注目の話題
付き合った彼氏実は結婚していた
車中泊で職質されますか?
話し合いを嫌がるのってなんでですか?

死ぬために生きる

レス9 HIT数 1606 あ+ あ-

匿名
16/11/29 08:09(更新日時)

ノンフィクションの小説だと思って、
気ままに読んでみてください。

幼稚園の頃は、私が食事をあまりとらないことで、母が育児不安になり無理矢理食べ物を詰め込んだり、幼稚園から残してきたお弁当を駐車場やお風呂の中で食べさせたりなど軽い虐待のようなものを受けました。
幼稚園生の頃から両親は不仲で、母はイライラしてることが多く、父は毎日夜は帰りが遅く朝は早くというスケジュールなのであまり顔を合わせられませんでした。

ですが、ときどき家族で行くスーパーでのお買い物はとても楽しかったです。
両親の別居が始まり、一週間に一回、一か月に一回と父と会う機会が減りましたが、変わらずそのときの家族の買い物もとても楽しかった。自分は子どもながらにも、両親の様子をハラハラと見守り、しかしずっと家に飾ってあった家族の写真や、私が描いた「パパおかえりなさい」の絵を見ると、きっと大丈夫、本当は二人は仲が良いのではないかと期待していました。

小学校の頃4年生ごろからは、学校でいじめが盛んになり、この流れ的にもちろん標的になりました。クラスの一番仲が良いと思っていたK子にはある日無視され始め、K子にはA子という仲の良い子ができ、少し時が経つと急にK子はまた私と仲良くなり始め、そしてまた少し経つと無視をされ…と、それが何回も続き、私とA子がK子を取り合いをするという一年が続きました。
今、考えると訳がわかりませんね。この頃から、人の顔色をうかがうという能力が身に付きました。
悪口はもちろん、友達にプレゼントしたお土産はトイレに捨てられ、クラスで起きた事件は私が犯人に仕立て上げられ、自分の筆箱を投げられ、授業で私が先生に指されると周りはクスクス。

家庭のほうでは、母のイライラがさらに増え、私の成績の悪さから塾を3つ通わせ、学校から帰ると母からの宿題があり、夕飯を食べると母の監視のもとで勉強をする。
「あなたは、どうしてこんなにできないの」「お兄ちゃんを見習って」と精神的苦痛を受けました。
そんなこんなが中学生まで続き、中学2年生にはリスカをするようになりました。
リスカをする理由は本当にネットで書かれている理由と全く一緒で、ただの構ってちゃんです。

死にたいと考えてはいても、本気で死ぬ勇気はありません。
もう私は限界だと、つらい、助けてほしいと周りに気付いて欲しくてやりました。そして、自分を傷つけた甲斐あって最初に気付かれたのは保健医の先生です。
一番気づいて欲しかったのは母でしたが、なかなか気づいてくれません。何か月か経つと、母が学校に「娘がリスカをしている」と報告したことを保健医の先生から聞きました。
とても、残念でした。母の口から、「なんでこんなことをしているの?辛かったの?大丈夫?」という心配が欲しかったのです。
しかし、母が受けた印象は「異常な子」「根暗な子」「なんでこんな子に育ったのか」という批判と疑問でした。いじめの心配はあったのかもしれません。
リスカに関してはこんなことは無意味だと気づき、結果やめました。
自分はなんで生きているのか、死にたいとしょっちゅう考えました。

No.2404526 16/11/29 05:08(スレ作成日時)

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.1 16/11/29 05:11
匿名0 

めっちゃ、続きます。

私が高校1年になると離婚し、3年になって再婚しました。
当然のように、私は母に連れられ新しい父と住むことに。住んでいた家には大学生の兄だけ残りました。
この頃には母に対してもう嫌悪しかありません。「母について行くのは嫌だ、ここに残りたい」「全く親しくもない男の人となぜ一緒に住まないといけないのか」と母に言うと、叩かれました。「子どもが親の幸せを願うのは当然。なんで人の気持ちを考えないの。そもそも離婚をしたのはあなたのせい」と言われました。このときはもう怒りというより悲しみや絶望といったなにかが抜け落ちた感じになりました。

