私の今まで
昨年結婚し、娘を出産。
最近は、毎日成長していく娘を見ながら、ふと昔の自分を思い出す事が増えた。何となく思い立ったので、過去を振り返ってみる事にする。
ぼちぼち気が向いた時に書いていきます。
幼稚園の頃か、小学生になってからか分からない記憶も幾つかある(苦笑)
父の友人達と遊んだ記憶がそれだ。
「じぃ、ばぁ」と呼んで慕っていた、当時40~50代くらいのご夫婦。家に何度も泊めてくれた上、最近聞いたところによると私と弟(2歳違い)のランドセルも買ってくれたらしい。
そして「悪魔のおじちゃん」(笑)何故か私も弟もそう呼んでた、某、元宮崎県知事似のおじさん(笑)一緒に旅行行ったり、プール連れて行ってくれたりした。私は子供ながらにこのおじさんが大好きだった。(ちなみに弟も当時は懐いていたが、今は全く覚えていないらしい…。)
どちらも今は交流がない。みんな、元気でいてくれてるだろうか…。
小学生になってから、低学年の頃ははっきり言って覚えてない。ただ、先生の事は覚えてる。
1年生の時の担任の、K先生。穏やかな中年の女性教諭で、大好きだった。1度だけ間違えて「お母さん」と呼んでしまった事がある(苦笑)皆に笑われたて、凄く恥ずかしかったなぁ…。
2~3年生の時の担任のM先生。若くて、いかにもスポーツマンっぽい、男の先生。「バイバイ」って言うと「さよならと言いなさ~い」と言って、ギリギリ追い付かないぐらいのスピードに調整して、追いかけてくるのが印象的(笑)皆して良くやってたなぁ。何が楽しかったのか(笑)
4年生の時の担任のH先生。中年の男性教諭だったけど、指たて(腕立て伏せの、指だけで支えるやつ)を出来る、筋肉質な先生。「~ねぇ」と「おい!!」が口癖で、良く皆で回数を数えてた(笑)正確には覚えてないけど、確か5年生の時の移動教室の説明、1時間で100回以上言ってた(笑)
当時、とても真面目で、ちょっと潔癖症の気があった私。放課後の掃除は毎日しっかりやりたかった。教室の隅から順に、埃やゴミを掃いていく。でも、この頃になると周りは皆、サボる事を考え始める。目立つゴミだけサッと掃いて、終わり。皆がもう道具を片付けてる時に、私は1人でまだ掃除を続けてる。
「ちょっと、いつまで続けてるの?もう終わったんだけど!」
女の子グループのリーダー、理香子が言う。
「何処が終わったの?まだこんなにゴミ残ってるじゃん!」
私は間違ってない。そう思って、毎日同じ会話を繰り返していく。その時点で、私は彼女からウザいと思われていたんだろう。段々、会話は無くなり、無視される様になっていく。それでも、私はしっかり掃除をし続けた。
それから少し後。決定的な出来事が起きる。
それからの学校生活は、悲惨なものだった。私に聞こえる範囲内での悪口は当たり前。聞こえない場所からはクスクスと、私を指差しながらの嘲笑らしき笑い声。授業中に私が発言しようものなら女子が一斉に喋り出す。幸いにも、男子はその状況をあまり気にせずに居てくれたから、たまに喋ったりはした。でも男子は男子同士喋る方が楽しいのは当たり前。休み時間を毎回一緒に過ごしてくれる訳ではない。私は孤立していた。
この頃、私は読書にはまり始めた。集中して読めば、周りの音は全く聞こえなくなるし、本の世界は楽しい事がいっぱいだ。大変な事があっても、主人公は最後には幸せになる。希望が持てる。それに、本を読む事は色々な方面での知識を深められる。私は読書の魅力に、どんどん魅せられていった。
結局、その熱が冷めるのはそれから10年以上経ち、妊娠して注意力散漫になり、本に集中するのが難しくなってからだ。それまでの私は「活字中毒」だった(笑)
いじめがどんどん酷くなる中、家庭環境も段々と悪い方向に向き始める。
元々、私が小学校に上がった頃から、徐々に悪化してきていた両親の仲。この頃には、もう修復不能だと思うまでになっていた。
毎晩、両親の口論か、父の怒鳴り声で目を覚ます毎日。時にはガラスの割れる音がしたり、朝リビングに行くとソファーのカバーがズタズタになっていたりした。
