わすれもの
今年の桜は早く咲いた。
葉桜になった桜の木の下で、揃いのウインドブレーカーを来たサークルや体育会の学生が、着慣れないスーツを着た新入生に声をかけ、ビラを渡す。
新入生は何人かのグループだったり、1人だったり、でも皆勝手が解らず戸惑いながらも、新しい生活への期待に目を輝かせている。
講堂から校舎、大学の正門まで向かう通路は、いたるところでそんな光景が繰り広げられ、そこにいる誰もが思う方向へ進むことができない。
風が吹くと、清掃が間に合わずに吹き溜まりにあった桜の花びらが舞い上がる。
勧誘の声や、笑いさざめく声。
「彼」は人ごみをかき分けるようにして進んだ。
「彼」は目指すところへ向かって進んでいた。
管理棟の前の大きな木が、白い花を咲かせていた。
その木の下に、書類の袋を抱えた「彼女」が人待ち顔で立っている。
「彼」は「彼女」に向かって進んでいった。
14/05/13 16:57 追記
感想スレです
よろしくお願いしますm(_ _)m
http://mikle.jp/viewthread/2094020/
タグ
新しいレスの受付は終了しました
「彼は」目指す所に、進んで行った。は、主さん、やっぱりいりますか?😊 読ませていただいて、私なら、ある一点だけを見て、進んで行ったとかの方が、いいんじゃないかと、感じました。😊 でも、情景を思い浮かべて、読めて、続き読みたくなりましたよ。😊 ありがとうございました。🙇 つまらない事言って、申し訳ありません🙇
☆☆☆☆☆
「カナコ!お前、香奈子だろ?」
突然、見知らぬ人間からそう言われた香奈子は、当然のように驚いて、後ずさりした。
香奈子は今日この大学に入学した新入生だ。
声をかけてきた男も、真新しい紺色のスーツを着て、香奈子と同じ書類袋を持っているので、やはり新入生のようだった。
香奈子は同じ高校からこの大学に進学した友達の夏希が、学生課に書類をもらいに行って戻ってくるのを、管理棟の入り口の前で待っていた。
香奈子はこの大学に夏希の他に知り合いはいない。
何故見知らぬ男から名前を呼ばれるのか、香奈子にはまったく見当がつかなかった。
「あなた、誰?」
香奈子はおびえながら、そう聞いた。
「俺はヤマシタ。ヤマシタユウキ。ちくしょう、一言では説明できないんだよ」
そう言いながら彼は「山下裕貴」という名前と写真がついた真新しい学生証を香奈子に付き付けた。
名前は分っても、香奈子にはこの山下裕貴という男子学生が何を言いたいのか、さっぱり分らない。
…アタマおかしいんじゃない?
香奈子はそう思って、また一歩後ろに下がった。
「あぁ、もう!何から説明すりゃいいんだよ。えーっと、あ、そうだ。お前のじいさん!」
「はぁ?」
「お前のじいさん、内村一雄っているだろ?」
「はぁ?…確かに内村一雄は私のおじいちゃんだけど、もう死んでるし」
「そうなんだよ!その死んだお前のじいさんが…」
裕貴がそこまで言った時に、管理棟の出入り口から夏希が出てきた。
「夏希!」
香奈子はほっとして夏希に駆け寄った。
「香奈ちゃん、どうしたの?」
「早く行こ」
香奈子は夏希を引っ張るようにして、その場を離れた。
夏希の腕にしがみついて通路の人ごみを進み始めた時に、一度自分がいた場所を振り返ったが、さっきの山下裕貴という学生の姿はもうなかった。
☆☆☆☆☆
「ただいまぁ」
私が玄関に入ってそう言うと、リビングのドアが開いて、ババ、つまり私のおばあちゃんが出てきた。
「おかえり、香奈ちゃん。入学式どうだった?」
「疲れちゃった。足、痛い」
私は玄関で履き慣れないパンプスを脱いで、下駄箱に入れた。
「緊張しちゃったんじゃない?早く着替えておいで」
「うん」
私は階段を上がって、自分の部屋に行った。
これまた着慣れないスーツを脱ぎ、部屋着に着替えてベッドに倒れ込んだ。
「あいつ、何だったの?」
入学式の後に声をかけてきた、あの男の子。
見覚えのない顔。
おまけに、ジジ、つまりおじいちゃんだけど、あいつ、ジジの名前を知っていた。
わけがわからない。
「なんで、ジジ?」
ジジが死んだのは、私が幼稚園の時だ。
ジジのことはよく覚えている。
でも、ジジと遊んだり、ジジとおしゃべりした記憶は一つもない。
ジジはアルツハイマーという病気で、私が物心ついた頃には、もうほとんどしゃべることができなくなっていた。
お母さんが言うには、ジジが病気になった時はまだ57歳だった。私はジジが62歳の時に生まれた。
私が3歳で幼稚園に行くようになった頃には、ジジはもうほとんどしゃべることができなくなっていて、いつの間にかジジは老人ホームに入っていた。
だから、私が覚えているジジは、老人ホームで車椅子に乗せられて散歩していたり、老人ホームの人におやつやゴハンを食べさせてもらっているところばかりだった。
ジジは最後は病院で死んだ。私が5歳の時だった。
今日いきなり声をかけてきた、あの山下裕貴とかいう男の子。
私と同じ新入生みたいだから、もし浪人してたとしたって、ジジと直接知り合いなわけない。
私の知らない親戚か、老人ホームとか病院の人の身内か、ジジの昔の知り合いの子どもとか…?
「どんな顔してたっけ?」
いきなりだったから、背が高かったことしか覚えていない。
168cmの私が見上げたから、180cmくらいかな。そうそう、メガネかけてた。
でも、やっぱり見覚えのない顔だった。
同じ高校にいた人でもなさそうだし、入試前に行ってた予備校にもいなかったと思う。
「ねー、ババ」
私はリビングに行って、ババに声をかけた。
テレビを見ながらババが
「手は洗った?お茶いれるよ」
と言ったので、私は洗面所で手を洗ってからリビングに戻った。
ババがお茶とカリントウを出してくれたので、とりあえずポリポリ食べながら
「ねーババ、山下って人、知ってる?」
と聞いてみた。
「知らないよ」
即答だった。
ババはジジより7歳年下で、今は73歳。
家にいてもお化粧していて、服装も若々しい。頭もまだまだしっかりしている。
「やっぱりババも知らないんだ」
「何の話?」
「んー、私にもわかんない」
ババは大して興味がないみたいで、「ふーん」と言って、またテレビを観はじめた。
あんまり根掘り葉掘り聞きたがらないのは、ババのいいところだと思う。
これがお母さんだったら、「えーなになに?」ってウザいくらいなんだけど。
でも、お母さんが聞きたがるのは私の恋バナだから、違うと分かった瞬間に聞き流されるんだろうな。
やっぱりただのアタマがおかしい人だったのかな。
それにしては、なんていうか、必死感があったような気もするけど。
私は釈然としないまま、大学に通い始めた。
何日間かはあいつを見かけることもなかった。
私は夏希と一緒に講義に出たり、サークル巡りをしたり、少しずつ知り合いも増えていって、大学生活が楽しくなってきた。
それでもやっぱり、あいつは現れた。
夏希が風邪をひいて休んだ日、私は午前中で講義も終わったから、スマホでアルバイト情報を見ながら正門に向かって歩いていた。
「いた!香奈子!」
あいつだった。
まるで待ち伏せしていたみたいに、いつの間にか私の前に仁王立ちしていた。
「山下…だっけ?」
今日は入学式の日よりはビビらずに済んだ。
「山下裕貴。今日は一人なのか?」
「だったらなに?」
馴れ馴れしいというか、乱暴というか、私はこいつの態度にカチンときた。
「一人なら、頼む!話を聞いてくれ」
カチンと来てたのに、いきなり頭を下げられて、私は拍子抜けした。
この間といい今日といい、ナンパとは程遠い感じだし、言葉遣いの悪さはともかく、真剣そうな感じだったから、とりあえず話くらいは聞こうかなという気になった。
改めて顔を見たら、意外と綺麗な顔をしていたのも、関係ないとは言えなかった。
私はメタルフレームのメガネが似合う背の高い男の人が好みだから。
私は山下裕貴と駅まで歩き、駅前のファミレスに入った。
山下裕貴がおごると言ったので、遠慮なくチーズケーキとドリンクバーを注文した。
「すまん」
私がチーズケーキを食べようと、フォークを取り上げた時に、向かいに座った山下裕貴が頭を下げた。
「俺もテンパッてたから、驚かせたよな。ごめん」
なんだ、結構素直なんじゃない
山下裕貴、少し好感度上がった
「うん、いきなり名前呼ばれて、驚いた」
チーズケーキを一口。やっぱり甘いものは美味しい。
「こないだも言ったけど、俺、山下裕貴。ヤマシタでもユウキでも、好きに呼んでよ。学部は商学部」
「知ってるみたいだけど、私は香奈子。フルネームだと西村香奈子。法学部」
「カナコでいい?」
「別にいいけど。じゃあ私もユウキって呼ばせてもらう」
ユウキはドリンクバーで取って来たアイスコーヒーにミルクもガムシロップも入れずに一口飲むと、少し姿勢を正した。
「俺の話、多分信じてもらえないと思うんだ。何しろ俺がまだ半信半疑だから。でも、とりあえず聞くだけ聞いてよ。ちょっと長くなるけど」
「わかった」
私もつられて姿勢を正すと、ユウキは話し始めた。
「俺、今、お前のじいさん、内村一雄じいさんに、どうも取り憑かれてるみたいなんだ」
「…………………はぁ?」
私が今鏡を見たら、多分自分で爆笑するようなアホ面をしてるんだろうと思った。
「そう、それが常識ある反応だ。だから前置きしただろ?」
私は気力でアホ面を修正した。
「わかった、ちゃんと聞くから、話して」
☆☆☆☆☆
俺、実家は長野なんだ。
あっちでこないだ高校卒業して、そんで上京して大学へ来たわけ。
卒業式の後、まぁ上京の準備してたんだけど、真昼間にさ、お前のじいさんがいきなり話しかけてきたんだよ。
『ちょっといいかな、キミ、山下裕貴くんていうんだろ?私は内村一雄というんだ。キミからみれば赤の他人で、わかりやすく言うと今は幽霊なんだ、と思う』
驚いたよ。
とりあえず荷造りしてたから、ダンボールとかその辺のゴミとか荷物とか、全部どけたり引っかき回したりして、どっから声がするのか探したよ。
でも、どこにもいないんだよ。
よくあるだろ?幽霊が出る時に寒気がするとか。
そういうのもないんだ。
