ともだち
雨。
細かい霧雨。
髪に
肩に
サラサラと降りかかる。
いっそ大粒の雨だったら。
私の罪も
彼の罪も
洗い流してくれるのだろうか。
15/03/11 18:45 追記
【感想スレ】
よろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ
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「次いつ会える?」
洗面台の前で髪を結び終えたゆりの後ろで男が言う。
「………わかんない」
ゆりは平らな調子で答えながら、ポーチから化粧品を取り出した。
目の前の大きな鏡では、目元の細かい化粧がよく見えないので、ポーチから手鏡も出した。
セックスに視力は必要ないと思うので、両目視力が0.3しかないのに、ゆりはコンタクトレンズもメガネも持ってきていない。
手鏡の中に映るゆりの目は、綺麗な二重と上手に引いたアイラインで縁取られていた。
『新しい化粧品、優秀』
ウォータープルーフの二重用の化粧品、アイライナー、マスカラ。
家に帰って化粧を落せば、いつもの華やかさのかけらもない一重の目元に戻る。
だけどゆりの背後にいる男は、そんなことは知らない。
いまゆりが鏡で見ているこの顔を、男はゆりのいつもの顔だと思っているのだろう。
目元の化粧は手直しせずに済んだが、ファンデーションと口紅はサッと直した。
鏡越しにソファーに座る男が見える。
そのソファーで1回、鏡には映っていないベッドで1回。
ゆりは男とセックスをした。
『この男は、そろそろやめよう』
ゆりは男とのセックスを思い返しながら、声に出さずにつぶやいた。
気持ちよかった。
それだけだ。
体の関係を持つようになって3ヶ月。
男の手にも動きにも、「馴れ」が見えていた。
ゆりにはさっきの男の言葉の裏に「お前は俺の女だ」と言いたげな匂いを感じていた。
ゆりにとっては、いつものことだ。
潮時を読み違えてはいけない。
手順を誤ってはいけない。
「寂しいけど、帰ろう?」
化粧で整えた顔を男に向け、首を傾げてみせると、男はゆりを抱き寄せた。
ゆりも男の首に手を巻きつけ、自分から男と唇を軽く重ねた。
『ちょろい』
ゆりは男に見えないように、舌を出した。
「先生、お疲れ様でした」
ゆりはきっちりと頭を下げた。
「テレビ局のお車、待ってるようです」
「ありがとうございます」
ゆりの職場は日本でも有数の出版社だ。
ゆりは文芸部で編集の仕事をしている。
担当しているこの小説家が大きな文学賞を獲った。
その小説家はゆりの勤める出版社が主催する新人賞を受賞し3年前にデビューしたが、今回の文学賞受賞で一気に知名度が上がった。
賞の対象作も担当しているので、勢い、取材対応に関わることも多くなる。
この日も社内の応接室を利用して、女性誌の取材を受けていた。
そのあと、東京ローカルのテレビ番組の収録があるそうだ。
会社としてはメディアにどんどん出てもらい、出版部数を伸ばしたいところだ。
ゆりは社屋1階の車寄せまで小説家を送った。
小説家はまだ30代で、普通のサラリーマンだ。
仕事の合間に小説を書いていたが、今回の受賞で執筆活動に専念することになるかもしれない。
その日のゆりは、いつもより多少早く仕事を終えて会社を出た。
地下鉄に乗り、途中で自宅とは違う方向の電車に乗り換える。
会社から電車を乗り継いで30分ほどのところに、恭介の住むマンションがある。
恭介は簡単に言えば、幼馴染みだ。
ゆりと恭介は東京の隣接県、都心からの通勤圏にある街で育った。
出会ったのは地元の公立中学校だ。
ゆりと恭介は市内の違う小学校から同じ学区の中学に進学した。
きっかけは名前だった。
「野村ゆり」
「村野恭介」
クラスメイトが同じ字で並びの違う2人の名前をよく間違えた。
ゆりと恭介の名字だけ書かれた持ち物が間違って渡ることが何度かあり、本人同士が間違いを訂正するために接触しているうちに、なんとなく距離が縮まった。
「私」
恭介の住むマンションのエントランスでインターホンを鳴らすと、スピーカーから『おう』と言う声が聞こえるのと同時に、オートロックのドアが開いた。
ゆりはいつものようにエレベーターホールへ向かい、5階へ上がった。
5階の一番奥の部屋の前でもう一度インターホンを鳴らすと、一拍置いてドアが開いた。
「よう」
ドアを開けてくれた恭介に「おつかれ」と言い、ゆりは部屋へ入りリビングへ向かった。
恭介もゆりのあとからリビングへ戻り、ソファーに座ると、ゆりがくるまで観ていたらしい映画の映るテレビに目を向けた。
ゆりは勝手に恭介の寝室に入ると、ハンガーに上着をかけ、クローゼットの中の引き出しから恭介の部屋着を出して着替えた。
ゆりの身長は167cmと小柄なほうではないが、さすがに185cmと長身の恭介の服は大きい。
なのでゆりはいつも恭介の半袖短パンの部屋着を着ることにしていた。
着替えている間も部屋のドアは開いていたが、ゆりも恭介も意に介さない。
普段かけているメガネは外してケースにしまった。
「ゆり、飯は?」
恭介はテレビの画面から目を離さずに言った。
「まだ」
「なんか食う?」
「ピザがいい」
「じゃあとるか」
「それならピザがくるまでにシャワーしようかな」
「すれば」
恭介がスマホを手にピザの注文をしている後ろを通り、ゆりは浴室へ向かった。
20分ほどでゆりがリビングへ戻ると、映画が終わったようで、恭介はスマホでゲームをやっていた。
「今日泊まってっていい?明日早いんだ」
「早いったってどうせ9時とかだろう」
「うん。ウチよりここのほうが、会社に近い」
「いいよ」
ゆりは冷蔵庫から缶チューハイを出して、ローテーブルの横にある大きなビーズクッションに座った。
ゆりの指定席だ。
「ゆり」
スマホから顔を上げずに恭介がゆりを呼んだ。
「ん」
ゆりはテレビで流れるニュース番組を観ながら、缶チューハイに口をつけていた。
「また頼む」
恭介のその言葉で、ゆりは恭介のほうへ顔を向けた。
「えー、また?」
「また、って、前は2、3ヶ月前じゃなかったっけ。……あっ、クソ」
どうやらやっていたゲームを失敗したようで、恭介はやっとスマホをテーブルに置いた。
「………めんどくさい」
ゆりはずるずるとビーズクッションからずり落ちて、恨みがましい目で恭介を見た。
「頼むよ」
恭介はこういうとき、昔から邪気のない顔で笑う。
ゆりはたいてい恭介の要求を呑むことになる。
恭介の願いをきいてやろう、と思うよりは、断り続けること自体が面倒なのだと、ゆり自身分かっている。
「アワビのクリーム煮が食べたい」
「いいよ、行こう」
商談成立だ。
ゆりはどこの高級中華レストランでアワビを食べてやろうかと、鼻歌まじりにスマホを手に取った。
ゆりは恭介を見た。
ひと言で言うなら、非の打ち所のない「イケメン」だ。
派手でも地味でもないのに、整った目鼻立ち。
不自然じゃない程度に浅黒い肌。
最近の人間にしては珍しく染めていない髪は真っ黒だが、まめに手入れしているのが分かる。
長身の体に合わせたように、女の子が引かない程度に筋肉がバランスよく付き、なにを着てもよく似合う。
だけどゆりは知っている。
恭介はちゃんと「努力」してこの外見を維持している。
いまの恭介の趣味はスポーツジム通いだが、これは健康維持というよりは、体型の維持が目的だ。
ヒゲや無駄毛が多いと女の子受けしないという理由でエステに行っていたこともゆりは知っている。
仕事用のスーツも私服も、ちゃんと研究している。
流行の最先端ではないが、それなりにいい物を、それなりにセンス良く、が恭介のモットーで、ゆりもときどき買い物に付き合わされる。
すべて女の子に受けるための「努力」だ。
中学校時代の恭介は、ここまでカッコよくなかった。
ゆりと出会った中学1年生のころはゆりと同じくらいの身長だったし、特に目立つポジションにいるタイプではなかった。
中学時代に女の子にモテるのは、サッカー部やバスケ部みたいな運動部で、派手でにぎやかに騒いでいるようなタイプの男の子ばかりだ。
恭介は性格も成績も目立たなかったし、部活は卓球部だった。
最近で言うところの「スクールカースト」で言えば、真ん中辺に位置する、平凡な男の子だった。
もちろん、ゆりも同じようなポジションにいる女の子だった。
『なんでここまで変わるかね』
ゆりは恭介の顔を見ながらそう思った。
『変わったのは私もだけど』
ゆりは美人でもないし、運動能力も普通だ。
中学生の頃から面倒くさがりで、部活は出ても出なくても文句を言われない文芸部に所属していた。
地味な雰囲気で、友達も多いほうではない。
それだけなら、目立つグループからいじめられてもおかしくなかったが、幸いにもゆりは勉強だけは得意だった。
塾など行かなくても、学年200人中10位以内には常に入っていた。
お陰で派手なグループの子にノートを貸したり、プリントを写させてやったりすることが多く、クラスの中でもそれなりに楽なポジションにいられた。
名字がきっかけで話す機会が多かったゆりと恭介だが、なぜか気が合った。
ゆりにも理由は分からなかった。
だけど恭介と一緒にいると落ち着いた。
もともとゆりは女子の集団が苦手だった。
わざわざ嫌われようとようとは思わないが、ベタベタとつるむのは面倒にしか思えない。
その点、男の子は気楽だった。
恭介が仲がいい男の子は、みんな恭介と似たようなタイプだった。
ゆりにも仲のいい女の子がいなかったわけではないが、放課後や休日に会うのは恭介とその友達ばかりになった。
そんなゆりへの周囲の評価は「変人」だった。
