいたもので、流れる水にキラキラと日の光が反射してきれいです。そこにハラハラとさくらの花びらが舞い散っては水面に浮かんでおります。ああ、来てよかった。
そして大きな大きな樫の木が!うわぁ、なんて優しい気に充ちた樹なんだろう。子供たちが樹のまわりでじゃれあったり、話をしています。みんなに愛されている神社さんで樫の木、なんだな。

御朱印はないようですが、初詣と節分追儺、そして今日の春期大祭、秋期大祭にそれぞれこちらで四回朱印をいただいて満願祈願をするという用紙はありました。
抽選券とお菓子の引換券があってお菓子と一緒にお札?御守り?をお受けするようです。
境内では引換券無しでも無料でわたあめ、ポップコーンが配られ、金魚すくいや射的もできるようです。そのほか、焼きそばなどが販売され楽しそうな素敵なお祭りでありました。


お祭りのお礼にもう一度再拝させていただこう。
お祭りの賑やかな雰囲気のなか見逃してしまっていた御由緒が見つかるかもしれない。



No.84

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No.85 19/04/16 05:44
旅人 ( 匿名 )

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追記) こちらの神社さんで金魚すくいをやっていたことを書きましたが、実は拝殿の横で小さな┉四~五歳の男の子が手に持っていた金魚を袋ごと落としてしまったのです、。
…息子さんの悲しそうな顔を気づかうことすらなく、ご両親がそのまま地面に金魚を放置して立ち去って行ってしまったことに、私が気づいたのはずいぶんとあとになってから。
 
弱々しく体を横たえて、ほとんど動かなくなっている金魚。
私は金魚を手づかみにとかが出来ないので、とりあえず容器を求めて金魚すくいのコーナーに助けを求めに走りました。
すると┉、金魚すくいのそばに立っていた若いお父さんが私と金魚すくいの係の方について来てくれて、「かわいそうに」と一言言うとスッと両の手で金魚をやさしく包むように地面から掬い上げ容器に移してくれました。
優しいお顔だちの優しい眼差しをした、物腰の柔らかい言葉少なな若いお父さん。おかげで小さな命が二つ救われました。

金魚の命を命と思わないような輩、若い親たちに激しい憤りをおぼえたけれど、それを帳消しにしてさらに上回るような働きをしてくださった若いおとうさんのおかげで、本当に心暖まる、優しい気持ちになれたお祭りになりました。




       平成三十一年四月十四日 参拝

No.86 19/04/19 22:03
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神社仏閣初心者(何年これを名乗るのか 嘆き)は、当然のことながら、神さまのことも、仏さまのことも、存じ上げないままにお参りだけをくりかえしておるのではありますが、このままではいけないなぁと、時折自分の身の丈にあった神さまや仏さまについて書かれた本を読んだりしております。
悲しいくらい、両のまなこから入って直ぐに後頭部から抜けて出ていくような、そんな状況ではあるのでありますが(T^T)
仏教においては宗派などもあり、宮司さまも御住職さまもほんとに専門職であられるとつくづく思うのであります。

まあ、自分の身の丈にあった本、ついついこれから行きたい神社仏閣について書かれた本であったり、はたまた幸いなことに御朱印ブームであることから御朱印について書かれた本などを手に取ることも多くあります。


多種多様な御朱印が存在しており、私、御朱印においても初心者でありますが、たとえば思ってもみなかったところで御朱印をいただけたりいたします。先日述べました白虎隊の史跡の御朱印もその一つであります。
そして、登山。もともと神さまの住まれる霊山として崇められております御山はそもそもが霊場であり、そこに神社が鎮座することがあることはなんら不思議ではないのでありますが。富士山山頂には富士山本宮浅間神社の奥宮があるようで開山期間中には御朱印がいただくことができるようです。朱に富士の赤土が混ぜてあるため独特な落ちついた赤の朱印だということであります。┉今年の元旦に富士山にお参りされた御朱印仲間のご年配のご婦人に見せていただけないかなぁ┉。
そのほかの日本三霊山の、石川県の白山には白山比咩神社の奥宮が、富山県立山には雄山神社峯本社がそれぞれ鎮座しているようです。こと、白山は白山室堂まで約六キロ、四~五時間の本格登山をし、奥宮はさらに四十分ほど登るとか。