で、一通り探し回っても、幽霊もいないし、音が出るような機械もないみたいだし、幻聴だと思おうとしたら、またじいさんが話しかけてきた。
『キミには見えないと思うよ。私にもよくわからないんだけど、今私はキミの意識に直接話しかけてるらしい。私はキミのそばにいるわけじゃなくて、意識だけ繋がってるみたいな感じらしい』
「なんで赤の他人の俺のとこに化けて出るんだよ」
なんていうか、怖いって感じじゃないんだよな。
気配もなんにも感じないから。
ただ、頭の中にじいさんの声だけが聞こえるんだよ。
『私にもよくわからないんだよ。ただ、私が死ぬ前になにかとても大事なことを忘れたんだ。それをなんとかしなくちゃいけないと思ったら、キミと繋がった』
「なんで俺なんだよ。家族とかまだ生きてるだろ?直接そっちに行けよ」
『試したんだけどね、身内の者とはどうも相性が悪いらしくて、繋がらないんだ』
「迷惑なんだよ、あきらめてくれよ」
『そうしたいんだけど、解決しないと、どうも成仏できないらしいんだ』
「俺、じいさんの身内なんて知らねぇし」
『キミ、○○大学に行くんだろう?ウチの孫も今年からその大学に行くんだ。ウチの孫に会ってくれないか?』
「顔も知らないのに、どうしろって言うんだよ」
『大丈夫。これからしばらくキミと私は精神が同調するから、香奈子の居場所はキミに伝えるよ』
「カナコ?それが孫の名前なのか。それで会えたとしても、俺に何をしろって言うんだよ」
『うん、香奈子に頼んで欲しいんだ。私の妻や娘に、私が生前に何か気にしていなかったか聞いて欲しい』
「いや、待てよ。大事なことなんだろ?そんな大事なことなら、あんた覚えてないのかよ」
『申し訳ないけど、私は死ぬ何年前か、病気で痴呆状態だったんだ。記憶が混乱していて、ほとんど何も覚えていないんだ』
「なんだよ、手がかりなしかよ」
☆☆☆☆☆
「………信じられない」
私は目の前にいるユウキの顔をまじまじと見た。
信じられるわけがない。
最近テレビでやってる、素人に突然ドッキリみたいなことを仕掛けるやつじゃないかと思うくらい、馬鹿馬鹿しい話だった。
「まぁ、すぐに信じてもらえるとは思ってないよ。そうだな、じゃあ、カナコんちの人間しか知らない話とか、なんか聞いてみろよ。俺がじいさんに聞くから」
「じゃあ、ババ…私のおばあちゃんの名前は?」
ユウキは目を瞑ってぶつぶつ言うと、すぐに「内村怜子」と答えた。
「じゃあ、私のお母さんの名前」
「西村早月」
ババの旧姓、ジジの実家の住所、ジジが働いていた会社、私のお父さんの会社、
私が行った幼稚園、何を聞いても同じように正解が返ってきた。
「…今もジジと…おじいちゃんと繋がってるの?」
「ああ、呼べば返事来る」
「じゃあ、伝えて」
「なんか、勝手にあっちにも聞こえてるみたいだから、言ってみ?」
「ジジ…久しぶり。私のこと、見えてる?」
ユウキはさっきと同じように目を瞑った。
「背が高いなって。美人になったってさ。あと……ごめんな、って。香奈子が2歳の時に、タバコで火傷させたんだって。左手の甲に痕が残ったのを謝ってる。女の子なのに、申し訳ないって」
私は思わずユウキが言ったところを押さえた。
確かに左手の甲には小さな火傷の痕がある。
小さいから、普段はまったく気にしていなくて、その痕のこと自体、お母さんから聞いたから知っているくらいなので、友達にも言ったこともない。
「…本当なの…?」
「なんだよ、じいさん、ボケてからのことも覚えてるんじゃねぇか。どうして大事なことは覚えてねぇんだよ」
ユウキはブツブツ言っている。
「…え?………ふーん。なんか、カナコが小さい頃はまだ時々まともな時もあったんだって……って、なんだよ、カナコ、泣いてんの?」
「え?」
私はいつの間にか泣いていたらしい。
「嘘、やだ。ごめん、私、ジジのこと、好きだったから。好きだったけど、ジジと話をした記憶なんかないんだ。だから、ジジが本当にユウキ越しに話してるんだと思ったら、なんか…」
私は慌ててバッグからハンカチを出そうとしたけど、今日はハンカチを忘れていたことを思い出した。
「やめてくれ、俺が泣かしてるみたいじゃないか」
ユウキは焦ったようにキョロキョロして、テーブルの上の紙ナプキンを2,3枚まとめて掴み、私に突き出した。
「…ありがとう」
ユウキはいかにも困ったという表情で、氷の溶けたアイスコーヒーを飲んだ。
女の子慣れしてない感じが、悪くない。
私は紙ナプキンに隠れて少し笑ってしまった。
「でもさ、ユウキもよく見ず知らずのウチのジジのために、なんかしようとしてくれたね」
私がそう言うと、ユウキはちょっと考えて、ニヤッと笑った。
「ここだけの話だけど」
「うん」
「小遣い、もらった」
「小遣い?」
「たまにさ、じいさんが、中山に行けとか、どこのスロット屋に行けとか言うんだ」
「中山?」
「競馬だよ」
「…競馬」
「そうすっとさ、1-2を買ってみろとか俺に言うわけ。スロットなら何番に座れとか。そうすると、1万円くらい小遣いになる」
「ジジ、ギャンブルはやらなかったんじゃない?」
「らしいな。なんか、あっちにはじいさんみたいに成仏してない奴らがいて、そいつらがじいさんに情報くれるらしい」
「そんなのあり?」
「本当はそういうことはしちゃいけないらしいんだけど、俺には迷惑かけてるから、小遣い程度にって」
「っていうか、学生がギャンブルしていいの?」
「競馬はダメ。スロットはセーフ」
「セーフって」
「俺んち、父親いないんだよ。お袋、生保の外交やってて、結構やり手なんだけどさ、そんでも俺、上京しちゃっただろ?少し助けてもらってるけど、奨学金借りてるし、生活費はバイトしなくちゃいけないし、臨時収入あると助かるんだよな」
「へー、結構苦労してるんだ」
私の家は、お父さんは家電メーカーに勤めてて今は九州へ単身赴任中、お母さんは家の近くの会社で正社員、そしてババと私。
ちなみにババはお母さんのお母さんで、ジジが死んだ後、お父さんの会社の社宅から、ジジとババが住んでいた家を建て直してみんなで住むことになった。
両親は共稼ぎだし、ババはジジの遺族年金とやらがあるみたいだし、まぁウチは結構裕福ではある。
私もバイトはしようと思ってるけど、お小遣いだし。
こうやって自分より苦労してる人を見ると、少し恥ずかしい気がする。
「えー、じゃあさ、ジジが成仏しなければ、ずっとお小遣い稼ぎできるわけ?」
「バカだな、俺が役に立たなければ、じいさんも小遣い稼ぎなんかさせてやろうと思わないだろ?」
「そっか」
「それにさ、俺、今ずっとじいさんとシンクロしてるわけ。俺がしてること、じいさんに筒抜けなわけ。例えば俺が彼女作っても、彼女と何してるかまで丸見えなわけ。どういうことか、わかる?」
「…それはイヤかも」
「だろ?」
ふーん。ってことは彼女はいないのかな
どうでもいいけど
「これはアルバイトみたいなもんで、とっとと仕事終わらせて、俺もフツーの学生生活を満喫したいんだよ。だから、カナコも協力しろよ。第一、お前のじいさんなんだから」
ユウキはそう言って、グラスに残ったアイスコーヒーをストローで一気に吸い込んだ。
「そうか。ごめんね、ウチのジジが迷惑かけて」
私は素直に謝った。
こうして、私とユウキで「ジジの大事なこと」を探す毎日が始まった。
とりあえず、私とユウキは打ち合わせをした。
だって、本当なら私とユウキは同じ大学の新入生だということ以外に接点がないのに、いきなりこんな展開になっちゃって、大学やその辺で一緒にいるところを例えば夏希とか、大学の誰かに見られたら、あっという間に誤解されてしまう。
一緒にいても不自然じゃない作り話が必要だということになった。
「ネトゲ繋がりでいいんじゃねぇ?」
ユウキはそう言って、スマホのゲーム画面を見せてくれた。
RPG系のゲームで、ネット上でチームを作ったりするやつだ。
ユウキが言うには、ゲーム以外でも交流したり、オフ会をしたりするユーザーも多いとのことだった。
ゲーム仲間だったのが、たまたま同じ大学だということが判明した、ということでいいかと2人で決めた。
私は話を合わせるために、ユウキに教わって実際にそのサイトに登録して、ユウキと一緒にチームを組んだ。
それからゲームを進めるために色々と設定をしたりして、それが案外面白かった。
ドリンクバーで2回お代わりをして、1時間くらい2人でゲームに熱中した。
お陰で、ユウキとは打ち解けることができた。
最初の印象は最悪だったけど、苦労人だけあって、結構いいヤツだと思った。
口は悪いけど、はっきりしていて、意外と親切。
私がゲームで何か失敗したりすると「あっ、このバカ」とか言うけど、「うるさいな」って気軽に言い返せるような感じ。
なんていうか、ジジが絡んでいるせいか、気持ち的にユウキが従兄弟みたいな感覚になってきた。
「とりあえずさ、私、お母さんとかババにジジのこと聞いてみるね。何かわかったら連絡する」
ユウキは夕方から居酒屋でバイトだということで、この日は連絡先を交換して別れた。
☆☆☆☆☆
次の土曜日、私はお母さんをショッピングモールに誘った。
大学生になったことだし、少し洋服を買い足してあげると、お母さんが前から言っていた。
何軒か店を回って、お母さんときゃいきゃい言いながら何着か服を買った。
ウチのお母さんは44歳。
この人はなかなかめんどくさい人だ。
何がめんどくさいって、この人は私よりコドモみたいな人で、まったく落ち着きがない。
「構ってちゃん」タイプで、しょっちゅう「ねーねー」と話しかけてくる。
よそのフツーのお母さんと違って、「ねーねー」の後に続く話はしょうもない冗談だったり、どうでもいい話だったりする。
適当に流すと拗ねるし、乗ってあげると「そこツッコむところなのに~」だし。
時々自分はこの人の娘じゃなくて、この人のお姉ちゃんだったのだろうかと思う時もある。
でも、まぁ、仲はいい方だと思う。
「ねー、ジジってどんな人だった?」
私はお母さんとコーヒーショップで休憩している時にそう聞いてみた。
「ジジ?」
お母さんは綺麗な足を組んでコーヒーを飲みながら言った。