変わっているが、頭はいい。
成績の良さがステイタスだった。
だからなのか、男の子とばかりつるんでいても、ゆりは女の子たちからも反感はほとんど買わなかった。
恭介はじめ、他の男の子も、女の子から人気のあるタイプではなかったこともあるだろう。
クラスは5クラスあったが、ゆりと恭介が同じクラスだったのは1年生のときだけだった。
1年生のときはよく話す程度だったが、2年生の最初の中間試験で恭介は普段50位だった成績が80位まで落ちた。
「勉強教えてくれよ」
恭介がそう言い出して、ゆりは放課後恭介の家へ通うようになった。
ゆりは人に教えることは得意だったので、次の期末試験で恭介の成績は学年30位までハネ上がった。
そのお陰で、ゆりは恭介の両親からも気に入られ、結局3年生の入試まで恭介の勉強をみることになった。
恭介の父親は中堅私立大学の教授だった。
母親も資産家の出で、家庭は裕福だ。
恭介の家は広い敷地の中に単身者向けのアパートを持っていた。
中学2年の夏にそのアパートの一室が空くと、その部屋は恭介の勉強部屋になった。
二世帯住宅で同居している恭介の祖母が病気になったため介護が必要になり、落ち着いて勉強できるように、というのが理由だった。
とはいえ、母屋と目と鼻の先にあるアパートなので、恭介にあてがわれた部屋が悪い意味でのたまり場になるということもなかった。
気のいい恭介の父親も母親も、その部屋にゆりや他の友達が来ていると、よくお菓子を持って顔を出していた。
それでもその部屋にはみんながよく集まった。
試験前などは、図書館へ行ったりする代わりに、恭介の勉強部屋でみんなで問題集を開いた。
ゆりは恭介の両親に気に入られていることもあって、その部屋の常連だった。
ゆりがいくら周囲から「変人」と言われていても、さすがにそこまでしょっちゅうゆりと恭介が一緒にいると、中には「2人はデキてる」と噂する同級生もいた。
しかし、ゆりも恭介も、お互い異性と意識することはまったくなかった。
その証拠に、恭介は中2の終わりごろから好きな女の子がいた。
南玲奈、というその子は、学年でも有名な可愛い女の子だった。
明るい性格で友達も多く、目立つタイプで、少々気が強くて反感を持たれたりもしたが、総じて男の子から人気のあるタイプだった。
ゆりは恭介から玲奈のことを相談されていた。
だが、ゆりは恋愛には興味がなく、相談というより単なる聞き役に徹していた。
ひと言忠告したのは、
「恭介に玲奈は合わないと思うけど」
ということだった。
恭介にもそれは分かっていたことだったが、結局恭介は卒業するまで玲奈を思い続けることになった。
「やっぱ俺、玲奈に告白する」
恭介がそう言い出したのは公立高校の入試間近の2月だった。
恭介の勉強部屋にいたのは、ゆり1人だった。
「ふぅん。入試が終わってからにしなよ」
ゆりはそう言った。
中2からゆりのお陰でぐんぐん成績が上がった恭介は、地域でもそれなりに進学校と言われる公立高校を受験することになっていた。
ゆりは県内トップ校を受験する。
恭介が想いを寄せる玲奈は都内の大学付属校の推薦が決まっているという噂だった。
「そうだな。フラれる確率高いもんな」
「さぁね」
ゆりはシャープペンを指で回しながら言った。
中学3年になって、恭介はいきなり身長が伸びた。
子どもっぽかった顔つきも、なんとなく大人びたような感じだ。
だけど、「スクールカースト」の呪縛は卒業まで続く。
「イケてない」ランクの人間は、卒業まで「イケてない」ままだ。
多少成績が良いとか、身長が伸びたとか、そういう現実的な要素より、どれだけ目立つか、みんなから人気があるか、そんな表面的なことがすべてで、同級生同士の評価はそう簡単には変わらない。
ゆりが知っているだけでも玲奈はここ半年で4人の男の子から告白され、そのうち2人と付き合っている。
「イケてない」恭介が「イケている」玲奈に告白したところで、フラれるのは目に見えている。
『恭介の好きにすればいい』
ゆりはそう思った。
あいにく、ゆりは恭介がそこまで玲奈を恋焦がれる気持ちを理解してあげられないのだ。
ゆりは初恋を知らない。
だから同級生たちが好きだの嫌いだの告白するだのフラれるだの、そんな話をしていても、まったく共感できない。
恭介は恭介だから親友なのであって、例え恭介が女の子であっても、ゆりは親友になっただろうと思っている。
『恭介、泣かないといいけど』
あまりいい予感がするわけもなく、ゆりは小さくため息をついた。
公立校入試の朝、ゆりは恭介と待ち合わせて一緒に最寄り駅へ向かった。
2人が受験する高校へは途中まで同じ電車だった。
「俺、受かるかな」
電車の中で恭介は少し不安そうに言った。
「大丈夫だよ」
ゆりはそう言って恭介の肩を叩いた。
「来週の発表が終わったら、告白する」
「終わったらね」
ゆりは『やれやれ』と小さく肩をすくめた。
そして合格発表の日、ゆりと恭介はまた一緒に出かけ、家に近い恭介の志望校の最寄駅のホームで待ち合わせた。
「恭介」
電車を降りたゆりがベンチに座っていた恭介を見つけて声をかけると、恭介は合格者がもらう書類の封筒を掲げた。
「やったじゃん」
ゆりは封筒を持った恭介の手を両手でぽんと叩いた。
「ゆりは?」
「受かったよ」
「当然、って顔だな」
恭介は合格した安心感でいっぱいの顔で笑った。
2人は連れ立って中学校へ向かった。
昇降口で靴を履き替えていると、下駄箱の向こうを玲奈が2人の友達と通り過ぎていくのが見えた。
私立校推薦の玲奈はとっくに受験が終わっており、今日の合格発表まで緊張感漂う公立受験組とは、ずいぶん違う雰囲気だった。
『どうして恭介は玲奈を好きなんだろ』
玲奈が歩いていった方向を目で追う恭介を見ながら、ゆりは自分には理解できるわけもないだろうことを考えた。
『勉強みたいに簡単にはいかないんだな』
数学なら公式を覚えれば簡単に答えが導き出せるのとは違うことだけはよく分かった。
公立校入試の合格発表の翌週、卒業式があった。
「卒業式の後で告白する」
恭介はそう言っていた。
周囲の女子が泣きじゃくっていたが、ゆりにとってはただ退屈なだけの卒業式だった。
そういう儀式のたびに、ゆりは自分は冷たい人間なんだと思う。
なぜみんなが泣くのか解らないのだ。
ゆりは恭介が一番の友達だと思っている。
恭介とは違う高校に進学するが、それで恭介との付き合いがなくなるわけではないから、別に卒業は悲しくない。
それよりも、式のあとで恭介が玲奈に告白することが気になった。
嫌な予感がしていた。
滞りなく卒業式が終わり、校庭では式に参列した保護者や卒業生、在校生たちが混ざり、誰かの制服のボタンやリボンをもらったり、サインを交換したり、写真を撮ったりしていた。
ゆりは図書室で恭介を待っていた。
恭介に待っているように頼まれたからだ。
恭介は玲奈を呼び出して告白しているはずだ。
ゆりは玲奈ではないから、ゆりが恭介の告白になんと返事をするかは分からない。
ゆりの持った予感は杞憂で、もしかしたら玲奈が告白を受け入れる可能性がないとはいえない。
フラれるにしても、あまり恭介が酷い傷つき方をしなければいいと、ゆりは思った。
恭介を待っている間、ゆりは図書室にある本を読んだ。
学校の図書室にはゆりの好む本はない。
「綺麗事ばっか」
だから、読んでも面白くない。
面白くはないけれど、時間潰しにはなった。
微かに音がして、顔を上げると、恭介が入ってきた。
一目見て、玲奈にフラれたのだと、ゆりは思った。
「…………帰ろうか」
ゆりは持っていた本を棚に戻すと、恭介に言った。
「うん」
そう言ったのに、恭介は動かなかった。
仕方ないので、ゆりは恭介から少し離れたところで黙って立っていた。
ゆりには少し長く感じられた沈黙のあとで、恭介が口を開いた。
「………なんの冗談」
ゆりが聞いたこともない低い声だった。
「そう言われたの?」
「『なんの冗談?身の程知らず、って知ってる?』だってさ」
ゆりは大して成績もよくない玲奈にしては、難しい言葉を使ったなと思った。
「ふうん」
「あの女………」
恭介はそのあとの言葉は続けなかった。
「………よかったじゃない」
「ゆり」
恭介の目に微かに怒りが見えた。
「恭介に玲奈は合わないよ」
「………」
「バカなんだもん、あの子」
恭介の目から怒りの色が退いた。
「恭介は玲奈には勿体無いよ」
「ゆり」
ゆりがお世辞や下手な慰めを言わないことは、恭介が一番よく知っている。
「恭介、身長何センチなった?」
唐突に聞かれて恭介は怪訝な顔をしながら「177」と答えた。
「伸びたよね。まだ伸びそう」
「なんだよ」
「偏差値、最後どんだけいったっけ」
「5科で64」
「伸びたよね」
「なんだよ、おんなじことばっか」
恭介が不満そうな顔をしたので、ゆりは「ごめんごめん」と笑った。
「玲奈はさ、偏差値58が最高だよ」
「フツーじゃん」
「そう、フツー。玲奈はモテたけどさ、顔が可愛いだけじゃん」
「………そう、なんかな」
「そうだよ。多分玲奈は高校でもイケイケだよね」
「まあな」
「でも恭介は違うよ。まだ成績には伸び代がある。見た目もカッコいいよ」
「だから、なんだよ」
「見返してやればいいじゃん。ちょっと頑張れば、あんな子、イチコロだよ」
「………なにが言いたいんだよ」
「帰ろ。恭介んちに行っていい?」
「いいけど」
「作戦会議」
「なんの」
ゆりは答えず、バッグを持って、もう一度「帰ろ」と言った。
恭介は釈然としないまま出入り口に向かったゆりの後に続いた。
「私も頑張ろうかな」
廊下を歩きながらゆりは楽しそうに言った。
「なにを」
「いろいろ」
