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ギリシャ人

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遊び人( ♂ )
19/10/10 00:25(更新日時)

ギリシャ/ギリシア人の有名人(歴史の初めから現代まで)を、5人挙げて下さい。

他人の回答した人物と重なっても構いません。あくまで自分が知ってるギリシャ人、ギリシャ系を5人まで。5人以下でもOK。ただなるべくネットや参考書などを見ないでお願いします。

・注…ギリシャの範囲は長い歴史で時代によりかなり異なりますから、ギリシャ文化に貢献した人、ギリシャ語を話した人も含めてOKです。
だからローマ人やヘブライ/ユダヤ人その他でもギリシャ文化と関係深い、またはギリシャ語で本を書いた人も含み、人種は白人でも黒人でもその他でも全く構いません。


では宜しく。皆さんのギリシャやギリシャ文化に対する知識、またギリシャやその文化の日本における知名度をぜひお知らせ下さい。

18/09/27 22:01 追記
本題から外れた書き込みは荒らしと見なします!

19/08/03 02:18 追記
今後、ギリシャの隣国で関係深い トルコ についても触れるスレにします。


No.2717199 18/09/27 21:50(スレ作成日時)

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No.1 18/09/27 21:56
名無し1 ( ♀ )

シーザー
クレオパトラと結婚した人

  • << 3 ブラヴォー。 既に2人出していますね。 クレオパトラはギリシャ人(ギリシャ系マケドニア人のエジプト女王)。 シーザー/カエサルはローマ人ですが、ギリシャ語が堪能だったし、ギリシャ世界に政治的影響与えた人。 素晴らしい👍

No.3 18/09/27 21:59
遊び人0 ( ♂ )

>> 1 シーザー クレオパトラと結婚した人 ブラヴォー。
既に2人出していますね。
クレオパトラはギリシャ人(ギリシャ系マケドニア人のエジプト女王)。

シーザー/カエサルはローマ人ですが、ギリシャ語が堪能だったし、ギリシャ世界に政治的影響与えた人。

素晴らしい👍

No.4 18/09/27 22:36
遊び人 ( ♂ )

>> 2 削除されたレス そう?
浮気とか不倫の話題が好きな貴女(勝手に推測して失礼、でも当たらずも遠からずでしょ?)なら、ギリシャ世界はエロチックな話題に事欠かないんだけどなあ~(笑)

No.5 18/09/27 23:06
匿名5 

ソクラテス
プラトン
アルキメデス

  • << 7 出た。皆、偉大なギリシャ人ね。こういうの見ると、ギリシャはどこで道を間違え、現在の状況なのか不思議ですなぁ~

No.6 18/09/27 23:23
名無し1 ( ♀ )

この人を忘れてました!
イエスキリスト😃

  • << 8 専門的には彼はヘブライ/ユダヤ人で、ギリシャ語は出来なかったらしいけど。 でも弟子らはギリシャ語で伝道旅行し、キリスト教の聖典「新約聖書」の原典もギリシャ語だしねぇ。 広い意味でヘレニズム、つまりギリシャ文化圏の方と言ってもいいかも。 肝心のユダヤ人らが憎み、見捨てて十字架に掛けさせ(ローマの総督を半ば脅迫しつつ)たのだから、今更ユダヤ人扱いも何かアツカマシイ! って事でギリシャ語無しには、存在も教えも広まらなかった人だし、寛大に、広義のギリシャ人でもいいか? イエスもキリストも、ギリシャ語起源の名前だし。ヘブライ語ならイエスがヨシュアで、キリストがメシア。 正確なギリシャ語(当時の)なら、イエスース(イースス)・フリストース(クリストース)に成るから、日本語のイエス・キリストはギリシャ語起源ね。 勿論、英語のJesus Christジーザス・クライストも、ドイツ語やローマ帝国の国語ラテン語のJesus Christusイエズス・クリストゥスも、皆ギリシャ語から。

No.7 18/09/28 00:42
遊び人 ( ♂ )

>> 5 ソクラテス プラトン アルキメデス 出た。皆、偉大なギリシャ人ね。こういうの見ると、ギリシャはどこで道を間違え、現在の状況なのか不思議ですなぁ~

No.8 18/09/28 00:56
遊び人 ( ♂ )

>> 6 この人を忘れてました! イエスキリスト😃 専門的には彼はヘブライ/ユダヤ人で、ギリシャ語は出来なかったらしいけど。

でも弟子らはギリシャ語で伝道旅行し、キリスト教の聖典「新約聖書」の原典もギリシャ語だしねぇ。

広い意味でヘレニズム、つまりギリシャ文化圏の方と言ってもいいかも。

肝心のユダヤ人らが憎み、見捨てて十字架に掛けさせ(ローマの総督を半ば脅迫しつつ)たのだから、今更ユダヤ人扱いも何かアツカマシイ!

って事でギリシャ語無しには、存在も教えも広まらなかった人だし、寛大に、広義のギリシャ人でもいいか?

イエスもキリストも、ギリシャ語起源の名前だし。ヘブライ語ならイエスがヨシュアで、キリストがメシア。

正確なギリシャ語(当時の)なら、イエスース(イースス)・フリストース(クリストース)に成るから、日本語のイエス・キリストはギリシャ語起源ね。

勿論、英語のJesus Christジーザス・クライストも、ドイツ語やローマ帝国の国語ラテン語のJesus Christusイエズス・クリストゥスも、皆ギリシャ語から。

No.9 18/09/29 16:01
遊び人 ( ♂ )

ネタバレ含むから、自分で考えたい方々は見ないでね😉




文学…実は古代ギリシャは文学大国だった。
ホメロス、ヘシオドス(どちらも世界史上最大の詩人)、サッフォー(女性詩人でレズビアンの起源)、ソフォクレス、アリストファネス(エロい喜劇で有名)、ヘロドトス(歴史著述の巨匠、歴史家の父と呼ばれる)、クセノフォン(著作家で軍人)、アポロニオス(ヘレニズム時代の大詩人)、紀元前の超有名な文学者だけでまだまだ。

哲学・宗教…タレス、ピタゴラス、ヘラクレイトス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ディオゲネス(全てを捨てて無一文で樽に住み、時には街中で全裸で堂々とオ〇ニーした。こんな気持ち良くて金が掛からない事は他にない、とか言いながら。つまり変態の元祖。しかしアレキサンダー大王との問答で大王を感心させ、もし自分がアレキサンダーで無いならディオゲネスに成りたいと言わしめた。ギリシャの市民らも彼を尊敬していた。別に変態だからでは無い。しかし古代ギリシャは街中に神や女神のリアルなヌード彫刻だらけだからディオゲネスの振る舞いも自然で、それが出来る彼を尊敬していた点もあるかも-笑-)、
ゼノン、エピクロス、パウロ、ヨハネ、マルクス・アウレリウス(ローマ皇帝でギリシャ哲学者。最後はローマ帝国の軍事基地だったウィーンで蛮族討伐の休息中に病死)、プロティノス、アタナシオス、アレイオス、ヨハネス・クリュソストモス、グレゴリオス・パラマス、以上15世紀にトルコに占領されるまでの特に偉大な哲学者。
(続く)

No.10 18/09/29 16:26
遊び人 ( ♂ )

>> 9 (続き)ネタバレ含むから、自分で考えたい方々は見ないでね😉




科学&数学…ヒポクラテス(医学の父)、アルキメデス、タレスとピタゴラスは哲学とかぶる、カリマコス、等々。


政治・軍事…レオニダス(映画<300>主人公のスパルタ王)、テミストクレス(映画<続300>主人公のアテネの将軍)、ペリクレス、クセノフォン、フィリッポス2世、アレキサンダー大王、プトレマイオス1世(アレキサンダーの部下で後にエジプト王)、クレオパトラ(その子孫のエジプト女王)、セレウコス、アンティオコス3世(どちらもイラン、イラク、シリアなど西アジアの広大な地域の支配者)、メナンドロス王(インド名ミリンダ王。アレキサンダーの遠征以後、インドは数百年間ギリシャ人らに支配された。彼は中でも一番有名で仏教を優遇した)、コンスタンティヌス大帝(ローマ皇帝だが首都をローマからギリシャ圏のコンスタンティノープルに移し、キリスト教を初めて公認、優遇した)、ユスティニアヌス大帝(本人はローマ皇帝意識だが、東ローマ/ビザンツ帝国の偉大な皇帝)、ヘラクレイオス1世、バシレイオス2世、アレクシオス1世、ミカエル8世、ヴェロゼニス(第一次大戦後のヴェルサイユ会議で日本が提案した人種差別撤廃を熱烈に支持したギリシャ首相)、そして第二次大戦でナチスに占領されつつ驚異の抵抗を見せたが、戦後次第に没落し、今のギリシャに😢

美術…あれだけ偉大な彫刻や建築があるのに(アクロポリスやミロのヴィーナス等々)、古代ゆえに作者が知られていない人がほとんど。

音楽も同様。

サッカーはファンならユーロ2004ポルトガル大会で、まさかのギリシャ優勝の記憶生々しく、沢山選手を知っているのでは?
ハリステアス、デラス、ザコラキス、ジャンナーカプロス、アンゲロプロス、ニコポリディス、また2012ユーロでドイツから2点奪ったサマラス等々。

