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ガンダムmemory

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17/03/28 17:46(更新日時)

そう、あれはいつだったか……。
いつの頃からか知っていたガンダムという作品📝。
ファーストガンダムを見たのはたぶん物心がついた頃……。
それからいまも形を変えながら放送している……。
アニメやSDガンダム、フィギュアや玩具、アニメ雑誌などの特集などの思い出を主がつぶやくだけ……📝。


17/02/20 08:40 追記
ガンダムシリーズ以外の富野由悠季作品『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』『オーバーマンキングゲイナー』『ブレンパワード』他著書などにも触れることあります📝。

著書『だから僕は…… ガンダムへの道』『∀の癒し』

No.2400556 16/11/18 10:09(スレ作成日時)

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No.1 16/11/18 10:32
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たぶんはじめて目にしたのは物心つくかつかない頃くらいにリアルタイムで見てたか。
あるいは家にあったクローバーの『DXガンダム・Gアーマーセット』。
さだかではないけどたぶんそれがいちばん古い記憶……。

No.2 16/11/18 14:32
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クローバーの『DXガンダム・Gアーマーセット』は当時の思い出だけどコアブロックシステムやGファイターとの合体変形などは当時の玩具としてはかなり再現度が高かった。
玩具でややスーパーロボット的な面影を残してロケットパンチがあったりなぜかガンダムの角は黄色(笑)。
いつの間にか捨ててしまった玩具だったけどよく遊んだ思い出のガンダム商品のひとつ。

No.3 16/11/19 05:55
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ガンダムではないものの『伝説巨神イデオン』のこれまたトミーの当時の合体玩具を手にしてたと思う。
そして『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』を見るうちにきまってオープニングの冒頭に富野由悠季の名前をどこかで意識しおぼえていたと思う。

No.4 16/11/20 05:35
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富野由悠季作品のどこにはじめ魅力を感じたか。
はじめはモビルスーツ、重機動メカ、ウォーカーマシン、オーラバトラー、ヘビーメタルなどそれまでのスーパーロボットとは一線を画すリアルロボットの魅力だったと思う。
だけど物心つきながら小学生ではあったけど登場人物たちが苦しみ悩み葛藤する姿になにか衝撃はあったと思う。
なぜ戦うのかなぜ理解しあえたり理解しあえないなかなにか活路を見出だそうと葛藤するリアルな人物たち。
たんに正義や悪ではない昨日今日明日を生きるため、業を背負い……。
とはいえ小学生であった自分がそこまで深く考えてたわけではないと思うが感じるものはあったと思う(苦笑い)。
だけど人物たちの心、感情、気持ち、背景からそんなのを少しは感じてたと思う。

No.5 16/11/20 14:56
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本格的に『ガンダム』を意識したのは『Ζガンダム』のリアルタイム放送時。
当時は『トランスフォーマー』G1全盛期、いま思えば『Ζガンダム』の機体はバラエティ豊か。
そんななか当時の期待の作品のひとつであっただろう『Ζガンダム』。
リアルタイムで全話は見れてなかったけどそこはコミックボンボン連載の近藤和久さんの漫画で補完した。
『Ζガンダム』放送以前は『MS戦記』がありましたし。
またこの時期前後はMSVの展開とともに『プラモ狂四郎』の展開もあり後に『SDガンダム』の原型といえるロボチェンマンやカワルドスーツが展開してガシャポンSDに継承されてゆく。
ややごちゃごちゃして記憶は混同してると思います。

No.6 16/11/21 05:10
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近藤和久さんの『MS戦記』はジオン軍の少年兵士、フレデリック・ブラウンというキャラを主人公に置いた物語。
ルウム戦役からジャプローまでが具体的に彼の目線を通して戦争戦場の不条理を通して成長。ラストは彼の乗ったゲルググがア・バオア・クーで残骸となりながらも彼の生死は不明扱い。
その後、ホビー雑誌『B-club』などでの『新MS戦記』あるいは『ジオンの再興』などの彼が大人として成長したらしい同名の人物の姿がうかがえる。表情などはかなり大人びているのでくわしくはわからないけど。
近藤和久さんの描く人物は戦場のリアリティを求めて節はある。
片やモビルスーツやモビルアーマーなどはディテールアップが施されたり胴長短足(に見えるよう)であったり独特。
設定はアニメとはやや違っていたりする。
本来、一機だけしか存在していない機体が量産化されていたり(ガンダムマーク2やΖガンダムなど)、ΖΖにいたってはアニメ以上に巨大化されてるけど脚部の性能は劣悪など。
リアリティかどうかは別としても現実的にありえそうなニュアンスを残す。

No.7 16/11/21 11:45
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『Ζガンダム』をリアルタイムで見るために小学校を早く下校した。
当時はまだビデオがなくて必死に帰っていた。さいわい学校から近かったけどそれでも小学生。
掃除やホームルームはあるし日直もあるから毎週、必死だった(苦笑)。
これは『ダンバイン』『エルガイム』『トランスフォーマー』などから変わらなかった。
だけど『ファーストガンダム』からの続編、二作目ということでなにかしら子ども心に期待してたでしょうか。
だけど物語全般はほとんど理解してないまま見てたでしょう。
戦争のなか理解しあえるのに理解しあえないカミーユ、ファ、エマ、レコア、クワトロ、ヘンケン、カツたちのすれ違い。
これは敵方であるティターンズの人間も同様。
血気に逸るジェリド、なだめるライラやカクリコン、マウアーは散ってゆく。
ジャミトフは狡猾にブレックスを暗殺しバスクは権力に酔う。
主人公のカミーユをはじめ誰もが運命が狂い戦場に命を散らす。
これらは近藤和久さんの漫画版あって理解にいたったところ。なんとなくわかりにくい政治やシャアの演説などの背景📝。
いっぺんに理解できないというのはわかってたと思うしまた次から次へアニメと放送され夢中になるのが子ども。
なんとなく理解できてた、でいいんじゃないかなでとどめてた。大半は理解してなかっただろう。
だけどウチの地元では続編の『ΖΖ』はたぶん放送されてなかったと思う。

