私はアナタを許します。私が幸せになるために。
初めての携帯小説です。
自分の過去をもとに書いてみようと思いました。
これから書くことは、90%が実話・10%がフィクション(人物名・会社名等)です。
現在私は34歳。
夫(33歳)と息子(2歳)がいます。
結婚したのは3年前。
優しい夫と可愛い息子、そしてかけがえのない友達に囲まれている今、私はとても幸せです。
でも・・・これまで私が歩んできた人生は、自分で選んできた道とはいえ、相当馬鹿なことの連続でした。
両親の離婚、母親からの虐待、いじめ、家出、援助交際、結婚、離婚、出会い系。
そしてDV男との出会い。借金、浮気。
民事再生。
不倫。
なんだかダークな言葉の連続ですが、私が実際に経験してきたことです。
文章力に欠けるので、内容によっては読んでいて不快に思われる描写や、嫌悪感を抱かれる方もいらっしゃるかと思います。
そんな時は、優しくレスしてください(笑)
『ちょっと読みにくい』
『意味が分からない』
などなど・・・。
それでは、こんな私の話で良ければどうぞお付き合いください(^-^)
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★私が生まれたのは34年前。
その時、父は28歳。母は27歳だった。
私の他には、私の5つ上に兄。2つ下に妹。
そして、小さいながらも会社を経営していた祖父母(父方の)と同居をしていた。
私が生まれた時、女の子が欲しかった両親と祖父母は大変喜んだそうだ。
もちろん全く記憶にないが、当時の写真や両親・祖父母・親戚の話からして幼少の頃は何不自由なく裕福に育ったと思う。
田舎の小さな町だが、兄が生まれた昭和40年代後半から祖父の会社は急成長し、私が生まれた年には町の長者番付で1番だったらしい。
祖父には専属の運転手が付き、休日には飛行機で他県まで競馬をしに行っていた。(祖父は大変ギャンブル好きだった)
大きな家、優しい祖母。子煩悩で頼りになる父。怒ると怖いけど料理が上手でいつも私達を抱き締めてくれる母。
兄はバイオリンを習い、私と妹はクラシックバレエにピアノ・バイオリンを習い、着ている服はほとんどが当時百貨店や海外でしか買えなかったブランド品。
外食はホテルや割烹と決まっていたし、旅行と言えば海外だった。
記憶にある限り、5,6歳まではこの生活が続いていたはずだ。
幼稚園でお友達になった子の両親が弁護士だったり、医者だったり。ある芸能人の子もいたのをハッキリ覚えている。
そういう環境で育ったが、自分が恵まれているとか特別だとか思ったことなど一度もなかったし、むしろいつもワンピースや革靴を履いて『女の子らしく』していることが嫌だった。
★『ママの言う通りにしなさい』
これは、まるで母の口癖だったかのように事あるごとに言われてきた台詞だ。
幼稚園を卒園する頃、この台詞が頻繁に母の口から発せられるようになった。
兄や妹と違って要領の悪い私は、母に嫌われたくない一心で、母の言うことは何でも聞いた。
だから、服も母が着せてくれるものを着たし、母が『やってはいけない』ということはやらなかった。
友達と遊ぶのも、母が『お友達』と決めた子としか遊んではいけなかった。
先にも述べたように、親が弁護士、医者、大学の助教授、大手企業の役員・・・の子達。
その子達は皆いつも小奇麗にしていて、習い事もたくさんしていた。
私はその子達と遊んでいても『楽しい!』と感じることは少なかったけど、母の決めたことなのだから間違いないのだと信じるしかなかった。
幼稚園の頃の記憶は、こんな感じでしか覚えていない。
そして私が小学校にあがる頃。
父と母が喧嘩しているのをよく見るようになった。
大抵の場合は、私達が寝た後に喧嘩をしていた。
母がヒステリックになり、父がそれを一生懸命なだめているのだが、母は全く言うことをきかずに家を飛び出してしまう。
只ならぬ雰囲気に、私達も起きる。
私と妹は、そんな両親の様子を泣きながら見ているしかなかったが、兄は私と妹が少しでも泣かないようにと、いつも面白いことを言って笑わせようとしたり『お兄ちゃんが絵本読んでやるよ!』と言って、なんとか私達を寝かせようとしてくれた。
この時のことは、今でも兄にとても感謝している。
本当は私達よりも兄の方何倍も辛かっただろうに・・・。
・・・兄は、私達よりも先に、母から虐待されていたのだ。
★兄が母から虐待されていたのを知った(正確には見た)のは、小学校に入学してすぐの頃。
祖父母は旅行で数日留守にしており、父も出張でいなかった日の夜。
私と妹はリビングでテレビを観ていたと思う。
ソファに座っていたことは覚えている。
母と兄は、兄の部屋で私立中学校を受験する為の勉強をしていた。
すると突然、兄の部屋から
『ごめんなさい!ごめんなさい!』
と兄の声が聞こえてきた。
私と妹は驚いて、ただじっと耳を澄ましていた。
すると今度は母の怒鳴り声が聞こえた。
『なんであんたはそうなの!!ほら!!もう一回!!』
そしてまた兄の大きな声。
『わかったよ!だからお願いだから叩かないで!』
その言葉を聞いて、妹が『お兄ちゃん、叩かれてるの?』と言いながら私の顔を覗き込んできた。
妹も怯えていたのだろう。既に泣いていた。
私は自分がいつも兄にしてもらっているように、妹の頭を撫でながら『大丈夫だよ。お姉ちゃんが見てくるね!』と言って、廊下に出た。
『お兄ちゃんを助けなくちゃ・・・!』
なぜかそう思った。
母の事も大好きなのに、あの時の兄の悲鳴に近い声を聞いた私は兄の事が心配で心配で、自分も息が詰まりそうなほど緊張しているのに、勇気を振り絞って兄の部屋のドアを開けた。
★兄の部屋のドアをそっと開ける。
兄の部屋はドアを開けて正面奥に机があった。
私がドアを開けたことに、母も兄もまだ気付いていない。
兄は、椅子に座り、机に向かって背中を丸めていた。
母は・・・その横で、鬼のような形相で立っていた。
右手には菜箸を持っている。
その様子があまりにも異様で、私はドアを半分開けたまま声を出すこともできずに立ち竦んでしまった。
(どうしよう、どうしよう・・・)
そう思っていると、妹がリビングから小走りでやってきた。
『お姉ちゃん・・・』
妹のその声で、母と兄がドアの方を振り返った。
私もまた、その二人の顔を見てハッとした。
私と妹の姿を見て、母の顔付が変わったのが分かった。
『どうしたの?』
そう言って私と妹の手を繋いでリビングへ戻る母は、いつもの優しい母だった。
だが、兄は一緒にリビングへは来なかった。
・・・兄の部屋から、兄の泣き声が聞こえた。
★その日の夜は、私もなかなか寝付けなかった。
この頃妹は母と寝ていたので、私はリビングの電気が消えていることを確認し、母も妹と一緒に寝てしまったのだろうと思った私は、思い切って兄の部屋に行ってみた。
兄の部屋のドアの隙間から、灯りが見える。
(お兄ちゃん、起きてるんだ!)
