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オーストリア人

レス48 HIT数 2301 あ+ あ-

旅人( ♂ )
19/10/09 23:30(更新日時)

オーストリア人の有名人(歴史の初めから現代まで)を、5人挙げて下さい。

他人の回答した人物と重なっても構いません。あくまで自分が知っているオーストリアの有名人を5人まで。5人以下でもOK。ただなるべくネットや参考書などを見ないでお願いします。

・注…歴史的その他の理由で、ドイツ、チェコ、ハンガリー等と重なるような人物もOKです。人種は白人でも黒人でもその他でも構いません。

またオーストラリア(豪州)人/オージーと間違えないようにお願いします。

では宜しく。皆さんのオーストリアに対する知識、またオーストリアの歴史、文化の日本における知名度をぜひ知りたいので。




18/09/27 22:04 追記
本題から外れた書き込み、知的レベルの低さによるヤジなどは荒らしと見なします。

No.2717186 18/09/27 21:32(スレ作成日時)

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No.1 18/09/27 21:36
匿名1 

カテゴリー違いです

  • << 5 他のカテゴリーは1日に2スレまでなので、こちらをサイト側から勧められました。(他のカテゴリーで試して下さい、とありましたので悪しからず)

No.2 18/09/27 21:45
ヒマ人2 

なんの意識調査なの?


オーストリア→ヴィトゲンシュタイン

ロシア→メンデレーエフ

ドイツ→カント カントはプロイセンか?ならショーペンハウアーで


  • << 4 ヴィトゲンシュタインは正しいですね。 ショーペンハウアーは現ポーランドのダンツィヒ/グダニスク生まれの、プロイセン/ドイツ人です。 科学者、音楽家、心理学者、ハリウッドスターなどにオーストリア人はまだまだ居るはずですよ。

No.4 18/09/27 22:09
旅人0 ( ♂ )

>> 2 なんの意識調査なの? オーストリア→ヴィトゲンシュタイン ロシア→メンデレーエフ ドイツ→カント カントはプロイセ… ヴィトゲンシュタインは正しいですね。

ショーペンハウアーは現ポーランドのダンツィヒ/グダニスク生まれの、プロイセン/ドイツ人です。


科学者、音楽家、心理学者、ハリウッドスターなどにオーストリア人はまだまだ居るはずですよ。

No.5 18/09/27 22:16
旅人 ( ♂ )

>> 1 カテゴリー違いです 他のカテゴリーは1日に2スレまでなので、こちらをサイト側から勧められました。(他のカテゴリーで試して下さい、とありましたので悪しからず)

No.6 18/09/27 22:41
匿名6 

ショパン モーツァルト 

No.7 18/09/27 23:04
旅人 ( ♂ )

>> 6 モーツァルトはOK。ドイツ国境に近いザルツブルク生まれだから、ドイツ人だけはドイツ人だと主張して、オーストリア人と喧嘩するけれど。

ショパン? Chopinはフランス名。生まれはポーランドのワルシャワ近郊。父がフランス人、母がポーランド人。

オーストリア帝国はポーランド南東部も支配していましたが、ワルシャワなど中部は当時ロシアの支配下。

でも彼はポーランド愛国者でロシアを憎み、亡命してフランスで残りの半生を送ったから、ポーランド人は絶対にポーランド人だと主張。
他方フランス人はフランス人、またはポーランド系フランス人と主張。

難しい取り合いだけど、オーストリアは殆ど関係なし。ってか、あの時代にオーストリアやドイツ、イタリアと殆ど係わりなかった音楽家は珍しい。

No.8 18/09/27 23:27
妖怪かに男 ( 3NK01b )

モーツァルトしか知らない

No.9 18/09/27 23:46
旅人 ( ♂ )

>> 8 きっと今のオーストリアが昔の8分の1の領土で、地味な中立国だから、実際に超有名人でも、それがオーストリア人だと知らないケースだらけでは?

ヒント…・殺人アンドロイドの癖にカリフォルニア知事に成ってしまった人。

・精神分析の創始者。

・革命でギロチンで死んだ偉い人。

・音速の単位。

・遺伝の法則の人。

・最近はミクルでもあちこち質問してる、空気が全く読めない病気の発見者。

・そして、そして、あの第二次大戦で一番有名な人も。目下、史上最大3悪党の1人と皆が言うお方(笑)
日本ではタブーじゃ無いけれどね。

No.10 18/09/27 23:50
妖怪かに男 ( 3NK01b )

>> 9 マリーアントワネット?ルイ14世?

ダメだ、全然わからないや😃

  • << 12 マリーさんは大当たり! ルイ14世はオーストリア最大の敵。 あの当時、西洋の東西大国と言えば、パリが首都の国と、ウィーン首都のオーストリア。まあオスマン・トルコも強かったが、やや落ち目開始。 イギリスとロシアは大国への道半ば。 プロイセン? 「チンは国家なり、だがそんな国家を知らず」レベル。 まあ半世紀後には、「君主は国家第一のシモベ」と言った偉い王さまがプロイセンを大国化させるが。 少しヒント。よく最近きくアス〇の人。そのアス(尻じゃ無いよ-笑-)で始まる病気の発見者で、病名にも成った人とかは? エディプスコンプレックス等々、心の病気を全てエロが原因だと考えた人は? ボディービルダーでまさかのカリフォルニア知事に成った人は? 二十世紀最大の独裁者で、ムッソリーニの友人かつライヴァルは? 歌曲「魔王」の作曲者は? 次いでにワルツの王さまは? 等々……

No.11 18/09/27 23:58
ヒマ人11 ( ♂ )

旧トヨタカップで来日してクラブ世界一になった独の名門ドルトムントでレギュラーだったオーストリア代表DFファイヤージンガー?だったかな?