んーん、奥が深いなぁ。

No.87 19/04/20 11:49
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御朱印がブームとなっている現在、限定御朱印というものも数多く存在しております。月替わりの何月限定だったり、正月限定や季節限定であったり。なかには自分の誕生月限定などという限定御朱印まである寺院もあるようであります。絵手紙風の絵が添えられていたり、墨絵や水彩画といった絵が描かれたものもあります。何種類かを集めコンプリートするといただける御朱印もあったり、御朱印のあり方も時代とともに移り変わってきているようです。



限定御朱印が新しい時代のものかといえばそうでもなく。

私は基本限定のものに固執せず、縁あってお受けできたものだけを集めさせていただこうと思っておりましたが、どうしてもどうしてもお受けしたくて、時間ギリギリになってしまい、登り坂を走って走って、到着したときには言葉を発することもできないくらいになってしまい、僧侶の方が驚かれるくらいに息を切らしてお受けした御朱印が一枚ございます。
前スレに書かせていただいた、鎌倉の【円覚寺】さんの国宝舎利殿の御朱印であります。
普段は非公開である舎利殿の貴重な公開日であるのは正月三が日と十一月の三日間宝物風入という行事のとき。さらに、その御朱印をお受けできるのは宝物風入のときだけ、なのであります。
あくまで舎利殿の御朱印であるため、舎利殿でのみお受けすることとなっており、しかも公開の時間が円覚寺さんの閉門時刻よりもさらに早くなっていたため、余裕で御朱印をお受けできると思っていた私は、前述のようなぶざまな有り様での参拝となってしまったのであります。
再拝であるため、舎利殿の参拝自体はスムーズに行え息を整え御朱印の受付に戻ることができましたが、駆け込み寺でもない円覚寺さんに息を切らして駆け込んだおばさんを受付の僧侶の方が覚えていないはずはなく、「息も整って無事ご参拝できてよかったですね」と。
はぁ、すみません。以後気をつけます。
前年は御朱印をお受けするような参拝をしておらず、ゆったりと優雅にお抹茶までいただいたというのに┉一年経っても珍道中なおばさんで申し訳ない。

前スレに書かせていただいてありますが【舎利贍禮】とお書きくださり印を押していただけます。【しゃりせんらい】とお読みし、舎利を礼拝すること、という意味であるようであります。






No.88 19/04/20 12:33
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いつかは参拝しお受けしたい【限定御朱印】

奈良【興福寺北円堂】
通常は柵の外から国宝のお堂を眺めるのみであるこちら、春と秋に期間を限って公開され、弥勒如来、無著・世親像などの国宝仏を拝観することができるようであります。この開扉期間は御朱印をお受けすることができるというもので、限定御朱印と申し上げてよろしいかと。
さらには四国九番札所の【興福寺】さんには南円堂があるそうで、特に南北で対になっているわけではないようではありますが、こだわる方は南北合わせてお持ちなのかもしれませんね。


【薬師寺】
薬師寺でも定期的に国宝の吉祥天画像が公開され、この期間に吉祥天の御朱印がいただけるようです。印はお美しい吉祥天が忠実に写し取られたものであるようです。玄奘三蔵院が公開されている期間は玄奘三蔵の御朱印がいただけるようです。

京都【仁和寺】も通常も数種の御朱印があり、【阿弥陀如来】門跡寺でありますこちらならではの【旧御室御所】【勢至菩薩】などがあるようです。
限定と申し上げていいかと思うのは毎月二十日の薬師如来の御縁日のみお受けできる御朱印。ただしこちらの薬師如来さまは秘仏で御開帳もないようであります。

【東大寺三月堂】の執金剛神御開帳=十二月十六日。

【法隆寺上御堂】(かみのみどう)の公開日=十一月一~三日。

【祇園祭】七月の一ヶ月間に八坂神社と四条御旅所で【祇園御霊会】という御朱印紙がお受けできるとのことであります。
さらに山鉾巡礼の、前々日の宵々山および、前日=宵山には各山鉾のある各鉾町で御朱印を自分で捺すことができるようです。


そうだ、京都にいこう!
みたいな日が来るといいなぁ( 〃▽〃)


No.89 19/04/20 16:55
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涅槃会には休みまでとって、お寺さん巡りまでしたくせに、お釈迦様の御誕生された日とされる四月八日は?
私の住むところはちょうど入学式の日にあたり、ちょうど入学式のお子さんをもつママさんや、入学式のために早帰りになる子どもたちをお持ちのママさんがお休みをとっているため、花まつりにはお休みをとることはできなかったのでありました。