たまに、耐えきれなくなって喧嘩中の両親の元へ行ったりもした。私がリビングに入ると、その間は喧嘩が収まる事、知ってたから。でもまだ子供だった私はあまり長時間は起きていられず、すぐ部屋に戻る事になってしまっていた。その後は両親も寝る事もあったし、喧嘩が再開する事もあった。そんな時は頭まで布団を被って、泣きながら眠りについた。
弟は眠りが深い太刀で、起きてくる事は滅多に無かった。それが救いだった。私より更に幼い弟。あんな喧嘩を見てほしくなかった。
いじめは収まるどころか、どんどんエスカレートしていく。休み時間、席を離れると勝手に机の中を荒らされる。1度、上履きを隠された時はさすがに先生に言ってしまった。学活(HR)の時間、クラスの皆で探しましょう、という事になった。悲しいというより…惨めだった。隠したのは理香子か、その取り巻きか。結局、面倒になったのか、良心の呵責に耐えられなかったのか、彼女達は「見付けた」と先生に上履きを持って行ったらしい。本当かどうかは分からないけど、ゴミ捨て場のポリバケツの中にあった、との事。
ここまでされても、私は親にこの事を言えなかった。父との事で、ただでさえ苦労していた母。母に心配をかけたくなかった。
いつ頃だったのか、季節も覚えてない。父のいない時、母に言われた。
「お母さん、お父さんと別れようかと思ってるの。」
もう、とっくに覚悟できてた事だ。そっか、としか返さなかった。
「その話をして、もし逆上されたら…。沙羅、いつも起きてるよね?お母さんが沙羅の名前を呼んだら、警察に行ってほしいの。翔は、起きないから。」
血の気が失せた。母に対して、父が暴力を奮う事があるのは、うっすら気付いてはいたけど、警察?そこまで酷かったの?顔を上げられなくなった私に、母は続ける。
「沙羅や翔(弟)には、絶対に手は出させない。お母さん、お父さんの足にしがみついてでも、例え殺されても貴方達を守るから。」
その日、父に気付かれない様、子供部屋のベッドの下に新聞紙を敷き、その上に私の靴が置かれた。…もしも警察に行く事になった場合、靴を履いてそのまま玄関を飛び出す為だった。靴を履くのにもたついて、父に捕まらない様に。
それからは、喧嘩してるのに気付く度、靴を履いて待機する様になった。
友達は、すぐに出来た。前後の席の子に話し掛けられて、更にその友達とも友達になっていく。最初は、話すだけでも凄く緊張した。それでも徐々に馴染んでいけたのは、理香子達とは違う、サバサバしたタイプの子達だったからだと思う。
部活も始めた。中学で1番キツいと評判だった、バスケ部。選んだ理由は、世代とはちょっと違うが、スラムダンクが好きだったからだ。…アニメを見ていた頃は小さ過ぎて、ルールもさっぱり分からずに見てたけど(笑)それに、今まではインドアな趣味ばかりだったから、スポーツを始めて、自分を変えたいって思ったのもある。
最終的に、男子は20人近く入部したのに対し女子はたった5人…💦ギリギリ、チームになる人数しかいなかった(汗)
練習はキツかった。毎日毎日筋肉痛に悩まされ、部活から帰るとシャワーを浴びてご飯を食べ、宿題があればやり、なければそのまますぐに寝る生活。当時の私は、21時にはもう寝てた(笑)母に「ボロ雑巾の様だ」と言われたのは1度や2度じゃない。
でも、凄く充実してた。実際、クラスメイトと仲良くなれたのは、部活仲間のおかげでもあった。当初緊張しまくりで自分から話し掛ける事も出来ず、喋っても敬語になってしまった私に「なんで敬語?これから一緒にやってくんだし、タメ口にしようよ!もしまた敬語使ったら殴るよ?(笑)」と、冗談っぽく言った由美。彼女の言葉がなければ、もしかしたら私は未だに女子が怖かったかもしれない。
部活が正式に始まって、一月足らず。なんと、1人やめてしまった。「練習がキツ過ぎてついていけない」らしかった。背も高く、私よりも全然運動神経のいい彼女がやめてしまったのはショックだった。
ここでも、由美の言葉に救われた。「やめちゃったのは仕方ない。私は、絶対に3年間続ける!もし、続けるつもりないんだったら、皆も今の内にやめたらいい。でも、続けるなら、何があっても3年間、一緒に頑張ってこうよ!たった4人になっちゃったけど、皆で頑張ろうよ!!」