  • << 13 アナタは偉い❗ そう彼。 あと意外にオーストリアって個々にはいいサッカー選手居るんだけど、代表になるといつもイマイチ。ってかヘタレ。いつも落胆のみ。 まあドイツとイタリアに挟まれ、西隣のスイスも最近強くなったから、余計ヘタレに見えてしまう。FIFAランキング24位の割には。 オーストリアの近辺には、チェコ、スロヴァキア、クロアチアなど常にダークホースに成れる国々も沢山あるし、予選でスウェーデン辺りをボコしても、なかなか上に行かれない。 でも第二次大戦前はサッカー母国イングランドに次いで常に二番目に強い国だったのね。 ナチス・ドイツの代表と試合して常に勝つもんだから、最良の選手(ユダヤ系でもあった)が多分ナチスに暗殺されたり、と。 フランス大会前後ならばポルスター、ヘルツォーク(公爵って意味で苗字は格好いい)、その後は低迷期だったがJリーグに居たバスティッチ、近年また、まあまあ強くなり、岡崎のチームメートだったレスターの名選手フックス、あとハルニク、そして希代のバイエルン・ミュンヘンの名選手ア〇〇(父ナイジェリアのラッパー、母フィリピン人のオーストリア国籍の天才)も居るね。

No.12 18/09/28 00:40
旅人 ( ♂ )

>> 10 マリーアントワネット?ルイ14世? ダメだ、全然わからないや😃 マリーさんは大当たり!

ルイ14世はオーストリア最大の敵。

あの当時、西洋の東西大国と言えば、パリが首都の国と、ウィーン首都のオーストリア。まあオスマン・トルコも強かったが、やや落ち目開始。
イギリスとロシアは大国への道半ば。
プロイセン?
「チンは国家なり、だがそんな国家を知らず」レベル。

まあ半世紀後には、「君主は国家第一のシモベ」と言った偉い王さまがプロイセンを大国化させるが。


少しヒント。よく最近きくアス〇の人。そのアス(尻じゃ無いよ-笑-)で始まる病気の発見者で、病名にも成った人とかは?

エディプスコンプレックス等々、心の病気を全てエロが原因だと考えた人は?

ボディービルダーでまさかのカリフォルニア知事に成った人は?

二十世紀最大の独裁者で、ムッソリーニの友人かつライヴァルは?


歌曲「魔王」の作曲者は?


次いでにワルツの王さまは?

等々……

  • << 20 ウィーンってそれほど栄えた都市だったんだね。 プロイセンってドイツだっけ? 💦 アス?アス○ールだろo(^-^)o アスぺかぁ~。 シュワルツネッガーってオーストリア人だったんだ。 アメリカ国籍は取得してるんだろうけど、二重国籍!? オーストリア国籍を持っていても、アメリカの知事になれるんだね。 魔王?モーツァルト? ワルツの王様?ショパン?リスト? シューベルト、シューマン、ドヴォルザークとか、クラシックの作曲家はオーストリア辺りが多いんだろうけど。

No.13 18/09/28 01:48
旅人 ( ♂ )

>> 11 旧トヨタカップで来日してクラブ世界一になった独の名門ドルトムントでレギュラーだったオーストリア代表DFファイヤージンガー?だったかな? アナタは偉い❗

そう彼。

あと意外にオーストリアって個々にはいいサッカー選手居るんだけど、代表になるといつもイマイチ。ってかヘタレ。いつも落胆のみ。

まあドイツとイタリアに挟まれ、西隣のスイスも最近強くなったから、余計ヘタレに見えてしまう。FIFAランキング24位の割には。

オーストリアの近辺には、チェコ、スロヴァキア、クロアチアなど常にダークホースに成れる国々も沢山あるし、予選でスウェーデン辺りをボコしても、なかなか上に行かれない。

でも第二次大戦前はサッカー母国イングランドに次いで常に二番目に強い国だったのね。

ナチス・ドイツの代表と試合して常に勝つもんだから、最良の選手(ユダヤ系でもあった)が多分ナチスに暗殺されたり、と。


フランス大会前後ならばポルスター、ヘルツォーク(公爵って意味で苗字は格好いい)、その後は低迷期だったがJリーグに居たバスティッチ、近年また、まあまあ強くなり、岡崎のチームメートだったレスターの名選手フックス、あとハルニク、そして希代のバイエルン・ミュンヘンの名選手ア〇〇(父ナイジェリアのラッパー、母フィリピン人のオーストリア国籍の天才)も居るね。

No.14 18/09/28 04:16
匿名14 

勉強になります。
音楽家が多そう。

  • << 19 有り難うございます。アナタにそう言って頂くだけでもスレ立てた甲斐がありました。 まあ20世紀後半までのウィーンは、音楽界にとって、映画界のハリウッドみたいな場所だったから、沢山、他国からも音楽家が集まり、その中からオーストリア人を探し出すのが難しいくらい(笑) でも音楽以外に、医学(特に精神関係)、物理学、俳優、政治家(ピカ一で有名らしいヒトラーを除いても)、画家、F1レーサー、アルペンスキーヤー等々、有名なオーストリア人は意外に多い。 でもこういう分野は男性向きかな~? 因みに国民の人口に対するノーベル賞受賞者数は、世界一らしい…

No.15 18/09/28 08:17
匿名6 

アスペルガー




  • << 17 おお、やっと出ました! 彼、ナチス時代にオーストリアの小児科医師として、アスペ症候群を発見したけど、ドイツ&オーストリアの敗戦で、英米仏などで長く無視されてきた。 1970年以降かな、真面目に彼の説が研究され出したのは? お陰でアスペの人々に対する理解やケアが半世紀遅れたとも言われてますね。

No.16 18/09/28 08:55
名無し16 

アドルフヒトラー

ハプスブルク家
(人物じゃないけど)

  • << 18 遂にバレてしまった😢 いやアドルフの方ね。 彼はドイツ国境が目の前のオーストリア(上オーストリア州)のブラウナウ出身。父親が国境管理官だった。 その後、州都リンツで中学、高校に通い、オーストリア帝国首都ウィーンに出て美術大学を受験するが、失敗。 ニートになり、無料のニートらの寮に入る。(つまり百年以上前のあの時代に福祉がかなりあったわけだ!) この頃、反ユダヤ思想に目覚めた、と「我が闘争」には有りますが、本当か? あと、多民族のオーストリア帝国を嫌い、しばらくしてドイツのミュンヘンに逃亡。オーストリアの徴兵を逃れまくる。 だが第一次大戦が始まると、志願してドイツ軍に入る。彼はドイツ民族の国粋主義者だったからだ! 大戦後ナチ党に入り、演説の上手さから党首に成る。ただしずっと後に、44歳でドイツ首相に成る少し前まではオーストリア国籍のまま。 後は12年間の独裁者時代(後半の5年間は第二次大戦とカブる)を経てベルリンで自殺。 なおオーストリアとドイツは、互いにヒトラーを相手に押し付けあってる。 逆にベートーヴェンは取り合っている。 左翼が多いベルリンなどで、オーストリアはヒトラーゆえに嫌われている。 戦後のナチ戦犯処罰や非ナチ化も、ドイツはかなり徹底したが、オーストリアは長く曖昧に。 今も西欧では唯一、保守党と右翼党の連立政権。右翼が政権に入っている珍しい国。 ハプスブルク家は元々スイス出身の貴族だったが、オーストリアを中心拠点にし、皇帝となりヨーロッパ中をアチコチ支配していたから、オーストリア人でOK。 発祥地スイスでは独立戦争に敗れ、追い出されたし。(アニメなら狼の口など参照…) でも第一次大戦敗戦によりオーストリアからも追い出され、その後もオーストリア皇帝位要求を放棄していないから、普段はオーストリアに入れないと言う変わった「ハプスブルク法」がオーストリアには有ります💦

