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獣医師の恋3

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  • 作家(匿名)
  • 17/04/08 11:52(最終更新日時)
  • タグ 日々 好日

玄さんという、おじいさん。 
私は、気安く玄さんと呼んでいるが
近所の人は、玄宗のお坊様と呼んでいる。

近くの、やや大きな寺である宗久寺の住職で、啓寿玄宗という名だからだ。

大変に、聡明な方で、いつも穏やかでいて、お坊様独特の雰囲気がある。

私は、ここに矢崎動物病院を建ててから、しばらくして、患者さんの家族から、聞いた話に大変に感動した。

猫を腎臓病で亡くされた家族が、ペットロスのような状態になり、毎日、猫の為の仏壇の前に行くと、
後悔の気持ちが襲ってきたり、訳もなく
涙が流れてきたりと、気持ちがふさぎ気味だったそうだ。

我が子同然であったのだから、それも当然のことであろうと、私は思った。

その時、たまたま、買い物に行った先で
玄宗のお坊様と会った。

お坊様に猫の話しをして、聴いてもらった時、お坊様は、

猫の寿命を全うされた、今頃、あなたに感謝しているのではありませんか。
あとは、あなたが、その猫さんに心配をかけてはいけませんよ。
くよくよしたり、笑顔を見せなかったりしていると、猫さんは、あなたがどこか具合でも悪いのかと、大変に心配します。
猫さんに、あなたが出来ることはなんでしょうかね。
喜ぶことをしてあげてください。

そう言われた飼い主さんは、今まで、
全く気がつかす、誰からも言われたことがなかった言葉に、救われたそうだ。

私も、獣医師という仕事をしていて、
なかなか、上手くいかない日もある。
救えなかった命を、前にすると
獣医師なんか辞めてしまえという声が、
どこからか聴こえてくるような気がして、臆病になる。

私は、なるべく動物の残った体力を温存して、最期は自宅で家族に看取ってもらいたいと考えている。
それは、人間も動物も同じことだと考えている。
最期の最期まで、全力で治療にあたるのも、ひとつの方法かとは思う。
しかし、私自身は、投薬や外科手術を命尽きるギリギリまでやることには、否定的だ。

患者さんの家族からは、たまに、どうして、最期まで手を尽くしてくれないのかと、言われてしまうこともあるが、
私は、投げ出したのではなく、あくまで
死というものに向き合った時、
穏やかに苦しまずが一番良いと考えるからやっているのだ。

時々、お坊様の玄さんに聴く。

自分の考え方は、ダメなのか?
個人的な考え方を、獣医師としての考え方にしてはいけないのか?

玄さんは、笑いながら言う。

何が今、一番良いと思うか?
死を前にしては難しいことにです。
獣医師という立場上は、最期まで治療を優先することを考えるでしょうね。
私は、坊主ですからね。
いろんなことを言えますよ。(笑い)
獣医師の前に、人としての考え方は、
あなたの信念で良いのではないですかな。

そうか、そんなものかと、私は納得した。
日々、迷いもあるし、投げ出したいときもあるが、信念があるのなら、それはそれで良いかと、白黒はっきりさせなくとも、流れのままで良いかと、楽になれた。

私は、この玄さんと、ヤスべという犬との出逢いに、不思議な縁を感じている。
獣医師と患者、その飼い主以上のつながり。

病院の窓の外では、日に日に、サクラのつぼみが、大きくなり、あと一週間もすれば、サクラの開花が見られるようになる。

宗久寺の境内にも、確か、サクラの木があった。

17/04/08 11:52(スレ作成日時) [RSS]

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