この言葉に、私は絶対に続ける事を決意した。2年間、いじめに1人で耐えた私。仲間がいるなら、どんなにキツくても頑張れると思った。…何より、明るく皆を引っ張っていってくれる由美に憧れ、一緒にいたいと思う様になっていた。
6月。3年の先輩達の、最後の大会が始まった。昔は強かったらしい、うちのバスケ部。この頃はそんな過去の栄光は見る影もなく…。男子、女子共に初戦敗退。1年生の教育は大抵が2年生の担当。引退する先輩達とは殆ど接点がなかったけど、先輩達が泣いてるのを見て、私達1年生も泣いた。
試合後、学校に戻る。そこで新しい部長、キャプテン、副キャプテンが発表された。3年生の先輩達が全員で話し合い、顧問にも相談し、任命する。それがしきたりならしい。
女子部ではそれぞれ、
部長は真面目で、細やかな事にも気が回る糸田先輩。
キャプテンは、1番バスケが上手い須田亜弥先輩。
副部長兼、副キャプテンは優しい須田真弥先輩。(亜弥先輩とは双子!)
そして、新体制のバスケ部がスタートした。
今まで触れてこなかった、コーチの話を少し。
どういう経緯でコーチになったのかはよく分からない。コーチは保健体育の講師の先生だった。
文武両道を重んじる人で、遅刻や授業態度の悪さには厳しかった。
そんなコーチが、期末テストが終わって言った言葉。
「授業が終わったからって、部活と遊びだけをやればいい訳じゃない。学生の本分は勉強だ。」
そして、謎の勉強会が始まる。最初にやらされたのが、期末テストのやり直し。自分の好きな教科を1つ選び、満点を取るまで毎日練習前にテストを繰り返すのだ(汗)本当に些細なケアレスミスも許されない、このテストはかなり厳しかった。練習の邪魔にならない隅で、クリア出来ていない人間は筆記用具とテスト用紙、解答用紙のコピーを持参して行う。毎日少しずつ減っていく人数が、プレッシャーを与えた(苦笑)
更にコーチは宿題に対してこう言った。
「最後までやらずにラストスパートなんか有り得ない。遅くともお盆前には終わるだろう。チェックするからちゃんと終わらせろよ。」
…その後、先輩達に聞いたところによると、終わらない人が居た場合は学年全員の連帯責任になるらしい。その罰は、校庭30周だとか、階段100往復だとか、夏にはやりたくもない、厳しい基礎練習だと言う…。これをやりたくないが為に、皆かなり頑張ったのは言う間でもない(苦笑)
ただ、コーチは「やれ」とだけ言って放置する人ではなかった。午前、あるいは午後、片方しか体育館が取れなかった時は教室を借り、そこで私達に宿題をさせた。分からない事があったら聞く様に、学年別、やる教科別に座らせた。英語の書き取りは「発音も一緒に覚えなさい」と、声に出して読む事も強制された(笑)なので、英語をやってる一角からはお経の様にブツブツと声が聞こえた(笑)
私は7月中に宿題を終わらせ、皆の質問係になった。
そしてお盆休みに入る直前、1年生はコーチに頼み教室を借りてもらい、全員で集まった。コーチのしてくれた宿題の時間以外、家等では全くやらなかった数人の救済の為だ(苦笑)字が違う事がばれるのは怖いので、出来る事と言えば数学のプリントの答えを教えたり写させたり、「ここは応用問題で難しいから書くな」って言ったりする程度だったけど。前日までかかってようやく終わった時は、妙な達成感があった。
そして、お盆休みに入る。
お盆休み初日、父のいない時間、母は私と翔に、話があると言い、テーブルに着かせた。
「あんた達には、本当に悪いと思ってる。」
泣き出しそうな顔をした母が、そう言って切り出した。
「沙羅は、お父さんとお母さんが喧嘩ばっかりしてたのは、知ってるよね。翔も…気付いてはいたと思う。」
翔は俯いていた。私は気付いていなかったけど、どうやら翔も起きていた事があったらしい。
「もう、お母さん耐えられなくなっちゃったんだ。籍だけは先に抜いたから、ここを出て行こうと思うの。」
そう、私も翔も、この時初めて戸籍上既に父が父でないことを知った。
「あんた達には、どっちに着いて行くか、自分で決めてほしい。…出てくのは明後日だから、それまでに決めておいて。」