そう遠くはない、何年か先になれば好きなだけ神社仏閣巡りができるはず❤なので。

それになにより、涅槃会であらためてお釈迦様のこと、なんにも知らない自分を思い知りました。以前、手塚治虫の描いた〖ブッダ〗、少しだけ読んだはずだったんだけど、な(;´・ω・`)
なんにも残ってなかった。

お釈迦様。ゴータマ・ブッダ。ゴータマって「最勝」と意訳され「人類中最も優れたもの」って意味だそう。ただこれは、姓、にあたるシャカ族の種族名。もともと生まれながらにそういう姓の家であったということのようです。
約2600年前に実在した人物で、人として初めて“悟り”を得、仏となった、仏のなかで唯一実在の人間だった方。
釈迦牟尼”ともいわれこれは「釈迦族出身の聖者」という意味になるようです。お釈迦様は仏となっただけでなく、自分が獲得した真理=悟りを多くの人に、分かりやすく説き、人々の心を「苦」から解放する道筋を示し、これこそが仏教の始まりとなったのだそうです。

実在した方とはいえ、なにぶんにも2600年前も前のことであり、仏となられた方であることから、伝えられているものは宗教的・信仰的な“真実”を語り伝えられておるため、人間としての釈迦よりも、より超人、仏へと変貌させられているところはあるようであります。


そのお釈迦様の誕生はいかにも宗教詩風であります。おかあさまであられるシャカ族小王国の王の妻、摩耶婦人が、白い象が胎内に入るといった夢をみて身ごもり、お産のための里帰りの途中で突然産気づいて、なんと!右脇腹から釈迦をお産みになったということであります。
どこから産んでも痛いけど、それはそれで痛そうな(;゚д゚)
それがそんな異常分娩だったからかどうか、生後まもなくおかあさまの摩耶婦人は亡くなられております。それゆえお釈迦様は実母の妹にあたる継母に育てられたということでありました。

No.90 19/04/21 01:05
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お釈迦様の誕生された日をなぜ「花まつり」というのかといいますと、お釈迦様がルンビニーという花園で誕生されたからなのだそうで、神々が誕生を祝って大量の花の雨を降らせたとも、竜王が祝福して甘い雨を注いだともいわれているようです。
そのような伝説に基づいて「花まつり」は、誕生仏と呼ばれる釈迦の仏像に花を飾り甘茶を注ぎかけて祝うということであります。


誕生仏と呼ばれる仏像は右手で天を、左手で大地を指さしている、像で、それはお釈迦様が生まれ落ちてすぐに、東に七歩歩んでそのようなポーズをなさり、
『天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
三界皆苦 吾当安此(さんがいかいく ごとうあんし)』
と話された、という伝説に基づいてのもの。
まあ、いかにお釈迦様でも、生まれてすぐに歩き話されるはずはないでしょうが、とは僧侶も話されてはおられることですが┉。

『天上天下唯我独尊』について、実は「唯だ私だけが尊い」という意味をあらわしているのではない、ということを口々に僧侶が語られます。
世間では「天下においても天下においてもただ一人私だけが尊い」と意訳されているが実は決してそうではないのだと。
「唯我独尊」とは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」との意味で、それは、天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いという意味で、我とは釈迦本人のことではなく、人として生まれたすべての者のことなのだということであります。

まあ、たしかにその後お釈迦様が歩まれた軌跡をたどれば、一般的に使われる「唯我独尊」と全く異なるということのほうがしっくりきます。
なに不自由ない一国の王子として生まれ、冬用、夏用、雨期用の三つの宮殿を与えられ、裕福で華美な生活をおくられ、17歳で結婚され正妃との間に一子もいた王子が、29歳でほとんど蒸発のように、地位も身分も財産も捨てて出家され、悟りをひらかれるまでに修行されて苦しむ人々に教えを説いて生きられた方ですから。「生まれつき一番偉いんだよ」なんてカリスマ宣言は決してなさらないと思うのであります。



No.91 19/04/21 06:58
旅人 ( 匿名 )

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真田幸村の旗印、一文銭を六個並べた『六文銭』はテレビの影響か見かける機会がだいぶ増えました。あの旗印、【六地蔵】さまに由来するものだという説を説くものを読みました。