No.17 18/09/28 11:11
旅人 ( ♂ )

>> 15 アスペルガー おお、やっと出ました!

彼、ナチス時代にオーストリアの小児科医師として、アスペ症候群を発見したけど、ドイツ&オーストリアの敗戦で、英米仏などで長く無視されてきた。

1970年以降かな、真面目に彼の説が研究され出したのは?

お陰でアスペの人々に対する理解やケアが半世紀遅れたとも言われてますね。

No.18 18/09/28 11:40
旅人 ( ♂ )

>> 16 アドルフヒトラー ハプスブルク家 (人物じゃないけど) 遂にバレてしまった😢

いやアドルフの方ね。

彼はドイツ国境が目の前のオーストリア(上オーストリア州)のブラウナウ出身。父親が国境管理官だった。
その後、州都リンツで中学、高校に通い、オーストリア帝国首都ウィーンに出て美術大学を受験するが、失敗。
ニートになり、無料のニートらの寮に入る。(つまり百年以上前のあの時代に福祉がかなりあったわけだ!)

この頃、反ユダヤ思想に目覚めた、と「我が闘争」には有りますが、本当か?

あと、多民族のオーストリア帝国を嫌い、しばらくしてドイツのミュンヘンに逃亡。オーストリアの徴兵を逃れまくる。
だが第一次大戦が始まると、志願してドイツ軍に入る。彼はドイツ民族の国粋主義者だったからだ!

大戦後ナチ党に入り、演説の上手さから党首に成る。ただしずっと後に、44歳でドイツ首相に成る少し前まではオーストリア国籍のまま。
後は12年間の独裁者時代(後半の5年間は第二次大戦とカブる)を経てベルリンで自殺。

なおオーストリアとドイツは、互いにヒトラーを相手に押し付けあってる。
逆にベートーヴェンは取り合っている。

左翼が多いベルリンなどで、オーストリアはヒトラーゆえに嫌われている。

戦後のナチ戦犯処罰や非ナチ化も、ドイツはかなり徹底したが、オーストリアは長く曖昧に。

今も西欧では唯一、保守党と右翼党の連立政権。右翼が政権に入っている珍しい国。


ハプスブルク家は元々スイス出身の貴族だったが、オーストリアを中心拠点にし、皇帝となりヨーロッパ中をアチコチ支配していたから、オーストリア人でOK。

発祥地スイスでは独立戦争に敗れ、追い出されたし。(アニメなら狼の口など参照…)

でも第一次大戦敗戦によりオーストリアからも追い出され、その後もオーストリア皇帝位要求を放棄していないから、普段はオーストリアに入れないと言う変わった「ハプスブルク法」がオーストリアには有ります💦

No.19 18/09/28 13:52
旅人 ( ♂ )

>> 14 勉強になります。 音楽家が多そう。 有り難うございます。アナタにそう言って頂くだけでもスレ立てた甲斐がありました。

まあ20世紀後半までのウィーンは、音楽界にとって、映画界のハリウッドみたいな場所だったから、沢山、他国からも音楽家が集まり、その中からオーストリア人を探し出すのが難しいくらい(笑)

でも音楽以外に、医学(特に精神関係)、物理学、俳優、政治家(ピカ一で有名らしいヒトラーを除いても)、画家、F1レーサー、アルペンスキーヤー等々、有名なオーストリア人は意外に多い。
でもこういう分野は男性向きかな~?

因みに国民の人口に対するノーベル賞受賞者数は、世界一らしい…

No.20 18/09/29 01:08
妖怪かに男 ( 3NK01b )

>> 12 マリーさんは大当たり! ルイ14世はオーストリア最大の敵。 あの当時、西洋の東西大国と言えば、パリが首都の国と、ウィーン首都のオ… ウィーンってそれほど栄えた都市だったんだね。
プロイセンってドイツだっけ? 💦

アス?アス○ールだろo(^-^)o
アスぺかぁ~。

シュワルツネッガーってオーストリア人だったんだ。
アメリカ国籍は取得してるんだろうけど、二重国籍!?
オーストリア国籍を持っていても、アメリカの知事になれるんだね。

魔王?モーツァルト?

ワルツの王様?ショパン?リスト?
シューベルト、シューマン、ドヴォルザークとか、クラシックの作曲家はオーストリア辺りが多いんだろうけど。

No.21 18/09/29 02:42
旅人 ( ♂ )

>> 20 >ウィーンってそれほど栄えた都市だったんだね。

今でも世界一暮らしやすい都市との英米の研究発表が出ています(笑)

>プロイセンってドイツだっけ?

プロイセンは19世紀半ばにオーストリアとの戦争に勝ち、更にナポレオン3世のフランスにも勝って、ドイツ全体を統一した北東ドイツの強国。
統一時にオーストリアは排除され、ここにドイツとオーストリアが完全に別の国となる。
逆にオーストリアが勝っていたら、オーストリア皇帝がドイツ皇帝を兼ね、プロイセンが別の国に成ったかも。

どうせプロイセン自体は現リトアニア、ポーランド北部西部、ベルリン中心のブランデンブルク地方、西部ドイツのライン川地方を領有した国。現ドイツよりかなり東欧寄り。
(サッカーでドルトムント等にボルシアと付くが、これはプロイセンと言う意味)

アスペルガーはオーストリアの小児科医。

シュワルツェネッガーはオーストリア出身。
アメリカは大統領だけアメリカ生まれで無いと成れないが、他は二重国籍で外国出身でもOK。

他に映画ファンならオスカー(アカデミー賞)2度獲得のクリストフ・ヴァルツ、戦争映画好きならマキシミリアン・シェル、ヴィスコンティ映画好きならロミ・シュナイダー、ヘルムート・ベルガー(バーガー)等が有名。


魔王の作者はシューベルト。31歳で無くなった天才。珍しくウィーン生まれウィーン没。

ワルツの王様はヨハン・シュトラウス父子。

リストは自らハンガリー人と主張したが、父ドイツ人、母オーストリア人で母語がドイツ語。生まれも現オーストリア領。
ハンガリー語は一般日本人が喋る英語より下手(笑)
フランス、ドイツ、イタリアにも長く住んだから、オーストリア出身のヨーロッパ人か!?