新しい家族で3人で住み始めましたが、当然うまくいくはずもありませんでした。
居心地が悪く、部屋に閉じこもりがちになると、「なんで自分から歩み寄らないの?」と母に言われ、ある時リビングに入ろうとすると、母と義父が抱き合っていたのを見てしまい、自分の存在を消そうとさらに部屋に閉じこもりました。

母は義父への依存が強く、少しでも私が義父に冷たくしたり(そんなつもりはない)、態度が悪いと、「どうしてそんなに冷たい子なのか」と責められました。
勇気をだして、初めて義父を「お父さん」と呼んだときは、これで二人は満足したかと思うと、のちに母から「そうじゃない。どうして、パパじゃないの」と怒られました。前の父のことをパパと呼んでいたから、義父のこともパパと呼んでほしいのでしょう。

バレンタインデーには父に送ろうとしたチョコは、帰りに雪で包装が湿ってしまったことやそのチョコが甘すぎなことから、「こんなんで糖尿病になったらどうするんだ」「なんでもっと人の気持ちを考えられないのか」と怒られ、その日は部屋閉じ込められました。
母に言われ、少し嫌々ながら照れながら、義父に読み寄ろうとするも、母に「それは違う」と批判されました。一回、溜まっていたストレスが爆発に母を叩きました。
「どうして私の気持ちは考えてくれないのか」「私なりに歩み寄ろうとしているんだ」「もうグチグチ言われるのはうんざりだ」と泣き叫びながら訴えました。しかし、そんな思いは母には伝わらず、ただの喧嘩で終わりました。

No.2 16/11/29 05:13
匿名0 

部屋に閉じこもり、泣き叫びながら物を投げ、頭を壁に打ち付け、カッターで足を切って、消えたい死にたい消えたい消えたい死んで死んでと確かそんなようなことを思ってました。
ついここに私の居場所はないと思いが限界を超え、またこのままではいつかうっかり母を殺しかねないと思い、新しい家に引っ越してから1年経つころに、兄が残っていた前の家に戻りました。

少し違う話になりますが、小学校の頃から私の幸せな時間は夜中でした。寝ているときはなにも考えなくて済む、また布団の中は心地が良く、この時間は私の物だと思うことができ、ときに人を殺したり自分が死んだりする怖い夢を見ることもありましたが、睡眠の時間はとても大好きでした。愛犬を愛でるような気持ちです。
中学校の頃からなんとなく睡眠の時間が増えたような気がし、大学生になると授業中とすべてのコマ居眠りをしていることは珍しくなくなりました。

そして、兄と一緒に住んでいるといっても兄とも仲が悪いのと、兄が家に帰ってくることが少ない為、朝起こしてくれる人はいないので、遅刻が増え単位を落とすようになりました。
どうして、自分はこんなにダメなのか、クズなのかと考えられるようになりました。
大学では心理学を勉強しているため、よく自分を分析します。そのことから、私は寝るということが現実逃避になっており、長時間の睡眠が癖になっているのだとと考えました。

前の家はもともと4人家族で住んでいたため、私一人では広くて場所を持て余し、また少し前からテレビは見なくなったので、家の中はとても静かで、穏やかと言えば穏やかで前よりかはとても良いのですが、孤独や喪失感を感じました。ちなみに、本当は兄と一緒に住んでいるのですが、兄は帰ってくることが少ないので一人暮らしも同然でした。
どうして、こんなにも私は一人なのかと思ったり、大学生生活もだんだんずさんになりなおさら睡眠に逃げました。遅刻をしてどうして起きれないのか後悔がありますが、結局は自分の甘えです。無意識に大学に行きたくないと思っているのかもしれません。それを思うと余計に、昔から母に言われ続けていた「自分はどうしてこんなにクズなのか」という言葉が自分を責めました。

No.3 16/11/29 06:17
名無し3 

途中でごめん。
なんだか泣けてきて。

過去と向き合いながら書き綴っていくのは辛いと思います。

深呼吸しながらゆっくりと書いて下さい。

何日、何ヵ月かかっても最後まで読んでるからね。

  • << 5 ありがとうございます 誤字脱字が多くなると思ったので、他のメモに打ってからコピーしてるので大丈夫です それでも、誤字があるようですね…すみません。 気ままに読んでください

