不純愛
―この愛は、純愛ですか?
―それとも、不純ですか?
彼女の腕の力が弱くなると僕は手を放した。
「吉宗…お前っ!」
孝之が物凄い形相で僕を睨んでいた。
孝之の中にあった、清くて可愛い美桜を僕が変えてしまった。
彼にとって、何よりも大切だったもの。
それは、他ならぬ彼女の純潔だったはず。
そうならば…僕は孝之にとって、もっとも憎い相手だ。
彼の、美桜に対する想いは大学で会った時から気付いていた。
「すまない…孝之。」
同じ彼女の事を想う一人の男として、彼の気持ちは痛いほど伝わる。
「すまないだと…? 貴様、美桜ちゃんに何をした!!」
孝之は僕の胸ぐらを掴むと、壁に叩きつけた。
「やめて、本上先生っ…!」
美桜は、孝之の背中に抱きついて止める。
「僕は…っ」
孝之の瞳を見る。
言わなくてはいけない…
孝之にはちゃんと僕のした事を言わなくては…
「吉宗さん…?」
美桜は、そんな僕の言わんとすることに気付いていた。
「やめて、吉宗さ…「「僕は、美桜を犯したんだ…!」」
被せるように吐いた告白に、美桜は力無くペタリとその場に座り込んだ。
「…なんだと?」
「あの日、僕がお前と清美をこの家で見た晩に…僕は美桜を犯したんだ。」
掴まれた襟元に力が入る…首が圧迫される苦しみが全身を伝う。
孝之は、血走った瞳を僕に向けると壁から剥がして思いっきり僕を殴り飛ばした。
今までに味わった事のない痛みが頬に走る。
「ごほっ…!」
むせかえる鉄の味。
「オラ、立て!」
孝之は、なおも僕の胸ぐらを掴んで立たせようとした。
「もうやめて!」
美桜は、瞳に涙を溜めながら孝之の腕を掴んで懇願する。
「…ぐっ!」
そんな美桜に根負けした孝之は、乱暴に僕から手を放した。
一気に喉元が解放されると、僕は床に這いつくばってむせかえった。
「吉宗さん!平気…?」
そう言って、背中をさする美桜に何度か頷いた。
「美桜ちゃん…何で?何でそんなヤツ…」
孝之のは悲しみに満ちた瞳で美桜を見つめた。
「…弱虫だから。
この人、臆病で怖がりで…不器用だから。」
「…え?」
僕は、美桜の手を握った。
未だ声を出せないでいる僕に、柔らかい笑みを浮かべて
「吉宗さんは、弱虫だから誰よりも優しい…。私の周りにいる弱虫は、自分を守る事に必死で人に優しく出来ない人ばっかりだったけど、吉宗さんは違う。
自分よりも他の誰かを守ろうとしてくれる人よ…。」
(美桜…。)
僕は、腕と脚に力を込めて身体を起こした。
「もう…他になにもいらない。
私は、吉宗さんだけが欲しい。
このまま…彼を奪って逃げます。」
そう言って、美桜は僕の手を引っ張って走り出しす。
踵を翻すと、彼女の白いフレアスカートがフワリと螺旋状の円を作る。
それと同時に、彼女の亜麻色の髪もサラッと美しく靡いてまるで芸術品だった。
僕は彼女に手を引かれながら、そう思った。
「爽太はどうなる? 君はまた、爽太を捨てるつもりか?」
すれ違い様、美桜の横顔に孝之はそう放った。
身体をピクリと反応させて、美桜は立ち止まる。
迷子の子どもみたいに瞳は揺れていた。
僕は、美桜の手をしっかりと握り締めると、裸足のまま彼女を引っ張って外へ出た。
どしゃ降りの雨の中を、ひたすら走って走って…
泥が跳ねて、目の前が霞んで、息が切れても止まらずに走った…。
行き着く先は地獄でも、深い闇でも…
僕は脚を止めない。
君を連れてどこまでも落ちて行く…
それが例え、底の無い沼でも…
僕等は、泥だらけになりながら家路に着いた。
玄関先で息を切らして、びしょびしょで傷だらけの顔で、二人揃ってなんとも無様な格好だった。
これからの二人の生き方を暗示しているかの様な姿に、僕等は互いにクスリと笑った。
美桜の雫を垂らした髪や、黒ずんだ真っ白だったはずのスカート。
小刻みに震える華奢な肩。
僕は、堪らなくなった。
一刻も早く綺麗な姿に戻してあげたくて、バスタオルを取りに行こうと靴下を脱ごうとする。
「待って、今タオル取りに行ってくる。」
しかし、濡れてピッタリと吸い付いた靴下はなかなか脱げなかった。
早くしないと美桜が風邪を引いてしまう。
「あれ…、おかしいな…。」
滑る指にイラつきながら悪戦苦闘していると、美桜の腕が僕の背中に絡み付いた。
「…美桜?」
美桜は僕の胸に顔をうずめて、
「もう、いいの…。 どうせ私達は不純な者同士…汚いままでいいの。このままで十分よ。」
そう言って儚げな笑顔を僕に向ける。
僕は、まだ微かに腫れている彼女の頬に触れた。
爪痕の傷は後々にも残るかもしれない。
僕はその傷跡を舐める。
純粋で汚れのない美桜を、自ら「不純」だと言わせた僕は最低な男だ…。
彼女を、こんなにボロボロにしてしまった。
「美桜…ごめんな。 でも、もう僕は君を綺麗な君に戻してあげられない。
陽の当たる場所に戻してあげられないんだ…僕と一緒に、汚れてくれるか?」
僕の言葉に、美桜は涙を流した。
そして、小さく頷いた。
「汚して良いよ…!」
そう言って、僕の唇に自分の唇を当てた…。
それを引き金に、僕の中で何かが吹っ切れた。
今まで、美桜の身体をワレ物の贈り物の様に優しくそっと抱いてきたつもりだった。
でも今は、美桜の一言で火が付いたかのように激しく求めようとしている。
彼女の唇を貪って、その間に濡れた衣服を剥ぎ取る。
行き場の無い有り余る愛情のせいか、
息が出来ない苦しみのせいなのかは分からない。
とにかく胸がいっぱいで苦しい。
それから逃れようと、美桜のさらけ出された白く光る肌に僕は唇を這らわせる。
耳元で美桜が切ない声をあげる。
(まともじゃない。)
僕等のしている事は、世間の目から背いた浅はかで非道な行為だ。
恋愛じゃない。
不倫だ。
それを分かっていてしている愚かな行為。
だから何だ…
真実の愛なんて誰にも分からないじゃないか…
僕等の本気など、誰に分かってたまるものか…
面倒な事が嫌いな冷血感人間に、こんなにも情熱的な一面があるなんて正直、自分でも感動した。
美桜の捩る身体を追いかけて僕の全身で囲う。
まだ、慣れていない初々しさの残る彼女の全てに僕の身体をインプットする。
あぁ…吐きそうだ。
こんなも君を支配しておきながら、まだ足りない僕の欲望と、それを全て受け入れてくれる君。
美桜…やっぱり君は純粋だよ。
だから、望み通りに汚してやる。
もう、僕以外の他の誰にも君を汚せないように……
美桜…ごめん
愛してるよ…
…力果てて暫くすると、僕はグッタリとしている美桜を抱き抱えてバスルームへと連れて行った。
電気のスイッチに手をかけると、美桜はそれを制止する。
暗闇の中で、僕は美緒の全身を洗った。
それから、湯をはって彼女を浸からせながら、自分の全身も洗った。
僕等は向かい合って湯船に浸かる。
美桜は、身体を薄くピンク色に染めながら僕に恥ずかしそうな視線を送った。
「男の人とお風呂に入ったの初めて…。」
上目づかいの純情な瞳に、僕の心は奪われる。
この娘の、この表情にやられちゃったんだよな…。
「君は、僕を君のカラダで落としたって言ってたよね?」
彼女が清美の挑発にのって言ったセリフを僕は意地悪く聞いた。
「…あれはっ…!」
美桜は顔を真っ赤にして、僕に詰め寄る。
「…分かってるよ。 清美が、思いのほかグラマラスだから焼いたんだろ?」
僕はSだな…
もしかしたらさっき、覚醒された僕の性癖なのかも知れない。