シューマンはドイツ人。

ドヴォルザークは今のチェコ出身だが、チェコは彼の時代にはオーストリア領だし、彼自身、当然オーストリア国籍だったから、オーストリアではオーストリア作曲家と教えている。

後、音楽だけ少しネタバレすれば、ハイドン、ブルックナー、マーラー、現代音楽の開祖シェーンベルクなどがオーストリア人。
ベートーヴェンも生まれが現ドイツのボンだが、二十歳過ぎから死ぬまでウィーンに住み、作品(名曲)は全てウィーンで作曲したから、事実上はオーストリア人♪

No.22 18/10/03 14:47
旅人 ( ♂ )

>> 21 美術について。
自力で回答したい方々は、下のネタバレを見ないで下さいね。






クリムト、ココシュカ、エゴン・シーレ、オットー・ワーグナー、フンダートヴァッサー(百水)等。

あと音楽のドボルザークと似て、今はチェコだけど生まれ育ち&活躍時代はオーストリア帝国だったケースとして、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)も。

つまりオーストリア人は、ゲルマン系ではドイツ人より美的センス良く、フランス人に近い。

特に世紀末、つまりアールヌヴォー(仏語)/ユーゲントシュティール(独語)では、今でもウィーンの街中にその雰囲気を残すから、世界一。

ああ、あともう1人の画家を忘れていました。
時代遅れの作風で、美術大学落第したアドルフ・ヒトラー(笑)

No.23 18/10/10 21:59
旅人 ( ♂ )

科学、精神医学等

自力で書きたい人は下を見ないでね😉












メンデル(遺伝法則)、マッハ(音速の単位になる)、ドップラー(ドップラー効果)、フロイト、アドラー、フランクル、アスペルガー(以上、精神医学&心理学)、シュレーディンガー(量子力学の大家)、ラントシュタイナー(血液型発見者)、等々。

No.24 18/10/13 10:10
旅人 ( ♂ )

政治・軍事関係。今、思いつく主な人々。

自分で考えたい人は下を見ないで。












中世から第一次世界大戦まで

レオポルト公(英国王リチャード1世ライオンハートと十字軍で揉めて、帰路に監禁。多大な身代金を英国から得る)

皇帝ルードルフ1世(ハプスブルク帝室の開祖)

皇帝フリードリヒ3世

皇帝マキシミリアン1世

皇帝カール5世(スペイン、ベネルクス、イタリア含むヨーロッパ半分を支配。またスペインの世界中の植民地も支配した史上最も領土が大きかった君主の一人)

プリンツ・オイゲン(公。オスマントルコと戦い、東欧、バルカンの多大な領土をオーストリアに帰属)

皇帝カール6世(男子に恵まれず、死後の為にプラグマティッシェ・サンクツィオンを定めるが…)

(女帝)マリア・テレジア…その娘。女性であることから、各国が攻めこむ口実を与えたが、実質、プロイセンにシュレジェン取られた以外、領土を守りぬいた。

皇帝ヨーゼフ2世(啓蒙君主)

マリー・アントワネット…マリア・テレジアの娘で、ヨーゼフ2世の妹。オーストリア(ドイツ語)名マリア・アントニーナ。

シュヴァルツェンベルク侯…ナポレオンと戦い破った将軍

アンドレアス・ホーファー(チロルでナポレオンに激しく抵抗。彼を大変手こずらせた。)

メッテルニヒ侯…ナポレオン敗退後のウィーン会議を仕切り、ヨーロッパ政治の中心に。

皇帝フランツ2世…最後の神聖ローマ皇帝で、オーストリア皇帝としてはフランツ1世。

シュヴァルツェンベルク侯…こちらは将軍でなく政治家。オーストリアによるドイツ統一の半ばに死去。


皇帝フランツ・ヨーゼフ1世

皇后エリーザベト(シシーの渾名で有名)

皇太子ルードルフ(恋人と心中。マイヤーリンクの悲劇)

皇太子フランツ・フェルディナント(1914年、サラエボでセルビア青年により暗殺。第一次世界大戦のキッカケとなる。)


以上。第一次世界大戦以後は、また後で👍

  • << 48 何だ! 古代の重要人物を書かなかったとは。 マルクス・アウレリウス帝(ローマ皇帝で哲学者。紀元180年にウィーンで病没。なお当時、オーストリアはローマ帝国の3つの州からなり、西からチロルはラエティア州、サルツブルクからウィーンの西部近郊-ウィーンの森の西部-まではノリクム州、ウィーンとそれより東はハンガリーと同じパンノニア州に分かれていた。マルクス・アウレリウス帝は長年、ウィーンでドナウ川の北に攻め寄せる蛮族と戦争し勝利したが、ウィーンで病没) アッティラ(5世紀のフン族の大王。ロシアからヨーロッパ北半分にかけて大帝国を建てるが、本拠地はハンガリー平原とその西端にあるウィーン及びその近郊) 彼らはオーストリア人とは呼べないが(特にアッティラ。ただ東部オーストリアは彼の本拠地の一部)、マルクス・アウレリウス帝はウィーン市民に愛され、大時計台に現れる12人の人形の一番最初の人物。ウィーンやその郊外にはマルクス・アウレリウス帝にちなんだ地名や遺跡が数多くある。

No.25 18/10/13 21:11
旅人 ( ♂ )

>> 24 主に第一次世界大戦以後の政治・軍事関係。












トラップ大佐(サウンド・オヴ・ミュージックの実在した人)

カール・ルェーガー(第一次世界大戦前のウィーン市長。反ユダヤ主義者で有名。地方から出てきた若いヒトラーに影響与えたらしい)