リビングに戻ってから兄の姿を見ていなかったので、兄が起きていると知っただけで気持ちが少し明るくなった。
コンコン。
軽くノックをしてドアを開ける。
『お兄ちゃん・・・』
ドアを開けると、兄はベッドにうつ伏せになって本を読んでいた。
『おう。ココロかー。まだ寝ないの?』
本を閉じることなく、兄は上半身を少しあげて私の方を見た。
いつもと変わりないその様子に安堵した私は、自分が気になって仕方がないことを率直に聞いた。
『うん・・・お兄ちゃん、なんで泣いてたの?』
私のその質問に、兄はため息交じりにこう答えた。
『ん~・・・俺にもよく分かんない。』
(そっか・・・お兄ちゃんにも分からないのか・・・)
そう思いながら、ふと兄が読んでいる本に目をやった。
しかし本の表紙よりも、本を持つ兄の手の方が先に目に入った。
両手の甲が真っ黒だった・・・。
★兄の両手を見て、私はまた立ち竦んでしまった。
私のその様子を見て、兄も気が付いた。
『お、お兄ちゃん・・・手・・・どうしたの・・・』
聞くのが怖かったが、どうしても聞かずにいられなかった。
・・・今度は、兄は答えなかった。
『い、痛くないの?大丈夫?』
『ママがしたの?』
『お薬塗らなくていいの?』
私は黙っていられなくて、次々と質問した。
兄は少しの間困った顔をしていたが
『大丈夫だよ・・・でも、誰にも言うなよ』
そう答えながら、また本を読み始めた。
(ママがやったんだ・・・さっき持っていた箸でお兄ちゃんの手を何度も叩いたんだ・・・)
翌日には父も帰って来る。
学校だってある。
兄はその手をどう説明するのだろう。
子供ながらとても心配だった。
私がずっと下を向いて黙っていると『もう寝るぞー』と言って、兄は私の部屋まで一緒に来てくれた。
そして私が寝るまで、当時大人気だったキン肉マンの話をしてくれた。
★残念ながら、翌日の事はあまり覚えていない。
父が出張から帰って来たのが夜遅い時間だったのと、母も兄も笑顔で過ごしていたからだと思う。
それからしばらくは何事もなかった。
実際、私があの場面を目撃してから、兄への虐待は減っていった。
でも、それまでに受けた暴力は『一生忘れられない。結婚した今でも夢に見る。』ほどのものだったそうだ。
(※数年後、兄本人から聞いたが、暴力の詳細については一切語らない。)
そして兄の私立中学の受験が終わり、私も小学2年生になろうとしていた。
妹は幼稚園の年長さんだ。
末っ子の妹は、とにかく甘えん坊でいつも母にべったり。
母がいない時は、常に私のあとを追いかけた。
大人になった今でも、何かと頼りにされる。
妹のことは、後に詳しく説明しようと思う。
・・・兄が無事に私立中学に合格すると、父も母も大喜びだった。
祖父母もとても喜んでいた。
しかし
兄が中学に入学すると同時に、私達の生活はどんどん変化し始めたのだ。
★ある日、またいつものように両親の喧嘩が始まった。
喧嘩といっても、両親の場合はいつも母が一方的に怒鳴っているように見えた。
母が一通り自分の不満を吐き出したら、父が母のことをなだめて終わる。
何度も同じように繰り返す両親の喧嘩に少し慣れてきた私は、その日もまたそのパターンなんだろうと思っていた。
その日、兄は友達の家へ泊まりに行っていて、私と妹は私の部屋で寝ていた。
妹は寝ていたが、私は母の大声で起きてしまったので、そのままじっと様子を伺っていた。
『子供達には、どう説明するんだ』
父の声が聞こえた。
母の声はよく聞こえない。
『お前は母親なんだぞ。自分の言っていることが分かっているのか?』
父の声はハッキリ聞こえた。
私は父のこの言葉を聞いて、得体のしれない大きな不安を抱いた。
(ママの声が聞こえない・・・ママ、何とか言ってよ!お願い!)
そう思ったが、母の声はボソボソと聞こえるだけで、私には母が何を言っているのかは分からなかった。
しばらくすると両親の話し声も聞こえなくなり、私も気が付いた時には朝になっていた。
妹はまだ寝ている。日曜日だったので学校は休み。
私もまだ眠たかったが、昨夜の両親のやりとりが気になったので、とりあえずリビングに行った。
母が朝食の用意をしているはずだ。
それが当たり前のことだったから。
リビングのドアを開けると、そこには祖父母がいた。
2人とも、深刻な顔をしていることは私にも分かった。
父は朝からどこかに電話をかけている。
2世帯住居だった我が家は、祖父母が1階に住んでおり、夕飯だけ一階のダイニングで一緒に食べるようなスタイルをとっていたので、朝のリビングに祖父母がいることは珍しかった。
『あれ?おじいちゃん、おばあちゃん。どうしたの?』
いつもと違う光景に少し戸惑い、朝の挨拶もしないまま祖父母にそう尋ねた。
★『なんでもないの。ちょっとお仕事の話をしていたの。』
祖母は私の方へ歩きながらそう答えてくれた。
父はずっと電話で誰かと話している。
私は母の姿が見えないことが一番の疑問だったので
『ママは?』
と聞いたが、祖母は
『ママはちょっとお出掛けしたの。パパもお仕事だから、今日はおじいちゃんとおばあちゃんとデパートに行こうね。』
と言って朝食の用意をし始めた。
母が日曜の朝から出掛けたことに違和感を感じたが、祖母が言ったことを信じることにした。
妹が起きるのを待って祖父母と一緒に百貨店に行ったが、私は母のことが頭から離れなかった。
だが、妹の終始ニコニコとした楽しそうな様子を見ると、気が紛れた。
(家に帰れば、きっとママが待っててくれる)
何度も自分に言い聞かせるようにそう思ったが、夕方家に帰っても母はいなかった。
兄が帰ってきており、ダイニングのテーブルで父と向かい合って座っている。
2人とも私達の顔を見て笑顔で『おかえり。』と言ってくれたので、不安な気持ちが少し落ち着いた。
妹が『ただいまー!パパ、お兄ちゃん、今日デパートでこれ買ってもらったの!』
と言って、彼女が大好きなドナルドダックのぬいぐるみを高々と掲げて2人に見せる。
父『おー!すごいなぁ。良かったなぁ。』
兄『いいな~。俺も一緒に行きたかったなー。』
妹『お兄ちゃんも一緒にこればよかったのに~。』
父『ちゃんとおじいちゃん達にありがとうって言った?』
妹『だいじょうぶよ!ちゃんとありがとうって言ったよ!』
・・・いつもと変わらない光景。
少し違うことと言えば、ここに母がいないこと。
でも、父と兄の様子を見ていると母がいない状態も長く続かないだろうと思った。
(パパもお兄ちゃんもいつもと変わらない・・・きっとこれからママが帰ってくるんだ。)
(それとも、これからみんなでママを迎えに行くのかな?)