また20世紀最大の大富豪の1人オナシスや、日本に帰化し日本名小泉八雲のラフカディオ・ハーンもギリシャ人。

以上、まだまだいるが、取り敢えずこれだけで。

No.11 18/10/01 04:38
名無し11 

コンスタンティヌス帝

ピタゴラス

ソクラテス

あとわかんねー
この辺あんまり詳しくないから🙏

神話の有名人でいいなら

ミノタロウスとかペルセウスとか

  • << 13 コンスタンティヌス大帝はローマ皇帝だが、ギリシャ人扱いでOK。 キリスト教を初めて迫害から公認、優遇に切り替え、キリスト教の大恩人。ギリシャ正教(いわゆるオーソドックス。ロシア正教も含む)や、エジプトその他のキリスト教では聖人扱いなのに、ローマ法王のカトリックでは聖人にしていないし。 ピタゴラス、ソクラテスは勿論ギリシャ人。 ソクラテスと来れば、その弟子がプ〇ト〇、更にその弟子がアリ〇〇テ〇ス。 そしてその弟子にして世界征服を半ば達成した英雄の元祖!もギリシャ人でOK。 当時のマケドニアは、今のスラヴ系マケドニア(中世に移住してきた)と違い、ギリシャ系だったし。 とにかく、アナタはなかなかの常識(知識)ある人なのは間違いなし😉

No.12 18/10/01 09:27
匿名12 

マリア カラス
アリストテレス オナシス
ソティリオ ブルガリ
エディンバラ公フィリップ王配

ドラマチックな現代ギリシャ有名人。
オナシス以外はギリシャ系になってしまうかな?

  • << 14 出た、遂にマリア・カラスが! 彼女やオナシスはギリシャ人でOK。仮に多国籍だとしても、シュワルツェネッガーがアメリカのカリフォルニア知事だったが、出身がオーストリアだから、内心オーストリア人でドイツに来れば「俺の母語はドイツ語だぁ~」と言って、オーストリア訛りのドイツ語話し、英語使わないのと同じ。 カラスと出れば、カラスとよく共演した20世紀の大指揮者も。こちらはオーストリア人だが、先祖はギリシャ系(てかギリシャ系の大帝国だったビザンツ帝国の中のアルメニア出身)。 カラで始まる苗字も、マリア・カラスに似ている。 フィリップ殿下も、エリザベス女王と結婚する前はギリシャ人。まあ王家は他国の血が色々混じり、エリザベス女王始め現イギリス王室自体、ドイツ系だし(ハノーファー選帝侯の末裔)、フィリップ殿下がギリシャ人だった時代も、バイエルン等のドイツ王家の血が混ざっていた。 しかし結婚前のフィリップ殿下は、ギリシャ正教徒だったのを、結婚しイギリス王室に入るからイギリス国教会に改宗する儀式を行った。 同じキリスト教で、しかも正統派から極端に離れたアメリカや韓国のキリスト教等とは違い、互いにかなり近いのだが、やはり王室に入るには改宗が必要。 デンマーク女王の夫もフランス人だったが、カトリックからデンマーク国教のルター派に改宗したはず。 何だか将来女王になる女性に大学などで見そめられ、強引にアタックされた男性らは幸運なのか不幸なのか?(笑)

No.13 18/10/01 14:10
遊び人 ( ♂ )

>> 11 コンスタンティヌス帝 ピタゴラス ソクラテス あとわかんねー この辺あんまり詳しくないから🙏 神話の有名人でいいな… コンスタンティヌス大帝はローマ皇帝だが、ギリシャ人扱いでOK。
キリスト教を初めて迫害から公認、優遇に切り替え、キリスト教の大恩人。ギリシャ正教(いわゆるオーソドックス。ロシア正教も含む)や、エジプトその他のキリスト教では聖人扱いなのに、ローマ法王のカトリックでは聖人にしていないし。

ピタゴラス、ソクラテスは勿論ギリシャ人。

ソクラテスと来れば、その弟子がプ〇ト〇、更にその弟子がアリ〇〇テ〇ス。
そしてその弟子にして世界征服を半ば達成した英雄の元祖!もギリシャ人でOK。

当時のマケドニアは、今のスラヴ系マケドニア(中世に移住してきた)と違い、ギリシャ系だったし。


とにかく、アナタはなかなかの常識(知識)ある人なのは間違いなし😉

No.14 18/10/01 14:30
遊び人 ( ♂ )

>> 12 マリア カラス アリストテレス オナシス ソティリオ ブルガリ エディンバラ公フィリップ王配 ドラマチックな現代ギリシャ有名人。… 出た、遂にマリア・カラスが!

彼女やオナシスはギリシャ人でOK。仮に多国籍だとしても、シュワルツェネッガーがアメリカのカリフォルニア知事だったが、出身がオーストリアだから、内心オーストリア人でドイツに来れば「俺の母語はドイツ語だぁ~」と言って、オーストリア訛りのドイツ語話し、英語使わないのと同じ。

カラスと出れば、カラスとよく共演した20世紀の大指揮者も。こちらはオーストリア人だが、先祖はギリシャ系(てかギリシャ系の大帝国だったビザンツ帝国の中のアルメニア出身)。

カラで始まる苗字も、マリア・カラスに似ている。


フィリップ殿下も、エリザベス女王と結婚する前はギリシャ人。まあ王家は他国の血が色々混じり、エリザベス女王始め現イギリス王室自体、ドイツ系だし(ハノーファー選帝侯の末裔)、フィリップ殿下がギリシャ人だった時代も、バイエルン等のドイツ王家の血が混ざっていた。

しかし結婚前のフィリップ殿下は、ギリシャ正教徒だったのを、結婚しイギリス王室に入るからイギリス国教会に改宗する儀式を行った。

同じキリスト教で、しかも正統派から極端に離れたアメリカや韓国のキリスト教等とは違い、互いにかなり近いのだが、やはり王室に入るには改宗が必要。

デンマーク女王の夫もフランス人だったが、カトリックからデンマーク国教のルター派に改宗したはず。

何だか将来女王になる女性に大学などで見そめられ、強引にアタックされた男性らは幸運なのか不幸なのか?(笑)

No.15 18/10/01 14:40
匿名12 

>> 14 帝王カラヤン♪

No.16 18/10/01 15:31
遊び人 ( ♂ )

>> 15 ピンポーン❗

No.17 19/07/31 14:06
遊び人 ( ♂ )

ドイツ人、フランス人、ロシア人のスレで、それぞれの言語に触れたから、ここでギリシャ語について書く。

ただし独仏露に比べて、遥かに歴史が長い言語なので難儀だ💦

まず最初に古代ギリシャ語(古典ギリシャ語)と現代ギリシャ語を大別する。そして私自身、現代ギリシャ語は全く知らないので中身は書かない。
まあどうせ現代ギリシャ語はギリシャ、キプロス、トルコの一部、あと世界各地に移住したギリシャ系が喋っているだけだし。

で、古代ギリシャ語!
これは紀元前8世紀頃から紀元後5世紀までの1300年、場合によって14世紀くらいまでのを含むなら何と2千2百年の長さに及ぶ。


まずギリシャ語は古代、現代に拘わらず、インド・ヨーロッパ語族の西方系の中のギリシャ系に属する。

つまりギリシャ語だけで一つのグループであり、ラテン語を起源とするロマンス諸語(仏伊西など)、ゲルマン諸語(独英蘭、北欧諸語)、スラヴ諸語(露、ウクライナ、ポーランド、チェコ、ブルガリア、セルビア等)、バルト諸語(リトアニア、ラトビア)、ケルト諸語(仏のブルターニュ、アイルランドやスコットランドの本来の言語)とは別。

よくギリシャやギリシャ語をラテン系(イタリア、スペイン等)に含む人が居るが、これは完全な間違い!↩

No.18 19/07/31 14:39
遊び人 ( ♂ )

>> 17 でまず漠然と「古代ギリシャ語」と呼んだモノを、少し詳しく分ける。2200年も全く変わらない言語は無いし、実際「古代ギリシャ語」も変化している。

大変大雑把に分けると、
①紀元前8世紀から紀元前5世紀まで…アルカイック・ギリシャ語
②紀元前5から紀元前4世紀のアテネ方言…古典ギリシャ語
③紀元前3世紀から紀元後5世紀まで…コイネ・ギリシャ語
④6世紀から14世紀まで…ビザンティン・ギリシャ語

となろう!?