そう言って笑うゆりを見ながら、恭介は首を捻った。
でも、ゆりの考えていることに気を取られ、先ほどまでのショックが嘘のように、明るい目になっていた。
「おはよう」
ゆりは高校の最寄駅のホームで、後ろからきたクラスメイトの女の子から声をかけられた。
「おはよう」
ゆりはにっこりと返す。
「野村さんの彼氏?」
「彼氏?」
なにを聞かれているか、分かっていたが、とりあえずトボけた。
「N駅で降りた子。N高の制服だったよね」
「あぁ、同じ中学なんだ」
「カッコいいねー」
「そうだね」
「彼氏じゃないの?」
「違うよ。友達」
「そうなんだ。仲よさそうだね」
「うん」
そのクラスメイトはそれ以上は突っ込んでこなかった。
さすが県内トップ校、まだ大して仲良くないゆりに「紹介して」と言う女の子はいないのだろう。
話題の主は、恭介だ。
ゆりは自分の思い通りに話が進んでいることを目の当たりにして、内心ほくそ笑んだ。
恭介に似合う髪型。
センスのいいバッグと靴。
もともと顔立ちが整っていて、そこそこ長身の恭介は、少し髪型や持ち物に気をつけ、そこそこの進学校であるN高校の制服を着るだけで、女の子の目を引くタイプの男の子になった。
どんな髪型でも、どんな学校でも、ゆりにとって恭介は親友であることは変わらないのに、女の子はそんな要素で男の子の評価をする。
ゆりは恋愛感情なんてデリケートなものは分からない。
なにしろ初恋も知らないのだから。
だから小学校中学校と、一歩も二歩も退いたところから周囲の女の子たちを観察してきた。
女の子たちは自分の利益になる男の子が好きなのだ。
それを判断する能力は高い。
見た目がカッコいい男の子。
ノリが良くて、みんなの輪の中心にいる男の子。
顔が広い男の子。
そんな男の子は、並程度以上の容姿であれば人気がある。
そんな男の子と仲良くしたりすれば、女の子にとってはステイタスになるからだ。
成績がいい。
優しくて親切。
この辺りの要素は、「オプション」でしかない。
「モテる条件」の上に「オプション」が付いていれば、更にモテる。
ゆりと恭介の同級生に、倉橋というそんな完璧な男の子がいた。
成績は常に校内1~3位。
模試があれば、県内成績上位者に名前が上がるような秀才。
陸上部の主将と生徒会長も務めていた。
リーダーシップがあって、誰からも好かれる性格。
容姿もそこそこよかった。
ここまでいくと、周囲の評価は別格扱いだ。
ゆりは恭介にそこまでのレベルを目指せとは言わなかった。
倉橋が「10」なら、恭介は平均「7~8」くらいを目指せばいい。
成績はともかく、「外見」と「性格」は案外簡単に「10」に近付けられる。
ターゲットが女の子なら、もっと簡単だ。
ゆりが見てきた恭介。
派手でも地味でもないのに、バランスよく整った目鼻立ち。
笑うと少しだけ幼さが出る。
そんな恭介は、女の子が喜ぶようなことをさり気なくすればいい。
掃除や係りの手伝いでもいい。
誰よりも早く女の子達のフルネームを覚えて、毎日挨拶してやればいい。
恭介のほうから面白いことなど言う必要はない。
恭介が黙っていても、女の子は喋ることが大好きなのだから、楽しそうに相槌を打って聞いてやればいい。
気をつけなくてはいけないのは、女の子を差別しないこと。
相手が不細工だろうがデブだろうが、相手が「女の子」なら、扱いは平等に。
「1ヶ月、『倉橋マイナス20%』な自分になったつもりで頑張ってみなよ」
高校入学式前日、ゆりは恭介にそう言った。
倉橋は完璧すぎて、女の子からはアイドル視され、男の子からも特別扱いされるような雰囲気だったが、恭介が目指したのは「マイナス20%」。
高校に入学して半年経ったころには、恭介は男の子からも女の子からも人気のある存在になっていた。
完璧な存在じゃないから、誰からも好かれる。
その裏でプロデュースしていたのは、ゆりだ。
学校の周囲の雰囲気や、近付いてきた女の子のこと、話を聞きながらゆりが恭介の言動をアドバイスしていた。
ゆりは恋愛に興味はなくても、考えることは得意だった。
恭介を「イケてる」存在に押し上げることは、ゆりにとっては学校の勉強と同じだった。
さすがにゆりも人間の感情を自由に操れるとは思っていない。
それでもいままでの経験からある程度のことを予測したり、見えないものを推理することはできる。
間違ったときには修正すればいい。
ただ、ゆりは1つだけ恭介にクギを刺していた。
「同じ学校の女の子に手を出すのは止めたほうがいい」
最初恭介はその方針に不満を漏らした。
恭介に好意を寄せる、好みのタイプの女の子がいたようだ。
「なんでだよ」
そう言う恭介にゆりは
「めんどくさいじゃん」
と言った。
「そんなこと言ったら、誰とも付き合えないじゃん」
「その子のこと好きなの?」
ゆりの言葉に、恭介は黙った。
ゆりは知っている。
恭介は女の子なんて、本当は好きじゃないのだ。
ゆりと作戦を練って、少しだけ自分を変えてみたら、面白いように女の子が寄ってくることを、楽しんでいるだけだ。
玲奈にフラれたとき、恭介は傷ついた。
「女の子」という存在を象徴するような玲奈。
その玲奈から侮辱を受けたことで、女の子に対する気持ちが変わってしまった。
だから、クールでシニカルなゆりの言葉に乗った。
「付き合うなら、もっとめんどくさくない女の子にすればいいじゃん」
「例えば?」
「バイト先とかナンパ」
「それもそうだな」
恭介はその言葉通りに、高校1年の夏休みの間にやった短期アルバイトで知り合った女子大生と付き合った。
恭介曰く、「簡単だった」。
ゆりは相変わらず聞き役だった。
「ヤった」
恭介がその彼女と付き合い始めて半月経ったころ、いつもの勉強部屋で恭介が言った。
「へー。どうだった?」
ゆりは寝そべって恭介のマンガを読みながら言った。
「気持ちよかった」
「うまく行った?」
「向こうが慣れてた」
「よかったじゃん」
「あんなもんなんだな」
「ふーん」
彼女はひとり暮らしだったそうで、恭介は「ヤりまくりだ」と言っていた。
付き合い始めて3ヶ月経ったころ、朝の電車で恭介は「めんどくさくなってきた」と言い出した。
「なんで?」
「電話がウザい」
「別れちゃえば?」
「そんなようなこと言ったら、泣かれた」
「綺麗に別れるのも腕の見せ所でしょ」
「めんどくさい」
「じゃあ我慢すれば」
「イヤだ」
「………手伝うか」
ゆりはつり革を握った両手の間から恭介を見て笑った。
「………ゆり、か?」
その日の放課後、チャイムの音でドアを開けた途端、恭介は目を丸くした。
「そうだよ」
ゆりは恭介の脇をすり抜けて勉強部屋に入ってきた。
「ゆりなのに、ゆりじゃないみたいだ」
「研究した」
ゆりはそう言って笑った。
ゆりは普段あまり着飾らない。
スカートを履くのは制服くらいで、大抵ジーンズ姿だ。
それが今日はキュロットスカートにサマーニットを合わせている。
ゆりの顔立ちは地味だ。
目は一重だし、全体的に小造りであっさりしている。
いまのゆりは、目が二重になっていて、眉もわずかに上がり気味に描かれている。普段はなにも塗らない唇にも、薄いピンク色の口紅が薄く乗っていた。
化粧の仕方は雑誌を見て練習した。
普段と雰囲気の違う服は、社会人の従姉のお下がりだ。
「可愛いじゃん」
「従姉のあっちゃんをお手本にしてみた」
「あー、ゆりのお姉さん、だって言われたら信じるかも」
「でしょ?」
「ゆりもオンナに目覚めた?」
「んなわけないでしょ、こんなのめんどくさくて、毎日なんてやってらんないよ」
ゆりは肩を竦めた。
「じゃあなんで着飾ってんだよ」
「恭介のために決まってるじゃない」
「ゆり、俺のこと好きだったのかよ」
「バッカじゃないの?」
「じゃあなんだよ」
「別れたいんでしょ?手伝ってあげる」
ゆりがそう言うと、やっと恭介は得心がいったように笑った。
皮肉な笑いではなく、相変わらず幼さが覗くような笑顔だ。
「いつにする?」
「めんどくさいから今日にして」
「いいよ」
恭介は彼女にメールをし、そのあと打ち合わせをしてから、2人で待ち合わせ場所に向かった。
指定したファミレスに着くと、恭介が先に店に入り、ゆりは5分待ってから入った。
ゆりが店内に入ると、一番奥の席に恭介の後ろ姿が見えた。その正面にいるのが彼女らしい。
ゆりは2つ離れた席に座ると、飲み物をオーダーした。
しばらくの間、本を読んでいると、テーブルの上に置いてあった携帯電話が震えた。
開けると恭介から空メールが届いていた。
ゆりは席を立ち、恭介と彼女がいるテーブルに向かった。
「恭介」
ゆりがそう言って恭介の隣に座ると、彼女が「誰?」と言ってゆりを睨んだ。
ゆりはほんの微かに笑った顔を作り、彼女を見返した。
『お化粧、下手だな。服もセンス悪い』
悪意もなにもなく、淡々とそう思った。
だけど、男の子にはウケが良さそうなタイプだとも思った。
なんとなく、媚びるような仕草が多いからだ。
「俺、この子が好きなんだ」
「まだ3カ月よ?それでもう他の子?酷い」
「………告白されて嬉しかったから付き合ったけど、本当は○○と会う前から、この子のことが好きだったんだ」
ゆりは目の前にいる彼女などどうでもいいので、名前すらよく聞き取れない。
しばらく彼女の恨み言のような言葉が続いた。
無責任だとか、信じてたのにとか、本当に好きだったのにとか。
ゆりは笑いを堪えるのに苦労した。
この女子大生は、どうしてこんなに必死なんだろう。
恭介に近付いたのは、背が高くて顔立ちが整っていて、優しそうだとかいう表面的なことばかりが理由なんだろうに。
恭介は携帯電話の連絡先以外、彼女には住所も教えていないと言っていた。