お母さんは私より少し背が低いけど、スレンダーでなかなかスタイルが良い。
着ている服も、私がたまに借りるくらい、若くてセンスが良い。
友達からは「香奈子のお母さんて若くて可愛い」と誉められるけど、本人に言うと調子に乗るので言わないことにしている。
「うん」
「なんでいきなり」
ああ、やっぱりお母さんはめんどくさい。
いちいちツッコミが入るんだもん。
「今朝ジジの夢を見たから、思い出しちゃって」
「ほう」
オッサンかと思うような言い方するんだから。
「んー、若い頃は結構ロクデナシだったと思うよ?」
お母さんが話してくれたジジは、私が知っているジジとはちょっと違っていた。
ジジは中堅の建設会社で働いていて、若い頃は東南アジアを中心に、月の半分は出張に行っていた。
だからお母さんは子どもの頃、たまにしか家にいないジジがあまり好きじゃなかったらしい。
ジジは仕事熱心だったし、病気になるまでは専務だったし、優秀な人だったことは確かなんだけど、いわゆる「飲む・打つ・買う」の「飲む・買う」をする人だった。
愛人を作ったりするわけじゃなかったけど、仕事なのか遊びなのか、日本にいても毎晩のように飲み歩いていて、仲良しの芸者さんやホステスさんがいたり、ババに内緒で性病の治療をしたり(ババにはすぐバレたらしいけど)、結構な遊び人だった。
家にお金を入れないことはないから、ババはお金の苦労をすることはなかったけど、それ以外の面で気苦労があったらしい。
「若い頃は仕事だオンナだって好き勝手した挙句、最後は病気になっちゃったでしょう?ババはジジが老人ホームに入るまで、介護で本当に大変な思いもしたし、可哀想だった。まぁ、私は一人娘だったし、大事に育ててもらったな、って思うけど、やっぱりずっとババを見てきたからね」
お母さんは珍しくしんみりとした口調で言った。
私が覚えているジジは、病気になってからのジジだけ。
ジジはいつも穏やかに少し笑っているような表情をしていた。
ジジを見ると、動物園にいる象を思い出した。
少し悲しそうで、優しそうなところが、なんとなく似ていたから。
それにしても、ウチのお母さんは、よくもまぁ、娘にオンナだ性病だとあけっぴろげに何でも話しちゃうことだ。
ま、今回は助かるけど。
その夜、私は自分の部屋で、昼間お母さんから聞いたジジの若い頃のことを考えた。
ジジって遊び人だったんだなぁ
お母さんが言うには、50歳くらいからのジジは大分いい夫、いいお父さんになったらしいけど。
まぁそれはジジが会社で偉くなったから、出張が減ったことが大きいらしいけど。
それでも接待とかで、やっぱりゴルフやら飲みやらばかりだったみたい。
でも、ちょっとババには話を聞きにくくなった。
だって若い頃のジジがロクデナシだったということは、「ジジの大事なこと」とやらが、ジジの悪事に関係しているかもしれない。
例えば、ジジにはババの知らないアイジンやら隠し子やらがいて、その人たちに絡む話、ってことも考えられるし。
ジジは都合良く病気でボケちゃって、下手すると都合の悪いことは忘れたのかもしれないし。
ユウキに相談しようかと思ったけど、ユウキは土日はバイトがあると言っていた。
居酒屋ってくらいだから、夜はメールも電話も繋がらないだろうし。
とりあえずユウキには次の作戦会議をいつにするか、お伺いのメールを送っておいた。
「えっ、マジで?」
私は夏希と一緒に午前中の講義に出た後、学生食堂でお昼ご飯を食べていた。
私は法学部で、夏希は文学部だけど、一般教養の講義は一緒にとっているものが多い。
夏希は小柄で女の子らしい子だ。
今日着ている服も薄いピンクのアンサンブルにヒラヒラスカートで、見た目の女の子らしさを裏切らず、性格も穏やかで嫌味がない。
高校3年生の時に、志望校が同じという縁で仲良くなったけど、本当に夏希は女の私でさえ、守ってあげたくなるような女の子だ。
その夏希が、「藤井先輩に付き合って欲しいって言われちゃった」と言ったのだ。
藤井先輩は、私と夏希が入ったテニスサークルの3年生だ。
夏希は初日からカッコイイと言っていた。
確かに藤井先輩はおしゃれな感じでカッコイイけど、私の好みではない。
というより、私はどうもサークル自体に馴染めないと感じている。
ゆるーくテニスの練習をして、みんなでゴハン食べたり、コンパしたり、連休には新入生歓迎旅行もあるらしい。
先輩たちの話を聞くと、誰々は前は○○と付き合っていたけど、今は××と付き合っているとか、そんな話ばっかりで。
高校は公立の共学だったから、私にも夏希にも男友達くらいはいるけど、なんかこのサークルは、みんなで楽しむ、というより、カレカノ作りがメインみたいな感じがして。
夏希は初日から藤井先輩カッコイイ、だったから、楽しそうだけど。
その藤井先輩から付き合って欲しいと言われたことは、夏希にとってはいいことだ。
「良かったじゃん!やっぱ夏希は可愛いもん」
私がそう言うと、夏希は嬉しそうに笑った。
うぅ、幸せそうな夏希もカワイイ。
「うん、私もビックリ。まさか先輩から言ってくれるなんて思わなかったから」
「先輩、今は彼女いないって言ってたから、タイミング良かったんだよ。いいなぁ、夏希はモテるから」
「香奈ちゃんだって、ユウキくんといい感じじゃない?」
夏希に言われて、私はすすっていたラーメンを吹きそうになった。
「やめて〜、ユウキはそういうんじゃないって」
「そうなの?仲が良くて羨ましいなーって思ってたんだよ」
「ユウキが聞いたら怒るから」
私は夏希の言葉を笑い飛ばした。
夏希には早めにユウキを紹介しておいた。
夏希は今のところ一番行動を共にすることが多いから、その夏希に誤解されないようにしておけば、ひとまず安心。
「あ、噂をすれば」
夏希が手を振った視線の先に、ユウキがいた。
「よー」
「ユウキくん、こんにちは」
「お、夏希ちゃん」
おいおい、私は初対面から呼び捨てで、夏希は「ちゃん」かい。
まぁ、夏希が相手では仕方ない。
「ユウキ、今日もバイト?」
ユウキは日替わりランチを取ってきて、私の隣に座った。
「うん、6時から」
「お、じゃあ作戦会議しよう」
「作戦会議?」
夏希がニコニコと聞く。
「そうそう、ゲームの。こいつ、なかなかレベル上がんないから」
ユウキがしれっと言う。
まぁ、私がボスキャラとのバトルに失敗したのは確かなんだけど。
「あ、講義が始まっちゃう。香奈ちゃんは終わり?」
夏希は食堂の時計を見ながら言った。
「うん、午後はサボってもいいやつだから」
「じゃあね、香奈ちゃん。ユウキくんもバイト頑張ってね」
夏希はそう言って、バッグを持つと、学生食堂から出て行った。
「夏希ちゃん、可愛いよな」
ユウキは夏希がいなくなると私にそう言った。
「可愛いよ〜。私が男だったら、彼女にしたい」
「そうか?俺はまた違うな。なんつーの?耳が垂れてるネコ」
「スコティッシュフォールド?」
「そーそーそれ!おーよしよし、お前は可愛いなーってウニウニしたい感じ」
「なんつー例え。なんかやらし〜」
私は呆れて紙パックのカフェオレをじゅるじゅると吸った。
ユウキとは何度か「作戦会議」を2人でしたけど、いつも途中からアホな話で盛り上がったり、ゲームやカラオケに熱中したりで、なかなか話が進まない。
この間聞いたお母さんの話も、前に会った時にユウキに話したんだけど、なかなか次に何をすれば良いか思いつかなかった。
大体ジジもいい加減だ。
私がユウキにジジの「ロクデナシ」ぶりを話した時も、ジジが言うには「えー、そうだったかなぁ?」とか、「早月は大げさに言ってるんだよ」とか、のらりくらりだったらしい。
なんていうか、ボケてからのジジしか知らない私は、勝手にジジは優しくて穏やかな人というイメージを作り上げていたけど、なかなかどうして、適当な人だということが解ってきた。
なんか、大事なことも都合の悪いことも、色々忘れてるし。
これじゃ、ババも苦労するハズだ。ますますジジのことなんて聞けやしない。
「ねー、ユウキ」
「んー?」
ユウキは日替わりランチの肉団子を口に入れたので、もごもごしながら返事した。
「ジジのことだけどさ、初っ端から手詰まりだよね、これじゃ」
「まぁな」
「こういう時はどうしたらいいのかな」
「殺人事件の捜査なら現場百回だな」
「なんだ、そりゃ」
ユウキはミステリーを結構読むと言っていたから、そっちの発想になるらしい。
「基本に戻るってことだ」
ユウキは1個の肉団子で丼に入ったゴハンの3分の1くらいをかきこむ。さすが男の子。
「ジジの基本ってなんだろ?」
「まぁ普通に考えたら、親はどんな人かとか、小さい頃はどんな子どもだったかとか、ってなるよな」
「有名な人なら、図書館に行けば自叙伝とかあるのにね。ジジじゃ無理だ」
私は自分で図書館と言ったところで、ちょっと思いついた。
一応記録はあるじゃない?
私はユウキと別れて、1人で市役所に向かった。
おじいちゃんの戸籍謄本を見てみようと思ったのだ。
一度家に帰ってから、自転車で15分で市役所に着いた。
よくわからないので、とりあえず私の戸籍謄本を取ってみた。申請の理由の欄には「学校で使用」。適当に書いたけど、窓口の人にはなんにも言われなかった。学生証か健康保険証を見せてとは言われたけど。ハンコは100均で買っておいた。
筆頭者はお父さん。
上から順番に見てみる。
まずはお父さん。
お父さんの父母、つまりおじいちゃんとおばあちゃんの名前とか、生まれた日とか場所が書いてある。
で、その下がお母さん。
ジジの名前はお母さんである早月さんの父親として書いてある。
…と、そこで気がつく。
お母さんの母親の欄。
「…誰これ?」
ババの名前じゃない。
父 内村一雄
母 鈴木美沙
「え?え?」
私は市役所のロビーにある椅子に座って、穴が空くほど戸籍謄本を見た。
認知という項目があって、内村一雄さんがいつ早月さんを認知したかとか書かれている。
認知、って、結婚してなくて生まれた子にするやつ、くらいは知ってるけど…
そのまま下の方も見てみる。
養母 内村怜子
続柄 養女
アタマが混乱した。
どういうこと!?