私がそう考えていた時。
祖父母が、父を呼んだ。
★祖父母に呼ばれた父は、祖父母が住む1階のリビングに行くと言って下へ降りて行った。
(※詳細を書き忘れましたが、2世帯住居の1階部分に祖父母、2階部分に私達家族が住んでいました。)
父が下に降りて間もなく、母が帰って来た。
妹が
『あ!ママだ!』
そう言って誰よりも先にまだ玄関にいる母へ駆け寄った。
私はなんだか出遅れてしまった気がして、母に駆け寄ることができないままだ。
その横にいる、私と一緒に出遅れたであろう兄はどんな顔をしているのかと思い、兄の方を見た。
兄は笑顔ではなかった。かと言って怒っている顔でもなく、悲しい顔でもない。
見たことがないような・・・冷たい顔だ。
そして兄だけではなく、玄関で母を出迎える祖父母も、父もそうだった。
妹だけが、無邪気な笑顔で母に抱きついていた。
★『ママ、どこにいってたのー?』
妹は母に抱きついたまま、何度もそう聞いていた。
母は妹のその問いかけには答えず、2階に上がる階段の途中に立っている兄と私の方を向いて
『ママはパパ達とお話があるから、上でお兄ちゃん達と遊んでてね。』
と言って、妹の頭を撫でながら体を離した。
聞き分けの良い妹は
『はーい。』
と返事をしながら嬉しそうに階段を上がってくる。
そのまま私達3人は2階に上がり、兄の部屋でゲームをして過ごした。
そのうち妹が兄のベッドで寝てしまったので、兄と私はゲームをやめようかと話をしていた時。
下から母が勢いよく上がってきて、私達がいる兄の部屋に入ってきた。
母は泣いていたが、それよりもかなり興奮した様子だったので少し怖かった。
そして
『ママはもうこのお家から出ていくから。あんた達はどうする?ママと一緒に行く?』
そう言ったのだ。
・・・一体母は何を言っているのだろう。
★このお家から出ていくから・・・ママと一緒に行く?・・・。
私は母の言っている意味を理解するよりも、母の方を向いて立っていることで精一杯だった。
母の目を見ることができない。
母が怖い。
怒られて感じる『怖い』とは明らかに違う怖さだった。
母が全くの別人のように見えた。
部屋の入口に立っている母の後ろに、下から上がってきた父の姿が見えるのとほぼ同時に、兄の声が聞こえた。
『俺は、行かない。』
兄のハッキリとした口調と父の姿を見てハッとしたが、私は何も言えないままだ。
父『子供達に何を言ったんだ?・・・大輔、(兄の名前)ママに何を言われた?』
父が母の顔を横目で見ながら兄の部屋に入ってきた。
兄『ママはこの家から出ていくんだってさ。俺達はどうする?って聞かれたから、俺は行かないって言ったんだ。』
父『子供達にそんなこと言ってどうするんだ。いい加減にしろ。』
母『もう黙っていても仕方ないじゃない!』
父『いいからやめるんだ。』
母『どうして!?遅かれ早かれ話さなきゃいけないのよ!?だったら今話しても同じことよ!』
父『そういう問題じゃない。子供達の気持ちを考えろって言ってるんだ。』
また次に母が何か言おうとしたが
『・・・もうやめてくれよ!!』
下にいる祖父母にもハッキリ聞こえる程の大きな声で
兄が言った。
★兄の言葉に、父も母も驚いていた。
もちろん私も。
そして兄はしっかりと母の目を見て、間を開けずに話し始めた。
『ママは好きな男の人がいるんだろ!だからパパや俺達を捨てて出て行くんだろ?俺はもう結構前から知ってたよ!』
・・・誰も何も言わずにいた。
兄は続ける
『ママがその人のところに行きたいなら行けばいいだろ!でも俺達には関係ない!頼むから、もうやめてくれよ!』
・・・いつの間にか、祖父母も兄の部屋にいた。
兄の目には、今にも溢れそうなくらいの涙が浮かんでいた・・・。
★『もういいだろ・・・。もういやなんだよ・・・。』
兄は最後まで母の目を見ていた。
父『大輔・・・!ごめん!』
兄が言い終えてすぐに、父が兄を抱き締めた。
祖父は黙っていたが、祖母は『子供にこんなこと言わせるなんて・・・。』と言って泣いていた。
私は・・・相変わらず何も言えなかった。
・・・こんなに騒がしいのに、妹はまだ兄のベッドで寝ている。
(今思えば、それで良かったと思う。まだ就学前の妹には残酷な場面だ。)
そして母も泣いていたが、母の口から出た言葉は兄への謝罪ではなかった。
『そう・・・。知ってたの・・・・・・大輔の気持ちは分かった。じゃあ、好きにしなさい。』
そう言って私の方を見た。
母『ココロは?どうする?パパとママは、もう一緒に住めないの。』
私『・・・。』
答えられるわけがない。
両親共に大好きな私には、どちらかを選ぶことなどできない。
選ぶようなことになるなんて考えたこともなかった。
たった今、母には父の他に好きな男がいると分かっても、この時は母を嫌いだと思うような感情は芽生えなかった。
母は私が答えられないのを分かっていたと思う。
私の返事を待たずに、父と祖父母に何か言い残して出て行ってしまったのだ。
父と祖父母に何を言ったのかは後に聞くことになるが、この時の私は母が私の返事を待たずにまた出て行ってしまったことがショックで、ただただ泣くことしかできなかった。
祖父が寝ている妹を抱きかかえ、祖母と一緒に下へ降りて行く。
父は片方の腕で兄の肩を抱き、もう片方の腕で私のことを抱き寄せた。
私は父の腰にしがみ付いて泣いた。
父のベルトに私の涙がたくさん染み込んでいくのを見ながら
(夢だったらいいのに・・・!夢だったいいのに・・・!)
何度もそう思った。
★この日の出来事は、ここまでは鮮明に覚えている。
だが、次の日のことも、それからはどうして過ごしていたのかも覚えていない。
何かあったとすれば、しばらくは妹が『ママに会いたい』と言って、泣いたり暴れたりすることがあったくらいだと思う。
そして次に母に会ったのは、私と妹が母と一緒に暮らすことになった。と聞かされた時だった。
それも、夏休みに入る一日前。
終業式の日に、担任の先生から聞いた。
終業式が終わってクラスに戻ってから、クラスメイトは次々に通信簿や宿題を受け取っているが、私だけ宿題が渡されなかった。
『先生、私の宿題がありません。』
先生の机にそう言いに行った私に、先生は不思議そうな顔をして
『ココロちゃんは、2学期から転校するから宿題はないよ?』
と言った。
私は一気に体が冷たくなるような気がした。
私『・・・え?』
先生『え?・・・え、もしかして、知らないの?』
私『はい・・・知りません・・・。』
先生『あの・・・ココロちゃんと妹さんは、お母さんと一緒に住むことになったからって・・・お家の人から詳しく聞くと思うから・・・クラスのみんなには今日先生からお話するからね。』
先生は悪くないのだが、この時は先生がとても意地悪な大人に見えた。
それから最後の最後に、先生がみんなに向って
『ココロちゃんは、2学期から転校することになりました。』
と言った。
『えーーー!』
『知らなかったー!』
『なんで~?』
(私も知らなかったよ・・・。)
私は誰の質問にも答えず、下を向いたまま泣いた。
全員でさよならをした後、ほとんどのクラスメイトが私の席に群がった。
その中でも、特に仲良しだったイズミちゃんとトモ子ちゃんが泣きながら
『どうして教えてくれなかったの?』
『いやだよ・・・。寂しいよ・・・。』
と言ってくれた。
他にも泣いたり別れを惜しんでくれた子もいたが、その二人は特に悲しんでいた。
★群がっていたクラスメイト達も徐々に帰り、最後には私とイズミちゃんとトモ子ちゃんの3人になった。
3人になった時、私が
『2人とも、仲良くしてくれてありがとう。』
と言うと、2人は大きな声で
『これからも友達だよ!また遊ぼう!』
『お手紙書くから、ココロちゃんもお手紙書いてね!』
と言ってくれて嬉しかった。
実際、彼女達とはこの後も数年の友情が続いた。
彼女達との話も、今後数年は出てくることになる。
教室で3人、別れを惜しんでいるところに、別のクラスの先生がやってきた。
『ココロちゃんのお父さんが迎えに来ているので、準備してね。準備が終わったら、先生と一緒に校長室に行きましょう。』
と言った。
3人とも『本当にお別れなんだな。』という顔をしたが、2人の言葉に少し元気をもらった私は、その時にできる精一杯の笑顔で
『イズミちゃん、トモ子ちゃん、またね!!』
と言って手を振った。
2人も、やっと泣き止んだ真っ赤な目にまた少し涙を溜めて、ニコニコ笑ってくれた。
『ココロちゃん、絶対お手紙書いてね!』
『ココロちゃん、大好きだからね!』
その言葉を聞いた、私を迎えにきた別のクラスの先生が
『ココロちゃん、素敵なお友達がいて良かったね!』
と言って、私の肩を抱いてくれた。
先生の顔を見上げると、先生も涙ぐんでいた。
★こうして『お別れムード』に浸る暇もなかった私は、そのまま急いで校長室へ向かった。
校長室に入ると、父と校長先生、担任の先生、そして音楽の先生がいた。
(私が通っていた小学校にはマーチングバンドがあり、その顧問をしている音楽の先生というのがいた。)
私が校長室へ入った時には既に大人達の話は終わっていたようで、父が私の荷物を受け取り
『じゃあ、行こうか。ココロ、先生たちに挨拶しよう。』
と言った。
『・・・ありがとうございました。』
他に言うことが思い付かなかったので、これだけ言った。
担任の先生なのに、お別れするのが寂しいとか悲しいとかは全くなかった。
でも、音楽の先生は別だった。
音楽の先生は音楽の時間にいろんな曲を聴かせてくれたり、ピアノを習っていた私に、合唱の時には簡単な伴奏をさせてくれたりした。
それから、3年生になったらマーチングバンドに入らないかと誘ってくれたので、私も3年生になったらそうしようと決めていた。
習い事ではピアノを習っているけれど、マーチングバンドに入ったらサックスをやってみたいという目標も持っていたので、そのことも先生には伝えていたのだ。
でも、みんなの前だと恥ずかしくて何も言えない。
そんな私の気持ちを察してくれたのか、先生は私の前に来て
『ココロちゃん、いつか先生に、サックスを吹いて見せてね!』
と言ってウインクをした後、笑ってくれた。
先生のウインクにこっちが恥ずかしくなってしまったが、なんだか先生が私の味方をしてくれているようで嬉しい気持ちの方が大きかった。
そして、父と共にもう一度先生達に深々と頭を下げた後、車に乗り学校を後にした。
★『ビックリしただろう?・・・ごめんな・・・。』
車に乗って父が最初に言った言葉だ。
私は何も答えなかったが、頭の中ではこれから自分にどんなことが起きるのか想像するのに必死だった。
妹と一緒に、母と暮らす。
今の家を出て?父と兄は?祖父母は?