その後、出ていく日の段取りを聞いた。父が逆上して何をしでかすか分からないから、ボディーガードを雇った事(!)、引っ越しの準備を事前に進める事は出来ないから、荷造りは引っ越し業者に頼む形にした事、どちらに着いていっても大丈夫なように、母の引っ越し先は私達の学校に通える範囲内にある事…。
どちらに着いていくか、私の答えは、決まっていた。
当日。父のいる日、いる時間。なるべくいつも通りに過ごす様に言われてた。
昼過ぎ、インターホンが鳴り、母が出る。玄関で少し会話が聞こえた後、何も知らない父の前に、母と、スーツ姿の2人の男の人が現れた。
「…何だ?誰だ?」
当たり前だが、状況が飲み込めない父。母は冷静だった。
「これ以上、貴方とはやっていけない。…別れましょう。戸籍上は、もう私達は他人だし、構わないでしょう?」
驚く父。そんな父から一旦目を離し、母は私達に向かって言った。
「…お父さんと話があるから、貴方達は部屋に居なさい。」
私達に聞かせたくない話だったんだろう。母の言葉に従った。部屋に戻っても遊ぶ様な気持ちにはなれない。翔と2人、無言の時間が続く。
「…ねぇ、お姉ちゃん。」
こちらを見ないまま、翔が話し掛ける。
「お姉ちゃんは…お父さんとお母さん、どっちに着いて行くか決めた…?」
小さな声で、私に問う。俯いているけど、泣きそうになってるのは、すぐに分かった。
「…うん、決めたよ。最初から、悩みもしなかった。…翔、迷ってるの?」
微かに頷く翔。迷うのも無理はない、と思う反面、迷う必要なんかないんじゃないかとも思った。
「お姉ちゃんは…どっちに着いてくの?」
顔を上げた翔の、縋るような目。ここで私が答えたら、きっと翔は私の着いていく方に着いていくと言うのは分かっていた。
「自分で、決める事だよ。翔の分までお姉ちゃんが決めるのは出来ない。」
泣きそうな翔に言う事じゃなかったかもしれない。でも、母は自分で決めろと言った。翔にも、自分で選択してほしかった。
更に、インターホンが鳴る。引っ越し業者が来たのだ。そして私達も呼ばれた。
「このメモの通りに、荷造りをお願いします。」
母はそう言うと、引っ越し業者にメモを渡した。業者の人達が荷造りしていく中、家族全員で向き合う。
「沙羅、翔。…どちらに着いていくか、決めた?」
頷く私。少しの沈黙の後、翔も小さく頷く。それを確認し、私は言った。
「私は、お母さんに着いてく。…お父さん…ごめんね。」
泣きそうになってる自分に気付いた。両親の喧嘩を見るのは嫌だった。こんなに喧嘩ばかりするなら別れればいいと思った事もあった。それなのに、いざそうなると、辛かった。心の何処かで、これからもずっと家族全員で一緒に居られる事を願ってた。
私の言葉に続き、翔も答える。
「僕も。…お母さんに着いてく。」
翔は泣いていた。当たり前だ。私より幼い翔。甘えん坊で寂しがりやで、ついこの間まで、1人で留守番も出来なかったような子だ。家族が離れる事が、平気な訳がない。
「沙羅がお前に着いてくって言ったら、翔も一緒に着いてくって言うのは当たり前だろ!」
父が怒鳴る。でも母は、泣きそうな顔はしてたけど、冷静だった。
「それも含めて、翔の決断でしょ?私とあなた、どちらかを選ぶ事が出来ないなら、お姉ちゃんの居る方に行く。…立派に、自分の意思で選んだ事よ。」
そう言った母。ちょっと一瞬、「あ、そうなんだ。じゃあさっき言っても良かったんだ。…意地悪になっちゃった(汗)」と思う自分も居た…。
母に言われ、私と翔は自分達の必要な物を引っ越し業者の人に伝える。次々と箱詰めされていく荷物に、段々、引っ越しの現実がのしかかってくる。その光景を翔と2人、時々「それはいらないです」「これもお願いします」とか言いながら、会話もなく眺めていた。
荷造りがほぼ終わり、母が最終確認をしている間、私達姉弟は、最後になるかもしれない父との会話をしていた。
「離れて暮らしてても、お父さんはお前達のお父さんだからな。もし、会いたいと思ってくれるなら、いつでも会いに来い。」
真っ赤な目に、涙を溜めながら言う父。母に着いていくと決めたのは自分達だ。それでも、私も翔も、ずっと泣いていた。