☆☆☆☆☆
「見たんだ、戸籍謄本」
お母さんは、あまりいつもと変わらない調子でそう言った。
私は市役所で戸籍謄本を見てから大混乱を起こし、一度家に帰ろうとしたけど、家にいるであろうババにどんな顔をして会えばいいかわからなくなって、そのままお母さんの会社の近くにあるファミレスに行った。
とりあえず、お母さんに話を聞こうと思った。
お母さんはまだ仕事中だったから、「相談があるから○○で待ってる」とメールをしたら、「りょーかーい♡」と能天気なメールが返って来た。
そして5時まで仕事したお母さんがファミレスに来たので、とりあえず戸籍謄本を見せたのだ。
「香奈がハタチになったら話そうと思ってたんだけどさ。まぁ香奈も大学生になったことだし、自分のことくらい知りたいよね」
お母さんは少し真面目な表情になった。
「自分のことっていうかさ、だってこんなこと知らなかったし。何がどうなってるのかさっぱりわからなくて」
私がテーブルの上に置いた戸籍謄本のお母さんの父母の欄の欄を指差すと、お母さんは「え?」と言った。
「あ、香奈が言ってるの、そっち?」
お母さんは一瞬「しまった」という顔をした。
「『そっち』って、それ以外に何かある?」
私が言うと、お母さんは戸籍謄本を手に取って、少し考え込んだ。
「んー、そうか、こっち見て…でも…」
お母さんはブツブツ言っていたが、コーヒーを飲み干すと、「よし」と気合を入れるように私を見た。
「戸籍謄本がここにある以上、全部話すしかないな。香奈にはショックが大きいと思うから、ちょっと心の準備をしてくれる?」
「わかった。大丈夫」
入学早々、ユウキと繋がったジジの登場で驚いたばかりだし。
「じゃあ、順番からいったら、ここからだよね」
お母さんは戸籍謄本をテーブルに置くと、自分の欄を指差した。
☆☆☆☆☆
事実としては、ここに書いてあることが全てだよ。
お母さんの実の母親は、この鈴木美沙っていう人。で、父親は内村一雄、香奈のジジだよね。
ジジはババと結婚した頃、こないだ香奈に話した通り、女癖の悪い人だったの。
この鈴木美沙さんは、その頃ジジと付き合ってた人。
鈴木美沙さんは元は高級クラブのホステスさんで、そこのお客さんの愛人だったのね。で、その愛人さんはまぁ結構なお金持ちで、美沙さんに自分のお店、スナックだけど、持たせてあげたの。
ただ、その愛人さんは美沙さんよりかなり年上だったから、ジジが美沙さんと知り合った頃にはもう亡くなっていたの。
ジジとババには子どもができなかった。ババが可哀想だからあまり詳しくは話せないけど、ババは赤ちゃんが産めない体だったの。
なのに、美沙さんは妊娠して、生まれたのがお母さん。
ジジはその時、お母さんを認知したわけ。
認知っていうのは、結婚してない人たちの間に子どもが生まれた時に、父親がその子の父親は誰か、って認めることね。
その時点ではジジはババに認知のこと、内緒にしてた。
戸籍謄本とればバレちゃうんだけどね、バレるまでは内緒にしとこうと思ったみたい。
美沙さんていう人は、1人で育てるつもりだったらしいけどね。
ずっと水商売で生きてきた人だったし、亡くなった愛人さんって人から財産ももらってたみたいだから。
ところが妊娠した時点で、美沙さんはガンだとわかったの。
でも、美沙さんは治療するより、お母さんを産むと決めた。中絶して手術すれば、もう少し長く生きられたかもしれないんだけどね。
その辺の美沙さんの気持ちは、お母さんにもよくわからない。
ただ、そこで美沙さんが産むと決めたから、今のお母さんがいるんだけどね。
ジジが美沙さんの病気を知ったのは、お母さんが生まれた後。
美沙さんは病気の進行が早くて、育児に耐えられなくなってた。
そこで初めてジジは、ババに美沙さんとお母さんのことを打ち明けたの。
ジジはババに土下座したんだって。
要はよその女の人に産ませた子を、その人がガンで長く生きられないから、引き取りたいって。
その時にジジとババがどんな話をしたのかは、お母さんにはわからない。
ただ、ババが苦しんだんだってことは想像できるよね。
とにかくババは、お母さんを自分の娘として引き取ってくれた。
まだお母さんが2歳になってない頃だね。
美沙さんは、お母さんを手放した後、半年くらいして亡くなったんだって。
お母さんは美沙さんのことも、ババに引き取られたことも覚えてないし、小さい頃はずっとババが本当の母親だって思ってた。
でも、美沙さんの13回忌、お母さんが中学生の時なんだけど、その命日の日に、本当のことを教えてくれたの。
まぁショックだったよね。
ただの養女ならともかく、愛人の子だからさ。
でもね、ババは事実だけを教えてくれたの。「早月には知る権利があるから」って。心の準備がない時に知るよりも、ちゃんとババが受け止めてあげられる時に教えてあげたかったって。
ババは美沙さんのこと、憎まなかったとは言えない、って言ってた。
でも、ジジから初めてお母さんのことを聞いてお母さんに会った時に、美沙さんを許そうと思ったんだって。
ジジのことは許せなくても、まだ2歳にもならない子どもを置いて死ななくちゃいけないこととか、一番可愛い盛りの子どもをよりにもよって好きな人の奥さんに託すしかなかったこととか、いろいろ考えたら、美沙さんを憎むことができなかったんだって。
「早月が私を見て笑ってくれたのよ」
ってババは言ってた。
☆☆☆☆☆
なんて言ったらいいか、わからなかった。
でも、お母さんはやっぱりいつもと変わらなかった。
「お母さん、平気なの?」
「うーん、平気じゃなかったよね。でも、実の母親はとっくに亡くなってるし、ババが本当の母親じゃないって聞いても、やっぱりお母さんのお母さんはババしかいないし。ババが辛かったことは、中学生でもわかることだったし。マンガならグレてるとこなんだろうけど、ババはこの話をした後もまったく変わらなかったから、お母さんも普通にできたのかも。その分、ジジとは3年くらい口きかなかったよ」
「まぁ一番悪いのはジジだよね」
「そう。お母さんがババに引き取られた後も、ジジは出張だ接待だって家にいなかったらしいし。ただ、お母さんが本当のことを知ってからは多少良くなったかな。まぁ出世したから現場に出る機会が減ったんだけどね」
「ふーん」
「お母さんが本当にジジを許せるようになったのは、ジジが病気になってからかも。オシャレで仕事もバリバリで、いかにもデキるって感じにスーツ着こなしてたジジが、段々ボケて弱って行くのを見てたら、可哀想になったから。病気になるまでは、お母さんに対しては、なんか不器用でね。お母さんのことはジジなりに可愛かったみたいだけど、物を買ってくれるぐらいしか表現できない人だった」
「ふーん」
なんか、ふーん、としか言えない。
まさかこんな話がでてくるなんて。
ジジはこんな大事なことも忘れてるのかな?
「驚かせて悪いけど、話はまだ終わりじゃないんだよ」
お母さんはそう言って二枚になってる戸籍謄本をめくった。
「ここ見て」
お母さんが指差したのは、私の欄だった。
そういえば戸籍謄本、お母さんの欄ばかり見て、自分のところなんて気にしてなかった。
父 内村健介
母 内村早月
続柄 長女
これのどこに問題があるの?
お母さんは黙ってその下を指差した。
そこにはこんな風に書いてあった。
「民法817条の2による裁判確定日 平成××年○月○日」
「……なに?これ?」
「うん。簡単に言うと、香奈は養女ってことになる」
「養女って書いてない」
「特別養子縁組って言って、まぁ色々条件があるんだけど、簡単に言えば、事情があって小さい子を育てられない人がいて、子どもが欲しい夫婦がいて、それを裁判所が認めたら、その子は実の親とは法律上の縁が切れて、養子縁組した親と法律上は実の子と変わらなくなる制度があるの。香奈はそれでウチの子になった」
「……嘘」
お母さんの次は、私?
「これ以上は隠しても仕方ないからね。香奈の実のお母さんは婚約者を交通事故で亡くしたの。香奈がお腹にいるってわかったのは、事故の後だったみたい。細かい事情まではわからないけど、結局香奈の実のお母さんは、香奈を産んで、養子に出す道を選んだの。本当なら好きな人と一緒に育てるはずだった香奈を、赤ちゃんが欲しい夫婦に育ててもらう方が、香奈にとって幸せだと考えたんだと思うけど」
お母さんは私から目を逸らさずに話している。
「お母さんは生まれつき子どもができないの。ババとは少し違う理由だけど。それは、健介と結婚する時にはもうわかってた。健介はそれでもいいから結婚しようって言ってくれた。もちろん、さっき話した事情まで全部知ってる。で、2人で話し合って、養子をもらうって決めたの。それで、香奈とお母さんと健介は親子になった」
「ちょっと、待って」
私はいつの間にかテーブルの上で両手を固く握り締めていた。
「お母さんとババは、血が繋がってないんだよね」
「そうだね」
「私は、お父さんともお母さんとも、血が繋がってないんだよね」
「うん」
「ババとも」
「うん」
「じゃあ、ウチの家族は、誰も血が繋がってない家族なの?」
ババ。お父さん。お母さん。私。
みんな、他人だった。
「そうだけど、それで何か問題がある?」
お母さんはサラリと言った。
「お母さんとババは親子だし、お母さんとお父さんと香奈も親子でしょ。ババは香奈のおばあちゃんでしょ。血の繋がりって関係ある?」
「関係…」
「例えさ、血が繋がってて一緒に暮らしてても違う人間だし、血が繋がってても、ずっと一緒に暮らしてなければ他人より遠いよね。香奈は赤ちゃんの時からお父さんとお母さんの娘で、ババの孫で、18年生きてきたでしょ。それでいいじゃない?」
それはそうなんだけど。
「あ、香奈、実のお母さんに会いたいの?」
「………わかんない」
「まぁ、調べれば香奈の実のお母さんが今どこでどうしてるかはわかると思う」