このうち、普通に大学等で習うのは②の古典ギリシャ語である。
またキリスト教関係者なら③のコイネ・ギリシャ語が必須になる。

まず①のアルカイックと②の古典だが、古代ギリシャ人はとにかく統一を嫌がり、それぞれが独立したポリス(都市国家)に分かれて、互いに対立していた。
それでいて方言の違いはあるがギリシャ系の言語を話す人々をヘレネス(ギリシャ人)と呼び、それ以外の異民族をバルバロイ(醜い言葉を喋る野蛮人)と呼び軽蔑していた。
こうした古代ギリシャ人の性質が、後に書くがギリシャ語を大変難しい言語にしてしまったのだ。

①のアルカイック時代ギリシャ語は、文法などが先にあったのでは無く、特にホメロスとヘシオドスと言うギリシャ史上最高の詩人によって始まる。
その後、サッフォーやタレス、ピュタゴラス等、様々な詩人や哲学者が現れ、自分の地域の方言で優れた作品を出す。

そして②の古典ギリシャ語の時代が来るわけだが、実は「古典ギリシャ語」と言うのは正しくは「古代アッティカ(アテネ地方)の方言」なのだ。

紀元前5から紀元前4世紀にかけて、アテネが一番文化的に栄え、ソフォクレス、エウリピデス、アリストファネス、トゥキュディーデス、クセノフォン、プラトン、アリストテレスなど古代ギリシャの代表的著作の大半がこの時代のアテネで生まれたから、これを今日、古典ギリシャ語として扱うだけ。
例えば歴史の父ヘロドトスなどは、他の地域の方言で作品を書いている。

No.19 19/07/31 15:13
遊び人 ( ♂ )

>> 18 しかしあれだけ統一を嫌がったギリシャ人らは、同じギリシャ系だが北東の辺境国マケドニアに敗れ、無理矢理統一させられる。

マケドニアのフィリッポス2世と息子アレキサンドロス大王によって。

そしてアレキサンドロスがエジプト、シリア、メソポタミア、イラン、バクトリア(アフガニスタン)、北インドを征服したため、ギリシャ語は一挙に東地中海とオリエントの支配言語に。

こうなると、各ポリス毎の方言で争っていてはどうにも成らないので、次第に②のアテネ方言を元に、更にそれを少し易しくし、他の地域の要素も取り入れた共通語としてのギリシャ語が生まれる。

これが③のコイネ・ギリシャ語である。

コイネは最初は東地中海やオリエントの上層階級の言語として普及したが、次第に中流階級も話すようになる。
こうしてギリシャ語は初めてギリシャ民族の枠を超えた国際語になり、ユダヤ人もエジプト人もペルシャ人も話すようになった。

紀元前3世紀から始まるコイネで優れた文学や学術作品が沢山書かれたが(エウクレイデス/ユークリッドの幾何学書はほんの一例)、やはりコイネが人類に一番貢献したのは、この言語で1世紀に「新約聖書」が書かれた事であろう。

この「新約聖書」とその後の初期キリスト教の神学者らの著作が皆コイネで書かれた為に、キリスト教学者にコイネ・ギリシャ語は必須なのだ!

また元々、キリスト教が発展していく段階(少なくとも6世紀くらいまで)では、旧約聖書も紀元前2世紀にアレキサンドリアでコイネ・ギリシャ語訳された版が正式に使われた為、キリスト教にとっては聖書全体がコイネ・ギリシャ語と言ってよい。
(16世紀になってルターが旧約聖書はギリシャ語でなくヘブライ語から訳すべきだと主張し、その後プロテスタントを中心とした聖書翻訳では旧約はヘブライ語版から訳すが、このヘブライ語版はやっと6世紀に出来上がったモノだとルターは知らなかった💦)


No.20 19/07/31 15:25
遊び人 ( ♂ )

>> 19 ④のビザンティン・ギリシャ語は③のコイネの延長上にあり、東ローマ帝国で次第にラテン語から住民の母語コイネ・ギリシャ語が正式に採用されてから、同帝国の滅亡までの間に使われていたギリシャ語。
時代と共にコイネの読み方が変化したが、ただ肝心の聖書や儀式書がコイネで、それがずっとそのまま使用されたので、基本的な変化はほとんど無かったと言われる。

この時代のギリシャ語も、沢山の神学書や科学書が書かれ重要だが、ただ先に述べたギリシャ人の閉鎖的性格から、彼らはギリシャ語を進んで近隣の後進地域の民族に広めようとはせず、代わりにキリスト教布教用にスラヴ人用にキリル文字を発明し、スラヴ人の為に聖書や儀式書をキリル文字使いスラヴ語に翻訳してキリスト教布教に努めた。

この態度はローマ人が異民族にも進んでラテン語を広め、ラテン語が出来る者を出自問わずローマ人と認めたのと反対である。
ラテン語はローマ人のこうした性格が後にも受け継がれ、中世の西ヨーロッパではローマ法王庁は異民族をキリスト教に改宗させても聖書や儀式用語はずっとラテン語を押し付けていた。
いわゆるカトリック教会がラテン語でなく現地語の聖書や儀式を認めたのは、1960年代に入ってからである!


さてその後、東ローマ帝国はオスマン・トルコに征服され、東ローマ時代には余り重要な地域で無かったペロポネソス半島(アテネやスパルタなど古代ギリシャの数多のポリスがあったギリシャの南部地域)で、トルコの支配下ギリシャ語は乱れ、沢山の方言に分かれた。

それから500年近く経ってその地域から、いわゆる現代ギリシャ語が誕生するのだ。

No.21 19/07/31 15:50
遊び人 ( ♂ )

>> 20 さて、②の古典ギリシャ語の中身を簡単に書くと、まず名詞が男性、女性、中性に分かれ(ラテン語、ドイツ語、ロシア語等と同じく)、単数と複数がある以外に双数(2つのモノ。目、耳、手、足その他の為に)がある。

また名詞、形容詞の格変化は呼格(呼びかける場合の語尾変化)を入れると5つ、呼格を除けばドイツ語と同じく4つあり、更に単数、双数、複数があるので、理論上は15または12個ある。

ただし呼格や双数は同じ形が重なる場合が多い。

動詞変化も6つの人称で全て異なる。だから主語を言う必要なく、動詞だけで主語が分かる仕組み。

またラテン語やスラヴ語と違い、冠詞があり、これも格変化する。

だが古代ギリシャ語がラテン語やロシア語より難しいのは、分詞が沢山ある事、いくら古典ギリシャ語つまりアテネ方言だけ勉強しても、他の地域の方言で書かれた重要作品も読まねばならない事、そしてコイネ時代まで統一ギリシャ語が無かったから、とにかく語彙がやたらに多くて、文法もラテン語みたいに難解ながらも規律を持っている言語と違い、かなりバラバラな事、などだ。

だから憎たらしい事に、あれだけ難しい文法を持つのに、ギリシャ語はかなりのハイコンテキスト言語でもあるのだ。


No.22 19/07/31 16:06
遊び人 ( ♂ )

>> 21 ③のコイネ・ギリシャ語は、古典ギリシャ語より易しい。異民族も母語として使う必要から、そうなったのだ。

ただし幾つかの重要な子音が、古典ギリシャ語と比べて変化してしまっている。

ギリシャ語文字では難解だろうから、ラテン文字に移して書くと、
THEが古典でテ、コイネでセ。
PHIは古典でピ、コイネでフィ。
こういう例はまだある。

更にコイネがビザンティン時代に近づくと、Bがベータよりヴェータに近い発音に。
このBとVの区別が曖昧なのは、ビザンティン・ギリシャ人が作ったキリル文字を使うロシア語等でも同様。


最後にギリシャ文字について。これはフェニキア文字を基に母音が多いギリシャ語用にかなり改良して出来た文字だが、このギリシャ文字を基にローマ人らがラテン文字(いわゆる一般のアルファベット)を作り出し、またずっと後にギリシャ人自らスラヴ人へのキリスト教布教の目的で子音が多いスラヴ語に合ったキリル文字を発明して、スラヴ諸国に広めた。

つまりギリシャ文字こそ、東西ヨーロッパで使われている全ての文字の元祖だと言えるのだ。

  • << 25 ところでギリシャ語の発音だが、現代ギリシャ語はもうスラヴ語に聞こえるほど、子音がゴチャゴチャと言うか、聞き取りにくい。 だが古代ギリシャ語は学者らが言う発音が正しいなら、フランス語と日本語の中間(笑)みたいな発音で、日本人の方が現代ギリシャ人より上手いらしい。 だからもしフランス語が出来る日本人ならば、ほぼ完璧に喋れるかも? アクセントの位置にだけ注意するならば。 古典もコイネも大丈夫。 ドイツ人だと母語が強弱アクセントで(英語に近い)、ほとんどが最初の母音に強アクセントが付くから、そういう癖が古代ギリシャ語を発音する場合に出てしまう。 ただこれあくまで学者らの研究による発音であり、イントネーションなども東ローマ帝国/ビザンツ時代の文献に完全5度を超えない、つまりドからソまでの範囲内とか、そういうのを頼りに研究したモノだから、百%正しいか分からない。 東ローマ帝国がトルコに滅ぼされたから、ずっとカトリック教会などを通して会話まで続いていたラテン語みたいに、確かな事は言えないようだ。

No.23 19/07/31 17:11
匿名23 

アリストテレス、 ジュリアス シーザー、カエサル、Brutus、ソクラテス、

No.24 19/07/31 18:46
遊び人 ( ♂ )