お地蔵さまは仏教的世界観【六道】をあまねく巡回されすべての生き物を救う仏さま。地獄や餓鬼道を錫杖をついて(錫杖の上の環がシャリンと音を立てるのはインドで修行者が虎避けとしていたから、だそう)歩き、賽の河原で子どもを助け、閻魔の法廷では罪人の弁護にあたってくださいます。

本来ひとりのお地蔵さまが六道を巡回するところを、六道それぞれに専門のお地蔵さまがおられるとする考えが【六地蔵】さま。
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、のそれぞれ六道。

幸村の旗印『六文銭』の意味するところは、六地蔵にそれぞれ銭一文を供養として、三途の川の渡し賃とする=死への備え充分という猛虎心を示したもの、ということだと。
死への恐れを感じない武人はただの猪武者、恐れを知りそれを克服して務めを果たすのが真の武士ということで、幸村はそういった機微を知り尽くしているのだという説でありました。

No.92 19/04/21 07:14
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『おばあちゃんの原宿』といわれる東京巣鴨・高岩寺、おばあちゃんという言葉に抵抗感をもつ年頃の私はなかなか足を向けることができずにおりますが、こちらの御本尊は【延命地蔵菩薩】。広く厄除け招福のご利益があるとのことで、毎月4の日(4、14、24日)は参詣者で賑わっているようですよね。
その起源は、江戸時代。
ある武士の妻が病気にかかり、日ごろからお参りしていたこちらに祈ったところ、夢枕にお地蔵さまが現れて印像(印判)をお授けになられ、それを捺印した一万枚の紙を川に流したところ、妻の病気が全快したこと。
針仕事の女が誤って針を飲み込み苦しんでいたとき、その印の捺された紙を水で飲ませたところ、針を吐き出すことができ、針は紙のお地蔵さまの像を貫いていたという。
そのような言い伝えがあって、【とげぬき地蔵】の功徳が知れ渡って、現在に至るということのようです。


┉いつかは?(^-^;

No.93 19/04/21 13:24
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お地蔵さまが身近に感じられるのは、圧倒的にたくさんの御像があることからなのだと思っておりました。がそれはどちらかというと後付けで、お地蔵さまがそれだけ身近に感じられ、お地蔵さまを頼り、お願いをしているからなのだと、お地蔵さまを奉るお寺をまわってみてあらためて思いました。

今とはくらべものにならないくらい、昔は、お産は母親にとっても、赤ちゃんにとっても文字どおりの命がけでありました。そんな時代、安産を願い【腹帯地蔵】【子安地蔵】さまを頼り。生まれてきた我が子の無事と健康を祈るとき【子育て地蔵】【乳授け地蔵】【夜泣き地蔵】に手を合わせ。
不幸にもこの世に生を受けることができなかった子には【水子地蔵】。
子どものそばにいつもお地蔵さまがいらっしゃいます。

ひとたび流行り病などあれば、祈ることしかできなかった時代、石仏のお地蔵さまを削った粉を薬としていたこともあり、その削られた石仏のえぐりとられた様は痛々しいことといったらなかったです。
そんな時代は実は私の母親の子どもの時分まで続いたものであり、それを知ったときも大きなショックでありました。
幼くして亡くなってしまった子どもの成仏を祈るときにも、お地蔵さまが寄り添ってくださいます。賽の河原で石を積むといわれる幼児の地獄での様子はさらに子を亡くした親たちにとっては胸の傷むものであります。自分が代わりたいと思うほど悲しんでいるというのに┉
今とくらべものにならない乳幼児の死亡率。
自分のちからではどうすることもできない、多産多死の社会では、喜びも悲しみもお地蔵さまとともにあり、身近の道ばたのお地蔵さまは心の拠り所であったことでした。
古くからお地蔵さまは庶民が費用を負担し願主となったことも多々あり、だからこそ御像がほかの仏さまより圧倒的に数多くあり、彫る人の気持ち、願主の思いがこもって、より親しみやすいお姿に彫られているのだと思いました。


そして現代にあっても我が子の健やかな成長を祈る気持ちは変わることのないものであり、多種多様化した社会のなか、ことあると人はお地蔵さまにおすがりし、手を合わせているのかもしれません。

No.94 19/04/21 13:45
旅人 ( 匿名 )