「わかんない」
「混乱するよね。当たり前だよ」
「………今日、ともだちんちに泊まる」
「了解」
お母さんは、最初から最後まで、いつもと変わらなかった。
アタマの中はぐちゃぐちゃだったけど、そのことだけ「すげぇ」とチラッと思った。
☆☆☆☆☆
「今日泊めて!」
24時間営業のマックで、私がそう言うと、ユウキはあんぐりと口を開けた。
私はお母さんと別れた後、一度家に帰り、着替えなんかを適当にバッグに詰めた。幸いババは買い物か散歩に出ていたみたいだ。
夏希、高校時代の友達、幼馴染、誰に泊めてもらおうか色々考えてみたけど、大体今の精神状態でいつもと同じテンションではいられない。
で、思いついたのがユウキ。
ユウキがバイトしている居酒屋はそんなに遠くなかった。
とりあえずユウキには「バイトが終わったらメールして」とメールしておいて、ユウキから連絡が来るまでマンガ喫茶で時間を潰した。
深夜0時を過ぎた頃にユウキからメールが来たから、マックで落ち合った。
ユウキは私のおごりでビッグマックを食べようとしていたんだけど、ビッグマックのサイズに口を開けたまま、5秒くらい固まっていた。
「お前、なんかあったの」
ユウキはビッグマックを一度ケースに戻して、アイスコーヒーを飲んだ。
「あった!でも話がごちゃごちゃしてて、簡単に説明できない!だからユウキんちに泊めて!」
私はユウキの顔を見たら急にお腹が空いてきて、ユウキの前にあるポテトを失敬して4、5本口に入れた。
「あのさ、俺は男なの。カナコは一応女だろ」
「一応はいらない」
「普通は友達でも男の1人暮らしのとこには泊まらないの。泊まるってことは、色々やっちゃっていいってこと?」
「ジジの監視つきで?」
私が自分用に買ったアイスティーを飲みながら言うと、ユウキは「ぐ」と、うなった。
そう。ユウキにはジジがシンクロしてる。
だからユウキは彼女のひとりも作れないとぼやいてたんだし。
なんて安全な男友達。
それにユウキと私は今のとこ共同調査中。
事情を説明して理解してもらうのも簡単。
相談に乗ってもらい、泊めてもらうには、ベストチョイスだった。
「さ、早く食べて行こう。終電なくなっちゃうよ」
私がポテトをまた4、5本つまむと、ユウキはなんともいえない情けない顔をしてビッグマックにかぶりついた。
最終電車にギリギリ間に合って、ユウキの住む街の駅で降りた。
わざとらしくため息をつきながら歩くユウキを引っ張るようにして、ユウキのアパートに向かった。
途中のコンビニでオヤツとか飲み物、食料を買い込んだ。
「まぁ入れよ」
「お邪魔しまーす」
ユウキのアパートはいかにも学生向けの、ロフト付きのワンルームだった。
「キレイにしてるじゃん」
「物がないからな」
小さいテーブルの前で向かい合って座ると、私は今日知ったことをユウキに話した。
最初は私がいることが居心地悪いのか、なんとなく落ち着かない雰囲気だったユウキが、私の話が進むにつれて、だんだん真面目な表情に変わっていった。
話し終わる頃には、真面目を通り越して、怒ったような顔に変わっていた。
「ユウキ、なに怒ってるの?」
「……ジジイ」
「ジジ?」
「まったくよ…」
ユウキは大きな声で言いかけて、深夜だという事に気がついたのか、声を小さくして続けた。
「ジジイは何やってんだよ。自分の若い頃の不始末くらい覚えてんだろ?何が『大事なことを忘れた』だよ。カナコを巻き込んだら、こうやって色んな隠し事が出てくることくらい、想像がつくじゃねぇか。生きてる頃は真っ当に会社で働いてたんだろ?部下だっていたんだろ?ばあさんはカナコのお袋さんを大事に育てて、カナコのお袋さんと親父さんもカナコを大事に育ててきたんだろ?みんなきっとカナコが傷付かないようにって、すんげぇ考えてきたんだと思うよ。それがジジイ1人のワガママのせいでぶち壊しじゃねぇか」
ユウキは缶入りのコーヒーを飲み干すと、その缶を握りつぶした。
アルミ缶じゃなくて、かったいスチール缶のやつを。
「ユ、ユウキ」
私はユウキの迫力に圧倒されて、上体が引き気味になった。
「ジジイ、聞いてんだろ。何とか言えよ」
ユウキの目が怖い。
するといきなりフッと目つきが普段のユウキに戻った。
「ジジイ、隠れた」
「隠れた?」
「なんか、こう、壁の陰に隠れたみたいな感じがする。返事よこさねぇ」
ホント、死んでものらりくらりなのかな、ジジは。
>> 28
私は小さい折りたたみテーブルの上でかっぱえびせんの袋をパーティー開けして、ぽりぽりとかっぱえびせんをかじった。
ユウキはプシュッといい音をさせてペットボトルのコーラを開けて飲んだ。
「でもさ、カナコのお袋さんが言った通りなんじゃねぇの?」
「え?何が?」
「血の繋がりがなくて、何が問題かってこと」
「理屈ではわかるんだけどさ、やっぱりショックだよ」
ユウキもかっぱえびせんを口に放り込んだ。
「俺んちさ、お袋しかいないって言ったろ?」
「うん」
「親父はさ、俺が小学校に入った年に蒸発したんだ。女作って逃げた」
「ひどい」
「そう、ロクなヤツじゃねぇ。置き土産は借金だしな。後から離婚届だけ送ってきやがった」
「…最低だね」
「血が繋がってたって、そんなだぜ?」
私はうなずくしかない。
「まぁさ、いきなり色々知ったからカナコも混乱するのは仕方ないけどな」
「やっぱりユウキ、だてに苦労してないね。説得力がある」
「っていうかさ、ウチのお袋もそうだけど、カナコんちのばあさんやお袋さんも、なんつーか強いよな。男がロクデナシでも、へこたれないっつうか」
「そうだね」
「カナコも一応女なんだろ?そんでその強いばあさんやお袋さんに育ててもらったんだろ?だからカナコも強くなるんじゃねぇの?」
「強く、かぁ」
ユウキは普段自分が寝ているロフトを私に譲ってくれて、自分は脚のないソファーを平らにして寝ると言った。
シャワーを交替で使って、寝床に入ったのは深夜の2時を過ぎていた。
私は初めてのロフトでちょっと楽しい気分だった。
「ねー、ユウキ」
ロフトの低い柵から頭を出すと、ちょうど真下にユウキが寝ているのが見えた。
「あー?」
「ユウキって彼女いないの?」
「今はな」
「今は、ってことは、長野にはいたの?」
「まぁな」
「なんで別れちゃったの?」
ユウキが頭をかくのが見えた。
「………誕生日、忘れた」
「彼女の?」
「そう。2年付き合ってたんだけどな、それでフラれた」
「それは怒るかもね」
「そんな怒るもん?」
「さぁ」
「さぁ、って、カナコは彼氏いたことないのかよ」
私に矛先が向いてしまった。
「うーん。いたっていえば、いたんだけど。フラれた」
ユウキはさっきのカタキをとるようにニヤニヤしながら「なんで?」と聞いてきた。
「ケンカした時に、つい、本気出しちゃって」
「本気?」
「うん。彼氏が怒って手を出してきたんだよね。つい、反撃しちゃって」
「反撃?カナコが反撃したって、たかが知れてるだろ?」
私はユウキの頭の上でふるふると頭を横に振った。
「私ね、黒帯なんだ。極真の」
ユウキはガバっと起き上がった。
「極真空手?」
「そう。素人相手に使っちゃいけないんだけどね」
「………正真正銘、つえぇのか………」
☆☆☆☆☆
目が覚めたら朝の8時前だった。
寝たのは遅かったけど、よく眠れたみたいで、結構スッキリした。
ロフトから下をのぞくと、ユウキが変なポーズで眠っている。
ハシゴを下りて、ユウキの横でしゃがみこむ。
お。メガネをかけていない。
メガネかてる時の方がワイルドに見えるのはなんでなんだろう。
「おはよ~」
私が言うと、ユウキはギョっとしたように目を見開いた。
「うわっ……あ、そうか。カナコいたんだっけ」
「いるよぅ~」
私は持ってきたタオルを持ってバスルームに行き、顔を洗った。
「朝ごはん作ろうか」
「え、マジ?カナコ作れんの?」
「食材によるけど。冷蔵庫見ていい?」
「いいよ」
小さな冷蔵庫を開けると、卵と牛乳とマーガリンがあった。冷蔵庫の上には6枚切の食パン。
1口のガスコンロにはフライパンもある。
シンク下を見ると、何かの瓶にお箸やフォークが立っていて、お皿やコップが少し。小ぶりな包丁とまな板。あとはコーヒーと袋に入ったままの上白糖。
深めのカレー皿があったので、それを借りて卵とお砂糖と牛乳を混ぜ、それに食パンを浸す。食パンはうまく浸るように1枚を4等分。
フライパンを熱して、マーガリンが焦げる前に卵液に浸した食パンをイン。
フライパンが新しいから、お箸で簡単にひっくり返せる。
キツネ色より少し焦げてる方が私は好き。外側はカリッ、中はフワフワ。
「すげぇ」
テーブルにカフェオレとフレンチトーストを並べると、思った以上にユウキが感激してくれた。
「あちっ、うめぇ」
あぁ、一切れをそのまま口に放り込むからだよ。
私も食べてみる。うん、美味しい。
「すげぇな、カナコ。料理するんだな」
「うん、ババもお母さんも色々教えてくれるから」
「俺にも教えてくれ。基本自炊だから」
ユウキに言われて私は少し考えた。
「料理教えてあげるから、あと2、3日いてもいい?」
ユウキはとたんにイヤーな顔をした。
「帰れよ」
「えー、麻婆豆腐作ってあげようと思ったのにな~」
結局、ユウキは麻婆豆腐の誘惑に負けた。
ユウキも私も出席しないといけない講義があるので、一緒にユウキのアパートを出た。
ユウキのアパートから駅までは歩いて15分。
ユウキのアパートのそばには大きな川があって、土手の上にある遊歩道を歩いた。
今日も天気がいい。
川は穏やかで、浅いところにシラサギがいるのが見える。
なんていうかのどかで、昨日の色んな出来事が夢みたいに思えてくる。
「ジジ、まだ隠れてる?」
「みたいだな」
「ユウキはまだ怒ってる?」
「ああ。ウチの腐れ親父みたいなヤツは許せない」
「だよねぇ」
のらりくらりのジジは、ユウキの怒りが治まるまで隠れてるつもりなのかな?