「~っもう!吉宗さんなんかキライっ!」
そうむくれて、美桜は僕にお湯をかけた。
(図星か…。)
な~んか、可愛いなぁ(笑)
僕は、顔にかかったお湯を振り払いなが心底そう思った…。
美桜は、不機嫌に水しぶきを放って立ち上がった。
(あ~ぁ、本気で怒らせちゃったな…。)
僕は口が過ぎたかなと反省しつつ、美桜の身支度が終わるまでそのまま待った。
頃合いを見計らって風呂場から出て、リビングへと戻る。
リビングの電気はついていない。
僕は手探りで電気のスイッチを探して明かりをつけた。
いきなり浴びる光と、その前の光景に目を細める。
「ちゃんと、私を見て。」
全裸で、スラリと立ち竦む美桜の姿。
あの、恥ずかしがり屋の行動とは思えない。
美桜の、僕に挑む様な視線。
「…風邪引くよ?」
言葉とは裏腹に、僕は美桜の姿に見入っていた。
優しくて誠実な男なら、視線を外して何か羽織らせたりするものだろう。
でも、僕は違う。
今は、美桜の望みを叶えるのが先だ。
真っ直ぐに向けられる黒目がちな瞳に、スッと通る鼻筋。
雪のように白い肌と華奢な身体つき。
「綺麗だよ。」
嘘ではなく、心からの言葉だった。
それでも、美桜は納得のいかない表情を浮かべる。
「…色気のない身体でしょう?」
確かに、清美に比べたら美桜の細い身体は男によったら好き嫌いが別れると思う。
でも、もちろん僕には既に関係無い問題。
だって、僕は美桜の身心を含む全てが好きなのだから清美とは比べようがないのだ。
意地悪を言って、美桜をムキにさせてしまった僕が悪い。
「ごめんな…大人気ない事を言った。」
僕は、自分の着ていたTシャツを脱いで美桜に着させる。
背の小さい美桜には、それがワンピースみたいになる。
「小さくて可愛いな(笑)」
クスリと笑うと、彼女は一段と眉をひそめた。
「子ども扱いは止めて!私…吉宗さんを奪っちゃったのよ? これからきっと、大切な物を沢山なくすわ…。
私には吉宗さんしか居なくなる…だから、もっともっと吉宗さんが私を好きって言う証が欲しいの…!
…もっと、私に夢中になって欲しいの!…じゃないと、怖いの…。」
体中の血液が泡立っていきそうだった。
これ以上の愛情の証って何だろう…
どうやって伝えたらいいのか…
そんな事、僕にだって分からない…
「どうしたらいいんだ…?」
僕は、潤んだ瞳の美桜に言った。
「さっき、私が奥さんに言った事を嘘じゃなくして…!
子どもじゃない…私の身体でも溺れたと言ってよ…。」
美桜を子ども扱いした事などない。
ただ、そういう素振りをしていないとダメだった。
僕にも余裕がなかったから…
理性が吹っ飛んで、君を壊してしまわないようにしてただけ。
僕も美桜に鋭い眼差しを向けた。
「…どうなっても知らないぞ。」
(だってもう僕は君に溺れている。)
それも、すでに上がってこれないほど深い所まで。
「…うん。」
美桜は、少しだけ怯えた声で僕に返した。
大切な物を沢山失う…美桜が言った言葉だ。
今更ながらに身震いするよ…。
指先が固く震える。
「…怖い?」
美桜が僕に問う。
「あぁ、怖いよ…。」
僕は美桜の脇に両手を勢いよく滑らせて抱えると、そのままベッドルームへと彼女を連れ出した。
美桜を抱えたまま、自分の身体ごとベッドに埋める。
すかさず脇に設置されたスタンドライトの灯りをともす。
「暗くして…!」
僕の唇から隙をついて離すと、美桜がライトに手を伸ばした。
僕は、美桜の手首を取ってそれを阻止する。
「僕に愛されてる証が欲しいんだろ?
なら、自分で見てみろよ…僕が君をどんな風に求めて果てて行くのか。」
いつもとは様子の違う僕に、美桜の身体が固く怯えているのが伝わった。
「君が、僕の本気を見たいと言ったんだよ?」
「…でも…っ…。」
美桜の言葉を遮るように僕は彼女の唇を塞ぐ。
安易に男の本気など求める恐ろしさを知らない美桜に、僕はイラついたのかもしれない。
可憐でまだ少女らしさの残る美桜が、日々女性としての色気が増してくると焦った。
その色気は、きっと他の男も欲情させるに違いない。
だから…美桜には、軽々しく男を挑発するような行動も発言もとって欲しくない。
それが例え、僕に対してだとしてもだ。
「…言っただろ?
どうなっても知らないって。」
執拗に求められて逃げようとする美桜を、僕は許さない。
身体の自由を奪って、押さえ込んで愛情を注いでいく。
薄明かりに照らされた美桜の全身に、幾つもの赤い花びらの痕が浮かび上がった。
子どもなのは僕だ。
どうしても、美桜を独占したい。
僕の物だと知らしめたい。
羞恥で頬を赤く染める美桜を上から見下ろす。
「…見ないで…っ。」
顔を覆ってた手をどけて、僕は彼女の額に自分の額をくっつける。
「…美桜、僕を見て。」
固く閉じた瞳が、瞼を揺らしながらゆっくりと開く。
涙袋にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「…これからさらにもっと、君を求めてもいいか?」
答えを待たなくても、美桜には限界がきている事は分かっていた。
案の定、彼女は首を横に振る。
「溺れても良いんだろう?」
僕はしつこいし、凝り性だからこういう時ですら極めようとする。
自覚はしているが嫌な性格だ。
自覚しているからこそ質が悪かったりする。
「自分の言った事を後悔した?」
わざと美桜を挑発するようなセリフを言って、彼女を困らせる。
本当は、少しばかり後悔させてやりたかった。
美桜には、淫らな女になって欲しくない。
いつまでも、小刻みに震えて戸惑い潤んだ瞳で僕に抱かれれば良いと思っていた。
「…なら…もっと、強く抱いて…!」
でも負けず嫌いの彼女は、そう言って僕を駆り立てる。
僕の挑発になんか乗るなよ…!
本当に…
どうなっても知らないからな…!
僕の身体も、美桜の身体も汗だくだった。
彼女の額に張り付いた前髪を撫でる。
「…吉宗さんって、変態なの?」
拗ねたようにそう言う美桜に、僕は笑う。
「至ってノーマルだよ。」
「…嘘!」
彼女は僕しか経験がない上に、セックスに対しての知識や免疫がない。
僕だって経験人数は少ないが、知識はそれなりにあるはず…僕のは至って普通。
むしろ、アブノーマルな行為は好かない。
なのに、変態って…(笑)
「美桜、男はみんな狼なんだからいつ襲い掛かってくるか分からないんだぞ?
だからあまり、隙を作るなよ?」
そう言って僕は美桜の頭を、ヨシヨシと撫でる。
「…吉宗さんは、羊の皮を被った狼よ!」
僕の手を振りほどいて美桜は身体を反対側へと向けた。
羊の皮を被った狼…
「…プッ、ははっ… あはははっ!」
僕は、自分が羊の皮を被った姿を想像した。
「…なによ。」
呆れ顔の美桜が振り返る。
僕は彼女のセリフに腹を抱えてしばらく笑った。
「僕って、羊っぽいかな(笑)?」
目に浮かんだ涙を拭いながら聞いた。
美桜は、そんな僕にクスリと微笑んで
「犬っころみたいよ…。」
と僕の頬に優しくキスをした。
青く腫れた口元に彼女の指が触れた。
「…痛い?」
彼女の手をとって握る。
「大丈夫だよ。」
でも…明日から仕事なのに参ったな。
心配が頭をよぎった瞬間、僕は昼間の理事長とのやりとりを思い出した。
「美桜、もしかして理事長に何か言われなかったか?」
美桜の表情が曇ると僕は確信した。
「僕との事だろ?」
「…解雇だって。」
……え?解雇?