ドルフス(ムッソリーニの友人で戦後オーストリアにファシズムを立てるがナチスに暗殺)

アドルフ・ヒトラー(コメント必要なしの超有名人。ドイツと押し付け合い)

クーデンホーフ=カレルギー(明治日本に領事とし来て初めて日本女性と結婚した西洋人。少なくとも貴族で。帰国後、妻ミツコと広大な領土に住む。彼の思想は後のEUにつながる)

ザイス=インクヴァールト(ナチス・ドイツのオランダにおけるゲシュタポ支部長。アンネ・フランクの逮捕と関連)


オットー・スコルツェニ中佐(第二次世界大戦でヨーロッパ一危険な男と連合軍に呼ばれたナチスのランボー)

アーモン・ゲート(収容所長。シンドラーのリストで有名)

オスカー・シンドラー(生まれはドイツ帝国ではなく、オーストリア帝国)

カール・レンナー(敗戦後の4国分割で首相務め、上手くソ連の魔の手から祖国を守る)

オットー・ハプスブルク(21世紀まで生存したハプスブルク家の末裔。EU統合に努力)

ブルーノ・クライスキー(戦後のカリスマ首相)

シーモン(サイモン)・ヴィーゼンタール…ナチ戦犯ハンター。ウィーンでずっと戦犯の情報収集、通報。死後、彼の組織はアメリカに移動、単なるユダヤ圧力団体に)

クルト・ワルトハイム(国連事務総長へてオーストリア大統領。だが若い時ナチス突撃隊将校でユーゴでユダヤ人迫害と暴露)

ヘルムート・ツィルク(ウィーン市長。親日で寅さんのキヨシ・アツミの親友。彼の尽力でウィーン21区は東京都葛飾区と姉妹関係)

イェルク・ハイダー(両親をナチとし右翼政党"自由党"を率い21世紀初めに保守党と連立内閣。他のEU諸国の圧力で首相辞退)

クルツ(現首相。わずか31歳。先進国で最年少。保守の国民党党首で右翼の自由党と連立政権)

カール・ハプスブルク(現ハプスブルク家当主。オーストリア皇帝位要求を破棄していない)


他に第一次世界大戦前でエステルハージ(オーストリア帝国最大の貴族)、アルブレヒト大公、カウニツキ伯爵、ラデツキー将軍等々。

No.26 19/08/02 13:04
旅人 ( ♂ )

ドイツ人 フランス人 ロシア人 ギリシャ人 のスレにそれぞれの国の言語について説明したから、最後にオーストリアの言語について。

とは言え、オーストリア人の95%はドイツ語を喋っており、この比率はドイツと同じなので、理屈の上ではオーストリア人の言語はドイツ語だ。

ただしドイツ語には様々な方言があるから、オーストリアの大半ではドイツのバイエルン方言に似た方言が使われる。

しかしテレビや学校では、一応標準ドイツ語かそれに近いモノを使う。ただし発音が同じ標準ドイツ語でも滑らかで柔らかく、またオーストリア独自の単語も結構使われている。

オーストリア・ドイツ語の説明の前に、まずドイツ語を喋らないオーストリア人について。
オーストリアはリヒテンシュタインを含むと8ヵ国と国境を接しているので、まず南東の旧ユーゴに近い州では、スロヴェニア系少数民族が住んでいる。

彼らの大半は外ではドイツ語を話せるが、家庭内ではスロヴェニア語だ。
また学校などでは少数民族保護からスロヴェニア系にはドイツ語以外にスロヴェニア語の授業も与えている。
しかし南東の州(ケルンテン等)では、右派の連中はスロヴェニア語を禁止する運動や、スロヴェニア系虐めを行ってもいる。

同様に、首都ウィーンにはチェコ系やハンガリー系がいる。彼らも外ではドイツ語を話すが仲間内や家庭ではチェコ語やハンガリー語。

ただしもっと問題なのが、トルコ系や、スロヴェニア系以外の旧ユーゴ出身者で、彼らは余りドイツ語が喋れないで自国語喋って生活している。
彼らの数が多いウィーンの地区では、公立小学校だと1クラス25人のうち、ドイツ語ネイティブは2人か3人しか居なくて、トルコ語やセルビア、クロアチア語が飛び交う。
故にそういう地域の親は、子供を私立小学校に入れたりするケースが割合多い(私立にはトルコ、ユーゴ系が居ないからドイツ語で静かに教育受けられる)


No.27 19/08/02 13:14
旅人 ( ♂ )

>> 26 こういう問題はフランスやドイツにもあるが、しかしフランスの場合、アラブ系やアフリカ系は元々フランス語が出来ている場合が殆ど。
ドイツも近年の難民問題が発生するまでは、トルコ系やポーランド系出稼ぎ労働者の問題はあったが、ドイツ自体の人口が大きいので、自然にドイツ語喋る者が多数派を占めていた。

あと忘れてはならないのが、オーストリアの田舎っぺ。彼らは元々酷い方言の上に、仲間や牛に話しかけるくらいしか会話していないから、ドイツ語の文法が滅茶苦茶。
つまりドイツ系オーストリア人にも、ドイツ語が出来ない者が一定数いるのだ。全く💦


だが肝心のオーストリアの都会人がドイツ語を学習した外国人が理解できるようなドイツ語を喋るか、となると、怪しい。
皆、学校では標準ドイツ語めいたモノを習っているが、しかし普通に中等教育(中学、高校)に進まずに、職業訓練学校などに進んだ者は、基本的に標準ドイツは理解できても喋れない。

中等教育受け、更に大学教育も受けた者が、先に書いた標準ドイツ語に近いが滑らかで柔らかい発音に幾分オーストリア独自の単語を混ぜた美しい(!?)オーストリア・ドイツ語を喋るのだ!