それなのに、付き合って半月で体まで許したのは、友達に見せて自慢できる恭介を繋ぎ止めておくためだったのではないのか。
ただ単に、好みのタイプの男の子とセックスしたかっただけなのではないか。
セックスしただけで、男の子の全てを自分のものにできると勘違いしていたからではないのか。
恭介は、女の子ウケするように考えて振る舞う自分が、年上の女子大生相手にどこまで通用するのか、実験しただけだ。
目の前で怒りなのか悲しみなのか、同情を引くためなのか、涙まで浮かべて恭介に言葉のシャワーを浴びせる彼女を見て、ゆりは純粋に面白いと思っていた。
彼女はいままで自分の思う通りに周囲の男の子を手玉にとってきたのだろう。
だから、こんなにあっさりと恭介に振られることが許せないのだろう。
なんて愚かなんだろう
ゆりはそう思った。
「恭介くん」
彼女も疲れてきたのか、言葉が切れたタイミングでゆりは言った。
「なんだか可哀想。私が身を引けば、この人もう泣かなくて済むんだよね」
もちろん言葉の端々に、ゆりが彼女を「憐れんであげている」のが分かるように話す。
さすが女同士、最後は恭介の同情をかうような態度だった彼女の目に怒りが見えた。
「………あなた、高校生でしょ」
「2年です」
軽くフェイク。恭介は彼女には高校3年生と言っていたというから、バランスを取った。
「ふーん」
女子大生のほうがステイタスが高いとでも言いたいのか。
ゆりが県内トップ進学校に在籍していると知ったら、どんな顔をするのか見てみたいと思ったが、ゆりは身分を明かすつもりなどない。
「ごめんなさい。恭介くんにこんな年上の彼女がいるなんて知らなくて」
この彼女は大学3年生、もうハタチを過ぎるところだ。
まだまだ若いのは確かだろうが、高校生から見れば「オバサン」と言われても仕方ない。
別にこんな女に勝つつもりなどない。
だけど、ゆりは恭介が彼女と別れるための援軍だ。
化粧をし、従姉からもらった服を着たゆりは、普段より何割増か可愛く見えるだろう。
そしてその何割増かの可愛さを、どうすればこの場面で最大限まで効果的に利用できるか、ゆりは考えた。
「恭介くん。可哀想だから、この人と一緒にいてあげて。私は大丈夫だから」
月並みだが、「上から発言」でいってみる。
恐らくこのタイプの女なら、奇妙なプライドに執着していることだろう。
「自分のもの」が誰かに獲られそうになると惜しくなる。
ライバルがいると張り合いたくなる。
自分が捨てられそうになるとしがみつきたくなる。
面白いもので、それがなくなると、気持ちが激変する。
ゆりの目の前にいるこの女は、ここ最近恭介が離れていく雰囲気を感じ取っていたのだろう。
そして、案の定、別れ話を切り出され、今日呼び出されてみたら違う女が登場した。
この女から見ても、ゆりは総合点でそこそこの女の子のはずだ。
きっとゆりが現れた瞬間、闘志が湧いたに違いない。
それがあっさりゆりのほうから身を退くような言葉が出た。
しかも上から発言。
この女にしてみれば、恭介に執着し、違う女と戦う気になったのに、予想と違う展開に戸惑っているに違いない。
このタイプの女にとっては、恋愛が日常の重要事項なのだろう。
自分の得になる男と付き合いたい。
できるだけ自分は男にモテたい。
そのための化粧、そのためのファッション。
ゆりからすれば、バカとしか言いようがない。
でもバカだから、動かしやすい。
この女は、どうして自分が恭介に執着していたのか、解らなくなっているのだろう。
目の前の「ライバル」が、「じゃあいらない」と言う男。
一気に「価値」が下がっているに違いない。
ゆりは目の前の女の心が見えるようで、笑いを堪えるのに苦労した。
「………だから年下なんてイヤなのよ。もう電話とかしないでよね」
最初とは打って変わって憎憎しげな顔になった彼女は、荒々しい動作で立ち上がり、椅子の上のバッグをつかむと、靴のヒールをガッガッと鳴らしながら店から出て行ってしまった。
彼女のバッグがテーブルの上にあったお冷に当たったので、テーブルの上には半分残っていた水と氷が零れ出た。
「あーあ。ほら、恭介、拭きなよ」
「へいへい」
2人でおしぼりを使って水を拭き、ゆりは恭介の向かいに席を移動した。
「43分」
携帯を見ていたゆりがそう言うと、恭介は「なにが」と聞き返した。
「店に入ってから、あの女が退場するまでにかかった時間」
「どうなんだ?」
「初めてにしちゃ、早く片付いた?だけどもうちょっと上手くやれれば、あんなタイプなら30分以内で終われそう」
「そうかな」
「次回の課題だね」
「また手伝ってくれんの?」
「どうせ頼むんでしょ」
「めんどくさい、って言わねーの?」
「ふふん。めんどくさいけど、面白かった」
「確かに」
ゆりは近くを通った店員を呼び止めて「いちごのパフェください」と言った。
「恭介の奢りね」
「えっ、マジで」
「当然でしょ。あ。あの女、伝票だけ置いていった」
「あ」
「ま、恭介が払うんだからいいか」
「ひでーな」
ゆりが頼んだパフェがくると、恭介とゆりは意味もなく笑いながら、争うようにしてパフェを食べた。
恭介はそのあとも適当に女の子と付き合っては別れることを繰り返した。
恭介にとって、女の子と付き合うことは「ゲーム」のようだった。
相手の女の子に飽きたり、面倒に感じるようになると、別れる。
すんなり終わればいいが、2回に1回は相手がゴネる。
恭介ももう少し割り切った相手と付き合えばいいものを、純情だったり、真面目だったりする女の子を、最短何日でセックスまで持ち込めるかなどと挑戦したりするものだから、別れが拗れる。
勢い、ゆりが「変身」して登場する機会も増える。
ゆりも相手の女の子に合わせてシナリオを考えることを楽しんだ。
あまり傷つかないようにしてあげようとか、こてんぱんに打ちのめしてやろうとか、それもゆりの気分次第だった。
そんなことを何回かしているうちに、ゆりは「変身」した自分が男の子の目を引いていることに気付いた。
恭介の「恋愛参謀」のようなことをしているくせに、相変わらず初恋も知らない。
しかし自分が男の子から見て、一定の「価値」があると、ゆりは気付いた。
ゆりは軽く「変身」して、アルバイトを始めた。
身近な人があまり来ないようにと、都内のコーヒーショップにした。
すると、面白いように男の子から誘いを受けた。
メガネをかけ、公立校の地味な制服を校則通りに着ているときは、同級生はもとより、電車の中や街で擦れ違う男の子たちの興味は引かない。
化粧をし、服装を変えると、それが一変する。
ゆりはそれが不思議だった。
試しに、バイト先のスタッフの女の子の中でも人気のある大学生に近付いてみた。
ゆりがバイトを始めた日から、しょっちゅう構ってきた瀬田という男だ。
ゆりのほうから少しだけ声をかけると、遊びに誘われた。
何回かデートしたり、バイトの後に食事に行ったりするようになると、瀬田の態度が変わっていた。
瀬田はもともと女の子に不自由しないタイプだったのだろう。
だから最初ゆりにも、軽い気持ちで近付いたらしい。
しかし、ゆりはいままで瀬田の周囲にいた女の子とは勝手が違ったらしい。
普通の女の子が喜ぶようなことをしても、いまひとつゆりが喜んでいるのか分からない。
つかみどころがないのだ。
当然だ。
ゆりにとって、瀬田は魅力的でもなんでもない。
他の女の子のように、瀬田に好かれたいという気持ちがないのだから。
男なんて、誰でもよかった。
ただ、あんまりにも見た目が気持ち悪いとか、不潔であるとか、そういう男はさすがにイヤだった。
女慣れしていない男も、面倒だった。
そういう意味では、瀬田は条件が揃った男だった。
ゆりの、練習台としての男だ。
恭介が女の子受けするように変わるのに合わせるように、ゆりも外見を変えた。
恭介は女の子と付き合うことを、ゲームのように楽しむようになった。
ゲームの仕掛け人は、ゆりだ。
清算を手伝うのも、ゆりだ。
このゲームは、人の心を操るゲームだ。
ゆりは恭介の勉強部屋で、プレステもやる。
暇つぶしにはなるが、夢中になるようなものでもない。
人間が作ったゲームなど、数学と同じだ。
一定の法則、数パターンのコマンド、そこから導き出される結果は決まっている。
所詮、プログラミングされた以上のことなどできないのだ。
でも、「恋愛ゲーム」は違う。
生身の人間が相手だ。
ゆりが情報を分析してシナリオを組み立てても、予想と違うことが起きる。
そのたびにシナリオを組み立てなおす。
そうやって目指したことにできるだけ近い結果を得ることができると、ゆりは背中がゾクゾクするほど興奮した。
恭介は男だ。
男と女では、アプローチの方法もスタンスも違うだろう。
恭介は「ハンター」だ。
いかに上手な魔法を使って、相手の女の子に勘違いさせ、夢を見させるか。
とりあえず、一瞬でも自分に夢中にさせ、心も体も手に入れたら、その先はない。
恭介はセックスなど誰としても同じだと言う。
相手によって感触も反応も違うことを楽しむことはあっても、最終的に得る快感は変わらないと。
ゆりは思う。
女の自分はどんなセックスを楽しむことができるのだろう。
「俺と試す?」
例によって放課後恭介の部屋でゆりが瀬田のことを話すと、恭介は無邪気と言っていい顔で笑いながら言った。
ゆりは、女の子はみんなこの笑顔に騙されるのかと納得する。
「別に恭介とヤってもいいけど、なんか弟とするみたいで気持ち悪そう」
「確かになー。でもゆり、初めてなんだろ。そいつでいいわけ?」
「なにが?」
ゆりがそう言うと、恭介は不思議そうな顔をした。