No.8 16/11/24 05:36
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リアルタイム時は『Ζガンダム』についてはほとんど理解しないままだったでしょう。
小学生に理解できる内容だったかというと断片的にわかる内容を拾いながらなんとなけわかる程度。
近藤和久さんの漫画版の貢献によるところはたぶんに大きかったと思う。
『ガンダムΖΖ』についてもコミックボンボンに掲載された漫画によるところが大きい。
ロボチェンマンやカワルドスーツを経てのSDガンダムシリーズの誕生や確立。
ガシャポンのSDガンダムは自然と集めていた。
ガシャポンの流れを受けてBB戦士や元祖SDガンダムへと発展してゆきこれら後にウルトラマンや仮面ライダー、パトレイバー、マクロスなどがSDものへ派生してゆく。

No.9 16/11/24 09:59
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この当時くらいからガシャポンSDは活気を見せいまは存在しない『コミックボンボン』が一躍、SDガンダムブームを盛り上げる。
それはファーストガンダムを知らない世代に届いていきいまの世代にも通じる第二次ブームのきっかけ。その後の平成世代や2000年世代などにもつながってゆく。
ガシャポン、BB戦士、元祖SD、漫画など徐々に派生してゆく。
ちなみに私はBB戦士は“積んどくモデラー”だったのでほぼ作らず。それでも10数年後にようやく処分にいたる……。
元祖SDの方はいまもほんの数体ながらいまも現存してる。
バーサルナイトガンダムGP01、真聖機兵ガンレックス、Gガンダム系、ガンダムw系、雷帝千生大将軍くらいでしょうか。
『プラモ狂四郎』の流れを受けた『超戦士ガンダム野郎』や横井孝二さんの『元祖!SDガンダム』などの単行本はいまも手元にある。ちなみに当時のボンボンKC版。
『逆襲のシャア』、シャアがマザコンだったというのはいまも衝撃。
なおかつ『ΖΖ』のハマーンとおなじ過ちを繰り返す男の愚かさ。
それはアムロにもいえる。小説においてはベルトーチカとの間を経て父親になれたかもしれないのに父親になれない不幸さ。
アムロとシャアは互いにわかり合えている一面がありながらも互いに戦い決着をつけねばならない運命。
そしてふたりの間に揺れたララァの思い。

ある程度、年齢を経ると『Ζガンダム』の小説を見かけるようになる。
中学時分からガンダム関係の雑誌や書籍に興味を持つようになるがまだまだ読むに至らない。
本格的に読むようになるのは高校生くらい前後になる。

もとが図書委員なのをやるようになったので中学高校と『刑事コロンボ』や『世にも奇妙な物語』などのノベライズを読むようになりこれが『ガンダム』のラノベを読むきっかけにつながる📖。

No.10 16/11/25 12:01
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『逆シャア』から数年後、『F91』が当時の新世代ガンダムとして映画として製作される。
またこの時にコミックボンボンの流れから『ガンダムマガジン』が計六冊刊行される。

この時期くらいから角川スニーカー文庫から富野由悠季さんが書かれた『機動戦士ガンダム』から『Ζガンダム』『逆襲のシャア』『F91』、遠藤明範さんの『ガンダムΖΖ』などを少しずつ読んでゆく。
富野由悠季さんの小説『ガンダム(ファースト)』はみごとなくらい続編『Ζガンダム』以降のシリーズに繋がらない展開に驚いた。
アムロセイラへの憧れとセイラの兄への怨恨からの恋人(肉体)関係、シャアもジオンで復讐に生きながらギレンとキシリアに正体を知られながらも復讐を成す。
レビル将軍は戦いに身を投じながらもブライトやアムロたちに期待し自らを犠牲にする。
ハヤトが死に最後にアムロも若きジオン兵に撃たれる。
だけどホワイトベースとシャアの和平は成る。
ちいさい同盟ながら小説世界の宇宙世紀はアニメとちがい着実に変わってゆきセイラはひとり地球に残る終わる方。
富野由悠季さんが書かれた『ガンダムシリーズ』および『イデオン』(『オーラバトラー戦記』などは未読)などは表現は粗いけど富野節などは全体に生きている📝。

小説『F91』(上巻)においては映画では語られなかったブッホ家(ロナ家)のドラマはふつうにドラマとして読み応えある。
いまの『THE origin』などにも通じると思われる📝。

No.11 16/11/26 06:23
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『F91』は映画、小説共に好きなシリーズのひとつ。
それまで家庭から解離させられたアムロやカミーユに比べたらシーブックはよくできた主人公。
セシリーは家庭から離されたキャラであるがシーブックたち学園の仲間たちがいることで仲間のもとにできる救いがあったのがよかった。
家庭と戦争のテーマが『F91』はよく伝わったと思う作品。親世代から好評だったというのもわかる。

No.12 16/11/26 16:28
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『Vガンダム』についてはアニメが地元で放送されず、これはウチの地元ではガンダムシリーズに限らずよくあることなのでやむ無しだった。
だけど『Vガンダム』の主題歌が当時の勤め先の某遊園地で他のアニメや特撮主題歌と共に流れていたかな。
内容については例によってコミックボンボンの漫画そして富野由悠季さんの小説で理解した。
アニメで見たのは数年後のスカパー。
小説で先に理解してたつもりだけど内容はやや難解だったかも。
母系社会とギロチンと相反するザンスカール。
また宇宙世紀時代において連邦政府の権力が弱体化していくなかゲリラ組織のリガ・ミリティアの立ち位置。
“出来すぎた子ども”でもある主人公のウッソ。いまの時代からみても嘘から出た真(まこと)でしかない(苦笑)。
シャクティについては明確にウッソを思っていることもあり子どもから大人の女性へと精神的成長が見られたキャラクター。ちゃんと母マリアや叔父クロノクルに理解を示し子どもとしては不器用に接しながら前向きに考えられる姿勢がある。
戦いのなかであっさり散ってゆく女性たち。小説においても気づいたら死んでいる亡くなっているという。
『ガンダム(初代)』小説のリュウも気づいたら戻ってこない現実の残酷さ。
だけどマリアやシャクティが持つ母性がひとつの象徴でもあった作品と思う。