色々、話した気はする。でも、何を話したのか、今の私はこれ以上覚えていない。
トラックに荷物が積み込まれ、私達は母の先導のもと、自転車で引っ越し先に向かった。父との会話をあまり覚えていないのと同様に、この日の事はここまでしか覚えていない。そして、一番はっきり覚えているのは、父の今にも泣き出しそうな顔だ。
母はこの日の為にどれだけの期間を準備に当てていたのか。今になって、凄いと思う。
父は自営業の居酒屋。夜中はいつもいない。父も母も両親は遠方の為、必然、幼い頃から私や翔の育児は母1人だった。
父の稼ぎは当てにならず、1日中働いていた。合間を縫って、家事もいつもしっかりしていた。…寝る時間もあまり無かったんじゃないかと思う。
そんな中の、引っ越し。大人になり自分でもした事があるから分かるが、半端じゃなく大変だ。
物件の内覧、手続き、引っ越し業者の手配。手続きに必要な書類を集める事…。これらを、普段の生活をこなしながら、尚且つ父にバレない様に行う。相当な苦労だったはずだ。
今になって、改めて、母の偉大さに感服する…。
結局、その後のお盆休みは引っ越しの後片付けに終始した。
休み明け、引っ越し前と変わらない部活漬けの毎日。帰りに、由美達に驚かれた。
「じゃあまた明日ね!」
私がいつもと違う方向に歩き出そうとしたからだ。
「え?沙羅、どうしたの?」
由美が問い掛ける。他の2人、京香と美帆子も驚いている。
「休みの間に引っ越ししたんだ!」
家庭の事は言いたくなかったから、なるべく明るく言った。何処に引っ越したとか言ってる内に、今までよりも皆の家が近くなった事が分かった。
「じゃあここでバイバイしなくてもいいじゃん!うちらも遠回りになる訳じゃないし、皆で帰ろうよ!」
そう言って、今までとは違う道から皆で帰る様になった。
夏休み中、私は遊んだ記憶が一切ない。今と違って、携帯なんか持ってなかったし友達と連絡を取る事も難しかったからだ。部活と、父との別居。それしか記憶にない。
体育委員の仕事は、まず毎日の昼休み、ボールなどの入った倉庫の鍵を開ける事。1年生は5クラスあったので、月~金は1クラスずつ交代だった。これはなかなか面倒で、給食を食べ終わって無くても鍵を開けに行かないと、使うつもりだった人から文句が出る(汗)
そして、1番大きな行事、文化祭。私の通っていた中学は、文化祭は3日かけて行われた。
1日目は合唱コンクール。学年毎にクラスで課題曲と自由曲を決め、先生と学級委員の審査で得点を競う。
2日目は発表。合唱コンクールで金賞・銀賞をとった、3学年2クラスずつが、全校生徒の前で発表する。それ以外にも有志の合唱やダンス、先生方の出し物なんかもある。
そして3日目、展示。実技教科で生徒が作ったものなどを展示して、各学年毎に時間をずらして自由に見て回る。(あまり真面目に見る生徒は居ない為、どちらかというと保護者や来賓の方用っぽかった。)実際、経験するまでは分からなかったけど、生徒達の楽しみは委員会毎の展示だという事が多かった。
そう、委員会毎の展示。まさか体育委員の展示があんなに大変だなんて…思いもしなかった。
1年生達は、正直皆、文化祭を舐めていた。直前に、適当に紙に何かの文章とかグラフとか書いとけばいいでしょ~ぐらいにしか思ってなかった(苦笑)1月程前になって委員会があった時も、なんでこんな前から集められるんだか…って感じだった。
実際は、キツかった(汗)学年毎に何を書くか、担当が決められたけど、体育委員をしてるのは大体みんな運動部。放課後は部活を優先したいから、集まる時間がなかなか調整できない。結局ギリギリまで何もせず、全員平等に部活を休む羽目になった(苦笑)
やっとの事で展示物が終わったと思った頃、また委員会があった。そこで、体育委員は“展示”だけでない事を初めて知った。
普段、スポーツテストの時にしか出来ないような、握力・背筋力などなど…計測コーナーをやるらしいのだ。そして、そのコーナーで計測やらなんやらの係をするのが私達体育委員、との事。面倒臭い…というのが全員一致の意見だった。
11月も中旬に差し掛かり、マラソン大会の準備が始まった。もちろん、体育委員が中心。何となく入った委員会だったけど、忙しい委員会だった。