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【十三まいり】という習慣があることを、私は小説を通して知りました。それも地域的なものだと思っておりましたが、たしかに、私の住まう辺りではそのような風習は定着していないようで、決して私の生まれ育った家が信心深くない家庭だったから、ではないようです。
小説は関西地方を描いたもので、現代においても広く親しまれているのは関西地方のようであります。
数え年十三歳になった子どもが、旧暦の三月一三日、親に連れられて虚空蔵菩薩さまにお参りする行事をいうようです。虚空蔵さんに知恵を授けてもらうため、「知恵まいり」「知恵もらい」などとも呼ばれるようです。
なかでも有名なのが“嵯峨の虚空蔵さん”として知られる京都嵐山の中腹にある【法輪寺】さん。
法輪寺へは渡月橋を渡って行くようですが、お参りの帰り道、「渡月橋を渡り終えるまで、決して後ろを振り返ってはいけない」と言われているようです。振り返るとご利益が失せる、知恵をお返ししてしまうと言われているためなようです。

数えの十三歳、干支が初めて一巡し、こと昔は育ちづらい子ども時代をようやく終え、精神的にも肉体的にも大人への一歩。めでたいめでたい儀礼でもありましょう。


┉私に知恵が足らないのは┉
十三まいりをしなかったせい? (;´・ω・`)

No.95 19/04/21 17:18
旅人 ( 匿名 )

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知恵を授けてくださる【虚空蔵菩薩】さま。
一度見聞きしたものは絶対に二度と忘れないという、驚異的な記憶力を得る〖虚空求聞持法〗という行法があるということで、その行でお祀りするのが虚空蔵菩薩。弘法大師空海がこの修行を成し遂げたことで有名なのだそう。

虚空蔵菩薩像は、虚空蔵求聞持法を行う際の本尊は右手は与願印という印を結び┉というか与えるために開いた掌を相手に向けており、そうした特別な御仏像以外は右の手に剣を、左手には如意宝珠をもち、五仏のついた五智宝冠をかぶられておられるそうで、蓮華座にお座りになられているのが【虚空蔵菩薩像】、ということです。

お寺などをまわって御本堂で一緒になった方ですとか、仏像展に来ている方などはもうその形でどの仏さまであるかわかっておられる方が多く、私のようにお参りの作法からわからずにいる者とはくらべものになりません。


そういった方々はまさに【十三まいり】をしたのかなぁ (;´・ω・`)


暗記することを「そらんじる」とか「そらで覚える」というのは虚空蔵の空から転じたものだとか。
私はすでに覚えるどころか、覚えていたはずのものすら抜け出ていってしまうのですが┉。
虚空蔵菩薩さまに五十代の後半にさしかかった私がお参りして、なんとか認知症を食い止めることはできるのかなぁ(;ω;`*)

No.96

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No.97 19/04/22 20:26
旅人 ( 匿名 )

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┉鎌倉三十三観音札所巡りをまだまだ道半ばでありますが、お参りさせていただきつつ、御朱印をお受けしております。
が、始めたときに観音札所巡りがどのようなものか、しっかりと理解して始めたわけではなく、お参りのひとつの目標くらいの感覚で巡り始めております。

鎌倉に憧れて憧れて、ようやく鎌倉に行くことが叶い、御朱印の存在くらいは知っていたものの、まだ自分御朱印をお受けするほどの資格がないという自覚は持っていたため、いつか、少しは神社さんやお寺さんにくわしくなったなら❤と、御朱印はお受けせずにお寺さんをまわらせていただいておりました。
まだまだ、資格があるかどうか、甚だあやしいものではあるのですが、とりあえず御朱印をお受けする最低限のマナーくらいはなんとかなりそうだと、再拝となる【杉本寺】さんからスタートいたしました。杉本寺さんが一番札所で、そこから始めさせていただくと、発願印を捺していただけるということで、初めての御朱印、発願印にたいへんワクワクいたしましたものです。

【納め札】を知ったのも、ことし秩父三十四所観音霊場を巡りだせたらいいな、と思って調べて、初めてその存在を知ったくらいでして┉。
杉本寺さんには、鎌倉三十三観音札所用の納め札が置かれているようです。┉気づかなかった(^-^;



鎌倉の観音霊場を巡らせていただくにせよ、秩父の観音霊場を巡らせていただくにせよ、まず、もう少しは観音さま【観音菩薩】さまを、もう少しは知っておきたい、知っておかなくては、と思っております。

No.98 19/04/22 22:14
旅人 ( 匿名 )