「仕事辞めさせられたのか…?
…なんで?
大学は?」
とっさに身体を起こし、僕は美桜に詰め寄る。
彼女は、ブランケットをぎゅっと胸元で握っていた。
「大学は大丈夫。除籍はされないから学校を辞めても研究室には戻れるの…でも…吉宗さんには迷惑をかけちゃう。
ごめんなさい…早く代わりの先生が見つかれば良いのだけど…」
いや…僕が言いたいのはそう言う事じゃなくて…
「なぜ、美桜だけが責任を取らされるんだよ。
こんなのっておかしいだろ。」
「私は良いの。特に将来の目標が教師って訳でもないし気にしてないわ…。
でも吉宗さんは違うでしょ?
あなたが辞めさせられちゃったら職を失ってしまう…そんなのダメよ!」
僕が辞めさせられたら…困るのは僕じゃない。
その先にある清美の生活だろう。
だから、理事長は僕を解職しないんだ。
美桜は強がりで大丈夫と言っているけど、本心はそう思ってない。
彼女は責任感が強い。
生徒を想って、任期を終える前に無責任に辞めさせられる事を悔しく思っているはずだ。
だから…その拳は固く震える。
やるせない気持ちが胸に広がる。
どこまでも無能な自分に腹が立つ。
(…僕も責任を取って学校を辞めるよ。)
そう、喉元まで出てくる言葉を言えたら心は軽くなるのか…?
でも、生徒の事はどうする?
3年はこれから受験の佳境を向かえる。
こんな時期に担当教師が辞めたら、相当大変な思いをさせるだろう…。
辞める事が責任をとる手段なのは僕の都合で、生徒に対して責任を取るって事には決してならない。
あぁ…そう言い訳して、辞任しない政治家と同じだ。
結局…どちらが無責任なのか分からない状態。
「美桜…僕はどうしたらいい?」
情けないだろ?
傷ついた君を差し置いて、僕は君に助けを求めるんだから…
君の言う通り、僕は弱虫だ…
「…今の3年生が無事に卒業するまでは教師を続けなきゃダメ!
その後は、吉宗さんの信じる道を進んで?教師でも、研究者でも好きに進んで行って良いと思う。」
どうだ…聞いたか?
僕の女神はそんな僕を見捨てない。
真っ直ぐな瞳で優しい言葉をかけてくれる。
どうだよ……
カッコ悪くてダサい、無駄に歳だけ食ったオッサンに、こんな言葉をかけてくれるんだよ…
涙が出てくるだろ…
「…泣いてるの?」
僕の雫が美桜の頬に零れ落ちる。
「…ごめ…泣きたいのは美桜の方だよな…?」
拭っても、拭っても涙が止まらない…
美桜はそんな僕を抱きしめて優しく頭を撫でる。
「吉宗さんがどの道を進んでも、必ず私も連れて行って…。 約束して?
そうしたら周りからどんな制裁を受けても辛くないから。」
僕は美桜を抱きしめてる。
すすり泣く声で、
「分かった…約束する。」
そう告げた。
「大丈夫、私が吉宗さんを守ってあげる…。」
神様……
僕に美桜を下さい。
他には何も要らない。
僕と美桜を離さないで下さい…
明日、学校に行ったら爽太に会おう。
会ってちゃんと話そう…
そして、心の底から謝ろう…。
昨日の晩から意気込んで僕は出勤した。
全校集会で美桜の退職が伝えられた。
体調面での不調があったと嘘の理由が付けられた。
驚き落胆する生徒達の声が入り混じる。
そんな中で、僕は爽太に視線を送った。
後頭部をボリボリとかきむしりながら、深い溜め息を吐いているのが見えた。
明らかにイラついている。
ふと、爽太は僕の方に身体を向けると静かに中指を立てた。
「…ヤベぇ…。」
思わず口からでた。
彼の口元が動いているのも見えた。
目を凝らして唇をよむ…
ふ…ざ…け……
(ふざけんな。)
僕は、眉をひそめて爽太の言葉をのんだ。
丸腰の僕が、爽太に挑めるはずもない。
幾らでも殴られる。
一生、憎まれても構わない。
爽太…僕は、お前から美桜を奪うよ。
5限目の授業が終わると、僕は急いで実験用具の片付けに取り掛かった。
予想だと放課後、爽太は僕を尋ねて来るに違いないと思っていた。
「西島先生って、なんか可愛いですよね(笑)?」
そんな時に限って女生徒に絡まれる。
「オヤジ相手に可愛いってなんだよ。」
手元を休めずに返事を返す。
「全然、オヤジじゃないよねぇ?」
「うん、割と先生って女子に人気あるよ(笑)」
「あの銀縁メガネはないわと思ってたけど、やめてからカッコイイって盛り上がってたんだよね!」
キャッキャッと会話を弾ませている女生徒に、僕は呆れ顔を向けた。
「あのね~…僕は、君達くらいの子どもがいてもおかしくない歳なんだよ?
大人をからかうのはよしなさい!
もうさ、暇なら片付け手伝ってくれよ。」
「えぇ~?薬品かぶれるよ~。
あ、先生のアドレス教えてくれたら手伝ってあげます!」
「あーなら、私も♪」
「アドレス教えません!!
ほら、もう帰った帰った!」
だだをこねる女生徒達を理科室のドアまで押しやると、そこでちょうど爽太の顔とぶつかった。
「「キャーッ、岡田先輩っ!」」
さっきまで僕をからかっていた女生徒達は、爽太を見るや否や頬を真っ赤にしてはにかんだ。
(…これだから女は。)
「一年生?
早く帰らないと、日が暮れるのが早くなってきたし危ないよ?
気をつけて帰ってね。」
そう、満面の笑顔の爽太に施されて女生徒達は嬉しそうに帰って行った。
僕は逆に、爽太のそんな笑顔が恐ろしかった。
案の定、彼女達の姿が見えなくなると爽太は僕を鋭い瞳で睨み付けた。
そのまま爽太は、無言で隣接されている準備室に入って行った。
間一髪に殴られると覚悟していた僕は、呆気にとられた。
爽太は準備室のソファーに腰掛けて脚を組んでいた。
(生意気な態度だな。)
そう思っていても、どうしても下手に出てしまう。
「先生ってさ、若い女にモテるんだな。」
嫌みっぽく僕に放つ。
「なに言って……」
爽太の言葉に、僕はハッとした。
若い女…って
まさか…
「…知ってたのか?」
爽太は何も言わずに僕を見ていた。
それが答えだった。
「姉さんに聞いたのか?」
「違うね。」
「じゃぁ……」
僕の頭に孝之が思い浮かんだ。
「病院で孝之…本上に聞いたか?」
ハァ…とため息をつくと、爽太は僕の肩を掴んだ。
「そんな事はどうだっていいさ!