>> 23 ソクラテスとアリストテレスは完全にギリシャ人。

ジュリアス・シーザー?
シーザーはカエサルの英語読み。
つまりシーザーとカエサルは同一人物。
ローマの国語ラテン語ではユーリウス・カエサルと呼ぶ。

彼とブルートゥスはローマ人だけど、どちらもネイティブ並みにギリシャ語が出来たし、ローマ文化とは広い意味でヘレニズムの一環だから、まあギリシャと関係深い人物で構わない。
ブルートゥスは最後、ギリシャで戦死したし。


ただ一般にギリシャ・ローマとして日本の学校では習うらしいが、ギリシャ人とローマ人は一応分けて下さい。ただこの区別が専門家でも簡単ではないけど。

カエサル時代のローマ人は間違いなくローマ人だけど、後にコンスタンティヌス大帝以後になると首都がローマからコンスタンティノープル(今のイスタンブールだけど当時トルコ人なんて中国の北辺りで誕生する前で、イスタンブールも今のトルコもギリシャ語圏だった)に移し、更に東ローマ帝国に入るともう住民はローマ人と名乗っていたが、事実上はギリシャ人だからね💦

No.25 19/07/31 20:13
遊び人 ( ♂ )

>> 22 ③のコイネ・ギリシャ語は、古典ギリシャ語より易しい。異民族も母語として使う必要から、そうなったのだ。 ただし幾つかの重要な子音が、古典… ところでギリシャ語の発音だが、現代ギリシャ語はもうスラヴ語に聞こえるほど、子音がゴチャゴチャと言うか、聞き取りにくい。

だが古代ギリシャ語は学者らが言う発音が正しいなら、フランス語と日本語の中間(笑)みたいな発音で、日本人の方が現代ギリシャ人より上手いらしい。
だからもしフランス語が出来る日本人ならば、ほぼ完璧に喋れるかも?
アクセントの位置にだけ注意するならば。
古典もコイネも大丈夫。

ドイツ人だと母語が強弱アクセントで(英語に近い)、ほとんどが最初の母音に強アクセントが付くから、そういう癖が古代ギリシャ語を発音する場合に出てしまう。
ただこれあくまで学者らの研究による発音であり、イントネーションなども東ローマ帝国/ビザンツ時代の文献に完全5度を超えない、つまりドからソまでの範囲内とか、そういうのを頼りに研究したモノだから、百%正しいか分からない。

東ローマ帝国がトルコに滅ぼされたから、ずっとカトリック教会などを通して会話まで続いていたラテン語みたいに、確かな事は言えないようだ。

No.26 19/08/03 02:09
遊び人 ( ♂ )

>> 25 なお、古代ギリシャ語、ラテン語など古典語も含めたインド・ヨーロッパ語の起源、更には日本語について、

オーストリア人

のスレにかなりの程度で深く追究してみたから、そちらも参照下さい。

No.27 19/08/03 02:27
遊び人 ( ♂ )

ここからしばらくトルコ関係に触れる。ある理由から。

まず日本は、大体2千年以上、国土(日本の土地)と民族(日本人)が大体一致していたから、大まかな歴史は分かりやすい。

その正反対がトルコである。
トルコ民族は、その誕生から常に居住する土地を変えて移住を繰り返した。

今のトルコ共和国がある場所は、14世紀頃からトルコ民族が住み始めた所で、それ以前にそこにあった東ローマ(ビザンツ)帝国はローマ人を名乗るギリシャ人の帝国、更にその前はローマ帝国、更に前はヘレニズム系国家、リディア、ヒッタイトと、全然トルコ人の土地では無かったのだ。

No.28 19/08/03 02:44
遊び人 ( ♂ )

>> 27 ではトルコ民族の誕生の地はどこか?

記録によるとそれは7世紀頃の、中国の唐の北部であった。

昔から北ユーラシア平原には、遊牧騎馬民族が住み、それらは記録によるとスキタイ(イラン系)、フン(イラン系またはモンゴル系)、トュルク(トルコ系。トュルクとはトルコの意味)、モンゴル(モンゴル系)など、時代と共に変わった。

さて唐の北に生まれ、強力な武力で唐を脅かしたトュルク(元祖トルコ人)だが、唐の全盛期に敗れ、東テュルクと西テュルクに分裂する。

そして一時、どちらも唐の名目的な支配下に入るが、西テュルクは新天地を求めて、更に西方に移動する。
その結果、シルクロード沿線の地域がトュルク(トルコ民族)の支配を受けるようになる。

なおトルコ民族は西方に移住を重ねた反面、一部を元いた地域や移住の途中の地域に残した。

だから今の中国領で迫害されているウイグル族は、テュルクが残していった民族で、トルコ系なのである。

同様に中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン等もトルコ系。

こうしてトルコ系民族は、シルクロード沿いに中国西部から最終的に今のトルコ共和国つまり地中海沿岸までを占めるようになった。

つまりトルコ系民族こそが、真のユーラシア大陸の民かも知れない。

近年ロシアがしきりにユーラシア主義を唱えているが、ロシアにとって、もしトルコ系民族が団結でもするなら、最大の脅威になるのだ。

No.29 19/08/03 03:01
遊び人 ( ♂ )

>> 28 トルコ民族は早い時期からイスラム教を受け入れた。

これは唐の北部や西部にいた時代かららしい。

そしてイスラム教が伝統に成っていた中央アジアを支配しつつ、中東に最初に大国として姿を表すのは、10世紀のセルジューク朝(セルジューク・トルコ)である。

この国の指導者は、イスラム本家だったアラブ人のカリフから、スルタン(イスラム国家の大王)の称号を受け、アラブ帝国がどうしても侵略できなかったアナトリア(今のトルコ共和国のアジア側、当時は東ローマ帝国の領土でギリシャ民族によるキリスト教地域)に初めて侵入。

これに脅威感じた東ローマ皇帝が、西欧一権威あったローマ法王に援軍を要請、これがかの十字軍のキッカケである。

初期の十字軍(11世紀末から12世紀半ばまで)は、セルジューク・トルコが内紛で弱まっていたために、勝利を重ね、エルサレムを約500年振りにキリスト教徒の手に取り戻す。

だが同じ時期、あのジンギスカンのモンゴル帝国が起こり、シルクロードからロシア、中東を支配する。

これでセルジューク・トルコは中東の本拠地をモンゴルに奪われ滅亡するが、トルコ系民族らはモンゴルの軍人になり、事実上、中央アジアから西のモンゴル帝国にはトルコ系が多かった。

彼らをヨーロッパ人らはタタールと呼んだ。

No.30 19/08/03 03:18
遊び人 ( ♂ )

>> 29 だが結局、中東やロシアを侵略したモンゴル人らは、部下のトルコ系の影響もあってイスラムに改宗。

更にトルコ民族は、エジプトのイスラム国家を乗っ取り、マムルーク朝を開く。

そして12~13世紀にアナトリア(小アジア半島)に、族長オスマーンにより、オスマン・トルコが生まれる。

彼らは同じトルコ・モンゴル系の、中央アジアの覇者テュムール帝国に敗れ、一時危機に陥るが、テュムール帝国が衰退したため、再び強力になり、アナトリア全域を支配、更に初めてヨーロッパ(バルカン半島)にも侵入。
セルビアやアルバニアを破り、バルカン地方も領土に。

つまりこの時代、東ローマ帝国はまだ存在したが、首都コンスタンティノープル(今のトルコ領イスタンブール)とギリシャの一部だけを支配する小国に成っていた。

更にオスマン・トルコは1453年に遂にコンスタンティノープルを陥落させ、東ローマ帝国を滅ぼし、イスタンブールやその近郊をキリスト教からイスラム教に変える。

それからシリア、エジプト、リビア、アルジェリア、更にイラク、サウジアラビア(イスラム発祥地メッカ)にも支配の手を伸ばし、トルコ皇帝は単にスルタン(イスラム大王)だけでなく、カリフ(全イスラム教徒の指導者)の地位も手に入れた。

またヨーロッパ側でも領土を拡張、ルーマニア、クリミア半島、そしてハンガリーまで手に入れ、1529年に神聖ローマ帝国(ドイツ)の首都ウィーンを包囲するが、これは失敗に終わり、領土拡張はここまで。

No.31 19/08/03 03:33
遊び人 ( ♂ )

>> 30 一般にトルコ人と言うときには、このオスマン・トルコの末裔を指すわけだが、しかしトルコ系民族は、他にもアゼルバイジャンを建国し、ここから更に興りイランを統一したサファビー朝ペルシャもトルコ民族による国家。(ただしイラン人らはこれを認めずサファビー朝はイラン人が建国したと主張。この論争は今日まで続いている)


なおコンスタンティノープルを陥落させた1453年から200年ほどは、オスマン・トルコは世界最強国にして、最高の先進国であり、ヨーロッパ諸国の首都が汚い泥の道だったのに対して、主な街道は皆、石で舗装され、また大砲始め武器も他国より優れ、またヨーロッパではまだまだ家柄や民族により出世が決まっていたのに、トルコ帝国では実力あれば家柄が低くても、他民族でも出世する道が開かれていたのだ。

地中海もしばらくトルコの海にされていた。1571年のレパントの海戦で初めてヨーロッパ側(スペイン、ローマ法王、ヴェネチア連合)はトルコ艦隊に勝利するが、これはトルコ側の艦隊復興が早くて、東西の力関係を変えたとは言えない。

トルコが没落し出すのは、1683年の第2回ウィーン包囲に失敗してからである。
この敗戦により、トルコは逆にオーストリアを中心としたヨーロッパ勢力に攻められ、ハンガリーを奪われ、かなりバルカン半島の領土を失った。

今夜は多分ここまで🌒

No.32 19/08/03 09:22
遊び人 ( ♂ )

>> 31 メルハバ(トルコ語で今日は、の意味)

トルコ人の人種的特長は、最初、中国の北に居た頃はモンゴロイドだったと言う説が強い。
しかしトルコ系であるウイグル人を見ると、スペイン人や南仏人にそっくりであるから、一概に元祖トルコ系がモンゴロイドだけだったとは言えない。

大体、遊牧民族と言うのは定住民族と違い、様々な遊牧民の集団を抱えながら大遊牧民族になる傾向があるから、古代のフン族も、またトルコ族も中央アジアの様々な遊牧民が合わさり、混ざって存在していたのだろう?