困ったもんだ。
「ユウキが泊めてくれて助かったよ。お母さんとかババとどんな顔して会えばいいかわかんないもん」
「連絡しとけよな」
「したよ。ともだちんちにあと2、3日いるって」
「ともだちが男だって判ったら引っくり返るぞ」
「言わないもーん」
私は気分良くそう言ったけど、ユウキはお腹でも痛いみたいな顔をした。
「誰かに知られたら、問答無用で誤解されるよな。そうなったらどうしてくれるんだよ」
「私だって困るよぅ。これから彼氏作ろうっていうのに」
「じいさんのことが解決するまで、カナコだけ彼氏作ろうなんてムシのいいこと考えるなよな。ちゃんとじいさんには成仏してもらわねぇと」
「わかってますよ~」
そうなんだ。
ウチの秘密がこんなにボロボロ出てきたからには、ジジの言う「大事なこと」がどんなヤバイことか想像もつかなくなったし、調べること自体、難しくなったんだ。
何しろ、もうババにもお母さんにも直接何かを聞くのは、私自身できないと思うんだから。
結局私はユウキのアパートに4泊した。
ユウキと一緒に100均へ行って、少し調理道具と食器を買い足した。
迷惑かけてるから、それは私からのプレゼントということで。
麻婆豆腐、スパゲティのナポリタン、肉じゃが。
この3つをユウキがいる時に一緒に作った。
ユウキが一番喜んだのは最後に作った肉じゃがだった。
アレンジを教えてあげたから。
初日は鍋いっぱいに肉じゃがを作って、次の日はそれにカレーのルーを入れてカレーに、その次の日はカレーの残りでカレーうどん。
ついでにお肉や魚は割安な大きいパックで買って、ゴハンはまとめて炊いて、小分けにして冷凍することも教えてあげた。
「カナコ、そろそろ家に帰れよ」
肉じゃがを食べている時にユウキが言った。
ジジのことはなんにも進展していないし、私自身のことも整理がつかないままだったけど、とりあえず気持ちは落ち着いてきていたから、私もそろそろ家に帰らないといけないなと思ってはいた。
「そうだね。ずっとここにいても仕方ないもんね」
「っていうかさ」
ユウキは小さな炊飯器から2杯目のゴハンをよそいながら言った。
「カナコの料理、ウマいよ。そんで思ったんだけどさ、カナコは料理をお袋さんとかばあさんから教わったんだろ?ダシの取り方から、野菜の切り方まで、ばあさんがお袋さんに教えて、お袋さんとばあさんがカナコに教えてさ」
私はジャガイモを頬張りながら、ユウキの言葉も噛みしめた。
「うまく言えないけどさ、もう、いいんじゃねぇ?」
ユウキが何を言いたいのか、わかったから、私はうなずいた。
「うん、帰る」
「うん、帰れ」
なんだかなぁ。
ユウキと一緒にいると、居心地いいなぁ、って思った。
兄弟って、こんな感じなのかなぁって。
「ここは居心地がいいから、また来ようっと」
「食材持参で来いよな」
私はゴハンを噛みながらうなずいた。
「そうだ、バイト探さなくちゃ」
「働け働け」
「ねー、ユウキ。私さー、サークル辞めようかと思うんだ」
「そうだな、カナコにはあの手のノリは向かないかもな」
「そうなんだよね。ちっとも楽しくないのにお金ばっかりかかるんだ。夏希には悪いけど、辞めちゃおう。まぁ、夏希は藤井先輩と付き合ってるし」
「夏希ちゃん、もう彼氏できたん?」
「見初められたんだよぅ」
ユウキが居酒屋のバイトに出る時間に、私も荷物を全部持って一緒にアパートを出た。
すっかり馴染みになった土手の上の道を、ユウキと並んで歩いた。
「ジジ、何も言ってこない?」
「最近だんまりだな」
「ジジ、ユウキには私がとりなしてあげるから、出てきなよ」
私がユウキに向かってそう言うと、ユウキはメガネの奥で左目をしかめた。
「………申し訳ない、だってよ」
そう言うしかないだろうな。
仕方のないジジ。
でもやっぱり憎めないのは、どうしてなのかな。
駅に着いて、ユウキと一緒に電車に乗った。
ユウキのバイト先のある駅でユウキが降りる時に、私はユウキに「こうして」と自分の右腕を自分の顔の前に上げた。
ユウキは「?」って感じで同じように腕を上げてくれたので、私は自分の腕がユウキの腕とクロスするようにぶつけた。
「~~~~~っいぃっ~~てぇ」
手加減が足りなかったみたいだ。
「気合入れたんだよ!ユウキ、バイト頑張ってね!」
ユウキは「有段者なんだから手加減しろよ」とぶつぶつ言いながら電車を降りて、それでも電車の中の私に向かってガッツポーズをしてくれた。
頑張らなくちゃいけないのは、私なんだな、って思った。
☆☆☆☆☆
私は家に帰った。
想像はしてたけど、「おかえり、香奈ちゃん」と出迎えてくれたババも、「ただいま~お腹すいた~」と仕事から帰ってきたお母さんも、呆れるほどいつもと変わらなかった。
ただ、いつもなら「構って構って」のウルサイお母さんが、誰のウチに4泊もしてきたのか聞かないところは、一応気を遣ってるんだな、と感じたけど。
まさか「ユウキっていう最近仲良くなった男の子のアパートに泊まってた」とは言えないから、非常に助かった。うん。
ババとお母さんと一緒に晩御飯の支度をした。
メニューが私の好物ではなく、お母さんの大好物の餃子を作ってしまうところが、さすがというか。
私が色んなことを知ったということを、ババが聞いているかどうかはわからない。
多分、聞いてるんだろうなとは思う。
でも、そのことをババから何か言ってくることはないんだろうと思う。
きっと、ババはお母さんのことを信用してるから。
私は餃子の餡を丁寧に皮で包みながら、私もババとお母さんから信用されてるんだということは、なんとなく解った。
私がそんなことを考えながら、無意識に手についた餃子の餡をピッピッと振り払ったら、お母さんの眉間に飛んで、お母さんから頭を肘で小突かれた。
☆☆☆☆☆
>>相談したいことがあるんだけど
夏希からLINEで連絡が来たのは、私がプチ家出から半月後だった。
夏希とはプチ家出の間も大学では一緒にいる時間は結構あった。
何回かお昼も一緒に食べたし。
私はサークルを辞めると夏希に伝えた。
夏希は残念がっていたけど、多分夏希から見ても私があのサークルには馴染んでないことは分っていたみたいで、強くは引き止められなかった。
一応、サークルの部長にはメールで辞めると連絡して、私はアルバイトを始めた。
ユウキがバイトしている居酒屋のある駅前のコーヒーショップで募集が出ていたので、応募したらすぐに採用してもらえた。
まぁ、ユウキが募集を教えてくれたんだけど、私がそこで働きたいと思ったのは、単にバリスタ風の制服がカッコイイと思ったからだった。
私はファミレスやファーストフードの女性店員向けの可愛い制服を着たいとは思えないタチらしい。
まぁ、そんな感じで、土日や、午後の空いた時間から夜の9時くらいまで、だいたい週に4、5日でバイトすることになった。
一方の夏希は、藤井先輩とラブラブだった。
夏希も藤井先輩も自宅通学だ。
夏希は大工さんの娘だ。
ただ、大工さんと言うのは夏希の言い方で、実際は工務店という形で株式会社にしている社長さんである。会社には職人さんもいるし、設計士さんもいる。
それでも夏希のお父さんが言うには、お父さんは親方なんだそうだ。
私が夏希と一緒にいる時に、何回か藤井先輩とも一緒になった。
藤井先輩はいつもオシャレだった。
着ている物も持ち物も、さりげないけどブランド品が多かったし、雰囲気も柔らかくて、私に対しても優しい。
夏希に聞いたら、藤井先輩は中学からこの大学の付属校で、外見どおり、育ちの良い好青年という感じだった。
夏希はほんわかした美少女だし、誰から見てもお似合いの2人だった。
夏希と藤井先輩はしょっちゅう一緒にいるようになったけど、夏希が言うにはまだキスもしていないらしい。
だから夏希からの「相談したいこと」は、「いよいよソッチ系の予感?」なんて思ってドキドキしてしまう。
LINEが来たのは夜だったんだけど、夏希は翌朝の9時から会いたいと言ってきた。その時間だと、夏希も私も講義をさぼらなくちゃいけない。
緊急で、LINEや電話ではできない重大な話なのかもしれない。
翌朝、夏希と待ち合わせた大学の最寄り駅の改札口に9時5分前に行くと、夏希は先に来ていた。
「……………夏希、ちゃん?」
私が一瞬おびえるほど、夏希の表情は恐ろしかった。
テレビで見たことのある、般若のお面。
あんな感じだった。
夏希が人のいない場所で話したいと言うので、駅前のカラオケボックスに行った。
部屋に入って座っても、夏希は般若のままで無言なので、私はドリンクコーナーで夏希の好きなココアを取ってきたり、BGM代わりに夏希の好きなミスチルを入れてみたり(もちろん歌うような空気じゃないけど)した。
「どうしちゃったの?藤井先輩とケンカでもした?」
私は自分用に取ってきたカフェオレを飲みながら言った。
「ケンカどころじゃない」
般若が地獄の魔王みたいになった。
本当に怖い。
夏希はいつもの口調から2オクターブは低いんじゃないかと思うような声で話し始めた。
☆☆☆☆☆
夏希の話はこうだった。
藤井先輩の家は資産家らしくて、私でも知っている大きな会社の経営者一族なんだそうだ。
正真正銘のお坊ちゃまということになる。
ところが、藤井先輩と言うのはなかなかどうして、上昇志向の強い人らしい。
藤井先輩は高校生の頃からいつか起業しようと考えて、株式投資を始めてそこそこ儲けを出してきた。
で、更に儲けを出そうと、今度はFXに手を出したらしい。
最初はそこそこプラスも出て、それを元手に投資額を増やしていったら、ある時ガツンと損を出したらしい。
今までの儲けを全部持っていかれた上に、それ以上のお金が必要になった。
そこで、藤井先輩は家のお金に手をつけた。
お母さん名義のお父さんの会社の保有株式を売った。
また儲けを出して買い戻せばいいや、ということで。
その上、サイドビジネスを始めた。
いわゆるマルチ商法ってやつだ。
商品を買って、新規会員を勧誘して、商品を売って、セミナーやら行って。
「うわぁ~バカだ」
そこまで聞いて、私はそう言った。
大学に入ったばかりで、世間知らずの私でさえ、FXやらマルチやらの危なさは知ってるのに、実際にそこまでドツボにハマる人間がいるなんて。
で、つい本音が出てしまって、仮にも夏希の彼氏をバカ呼ばわりして「マズイ」と思ったんだけど、夏希は動じない。
それどころか、「バカでしょ」と鼻で笑った。
相変わらず地獄の魔王のままだし。怖い。
「ホント、バカだけど、ここで腹くくって、お父さんに謝って、株を買い戻してマルチから足を洗えば、たいした被害じゃないのに。資産家なんだし」
な、夏希ちゃん
いつものほんわか柔らかな夏希はどこへ?