No.4 16/11/29 06:28
匿名4 

前の家に戻ったことで嬉しいこともありました。
義父ではなく本当の父のほうと一か月に一回食事をすることなりました。私が、母と義父に耐え切れず家を出たことを心配してくれたのでしょう。また、一人暮らしということでお小遣いをくれるようになりました。
父と久しぶりに顔を合わせて、分かったことがあります。
父は名前が変わっていたことと父の仕事の内容です。加えて、これは前から知っていたのですが、父は他の県で新しい奥さんと住んでいます。また、父のLINEのアイコンから父には子どもがいること知りました。
母も再婚のときに名前を変えたので、母と父と私3人はみんな名前が違います。

父の仕事についても初めてこのとき知りました。父は風俗の店を何個か立ち上げてました。この話は父から直接聞いたわけではありません。話すとまた、長くなるので短縮します。
私は、父からもらったお金を汚いと思うようになりました。お小遣いや、光熱費、学費、すべて支えられています。その支えを拒否するのは学生にとって困難です。
汚いと思いながらも、生活することに屈辱を感じました。また、私が生きていることでお金が必要となり父が稼ごうとしていると考えると、自分のせいだ、早く自立しようと考えました。

名前が違うことや両親と住所がバラバラというのは、本当に不便で、ときに他人に両親が離婚し再婚し引っ越してまた引っ越したことを伝えなければいけない場面があります。
他人や友達に、このようなことを話すときは「変な家族でしょ」「確かにちょっと複雑だけど全然平気」と笑いますが、本当は仲の良い家族を見ると、「なんで、あれが私じゃないのか」「なんでこんなに私の家族はバラバラなのか」と羨望や嫉妬でいっぱいです。

No.5 16/11/29 06:31
匿名4 

>> 3 途中でごめん。 なんだか泣けてきて。 過去と向き合いながら書き綴っていくのは辛いと思います。 深呼吸しながらゆっくりと書いて下… ありがとうございます
誤字脱字が多くなると思ったので、他のメモに打ってからコピーしてるので大丈夫です
それでも、誤字があるようですね…すみません。

気ままに読んでください

No.6 16/11/29 06:34
匿名4 

また、1年ほど経つと父から今住んでる家を売らないかと提案されました。そして、「売ったお金を私と兄が結婚したときに資金であげるよ」と言われました。
その家から大学は少し遠く、不便に感じていたため、またこの家に良い思い出はないので私は家を売ることを承諾しました。また、兄も同じく承諾しました。

そして、今年から本当に一人暮らしを始めました。
結局、大学生のうちに引っ越しを3回しました。4人家族で住んでいた地元の家を最後に離れるときは、少し寂しくなりました。嫌な思い出はたくさんあるけど、十数年の思い出があるのだと考えると、「本当にこの家が無くなるのだ…」と思いました。

母のほうとは、距離を置いたことで仲が良好になりました。義父とも仲良くなれました。母に言われて、歩み寄るのではなく自分から歩み寄ることもしました。
たまに会ってたまに喧嘩することはあります。相性が悪いのか、私と母が分かり合えない部分を有耶無耶にしているせいかもしれません。
しかし、以前よりかは本当にマシになりました。

そして、少し月日が経って、父から会社が潰れたことを聞きました。
今まで、割と金銭面では余裕がありました。しかし、それがガラリと変わり、家賃、携帯代、その他細かいものはもう出せないと言われました。母はそれを聞いて怒りました。「そもそも、前の家を売り払って、(私の名前)に一人暮らしをさせたのは誰だ。その支援ができないってどういうことだ」と母は怒りました。
そして、最近になって学費も出せないと言われてしまいました。
一気に状況が急変し、戸惑いが隠せませんでした。そしてその後には、とにかく不安が襲ってきてます。

こんな状況でも両親はメールでも言葉を交わしたくないため、私が仲介役になり、今後どうするか、奨学金はどうするかなど話し合いが始まりました。
ちなみに、家を売ったお金は借金でチャラになったと言われました。一瞬、怒りが湧きましたがプライドの高い父が「ごめんなさい」と謝ってきたこともあり、私は申し訳なくなり、すぐにそんな感情は消えました。