マラソン大会自体は12月の行事だが、不思議な事にうちの中学では朝、校庭を解放して、朝練を推奨していた。何周走るという決まりはなく、ただ前日までに決められた距離を走りきると学校から完走賞として賞状が贈られる。同時に、雨などで中止になった日以外毎日参加すると皆勤賞も贈られた。大体、運動部の人しか走りきる事は出来ない距離だったし、参加もそう多くは無かったけど(苦笑)
マラソン大会当日は、学年・性別毎にスタート時間が異なる。男子は約7キロ半、女子は約5キロを走り、それぞれ10位までが表彰される。(賞状は後日、全校朝会で授与された。)
同じクラスの男子が走っていれば応援したり、皆でお喋りしたり。私にとって、とても楽しかった。…もちろん、運動が嫌いな子達にとっては嫌な行事だっただろうけど…。
最終的には、私は1年女子で7位だった。ちなみに、朝練の皆勤賞・完走賞も貰った。
学期末テストも終わり、冬休みに入った。もちろん部活漬けの生活(笑)年末年始も、30日~3日までしか休みはないくらいだった。
29日、年内最後の部活に行こうと準備をしていた。母の起きる時間より早くに出る予定だったから、母が寝ている間に、用意してあった朝食を食べ、着替えも済ませた。何となくダルいとは思ったけど、今日で最後なんだし、絶対に行かなきゃ!と思っていた。けど、気持ち悪くなってトイレで戻してしまった。しかもタイミング悪く母が起きてしまい、体調悪いのを気付かれてしまった。「熱計りなさい!」言われて渋々計ると、38度を超していた(汗)「こんなんでバスケなんかできる訳ないでしょ!?今日は休みなさい!お母さんが連絡してあげるから!」母は看護師をしている。朝からこんな体温があれば、夜にはもっとあがる、とか戻したなら練習中体力だってもたないでしょ、とかブツブツと怒られ続けた…。仕事を休む事は出来なかった為、寝ていた翔を起こし、前日用意してくれていた食事(はぼ温めるだけ)の指示をしていた。「お姉ちゃんは具合悪いみたいだから、翔がやってあげて。ちゃんと寝てる様に見張っててよ。2人でゲームなんかしちゃダメだからね!薬はここ置いとくから、ちゃんと飲ましてあげてよ?」そう言って、コーチに休む連絡を入れ、出勤していった。
結局、昼前にはしんどくなってて、部活なんて出来る訳無かったと自分でも思った…。
結局、冬休み中は母の仕事と私の部活の都合が付かず初詣は行けなかった。特に出掛ける事もないまま、新学期が始まった。
1年生の私達には卒業式の予行なんかもなく、3学期は大きな行事もない。強いて言うなら、部活で3月に先輩達とのお別れ会があった。
3月上旬の学校が休みの日、1日かけて行われるお別れ会。午前中は先輩達と一緒にゲーム(紅白試合)中心に、フリースロー大会等のミニゲームをやり、午後は場所を移し、昼食。その後は各学年、男女別に出し物を先輩達に披露したり、お別れの言葉を1人ずつ言ったり。丸1日かけて、先輩達と最後の思い出を作る。
そして卒業式を迎え、先輩達を送り出す。とは言え、1年生だった私にその時の思い出はほとんどない。
春休みに入っても、部活漬けの毎日は変わらない。冬休み同様、特に出掛ける事もなく、新学期、新学年になる。
始業式の日、1年生の時とは違う校門から入るのが新鮮で、2年生になったんだと実感する。(通っていた中学では、1年生だけ違う校門を使い、下駄箱も1年生専用だった。)
クラスは、2年1組。担任は、理科のN先生。クラスに入ると、1年生の時より、クラスが狭く感じた。
と言うのも、クラスメイトの数が31~32人から、40人に増えたから。転校してしまった子が何人かいた上、転入してくる生徒はいなかった為、学年の人数が減ってしまったのが原因だ。このクラスでも、小学校が同じだった女の子はおらず、何の心配も無く新学年をスタートする事が出来た。
1年生の時は気付かなかったけど、女子は吹奏楽部の人数がかなり多い。学年全体の女子は約70人。その内、20人近くが吹奏楽部所属。始業式や終業式を含めた行事の時は、吹奏楽部は演奏の為、体育館のギャラリーに集合し、一般の生徒の列には加わらない。だから、行事の時女子の列はかなり人数が少ない。その少なさに、最初は驚いた。