だから元祖トルコ民族の場合、基本はモンゴロイドだが中にはコーカソイドに近いような人間も含まれていたと見て、よいと思う。

これが西方に移住するに従い、現地のよりコーカソイドに近い遊牧民族を吸収して混血し、次第に元のモンゴロイドの特長を失う。

そして今日のトルコ人、つまりオスマン・トルコの段階に入ると、アナトリアで誕生し拡大していく時代に、アナトリアの先住民(ギリシャ系)と混血し、またギリシャ系も中には他民族に寛容な共同体であるオスマン国家に進んで入る者も多く、そうやって今日のトルコ人が形成されたと思われる。

だから今日ではトルコ人の大半と、ギリシャ人、ブルガリア人は人種的には全く違いが無いと言われる。

ただ喋る言語や宗教で、トルコ人、ギリシャ人、ブルガリア人の区別があるのだ。

オスマン・トルコ帝国は多民族国家であり、海軍や商業はギリシャ系、陸軍の中枢はバルカン半島のキリスト教徒の子供がトルコ政府にさらわれ、エリート教育受けた者(イェニチェリ)から構成されていた。

更にオスマン帝国時代は、トルコと言う言葉をオスマン帝国では殆ど使わず(トルコ、トュルクは中央アジアの遊牧民族のイメージで野蛮な感じがしたから)、帝国の多民族をオスマン人と呼んだ。

オスマン帝国の中枢民らをトルコ人と呼んだのは、ヨーロッパ諸国の方である。

No.33 19/08/03 09:48
遊び人 ( ♂ )

>> 32 ではいつから、オスマン人の中の中枢勢力であるイスラム教徒らが、自らトルコ人と呼ぶように成ったか、と言うと、1683年の第2回ウィーン包囲に失敗し、ヨーロッパ諸国に攻められ、次第にバルカン半島の領土を失い、遂に19世紀にギリシャ、ブルガリア、ルーマニア、セルビア等が皆それぞれ独立し、更に20世紀初頭の第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し、解体された頃からである。

それまでは、例えばギリシャ人等は独立したギリシャ国家以外に、今日のトルコ地域(当時はオスマン帝国)にもかなり住んでいた。

彼らは単にギリシャ語が母語でキリスト教徒であるオスマン人に過ぎなかったのだ。

しかし第一次世界大戦後、オスマン帝国が解体されると、中枢を担っていたトルコ語を話すイスラム教徒らに「トルコ人」としての民族意識が生まれる。

そしてギリシャとの激しい戦争を通して、不利だったのを英雄アタテュルクの働きで、ギリシャ軍をアナトリアから追い出し、今日のトルコ共和国が成立する。

これはイスラム国家では珍しく、政教分離を実現し、またアタテュルクは改革として、トルコ語をそれまでのアラビア文字から西欧のラテン文字(アルファベット)に変えた。

こうしてトルコ民族意識が高まると、領内に住んでいたギリシャ系住民とトラブルが続出。結局、トルコ領内のギリシャ系の大半をギリシャに、ギリシャ領内のイスラム教徒をトルコに、互いに移住させる協定で一応問題解決へ。

それでも今日、まだ一万人くらいのギリシャ人がイスタンブールを中心にトルコに住んでおり、彼らの住むイスタンブールの地区は他の地区より裕福で、ヨーロッパ的な雰囲気が漂う。

なおギリシャ人らは、真のギリシャ国家とは、かつての東ローマ帝国だから、本来の首都はアテネではなくイスタンブールであるべきと考えていて、今でもイスタンブールをコンスタンティノープルと呼んでいる。

これは長年世界に分散していたユダヤ人らが、20世紀にイスラエルを建国してエルサレムを手にしたような熱望に似ているかも知れない。

ただ現状ではイスタンブールがギリシャ領になる可能性は極めて低い。

No.34 19/08/03 10:18
遊び人 ( ♂ )

>> 33 この「トルコの父」アタテュルクが行った様々な近代化の為の改革を、逆行させようとしているのが現大統領エルドアンである。

まあアタテュルク以降の現代トルコ自体、領土の大半はアジア側にあり、ヨーロッパ側の領土は3%に過ぎないのを、無理して自分らはヨーロッパ人だと主張しているのだから、不自然と言えば不自然だが、しかし現政権がイスラム原理主義に傾くほど、ますますトルコはヨーロッパでなく中東の国とのイメージが濃くなってしまう。

本来ヨーロッパ人から見た場合、ヨーロッパとはまずヨーロッパ大陸にあるキリスト教が伝統の国々の事であり、更に政教分離や民主主義を掲げる国々。

ロシアでさえヨーロッパ人から見たら、半分アジア人なのだ。ましてやイスラム教国で、国土の97%がアジア側にあるトルコをヨーロッパの国とは認め難いのは想像できるだろう?
(ロシア人については、ロシア人自身、近年はヨーロッパ人と言うより北ユーラシア人との自覚に変わって来ている。これはソ連時代のベラルーシ、ウクライナを失い、かなりヨーロッパ地域から後退した事にもよる)

とにかく現代トルコはイスラム教がメインの国であり、また人口は8千万で仮にEUに入ったらドイツを抜いて一番多くなる。これもイスラム問題と並んでEUがトルコを入れたがらない理由だ。

あとの理由は、20世紀初頭のアルメニア人百万人の大虐殺問題を、トルコが未だに認めず、全く謝罪も何もしていない事。

これは第一次世界大戦中に、オスマン帝国が領内のアルメニア人らを敵国ロシアの味方ではないかと疑い、軍人でない一般アルメニア人を約百万人虐殺した事件である。

アルメニア人側は世界各地でこれをアピールしているが、トルコ側はこの事実を断固認めていない。
これもEUがトルコを入れない口実となっている。


なお最初に書いたように、狭い意味でトルコ人といえば今のトルコ共和国からギリシャ系、クルド系、アルメニア系などを除いたトルコ語が母語の人々を指す。

しかし広い意味でのトルコ、テュルクと言えば、西からトルコ共和国、アゼルバイジャン、チェチェンやタタールなどロシア国内の自治領民、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、中国のウイグル人まで指し、つまりトルコ(テュルク)系とはユーラシア大陸のシルクロードに沿って存在する最大の民族グループと言う事になるのだ!

No.35 19/08/03 15:26
遊び人 ( ♂ )

因みにトルコ人の平均年収は?

主な国を多い順から書く。
ルクセンブルク 1220万円
スイス 890万
ノルウェー 867万
シンガポール 685万
アメリカ 674万
デンマーク 653万
オランダ 567万
オーストリア 557万
ドイツ 514万
フランス 460万
イギリス 449万
日本 415万
イタリア 364万
韓国 332万
スペイン 321万
台湾 268万
ポルトガル 246万
チェコ 235万
ギリシャ 214万
ハンガリー 171万
ポーランド 160万
ロシア 118万
中国 103万
◎トルコ 98万
セルビア 77万
タイ 76万
フィリピン 33万
ウクライナ 31万
ヴェトナム 27万
インド 21万
エチオピア 9万
南スーダン(最下位) 3万


トルコはやはり豊かでは無い!
あと意外にギリシャが騒ぐ割にはまあまあ。チェコより少し低いが、ハンガリー、ポーランドより良い。
やはりギリシャ人は大袈裟なのか?

No.36 19/08/04 17:35
遊び人 ( ♂ )

ところでギリシャ人に比べて、トルコ人の有名人て、少ない。
やはり人類史や文化に対する貢献では雲泥の差なのだろう?


私がパッと思い出すトルコの有名人は…

ケマル・アタテュルク
エルドアン

イルハン、ユミト・ダバラ、ハカンシュキル、アルティントップ、エジル、ギュントカン…これらはサッカー選手

ファジル・サイ、イディル・ビレット…ピアニスト

後はオスマン時代の歴史なら、バヤジット、セリム、メフメット2世、スレイマン1世、ソコル、カラ・ムスタファ、くらいか?