「普通女って、初めては好きな人とがいいとか、こんな風にしたいとか、いろいろウルセーじゃん」
「なんで?誰とヤっても同じだって、恭介言ってたじゃん」
「男はな」
「女は違うの?」
「俺、女じゃねーし」
恭介はゆりがコンビニで買ってきたポテトチップを苦労して開けながら笑った。
「私女だけど、そんな風に思わないよ。誰とヤっても同じなら、慣れてて上手なヤツとでいいじゃん」
「まーそうかもなぁ」
「ヤったら、瀬田さんがどう変わるのか、興味がある」
「興味があるの、そっちかよ」
「まぁね」
「まー、化けたゆりなら、その男もヤりたくて仕方ないんだろうな。ゆりはいい体してるし」
「ホント?」
「身長あって手足も長いしな。胸が寂しいけど」
「デブ専には受けそうにないね」
「それはゆりの腕の見せ所だろ」
ゆりは恭介が開けたポテトチップをつまんで口に放り込んだ。
「どんな感じがあの手の男に受けるか、教えてよ」
「いいよ」
いつもと違い、このときばかりは恭介がゆりの参謀役になった。
高校1年の秋、ゆりは瀬田と付き合うようになった。
付き合い始めて3ヶ月経ったころ、ゆりは初めて瀬田がひとり暮らしをしている賃貸マンションへ行った。
付き合う前も、付き合い始めてからも、瀬田は自分のマンションへゆりを連れて行きたがったが、瀬田がゆりを抱くことばかりを考えているのがよく分かり、ゆりはわざと理由をつけては断った。
処女である自分をもったいぶったわけではない。
瀬田が性欲を持て余す姿が面白かっただけだ。
それでも付き合い始めて1ヶ月を過ぎたころには、瀬田とキスをした。
瀬田はゆりが処女であることを知っていたから、最初から激しいキスはせずに、軽く触れるようなキスをした。
もちろん、ゆりは初めてだった。
「生温かい」
それが感想だった。
最初のキスを許したあとは、当然のようにエスカレートしていった。
初めて瀬田のキスを深く受け入れたとき、ゆりは自分がこういう行為が好きなのだと知った。
体の芯が震えるような気がした。
この先にはもっと違う感覚が待っているのだと、ゆりは直感的に知った。
ゆりと同世代の女の子は、きっとこんなことは感じないのだろうと思った。
彼氏ができて、相手に夢中になっているから、その延長にキスやセックスがあるとみんな信じている。
だからそういう行為は、愛情の証だと勘違いしている。
だけどゆりは瀬田に愛情などない。
それでも、瀬田とセックスをしてみたかった。
この女慣れした男は、経験のないゆりをどう扱うのだろう。
キスしただけで、ゆりを震えさせたのなら、きっとセックスも上手いに違いない。
ふしだら
そう。
自分はふしだらな女の子なのだと、ゆりは思った。
「ゆりちゃん」
瀬田はドアを閉めるなり玄関でゆりを抱きしめた。
いままでよりも更に激しいキスを受け入れながら、ゆりは自分の体の奥が熱くなるのを感じていた。
それなのに、頭の中は冷静だった。
化粧をし着飾ったゆりしか、瀬田は知らない。
顔も服装も地味な本来のゆりがこの場にいたとしても、瀬田はここまで興奮するのだろうか。
セックスという行為は、知識として理解していた。
でも、実践は初めてだ。
だからこそ、相手に瀬田を選んだのだから、任せておけばいい。
躊躇いなど、ない。
知識として知っているセックスが、これから瀬田の手によって、どんな風に進むのか、楽しみでしかなかった。
恭介と「予習」した通り、反応してみせると、瀬田が更に興奮したのが分かった。
それでもさすが経験豊富なだけあって、瀬田は一度体を離し、ゆりをリビングへ招き入れた。
部屋の中は綺麗だった。
いつでも女の子を連れ込めるように、掃除を欠かさないのだろうかと思うと、瀬田が甲斐甲斐しく掃除する姿を想像して、ゆりはおかしくなった。
瀬田と待ち合わせたのは正午だったので、昼食は済んでいた。
「ゆりちゃん、飲める?」
ゆりがソファーに座ると、瀬田は冷蔵庫から缶入りのカクテルを出してきた。
「うん」
何度かふざけて飲酒したこともあるが、ゆりはアルコールには強い体質のようだった。
ゆりは甘いカクテルを飲みながら、アルコールが自分の性欲を刺激することを知った。
それは瀬田にも伝わったのだろうか。
自分が飲んでいた缶ビールをテーブルに置いた瀬田は、その手を伸ばしてゆりの首筋に触れた。
缶ビールがよく冷えていたのだろう、触れた手もひんやりしていた。
ゆりはその感触が首から背筋へ抜けていくのを感じた。
なんて気持ちいいんだろう
男の舌が、手が、指が
私を弄る
体の芯が熱くなって
融けてしまいそう
私がこうしているだけで
男はなお高まって
ますます私を熱くする
耳元で囁くだけで
快感を吐息に乗せるだけで
男はさらに私を弄る
男がうわ言のように
甘く淫らなことを囁き返す
私に愛なんてなくても
男はこんな私に溺れている
小さく声をあげ
体をくねらせる
私が囁いた言葉は嘘ばかりだけど
気持ちいいのは嘘じゃないの………
初めてだというのに、ゆりはその日、瀬田に2回抱かれた。
「痛くなかった?」
2回目のセックスのあと、瀬田はゆりをそっと抱きかかえて言った。
「瀬田さんが上手だったから………」
ゆりは恥ずかしそうに答えた。
経験がある友達に聞いたり、雑誌などで読んだ話とは違い、痛みなどほとんど感じなかった。
瀬田に体を触られ、服を1枚ずつ剥がされていっても、羞恥心より興奮が勝った。
おかしな言い方だが、ゆりは自分が「セックスが得意」なのだろうと思った。
数学の方程式や英語の長文読解が得意というのと同じように、ゆりはセックスが「得意」なのだ。
瀬田に対する愛などカケラも持ち合わせていないのに、瀬田とのセックスは気持ちよかった。
もちろん、瀬田が経験豊富だということも大きいだろう。
それでも瀬田は
「最初からこんなに相性が良かったのは、ゆりが初めてだよ」
と言っていた。
ゆりは可愛らしく「嬉しい」と答えながら、頭の中では『違う』と思った。
きっと瀬田じゃない男とセックスしても、気持ちいいだろう。
瀬田のように女の子にモテて経験豊富な男とは違うタイプだったら、ゆりをどう扱うのか。
逆に瀬田よりももっと女の子にモテるような男だったら。
世の中に男はたくさんいる。
「ゆりみたいな女の子は初めてだよ」
瀬田が愛おしそうにゆりの頬を撫でながら言った。
「私なんて普通なのに」
そう。化粧をすべて落としてしまえば、もっと平凡だ。
「怒らないでくれよ。あのさ、初めて会ったときから、ゆりを抱いてみたいって思ったんだ。女なら誰でもいいわけじゃないのにな」
瀬田の言うことが真実なら、ゆりは生来の「男が抱きたい女」なのかもしれない。
ふしだら
淫ら
それでいいとゆりは思った。
「私はエロいのかなぁ」
ゆりがそう言うと、ストローでコーラを吸っていた恭介は「ぶっ」と吹き出した。
放課後、恭介と待ち合わせて、通学の沿線にある賑やかな駅近くのファミレスに入った。
瀬田との「実践」報告会だ。
「そりゃエロいんだろ。好きでもないヤツと喜んでヤってんだから」
店内は学生や主婦でそこそこ席が埋まっており、フロアーの角の席にいる恭介とゆりの会話など、ざわめきに消されてしまう。
今日のゆりは学校帰りだから、普段のゆりだ。
ノーメイクで髪も簡単に結んだだけ。もちろんメガネもかけて、制服はどこも着崩していない。
その点恭介は、高校入学から意識して変えた「イケメン」の雰囲気に磨きがかかり、離れたテーブルにいる見知らぬ高校の制服の女の子たちが、時折盗み見てはコソコソと話している。
そんな他校の女の子たちは、どうして恭介のようなカッコいい男の子が、地味を絵に描いたようなゆりと一緒にいるのか、さぞ不思議がっているだろうと考えながら、自分のストローをくわえて恭介に「ふっ」と息を吹きかけた。
ストローの内側に付いていたアイスティーの雫が恭介の顔に飛び、恭介は「コノヤロ」と言いながら自分もゆりと同じことをやり返してきた。
「そういうことじゃなくってさ。化けた私は男から見てエロいのか、って聞きたいの」
「なんで」
「瀬田さんにそんなこと言われたから」
「ふん」
恭介は紙ナプキンでゆりに飛ばされた雫を拭い、くわえたままのストローを上下に動かしながら考えた。
「俺はゆりにそういうの感じないからなぁ」
「客観的に見て、だよ」
「そうだな。フェロモン出てるかもな」
「フェロモンって、こういうカッコしてると、出ないもんなの?」
ゆりは自分の制服を見下ろした。
「隠れてるんじゃねーの?」
「わかった」
「なにが」
「隠れてるんじゃなくて、男が気付かないだけなんだ」
平凡で地味な顔立ち。
華やかさのない服装。
見た目がそのままゆりの印象になる。
一重の目を二重にし、眉や唇を描き、髪形を変える。
少し大人っぽい、綺麗目の服を着る。
そうすると普段はゆりの地味さに隠れた本性が、男の性的な目には見えてくるのかもしれない。
「こんな格好してたって、私がエロいことには変わりないんだよ」
「そりゃそうだ」
「地味なまんまだと、男もやらしい気分にならないから、私のエロさは見えてこないんじゃない?」
「だけど俺、化けたゆり見てもそんなに性欲湧かねーよ?」
「不自由してないからでしょ」
「そりゃそうだけど。なんかゆりとはエロいことしようと思わない」
「私と恭介のエロさがぶつかると、消えちゃうのかもね」
「エロの帝王と女王か」
恭介は言葉に似合わない爽やかな顔で笑った。
「女王は初体験から堪能した?」
「した。イクってすごいね」
「初っ端からそんな?何回?」
「2回して、多分10回は」
「マジで」
「うん」
「そいつ、よっぽど上手いんだな」
「上手いんじゃない?でも、瀬田さんじゃなくても、多分同じだと思う」