1年生の時から、何より変わったのは、部活。生徒は全員、何かしらの部活に入らなければいけない校則だったのが変わった。帰宅部が急に増えた。
…そして、バスケ部では。男子は辞める人はいなかったけど、女子は2人辞めた…。元々が4人しか居なかった女子バスケ部。とうとう由美と2人だけになってしまった。1年生が3人以上入らなかったら、先輩達が引退した後、公式試合に出る事もできない…。何より、今まで1年間、毎日の様に一緒に居て、キツい練習に耐えてきた仲間なのに…ショックだった。
そして迎えた、先輩達最後の大会。弱小だったうちの中学は、初戦敗退…。試合終了のブザーが鳴った瞬間泣き崩れた先輩達の姿に、私も由美も涙が止まらなかった。1年ちょっとの間毎日一緒に練習してきた。叱られる事もあった。細かい注意ばかりしてきて心底ウザいと思う事もあった。それでも、先輩達の事は好きだったし、尊敬していた。先輩達の居ない部活なんて…正直、想像も付かなかった。
試合が終わり、着替えや片付けも済ませ、中学に戻る。そこで行われたのは恒例の挨拶と、部長・キャプテンの引き継ぎ。
部長の糸田先輩を中心に、先輩達が私達に向き合う形で並ぶ。
先輩達が1人ずつ「これまでありがとう」といった挨拶をしていき、全員が終わった。そこで糸田先輩が、涙の残った顔で話し出す。
「部長、キャプテンの発表をします。私達3年生全員で話し合って決めました。」
そこで1度切り、他の先輩達と目を合わせてからまた口を開く。
「部長兼、副キャプテンは沙羅。キャプテン兼、副部長は由美。…たった2人しか居ないから、どういう風に決めればいいか、凄く悩んだ。役職は、こう決めたけど、2人で助け合いながら、時には1年生の力も借りて、頑張ってほしい。…私達は、今日で引退。これからは2人の時代。力を合わせて、頑張ってね。」
先輩達は皆、泣き笑いみたいな顔をしていた。私も由美も、泣いていた。2人目を合わせ、「はい!今まで、本当にありがとうございました!!」と、先輩達に頭を下げた。
そして、男子も同じ様に引き継ぎをし、新しい代のバスケ部がスタートする。
部長の仕事は毎日あった。
まず、休み時間の間、男子の部長と1日交代で昼休みまでに顧問の先生の所に行く。体育の先生だったから、授業の関係でなかなか会えない事もしばしば…。会えたら、その日体育館を使えるか、使えないなら何処なら使えるか、借りた場所は何時までかを確認する。全て聞いたら、職員室前にある部活スケジュールのホワイトボードに、それを書く。何時から何時まで、何処に集合か。大体何人かは、ホワイトボードの前に待機し、予定が書かれるのを今か今かと待っている。練習場所はたまに例外はあるものの、曜日毎に決まっていたから、皆が興味あるのは時間のみ。わざと時間以外を先に書いて、「あとで書こうかなぁ?」なんて焦らす事もしばしば(笑)男子とも、練習は別と言えば別だったけど、毎日同じ場所で練習していたし仲は良かった。
次に、練習前。コーチの携帯に学校の公衆電話から連絡し、その日の練習場所と時間を伝え、今日は来れるかどうか、来れない、あるいは遅くなるなら練習メニューをどうするかを聞く。その為、女子部長になった私と男子部長になった皆野は、テレホンカードを大量に用意していた(笑)今思えば、本来は財布など持ってきてはいけない校則だったし、特例だったのかもしれない(笑)
連絡がつかなかった場合は、予めコーチから指示されていた連絡メニューをこなす事になる。(それまでの練習を見て、メニューはちょくちょく変更されので、私も皆野も必ずメモを取っていた。)
メニューを伝え、練習中の取り仕切りは全てキャプテンに任せる。
練習をこなし、着替え終わるとまた皆野と1日交代で顧問を呼びに行く。(顧問は大体練習を見ていなかった。)そして、締めの挨拶をしてもらい、部員全員でお礼を言い、コーチが来ている時は更にコーチに挨拶とアドバイスや感想を言ってもらい、またお礼を言い、解散。
毎日がこんな感じで、前以上に大変だけど充実していた。
待ちに待った移動教室。