考えても考えても、何も分からない。
確かなことは、私達のいないところで大人達が勝手に物事を決めていたということ。
今までのことを振り返り、せめて今日起きたことの何かひとつでも『仕方がないことなんだ。』と理解しようとするが、『大人は自分達の都合でいろんなことを決めるんだ。私の気持ちなんて関係ないんだ。』と思うことしかできなかった。
途中、父が
『ココロは、ピアノよりもサックスをやってみたいのか?』
と聞いてきた。
この事にだけは
『うん。そうだよ。』
と返事をした。
★家に着くと、母がいた。
久しぶりに母の姿を見て素直に嬉しかったが、それよりも不安の方が断然大きかった。
そして、事の真相を少しでも早く知りたかった。
・・・どんな順番で聞いたのかは忘れてしまったが、私と妹が母と暮らす理由、転校先、そして父と母は離婚したことを聞いた。
それぞれの内容は、このようなものだった。
・私と妹が母と暮らす理由。
妹は就学前で、何より母にべったり。私も父よりも母と過ごす時間の方が長かったのと、何より、女の子には母親の方が必要だろう。ということ。
・転校先。
転校先は、同じ県内だが母の実家がある市。
・その他。
父と母は離婚したが、好きな時に父と兄に会える。祖父母の家にもいつでも行ける。
母の実家で、母方の祖父母と一緒に暮らすこと。
それから後に聞いた話だが、養育費については私と妹2人に対し、当時のお金で毎月20万仕送りしてくれたそうだ。
(ほとんど私達に使われることはなかったが。)
その後は淡々といろんなことが進められ、夏休みに入って2週間後には、私は母方の実家で暮らすことになった。
★引っ越しをするまでの間、私と妹は意外にもワクワクしていた。
両親が離婚したと言っても、いつでも父や兄、祖父母と会えること。
引っ越し先の母の実家がある市は、県内で一番大きい市で都会であること。
この2つの条件だけで、私はまるでこれから楽しい生活の始まりかのように考えていたのだ。
ただひとつ、どうして終業式の日まで転校する話を黙っていたのかが気になった。
後日、父と母に聞いてみた。
『終業式の前に話したら、その後の学校生活が楽しく送れなくなるんじゃないかと思った。残酷かもしれないけれど、終業式の日に話すことにしていた。』
と、2人とも同じことを答えた。
担任の先生が先に話してしまったことは、想定外だったそうだ。
終業式のあの日、最後に父が校長室にいた時、担任は自分が勘違いをして先に私に話をしてしまったことを何度も謝っていたという。
(勘違いをするような曖昧な説明をした両親が悪いので、担任はそれほど悪くないと思うのだが。)
確かにかなり衝撃的であったが、両親の言う通り、終業式の前に事実を聞いていたら私は毎日悶々としていたに違いない。
何をしていても気が重かっただろう。
だから、あれで良かったのかもしれない。
当時の私もそれで納得し、その後何も聞かなくなった。
★兄は中学に入学すると野球部に入り、夏休みに入ると毎日朝早くから部活に行っていたので前のように一緒に遊ぶことはなかったが、顔を合わせれば構ってくれていた。
兄は私と妹が母と暮らすことを夏休みに入る前から知っていたそうだが、その頃は兄も自分のことで精一杯で、私達のことを考える余裕がなかったそうだ。
確かに中学に入学してから、兄はどんどん変わっていった。
声も変わり、身長も伸び、体付きも逞しくなった。
部活の方が楽しいと言って、習っていたバイオリンも辞めた。
私達が引っ越す当日は他の中学校との試合だった為、部活に参加すると言っていたが、前日の夜に私と妹に向って
『お兄ちゃんは、いつでもお前達のお兄ちゃんだぞ。寂しくなったら、いつでも戻ってこいよ。』
と言ってくれた。
兄と離れることは寂しかったが、『いつでも会える。』という気持ちと、中学に入り大人びてきた兄に対して『今までのお兄ちゃんじゃない。』という気持ちがあったので、思ったよりつらくなかった。
★引っ越しの当日は、祖父母と父が一緒に母の実家まで来てくれた。
父の両親と母の両親は仲が良く、特に祖母同士は父と母が離婚した後も何かとやりとりをしていた。
引っ越した後も、週末になると母の実家まで父方の祖父母が2人で私と妹を迎えに来て、父と兄に会いに行く。ということもよくあった。
母方の祖父母も私達は大好きだったので一緒に住めることも嬉しかったし、お互いの祖父母が普通に話していることや、何より週末になると父か祖父母が迎えに来てくれて、遊びに行ったり食事に行くことが嬉しかったので、寂しいと思うことがほとんどなかった。
このスタイルについては、両家の祖父母、父と母でよく話し合ったらしい。
『大人の勝手な都合で離婚して子供は犠牲になるのだから、せめて子供達には寂しい思いはさせないようにしよう。』
確かにこのことは実行されていたと思う。
そして夏休みが終わり新学期が始まった。
私は新しい学校にもすぐに馴染むことができたし、ピアノとバレエも新しい教室で続けていた。
妹も新しい幼稚園で早速お友達ができたと喜んでいた。
母方の祖父母も自営業をしており、自宅の一部を店舗としていたので家に帰れば必ず祖父母がいてくれた。
母は仕事を始め、輸入家具とアンティークを取り扱うショップで働き始めた。
両親が離婚したことは悲しいが、その時の私は『パパとママは離婚しちゃったけど、パパにもいつでも会えるし、おじいちゃんおばあちゃんも一緒だから、寂しくないや。』と、楽観的に考えるようになっていた。
★母の実家での新しい生活にもすっかり慣れた頃、私は3年生になり、妹も小学生になった。
入学する前から新しいランドセルを背負っては『一年生になったら~♪』と子供らしく歌っていた彼女だったが、小学校に入学すると自分から次々といろんなことにチャレンジし始めた。
『英語が習いたいの。』
『公文に行ってみたいな。』
『そろばんも習いたい。』
私は勉強よりも外で遊ぶ方が好きだったので、学校から帰っても家に閉じこもって本を読んだり漢字の練習をしている妹を見て不思議に思ったものだ。
母は、そんな妹の意欲を全面的に応援していた。
昔、母は早稲田(大学)を中退している。
当時母の両親(祖父母)は親戚の借金の保証人になっており、その親戚が夜逃げをしてしまった為、祖父母が借金を肩代わりしたそうだ。
それが原因で、母は泣く泣く大学を中退したと聞いた。
母はそのことがコンプレックスだったのだろう。
私達兄妹には
『たくさん勉強して、いい大学に入りなさい。』
とよく言っていた。
だから妹が自分から勉学に勤しむ姿は、母にとって喜ばしい光景だったと思う。
逆に勉強が苦手だった私は母の言葉を真に受けず、自分の好きなピアノだけを一生懸命やっていた。