「そうか?」
「うん。私、そういう女みたいだよ」
「真性のエロだな」
「恭介に言われたくないよ」
ゆりはそう言って笑いながら、さっき横目で恭介を見ていた女の子たちが、この会話を聞いたらどんなに驚くだろうと思って、さらに笑った。
ゆりは瀬田とのセックスを楽しんだ。
何度瀬田に抱かれても、一向に愛も情も湧いてはこなかった。
ゆりが瀬田に「会いたいな」と言うときは、セックスをしたいときだ。
そのためにゆりは瀬田が欲しがる言葉を連ねた。
観察も研究も、ゆりは得意だ。
瀬田が喜ぶ言葉、瀬田の性欲を掻き立てる仕草、データとしてゆりの頭の中に蓄積され、分析されていった。
「やりすぎたわ」
ある日、勉強部屋にフラリと寄ったゆりが恭介の前でため息をついた。
「セックス?」
「してるけどさ、そうじゃなくて、瀬田さん好みの女を演りすぎた」
「めんどくさくなった?」
「めんどくさくなった」
あれだけいろんな女の子を渡り歩いてきた瀬田が、ゆりに夢中になった。
ゆりと付き合い始めた当初は、他に2、3人くらいはセックスしたりちょっかい出したりしている女の子がいるのを、ゆりも気付いていた。
その瀬田が、ゆりと体の関係ができてから1ヶ月もすると、他の女を全部遠ざけてしまった。
余程ゆりとのセックスが良かったらしい。
最初はゆりも適度に押したり引いたりしながら、瀬田との擬似恋愛を楽しんでいたのだが、瀬田はゆりが予測した以上にゆりに執着するようになった。
バイトがない日や学校での様子や交友関係を根掘り葉掘り聞いてくる。
教えていない自宅の場所を知りたがる。
瀬田からのメールや電話への返事が遅れると、何度も着信が続く。
瀬田の感情をあまり乱さないように、宥めたりすかしたりを繰り返すのも、面倒になってきた。
相変わらず瀬田とのセックスは良かった。
瀬田はゆりを手放したくない一心なのか、最初よりさらに丹念にゆりの体を扱うようになっていて、ゆりもそこは楽しめるのだが、それ以上にセックスしていないときの瀬田が鬱陶しい。
セックスなら、他の男とでもできる。
「あんまり深入りしたらダメだね」
ゆりがそう言うと、恭介も「だな」と深く頷いた。
「ねぇ、美人いない?」
「いるよ」
「瀬田さんにあげたらダメ?」
「あー、そうすんの?」
「うん。上手くやれば、そっちに行ってくれるかも」
「いいよ。一番美形だそうか」
「ホント?惜しくない?」
「どうせすぐ飽きる」
「どんなタイプ?」
「顔は女優の○○に似てる。頭カラッポなのにプライドのかたまり」
「いいねー。軽い?」
「カラッポだからな」
ゆりは頭の中で「シナリオ」を作り始めた。
数日後、日程を調整して、同じときにゆりと恭介はそれぞれ「ターゲット」を連れてカラオケボックスへ行った。
恭介は適当な理由をつけて機嫌が悪くなったフリをする。
恭介に熱を上げている彼女は、怒り出した恭介に驚いて泣き出した。
それを見計らってトイレに立ったゆりが部屋に戻り、瀬田に「ケンカしてるカップルがいた」と報告。
瀬田は興味がなさそうで、とりあえずしばらくカラオケを続けた。
恭介は頃合を見計らってゆりの携帯へメールを送ってから、彼女を置いて退室。
彼女は人前で泣くことを嫌う。化粧が崩れるからだ。
そして人前で男に縋るようなことはできない性格だ。
恭介のメールを確認したゆりは、親から早く帰るようにメールがきたと瀬田に言う。
最近瀬田と付き合うようになって、帰宅時間が遅くなっているのは事実だった。
仕方なく瀬田もゆりと一緒に帰ろうと部屋を出たが、そのときにゆりが
「あの部屋でケンカしてた」
と瀬田に教えた。
心配している素振りで、ゆりは恭介がいた部屋に入り、彼女に「大丈夫?」と声をかけてみせた。
そこで瀬田は、彼女の顔を見た。
恭介が厳選した美少女だ。
プライドの高い彼女は「大丈夫です」と言ったが、一瞬瀬田を見たのを、ゆりは見逃さなかった。
「ゴメンね、さっきケンカしてるとこ見ちゃったの。彼氏さんは?」
ゆりがそう言うと、彼女は迷惑そうな顔をした。
ゆりは「ごめんなさい」と謝って、瀬田と一緒にその部屋を出た。
カラオケボックスは駅前だった。
瀬田とゆりは乗る路線が違う。
ゆりは「近所の人と会うとバレて親に叱られるから」と、いままで瀬田に送らせないようにしていたので、改札口で別れた。
瀬田が改札から離れてすぐ、ゆりは駅員に「忘れ物をしました」と言って改札の外に出してもらい、すぐ近くで待っている恭介と落ち合った。
ゆりと恭介が走って元いたカラオケボックスの方へ向かうと、駅を出たところで瀬田の背中が見えた。
瀬田は2人には気付かず、カラオケボックスに入って行った。
ゆりと恭介はすぐ近くにあるマクドナルドに入り、カラオケボックスの出入り口が見える席に陣取った。
すると20分くらいして、瀬田が出てくるのが見えた。
その後ろに恭介の彼女がいた。
ゆりと恭介が2人のあとをつけると、2人はそうとも知らず歩いていき、瀬田のマンションに入っていった。
ゆりの「シナリオ」通りだった。
『君のことが気になって』
『………彼女はどうしたんですか?』
『あの子は友達だよ。それより大丈夫?酷いな、君みたいに可愛い子を置いていくなんて』
『なんで彼が怒ったのか分からないの』
(中略)
『俺のマンション、この近くなんだ。彼氏の愚痴、聞いてあげるよ』
(でたでた)
『えっ………でも………』
(おいおい、迷うならもっと困った顔しろよ)
『あっ、ゴメン。下心あるわけじゃないんだ』
(嘘でしょ。ヤるきマンマンなクセに)
『えっ、あ、ゴメンなさい。そんなつもりじゃなくて』
(オマエも嘘つきだな。どんなつもりなんだよー)
『警戒しなくても大丈夫だよ』
(オマエを警戒しないで誰を警戒しろって言うんだよー)
『………優しいのね』
(もっと警戒しろよー)
『可愛い子が泣いてたら、誰でも優しくするよ』
(そりゃ付け入る絶好の機会だもんね)
『可愛いだなんて………』
(思ってるだろ!)
『愚痴聞いたらちゃんと家まで送るよ』
(明日の朝かー?)
『………じゃあ、少しだけ』
(これがブサ男でもか?)
『俺、瀬田って言うんだ。君の名前は?』
『私
「ちょ、恭介、もうやめてぇ。お腹痛くなっちゃった」
ゆりは目に涙を溜めて言った。
笑いすぎだ。
「ゆりがノッてきたんだろ」
恭介もそう言いながら笑いが止まらない。
ゆりと恭介は、瀬田と彼女が瀬田のマンションに入るのを見届けたあと、違うカラオケボックスに移動して、今日の「シナリオ」の反省会をしていた。
「でも、大筋でこんな感じだったんだろうね」
「なんじゃないの?」
「さすが恭介は女たらしだね。瀬田さんの行動、よく理解してる」
「一緒にすんなよなー」
「もうヤったかなー」
「傷付いてる女ヤるのは簡単だからな。そんなチャンス逃したらバカだよ」
「彼女、いい?」
「美人だけど、受け身だからな。つまんないよ」
「瀬田さん、すぐ飽きちゃうかなぁ」
ゆりは口を尖らせてソファに沈んだ。
「二股させときゃいいじゃん。それが刺激になって、ゆりももっと気持ちよくなるかもしれないし」
「罪悪感で少し大人しくなるかな?黙ってセックス頑張ってくれるかな」
「俺もしばらくこのまんまでいいや。気付かないフリして遊んでみよ」
「それいいね。私もそうしよう」
ゆりはソファーに沈んだまま伸びをした。
「ゆり、パンツ見えてるぞ」
「興奮する?」
「ゆりだとしない」
「気が合うねぇ」
ゆりは笑いながらカラオケのリモコンを取った。
結局ゆりは瀬田と1年付き合った。
瀬田が恭介の彼女に手を出してからは、ゆりも瀬田の女癖の悪さを適度に利用しながら「恋愛ゲーム」を楽しめた。
就職活動が忙しくなった瀬田がバイトを変え、それを機にフェードアウトするまでの付き合いだった。
ゆりはその時期から、バイト先のコーヒーショップの客と付き合うようになった。
店の近くにある会社の若い夏目というサラリーマンだった。
夏目と付き合うのは楽だった。
サラリーマンは仕事があるから、平日は学生のようにあまり会うこともない。
金曜の夜や土日などの休みに会うくらいが、ゆりには丁度よかった。
夏目は都内の自宅暮らしだったので、会うのは外ばかりなのも良かった。
ドライブや映画などの普通のデートもしたが、体の関係ができると、日中ずっとフリータイムでいられるラブホテルで過ごすことが多くなった。
会いたい、というより、セックスがしたいだけのゆりには、そういう時間が一番楽しかった。
瀬田と付き合っているときに、一通りセックスの味は覚えた。
だけど夏目とのセックスも、また違った。
夏目は瀬田のように女癖が悪い男ではなかったが、人並みに経験のある、大人だった。
まだ高校生のゆりに、瀬田とは違うやり方で色んな快楽を教えてくれた。
実は夏目には婚約者がいた。
遠距離恋愛なのをいいことに、それを隠してゆりと付き合っていることも、ゆりは気付いていた。
ゆりには好都合でしかなかった。
夏目はゆりを玩具のように扱った。
瀬田はどちらかというとゆりの望むようなことを探求するタイプだったが、夏目は次々と目新しいことをして、ゆりの反応を楽しむタイプだった。
痛いのや苦しいのは嫌だから、SMめいた行為はやめてもらったが、道具や言葉で責められる歓びは夏目から教わった。
夏目は夏目で、どちらかというと大人しいらしい婚約者とはできないことを、若いゆりと楽しんでいたようだ。
夏目との関係は半年で終わった。
元々ゆりとは結婚までの遊びのつもりだったらしく、結納が済み、結婚の準備が忙しくなったころに、夏目のほうから仕事の忙しさを理由に離れていった。