先生は姉さんの事、本気なのかよ?」
真剣な眼差しに、僕は瞳に力を込める。
「当たり前だろ。」
すると、爽太は掴んだ手を放す。
俯いた彼の顔から少し微笑んだのが見えた。
「…爽太。
僕は離婚出来てない。
そして、情けない事に妻は絶対にそれには応じない。
それが…どういう事かお前なら分かるよな?」
「ああ、姉さんが可哀想だな。
先生はひどい男だ。」
僕は爽太を好いている。
だから、ハッキリとそう言われると正直へこむ。
「…ごめん。
その通りだ…でも、僕は姉さんを諦められない。
不幸にしてしまうと分かってても手放せないんだ。」
僕の言葉に、爽太はスクッと立ち上がった。
「一発殴らせて。」
そう…爽太の言葉を受けると、僕は黙って目をぎゅっと瞑った。
鈍い音と共に、僕は山積みの本の上に倒れた。
「痛ってぇ…~!」
爽太は右手をふるふると振ってしゃがみ込んだ。
痛いのは僕の方だ…
何でみんな右手で殴るんだよ…
昨日の傷の上から更に劇痛が走る。
「…姉さんを捕られたんだ。
このくらい当たり前だろ?」
そう言いながら、爽太は僕に手を差し伸べた。
「許してくれるのか…?」
「先生を許した訳じゃない。
俺は、姉さんを信じてるだけだ。
…それでも先生が、姉さんを裏切ったら俺は先生を殴り殺すよ。」
なんだろう…
美桜と同じ顔して爽太は恐ろしい事をいう…
僕は爽太の手を取る。
「もう…殴られるのはごめんだ!」
僕の言葉を聞いた爽太は、ニカリと満足げな笑みをこぼした。
その時、初めて僕に弟が出来たような気がした。
「あ~…それから、先生。」
和やかな雰囲気から一転、急に爽太の顔が険しくなった。
「…どうした?」
「いゃ…さ、先生の敵って離婚してくれない奥さんじゃなくて他にいるよ。」
頬をポリポリとかきながら爽太は言う。
「…それって、本上の事か?」
「まぁ…そうだけど、それだけじゃない。もっと、黒い権力みたいなものが先生と姉さんを渦巻いて引き離そうとするだろうね。」
(黒い…権力?)
「…だからさ。」
言葉を詰まらせる爽太に、僕は不安を募らせる。
「だから…何だ?」
彼の強い眼差しが帰ってくる。
「この先、何があっても姉さんを信じろ。」
何か、僕等にとって恐ろしい出来事が起こると暗示されているかのようなその眼差し。
美桜を信じる…
何があっても…
「信じるよ。
僕は、美桜を信じる。」
「絶対に忘れるなよ。」
爽太が去った後の部屋に、隣からの水滴の落ちる音が響く。
ピチョン…
ピチョン……
静かに落ちるその音に合わせて
僕の心もザワついていた……
孝之side~
あの日以来、大学で会っても美桜ちゃんは俺を避けていた。
あの日の事が、時折頭を過ぎる。
朝早くから学校に行っていた彼女が、しょぼくれて研究室に帰ってきた。
「美桜ちゃん、どうかした?
今日は一日中学校じゃなかったっけ?」
タイムボードに記された彼女の予定表に目をやると、確かにそう書いてある。
「…辞めさせられちゃった…。」
ポツリと呟くと、彼女はデスクに俯せてすすり泣いた。
「…え?
また、どうして!」
白々しく驚いたフリをして彼女の肩に手を添える。
俺は、ここぞとばかりに外に出て清美に電話をかけた。
清美が動き始めたと思ったからだ。
「彼女、学校を辞めさせられたよ。
お前の仕業だろ?」
電話先で清美の笑い声が聞こえた。
「あなたの望みでしょ?
これで、とりあえずは吉宗からあの娘を引き離せたわ…。」
確かに、吉宗から美桜を離したかった。
だけど、あんな風に泣かせたかった訳じゃない。
それに、吉宗はお咎め無しなのは納得が出来なかった。
「清美…今日、吉宗を家に呼べるか?」
ある考えが俺の頭に浮かぶ。
「理事長に話しをしてあるから、黙ってても来るんじゃないかしら?」
「そうか…じゃあ、来たら俺にワン切りして教えてくれ。
なんとか吉宗をたらし込んで俺に見せつけてくれないか?」
「どういう事?」
「そういうのって興奮するだろ?」
「…あなたって、本当に変態ね。」
まんざらでもなさ気な清美の返事に、お前もだよと言いそうになった。
美桜には悪いが、こうなったらとことん泣いてもらうしかない。
研究室に戻ると、美桜は携帯の画像を見ていた。
後ろからだとよく分からなかったが、腫らした目でも幸せそうに見る画像なんて容易に想像できた。
「美桜ちゃん。」
彼女は俺の声にビクついて慌てて携帯を閉じる。
「吉宗は止めた方がいい…。」
奴の名前が出ると、彼女は驚いたように俺を見つめた。
「…何で…?」
「前にここで、二人を見たからね。」
「…あっ…あの時?」
彼女の問いに俺は頷いた。
「学校を辞めさせられたのも吉宗のせいだろ?
あいつ、君に離婚したなんて嘘ついて騙してたんだ…。
もう、あんな奴の事は忘れた方がいいよ。」
そう言って、彼女の肩に手を伸ばすと美桜は俺の手を振り払った。
「…吉宗さんはそんな人じゃない!」
睨み付けるような眼差しに、俺の心がチリリと焼けた。
「美桜ちゃんは吉宗の本性を知らないんだよ。」
その時、ポケットの中で携帯が揺れた。
(清美からの合図だ。)
美桜は怪訝そうな表情を浮かべている。
「…嘘だと思うなら吉宗の所に行ってみたらいい。
今頃、普通に前の家にいて奥さんと宜しくやってるさ。」
俺は、住所を書いたメモを美桜に渡した。
思った通り、彼女はそのメモを取ると走って研究室を出て行った。
…まぁ、結局この思惑は失敗に終わった。
むしろ、さらに悪い結果になってしまった。
こうして彼女が大学に戻って、俺と過ごす時間は増えた訳だけど…
避けられてるしな。
意志が強いだけに嫌われたら厄介だ。
挙げ句、清美との関係もバレた。
完全にお手上げ状態だ…。
特に夜、二人きりになると気まずくて駄目だ。
黙々と資料を整理している彼女の後ろ姿を見つめる。
「…美桜ちゃん、お腹空かない?
なんか買ってこようか?」
恋は、惚れたら負けだなんて言うけど、正にそんな感じだ。
「要りません。
もうすぐ終わりますから、本上先生は先に帰られたらいかがです?」
こっちを振り向きもせずに淡々と話す。
しかも、敬語。
見掛けによらず強情だ…。
そういう態度をとられると、俺のサディスティックな部分が刺激される。
途中で白衣を脱ぎ捨てる。
「美桜ちゃんは、俺が嫌いか?」
後ろから囲んで、耳元でそう囁く。
すぐさま、彼女の身体がビクリと硬直したのが分かった。
俺は美桜の髪につけられたバレッタを取る。
自由を得た彼女の髪が、ふわりと落ちて甘い香りを放った。
それだけで、目眩が起きるほどの甘美に浸れる。
「あの…っ、本上先生…?」
美桜は怯えた表情で立ち上がると、身体をフラつかせながら後退した。
その表情がまた堪らない。
それは、彼女が俺を男として初めて意識した瞬間だったからだ。
「俺が怖いか?
…まぁ、ここで騒がれても誰にも聞こえないけどね。」
「…なんで?…何をするつもりですか…?」
薄い水色のブラウスの胸元をギュッとつかんで、彼女は俺に問う。
「美桜ちゃんってさ、賢いけど鈍感なんだね。
俺がずっと君を好きだったの気づかなかったんだろ?」
「…え…っ?
あの…本上先生は、吉宗の奥さん…清美さんが好きなんじゃないんですか…?」
「吉宗…。」
彼女の口から呼び捨てにされた奴の名前を聞けば、嫌でも二人の親密さを思い知らされる。
「俺はさ元々、ロクでもない男でね。
学生の頃から吉宗が疎ましくて嫌いだったんだよ。
清美との関係はただのアイツに対する嫌がらせだ。」
俺は何を言ってるんだろう…
一番嫌われたくない相手に、自分の羞恥を語るなんて
ほら見ろ…
美桜の軽蔑に満ちたあの瞳を…
「ひどい…っ!