余談、『Vガンダム』小説四巻だったかな。迷っていたウッソたちを助けたあの老婆は何者なのか。
いまだ気になるところ📝。

No.13 16/11/27 06:11
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『Gガンダム』はこれまた地元では放送されなかったけどまた『コミックボンボン』のときたこういちさんの漫画やCDなどで情報は補完した。
フィギュアはDXのシャイニングガンダム、ゴッドガンダムを持ってたけどこの二体は処分した。
100分の1サイズのモビルファイターなんとかいう玩具こちらはいまも持っている。

『Gガンダム』は当時の今川泰宏監督のインタビューや取材によると苦労や悩み、葛藤があったみたい。
『ガンダム』で格闘モノをやることへの苦労。“地球がリングだ!”などのフレーズを思いつくことでしがらみをふっきりながらドモンたち登場人物たちに過去や現在の自分を重ねながら制作してたよう。
東方不敗マスターアジアの登場でさらにふっきったところもあるけど彼がデビルガンダム細胞に侵されていないというのがラストのクライマックスのひとつの真相でもある。
師匠を理解できなかったドモンの不甲斐なさ理解のいたらなさ。
今川泰宏監督なりの世代の無理解、拳でしか通じ合えない格闘バカ(←ほめ言葉)な男たち。
師匠と弟子の関係は今川泰宏監督なりの他作品で見られる父子にも置き換えられる。『ミスター味っ子』、『ジャイアントロボ』や『鉄人28号』などに。

余談、アニメージュ文庫にも今川泰宏さんの名前は記載されてたし『ダンバイン』『エルガイム』『Ζガンダム』などを経ての演出は見られる📝。

No.14 16/11/27 15:36
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『ガンダム』関係の角川スニーカー文庫系はこの当時、順当に読めていってた雰囲気📖。
『Gガンダム』の角川スニーカー文庫の小説はオリジナルの雰囲気を残しながらさらに格闘家の在り方や精神、テレビシリーズより踏み込まれたドモンとマスターアジアの関係。さらにガンダムファイトによる軍事縮小による軍事関係者の不満や鬱積など全三巻と短いながらテレビシリーズとはちがうアプローチで印象に残る本。
ガンダムファイトが人類の不満を解消させる一方でまた軍事関係者に不満を残させる問題の噴出。
カッシュ博士と小説のみの登場のオーギン首相のたくらみに巻き込まれたドモンと首相の秘書としてのレイン。本来のネオジャパンのガンダムファイターだったスギハラ。
そして作品内に数少ない癒しを与える幼いコウタ兄妹📝。
流派東方不敗の真の意味。そして釈迦による古代インド拳法から導き出される格闘家の本来ある心構えや姿勢。
『Gガンダム』小説は内容は全体的に短いけど事細かに格闘モノらしさの在るべきことを書いてる。
チボデー、サイ・サイシー、ジョルジュ、アルゴたちライバルたちもまたガンダムファイターや格闘、戦士としてドモンとの戦いや交流を経て成長する。
作品中気の毒なのはネオイタリアのガンダムファイター、彼のみはネオジャパンへの復讐に生きてドモンになすすべなく敗北。
全三巻という少なさであり読みやすい反面、駆け足なところもある。
テレビシリーズの『Gガンダム』が好きな人は悩みながら読みそうとも言える。

No.15 16/11/28 10:05
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『ガンダムW』はこれもコミックボンボンのときたさんの漫画や情報が先だった。
およそ一年遅れで『W』は放送された。しかし『セーラームーン』後期シリーズとの一部不規則カップリング放送。
『ガンダムW』を先に放送したのち『セーラームーン』が後半のいまにしてもなんともテレ朝系ふしぎ枠。
テレ朝が地元局としてないための措置なのは理解はしてた。
が、『ガンダムW』も『セーラームーン』も次にいつ放送されるかネットはまだない時代、録画してても放送局からのテロップや告知を見過ごしたら次に録画できないこわさがあった。
それでも『ガンダムW』はカトルが父と姉を失う回のニ話分をのぞけばほぼ録画できて見れた作品。
リリーナが矢島晶子さんというのを考えたら後の『ビッグ・オー』のドロシーにもつながるきっかけにも思える。
『ガンダムW』は途中で監督が交代したみたいな話題もあったけど後半はよくまとめたと思う。
『ガンダム00』に似通う点はあるけど『W』世界のコロニー居住者の弾圧、また地球のピースクラフトによる平和主義、トレーズの決闘や戦争についての思想など。
いまの時代からすればやや理想的ではあるけどヒイロをはじめとしたガンダムパイロット、ゼクスやトレーズの生き方。リリーナたちヒロインが平和を求める姿勢。
支配される平和よりも自らが取るべき平和へと昇華されてゆく物語。
角川スニーカー小説版は後半の展開、特にトロワの展開は細かく面白かった。
小説のエピローグは火星のテラフォーミングに旅立つヒイロたち。
アニメと小説のちがいを『ガンダムW』もまた見せた作品のひとつ。