ゆりも深入りしない目安を半年が限界と思っていたので、そのまま連絡を絶った。
そのあと、バイト仲間と常連客を短いスパンで渡り歩き、適当な相手が尽きたところで、ゆりはバイトを変えた。
学校では相変わらず地味なままだった。
県内トップクラスの学校だけあって、周囲は真面目な子が多かった。
ただ、レベルの高い学校ほど校風も規則も自由なこともあり、もちろん校内で付き合っている子もたくさんいた。
ゆりは、そういうカップルを見るのが好きだった。
微笑ましい気分でではない。
もうセックスしたか、していないか、カップルを見るだけですぐ分かるのが楽しかった。
もちろんゆりは、学校ではフェロモンなど欠片も見せない。
もし普段の地味なゆりに隠れたフェロモンに気づく男の子がいたら、セックスしてもいいと思った。
そんな男の子なら、ゆりと同類なんだろうから。
同類は同類でも、恭介は別だった。
お互い、性的な対象として見ることはない。
その恭介は、相変わらず女関係が激しかった。
ゆりと違って二股三股は当たり前だ。
飽きたり面倒になった女の子から切り捨てていく。
場数を踏んだ回数が増えるのに比例して、関係を清算するのも上手くなった。
それでも抉れそうになると、やっぱりゆりが登場することになる。
逆に狙った女の子が手強そうなときにも、ゆりに知恵を借りたりもする。
気ままに異性関係を楽しんではいたが、2人とも学校の成績はキープしていた。
大学受験があるからだ。
恭介はMARCHクラスの大学を狙っていた。
ある程度の学力、そこそこ聞こえのいい大学、その先にある誰もが知る就職先の企業。
恭介にとっては、女の子に受け、自分自身にも得になる進路だ。
相変わらず恭介の家庭教師役はゆりだった。
定期テストも模試も、ゆりのお陰で恭介は校内で上位にいることができた。
恭介の高校はそこそこの進学校で、高校3年になっても成績の良かった恭介は、思惑通りMARCHクラスの大学の指定校推薦を取った。
そしてゆりは、私立の難関大学を何校か受験して、合格したうちのある大学に進学を決めた。
「なんで東大受けなかったんだよ」
恭介は不思議がって言った。
「K大に教わってみたい教授がいるの」
恭介には初耳だった。
「意外だな」
「私だってやらしーことばっかり考えてるわけじゃないよ」
ゆりは笑って言った。
「へー。じゃあなに考えてんの?」
「将来」
「なんかやりたいの?」
「出版社に入りたい」
これまた恭介には初耳だった。
「そういやよく本読んでるな」
「うん。最初は資料代わりに恋愛小説読んでたんだけど、好きな作家ができた」
「ゆりも『シナリオ』作るの上手いもんな」
「出版大手は給料もいいんだ。私、多分結婚しないだろうし」
「いまからそんなこと言ってんの?」
「うん。多分子どもも産まないような気がする」
「なんで」
「生理不順だから。将来不妊かも」
ゆりは小学6年で初潮がきて以来、一度も安定した月経周期になったことがなかった。
18歳になったいまも、半年に一度くらいしか生理がこない。
ゆりが自分で調べた限り、排卵障害なのだろうと思っていた。
まだ若い10代の間は安定していなくても異常とは言い切れないが、ゆりはこんな自分なら普通の女の子と違っていても当然かもしれないと、漠然と思っていた。
「まぁゆりが普通の奥さんになるとは思えないしな」
「恭介に言われたくないよ」
怒るでもなくゆりは言った。
「そうだな。ホントなら、俺とゆりみたいなヤツ同士が結婚すればいいんだよな」
「ロクな夫婦じゃないね」
「だな」
ゆりはいつか恭介が誰かと結婚して、奥さんが恭介の浮気性に泣く姿が目に浮かぶようだった。
ゆりと恭介はそれぞれ大学へ進学した。
ゆりにとって、大学での勉強は、高校時代より楽しかった。
大学では自分である程度履修科目を選択できるので、もともと苦手ではない勉強が楽しいと初めて思えた。
サークルや部活動といった学生らしい生活には高校時代から興味がなかったので、もっぱら勉強とバイトに励んでいた。
その合間に「恋愛ゲーム」も続けていた。
相手は主にバイト先で調達した。
相変わらず同じ大学の学生には手を出さないようにしていた。
ゆりの日常を知らない相手のほうが、なにかと都合が良かった。
だからゆりは高校時代と同じように、地味で目立たない平凡な外見で大学へ通っていた。
一方恭介は、高校という閉鎖された環境から、学生自身もはっきりとは在学生の人数が分からないくらい規模の大きくなった大学という世界に入り、まさに「やりたい放題」になっていた。
両親が裕福なこともあって、恭介がひとり暮らしを望むと、それも許された。
恭介の両親は、まさか自分の息子が高校時代から激しい女遊びをしているとは気付いていないのだろう。
大学から近いところに、単身者向けのアパートを借りてもらった。
恭介は親から信頼されていた。
同じ高校の女の子に手を出さず、ゆりの手を借りながらも、相手の女の子を綺麗に清算してきた成果だ。
恭介は他大学の女の子もたくさん在籍しているいわゆる「お遊びサークル」に入り、次から次へと女の子に手を出した。
サークルの女の子以外にも、同じ講義で見た女の子とか、校内でちょっと関わった女の子とか、きっかけがあればすぐに近付いた。
恭介は小遣いを稼ぐために、たまに短期のアルバイトをしたが、それも趣味と実益を兼ねているようで、バイトが終了するまでに必ず1人は女の子を引っ掛けていた。
ゆりと恭介は、そんなお互いのことを、なんでもよく知っていた。
隠すようなことなどなにもないし、お互い相談相手になることも多かった。
ゆりと恭介は、自分たちが「ろくでなし」だということを、よく分かっていた。
自分のしてきたことがあちこちに知られれば、下手をすると誰かに復讐されかねないくらい、ゆりと恭介は人として間違っているということだ。
そういう意味では、ゆりと恭介は「共犯者」であり、同じ罪を背負った「同志」だった。
高校卒業までは、恭介の勉強部屋にゆりがいることが多かったが、恭介がアパートでひとり暮らしを始めると、当然のようにゆりの居場所もそちらへ移った。
「泊めて~」
自宅へ帰るのが面倒になると、ゆりは恭介のアパートに泊まるようになった。
アパートは都内にある恭介が通う大学に近いエリアの学生街にあり、ゆりが都心の繁華街でバイトしているときなどは、郊外にある自宅に帰るより近かった。
意外にも、恭介は自分のアパートに女の子を連れ込むことは少なかった。
ゆりが理由を聞くと
「アパートじゃ大きい声出されると苦情がくる」
という、至極真っ当な答えが返ってきた。
女の子とセックスするのに、アパートは適さない、ということらしい。
「試したの?」
「1回で懲りた」
「へー。そんなにおっきい声だす女の子がいたんだ」
「ゆりは声、出ねーの?」
「出るよ。でもアパートとかマンションだったらボリューム抑えるけど」
「調節できるんだ」
「我慢するのがまたいいんだよね」
ゆりはくっくと笑った。
「あー、確かに声出さないように我慢してる顔はいいな」
「でしょ?なんていうの?その分気持ちいいのが集中する感じ」
「じゃあまた今度ここでしようかな」
「ダメじゃない?声が大きい子の半分以上は演技だよ」
「俺のセックスで演技?そんな余裕ないはずなんだけど」
「見たことないもん、知らないよ。気持ちいいのは確かで、それを盛ってるんでしょ」
「納得いかない」
「精進しなよ」
そんなきわどい話ばかりしていても、相変わらずゆりと恭介の間に性的なものはなにもなかった。
ゆりは恭介のアパートにときどき泊まるようになると、自分でお金を出してソファーベッドと布団を買った。
最初は無理矢理恭介のシングルベッドに2人で寝ていたのだが、さすがに狭いからだ。
中学校時代から2人で過ごす時間は多かった。
恭介の家の敷地内とはいえ、勉強部屋に使っていたアパートにいれば密室だったし、恭介がひとり暮らしを始めたいまは、完全なプライベート空間だ。
ゆりが恭介と一緒にいるときは、たいていお互い好き勝手なことをしている。
本やマンガを読んだり、ゲームをしたり、喋りたいときは勝手に喋り始め、眠たくなったら眠ってしまう。
もちろん、勉強をするときは2人とも集中して取り組む。
そして例によって、お互い異性関係でなにかあるときは、顔を寄せ合って悪巧みやシナリオの打ち合わせ。
もちろん一緒にゲームをしたり、くだらない話もするし、じゃれ合うこともあるが、そういうときもお互い異性を意識することは皆無だった。
「私と恭介って、前世では一卵性双生児だったのかもね」
ゆりがそう言うと、恭介は鼻で笑った。
「ゆりもそんなメルヘンなこと言うんだな」
「たまにはね」
「まあ前世なんてあるかどうかは知らないけど、俺とゆりが同類なのは確かだな」
「運がいいよね」
「そうだな。ゆりが男だったら女のことはわかんねーし」
「そうそう。私が男だったら恭介の手伝いできないし」
「ヘンだよなー。化けたゆりは確かにエロいんだけど、そんでも俺、なんも感じないし」
「試す?」
「俺、負けないよ」
「きっと恭介がギブアップするもん」
「格闘技だな」
ゆりと恭介はそう言って笑い合った。
一緒にいるときは2人とも無防備だ。
ゆりは恭介の前で着替えることすらなんとも思わない。恭介も気にしない。
一緒のベッドで眠ることも、ただ狭いとか暑苦しいとしか思わない。
異性のきょうだいよりも異性が感じられない。
同性の友人よりも距離を感じない。
運が良かったのか。
それとも出会わないほうがお互いのためだったのか。
ゆりも恭介も、そんなことまでは考えようとはしなかった。
ゆりが「彼」に再会したのは、大学3年の秋だった。
「野村さんでしょ」