…のはずだし、楽しかったのは覚えているけど、実はあまり記憶がない(汗)
良く覚えているのは2日目、食堂?で学年全員での朝食中、講師の歴史のM先生がマイクを持っていきなり乱入してきた事(笑)来るとは生徒の誰も思っていなくて、皆大賑わい。学校ではいつも白衣を着ていて、スキンヘッド。強面で、かなりのハスキーボイス。中学生の私達から見たらほぼヤクザ…(苦笑)でも、授業は面白くて分かりやすいし、冗談も好きな先生で、一部の不良生徒を除き、人気のある先生だった。もちろん、私も大好きだった。
そんな先生だから、食事を終えた生徒が群がる群がる(笑)その後は私達と行動を共にし、最終日まで居たけど…他の学校での授業も受け持ってたはずなのに大丈夫なのか疑問だった。
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今を生きる意味78レス 509HIT 旅人さん
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黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 946HIT 匿名さん
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🌊鯨の唄🌊②
母鯨とともに… 北から南に旅をつづけながら… …(小説好きさん0)
4レス 103HIT 小説好きさん -
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人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 120HIT 永遠の3歳 -
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酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 125HIT 小説家さん -
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おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1390HIT 檄❗王道劇場です -
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今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 509HIT 旅人さん
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🍀語りあかそうの里🍀1️⃣0️⃣
アザーズ🫡 ここは楽しくな〜んでも話せる「憩いの場所🍀」となっており〜ま〜す🤗 日頃の事…
359レス 3207HIT 理沙 (50代 女性 ) 名必 年性必 -
母親の誕生日プレゼント何が良い?
来週の金曜日は私の母親の誕生日です、誕生日なので母親の好きな物や欲しい物をプレゼントしよう、と思った…
30レス 439HIT 張俊 (10代 男性 ) -
親が会社に挨拶、、
私はシングルマザーなのですが、子供2人が同時にインフルとコロナになり、会社に迷惑かけました。 社長…
13レス 392HIT おしゃべり好きさん ( 女性 ) -
高熱だと知り長時間放置
先日、私が高熱が出た時の話です。 彼は、彼と一緒に過ごした日が風邪の原因だと、何回も謝って…
13レス 442HIT 社会人さん (20代 女性 ) -
彼氏と分かり合えない。納得できない
親を大事にしない人嫌いって言われました。 私はただ連絡を取りたくないから疎遠になっただけ。 …
85レス 2373HIT おしゃべり好きさん (30代 女性 ) -
がんばっても何も言ってもらえない会社
仕事でがんばっても、成果をだしても、結果をだしても何も言ってもらえない。 がんばってるね、ありがと…
11レス 286HIT 気になるさん - もっと見る