運が良かっただけなのだが、小学2年生の終わりに参加したピアノコンクールで優勝してしまったことがある。
その時から母は私に
『もっと勉強をして、もっとピアノを練習しなさい。将来ピアニストになるのよ。』
と言うようになった。
そしていつの間にかピアノ教室から離れ、コンクールの時に審査員を務めていた一人に個人レッスンを受けるようになる。
★ピアノ教室を離れた後の個人レッスンは苦痛でしかなかった。
私が習っていた男性の先生は、とにかく厳しいで有名だった。
少しでも間違えば、容赦なく怒鳴られて頭を叩かれる。
相手が子供だろうと大人だろうと関係なかった。
先生は個人レッスンの講師の他、音大の講師、そしてピアニストとして活動しており、彼のレッスンを受けたいと申し出る人は後を絶たなかったそうだ。
先生は私に次々と難しい曲を弾かせた。
難しすぎて楽譜が読めない時もあったが、それでも『自分で調べて練習してきなさい。』と言われれば家で必死に調べるしかない。
そのかわり、うまく弾くことができると本当に優しい笑顔で『よし。すごく良かった。よくやったな。』と言って頭を撫でてくれる。
まさにアメと鞭だ。
その頃から友達と遊ぶ時間がなくなり、私も家いる時はピアノの練習をするか、それに付随する勉強をする日々に変わっていった。
★気が付けば、好きで続けていたピアノも
『先生に怒られない為に練習する。』
ようになっていた。
自分でそのことに気が付いてからは、レッスンに行くのが嫌で嫌で仕方なかったが、私がピアノを弾いている姿を見ると嬉しそうな母のことを思うと、どうすることもできなかった。
そのうち自分でも『私はピアニストにならなくちゃいけない。』と思うようになり、学校の作文にも将来の夢はピアニストと書いていた。
小学4年生になると今度はコンクールに参加する回数が増える。
ほとんどのコンクールには父と父方の祖父母も来てくれたが、私はステージの上で『本気で頑張る。』というより、自然と覚えた『頑張る振り。』をしていた。
そんな私に気が付いたのかどうかは解らないが、ある日のコンクールの後、父からこう言われた。
『ココロ、そういえば前に言っていたサックスはどうだ?まだやってみたいか?』
目の前がパァッと明るくなるような気がした。
『うん!やってみたい!私、本当はピアノよりサックスをやってみたいよ!』
何の躊躇もなくそう答えたが、その時横で話を聞いていた母が父に向って
『余計な事言わないで。』
と言って少しムッとしていた。
だが、父は母に向って
『いや、前の学校の先生も言っていたんだ。ココロはサックスをやってみたいって。今でもやってみたいなら、やらせてみてもいいんじゃないか?』
と、ムッとする母とは逆に、少し笑顔でそう言ってくれた。
『何言ってるのよ。もうどれだけお金かけてきたと思ってるの?今更何言い出すのよ。』
母は更に不機嫌な顔になったが、父はそれでも続けてくれた。
『何もピアノを辞めろと言っているんじゃない。ただ、2年前にサックスをやってみたいと思った気持ちが今でもあるのなら、やらせてあげようと言っているんだ。』
父の言葉を聞いて母は少し黙っていたが、何か思い付いたように父に向ってこう言った。
『分かった。じゃあそっち(サックス)はアナタが話を勧めてちょうだい。そのかわり、こっち(ピアノ)に影響が出たらすぐに辞めてもらうわよ。』
それを聞いた父はため息交じりに
『だから、それを決めるのはお前じゃなくてココロだろ?』
と言った後、今度は父が怒ったような顔をした。
★私は自分が何の躊躇もなくサックスをやってみたいと言ったことが、実はとんでもないことだったのでは。と思い、申し訳ない気持ちで2人のやりとりを見ていたが、2人が喧嘩をする程揉めるようなことはなく話は決まった。
『よし、じゃあ、パパが早速サックスの先生を探すからな。』
そう言って父も張り切っていた。
家に帰ったら母に怒られるんじゃないかと思って心配だったが、母は
『ピアノも頑張りなさいよ。』
と言っただけで、特に怒っている様子でもなかった。
それからの私は、毎日サックスのことで頭がいっぱいだった。
今までも、母とピアノの楽譜を買いに楽器店に行けば楽譜を選ぶ時間よりもショーケースに並ぶ金色に輝く大小のサックスを眺める時間の方が長かった。
(かっこいいなぁ・・・。これができたらすごいなぁ・・・。)
ずっとそう思っていた。
そもそも、どうして私がそんなにサックスに興味を抱いたかと言えば、何気に見ていたテレビ番組のワンシーンに衝撃を受けたからだった。
黒人の男性が、ステージの上で身体を揺らしながらキラキラと輝くサックスを吹いている。
スポットライトは彼だけを照らし、観客の誰もがうっとりしている。
そんな場面だった。
★父はすぐにサックスを習いに行ける教室を見付けてくれた。
まずは体験レッスンを受けてみてください。とのことで、週末に父と2人で行くことに。
私はたまらなくワクワクしていて、教室に着くまでずっと父の腕に自分の腕を絡めながら『パパ、私すっごく楽しみ!』『あ~、ドキドキしちゃうなぁ。』と言っていた。
『そうだなぁ。パパも楽しみだよ。』と、父もずっとニコニコしていた。
教室は、1階が楽器店になっている5階建てのビルの中にあった。
1階の楽器店にはピアノの楽譜を買いに来ることもあったので、よく知っている場所だった。
父が受付で『今日サックス教室の体験レッスンを予約している高木(父の名字)と申します。』と挨拶をすると、受付の女性はすぐに教室へ案内してくれた。
教室はビルの3階に入っており、サックスの他にはクラリネットの教室もあった。
父と2人で先生を待っていると、父と同じ30代後半くらいの男性が笑顔でやってきた。
父より長く伸ばしたヘアスタイルにはチラホラと白髪が見えたが、なんとも優しそうな笑顔をする人だった。
『はじめまして!こんにちは!』
先生が何か言う前に、私は自分から元気よく挨拶をした。
★『おお~。元気ですね!こちらこそ、はじめまして。こんにちわ!』
先生は更にクシャッとした笑顔になり、私の目線に合わせて少し身を屈めて挨拶をしてくれた。
先に父が『高木と申します。今日はどうぞよろしくお願いします。』と言って頭を下げた。
先生は慌てて『いえ!お父さん、頭を上げてください!頭を下げるのは私の方ですよ!』と言って自分も頭を下げていた。
それから
『私は遠藤と申します。私の方こそ、今日は来てくださってありがとうございます!じゃあ、早速教室の方に行きましょうか。』
そう言って教室に向って歩き出したと思ったら、前のめりに派手に転んだ(笑)
(笑っちゃいけない・・・!)