No.7 16/11/29 06:38
匿名4 

父が今は他の仕事で一生懸命働いていること、母も腱鞘炎になりながらも私のためにと働いていること、それを考えるともう大学はやめたほうがいいんじゃないかと考えましたが、周りに止められました。それは、もったいないと。
確かにもったいない。しかし、この申し訳なさ、罪悪感、金銭的な不安定さ、キリキリな生活が不安となり、大学にいることでストレスなっていて、友達と過ごしていても5分に一回はそのことを思い出し、どうしようもない不安や焦りにかられます。

母から聞いた話によると、父は大学に行くことは反対のようでした。しかし、私は大学に行くことが当然のように思っていたため、当然のように大学生になり、入学当初は学費の額はあまり気にしていませんでした。もちろん、これから私もバイトをたくさんして稼ぎたいと思います。しかし、疲れやすいのと長時間睡眠が癖になっているため既に授業に支障がでています。

私は本当にダメなやつで自分勝手だ、昔から言われた母の言葉は本当だったんだと現実味が今更になって湧いてきました。「離婚したのもあなたのせい」と言われたのもなんだか、振り返ってみると頷けます。
こんな形で、自分を責めても何も変わらないし、責任が重くて逃げたいと思っている自分の弱さは把握しています。ただ、こんな形で自分を責めないとやっていけなさそうなのです。

そして、できることなら、殺されたい。これまで生きていて、瞬間的に楽しいことはあったけど、幸せなことはありませんでした。小学校の頃から死にたいだの消えたいだのいろいろ考えてきましたが、今は殺されたい。
いつも、道を歩いていると、横から車が飛び出してこないか、突っ込んでこないか、ふと後ろを向くと殺人鬼が包丁を持って襲ってこないか、と期待しています。自殺なら余計に迷惑が掛かりそうなので、不慮の事故か被害者になるのなら、電車の飛び込み自殺よりかはマシだと思うのです。しかし、これもかなり自分勝手ですね。

No.8 16/11/29 06:51
匿名4 

結局、私は責任から逃げたいだけです。でも、私が死ぬことで、両親の負担が軽くなるならそれで万々歳じゃないかと思うわけです。
いつ死ねるのか、最近はそのことをずっと考えています。心理学の授業で、先生に「自分の生きている意味は?」と問われたとき「死ぬために生きている」という考えにたどり着きました。

最後は自分の思いや考えにちゃんと整理がついてないので、右往左往した気がします。


なぜ、こんな自分の話を赤裸々にネットに書き込むのかというと自分でもよくわかりません。
こんな長文読む人なんていないだろうにと思います。
べつに誰かに、質問したいわけでも、伝えたいわけでも、勇気づけてほしいわけでもありません。
なので、不幸を自慢したいのかよ、って批判されてもあながち間違いではないかもしれません。
もちろん、自慢したいわけではなく、なんといか自分を振り返って、整理してみたくなったのと、ずっと吐き出したいと思っていたことを誰かに伝えてみようかなと思いました。

ここまで、読んだ人は本当に尊敬と感謝をします…。
また、私は鬱になっているわけではありませんし、今すぐ自殺を図ろうとしてるわけではありません。辛い人はもっと辛いので。私はただ、死ぬのを心待ちにしているだけなので、ご心配なく。


また、誰かに何かを伝えたいわけではないと言いましたが、ここまで読ませておいて放っておくのはやはり申し訳ないと思い、なにかを伝えようと思います。

あなたが生きている意味はなんですか?
自分の人生の主人公は、自分、という言葉があります。

あと、人生何があるかわからないですね。


読んでくれた方、本当にありがとうございました。

No.9 16/11/29 08:09
名無し3 

>> 8 過去を思い返しながら40歳になって思うのは、いつも私は誰かのために生きてるってことです。

その責任から逃げたくなる時もあるけど、誰かのために一生懸命になってることが私の生き甲斐なんだと思う。

ただの自己満足です。

沢山の人と関わっていきたいとは思わない。

でも一人は嫌。

私をいつも束縛してくれる人が居て欲しい。

常に誰かに必要とされてないと私は生きられないかもしれません。

必要とされてる限り、どんな苦労にも耐えられる自信がある。

投稿順
新着順
主のみ
付箋
このスレに返信する

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