No.28 19/08/02 13:41
旅人 ( ♂ )

>> 27 このドイツ語圏全体でも、ライン地方と並んで滑らかで美しいとされる(?)オーストリア・ドイツ語だが、大体ザルツブルクからウィーンまでの間の地域で話される。

ティロール(チロル)やシュワちゃんの生まれ育ったシュタイヤーマルク等のドイツ語はゴツい。

大体、ザルツブルクからウィーンにかけての、いわゆるオーストリア・ドイツ語の特長は、標準ドイツでsが英語のzの音になるのに対して、オーストリアではsのままで濁らない。だからサルツブルクが正しい。

同様にwが標準ドイツ語では英語のvの音になるが、オーストリアではwつまりuのまま。だからウィーンと言う日本語表記は正しいのであり、ドイツ語を少し学んだ者がヴィーンとか書く方が間違っている。

後は過去形を余り使わず、現在完了形を代わりに多用する。

またゲルマン本来の単語が、フランス語やイタリア語の単語に置き換えられている場合も結構ある。

Stockシュトック(階)がEtageエタージュ(フランス語)だったり。コーヒーのカプチーノはMelangeメランジュ等。しかもドイツ語式発音ならエターゲやメランゲとなるが、そうしないでフランス式。

まあこれはドイツ語全般に言える事で、普通、フランス起源の単語はフランス式に発音する。
標準ドイツ語でも、例えばRestaurantは英語みたいにレストラントと成らずに、フランス語のままレストラーンとレストローンの中間的な鼻母音使う発音し、ドイツ語では例外的に語尾のtを発音しない。

ここまでは標準ドイツを母体としたオーストリア・ドイツ語であるが、オーストリア方言となるとドイツ語学習した外国人どころか、ドイツ人にも分からないのでは無かろうか?


No.29 19/08/02 14:11
旅人 ( ♂ )

>> 28 Ne,I vasdeh net. ネー、イー ファースデー ネット
I wais nix. イーワイス ニックス
Jo,da gemma. ヨー ダー ゲマ

これらは一応ウィーン方言であるが、勿論ウィーン語と言うモノは正式に言語として成立していないから、書き方は決まっていない。

だが標準ドイツを少し学んだ者に、これが理解できるだろうか?

因みにこれらを標準ドイツ語に直すとこうなる。

Nein, ich verstehe nicht.ナイン、イッヒ フェアシュテー ニヒト
Ich weiss nichts. イッヒ ヴァイス ニヒツ
Ja, wir gehen dort. ヤー、ヴィア ゲーエン ドアト

このくらいなら、まだ私もワインを沢山飲めば、自然に方言も話してしまうが、しかしガチな方言はウィーンでも地区毎に異なるくらいであり、長い文章だと私の世代(標準ドイツ語で中学から大学まで教育受けた)だと、読むだけでは分からない。

ただし喋られると割合よく分かる場合もある。

なおウィーン方言はザルツブルクからウィーン周辺のいわゆるオーストリア方言でも、特に変わっている。
上に書いた方言はウィーン方言であるが、同時にまだオーストリア方言つまりバイエルン方言の親戚レベル。
ティロール(チロル)方言もバイエルン方言の一種だが、やはり山岳民族の言葉は難しい。

更に山岳民族と言えば、スイス方言があるが、これはもう辛うじてゲルマン系だと分かるくらいで、殆ど理解できない。

だからある程度教養あり、標準ドイツ語が話せるスイス人以外とは、フランス語か英語で会話した方が通じるくらいだ(笑)

  • << 33 そうだった、日本語訳つけねばドイツ語が分からない人には困るだろう? 最初の文は方言、標準語ともに、「いいえ、私は理解しません」 次が、「いいえ、私は何も知りません」 最後が、「うん(はい)、我々はあそこに行く(行こう)」

No.32 19/08/02 18:22
旅人 ( ♂ )

>> 31 すると日本語はどうか?

日本人の中には英語が世界のスタンダードだと英語を過大評価し過ぎて、日本語を異端視または過小評価する「病気」持つ人々が結構多いと思うが、こうやって言語を分析すると、日本語の方が元祖の姿に近いのだ!

また、日本語は動詞人称変化が無いくせに主語を省略する、との問題も、言語の歴史を考えたら、ヨーロッパ言語も太古にはそうだった可能性が高い。

急に起きた事件を報告するのに、いちいち語尾の人称変化が最初からあったとは考え難い。
人称変化は言語が安定してから、文法など整えられる段階で生まれたのだろう?

島国で多民族と接する必要が殆ど無かった日本語には、動詞の語尾にこの人称変化を付ける必要性が少なかったのに違いない。

また主語言わなくても、大概は同じ種族間だから、余り問題が無かったのだろう?

結局、日本人よ、日本語にもっと誇りを持て!

と成るのかも知れない(笑)

No.33 19/08/02 23:26
旅人 ( ♂ )

>> 29 Ne,I vasdeh net. ネー、イー ファースデー ネット I wais nix. イーワイス ニックス Jo,da gemma… そうだった、日本語訳つけねばドイツ語が分からない人には困るだろう?

最初の文は方言、標準語ともに、「いいえ、私は理解しません」

次が、「いいえ、私は何も知りません」

最後が、「うん(はい)、我々はあそこに行く(行こう)」

No.34 19/10/05 16:19
旅人 ( ♂ )

>> 31 削除されたレス (このレスを分かり易いように一部、規則動詞に変更)

>ここまで来ると、もう少し難しい事を書かねばなるまい。

それは以前、言語学者が言っていた、「インド・ヨーロッパ語は動詞が中心となる言語だ」について、だ。
だからこそラテン語でverbum/言葉と言う単語は、同時に動詞を意味し、後に欧州各国語でverbが動詞の意味になった。

だが実は私、これはインド・ヨーロッパ語だけでなく、日本語などにも当てはまると思う。

言語で最も重要なのは、「何が起きたか?」を相手に伝える事だ。だから動詞が重要。

で古典語である古代ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット(梵語)、また現代でもイタリア語、ポーランド語などは、動詞の語尾が人称毎に単数3、複数3と合わせて6種類変化して互いに異なるから、いちいち主語を言わなくていい!

さてこれらの言語に共通しているのは、現在形能動態の1人称複数の動詞語尾にmが絡む事。

とにかく殆ど動詞人称変化が無くなった英語、変化はあるが中途半端だから主語も必要なフランス語やドイツ語を見ると、主語が要らないラテン語やイタリア語の動詞の変化する語尾を削って、代わりにそれを主語として動詞の前に持って来た、と乱暴に言えないか?

つまり古典語やイタリア語等のように英語を変えるならば、主語と動詞の位置を逆にして、
havei(iはI)、haveyou、hasheまたはhasshe、havewe、haveyou、havetheyとするならば。
(youだけは現代英語で単数複数重なるからシェークスピア時代みたいに単数はthouに代えてもいい)

するとラテン語のhabeo、habes、habet、habemus、habetis、habentみたいに見事に動詞だけで全6種類、人称変化するではないか?