そんな事であの人を傷つけたの?」
「ああ、そうだよ。 まさか…君とアイツがこんな関係になるなんてね。
なぁ…美桜ちゃん、いっそう俺の物になってよ。
そうしたら、君はこれ以上苦しむ事はないし、なんなら院長に言って君を家に戻してもらえるようにする。
もう一度、あの家で家族と暮らしたいだろ?」
俺はそう言って彼女に両手を伸ばした。
肩を掴んで彼女の顔を覗き込む。
「…嫌よ。
例え、家族に戻れてもあなたの物にはならない…!」
怯えた瞳で肩は震えているのに、本当に美桜は強情だ。
俺は、美桜の顎をクイッと上げた。
威嚇した目線を浴びせられても俺は軽く微笑む。
そんな表情ですら可愛いと思った。
絶世の美女だと言っても過言じゃない彼女が、もうすぐ自分の手に堕ちると思うと嬉しくて、つい笑ってしまう。
「拒んでも無駄だ。 君を俺の物にしてやる…。」
目をギュッと瞑って堅く結んで閉じた美桜の唇に口付けしようとした時、
彼女の白衣のポケットから携帯が鳴った。
彼女が取るより早く、俺はそれを取った。
「吉宗からだ。」
取り返えそうと必死な彼女に、俺は高らかに携帯を掲げた。
どんなに頑張っても、30cmもの身長差のある俺には彼女は届かない。
「もしもし(笑)?」
「………孝之?」
「よく分かったな。」
「なにしてる?
美桜はどうした…!」
電話の先で怒っている吉宗に、俺は優越感を覚えた。
「何だよその言い方…美桜はお前の物か?」
俺は、美桜の腰に腕を回すと自分の身体に彼女を密着させた。
「嫌っ…!」
「…美桜?
おいっ!孝之お前、なにしてんだよっ!!」
吉宗が焦れば焦るほど俺は嬉しくなった。
「美桜は、本来なら俺の物になってたはずなんだぜ?
それを奪ったのはお前だろ?吉宗。」
俺は、暴れる美桜の腕を片手で押さえて無理やり唇を奪った。
柔らかくて甘くとろけるような感覚に、この上ない幸福感に包まれた。
「…ん~っ!!」
身体を固定されている美桜には俺の呪縛は解けない。
吉宗にも聞こえるように、ワザと派手に音を立ててキスをする。
息の出来ない美桜は、苦しさから吐息を漏らすがそれが逆にいやらしいさをかもち出す。
しばらくして俺は、美桜を解放した。
電話は切れていた。
吉宗はここに来る。
そう確信した俺は、あの日失敗した作戦を逆バージョンでやるのもいいなと思った。
どうせもう、美桜は力ずくでしか奪えないのだ…
ならせめて、吉宗の敗北感に満ちた顔が見たい。
袖で唇を拭う美桜の腕を掴んで、俺は黒い革張りの長椅子に彼女を押し倒した。
泣き叫ぶと思っていたが、美桜は挑むような瞳で俺を睨み付けた。
「…泣かないんだな。」
これが…彼女のこのひたむきな強さが、俺の光だった。
君は俺の太陽だったのに…
君が照らすのは同じ様にひたむきなアイツの方なのか…?
「そんなに吉宗が好き?」
「……………。」
「初めて、アイツに抱かれた時もそうやって突っぱねたか?」
一瞬、美桜の瞳が揺らいだ。
「そうか…君は、吉宗を拒む事なく素直に受け入れたんだな。」
胸が焼き焦げそうなくらいの嫉妬心。
俺は美桜の胸元を掴んで、勢いよくブラウスを引き裂いた。
「…やめてぇ…っ!!」
ブチブチと音を立ててボタンが飛び散る。
俺は、美桜の両手首を抑えると晒け出された彼女の鎖骨に唇を這わせた…。
甘い…彼女の匂い。
滑らでキメの整った肌…。
何十人と女を抱いてきたが、こんなに自分の意識が遠退いてしまうほどの甘美に溺れた事はない。
(これは…まずい。)
吉宗への復讐どころじゃない。本気で、美桜に意識をもっていかれそうになる。
たかが、セックスで自分の意志が崩されるのは俺の性に合わない。
例え、相手が美桜であってもそれは同じだ。
俺は、女の身体には絶対に溺れたりしない。
クラクラと薄れる頭の中で、俺は自分を保とうと必死で考えた。
「うぅ……っ!」
唇を噛み締めて堪える美桜の声が、俺の理性を効かなくさせる。
「吉宗のセックスは優しいか? 俺とアイツとどっちが君を満足させられるか試してみようぜ?」
そう美桜の耳元で囁くと、俺は彼女の首筋に強く吸い付いた。
さながら、吸血鬼に血を吸われる映画のシーンみたいだ。
俺は、彼女の首に赤い痕が付くのを確認すると満足感を得た。
そのまま、唇を鎖骨と更にその下の胸の膨らみへと滑らせる。
白いキャミソールが邪魔だ。
しかし、ブラ一枚に直接服を着ない辺りが美桜の育ちの良さを物語っているみたいだった。
(これも引きちぎるか…)
そう思った時、美桜が何か言っているのが聞こえた。
耳を近づけてその声を拾う。
「…吉宗さん…っ。」
力でねじ伏せられた美桜は完全に戦意喪失…か。
「…君は、もうちょっと強い子だと思ってたけどな。」
簡単に吉宗に助けを求めるなよ。
それじゃアイツに、こんな場面を見せつけてもアイツが君のヒーローである事は変わりないだろ?
そんなんじゃ、ダメだ…
君から、アイツと離れる意思が芽生えなくては意味がない。
「…やめた!」
俺は、美桜の腕を解放して彼女の身体から離れた。
吉宗side~
孝之との電話をブチ切った後、僕は息を切らして大学の研究室へと急いだ。
どうか間に合ってくれ…
いや…例え間に合わなかったとしても…
「美桜っ!!」
研究室のドアを勢いよく開けて僕は叫んだ。
中には孝之の姿は無かった。
部屋の隅々まで目を凝らして彼女を探す。
すぐに、デスクの影に隠れて小さく体育座りをしている彼女を見つける。
「…美桜?」
僕は、ゆっくりと彼女に近づいて名前を呼んだ。
「…来ないで…。」
顔を埋めて、美桜はポツリと言う。
僕は、彼女の肩を抱いて
「大丈夫だよ…。」
と彼女の背中をさする。
ほどなく聞こえてきた泣き声に、胸が押しつぶされるほどの痛みが走った。
彼女が落ち着くまでそのまま抱きしめ続けた。
しばらくすると、目を腫らして美桜は僕を見つめた。
無残に開かれた胸元が、惨事を物語る。
僕は美桜のスカートに目をやった。
見たところ、彼女が強姦された形跡は無い。
深い安堵と同時に、孝之に対してこの上ない怒りが込み上げた。
あいつは…孝之は、美桜だけは傷つけないと信じていたからだ。
こんな風に、乱暴して怯えさせるとは思ってもみなかった。
心のどこかで、孝之の人間性を信じていたのに…
その期待をまんまと裏切られた。
「…美桜、立てるか?
家に帰ろう。」
美桜は胸元を押さえてコクリと頷く。
(シャツ…ボタンがなくて止められないのか…)
僕は、持ったいたスポーツバックの中からジャージを引っ張り出して美桜に羽織らせた。
「今日、体育祭だったんだ。
汗臭いかもしれないけど我慢してな(笑)」
努めて明るく言った。
「…吉宗さんの匂いがする。」
ジャージの襟元を鼻に近づけて、彼女は軽く微笑んだ。
良かった…笑った。
「…よし!