と思ったが、父は既に吹き出していた。
『ぷっ!・・・だ、大丈夫ですか!?』
そう言いながら肩が震えている。
私はこれからサックスを教わるかもしれない先生に対して失礼だと思い、必死に笑いを堪えていた。
『す、すみません。靴紐を踏んでしまって・・・。』
先生はすぐに起き上がったが、髪の毛が少し乱れていた。
その姿がまた父と私のツボにはまってしまった。
父は顔を真っ赤にして壁の方を向いて咳払いをしている。
私も下を向いて唇を噛みしめた。
先生は乱れた髪を直しながら恥ずかしそうに
『笑っちゃいますよね・・・ははは。』
と言って笑った。
★教室に入ると、父と先生が話をし始めた。
4歳からピアノを始めたこと、現在のピアノのレベルについてなど詳しく説明していたと思う。
先生はメモを取りながら真剣な表情で聞いていた。
2人の話が終わると、父は教室から出て行くことになり、私は先生と2人になった。
先生は私に
『今ね、お父さんからココロさんのことを教えてもらいました。ココロさんはピアノが上手なんだね。』
と言って笑ってくれた。
私は『上手では、ないです。』とだけ答えて、先生が話を続けてくれるのを待った。
『ピアノが弾けるということは、楽譜はもう読めるということなのだから、まず自分は何も分からないんだ。と決め付けないでね。』
先生のこの言葉を聞いた私は、安心感でいっぱいになった。
それからサックスにはいくつかの種類があり、音色も違うこと、役割も違うことなどを教えてくれた。
そして体験にはアルトサックスを使うことになった。
★初めて手にするアルトサックスは思っていたより重かったが、私は感激していた。
先生も、私の嬉しそうな様子を見て
『お!似合いますね!』
などと煽ててくれた。
最初は持ち方を覚えるだけでも大変だったが、先生が『まずは音を出してみましょう。』と言ってお手本を見せてくれたあたりから私も真剣だった。
サックスを吹いている先生は、ついさっき、廊下で派手に転んだ人と同じだとは思えないくらい素敵に見える。
私は音を出すまでに少し汗ばんでしまう程時間がかかってしまったが、それでも音が出せた時はとても嬉しかった。
それから程無くして体験レッスンは終了となった。
父が教室に戻り、先生と話をする。
先生は私のことを『飲み込みが早く、本人のやる気が伝わってきました。』と言ってくれていた。
父は『あとは本人に任せようと思っています。』
と言って、レッスンの受講については後日連絡すると約束した。
先生に挨拶をして、その後父と私はランチを食べに行くことにしたが、その時点で私の気持ちはもう決まっていた。
レストランに入り、メニューを決めると私から父に
『パパ、私あの先生に習いたい!』
とお願いした。
父は『他の教室は体験してみなくていいのか?』と聞いてきたが
『私、あの先生がいいな。お願い、私ちゃんと練習するから、すぐに返事して!』と興奮気味で答える私に、父は苦笑いしながら了解してくれた。
★それから10年以上、私は遠藤先生にレッスンを受けることになる。
ピアノとの両立はとても大変だったが、ピアノの練習が終われば少しの時間でもサックスが吹けると思えば頑張れた。
父が買ってくれたアルトサックスを鏡の前で練習する私の姿を見て、妹も『お姉ちゃん、かっこいいね!』と言って褒めてくれた。
祖父母は聞き慣れないサックスの音に驚いていたが、文句を言うことなく見守ってくれていた。
母も、なんとか私なりに両立している私を見て関心しているようだった。
しかし、6年生に上がるまではピアノをメインでやっていた私だが、やがてサックスをメインで練習するようになる。
そして同じ頃、一緒に住んでいた祖父が突然の心筋梗塞で他界してしまう。
それから間もなく、母の私に対する暴力が始まった。
★母方の祖父と母は、あまり仲が良くなかった。
母はずっと、自分が大学を中退したのは祖父のせいだと言っていた。
大学を卒業したら通訳になる夢があったのに、それを叶えられなかったのは全て祖父の責任なのだと本人に向って言っているのを目撃したこともある。
祖父は祖父で、父と母が離婚する原因となった母の浮気を知った時
『この恥知らず!もう2度と帰ってくるな!お前とは縁を切る!』
と言って、実家に離婚の話をしに帰省した母を叩き出したそうだ。
離婚後、母が実家に戻ることも猛反対していたが、私と妹が一緒に住むという話になれば反対などできなかったという。
それから、母が浮気をした男性とは離婚後も続いていたことも許せなかったようだ。
私は母の帰りが遅い時には仕事で遅いものだと思っていたが、実際は男性と会っていたり、週末私達が父の元へ行く時には母も男性と外泊していた。
父から毎月振り込まれる20万円の養育費も、祖父母には毎月10万円だと説明していたらしく、私と妹の習い事の月謝と積立であっという間に消えてしまうからと生活費も入れていなかったそうだ。
実際は積立などされておらず、自分の給料と、養育費の半分以上は全て母一人で使っていた。
祖母は母の言いなりで、母が強く言えば一切何も言い返すことができない性格だった。
母はそのこともフル活用していたと思う。
大事な話は2人に話すのではなく、祖母に簡単に説明して終わり。
祖父と母は顔を合わせてもほとんど話らしい話をしなかったので、祖父も母の事は祖母から聞くことで把握していた。
私と妹のことはとても可愛がってくれていたが、たまに私達の前で母のことを悪く言う時もあった。
『子供をほったらかしで・・・。』
『あいつは自分のことしか考えていないんだ。』
こういう時、私達は祖母が母を庇うのではと祖母の方を見たが、母の時と同じで祖母は祖父の話も黙って聞いているだけだった。
そのうち養育費の話がバレると、祖父は母に向ってこう言ったそうだ。
『お前は子供達が可愛いから2人の親権をとったんじゃないだろう!金が欲しかっただけだろう!』
母が何と答えたのかは知らないが、この時の祖父は本気でそう思ったのだろう。
★こういった母と祖父の話は、全て父方の祖母から聞いた。
どうして父方の祖母から聞くことになったのか。
その経緯はこうだった。
祖父が心筋梗塞で亡くなって1年も経たないうちに、今度は祖母が末期の胃ガンで倒れてしまう。
祖母は自分がもう長くはないと悟ったのだろう。
入院中、見舞いに訪れた父方の祖母に、これまでの母と祖父のこと、離婚後の母の言動を全て話したそうだ。
そして
『こうなってしまったのは、全て娘(母)を育てた私の責任だ。本当に申し訳ない。孫達が大人になって、もしこの話が必要な時がきたら話して欲しい。』
と頼んだ。
私がこの話を聞いたのは、20歳の時だった。
★祖父が亡くなった時、母は祖父の亡骸の横で声を殺して泣いていた。
祖父が亡くなる前日も、2人は言い争っていたそうだ。
自分の父親と喧嘩をしたまま永遠の別れをすることになった母は、あの時どんな気持ちだったのだろう。
そして祖父の葬儀が終わり日常に戻ると、母の生活は目に見えて変化し始める。
祖父が生きていた時はどんなに遅くなろうと帰宅していたのだが、その後は外泊することが多くなった。
朝起きると、母の姿は見えない。
祖母が1人で忙しそうに朝食の準備をして家事をこなす。
祖母は、祖父と2人で経営していた店舗を縮小して1人で仕事を続けていた。
祖母はこの時63歳。
私は6年生になり、妹は4年生。
私と妹は、身体の小さな祖母が1人で家事をこなしている姿を見て『私達もお手伝いをしよう!』と話し合い、それからは私が掃除と食事の準備、妹は洗濯物を取り込むのと簡単な買い物を担当することになった。
掃除はそれなりにできたとしても、今まで料理をしたことがない私には、食事の準備は勉強より大変!