「それで?」
私はこわごわしながら夏希に先を促した。
「そしたら藤井先輩、私にお金貸してくれって言い出したの。100万、いや50万、10万でも良いからって。マルチの方で知り合った人から、絶対に大化けする株の情報を聞いたとか言って。利息つけて返すからだって」
「まさか、貸したの」
夏希は地獄の魔王から今度は大魔王みたいになった。
「貸すわけないでしょ。どこからどう見ても胡散臭いばっかり」
「だよね。うわぁ、悪いけど先輩ってホントにカスだね」
「そう。彼女にお金借りようなんていうカス。でもそれだけだったらまだマシ」
「え、まだあるの?」
「最初からウチのお父さんが会社やってるの目当てで、私と付き合いたいって思ってたみたいなの。大会社じゃなくて小さい会社でしょ?私が小金くすねてこられると思ったみたい」
それはヒドイ。
学生なのに、そんな魂胆で近づいて来るなんて。
「冗談じゃないわ。ウチのお父さん、職人なのよ。自分で現場に出て、自分で家建てて。資金繰りして、会社で働いてくれてる人たちにお給料払って。マネーゲームで大火傷するようなヤツに利用されるような人間じゃないの」
そうか。
夏希はお金目当てで近づいて来られたことに怒ってるんじゃないんだ。
真面目に働いているお父さんのことを利用しようとしたことに怒ってるんだ。
そして、彼氏のためならお家のお金をくすねてくるような女の子だと思われたことに怒ってるんだ。
普段の可愛くて優しい夏希から地獄の大魔王に変わるほどに。
というより、これが本当の夏希なのかもしれない。
うぅ、普段おとなしい人が本気で怒ると怖いって、本当なんだな。
でも、こんな夏希も嫌いじゃないかも。
やっぱり、彼氏に利用されちゃうような弱い女の子より、強い方がいいと思う。
「別れちゃいなよ。愛想がつきたんでしょ?」
「ただじゃ別れない。ここまでバカにされて、一泡ふかせてやらないと」
あぁ、夏希の顔が、とうとう究極まで凶悪になってしまった。
「もしかして、私に藤井先輩を痛めつけて欲しいとか?」
夏希は私が極真の黒帯だということを知っている。
「やだ、それじゃ香奈ちゃんが犯罪者になっちゃうじゃない」
夏希はパッといつものほんわか柔らかい、可愛い夏希に戻った。
でも、目が笑ってない。
よけいに怖い。
「なんか、合法的に仕返ししたいんだよね。このままじゃ、腹の虫がおさまらない」
あぁ、また凶悪。
ブラック夏希、とでも呼べばいいのか。
でも確かに私も腹が立つ。
マルチ商法なんかにまで手を出してるなら、きっとサークルの人たちも勧誘されてるんだろうし。
ロクデナシの藤井先輩には、ちょっと痛い目にあってもらってもいいような気がしてきた。
ロクデナシ。
といえば、ジジ。
ちょっと相談してみようかと思った。
目には目を、ロクデナシにはロクデナシを。
☆☆☆☆☆
「…と、いうわけなんだけど」
私は食材が入ったスーパーの袋を床の上に置きながら言った。
「話は解ったけど、お前その荷物はなんだよ」
ユウキは私が先に下ろした大き目のトートバッグを指差して言った。
「うん、泊まる」
私がニッコリ笑うと、ユウキは苦い顔をした。
こういうのが、数学で習った反比例なんだなと思う。
私はコーヒーショップで9時までバイトした後、今日はバイトが休みだったユウキのアパートへ直接やってきた。
「いくらなんでも、気軽に泊まりに来るってのはどうなんだよ」
「なんか問題ある?今回はプチ家出じゃないし。ユウキんちは居心地がいいんだよね」
「そういう問題じゃなくて」
「1人前200円のビーフシチューでどう?」
ユウキはビーフシチューに懐柔された。
牛肉はお安い輸入牛を使うので、今晩仕込んで明日に食べれば、肉も柔らかくなるし、味も良くなる。
狭いキッチンでユウキと並んで野菜を切った。
ユウキは口は悪いけど、手先は器用で、野菜の皮むきも上手。
「で、さっきの話だけど」
ユウキはニンジンを乱切りにしながら言った。本当は揃えて切って面取りするとキレイなんだけど、乱切りで上出来。
「うん、夏希の話」
夏希にはユウキに話すことを了解してもらった。
ユウキの「人脈」を借りたいから。
「話はわかったけどさ、俺にどうしろって話だよ」
「ユウキが中継すると、色んな人脈があるじゃない?」
ユウキはジジとシンクロしている。
ジジにはあっちの世界に色んな「おともだち」がいる。
事実、今日もユウキはジジに聞いて昼間パチンコ屋に行って、2時間で3万円稼いできた。前よりも稼ぎが多いのは、まだジジにお怒り気味のユウキへの、ご機嫌取りサービスなんだと思う。
もちろん、その情報源はジジの「おともだち」の元パチプロさんだ。
ということは、他にも色んな知識のある「おともだち」がいるんじゃないかと私は思ったわけだ。
それをユウキに言うと、ユウキは「ふん」と言って、また左目をしかめた。
ジジも聞いていたらしくて、ユウキは時々ぶつぶつ言いながら、ジジと相談しているみたいだった。
「いるらしいぞ、一通りマネーゲームやったヤツが」
私が鍋の灰汁をすくっている間にユウキはジジとの打ち合わせが済んだらしい。
「どんな人?怖い人?」
「マルチ商法から株に先物、FX、一通り手を出して、大儲けしたけど、44歳で去年死んだ男らしい」
「…もしかして誰かの恨みをかって、殺された、とか?」
「いや、単に不摂生して心筋梗塞で死んだらしいぞ」
ふーん。急死したからたくさん未練があって成仏できないのかな?
「何ていう人?」
「ヤマザキレイジ、だって」
「ヤマザキさんなら、藤井先輩をどうやって懲らしめるかな?」
私はユウキ-ジジ経由でヤマザキさんから作戦を聞いた。
2人で作戦内容をノートに整理し終わった時には日付が変わっていた。
例によって交替でシャワーを済ませ、私はロフト、ユウキはソファーで寝ることになった。
「ユウキ、手伝ってくれてありがとう」
私がロフトから話しかけると、ユウキはメガネを外して顔をこすった。
「仕方ないだろ。成り行きだ。俺も腹が立つ話だしな」
ユウキは苦労人だから、苦労知らずのお坊ちゃんが、マネーゲームした挙句に女の子を利用するなんて話は許せないだろう。
「ユウキはいいヤツだね、うん」
「お前なぁ、男に対して『いいヤツ』は誉め言葉じゃないんだぞ。誉めるなら『いい男』って言うんだ」
「えー。いいじゃん、『いいヤツ』で。ユウキだって私のこと女の子扱いしてくれないじゃん」
「誰がするか。気軽に泊まりにきやがって。女の子扱いして欲しかったら、男扱いしやがれ」
「それは難しいな」
「お互い様だ」
ここは残念がるべきなのかな?
でもなぁ、付き合えば付き合うほど、ユウキが兄弟みたいに感じてくるし。
ジジという特殊なきっかけと成り行きを差っ引いても、こんな短期間で信用できて居心地がいい相手って、男女問わず、なかなかいないと思う。
次の日の朝、私とユウキは朝ご飯を食べてから、マンガ喫茶へ行った。
2人用スペースを借りた。
「よーし、始めようか」
薄い板で囲まれているだけだから、大声で話すと他のお客さんの迷惑になる。私とユウキは密談状態で顔を寄せてひそひそ話す。
デスクの上にはパソコンが1台。
パソコンを立ち上げて、有名な世界的SNSサイトにアクセスする。
ノートにはヤマザキさんのアカウントとパスワードが書いてある。
ヤマザキさんが言うには、自分が死んだ後もアカウントは残っているらしい。
さて。ヤマザキさんの名前でログインしたら、次は検索。
出た出た、藤井先輩。
器用なユウキがなかなか速いタイピングで、非公開のメッセージを打ち込んでいく。
打ち込み終わったら、2人で見直しして、送信。
その後は2人でマンガを読んで時間を潰した。
すると1時間くらいして、ヤマザキさん宛てに返信が来た。
「わぁ~、本当に引っかかってきた」
私はユウキと顔を見合わせて、右腕をクロスしてぶつけ合った。
ロクデナシくんへのお仕置き作戦は、順調にスタートした。
☆☆☆☆☆
「すごい、香奈ちゃん、どんな手を使ったの?」
夏希は私とユウキの手を取って、目を輝かせた。
最初に相談を受けた日から2ヶ月。
1限目の講義をサボって、私とユウキと夏希は、大学のある駅前のファミレスに集合していた。
「藤井先輩、留学するみたい。休学届けだしたって。なんかすごいことになっちゃって、ほとぼりが冷めるまで逃げるみたいなんだけど」
そう。藤井先輩へのお仕置きは成功した。
手口は単純。
ヤマザキさんの名前でSNSから藤井先輩に近づいた。
最初のメッセージはこんな感じ。
「『SELECT!』の幹部から君の噂を聞きました。株やFXもやるらしいね。最近損が出たようだけど、取り戻してみないかい?僕は株を研究しているんだけど、良かったら僕のいう銘柄に投資してみないかい?君のような優秀な人の手助けがしたいんだ」
『SELECT!』は藤井先輩が手を出したマルチ商法の会社の名前。
それにしたって、このメッセージは胡散臭い。
いくら切羽詰った藤井先輩だって、これだけでは信用しないだろう。
だから、最初は何回かただ株式の銘柄だけを藤井先輩に送った。
ヤマザキさんという人は、死んでしまった今でもお金儲けに精通していた。
おまけに、『あっちのおともだち』の人脈を使って、現役の金融のプロでもわからないような裏情報を集めて、確実に上がる株式を教えてくれた。
最初は藤井先輩も信用していなかったようだけど、教えられた株は必ず上がるのを見て、藤井先輩はヤマザキさんの言う銘柄を買うようになった。
夏希からお金を借りようとしていたくらいだから、最初は親に嘘をついて小金をもらい、少しずつ投資していたのが、あっという間に増えて、1ヶ月後くらいには使い込んだお父さんの会社の株を買い戻せるくらいまで儲けが出た。
そこで使い込みを精算すればいいものを、ロクデナシの藤井先輩は欲を出す。
すっかりヤマザキさんを信用した藤井先輩は、今度はFXを教えてくれと頼んできた。
ヤマザキさんの言う通りにFXをやって、またまた藤井先輩は儲けを出した。
ここまで来ると、藤井先輩にとって顔も知らないヤマザキさんは、新興宗教の教祖様並に盲信される存在になっていた。
勢いを取り戻した藤井先輩は、マルチの方で小金を稼ぐことも忘れない。
何しろ懐具合が良くなったものだから、お金をふんだんに使って、サークルの後輩を中心に、結構強引な勧誘や売りつけを始めた。
ちなみに、その手法を教えたのもヤマザキさんだ。
そして、ヤマザキさんの読み通りに藤井先輩の転落劇場が始まる。
まず、買えば儲けが出た株が次々に暴落。
不祥事やら摘発やら、これは『あっちの世界』にいるヤマザキさんだから予想できたことばかり。
そしてFX。
国際情勢の変化によって、藤井先輩が投資していた為替レートが大変動。
これもヤマザキさんの読み通り。
本当なら、多少知識のある藤井先輩なら、最低限の損失で済ませることもできたはず。
でも、教祖ヤマザキさんを神と崇める藤井先輩、すべての行動がヤマザキさんの言いなり。
秒単位で動くFX。
それをヤマザキさんは損が大きくなるように、大きくなるように、と誘導したのだから、あっという間に藤井先輩の損金は信じられないような金額になった。
大火傷どころか、瀕死の重傷、手遅れに近い。
そこでヤマザキさんはサクっと退場。
まぁそもそも、既にこの世に存在しない人なんだけど。
藤井先輩のマネーゲーム転落劇場が始まった頃と並行して、もう一つの仕掛けも始動。