セルジューク朝も含めると、トゥグリル・ベク。


あれ、結構思いつくわ!


なおクルド人をトルコ人と別に考えたら、有名なクルド人は、かの英雄サラディン。

No.37 19/08/04 23:23
匿名37 

マルハバ(アラビア語でこんにちわ)
もちろんオスマン人の盗作で彼らはメルハバという。
マルとはあなたの周辺の空気とかという感じで
ハバはどう?という感じ。トルコ地中海岸ではギリシャ文明色濃いアンタルヤ辺りまでの西を除き
東のメルシン市までの距離の半分くらいまではアラビア語でコミュニケーション出来る。フランス語も通じるようになる。過去のシリアにおけるフランスマンデートの産物だろう。勿論
基本アラビア語通用可能地域の重要地点にはどっかとNATO基地がキプロスに向けにらみを利かす。
しかしフランス人はここには別荘を構えない。あるのはドイツ系の人々が有力のビーチリゾート地。
地名にはギリシャ地名が多くあるが
かってのアルメニア人の故郷メルシンは(大量虐殺の舞台)おそらく古代の言葉が語源だろうと推測。

No.38 19/08/04 23:38
匿名37 

このあたりに来ると
リデア、メディアという古代王国の名も日常会話に出てくる。
日本で言えば邪馬台国とかいう感じか?飛鳥とか?
で、質問ですが
オナシスはスタンダードオイルの石油をナチ政府に運ぶ油槽船を仕切り
大きく儲け保護されたことは証されているが
その彼と
ジャクリーン ケネディが結婚した理由は?
あと
セントポールの故郷はアダナ市の郊外にあるとされているが
証拠が無い。彼が成人後にこの場所に特別に寄った記録もない。
あのマメな人の記録に。古びた井戸があるだけ。彼は一体本当は何者?
London Cityの中心はセントポール寺院。
彼がグローバリストのはしりだからだ。個人的には彼はギリシャ人であったと思う。
アラム語を理解していたのか?それより使いでの無いヘブライ語など
理解していたのか?疑問がいつも有る。

  • << 41 セントポール? 意味がよく分からなかったが、聖パウロス(ギリシャ語)、聖パウルスの事か? これは彼のローマ市民としての名前で、Paulusとはラテン語で「小さい」と言う意味。ナニが小さかったのではなくて、Paulusと言う名前は古代ローマの将軍にも居るし、結構ローマ人に多かった名前。 何でも英語式に呼ぶ一部の風潮は安っぽくて、私は大嫌いだ! キリスト教ではギリシャ語、ラテン語に次いで権威と伝統あるドイツ語ではやはりラテン語と同じくPaulusか、またはPaul(パウルと読む)と子供に名前つける。 イタリア語パオロ、スペイン語パブロ、結局フランス語に乗っ取られた英語がポール等と、元祖から一番離れた発音する。 ローマ人の名前を由緒あるラテン語でなく、英語で呼ぶのは冒涜だ! でパウルスは、タルスス出身だろうが、生まれつきローマ市民である教養あるユダヤ人だったから、ユダヤ教の神聖語であるヘブライ語を少なくとも読めただろう。 日常ではアラマイ語とギリシャ語のバイリンガル、またはラテン語も加えたトリリンガルだったと思う。 なお彼はグローバリストなどと言うゲテモノではなく、ヘレニスト(ギリシャ語を話すユダヤ人と言う意味の)、またはコスモポリト/コスモポリタンな人だった。 グローバリストは民族性や宗教の違いを否定し、無理やり人類の個性を消し画一化したい連中の事。 対するパウルスは、ユダヤ人もギリシャ人もローマ人も区別ないと書いているが、キリスト教徒と異教徒の区別をハッキリしていた。 つまりキリスト教というアイデンティティーを強く持つ者の間で、民族の壁が無いと説いたのだから、悪のグローバリストとは全く違う! なおパウルスとセントポール寺院を無理やり結びつけるのはオカシイ。 ならばブラジルのサンパウロは何? ポルトガル語で聖パウルスて意味だけど。 またロシアのSt.Petersburg。本来はザンクト・ペテルスブルクと言った。ぺテロ/ペトルスの街の意味のドイツ名。これはかのピョートル大帝が作り、名付けた街。彼はわざわざロシア語でなくドイツ語で名付けたが、後にロシアでは訛ってサンクト・ペテルブルグになる。 しかしこれは聖ぺテロとは直接関係なく、ピョートル大帝の名前ピョートルが、ロシア語のぺテロに相当するから、自分の名前を街に付けただけ。

No.39 19/08/05 00:01
匿名37 

あと
アラビア語通用区域に西から入ると
明らかにモンペ、カスリ姿のおばさん達が
市場なんかで仕切っている。ギリシャ文明なんか程遠い雰囲気。
東からの移民です、という雰囲気丸出し。
この辺り以西は古代ローマの遺跡が増え始め
道路も橋もローマ人が作ったものという感じのがそのままある。
シリア国境近くのイスカンダル市はアレクサンダー大帝を称え作った街であるが
何の名残もない。しかしかっては美しかったのだろう。
ギリシャ人の好む山が海まで迫る地形に恵まれる。

No.40 19/08/05 00:08
匿名37 

で、個人的には
トルコでは一番ミステリアスなのは
黒海沿岸部であり山あいに隠れている
キリスト教寺院の名残の荘厳さが良いが
この辺りの現トルコ人達が全くもって
ロマンスから遠い雰囲気を持つ、つまり田舎人,ので
がっかり。
しかし
イスタンブールなんかには古代を彷彿とさせる
雰囲気の御顔の持ち主(古代壁画)なんかに会えてホッとする。
その意味で
トルコはミステリアスなところがある。
イスタンブールの著名なバザールの出店料は膨大となったが
日本人のおじさんも
店を構えていて、シルクロードの端から端までご苦労様です。

  • << 42 なるほど。アナタはトルコに詳しいようだが、インタンブールは勿論、アナトリアにもドイツ語を少し理解できるトルコ人が必ず10人に1人くらい居て、英語よりドイツ語が通じやすいと聞いたが、本当か? 彼らはドイツなどで数年から十年くらい働き、トルコに戻った人々らしいのだが。

No.41 19/08/05 00:26
遊び人 ( ♂ )

>> 38 このあたりに来ると リデア、メディアという古代王国の名も日常会話に出てくる。 日本で言えば邪馬台国とかいう感じか?飛鳥とか? で、質問… セントポール?
意味がよく分からなかったが、聖パウロス(ギリシャ語)、聖パウルスの事か?

これは彼のローマ市民としての名前で、Paulusとはラテン語で「小さい」と言う意味。ナニが小さかったのではなくて、Paulusと言う名前は古代ローマの将軍にも居るし、結構ローマ人に多かった名前。
何でも英語式に呼ぶ一部の風潮は安っぽくて、私は大嫌いだ!
キリスト教ではギリシャ語、ラテン語に次いで権威と伝統あるドイツ語ではやはりラテン語と同じくPaulusか、またはPaul(パウルと読む)と子供に名前つける。
イタリア語パオロ、スペイン語パブロ、結局フランス語に乗っ取られた英語がポール等と、元祖から一番離れた発音する。
ローマ人の名前を由緒あるラテン語でなく、英語で呼ぶのは冒涜だ!

でパウルスは、タルスス出身だろうが、生まれつきローマ市民である教養あるユダヤ人だったから、ユダヤ教の神聖語であるヘブライ語を少なくとも読めただろう。
日常ではアラマイ語とギリシャ語のバイリンガル、またはラテン語も加えたトリリンガルだったと思う。

なお彼はグローバリストなどと言うゲテモノではなく、ヘレニスト(ギリシャ語を話すユダヤ人と言う意味の)、またはコスモポリト/コスモポリタンな人だった。
グローバリストは民族性や宗教の違いを否定し、無理やり人類の個性を消し画一化したい連中の事。
対するパウルスは、ユダヤ人もギリシャ人もローマ人も区別ないと書いているが、キリスト教徒と異教徒の区別をハッキリしていた。

つまりキリスト教というアイデンティティーを強く持つ者の間で、民族の壁が無いと説いたのだから、悪のグローバリストとは全く違う!