同様に古典語では、語順が全く自由だったとは言え、なるべく動詞を最後に持ってくる(正式な記述文などで)風習があった。

それが中世以後、ラテン語が崩れて生まれた諸言語で次第に動詞を最初の方に持ってきて、更にフランス語みたいにその前に主語が必要になり、主語、動詞の順から始まる文章がスタンダードに成っていったのだ。

ラテン語すらも、中世ラテン語では動詞が前の方に来る傾向が見られる。

つまり時代と共に、ヨーロッパ言語は語順が逆転していったのだ!

No.35 19/10/05 18:50
旅人 ( ♂ )

>> 34 因みに同じhabere(ラテン語)、have(英語)のドイツ語での変化はこうなる。

ich habe (habeo,I have)
du hast (habes,you have)
er hat (habet,he has)
wir haben (habemus,we have)
ihr habt (habetis,you have)
sie haben (habent,they have)

標準ドイツ語(ラテン語,英語)の順に現在形能動態を表示したが、英語は勿論、動詞が3人称単数以外、皆同じ。

ラテン語は全人称で語尾が異なるから主語を普通、言わなくても分かる。

ドイツ語は僅かに複数の1人称と3人称で動詞の語尾が同じゆえに(助動詞や過去形では単数も1人称と3人称が同じになる、接続法になるとそれ以上)、かなり語尾変化があるのに、必ず主語の人称代名詞を言わねばならない。

ラテン語は直説法能動態の現在、過去、未来、完了、過去完了、未来完了、受動態の現在、過去、未来、接続法能動態の現在、過去、完了、過去完了、接続法受動態の現在、過去、この全てで全ての人称語尾を変化させる。
つまり上に挙げた時制については、英語やドイツ語みたいに現在、過去形以外は助動詞との組み合わせで作るのではないから、大変な量の変化を覚える必要があるのだ。
しかもhabereは規則動詞だが、このような規則動詞でも変化タイプが5種類に分類され(4種類と文法学者は言うが、第3変化が細かく2種類に分かれるから合わせて5種類)、どの動詞がどのタイプに入るか覚える必要がある。それぞれのタイプで人称が変わった場合、また変化がかなり異なるから。

結局ラテン語では英語のbe動詞等と組み合わせて作る時制は、受動態の完了、過去完了、未来完了、受動態接続法の受動態の完了、過去完了だけとなる。

接続法は英語には仮定法しかないが、ドイツ語で現在、過去(それぞれ能動態、受動態)、ラテン語では現在、過去、完了、過去完了の4つ(これも能動、受動があるから計8つ)もある。

何の話だか、英文法しか知らない人にはよく分からなかったりして!?

No.36 19/10/05 19:53
旅人 ( ♂ )

>> 35 何かオーストリア人のスレよりドイツ人のスレに書くべき話になったか?
いやオーストリアでも学校では標準ドイツ語を習うから構わんな(笑)


で接続法だが、これはドイツ語でもラテン語でも頻繁に使われる。

ドイツ語の場合、文法的に接続法を現在と過去に分けるが、これは時間とは関係なく、「接続法現在」とは単に間接話法や、実現するだろう希望を表現するのに使う。
対して「接続法過去」は、かなり実現が難しい希望や、非現実の話、また間接話法でも遠回しの話し方、そして日本語の敬語に似た場面で使われる。

ラテン語の接続法の方が、時制と一致していて、直説法の時制に対して間接引用の場合どの接続法を使うか、が大体の決め手になる。しかし接続詞によっては4つの接続法時制のどれを取るか決まっていたり。
とにかくラテン語では文中で間接引用の場合は、接続法が使われるので、ほぼ半分近い文章に接続法を含むと言ってよい。

ドイツ語の場合も、現実に正式な会話では接続法を多様する。

これらは日本語の敬語に似た意味を持つ場合もあるが、しかし違いは動詞自体が文法的に不定形からどう変化させて使うか数学の法則みたいに複雑な規則を持つ事、また人称語尾変化がある事などである。

また英語、ドイツ語などゲルマン系では動詞は現在不定詞、過去、完了形の3つを覚えればいいし、英語などは規則動詞なら過去形と完了形は同じ、ドイツ語では過去と完了は異なるが規則動詞なら完了の作り方は不定形から自然に導き出される。

不規則動詞ならば、不定形、過去形、完了形が不規則に異なるが、これもドイツ語の方が多い。またドイツ語では加えて動詞の人称変化があるから、この場合における不規則動詞がかなり存在する。

対してラテン語では、現在形1人称単数(これを知らないと辞書が引けない)、不定形、完了幹、動名詞形の4つを全ての規則、不規則動詞関係なく覚えねばならない。(それでも古典ギリシャ語よりは少ない)

またこれ以外にドイツ語同様に、人称変化における不規則動詞があり、一般にはこれを不規則動詞と呼ぶ。

No.38 19/10/05 20:54
旅人 ( ♂ )

>> 30 削除されたレス 一応、全文を直さないと意味が通じないだろうから。
(以下)
ところでバイエルン・オーストリア方言で、動詞が
gemma(我々は行く。標準ドイツ語ならwir gehen)
hamma(我々が持つ。標準ならwir haben)
等となるのは、南ドイツは昔ローマ帝国領で、またイタリアに近かったから、ローマ帝国の国語ラテン語→イタリア語を通して、語尾にmが絡むと、主語無しの「我々が~する」との意味になるからだと思う。

これは例えば、「我々が行く」がラテン語ではimus、イタリア語ならandiamo。
「我々が持つ」ならラテン語habemus、イタリア語abbiamoとなり、どちらの言語も動詞人称変化がガチなので、主語無しで「我々が~する」というふうに意味が通じる。


こういう風に、英語が昔フランス語に侵略され、古代のゲルマン語から完全に違う(文法)言語に大変化したように、これはゲルマン語がラテン語かイタリア語に侵略されかかった形跡なのかも知れない(笑)

No.39 19/10/05 21:03
旅人 ( ♂ )

何か順番が滅茶苦茶になったが、整理するとレス番号29,38,34,32,33,35,36の順序ですね✌

No.40 19/10/05 21:10
匿名40 

主さんはファルコを知ってる世代かな?