帰ったら美桜の好きなハンバーグ作ろうな!」
彼女と手を繋いで、自分のジャケットのポケットに入れる。
「それは吉宗さんの好きなものでしょ?」
俯き加減だが、徐々に彼女らしさが戻って来た。
「あ、バレた?」
僕は、ニカッと笑って見せた。
美桜、一緒に帰ろうな…
怖かった事…僕と半分、痛み分けだ。
外にでると、秋の冷たい夜風が美桜の髪を撫でた。
「さすがに夜は少し冷えてきたな…美桜、寒くないか?」
僕はそう問い掛けながら、隣に並ぶ彼女に視線を向けた。
ぶかぶかのジャージに膝丈のスカート。
あまりにも幼い格好。
微笑ましくもおもえるが、それを美桜に言ったらまた怒られるかな…。
吹き出しそうになる口元を、僕は咳払いをして覆った。
「…私、女性としての魅力がないかな?」
ふいに言った美桜の言葉に、心の中が読まれたかとヒヤリとしたが、
彼女はショップのウィンドウに写った自分の姿を見て言っていた。
「孝之にそう言われたの?」
「…え?あ…っ、そう言う意味じゃなくて…。」
「あいつに襲われた方が良かったのか?」
僕のキツイ言葉に、美桜は俯いて瞳を潤ませる。
「…そんな訳ないじゃない…。
吉宗さんも、同じ事思ってたら…って、そう思っただけよ…。」
僕は、無言で彼女の手を引いてその店に入って行った。
店員さんにディスプレイされているワンピースを出すように頼んで、試着室へと美桜を押し込んだ。
「あと、あのトレンチコートも一緒にください。」
仕立ての良い服が、美桜を洗礼された女性へと変える。
店員のお姉さんにも大絶賛だった。
「吉宗さん、私…こんな高い服は要らない。」
「良いから。
美桜は4月生まれなんだろ?僕からのだいぶ遅い誕生日祝いだ。」
鏡に写る自分を見て、美桜は嬉しそうに微笑む。
「とても良く似合ってるよ。」
「…ありがとう。」
何度、君が服をメチャクチャに破かれても…
泥だらけに汚されても…
何度だって僕が元通りの綺麗な服を着せてやる。
君に、惨めな思いはさせない。
途中でスーパーにも寄って夕飯の買い物も済ませた。
楽しそうに食材を選ぶ美桜を見て、僕の心配は和らいでいった。
家に着いて、二人で手を洗いに行く。
美桜は、洗面台の鏡の前で表情を曇らせた。
それを覗き込むと、彼女はサッと首もとを手で隠す。
僕は、その手を取ってゆっくりとどける。
「…ごめんなさい…っ。」
「謝らなくていい。」
くっきりと残った孝之の記し。
僕は、温めたタオルをその記しに当てた。
「痣みたいなもんだからなぁ…温めたら治らんかね。」
しばらく当てると一回、タオルを外してみる。
あまり効果は無さそうだ…。
「どげんしたら良かとか…これはぁ?」
僕はその痣との格闘に夢中だった。
「一度つきよったら、ふなこつ消すのは難しかね…。」
タオルをポンポンと叩くように当ててると、美桜が僕の手を止めた。
美桜は肩を震わせてクスクスと笑っていた。
「くすぐったかった?」
彼女は、涙目で首を横に振る。
「何?なんで、そんな笑ってんの?」
僕のキョトンとした顔に、彼女は我慢ならないと言う様に吹き出して笑い転げる。
「だって…!(笑)
吉宗さん、独り言が博多弁なんだもん(笑)」
「…え?僕、訛ってた??」
自分でも全然、気がつかなかった。
「ふふっ…なんか、可愛い!」
こんな些細な事で、美桜が元気を取り戻した事が、僕は何よりも嬉しかった。
僕は、美桜にキスをしようと唇を近づけた。
美桜は顔を伏せてそれを避ける。
「…美桜?」
「…ごめんなさい…。
でも、私…吉宗さん以外の人と…っ。」
美桜が悪い訳じゃないのに、彼女は自分を責めていた。
さっきからずっとだ。
「美桜が悪いんじゃない。
それに、そんな事言ったら僕だって清美と…」
「やめて!!
聞きたくない!」
美桜は僕の言葉に耳を塞ぐ。
「美桜は、やきもち妬きだな。」
「そうよ…。私って嫉妬深いの…吉宗さんが大好きよ。
誰にも触れさせたくないし、触れて欲しくない…!
なのに…吉宗さんは私が他の人に触れられても平気なの?! 妬いたりしないの?!」
平気でいられる訳ないじゃないか…
君のあんな姿を見て
君の身体に付けられた赤い痕を見て…
なんで、平気でいられると思う?
嫉妬や怒りの炎を君にぶつけても、君が辛いだけだろ…?
だから、必死に抑えてるんだよ。
なぜ、君はそれが分からない?
「僕だって、嫉妬深いよ。
ただ、美桜を嫉妬心で抱きたくないだけだ。君に、怒りにも似た感情をぶつけたくないんだよ。」
美桜は僕の胸元を掴む。
「…私はあの時、吉宗さんにぶつけたわ。あなたの肩を噛んでしまった。
そんな風に、冷静に考える暇もなく…あなたを求めたかったのに…。」
あぁ確かに…あの時、僕は君に愛されている実感に包まれて幸せだった。
相手を求めるって、そういう荒々しい感情も含めて欲しがっても良いのかもな…。
「だったら、僕のキスを避けるなよ。」
僕はそう言って、激しく彼女の唇を奪った。
冷静沈着…僕のポリシーだ。
でも、美桜…君はいつも僕の心を熱く焦がして、僕から冷静さを奪いとる。
僕は、うつぶせ寝の美桜の背中を指先でなぞった。
背骨が真っ直ぐで、大理石の彫刻みたいに綺麗な背中だ。
「美桜って、砂糖菓子みたいだよな。」
「…え?」
なんとなく彼女を見て思った。
「髪の毛なんて、フワフワで綿あめみたいだし。
肌は、生クリームみたいに白くてスルスルしてるし。
それに…」
僕は、美桜の首筋をクンクンと犬の様に嗅ぐ。
「いつも、甘い良い香りがする。」
美桜は、くすぐったそうに首を傾げる。
「匂いは…たぶん、ランバンの香りよ。」
「ランバン?香水?」
「母がね、いつもこれのボディクリームを使ってたの…この香りに包まれていると、今でも母が近くにいるみたいで落ち着くの。」
「美桜のお母さんの匂いか…。」
きっと、彼女の様に美しい人だったんだろうな…
美桜の父親は、今の彼女を見てどう思うのだろう。
かつて愛したその人と重なって、会えば辛くなる…
だから、一度も彼女に会おうとはしないのだろうか…
生きていても会えない親子。
美桜の孤独はいつまで続くのだろう。
一緒にさえなってやれない僕には、彼女の孤独を救えない…
時折、僕は美桜に対してこんな無力感を感じる。
彼女を家族の元へと返す事も
彼女を僕の家族にする事も
どちらも僕には、叶えてあげられない…
僕は無力なんだ…。
季節は冬になっていた。
もうじきやって来るクリスマスに、街がイルミネーションで鮮やかに彩っている。
冷え込みの酷い朝、黒のPコートを着て出勤すると一斉に、職員達から生徒と変わりないんじゃないかと言われた。
ついに、僕は高校生になってしまった。
完全にイジられたな…。
もう、このコートは二度と着て来ないと誓う。
まぁ…学校では相変わらずこんな感じだったが、プライベートは最悪だった。
清美との離婚調停も案の定、いたちごっこが続いて先は見えず。
美桜は、連絡の取れない日が多くなった。
たまに会えたとしても、なぜか上の空だ。
彼女の気持ちが見えなくて、悶々とした日々を送っていた。
いつからそうなったのか…1ヶ月ほど前から彼女の態度がおかしくなった。
確か、きっかけは一本の電話だった様な気がする…。
夜中に、けたたましく鳴った電話。
曇り声で、よそよそしく会話をしていた相手は…おそらく彼女の父親だ。
どんな内容かは覚えていないが、ひどく深刻な表情の彼女が頭にこびり付いていた。
その日からだな…僕を何となく避ける様になったのは。
「よう、先生。」
放課後、僕の所に爽太が顔を出した。
「浮かない顔だな。 どうした?振られたか(笑)?」
爽太の冗談にも笑えない。
「…本当に、そんな感じだよ。」
爽太は僕の顔を覗き込む。
ち…近っ!
「先生、泣きっ面だな。
こんな、妻帯者振って正解だよ姉さんは…。」
「あぁ…そうかもな!
いい加減愛想も尽かされたかもな!」
大人気もなく、僕は爽太にそう言い放った。
「ハァ…何だよ。
姉さんの選んだ男がこんなかよ…。
マジで、がっかりするわ!」
「こんなんで、悪かったな!」
本っ当…高校生とケンカするアラフォーってなんなんだよ。
情けない…。
「…あんたの事、殴って損したよ。」
ひどく落胆した爽太に、僕は今までの言動を後悔した。
「爽…―」
僕の呼びかけを無視して爽太は踵を返す。
準備室のドアの前で一度立ちどまって振り返る。
「姉さんは、一人で戦ってるぞ…!」
鋭く…でも少しだけ潤ませた瞳で、爽太はそう言って去って行った。
(一人で戦っている…。)
一体、何の事なのか…
何と戦っているのか…
その意味が分からない。
爽太は僕に何を伝えようとしたのか…?