講義が終わり、学生食堂でコーヒーを飲みながらノートの整理をしていたゆりに、1人の男子学生がそう声をかけてきた。
ゆりはノートから顔を上げた。
「誰だっけ?」
声をかけてきた「彼」の顔を見たとき、ゆりは軽く衝撃を受けた。
『なんて綺麗な顔をしてるんだろう』
氷点下。
そんな言葉を連想した。
切れ長の目と、細く整った眉。高すぎない鼻。薄い唇。
サラサラとした前髪は、天窓から入る光に透けて金色に見えた。
一瞬にして、背中に砕いた氷を投げ込まれたような気分になった。
「横山」
「………もしかして西中の?」
「そう。横山誠」
フルネームを言われて記憶が蘇った。
誠は確かにゆりと恭介の中学校の同級生だった。
ただ、ゆりとも恭介とも一度も同じクラスになったことはなく、部活も違った。
そしてなにより、ゆりはもちろん恭介も、中学時代は目立たない「一般人」だったのとは違い、誠は目立つ存在だった。
もちろん、当時から綺麗な顔をしていたからだ。
一部の女子の間ではファンクラブまであったようだ。
つまり、ゆりや恭介とは住む世界が違うタイプだったので、同じ学校にいても、関わりは皆無だった。
「よく分かったね」
ゆりは単純にそう思った。
成績こそトップクラスだったが、それ以外の面ではすべてにおいて地味で目立たないゆりの存在を、よく覚えていたと思う。
「そりゃあね」
氷細工をイメージさせる表情が、少しだけ緩んだように見えた。
どうやら微笑したらしい。
含みのある言葉が、ゆりに絡みついた。
ゆりはさっき投げ込まれた氷で、すーっと背中をなぞられたように感じた。
「………横山くんは人気者だったけど、私は地味な2軍だったのよ」
ゆりは初めての感覚に身震いしそうになるのを楽しみながら言った。
「野村さんは変わってないね。………いや、変わったかな」
「どう、変わったのかな」
「言葉じゃ説明できないな」
「じゃあどう説明する?」
「さあ」
誠の視線も言葉も、まるで真冬の朝の空気のように乾いていて、温度がまるで感じられない。
なのに、ゆりは見えないなにかに全身絡めとられそうになっていた。
『この男と、セックスしたい』
体感する冷たさに反比例して、ゆりの体の奥は熱を持っていた。
性欲に押し潰されそうだ。
ゆりはセックスが好きだ。
相手は別に誰でも良かった。
化粧と服装で変わったゆりには、そこそこの男が近づいてくる。
ゆりの性欲と、疑似恋愛の駆け引きの面白さを満たしてくれれば、それで良かった。
そもそもゆりには好みのタイプなどないのだから。容姿など並以上であれば十分だった。
それなのに、いまゆりは、この冷たく整った顔をした男に、いままで感じたことがないほどの性欲を感じている。
いまも、先月から始めたバイト先で知り合った契約社員の男と付き合い、週に2回はセックスしている。
それなのに、これほど性欲を感じるのはなぜなのか。
誠が綺麗な顔をしているからとは思えない。
顔とセックスは関係ない。
ゆりは欲望が湧いた原因を知りたくてたまらなくなった。
「野村さん暇?」
ゆりに特に予定はなかった。
ゆりは誠と連れ立って学生食堂を出た。
食堂にはまばらに学生がいるだけだったが、それでも誠が歩くのを何人もの女子学生が目で追っていた。
ゆりにとっては慣れた視線だ。
恭介と一緒にいると、「なんであんな子が?」という嫉妬が刺さるように感じる。
優越感などない。
女の子のむき出しの欲望を見るのは嫌いではなかった。
学校から駅へ向かい、都心への電車に乗った。
電車を乗り継いで渋谷に着いたが、酒を飲ませる店はまだ開いていない時間だった。
誠が行きつけの喫茶店があるというので、その店に落ち着いた。
繁華街が近くにあるとは思えない、静かな店だった。
香りの良いコーヒーが出てくると、誠は胸ポケットからタバコを取り出して火を点けた。
「横山くんがウチの大学だなんて知らなかった」
「俺、あそこの学生だなんて言ってないよ」
「そうだったの?」
てっきりゆりは同じ大学の学生なのだと思っていた。
学生数は多いし、大して親しくなかった中学校の同級生の存在を知らなくても不思議ではない。
誠とは接点がなかったから、中学校時代の成績もよく分からないし、誠が進学した高校がどこかも覚えていなかった。
ゆりが中学校卒業後のことを聞くと、誠は都内の中堅大学付属校からそのまま大学へ進学したと言った。
「じゃあどうしてウチの大学にいたの」
「野村さんに会いに」
「どうして私に」
中学校時代に接点はない。
普段のゆりは、わざわざ誠のような男が会いにくるような女でもない。
「………野村さんは、いまでも村野と親しいんでしょ」
「恭介?」
思いもかけず誠の口から恭介の名前を聞き、ゆりは内心驚いた。
「この間、○駅で村野と電車を降りるところを見たよ」
恭介のアパートの最寄り駅だ。
「うん」
「昔から野村さんは村野と仲が良かったね」
「うん」
どうして誠が恭介のことを言い出したのか、ゆりには見当がつかなかった。
「付き合ってるの?」
「友達だよ」
そうとしか言いようがない。
中学校時代から、他の誰より近くにいる。
恋愛感情もなく、性的な興味もなく、ただ一番近い存在だ。
「恭介には彼女いるし」
ゆりが名前を覚えたころには消えていくような彼女だが。
「野村さんは?」
「いるよ。横山くんこそ、モテて仕方ないでしょ」
「そうだね。女の子には困らないよ。好きじゃないけど」
「好きじゃないの?」
「女は嫌いだよ」
「へえ」
意外だった。
恭介のように、女をいいように弄ぶのが趣味の男のそばにいるからか、女嫌いの男というのが珍しかった。
「じゃあ私のことも嫌いなんじゃない」
「野村さんは普通の女とは違うから」
いきなり誠はなにを言い出すのだろうとゆりは思った。
いくら中学校の同級生とはいえ、まともに話をするのは今日が初めてなのに。
「それが私に会いにきた理由?」
「そうじゃないよ」
「じゃあどうして」
「知りたい?」
誠が思いのほか柔らかい目になった。
「うん」
「野村さんは、男が好き?」
いきなりなにを言うのだろうと思いつつ、ゆりはまた「うん」と頷いた。
「俺もなんだ」
切れ長の目が微笑んだ。
「へえ」
ゆりの中で、なにかがストンと小さな音をたてて落ちたような気がした。
「ゲイ?」
好奇心がゆりに言葉を続けさせた。
「どうなんだろう。別に女とできないわけじゃないし、男と寝たこともないから」
「でも女が嫌いで、男が好きなんでしょう?」
「正確には女は嫌いで、村野が好きなんだ」
「へえ」
さすがのゆりも、驚いていた。
冗談ではなさそうだ。
「横山くんは恭介のこと好きなんだ」
「そう」
ゆりはたまにしか吸わないタバコが欲しくなり、誠に「1本ちょうだい」とねだった。
ライターを借りて一口吸うと、驚きが少し落ち着いた。
「そんなこと私に話していいの」
「野村さんならいいんじゃないかって、昔から思ってた」
「中学のころ?」
「うん。野村さんは普通の女の子とは違うような気がしてた」
「どこが違う?」
「昔はよく分からなかった。だけど、いまこうやって近くで話してると、なんとなく分かる」
「なに」
「俺と同類」
「私は女の子より男のほうが好き」
「セックスするのが好きなだけじゃないの」
「………」
「俺、女は嫌いだけど、女とセックスするのは好きなんだ。こんな顔してると、いくらでも女のほうからきてくれて便利だね」
誠には見えるのだろうか。感じるのだろうか。
地味な外見で隠れているはずの、ゆりの淫蕩な部分。
恋とか愛とか情とか、そんな暖かさとは対極にいる自分。
ゆりは納得した。
さっき学生食堂で誠が自分の前に現れたとき、彼から発せられる冷たいなにかに揺さぶられた理由は、それだった。
ゆりはタバコを持った手を延ばし、人差し指で誠の手に触れた。
思いがけずその手が熱く感じたので、ゆりはそっと手を戻した。
「いつから恭介のこと?」
「中3かな」
「どうして?」
「理由なんてあるもの?野村さんはいちいち理由を考えて誰かと付き合う?」
「私は誰も好きになんてなったことないから」
「好きじゃない人とセックスするの?」
「セックスが好きだから、ヤって良さそうな人とするの」
「合理的だね」
中学の同級生とはいえ、今日までまともに話もしたことのない相手と、お互いなにを話しているのだろうとゆりは思った。
でも、なんとなく解るような気がした。
匂うのだ。
ゆりたちの世代なら普通に持っている恋愛願望や、それに伴う健全な性欲。
ゆりにも恭介にも、目の前にいる誠にも、それがない。
その代わり、同じ種類のなにかが放つ匂いを感じる。
「横山くんが恭介を好きなのはいいけど、だからってどうして私に会いにきたの?」
「村野に一番近い人間だから」
「そんなまどろっこしいことしなくても、同級生なんだから一緒に遊べばいいじゃない」
「俺は村野を好きだけど、村野は男は好きじゃないだろう」
「まあね」
そう、恭介は女好きだ。しかも人並み以上で、性質も悪い。
「悪いとは思ったんだけど、少し村野の近辺を調べたんだ。元カノとか近付くの簡単だったし。何度か村野のあともつけたんだ。いつも違う女と一緒だった」
「女出入り激しいから」
「でも村野のアパートに出入りしてたのは野村さんだけだった」
その通りだ。
「私に嫉妬?」
ゆりがそう言うと、誠は笑った。
男に相応しい言葉ではないが、妖艶な笑みだった。
「友達なんだろう?セックスしてるかしてないかくらい、見れば分かる」
「その通りよ」
「だから、余計に野村さんにも興味がある」
「どうして」
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