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【観音】【観世音菩薩】はその名を唱えるのを聞いて、悩みや悲しみを慈悲の心で救い、願いをかなえてくれるという仏さま。その時、観世音菩薩さまはその者の悩みや祈願に応じて三十三に姿を変えて救ってくださると言います。
例えば柳の枝を持つ【楊柳観音】、白い衣の【白衣観音】籠を持つ【魚籃観音】、【滝見観音】、【施薬観音】、月を眺める【水月観音】、岩に膝をつく【延命観音】、岩戸に座る【岩戸観音】香炉を持つ【瑠璃観音】等々、三十三のお姿があるとされ、三十三観音、というわけです。

実際に三十三のお姿の石仏のあるお寺さんや、洞窟内にたくさんの石仏の彫られた群馬県の高崎市にある【洞窟観音】などは、そのお姿ひとつひとつが素晴らしく、私などはいつまでも見ていたいと思ってしまうのでありますが┉。


三十三観音札所は、実は三十三のお姿の観音さまが三十三ヶ所のお寺さんにそれぞれおられる、というわけではなく、いくつものお寺さんで┉たとえば聖観音さまが奉られていたり、十一面観音さまが奉られていたり、なのであります。
そう、もちろんこの私、三十三のお姿の観音さま巡りなのだと思っておりましたので、そうでないことに気づいてびっくり!

悩みを払い、または現世利益を求めて願をかけ札所をめぐる観音札所巡礼は、鎌倉時代初期には西国三十三観音札所や板東三十三観音札所が開かれたようです。
現代の鎌倉三十三観音札所の歴史ははっきりとした資料がなく成立年代など不明ですが、お寺などで聞くと大正から昭和初期にかけて成立したのではないかと思われるということであります。

No.99 19/04/23 06:56
旅人 ( 匿名 )

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【鎌倉三十三観音札所とそこにおられる観音さま】

一、  杉本寺  十一面観音
二、  宝戒寺  准胝観音
三、  安養院  千手観音
四、  長谷寺  十一面観音
五、  来迎寺  如意輪観音
六、  瑞泉寺  千手観音
七、  光触寺  聖観音
八、  明王院  十一面観音
九、  浄妙寺  聖観音
十、  報国寺  聖観音
十一、 延命寺  聖観音
十二、 教恩寺  聖観音
十三、 別願寺  魚籃観音
十四、 来迎寺  聖観音(子育観音)
十五、 向福寺  聖観音
十六、 九品寺  聖観音
十七、 補陀洛寺 十一面観音
十八、 光明寺  如意輪観音
十九、 蓮乗院  十一面観音
二十、 千手院  千手観音
二十一、成就院  聖観音
二十二、極楽寺  如意輪観音
二十三、高徳院  聖観音
二十四、寿福寺  十一面観音
二十五、浄光明寺 千手観音
二十六、海蔵寺  十一面観音
二十七、妙高院  聖観音
二十八、建長寺  千手観音
二十九、龍峰院(建長寺内)  聖観音
三十、 明月院  聖観音  
三十一、浄智寺  聖観音 
三十二、東慶寺  聖観音
三十三、佛日庵(円覚寺内)十一面観音


三十二のお寺さんを巡って、お会いできる観音さまのお姿は上記いたしましたが、お姿としては限られるものではあるようです。
まだまだ道半ば、お会いできていない観音さまに早くお会いできますように(。-人-。)

No.100 19/04/24 01:44
旅人 ( 匿名 )

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平成の御代がまもなく終わります。
陛下はお生まれになられたときからすでに決められた道を歩むしかなく、終戦とともに【象徴】などという曖昧な存在として生きることとなり、それはどんな存在であるのか、誰にもわからないまま、美智子妃殿下と文字通り手をとり、懸命に、そして誠心誠意、御公務をおこなって来てくださいました。

宮中の行事が、ここ最近テレビで放映されることがあり、国民のためにこんなにも祈りを捧げてくださったことを知りました。そしてその上で、ことあれば一刻も早くにと被災地に出向いてくださいました。


ありがたい。
本当にありがたいことにございます。

私は昭和の生まれですので、さほど平成の終わることに感慨もなくおりますが、陛下にとってお身体にご負担のかかっていた御公務からの解放となられますことは心より嬉しく思っております。

どうかこれからは美智子さまと二人、御公務を離れた楽しい旅行やテニスなどをなさってお過ごしくださいますように。


私はといえば
平成最後の日、どこかのお寺さんで黙想して過ごせたらいいなぁ。

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