No.16 16/11/29 07:06
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『ガンダムX』は高松信司監督でしたでしょうか。
当時“ガンダムを考えるガンダム”として作られ富野由悠季さん以外ではアプローチこそ違えどニュータイプの存在を平成ガンダムシリーズに持ち込んだシリーズ。
前二作にくらべやや際立った特徴がなかったせいか打ちきりの憂き目にあったけど。
だけど高松信司監督のアプローチがあったから『SEED』以降の“機動戦士”の名義が使いやすくなった一面もあるように思える。
荒廃した時代のなかでのモビルスーツやニュータイプ、人々の生き方。ある意味『ザブングル』だけど。
主人公ガロードたち若い世代が時代をつくっていく姿勢は『ΖΖ』に似てる。

No.17 16/11/29 09:53
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ほんの少し時間を戻して『0083 ポケットの中の戦争』について。
ガンダムシリーズ初のOVAではあるけど、れっきとした主人公はバーニィでもなくクリスでもなく中立コロニーに住む戦争ごっこが好きな少年アル。
彼の目を通して中立コロニーで起きた終戦間際の短い間を丁寧に描いた物語📝。
OVA本編も感動を誘う作品だけど小説版の後日談も印象に残る。
本編ではおそらくアレックス(クリス)との戦いで亡くなったバーニィだけど小説のエピローグでは重傷を負いながら助かったというアルの両親が新聞片手に語る場面がいい。
あとがきで著者は“駄文になるかもしれない”と添えながらも著者から読者へのメッセージとして届けられる場面📝。
OVA本編と小説においてはさほど大きなちがいはなくどちらも感動できる作品。

No.19 16/11/30 06:27
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『ガンダム0083』これもまたOVA、小説ともに鮮烈な印象。
プロローグにあたるア・バオア・クー戦での敗北でのデラーズとガトーの男同士の会話。
死して恥をさらすことよりも生きて耐えることの心。ジオン軍人の誇りやギレン・ザビへの心酔などいろいろデラーズやガトーは熱い。

物語本編ではコウやキースは戦後から連邦軍人になったことで若い。
またなんのために戦うのかということで苦悩し葛藤し軍人とはいえひとの命を奪うことへの葛藤。
コウはモンシアとガンダムパイロットの座を戦い、月においては一度は脱走に等しい行為を犯しながらケリィとの交流を経て少しずつ男として成長してゆく。
キースも同じキャリアでありだんだんとコウが立派にパイロットになっていくのを親友として見守る。ジムキャノン2で時に援護しながらもガンダム3号機が出てくる頃にはバニングからの教えであったガンダムの援護さえできなくもどかしさやひとしれずわずかに悩む一面を見せる。

『0083』では連邦の腐敗さが表現されていることからいちがいに正しいとは言えない難しさ。
ガンダム開発計画においても核を搭載するガンダムの在り方。
連邦の勢力派閥争いが地球圏を混乱させる兆し『Ζ』に通じる。

デラーズたちデラーズ・フリートとて大義名分はあるのは理解できるけど劇中でニナの台詞にあるけど我慢できないのいうのもある意味正しい。
デラーズ・フリートがガンダム2号機を強奪したことによる連邦の腐敗をあらわにしコンペイ島の観艦式を混乱に陥れコロニー落としをすることで幾多の無関係な人々を恐怖に陥れている。

どちらが正しいのかというのは本編を見てたり小説版を読むとわからなくなり考えさせられる📝。

ガトーとニナのもと恋人関係はやや後付けすぎる欠点がある作品であるけど見所はいくつかある。

No.20 16/11/30 12:15
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ちょっとリアルタイムなお話し。
ようやく『ガンダム00』の小説ファースト、セカンドシーズンそして劇場版が揃った。
沙慈やルイスの視点で読んでしまう。
彼らが劇中人物では視聴者目線であり一度は別れ敵味方に分かれた物語は感情移入してしまう。
もちろん過去に知らずとはえテロに加担した刹那、それにより被害者となったロックオン兄弟、超人機関から生まれたアレルヤやマリーなどいろいろな物語が交錯してゆく。
過去の因縁と向き合うスメラギやカタギリなども目に見えない思いを背負っている。

No.21 16/12/01 15:00
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OVA『第08MS小隊』はOVA本編と小説はかなりちがう。
人物たちの設定性格背景などは変わらないけど物語の展開や戦争の凄惨さを見せることでは小説の方が重たい雰囲気。
小説では特にキキたちゲリラたちがなぜゲリラになった、あるいは地球に住む普通の者にとって連邦とジオンの戦争はどんなものかという被害者として書かれより明確。
小説内では「キャプテン・ジョー」なる戦争ドラマを通して現実と架空の戦争のちがいを辛辣かつ厳しく描写している。
シローははじめこそ「キャプテン・ジョー」に憧れや希望を託す若さを残したキャラとして書かれてゆくけど後に戦争に正義がないことを知る。
それを知ることになるきっかけがゲリラのキキたちへの自らが所属している連邦軍の対応であるという冷たく重い現実。
アニメでは比較的明るく描写されてたけど小説ではまったく裏のことが書かれていて実に重たい。
片足を失った少年や麻薬栽培をすることで生計を立てざる得ないゲリラたちの真実。
ラストのクライマックスの場面では連邦もジオンの兵士たちも実は“おなじようなものを見ていておなじように架空の物語を見て戦争をしていた(あるいは戦争をしている上の者たちに踊らされていたというべきか)”というひとつの事実が読者に伝わる。
エピローグでは連邦軍では死亡扱いとされたシロー、そしてアイナのその後の顛末が書かれている📝。
こちらもまた涙を誘う。

No.22 16/12/02 05:47
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インターミッション

ちょっとSDガンダムのお話。
SDガンダムシリーズは当時の廉価版オリジナルビデオアニメとして販売されたでしょうか。
当初は人間キャラ主体のガンダムシリーズのパロディモノと主に武者ガンダムの短編物語の組み合わせ。
武者ガンダムの流れは後に『騎士ガンダム』に派生されこちら一本すべてが『騎士ガンダム』で構成される📼。
またこの流れが武者・騎士・コマンドの三世界の主人公を集結させた映画になり近年の『ガンダムフォース』になるんでしょうか。