No.41 19/10/05 21:54
旅人 ( ♂ )

>> 40 勿論、少年時代に流行ってた。アマデウス、アマデウス…

だけど彼、アメリカでもアマデウスがブレイクしたけど、続くブレイク作品が無くて荒れてしまい、早死にしたな(泣)

  • << 44 1998年はドイツ語圏にいた? ドイツではファルコの死後しばらく遺作が流れていて、当時はドイツに住んでいたからよく聴いていたよ。 アメリカでもアマデウス以外にいくつかヒット曲はあった(ジェニーとか)けど、80年代だけだったね。 私は今でもたまに聴く。 って言ってもドイツ語圏の歌手はファルコとヘルベルト・グレーネマイヤーくらいしかしらないんだけど。

No.42 19/10/05 22:00
旅人 ( ♂ )

>> 41 因みにドイツ語でファルコは隼(ファルコン)から来ているが、鷹の事をファルケと呼ぶ。鷲はアドラーだから混乱しないが、オーストリア人でも鷹と隼を同じ鳥だと勘違いしている人(無教養な奴)がいるから。

No.43 19/10/05 22:02
旅人 ( ♂ )

>> 42 綴りを見れば全く別の鳥だと分かるのだが、都会の教養ない連中には関心なし。
田舎(森林や山岳地方)の連中なら、鷹と隼の違いをよく知っている。仮にドイツ語文法が滅茶苦茶でも(笑)

No.44 19/10/05 22:10
匿名40 

>> 41 勿論、少年時代に流行ってた。アマデウス、アマデウス… だけど彼、アメリカでもアマデウスがブレイクしたけど、続くブレイク作品が無くて荒れ… 1998年はドイツ語圏にいた?
ドイツではファルコの死後しばらく遺作が流れていて、当時はドイツに住んでいたからよく聴いていたよ。
アメリカでもアマデウス以外にいくつかヒット曲はあった(ジェニーとか)けど、80年代だけだったね。
私は今でもたまに聴く。
って言ってもドイツ語圏の歌手はファルコとヘルベルト・グレーネマイヤーくらいしかしらないんだけど。

No.45 19/10/05 23:37
旅人 ( ♂ )

>> 44 ウィーンに住居を持っていたが、フランスやイタリアに演奏旅行によく出ていて。
フランス語は喋るのを一応出来たけど、イタリア語は基礎だけだったから言葉で苦労した。でも面倒になるとラテン語で話し掛けたから、向こうが何かビックリしていた(笑)

グリューネマイヤーは映画Das Boot/日本語版Uボートに出ていてくらいしか関心なかった。

元々クラシックが専門だからポップスは詳しくないし、日本人と違いヨーロッパ人は地元のポップスターでも関心なければ全く知らない個人主義者が異端視されない自由社会だから。
サッカーだって2006ドイツ・ワールドカップの時、ドイツ中に沢山、サッカーを見たくない人専用のカフェがあった。
ドイツ人にサッカーは、日本人に野球以上に国技だけど、嫌いな人も尊重される。
日本の方がサッカーなんてどうでもいい人ばかりなのに、ワールドカップ始まるとにわかが出現、日本人なら日本代表戦見ないと非国民とか言われる社会だから面白い。

ただ女好きだったから、ネーナ、サンドラ辺りはドイツ歌手として知っていた。
地元オーストリアならイタリア系のエータ・スコーラとか。

もう具体的な名前は忘れたし名前覚える程ハマっていなかったけど、ドイツのゴシックのヘビメタは割合好きだったな。

また本業のクラシックならば、専門はピアノだが、ドイツの歌手としてペーター・シュライヤー、テオ・アダム、古いがディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ、あとワーグナー歌手の女性何人かのファンだった。

No.46 19/10/05 23:48
旅人 ( ♂ )

>> 45 だがサッカーは逆に代表戦は大好きなのだ!

オーストリアは前回ユーロ、アラバ、フックス、ハルニク等ベストメンバーで予選では負けなし、一回スウェーデンと引き分けた以外、全て勝って本大会の期待絶大だったのに、まず格下ハンガリーに負け、優勝したポルトガルとドロー、最後にアイスランドに負け、無惨に敗退。

それ以外、周りが強すぎてユーロにもワールドカップにもなかなか出れないから、代わりにワールドカップではドイツ、スイス、デンマーク辺りを応援している。

しかしロシア大会のドイツ代表のヘタレ振りには、様々な舞台裏の事情が絡むから、もう余り触れたくない。単に驕りやクローゼが居なくなっただけでなく、宗教や民族の対立問題があったから。

ただ普通のウィーン人はとにかくワールドカップになると、必ずドイツの敵国を応援する。どこでも構わない。だから韓国がまさかのドイツに勝って、ウィーンでは小さなお祭りだった。

ウィーン人は野蛮と思っていたプロイセンが、オーストリアに勝ってドイツ統一したのが、我慢ならないのだ!

No.47 19/10/06 02:24
旅人 ( ♂ )

◎向こうの私のスレでこちらを紹介したから、こちらでも向こうを紹介しておこう。
分かる人はもう分かってるだろうけど😉

http://mikle.jp/thread/2802858/?guid=ON

No.48 19/10/09 23:30
旅人 ( ♂ )

>> 24 政治・軍事関係。今、思いつく主な人々。 自分で考えたい人は下を見ないで。 中世から第… 何だ!
古代の重要人物を書かなかったとは。

マルクス・アウレリウス帝(ローマ皇帝で哲学者。紀元180年にウィーンで病没。なお当時、オーストリアはローマ帝国の3つの州からなり、西からチロルはラエティア州、サルツブルクからウィーンの西部近郊-ウィーンの森の西部-まではノリクム州、ウィーンとそれより東はハンガリーと同じパンノニア州に分かれていた。マルクス・アウレリウス帝は長年、ウィーンでドナウ川の北に攻め寄せる蛮族と戦争し勝利したが、ウィーンで病没)


アッティラ(5世紀のフン族の大王。ロシアからヨーロッパ北半分にかけて大帝国を建てるが、本拠地はハンガリー平原とその西端にあるウィーン及びその近郊)

彼らはオーストリア人とは呼べないが(特にアッティラ。ただ東部オーストリアは彼の本拠地の一部)、マルクス・アウレリウス帝はウィーン市民に愛され、大時計台に現れる12人の人形の一番最初の人物。ウィーンやその郊外にはマルクス・アウレリウス帝にちなんだ地名や遺跡が数多くある。

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