知りたくても、爽太は翌日から休学届けを出して学校へは来なくなった。
ついには、美桜の電話も繋がらなくなった。
彼女の部屋も引き払われていた…。
完全に僕は、取り残されてしまったのだ。
美桜…君の身に一体何が起きた?
何故…何も言わずに去って行ったんだ…?
空白になった君の部屋で、僕はひたすら声を荒げて泣いた…。
爽太side~
都心から特急で1時間ほど離れた地方都市。
周りが山に囲まれた静かな場所にある個人病院。
まだ新しくて、この場所には不釣り合いな程モダンな外装の造りだ。
1階の受付を済ませて、俺は3階にある入院病棟へと向かった。
この病棟は全て個室だ。
その中でも、高級そうな茶色の絨毯が引かれたフロアの大きなドアに手をかける。
「姉さん、調子はどう?」
広い特別室に置かれたベッドの上に、姉さんは横たわっていた。
アロマ入りの加湿器がシュンシュンと音を鳴らして蒸気を発している。
「…まだ寝てるの?」
俺は、眠っている姉さんの布団の上に青色のカーディガンを広げた状態で置く。
「…早く起きて。
あの人が、姉さんを待ってる。」
冷たい手を取って握る。
眠り姫が目覚める日を、俺は祈りながら待つしかないのだ。
いつか、この手をあの人の所まで引いて行ってあげる。
姉さんの愛おしい人の所へ…
夜の闇の中で、ウトウトと眠気に襲われて重たい瞼を閉じた。
姉さんがこうなった経緯が蘇ってくる。
あぁ…また同じ夢を見てしまう。
姉さんの悪夢を引き継ぐように…。
―1ヶ月前―…
「姉さん…!」
学校帰り、父さんに呼ばれて病院の院長室に行くとそこに姉さんの姿があった。
…姉さんが帰ってきた!
とっさに、そう思った俺は心を踊らせた。
「…爽。」
しかし、姉さんの表情は俺の心情とは裏腹に暗かった。
すぐに違和感が走った。
「…何で、お前もいんだよ?」
「目上の相手に、お前とか言うなよ爽太。
(本上先生だろ?) 何でいるんですか?って聞けよ。」
俺はコイツが嫌いだ。
何故だろう…なんとなく昔から苦手だった。
うちの病院に来てから色々な看護師との噂や、病院内を嗅ぎ廻る様子とかがやたら目について更に嫌いになった。
「そう、睨むなよ。 俺達…これからは義兄弟になるんだからさ。」
(義兄弟…?)
静止した場の空気。
信じらんない言葉…
ニヤついた本上の顔
姉さんの、唇を噛み締めた絶望感に満ちた顔…
混乱状態の俺の頭ん中。
そんな中で、グチャグチャな思考回路を一掃するように
西島先生の微笑みを浮かべた顔が俺に手を差し伸べた…。
冷静に…考えろ!
「どう言うこと? 」
震える姉さんの手を取って俺は、父さんと本上に問いた。
「美桜は、この本上君と結婚するんだ。」
父さんは眼鏡を光らせて言った。
いつもの無機質な物言いだ。
「何故です?」
「そうする事が、この病院の為になるからだ。」
俺は、父さんの一句一言に首を傾げながら(分からない)と言うように父さん達を睨み付けた。
内心では、姉さんは政治の道具にされるのだと分かっていた。
本上の親父に、金を受け流しているのは随分前から知っていたし。
そのおかげで、この病院は色々な恩恵を受けている。
おそらくは…姉さんもそれに気付いている。
分かっているから、その命令に従うしかないという事も…。
「…姉さんは、この病院とは無関係。
そう言って、捨てたのは父さん自身ですよ?それを…今更、病院の繁栄の為に身売りさせるって言うんですか?」
姉さんが、俺の手を強く握り返す。
「言葉が過ぎるぞ…爽。
美桜には、美桜なりに病院の為に役く立つ方法がある。
それに、あの時の事を償うチャンスだと思うのだが?」
「姉さんは、もう罰を受けています。」
俺が父さんに詰め寄ろうとした瞬間、
姉さんが目眩を起こしてフラついた。
「姉さん…?」
倒れそうな姉さんの肩を抱く。
「…ごめん、大丈夫よ…。」
ひどく顔色が悪い。
すぐに、本上が俺達に駆け寄ってきた。
奴が姉さんの脈拍を計る。
それだけで嫌悪感が走った。
「脈拍が弱い。
美桜ちゃん、最近いつ血液検査した?」
姉さんは、本上の質問には答えない。
突っぱねる姉さんに、父さんが重たい腰を上げた。
父さんの手が姉さんの顔に触れる。
その時…ほんの一瞬だが、父さんの顔が泣き出しそうなくらい切ない表情になった。
父さんは姉さんの涙袋を下に引っ張る。
「白いな…貧血が出てる。
このまま、検査入院しなさい。」
「いいえ…結構です…検査は受けません。」
姉さんは父さんの手を跳ね返して立ち上がった。
俺はすかさず姉さんの身体を抱き支えた。
「…爽…お願い…っ!ここで、検査は受けられない…」
耳元で消え入りそうな声の姉さんが言う。
俺は、その願いに頷いて返事を返した。
「今日は、俺が姉さんを連れて帰ります。
後日、改めて二人で来ます。」
「分かった…そうしなさい。
くれぐれも何かあったら病院に連れて来なさい。
いいか?爽。」
俺は父さんと本上に一礼すると、姉さんを連れてタクシーに乗った。
息を乱して苦しそうな姉…
額に浮かぶ汗をタオルハンカチで拭った。
車中で、意識を朦朧とさせる姉さんが
何度も
先生の名前を呟いた…
タクシーを2時間近く走らせて着いたのがこの病院だった。
姉さんはすぐに診察室へと運ばれた。
「事情は山城さんから聞きました…が、美桜さんの状況はかなり緊迫した状態ですよ…?
このまま、黙って内密にしていれば美桜さん自身と爽太さん、あなたも負担が掛かってしまう。
それでも、外部には連絡するなと私におっしゃるのですか?」
温厚で優しそうな院長に、俺は深く頭を下げた。
院長は溜め息混じりに
「何ていう事だ…」
と嘆いた…。
その数時間後に、山城さんは姉さんの入院支度を整えてやって来た。
「さぁ、爽太さんもちゃんと召し上がって下さい。」
重箱に彩りよく詰められたおかずを俺に差し出す。
「ありがとう…でも今は。」
正直…姉さんの身体の事が心配で食事をとる気分では無かった。
「ささ、一口でも。 食べないと美桜さんを守れませんよ?」
そう、促されて俺は受け皿に盛られた玉子焼きに箸を伸ばす。
「…ここ…どこ?」
姉さんの声に、俺は箸を落としてベッドに駆け寄った。
「姉さん…!」
見慣れない天井に目を丸くする。
「爽…ここは…?」
「山城さんに用意してもらった病院だよ…大丈夫、誰にも知られない様に少し遠くに来たんだ。」
姉さんの手を取って俺は言った。
「山城さん…?」
「お久しぶりでございます…お嬢様。」
山城さんは、久しぶりに会う姉さんに涙を浮かべた。
「本当に…山城さんね…懐かしい。」
「先ほども本院でお見かけしましたが…本当に、美しくご成長なさいましたね…面影が奥様によく似てらっしゃいます。」
「…ふふっ…私、完全に父似よ…?