ちなみに私の手元には『SDガンダム猛レース、夢のマロン社』のOVA、あと『聖機兵物語』を筆頭にした映画のビデオはいまも持ってる📼。
猛レースはSDガンダム版チキチキマシン猛レースのパロディ、夢のマロン社は当時は『ポケットの中の戦争』がOVAで人気を博しリアルとSDの共演で話題になった作品。
ガンダムNT1がファーストガンダムのトリコロールカラーで短いながら出演している(ただしリアル系は人間キャラは描かれてなく登場しない。ジオンパイロットは声のみ)。
興味ある方は見てください。

No.23 16/12/04 09:18
ツイッター好き 

『∀ガンダム』はリアルタイムで見れたと思うけど地元局のあおりで放送時間がまちまちに変わり後半がみれなかった。
後に映画の方で見れたけど。
『∀ガンダム』は角川スニーカー文庫の小説がまたおもしろかった。
ただ悲劇なのは小説ではディアナが亡くなってしまい代わりにキエルがディアナとして生きなくてはならない展開。
小説はアニメでできないハードになりまた性描写などにも『ガンダムシリーズ』は踏み込むのはもとの富野さんの影響でしょうか。
外伝にあたる『エピソーズ』は本編で書かれなかった物語や『∀ガンダム』がもつ世界名作劇場的な雰囲気が実によかった。

No.24 16/12/08 09:49
ツイッター好き 

バブル時代をガンダムに喩えたら『ガンダムF91』の時代。
モビルスーツが小型化したはずなのに結果的に失敗だったのか現在に至るシリーズまでもとの大きさに戻り一部は機体が恐竜的進化まではいかないかもだけど大型化しているよう。
小型化とはいったいなんだったのか(?)。

No.25 16/12/08 10:41
ツイッター好き 

『ガンダムSEED』はリアルタイムはちゃんと見てたけどいまひとつハマる要素がなかったのか。
このシリーズ以降しばらく『ガンダム』の小説を買うのをピタリとやめてしまう。
燃えるものが何かしらなかったんでしょう。そのぶん大人だったかもしれないけど。

続編の『destiny』ははじめはシン視点だったのにいつの間にかキラ視点になってるという見てる方からしたらわけがわからない。
何よりシリーズ後半のデスティニープランへのキラたちの反発する理由が曖昧かつ不透明で説得力がいまいちわかりにくい。説得力があったらちがったと思うんだけど。

『SEED』『destiny』共に角川スニーカーの小説でここ数年前にようやく読めたけど文章だとわかりやすく表現力あるけど映像だけではわかりにくい。小説の書き手さんなみに説得力があればまた別な評価があったのではと思われる。

No.26 16/12/09 06:24
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『ガンダム00』については当初は『ガンダムW』にかぶる印象があったのは否めない。
だけどイオリア・シュヘンベルクの存在、ソレスタルビーイングの存在意義、沙慈やルイスを通しての等身大の我々や市民の目を通すことでの刹那たちの過去や戦い。
世界の事象に無関係ではいられないという刹那やティエリアからの冷たい現実を突きつけられる。
いま角川スニーカーの小説を読んでるけど矛盾は世界のすべてにある。だけど刹那たちはそれらを憎まれようが背負おうとしてゆく覚悟は1stシーズンで互いの仲たがいや誤解を経るこでより良き関係に昇華されていき2ndシーズンでの沙慈やマリー、そして敵であったアニューにも届いていく。
哀しき出会いや誤解を繰り返しながらもすべては世界を操ろうとするリボンズたちイノベイターに刃を向ける。

作品内から見る限りにおいてはイオリアは無数ともいえるありとあらゆるパターンを考えながらも最終的に到達できるのは人類の統一ではなかったのでは思われる。
トランザムシステムなどある程度の自分が作ったシステムを悪用されない、またコールドスリープした自らが目覚めなくても誰かが来たるべき対話のために人類の業を背負う者たちがいれば未来は成し遂げられると考えていたように思われる。
刹那が1stシーズンでライルに自分の代わりにガンダムになればいい、ともいうのも刹那とてもしかしたら志半ばに亡くなる覚悟はとうにあったでしょう。
誰かが自分の意思を継いで人類の統一を成して紛争や戦争根絶がなくなればそれは自らの意思でもありソレスタルビーイングとして達せれたことになると考えたのではないだろうか。

No.27 16/12/10 15:00
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『ガンダムAGE』は一年の放送期間はあってもそれぞれ三世代の尺不足はあったと思う。
だけど当初は敵ヴェイガンが同じ人類と認知されるまでに作品内の時間もかかっている。
ニ世代目になってからわかりあえるわかりあえないという従来のガンダムのテーマに近づいていく。この辺くらいからそれぞれの世代とのギャップが作品内に出てくることで『AGE』の魅力が発揮されてゆく。
三世代目になると戦いはより激化しついに地球上にまでおよび地球に帰化したヴェイガンの人々や火星で暮らすヴェイガンの人たちがより描かれ踏み込まれてゆく。
三世代という時代を書いてる以上、各々の人物描写や演出が深かったといえばこの辺もまた隔たりはあったと思う。
『ガンダムAGE』の時代は人類が一度戦争を忘れた時代の人々から始まりあまつさえ火星人類の歴史を公に抹消したという大きな罪と愚行がある。
忘れてはならない歴史がつねに存在するという人類が目を背けてはいけないというテーマも隠れている。
フリットもまた過去の人類同様に最終回までは愚行を犯した為政者とおなじになるところだった。
だけど子や孫たちによって改心し英雄となる機会を与えられた。
小説によるとフリットは亡くなるまでの間は暗殺などの危機的状況にあったことから必ずしもヴェイガンとの戦争後も平穏な人生でなかったと思われる。
勧善懲悪に書いてないところは宇宙世紀などのガンダムシリーズと共通しながらも人の歴史や世界の歴史を平等に記した一作品といえると思う。