祖母は、最初から付きっ切りで教えてくれた。
少しでも祖母の負担を減らそうと始めたお手伝いが、かえって負担を増やしてしまった。
それでも徐々に私が料理を覚え始めると、私が作った不格好な料理を『おいしい。おいしい。』と言って食べてくれた。
そして、既にピアノの練習よりサックスの練習をメインでするようになっていた私は、家のこととサックスの練習で1日が終わるようになり、ほとんど練習をせずにピアノのレッスンに行く為、当然次のステップに進めずに帰ってくるようになる。
『ピアノ、もう辞めたいな。』
毎日そう思っていた。
★ある日、もうどうしてもピアノのレッスンに行きたくなかった私は、初めてレッスンをサボることにした。
祖母にしつこくお願いして、具合が悪いから休むと伝えてもらったのだ。
祖母は最初とても渋っていたが、私がピアノを辞めたいと思っていることを知ったのと、普段家のことも手伝ってくれて助かるから、今回だけだよ。と言って引き受けてくれた。
私はピアノのレッスンに行かなくて良くなったことが嬉しくて、その日は久しぶりに友達の家に遊びに行くことにした。
母にはレッスンに言ったと嘘を付けばいいと思っていた。
だが、そういう時に限って普段は考えられないような偶然が起きたりするものだ。
家を出る前、友達の家に向う途中には大きい郵便局があることを思い出し、前の学校で仲が良かったイズミちゃんに書いた手紙をそこで出してから行くことにした。
まだ切手を貼っていなかったので、郵便局の中に入り切手を買った。
切手を貼り、手紙をポストに投函して出ようとした時。
『ココロ。』
と、どこからか母の声が聞こえた。
振り返ると、私が入ってきた入り口とは反対の入り口に母がいた。
ピアノのレッスンに行っているはずの私が郵便局にいるのだから、母は驚いていた。
私の方に歩いてくると
『ピアノは?どうしたの?』
と聞いてきた。
私はとっさに嘘を付いた。
『あ、あのね、今日は先生が用事ができたからレッスンはお休みです。って連絡がきたんだ。』
母の顔がみるみる変わっていく。
『先生から?電話がきたの?』
『うん。そうだよ。』
じわじわと手のひらが汗ばんでくるのを感じた。
★母は私の目をじっと見ていたが、私は母の目を見ることができずに逸らしてしまった。
私はその時点で嘘を付いているのがバレてしまうと思ったが、実は既に、母は私が嘘を付いていると分かっていた。
母は無言で私の腕を掴み、郵便局の外に連れて行った。
そして
『さっきまで、ママの働いているお店に先生がいたの。でもこれからココロのレッスンがあるからって帰って行ったのよ。』
『・・・。』
黙って下を向く私に、母は続けた。
『先生がお店にソファを見に来てくれたんだけど、ココロのレッスンの時間に合わせて帰って行ったのよ。その先生が用事ができたからってココロに電話かけてきたの?』
『・・・。』
もう駄目だ。嘘を付いたと認めよう・・・。
そう思い、母に向って
『ごめんなさい。嘘です。』
と言った。
次の瞬間、左耳がキーンと鳴り、私は右を向いていた。
・・・左耳と左頬がジンジンする。
一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに母に平手打ちされたのだと気付いた。
★母に平手打ちをされたと気付いたが、私は母の方を向くことができなかった。
両手で左頬を覆い、下を向いた。
まさか人前でこんなことをされると思わなかったし、もう少し私の話も聞いてくれるだろうと思った。
だが、母は次に私の左肩を拳で叩いてきた。
ドン。ドン。
叩きながら
『なんなのアンタ!!嘘付いて何やってんのよ!!』
と大声で怒鳴る。
平手打ちなら悪いことをした時に何度かされたことがあったが、拳で叩かれたことは無かったので怖かった。
私は『ごめんなさい・・・。』と言った後は、ただじっと身体に力を入れて立っているだけだった。
それから母は仕事の用足しで郵便局に来ていたので職場へ戻ったが、最後に
『家に帰ったら、覚悟しておきなさいよ。』
と言い残した。
私は友達の家に行くことをやめ、そのまま家へ帰った。
★家について、友達の家に電話をかける。
急な用事で行けなくなったと伝えた。
今日は人に嘘を付いてばかりだと思った。
祖母と妹は買い物に出掛けていて、家には私1人。
・・・モヤモヤした気持ちでいっぱいだった。
母が『覚悟しておきなさい。』と言ったのはどういう意味なのだろう。
帰ってきたらお説教だからね。という意味なのか。
それとももう一度叩かれるのか。
私は、叩かれておしまいなら叩かれる方が良いと思っていた。
母のお説教は時間が長く、ひたすら相手を否定し続ける。
特に私は要領が悪い分、指摘されることが多かった。
私も子供の親となった今、自分が母から言われてきたことを時々思い出すが、我が子に言うべき事ではなかろう。と思う言葉が多々ある。
幼いころは『ママの言う通りにしなさい。』と言われ続けたが、祖父が亡くなった後は『だからアンタは駄目なのよ。』だった。
『アンタの〇〇が駄目。〇〇も駄目。それから〇〇も駄目。・・・どうしてそうなの?』
そんなこと私だって知らない。
母にそう言われる度、毎回そう思っていた。
またあの時間を繰り返すくらいなら、一度思い切り叩いて母の気が済むのならそっちの方が良い。
今日は私のことを怒るために早く帰宅するだろうが、どうせまた明日から外泊したり帰りが遅くなるだろう。
今日だけ我慢しよう。
祖母と妹が帰ってくる頃には、そう思っていた。
★祖母と妹が帰ってくると、私は気持ちを切り換えて祖母と一緒に食事の準備をした。
食事の準備をしながら母との出来事を話す。
祖母は『おばあちゃんも一緒に謝るから。今日はおばあちゃんも悪かった。』
と言ってくれたが、私はそんなことをしたら余計母が怒るような気がした。
それから3人で夕飯を食べた後、祖母は妹が通う英語スクールへ妹を送って行った。
母が帰宅するまではまだ時間があったので、私は食器を洗ってから母の食事の準備をすることにした。
食器を洗い、泡を流そうかと思ったところで玄関が開くことが聞こえた。
・・・母だった。
祖母と妹が家を出る時間をちゃんと把握して帰ってきたのだ。
母はキッチンにいる私に向って『ただいま。』とも言わず
『おばあちゃん達はスクールに行ったんでしょ。』
と言った。
『うん・・・。おかえりなさい。』
私がおかえりと言ったことなど、どうでも良かったのだろう。
シンクに重なる食器を見て
『アンタ、人に嘘付いといてよくご飯なんか食べられるわね。』
と、とても軽蔑した口調で言った後、肩から下げていた自分のバッグを床に叩き付けた。
『あぁ、もう!アンタのその顔見てると本当に頭にくる!!』
『アンタのその顔。』・・・私はどんな顔をしていたのだろうか。
★『まず何か言うことないの!?』
黙って立ち尽くす私に向って母が言う。
『・・・今日は、嘘を付いてごめんなさい。もうしません。』
言うことならそれしか思い浮かばない。
しかし、母はその答え方には満足してくれなかった。
『ただ謝るだけなら誰だってできる!!本当に悪いと思うならもっとちゃんと謝りなさい!!』
(もっと、ちゃんと謝る??)