母に似てたのは…兄の方よ…。」
酸素マスクを付けられても姉さんは明るく微笑んで見せた。
「姉さん、どうして身体…こんなになるまで放っておいた?」
俺の言葉に、姉さんはハッとした目線を俺に向けた。
(そうか…やっぱり姉さんは知ってたんだな。)
「大丈夫だよ。
まだ危険な状態だけど、今はなんとか大丈夫だ。」
「…そう…良かった。」
胸を撫で下ろす姿に、俺はいたたまれなくなった。
姉さんの身体が危険って意味なんだと
言い直す事が出来なかった。
翌朝、姉さんは起き上がれるほどに回復した。
「本上と結婚するの?」
山城さんが用意してくれた重箱を温めなおして二人でつついていた。
「そうね…嫌でもそうなるでしょうね。」
「こうなりゃ、西島と駆け落ちしちゃえば?」
姉さんは箸を止めた。
「爽に病院を受け継がせる為なら、私の幸せなんて要らない。」
「俺は姉さんの幸せを奪ってまで病院を継ぎたくはないよ?」
一気に険悪なムードになった。
俺らは互いに意志が強くて頑固だから、いつもこうなる。
「爽が病院を継ぐ事は、色々な人の願いや強い意志が込められてるの…だから絶対に継がなきゃダメ!」
「その為に捨てられる先生が可哀相だろ!!」
俺は、テーブルをガンっと強く殴った。
姉さんは、真っ直ぐな瞳を俺に向ける。
「…私、吉宗さんを信じてる。
例え、私がいなくなってもあの人は私を待っていてくれるわ…絶対に…。」
零れ落ちる涙が、姉さんの拳を濡らす。
「爽…お願い。
私、あの人を愛してるの…だから、あと2ヶ月…ううん、あと1ヶ月でもいい…!
私を本上先生や、父から遠ざけて…。」
縋るような姉さんの願い…
姉さんは、本気で先生を愛してるんだ。
「…いいよ。分かった。」
姉さんの手を取って、俺は姉さんを抱きしめた。
小さい頃…幾度となく姉さんに守ってもらった。
今度は俺が姉さんを守る番だ…。
姉さんは1ヶ月と言ったが、最低でもあと2ヶ月の静養は必要だ…。
その間、あの二人に姉さんの身体の異変を知られたらマズい。
「姉さん、しばらく俺もここから学校へ通うよ。
んで、期末が終わったら1、2ヶ月は休学する。姉さんが退院したら結婚するまでの間は一緒にこの辺で部屋を借りて住もう。」
「…休学って…ダメよ!そんなっ…」
「大丈夫だよ。
単位は落とさないようにレポート提出するし。
姉さんが本気で、本上と結婚するっていうならそれまでの間は一緒にいたいんだ。
10年分…甘えさせてよ…!」
「…爽。」
姉さんが俺を抱きしめる…
あの頃と何も変わらない姉さんの匂い。
母親の温もりは忘れてしまったけど、
姉さんの温もりは覚えてる。
恋しかった…
ずっと寂しかった…
今、姉さんがやっと俺の元へと帰って来た。
「…お帰り。」
「ただいま…爽。」
姉さんと二人で微笑みを交わす。
わだかまりが溶けた春のような暖かさ。
こんな俺達を見たら…先生はまた、ムクれて去って行くかもしれないな。
さらに数日経過すると、姉さんは自由に外出も出来るようになった。
ただし、1日に数時間という条件付きでだ。
「今日、本上先生に会って来るわ…。」
姉さんの言葉に俺は驚いた。
「大丈夫か?
もし、何かあったら…」
「大丈夫よ。
結婚を受けるって返事をするの…。
実際、何も言わずに雲隠れする方が怪しまれてしまう。」
それも、その通りだと思った。
「分かった。
でも、俺も一緒に付いて行く。」
東京に戻って、本上を病院の近くのカフェに呼び出した。
「身体の調子はどうだい?」
勤務中の医者とは思えないキザな出で立ちで奴は現れた。
どこ製のスーツだよソレ…。
仕事の後、女と会うのが見え見えなんだよ。
「結婚の話、受けます。」
姉さんは体調の事は触れずに本題に入った。
「同然だよ(笑)
それで?今は研究室も休んでいったいどこで何してんの?
毎日、吉宗のとこにでも行ってんのか?」
「いいぇ…行ってないわ。
徐々に、会うのはやめようと思ってる…。」
姉さんがそう言うと、本上はいやらしく満足そうな笑みを浮かべた。
「徐々に…ねぇ。
まっ、いっか!
式は来年の春だ。
美桜、逃げるなよ(笑)?」
奴が姉さんを呼び捨てにするのが堪らなく嫌だった。
「えぇ、でも…私、一生あなたを愛さないわ。 本上先生。」
そう言い放った姉さんの瞳には小さな炎が宿っていた。
プライドをなくさない。
気高き炎だ…。
「…上等だよ、美桜ちゃん。
良いねぇ~…だいぶ魅力的になったんじゃない?
その方が萌えるよ。」
本上は、そう言って会計書を取ると、その場を去って行った。
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こんなんやで🍀182レス 1572HIT 自由なパンダさん
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「しっぽ」0レス 102HIT 小説好きさん
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こんなんやで🍀
水道水も、電流も、街灯のLEDからの光も、Wi-Fiも、ブルーライトも…(自由なパンダさん0)
182レス 1572HIT 自由なパンダさん -
わたしとアノコ
「心配したんだよ、テレビ見たよ」 あ、、、 「ご、ごごめんなさい」…(小説好きさん0)
152レス 1537HIT 小説好きさん (10代 ♀) -
神社仏閣珍道中・改
(続き) と、お気づきの方もおられましょうが、こちらの半僧坊さま…(旅人さん0)
210レス 7125HIT 旅人さん -
西内威張ってセクハラ 北進
今はまともな会社で上手くいってるよ、ばーか、今の職場が良ければ良いほど…(自由なパンダさん1)
78レス 2664HIT 小説好きさん -
仮名 轟新吾へ(これは小説です)177レス 2733HIT 恋愛博士さん (50代 ♀)
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人間合格👤🙆,,,?11レス 120HIT 永遠の3歳
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酉肉威張ってマスク禁止令1レス 125HIT 小説家さん
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今を生きる意味78レス 504HIT 旅人さん
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黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 943HIT 匿名さん
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勇者エクスカイザー外伝 帰ってきたエクスカイザー78レス 1782HIT 作家さん
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人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 120HIT 永遠の3歳 -
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酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 125HIT 小説家さん -
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おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1390HIT 檄❗王道劇場です -
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今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 504HIT 旅人さん -
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神社仏閣珍道中・改
この豆大師についての逸話に次のようなものがあります。 『寛永…(旅人さん0)
500レス 14867HIT 旅人さん
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彼氏と分かり合えない。納得できない
親を大事にしない人嫌いって言われました。 私はただ連絡を取りたくないから疎遠になっただけ。 …
71レス 1890HIT おしゃべり好きさん (30代 女性 ) -
日本人の子供はとても依存的なのはなぜですか?
新幹線特急など乗って外出する時にも家の近くにあるスーパーに行く時にも幼稚園(年長限定)や学校に行く時…
43レス 1668HIT おしゃべり好きさん -
🍀語りあかそうの里🍀1️⃣0️⃣
アザーズ🫡 ここは楽しくな〜んでも話せる「憩いの場所🍀」となっており〜ま〜す🤗 日頃の事…
289レス 2712HIT 理沙 (50代 女性 ) 名必 年性必 -
会うたびに家に誘ってくる彼氏
バイト先で知り合った2つ上の彼氏についてです。 彼とは昨年の年末に付き合い始めて、現在4ヶ月になり…
8レス 385HIT 恋愛好きさん (20代 女性 ) -
突然連絡がつかなくなった彼
現在、SNSで知り合い、お付き合いを見据えて毎日やり取りしている方がいます。 毎日欠かさず朝、昼と…
17レス 533HIT 恋わずらいさん (30代 女性 ) -
家出て行ったら駄目なんですかね。
弟が飲酒運転をしています、何故か親は軽く注意するだけで、そんな家族が心底嫌になりました。私は神経難病…
16レス 370HIT 聞いてほしいさん ( 女性 ) - もっと見る