なおパウルスとセントポール寺院を無理やり結びつけるのはオカシイ。
ならばブラジルのサンパウロは何? ポルトガル語で聖パウルスて意味だけど。
またロシアのSt.Petersburg。本来はザンクト・ペテルスブルクと言った。ぺテロ/ペトルスの街の意味のドイツ名。これはかのピョートル大帝が作り、名付けた街。彼はわざわざロシア語でなくドイツ語で名付けたが、後にロシアでは訛ってサンクト・ペテルブルグになる。
しかしこれは聖ぺテロとは直接関係なく、ピョートル大帝の名前ピョートルが、ロシア語のぺテロに相当するから、自分の名前を街に付けただけ。

  • << 45 流石。 ですが私はローマ市民のユダヤ人というところに いつも引っかかるわけです。 まず スペルJは12から13世紀に出来たもので当時 今で言うユダヤ人と呼ばれる人々はいなかったわけで ヤフデーとアラビア人達は今で言うユダヤ教徒を呼び 彼ら自身もそう自分らを呼んでいる。実名は実際全く違うが改名後のネタンヤフ首相のヤフですわ。定説というのは往々にして怪しいものです。 ま、ローマ市民のかたくれというのは正しいですよね。 例えば立教大学の校歌はセントポールに捧げるものですが 彼が コスモポリタン的視点をキリスト教に取り入れた功績は 大変に偉大であることは間違いないですわ。 立教のもこれを讃える歌であろうし またロンドンシティの寺院も同じ趣旨であろうと思う。 東地中海を旅するとあらゆる場でパウロが寄ったと言う場所に出くわす。 彼が猫を連れて キプロスに上陸した場所は尼さんが何百もの猫を飼う教会になっている。 彼は相当マメな人であり 何が彼にそうさせたかも興味深い。 ダマスカスへの道の途中の改心は私はあんまり信じていない。

No.42 19/08/05 00:31
遊び人 ( ♂ )

>> 40 で、個人的には トルコでは一番ミステリアスなのは 黒海沿岸部であり山あいに隠れている キリスト教寺院の名残の荘厳さが良いが この辺り… なるほど。アナタはトルコに詳しいようだが、インタンブールは勿論、アナトリアにもドイツ語を少し理解できるトルコ人が必ず10人に1人くらい居て、英語よりドイツ語が通じやすいと聞いたが、本当か?

彼らはドイツなどで数年から十年くらい働き、トルコに戻った人々らしいのだが。

No.43 19/08/05 00:36
匿名37 

ついでだから書きたい。
NATO基地誘致時に先祖の土地から放り出されたおじさんの無念の言葉を。
NATO基地は
EU参加の引き換えということで
交渉が進んだ。無理やり美しい土地を手放し、近寄ることすら出来ず
かっての故郷を再び目にも出来ない。犠牲の挙句
約束のEUにはトルコは参加できないだろう。
NATOに参加したがそれが何だというんだ。
トルコは終わった。
これはかなり前の言葉ですがエルドワンが強行政権を保っていられる
理由が彼の言葉にはある。トルコの宙ぶらりん状態をよく表している。
おじさん
ついに日本の人にも伝えたよ。
あなたの無念を。

No.44 19/08/05 00:53
匿名37 

ダルビッシュ僧修行の地コンヤではアラビア語オッケー。そこから入るアナトリアでは
アラビア語はダメ。観光客が増えるので英語が
金儲けの手段として幅を効かせていた記憶がありますが
今はドイツから戻った移民が増加し
Multi languages の世界になったのかも。
日本人所有(と彼らのいう)洞窟ホテルはすっかり英語の世界でしたわ。

  • << 46 いや、もう30年以上前から、ドイツはなるべく増え過ぎたトルコ人を追い出したくて、もしトルコに帰るなら円に換算して1千~2千万を支払っていた。 でも大概はもう2世の時代だから、トルコに帰ってもトルコ人扱いされないらしくて、帰る者は少なかった。 それでもあれだけ沢山いるトルコ人だから、一部でも帰国すれば結構な数になる。 彼らの故郷はイスタンブールみたいな都会より、アジア側の奥地(田舎)が多く、観光どころか電気も通っていない村出身者も結構いる。 だから「帰る時に洗濯機や冷蔵庫を持っていくが、自分の村には電気が通ってない事忘れていて結局使えない」、というジョークがドイツで流行った。 最近は難民問題で、ドイツではトルコ問題もかなり悪化。特に旧東だったザクセン(ライプチヒやドレスデン)では、トルコの若者(もう3世か?)がトルコ人だと分かると、ドイツ人らに寄ってたかって殴られる、と言っていた。 元々はトルコをEUに一番入れたがらなかったのはオーストリアだけど。 これは「せっかく過去の2度のウィーン包囲に耐えたのに、20世紀後半の3回目包囲で遂にウィーンが陥落してしまった(トルコ人労働者が増え、内部から街がトルコ人にやられたとのジョーク)」への怨み、または警戒心からだったと思われる。 だが当初はオーストリアをなだめる側だったドイツなども、今はトルコのEU入りに否定的。 やはりトルコはロシアの甘い誘いに乗り、プーチンに絞り取られるのが運命なのか?

No.45 19/08/05 01:12
匿名37 

>> 41 セントポール? 意味がよく分からなかったが、聖パウロス(ギリシャ語)、聖パウルスの事か? これは彼のローマ市民としての名前で、Pau… 流石。
ですが私はローマ市民のユダヤ人というところに
いつも引っかかるわけです。
まず
スペルJは12から13世紀に出来たもので当時
今で言うユダヤ人と呼ばれる人々はいなかったわけで
ヤフデーとアラビア人達は今で言うユダヤ教徒を呼び
彼ら自身もそう自分らを呼んでいる。実名は実際全く違うが改名後のネタンヤフ首相のヤフですわ。定説というのは往々にして怪しいものです。
ま、ローマ市民のかたくれというのは正しいですよね。
例えば立教大学の校歌はセントポールに捧げるものですが
彼が
コスモポリタン的視点をキリスト教に取り入れた功績は
大変に偉大であることは間違いないですわ。
立教のもこれを讃える歌であろうし
またロンドンシティの寺院も同じ趣旨であろうと思う。
東地中海を旅するとあらゆる場でパウロが寄ったと言う場所に出くわす。
彼が猫を連れて
キプロスに上陸した場所は尼さんが何百もの猫を飼う教会になっている。
彼は相当マメな人であり
何が彼にそうさせたかも興味深い。
ダマスカスへの道の途中の改心は私はあんまり信じていない。

  • << 47 Jがなくても、Iが古代ローマのラテン語では代わりをしていたから、ユダヤ人はIUDAEUSユーダエウスと呼ばれていた。 また知っての通り、ローマ帝国はローマ市民権を異民族にもよく与えてローマ側に付けて、協力させる統治方法だったから。 皇帝すらガリア系、スペイン系から北アフリカ系まで色々。 3世紀のセプティミス・セウェルス帝は北アフリカ出身のユダヤ系。

No.46 19/08/05 01:28
遊び人 ( ♂ )

>> 44 ダルビッシュ僧修行の地コンヤではアラビア語オッケー。そこから入るアナトリアでは アラビア語はダメ。観光客が増えるので英語が 金儲けの手段… いや、もう30年以上前から、ドイツはなるべく増え過ぎたトルコ人を追い出したくて、もしトルコに帰るなら円に換算して1千~2千万を支払っていた。

でも大概はもう2世の時代だから、トルコに帰ってもトルコ人扱いされないらしくて、帰る者は少なかった。

それでもあれだけ沢山いるトルコ人だから、一部でも帰国すれば結構な数になる。

彼らの故郷はイスタンブールみたいな都会より、アジア側の奥地(田舎)が多く、観光どころか電気も通っていない村出身者も結構いる。

だから「帰る時に洗濯機や冷蔵庫を持っていくが、自分の村には電気が通ってない事忘れていて結局使えない」、というジョークがドイツで流行った。

最近は難民問題で、ドイツではトルコ問題もかなり悪化。特に旧東だったザクセン(ライプチヒやドレスデン)では、トルコの若者(もう3世か?)がトルコ人だと分かると、ドイツ人らに寄ってたかって殴られる、と言っていた。

元々はトルコをEUに一番入れたがらなかったのはオーストリアだけど。
これは「せっかく過去の2度のウィーン包囲に耐えたのに、20世紀後半の3回目包囲で遂にウィーンが陥落してしまった(トルコ人労働者が増え、内部から街がトルコ人にやられたとのジョーク)」への怨み、または警戒心からだったと思われる。

だが当初はオーストリアをなだめる側だったドイツなども、今はトルコのEU入りに否定的。

やはりトルコはロシアの甘い誘いに乗り、プーチンに絞り取られるのが運命なのか?