どう謝ればよいのか考えていると、母がまた軽蔑する口調で言った。
『・・・だからアンタは駄目なのよ。本当に人に謝る時は、土下座するもんでしょ?そんなことも分からないの?』
(そうか。土下座すればいいんだ。)
私はキッチンの床に正座して、頭を下げた。
『今日は嘘を付いて、本当に申し訳ありませんでした。もう2度としません。約束します。』
思い付く限りの丁寧な謝罪の言葉を口にした。
これで母も少しは落ち着いてくれるかもしれない。
だが、そうではなかった。
この日を境に、私への暴力が始まったのだ。
★母が良いと言うまで、顔を上げるのはやめようと思っていた。
次に母が何と言うのか分からないが、今はちゃんと頭を下げていよう。
そして母が口を開いた。
『・・・何それ?それで謝ったつもりなの?』
私は目を閉じていたが、母のその言葉を聞いて目を見開いた。
(これじゃ駄目なんだ・・・。じゃあ、どうすれば・・・。)
いくら考えても答えが見つからないので、母に聞いた。
『じゃあ・・・どうすればいいのか教えてください。』
そう聞いた直後だった。
急に頭が持ち上げられる。
視界のほとんどが自分の髪の毛で遮られる。
『この馬鹿!!謝り方ひとつもろくに知らないの!?アンタ今日自分が何したか分かってんの!?反省している人間がご飯なんか食べられるかっていうのよ!!』
母が私の髪の毛を鷲掴みにして上に持ち上げていたのだ。
声を出して泣きたいような痛みだったが、それよりも恐怖の方が強くて涙だけが流れる。
今日の母はどうしてこんなに恐ろしいのだろうと感じたが、きっと私がそれ程ひどいことをしたからだと思った。
『反省なんかしてないでしょ!?アンタのその態度を見れば分かるわ!!』
そう続ける母に向って
『ごめんなさい!本当に悪いと思ってます!』
と悲鳴に近い声で訴えたが、母は聞いていないようだった。
そのまま私の頭を何度も床に叩き付け、私への怒りを口にする。
『本当に何なのよ!!』
その後何度叩き付けられたのだろうか。
額が床に叩き付けられる感覚に慣れてしまう頃、母の手が止まった。
★母は手を止めたが、今度は私の前髪を掴んで引っ張り上げた。
そのまま私は顔を上げる。
母は私の顔を見ると
『泣いたら許されると思ったら、大間違いよ!!』
と言って、今度は拳で頭を横から殴ってきた。
母の付けている指輪が当たり、強い痛みを感じたのでとっさに両手で頭を覆う。
それが更に母の怒りを煽る。
『手をどけなさい!!どけろ!!』
そう言って、両手で覆っている上からも殴ってきた。
(ママは普通じゃない・・・。)
この時ハッキリそう思った。
母が帰宅してからどのくらい経過していたのだろう。
私は床に向って体を丸めながら、一刻も早く祖母が帰って来てくれることだけを願った。
そして母の声が怒鳴り声から叫び声のように変わった。
『この馬鹿!!何度言ったら分かる!!!!』
次は、頭を覆っていた両手を下から蹴り上げられた。
★頭を覆っていた両手を蹴り上げられた私は、そのまま反射的にギュッと目と閉じて体を横にひねった。
母は言葉にならない叫び声をあげながら、私を蹴り始める。
母が何と言っているのか聞き取れない。
(痛い・・・!もうやめて!)
何度もそう思ったが、何か言えば更にひどいことをさるんじゃないかと、とても口にできなかった。
そして
『本当に・・・馬鹿で駄目な子!!』
最後にそう言って、背中を強く蹴られた。
『うっ!』
と声を漏らしてしまったが、顔を上げずにそのままじっとしていると
『いつまでそうやってるの!さっさと洗い物済ませてしまいなさい!』
母はそう言って自分の部屋へ行ってしまった。
私は何かを考える余裕などなく、すぐに立ち上がって残りの洗い物を済ませた。
後から後から涙が溢れてくるが、それすら悪いことをしているような気がしてしまう。
洗い物が終わった後も、ボーッとしていたらまた母に殴られたりするのではないかと思ったので、とにかく何かをしようとウロウロしていると、再び母がやってきて
『誰にも言うんじゃないわよ。』
と言ってテーブルについた。
『うん。言うわけないよ!だって私が悪いんだもん。』
・・・母の顔を見ることはできなかったが、私は明るい声で答えた。
★それからすぐに祖母が帰ってきた。
私は母に部屋に行くように言われていたので、自分の部屋で机に向ってじっとしていた。
祖母と母の話声が聞こえる。
よく聞こえないが、祖母が私を庇っているようなことを言っていた。
母は祖母に強い口調で怒っていたが、やがて落ち着いた声に変わり、話の内容も別の話になったようだった。
とりあえずホッとした私はお風呂に入ることにした。
洗面台の鏡に映る自分の顔と身体を良く見てみると、あちこち赤くなっていた。
頭を覆っていた両手の甲も、母の爪や指輪が当たったのか、引っ掻いたような傷跡が数本付いていた。
一番気になったのは頭だったので、そっと髪の毛を掻き分けて頭皮を確認すると、母の指輪が当たったところが少し裂けていた。
もう出血はしていなかったが、血が固まってこびりついている。
その日は頭を洗うのをやめた。
お風呂から上がると妹が帰ってきたので少し話をしようと思ったが、なんだか急激に眠くなったので妹の顔を見る前に自分の部屋で眠ってしまった。
★祖母は、私が母に暴力を受けていたことは一切知らずに亡くなった。
知らなくて良かったと思う。
末期の胃ガンで苦しむ祖母の姿は、私達も見ていて辛かった。
祖母が入院してからは母も早く帰宅するようになり、私への暴力もほとんどなかったので、このままなくなると思っていた。
そして祖母が入院中に私は中学生になり、妹は5年生になった。
中学に入った私は、迷わずに吹奏楽部へ入部する。
アルトサックスを習っているということで、担当は問題なくアルトサックスに決まった。
これで思い切りサックスが吹けると思って嬉しかった。
友達のほとんどは運動部へ入部し、あの先輩がカッコイイ!この先輩もカッコイイ!と楽しそうにしている。
小学校から一緒だった男子達も声変わりしたり、身体が大きくなったり、Hな話題で盛り上がったりするようになっていた。
1学期の半ば頃には付き合い始めたりする子がいたりして、自分たちはまるで大人になったかのような気がしていた。
私もバスケット部の3年生にカッコイイと思う先輩がいたが、吹奏楽部でひっそり練習している私とは全く接点がないし、先輩には2年生で一番可愛いと言われる彼女がいると聞いていたので、憧れのまま自分の胸に閉まっておいた。
毎日部活が終わって急いで家に帰って食事の準備をする。
それからピアノの練習をして、宿題を済ませる。
食事をしてお風呂に入ればあっという間に寝る時間だ。
サックスは学校で吹けていたから良かった。
レッスンの練習曲はなかなかできなかったが、遠藤先生とのレッスンは楽しかったので一度も嫌だと思ったことはなかった。
こうした生活リズムが出来上がってきた頃、祖母が亡くなった。
★祖母が亡くなった後、母はまた帰りが遅くなったり、外泊することが増えた。
その頃には私もそれがどういうことなのか理解していたし、妹も自分の事は自分でするようになっていたので、母がいないことに寂しさを感じることもなかったようだ。
そして夏休みに入ってすぐに、母から『マンションを買ったから、引っ越す。』ことを告げられる。
引っ越し先は今住んでいる家からわずか10分程の地区だったが、新しいマンション街でいかにも『都会的』なところだ。
母はとても嬉しそうだったが、私は突然のことに驚いたし、そもそもそんなお金どうしたのだろうと不思議で仕方がなかった。
母に遺産相続したことを聞いて安心したが、マンション購入と同時に車も買い換えた母に不安を感じたのも事実だ。
妹は新しいマンションに住めるのも嬉しいし、それに塾に通うのが楽になると喜んでいた。
私も嬉しかった。
母は私のピアノとサックスの練習の為にと言って、新居の一部屋を防音にしてくれていたのだ。
その事で、それまで祖母のいないところで暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりしたが、そんなこともう忘れようと思った。
新居への引っ越しは父と兄も手伝いに来てくれた。
母が自分から頼んでいたようだ。
きっと新居を自慢したかったのもあると思う。
引っ越しが終わって間もなく、今度は今まで住んでいた家(土地)が売れたと聞いた。
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