No.28 16/12/10 16:37
ツイッター好き 

『ガンダム00』のティエリア、『ガンダムAGE』のジラード・スプリガン。それぞれ富野由悠季さんとはちがうけど性やジェンダーに踏み込んだ書き込みはされたキャラクター。
富野さんはジュドーやロランを女装させたこともあるけどティエリアは両性具有的に人間とはあらかじめちがう存在する示唆する意味もあり、ジラード・スプリガンは『AGE』の地球連邦政府への復讐を込めて性を偽りまた愛した男であろうとする妄執もある。
『ガンダムシリーズ』が性と無関係でないのは男女というのをつねに描いていれ一面もあり少年少女から大人になる物語を多くが描いている。
『ファーストガンダム』においてアムロとセイラのベッドシーン、『逆シャア』(角川版)ではアムロが父親になろうとする一歩。
『Vガンダム』においてもマリア女王、カテジナ、シュラク隊などに代表される女性たち。彼女らも作品における母性であり少年が憧れる性という対象でもある。
『Gガンダム』ではドモンとレインの幼馴染みから共に戦う同志そして伴侶へ(?)。
『ガンダムSEED』ではキラとフレイのベッドシーン。これはアムロとセイラのベッドシーンとのオマージュとも取れる。

また主役機体であるガンダムそのものも『F91』や『Vガンダム』においては主人公の母親が作ったことに関与しているのも一例。
そこにも性は生きているひとつのあかしと思われる。

No.29 16/12/18 05:18
ツイッター好き 

ガンダムの食玩はむかしからあるけどその都度、進化はしている。
ただアサルトキングダムからユニバーサルユニットへの移行はやめてほしかった。
ガンダムコンバージも新シリーズなってから台座の変化も。

クスィーガンダムのデザインはゲームへの参加から小説のデザインから変更されてからすっきりはした感じ。
胸元は小説よりいまの方がすっきりしていると思う。頭部はダブルゼータに似ているのはアナハイムガンダムだからか。
胸元にガンダムに似たアンテナを持つのは『00』系につながったんだろうか。
『閃光のハサウェイ』も『00』も組織の象徴としての位置にガンダムがあることはあまり変わらない。

No.30 16/12/20 06:10
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アサルトキングダムのエクシアリペア2をようやく手に入れた。
しかし『ガンダム00』はオーバーテクノロジー、『オルフェンズ』はロストテクノロジー、ガンダムの名称は『00』は天使、『オルフェンズ』は悪魔とありとあらゆる面で対照的な作品。
食玩のアサルトキングダムのエクシアとユニバーサルユニットのバルバトスで対決させると絵になる。

No.31 16/12/21 10:16
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いまはSDガンダムも完全なひとつのブランドだけど、BB戦士はレジェンドBBなどになったり完成品のSDXになってるけどむかしみたいに組み立てるのが事実上、ガシャポン戦士やBB戦士くらいしかないみたいですね。
むかしの全盛期はガシャポン、BB戦士、元祖SD、SDガンダムクロスと四シリーズくらい玩具あったのに。
プラモもいまは比較的、レビューなどをのぞくとつくりやすくはなってるみたい。
女性モデラーなどもたまにメディアに取り上げられもしているし。
食玩のユニバーサルユニットのバルバトス、最近触れているけど頭部や脚のつま先などやたらとげとげしてる。
これ子どもの指を傷つけるんじゃないだろうか?バンダイに苦情はないのか心配。

No.32 16/12/21 13:42
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なんだかんだで『SEED』『Destiny』はオープニング主題歌はシングル買ったんだよな。
『00』は1stシーズンの後半主題歌をいまだ買えてない。
『AGE』はキオ編の時のはじめの主題歌は最近買ったかな。

No.33 16/12/29 11:59
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イオンでユニバーサルユニットのペーネロペーを見たら高かった。
クスィーガンダムは安く購入したけどほぼプラモだ。

No.34 16/12/30 20:12
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『ガンダムビルドファイターズ』小説、名作漫画『プラモ狂四郎』を彷彿させながらテレ東ホビーアニメの定番のミニ四駆やガンプラを使っての大人や企業の悪巧みを盛り込みながら主人公の少年少女たちが挑むのはテレ東の『ガンダム』らしい作品。
要所にアニメや映画の歴代ガンダム作品の用語やオマージュ、ガンダムネタが入っているのは好感ある。

No.35 17/01/02 06:47
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『ガンダムAGE』の小説を読むとXラウンダー=ニュータイプ。
だけどフリット、アセム、キオの世代を経ないと考え方の違いが生まれない。
常に同じような争いを続けていた富野ガンダムとはややちがう。もちろんアムロ、カミーユ、ジュドーに代表されるようにそれぞれはちがうけど明確な答えは描かれなかった。
宇宙世紀は常に争いが起きる時代や世界として描かれていたけど『AGE』の時代は百年におよぶ連邦とヴェイガンとの戦争で敵味方ともにそれぞれ異なる世代や地球に帰化した者たちなどが描かれている。
それにより社会による差別や格差が結果的に生まれ人物たちの人生を翻弄し連邦、ヴェイガンそれぞれに怨恨を持つ者たちはテロや過激派にもなる背景。
『AGE』の絵柄やややヒロイックに描かれている反面、そういう方面には意外に気づかれにくい。
要所に各ガンダムシリーズのオマージュもあるが描写ないし演出はさりげない。
小説版五巻では短いながらも随所にそんな場面が見え隠れしながら、キオが祖父であるフリットに最後の決断を迫り戦う。
過去からの怨恨の連鎖を断ち切るという決断に至るまで三世代もの時間をかけた凄まじさ。
富野ガンダムに限らずだけど、飛躍した考えや発想、ひらめきなどは現実に受け入れ難いけどフィクションはそれを許せる世界もある。
ラストのフリット対キオの戦いは過去との決別、自らが背負うべきは罪もあるが時代を背負う責任がフリットに限らずその時代に生きるひとりひとりにあることをキオはフリットを通して語る。
子どもだから言える、というのも現実にモノを言えない子どもたちへのメッセージとも取れる。
『AGE』は子どもが大人になるにつれ“なにか”をなくすことの危うさがある。フリット、アセム、ゼハートたちは皮肉にもその体現者として描かれている。
『逆シャア』におけるシャアとその辺はおなじ。ひとのあたたかさを忘れたがゆえに愚行を犯す。
大人たちの愚行を正すのは子ども。
それが『AGE』たるゆえんかもしれない。