  • << 51 私の知り合いの 両親シリア人の2世でドイツ生まれの彼女は 両親から、中東語学留学前にアラブ、トルコ系男性とは口もきくなと言われてきたと言っていました。(何のための語学学習?) 言うことなすこと嘘でウンタラカンタラでとにかく相手にするなと。 微妙な移民同士の軋轢。彼女はケルン市生まれだったと思う。 一方ベルリンに移民した別のイスタンブール女性は 公園サイクル中に 投石されトルコに帰れと怒鳴られ ロンドンに移住しました。もう大変。

No.47 19/08/05 01:43
遊び人 ( ♂ )

>> 45 流石。 ですが私はローマ市民のユダヤ人というところに いつも引っかかるわけです。 まず スペルJは12から13世紀に出来たもので当時… Jがなくても、Iが古代ローマのラテン語では代わりをしていたから、ユダヤ人はIUDAEUSユーダエウスと呼ばれていた。

また知っての通り、ローマ帝国はローマ市民権を異民族にもよく与えてローマ側に付けて、協力させる統治方法だったから。

皇帝すらガリア系、スペイン系から北アフリカ系まで色々。

3世紀のセプティミス・セウェルス帝は北アフリカ出身のユダヤ系。

No.48 19/08/05 02:29
遊び人 ( ♂ )

>> 47 書き忘れた!
大体、ヘブライ人(中東では他にも呼び方あるらしいが)をユダヤと言う言葉で呼び始めたのは、古代ギリシャ人の可能性が高い。

ギリシャ語で彼らをIUDAIOSユーダイオス(ラテン文字に移した場合)と呼んだ。

これは多分、アレキサンダー大王以降のコイネ・ギリシャ語。それ以前のギリシャ人らはユダヤ人など眼中に無かったから名前も付けなかったようだ。

ギリシャ起源で今、国際語に成っている名前はかなり多い。
キリストはクリストースと言うギリシャ語から。ユダヤ人らはメシアと呼んでいた。

インドもインディアと言うギリシャ語から。インドではバーラタと呼び、ペルシャ人らがヒンドゥと呼んだのがギリシャ化し、世界中へ。

エジプトもそう。ギリシャ語のアエギュプトスから。

ヨーロッパはエウロパ、アジアはアシアー、皆ギリシャ語起源。

イタリアも。

逆にギリシャの事をギリシャ人はヘラスと呼んだが、ギリシャと呼ばれるように成ったのはローマ人らがグレキアと呼んでから。

つまりイタリアとギリシャでは、互いに相手に付けた名前が国際語に。笑える(笑)

もちろんイエスも。これ、現地のアラマイ語ならヨシュアだが、ギリシャ語でイエスースに変わり、そのままラテン語IESUSイエスス/イエズスを通して世界中に。

ペルシャすら現地ではパールスだったがギリシャ語でペルシアに。

他にシリア、エチオピア等皆ギリシャ語から。

やはりギリシャ語はラテン語と並んで人類に最も影響与えた言語だ。

  • << 50 面白い! キリストの真の語源は 古代サンスクリット語のクリシナ、つまり救世主。 これを言うと キリスト教徒はがっかりするか、完全無視を決め込むので 真摯な信者に言うことは控えています。 彼らはギリシャ語語源であると思いたい。。。実はヒンズー教の数々の仏さんはキリストと同格といえば 受け入れれない人が多すぎる。一度クリスチャンの(クリシナ)大学の教授にも言ったんだが、反発をくらった。 微妙。 それから、ついでですが、エジプトの現地の名称は(アラビア名)はマサル。 勝る!ですわ。これは偶然の一致ではなく 戦争のシンボル天体の火星そのものであり、日本語のように超古代語(バビロニア以前すら歴史が遡れる可能性あり)の伝統を受け継ぐ言語ではマサルは勝つという意味で使用されるのがとても偶然ではないと思う。他にも驚くような共通語が日本語の基本単語と 超古代語とされるスメール語、アッカド語なんかにある。日本人は非常に古い古代人の血を未だに持つ民族で、島国環境でそれを知らずに保存してきた以上、この点から考えても実は狙われているのでは?アルメニア人や、いわゆるパレスチナ人なんかもその口。一応、古代エジプトの王達は滅びた火星の文明の継承者だそうです。 そして、火星の土壌とエジプトの土壌はソックリ(と思われる)。

No.49 19/08/05 10:26
汚れキャラ49 

ギリシャスレに戻って…ミキステオドラキス(映画Zの音楽担当)

  • << 53 ああ、弱点を突かれた💦 私はギリシャ映画を少数だがそれなりに見ているが、まだ監督等の名前を忘れるし、頭の中でギリシャ映画界について曖昧なのだ。 これについてはお手上げ。

No.50 19/08/05 21:33
匿名37 

>> 48 書き忘れた! 大体、ヘブライ人(中東では他にも呼び方あるらしいが)をユダヤと言う言葉で呼び始めたのは、古代ギリシャ人の可能性が高い。 … 面白い!
キリストの真の語源は
古代サンスクリット語のクリシナ、つまり救世主。
これを言うと
キリスト教徒はがっかりするか、完全無視を決め込むので
真摯な信者に言うことは控えています。
彼らはギリシャ語語源であると思いたい。。。実はヒンズー教の数々の仏さんはキリストと同格といえば
受け入れれない人が多すぎる。一度クリスチャンの(クリシナ)大学の教授にも言ったんだが、反発をくらった。
微妙。

それから、ついでですが、エジプトの現地の名称は(アラビア名)はマサル。
勝る!ですわ。これは偶然の一致ではなく
戦争のシンボル天体の火星そのものであり、日本語のように超古代語(バビロニア以前すら歴史が遡れる可能性あり)の伝統を受け継ぐ言語ではマサルは勝つという意味で使用されるのがとても偶然ではないと思う。他にも驚くような共通語が日本語の基本単語と
超古代語とされるスメール語、アッカド語なんかにある。日本人は非常に古い古代人の血を未だに持つ民族で、島国環境でそれを知らずに保存してきた以上、この点から考えても実は狙われているのでは?アルメニア人や、いわゆるパレスチナ人なんかもその口。一応、古代エジプトの王達は滅びた火星の文明の継承者だそうです。
そして、火星の土壌とエジプトの土壌はソックリ(と思われる)。

  • << 52 1ヶ月、帰国していたので、いろいろ忙しくレスするどころでなくて。 確かにクリシナ説は面白いが、いくらサンスクリットと古代ギリシャ語が印欧語で関係あるとは言え、クリシナがギリシャ語のクリストース(キリスト)の可能性は低いと思う。 言語学で見て、印欧語東方系とされるサンスクリットは、むしろロシア語などと共通性があり、走り幅跳びの女性選手クリシナは、サンスクリットのクリシナ(クリシュナ)と語源が近いだろう。 またインド人にソニアなどロシア人に似た名前がよくある。インド人の家の表札だけ見ると、ロシア人かなと思うケースが結構多い。 さてクリシナ(クリシュナ)だが、次の理由からクリストース(キリスト)と無関係と考えられる。 ①ギリシャ語のクリストースは、油を塗られた者の意味で、ギリシャ語として完結している。 ②インドは宗教や哲学に優れていたが、歴史を全く無視していたので、クリシュナ(クリシナ)がいつから神として使われ出したのかハッキリしない。紀元後の可能性もかなりある。つまりクリストースの方がクリシュナより古い可能性もかなり高い。 ③古代ギリシャ人は、大概の外来語をそのまま、或いは似た形で使わず、大胆にギリシャ語に変化させて使った。バーラタをインディア(インド)にし、ファールスをペルシアにし、メシアをクリストースに、ヨシュアをイエスースに変えた。ギリシャ語の文法(名詞の格変化)に合わせる必要も大きかったのだが。 だからこの性質から見ると、クリシュナ=クリストース説は考えにくい。 ④逆にサンスクリット訳された新訳聖書を見ると、三位一体を現す言語である父がギリシャ語でパテールだが、サンスクリットではイシュヴァーラ(インド哲学のペルソナ持つ唯一神の名前)。また子であるクリストース(キリスト)はクリストスのまま。つまりギリシャ語またはラテン語のままで、クリシュナには成っていない。クリシュナ信者の中にはイエスもクリシュナのアバターの一つだったと言う者がいるにも拘わらず! また聖霊を意味するギリシャ語プネウマ・ト・ハギオスは何とアートマンと訳してある! インド哲学を知る者にはなかなか面白い。 とにかく夢を持つのは良い事だが、学術的な見地が必要。 仮にそれがせっかくのロマンを無残に潰してしまうとしても。
  • << 54 後半の部分(エジプト以下)については、私みたいに学術先行の者には、?という感じ。ロマンある話だけど。 例えば古代ギリシャ語で、奴隷はドーレイオス(ドゥーレイオス)と呼んだ。 まあロマン持つ人は、これがシルクロード通り中国に伝わり、奴隷と言う単語に成ったと考えるかも。 またラテン語で、行きなさいはイテ(イッテ)だが、これと日本語の「行って」の類似性は偶然と普通には考える。 ただし大胆に考えるなら、印欧語は太古にアルタイ語と影響し合ったとの説唱える学者もいるから、一万分の一の確率で両者に関係あるかも。 因みに古代ギリシャ語やラテン語は、格変化、動詞変化がガチなので、語順は全く自由。ただ傾向としては、動詞を文末に置く場合が多かった。 あれ、これは日本語と同じでは無いか? 欧州の言語が中世以後、主語、動詞、その他の要素という並び方に成ったのは、ゲルマン系言語の影響が大きかったらしい。 英語は典型的ゲルマン語と言うにはフランス語に侵略され過ぎているが、例えばドイツ語の場合、動詞が文の2番目に来る法則(一部の構文で例外あり)がガチにあるから。 とにかく欧米人で日本語が割合短期間で上手くなる人は、過去にラテン語をやった人が多い傾向。何故かは、複雑でロシア語より難しいだろうラテン語の文法を説明しなくてはならないから、とても書きないから省略。
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