ただ単に、匿名で藤井先輩のマルチ商法の勧誘行為なんかを大学へ密告しただけなんだけど。
マルチ商法自体は違法ではないということだけど、藤井先輩のやっていた勧誘や売りつけは、グレーと黒の間くらい、違法スレスレだった。
何しろウチの大学は、幼稚園から大学までの一貫教育をやっている名門私立。
学内でそんなことが起きているとなったら、さすがに無視できない。
私立学校は不祥事を嫌う。
警察沙汰やマスコミに報道されるようなことになれば、あっという間にイメージダウンになってしまうから。
コトは大学側から藤井先輩の父親まで伝わり、藤井先輩の悪事はあっという間に明るみに。
何しろ、実際被害にあってる学生を複数実名で知らせたから、藤井先輩は言い逃れようがない。
ちなみに、サークル内で被害学生を調べたのは夏希。
そして、万一警察沙汰になった時にも私とユウキの関与がバレないようにもした。
ヤマザキさんはパソコンやインターネットにも詳しかったようで、マンガ喫茶でパソコンを使った形跡は、ヤマザキさんの指示通りに操作して、履歴を追えないようにした。
そもそもヤマザキさんのアカウント自体架空だったそうで、そこから私やユウキに繋がることはないらしい。
藤井先輩と定期的に連絡するようになってからは、足のつかないスマホを使った。こちらはジジの『あっちのおともだち』にいる、元ヤクザさんから教えてもらったルートを使った。
ただ、藤井先輩のお父さんという人は、バカ息子の不祥事が一族の会社に影響することを恐れたらしく、キレイに尻拭いしてしまった。
マルチの被害者とは示談をして、藤井先輩の投資の損もお父さんが穴埋め。
大学にも話をつけたようで、藤井先輩は停学処分になっただけで済んだ。
そして、藤井先輩はほとぼりが冷めるまで、海外へ留学することになった。
☆☆☆☆☆
「いい気味だわ。あの男のことだから、ほとぼりが冷めたらシレっとしてまた日本に帰ってくるんだろうけど、私もちゃんと落とし前つけたし」
あぁ、『ブラック夏希』だ。
ユウキは目がテンになっている。
そういえばユウキが夏希と会うのは、この一件が始まる前以来だったかも。
「落とし前?」
私が夏希に言うと、夏希は氷点下の微笑みを浮かべた。
夏希は私に相談した後も、藤井先輩とずっと付き合っていたらしい。
お金は貸さなかったけど、何もわからない、何も気付いていない、藤井先輩大好き、という夏希を演じていたそうだ。
藤井先輩がヤマザキ教祖様効果でウハウハだった頃には、藤井先輩をおだててバッグやらアクセサリーやらをプレゼントさせたらしい。
そして藤井先輩が転落したところで、未開封のままのプレゼントを全部叩き返してやったそうだ。
「お金は汗水流して稼ぐものなのよ。お金と女をバカにするようなヤツは、地獄に落ちるといい」
夏希の別れの言葉だそうだ。
「………」
ユウキはこの言葉を再現する夏希を見て呆然としていた。
その夜、バイトが終わった後、私はユウキと落ち合って、またユウキのアパートに行った。
最近は「藤井先輩転落劇場」のためにしょっちゅう泊っていたけど、今日は泊りはなし。
私がお泊り用のバッグを持っていないのを見て、ユウキがホッしたように見えたのが憎たらしい。
夜食にユウキがすっかり気に入ったフレンチトーストを作って一緒に食べた。
「女はこえぇよな」
ユウキはフレンチトーストを食べながら言った。
確かにブラック夏希は私でも怖いからうなずいた。
「あの夏希ちゃんが、あんな恐ろしい女だったなんて」
「まぁね~」
終電に間に合うように、私はユウキのアパートを出た。
ユウキが駅まで送ると一緒に来てくれた。
「ねーユウキ、今ならヤマザキさんに教えてもらってお金儲けできるんじゃない?」
いつもの土手を並んで歩きながら私が言うと、ユウキは「ケッ」という顔をした。
「俺も夏希ちゃんと同じだよ。お袋が他人に頭下げて、昼も夜も走り回って働くとこを見てるからな。ああいう手段で金を稼ぐっていう発想はないな。ヤマザキさんがいつまでも助けてくれるわけじゃないし。マネーゲームはある意味ギャンブルだけど、競馬やパチンコとは桁が違うからな」
うん、なかなか真っ当な考え。
ユウキはジジから聞いてギャンブルで儲けたお金は、丸々銀行に預金している。
「でも、ベンキョーにはなったけどな。生きた経済学だった」
「ヤマザキさんは死んでるけどね」
私がそう言うと、ユウキは「確かに」と言って笑った。
「でもジジ、スゴイね」
「スゴイ?」
「うん、いくら死んじゃってるって言ってもさ、あっちでいっぱい友達いるみたいじゃない?ジジが頼むと、色んな人が手助けしてくれるんでしょ?人徳っていうのかな?」
「たまにいるな、そういうヤツ。何やっても『アイツは仕方ないヤツだ』って許されちゃうヤツ。だから、カナコのばあさんもお袋さんも、最後はじいさんを許したのかもしれないな。カナコも可愛がってもらった記憶もないのに妙に慕ってるし」
そうなんだ。
ジジは本当にロクデナシだったんだって分かってるのに、なんかジジは憎めない。
「ジジのお陰でユウキとも友達になれたしね」
「いいように使われてるような気がしないでもない」
憎たらしい。
「なんでよぅ。私のことキライなの?」
私がそう言うと、ユウキはメガネの奥から目を細くして私をにらんだ。
「お前なぁ。ホントに俺が男だってこと忘れてるだろ」
「えー?ユウキは男の子だよぅ。証拠見たわけじゃないけど」
ユウキは「はあぁぁぁぁ」とタメイキをついた。
「男をあんまりナメてかかると、痛い目にあうぞ。カナコが強いのは分かるけど、男の怖さはまた違うんだぞ」
まぁ確かに私はその辺の男の子より強い。多分、夜道で背後から襲われても、返り討ちにできると思う。
口ゲンカにも負けないし、セクハラにも立ち向かえると思う。その辺はお母さん譲りかも。
「ユウキもナメてかかると怖いの?」
「さぁな」
「ふーん」
まぁユウキは私があんまりにも無防備だから心配してるみたいだけど。
「夏希みたいに可愛かったら、用心も必要だけど、私は大丈夫じゃない?」
「カナコは色気がないし、歩いてても何してても、さすが黒帯って感じで隙がないんだよな。背も高いし、黙ってりゃクールな感じだし、大学の男どもは気軽に声かけられないって言ってるよ」
「えー、そうなの?知らなかった」
「俺がカナコとつるんでるから、俺にそう言ってくるヤツもいるんだよ」
「やっぱり誤解されてんのかな?なんか、ゴメン」
ユウキは「フン」と言って腕を上げた。
ついいつもの習慣で、私は自分の腕をクロスしてぶつけた。
「なんかもう、どうでも良くなった。つるんでるのが当たり前になったっつうか」
「気が合うね!私もユウキは兄弟みたいだって思ってたの!」
ユウキは「やっぱりこいつは何もわかっていない」と顔に書いてあるみたいだった。
この時の私は、ユウキの心配が現実になるなんて、全く考えていなかった。
新しいレスの受付は終了しました
小説・エッセイ掲示板のスレ一覧
ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。
- レス新
- 人気
- スレ新
- レス少
- 閲覧専用のスレを見る
-
-
少女漫画あるあるの小説www0レス 53HIT 読者さん
-
北進10レス 193HIT 作家志望さん
-
こんなんやで🍀118レス 1083HIT 自由なパンダさん
-
「しっぽ」0レス 88HIT 小説好きさん
-
わたしとアノコ142レス 1378HIT 小説好きさん (10代 ♀)
-
仮名 轟新吾へ(これは小説です)
【何度言えば解るのかな!】 何度も何度も言ってますけど、 あな…(匿名さん72)
175レス 2662HIT 恋愛博士さん (50代 ♀) -
神社仏閣珍道中・改
(光前寺さんの続き) その先を下ると、どっしりという表現がぴった…(旅人さん0)
200レス 6513HIT 旅人さん -
わたしとアノコ
「,,,さん!雪町さん!」 目を開ける。真っ白な天井に、少し固いベッ…(小説好きさん0)
142レス 1378HIT 小説好きさん (10代 ♀) -
こんなんやで🍀
友達の妹が、自転車で転けて田んぼで溺れて亡くなった話を聞いた事がある。…(自由なパンダさん0)
118レス 1083HIT 自由なパンダさん -
マントラミルキー
お釈迦様の元にたどり着いたマントラミルキーは、お釈迦様の元にミルク差し…(小説好きさん0)
25レス 607HIT 小説好きさん (60代 ♂)
-
-
-
閲覧専用
人間合格👤🙆,,,?11レス 104HIT 永遠の3歳
-
閲覧専用
酉肉威張ってマスク禁止令1レス 112HIT 小説家さん
-
閲覧専用
今を生きる意味78レス 499HIT 旅人さん
-
閲覧専用
黄金勇者ゴルドラン外伝 永遠に冒険を求めて25レス 937HIT 匿名さん
-
閲覧専用
勇者エクスカイザー外伝 帰ってきたエクスカイザー78レス 1764HIT 作家さん
-
閲覧専用
人間合格👤🙆,,,?
皆キョトンとしていたが、自我を取り戻すと、わあっと歓声が上がった。 …(永遠の3歳)
11レス 104HIT 永遠の3歳 -
閲覧専用
酉肉威張ってマスク禁止令
了解致しました!(小説好きさん1)
1レス 112HIT 小説家さん -
閲覧専用
おっさんエッセイ劇場です✨🙋🎶❤。
ロシア敗戦濃厚劇場です✨🙋。 ロシアは軍服、防弾チョッキは支給す…(檄❗王道劇場です)
57レス 1386HIT 檄❗王道劇場です -
閲覧専用
今を生きる意味
迫田さんと中村さんは川中運送へ向かった。 野原祐也に会うことができた…(旅人さん0)
78レス 499HIT 旅人さん -
閲覧専用
神社仏閣珍道中・改
この豆大師についての逸話に次のようなものがあります。 『寛永…(旅人さん0)
500レス 14793HIT 旅人さん
-
閲覧専用
サブ掲示板
注目の話題
-
これはブロックするのが正解ですか?
LINEブロックした人が別アカウントのLINEで連絡してきたのですが皆様なら返信しますか? マチア…
11レス 375HIT OLさん (20代 女性 ) -
初デートなのに「どこでも良いよ」
5ヶ月付き合っているけど実はこれが初めてのデート、初めてだから行きたい場所を聞いてみたら彼女は「私は…
17レス 366HIT 張俊 (10代 男性 ) -
恋人の返信が来ないのが気になる
LINEが1日返ってこなかっただけで寂しいと感じる彼女は重いですか...? 私も返す頻度はバラバラ…
7レス 292HIT 恋愛好きさん (20代 女性 ) -
誕生日のお祝いについて
彼氏にカラオケおごってあげるといわれましたが、全然嬉しくありません…。 皆さんだったらどう思います…
12レス 257HIT 恋わずらいさん (40代 女性 ) -
他界した高齢の姑に、生前夫や私が贈ってた品々
昨年、高齢の姑が天寿を全うしました。 法要等色々と終わり、生活が落ち着いて来たので、遺品整理につい…
20レス 464HIT やりきれないさん (50代 女性 ) -
職場の人との関係(彼氏が良く思っていません)
付き合って四年の彼氏がいます。 双方友人もあまりいないので、友達と遊びに行くなど予定がお互いあまり…
6レス 244HIT 恋愛好きさん (20代 女性 ) - もっと見る