No.36 17/01/03 16:02
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『ティターンズの旗の下に』をようやく全巻手に入れたけど冒頭ちらっと読んだら『ガンダムセンチネル』に雰囲気がよく似てる。
参考にはされたらしいみたいだけど。
冒頭にシャアが近くにいたらしい、という描写は『Ζガンダム』の時代を感じさせる📝。

No.37 17/01/04 03:24
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『ガンダムAGE』小説四巻を読むとイゼルカント自身は敵側のボスキャラではあるけど、ゲームのボスキャラと対比されながら書かれている。
また絶対的な悪側のキャラというわけではない背景。
たしかに戦乱を起こした歴史的張本人ではあるが、またひとりの人間あるいは子を亡くした“親”でもあるという点。
最終回に少年フリットがXラウンダーに実は目覚めていた背景への伏線へと繋がるきっかけとしてもイゼルカントは書かれている📝。結果的には少年フリットの人生を変え大人フリットが歴史を背負い“英雄”になる負い目をイゼルカントは背負わしてもいる。
四巻でひとつ重要なのは火星に住む人たちもまた同じ人間であるということ。地球環境に比べるとはるかに困難な環境の火星、そしてマーズレイという病。
マーズレイによりひとを愛することに臆病になるヴェイガンの人々。
地球連邦政府により歴史の闇に葬られた時代背景があるということ。

No.38 17/01/04 06:42
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『ガンダムAGE』でもう少し早くヴェイガンを同じ人間として書いてたら少し物語の流れは変わったと思う。
アセム世代で踏み込まれては書かれているけど、アセムとゼハートの関係は基本的に青春モノとして演出されている。それ故に実際に火星に住む住人については触れられてない。
ゼハートの台詞に“食べ物を粗末にするな”みたいな言葉の一端にあらわれてはいるが。
キオ編になるまでは“敵”という表現をあらためて認識や考え直す機会を与えられている。
アセムがキャプテンアッシュとして若い青春のままモラトリアムを抱えたまま息子の前に現れるのも視聴者へのひとつの問題提議。
“親になる”ということのクエスチョン。
息子が親のコピーではないということ。別の意思や人格を持つ“個”である存在としてのアセム=キャプテンアッシュ。
モラトリアムに苦しみ悩み“親”になりきれない苦悩をアセムを通して見ることができる。
復讐に生きるフリットのブレーキになろうとする意味合いもある。
冷戦による平和という世界的な意味で第三勢力としての宇宙海賊。
大時代的なことをおこなっているように見えながら実は親子間によるいさかいという。『イデオン』の親子喧嘩をやや小規模にした感のあるフリットとアセム。犠牲はありますけど。
フリット、アセム、キオあるいはゼハートたち他の人物たちを通して幾重にも重なる世代の“戦争”を描いている📝。
戦争がない世代を生むということはフリットもイゼルカントも求めるところは同じ。だけど怨恨による戦争が続いてしまい結局は互いを滅ぼすしかない結論を最後までは回避できない危うさ。
危うさを回避するには一時でも互いに手を取り合うやさしさや寛容さ。
現実には難しいところだけど『ガンダムAGE』だから描けた寛容さがある。

No.39 17/01/04 13:44
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『ガンダムAGE』小説四巻を読んで印象的なのはフリットが親として間違った場面が残る。
アセムが死んだことになってしまいあまつさえ孫であるキオまでゲームを通して鍛えてしまい実際の戦争に出してしまう。
それを海賊ビシニティアンのキャプテンアッシュになったアセムに否定され彼はテロを行いながら地球と火星間に勢力均衡を保つテロリストになってしまっている。
五巻ではアセムがなぜキャプテンアッシュになった背景が書かれているけど息子のキオにしたら納得しないのもうなずける。
ただ四巻五巻を経て書かれているのは戦争を通してのアスノ家の三世代の親子喧嘩でもある📝。

フリットは復讐に一生に近い人生を費やし、アセムは彼なり戦争をどうしたら終わらせるか模索し冷戦均衡というとりあえずの結論にいたる。
キオはそのどちらの考えの間違いを否定し飛躍した考え方を持つようになる。
フリット、アセムともに親としては間違った親ではある。だけど世代間の考え方のちがいを書くことは『AGE』ならではの特徴であり長所であり短所。描ききれないところもあったと思いますが。

No.40 17/01/06 10:35
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ガンダム漫画はいまほとんど読まなくなってしまった。
子ども時分は『プラモ狂四郎』『新プラモ狂四郎』『超戦士ガンダム野郎』横井孝二さんの『元祖!SDガンダム』。
ときたこういちさんの『G』『W』『X』。
非公式な作品だと『逆襲のギガンティス』『Gの影忍』。
『F91』時代だと『F90』『シルエットフォーミュラー』。
あと『いけいけ!ぼくらのVガンダム』。
あと近藤和久さんの『MS戦記』『新MS戦記』『ジオンの再興』かな。
手元にあるのはこれくらい。

近藤和久さんの『機動戦士ガンダム0079』はこれは途中で挫折した(苦笑)。

No.41 17/01/14 11:29
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『ガンダムAGE』で少年フリットは無意識下ではAE(アンノウンエネミー)が人間であることを感知はしてたけど意識や復讐の気持ちがそれを無意識に隠したなり被せることで認知や自覚にいたることはなかったということでしょうか。
それがアセムの父親になりキオの祖父という立場になってもAE=ヴェイガンを“同じ人間”と認めるには至らない。
物語の書かれてないところでは彼なりに和平交渉を試みた時期もあったらしいけど一度切られた火蓋はおさまるどころか激しさを増すばかり。
少年フリットから父親フリットに至るまでなにがあったかはわからない。アセムたちを通して語られるのみ。
またアセムが行方不明になってからは一時は連邦から身を引くものの復讐の念は捨てきれずにいていざという時のために連邦に籍を復活させることを整えていた。
一時期、(仮の)引退までは連邦の腐敗を叩くことを善しとしていたが引退したことにより再び社会の腐敗の根が戻ってしまう。
アセム行方不明からキオの世話を見るまでも間にも彼なりに葛藤があったと思われる。
連邦政府や軍が必ずしも正義でないと知りながらも戦う姿勢は胸の内にあった。
ヴェイガンに加担する者は同胞ではない、とするのもひとつの信念のあらわれ。
だけど“家庭”を築けなかったことへの悔やみもまたある。
しかしフリットのいうみんなには“ヴェイガン”が入ってないということで大切な存在を失う喪失。
それを考えたら戦争もだけど家庭を失う喪失感も親を知らないフリットにしたら重責はあったと思う。
グルーデック艦長やウルフ隊長はあくまで親代わりに近い存在でありグルーデック艦長はその後、刑務所に入ったことや少年から大人になるにつれ見たくない社会の闇まであまりに早くに見てしまった重さがある。

No.42 17/01/17 05:14
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フリットもアセムも普通に生きていたら知らなくていいことを知ってしまったのも悲劇。
だけどグルーデック艦長は少年フリットが以前の生活に戻れる保険はかけていてそのチャンスはあった。
対してアセムの場合は父フリットによって逃げ道をほとんど用意されてなく逃げ場がなかった。
だからアセムはビシディアンと合流して連邦にもヴェイガンにも属さず第三勢力としてキャプテンアッシュとして逃げ場にいなくてはならなかった。
フリット、アセム共に父親失格なのは歴代ガンダム主人公の父親にかぶるところもあるし『F91』のレズリー・アノーなどを除けば大半の父親は“父親”の役割を果たしてないまま物語から退場している。
『AGE』ではディーヴァに乗ってゆく三世代それぞれにある種の疑似家族のイメージや思いはあれど本当の家族ではない。
これは『ファースト』から受け継がれる疑似家族そのまま。
だけどそこに目に見えない繋がりを描くのも必要なこと。
アスノ家がフリットやアセムによって一時的に崩壊しているのも崩壊しないと書けないものもある。むかしのドラマと同じ📝。

No.43 17/01/29 17:27
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バルバトスルプスレクス(名前長っ……)、より悪魔的かつ恐竜みたいで不気味かつカッコいい……。

No.44 17/02/06 10:11
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とあるブログで旧BB戦士のレビューをしてるひとがいるけどなつかしい。
私はたいして作らなかったけど。素組みを何体かしたかな?

No.45 17/02/07 13:12
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『∀ガンダム』の福井晴敏版の上下をようやく手にいれた。
冒頭の雰囲気はテレビや角川スニーカー版と変わらない感じかな。

No.46 17/02/10 12:42
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『∀ガンダム』福井晴敏版、黒歴史が初代『ガンダム』から『Vガンダム』まで明確に記されてた。
宇宙世紀で起きたことからの繋がりを示してた。
ジオン公国からザンスカール帝国までの歴史。
あとロランがなにげなくララァ(の一族の)の血を引く雰囲気があります。
だけど裏切るグエンはともかくキエルまで裏切るのは驚き。
アグリッパ・メンテナーもまたひとりの男ではなく整形し何代も入れ替わりをつとめた男らしい存在というのは不気味。
月を影から支配してたところは角川スニーカー版とかわりない感じ。

No.47 17/02/11 06:29
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『∀ガンダム』福井晴敏版は地球に残ったフランやキースの描写が鮮烈。
キースはパン工場を焼かれフランは妊娠するも旦那さんは行方知れず。
しかも彼らがいた地は放射能に侵されているかも知れない事実。
読んでるだけで恐ろしさが伝わる。

No.48 17/02/12 17:17
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ヴィダールはやはりガエリオ。
マクギリスの過去も明らかになった。
一気に後半たたみかけるんでしょうか。

しかしガンダムシリーズはお約束を外しながらも一方は外さない。

No.49 17/02/13 07:23
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『∀ガンダム』は角川スニーカー版の佐藤茂版とハルキノベルスの福井晴敏版だとどちらが好みかと聞かれたら佐藤茂版でしょうか。
まだ佐藤茂版の方が救いありますがどちらともディアナにすべてを背負わせすぎな感は否めない。
グエンは野心に燃えるし反面いちおう良心的なシドじいさんなどの人物はいます。
福井晴敏氏はやり過ぎな感はあるけど作品中で“ガンダム”“ニュータイプ”と直接的に触れてる。
角川スニーカー版は外伝編で短編集で物語の外の話があるのがいい。本編で触れられていない外伝らしさのいくつかが世界名作劇場ぽいのにガンダムしてるところもあるのが好感。

No.50 17/02/14 06:18
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食玩ユニバーサルユニットのバルバトスルプスのAとBを両方手に入れた。
以前の第3形態第4形態に比べたらシールの数は少なくなってた。
ちょっとバルバトスルプス自体が武装が少なめは残念。
以前よりはヒロイックになったけどスタイルは人間より少し野獣より。
メイスと腕部砲それぞれが凶悪。いちおうこのふたつで中途半端にフル装備にできる。
だけど一体が素体になってしまうorz。

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